
はてなキーワード:フォーカスとは
近年、ホストクラブで高額な借金を抱え、その返済のために性風俗で働いたり、消費者金融を渡り歩いたりする女性たちの問題が社会的な注目を集めている。一見すると「浪費」や「判断力の欠如」として片付けられがちだが、実態はもっと深刻で複雑だ。彼女たちの多くは「なぜ自分がここまでのめり込んでしまったのか」を自分でも理解できずにいる。
この問題を心理学、精神医学、社会構造の観点から掘り下げ、回復への道筋を示したい。
ホスト依存症は、医学的な正式診断名ではない。しかし精神科医や臨床心理士の間では、この現象が単なる「遊びすぎ」ではなく、恋愛依存、対人依存、買い物依存、ギャンブル依存が複合した心理的依存症の一種として認識されている。
銀座泰明クリニックや大石クリニックといった依存症治療の専門機関では、ホストクラブに通うことをやめられず、特定のホストに対して強い愛着・執着・幻想を抱き、生活・精神・経済に深刻な影響が出る状態として治療対象にしている。依存症治療に30年以上携わる大石クリニックの大石雅之院長によれば、重症例では借金が数百万円から6000万円に達することもあり、その多くが返済のために風俗店での就労を余儀なくされている。
ホスト依存症の中核にあるのは、「特定のホストに会わずにはいられない」という強迫的な衝動である。本人は理性的には「このままではまずい」と分かっていても、行動をコントロールできない。これはアルコール依存症や薬物依存症と同じく、脳の報酬系、つまり、ドーパミンが放出される快感回路が過剰に活性化している状態だと考えられている。
ホストクラブという空間は、女性の承認欲求と自己肯定感の渇望を満たすために極めて精巧に設計されている。ホストは「君が一番」「俺だけを見て」といった言葉で疑似恋愛を演出し、顧客に特別扱いされている感覚を与え続ける。日常生活で「誰にも必要とされていない」「自分には価値がない」と感じている女性にとって、この体験は強烈な快感となる。
この快感は脳内でドーパミンの分泌を引き起こす。ドーパミンは「また味わいたい」という欲求を強化する神経伝達物質であり、ギャンブルや麻薬と同様に依存を形成する。ホストからのLINEが来た、同伴できた、指名されたという、こうした不確定な報酬が繰り返されることで、脳は「次こそもっと愛される」という期待にとらわれ、やめられなくなる。
心理学的には、承認欲求と疑似恋愛構造の組み合わせが鍵となる。多くのホスト依存女性は、幼少期に親からの無条件の愛情を十分に受けられなかった経験を持つ。親が過干渉、条件付きの愛情しか与えない、あるいは無関心だった場合、自己価値が「他者からどう評価されるか」に強く依存するようになる。ホストクラブはこの心の空白を埋める場として機能し、金銭という対価を支払うことで愛情が「買える」という錯覚を生み出す。
依存症専門医の臨床経験によれば、ホスト依存の重症例の一部には、ADHD(注意欠如多動症)やASD(自閉スペクトラム症)といった発達障害が背景にあるケースが見られる。ADHDの特性である衝動性のコントロール困難、報酬への過敏性、視野の狭さは、ホストへの過剰な執着と借金の積み重ねを加速させる。早稲田メンタルクリニックの動画解説でも、衝動性のコントロールが苦手な女性がホストにハマりやすいと指摘されている。
さらに深刻なのは、愛着障害である。愛着障害とは、幼少期に親や養育者との間で安定した情緒的な絆を形成できなかった結果、大人になっても他者との関係に不安や執着を抱える状態を指す。愛着スタイルには「安定型」「不安型」「回避型」「恐れ・回避型」があり、このうち不安型の女性は「見捨てられる恐怖」が強く、相手の反応に過剰に依存する。ホストからの「愛されている」というサインを求め続け、そのために借金を重ねてしまうのは、この不安型愛着の典型例だ。
愛着障害を抱える女性は、恋愛を「ギブアンドテイクの取引」として捉えやすい。無条件に愛される経験がないため、「お金を使えば愛される」というホストクラブの構造に違和感を持ちにくく、むしろ「これが正しい関係」だと錯覚してしまう。
ホスト依存問題を語る上で欠かせないのが、「売掛金」という仕組みである。売掛とは、客がその場で支払えない料金をホストが立て替え、後日客が返済するツケ払いのことだ。この制度により、女性は支払い能力を超えた高額な飲食を繰り返し、借金が膨れ上がる。
警視庁の説明会資料や厚生労働省の報告書によれば、売掛金は数十万円から数千万円に達することもあり、返済のために性風俗店での就労を強いられるケースが相次いでいる。ホストや関連するスカウトグループが「返せないなら風俗で働けば」と誘導する構造も確認されており、職業安定法違反や売春防止法違反で摘発される事例が増加している。
2025年6月に改正風営法が施行され、スカウトへの報酬支払いや恋愛感情を利用した営業、売掛金制度が事実上禁止されたが、現場ではまだ違法な営業が続いているとの証言もある。警察の取り締まり強化と並行して、女性相談支援センターや消費生活センターへの相談も急増している。
借金を背負った女性が風俗で働くことを余儀なくされる過程では、心理的なマインドコントロールも働いている。ホストからの「お前のために俺が立て替えた」「裏切るのか」といった言葉で罪悪感を植え付けられ、抵抗できなくなるのだ。
大石クリニックの大石院長は、ホスト依存の女性たちが「このままでは生活できなくなる」と理性的に予測できない背景に、発達障害の特性による視野の狭さや、強迫的性行動症といった疾患が関わっている可能性を指摘している。ADHD傾向のある人は、目の前の報酬に反応しやすく、将来のリスクを現実感を持って想像することが苦手だ。また、ホストとの関係に没頭することで、他の情報が視界に入らなくなる「トンネル視」の状態に陥る。
さらに、恋愛依存の女性は「相手がいないと自分の存在価値がない」と感じているため、借金のリスクよりも「この人に嫌われる恐怖」が上回る。理性と感情のバランスが崩れ、感情が意思決定を支配してしまうのだ。
ホスト依存からの回復は可能である。ただし「意志の力」だけで抜け出すことは難しく、専門的な支援が必要だ。回復のステップは以下のように整理できる。
まず第一に、自己理解である。自分がなぜホストに依存しているのか、その背景に愛着障害や自己肯定感の低さがあることを認識することが出発点となる。カウンセリングや心理療法を通じて、幼少期の体験や現在の感情パターンを整理することが有効だ。銀座泰明クリニックや大石クリニック、早稲田メンタルクリニックなどでは依存症専門の治療プログラムが提供されている。
第二に、物理的な距離を取ることである。担当ホストとの連絡を断つ、ホストクラブに近づかない環境を作ることが重要だ。売掛金がある場合は、直接会わずに振込で支払うなど、接触機会を減らす工夫が必要である。家族や信頼できる友人に協力を求め、行動を監視してもらうことも有効だ。
第三に、代替行動の確立である。ホストに会うことで得ていた承認欲求や高揚感を、別の健全な活動で満たす必要がある。趣味、スポーツ、学習、ボランティアなど、自分の時間を投資できる対象を見つけることが回復を支える。自己肯定感を高めるためには、小さな成功体験を積み重ねることが効果的だ。
第四に、債務整理である。借金が膨らんでしまった場合は、弁護士や司法書士に相談し、任意整理や自己破産などの法的手続きを検討する。新宿などホストクラブが集中する地域の法律事務所には、ホスト関連の借金相談に対応しているところもある。
第五に、再発防止のための心理療法である。認知行動療法(CBT)や弁証法的行動療法(DBT)、トラウマフォーカスト療法などが有効だ。また、自助グループや回復施設(グループホーム)を利用することで、同じ経験を持つ仲間と支え合い、孤立を防ぐことができる。
家族や友人がホスト依存に気づいたとき、どう対応すべきか。大石院長は「否定せずに見守ってほしい」と強調する。頭ごなしに批判したり、無理やり引き離そうとしたりすると、本人は防衛的になり、さらに依存を深めてしまう可能性がある。
まずは本人の話を聞き、なぜそこに居場所を感じているのかを理解しようとする姿勢が大切だ。その上で、「心配している」「一緒に考えたい」というメッセージを伝え、専門機関への相談を勧める。厚生労働省は女性相談支援センターや消費生活センターを窓口として案内しており、家族からの相談も受け付けている。
最悪のケースは、本人が孤立し、借金を抱えたまま追い詰められることだ。自殺や犯罪に巻き込まれるリスクもある。だからこそ、早期の介入と継続的な支援が不可欠である。
