
はてなキーワード:フキとは
フキハラにとどまらず、最近の何でもかんでもハラスメント現象に対して思うのだけど、基本人間は好き嫌いがある、という前提を忘れていないかい?
フキハラのやつのコメント見ると「社会人なんだから機嫌くらいコントロールしろ」という、お前はてなに巣食ってるくせに社会人とか感情のコントロールとかに言及する立場にないだろが。と思われるものが多い。
いやいや〜、はてなやってる毒持ちたちさぁ。
わかるくせにさぁ。
会社でやってるでしょ?こいつ嫌いだからやや馬鹿にしてやろうとか、こいつは自分より格下だから言ってることをスルーしてもぜんぜんいい、とかさー。
無理。無理でーす。気に入らない時点で無理!
だって人間には理性ではどうにもならない「好き」「嫌い」があるから。
理屈ではない。
嫌いなんだよ〜。
しょうがない。
あのね、不機嫌を抑えさせるとかアンガーマネジメントとか、できないからやってるわけ。
皆スッとできたらそんなメソッドいらんやん。
意味ないやん。
嫌いな人とは離れなさ〜い!
可能なら部署異動させなさーい!理由が「嫌い」でもいいじゃんというか「無能」の部署異動よりよほどマシやわ。
人事はそういう仕事をしなさい。
あんたがただけまるでお役所みたいな顔してんじゃないよ。同じ中小企業だろうがよ。
部署異動できないくらい少人数なら争い続けなさい。人は争う生き物だ。
はっきり言え。
めそめそしちゃう子はもう、どうしようかな。
自然界なら食われるわ。
結論。
嫌なら言え。
言えないなら食われるぞ。逃げな。
フキハラ・・・不機嫌な態度を表明することで周囲に不快感を与える、又は周囲を操作するハラスメント
もちろん大人として褒められた行動ではないし、自分の機嫌を取れない子供だといわれても仕方がない。
①無自覚的フキハラ・・・自身が不機嫌を振りまいていることに無自覚なタイプ。単純に社会性が低いタイプ。
②自覚的フキハラ ・・・不機嫌が周囲に与える影響を計算して、あえて不機嫌を演じているタイプ。
①無自覚タイプは一種個性ともいえる。不機嫌がデフォルトだったり。
客商売など愛想が求められる仕事が難しかったり、難儀なものである。
戦略を持って行動できるので、その能力を別の形に生かせれば優秀だろう。
①②に共通して言えることは、不機嫌の理由を探ることが重要だと思う。
低血圧などの体調面や、会社の待遇、周囲からの仕事の押しつけ等、理由を解明してそこにアプローチすることが肝要。
間違っても本人に不機嫌やめろとは言ってはいけない。余計不機嫌になる。
フキハラされる側の視点で考えると、3つのタイプが考えられる。
①被害妄想型・・・感受性が豊かすぎるタイプ。病気の可能性もあるので最寄りの精神科へ。
②戦略型・・・そういう人だと察して、適切に距離を置くタイプ。
③ミイラになったミイラ取り型・・・フキハラを受けて不機嫌になるタイプ。上司やハラスメント相談窓口に相談して何とかしようとするタイプ。
②は上司と部下など、距離を取りづらい場合は辛いと思う。不機嫌理由が取り除けない場合、真に不毛な消耗戦に陥る。
人事異動などでマッチするパターンを試す等、周囲のサポートが必要である。
SNSで「フキハラする奴は子供だと」か言って叩くタイプも、本質的にはこのタイプなのである。
これは難しい。不機嫌が不機嫌を呼ぶので、放っておくと争いになる。争いは同じレベルのものでしか発生しないのだから。
まとめ
世の中いろんな人がいる。様々な人と適切な距離感を保てる能力が求められる。
大きな心で受け止めることはとても難しい。
しかし、社会人に求められる人格レベルを上げすぎると、聖人君子しか世に出れなくなってしまう。
これでは社会が成り立たない。
長くなったので読みにくいかもしれません
半年ROMれてませんが匿名性が必要だったのでここに書かせていただきます
乱文ご容赦ください
