
はてなキーワード:ビハインドとは
こうなると、為替介入が二律背反を収拾するための唯一の手段になりつつある。為替介入によって円安そのものを先に解消できれば、ターミナルレート云々によって解消する必要がなくなるため、国債金利も自ずと落ち着く。そもそもここまで急速に現実化した12月利上げの位置付けは、為替対策の利上げから更に一歩進めてみると、為替介入を可能にするための利上げではないか。ベッセント財務長官はかねてから円安は日銀がビハインド・ザ・カーブになっているからだと指摘しており、日銀利上げが米側による介入了承の事実上の条件になっているとの観測がある。財務省が為替介入をやりたいと考える証拠はないが、もし為替介入をやりたがっているのであれば、日銀も利上げするしかないという整理となる。またベッセントの内政干渉を待つまでもなく、為替介入は金融政策と方向性が揃っていなければ効果を発揮しづらい。これまでの為替介入歴を振り返ると、2024年は6月に為替介入が行われ、7月に日銀が利上げを行った。2022年は10月に為替介入が行われ、12月に日銀がYCCを修正した。2025年1月の利上げと共に為替介入が行われなかったのは、就任したばかりのトランプをいきなり怒らせるのが怖かったからだろう。再び仮定となるが、もし財務省が為替介入をしたがっているのであれば、日銀の12月利上げ前後は、為替介入の効果が持続しそうな貴重なウィンドウとなる。このウィンドウを逃したらしばらく為替介入は困難だ。この間、米国側の金融政策が緩和側に寄ると更に好ましい。少なくとも神田財務官の時代において、財務省の為替介入はかなりトレーディング色が濃く、2022年11月はWSJのNick TimiraosがFedの利上げ幅縮小を報じた直後に為替介入を行っている。2024年6月ではCPI発表後に米金利が低下した場面で為替介入を行っている。Fedの12月利下げもほぼダンディールになっており、それに逆行する形で日銀が利上げをダンディールに固めていくモチベーションは、やはり為替介入が間に挟まっている点ではないだろうか。逆に12月FOMCが金利上昇イベントになった場合、それはそれでドル円の一層の上昇を為替介入で正面から阻止せざるを得なくなる。ここまでの整理が正しければ、12月FOMCから日銀12月会合前後にかけての日程が為替介入の危険日になる。2026年1月に入ってしまうと新たにできた新NISA枠による個人投資家の円売りアタックが再開すると思われ、改めて為替介入を行ってもほとんど相場を押し下げることはできないだろう。12月利上げがあった前提で12月中に為替介入をやらなかったとなると、財務省はかなり為替介入に後ろ向きであると判断せざるを得ず、2026年1月以降に円資産を保有する理由がほとんどなくなってしまう。
財務省が為替介入をやりたいかどうかは最後まで分からないが、ブレーンはかなりやりたそうな顔をしている。先ほどのエコノミストは「介入ラインと意識されている160円に達する前でも、あまりにも動きが大きければ動く可能性がある」と述べる。また外貨準備の規模が大きすぎるため、むしろ積極的に減らしたいとの発想が紹介されている。この手のブレーンが本当に政権の経済政策を支配できるとは思っていないし、高市政権も既に決定した路線をブレーンを使ってリークしていると判断できる証拠がないが、仮に当局全体の意思として外貨準備の規模を削減したいのだとすれば、日米金利差対比でも異常値になった高値で外貨準備を利食える為替介入をやりたくてウズウズしていることだろう。為替介入がカジュアルに行われる可能性に留意すべきである。
「為替介入利上げセット説」は、日銀の任務が想像以上に困難なものであった可能性を示唆する。2024年6月に為替介入が行われ、7月に日銀が利上げを行った後に、8月の雇用統計で日本株が暴落したことは記憶に新しい。この時の暴落がこの時の暴落が政府当局によって故意に筋違いに日銀のせいにされたことが、2025年の植田日銀の心理に軽くないトラウマを植え付けた。利上げペースは経済展望に基づいて決められるが、日銀執行部の具体的な利上げ月選びのマンデートには「日本株がクラッシュしなさそうなタイミングに挿入すること」が付け加えられたに等しい。本当に利上げが毎回クラッシュを招くなら淡々とやることをやるしかないのだが、そうじゃないからこそ難しいのである。その上で、為替介入利上げセット説が本当なら、為替介入はむしろ米国の経済指標が絶好調の間はあまりやらないわけで、為替介入が為替市場を一通りかき回した後に、日銀利上げの番が来て日本株がクラッシュしたらそれは日銀が悪いということになるのだ。あまりにもアンフェアではないか。何がコミュニケーションだ。
