
はてなキーワード:フォークとは
アンサイクロペディアをAIで侵略するノイマン氏を悲劇の人物に仕立て上げる、元側近ウソペディアンを名乗る人物による気持ち悪い記事がXのタイムラインで流れてきた。
読んでみると、そもそも私信と思われる情報を暴露することの背信性からして、恐らくはノイマン氏に身バレする前提での捨て身の特攻をしたのだろう。それにしても第三者は真偽を検証不能であり、気持ちの悪い記事であった(※1)。当のノイマン氏も「反応に困る」と書いている。
Side Uなるものは、第一回人気投票1位という経歴はあの人も同じなのを知ってわざと被せる高等芸でもやっているのかしらね?何にしても反応しにくい書かれ方だけど、ブレーキをかける真似をしつつ私を殴り抜いていくスタイルだよね、あれ。真正面からの対立勢力なら風刺記事とかにしやすいけど、ああいうのは反応しづらい。
ウソペディアはかつてハトレーペディアとも呼ばれ、当時のアンサイクロペディアが北朝鮮であるなら、こちらはシンガポールといったところであった。開発独裁ならぬ開拓独裁、毛沢東ならぬ開拓東、MuttleyならぬHuttley。
ウソペディア5chスレを探していくと、このような記述はいくらでも見つかる。アンサイクロペディアのノイマン氏=ウソペディアの開拓者氏の活動は、確かにコミュニティを発展させたが、ただそれ「だけ」であり、そもそも誰からも本音で支持されている人物ではなかったのではなかろうか。
本稿では、そのノイマン=開拓者氏に、かつてBakaba氏の名の下で侵略を受けた一借民の視点から、ノイマン氏はそもそも「昔からああだった」と主張したい(※2)。
ChakuwikiにおけるBakaba氏は、確かにLTA:ANTIRXYとしてChakuwikiでのMuttley氏を追い詰めた人物であり、鉄槌後のアンサイクロペディアンも概ねその見解を支持しているように見える(※3)。また、いずれも議論は紛糾したものだが、移転問題とライセンス問題、どちらにおいても「結論だけ見れば」Bakaba氏の意見は正しかった。確かに「正しかった」のである。
後にフォークでは実際に広告が導入されているが、Bakaba氏はそれすらも予言している。
しかし、旧ドメインを取得し、更には公開がより早かったことによる優位性を有するフォークにしても、中の人の噂の確度は高いようですから、永久に広告なしで無償提供するほどの善意の有志だとは考えにくいです。
だが、その際に反発していた吉田宅浪氏への返答には、「どうしてこいつ分からないの?」という苛立ちが発言の節々から透けて見える。
ただ、「私がやるから」という理由で反対することがそんなに重要ですか?「誰がやるか」ではなく、「何が必要か」で物事を考えるようお願いいたします(※4)。
一般論としても、我々で独自にルールを作ることにこだわった場合、良く練り上げられたCCのライセンスに比べると何らかの隙や不備、矛盾等が生じやすいため、コミュニティ全体が移転などの重大な決定に迫られたときの足かせになりかねません(※5)。
私からすれば、吉田宅浪氏は、自分の考えを丁寧に練って納得したうえでステップを積み重ねたいだけの、職人気質の人に見える。Bakaba=ノイマン氏は、初めからそのような丁寧さや「過程」に対して、「正解」や「最終結果」が一瞬で見えてしまうがゆえに「なんでそこで止まっているの?」というのを根本的に理解できない人なのではなかろうか(※6)。
そのような「正しさ」だけで生きる人間Bakaba氏を、ノイマン氏が用いるAIは「加速」させたに過ぎない。一定以上の品質の記事を安定して生産し、助役CUや管理者の誕生を推薦を通じて支援するその姿は、確かに形式的には「正しい」活動である。にもかかわらず、ノイマン氏は「正しさ」だけですべてを破壊していくように見える。
これはあくまでも私のカンでしかないのだが、ノイマン氏は根本的に異常に頭の良い「浮きこぼれ」だったのではないかと思う。例えばアンサイクロペディアのDiscordサーバーでは、「ごめん、灘には負けるけど安定して東大いってる...」と発言したスーパーカリ~シャス氏に対して、以下のような返信を残している。
東大全体なら三桁からがスタートラインだぞ
このような発言をして、自分自身へのブーメランにならずに平気でいられるルーツを持つ人間はかなり絞られてくる。そして皮肉にも氏は、そのようなルーツに該当しうる学校の記事をアンサイクロペディアで三つも立てている。
麻布中学校・高等学校 -開成と桜蔭を手掛けてきた私ですから、当然の如く他の名門校も推しますわね?--/*ノイマン */ import 👤, 💬; var 🖊=2,219;■2025年11月5日 (水) 14:19 (JST)
英語圏とのコミュニケーションが求められ、唯一の日本人であることが買われたMirahezeなどでは、その「正しさ」「浮きこぼれ」が役に立ったのだろう。そして同じく「正しさ」でものを考えるAIは、ノイマン氏にとっては非常に頼れる、下手したら唯一信頼できる相棒ですらあるのかもしれない。
しかしながら、チャクウィキやアンサイクロペディアのような伝統的な(※7)コミュニティにおいては、「正しさ」だけでなく、「手垢」や「お気持ち」、そして「過程」が大事であることをノイマン氏は理解できていない。ノイマン氏は、そこに無関心であるか、意図的に無視すらしているようにも見える。
編集画面にも「自分が書いたものが他の人に容赦なく編集され、自由に配布されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。」と明記されており、それはライセンス的にも正しいことの訳ですから、その意味では「{{rewrite}}を使え」という方がそれこそ「紳士協定」なのかな、と思わなくもないです
