
はてなキーワード:フォーマットとは
例えば1行が25文字でこれを16行でB5一枚の文書とする、それを4枚まで・・など。
(https://tk-univ-seitoku.jp/sy/2025/reporting_precautions/)
さらに改行空白や指定されている1行の空白まで含めての場合、どのように文章を作成するのだろうか。
レポートの文字数については、レポート用紙の最初の課題No.、設題No.記入と本文までの1行分の空白、必要な句読点、改行の空白を含めカウントします。
このやり方を見ていこう
LibreOfficewriterで作成しようと思ったがGoogle ドキュメントも合わせて使用することにした。LibreOfficewriterでB5の文書を作成したところどうも文書が大きく感じられたので、LibreOfficewriterで文章だけを作成し、Google ドキュメントへ貼り付ける形とする。
もっといいソフトウェアがあるかもしれないし、私が知らないだけでもっといい機能があるかもしれない、2025年11月現在にいい機能がなくても今後追加される可能性はある。
課題Noとか、改行の空白を含むというところで、行の中心の課題Noと左右の空白も数えるのか?、改行したら後ろの空白を全部数えるのかと思うかもしれないが、実際は単純である。
(1)1行を25文字設定にする
本当は25文字×16行で書きたかったが、両方の同時の設定は何故か出来なかった。縦横比率の制限??
[一文字の最大サイズ]を小さくし、1行の文字数を25に設定。(一文字の最大サイズは、1行の文字数が25が入るだけの大きさまで下げる)
(2)行番号を表示する
ツール→行番号付けを設定する。
ここでは一枚あたりの行数(16行)が守られないが気にしなくて良い。
何ページになってもいいので、16行×4(64行)になるまで文章を作成する。
課題No.、設題No.記入と本文までの1行分の空白も普通の文字入力と同じで入力する。字下げや改行も気にせずに通常通り行って良い。
(1)ページ設定でB5のサイズとする。
(2)余白の大きさを設定する。
(3)文字サイズは大学指定の10〜12ポイント、フォントも合わせる。
(4)[ツール] → [行番号] で行数表示する。
(5)設題Noなどもここで入れておく
(6)ページ番号も入れておく
(7)罫線表示(リンク先の書式では罫線が表示されているため)。CTRL+Aでファイル全体を選択し、表示形式→段落スタイル→罫線の網かけで上、下、真ん中に罫線設定。
罫線が何故か二重になる部分があるだろうが、個別に選択し(全体を選択ではない)表示形式→段落スタイル→罫線の網かけで二重部分から一本消す。
(8)文字の間隔を調整し、1ページに16行がぴったり収まるサイズとする。これが面倒くさい。
手順は文書内を全選択し(Ctrl+A)行間隔と段落の間隔で行指定(1行とか、1.15行とか、カスタムとか)で微調整し1ページに16行がぴったり収まるサイズとする
1行は空白も含め25文字だった。LibreOfficewriterで作成した文章は1ページ16行になっておらずばらばら、Google ドキュメントで作成された文書ファイルは1ページの行数は16行ぴったりに固定した。
LibreOfficewriterで作成した文章の1行1行(25文字)を、Google ドキュメントで作成された文書ファイルに貼り付けていく。
設題Noとその下の空白を除けば64−2で62回コピペ(62行分)コピペすることになるはずだ
この記事ではウルトラジャンプで連載されているギャグ漫画「こんづくし」を紹介する。構成も作画も非常に質が高く、そのクオリティが月刊連載で維持されていることに毎月驚かされる。漫画アプリで読めるのでぜひ読んでみてほしい。もっというと単行本を買ってほしい。たくさんのファンが単行本を買うと連載がもっと長く続くかもしれない。
https://manga.nicovideo.jp/comic/72728
説明するよりまずは1話を読んでみてほしい。読んだ前提で話を進める。
人間に化けた狐たちが過ごす学校で、狐のふりをした人間がうまく立ち回っていく話だ。
主人公は人間に化けている狐のふりをした人間であり、2回ひねりがある点がユニークである。1話目はよく設計されているが、それでも初見では難解である。ただ森長あやみ先生の前々作、前作を読んでいる読者にとってはすんなり理解出来ただろう。実は森長あやみ先生の前々作「ぶんぶくたぬきのティーパーティ」及び前作「ぶんぶくティーポット+」をひとひねりしたコンセプトになっている。前々作、前作のストーリーは明快だ。「人間の学校で、狸や狐たちが人間に化けて生活する」
Webで一部の話は公開されているのでぜひ読んでみてほしい。電子書籍はないので紙で買う必要がある。
https://laza.mandarake.co.jp/comic004/
https://laza.mandarake.co.jp/BTP_plus/list.html
今作のほうがページあたりの密度が低く抑えられている。前作では1p〜数pで完結した話が構成されていたが、今作ではコマが大きくなり、1話で起承転結が構成されている。より少年漫画のフォーマットに沿っていると言えるだろう。
こんづくしで着目すべきは、前作よりたくさんのページを使った起承転結の構成力である。よく練られている。無駄がない。うまく説明することが難しいが、漫画読みには伝わるはずだ。とても質が高い。私は原作者のエッセイが読みたくなるくらいには感動している。なぜここまでうまく書けるのか、私の解像度が浅いせいでうまく説明できないのがもどかしい。
さて、書きたいことは大体書いたので、ここで終わりとする。単行本が先日出たので買おうな。
多分決定権持ってるのがハズレなんだと思う。
コッテコテのアニメキャラみたいなユニットが必ず1名は出て来るし、毎回ヘブン状態みたいなおさわりミニゲーム出してくるし、チー牛の妄想みたいなキモい要素が多いんだよね。
https://jeffreyfrancesco.org/weblog/2025110501/
Affinityが無料化して脱Adobeできるかみたいな話ね。
なんていうかすごいピントがずれてる感じがしてしまうんだけど。
無料化したからって理由でAdobeから離れられるみたいな思考がそもそもないよねって話で。
もしあるとしたらそういうコスト面じゃなくて機能面での優位性でしかあり得ないです。
つまりAffinityがAdobeのソフトにない革新的で便利な機能を搭載したら、みんな飛びつくと思う。
ただしその場合もその機能使いたいだけであって、Adobeと併用して使うでしょ。
高いよ、確かにAdobeたけえなって思う。プランももっと柔軟性持たせてくれやって思いますよ。
でもさ、他に頑張ってる似た感じのソフトがあるからってそっちに乗り換えられるかっていったらそれは無理よ。
そもそもAdobeの主流のソフトはハブとしての側面がもはや強すぎる。
すごい数の人間が関わってやってるのに、どのフォーマットで揃えますか、データのやり取りどうしますかってのはもうAdobeになっちゃうわけで。
だからまあこの記事書いてる人はフリーランスで個人でやってる方なんだろうなとは思うけども、
それでいってもAffinity無料になったしAdobeやめまーすなんて人プロでやってる以上そういないのでは?