実際に為替介入が行われたとして、ドル円レートをどこまで押し下げられるかと言うと、前回や前々回と違って投機筋は円買いポジションを残しているため、それほどの効果はないと考えるべきだ。事前に投機筋の間で為替介入期待が盛り上がってしまうと更に効かなくなる。冒頭のワニの口が閉じる、つまり日米実質金利差が示唆する通りのドル円レートは130円近辺となるが、そこまでドル円を売り崩せるならかなり驚きであり、ワニの口が半分閉じた程度の水準でもかなり大掛かりな資産の外貨シフトを行う価値があるだろう。
急速に近付いてきた12月利上げ
円安が止まらなくなった結果、日銀の早期利上げが再び近付いてくることになる。かねてから本ブログは日本には中立金利がなく、代わりに中立為替レートが存在すると主張してきた。その中立為替レートも分かりやすいわけではないが、なんとなくの雰囲気として、ドル円が150円を超えると日銀に利上げ圧力がかかりやすくなる、という経験則は今サイクルで一貫して有用であった。元々金利市場が想定していた「ビハインド・ザ・カーブでない前提下の金融政策の正常化」は概ね1年2回利上げ程度のペースだったと思われるが、2025年に入ってから1月に利上げがあり、その後は「解放の日」と関税経済でそれどころではなくなる。関税経済がどうもそこまで景気に悪影響がないと判明する頃には、今度は高市政権が爆誕してしまう。関税経済を理由に1回分の利上げがスキップされるのはやむを得ないが、12月会合と1月会合まで据置きで通過してしまうと2回分のスキップになり、そもそもやる気がないと感じざるを得ない。
高市首相は昨年夏の利上げに際して「今利上げするのはアホやと思う」と発言したことで利上げを許さない印象が強いが、今のところ高市政権として金融政策への干渉が強かったわけではない。新政権爆誕直後の10月会合で利上げが行われなかったのは自然である。政権とのすり合わせを行わないまま金融政策を変更し、後になって政権との意見の不一致が目立った場合、金融政策への信認が損なわれるからだ。そういうことがあるから年8回もの決定会合予定が設けられているのである。
12月に入ってすぐ、植田総裁の講演で12月利上げ予告に入った。特に講演資料の実質金利のチャートが、それまで国債金利から日銀スタッフが算出した期待インフレを引いて算出していたのが、政策金利からCPIを引いたものに変更されたのが決定的であった。まさか日銀の中の参謀が本ブログを目にしたわけではないだろうが、本ブログがインチキと批判してきた日銀スタッフ算出期待インフレと基調的物価が消え、より直感的に実質政策金利の異様な低さを理解できるようになったのである。新しい実質金利は「利上げしても金融政策はまだまだ緩和的である」と政権を説得しやすくなったし、その明快さは基調的物価を言い訳とした逡巡を許さない。しばらくして「政権も利上げ判断を容認する構え」との観測記事が出たことで12月利上げはダンディールとなった。高市政権の円安に対する心境の変化まで記事にされている。植田総裁もこれまで異様なまでに自信を持てなかった「持続的な2%物価目標達成に近付いている」と踏み込んだ。
なぜ12月利上げが急速に現実化し、また政権によって容認されたのか。やはり鍵は円安と中立為替論だろう。もっとも0.25%程度の利上げによって円安を反転させるのは困難と、すぐに市場参加者に足元を見られた。1回の利上げだけでなく、2~3年スパンでもっと利上げを継続できる、つまりターミナルレートの高さを示す必要があると言われ始めた。今の国債金利カーブが織り込んでいるペース通りの利上げでは為替市場が反応するはずがないため、一旦当局が利上げによって円安を阻止すると決めた以上は相当の利上げが必要となる。それを先回りする形で国債金利が大幅に上昇すると、植田総裁がまた動揺したようで「国債金利が急激に上昇した場合は機動的に国債買い入れ増額で買い支える」と発言すると、それを見て更に円安が進んだ。荒れた時の機動的な国債買入れ増額自体はYCCを撤廃した時からの既定路線であるが、金融政策への興味が薄い為替市場の参加者によって円売り材料にされやすかった。日銀は国債金利と為替の片方の安定しか選べない二律背反に陥ってしまったのである。
最近とみに感じていることを書きます.先月海外出張に行き,円の弱さを痛感しました.