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援護が無さすぎるのではないかと思い、やっぱり納得がいかないと感じたので
ここに書きにきた
以前から何度も書こうと思っていたけれど
どうしても書けないまま 何年も過ぎてしまったが
なんとか書き始めた
フラッシュバックなど、読むのが嫌だと感じる場合はスルーしてくださいーーー
呆然とした
正直なところ
ショックとか 人が亡くなったということ以上に
「どうして今になって」と思った
ようやく悪夢を見て、ドキドキしながら目覚めることが無くなってきていた頃だった
逃げ出した後も燃え尽き症候群のようになり
ベッドから起き上がれなくなる日が続いて
一度は「こんなに辛いならもう死のう」と思ったけれど
いつでもそのボタンは自分が持ってるんだから もう私は誰にも縛られてないんだから」と思い
誰にも助けてもらえないので(親に話したが困惑されて流されただけだったので)
それでもなかなか人への恐怖や組織へ入る恐怖を克服できなかったので
バイトもできず
それでも人が怖くて怖くて
いつも人の顔が見れず震えて汗をかいたり
人と会ったあとは部屋で寝て起き上がれなかったり
遠出ができなかったり
そういうことがようやくひと段落つき始めていた頃
「ようやく最近少しずつ人と話せるようになってきたな」
「ようやく教団の元仲間から説得のメールが来ることも無くなってきたな」
と思っていた頃に
誰にも言えなくて
昔から付き合いのある友人にも言えなくて
両親に言っても「よく出てきたな」と言われるだけで
具体的なケアは何もしてもらえない中で
「宗教施設で共同生活をしていて就活のタイミングを逃しました」
「経歴に書けることがありません」
「宗教施設で生活していた影響で人が怖くてしょうがなくてバイトすらできません」
「燃え尽き症候群のようになって社会生活を人並みに送ることがどうしても難しいです」
そんなことの説明をしようがなく
ただひたすら周りからの、
「この人どうして朝起きれないんだろう」「なんか付き合い悪いな」
「学生時代の話してくれないな」「この人いっつも何してるんだろう 無職?」
「なんで結婚しないの」「なんでハロワ行かないの」「なんでもっと営業しないの」
「なんでいっつもお金が無いの」
あらゆる なんで? に耐えながら
ひたすら自分の足で立つことができるようになるように
1発の銃声で 毎日のように統一教会の名前をテレビで聞くようになってしまった
無かったことになっている自分の在籍期間6年とリハビリ生活10年間が
突然色を与えられたような感覚で
苦しかった
その行為自体を賞賛はできるはずもないけれど 思いは複雑だった
ただ悲しかった
あれは叫びだと私には感じられた
それくらい 中にいると社会で生活している人とは隔絶され 外の声は届かないし
中の声もまた外には届かなくなる
そこには長らく透明な分厚い分厚い壁があって中と外は隔絶されていた
あの1発の弾がそれを壊した
尊い人命と共に
その重大さを社会にどこまで理解してもらえているのか 分からない
その苦しみは 多分本気であの中で一生懸命やった人にしか分からないだろうと思う
それでもそこから私が逃げ出せたのは
ある程度、状況を俯瞰して見る(ある種冷笑的な)感覚を身につけていたからで
そこに関しては、私は自分が漫画アニメ好きのオタクでよかったなと思っている
「マジで漫画みたいなこと言うやんw」という茶化しが自分の中でできていたこと、
不真面目だったため、外の読み物やテレビは見てはいけないことになっていたが
伝道(いわゆる勧誘)もこっそりトイレに隠れてサボりまくっていたことなど
中の人からすると酷い不真面目、規律違反的なことをやっていたために
最後の一歩(あ、ここにいたら私の人生、誰も保証してくれないんじゃないか?)