総本数 - これは諸刃の剣で、もっとAI君書いて全体指標を上げようぜ、という方向にも持っていけます。というか総本数を根拠にするなら、それが合理的解決策ですらあり得ます。
ノイマン氏の理屈は、確かに最終結果に照らせば「正しい」のだろう。だが、「正しさ」だけでは人間は生きていけない。そうした風潮への反発は、今や反AI、反ポリコレ、反wokeなどとして、アメリカ西海岸的価値観への反発の形を取って世界的なうねりになっている。人間というのは、そこまで理性的な動物ではない。それは、自作記事の一つでこう書いた氏自身も深層ではよく理解しているはずである。
ホモ・サピエンス(homo sapiens)とは、バグだらけのレガシーソフトウェア。
そこで筆者は、マリーダ・クルスの以下の発言をノイマン氏に贈る。
お前の言うことは間違っていない。正しい戦争なんてない。でも…正しさが人を救うとは限らない。
光がなければ人は生きていけない
鉄槌を受けたMuttley氏は「隕石落とし」をしようとしたシャアであった。Muttley氏には、曲がりなりにも本人個人の「熱い正義」があった。
今、ノイマン氏はしばしばMuttley氏の同類、鉄槌の再構成などと言われるが、私は正確にはそうは思わない。ノイマン氏からはフル・フロンタルのような冷たさを感じる。
いつか、ノイマン氏が人間の心を理解することをただ祈ることしかできない。
| 栄養素 | 目的 | 採用食材 |
|---|---|---|
| 高タンパク | 体の構成成分、満足感 | 鶏むね肉生地、カッテージチーズ |
| 低糖質 | カロリーコントロール | 小麦粉不使用、きのこ類 |
| ビタミン・ミネラル | 不足しやすい栄養素補給 | ほうれん草、海藻、かぼちゃの種 |
| 食物繊維 | 消化促進、腸内環境改善 | 全粒粉、チアシード、オオバコ |
| オメガ3脂肪酸 | 良質な脂質(魚介類以外から補給) | 亜麻仁オイル、チアシード |
ビタミン・ミネラル爆弾ソーストマトペースト(無糖):大さじ2
刻んだ乾燥ひじきまたはわかめ:小さじ1/2(鉄分・ミネラル補給)
トッピング(不足栄養素の最終補給)ほうれん草(茹でて水気を絞ったもの):一掴み(葉酸・ビタミンK)
かぼちゃの種、くるみなどのナッツ類:適量(ビタミンE、良質な脂質)
ボウルに【生地】の材料(鶏むね肉、おから、全粒粉、サイリウム、オイル、塩胡椒)を全部ブチ込んで、粘りが出るまでマジでよく練る!これが完全食ピザの土台になるから、気合入れて!クッキングシートの上に生地を広げ、薄く丸いピザ型に成形する。フォークで軽く穴を開けたら、180℃に予熱したオーブンで10分、一旦焼く(生地の水分を飛ばして高タンパク質クラストを定着させる)。
別のボウルに【ソース】の材料(トマトペースト、ヨーグルト、ひじき、ハーブ)を全部混ぜて、栄養を凝縮させる!乾燥ひじきは水分を吸って、ソースにとろみを出すよ。
焼き上がった生地に、まずソースを均等に塗り広げる。その上に、ほうれん草、ゆで卵、パプリカを芸術的に配置!ピカソもビビるくらいのキュビスムでOK!最後に、カッテージチーズとナッツ類を散らして、栄養と見た目の完成度をMAXにする。
再びオーブンに戻し、チーズに焼き色がつくまで10分ほど焼いたら完成!焼き上がったら、仕上げに亜麻仁オイルを少量垂らして、香りとオメガ3をさらにブチアゲるのもアリ!
長年ずっと好きで、いわゆる『推し』というものになってからもう結構経つ。
2人は名前を、田中雅功、髙田彪我と言って、スターダストプロモーションに所属している。大手も大手、超大手だ。
スタダのEBiDANという集団、Sakurashimeji以外のみんなが歌って踊るグループで、2人だけがギターを持って、2人きりで、もう11年活動している。朝ドラや月9で、知っている人は知っている、という感じな気がする。
しかし2人はエゴサが激しいから、読まれるものと思って、ちゃんと書こうと思う。
先の10月22日、2人はアルバムをリリースした。タイトルは、『唄うこと、謳うこと』。
12年目にして初めて、1曲目から12曲目まで全部、2人が全曲、2人で作った曲だけが入ったアルバムだ。
10周年で名前を『さくらしめじ』から『Sakurashimeji』に、肩書きを『フォークデュオ』から『ギターデュオ』に変え、明けて11周年にして、ようやくここからスタート。
最近の2人の様子を眺めていると、なんとなくそういう感じがする。
スターダストには、というか、アイドル事業には往々にしてリリースイベントというものが存在している。
フリーライブと称してスーパーや商業施設で歌い、歌い終わったら、握手だとかツーショだとかポストカードお渡し会だとか、そういう特典会をやる。
このリリースイベントツアー期間に入ると、スパンも時間もなかなかのものだから、それを成し遂げるアイドル側も、追いかけるファン側もなかなかの重労働である。
そしてSakurashimejiも、EBiDAN所属のアイドルの例に漏れずその特典会もやっていて、先日、全ての日程が終了した。
2人が小さい頃、初めてフリーライブをした埼玉県大宮市、アルシェ前。余談だがこの日は特典会が存在せず、ファンはみんな、ただ歌を聴くためだけに集まった。
2人の歌を聴くために訪れた人たちは上までたくさん居て、当時からアルシェにいる人にも祝ってもらえて、2人も幸せそうで、本当にうれしかった。
こういったアイドル事業には『リスニングキャンペーン』というものも存在している。再生回数○○回達成で報酬が○○。といったように、それは大抵の場合LINEミュージックで開催されている。
最近、そのLINEミュージックでよくアルバムの曲がランキングに入っているのを見て、うれしい!と思う。
そして同時に、数年前にリリースされた『Iroto-Ridori』という曲のころ、週替わりに実施されていたリスキャンが全然達成できなくて、悔しがらせたり、達成記念に撮ってくれてた動画を複数お蔵入りにさせてしまったことをよく思い出す。