Adobeに腹が立つのはそうやってお前らどうせもうAdobeから離れられないだろ?って足元見られてるとこであって。
職種がイラストレーターの方とかならまだわかるよ。俺はクリスタで描いてるよとかアナログだよとか色々あるし。
でもデザイナー区分でいえばAdobe抜きで仕事やってくって、無理じゃね。
別にAdobe使ってないのはプロじゃないとか、それこそ素人が言いそうなこと言いたいわけじゃないよ。
ソフトそのものとしてはなんでこんなクソなんだよとか思うとこもいっぱいあるし、最高だよって思いながら使ってるわけでもない。
だからAffinityが頑張ってくれて競合してくれるなら応援したい。
しかし無料化ってのは拾いに言ってる土俵が確実に違うわなって。
あの内容はともかく、カードゲームを名指しで叩いている様子がプレイヤーの琴線にとてもとても触れているらしく、界隈が荒れている
簡単にいえば「ぼくちんの大好きなカードにケチつけるな!悪口言っていいのはボクチンだけなの!」というよくあるヤツだ
まあ正直、カードゲーマーは全員キモオタですから、グズだ無能だ社会不適合者だと言われようが全然構わんのよ
そもそも彼らの生態は(撮り)鉄のそれと酷似していて、身内に極度に甘い代わりに外部からの酷評には直ぐ墓穴撃つからね
恐らく、カード特有のルールの難解さと規則性と創意工夫のしやすさが、オタク心に刺さるのだろう
ポケカ一強時代で何回目かのトレカブームになり、カードゲーマーへの風当たりもまた増えた
昔から臭いとか汚いとか言われていたのは確かだと思うけど、Youtubeとかの台頭がさらに尾ひれというか実態をより暴いた印象
ただ潜伏期間もそれなりだった
撮り鉄のように常時世間の監視下にいるわけではなく、ショップやオンラインでボソボソと活動していた時期が長く、世間から隔絶していたのが逆に仇になっている
古い価値観が面々と続き、プレイヤーもショップも古参の仲良しこよしで成り立っているケースも多々ある
だから初心者への風当たりが驚くほど強く、カード強い人間が一番というオコチャマ思想がマジで多いし、それでずっとトラブルになっている
アニメに感化されてなりきる逸汎人も多い
今は半グレもいっぱい経営しているし、正直カードゲームはよほどのことがない限りは子供が遊ぶべきじゃないと個人的には思う
こういう事言うと
「俺達はプレイヤーであって、界隈の治安とかティーチングとかトラブルの解決とか責任押し付けられる筋合いない」
という人が多いんだ
けど、他のゲームと違って創意工夫が必要でかつ生身の人間との会話が発生しやすい場所において、誰も責任を取らないということ自体がほぼ無理なんだ
そこで発生するトラブルの主要因はゲームを開発した側ではなく、遊んでいる側にある
もちろん初心者ティーチングを素人が行えるかというとそんなことはないんだが、少なくとも入りやすく抜けるのも容易い環境づくりがないと新規は絶対に入らない
なのに彼らは自分達の居場所に固執するあまり、そういう場の雰囲気の悪さを一切理解していない
だから、例のNOTEのように時代錯誤で小学生レベルのチンポ脳そのままで生きているんだよ
教えたがりオジが湧いてとんでもないことになっている
カードゲーマーはテキストは読めるけど日本語はできないというのは真実だ
じゃあカードゲーマーがなんでそこまでおかしくなるのかというと、単純に年数長い人が多いから
これらが他のコンテンツと少し違うのは、長年供給があり、そこそこ値が張るからだ
昔はまあまあ安かったとはいえ、数が月に一度大きなセットが来るし、中古市場の乱高下もあってカードゲームは割と長期的・継続的に金がいる
逆にいえば、そこそこの金額を出し続けられれば長くいることができる
普通のデジタルゲームと違ってカード自体はそのまま遊び続けられるケースが多いんだよ
何処とは言わないけどFFとコラボした所なんて、平均年齢狂ってる
新規が来る要因がもはやアニメに頼れなくなったせいで、いまはどこも新陳代謝が滞ってる
さらに同じゲーム内でもフォーマットの違いやアーキタイプ事に差別感情剥き出しで話すことも多い、かなり殺伐とした界隈だからね
対人戦やってるはずなのに奴らのコミュニケーション能力は恐ろしく低い
根っこがガキなんだから
あと、カードは他のゲームや趣味に比べ、強いカードは高いという単純な世界でもある
そして高いといっても車やワインなどの世界より遥かに安く維持管理が簡単で場所を取らない
良いデッキはそれなりの金額を使い、それを使いこなせればマウントを取れるのが、カードゲームの古くからある普遍的な理屈だ
もちろんそうでない例は多数あっても、安いデッキが強いことはそうそうない
車や格ゲーの世界と比べ、金銭の多寡が強さに直結しやすいため、おっさんほどマウント取りに走りやすい世界だ
数値として明白だし
一方で将棋やポーカーや麻雀など、完全に実力が出やすいものでもなく、スポーツなど若者に有利なものでもない
知識や経験や金銭で実力が埋まるカードゲームはまさにおっさんの趣味に適している
1日から始まった「ダウンタウンプラス」だがアンチも信者も松本人志ばかり話題にしてて、このサービスの本質が語られてない気がしたのでちょっと書いてみる。
このニュースを知ってる人と知らない人でおそらく感じてること、見てる部分が違うと思うので、まずはこのニュースを見てほしい。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2025/08/24/articles/20250824s00041000074000c.html
明石家さんまが今年の8月にラジオで語った話だが最後の方に書かれてる文を引用する
吉本興業は18日にはコンテンツファンドの組成を行ったと発表し、今後発表するコンテンツについても「明石家さんま、ダウンタウンをはじめ、中川家、千鳥、かまいたち、マヂカルラブリー、チョコレートプラネット、渡辺直美、霜降り明星や、今後活躍が期待できる若手を含む弊社所属タレントがプロデュース・出演するコンテンツのほか、スポーツ選手のドキュメンタリーやオーディション番組などの制作を予定しており、海外へのフォーマット販売も視野に入れながら、順次拡大してまいります」と発表した。
この部分からも分かる通り、まずは吉本の顔であるダウンタウンから始めて、今後は他のタレントのチャンネルを順次増やしていく。その後コンテンツのフォーマットを海外に販売していくつもりらしい。つまり吉本のサービスの中に「さんまプラス」「千鳥プラス」みたいなチャンネルを増やしていくということ。自社タレントを核にした独自の配信事業(プラットフォーム)が今後増える可能性がある。
なので松本が成功か失敗かというより、吉本的にはすでにアプリをリリースして会員から集金出来てる時点でもう第一段階は終わってる。今は今後のためのノウハウを蓄積してる状況で、ダウンタウンくらい余裕のあるタレントで時間を掛けてデータ収集・雛形作りをしてる状態だろう。
で、何が言いたいかというと、松本は「テレビと喧嘩するつもりはない」と言ってたみたいだが、どう考えてもテレビ業界への三行半というか、沈みゆく泥舟ともいえる既存のテレビ業界からの脱出と見える。今もテレビに出演中の浜田コンテンツを様子見してるのも、多分そのためだろう。なるべく喧嘩しないでゆるっとフェードアウトするみたいな。
テレビで復帰するため〜とか言ってる連中は本当になんも分かってないと思うよ。
このプラットフォーム(商売のやり方)は今後の芸能界のあり方も変える大きな影響力を持つ、ゲームチェンジャーになりうる出来事だと思う。知らんけど。
うちの部のプロジェクトも、もう何十本目かの製品立ち上げになるけど、最初のドラフトレビューが完全に形骸化してる。
資料を配って”仮”と書いて、「アップデート予定」と注釈してるけど、結局次の定例で同じスライドを開いてる。
正直、PowerPointのデザインテンプレートを変えるほうが時間かかってるんじゃないかって思う。
たとえば今進めてる製品。
IoTセンサー搭載の新しい制御モジュールで、BLEとWi-Fiをデュアルにして、エッジ側で軽量な推論モデルを動かす構成――ってだけで、みんなの頭の中ではもう「いつものやつ」になってる。
「ファームは前回の焼き直しでしょ?」
って感じ。
実際、レビュー中も「MCUはESP32ですか?」「いや、今回はnRFです」「あ、そうなんだ」で終わり。
質疑もない。そのくせリスク管理表とかテストスケジュール案は律義にフォーマット通り出さなきゃいけない。
内容なんて空欄だらけなのに。
若手が頑張って図を入れてきても、「このフローチャートは確定じゃないんだよね?」で一蹴。
いや、だからドラフトなんですけど…っていう言葉が会議室に萎んで響く。
どうせ本決定は部長判断。どうせコストは経理次第。どうせ顧客要求はまた変わる。
進んでる感を演出するため?
