
はてなキーワード:ピカチュウとは
はてなに書いてみたいと思った。
その子とは長年連絡を取り合ってなかったが、実は先日、親戚付き合いの時に出会った。祖父方にあたる親戚の家のダイニングで。
その時に思う事があって、増田をしたためることにした。増田はたまに短文を書くくらいである。
その子と初めて会ったのは、私が21才の時だった。当時は茨城県にある大学で電気工学を学んでいた。夏休みの帰省先である実家は、(秒速5センチメートルの聖地)隣の栃木県にあった。
ある夏の帰省時に……その実家から、ほどなくの距離にある親戚の家に行ったのだが、玄関に入った時に、はとこに当たる子がいた。
当時は「はとこ」という単語は知らなかった。誰がどの親戚筋にあたるとか、そういうことにも興味なかった。ただ「女の子がいるな」としか思わなかった。
その、はとこに当たる子なのだが、『野乃花』ということにする。プリキュアの方ではない。野乃花(ののか)は玄関口で私と目が合って、「こんにちは」と言ったのかな。それは覚えている。
帰省時に親戚の家に行っても、一応成人である私は暇を持て余していた。子どもの頃から何度も行ってるが、その時みたいに居間でくつろぐことが多かった。周りは子どもばかりである。
親戚の子どもたちは皆ゲームをしていた。スマブラというゲームだった。大乱闘スマッシュブラザーズ。
私は任天堂のキャラをほぼ知らなかった。ピンク色のあれがカービイって言うのはわかったけど、あとは知らないキャラだった。ピカチュウも辛うじてわかったくらい。
ゲームを一切しない子どもだった。家にスーファミもPS2もなかった。家の近くにある里山に出かけて、危険であろう山奥まで踏み込んで、昆虫やトカゲを捕まえて飼育するのが好きだった。日本にいるはずもないチンチラがいないか探そうとしていた。
親戚の子ども達は居間でゲームするだけじゃなくて、子どもらしい身体を動かす遊びもしていた。外での運動だった。まさにスマブラ。
居間でも、廊下でも、玄関でも、これでもかというほど広い庭でもそうだった。私は成人男性だったけど、元気のいい彼ら小学生の相手をすることもあった。
野乃花は、大人しい子……でもなかった。わーきゃー言って水鉄砲を打ったり、私に体当たりをしてゴロンとひっくり返っていた。溌剌な子だった。
野乃花はその時、7才だったはず。14才差なので。小学校に上がった年である。いい頃合いの年齢ということで、(私から見て)遠い親戚の人も、野乃花を本家筋の実家に連れてきたのだろうか。
それはそれとして、大学生であるというのに私は、毎年夏や大晦日になると……その親戚(本家筋)の家に行っていた。小学校~中学校の頃は、それこそ年に何度も。
うちの母親が私や兄弟を連れて行くと、祖母が漏れなく一万円をくれるのだった。うちの母親は、ことあるごとに其処に行っていた。子どもを連れて。ある種の集金システムである。
私は子どもながらに察して、祖父母にあざとくした。可愛い子だと見られようとした。今思えば浅ましい考えかもしれないが、毎回寄るだけで一万円をくれるのだから、それくらいは当然と思っていた。
中学生や高校生になると、親戚の家に行くことはなくなっていた。
しかし大学に進学すると、また急に行く頻度が増えた。私と祖父が同じ大学出身で、学群も同じ(祖父の時代は学部)だった。お気に入り度が上がったのだと思う。
20才になる年に入ると、祖父のとっておきの日本酒や焼酎を飲ませてもらった。あの頃はおいしい酒の味がわからなかった。モンテローザ系列の味に慣らされた舌には、明らかに上の味だったけど。
え、野乃花?あの子は、、、私が22才、23才、24才になる年も、毎年ずっと会い続けた。親戚の家に行く度に必ずいた。ほかの子はいないこともあったし、来なくなる子もいたのだが。
今思えば、懐いていたと思う。よく会話をしたし、ごっこ遊びにも付き合った。
夏休みや冬休みの宿題を私が教えることもあった。「増田くん。あたまいー!」とよく言ってくれた。私は漢字に弱かった。今でも書き誤りをすることがよくある。