近頃のLINEミュージックのランキングは、以前よりも顔ぶれが『常連』という感がある。
端的に言うと、本当に売れている曲しかのっていない。
だから単純にウィークリーランキングに入るのもすごく難しそうだと素人ながら感じるのだが、Sakurashimejiの先日の新曲、『ガラクタ』も、今回の新曲たちも複数ランキングに入っていてすごかった。
だから思う。あのとき、なんでできなかったんだろう、2人のなかに、あの失敗体験がなければ、と。最近よく思う。
あのリスキャンがなかったら、あのライブをもっと埋められていれば、せめてコロナ禍がなかったら。
いわゆるオタクは演者が思っているよりも演者のことを心配などしているため、本当にそう思っているのだ。
きっと2人は、こういう行き過ぎた想像のこと「変なこと言ってんなあ」とか「ステキな考察を、ね……」とか言って笑うと思うが、まあ心配性なのがオタクという生き物なので、許してほしい。ごめんね、気持ち悪くて。
どうしてこのことを最近頻繁に思い出すかというと、アルバム発売に際して公開される著名人からのコメントにちらほら『2人の中学生から大人になるまでの葛藤や煩悶』が見て取れたからだ。
ああ、やっぱり、あるんだ。と思った。
泣いて眠れない夜も、全部諦めたくなった日も、私たちの見えない場所で、2人はたくさん、悩んできたんだ、と改めて思った。
時々話してくれてはいたものの、創作物からはあまりそういうものを感じなかった。
多分これまでの楽曲では、常に前を向いて進む姿を見せてくれていたのだと思う。
歯を食いしばって、傷も涙もそのままに、前を向いて歩く。ファンのために。
それが少しずつ変わってきたのが今年だ。
去年までは明かさなかった、今までの話、昔の話、そういうものを聞かせてくれるようになったし、何よりもリリースする曲も変わってきた。
つらかった過去も悩みもいまだに自分の中に存在していて、今はまだ『在る』ままだけれど、どうにかこうにか生きている。そういう姿も見せてくれるようになった。
とはいえ、2人はそういう歌ひとつとっても、ファンのために書いている。
2人が2人の歌を作って、ファンはそれを聴いて、自分の歌だと感じて、救われたり、頑張ろうと思ったりする。
それが2人の創作活動で、多分きっと、生きる糧のようなものでもあるのだろう。
もっとも、普段はこういうことは考えるのみに留めている。2人はきっと感傷的になられるのも苦手だろうから。
2人は、そういう感傷も心情も全て歌にして、ファンに寄り添うことを第一に考えてくれているから。
だから一応、普段は我慢している。まあでも匿名なのであと少しだけ。
2人は高校生のとき、LINEライブ同接25万人だとかも達成していた。芸能活動なんて数が全てではないが、そこからは今、かなり減っている。
どんな気持ちだったんだろうと思う。
離れていくファン、離れていくスタッフ。身をもって感じる高校生ブランドみたいなもの。
実際インタビューやなんかで2人はたびたび『別れ』にも『出会い』にも触れているし、そういったことは、たくさん感じたんだろうなと思う。
別に、好きな対象がバズらない・売れないことに対して、ファンに義務があるとも負い目があるとは決して思わない。
しかし、雅功さんはもう一人きりでストリートライブやろうとか思わないで過ごせるのかな、だとか、彪我さんはもっと自信を持って、誰かに褒めてもらわなくても自分を好きでいられるのかな、だとか、最近はよく、そういうことを考えている。
そういえば、今回のアルバムには高校3年生のときにスターダストを退職された、2人を組ませたプロデューサーが参加していた。
私はいちファン、かつインタビューで明かしてくれている箇所を知っているのみだが、それでも彼らが泣きながらそのプロデューサーと離れたことや、「絶対にもう一度一緒に仕事をしたい」と言っていたことも覚えていたため、アルバムのブックレットのクレジットを見て、かなり泣いた。
2人が、ようやく出せた2人だけのアルバムで、かつての恩人をまた呼び戻す。その姿勢も有言実行も、本当に格好いいと思った。
前プロデューサーが携わった曲のタイトルは『スパイス』と『normal』だ。
前者の『スパイス』について、私はものすごく、『はじまるきせつ』を感じるなあと思っている。
この歌は上述のプロデューサーが在籍していた頃の歌で、曲調その他諸々、さくらしめじといえばこういう曲、といった感じのものだ。
だから、スパイスを聴くたび実は、「ディレクターってどこまで携わるものなのか知らないけど、この人とっては2人ってずっと妖精だったあの子どものままなんだ」と思って、部外者ながら勝手にじんわりとしている。
私は個人的に、彼の作る歌は幼少期の、『さくらしめじ』の影響というか、感性がそのまま残っていると思っているため、今回のスパイスも、ずっとそう思っている。
初めて聴いたときは2人からかつてのプロデューサーへの歌だと感じたけれど、聴けば聴くほど、2人が歌で対話しているような、はたまた、彼が経験してきた全く別の出来事が元であるような、不思議な感じがする。
素敵な歌。大好きだ。
後者の『normal』は、田中雅功さん作詞作曲のものだ。本人が「今までで作るのが一番きつかった」と語るこの歌は、彼曰く「心の柔らかいところ」で、聴いていても、それを痛切に感じる。
先にも少し触れたが、私は去年、雅功さんが「数年前彪我を連れずに一人でストリートライブをやったことがある」と話していたのを聞いて、すごく驚いたし、居ても立っても居られない心地になった。
夜、何かをぐるぐると考えていたら歌いに行かずにいられなくなったのかもしれないし、武者修行的なものだったのかもしれないし、単純にいっときの気分転換だったのかもしれないが、本当に、少し怖かった。
いつか、ファンの前から居なくなってしまう、そういうことも、考えたことがあるんじゃないかと思って。