ホスト依存問題は、個人の「弱さ」や「判断ミス」だけで説明できるものではない。承認欲求を巧みに利用するホストクラブのビジネスモデル、売掛金制度による債務の罠、性風俗への誘導という構造的な問題が絡み合っている。さらに、愛着障害や発達障害といった心理的・神経発達的な脆弱性を持つ女性が、そのシステムに取り込まれやすい現実がある。
法的規制の強化や警察の取り締まりは重要だが、それだけでは不十分だ。依存症治療の専門機関の拡充、カウンセリングへのアクセス改善、社会全体での承認欲求や自己肯定感の問題への理解促進が必要である。「愛はお金で買える」という幻想から抜け出すためには、社会が「無条件に受け入れられる場」を提供し、個々人が自己価値を内面から育てられる環境を整えることが求められている。
1.◯◯がxxという理由で炎上した、けしからん【行為へのフォーカス】
2.◯◯は△△ということもしていたらしい、人として最低だ【人格否定の始まり】
3.◯◯のファンが□□みたいなことをした、□□も人として最低だ【連帯責任での攻撃の始まり】(外集団均一化バイアス)
4.++ということもあったが、◯◯が原因に違いない【陰謀論者の始まり】(因果の逆転・相関の混同)
5.◯◯がファンに愛されている、やはり頭がおかしいか、洗脳されているか、水増しされている、なぜならこのデータを見てほしい【陰謀論者の完成】(認知の歪み・確証バイアス)
6.XX界隈の者だけど、◯◯のファンに攻撃されている【陰謀論者の被害妄想】(反転攻勢による自己正当化)
7.◯◯の仲間や、スタッフも同罪であり、もっと叩かれなければならない【陰謀論者の聖戦化】
陰謀論者にならない人
1.行為を安易に叩かない、炎上に与しない → まともな人に留まる
2.人格を否定しない → 「詰みを憎んで人を憎まず」に留まる
3.ファンや界隈を攻撃しない → 人と集団を切り分けられる人に留まる
4.全ての陰謀に関連付けない → 因果関係は大事にできる人に留まる
5.都合のいい分析をしない → 冷静な分析はできる人に留まる
こう見ると、4・5あたりから「何いってんだこいつ」となるから、フリでやるのも厳しくなるよね
ネットフリックスが満を持して手掛けた『超かぐや姫!』がゴミだった。
まあまず『ワールドイズマイン』や有名ボカロ曲を使ったプロモーションを全面に押し出してきていた時点で怪しいものを感じていた人は多いと思うのだが、
その予感は当たっていましたね。
「百合っぽければいいんでしょ」とか「長い時間をかけて思いを募らせてればいいんでしょ」、「とりあえずライブ入れておけばいいんでしょ」
という、現代の客をナメてナメて舐め腐った作り手の意識が出尽くしてしまった、典型的な『若者舐めてる系』の創作である。
いやまあ、実際のボカロ曲の選定を見るに、自分を10代だと思い込んでいる30代とか40代のおっさんとおばさんがメインターゲットなのは明らかなのだが。
ちなみに俺はアニメは一応2回見て小説版は見て、ガイドブックを参考にこのレビューを書いている。
※ガイドブックは絵もテキストもクソ浅い情報しか載ってないのに3000円以上も取るのかよ、という客をナメたものなので買うのは推奨しない。
☆良かった所
・曲、声優の演技
■悪かった所
シナリオ、キャラクターを中心とした「良かった所」以外の全てがゴミ
■シナリオについて
ガイドブックによるとメイン声優陣が「複雑すぎる話を最初は飲み込めなくて~」と言ったことを全員語っているが、それはまあその通りである。
この話にシナリオなんてものはほとんどないからだ。っぽくしているだけで、ぶっちゃけ大したことはやってないというかシナリオ構造自体が破綻しているのだからキャラの想いなんてものはなくて当然である。
複雑なんじゃなくてシナリオになってないのだ。というか、キャラクターの行動原理がわからないのだから当然だろう。最初から製作陣がわかっていないものを説明しろと言われても無理なものは無理なのである。
なんでこいつら配信してんの?いやまあ表層的なことはわかりますよ。歌に救われた(笑)とか、推しに救われた(笑)からだよな。
まあ、それならそれでしっかりそれを描いてくれないと説得力がないんですよね。
そういう人間の過程を描く能力がないから、チラ見せしてそれっぽい視聴者の都合のいい妄想に頼ってるんだよな。
「能力がなくてやれなかったこと」を「あえてやらなかった」って言うのやめません?「ストレスフルな展開はあえて外しました」じゃないんだよね。
単純にキャラクター設定が適当で、話の構造作りも適当だから、ちゃんと人間の関係性描くことができなかっただけですよね。
要するに人間と人間の機微なんてものを描く能力がないんですよ。監督に、脚本に、スタッフに。
■キャラクターについて
それなのにインタビューによれば監督は「人間同士の密接な結びつき」を書きたいらしい。
それで、その密接な結びつきとやらはどこにあったのだろうか?
こいつら、結局なんで仲良くなってんの?お互いがお互いを必要とする理由って何?なんで配信者やりたいの?結局さ、人間が描けてないんだよね。
彩葉は趣味バイトやりながら東大合格余裕で、ゲームはプロゲーマー級、実のお兄ちゃんは超人気ライバーという「悩み」があるのも烏滸がましいレベルの超人である。
いや、わかるよ、苦労してるところを人に見せまいとしたり、父親の死(笑)とか母親との衝突(笑)があったもんな。悩む悩む。ダイジェストでやられたからしっかり伝わってきたよ。
俺も東大法学部余裕でゲームだけで稼げる腕があったら彩葉みたいな『周囲の空気を読む人間』になるわ。
やっぱね、そんなハイスペ人間なら、推しの歌だけを頼りに自分の辛さを覆い隠して笑う人間になっちゃうよね。わかるわかる。ならねえよ。アホかと。
まあ、ハイスペだから絡んでる友達もハイスペってのはリアリティあってよかったと思います。(友達連中は美容系インフルエンサー(笑))
そういうスペック高い人間以外は画面に映りすらしないのが監督の人柄がよ~く出てますわね。とても人生に悩む少女を描けていたのではないでしょうか。
カグヤやヤチヨの所も、もうね、浅いなどというものではない。
ヤチヨはなんとカグヤだった!8000年間、彩葉を待ち続けていたのだ!!!って言われてもねえ。
監督自身が言ってるように、『Fate』の士郎とエミヤの関係性やってみてえ!くらいの浅い思いつきでしかないな、と思いましたね。あーわかるわかる、何か8000年の時を経たことで
カグヤを見守る翁と媼になったんだよな。意味わかんねえ通り越して馬鹿なんじゃねえの?なんかそれ話として意味ある?ないよね?
それでやることが結局ライブかよ、という浅さね。こいつら何?ずっとアイドルやりたかったわけ?結局Vtuberとか配信文化ってものへの理解が浅いからこういう表現になっちゃうんだよな。
で、なんだっけ「キャラクターがいかに印象に残るか、生涯を通じて人格が変化していくことのエモさを書きたい」んでしたっけ。描けていましたか?
「自分が育てることになったわがまま娘が自分が推していたわがまま娘だった」ことが大変ドラマティックで、2時間使ったらしいのだが、何言ってんだって感じ。
そのギミックから逆算して話を作ってるせいで、いや、話になってませんよね、としか言いようがない。だってどこにドラマがあるのか描いてねえんだもん。
結局その「チラ見せ」でなんか都合のいい話を君の中で膨らませてくれ!ってスタイル、やるならやるでちゃんとやれよ。
2時間ちょいあれば『もののけ姫』くらいの肉厚な人間描写はできるんですよ?なんで出来ないんですか?スタッフ陣に才能ないからじゃないですか?
■それっぽさだけで構成された配信文化とゲーム文化と戦闘シーン
輝夜月から1ミリも進化してないVtuber像と、Apexやっとけばいいんでしょっていう浅い作中ゲームと、
なんかとりあえず戦っとけばいいんでしょ?っていう月人相手の戦闘シーンと、もうなんか突っ込むのもめんどくさいくらいのそれっぽさの集まり。
しかもそれぞれがストーリーに対して何の寄与もしてないという。配信者ものって、結局視聴者はバズるためだけの道具というか舞台装置みたいなもんだししゃーないんだが。
他の監督だったら最後の戦闘シーンはツクヨミの他の視聴者たちもカグヤのために立ち上がって戦うくらいのハッタリ・サービスは見せてくれてたというか、
カグヤやいろPの配信やSNSで繋がることの真の意味でのエモさみたいなのも描いてたと思うんですよね。まあ、この作品の製作陣は視聴者なんてどうでもいいと思ってるからそんなん必要ないか!