野乃花に、「こないだの発表会でね、その旨(うま)をまとめて発表します」と読み間違えた話をしたが、さすがに理解してくれなかった。
ある日、曇天で雷が鳴っている時に、雷を素早く動いて躱せるのかという話になった。私が「雷はね。上から落ちてくるんじゃなくて、下から上に昇ってるんだよ」と伝えると、「うそ。ほんとー。今度試してみる」と言った。「絶対に試したらダメだよ」と釘を刺した。
野乃花について、はっちゃけた雰囲気の子を想像するかもしれないが、実際は年齢に見合わない利発な子だった。理屈っぽい私の話を、「へえ」と面白がってくれる唯一の人間だった。
夕食の時は席が大体隣だった。誕生日プレゼントをあげた時は抱き着いてきた。年齢差はあったけど、会話が弾んだ。
親戚の大人達が家にいない時だと、2人きりになることがあった。かくれんぼとか、鬼ごっことか、ノートPCでヤフーのポータル画面を開いて、いろんなことをググったりした。(ほかの親戚と一緒に)花火大会にも行った。水族館にも。遊園地にも。
彼女は明るくて溌剌としていて、私みたいな陰キャラとは違った。いわゆる"いい子"だった。はてなブックマークでいうと、女性ブクマカでトップコメに入りがちな、快活な方々がおられると思う。あんな感じの、知性やユーモアを伴った明るさである。
25才の頃は、新卒で入った茨城県にある電機メーカーに勤めていた。
親戚の家に行くのは、年に2回ほど。祖父は、私が社会人になっても毎年お小遣いをくれた。「早く技術士になれよ、期待してるぞ」って、行く度に祖父が言ってた。それから十年もかかったが、祖父と同じ電気分野で技術士の試験を通った。
それくらいの年齢になっても親戚の家に行ってたのは、野乃花のことが頭にあった。私に懐いてくれる女性というのは、それまでの人生で彼女しかいなかった。私はモテなかった。はてな語で言う弱者男性。
ある年の夏だった。自家用車で一人でその家に行くと、玄関口の廊下に野乃花がいた。靴を脱いで、家の廊下に上がったところに古い掛け時計があった。ずっと昔からあって、玄関に上がる時は時刻を見るクセがあった。
廊下に立っていた野乃花に近づいていって、野乃花の両肩に手を置くと、野乃花が唇を突き出した。キスをした。口にする方だった。
私は別に、ロリータの同人誌やアンソロジーを持ってたわけじゃない。そういうR18コンテンツに触れたこともない。当時の私は、社会人としての勤めや、理工学の勉強の日々の傍らに、読書をしたり映画鑑賞をする男だった。年少への性癖はない。ただ、孤独への性癖があっただけだ。
野乃花とのキスというのは、その時が初めてじゃない。鮮明でない記憶だけど、初めての時は、私が22~23才くらいの時だった。野乃花が8~9才くらい。
親戚の家の中ほどにある居間で、2人だけになってる時に、身体が不意にくっついて……その流れで、人生で初めてキスをした。少し大人になれた気がした。
それからは、2人になる度に、親戚の目がない時にキスをしていた。唇を合わせるだけの簡単なやつを。一日に何度も。別に理由はなかった。私も野乃花も、ただしたかっただけだと思う。
野乃花が小学校を卒業する年の2月だった。初めて2人だけで外に出かけた。それまでは、親戚付き合いの中で、花火大会とか水族館とか、飲食店などに一緒に行っていた。それが、野乃花が親に携帯電話を買ってもらい(青っぽいガラケー。私はスマホ)、LINEでやり取りするようになった。
デート場所は茨木駅周辺だった。茨城ってぶっちゃけ、鳥取~島根クラスに何もないところだけど、大きい駅の周辺では、ショッピング、グルメ、自然、文化体験など色々楽しめる。野乃花のいる栃木でもよかったけど、『秒速5センチメートル』ごっこになってしまうのでやめた。積雪で電車が止まるかもしれない笑
その日は、夕方まで一緒に何時間も過ごした。最後は美術館に行って解散した。帰りの電車賃は社会人だった私が出した。それ以外の、食事代とか入館料は割り勘だった。出そうとすると、野乃花が嫌だと言った。