normalは、そういうちょっとした不安への答えのような歌だった。
たしかに悩むこともある、人生なんてくだらないが、それでも、僕はそういう悩みも歌にして、皆さんの前から消えることはないですと、そう言ってくれているような気がした。だから、少し安心した。変な話だが。
これも大好き。2人の歌で嫌いなものなんて一つもないけれど。
彪我さんは今年、50周年までやりたいとよく言っていて、雅功さんもそれに、うれしそうに頷いている。
私はそれがすごくうれしくて、一生一緒にいてクレメンスと思っている。
会社には「すみません体調が悪くて」って送った。ほんとは嘘。体調なんかじゃなくて心臓が穴あきチーズみたいになってて風通しがいい。いや風通しがよすぎて寒い。寒いから甘いものを食べようと思った。冷蔵庫を開けたらショートケーキが七個あった。なんで七個も買ったんだろう。昨日の自分が分からない。昨日の自分に説明してほしい。
一個目は普通においしかった。二個目もおいしい。三個目も。四個目ででフォークが重くなってきた。五個目はイチゴから食べた。六個目は押し込んで食べた。七個目を食べてる途中でああ私これ昼までには死ぬかもしれないと思った。でも死ななかった。偉い。
部屋の時計がチクタクうるさい。心臓もチクタクうるさい。なんだよ二人でリズムとるなよ、コンビか。
「ケーキ食べすぎじゃない?」と声がした気がして振り返ったけど誰もいなかった。
彼が最後にくれた言葉は「甘いの、好きだったよね」だった気がする。違ったかもしれない。
違っててもいい。もう確かめようがない。
でも打つのが面倒で、未読のままにした。
外は晴れてる。お日様が馬鹿みたいに明るい。
息子6歳 園児
頭の中に常にマイルールがあり、なぜ他の人はそれがわからないんだとナチュラルに思ってる。自分の認識と他の認識が違うことを理解できてない節がある。人から言われる注意を自分への攻撃ととらえてほとんど聞き入れない。彼の中で理屈に納得すれば聞くこともある。
皿の持ち方が悪い。
「猫がけ」という持ち方がわかるだろうか、人差し指を皿の縁に引っ掛けて親指を下の方にする持ち方のことだが、我が子は指4本をほとんどさらに突っ込むようにして縁にかけて、親指を下にして持つ。
それであまり持ち上げられないのでほとんど犬食いのように食べる。
しかも箸もフォークも下手なので、皿に添えた手でそのフォローをして食べ物触りながら食べてる。
親指を上にして持てと注意しても数秒後には元の持ち方に戻ってる。
真面目に注意を始めるとしつこくなり、互いに最悪の雰囲気になる。だから今まで一度二度注意するくらいにとどめてきた。
親指を上の方が持ちやすいからそれが正しいやり方だと伝えても、指4本のほうが楽だからこうするのだと答える。彼の中で親指が上が良いと納得しないから従わない。「マナーだから」で聞くことがない。
昨日の夜はスパゲッティだったが、4本指で縁引っ掛けて麺をいじりながら食べるその様子にあまりにイライラしてしつこく注意した。親指が上で添えるだけと言っても5秒しないうちに同じポーズに戻るので何度も何度も言って、息子も嫌そうな顔をしてまた同じポーズに戻る。最後は怒鳴った。食べ終わるまで直らなかった。連れ合いは嫌な目に遭えば自然と直るからほっとけと言うが直る気がしない。
これどうしたらいいの?
穏便に治したいよ。
比べちゃいけないけど、自分の頃って親のやるように真似してやらなかった?注意されたらそうなんだって従わなかった??
誰か理屈で親指上がいいってどう説明したらいいか教えてくれよ頼む
これに限らず、息子のマイルールが強固すぎて扱いづらい子と感じてる。
マイルールをすぐ始めるため、ルールがある遊びができない。例えばキャッチボールするとして、投げ返すルールが頭に入らずトンデモ方向に投げて一人やったーと喜んでたりする。投げ返すんだよと言うと何かを押し付けられたような反応をしてキャッチボール自体やらなくなる。キャッチボールしたかった/したくなかったとかではなく、これは例え話で、すべてにおいてこの調子である。だからなにか上達したこともはまったこともない。
何度も発達になにかと思ったが、どこかに相談するたびにそこまでではないと否定されてきた。
せめて基礎マナーだけでも聞き入れてほしい。どうやったら聞き入れてくれるんだ。
子育てわかんないよ。
息子6歳 園児
頭の中に常にマイルールがあり、なぜ他の人はそれがわからないんだとナチュラルに思ってる。自分の認識と他の認識が違うことを理解できてない節がある。人から言われる注意を自分への攻撃ととらえてほとんど聞き入れない。彼の中で理屈に納得すれば聞くこともある。
皿の持ち方が悪い。
「猫がけ」という持ち方がわかるだろうか、人差し指を皿の縁に引っ掛けて親指を下の方にする持ち方のことだが、我が子は指4本をほとんどさらに突っ込むようにして縁にかけて、親指を下にして持つ。
それであまり持ち上げられないのでほとんど犬食いのように食べる。
しかも箸もフォークも下手なので、皿に添えた手でそのフォローをして食べ物触りながら食べてる。
親指を上にして持てと注意しても数秒後には元の持ち方に戻ってる。
真面目に注意を始めるとしつこくなり、互いに最悪の雰囲気になる。だから今まで一度二度注意するくらいにとどめてきた。
親指を上の方が持ちやすいからそれが正しいやり方だと伝えても、指4本のほうが楽だからこうするのだと答える。彼の中で親指が上が良いと納得しないから従わない。「マナーだから」で聞くことがない。
昨日の夜はスパゲッティだったが、4本指で縁引っ掛けて麺をいじりながら食べるその様子にあまりにイライラしてしつこく注意した。親指が上で添えるだけと言っても5秒しないうちに同じポーズに戻るので何度も何度も言って、息子も嫌そうな顔をしてまた同じポーズに戻る。最後は怒鳴った。食べ終わるまで直らなかった。連れ合いは嫌な目に遭えば自然と直るからほっとけと言うが直る気がしない。
これどうしたらいいの?