何回も言うけど舐めてんだよね、話を。「なんかエペっぽく戦ってるシーンあればエモいっしょ」くらいの舐め。「輝夜月っぽいことやってりゃバズんでしょ?」みたいな舐め。「有名ボカロ曲カバーさせときゃいいっしょ」みたいな舐め。
■「世の中への舐め」
『決めたら叶う』が基本なんだよね。この話。子供を育てることも、家族を説得して引っ越すことも、世界を席巻する仮想世界でトップの人気を得ることも、
因果の先でハッピーエンドにすること(笑)も、とにかく決めたら、あとはダイジェストでそれが叶えられていく。何故なら登場人物がハイスペだからです。という身も蓋もない話。
10年研究すれば完全な義体も作れるし、行くことを決めたら月の仕事を終わらせて地球に行くことも叶うし、カグヤとヤチヨのなんかよくわからん分裂?3人でハッピーになりたいみたいな都合のいい結末も叶う。
彩葉もカグヤもヤチヨも、全部『悩むけど決めたら全部叶う』が基本。まあこれはしょうがない。今のアニメ観てる視聴者層って何かを決めることがまるで一大事みたいに思いこんでるからね。
それに加えて、結局、監督の恵まれたエリート思想が見え隠れするよね。アニメを作る能力もある、予算もある。じゃあ何をするかというと決めることだけなんですよ。
「何をするか決定する」ことにこの物語は終始一番の価値を置いている。世の中の99割のゴミは何かを決めた所で実力とリソースの不足でそれが叶うことなんてないのにね。見てて悲しくなってしまったよ。
このアニメを見て少しでも何か感情的になったゴミは自分が何かを決定したところでハッピーエンドになんてたどり着けないことを胸に刻んで生きていこうな!
監督脚本の「こんなもんでよかんべ」という舐めが見えてくるのに、視聴者=ゴミは感動しちゃってるらしいので、その非対称性でホント悲しくなるよ。
細かい過程とか、情動とか、どうせ理解できないし、こんなもんでいいでしょ。キャラが何か悩むフリして、ライブ見せとけばいいんだよ。という『舐め』。
まあしょうがないか、こんなアニメで喜んじゃってる層は舐められるに値するよね。
「ワイズマ」に思い入れがあるならちゃんとライブシーン描けよ問題。
この「ワールドイズマイン」、山下監督たちスタッフが滅茶苦茶こだわっている部分らしく、初報のPVでも使ってるし、
早見沙織もインタビューで製作陣のおこだわりを語ったりしているのだがそれにも関わらず、『生歌収録(笑)』にこだわって、なんか微妙な歌と化している。
特に途中の面白グラサンをかけてかぐやがヤチヨに変な踊りを繰り出し、ヤチヨはそれを見て笑う…というシーンがあるのだが恥ずかしくて見ていられない。
陽キャに憧れた陰キャがカラオケでふざけてるのを見せられるような羞恥だ。歌ってる時に身内でギャハギャハ笑ってるアイドルとか誰が望んでるねん。
ていうか思い入れがある曲なら真面目に表現しろよ。終始、どこか照れてんだよね、この作品。結局、「配信見てる客」なんてどうでもいいっていう監督の精神性が現れてるよね。
何回も言うけど、『コンテンツを受容する側を舐めまくってる』ことがにじみ出てるシーンだと思いました。
ていうか百合やりたいのか知らねえけど取り合うシーンいる?歌えよ。歌を。ワールドイズマインだぞ、ワールドイズマイン。なんでちゃんと歌わねえんだよドブカス。
■総論
監督とPの『竜とそばかすの姫』のライブシーンだけ抽出して変な細田展開減らしたら受けるんじゃね?という目論見はある程度成功したと言えるだろう。
お話は2時間20分かけてやる内容ではないがキャラクターのエモーショナルにフォーカスしてMVとして見るといいんじゃないっすか?
豪華なMVだよね。竜とそばかすの姫から余計な要素抜いた感じ。
まあ、細田作品それっぽいエモさを褒めてたような人間が褒めるタイプの駄作。お前、サマーウォーズとか好きそうだよな笑
女が主軸で中身の大半がガールズトークみたいな話で、あとはちょっとした作画オタクがほめそやしてるだけ。
なんか派手なライブがあって、それっぽい推しがよくわからない感動的なことしてればそれで良いという、人モドキには向いてるんじゃないでしょうか。
ストーリーもバトルも配信もダンスも全部意味ないけどエモっぽければいいっていう、舐めた作品を見て情動が動くような人って何かが欠けてると思うんですよね。何が欠けてると思います?
長ったるい俺のレビューなんて読まなくていいよ。この一言だけ覚えて帰ってください。
お前には人生がない。
何かを決めるだけで全て叶うような浅い話に共感する、夢見がちな、自分を可能性に満ちた存在だと誤解してるゴミ。
そんな人間はそれこそ早く決めるべきだろ。その価値のない人生のような何かをどうするかを。
お前には人生がない。
Permalink |記事への反応(43) | 02:56
日本アニメ史上に燦然と輝く大傑作みたいな感じの映画だと思ってたのでちょっとハードル上げすぎちゃったのが良くなかったけど普通によくできた面白い映画だったので73点。
相手の意識下(夢)に侵入できる装置DCミニを利用して刑事のトラウマ克服に勤しむパプリカこと千葉が所属する研究所からDCミニが盗まれてしまう。それと同時に研究所のメンバーが次々精神に異常をきたし始める。犯人をDCミニを盗み出した同僚でBOØWYのボーカル氷室であると考えた千葉は同じく同僚のデブの天才時田とともに捜査を始めるが実は氷室もDCミニの被害者であることがわかり、ついには増大した夢が現実の壁を破り世界は夢と現実が混ざり合った混沌とした空間になってしまう。千葉と彼女の分身であるパプリカは世界を救えるのか。
みたいな話だったよね?
とりあえず言えるのは、アニメ映画としての鑑賞の楽しさはめっちゃあった。冒頭の粉川の夢の中のシーンからもう絵的にも面白いし(一瞬めっちゃインセプションで草)、そこからタイトルバックのパプリカ帰宅シーンでパプリカが静的動的、二次元三次元問わず次々といろんなメディアをジャンプしながら移動するアイデアの多彩さ、動きの楽しさは流石に圧巻。様々な夢が混ざり合ったカオスなパレードは平沢進の音楽の不穏さと完全にマッチして「音楽を映像化する」という課題があれば100点中1000点つけちゃう(映像を音楽化したのかもしんないけども)。
夢をテーマにした作品として夢の荒唐無稽さ突飛さサイケデリックな感じといった言葉では表しにくい様々な情景をかなり直感的に映像化できていて、おぉ~すごいなぁ~って感じだった。
とはいえ公開から20年以上経った今見ると「パプリカ」を下地に作られた演出を取り込んだ映像作品は(例にも出したけどインセプションとか)多数出てきているのでこれどっかで見たことある奴だな、みたいな感じがするシーンもけっこう多くてめちゃくちゃ前のめりになって見入ってしまうみたいな感じではなかった。公開当時見たかったかな。
見終わった後ふと思うのは、粉川こんないい役もらうような感じだったっけ?ってこと。彼は刑事なんだけど本筋であるはずのDCミニ盗難事件には基本的には一切関わらないが、この作品を経て最も成長するのはおそらく彼(と主人公の千葉かな?)である。
未解決事件という表向きのトラウマを抱えながら、実はそれは「中途半端に放り投げた自分の夢と友人」という拭い去れない過去への後悔と根っこは同じであることがわかり、彼は夢の中で夢の中だからこそそれを"物理的に"破りトラウマを克服し、本当の敵を文字通り撃つ。
作中で様々な夢に囚われた人間が出てくるがほとんどの面々は夢に逃げ込む、夢を隠れ蓑にするというネガティブな方法に利用するのに対して、夢を通じて成長、克服、前進する役割は粉川に託されている。
個人的に粉川パートで好きだったのは元映画監督志望だった粉川が「イマジナリーライン」「パンフォーカス」の説明をするシーンで「カメラと被写体の間の線をカメラが越えると世界が反転し繋がらなくなる」「ピント絞ることで画面全体にフォーカスを合わせる」という映画の技術論と同時に人間関係であったり社会や人生の捉え方であったりの話をしてるシーン。
たぶん夢と現実の映画であるパプリカは同時に、現実と映画(虚構)の映画でもあるんだろうな。だから粉川は第二の主人公なんだろう。知らんけど。
一方で千葉は理知的で事務的、心の奥底で同僚の時田に思いを寄せながらも天才で天才がゆえに子供っぽく逃避癖のある時田にヤキモキしている。一方で他人を治療する際にはそんな自分の空を脱ぎ捨ててパプリカとして自由奔放に感情豊かに文字通り世界を飛び回る。パプリカは現実世界でも千葉の本能として危険を察知してそれを知らせる役割を果たしており、理性と本能がそれぞれ同時に存在するアンビバレントな人間らしさを表している。
そして最終決戦では自身の願望に乗っ取られた大悪役の理事に対して、夢の中に取り込まれた時田を現実世界と同じように支えたことで自身の思いを受け入れ時田と同化、さらにパプリカという自分の中の欲望、本能も受け入れ時田の中からパーフェクト千葉として爆誕し、現実に溢れ出した夢を理事ごと全て吸い尽くして世界を平定する。