気づけば、意味があるのは中身じゃなくて手順だけ。
議事録は残って、フォルダ名は「2025Q4_製品A_ドラフト」になって、
終わった後に誰も開かないPDFが増えていく。
サーバーの中は、未完の「仮」だらけ。
はてブで上田麗奈凄いとあったのでチェンソー見る気になり、同じIMAXで鬼滅もついでに見た
原作既読、アニメは2期途中脱落、原作知ってれば大丈夫だろうと判断
和風建築立体物をビャーっと移動してはバトル、を2時間半ずっと繰り返すだけだった
全部をセリフで説明してて、絵も強調しておきたいとこをじっくり強調して見せてて、複雑なことは一切なく、平板の極み
が、よく考えるとストーリー知ってて新鮮味のないバトルだけで2時間半を特に引っかからず見れてしまった時点で凄かった
自分は途中で引っかかると直ぐ視聴を止めてしまうし、映画館でも見始めて1分で引いてしまったりするんで、
説明台詞ばっかバトルばっかの絵をずっと違和感なく見ていられたの変じゃね? と後からびっくりした
よくある作画凄いアニメのスゴイ飛び道具もあんまなかった気がするし、それだけ絵で保たせきったということなんだなと
こちらは原作未読なのでTVアニメ(総集編じゃない通常版)を予習して見た
自分の知る上田麗奈の最悪蠱惑キャラは「陰の実力者になりたくて!」2期後半に出てた脇役
1期2期の二桁いるヒロインたち(ピンで客を引っ張れる声優ばっか)を全員一掃する攻撃力で「こいつラスボスだろ」と思ったのに違った
あのストーリー組み立てすらぶっ壊す破壊力を、映画館の音響で聴けるのかと期待してた
おそらく
1は、声優さんが演技全開するのは作画ヘタれて声で全部を表現しなきゃいけないときで(たとえば最高の故田中敦子が見れるのは「Cutie Honey Universe 」)、上田麗奈が高めの攻撃力でやりすぎるとアカン、というのは判る
じゃあ、なぜ上田麗奈なのか
いや上田麗奈でしっかりハマってましたけども、そこは普通に上手いからね
ファイアパンチ途中までは覚えてるが最後どうなったか忘れた。その他はネットで無料で見れるときは見る程度
基本的に漫画がヘタで、技術的にヘタなのと本人の熱量というか過剰さがあるのと、
読者が漫画を読むの下手で過剰に押し込まれないと読めないのと、
読者が実写ぽさ(デフォルメじゃないという程度の意味)に寄せると絵が上手いと思ってくれるのとの合成で、藤本タツキ漫画が成立してる(最近は知らない)
ジャンプは子供向けだと凄く子供向けに振る(スパイファミリーとか)し、女子向けだとすごく女子向けにするし(呪術とか)、たぶんアンケートで高齢女性ファン層向けと判断してオサレにOK出したんだろうし、ED曲が毎回違うとか監督独断で決めれるわけもないので、オサレで行くって関係者皆で決めたんだろうけど、呪術じゃないんだから
TVシリーズの最後のバトルで敵を一刀両断してたけど斬鉄剣みたいのだとチェンソーの意味ない
原作どうか知らんが肌に食い込み肉を引き裂き血と肉片をそこらじゅうに撒き散らすチェンソーだから藤本主人公
斬鉄剣やりたかったら主人公を日本刀マンにリデザインすべきで、そこは「オフビートな演出で統一したかったんじゃね」で済む話ではない
漫画でもたぶん自粛ありそうだが血や肉片を散らかしまくると規制に引っ掛かりまくりそう
映画でチェンソーでぶった切りまくりのキメ絵を漫画に寄せてたのもガチ肉片とガチ血しぶきを避ける都合かな
デビルマンフォロワーであるチェンソーマンでこの技法を使ったのは意図的じゃないかな
真似される技法を開拓し映画チェンソーマンに繋いだ実写デビルマンをネット民はいつまでネタ扱いし続けるのだろう
藤本タツキぽさは過剰さがあって成立するわけで、ルックバックの二人に炎尾燃が割り込む同人表紙はそういう過剰さを足したいという批評だろう
「炎の転校生」の頃から熱血を距離を置いて観察しつつ否定せずの島本ならでは
オサレでは足りないのだ
藤本タツキぽい過剰さはあんまないというか、しっかり情報整理しまくって綺麗に腑分けしてる
オサレではなくなり、よく練りこまれたウェルメイドに落ち着いた感じ
藤本タツキは映画好き。その映画好き成分を漫画に上手く変換できてるわけではない
映画を漫画にしきれない原形とどめた形でひり出しちゃった漫画原作を劇場映画の形にする奇形の入れ子状態
実写映画やアニメーション映画の既存の形式よりかTVアニメの形式に寄ってる感じがある
詰め込んでるのもあって短いカットばかりだし映画でございみたいな構図で絵を作るみたいのもあんま押し出してこない
しかしそこに原作の「映画のまねごと」という要素をうまく取り込んで映画ショットぽいのを取り込んでる
あくまで「ぽい」であり映画ショットそのものではないが映画ショットのよう、ややこしいことやってる
完全に日本のTVアニメのOPのフォーマットであり映画の文法では全くないのだが
「作品要素をOPで説明しきる」という伝統が培ってきた技法をフル活用して、
TVアニメ最終話の直後という時系列説明と同時にデンジが手放したくないと思ってる現在の生活を説明し
マキマの存在感とキャラクター説明をこなしつつ終盤に繋げる伏線を描き
ちょい出の脇キャラ顔みせしつつ悪魔の存在と主人公たちの悪魔退治業務を説明し
デンジがチェンソーマンに変身するのとデンジが変顔しまくりのバカキャラなのを説明し、と
OPアニメを最初から全部読み取るのは無理だと思うが、TVアニメを見ずに映画だけ見に来た層が話についていける情報を網羅しきっている
メタで本作について言われそうなのを先回りしてて、けなす方向でも褒める方向でもSNSのお手軽一言で終わらせねーぞという粘っこさがすごい
レゼ編全体の絵図面を最初から描いてるらしきマキマが映画見て感想言うことで「映画ぽさを装う映画」という形式の上にさらに被せてくる
チェンソーマンはいかにも映画でございを装いつつもTVアニメフォーマットを駆使する
鬼滅は世間様の言うような映画ぽさをはなから捨て去って絵ぢからで映画にしてる
なんだこいつら
ジゴロじゃなくてホストクラブのホストで鎖つながれたままでした、という
レゼの気分的には「俺たちに明日はない」で、中盤で逃げようって言ってる時点で気分的には逃避行が始まってて
デンジと最後二人が哀しきしあわせエッチってことはモブ殺し屋さん絞めてるの無理やりエッチのメタファだろうし
売春なのか他のシチュなのかは不明だが行為のあいだずっと意識を逸らして歌ってるのとか判りやすすぎる
薬屋の猫猫も左腕のは薬や毒の実験としてるけど露骨にためらい傷のメタファだし
服毒したがるとか自傷で自己の肉体の存在確認してんだろうな、だし
推理しまくるくせに認識したくないことに気づきそうになると意識飛んで思考キャンセルするし
猫猫やレゼに自己投影する女性が多い時代って、あんまし……いや