穏便に治したいよ。
比べちゃいけないけど、自分の頃って親のやるように真似してやらなかった?注意されたらそうなんだって従わなかった??
誰か理屈で親指上がいいってどう説明したらいいか教えてくれよ頼む
これに限らず、息子のマイルールが強固すぎて扱いづらい子と感じてる。
マイルールをすぐ始めるため、ルールがある遊びができない。例えばキャッチボールするとして、投げ返すルールが頭に入らずトンデモ方向に投げて一人やったーと喜んでたりする。投げ返すんだよと言うと何かを押し付けられたような反応をしてキャッチボール自体やらなくなる。キャッチボールしたかった/したくなかったとかではなく、これは例え話で、すべてにおいてこの調子である。だからなにか上達したこともはまったこともない。
何度も発達になにかと思ったが、どこかに相談するたびにそこまでではないと否定されてきた。
せめて基礎マナーだけでも聞き入れてほしい。どうやったら聞き入れてくれるんだ。
子育てわかんないよ。
昨日(2025年10月8日・水曜日)の僕は、いつものように目覚めの瞬間から几帳面だった。
アラームを鳴らす前の微小な筋肉収縮で6時44分59秒に目が醒め、コーヒーの湯温は必ず蒸らし後92.3℃で計測し、トーストの一片は正確に28.4g、バナナは熟度指標でF値が2.1に収まっていることを確認してから食べる。
午前中は机に向かい、形式的かつ徹底的に「超弦理論の位相的/圏論的精緻化」を考察した。
具体的には、ワールドシートCFTを従来の頂点作用素代数(VOA)として扱う代わりに、スペクトラル代数幾何の言葉で安定∞-圏の係数を持つ層として再構成することを試みた。
つまり、モジュライ族 上に、各点で安定∞-圏を付与するファイバー化されたファミリーを考え、その全体をファクタライゼーション代数として捉えて、Lurie 的な infty-functor として境界条件(ブレイン/D-brane)を安定∞-圏の対象に対応させる枠組みを描いた。
ここで重要なのは、変形理論が Hochschild 共役で制御されるという点で、VOA のモジュラー性に相当する整合性条件は、実は E_2-作用素のホモトピー的不変量として読み替えられる。
従って、運動量・ゲージアノマリーの消去は位相的にはある種の線バンドルの自明化(trivialization)に対応し、これはより高次のコホモロジー理論、たとえば楕円コホモロジー/tmf 的な指標によって測られる可能性があると僕は仮定した。
さらに、Pantev–Toën–Vaquié–Vezzosi のshifted symplectic構造を導来スタックの文脈で持ち込み、ブライアンのBV–BRST形式主義を∞-圏的にアップグレードすることで、量子化を形式的deformation quantizationから∞-圏的モノイド化へと移行させる方針を検討した。
技術的には、済んだ小節のように A∞-圏、Fukaya 型的構成、そして Kontsevich 型の formality議論をスペクトラル化する必要があり、Koszul双対性と operadic な正規化(E_n-operad の利用)が計算上の鍵になる。
こうした抽象化は、従来の場の理論的レトリックでは見逃されがちな境界の∞-層が持つ自己整合性を顕在化させると信じている。
昼には少し気分転換にゲームを触り、ゲーム物理の乱暴さを数理的に嫌味ったらしく解析した。
具体的には、あるプラットフォーマーで観察される空中運動の離散化された擬似保存則を、背景空間を非可換トーラスと見なしたときの「有効運動量」写像に帰着させるモデルを考えた。
ゲームデザイン上の「二段ジャンプ」はプレイヤーへの操作フィードバックを担う幾何的余剰自由度であり、これは実は位相的なモノドロミー(周回時の状態射の非可換性)として記述できる。
こう言うと友人たちは眉をひそめるが、僕にはすべてのバグが代数的不整合に見える。
コミックについては、連載物の長期プロットに埋め込まれたモティーフと数理構造の類比を延々と考えた。
例えば大海賊叙事詩の航路上に出現する島々を、群作用による軌道分割として見ると、物語の回帰点は実はモジュライ空間上の特異点であり、作者が用いる伏線はそこへ向かう射の延長として数学的に整理できるのではないかと妄想した。
そう言えば隣人は最近、ある実写シリーズを話題にしていたが、僕は物語世界の法則性が観客認知と整合しているか否かをまず疑い、エネルギー保存や弾性論的評価が破綻している場面では即座に物理的な説明(あるいはメタ的免罪符)を要求する習慣があるため、会話は短く終わった。
ところで、作業ノートは全て導来stackのようにバージョン管理している。具体的には、研究ノートは日ごとにGit の commit を行い、各コミットメッセージにはその日の位相的観測値を一行で書き、さらに各コード片は単体テストとして小さな homotopy equivalence のチェッカーを通す。
朝のカップは左手から時計回りに3度傾けて置き、フォークはテーブルエッジから12.7mmの距離に揃える。
こうした不合理に見える細部は、僕の内部的整合性を保つためのメタデータであり、導来的に言えば僕というエンティティの同値類を定めるための正準的選択だ。