パプリカという自分自身、時田という他人を受け入れ同化しそこから赤ん坊が生まれて夢を吸って成長し、最後には悪夢まで吸って大人になり消える。夢を自分の私腹を肥やすために使おうとした老人の理事とそれすら吸い尽くす次世代の千葉という構図はよくできてるな~と思った。
他にも犯人だと思われていた氷室は実はゲイで夢の中では「貞淑な女らしさの象徴」である日本人形に擬態していて、彼が思いを寄せていた時田は彼の夢の中ではロボットという男らしさの象徴をしているってのもなんか哀しい。千葉に思いを寄せ時田の才能を内心では憎んでいる小山内はその復讐に自分の身体を氷室や理事に売ってポジションを守ろうと必死で、悪役ながらも悲しい奴だなってなるし。みんな自分を押し殺して生きていて、だからこそ夢の中ではたやすく狂ってしまう。
夢が現実に溢れ出した時に様々な人間はそれぞれの中に秘めた欲に次々と変身していくさまは滑稽でもあるしそのビジュアルイメージの多彩さは舌を巻く。そして、これは作中で度々登場する"インターネット"でも同じだし、増田なんかその極致であるとも言える。
声優に関しては千葉とパプリカを完全に演じ分けていた林原めぐみは流石だなと思うと同時に、林原めぐみレベルになるとなにやっててもこいつ林原めぐみだなってなっちゃって、個人的にはちょっとノイズ。特に今回は絵柄がいわゆるアニメって感じよりはリアルに寄せてるので余計にキャラとは別に林原めぐみがいるって感じで気になっちゃった。粉川の大塚明夫ももそうだし、時田の今は亡き古谷徹もキャラより声の方が立ってる感じがちょっと苦手だった。
キムタクとビートたけし主演の映画みたいな感じ。宮崎駿が晩年、声優らしい声優を主役に起用しなくなったのはそういうことだったのかもしれないしそうじゃないかもしれない。
なんでこの作品が80点以上じゃないのかっていうと単に俺の好みとはちょっと外れてたってだけなので、この作品に80点以上、90点以上つける人がいたとしても別におかしくはないなって思う程度には強度の高い作品だとは思いました。あとはアレだな、欠点をあげるとしたらなぜその人たちがそうなのかが作中であんま示されないことが不満。脇役はともかく、なぜ千葉はああなのか、時田は理事はというバックボーンはほとんど示されないのは個人的な好みから外れるなって思った。
そんなこんなで俺は初見だったけど今見るとちょっと古臭く感じる部分はありつつもストーリーに関しては普遍性がある話を丁寧に描いているし、むしろインターネットという他人の欲望や夢をダイレクトに浴び続けられる時代全盛期である今見たほうが話としてはむしろ分かりやすいかもしれないって意味では、今見直してみるのは意外とオススメなのかもしれない。
上手く言えないんだけど今の時代のほうが音楽を聴いてもらおうっていう空気があると思う。
俺の学生時代、TSUTAYAでバイトしてた頃は音楽を聴いてもらうじゃなくてCDを買ってもらうにフォーカスしてた。
特典DVDや握手券を付けた限定版商法で発売告知日にはひっきりなしに店の電話が鳴って
告知直後はPOSに登録もされてないのでずっと手書きで予約を受け続けてた。
今はサブスク全盛となり、もちろん最初の数秒で視聴者を掴む仕掛けが求められるといったことはあるんだろうけど、
好みのアーティストを軸に、そこから知らないアーティストも混ぜたプレイリストの提案があったり、
いろんなテーマに合わせたプレイリストを提案されたりして、そしてそこからこれ良いじゃんってアーティストに出会って、
アーティストページに飛んだら意外と再生数が多い、もしくは全然少ないみたいな発見もあって聴いてて楽しい。
当時のCDショップより今のサブスクサービスのほうがより音楽を身近に感じるんだよね。
音楽に身近に触れることが出来るしさ。
怖いもの見たさで『メラニア』を見たんだが、さすがにそれ一本で帰るのもどうかと思い、ちょうど上映してた『ハサウェイ』一緒に見た。
『メラニア』は、映像としてはちゃんとしてる。ライティングも音響もカメラワークも演出も「映画の作法」は押さえてるし、カット割りに至っては「カメラ何台あんの?」って思うくらい一つ一つのシーンで細かく刻んでくる。登場人物がある意味素人にもかかわらず、演技が下手くそで見れないというようなこともなかった。むしろ『ハサウェイ』の方が薄暗くて見づらいシーンが多かったくらい。
でも内容がびっくりするほどつまらない。
『メラニア』の映画では、2025年1月1日から就任式までの20日間を描くのだが、少なくとも映画の中では何のアクシデントも起きない。起伏がない。尺を埋めるためか、プライベートジェットで移動する、警護付きのSUVで移動する、みたいなシーンが何回も差し込まれる。で、ただ移動するだけで何も起きない。『ハサウェイ』と真逆だなと思った。『ハサウェイ』の移動には全部意味があるし、大小のイベントが勝手に発生して勝手に状況が変わっていく。『メラニア』はただ移動するだけで終わる。
移動中はモノローグが入るんだが、これがクソ真面目でクソつまらない。というか、移動以外の場面でも会話劇がほぼなく、ずっとモノローグ。『ハサウェイ』なら戦闘中でさえ会話劇をするし、モノローグにも幻覚が混ざって気づいたら会話している。『メラニア』は幻覚を見ないし、戦闘もしないし、仕事もほぼ一方的な指示出しなので、実質モノローグしか喋れない構造になっている。たまに挟まるスタッフのインタビューシーンが癒しになるほど。
ただ、モノローグに全く見どころがないわけではない。
たとえば「今日が私人としての最後のフライト。明日からは公人として移動するので、様々な制約が課せられる」みたいなナレーションがあって、えっ今までのプライベートジェット貸し切りとか警護車列での車移動って、全部“私人”扱いだったの!?どんだけ金あんの!?って、そこだけは普通に笑った。
画面にいるだけで映える。普通の人のドキュメンタリーを撮ってもこうはならないだろうなっていう素材の暴力を感じた。就任式のドレスもミリ単位で調整をオーダーするし、ホワイトハウスや会場のデザインにも細かく指示を出す。『ハサウェイ』でいうと、ギギの引っ越しシーンが最初から最後までずっと続く感じ。プロ意識のエピソードとして必要なのはわかるが、全編それだとさすがに飽きる。あれを2時間やられるのはしんどい。
ギギとの対比で言うと、メラニアは最初から最後まで徹底して大人として振る舞う。モノローグでも建前しか言わない。ドキュメンタリーとしてはそういう振る舞いしか撮っていないという言い方もできるが、結果として面白くない。子供っぽい振る舞いで周囲を振り回して場をコントロールするギギとは対照的。
トランプ一家が映る時、フォーカスされるのはまずドナルド、次にメラニア、最後にバロン。ドナルドとバロン以外の親族は、画面に映ってるのにモノローグでは完全に無視である。劇中で別々に動いてるのか、単に編集で落ちてるのかは分からないが、ドナルドとのプライベートな会話もほとんどない。家族について語るところも、ほぼバロンの心配しかしていない。もう人生の目的が「バロンを無事育て上げること」しか残ってないんじゃないか、みたいな気配すらある。
画面に存在するだけで「こいつ次に何をしでかすか分からない」緊張感がある。少ない登場シーンでも、周囲にジョークをかますのを欠かさないし、平易な言葉で人を大げさに褒める。就任式スピーチの練習中に、メラニアが原稿の修正を提案する場面があるんだが、提案を受け入れて直した後に、カメラ目線で「ここカットしろよ!」ってジェスチャーしてくる。マジなのか冗談なのか分からないところまで含めて面白い。
正直、トリックスターという意味では、ドナルドの方がよっぽどギギに近い。
まず、検索ワード「ダイニングカフェ」 こういう括りの店は酒呑む前提になってないことが多いし、概ねデート向け
次、インド料理、中華料理、タイ料理・・・などの本格っぽい店にいけば酒圧は控えめ
料理にフォーカス合わせたら酒は付随物って位置づけになることが多い
このへんのジャンルで酒抜き3000円以上を想定するなら、ある程度雰囲気ある店になるし、町中華とかじゃないデート向けの店になる
西洋料理だとワイン前提になっちゃうけど、そうじゃないエスニック系は酒なしでいける (とはいえ「水だけ」ってのは形にならんので、一応なんか一品は頼んでね)
あと、ロードサイドにある店、車でないといけない立地の店はドライバーはどうせ酒飲めないからノンアルの選択肢もありがち
っていうか、女のほうがそういう店の引き出し多い(女同士の食事会だと飲めない子も想定しないといけない)から、
