
はてなキーワード:フリーターとは
ダイヤモンドの↓の記事が盛りすぎでブクマカが釣られまくっているので、ちょっと落ち着けという意味で少し解説する
普通の人が「フリック入力を発明」というフレーズを見たら、どっちを想像する?
普通は1を想像するよね。でも、上の記事の「発明」は2の意味。8割くらいのブクマカはここを勘違いしてコメントしてるように見える
同じ発明家氏の記事でも3ヶ月前の東洋経済のほうは、「フリック入力を発明」という釣りフレーズこそ使っているものの本文を良く読めば発明のキモの部分が2であり1では特許を取れなかったことがそれなりに分かるように書いてある
「フリック入力」を発明しMicrosoftに売却した彼の"逆転"人生。元・売れないミュージシャン兼フリーター、家賃3万のボロアパートでひらめく
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/889631
もちろん2の意味の発明もスゴイし重要なんだけど、釣りは良くないよね
そもそも世の中のほとんどの技術は様々な発明やアイデアの集合体である。歴史の積み重ねであり、最終形がいきなり湧いて出るわけではない。もちろん「フリック入力」にも歴史の積み重ねがある。それを少し紐解いてみよう(なお、下記の「年」は引用可能な特許や論文が出た時期であり、実際にはそれよりもっと前にソフトウェアがリリースされていたりアイデアがメーリングリストに投稿されていたりすることもある)
[追記]※増田の仕様上ひとつの記事に貼れるリンク数に制限があるため一部URLのhを抜いている点、不便ですがご了承ください[/追記]
ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/57167.57182 (論文)
放射状に選択肢を並べるUIのアイデアは1960年代から見られるが、接地点からの移動方向情報を用いた入力手法の祖としてはとりあえずこれを挙げることができるだろう。これは文字入力に特化したものではなく、一般的なメニュー選択のための手法である
ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/191666.191761 (論文)
pie menuを文字入力に応用したもの。論文の著者はAppleの人。英語用。広義の『「フリック入力」の元祖』に最も該当するのは、おそらくこれだろう
ttps://rvm.jp/ptt/arc/227/227.html
ttp://www.pitecan.com/presentations/KtaiSympo2004/page65.html
T-cubeを日本語に応用したもの。広義の『日本語版「フリック入力」の元祖』の候補
https://web.archive.org/web/20080925035238/http://www.j-tokkyo.com/2000/G06F/JP2000-112636.shtml (特許)
https://newtonjapan.com/hanabi/
AppleNewton (PDA)用に実装された文字入力UI。「中央が『あ』、上下左右方向が『いうえお』」に対応する見慣れた形のフリック入力がここで登場する。『現在よく見る形の日本語版「フリック入力」の元祖』である。なお、開発者が特許を申請したものの審査を請求しておらず、特許としては成立していない
この頃、Human-Computer Interaction分野でT-cubeやHanabiの発展としての文字入力手法の研究が活発になり、特に国内学会で多くの手法が発表された。情報系の学生の卒論や修論のテーマとして手頃だったからだろう。PDA製品に実装されて広まった例もあり、SHARPZaurus用のHandSKKや、少し時代が下ってATOKのフラワータッチ等もこの系譜である
なお、この頃までの技術は指での入力ではなくペン(スタイラス)による入力を想定したものが主である(iPhoneの登場以前はキーボードレスのモバイル端末といえばPDAやタブレットPCなどスタイラス入力を前提としたデバイスが主流だった)
『スマートフォン上の「フリック入力」の元祖』であり『予測変換機能を備えた「フリック入力」の元祖』である。日本語フリック入力の効率を考える上で予測変換の占めるウェイトは大きく、「実用的なフリック入力」を実現するには予測変換との組み合わせは外せない。2006年にAppleに招聘されてiPhoneのフリック入力機能を開発した増井俊之氏は元々予測変換のPOBox(1998年 - ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/274644.274690 )の開発者として知られる研究者であり、Appleへの招聘もその経験を買われてのものだろう。入力にフリック操作を用いること自体は特筆すべきものではなく、当時の流行を考えれば自然な選択だったと思われる
なお、前述のHanabiの開発者氏がiPhoneのフリック入力を見て
と言っている一方、増井氏はHanabiに対して
知らんがな
と言っている。この分野の研究をしていて知らんことあるか?とも思うが、電話用テンキーの上に五十音かなのフリック入力を実装すると誰が作っても概ねHanabiのような外観になると思われるので、本当に知らなかったとしても齟齬はない
ttps://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/PU/JP-2008-282380/11/ja (特許)
『画面表示は絶対座標+移動判定は相対座標で行うことで「フリック入力」の入力効率を向上させる手法の特許』である(詳しい仕組みは上記の東洋経済の記事に書いてある)。ペン先と比べて指先は太いため指によるタッチでは厳密な操作が難しく(fat finger問題)、「実用的なフリック入力」を実現するにはこのような工夫も必須になる。小川氏の凄いところは、スマホの日本語UIをリリースするならどのメーカーも必ず実装するであろうこの工夫を、日本版iPhoneのリリース直前、Apple社としては引き返せないであろうタイミングで特許申請したところだ。機を見るに敏すぎる。特許庁に2回も拒絶された特許を不服審判で認めさせているところも本人が弁理士だからこそできる強さだと思われる
なお、氏の記事を読むと「フリック入力」自体を氏が考案したように思えてしまうが、ここまでに述べた通りそれは誤りである。「フリック入力に関連する重要な特許の公報に『発明者』として掲載されている」ことは疑いない事実なので「フリック入力の発明者」と称するのはギリギリ誤りではないと言えないこともないが、「フリック入力を発明した」はやはりダメだろう。上述の通りフリック入力自体は90年代に既に登場しており00年代の前半にはタッチスクリーン上のかな入力手法の一角を占めるに至っていたので、iPhoneに実装されたことは不思議でもなんでもなく、
このあたりは荒唐無稽な邪推すぎて、ソフトバンクから名誉棄損で訴えられたら危ないのでは(そもそもiPhoneのフリック入力を開発したのはAppleであってソフトバンクではない)