という感覚に至れた、というところがある
しかし、そんな不真面目な私であっても
逃げ出すことが良いことなのか悪いことなのか、その時点では判別はできていなかった
神や、いわゆるお父様お母様(教祖)に背くことになるわけなので
正直ここから出てその後どんなことが訪れても覚悟を決めようというような気持ちはあった
なぜならいわゆる統一教会が言うところの「神のみ旨」を放棄することになるわけなので、
そうなった時に自分に何かよくないことが起きるかも、私だけじゃなく家族も何かよくないことが起きるかも、
という感覚が強く自分を支配していて そこに対して否定できる確証はなかったからだ
私が死ななくても 私の代わりに誰かが死ぬかも、と本気で思っていた
不真面目な信者であってもこのくらいにはどっぷり浸かっていた
それでも私は「本当に神様がいて 神様が私を愛しているとしたら
私のこの選択も祝福してくれるんじゃないか」という気持ちも微かに持っていた
それを信じたい、という気持ちだったと思う
そうであったらいいな、という感じで
もちろん確証も何もない
こんなふうになったから
今だからそんなふうに言えているだけで
その時には全く確証がなかった
ただ今言えるのは「神様がいるとすれば 統一教会にいる人も愛していると思うし
私のことも愛しているんじゃないかと思う」ということだ
これは信仰心ではなく
今の段階での結論というか、
信念的なものではあると思う
確証はないけれど「そうなんじゃないか?」と思っている、というようなことだ
「そうでなきゃやってられるか」というような思いでもある
神がいようがいまいが関係なく日々は続くし
私の場合 立ち止まっていても誰かが
「大丈夫?私がなんとかしてあげる 任せて」と
手を引いてくれるような状況は皆無だったから
(唯一打ち明けたカウンセラーの人も宗教的な苦しみまでは理解してケアしてくれなかったし
被害者コミュニティもあったかもしれないがまたそこから出られなくなるのではと思い、
組織に属するのが怖かった
両親は受け身なので私が動かない限り私の状況は好転するわけがなかった)
ただ言えるのは、自分で少しずつ歩く過程で人に支えてもらえることはあった、ということだ
理解できないなりに 両親は私の過去を酷くなじることはなかったし、生活も支援してくれた
「よく出てきたな それはなかなかできないことだぞ」と肯定はしてくれた
自立支援センターも、電話をかけたものの一人で行くのが怖かったので着いてきてもらった
理解してくれていようがしてくれなかろうが 都度都度助けてくれる人はいる
カウンセラーの人が言ってくれたことのいくつかは今も自分を支えてくれている
(私は自分の中に宗教施設にいたという負い目があったので、とにかく人に疑われるということが怖かった
自分の話をするのが怖く、いつボロを出しておかしなことを話してしまわないかと怖かった
そのせいか言葉がなかなか出てこなかったけど「ペラペラ話す人よりちょっとずつ一言一言話す人の方が信頼感があるよ」と言ってもらえたので 今は辿々しくても少しずつ言葉を並べられるようになった
だいぶ人と話すことが怖くなくなった)
神がいようがいまいが 関係なく日々は続いていく、というのはそういう感覚だ
私がいたのは学生寮のようなところで
信者に向け講義をするような人材を育てることを目的としている寮だった
20〜25人くらいの規模で
マンションの3部屋(うち1部屋は夫婦の家)を借りて男女別れて住んでいた
みんな割と若かったと思う
私は2世ではない
まだ規制が緩かったので大学内でも駅のコンコースでも勧誘を行なっていた
声をかけられた時も怪しいなとは思っていたが 半ば分かっていてついていった
統一教会だと開示を受けた上で「寮に入らないか」というような打診を受けたので
なんとなく流れで、面白そうなので入ることにした
あと、みんな、人が良い人たちだった、というのがあった
でも入教したキッカケには結局、自分の中に将来自分が働いているビジョンが湧かなかったり
社会一般の基準で勤めることは難しいんじゃないかという漠然とした不安があった
この時このような逃げの姿勢でいなければ
こんなに長く苦しむことはなかったなと今になってみれば思う
朝早くから起きて
原理講論を音読したり、勉強会をしたり、祈りをしたり、敬拝をしたりする
仕送りは全て世話役の夫婦に預ける形になっていて自由には使えなかった
お金は全て「聖別」といって、清められ
そういう清められたお金は「神様とお父様お母様のお金」と言い含められる
友人と遊びに行く、呑みに行くなどの経験も皆無だ
もちろん遊びにお金を使うことができないので 自由な交遊はできない、と言っていい
学校から帰ってきたら即駅のコンコースや他大学へ伝道という名の勧誘に行く
長期休暇は県外へ、車中泊をしながら1日中歩いてフキンの訪問販売をする
当然ながらより多く売れた方が良いわけだが私はいつもほとんど売れなかった
1ヶ月寮には帰れない
家族には内部のことは言えないことになっていて
これらを聞いて楽しそう、と思うだろうか?