呪術3期の4話がちょっと原作と演出が違い過ぎて話題になってるんだけど、鬼滅の時と日本人と外国人の反応が真逆で興味深い。
まぁようするに感情的かアクション的かで分かれてるってことなんやけど、やっぱ日本人にはエモーショナルなシーンを重要視するタイプの人がかなり多くて、そこを犠牲にすると不満が出てくる人がいるね。
脇キャラの感情的機微が描かれてないのも不満を言ってる人が居るし。
反対に英語圏の人はとにかくアクション作画でほめちぎってる人が多い。
鬼滅の時と理屈は同じだわ。鬼滅の映画は、エモーショナルな人間ドラマでアクションシーンが寸断されることに不満を言ってる外国人勢が多かった。
サイレントヒルf全エンドクリア。終えられたことへの達成感。評価としては★3ってかんじかな…。
修との駆け落ちエンドがいちばん好き。でも世間では寿幸フィーバーらしくて驚いた。
なんでも用意してくれるおぼっちゃまからの求婚はファンタジー?時代?すぎて刺さらなかったな。
本当に最近は女性の人生についてフォーカスしている作品が多くてそれは嬉しいんだけど、今回のはなんか…踏み込んだ割には結末が古風でハシゴ外された感。真エンドのお母さんとお父さんのシーンとか反吐がゲロゲロでた。現実でも口の中酸っぱくなるほどに出た。謝ったからって許せるものじゃない。雑巾の汁お茶に入れたことあるって、それがなんだっていうの?ストレスのはけ口として虐げられて、話し合いもできないからせめて雑巾の汁啜らせてそれでなんの問題が解決できるの?土下座アピより話し合えよ、対等に話し合って2人揃って雛子に謝れよ、そんときは土下座なんかせず目を見て真剣にやれよ、と、ここまでドス黒い気持ちになる。私のトラウマにブッ刺さりすぎている。
私は親のことが嫌いだが、感謝をするなら今の時代に産んでくれてありがとう…なんていうかよ!産めなんて頼んでねーよ!バーカバーカちんちん⭐︎30歳超えてもすぐこんな思考になるけどそれでいいし発信できる令和でよかった〜。
手堅い佳作だけど座組に求められる期待値は超えてこなかったかなって感じで63点。
マイアミ市警の麻薬取締チームの警部が殺され、その後任にマット・デイモンが就任。警部の死や市警に蔓延する汚職についてベン・アフレック含む部下とともにFBIらに詰められてしまう。その後、マットが得たというタレコミ情報に基づき、地元の地味な家を探索すると屋根裏部屋から2000万ドル(30億円)が発見される。警察ルールによってその金をその場で数えることになるが、マット含むチーム全体の空気がだんだん変な感じになるし急になんか汚職警官はやってくるしでてんやわんやに。私たち一体どうなっちゃうの~!?
というお話。
まず、ちょっとヴィジュアルに物申したくてぇ。え、お前アラブ系やったっけ?っていうか最初「FBI:特別捜査班」のエジプト人とマジで見間違えた特大髭面のベンアフはまぁベンアフっぽさはないけど意外に似合ってるからまだマシとして。今回、マット・デイモンも白髪交じりのチリチリの全面髭面で信用できないコワモテを演じてるんだけど、マットにそれは無理だよ。だってもう誠実でかわいい顔してるもん。それがハマるのは絶対にディカプリオだよ!ってなった。
まぁベンアフとマットって幼馴染でけっこう定期で一緒に映画作ってて賞ももらってるし、この映画も2人で立ち上げた会社で作った奴だから2人でこんなふうにやろうねってキャッキャしながら作ったんだろうから、まずこの2人ありきだとは思うんだけどさ。実際、この2人の絡みはシーンデザインの妙も合って見応えがあったしすごいよかった。
で、ストーリーとしては30億円、しかも外部には漏れてない金が急に目の前に現れた時に人はどうなってしまうのかっていう、実際にあった事件にインスパイアされて作られた作品で実際の事件では30億円も現場で数えるの超大変だった(精神的だけじゃなくて物理的に)ってだけだったのを、警察内部での汚職やチェイスっていうエンタメ要素を追加した結果、ちょっと作品として変な感じになってる気がする。
この映画には融合しているようで実は溶け合ってない2つの要素があると思ってて。
1つ目は元々この事件を知ったときに考えたであろう「30億急に目の前に出てきたら正義も揺らいじゃうよね」っていうメンタルサスペンスという側面。急に手に入った財宝をめぐって仲間割れが始まっちゃうやーつね。
で、2つ目は「もともと組織内にいる裏切者を探し出す」という一般的な炙り出しミステリサスペンス。
これって「後から壊れちゃう話」と「元から壊れてる話」だから接続って意外に難しい。
この映画は元々警部が殺されるところから始まるので2つ目なんだろうなって感じで始まる。で、途中で急に1つ目が始まるんだけど1つ目の途中でどんどん2つ目の要素を消化していくからすごいゴチャゴチャしてくる。
マットがなんかどんどん強権的に場を支配しだしたかと思ったら、通報もしてないのに汚職警官がやってきたり、部下の生活に困ってる女性警官が10万ドルくらいパクってもバレないよねって話をし出したりする裏側でベンアフはマットを疑ってたりするのとは別に向かいの家からは誰かが監視してるし、その一方でアジア人はどっかに謎の電話をかけてる。
実際のところそれぞれの要素は脚本的にしっかり回収されるのでサスペンスっていうよりはミステリとしてはなるほどねってなるようにはなってるんだけど、それぞれの要素が本来持つジャンルとしての緊迫感は細切れにされちゃった感じでどこにノレばいいのかよくわからない座りの悪さを感じた。
ただ30億円が発見された家とその周辺で起きる謎と人間不信と緊張感という部分に関してはやや「緊迫させたろ!」っていう製作者側の気迫が見えすぎてウッってなる部分はありつつ、見応えはある。
特に好きなシーンはアジア人とマットが向かいの家に向けて歩いてて、警官ってだけで相手が緊張しちゃうよねみたいな世間話をしつつアジア人がマットをちょっと疑う発言をしてマットがそれを咎めて緊張が走る。で、アジア人だけ元の家に戻るように言われてアジア人にカメラがフォーカスしてアジア人の後ろにぼやけたマットがチラチラ映ってて、え?これ後ろから撃たれる展開?え?ってこっちもなるし、アジア人の顔もどんどん強張っていく。そして気付くとマットも背を向けて家に向かって歩いている。ってシーンがあってココ白眉。
ミステリとしても、いやそれカナリアトラップやないかーいって割と早い時期に割れちゃう可能性があってそうなると後が全部茶番になっちゃう危険性はありつつ、マットが金をパクろうと人によって別々の額を言っていると見ていて思えるように話は作られてるのも悪くない。
途中で銃撃を受けた時に銃撃にあわせてカメラがガクガク揺れる(部屋全体を映す固定カメラが銃撃を受けるたびに揺れる)演出はこれ何年の映画やねんって正直ちょっと笑っちゃったし最後のチェイスは作風から考えたら正直、別にそうじゃなくてもっと知的な解決でよかったのではと思わんでもない部分はありつつ、この手のジャンル映画として手堅く作られてるなって感じ。
あとメッセージとしてマットの腕には「俺はいい奴?」というタトゥーと「ずっといい奴」というタトゥーが彫られていて、ベンアフの腕には「俺たちは善人か?」というタトゥーが彫られている。全編見てから見返すと、最初から最後まで徹頭徹尾そういう話だったなって、マットのタトゥーの本当の意味も含めてちょっとしんみりしてしまった。
とはいえあんま予算感もないしベンアフとマットが組んで2026年に撮った映画としてはもっと大規模に面白いものを期待していたのでそれに比べるとこんな感じなのかってのは否めなかったかもしれない。アマプラとかで3.5くらいの評価で期待しなくて見てたら+5点くらいつくかもしれない。
はじめに言及しますが、主観ゴリゴリです。合わない奴は回れ右。
男。社会人歴はそこそこ。女性の多い職場で長々と働いてきた。そんな自分が思う「ダメな女上司の特徴」を淡々と雑に書き殴っていく。
①役割分担を明確にしない
チームで仕事するとき役割を曖昧にしがち。女性特有の「察する文化」「細かく会話する文化」「気配りの上手さ」「マメさ」によるものだと思ってる。
女性しかいないチームだと問題になってない印象。平均的な男にはこのやり方は通用しない。男は理屈人間なので、曖昧なこと言われてないことは基本やらない。男にヘイトが向けられがちなパターンのように見えるが、役割をはっきりさせない上司の方が怠慢だと思ってる(まあ男も寄り添わんといかん)。
なお、責任の所在もはっきりしない。「私の責任です!」なんて発言聞いたことない。
②やたら仲良くさせようとしがち
①と似ているが、やたら仲良しにさせようとしてくる。何でもかんでもみんなでやる。「え?この仕事を複数人でこなすんですか?」みたいの状況がある。
小学校の先生かよってたまに思う。実際女性側もやんわり感じつつ茶番に付き合ってあげてるよね?