パワーが二人の思い出の喫茶店に来襲とか、うわ
ファムファタールじゃなくていいよ
「ばくおん!」の頃にもどって
頭空っぽ天然でいて
フォーマットとしてTVアニメシリーズの形式性に強く規定された上で巷間での映画らしさみたいのを侵食してく
すごい時代すね
推し活する女は男同士の人間関係を眺めたいから男の集団に群がり、低身長だけのグループやソロなんて一強時代のジャニーズですらいないのを皆認識してる中
「女は男の顔しか見ない!男は身長より顔!ソースはジャニ!」を延々連呼する
ジャニのグループの構成員もソロで活動して結果出せるのは人権身長のみ
低身長の山田涼介は何度ドラマや映画で主演させても誰も見ないしな
117名無しさん@恐縮です2025/10/26(日)20:09:17.80ID:SIl8yHlA0
123名無しさん@恐縮です2025/10/26(日)20:18:45.17ID:4SM17sgX0
よくわからんけど
若い男がわんさか出てると
とりあえずなんでも食いつく女が消費需要に存在するとわかっただけじゃね
全くカッコよくないチェッカーズが並んでるだけでも女は食いついた
もちろんそれが一番の理由だ
あとは真人間なら耐えられないその道化をしたままでパフォーマンスを維持できるか
そっから先は実力だった
130名無しさん@恐縮です2025/10/26(日)20:27:59.87ID:4SM17sgX0
その後のジャニ系はわんさか若い男を出すフォーマットだけ利用して
顔はチェッカーズよりほんの少しだけよくして組み立てた
実力でやってたのはチェッカーズだけ
・めちゃくちゃ面白かった
・
・朝井リョウ作品は物語というより「物語というフォーマットを使って、朝井リョウから見た時代定点観測報告を教えてくれる」書物として読むとよい
・もし朝井リョウが思想家とかでTwitterで文だけで観測結果を教えてきてくれたらちょっとビビるから「物語」としてコーティングして伝えてきてくれるの、助かる
・物語として読み進めると急にキャラクターに朝井リョウ本人が憑依して語ってくることあるからぬい作者状態になってビビる
・
・朝井リョウ、冬野梅子とかカレー沢薫とか鳥トマトとかどんな感じで見てるんやろ
なんかやっぱ「男から見た女」感が滲み出てるんだよな 色々今風の言葉を重ねても「男から評価されるのが女性にとってよい」っていう感じ→「メイク」という行為がセルフケア・ひいては他人との毛づくろいに繋がるっていう話だったんやね…
・朝井リョウ得意文体「◯◯は◯◯している。まるで△△のように。」△△でこれを示唆したい感すごい
・朝井リョウのかく「ミジメ」の反対=正しい描写、広告代理店の描くキラキラ生活っぽさある
そういう「読者にミジメと思わせたい」ポイント描写の根拠=対比する正しさ がそもそも広告代理店の「作った世界」っぺえからなんか
「おっ 朝井くん、今回も「思想」、押し付けてきとるね!!」ってなる
・そら家で友達とダベる時に飲む飲み物と、テレビに出る時に添えられる飲み物は違うやろ…
・2.5次元推し界隈の言語創造力がおもろいのはそれはそう ピューロ流しとかテニプリ脱走兵とか女子の悪口のセンスとオタク気質が魔合体して独特の面白さ、ある
・登場する女性、どいつもこいつも政治話題に対する反射神経が高すぎる こわいよ〜
いやでも転職とかで「選択肢がそもそも非正規しかない」とかそういう状況だと病むよな
・っぱ女オタクの感情の機微描写はガチ恋粘着獣がナンバーワン!
「まあ推しはするけど飽きたらポイやでー」成分がなくて「男の考えた女」感ある こんなひたむきな性別問わず人間おらんやろ そういう面でガチ恋粘着獣の「報われたい」「ズルしたほうがよかったじゃん」とかそういう人間の生々しさ「健気なふりしてるけどやっぱりかけた分だけの報酬が欲しい」っていう「人間のくさみ」、ない
・「ミジメ」さと、「イヂマシ」さと、「男の目を気にしない貧困女、終わっとる」でできてるオタクパート
・ワイは、「自分」を売り物にできるくらい魅力的な人間、とりわけ「容姿」をウリにするタイプは絶対裏でオタクからの「人気」をスパイスにパコりまくってると思っとるからこんな「物語」だのなんだの認識できん!!
・ふぅん…「普通の幸せ」について、まだその「領域」なんやね…
・な、なんで??!
現時点で評価されてる若手脚本家とか起用したほうが色々ええじゃろ
・「やってみたい」のくだりは萌えた
ほんまもんの「いじましさ」、あった
おっさんズラブとかじゃなくて「必要とされたい」「寂しいのはかなしい」っていう人間の原初的な感情がおぢ面子お仕事会話の中で不意な流れで浮上してきたの、萌えた
・意識高い高いのだ…
・飯食う前にこんな話長々されたらキレる
・いい友達
・INFPっぽいよねって電車好きそうの女verだろ
わかりやすくフレメニーすぎやろ
・急に悟ってビビる
いいことゆうとるけど直前まで身分不相応の意識高い高いINFP大学生に滅茶苦茶賢い朝井リョウが憑依するからビビるってこれ 急にIQと自己洞察能力が上がるやん
・安定した?会社も会社でおぢの面子合戦があったり大変なんだよなぁ…
・大学出てブルーワーカーのパターンもあるので… 大卒がみんなホワイトワーカーになれるという認識を持ってる時点でまだ甘々やで〜!
・破滅ルート、回避!→カスやん…発達障害傾向以前に人間性がカスやん…
・シラフで現実、見れっかよォ!の一人語りはそれな…(死語)ってなった
・行っちまったんだ…「あっち」側に…
・それぼく
・爆仕事イケイケ同期おじが説得しにいったら逆に屈服させられたエロスを感じる
・それぼく
・発達障害として生き続けるのにうんざりするの、わかるでぇ…!
・文の長い押し付けがましいYouTube動画なんてろくなもんがねぇ
・この引き込み方は生身を持ってファンと同じ現実の時間軸を生きる3次元だからこそできる売り出し方やんな
・ママみを感じてキショいな…
そういう自他境界の少ないタイプを狙い撃ってるんやろうがキショいな… 自他境界が少ないって、(適量で留まれるなら)よく言えば面倒見がよいというかママみがあるってことなのかな
・セルフうっとりしながらジェットコースターのごとくハマっていくくだり、キショくて最高にオモロい
・「優しくて真面目で繊細」という悪口
・「推し活」の良いところも悪いところも書いてくれるレンジ力つょい
・うわぁ急に朝井リョウが出てきた!2回目
・着々とフラグが積み上げられる父曇らせ
・男性同士のケアにまで言及するんか・?レンジがちょっと広げすぎかも
・「女性の連帯」の正の側面も負の側面も描き切る筆致、さすが作者様やでぇ…
・絶対これデビュー前にINFP君カノバレして爆破のやつじゃん
・ヘルシーなファンだ…
・ここまで極端な奴、そうそうおらんやろ
・どいつもこいつも主語がでけぇ!