それもそうです.コロナ前はドル110円そこらだったのが,今では150円近いのですから.
出張などは一時的な問題ですが,最近国内では物価高,外国人,オーバーツーリズムなど様々な問題が叫ばれています.
よく考えると円安がすべての根源ではないかと感じてきました.個々の問題で論じるより,円安是正をすれば改善に向かうのではないかと.
この分野の専門ではないので変なことを書いているかもしれません.
みなさんのご意見いただけると嬉しいです.
国内の物価高は残念ながら需要の高まりによるものではなく,俗に言うコストプッシュ型です.
我が国は御存知の通り資源が大変乏しいです.それを技術力による付加価値によりカバーしてきました.
しかし,第1次,第2次産業ではものを作るのにもエネルギーや原材料が必要です.
農業なら肥料,製造業なら資源などは海外からの輸入が必要です.それに対して円安ならもとのコストが上がるのは当たり前です.
また外国人観光客問題もそうです.オーバーツーリズムは円安であれば当然発生します.
日本が観光地として魅力的なのはありがたい話ですが,やはり限度問題だと思います.
国内出張ですらホテルが埋まって泊まれない,民泊が当たり前の状態はやはり異常事態なのではと思います.
それに円安での旅行のトータルコストが下がれば,来日する外国人の質も下がります.
ある程度の富裕層は人種に限らずそれ相応のマナーなどがあります.質が下がれば迷惑行為をする外国人も増えるでしょう.
外国人労働者問題もそうです.彼ら彼女らはその多くは日本で稼いだお金を母国に仕送りして家族を養います.
近年議論に上がる外国人排斥運動には私は反対の立場ですが,一方で如何にクオリティの高い人に来てもらうかは,
私はルールを守らない人は人種に限らず厳しく対応すべきと思いますし,ルールを守る人は人種に限らずウェルカムです.
このように近年問題になっていることは,すべて円安に起因するのではというのが個人的な意見です.
実際ニュースや政治などで叫ばれるようになったのも,時期が一致するように思えます.
円高になると輸出企業の利益は減りますが,それ以上に国内在住者のダメージは現状大きいと思います.
円安是正は単純には利上げが最も近道に思えますが,日銀は及び腰,個人的には正しくビハインドザカーブなのではと思います.
ABEMAでやってる某男性k-popオーディション番組を視聴中。お気持ち長文です。
こちらの続き
https://anond.hatelabo.jp/20250821185238
たぶん増田でこの番組を見てる人相当少ないと思うんで「世の中にはこんな世界もあるんやなあ」みたいな感じで笑ってくれたらいいなと思います。
今回は最高の教育者の話、札束バトルの話、ストーカーの話の豪華3本立てです。
【ここまでのあらすじ】
先々週に参加者が80人→48人まで減らされ、残ったメンバーによる「ポジション別評価」を先週から放送中。ダンス、ボーカル、ラップの各ポジション別に課題曲が数曲あり、最も自信のあるポジションを選んでそれぞれの曲ごと数人でチームを組む。ダンスなら振り付け創作、ボーカルなら編曲、ラップならリリックの創作が課され、その制作過程やチームの動き、成果物となるステージが放送される。
ラップチームの中になんと25歳・15歳・15歳の3人組が誕生した。
リーダーは25歳の参加者がやることになったが、問題は15歳の2人のうちどちらがメインパートを務めるのか...
2人ともラップに自信があってこのポジションを選んだわけで、当然お互いに譲るわけにはいかない。そこでリーダーが2人にラップをやらせてどちらがいいか判断することに。結局リーダーが片方の子に任せるわけだがそこで終わらずにきちんと理由を説明。「中間評価の出来次第では変えることもあるかもしれない」とも伝え、選ばれた子にも「緊張感を持って自分のパートを守る気でやってほしい」と言っていた。同じ練習生という立場だし、この表現は合っていないかもしれないが、最高の教育者じゃないか...