③伸びしろに期待しない
身の丈にあった仕事量を振りがち。できるかわからんが思い切って任せてみようみたいなのが少ない。よく言えば現実的。新人教育には向いている考え。
関係ないけどギャンブルやらせたら期待値追うより的中率を重視しそう、、、。人の適正を見抜くのは上手ではない?部下の成長とか興味なさそう。
④ちまちま男へマウント取りがち
「男より優れている私」「男を言い負かしている私」みたいなのが節々にある。いらんわそんなの暇かよ。矢印どこ向けてんのよ。
酷いと「男のくせに〜」構文が出てくる。関係ないけど女性⇨男性のセクハラってあまりフォーカスされないよね。
言葉を生き物のように扱う傾向にある。言葉を記号として扱う男とは相性悪い。言葉の意味は統一してほしい。
部下の意見に同意したかと思えば、上席から否定されると一緒になって否定してくる。部下からの提言が上席への受けが良い場合「私もそう思ってました!」と合わせてくる。嘘つけ。前と言ってること違うぞ。似た事例で部下の主張を否定するが、上席がその主張に同意のスタンスをとっていた場合、あたかも自分の意見として部下の主張を横取りする。
文脈ではなく点で反対意見を述べるから、議題や課題に対する問いが一向に成熟しない。討論ではなくただの喧嘩。
数字を使えばロジカルだと思ってる節あり。事象を自分にとって都合の良い表現や解釈に変えて論理を展開しがち。
今その話関係ないでしょ?って内容を具体例として引き出してくる。
⑧思い込みが激しい
相手の態度に一喜一憂していつの間にか被害者スタンスをとってくる。いつの間にこちらが悪くなってる⁉︎ってなる。おいお得意の細かい対話はどうした。
チャットで十分だろ
⑩機嫌に波がある
機嫌が良いときの猫撫で声やめろ。「〇〇く〜ん」って呼ぶな。あんたいくつよ。
機嫌悪いとき気分で人を詰めるな。八つ当たりもするな。他の部下の悪口を言うな。
色々書いたけどぶっちゃけ環境や職種次第でまた変わってくると思う。
女性しかいない職場だと男から見て想定外の現象がありそうだし。
上の内容を見て「別にそんなことないけど」「イヤイヤ男だって同じだろ」などの感想は出てくるだろうな。
とりあえず以上です。
バイバイ。
こういうくそリクエストに対応し、それでも関係を続けられるというただそれだけで、結婚をして一人前みたいなのがあるんだろうなとある種の皮肉みたいに捉えている。
相手の親は相手をどうすんだ?とがん詰めだったみたいだし、自分の親は自分の理想を押しつけてくるしでマジで精神削られる時間だったのは覚えている。
人々は口々に「今が一番幸せなときだね (ニヤニヤ)」みたいなことを言っていたけれど、断言できる、あのときが一番不幸でした。
くそリクエストから自由になり、配偶者と過ごすことにフォーカスできるようになってからが幸せな生活。
楽しい時って結婚式を周囲からああだこうだ言われながらやっていくことじゃなくて、くだらないことで笑える何気ない日常の中にあると思うの。
補足というか、なぜ人気になってしまったVTuberが簡単には謝罪できないかの理屈も書いてみる。
まず「グリーンチャンネルの」と固有名詞ついた上での、それを読み上げてしまったことに対しては企業間の話し合いでしかない。もう。
そしてそれは対応中になってる。
特定のものではなくて「有料コンテンツを無料枠に流したということ」として抽象度ひとつあげた場合に「自分も有料コンテンツを扱っている身なのにそういうことして反省しないのか」みたいな言及がくる。これは内々で組織としても配信者個人としても反省はして今後じゅうぶん注意しようとなってると思うが、謝罪はできないと思う。
なぜか。謝罪したが最後、無限に攻めがくるからだ。なぜやらかしたんだ、日頃からどうたらこうたら、組織の教育姿勢はどうなんだ、これだから…、という批判がわらわらやってくるのが目に見えている。説教が終わらない上司っているだろう、あれみたいなやつだ。なんでミスしたんだ、反省してるのか、に理由を答えたところで、言い訳するな、そもそもちゃんとしろ、みたいに延々と説教が終わらないパターン。あれのオンライン版で、1人に対して無数の説教おじさんがいる状況を生む。一線を超えないで石投げまくれる。ひどい誹謗中傷になるようなやつはしっかり法的手段などで対応していけばいいが、それも対応は半年から1年はかかる。不毛な対応にしかならんしコミュニティが荒れる原因にもなるので、内々でしっかり再発防止策とった上で、ほとぼり冷めた頃に事務所側からしれっと声明出すか今更出さんでもいいか、くらいになるのが妥当だろう。
本当は間違ってはいなかったファンからの指摘を無視したことについて。
スパチャだったかどうかは関係なくて、フォーカスすべき観点は「結果的に間違ってはいなかった指摘を無視したこと」「そのときの態度」の2点。モデレーターのせいにしたとかはぶっちゃけどうでもいいし実際そういう運用になってるだけだろう。あんなスピードでばんばん流れるコメントに「自分から求めたわけでもない意見について」いちいち精査して思考して判断なんてできるわけない。
で、問題の2つの観点については、態度の方だけは反省の姿勢を見せてもいいかもしれないが、ただ、このあと書くもう一方について「どうなんだ!」「謝罪しろ!」って延焼の呼水になってしまうリスクを考えると、沈黙が正。燃やす側はなかなか都合よく切り離して考えてくれないからね。
で、残りの、結果的に間違ってはいなかったファンからの指摘を無視したこと、だけど、これは絶対に謝罪しちゃいけない。
意見を求めたわけでもないことへの指摘を無視したこと、について謝罪してしまうと、ユーザーのコメントはその数や指摘内容によって、配信者の行動を変えられる、という前例を作ってしまう。将来的にこれはよくない。配信者の活動が制限されていく。ちょっと気に食わないことがあるだけで理屈つけて正論かのように意見投げつけまくる、アンチがファンを装って屁理屈ぶつけまくって配信者の行動を歪める、そういうことが可能になる土壌を産んでしまう。
今の炎上を収めるだけなら、意見に耳を傾けるべきでした、みたいに言ってもいいかもしれないけど、この先の配信活動を見据えた場合に、この対応は悪手になるわけよ。モンスタークレーマーに屈してしまうのと構造的には同じ。もちろん今回は「結果的には」モンスターではなかったが、意見を求めたわけでもない事柄について意見が来た場合に、それをリアルタイムの配信中に配信者が判断することは無理。外野から指摘したくなるのってそもそも当人のリテラシや意識が足りてない事柄だったりするわけで、言われたところで情報処理しきらん可能性高いんで。
そういう「妥当な指摘なのかただのクレームなのか判断に困る意見を無視できない」としたら、それは配信者にとっては枷でしかないし、結果的にモンスタークレーマーだった場合なんて目も当てられない。また「ファンが配信者を正す」世界が生まれてしまうと、今度はコメント同士でのバトルになってしまうリスクもある。それは言い過ぎだ、いやいい指摘だ、ときには厳しいことも言ってあげるべきだ、とかすぐ争うでしょう。本来なるべくファン→配信者のベクトルだけで成立して欲しいところに、ファン同士の争いが生まれて、ファンコミュニテイが荒れてしまい、配信を楽しみたいファン、楽しんで欲しい配信者、の基本が維持しにくい世界が生まれてしまう。
すでに兎田ぺこらとさくらみこの過激なファンもしくはアンチ同士などが外野で、まあわりとひどい世界展開しているが、外のコミュニティでやってるうちはまだマシだけれど、ファンが配信者を正せる土壌ができてしまうと、配信者本人のチャンネル内にファン同士の諍いを呼び込みやすくなってしまうのよ。そうなったらもう、誰も望まん目も当てられない景色になってくぞ。
もちろん配信者側から、これどう思う?って意見求められた場合は、聞いて判断する姿勢があるわけで、そういうのは別。今回聞いたわけではないので、それについて結果的に間違ってはいなかったっぽい指摘だったとしても、受け止めないですみませんでした、は言えないわけよ。
すでに勘違いして、正してあげるのもファンとか言ってる人出てきてるけど、アンチからの全肯定云々に反論したい自衛が動機だろうと思う。悪いことしてるのに「間違ってないよ!」みたいに歪めるのはいいとは思わんけど、スルーするのは全肯定とは違う。言いたきゃ言っていいけど、まあそもそも自分がなぜ「他人の行動を変容させたい」か、よくよく見つめ直してみた方がいい。どっちみち、明らかに問題あれば運営側での注意や指導は入るわけで(たぶん全部は表に出さないと思うけど)、いちいちファンが空回った正義感で行動する、しかもそれを積極的にやっていこうなんて考えるのはお門違いだろう。
今の状況から逃げたい・早く鎮火したい、としても、ここだけは譲ってはいけない謝罪できない一線ができてしまうのは、こういう理屈だろうと、俺は思う。
私も話し合いたい側なのでとても共感して読んだ。
「増田がそんなだから話し合う気にならない」という意見について、私は「むしろ相手に寄り添おうと質問しているのに?」と思うのだけど、かつて付き合っていた黙り込むタイプの人が言っていたことを参考に書いてみると
・(僕の言ったことに対して)「でも」って言わないでほしい
・情報量が多くて混乱する
・今まとめて会話するんじゃなくて、いったん相手の話を聞いて、しばらく(数日とか数週間とか)考えるんじゃダメなの?