電車が出る時間になってホームで別れる時、「楽しかったね」と私が言ったら、野乃花が「今日、一緒にいられない?」と聞いてきた。潤んだ瞳だった。吸い込まれる瞳ってどこかの小説に地の文があったけど、あれは作者の実体験だったんだと感じた。
「仕事あるからね。また今度ね」と言うと、野乃花は俯いて電車に乗った。最後に手で肩に触れて、「バイバイ」ってお互いに言った。野乃花は泣いていた。
あの頃は、年齢差のことを考えることがあった。私と野乃花の年齢差は、年度でいうと14年分。一番最初に会話した時は、小1と大3だった。
(以下閑話)※当時のメモを参考
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年齢差についての関数
年数をxとして、お互いの年齢の比をf(x)とすると、f(x) = (a+x) /(b+x)となる。年数xを経る毎に0<f(x)<1で単調増加で1に近づく(極限操作)。
お互いの年齢比が0.5になるときの経過年数は、式変形によりx=2a-bで表現できる。この比率をもっと一般的に表現すると……。上記のf(x) = (a+x) /(b+x)を微分すると、商の微分でf`(x) =(a-b) /(a+x) ^2
f`(x) =0になる極値は……?と考えると、残念ながら存在しない。
元の関数f(x) = (a+x) /(b+x)というのは、式変形すると、f(x)=1+((a−b)/(b+x))となる。これは、f(x)=a/(b+x)という直角双曲線をグラフ平面において平行移動させたのみである。
直角双曲線は微分可能であるが、極値がない。正負の値を関数に入れると、グラフ上で左右に分かれて存在することから、右極限と左極限が一致しない。
方程式 f`(x) =(a-b)/(a+x) ^2において、a−b=0が成り立つのは、a=bの場合のみ。導関数はゼロ。定数関数であり、傾きはない(定数関数が微分可能かどうかは流派による)。a≠bだと、導関数がゼロになるxの値が存在しない。
年齢算という算数を扱っている以上は、関数の形状はシンプルである。一番知りたい特定の値に向かって方程式に数値を入れるのみ。私は複雑な答えを求めたが、その行為自体が適切でなかった。つまり、二人の年齢差というギャップは、数学的には永遠に埋まらないという無慈悲な証明だけが残った。
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(閑話終わり)
野乃花が中学生になった年だ。私は茨城県にあった電機メーカーを辞めて、他業界のIT企業に転職した。広島市に営業所があるメガベンチャーだった。
仕事に忙しい日々だった。距離があるので関東に帰ることも無くなって、それで……野乃花とはそれっきりになった。LINEのメッセージも、いつの間にか途絶えた。既読無視をしたのは私の方だ。
今は独立して、都内でIT関係の下請けをしている。フリーランスだ。ハイクラスエンジニアでは決してない。うだつが上がらない日々だけど、いつかは1人社員の株式会社にしたいと思ってる。今の自営業の屋号は、結構厨二が入っている。実年齢よりも幼い人間なのだと感じる。
なぜ、この日記を書こうと思ったか。正月に野乃花と会ったのである。もちろんあの親戚の家で。あそこに行くのは久しぶりだった。
其処に行く途中の車内で、母に聞いた。あの家は祖父も祖母も亡くなっていて、今は叔父夫婦が住んでいるだけ。跡継ぎはいない。子どもはいたが、みんな自立したらしい。大きい家なのに勿体ないって、そんなことを思いながら親戚の家に着いた。
玄関を上がって、あの時の古い掛け時計が別のに変わっているのを見て、それから台所(兼ダイニング)に行くと、親戚が何人か座っていた。その真ん中あたりに……野乃花がいた。
野乃花と会うのは約15年ぶりだった。
私と目が合うと笑顔になった。ダイニングの隣にある小さい居間では、親戚の子達が皆で一緒にタブレットでアニメを観ていた(私はここ数年アニメを見てない)。少年の時、ボードゲームをしていたのが懐かしい。あの頃より人数が減っている。