けれど楽しいと思うことを排除し、自分を否定し、自分の望むものを否定して、
それを全てみ旨に捧げるというのが信仰の道だった
苦しければ苦しいほど条件になる、そういう発想なのだ
(そういう発想が多額の献金の要求にも繋がったのかもしれない が その要求に正当性は無いと思う)
私が寮内で大きな声で笑っていたら先輩に
「あなたが来てから、こんな大きな声で笑ってもいいんだなって 初めて思ったの」と言われた
そういう場所だったのだ
聞いた時はドン引きした
それでもやっている時は一生懸命だった
けれど これは本当に人を幸せにするような活動なのか?という疑問がずっとあった
(そういった活動などが条件となり積み重ねられ、
その条件が満ちると間接的に人を幸せにする、という考え方なので
目の前の相手を即幸せな気持ちにさせたかどうかはあまり重要ではない)
(どれだけ苦労を重ねるか 自分の欲や怠惰を否定できるかの方が
より大きな条件になるという考え方になる)
(親が子を置いて宗教活動に邁進することになるのは、そういう仕組みゆえだ)
人になかなか言うことができないような生活で費やしてしまったことは
勿体ないことだったと素直に思っている
勿体なかったと言うと「でもあなたのその過去も今に繋がっているじゃない?」
というような返しを親からされることがあるが
これを言われると いつも胸が詰まり
説明のできないいろんな思いが去来して胸がぐるぐるする
しなくてもいい苦労というのはある、ということで
誰も「統一教会が許せない」とも「あなたが失ったものを思うと本当に悲しい」とも
言ってくれる人はいなかった
私の、誰にも相談できなかった日々、1人苦しんだ日々を
私が逃げ出すことによって自分も家族も不幸な目に遭って死ぬかもしれない
もしひどい事が起こるなら私に起こしてくださいと
誰にも相談できなかった日々を
肯定しないといけないのだろうか?
この状況になるまで誰もそれをすることができなかった
その事実はとても重いと思う
それは助ける力がない人たちが口を揃えて言う言葉のようにも思える
とても、とても苦しいものだ
それがこの方法だったのだ
この方法以外で彼が救われることもなかっただろうと思う
山上被告が自分で自分を救うしかなかった結果がこれだったのではないだろうかと思う
私が入教して実感したことは、宗教に関わっている人は意外と多い、ということだ
私のいた寮の中にも、親が創価学会だったがそれに反発して統一教会に来た人もいた
(その人は非常に熱心な人だったが その後心身を崩して入院されたりしていた)
気になったのは、世話役の夫婦の奥さんの方はいつも病気がちで寝てばかりだったことだ
いつも辛そうだなと思っていた
断食をしたり敬拝をしたり長時間伝道をしたり 体を酷使することも多かったので
体を悪くしている人も多かった
みんな普通の人たちだ
そこにいる人たちは みんなそれぞれがんばって生きている
それを食い物にする、というのがおかしな話で
どんな宗教であっても「献金しなければ救われない」というのはおかしいことだと思う
正直に言えば 宗教法人は本当に好き放題するところは好き放題やっていると思う
人の気持ちは弱いので それで救われるなら払ってしまうわけだけど
なんとかもう少し規制ができてほしい
少なくともその行き過ぎた状態が、あのような悲惨な事件に帰結したのだということを思うと
そこをきちんと、法なりなんなりで整備しないというのは、単純に理解に苦しむ
状況がもう少し良くなってくれることを願う
あの事件が無ければ少なくとも私の16年は社会の中では意味を持たず透明なままだったし