まとめると、さすがに小川氏の記事はモリモリに盛りすぎである。書籍の宣伝にしても酷すぎる。価値の高い特許を取った発明家であることは事実なのに、なぜこういう胡散臭いムーブをしてしまうのか
1998年にAppleNewton用に開発された日本語入力システム「Hanabi」が草分けで、2008年にiPhoneに採用されたことで、急速に広まった。従来の「あ段→い段→う段→え段→お段」とキーのプッシュを繰り返して表示・入力する方式(トグル入力)に比べ、素早い入力が可能になる。その入力効率の高さから、2010年頃にはキーボード離れが加速している[1]。
1998年にAppleNewton用に開発された日本語入力システム「Hanabi」[2]が草分けで、2008年にiPhoneに採用されたことで、急速に広まった。日本におけるフリック入力は、発明家でシンガーソングライターの小川コータがiPhone上陸以前に考案し2007年から2015年にかけて特許出願した[3]ものであり、取得した権利はマイクロソフトに譲渡された[4]。
ただ、これはおそらく関係者の自作自演等というわけではなく、日本におけるフリック入力関連特許が小川氏のものばかりであることからボランティア編集者が勘違いしてこのような記述にしてしまったのではないか。フリック入力は前述のように地道な技術の差分の積み重ねなので、個々の差分の開発者が「特許」を取ろうという気にならないのは良く分かる。その点でも、自ら弁理士として特許を量産した小川氏の強さが際立っている(が、やはり盛りすぎは良くないと思う)
未経験者>お前らの態度
◆システム関連事業請負業のアイエスエフネットの2700人の従業員のうち1000人は,元はニート,フリーター,ワーキングプアなどの就労困難者たちです。
渡邉幸義社長が創業当初にIT技術経験者を募集したところ,十分な人数が集まらず,応募者の態度にも問題があると感じ,未経験者を採用して採用後に資格取得させることにしました。
すると障害者など就労困難者のほうが高い意欲を持っていることがわかり,以来,ニート,フリーター,障害者,引きこもり,シニア…であることを理由に不合格にしないと決めているそうです。
例えば、
社会人になりたての頃は、
そこから40代になった今は、一応一部上場の企業に勤め、年収は1,000万を超え、子宝には恵まれなかったが、妻と2人でささやかに暮らしている。
現在、弱者男性ではない理由は、他人に期待しなかったからだと思う。
まず近親者に問題が多かった。家族でもこれだから赤の他人や行政が親身になって自分を救ってくれるとは到底思えなかった。
みんな自分の事で精一杯なのに、なんで何も持たない俺を気にかける?他人にとって俺を助けるメリットはない。だから自分を助けるのは自分しかない。ずっとそう思ってた。
独学でスキルを学び資格を取り、体当たりで色んな場所に顔を出してコネを作ったり、落とされても何度も挑戦して転職もできた。
途中では、挫折もしたし、恥も沢山かいた。ぞんざいな扱いに傷ついたり、悔しい思いも数知れない。
社会人のスタートが遅かったから年下にこき使われることも頻繁にあった。情け無い気持ちになっても自分のプライドを抑えた。生い立ちとか学歴とか、未だにコンプレックスだらけだ。
運が良かっただけとか生存者バイアスとか言われるかも知れない。でも誰かの救いを待ってるだけでは現状は悪くなるばかり。自分は自分しか救えない。これは真実だ。
そして、これからの人生で何が起きて、また弱者男性になるかわからないが、そんな時でも他人には期待できない。困らないような準備を今からしておく。
みんな頑張れ。
しかしそもそも俺自身昼前から夜にかけてバイトしてるから家で食う予定がほぼない。
なんなら普段は朝飯も家で食わない。帰ってきたときの夜食くらいである
これはおそらく当人たちなりの義務感というか「親としてだめな息子にしてやってる」という何かなんだろうが、皿に山盛りの冷凍食品を残されても何も嬉しくないというか、この3種類くらいの同じような肉の塊の冷凍食品はオレが消費しないとだめなの????え????君等バリエーションとかいう概念ないの???いらないよ。。。。君らもオレが朝とか昼とか家で食わないことしってるだろ???という感覚のほうが強くたいへんキツイ
だからといって手を付けないとまた嫌みか発狂するんだろあなぁ。まぇ嫌みたらたらな事いいながら「なら今度から作らないからな!」と言われたとき「いらない」って答えたらなぜか逆ギレされておれがわるいといあことになった。
それ以降(というかそれ以前から)黙って黙々と消費するようにしてる
正直実際夕食は要らないし朝飯の方がほしいんだが、朝飯は作ってくれないし、あさ食べようと台所に行くと嫌味ったらしい視線とたまに嫌みと説教がとんでくるのでさっさと家をでて大抵コンビニで食べている
親は金の無駄だもっと早く起きてきたらいいと嫌味をいうが朝一から隙があれば精神を攻撃しテンションをへし折ってくる人間と飯を食うなど言うキチガイじみた行為を仕事前にしたくない
そのへん何一つ噛み合わないが元ニートで今フリーターの子供部屋おじさんの俺が口を挟める権利はない。
かつて公立高校の教師をしていた。何年も前に辞めて、今は別の教育業に従事している。その頃の思い出が脳裏によぎることが最近よくある。どこかで書いたら心の整理がつくのではと思った。
なお、この日記は身バレ防止のために、ChatGPTにお願いして文体を変えている。鼻に付く文章があれば申し訳ない。
これから書くのは、最後に赴任した高等学校でのことだ。実は普通の高校ではない。訳アリの子が通うための高校だった。
いわゆる、事情がある子というのがいて、全日制の高校に進学するとか、通い続けるのが難しい。そういう子が通うための学校である。仮にポジティブ学園としよう。
3部制を採用していて、午前・日中・夕方以降の3つの中から、自分にとって都合のいい時間帯を選んで履修できる。早い子だと、普通の高校生のように3年で卒業する。
制服か私服か、自由に選ぶことができる。アルバイトができるし、メイクもピアスも全て大丈夫。髪染めもOKで、ピンクや青髪で学校に通う子もいる。
ここに来る前、私は全日制の高校にいた。地元では人気のあるところだった。毎年冬にある推薦入試の倍率は20倍を超える。そういう学校である。人口だと約40万人が在住する地域だったが、その中でもトップに近いところだった。
真面目な生徒たちに囲まれてたと思う。彼らは偏差値の話もしていたけど、それ以外にも部活動とか友達との交流とか、文化祭・体育祭など、とにかく人としての「生きる力」というか。そういうのに溢れていた。
当時の私は、まだ30代のヒラ教師だった。それが高校生のあるべき姿だと思っていた。学業が一番で、余った時間で部活動その他の自己を高める活動に取り組むのだ。
だが、ポジティブ学園に赴任して、現実を思い知らされた。自分がこれまでに教えてきた生徒らは、いわゆる上澄みというやつだった。毎日学校に通学して、学業や部活動や趣味に打ち込むことができる時点で、高校生としては相当できる方である。