話は変わるけど、もし『グノーシア』のボードゲームや、人狼ゲームがあったらやってみたい。一生叶うことはないだろうけど――もしアニメ化もされたら観てみたいと思う。
野乃花を見た後で考えた。
まだ夕方ですらなかった。これから何をしようか、どうやって暇を潰そうか。スマホを操作するだけでは勿体ないし、懐かしいその辺りを散歩しようと思った。
本当は野乃花と話したかったけど、連れていくわけにはいかないし、話せるだけの心の余裕もなかった。それに、野乃花は夕食の準備を手伝っていた。
近所の散歩が終わって、台所兼ダイニングで豪華な夕食を食べて、ビール瓶を何本も空けて、親戚連中の大人(あの頃の子ども達)とたくさん話をして、トイレに行ったり、親戚の子の遊びに付き合ったり、お年玉(※宿泊費)を払ったり、十数年ぶりの親戚の家は懐かしい。野乃花はずっと飲み会を手伝っていた。
飲み会の後、ダイニングでスマホをいじっていると、深夜が近づくにつれて親戚の数が減っていった。「そろそろ寝ようか」と思ったところ、廊下から野乃花が入ってきて、こちらに歩いてきた。私の隣の席に座った。結婚指輪はしてなかった。
「久しぶりだね」
と私が声をかけると、
「増田くん元気そうだね」
と返ってきた。
面影がすごく残っていて、懐かしい感じがした。
子どもの頃の就寝時間は午後十時だった。今は大人だから、あと一時間は起きていられる。野乃花と喋ってから寝ることにした。
思ったより多くの会話をした。卒業した学校とか、就職先とか、今の趣味とか、好きな本とか、最近観た映画とか。私はサブカルが好きだけど、野乃花もそうだった。アニメだと『ブルーロック』の話をした。エゴの塊みたいなキャラの話で盛り上がった。漫画・小説の話もした。吾峠呼世晴の初期短編集は2人とも読んでいた。
でも、野乃花が不意に言ったのだ。
心臓がドンって叩かれた。この時まで、悪いことしたという思いはなかった。
でも、この時になって、私があの頃、どういうことをしていたのかって、そういう思いが一瞬で頭の中を駆け巡って、後悔が襲ってきた。
「迎えにきてくれると思ってた。連絡がほしかった。私は増田くんに会いに行けないのに」
野乃花を見ると、涙を拭っていた。鼻もすすっていた。
それから沈黙が続いて、「ごめんね」と言った。そしたら確か、「増田君は結婚したの?」と聞いてきた。
結婚どころか、離婚まで経験していることを話すと、野乃花は爆笑していた。机に突っ伏して、本気で笑いを堪えている様子だった。話を続けると、野乃花も一度離婚を経験していた。
なんだか変な雰囲気になって、それからまた、さらに笑える話を(お互いに)続けて、そうこうしてると午後11時になった。LINEの連絡先を交換して寝室に入った。
読者の方は察してるとは思うが、私はいわゆる発達障害である。診断済みだ。
メガベンチャーに転職をして地方都市に引っ越した後、仕事の人間関係で苦労することがあった。明らかにおかしいと思い、精神科医に診てもらったところ、様々なテストの後に、そういう診断が出た。子どもの頃からの行動傾向を見てると明らかだった。
ある情報によると、発達障害の精神年齢というのは……実年齢×0.60~0.70らしい。青春期の、精神が最も発達する年代に脳が発達をしてくれない(脳発達のピークが30代にくる)。
一方で、一般的な女の子は、男の子よりも数才精神年齢が高い。ということは、最後に野乃花と会った時の精神年齢は……私だと26才×0.60~0.70≒15~18才ということ。野乃花が実年齢12才+2~3才とすると、14~15才ということだ。
あれ、なんだこれと思った。そういう視点で考えると、野乃花との年齢差があっても話が通じたことの合点がいった。
話は以上である。
我ながら恥ずかしい執筆体験だった。私の言葉で思い出を表現できてよかった。理屈っぽくて読みにくかったとは思う。
でも、言葉にしたかった。あの時、親戚の家のダイニングで、20代後半になった野乃花と再会した時の衝撃とか、それよりずっと前の、野乃花との楽しい日々の思い出とか。ここで、こうして吐き出すことができてよかった。