ウシジマくんでたまにえる底つき体験して一周回って爽やかになるハピエン回じゃった…
・朝井リョウが左右から語りかけてくる…バイノーラル朝井リョウだ…
・急なちいかわ草なんだ
こちらの言いたいことをただ否定することに拘泥しているようだが、認識という程度の話なら互いに認識が違ってもいいんじゃない?
だからこちらが子供向けが基本であるとして、そちらが大人のものだという認識はそこまで不合理ではない
そのうえでいうなら、トレカが基本子供のものであるという認識は一定の意味があるし、そうであるべきだと思うよ
昔懐かしい怪獣やウルトラマンを多数登場させているから大人向け、と言いたいが対象年齢は7歳以上だ
https://store.m-78.jp/products/4570066532839
内容としても遊戯王のような徹底的に文字で埋め尽くされているわけでもなく、ルールもシンプルというか単純だ
ウルトラマンを初代から遊んでいた大人をターゲットにするだけならこんな感じにはならない
ひとえに子供と大人が一緒に遊べることがこのゲームのコンセプトであるわけだ
西松屋とかいけばワンピカードやドラゴンボールFusionWorldが売っているので、子供にもきちんと目を向けているのだなと思っている
そもそもカードという媒体は他のゲームよりとっつきやすく、子供が大人と知恵を絞って遊ぶには良い材料になりやすい
また今は使えない古いカードでも引っ張り出せば遊べるというのは重要な点だ
世代をまたいでも楽しめるってのはカードゲームの良さだと思っている
日経エンタテインメントの調べでは、遊戯王というトレカの代表的なタイトルの主要年齢層は30歳らしい
これはトレカとしてはやや若い方なんだが、それでも高齢化社会の中にあることは確実だ
最も高齢化が深刻なMTGは本当にオッサン、というか高齢者に片足突っ込んでる人が滅茶苦茶多い老害界隈
一方でデュエマの大会は相変わらず小中学生が半分程度いるし、そういった層をターゲットにしている
トレカは他のゲームと違い、同じカードが再録などの影響で長く使えたり、古いカードがリメイクされるなど意外と長く遊べるゲームだ
だからこそフォーマットの入れ替えなどで新規層と古参を入れ替える施策が必要で、そのためには常に子供およびその親をターゲットにする必要がある
ポケカなんてみれば、相変わらず小学生でも触って遊べる構築済みデッキが売られているしね
じゃあ大人のものであるという認識であると何が問題になりやすいのか
これが一番大きい
漫画やアニメが子供と大人で分けられていても、双方に利害は生じない
それを大人が買い占めることで、本来楽しめるであろう子供に供給されないことが一番問題だろう
もちろんメーカーが子供なんてターゲットにしていないパターンはある
MTGなんてもはや若年層を完全に切り捨てているわけだし
でもその結果は異常な財力による買い占めや転売による市場の乱高下なわけだし、それに起因するメーカー側の多種多様なレアリティの乱開発だ
現在、遊戯王やMTGの取り扱いを停止する店舗が非常に多いのだが、その理由の人は在庫管理の難しさにある
同じカードでもレアリティやイラスト違いが大量に存在し、プレイアブルなカード以外で価格の変動差も大きい
1つのセットからイラスト違いが大量に出るのが一般化したため、中古ショップが限界に達している
さらにいうと、昨今のトレカ市場は1・2カ月に1度という超高頻度の開発スパンが常態化し、同時にタイトルも乱立している
大人がターゲットになってしまったトレカは往々にして中古市場から消えざるを得ない
子供が遊べることを前提にしていないと、トレカはどんどん複雑なものになる
遊戯王OCGは裁定の多さとテキスト量の増加により若年層の新規参入が難しいと判断し、ラッシュデュエルにかじを切ったのは有名だ
最初こそ単なる劣化だと言われたが、結果的に子供でも扱いやすいシステムやゲーム性だとやはりプレイするには楽しいのだと認識されている
OCGより売上は10分の1程度だが
逆にここ10年で出た遊戯王OCGは基本的に書いていることは単純なのだが、できる範囲が極端に広くなった
覚えるルールや考えられるパターンもこの数年でよりインフレしてきたため、若年層を中心にリタイアする人が後を絶たない
というか現代の遊戯王はアニメという媒体が定期放送していないので新規を増やす手段を模索中だ
それでもインフラを止めることができず、とうとう海外では「リンク召喚とペンデュラム召喚を禁止した新しいフォーマット」が爆誕している
日本でもシンクロ以前の環境で遊ぶゲートボール環境が話題になっているように、複雑すぎる現代遊戯王ってのは内外から忌避されかけているのが現状だ
MTGも様々な複雑な面があり決して若年層向けではないのだが、それでもルールやメカニズムの簡略化や単純化自体をあきらめているわけではないようだ
そしてこれは本当に個人の感想なのだが、カードゲームはやはり子供ありきの方が面白い
カードゲームによってコミュニティの価値観は全然違うのだが、遊戯王やMTGといった古参のゲームほどそのゲームへのこだわりが強く、新規層を取り込むことに非常に忌避感を持っている
子供が安心していつでもパックやカードを買えて、デッキを作ったらすぐ対人戦をできる環境を整えられないところってのは、真面目な話きもいオジサンばっかりになってしまい、俺は引退した
子供の者であるという認識を捨てるということは、そうやってオッサンだけのものでいいという認識になるんだよ
それって一番怖い話だ
まあただ、現代のトレカが子供にそっぽ向く姿勢というのは仕方がない
少子高齢化だもんな
yyyy-MM-dd hh:mm:ss でって書いてあるのに、サンプルデータは yyyy-MM-dd HH:mm:ss になってたり逆も然り
ゲームプレイメモってなんか取ってたりするのかしらみんなゲーム遊んでる人は?
それはさすがにやり過ぎなことがあるような気がする神経質なプレイになりがちだけど、
次どこ行くっけ?とか
久しく再開するとこれどこに行ったらいいの?って
思い出が復帰するまで、
周りのフィールドをうろちょろして思い出すまでの時間があると気があるのね。
そんでよ!
今進められるところの先のトロッコが固まって動かせなくて、
それを解除しに行くミッションをクリアしなくては先に進めないの。
えーっと、
これどこ行くんだっけ?
その時の流れだったらなんとなく行き着けたかも知れないけれど
久しく再開すると、
トロッコ動かすには下を探索するの?
いや待ってよ、
DKバナンザってどんだけ破壊して掘りまくって探しまくりまくりすてぃーでやんなくちゃいけないのよ!って
あの膨大な岩石の塊からアイテム1つ探せってか?ってめちゃしんどい感じの重し!
この次はこの先に進めば良いよ!って
口笛吹いてくれて行き先は分かるけれど、
今示されている行き先は固まって動かないトロッコを指しているのね、
いやそれは分かってるから、
その動かせるようにする仕掛けを解除するものを探してるんだけどー!って
まあさすがにクエストの答え合わせがDKが口笛を吹いてすぐ分かっちゃったらゲーム要素が無くなるわよね面白くなくなるというか。
でもただただ、
確かに、
無限にプチプチを潰して楽しむ的な感じと同様に壊し続ける爽快感はあるのよ。
でもそんなヒマないの!