今でも思い出す。ポジティブ学園に通う生徒らは……教室の隅でうつむく子や、理由をつけては学校を休む子。授業など聞く気すらない子、授業中に堂々を飲み食いする子。なんというか、彼らには当時の県教委が教育の柱としていた理念のひとつ、「生きる力の醸成」が通用しなかった。
そうした生徒たちに、私は何もしてやれなかった。何をしたらいいのか分からなかった。ただ毎日、教科書に従って授業を進めるだけ。彼らに対して指示や指導をすることはあったけど、そもそも内容を理解できてるかも怪しい。
一応、入学試験はあるのだが、実質的に全員合格させるスタイルだった。普通の高校に行けない子――そういう子のための最後の受け皿としての役割を、ポジティブ学園は担っていた。
最初に話したとおり、ここは「訳アリの子」が通う学校である。不登校経験者とか、昼間は家業を手伝う子とか、家計を支えるために夜働いている子。様々な事情を抱えて、全日制のレールから外れることになった生徒たちが、自分のペースで学び直す場所だ。
赴任の初日、当時の校長は私に言った。「ここは、生徒たちが『それでも学びたい、高校生をしたい』と選んでくれた場所です。先生の役目は、彼らの気持ちを全力で応援することです」ってさ。
さっきと矛盾するようだが、生徒たちはひたむきだった。普通の高校生と一緒で、やる気のある子はいるし、そうでない子もいる。昼間の授業中、うるさい教室の中でも真剣にノートをとる生徒とか。放課後になると、「じゃあ働いてくる~」といった感じでアルバイト先に向かう子もいた(ほぼ金髪の子だった)。
夜間部の教室だと、疲れ切った顔で教科書と向き合う生徒もいた。全日制の「普通」とは違うけれど、彼らには彼らの「普通」があった。
赴任してから次の年度、就職指導を担当することになった。人生初経験である。私は民間企業で被服の営業の仕事をしていた。泥臭い仕事を約十年やっていたということで、白羽の矢が立ったのだと思われる。
これまでの学校では就職する子や、専門学校に行く子は稀だった。仮にいたとして、実際なんの指導も必要なかった。受け入れ先の企業も「なんでこの学校の子が……」といった顔パスに近い扱いだった。
履歴書の書き方一つとってもそうだ。社会人でいうところの空白期間。不登校だったとか、全日制の高校を中途退学したとか、中学卒業してからフリーターだったとか、あるいは何もしてなかったとか。
そういう経歴を書く場面になると、彼ら彼女らは詰まってしまう。無理もない。これまで何度も、そのことで心を痛めてきたのだから。
私は履歴書を読み直す度に、「君の経験は無駄じゃない。乗り越えた証拠なんだ。学校、来てるじゃないか!」と声をかけた。最初は疑いの眼差しだった生徒たちも、次第に心を開いてくれるようになった。心を開いてくれない子もいたけど、それは致し方ないのだ。
私は教師だから、「いつかは通じるはず。別に今じゃなくても、数年後だっていい」と思って就職指導をした。
秋のある日。就職関係のイベントがあった。「○○圏域 企業と学校の交流会」みたいな名称だった。これは、企業と学校(大学、専門学校、高等学校、専修学校その他もろもろ)のそれぞれの担当者が各ブースで話し合いの場をもつというものだ。
企業からは採用担当者が、学校からは就職支援の担当者が出席する。参加団体は企業だけでも100社を超えていた。学校からは、その地域の学校という学校はほぼすべて出席していた。
ここに、私と校長の2人で出かけた。目的は、企業の方々にポジティブ学園を知ってもらうこと。うちの学校にはただでさえ偏見が多い。少しでも解きほぐす必要がある。
たくさんの企業ブースが立ち並ぶ中、それこそ時間が許す中、多くの企業ブースに足を運んだ。校長自らが話をしていた。約十分ごとに挨拶から始まって、学園の概要説明、どういう子がいるかや、これまでの就職実績など。
そして、いつも最後に、「わが校には、難しい状況にある子が通っています。それは事実です。そういう状況でも、彼らは自分の道を切り開く努力をしています。面接の際に見かけましたら、どうぞよろしくお願いします」と相手先企業に伝えるのだ。
企業の反応は……まあ、社交辞令みたいな感じだった。「わかりましたよ、でもうちの会社の採用対象かどうかはねぇ」という表情だった。
そういう反応になるのも無理はない。ポジティブ学園は、県道沿いの大きな平地にある。昔は地域の伝統校が鎮座していた。少子化で別の学校と合併になり、校舎が空いたところに県教委がポジティブ学園を創設した。
例えば、毎朝の登下校時、いや昼以降の登下校時でもそうなのだが……校舎前の県道には、ダボっとした私服で、髪を染色していて、ひと昔前の不良漫画(今時でいうと薫る花は凛と咲く)の雰囲気を漂わせた未成年が闊歩している。初めてその光景を見る人からすると、「そういう高校なんだ……」という感想になる。
だから、企業担当者がうちの学校に対してそういう態度になるのは、ある種の必然だと思っていた。偏見を持たれてもしょうがないって、当時30代半ばだった自分は感じ取っていた。
そうでない企業もあった。社交辞令とかじゃなくて、真剣にこちらの話を聞いてくれる。というか、むしろ聞きたいという恰好で話に臨んでくれる。
半導体装置を作っている会社がそうだった。その時も、校長は満面の笑みで相手方の採用担当者に熱心に話をしていた。
「○○さんは、福山を代表するハイテク企業でいらっしゃる。我が校にも理系の才能を持つ生徒がたくさんいるんです。どうか、偏見なく見てやってください」
そしたら採用担当者は、少し戸惑った表情になって、「私達を馬鹿にしないでください。もちろんですよ(^^)」と答えてくれた。
それから数年か後のこと。ポジティブ学園の進路実績だが、創立当初からずっと変化はなかった。大学進学者だと地元にある限りなくボーダーフリーに近いところか、地元の専門学校、地元の民間企業だった。そもそも、ここまでたどり着ける子自体が少ない。入学した子のうち1/3以上は中途退学してしまう。
その年のことはよく覚えている。3年生に1人の生徒がいた。名前は仮にケンタとする。プログラミングが好きな子だった。授業中も休み時間も、ずっとPCの画面とにらめっこしていた。授業中にも堂々と副業的なことをしていたが、単位は取っているので見逃していた。
ケンタは、数学や情報処理の成績が抜群だった。数学の問題でも、いつの間にか自分で勝手にアレンジして、勝手に問題を解くようなプログラムを組んだこともあった。
それを友人に共有しようとしたが、難しい様子だった。能力・興味的な部分もあるし、自分だけのノートPCを持ってる子が少ないのもある。
ケンタは中学校の時は不登校だったらしい。原因は、特定の誰かからいじめられたわけではなく、「教室という空間がなんか違うと思った」からだと言う。
大人だったら「息苦しい」ということになるのだろうか。全日制の高校には行きたくないと、自らこの学校を選んだ。
私は、彼の才能を埋もれさせてはいけないと思った。彼とは幾度となく話をしたけれども、ただ生きにくい性格であるだけで、才能はあるのだ。