明日からは、また一人のはてなユーザーである。みんなの面白い日記を、また読ませてほしいです。ここまで読んでくれた人、ありがとうございました。
金玉をね
袋から取り出して、
土に埋めるの。
そしたらそれが
種芋ならぬ種玉になって
それを収穫して
袋に戻すの。
すると金玉100個とかの持ち主になれるの。
でね
近所の少年に声をかけて
「金玉、いる?」
と聞くんだ。
そしておもむろに少年の袋をこじ開けて(これは無意識層で少年の許可がないと開かないので、開いた時点で同意は取れてるものとする)、
2、3個、金玉を入れてあげる
少年は「やだよ!やめてよ!!」と泣き叫ぶ
しかし私は笑ってこうい言う
「金玉1つでポケカの【ピカチュウLV.12(ベストフォトコンテスト) [旧裏面] No.025】と同じ価値があるんだぞ?」
すると少年の目の色が変わる
「そうさ、トレカショップで金玉を見せるがいい。するとレアカードと引き換えてもらえるんだ」
「おじさん、ありがとう!」
もちろん、これは嘘の話だが、それくらいの価値はあると私は思っている
さあ、今夜も金玉を配り歩こう
「俺たちのIP(ピカチュウとかクラウドとか)をそのまま出力するな」なら分かる。でも「無断学習自体を禁止しろ」は筋が悪くないか?
ゲーム開発会社ってことはテック企業でもあるんだから、コーディングやらにLLMを絶対使ってるはず。
軽く調べたら、まあまあ事例もそこそこでてくる。
プログラマーが生成しているプログラミングコードだってKubernetesのマニフェストだって、Web上のブログ記事やGitHubのコードみたいな、大量のデータを「無断学習」した結果として成り立ってる。
例えば、「100万本のブログ記事を無断学習した結果、『こんにちは』を『Hello』と翻訳するAI」があっても、誰も著作権違反とは言わない。出力結果の『Hello』に著作権はないからだ。
じゃあ、同じ理屈で「ピカチュウの画像を100万枚無断学習したAI」が、人間が描いても著作権違反にならないような(ピカチュウそのものではない)何かを出力したとしても、それは違反にならなくないか?
「俺たちはオプトアウトとか関係なく、人様の著作物を無断学習しまくって作ったAIを業務で最大限活用して金を稼ぐ。でも、俺たちが描いた『絵』だけは神聖なので無断学習は許さない」
って反AI絵師さんみたいなスタンスは、どうしても論理的一貫性がないなぁと感じてしまう。
これは単なるビジネス上の知財戦略と割り切ってしまえばそうだとは納得できるんだが、自分が見落としてるだけでテキストの学習と画像の学習には、何か根本的な違いがあるのか?
仕事に、家事に、住宅ローンに追われる中年サラリーマンが、子どもたちの“ポケモン熱”を前に苦笑いを浮かべた。
「いや~最近のポケモンって、なんかこう……“リアル”すぎないか?」
かつて息子・しんのすけと一緒にテレビの前で見た『ポケットモンスター』。あの頃は、ピカチュウがチョロチョロ走り回って、サトシがドジしながらも成長していく姿に、妙に元気をもらったものだった。
だが、今のポケモンは――と、ひろしは眉をひそめる。
「映像もグラフィックも綺麗なのはいいんだけどさ……なんか“ゲーム”っていうより“仕事”になってないか? データ集めて、効率化して、対戦して……オフィスの会議みたいだぞ」
効率よくレベルを上げ、最強のポケモンを育てることに執着するその姿勢が、まるでブラック企業の社畜精神を映しているように見えるという。
「ポケモンって、もっとこう……“出会い”とか“旅”のワクワクがあっただろ? それが今じゃ、ネットで調べて“このルートが効率いいです”だ。サトシが聞いたら泣くぞ」
「期間限定ポケモンとか、特典商法とか……そういうの、パパの財布に効くんだよ。家計簿をつけてる身にもなってくれ!」
さらに、スマホ世代の子どもたちの“遊び方”にも苦言が止まらない。