多分「否定された」のハードルがかなり違うところに設定されているんだと思う。
話し合いたい派からすると「意見が違うのは悪いことじゃない」「意見への反対と人格の否定は別」「質問は否定ではない」というのは前提で、意見が違うからこそ話してほしいし自分の意見も伝えたいのだけど、その前提は(理屈レベルでは同意してもらえても)感覚レベルで共有されていなくて、「どうしてそう思うの?」という質問すら「否定された」と感じさせてしまうらしい。
そうして防御モードに入ってしまうとこちらの話も届かなくなるみたいで、こちらの話したことほぼそのままを後日「僕、思ったんだけど」と向こうから言われて「だからずっとそう言ってたじゃん…?」「そうなの?頭に入ってきてなかった」というやり取りをしたこともある。実際には意見の相違がない場合でも、雰囲気が否定的(向こう基準)だともうアウト。
なので気をつけていたのは「あなたのことが好きだから、理解したくて質問したいんだけど」「否定とか判断とかじゃなくて、別の考え方もあると思うからそれについてどう思うか気になって」とかって前置きして、相手がなにか言ったら「教えてくれてありがとう!」「なるほどねー!」って感謝を伝えて、とにかく前向きで友好的な雰囲気にすることと、文字数を抑える(会話の場合も相手の発言量に合わせる)こと、そのためにも自分の考え(話し合いで得たい結果はなにか、とか)を予め整理しておくこと、なるべく感情の理解より行動の変化にフォーカスすること(黙り込む派と感情の話をするのは難易度が高いし、黙り込む派って得てして感情は言葉より行動で表現する派でもあるかも)、相手が精神的に参っていそうだったら距離を取ること(もちろん相手次第だけど、理解して支えになろう!は、彼との場合は悪手だった)…
あとその人の場合は「言葉より絵や図での方がわかりやすいので、似たシチュエーションを題材にしたweb漫画とかがあったら有難い」らしい。
でも結局別れたし、別れてよかった。
もっとうまく振る舞えたらもっと話し合えたかもしれないし、話し合い以外の方法もあったのかもしれないし、こちらにも非があるとは思うのだけど、話し合いの拒絶(「今は話せないからちょっと待って」とか「言葉にできないけど意見の相違点を表に整理して渡すよ」とか「あなたの意見や振る舞いのここが嫌」とかじゃなくて、黙り込み)って、コミュニケーションにおいて致命的というか… そこまでしなくても話し合える人がほとんどの中、あえてその人と話し合いたい事情ってなんだろう?
ちなみにその人は家庭環境に由来があるみたいで、家族と絶縁、仕事は個人でYouTuber(もうすぐチャンネル登録100万人に届きそう。ある種の言語力や社会性?はすごくあって、バランスの偏りがすごい)、付き合っていた1年間で1度も友達と会わず、人間関係のない人でした。増田さんの話したい相手は、増田さんがしたいような話し合いを他の誰かとはしているのかな。
しているならその人の振る舞いを教えてもらって真似られたらいいし、誰が相手でも話し合わない人が世の中にはいる、ということも知っておいてもいいかも。応援しています。
「はてな匿名ダイアリー(増田)」特有の、自意識の肥大化、一方的な執着、そして「選ばれなかったことへの納得のいかなさ」を孕んだ高ぶりですね。
「キーボードで指が止まる」といった外側の描写を捨て、増田の内側に渦巻く「独りよがりな熱量と、それが冷酷に遮断された現実」にフォーカスした表現をいくつか提案します。
「脳内に溢れ出した数万字の恋慕が、送信ボタンという、たった1センチのプラスチックの壁に阻まれて、出口を失ったまま腐敗していく。」
「彼女に宛てて書いたはずの熱烈な文章が、ディスプレイの上で、自分を断罪する無機質な文字列へと変質していくのを眺めていた。」
「一挙手一投足に意味を見出し、壮大な伏線のつもりで積み上げてきた日々の記録が、ただの『既読無視』という暴力によって一瞬でゴミ溜めに変わった。」
「この感情を『重い』の一言で片付けられるのだとしたら、僕が彼女に費やした膨大な思考のコストは、一体どこへ計上すればいいんだ。」
「指先が震えているのは、悲しみからじゃない。これほどまでに完璧な僕のロジックが、彼女という非論理的な存在に一蹴されたことへの、収まりのつかない憤りだ。」
「全身の血が、彼女という中心点を失って迷走している。行き場のない熱が、タイピングを止めた手のひらからデスクへと、じわじわと伝わって逃げていく。」
「世界で一番彼女を理解しているという自負が、ブラウザの更新ボタンを押すたびに、無残な妄想として剥がれ落ちていく。」
「愛しているなんて言葉じゃ足りない。僕が欲しかったのは、彼女の人生という物語への、強制的な介入権だったのだ。」
増田文学(ダイアリーの文章)において重要なのは、「自分はこんなに深く考えているのに、相手(または世界)がそれを理解しない」という傲慢な悲劇性です。
皆たくさん反応ありがとう。コメント全部読んだ。誤解与えたけど増田はM-1グランプリが大好きだ。お笑いが好きな分、どうしても分析的に見てしまって意表をつかれて笑う機会が少なくなっているけど興味深く見て楽しんでいる。もちろん笑うときは笑うし。で、ダウプラで何度も吹き出してしまったときに思ったんだ。はてなは松本人志嫌いな人が多そうだし、これ対立軸に持ち込んだら自身初の100ブコメ超えるんじゃない?って。
結果はなんと200超え。本当にありがとうございます。不快に感じた人がいたらすまなかった。書いた内容には脚色も多かったので、コメントへの反応含めて補足していく。
最初に書いておかなければと思った。想像より少なかったが、やはり何人かいたのが松本人志が性加害者であることが前提でのコメント。ニーズがあったら別記事で書くとしていたら1人だけ依頼があった。嬉しいので書こうかなと思うんだけど、有料記事を全て購入して読み込んだ上で書くので、ちょっと体力や余裕面で時間が欲しい。書けなかったらごめんな。
自分のスタンスは疑惑は疑惑止まりってこと。週刊誌の印象操作により、松本人志が後輩に一定の影響力を発揮して女性を集めて飲み会をし(ここまでは周知の事実)、毎回スマホを没収してゲームなどで不同意の相手に性的行為を強要したと、多くの人が思っている。が、疑惑でしかない。文春が裁判の証拠として提出したものにLINEのやりとりの一部があり、まさに松本人志とA子さんが別室にいったときに小沢がLINEで心配して状況を確認するメッセージを送っているものが提出されたとのこと。文春は加害性を強調したかったのだろうが、皆が持っている印象としてのスマホ没収を文春が否定する証明をしてしまっている。しかも提出はLINEのやりとり全てではなく、文春が強調したいところを取捨選別して提出している。では提出していない部分はどんなやりとりがあったのか。A子さんはその後も飲み会に何度も参加したとのこと(もちろんそれも様々な解釈があるので疑惑を晴らす材料として書いているわけではない)。少なくとも皆が持っている印象とは違うことが多くありそうで、その大半が謎のままである。
松本人志が嫌いな人は「やっただろう」という方向に想像力を働かせ、好きな人は「やってないのでは。はめられたのでは」という方向に想像力を働かせる。増田はダウプラでの松本のコメントの節々を拾い上げて自分なりに背景を想像し、結果としてダウプラを普通に楽しめるような想像に自分の中で落とし込んだ。もちろん性加害者であることが確定したら楽しめなくなる可能性が高い。
絶対にやってはいけないのは、この疑惑に対して決めつける形でどちらかを誹謗中傷することだ。仮に増田が「松本は潔白だ。ノリノリで参加した女性が8年後に金に困って文春に都合よく売り込んだだけだ」と発信したとする。もしこれが事実でなく本当に加害があった場合にはこれはA子さんに対する誹謗中傷でありセカンドレイプだ。
それと全く同じく、松本人志を指して「性加害者」と発信することは、彼が潔白であった場合には誹謗中傷になり松本人志に対するファーストレイプとも言えるものになる。現在、こういう有名人に対する誹謗中傷がSNSではびこっている。一つ一つ訴えていくことが困難であり、そもそも有名税という曖昧なもので基準が有耶無耶にされており見逃されているからだ。