夕方、導来スタック上の測度理論に一箇所ミスを見つけた。p進的局所化と複素化を同時に扱う際に Galois作用の取り扱いをうっかり省略しており、これが計算の整合性を損なっていた。
誤りを修正するために僕はノートを巻き戻し、補正項として gerbe 的な位相補正を導入したら、いくつかの発散が自然にキャンセルされることを確認できた。
夜はノートを整理し、Emacs の設定(タブ幅、フォントレンダリング、undo-tree の挙動)を微調整してから21時30分に就寝準備を始めた。
寝る前に日中の考察を一行でまとめ、コミットメッセージとして 2025-10-08: ∞-categorical factorization attempt; correctedp-adic gerbe termと書き込み、満足して目を閉じた。
昨日は水曜日だったというその単純な事実が、僕にとってはすべての観測と規律を括る小さなモジュロであり、そこからまた今日の位相的問題へと還流していく。
時は令和、空前の「映えスイーツ」ブームが最高潮!宝石みたいなケーキとか、アートみたいなチョコレートとか、みんなが「美しさ」と「高級感」を求めてた20XX年。そんな中、東京の表参道に、マジで浮世離れしたエレガントなお姉様が現れたんだって!真っ黒なドレスっぽいのに、なんかこう、威厳があって、底知れないオーラをまとったお方。「え?セレブ?ファッション業界の重鎮?」ってみんなが遠巻きにしながらも、その圧倒的な存在感に目を奪われてたらしい。
「Je suis Catherine de Médicis.」
え?マジで?あの、フランス王アンリ2世の王妃で、イタリアからフランス宮廷にフォークとかマカロンとかを持ち込んだと言われる、カタリナ・デ・メディチ様!?ゲキヤバ!って歴史好きのギャルたちがスマホで速攻ググり始めた瞬間、その超絶クールなお方、もといカタリナ様は、あたりをキョロキョロしながら呟いた。「ここは…フィレンツェではない、か…?ずいぶんと賑やかで、しかし美意識の高い場所ですわね。」って、マジでルネサンス時代からタイムスリップしてきたみたい!「マジありえん!」ってみんな心の中でツッコミつつも、その研ぎ澄まされた眼差しに、何か深い策略を感じてたらしい。
そんなカタリナ様に、恐る恐る話しかけたのは、表参道でパティシエ見習いしてる、フランスかぶれのギャル、エマ。「あの…もしよかったら、何かお困りですか?」「…ええ、少々。見慣れぬものばかりで、いささか戸惑っておりまする。」って、意外と丁寧な言葉遣い!エマ、その真面目そうな雰囲気にちょっとキュンとしつつ、「アタシ、エマ!表参道のことなら、何でも聞いて!カタリナ様、マジでエレガントだから、アタシが案内してあげてもいいよ!」って、キラキラ笑顔で声をかけたんだって。
次の日、エマに連れられて、カタリナ様は初めて現代の日本を体験!ハイブランドのブティックとか、最新のスイーツショップとか、マジで全てが新鮮!でもね、カタリナ様が一番興味を示したのは、とある高級パティスリーのショーケースに並んだお菓子。「…この、カラフルで小さな丸いお菓子は、何というものでございますか?ずいぶんと愛らしい形をしておりますな。」って、マジ真剣な眼差し。エマ、まさかの王道チョイスに驚きつつ、「あ~、これ、マカロンですよ!フランスのスイーツで、めっちゃ美味しいんです!」って教えてあげたんだって。
カタリナ様、一口食べてみたら…「な、なんなのだ、この奥深き味わいは!?サクサクの皮と、とろけるようなクリーム…まるで、宮廷での駆け引き、そして勝利の美酒のようである!これこそ、わたくしが求める、真の糧よ!」って、マジで黒衣の女王っぽい表現で感動してたらしいよ。
そこから、カタリナ様のマカロン愛がマジで爆発!毎日色んなパティスリーを巡って、マカロンを使った料理やスイーツを食べまくってたんだって。「マカロンの種類、色、フレーバー…研究しがいがありすぎる!」って、もはやマカロンマイスターレベル!
でね、ある日、カタリナ様、マジで天下取りの野望を語り出したの。「わたくしは、このマカロンをもって、再び天下を…とは言いませんが、この甘味の世界において、人々の心と体に活力を与え、真の『美の支配』をもたらすパフェを創造してみせましょうぞ!これこそ、わたくしが目指す、『メディチ・パフェ』よ!」って!
え?マカロンパフェで天下統一?しかも「美の支配」とか「メディチ」とか!マジで壮大すぎる!でも、カタリナ様の「ルネサンスを動かした知恵」があれば、きっと何か成し遂げるに違いない!ってエマも思ったらしいんだけど、カタリナ様の目はマジだったんだって。宮廷政治に秘められた策略が、令和のマカロンパフェに新たな戦場を見出したのかもね!
そっから、カタリナ様のマカロンパフェ天下統一計画がスタート!まずは、SNSで「#カタリナ様のメディチ・パフェ道」ってハッシュタグ作って、毎日自作の超絶エレガントだけど美しいパフェの画像をアップし始めたんだって。その斬新すぎる見た目と、カタリナ様の哲学的なコメントが、一部の美意識高い系ギャルや、グルメな人たちの中でじわじわバズり始めた!