「しんのすけもそうなんだけど、最近は“友達と集まって遊ぶ”より、“オンラインで知らない人と対戦”だろ? 俺たちの時代は、公園で虫取りしてたんだぜ。今の子たちは“ポケモン取り”で外に出るけど、結局スマホしか見てねぇ」
「ポケモンってさ、勝ち負けだけじゃないだろ。負けても“また頑張ろう”って気持ちが育つ。そういうのを、ゲームの中だけじゃなくて現実でも教えたいんだよな。……ま、しんのすけにはまず宿題をやらせないとだけど」
家族を守り、働き、時に愚痴りながらも愛情を忘れない父親・野原ひろし。
「ちがうよ。オレたちが旅してた頃のポケモンは、“捕まえる”ことより“出会う”ことが大事だったんだ。」
新作『PokémonLEGENDS Z-A』が発売されてからというもの、ネット上では賛否が渦巻いている。かつてカントー地方から始まり、幾多の仲間と冒険を重ねてきた“永遠の少年”サトシは、その喧騒を黙って見つめていた。だが、彼の胸中には深い失望があったという。
世界を歩くというより、画面の上で指を滑らせるだけ。
それじゃあ、ピカチュウの電気の温かさも、風の匂いも、感じられないじゃないか。」
「オレは昔、知らない草むらに飛び込んで、ボロボロになりながらポケモンを見つけた。
負けても、転んでも、それでも前に進むことが冒険だったんだ。
でも今のポケモンは、まるで誰かが決めた“安全なルート”を歩かされてるみたい。
彼は言葉を選びながらも、時折寂しげに笑う。
「ピカチュウは今もそばにいる。でも……あの頃の“ドキドキ”は、もうこの世界にはいない気がする。」
——“旅”を失ったポケモンに、再び風が吹く日は来るのか。
日本では全く知られていないが、10月24日に「HaloWorld Championship 2025」というイベントが開催される
https://www.halowaypoint.com/esports/halowc
平たく言えば人気FPS「Halo」の大会なわけだが、この場でHaloシリーズの何らかの新作が発表され、その中にはPS5版も存在するのではないか、という噂で持ちきりだ
Haloシリーズはマイクロソフト傘下のスタジオが開発する、マイクロソフトのゲームを象徴するタイトルであり、主人公である「マスターチーフ」は任天堂でいうところのマリオやピカチュウに相当するキャラクターである
それが、マイクロソフトが販売するゲーム機「XBOX」のライバルであるPS5にも登場するとなれば、そのインパクトはかなりのものになると思われるが、筆者個人はそれほどの事態にはならないだろうと推測する
なぜなら、奇しくも先日、マイクロソフトのゲーム事業のトップであるサラ・ボンド氏がインタビューで「ゲーム機の独占タイトルは時代遅れ」と発言したばかりである
https://news.denfaminicogamer.jp/news/251023x
実はここ一、二年ほど、マイクロソフトはかつてXBOX独占だった数々の自社傘下スタジオ開発の人気タイトルをPS4やPS5向けに発売してきた経緯がある
また一年前、Haloシリーズの開発を担当していた「343 Industries」が「Halo Studios」へと改称し、さらに開発エンジンを自社独自のものからUnrealEngineに切り替えると発表もされていた
UnrealEngineはソニーも出資する、複数のメーカーのゲーム機に対応した開発エンジンであり、プレイステーションやニンテンドースイッチ向けの開発実績も豊富だ
こういった直近の流れを知っている者には、PS5版Haloの登場は以前からの既定路線として比較的静かに受け止められることだろう
正式発表された模様
https://www.theverge.com/news/805174/halo-campaign-evolved-remake-xbox-ps5-release-date
ヴェルサイユのテニスコートに響いた「自由」の声。それは旧体制を打ち破る、人間の尊厳への誓いだった。だが、現代の日本において、同じ熱狂が別の形で蘇っている。——ポケモンという名の帝国のもとで。