だが駄目に決まっている。セクハラをしてはいけないのと同じくらい、有名人であろうと他人を誹謗中傷してはいけないんだ。これはいずれSNSが健全化されれば必ず規制されると考えている。罰する仕組みがきちんと運用されていないからたまたま許されている、昭和のセクハラ親父と全く同じ状況であり、将来的にはとても恥ずかしく非難される行為だという自覚を持とう。
グレーはグレー。どちらか一方が悪いと心の中で決めつけることは自由だが、発信した瞬間に責任と罪を背負う。絶対に駄目。もちろん好き嫌いは自由なので、発信したい人は単に「嫌いだから見ない」と言えばいいと思う。後輩使って女性集めている時点で嫌いとか、そう思う人は多いだろう。自分はそういう情けないところもそんなに嫌いではないが。
ようやく本論だが、この誤解を与えてしまった。M-1の漫才が練られすぎて嫌いとか、ハイコンテクスト過ぎて嫌いと言っているわけではない。むしろ自分がギリギリ届くところの知識にかすらせて作られたネタは大好きだ。真空ジェシカが中川翔子(ショコタン)にかけて車高の低いシャコタンを登場させたのは面白く感じた。増田は車に乗らず免許もないのでシャコタンという言葉にほぼ馴染みがなかったのだが、昔「シャコタン☆ブギ」という漫画でギリギリ脳みそに残っていた単語のためそれが引き起こされ、自分的には超ハイコンテクストな笑いとして楽しめた。「シャコタン☆ブギ」知らないだろう。すまんな増田は50代だ。「おっさんかい!」ってツッコミが聞こえる。
増田が言いたかったのは、自分の意表をつかれる突発笑いがほしいということ。雑な笑いはそれを生みやすいというだけであって雑な笑い自体が面白いと言いたいわけではない。雑で緩い笑いはそれ自体が面白くないものでも、自分の解釈の中で面白く補完できたりするのだ。
M-1にその余白は少ない。こちらが無意識にハードルを上げて受け身姿勢を取った状態で鑑賞することや、4分に笑いを詰め込む中で技巧的になり、ツカミ、伏線といった方法論がこちらにも漏れ伝わっている状態で作らざるを得ないから。例えば粗品も言っていたけど伏線は伏線とバレたら面白くないのだ。あまり脈絡のない単語や表現が出てきて、それ自体はあまり面白くなかったとする。そうすると「これは後で回収される伏線だな」と無意識的に感じてしまう。伏線はその伏線だけで十分笑いを取らなければ活きてこない、、、んだけど、こんな法則めいたものを素人が感じ取っている時点で色々予測の網が張り巡らされているということだ。
そしてM-1がこういう方法論の頂点を決める大会になっている。まあ仕方ない。芸人の人生を左右してしまうようになったのだ。だからラパルフェを例に上げた。あの芸を決勝に上げるわけにいかないのが今のM-1だということが言いたかった。M-1という神聖な大会に対する禁忌であり、まあ一般受けもしないだろう。これは漫才なのかという議論も生むだろう。多分松本人志もあれは漫才ではなくコントだと否定すると思う。だけど、ラパルフェのネタを決勝で初めて目にしていたら、と想像する。「次のコンビはラパルフェです。どうぞ!」「どうも〜ニューヨークで〜す」絶対に爆笑していただろう。面白いだけが正義であれば、増田にとっては優勝候補の筆頭だ。
これもいくつか見た。実は増田もそう考えている。審査軸であったり前哨戦のストーリーを楽しみ、研ぎ澄まされたアスリートたちのようにしのぎを削り勝者を決める。それを観た素人が立ち飲み屋で阪神戦を観ているおっさんのようにああだこうだと(今もね)議論する。それでいいじゃないかと、実は増田も思っている。そうしたM-1グランプリが大好きだし、これからも必ず全てのネタは観るだろう。
あくまで意表をつかれる突発笑いというM-1が本来カバーしていない領域の笑いにフォーカスをあてればはてぶでバズるのでは?という増田の邪な気持ちで不快にしてしまったとしたらすまなかった。
ただ、M-1でもそういう突発笑いをたまに生んでくれるのでこれはいつも楽しんでいる。わかりやすいところでいうと敗退コメント。
敗退コメントはもともとウケを狙う場所ではなかった。そこを開発したのは西田だと思っている。声を出した笑った。あと、ニューヨーク屋敷は敗退確実な審査中、しかも松本人志の講評中にさえぎる形で「最悪や!!」を出した。かなりリスキーな行為だが見事にハマってめちゃくちゃ面白かった。これも発明だ。
だが、これらが発明されたことでフォロワーが生まれる。そうなるともうこちらは予測してしまっているわけでまた突発笑いは起きにくくなる。そんな中、真空ジェシカは想像を上回るコメントで笑わせてくれた。本当にすごいと思う。
ネタでもそういう事前予測を裏切るか上回ってくれると突発笑いが起きる。ミルクボーイのツッコミは「ほなコーンフレークやないか」と「ほなコーンフレーク違うか」の2種類しかないというかなり特殊な構成だ。ツッコミの後でさらに面白い解説を加える。始めてこのシステムに出会ったときの違和感とも言えるような感動と面白さは歴代最高得点にも納得がいく。2025年のたくろうの最終決戦のネタも増田には予測の裏切りが感じられとても面白かった。
そうだよな。本当にそう思う。承認欲求でついやってしまった。ゴメンな。
本当に!劇場に足を運んでいるわけではないのでスター発掘の場として素晴らしいと思う。
完全に同意する。煽ってごめんな。
な!な!そうだよな!ほとんどの人がここだけは同意してくれている。
出演者や放送作家が本当にこの長さが最適だと主張しているのなら別だが、年を追うごとに長くなっていったこととか、今回の終了際の中川家 礼二のコメントなどを踏まえると、TV局側のビジネス都合がめっちゃ匂い立つ。M-1を面白い番組として守るためにも皆で声をあげていってほしい。
確かにそうかも。臨場感含めて面白さ倍増しそう。多分そうなんだろうな。劇場に見に行ってみようと思えた。ありがとうな!
ということで以上です。
「危機」を煽ること、危機を身近に感じることの意味が微妙に違う。
世界では、危機を煽るというのは「温暖化で『世界』が終わっちゃうぞ。『みんな』で解決しなきゃいけないぞ」という話になる。
日本では、同じことを言っているようで「『自分だけ』うまく逃げる方法はこれだ」という話しか、実はフォーカスされない。
聞く方もそれしか聞かない。環境の話、地球の話をしてるのに、「自分だけ」助かる方法しか耳に入ってこないし、言う方(注目で稼ぎたい奴しかいない)も、それしか聞いてもらえないから言わない。
気づいてた?
https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5
ホッテントリ入りしてたので読んだけど、なんか反論おかしくないか?
「読書習慣がある人」は統計的な定義として、「月3-4冊読む」と定義付けされてるけど
読書習慣があると回答した人の平均値が凡そ月3-4冊とのことだけど
その意味でいえば、月3-4冊読む人だけにフォーカスして続く議論の材料にしているけど、これ月3冊以上で3-4冊以上読む人も話に加えないとおかしくないか?
更に月平均3-4冊勢読む人が労働期間中(生産年齢)に数値が底を打ち、退職後に回復するという仮説を立てているが、これもなんか論拠としてあやふやに思える。
60歳以上は20-59歳に比べて月3-4冊読む人の割合は確かに高い。ただこれが元々読書習慣があった層とは断言できない。
それまで読書習慣がなかったけれど、定年後に本を読み始めたという場合も想定できる。
また労働時間から解放されて余暇ができた、という要因以外に、高齢者であると体力に限界ができたり、付き合いが減ったり、年金暮らしで現役よりお財布も厳しいので
図書館などで本を借りるということも増えるのかもしれない。
そもそも月5-6冊、7冊以上読む人についていえば、指摘するようなU字カーブは起きていないし、反論としてやや短絡的な印象は受ける。
著者は京大出身のベストセラー作家で大学で教鞭も取っておられるお方みたいだが、
その割には統計的解釈が明らかに恣意的に思え、一瞥しただけで首を捻ってしまった。
増田は私文のあっぱらぱー学部卒なので統計学などわからんので、本当は著者が言うことが合っているかもしれないが、何だかもやったので殴り書きしてみた。