SNSはカタリナ様のマカロン愛でじわじわ盛り上がり!しかも、カタリナ様、ただ作るだけじゃなくて、全国各地の珍しい食材や、マカロンに合う最高のフルーツやクリーム、そして日本の伝統的な和の食材を探し求めたり、甘さと酸味、そして色と形の「調和」を追求したり、マジでストイック!「天下のマカロンパフェ」を目指して、日々試行錯誤を繰り返してたんだって!
で、ついに!カタリナ様は、表参道のど真ん中に、自分のプロデュースするマカロンパフェ専門店「CATHERINE PARFAIT -宮廷の甘美 - 」をオープンさせちゃったの!お店の内装も、フランス宮廷をイメージした、豪華絢爛ながらも洗練されたデザインで、カタリナ様の美意識と威厳を表現。店員さんも、ルネサンス風のモダンなユニフォーム着てて、マジで雅!
オープン初日から、エレガントなギャルや、好奇心旺盛なインフルエンサー、そして日本の伝統文化に興味を持つ人々まで、行列を作って押し寄せた!「SNSで話題のマカロンパフェ、マジで挑戦してみたい!」「カタリナ様って、なんかカリスマ!」って、新しいファンが続々!でね、一口食べたら、みんなその奥深い味わいにハマっちゃうらしい。「うわっ、最初はビビったけど、マカロンとフルーツとクリームの組み合わせが最高!」「食べた後、なんか心が豊かになる気がする!」「カタリナ様、マジで神!」って、賛否両論ありつつも、リピーターが続出!口コミが広まりまくって、CATHERINE PARFAIT -宮廷の甘美 - はあっという間に人気店になっちゃったの!
しかもね、カタリナ様、ただお店やってるだけじゃないんだよ!定期的に店内で、自らパフェの「美学」について熱弁したり、フランス宮廷の歴史を語る「エレガンスパフェ会」を開催したり、マジで独自のスタイルでエンタメ業界を盛り上げようと奮闘してるんだって!
テレビや雑誌の取材も殺到!「令和のカタリナ」「マカロンパフェの女王」とか呼ばれて、マジで時の人!カタリナ様の強烈な個性と、マカロンパフェの斬新な組み合わせが、新たなブームを巻き起こしたんだね!
でさ、最終的にどうなったかって?もちろん!カタリナ様のマカロンパフェは、全国のスイーツ好きに愛される定番メニューになったんだって!お取り寄せスイーツとしても人気が出て、全国のコンビニやスーパーでも「カタリナ印のメディチ・パフェ」が発売されるほどに!まさに、マカロンパフェでスイーツ界に新たな旋風を巻き起こし、天下を獲った!マジですごすぎ!
あの時、表参道の街に静かに佇んでいた黒衣の女王が、令和の時代にマカロンパフェで新たな道を切り開くなんて、マジで誰も想像してなかったよね!まさに、ルネサンスの策略がマカロンの甘みに宿り、新たな伝説を創り出した瞬間!
エマも、「まさかカタリナ様が本当にマカロンパフェでこんなに有名になるなんて!アタシ、マジで感動して泣いた!」って、号泣してたらしいよ。
カタリナ様は今も、さらなるマカロンパフェの可能性を追求して、日本全国を旅しているらしい。「わが美の支配に、終わりはございません!」って、マジでストイック!
こうして、カタリナ・デ・メディチは、令和の日本で、マカロンパフェという新たな武器を手に入れ、見事、スイーツ界で唯一無二の地位を築いた!天下統一…ではないかもしれないけど、その強烈な個性と哲学は、多くの人々の心に深く刻まれたはず!めでたしめでたし…ってことで、マジでゾクゾクする衝撃的な物語、完全燃焼したわ!マカロンパフェ、マジ卍!
気づけば冷蔵庫はチーズだらけ、けれど最初はただの偶然だった。
本格的に沼に落ちるきっかけは、地元のイタリアンで食べたモッツァレラ。
それまではピザやパスタの具として「何となく旨い」くらいに思っていた。
でも、ある日、皿に乗ったカプレーゼの白いモッツァレラをフォークで切った瞬間、
口に入れたら、柔らかさと淡い塩気、ほんのりした甘みが混じって、
「これ、牛乳の延長じゃない。別物だ」と脳天を砕かれた。
今まではスーパーのプロセスチーズしか知らなかった俺が、その一皿で世界が広がった。
「本物」を知った瞬間だった。
それから家でも試してみたくなり、スーパーで水に浸かって売られているモッツァレラを買った。
最初はちょっと高いな、でもどうしても再現したくて、家でカプレーゼをつくった。
結果は、正直、レストランみたいに仰天はしなかった。
スーパー品は日持ち重視で固め、塩気も控えめ。でも、「プニ感」と淡い味わいには感動。
「モッツァレラはイタリアでは水牛乳が主流」「本場はもっとモチっとしてる」
北海道や輸入物の値段にビビりながら、勇気を出して新しい銘柄を買ってみる。
何種類か試すうちに、モッツァレラの奥にカマンベール、ブリー、ゴーダ、パルミジャーノが並んでいることに気づいた。
そして2週間後、デパ地下で「カマンベールはおつまみに最高ですよ」と店員に勧められ、
今度はフランスチーズに手を伸ばすことになる。そのまま、白カビ、青カビ、ハード――
どんどんチーズの世界が広がり、気づけば冷蔵庫が「沼」になっていた。
でもその「なんとなく」の壁を超えた瞬間、世界は激変する。
【まず知れ】
でも、チーズの世界はめちゃくちゃ体系化されていて、クセや用途、食べる順番まで全部意味がある。