こんな話は絶対にできなかっただろうと思う
誰も助けてくれなかったのだ
それを思うと本当に胸が苦しい
何度も書くが
誰かが助けてくれるはずがないのだ
そういう構造になっているのだ
楽しい家族旅行、欲しかったおもちゃ、勉強するための本、服、車
普通の人が当たり前に経験する友人との時間、家族と過ごせた時間、
そういうものに付随する思い出全てが
その悔しさ 悲しさ 苦しみを思うと計り知れない
私の失った16年 いや、それでは比較にならないほどの苦しみと絶望だと思う
それらは 決して帰ってはこない
泡になって 帰ってこない
親が宗教活動にハマるなんていうのは交通事故のようで あまりにも避けようがない
加えてそれを身内がどうにかするなんていうのはほぼ不可能だと言っていい
なんなら母親も被害を受けた側、交通事故に遭った側だとも感じられる
内情を知る人の弁護がなさすぎる気がする
「宗教にどっぷりハマっている身内がいる状況」
私は最後、逃げ出す前に
もしこの人たちがもう少し私に向き合ってくれていたら
けれど最終的な結論として
「ああ この人たちは神に祈りお父様お母様に祈る以上のことはしてくれないんだ」と思った
それが最終的な答えになるので話ができないのだ
「こうこうこういうことで悩んでいる」
と悩みを打ち明けても
「神のみ旨はこうだ」「お父様お母様はこう言っている」
その堂々巡りになる
そこを信じて同じことを繰り返せばいいのだ
他の話は通じない
一切だ 一切通じない
その虚しさは 本気で話をしようとした人間にしか分からないだろうと思う
皆良い人たちなのだ
信頼もしていた
一個人で見れば仲間や世話になった人たちだ 頭が悪いわけでもおかしいわけでもない
けれどそうであればあるほど ある一定のところから会話ができなくなることが辛い
逃げた後、私は入教前に元々住んでいたアパートに帰った
入寮時にそこを解約すると家族におかしく思われるのでそのまま残しておく慣わしなのだ
入教すると元の家には特別なことでもない限り入ることはできなくなる
記憶が薄いが、そこに帰れたということは
しばらくその部屋には仲間が何度も説得に訪れた
手紙が置いてあったり食べ物がドアの取っ手にかかっていたりした
無視をし続けていたところ
ある時、眠っていて目を覚ましたら目の前に女性の仲間(先輩)がいて、私を覗き込んでいた
預けたままになっていた鍵を使って勝手に部屋の中に入ってきていたのだ
その人に悪気はなかった
けれど、「神のためならそれができる」そういう思考回路になってしまうのだ
「神のために、この人を救わないといけない」
「神のみ旨であればこの行いは許される」
私は何度も何度も「あなたたちを見ると色んなことを思い出して怖くて震えて辛いので何も送らないでほしい 会いにこないでほしい」と伝えた
タナフ(聖書)・タルムードでは、「なぜ人はこの姿に創られたのか」という問いに対して、次のような考え方がある。
タナフはこう言う
つまり、神は人を偶然でなく、必要があってその人の姿にしたという考え方がある。
タルムード(Taanit 11a)にも
「人は、その人にふさわしいものを与えられる」
という考えがあり、見た目も、その人に与えられた使命(タフキッド)に関係していると理解される。
ミシュナー・サンヘドリン 4:5 では
つまり、みんなが同じ顔(絶世のイケメン)だったら困るのだということ。
タルムード(Ketubot 17a)では、外見よりも人格・善行・言葉の美しさが真の魅力と強調される。
タナフにも
「人は外の姿を見、主は心を見る」 (サムエル記Ⅰ 16:7)