私は就職戦線が始まる直前にケンタを呼んだ。「この会社を受けてみないか?」と誘ってみた。さっき上の方で話した半導体装置の会社である。半導体以外にも、ディスプレイや機械制御装置も手がけていた。
ケンタは驚いたような、呆れたような様子だった。「知らない会社ですけど、半導体には興味ありますけど、無理だと思います」と言ってた。
「お前はできる。この会社は理系の才能を求めてるし、才能を正当に評価してくれる」
と言うしかなかった。実際、私の出身地域では評判の高い企業だったし、2025年現在では全国的に知名度のある企業にまで成長している。
強引に進めるしかないと思った。何しろ、ケンタは卒業後の進路を決めてなかった。とりあえず先延ばしにしている印象だった。
そこで、ケンタをどうにか説得して、彼の履歴書を添削して、推薦状も書いた。履歴書には、不登校だった過去も、ポジティブ学園を選んだ理由も正直に書かせた。彼のプログラミングに対する情熱を備考欄にこれでもかというほど書き連ねるようにした。
面接練習のとき、ケンタは口ごもることが多かった。相手の目を見て話すことが苦手だった。コミュニケーションが苦手なタイプ。正直、公式な場での会話が難しい子だと思う。
けれど、たどたどしい感じになっても、自分の思いはちゃんと伝えてくる子だった。
「大丈夫だ。プログラミングの話になったら、お前はきっと大丈夫」
※AtCoderで最高位に近い色だった
私はそう言って、彼を送り出した。自分には確信があった。あの会社は、肩書きや学校名じゃなくて、実力で人を判断する会社だと。あのイベントの時、うちの校長の言葉に耳を傾けてくれたんだって。
約一か月後、職場に電話がかかってきた。あの会社の採用担当者からだった。胸がざわついた。
以下、話の内容である。言葉の感じも、当時の手帳を元に大体そのままにしてある。
「あの、ケンタ君の件で、社内で検討を重ねた結果、今回は採用を見送らせていただくことになりました」
「なぜですか?」
「プログラミングのスキルは、正直高いです。うちの主任技術者も高く評価しました。ただ……」
※この時私は、苛々とともにペンをカチカチしていた
「ただ、入社後のサポート体制を考えた際にですね。彼が当社の環境に馴染むことができるか、という点に懸念が残りました。不登校経験があるということも、正直に申しまして、入社後のメンタル面のリスクを拭い切れませんでした」
「それは、偏見ではないのですか?」
言ってしまった!と心の中で後悔した。先方の声が少しだけ硬くなった。
「そう言われても仕方ないかもしれません。しかし、会社の事情があります。我々もギリギリまで議論を重ねました。安易な気持ちで彼を採用して、もし彼が再び辛い思いをすることがあれば、それはお互いに不幸です。今回は本当に申し訳ありません」
電話が切れた後は、多分……しばらくボーっとして、職員室の椅子に座ったままだった。
あの時はこう思った。やっぱり、ポジティブ学園の子はそうなんだ。どんなに才能があっても、過去のレッテルから逃れられない。あの日イベントで抱いた期待を裏切られた気がした。
だが、その後の日々で、冷静になって考えてみた。
採用担当者の言葉に嘘はなかった。彼らは、私が抱えていた不安を彼らなりの言葉で伝えてくれただけだ。
採用すれば良いというわけじゃない。無理に引き受けて、彼の心の傷をさらに深くしてしまうかもしれない。
そう考えたとき、彼らの不採用という決断は、ある意味、生徒のことを真剣に考えてくれた結果なんだと思った。
むしろ、偏見だと決めつけて、彼らに向き合わなかった私の方が……傲慢だった。
ケンタに不採用の知らせを伝えると、しばらく沈黙が続いたっけ。
「そうですよね~僕みたいなのが、あんな会社は無理ですよね」ってケンタが言うと、心にグサッときた。
「ごめん」としか言えなかった。生徒に謝る事態なんて、教師として三流以下だと思った。
ここまでがポジティブ学園での思い出である。それからケンタは、遠方にあるコンピューターの専門学校に進学した。私が様々な方向性を提案して、ケンタと話をした結果、彼が自ら考えて決断したのだ。
ケンタが高校を卒業して、何年もの月日が経った。最初のうちは、メールで年に何度か近況報告をもらうこともあった。プログラミングがやっぱり楽しくて、大会にも出場しているといったことだった。
やがて、やり取りをすることもなくなった。それは彼がナニカに集中するようになったからでは、と心の中で期待していた。やがて、ケンタのことを思い出すこともなくなった。
ある日、一通のメールが届いたのだ。ケンタから。内容は、就職先の内定のことだった。「報告があるのですが、○○(※あの半導体の会社)に内定をもらいました」という端的な文章だった。
「うわっ!」と、思わず声を上げてしまった。その端的な文章の下に、いろいろと書き連ねてあった。彼らしく、無駄が一切ない文面だった。
要約すると、専門学校で就職インターンシップに申し込む際、事前説明会があったとのこと。参加した時、人事の方に「ケンタ君だよね?ポジティブ学園の」と声をかけられたという。
「あの時の採用担当者の方が僕のことを覚えてました。『あの時よりも自信に満ち溢れている』って言われました。」
「専門学校で、僕はプログラミングのスキルだけじゃなくて、コミュニケーション能力も、人との関わり方も学びました。飲食店でアルバイトもしました。おかげで、あの時よりも、面接で自分の言葉でしっかり話すことができたんです。あの時、もし会社に受かっていたら、僕は挫折していたかもしれません。…(中略)…でも、先生が僕の可能性を信じてくれたから、僕を諦めなかったから、頑張ることができた。本当に、ありがとうございました」
キーボードを触りながら、返信しようと思いつつも、手が震えてうまくできなかった。
私はあの時、半導体の会社を偏見で判断した。ポジティブ学園の子だから、そういう目で見たんだろうって。そして、生徒の可能性を信じきれず、不採用という結果に囚われた。
でも、本当にケンタに向き合ってくれたのは、彼らの方だった。再認識させられた。成長したケンタを、あの人達は今度もまたちゃんと見て、採用という判断をしてくれた。それだけだ。
ここで結びにする。
あの学園にいた時は、生徒たちの「訳アリ」の部分に目がいってしまうことがあった。でも「訳アリ」なのは、過去の物語によって起きた結果にすぎない。彼らは皆、自分の人生を懸命に生きている。できる子がいたし、できない子もいたけど、未来に向かって進もうとしていた。
私はもう学校教諭ではない。けど、あの頃は就職指導の先生としてだけじゃなく、人として彼らの未来を信じて背中を押し続けたつもりだ。
自分は応援団のひとりに過ぎないと思っていた。でも、応援された生徒は、やがて自分で未来のことを考えて、切り開こうとチャレンジする。そういう人になってほしいと願っていた。
今は、別の形ではあるけど、若い人にものを教えている。学校と違って、純粋に実務上の知識や技術を教える仕事である。
これからも、誰かの未来を応援し続けようと思っている。それが、訳アリの子の就職指導をしてきた、自分にできる使命なんだと思ってる。
そのまま貯金増やして5000万ぐらいになったら一括で買えるよ多分
いやマジで気分悪いんですけど?