次回放送でさらなるビハインドシーンと本番の舞台を見れるのが楽しみ。
(ちなみにリーダーは中性的な印象のイケメンで、「ソウルの教育ママみたい」というツイートがバズっていた。)
この番組では韓国からの票は外国からの票と比べて数倍の価値があり、ファイナル(最終デビューメンバーを決める最終回生放送)ではさらに重要になる。
票を売るアカウントもあるが、あれはだいたいインドネシアとかのIPなので、韓国票を買うためには別の手段が必要。それが本国向け懸賞である。
「〇〇くんに投票してくれた方の中から抽選で〇〇名に〇〇をプレゼント!」という至ってシンプルなもので、特にファイナル生放送中の投票は1回きりであり参加しやすいため大規模な懸賞が出てくる。
ここに向けて本国の各ファンダムが賞品を買うための募金を進めており、要は札束の殴り合いが開幕しているということだ。
既にファイナル進出(おそらく上位16位圏内)が堅そうな参加者のファンダムではファイナル投票に向けた募金、
次のラウンド進出(上位24位圏内)を目下の目標とするファンダムでは現在行われている投票で票を獲得するための募金が進められている。
すでに懸賞の類をやっている個人と思しきアカウントもあり、各種商品券や現金10万ウォン(!?)、Diorの香水が出たかと思えばiPhone16proMAX(!?)まであってなんでもありだ。
純粋な人気順=オタクがお金を出せる順 とは限らないので、「ファイナルの大課金で順位ジャンプアップ」的展開もあるらしい。MoneyisPower…
先日参加者たちには休暇が与えられたようで、ソウルや近郊各地で目撃動画が上がったが、その中でも火鍋屋に来た参加者に群がるファンの動画がかなり物議を醸しており話題に。めちゃくちゃいっぱい人が群がってきてスマホのカメラまで無数に向けられ、15歳くらいの練習生の子がかなり怖がっていた。
参加者の中には既に他のグループでデビューしたことのある「既デビュー組」もおり、同じような経験も多くしてきたであろう彼らが他の練習生を守りながら移動する姿が見られたが、彼らもまた20代前半なのだと思うと複雑な気持ちになる。
韓国でこういう推しに迷惑をかけちゃう系ファンは「サセン(私生)」と呼ばれるらしい。日本語(ジャニーズ用語?)でいったらヤラカシ?
でもそれは両方ストーカーやねん...
まあ韓国人だけじゃなくて日本人の場外乱闘(主にSNS)も大概で嫌になっちゃいますが、1pick=最推しが脱落するのはもっと嫌なので今日も黙々と票を投じます。
https://togetter.com/li/2587630
一応旧帝大を出ており、周囲に東大京大は当たり前の環境から、知的障害関連の就労支援施設勤務まで経験したことがあり、まあ上から下まで色んな階層を見てきたという自覚がある。
その経験から言うけど、ある種の知的能力には「努力で埋められる範囲の能力」と「努力ではどうしようもない生来的な能力」の違いがあって、前者はともかく後者に関しちゃ明確に個人差があるよ。
どういうことか。たとえば、自分より遙かに読書スピードが速く、色んな文学なり学術書なりを自分の数倍読んできた人に出会ったことがあるけど、その人は2桁同士の足し算を暗算できなかった。二桁の足し算なんて暗算の中じゃ楽な部類なのに、それ見た時めちゃくちゃビックリした。逆のパターンもあるよね。物理学で大学院に進んだ友人は、専門分野の学術書はすらすら読めるけど、文学作品や人文学系の本は全く読めなかった。内容が頭に入ってこないんだそうだ。
何が言いたいかというと、知的能力においても「才能」はあって、それは脳の処理速度なんですよ。それは「文章読解能力」よりも前の段階にある「本を読む速度」だったり、「数的処理能力」の前段階にある「四則演算を行う速度」だったり、そういう部分です。
もちろん、そういうのを後天的に鍛えることはできなくもない。できなくもないけど、最初から速い人とはスタートラインが違うのね。つまり、初期段階でのビハインドをリカバーするのに必要な努力の総量が違う。こればかりはもうどうしようもない。
とはいえ、まあ一定程度までは努力すればどうにかなる範囲は大きい。個人的には「一般的な人」であれば、旧帝大・早慶上智・関関同立に入学するくらいは可能だとは思ってる(ただし、それなりの勉強量を積めること、勉強に費やせるだけの生育環境があることを前提にする)。このラインは間違っている可能性も当然あって、努力で届く範囲は国公立やMARCHまで下がるかもしれない。適切な線引きラインは知らん。一方で、極端な話で言えば知的障害だったり、先天的な疾患で常に体調が悪くて勉強に集中できない人だったり、あるいはASDの人だったりに同じことが言えるかというと、まあ言えないよね。