タルムードはこうも言う(Berachot 58a):
つまり、あなたの顔も、あなたにしか与えられなかったユニークな祝福ということ。
これマジで個人差あるからあくまで自分の場合なんだけど、私は息してるだけで
イライラするタイプだった。デフォルトの状態が不機嫌になる感じ。ただ元々の性格的に衝動的になにかしたりってのは少なかった。ただ常にずっと叫び出したいイライラを抱えてる感じ。
生理中のイライラ度は若いときは自覚なかったから、生理後のコミュニケーションにモヤるならはっきり伝えていいと思う。自分は他人に言われるまでフキハラしてる自覚がなかった。
妹はめっちゃやばくて、本人曰く「生理中は理性が働かない」らしい。
普段なら「イラッ」としても自分の中でおさめられることが、「イラッ」とした瞬間に衝動的に怒鳴ったり手が出ちゃったりするらしい。
実際生理中の妹はヤバすぎてまじで近寄れなかった。夕食配膳する時にお皿置いた音がちょっとデカいとその皿を投げるレベル。
しかも他人の行動だけじゃなくて、自分にイラッとしたときも同じことが起こるから、スマホゲーでうまくいかなくてスマホぶん投げて壊したりとかあったらしい。
夫 30歳
妻 30歳(私)
息子 9ヶ月
私は軽度自閉症があり、そのせいで昔から人間関係がうまく構築出来ず、社会人になってからは鬱病でメンクリにずっと通院してる。
夫は大学時代からそんな私とずっと一緒にいてくれて、山あり谷ありのお付き合い期間を経て結婚、この度息子が産まれた。
そんな夫は、穏やかな性格で、衝突をとにかく嫌う。
両親と兄が皆感情で動く人で、その時の気分でキレられる、物に当たる、男兄弟なのもあって厳しく育てられたようだ。
夫は家族の事は大切にしているが、両親の育て方がトラウマになっており、「あんな風に子どもを育てたくない」とずっと言っている。
結婚したからには、次は子どもかな?くらいの気持ちで、「欲しい」と言ったら、夫は「どちらでもいいけど、君が欲しいなら作ろうか」と言って、その結果息子が産まれた。
夫はラッキーなことに、育休を1年取れることになり、半年間は一緒に子育てして、残りの半年は私が仕事復帰して、夫が1人で育ててくれる事になった。
当たり前だ、子どもがいなくても鬱病の人間が、産後のホルモンバランスや育児のしんどさに耐えられるわけがなかった。
せっかく夫が離乳食を作ってくれても、やり方が違うと腹が立つ。
さらに私が夫の勤務地の近くへ転職活動をすることになり、なぜ私だけ転職をしなければならないのかとワーワー泣く。
そんな私を夫は責めず、育児をしながらずっと励ましてくれている。
むしろここ最近は、私の機嫌が少しでも悪くなると、先回りをするように「大丈夫?」「したくない事なら俺がしようか?」と聞いてくるようになった。
そんな中ふと「私は結局、家族が夫にしてきたことと同じことを夫にしてるんじゃないか?」と思った。
不機嫌で相手をコントロールし、自分が気分が良くなるように動いてもらう。
最近の夫はなんだかずっと私の顔色を伺っている。
この関係は対等ではないと思う。
世の夫婦は一体どうしているのだろう。
誰か教えて欲しい。
初めての投稿。
何不自由なくしてくれたが、母親が不機嫌でしんどかったというツイートが炎上?している。
炎上理由は、そんな完璧な母親はいない。何不自由なくお母さんは頑張ってくれたのに感謝はないのか?とのこと。
確かに母親も人間。プログラムで動く、完璧な機械人間ではない。とはいえ、この問題は、不機嫌な人と一緒にいたいか?居心地がいいか?という話では?