話が噛み合わなくて相互に不愉快な気持ちをぶつけあう光景を見せられるのしんどいだけじゃない?
スッキリ要素なしでず~~~~っと重アスペと中アスペがぶつかりあってるだけじゃん?
んで基本的に重アスペが超アスペパワーでいつも通り世界に余計なコミュニケーションコストを振りまく様子が俯瞰視点で「赤の他人として見るとズレてて笑える」っていう貶しメインの笑いとして消費される感じ。
いやマジで気分悪いんですけど?
要するに珍獣扱いしてるわけじゃないですか、日常空間に現れる人間のアスペ的コミュニケーションの瞬間を束ねて「たまにある程度のアスペムーブをずっと繰り返すたまにいるマジでアスペな奴」っていうコントなんでしょ?
要するにジャルジャルアイランドってのは「割といるタイプのアスペの中でも最高レアにガチでアスペな奴」っていう芸の詰め合わせなんでしょ?
いやマジで気分悪いんですけど?
重アスペの究極アスペムーブに侵食された中アスペが釣られてアスペムーブ引き出される瞬間の「あーあ重アスペの世界で皆のリズムが狂っちゃったよ~~~」というやれやれ感エグない?
いや「観察力が凄いよね天才じゃん?」という意味の「エグない?」じゃなくて、「これを『お笑い動画』として世の中に出しちゃうこと自体がアスペを笑い者にしてくるクラスの人気者系中学生みたいな態度すぎて倫理観義務教育未満じゃない?」って意味の「エグない?」だからね
いやマジで気分悪いんですけど
ジャルジャルアイランドってのはひたすらどこまでも「なんかたまにいるアスペな奴」っていう動画の集合体なんだけどさ、これが「自閉症の真似しま~~す 」と何も違わないことを理解してるの?
じゃあお前らは「駅のホームでよく見る奴」ってタイトルで「(^p^)あうあうあー ぱしろへんだす~~~ (^p^)まもなく 4ばんせんにでんしゃがまいりまいりまいまいままままますきいろいしろいせんからうあああああああああああああああああああああ」みたいな感じの動画上がったらクソワロ爆笑なわけ?
無理だなあ・・・誰もが必死に生きているこの地球という星の人という命一つ一つの輝きに対する許されざる侮辱行為としか俺には思えないなあ・・・。
いやマジで気分悪いんですけど?
あのね、ジャルジャルがこういう芸で飯食ってること自体はもう仕方がないと思う。
走り出した芸人というレールから今更降りてただのフリーターになりなさいなんてとても言えない。
でもこれで笑ってる人達が「これこそ人間観察だ!」みたいに言ってるのは凄く駄目だと思う。
これさあ、イジメでしょ?
ある種の人種に対しての「こういう奴マジでうぜ~~~~でも旗から見てると面白いわwwwwww」ってことでイキってるグリフィンドール生みたいなノリでしょ?
いやあのさあ、しょうがないと思うよ学生時代ならさ、学生ってそんなもんだし。
俺も学生時代に偏差値60の高校通ってたけどそこでもこういう感じでグリフィンドールとスリザリンがカースト最上位から「BLEACHの話題載ってるからアニメージュ買っちゃったw」「ちょwwオタクじゃんww」「いやでもこれ逆に面白いでしょww」「でも買う必要あった?オタク君に借りればいいじゃんw」「駄目だよwオタクくん俺等が「貸して」と言っただけなのに「(^p^)あっ、(^p^)あっ、(^p^)よよ読み終わってるからもうあげまちゅっちゅっ」とか言って渡してくるからカツアゲになっちゃうもんwwww」「あるあるwwww」みたいな感じでハッフルパフを被差別部落の如く扱ってるの見てきたから。
まあ画面の向こうにいる人の年齢なんて見えないんだけどさ俺には死神の目みたいなのないけど平均年齢はうっすら分かるじゃん?
つうかジャルジャルに関してはもう明らかに社会人の年齢じゃん本人らも肌見れば分かるみたいなこと言う取ったけどまあそうやなって思うよ。
いやマジで気分悪いんですけど?
これを「アスペの学習資料として素晴らしいよ」みたいに言われるの本当おかしい。
ネタに走りまくったあとの健常者エミュレーターみたいなもんじゃんこんなの?
本当にアスペが必要なのは「じゃあこういう時どうしたら良かったの?」なんだけど、それがないじゃん?
あるのは「アスペくんは世界の笑いものだよ。醜いアヒルの子や赤鼻のトナカイみたいな救いなんて無いよ。お前が生きている事自体が迷惑なんだよ。」ってメッセージだけでしょ?
なにこれ?
珍獣扱いを受け入れながら珍獣ネタで誤魔化して暮らせってこと?
俺も学生時代に多くのハッフルパフ生がそれをやって生き延びてきたのを横目にしてきたが、あれだけが正解で「人間のふりをして乗り切る」なんて不可能ってこと?
「人外の化け物は一生笑われものなんだよ!」のメッセージ頂きました!最高に勉強になります!ありがとうございます健常者様!今日もつつましく「俺は死ぬべきなのに生かしてくれてありがとうございます」と思いながら暮らします!ってこと?
はあぁ?
マジで気分悪いんですけど?
「あげてる」ってなんだよ、オイ?
ありがとうございます。「昇華して頂いている」おかげで、アスペの罪が軽くなるなら怒られ続けるよりはまだマシなので感謝しまーす。
クソが・・・たまたま親の股から常者に産まれただけでよくそんなエバれるよな。
お前の親がお前を孕んでる時に健康的な暮らししてくれただけであって、お前が偉いんじゃなくて偉いのはお前の母親だけだろ。
いやマジで気分悪いんですけど?