hunglysheep1 さん向けです
長らくお待たせしてすみません!私事で立て込んでしまい長文を書く時間がなかったのですが、ようやく時間が空きましたのでお返し致しますmm
全体通して見て
「女性を優先させるという考え方が分断を生んでいるのでは」
というのがhunglysheep1 さんのご主張と受け取りました。
①「女性のために協力をしても(女性の地位を向上させても)現実は非婚化晩婚化が進んでいる」
まず、非婚化晩婚化ですが、こちらはほぼ全ての先進国で起きています。
伝統的な結婚観の変化、経済的要因、個人の自由や価値観の変化、そして女性の社会進出が大きな要因ではないかと考えられています。
そうすると男性の中には、最後の「女性の社会進出」「男女平等」がなければ非婚化晩婚化は起きず、もっと婚姻は維持された、と考える方が多いようなのですが
残念ながら、女性の地位向上を推進しなくとも、女性の社会進出は進んでいたし、非婚化晩婚化は進んでいたと考えられます。
なぜか?労働力のためです。
実際のところは、【技術の進歩により女性が出産と家事以外もできる時間が生まれてきたため、資本家が更なる労働力として女性を欲した】からです。
そうすると今度は、女性がお金を手にすることができるようになります。
お金が手に入るということは、【男性に頼らなくても(=婚姻しなくても)生きていく力を得られる】ということです。
そうすると「結婚しない自由」「離婚する自由」を得ることができるようになります。
こういった経験をする女性が増え、SNS普及により彼女らから「結婚しなくても大丈夫」「離婚しても大丈夫」という新しい価値観が広がり、
こうなると「なら、以前のように女性から働く場を奪えば(男女平等をやめれば)非婚化晩婚化も解消されるのでは?」と思う人がいるのですが、これはおそらく厳しいです。
┗特に日本は少子高齢化社会で、外国人を積極的に招かなければならないほど末端の働き手がいない状態です
●【理解のない男性と結婚するくらいなら独り身の方がよほど幸せである】という通念は消えない
┗働くようになった女性たちの間では最早「不安に駆られて結婚するのはナンセンスである/それなら一人でいたほうがいい」という通念が生まれています。
実際自分の周囲も、「変な人と結婚するよりパートをしながら友達と同居して楽しく一生を終える方がよい」と考えている女性がとても多いです。
【女性の地位向上を止めたり非協力的になったとしても、非婚化晩婚化は止まらない】
【どころか、女性の地位向上をやめたり軽視したりする風潮が増せば、更に「こんな女性軽視の社会で結婚しても犠牲になるだけだ」「男性と一緒になってもいいことはない」という意識が強まり、非婚化晩婚化は加速するだろう】
ということです。
自分は男性不審気味の友人らに「「女性ならではの苦しみ(性犯罪に遭いやすい立場など)を思いやり協力してくれる男性はたくさんいるよ!」と呼びかけているのですが、
SNSの煽りなどを目にして婚活や恋愛に積極的になれないようなので、
もし男性たちが恋愛や結婚を望むのであれば、多少でも協力をした方がいいのではないか……と思います。
以上まとめると
【女性に加害する男性や社会構造を放置したり無視したりすると、
女性が苦しむだけでなく、恋愛や結婚をしたい男性の首までもゆっくりと絞めてくるので
それを少しでも止めたいと思うならば、小さな協力をしていった方がいい】
という主張になります。
ただ、「恋愛や結婚なんて必要ない。自分の人生に女性は必要ない。この国の人口が減少して国力が落ちても構わない」ということであれば無視するのも一つの手ではないかと思います。
(ただ、それが本当に真意かどうかは皆さんちゃんと確かめた方がいいだろうなと思います。
本当は女性とつきあいたいのにその気持ちを無視すると、ミソジニストになってしまい、人生の時間を無駄にしてしまいかねないので…。)
②「女性を優先させるという考え方が分断を生んでいるのでは」
>女性という属性の優先度を上げる、という考えそのものが社会の分断を生み出しているのでは?