「捕まえる」ことがゲームの本質だったポケモンは、いつの間にか「捕らわれる」構造に変わった。プレイヤーは自ら進んでモンスターボールの中へと入り、課金と懐古の鎖に繋がれる。任天堂が築いたこの“デジタル王政”において、民衆は革命を語らず、ただアップデートを待つだけだ。
テニスコートの誓いに集った民衆は、王権に抵抗した。だがポケモン世代の群衆は、逆に“王”の発表会に拍手を送り、SNSで歓喜の波を拡散する。そこにあるのは、自由ではなく同調の美徳。進化とは名ばかりの、同一性の増殖にすぎない。
ポケモン帝国は革命を模倣することで、革命を終焉させた。民衆が立ち上がる代わりに、「ピカチュウ」が笑う。理想の国民を作り上げたルイ16世が夢見たものは、もしかすると、こんな従順なデジタル市民だったのかもしれない。
——テニスコートの誓いはもう起きない。なぜなら、民衆はすでに任天堂の掌の上で、幸福そうにモンスターボールを振っているからだ。
朝、目を覚ましたとき、
世界はすでに、終わっていた。
風は吹いていたが、それは風ではなかった。
ポケモンセンターの自動ドアが、壊れたように開いては閉じていた。
人々は行列の形を保ったまま、静止していた。
瞳の中には、捕まえ損ねた幻影がまだ揺れている。
彼らは誰も死んでいない。
ただ、ログアウトしているだけだった。
その眠りは深く、やさしく、永遠だった。
──「つづく」。
わたしは歩いた。
どこへ行くあてもなく、ただ、滅びの余韻を追って。
けれどそれは風の音かもしれない。
もう、区別はできなかった。
ピカチュウの笑い声が、薄明の空に響く。
戦争も、飢えも、涙もなかった。
ただ、“たのしさ”がすべてを覆った。
だが今は違う。
その「誰か」さえ、もう存在しないのに。
画面の奥に、まだ小さな光が残っている。
そこには、あの黄色い影がいた。
彼は微笑み、口を開く。
──「おかえり」。
その声を聴いた瞬間、
ピカ。
それは、
文明が消える音だった。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
小学校のとき、先生に知能に障害がある子のうちに遊びに行かされた。
彼は脇目もふらずにポケモンをやっていて、正直、「こいつでもポケモンとかわかるんだなあ」と思った。
三十分ほど彼のプレイを見ていて、とても悲しい事に気が付いた。
彼がそのゲームでやっているのは、マサラタウンの周りでポッポやコラッタを倒す、ただそれだけだった。手持ちはただ一匹のピカチュウで、そのレベルは50を越えていた。彼は永遠、でんきショックで草むらのポッポを倒し続けた。
とても楽しそうだった。
先に進めてやろうと思いゲームボーイに手を伸ばしたら凄い剣幕で怒鳴られた。なんて怒鳴られたか聞き取れなかったけれど、とにかく怒鳴られた。
それを見て彼の母親が「ごめんなさいね、○○ちゃんはポケモン大好きのよ」と僕に謝った。
僕はそれ以来、ゲームをやらなくなった。以前のようにゲームにのめり込めなくなってしまったのだ。ゲームボーイを握るとやるせなくなった。友達の家に行ってもみんながやるのを見ているだけだった。
その間、僕はゲームに興じる友達の背中だけを見るように努めた。
本当にむなしかった。
その内に、僕はポケモンを憎むようにさえなった。今までの人生の中で、あんなに何かを憎んだことはない。
それは真夜中に僕を目覚めさせた。
僕はソフトを彼に全部あげて、本体は捨ててしまおうと思ったが、兄に怒られそれすらできなかった。
一人暮らしをしている今でもゲームは嫌いだし、もちろん家にも置いていない。
時々、彼と、永遠にチャンピオンロードに辿り着けなかったであろう彼のピカチュウの事を思い出すと、とても悲しくなる。
本日は「ポケモンは教育に悪いのではないか?」というテーマでお二人に語っていただきます。まず、佐伯先生からお願いします。