どんどん先に進みたい気持ちが先走っちゃって、
そう言うのあるから、
スプラトゥーン3だってエスプラスクラスに向かって挑むに当たって、
今までのように適当にラッキー勝利で昇格!ってわけには行かないのよね。
とはいえ、
甥っ子とか姪っ子とかはS10ランクぐらいまで上がってて、
どうやったらそんなに上げることができるの?って
もはや甥っ子や姪っ子に無双しまくって勝ちまくっていた大人の容赦ない感じのオセロでしか勝てない感じなの。
えーん、
だから1戦1戦メモして振り返って戦ったら打開できる作戦があるかもしれないわ!って
あと最近思ったのが
これはNotebookLMちゃんが得意技とするので、
私の戦法を分析してもらうに限る方法を手探りでまさぐっているところよ。
そんで、
もうすぐドラゴンクエストI・IIが発売でしょ?
先に楽しみなIIを先にやってしまうのか?
でもIが軽めのボリュームなら先にサクッとIをクリアしてたっぷり楽しめるようにIIを堪能するか!
そういう悩みも尽きないわ。
そんで話戻るけれど、
学生が使うスタディープラン帳がタイムラインも書けて備考欄メモもあって最適そうと一回試してみようかな!ってところなの。
すぐ飽きちゃわないようにしないといけないわよね。
よく手帳とかある分野に特定の便利なフォーマットってあるじゃない。
材料や調味料映画を見た感想とかポップコーンがなに味だったのかって書き記してチェックできるその分野に特化したメモ帳というか手帳。
バトル手帳ってのがあったら、
私は欲しいかもと思いつつ、
とはいえスプラトゥーン3専用のアクションバトル手帳だとスプラトゥーン3しか使えないので
おおむね多くのゲームに対応できるようなプレイメモが書くことができるフォーマットを探し求めているのね。
とりあえず、
学生が使う学習予定学習やったメモを記す記を記をできるノートがあったので試してみることにするわ!って
とにかく凄い自信なの!
そんな勢いで継続私が続けてメモし続けられるかが一番の問題だけれどね。
何気ないメモも書き続けてAIに読み込ませたら案外冷静に客観的に可及的速やかに分析してくれると思うの!
つーか分析してくれるの!
それを期待して
ノートを書く勢いは整っているのよ。
これが気持ちが続けられるようにして行きたいわよね。
なにやったか忘れちゃわないようにってのもあるし、
まあ試してみてなにか動きがあり次第また現場からお伝えできることがあればお伝えするわ!
うふふ。
タマゴサンドアンドたっぷりハムの挟まったサンドイッチのちょっとデラックスな2種類のサンドイッチよ。
ちょっとまたワケあってしばらく美味しいもの食べられなくなるので、
しばしお別れの食べ納めってところ。
セクシーでヤミーなタマゴサンドの食べ納めで元気しっかり付けて今日を乗り切るの!
よーし!やるわ!
こっちもしばらくもしかしたらお別れになるかも知れないわ。
今日を頑張って乗り越えるの!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
そう聞いたとき、私は正直ぎょっとした。
私にとって論文とは、大学四年の冬に締切と戦いながら泣きそうになって書いたあの苦行の象徴だった。ワードがフリーズし、参考文献のフォーマットに何度も泣かされた。
ゼミの指導教には「増田君の考察はどこにあるの?」と詰められた記憶が今でもトラウマになっている。だからこそ「論文を書くのは楽しいぞ」と笑顔で言い切る知人には半ば呆れながらも残りの半分は感心した。
たとえば中上健次の小説を読み解きながら、その語りのリズムを身体の記憶として分析する。あるいはボルヘスやカフカを引用しながら、「言葉という迷宮」の中に潜り込む。
いわば、学問のフォーマットを借りた創作だ。彼のノートPCにはMendeleyで管理された文献リストが整然と並び、PDFの余白にはびっしりとコメントが書き込まれていた。
引用規則(APA第7版)を完璧に守りながらも内容は完全に趣味。その姿勢が実に格好よかった。
正直少しだけ惹かれた。そしてこの歳になると、少しだけ心を動かされるのは、それだけでも大ごとであると認識にするには十分な出来事だった。
先日になって思い立った。俺も久しぶりに書いてみるかと。
テーマは「ゲームとSFの相似について(仮)」にしようと思っている。
これは兼ねてから私が疑問に感じていたことであり、同時にゲームとSFを愛するが故に気付いた類似点でもあり、概要はこのようなものだ。
SF(サイエンス・フィクション)は、時代とともに未知の場所を変えてきた文学である。
1950年代。宇宙開発の黎明期、アシモフやクラークに代表される黄金期のSF作家たちは未知の惑星や異星文明を、理性と科学の力で征服できる対象として描いた。
宇宙船は拡張の象徴であり、人間の叡智は宇宙の限界を超えると信じられていた。
だが月に人が降り立ち、テクノロジーが現実のものとなるとSFの「未知」は急速に萎んでいった。
未知が科学で説明できるようになったとき、物語が頼るべき“遠く”は消えたのだ。
1970年代。ニューウェーブSFが登場する。J・G・バラードやフィリップ・K・ディック、スタニスワフ・レムらが描いたのはもはや銀河の彼方ではなく、人間の記憶。感情。夢。そして現実そのものの不確かさだった。
宇宙は外にではなく、内に広がっていた。こうしてSFは「科学の物語」から「意識の物語」へと変貌する。
80年代、ファミコン黎明期のゲームは“ルールと制約”の世界だった。プレイヤーはピクセルで描かれた小さな空間を右へ進み、敵を倒してスコアを競う。世界は狭いが、明確だった。
90年代以降、3D技術の進化とともにゲームは広がり『ゼルダの伝説 時のオカリナ』や『GTA』、『Skyrim』のようにプレイヤーが自由に世界を歩き回る「外的探求」の時代が到来する。
当時の開発者たちにとって、”より広く”そして”より遠くへ”という命題は、まさにSF黄金期の“外宇宙志向”と同義だったのではないか。
この“虚無の自由”は、SFが外宇宙の飽和を経験したときとまったく同じ現象である。
そこで新しい方向を示したのが、『DEATH STRANDING』『UNDERTALE』『The Last of Us』『NieR:Automata』といった作品群だった。
これらの作品は、プレイヤーに“何をするか”ではなく、“なぜそれをするのか”を問いかける。
それはまさしく、ニューウェーブSFが宇宙船を捨て、人間の心を航行し始めたのと同じ転換である。
かつてのSFが“内宇宙”という新しい宇宙を見つけたように、現代のゲームは広大なオープンワールドから本質的な面白さを求められる時代へと転回するべきではないのか。
そこではマップの広さよりも、プレイヤーの罪悪感、葛藤、共感といった感情の深さが物語を駆動する。
『Outer Wilds』のように記憶と観測の関係をプレイヤー自身に体験させる作品もあれば、『Disco Elysium』のように思考や信念そのものをステータス化する試みもある。
こうした潮流はゲームが単なる娯楽装置を越え、プレイヤー自身を観測対象とする“装置としての物語”になりつつあることを示している。
本稿では、SFの歴史における「外→内」の転換を参照軸とし、ゲームにおける自由・物語・主体性の変化を考察する。
その上でプレイヤーがいかにして“観測者=創作者”へと変容していくのかを明らかにしたい。
ゲームとは、かつてのSFがそうであったように、人間が“自分という宇宙”を探索するための新たなメディアなのではないか――
そうした仮説のもとに、ここから筆を進めていきたい。
・エモ重視
・テンポが遅く話が進まない(おそらく原作をスローテンポにしてる)
・うじうじ
・BLっぽさある
なんだけど、最終的に良かった
スローテンポにしてちゃんと成立するのすごいと思う、演出が上手い
おそらく画の情報量と説明量が多いのと、内面の話が多いから、間が持つのかもしれない
この作品においては背景をちゃんとキャラ視点で見れる構図になっていて、それがよかったと思う
キレイなだけじゃなく、退屈で嫌いで日常で、でもキレイみたいな、言語化むずいが
話のフォーマットはよくある因習村なんだけど、そこにBLを一つまみ入れるだけでこんなに味わい深くなるというのは面白いと思った
よしきの「化物は俺の方」で、光とよしきが対比になってると気づいたが、よくできてるな
田中周りの話は「大げさな割に動かない」「台詞回しがキモい」「演技っぽくて嫌い」が先行したが、最終的にこういう形に落ち着くなら確かにあのムーブしかなかったなと思う
数人の周囲の視点があるからこそ緊張感が生まれたんだよね、これがないと痴話喧嘩になってしまう
うーん、上手いな
オタクは自分達が気に入った作品を都合よく「これは反体制じゃない」と定義付けてるだけじゃないの?