私の生まれ育った家も比較的似たようなもんなので私の考えを書いてもいいかな。
私が生まれ育った家庭は機能不全。兄弟が1人いるが、中学から不登校。多分調べればなんらかの障害があって、そして父の存在感が薄い。母は精神障害。ふふ、同じだね。こんな家庭は実はそれなりにいるんだと思う。
日記には父の存在がなかったように感じるが、存在しないのと存在感がないのは心を病む要因としてそんなに大差ないのでまあどっちでもいい。
私は「夫婦でどうにかしようとするのはもう諦めよう」が一番手っ取り早いと思う。あなたは義理の旦那さんの立場でしょ。生まれた時からその環境に身を置いてる人とは耐性も価値観も「どうにかできるだろう」の希望も全部異なる。お兄さん40代でしょ?40年変えられなかったものはもう無理だよ。ここからまた40年かけりゃ変わるかもしれないけど。
そもそも、親や家族に変える力がないから40年もそうなってる。親はどっぷり共依存だし、奥さんもまたそこに鎖で繋がれてる感じ。
私は20代の頃に家族がしんどくて鬱病みたいになって、(これとは別に摂食障害も長年患ってた)このままではこの家に飲まれると思って一大決心して家を出た。新幹線にのらないと行き来できない程度の物理的距離を取ってある程度精神を切り離した。うちは貧乏なので簡単にはうちに逃げてこられない。私も簡単には帰れない。そうしなかったら、私はあのままあの家に飲まれて母と同じように精神を病んでたと思う。今よりさらに離れるのはオススメ。
「子どもを殺してくださいという親たち」という漫画を読んだことはある?あれはなんか参考になるかも。面白いのは、何か救いの方法が描いてると思えば、あの厳選された漫画のネタですらまるで解決に至ってない事例がそこそこある。世の中そんなもんだ。諦めよう。
うちは兄弟はまだマシで最近はフリーターとして働けているけど、それもいつまで持つか。ふとした拍子に暴れるし自殺未遂するし、殴られたり、包丁を向けられたことなんか何回もある。外出先でも見境がないのも同じ。
アイツらは自分の都合が悪くなれば母を脅して、母の気持ちを自分の思い通りにコントロールして自分の心の平穏を保ってる。最悪なやつだ。
「コイツを〇〇してやる」と思って、自分の暴言とかによって相手が自分の思う通りの反応をしたら気持ちいいでしょ?アイツらは他に思い通りになることなんか世の中にないから、母親を自分の思う通りに傷つけて支配して心の平穏を保ってるんだよ。んで母親ってのはハイハイと必死に言うこと聞くの。世の中の誰もそんなふうに動いてくれないのに。それが気持ちいいんだろうね。歪んでんの。そんで、それを見て育った兄弟はなんとか改善したいと思うけどどーにもなんないの。親にその気がない限り。
どっちも親子なはずなんだけど、手のかかる方の子を親ってのは気にしちゃうんだよね。私は何度も言われたよ「あなたは大丈夫だけどあの子は」って。「この子を殺して私も死ぬ!」とか何度もやってたよ。母にとって問題ない方の兄弟子は「我が子」よりも「一緒に問題を抱える同志」って感じなんじゃないかな。
そんな感じなので私は家族ではなく私を変えることにしたの。「それでお母さんが死んでも心を病んでも、それがお母さんが選んだ道だから」「兄弟が死んだらそれがそいつの寿命」って。私のお母さんは幸せより不幸が好きなんだって。昔読んだ漫画にそんなセリフがあって、あの漫画に私は人生を救われたの。ああ、この人たちは不幸なこの環境が居心地いいんだって。
こーゆーご家庭のお母さんはね、引きこもる家族に自立を促すために殴られたり暴言を吐かれたりするくらいなら、今まで通りでいいの。変えようとする方がしんどいから。
あなたも、あなたの奥さんもそれに付き合う必要はない。私だって何度も母を幸せにしてあげたいと思ったけど、何をどう頑張ったってずっと母は不幸そう。不幸に慣れてんの。それが奥さんや私のお母さんなの。
救ってあげたいけど、諦めないと共に沼に沈むだけ。兄を引き受ける気がないならお母さんも諦めるしかない。知恵の輪みたいにがんじがらめにくっついてんだから。40年かけてぐちゃぐちゃになった知恵の輪を数年とかでほどけるわけない。よほど経験値のある実力者なら知らないけどね。でもそんな人は行政支援とかにもいない。もっと高度な問題を解決する仕事に従事してるんだと思う。
ごめんね。自分や自分の家族を投影しながら書き殴ってるから伝わってないところとか、あなたの事情を汲んでない自分語りになって申し訳ない。でも、重ねて言うけど、お母さんと兄を別に考えてどうにかしようと思うなら諦めた方がいい。
奥さん、もうあなたは十分悩んだでしょ。そして知ってるでしょ。お母さんはお兄ちゃんを変える力も更生する力もないくせに、親の愛だけでどうにかしようとしてどんどん深みにハマってるって。まずはあなたが家族と心を切りはなして、別世帯の人間として、できる親孝行をしてあげたらいいよ。苦しいかもしれないけど、私はそうすることで摂食障害も鬱もぜーんぶ改善したし家族の負担が減ったことで心が楽になって結婚もできた。
車に乗せてお出かけしたりしてね。そーゆー時間もあるんだよね。でもね、変わらないんだろうなって諦めの心を持って、旦那さんと2人で幸せになりな。
私の母は、今はもう「どうして私は人生のあの時あんなことをしてしまったんだろう」ってほぼ24時間何かを後悔しながら精神薬を飲んで暮らしてる。私は母を幸せにしてあげたかった。「兄弟とお父さんさえいなければ」ってずっと思ってた。でも、お母さんは文句言いながらも兄弟とお父さんを人生から手放さなかった。それが母の人生。私は違う、私は私でよそで幸せになります。
ごめんね自分語りをして。
しかし驚くことに私は家族とは仲良しだと周りに思われてるし実際に親とは仲良しだよ。よく2人でお出かけしたりランチに行ったりしてる。まったく話に出てこなかった父とも積年の恨みなんか忘れたようによく話す。兄弟とは話してないが、帰省もしょっちゅうしてるよ。一緒にテレビ観たりして過ごすし、人前では何にもないかのように家族の話もしてる。問題の根本解決とさえ向き合わなければこんな時間も手に入る。これは離れて半分見捨ててるからこそできることで、逆になんとかしたいと思ってたら絶対叶わない。
あと、これは憶測だけどもし実家がそれなりの財産になるようならそれも諦めた方がいい。諦め料、縁切り料としては安い方だと思う。
これはあくまで私の意見。ごめんね長々と。誰か、このなんとかしたいと思ってる夫婦を助ける術を知ってたらぜひ教えてあげて欲しい。
小中ほぼ不登校、高校は進学校を受験してなんとか卒業し、勉強はできたけど特にやりたいことがなかったから進振りのある東大に入った。