例えば、飲食店。はちゃめちゃに美味しいご飯を提供してくれるが、常に不機嫌。美味しいご飯を食べている時にため息をつかれたり、常にスタッフに怒ったりするお店があるとする。
この気持ちの答えがツイ主が呟きたいことだと思う。
朝早くに起きて、冷食と昨日の残りで弁当を作ってくれて、洗濯もしてくれて、お仕事もしてくれて、学費を支払ってくれるけど、
土日以外不機嫌。常にため息ついて、ドアを閉める時は爆音で。同業の父親と仕事の愚痴。疲れてるから片付けは後回しで、2007年に消費期限切れたカルピスがいまだにある。洗濯以外の家事はほぼ祖母任せな母親と過ごした。
優しい人は、朝起きて、弁当作りなんて素敵!仕事も頑張ってるんだからそんなの許してあげようよ!母親は完璧人間ではないよ!と言うだろうが、私子どもも完璧人間ではないことを忘れているでしょと思う。
なんならこちら側の方が完璧ではない。人生初めて数年しかしていない初心者は中年プレイヤーよりわかってない。お客はその店の諸事情なんてわかりっこないのに、諸事情に合わせろ!こっちも頑張ってんだぞ!わかれよ!と無理言ってるのと同じ。
しかし子どもは自分を守るために無意識のうちにそれに対応しちゃう良客なので、身を削りながら、適応していく。
わかんないんだよね。何不自由なく生活させてくださったってことはわかるんだけど、ありがたさを感じなくなる。その結果、家がいてもいい安全な居場所ではなくなる
私は嘘でも相手が喜ぶことを言ってしまう癖がつき、その結果2度も反抗期がなく育ち、ずっと前から息苦しさとか出てたので、大人になってから精神科に行ったら「鬱症状」と言われた。
反抗の仕方も、怒りのコントロールは抑えるだけしかわからない。そのため、すぐに癇癪起こすようになっちゃった。
今は、置き手紙で反抗して、彼氏の家で居候している。癇癪とか、息苦しさとかも落ち着いてきた。
多分世の中こういう人は多いと思うのに、今回の炎上を見て思うけど、家庭でのフキハラってまだまだ浸透していないんだね。
私自身も、これが「機能不全家族」と言われるのがはっきりわかったのも、カウンセリングしてからだった。誰に対してもキツイ状況なんだなーと俯瞰して見れた。
毒親って暴力やネグレクトとかそういうイメージが強いけど、言葉の暴力や不機嫌な空気感の暴力もあることももっと知られて欲しい。いまモヤモヤしている人はぜひ、今のモヤモヤをメモにしてほしい。カウンセラーにそのメモを渡したら、安心すると思う。
話題のツイートに戻るが、じゃあツイ主のような経験している人は、どうして欲しかったかというと、ツイ主も言っているけど「笑っていて欲しい」だけ。
完璧ではないことはわかってる。でも、「私は仕事で頑張ってるの!」とか、「私も親から不機嫌にされたの!」とかそんなの子どもはわからないから。それは子どもに対しての甘え。仕事で頑張ってるんだから、あなたもギブしなさいよ!(甘えさせろ!)ということ。見返りを求めすぎている。だからイライラするのだ。こっちも完璧ではないのでギブばっかできない。ましてや不機嫌オーラでそのギブはマイナスになってるのに。
つまり!笑って欲しいの!
好きな人には笑っていて欲しいのと同じように、笑っていて欲しいの!!
しんどいときには、部屋にこもってもいいから、笑っていて欲しい。疲れたねって笑って言って欲しいし、ため息つくなら笑っていて欲しい。そしたら家庭も明るくなって私みたいな子どもはできないと思う。とはいえ、精神的にしんどい人は「笑って」という言葉を嫌うので、ガチ目に笑えない人は精神科に行くべき。
ひるね @hirunenko0808 (2025/09/15 16:02:15)
わたしの母はお料理も掃除も洗濯もしてくれた。学校にも通わせてくれた。お弁当も毎日作ってくれた。
まいにち不機嫌な顔で起きてきて、イライラしながら朝食とお弁当を作ってくれた。
怒った顔で宿題を添削し、溜め息をつきながら洗濯物を畳んでくれた。
https://x.com/hirunenko0808/status/1967484087956054333
これ一部母親にぶっ叩かれてるの怖すぎる
「完璧にやらなくていい」って言ってるのになぜか「完璧にやれ」と読み替えて怒っている人、知能が心配でちゃんと子育てできてるのか怖い
ちゃんと手伝いしてた?あなたがちゃんとしてなかったからじゃない?って人、がっつり毒親入ってて怖い
完璧じゃない暮らしをするにもお金がかかって仕方ない、だから結局母親が頑張らなきゃいけない、ニコニコしてたいけど難しいんだよ!って話ならわかるけどさ