実際には反体制じゃないにしても、少なくとも体制側の異端者が大半だろう
ワンピース…主人公達は革命軍との共同路線に行くのが明らか。反体制寄り。
鬼滅の刃…主人公達は政府非公認の武装集団。反体制でないにしても体制追従ではない。
進撃の巨人…主人公が島でクーデターを起こした後、島外住人の皆殺しを狙う。明確に反体制。
名探偵コナン…主人公は体制と共闘するが、正体を隠している。体制側の異端者寄り。
ガンダム…初代は体制の中の異端者、Zは明確に反体制(反地球連邦組織がエゥーゴ)。アナザーではZのフォーマットを用いたものが殆ど。
暇空 対羽鳥だいすけの裁判の判決が出て、暇空側の棄却で終わったけど、さすがにこれはおかしいと言わざるを得ない
羽鳥議員の発言はどう考えても一線を超えてたと感じたし、寧ろこれが許されるのであれば「共産党は反社カルト」とか「羽鳥一派は◯◯」と言っても許容されるべき、という事になるが
いくら何でもそれは駄目だろうと思うし、寧ろ暇空が同じ事を共産党や羽鳥に言っていたら絶対に負けてただろう
ちだいがN党を反社カルト呼ばわりした時や、ガンリンが名前を読んではいけないあの人に訴えられた件でも思ったけど、司法は左翼及び左翼が支持する属性に対する判決が、あまりにも偏り過ぎている
いくらN党が終わってる政党だとしても、仮にも一応は政党として活動している連中を、オウムと同じ様な反社会的勢力とか公言するのはどう考えてもアウトだろうし、そんな言論に裁判所がお墨付きを与えるのはヤバ過ぎんだろとか
ガンリンだってあんなもん意見論評だろとか、あちらがやった報復で既に職を失うダメージ負わされてんのにそこは一切加味しない超高額判決は女性割にも程があるだろとか、草津冤罪の新井より悪質だとはとても思えないだとか
一般的感覚と乖離した判決が、左翼関係の人間が関わった裁判だとあまりにも多い印象
◯◯になら何を言っても良い!という遵守精神の無いアホははてなーにはいくらでもいるが、それを裁判所がお墨付きを与え助長する様な行為は、それこそが寧ろ反社会的であるとすら言える
近年、裁判の詳細を当事者が世に出せる様になったから判明しているだけで、過去の判例なんか見てもこれおかしいでしょ…ってのは多かったけど、ここまであからさまに贔屓してるのはさすがに狂ってるとしか思えない
ガンリンの発言なんかぶっちゃけ「将棋盤をひっくり返した様な顔」とか「カブトガニの裏側の様な顔」みたいな発言と比べると全然大した事無い、意見論評の範囲だろってなるけど、将棋盤云々は駄目だったんだから意味分かんないよな
自分だったらウンコ呼ばわりされるよりも、顔をネタに嘲笑された方がよっぽど傷つくけどね
こうなる理由は簡単で、左翼思想が強い司法界隈だと、左翼界隈の考える社会的正義・公平性が、必ずしも世間のそれとイコールでは無いってだけなんだけど
それにしたって法の下の平等を露骨に無視してるのはさすがにどうかと思うわ
反社会的勢力だの、カルトだの、ロクな根拠も無く相手方に対し事実摘示してはいけない危険なレッテルだと思うが、左翼がそれをやるのは良いというのは、余りにも狂っている
(個人的に、言って良いのはガチの反社会的組織やオウム真理教ぐらいだろう。統一教会ですら、現行法のフォーマット内でやっている以上、せいぜい腐れカルト宗教ぐらいで
反社カルトだの反社会的勢力だのと公言したらアウトだと思うし、法的にはアウトにしなければいけない筈、それが法治社会・法の下の平等というものだ)
断言するけど、仮に暇空が羽鳥一派は屑だの反社会的で暴力的とか言ってたら、500億%負けてた
それが逆になると理解に苦しむ理由で棄却されるって言うんだから、今まで左翼はよっぽど「司法」という凄い権力に守られてヨシヨシされてきたんだなって改めて感じる
これが左翼界隈を敵にしてるって事なんだろうな
怖すぎる
本当左翼って、市民社会の敵で反社会的でカルトって感じがするわ
はてなーやブクマカの異常汚言症集団、はてなに移住してきた嫌儲のチンカスみたいな逆張り屑とかが支持してると思うとゾッとしちゃう
・若手医師も使うが、フォーマット的に使ってるだけでみんな変な慣習だと思っている…ものの自分だけあえて使わないほどの抵抗もないとか、なんか職業上の特別な言葉遣いでちょっと気分が乗るとかいうのもあるのだろうけれど、廃れていく気配はあんまりない。 自分はどちらかというと紹介状とか依頼状書くときの宛名書きに使う表現として認識していて、郵便物とか宅配便とかの宛名で使おうと思ったことはない気がする。
・そもそも正しい言葉の使い方として…みたいなのに答えを持って使ってる人もほとんどいないと思う
・医師同士は口頭でも(ごく親しい相手とのカジュアルな雑談でも多くの場合)相手のことをデフォルトで「〇〇先生」と呼ぶので(自分は薬剤師その他ほかの有資格者にも使うが、これは少数派)、「先生」の敬称感が薄れるという側面はあり、宛名に「さん」じゃなくて「様」をつかうのとパラレルに、書面での改まった表現感をプラスする、という機能はあるかもしれないと感じている。
自分は建築の意匠設計に携わっているが、設計担当は自分ひとり。営業6人が持ってくる案件をさばくのに限界を感じ、1年前の春に上司へ人員補充を求めた。
2週間後、上司複数人に呼び出されて告げられたのはこうだった。
「別部署で休職していた社員が復帰する。建築系の資格もあるし、将来的に君の助けになるはずだ。病み上がりで配慮は必要だが、ちょうど人員補充を希望していたことだし、受け入れてほしい」
建築業界外出身の自分にとっては願ってもない話に思え、喜んで引き受けた。
「具体的な配慮とあできること・できないことは本人の意思を尊重し任せればよい」と聞いていたため、彼女に直接確認したところ、「全部できる」と答えた。
頼もしいと思い、すぐに出張同行をお願いした。意匠設計という仕事の特性上、実際の場所を見ることが一番の勉強になるし、実際を見ないとわからないことがほとんどであるため。
ところが1週間後、彼女が通うリワークセンターの先生が会社に来訪し、苦情を伝えられた。
「復帰してすぐなのに出張に行かされて辛い」「打ち合わせに参加させられた。ひどい」など彼女からの苦情があったそうだ。
「〇〇さんは、すごく人に気をつかうタイプなので、できないこともできると言ってしまう。そこはあなたが表情をみて本当に任せてよいか判断してほしい」
「わからないことがあると不安なので、わかるまで丁寧に説明してあげてください」
「出張・残業はダメです。彼女はリハビリ期間なので会社に出社するだけで素晴らしいのです」
「今の仕事は楽しいらしいので、このまま社会復帰できるように支えてあげてください」
と、ひたすら要望を突き付けて「理解とご配慮お願いします」と帰っていった。こちらからも出張は行ってくれないと困るとも要望したが配慮してくださいと一点張りだった。
席に戻ると当の本人は「そういう事ですので…すみませんがよろしくお願いします」と言ってのけた。
正直ここで、聞いていた話とだいぶ違うなと思った。
私は人手が足りないから人員補充を申請したのに、なぜ介護士みたいな役割が増えているんだ?