私は断言します。ポケモンは教育にとって“害悪”です。ある事例を紹介しましょう。小学生のある子は、知的障害を抱えていましたが、ポケモンだけに執着し、永遠にマサラタウン周辺でポッポを倒し続けていました。レベル50を超えたピカチュウで、ただ「でんきショック」を繰り返すだけ。これは“学び”ではありません。進歩も挑戦もなく、ただ同じ行動を繰り返す中毒状態です。
まったく同感です。その子自身が抜け出せないのも問題ですが、周囲の子供にまで悪影響を及ぼす。彼と遊びに行った友達は、ゲームの楽しさを失い、やがてゲームそのものを憎むようになった。つまりポケモンは、一人の子供を“閉じ込める”だけでなく、他の子供の心からも健全な楽しみを奪うのです。
ポケモンの構造そのものが問題なんです。捕まえる、倒す、育てる――。この単純なサイクルが「思考停止のループ」を生み、達成感のような偽物を与える。教育的観点からすれば、それは「成長を停滞させる装置」です。
しかも、親の側も「ポケモンだから安心」と思い込みやすい。母親が「この子はポケモン大好きなんです」と微笑ましく語る一方で、子供は現実に一歩も進めないままゲーム内で足踏みし続けている。これは健全な学びの奪取であり、家庭教育の崩壊を助長しているに等しい。
その通りです。ポケモンは「教育に良い」とされがちですが、実際は“害悪”でしかない。子供を中毒にし、挑戦心や創造性を奪い、現実社会に適応できなくしていく。
私は極論を恐れずに言います。ポケモンに夢中になる大人もまた、その毒に侵された犠牲者です。子供の頃に学ぶべき“現実との向き合い方”を学べず、社会に出ても幼稚なまま。ポケモンは世代を超えて教育に悪影響を与え続けているのです。
【結論】
なんてイベント告知をしてるので
子どもを連れて行ってちょっと写真を撮ったりして終わるとスタッフが
「携帯はどこをお使いですか?」
最初の頃は分かってなかったので
なんだよ携帯の営業のイベントかよーと思って面倒に思ってましたが、
最近やり方が巧妙になってきて
あれ、これはショッピングセンターのイベントなのかな?と思いきや
奥にこっそりと仕切りがある部屋があってそこに連行される始末。
なんかもう姑息すぎない?
(そういう人のために隠してるんだろうけど)
さらに買い物帰り、おじいちゃんが話しかけられて月額を答えてたら
「それはうちのほうが安いっすね!」
とどんな契約内容なのかも聞かずに調子を合わせて会話するスタッフ見て本当幻滅。
「ポケモンGOでムゲンダイナが貰えるからチケットを買って欲しい」
ピカチュウは子供っぽいから嫌だといい、好きなポケモンは1位 ムゲンダイナ、2位レックーザ、3位ミライドンだというちょっと難しいお年頃の娘。8歳。
ムゲンダイナを手に入れるにはレベル60に到達する必要がある。
レベルを上げるにはレイドバトルに勝利しなくてはならない。終わった。
近くにはポケGOのプレイヤーがあまりいないのか、レイドバトルに人が入っているのをみたことがない。
かといってソロで倒すのも無理だ。
人が集まるかもしれないと、ここ2日最寄りのイオンで待ってみたけれどダメだった。
「明日万博に行くからそこでやってみよう。きっと強い人がいっぱいいるから」
そう伝えると娘は頷いた。無理かもしれないけれど最後までやってみるという娘。がんばれ!
帰ってきて調べてみると万博会場にはジムはないらしい。どうしよう・・・
いろいろ調べるうちに「みんポケ」というサイトにたどり着く。レイド募集掲示板では様々な国の人たちが集まっている。
そうか、時差があるから今の時間でもムゲンダイナレイドバトルに参加できるぞ!
緊急事態なので今回だけはママが勝手にゲームを進めることにする。
みんぽけアプリを入れて、リモートレイドパスを買って参加。ドイツの人ありがとう!感謝のプレゼントを贈っちゃう。近所の公園Thankyouステッカー付きだよ!
ここで問題に気がつく。ムゲンダイナレイドバトルに参加できるのはダイマックスポケモンだけらしい。
娘の持っているダイマックスポケモンは200CPのウールー3体。
終わった・・・
バトルは一瞬で死んだ。
部屋を立ててくれた人ごめんなさい・・・
つらいな・・・