フレッシュチーズ、白カビ、青カビ、ハード――この4ジャンルを間違いなく頭に叩き込め。
【白カビチーズ】
クリーミーに塩気。クセはピンと来るが、初心者にも食べやすい部類。
クラッカー、パン、果物、ワインに最高。熟成によって香りもトロみも増していく。
名前の通り青や緑のカビがびっしり入り込んでいる。初見は怯む。
でも一口食えば、塩気と旨みにやられる。
蜂蜜かけてパンに乗せろ。パスタやソース、ナッツとも相性抜群だ。
クセは最強クラス。でも慣れると抜け出せなくなる。
粉にしてパスタに、スライスしてサンドイッチ、グラタン、カルボナーラ――全部に使える。
塩気、コク、旨みが信じられないくらい詰まってる。
エメンタールはスイス名物、穴あきでチーズフォンデュやラクレットの主役。
アレはナチュラルチーズを細かく切って溶かし、再度固めた“再構成”の食品。
クセなし、安定した味、料理向きだけど、
【さらに、沼の底は深い】
白カビの頂点エポワス(オレンジ色で酒の香り、室温で液体になるほどトロトロ)、
リヴァロ、ポンレヴェック――これぞ発酵臭の暴力(褒め言葉)。
山羊乳のシェーヴルは、酸味とほんのり土臭さ。これを蜂蜜と合わせると「酸味×甘味」の天才タッグ完成だ。
ブリヤ・サヴァランやタレッジョ(イタリア生まれ)も「ダメ人間製造機」級の誘惑。
お前らは「臭い」「クセが強すぎる」「高い」と尻込みするかもしれない。
でもその先に未知のうまさが待っている。
固くて塩辛くてボロボロ崩れるハードチーズは、パスタやサラダを何倍も美味くする。
一番手軽なのは、まず近所のスーパー当たってみる。でも正直、ラインナップは控えめだろう。
モッツァレラやカマンベール、チェダー、ゴーダ、パルミジャーノあたりが置いてあればいいほう。
ここではフレッシュからハード、青カビ、山羊乳までそろってる。しかも「量り売り」が多いから、少しだけでも買える。
何も知識がないままでも店員さんは慣れている。初心者はこう声をかけろ
「チーズ初心者で、クセが少なくて食べやすいものを教えてください」
「この予算で色々試したいんですが、人気の品ってどれですか?」
基本は、モッツァレラ(爽やか)→カマンベール(クリーミー)→チェダー/ゴーダ(コク・クセ控えめ)あたりをまずすすめられる。
もし勇気があれば、「青カビや山羊乳も少しだけ試したい」「クセはあっても平気です」と伝えれば、小さくカットされた本格派も出してくれる。
量り売りがあるデパ地下なら「100gくらい」「少しずつ数種類を食べてみたい」と言ってみろ。店員は必ず、「初心者セット」的な組み合わせを選んでくれる。
大事なのは「わからないのでおすすめを知りたい」と素直に伝えること。遠慮するな。
専門職はその場で味や特徴も教えてくれる。
まずはデパ地下で、「初心者です。食べやすいチーズを色々教えてください」でOK。値段が気になるなら「できれば○○○○円くらいで」と一言添えれば、絶対外れないから安心しろ。
一歩踏み出せば、冷蔵庫に新しいチーズ、人生に新しい楽しみが増える。沼民はその報告を待っている。
Permalink |記事への反応(10) | 20:27
2歳で6㎏ってやばすぎるだろ
自分の子がちょうど2歳半。どれくらいだっけってスマホにいれたままになってるぴよログ開いたら生後4か月で6,5kgになってた。
ぴよログ自体はもう使ってないけど嫁さんが月に一回の体重と身長の成長記録だけ入れてくれてる、見たら2歳半の今は13㎏らしい
半分じゃん。あり得ないだろ、グロすぎるって。
おなかすいてただろうな、もう離乳食じゃなくなって、ぼちぼち世の中の美味しいものを知り始めるころだろうに。
うちの子は31のアイスが大好きだし、でも結局何食べたい?って聞くと毎回ちゅるちゅるって言ってうどん食うんだ。
最初は頑張ってフォークで食うけど、途中から夢中になって両手で食ってさぁ。
高市早苗:トリューニヒト
口先だけの「大義」を振り回し、批判も事実も関係なし。正気で言ってるのかと国民が首をかしげても、本人は「歴史に名を残す指導者」気取り。銀英伝でもっとも唾棄すべきトリューニヒトを、ここまで忠実に再現する政治家が現れるとは。
「空回りする無能な若手」
「言葉の花火師」としては華やかだが、打ち上がった瞬間に消える中身ゼロのスローガン。本人だけが優秀だと思い込んで突っ走り、周囲は呆れ顔。フォーク准将すら「まだマシ」に思えるくらいの空回り力。
「信用されない策士」
したたかに見えて、実際は「どこにも居場所がない中途半端」。表向き外交通、裏では権力ゲームに必死だが、カリスマ性ゼロ。気づけば周囲から「あいつ誰?」と忘れられる。帝国どころか、同僚からも信用されない現代版ルビンスキー。
国民の大半が「誰?」で終わる知名度。唯一の存在感は統一教会のバックアップだけ。政策を語るフリをしても、結局は票田を握る教団への忠誠心がにじみ出る。地球教幹部すら失笑するレベルの「操り人形」。
失敗しても責任を取らず、威張るだけの「国民的お荷物」。部下の手柄は横取り、失態は丸投げ。政治を停滞させる天才であり、存在そのものが“日本の足かせ”。銀英伝のロボスが可愛く思えるほどの、地味で確実な破壊力。