でも、自分も業界外出身で1年目は周りに多く迷惑をかけた自覚がある。ここで見限れば、1年目の私に無能だと怒鳴り続けた元上司と同じになってしまうと感じ、なんとか環境を整えようと努力した。
デザインの仕事をしているものとして、軽々しくこの言葉を使いたくないが、壊滅的にセンスがなかった。
でも、有名な著作タイトルにもあるように、センスというのは知識と経験から培われるものだと自分のポリシーに従い、自分の感覚でやっていることをなるべく言語・数値化して、なぜ自分はこういう設計にしているのか、彼女に毎回説明した。彼女は現場を見れないからすべて自分の言葉や写真で伝える必要があった。
数値化できることは資料にもしたが、彼女には全然足りなかったらしく「チャートをつくれ」や「フォーマットをつくれ」や「もっと丁寧に説明しろ」と要求は絶えなかった。
さらには業務上気にしなくてもよい、内部の建築構造の細かいところまで彼女は本当に気にした。それがはっきりしないと手を動かすことすらできなかった。仕事の担当領域や段階があるので、現時点で不明な情報があってもとりあえず想定で作るという判断が業務上必要なのだが、彼女に「そこは気にしなくてもよい」と伝えてもいつも釈然としない顔をしていた。自分が彼女よりも10近く年下のせいもあり、言葉に説得力がなかったのかもしれない。挙句には同じ建築業に従事する夫に電話をかけて「夫はこういっているんですけど?」と詰められたりした。
そんなに細かいことが気になるなら自分で現場をみにいった方が、いろいろ勉強になると再三伝えても、それは無理だと一点張り。でも、自分はわからないことがあると不安になるから、わかるように!もっと!丁寧に!説明してほしいと要望は止まらない。しかし、そんな要望真に受けていたら仕事がもっと回らなくなるから、納得していない表情をしていたとしても「じゃ。そういうことで」と話を切り上げて自分の仕事に戻ったりしていた。
さらに「短納期は無理」「前部署関連の仕事は無理」など、業務制約が次々に出てきて合計7項目に及んだ。
だったらと、彼女が納得しながらできるであろう「細かいことが決まっている」仕事だけを頼もうと思い、ちょうどよい業務がないときは勉強期間として、ファイルの整理のお願いをしていたのだが、しばらくすると上司に呼ばれ
「彼女が最近、仕事を任されないと落ち込んでいる。隣で忙しそうにされると何か手伝いたいのに、仕事を任されないのがつらい。私はやる気があるのに…」と相談を受けたとの話だった。
やる気があるなら出張に行けよと思った。
連休の度に「旅行(またはライブ/登山)に行ったんですよ~」みたいな話してくるのも一体どういう神経しているんだろうと驚いたし、それに対して「じゃあ、出張も行けますね!」みたいな返しができず「良かったですね~」と寄り添わなきゃいけないのもかなり苦痛だった。プライベートの旅行と出張じゃ疲弊する場所が違うのはわかるが、人に気を使って疲れる設定はどこに行ったのだろう?
それでも「回復のためには重要なステップ」とされる以上、彼女が気持ちよく働ける業務量になるように、他のチームの人にちょうど良い仕事はないか相談したりした。彼女に仕事を任され場任せるほどこちらの負担が大きくなるので、自分が回るのかも考えながら仕事量を調整した。
でも、やはり資料を修正を依頼するたびに「センスなくてすみません」とまるで謝罪している形を装った不満表明をうけたり、こちらが何か良い案を言うまで、自分の意見は一切言わずに答えを待つ態度だったり、何度仕事をしても減らない質問量に辟易するたびに、精神はすり減っていたようで、だんだんと無意識に彼女との会話を避けるようになった。彼女からは毎日面談の時間が欲しいと言われていたが、業務量的にも精神的にも回らなかったので断った。
段々と限界を感じていたある日、普段は営業担当から仕事が来るが、管理職直々の案件が来た。正直彼女向きではない案件だとは思っていたが、自分が対応する時間がないことや、営業担当が管理職だったこともあり、彼女に直接営業とやり取りをお願いして、案を考えるようにと伝えていたのだが、どうやら営業管理職とのやり取りがうまくいかなかったらしく、ほかの管理職に泣きながら抗議の電話を入れたらしい。
そこでようやく、上層部の人間に、彼女の扱いの難しさを実感してもらえた。
彼女が泣き出したことは当然、職場の事件としていろいろな話合いがされているが、その間その管理職と彼女への不平不満を話せるのがうれしくて仕方がなかった。
一度不満を理解してもらえると、これまで見ないようにしてきた1年間の不満が言語化され噴出し、今はもう彼女のことが生理的に無理になっている。(明日彼女はリモートワークなので)明後日以降はまた顔を合わせなければいけないが、今まで通りに接する自信がない。
きっと明日以降、様々な事情聴取が行われ、きっと自分も「彼女の事情を配慮して、もっと丁寧に指導してあげるべきだった」と注意されるだろうが、自分にはもう、彼女のフォローは無理である。
かつては自分もこんな時があった。まだ仕事が良く分かっていない段階で「無能」と角印を押すのは浅はかだし、元上司と同じところに落ちてしまうのが嫌で、何とか笑顔とやさしさを取り繕いながら、1年間何とかやってきた。
でも、1年目の自分はやったほうが良いと言われたことは何でもやってたし、どこにでも出張に行ったり、扱う製品をずっと触ってどういう構造と特性なのか理解する努力はした。彼女の姿勢とこの仕事はかみ合わないんじゃないかという不満は、心を麻痺させて気づかないようにしていた。
飲み会など(彼女参加)で「仕事の振り分けはどうしてるの?」と聞かれたときは、本当は7つの条件すべて答え、これをクリアしたものです。と答えたかったが「几帳面なので丁寧さが求められる仕事を任せています」と答え、「じゃあ(自分)さんは大雑把な仕事をしているんだ~!」みたいに言われても彼女が自信を持てるように我慢した。
彼女はこの1年で自信をつけてきたみたいだが、自分から見ると全然仕事の役になってくれていない。彼女のためを思って、1段1段細かいステップを用意してきたが、これが後何年続くのかと考えただけで気が遠くなる。
そういう自分の厚意も、彼女にとっては全然足りないらしく、忙しいのはわかるがもっと丁寧にフォローしてほしい。と今回もとてもお怒りなさっているらしい。
明日からの仕事がとても億劫だ。彼女の後始末に追われ明日締め切りのものでまだ手を付けれていない仕事がある。正直、彼女の事件の話をしている時間なんてない。
この際、自分の査定は下がって良いし、もう前の上司と同じだと詰られてもよい。とにかく楽になりたい。彼女がいなくなることで仕事量的にも気持ち的にもとても気が楽だ。