もともと気が強いタイプの女ではあったけど課内の別のメンバーからクレームや相談が来るようになっていよいよ指導しなくちゃいけなくなった
自分の願望やしてほしいことを明示せずに相手の振る舞いに期待して自分の思い通りにならなかったら不機嫌になる
クレームの内容としては
・チャットに返信する際に舌打ちをしていて怖い
・チャットで議事録を頼んだら自席でゴミ箱を蹴っ飛ばしていた(らしい)
・ミーティングの際の口調が怖い(「それ今やらなくちゃいけないことですか?」等のきつい口調で口撃したりあるいは不機嫌丸出しで「はい」といったワンフレーズのみの返答をしたりする)
といったもの
まぁ明確にハラスメントにあたるかは微妙にしろ不愉快さを撒き散らしているんでどうにかしないといけなくなった
で、いざ面談に臨んだらなんていうかフキハラ女の幼稚な部分が目についてこっちがフキハラしそうになったんだよな
こちらの要望としてはただ普通に周囲と同じように振る舞ってくれればいいだけ
でも本人は「みんなが私を攻撃している」という物語をつくりあげてそこから動こうとしない
大人相手に「ちゃんと相談してね」「不機嫌を表に出さないでね」と保育園レベルの声掛けをする羽目になる
フキハラ女は要は業務量が多い、あるいは不公平であるという主張をしているんだよ
不公平であるというなら業務が軽そうな人に自身のタスクを任せたりヘルプ出したり相談したりすりゃいいのにそれもした形跡がない
つまり、「私ばっかり大変!」っていう物語を自分の中で作り上げて、その設定を根拠に不機嫌を撒き散らしているだけなんだよな
だからこちらがどれだけ論理的に説明しても、「でも私の気持ちがわかってもらえない」みたいな論点ずらしで終わる
ただ「私がつらいのを察してほしい」「何も言わなくても周りが気を使ってくれるべき」という甘え
それが通らないと機嫌を損ねて舌打ちや不機嫌オーラを垂れ流す
職場でフキハラかましてる人間が居るのか、また別の事情があるのか、それぞれ可能性がある。
犯罪行為なら一律ダメに決まってるが、ハラスメント案件では単純に誰かを断罪すればいいとは限らない。マンスプなのか業務上必要な説明なのかド新人にはわからない。
そもそも微妙なケースに手当するために「ハラスメント」概念が導入されたのだ。
そういうめんどくさいもやもやした空気を威圧的にぶった切って人を動かす手法に味をしめたパワハラ常習者が居る一方で、
お前みたいに何も考えずに「自分がこわかったらパワハラ」と信じて疑わない被害者面常習者が居る。
ーーーーー
実父が超絶フキハラ人間で、本当に嫌だったので自分はやらないようにしてた
父がやっかいなのは、「俺はこんなに大変なのにぐちぐち言わず耐えている(=不機嫌)、お前らが察してご機嫌を取れ」と
暗に示していることだった
実際母はいつもご機嫌取りに必死だったし、子供である私と姉もいつも巻き込まれていた
産後、夫婦げんかが増えて夫も不機嫌で不満をあらわにするようになり、
自分は不機嫌が本当に嫌い(というかもはや怖い)なので、やだなーやだなーと思っていた
(そういう人を選ばないつもりだったのに…)
昨日、夫が私の料理に文句をつけ、流しに捨てたのを見て、何かがブツンと切れてしまい、
何もかも放り出して子供と部屋にこもって寝た
夫はびっくりして「お、おやすみ??」と声をかけてきたが無視した
自分はいつも人の顔色をうかがって不機嫌にならないよう実家でもどこでも明るく無理して努めてきた分、
こうやって人が自分のご機嫌をうかがってくれる(自分は不満を一切口にしていないのに!)のって、
とんでもなく気持ちいい!!王様気分!!になれるんだな~と全く知らなかった快感があった
自分はいつも嫌なことがあったら、自分の中で何が「嫌なものの核」なのか因数分解して、
その核が相手にあった場合、ものすごく慎重に言葉を選んで相手とシェアすることで解決してきた
でもこれってすっっっごい労力を使う
それがただぶんむくれた顔をして何もかも無視してれば相手が自分を慮ってくれる(風)になるなんてびっくり!!
でもこれって慮ってなくて、単に恐怖による支配なだけなので、私はもうやりません
翌日夫にはひどい態度は謝りました、そして「料理がまずいなら言い方と表現を変えてくれ、傷つくから」と頼みました
これ、癖になってる人は自省のやり方の練習ができてないから人生が深まらないし苦労するだろうなと思いました
実際父は老後友達がおらず家でだけふんぞり返ってさみしそうです、ああはなりたくはない
以上、ただの発見でした