小さい時は社会とか人生に対する解像度が低いから、社会は未知の恐怖ではあったけど未知すぎて想像がつかず、我が子の将来を悲観する親の語り掛けにも心は動かず、とにかく学校に行かないで済めばそれで良かった。どうして学校に行きたくないのかを自分でもうまく説明できなくて、親を怒らせたり悲しませたりするのは辛かったけど、自分の将来はどこか他人事で、自分が大人になることも親が先に死んでいくことも現実味がなかったように思う。
学校に行ったり行かなかったりだったけど勉強はできたから義務教育後も進学して、進学校に行った。最初は案の定全然行けなかったけど、授業は進学校だけあって面白かったし、勉強に集中していれば意外と学校も辛くなくて、高校にもなれば生徒も周りの子にそんなに興味ない上に真面目な校風ということもあって、いつのまにかちゃんと毎日学校に通えるようになった。高校生の時は、あれだけ不登校だったのに毎日学校行けてるだけで十分だと考えていて、将来については相変わらず特に考えておらず、勉強に追いつけないとか親のプレッシャーとかで泣いている友達にあまり共感できなかった。一応自分も毎日朝早くて嫌だなとか塾嫌だなとか当時は悩んでた気がするけど、今思えばそれほど大した悩みではなかったと思う。親が志望校にあれこれ口出してきたのはかなりストレスだった覚えはあるけど、それも今となってはほとんど忘れている。
勉強はできたし都内住みだから東大に入った。色んな授業を受けられるのが楽しかったし、同級生も大体みんな頭が良かったから話すのが楽しかった。交友範囲も行動範囲も広がって、一人旅に出かけたり、運転免許取ったり、アルバイトしたり、自分もまともな人間じゃんと思えるようになった。小中の時は学校に行かなくて済むならそれで良かった。高校生の時は不登校だった時に比べれば高校行けてるだけで偉いじゃんと思えていた。大学生になって、普通の人間になれたと思った途端、将来が不安になってきた。しっくりくるサークルがなくて何にも入っていない。勉強は楽しいけど研究は別に好きじゃないから研究者にもなれない。アルバイトもガクチカになるようなものではない。自分の強みになるような、特別好きなこともやりたいこともない。不登校だった時に比べれば、という免罪符の効果は完全に失われて、同級生と比べて劣った自分に気がついてしまった。
将来のことを考えたり、自分の状況を他者と比較できるようになったりするくらい精神的に成長したということなんだろうが、こんなに不安で苦しい今より、現実逃避していることにも気付けないような不登校ガキの頃とか、元不登校を免罪符に勉強だけしていた高校生の時の方がよっぽど気楽に生きていた。学校に行くという当たり前のことすら出来ずに親を悲しませていた時より今はよっぽどマシな状況で、もし過去に戻れるとしても絶対戻りたくないけど、過去の自分はどうしてあんなに将来の不安を感じられずにいたんだろう。高校生の時の悩みを今の自分は忘れているんだから、今の自分の苦しみも将来の自分は忘れているんだろうと思って耐えているけど、悩みのスケールが今後どんどん大きくなっていくんだとしたらそれはそれで苦しい。
不登校に比べたら偉いじゃんという無敵の理論がまだ使えたらフリーターだろうがなんだろうが働いて自立しているだけで偉いと思えただろうけど、普通の人間、しかも東大生になってしまった今は、それなりに稼げる安定した職に就かなければならないという強迫観念のようなものを抱いてしまっている。新たな無敵理論を生み出せない限り、いざ良い仕事に就けたとしても、また出世とか成果に焦って不安になるんだろう。むやみに学歴を積まずに中卒なり高卒で働いていた方が、免罪符の効果が続いていたのかもしれないと可能性ばかり考えて現実逃避を試みているが、いまいち効果は薄い。
二人合わせてガリ勉。役割分担は明確で、俺が「ガリ」。ひたすら暗記と思考停止で数をこなす作業担当。英単語、古文単語、年号、化学式。脳みそを使わず、ただ石を積み上げるような勉強は全部俺の仕事。
相方は「ベン」。数学の証明問題とか、現代文の読解とか、頭を使う系の問題を担当。俺が積み上げた石を使って、あいつが綺麗な城を建てる。テスト前は俺がまとめた暗記ノートをあいつに渡して、あいつは応用問題の解法パターンを俺に叩き込む。実に合理的だった。二人で一人の天才を演じていたわけだ。
まあ、そんな俺も四六時中ガリガリやっていたわけじゃない。当時はモンスターハンター2ndGに狂っていた。特にウカムルバスを倒した後のG級訓練。あれはマジで終わってた。ティガレックス3頭クエとか、誰がクリアできんだよ、と。でもやった。大剣を溜めて、振り向きに合わせて頭に叩き込む。その作業は、英単語を覚えるのと本質的に何も変わらなかった。クエストを回すのも、単語帳をめくるのも、同じ「ガリ」の仕事だった。
ベンはそんな俺を横目に、いつも冷静に参考書を読んでいたな。「その集中力、もっと有益なことに使えないのか」とか言われたけど、こっちはこっちで必死だったんだよ。ディアブロスの尻尾を切るために、どれだけの閃光玉と音爆弾を調合したと思ってんだ。
俺はフリーターになった。モンハンの代わりにソシャゲの周回をやり、たまに日雇いのバイトで金を稼ぐ。あの頃の集中力と継続力は、今やログインボーナスとデイリークエストを消化するためだけに使われている。情けない話だ。
一方、ベンは大学を出て、なんかよくわからんIT系の会社を作った。風の噂で聞いてはいたが、特に連絡も取っていなかった。
ニュースで会社の名前とベンの顔写真を見たときは、さすがにスマホを落としそうになった。あいつ、社長になってやがった。俺がモンスターのレア素材を求めて画面をタップしている間に、あいつは本物の金を集めていた。
「久しぶり。元気か?お前に頼みたいことがある」
なんだよ、今更。金の無心か?と一瞬思ったが、逆だった。
「うちの会社に来ないか。お前のあの異常なまでの集中力と継続力は本物だ。うちのサービスで、そういう泥臭い作業が必要な部署がある。絶対に活躍できる」
正直、頭がクラクラした。
フリーターの俺と、上場企業の社長。高校時代、隣の席で同じテストの点数に一喜一憂していたはずなのに、いつの間にこんな差がついたんだ。
ベンは俺を対等な友人として誘ってくれているのか?それとも、安く使える便利な「ガリ」が必要なだけなのか?あいつの下で、俺は昔のようにうまくやれるのか?
でも、心のどこかで期待している自分もいる。ワンチャン、俺も役員とかになれるんじゃないか。ストックオプションとかいうやつで、億万長者になれるんじゃないか、とか。G級訓練をソロで全クリした俺だぞ?やれないことはないんじゃないか?
まあ、無理か。今の俺はただのフリーターだもんな。
気高く賢いはてなーには理解できないだろうが、俺は35歳から10年をフリーターとして過ごしてきた。
200X年、俺は有効求人倍率の低さにめげてブラック企業に入った。
3年ほどかけて社会に復帰したが、一度壊れた体と心が回復することはなかった。
俺は臭い。
臭いんだと思う。
親にも「あんた昔と臭いが違うね」と言われているから本当に臭いんだと思う。
自覚症状はない。
世の中の99.999%の人間はソムリエのような言葉で正確に臭いを表現しない。
想定外の匂いは全て「臭い」ものでありあり、想定内の匂いだけが「いい匂い」なのだ。少なくとも俺はそうだし俺の周囲にいる俺と同じレベルの人間もきっとそうだ。
10年間の職歴を投げ捨てたあとバイトを転々としている俺には技能もない。
スメリーでスキルレスで性格も「職人気質」のアラフィフの男、どこにも居場所なんてない。
居場所のない人間が転職を繰り返せば、居場所のない人間が集まる場所へと自然と流れ着く。
俺がハッピーエンドになれる条件は就職氷河期の中超絶幸運に恵まれて新卒カードでまともな職場に入ることだけだったのだろうか。
俺の周囲にいる人間は見事に終わっている。
業務スキルに対しての向上心の無さは対人スキルの向上心にも現れる。
1歳年下と見るや上司相手でもタメ口になる体育会系、人の弱みを延々と連呼しては「お前ごときにつきあってやってるんやから飯奢れや」とたかる乞食、口だけ番長な上にいざスキルを要求されると途端に不機嫌になるプライド高杉男。
見本市の如き異常者の集まりの中、俺という異常者は全員に「臭いから」という理由で嫌われている。
この人生が後40年続くと思うたびに恐怖で倒れ込みそうになる。
脱出ルートは医学の進歩により俺の体臭を改善する魔法の薬が産まれるか、完全在宅ワークに移行し病院も在宅で済ませて暮らすかぐらいだ。
在宅ワーク出来るようになるスキルが今更身につけられるのか考えても俺は馬鹿なので「小説家だな。それかアルファブロガー」などと向上心のない高校生のようなことしか考えつかない。
終了である。
劣化した内蔵により血流が悪化したせいで大卒当時の知性は完全に失われている。
ここから更に老化による劣化が進むのだから、未来に何の希望もない。
あまりに希望が為さすぎるので一行も小説を書いたことがないのにノーベル文学賞を受賞したときのコメントを毎日考えている。
最近は「素晴らしい賞を頂きましたが、結局こんなものを貰ったところで自分の人生が幸せだったとはとても思えません。文学なんて形にしなければ世の中に何かを言えないような人間であるということが私は苦しいのです。人間同士が頭の中身を全て伝え合うことは出来ませんが、それでも相手の言いたいことの本質を理解し寄り添いあえる関係を手にできた人は決して少なくはないでしょう。私も誰かとそういう風に生きたかった。だけど、それが無理なことは自分でも分かっているのです。だからこんな所に来るまで必死に言葉を綴り続けてしまった。そのことの悔しさをより強く実感しています。こんな所まで来なくていい人生を送りたかった」みたいな内容を語っている俺マジカッケーなと妄想が広がっている。
助けてくれ。
この人生はもうどうしようもない。
まず、俺の体と心がどちらもすっかり壊れてしまっていて、そのうえで職歴や人脈も終わっているということが本当にどうしようもないんだ。
Permalink |記事への反応(15) | 17:38
そんな私でも人生で一度だけ奇跡みたいなイケメンと付き合ったことがある。
彼はロン毛時代の藤木直人をさらに洗練させたようなイケメンで、しかも顔がいいだけじゃなくて
話は面白いし女性への気遣いも完璧、一流大学出身で一流企業に所属し仕事はバリバリできて金銭的余裕もあった。
一緒にいろんな場所を巡り、いろんなものをプレゼントしてくれた。夜も勿論完璧だった。
本当に夢のような時間だった。
周りの女性からの嫉妬は凄まじく、「なんであんなデブスと!」と攻撃された。
「私のどこがいいの?」と聞くと、「全部。増田子はめっちゃ可愛いよ」と心底嬉しそうに言ってくれた。
でも、同性からの嫉妬や攻撃が耐え難いほどで、私が耐えきれずに心が完全に折れて、結局別れを選んだ。
彼は泣きながら必死に引き止めてくれたけど、どうにもならず、強引に振った。
こんな理由でイケメンで三高な男を振るなんて、そこらの美人でも滅多にない経験だろう。
彼との時間は宝物のように輝いていた。その後出会った男は、彼と比べてしまうとどうしても劣って見えた。
彼が最高級の和牛ステーキなら、他の男はゴミ箱の残飯レベルに見えて仕方が無い。
私が相手を生ゴミにしか見えないのが伝わるのか、恋愛はまるで上手くいかず、高齢独身の子供部屋おばさんになってしまった。
女って、幸せが大きすぎると、かえって不幸になることもあるんだよね。
人生って本当にままならない。
「嫌なことから逃げてもいいんだよ」──聞こえは優しい。
でもそれを本気で信じて逃げ続けた奴の末路を数字で見てみようか。
退職金:平均で 1,000〜2,000万円
老後資金:現役時代に貯金して、夫婦で年金+貯蓄を合わせればなんとか安心
生涯年収:フリーターや派遣を転々して 7,000万〜1億円未満
老後資金:「老後2,000万円問題」どころじゃない。年金だけで生きる羽目になり、月数万の赤字生活。
→40代で貯金ゼロ、50代で親の年金頼み、60代で孤独死コース。
最初は「嫌なことから逃げてもいい」って言葉に救われた気がしたんだろうな。
逃げなかった奴は2億稼ぐ。
逃げたお前はせいぜい7,000万。
差は 1億円以上。家も車も結婚も老後の安心も、全部そこで消えていく。
逃げ続けた弱者男性は、老後に貯金も退職金もなく、年金だけで細々と暮らす。
「逃げてもいいんだよ」と言った奴らは、お前の葬式にすら来ない。
──これが、逃げを選んだ人間の末路だ。
恥ずかしながら自分はフリーター男なんだけど(特定を避けるために職種や年齢は一切書きません)バイト先に新しく入ってきたJKがあまりにもかわいすぎて完全に恋してしまった。
どれくらいかわいいかと言うと乃木坂にも余裕で入れるんじゃないの?ってくらい。君はこんなとこにいるような器じゃないよ、今すぐオーディション受けるか原宿歩いてきなよ、とお節介ながらいつも心の中で思っている。
もちろん筆者と彼女の年齢差は法的にも社会的にも絶対に許されるものではないので、この想いは初めから成就することもないし、墓場まで持っていくつもりだ。アプローチするなんてもっての外。
好意がバレるなんてことは絶対にあってはならないので目線も合わせないようにしてるし業務上最低限の会話しかしてないんだけど、それでもたまに共同作業してると心臓がドキドキしちゃって恋心を隠すのが正直辛いです。
これだけ気をつけてるけどいわゆる女の勘って奴は人智を超えてるから本人はおろか周りの他の女性バイトにも好意がバレてしまうんじゃないかといつも戦々恐々としています。今の職場はとても働きやすくて絶対に辞めたくないから尚更。
失恋する前から失恋してるんだけど、彼女と付き合えないまま終わる人生に果たして価値はあるのか?とかたまに考えてしまって頭がどうかしそうになる。結局、彼女のことはきっぱり諦めて、法律の範囲内で新しい恋をするしかないんだろうな。でもJKという女性が生涯で最も美しく輝く年頃の女の子を好きになってしまうのは生物として当然だろとも思っている。もちろん公言はしないけど。
以上、こんなこと絶対に誰にも相談できないというような恋の悩みを書き殴ってみた。もし自分と同じように許されぬ恋に悩んでいる(た)人がいたら教えてほしいな。