>(ただ矛盾する条件下で最善をつくすのは現実でも良くある話です。それはそれで構いません)
>私はフェミニズムが「女性という属性の優先度を上げる」活動であり、それが社会の分断を強めてしまう、このためアンチ・フェミニスト側に回っています(ですので、フェミニストが女性への注目ではなく人間共通で見られる弱者性にのみ注目するようになれば、アンフェはもちろん辞めます)
>属性によらず経済的な困窮に注目して生活保護や健康寿命に注目した方が良いと思うのです。この「属性によらず」の点が重要で、フェミニズムではなくヒューマニズムだと思う点です
まず、自分は女性に限らず「特定の属性を優遇する(優先度を上げる)」ことが分断を生むと考えています。
なので(難しくはありますが)極力平等さを保ちながら全体の困りごとをなくしていくのが理想です。
ただそれが、「優遇」」なのか「マイナスをゼロにしている」のかどうかは、ひとつひとつしっかり見定める必要があると思います。
たとえば、視覚障碍者の誘導用ブロックが税金で作られる時、「視覚障碍者優先だ」と思うでしょうか?
誘導用ブロックは「生まれつきハンデを負っている人達が健常者と同じように日常生活に困らないようにサポートする」ためのものですから、
これについて「優遇されている」と思うことはおそらくないと思います。
では「女性」はどうか?
たとえば、今話題になっている「女子枠」などが議論の遡上に乗るのは妥当でしょう。
これまでの男性優位の状態から平等な状態にするためではあるものの、短期的にとはいえ今度は男性に不利益になる(女性優先になる)のですから、これについて賛否起きるのはごく自然です。
こういったことについては「前段の不遇があるとはいえ、さすがに女性優遇ではないか?」と議論されるべきと思います。
男性からしてみれば「男性というだけで乗れない場所ができてしまった」ということに女性優先を感じるかもしれません。
が、
女性側からすると「女性に生まれついたというだけで安心して通勤・通学できないというビハインドを背負わされていたが、ようやくそのマイナスをゼロにしてもらえた」という状況です。
(女性の痴漢被害率は41.1%で、半数近くの女性が被害に遭ったことがあります。/参考:https://www.chikanbokumetsu.metro.tokyo.lg.jp/pdf/report-02.pdf)
「電車に乗れるような健康な女性」も、生まれ持った性別が女だというだけで各段に性犯罪に遭いやすいです。)
(※余談ですが、自分も電車内で勃起した股間を押し付けられたりといったことが3回あります。混んでいて誰かわからなかったり、急いでいたり、巨漢で関わりあいになりたくなかった等で全て見逃すこととなりました。)
【生まれつきマイナスの状況に遭いやすい属性の人達が避難スペースを作ってもらった】
果たしてこれは「優遇」と言えるのでしょうか?少し考えてみて頂きたいです。
※ただその一方、被害状況ではなく【男女】で分けるため不公平感が出ることも理解できます。(男性も、7.8%が痴漢被害に遭っています。)
なので自分はで鉄道会社には電車へのカメラの設置等の専用車両以外の対抗策を進めてもらい、社会的には不同意わいせつの厳罰化を進めていってもらいたいと思っています。
※現在カメラの設置は大分進んでいるようなので、あと少し待てばこういった状況も緩和されるのではと期待しています。
なので”既にマイナスの状態にある人達”をそのまま(マイナスのまま)にしてはいけないし(女性でいうなら痴漢問題)、
もし行き過ぎた優遇の可能性があるならば、それは議論し抑える必要がある(女性でいうなら女子枠問題)】
となります。
話少しそれますが自分は、男性達が「男性だからこそのマイナスがあるぞ!」と主張してくれることはとてもいいことだと感じています。たとえば、
>> これについてですが、自分は、『生まれついての変えられない属性ゆえに「ごめんね」と周囲に言わ(思わ)なければいけないこと』の苦しみを想像する必要があるのではないかと思っています。
>これはすみません、例えば、「男性に生まれてしまったがゆえ自分の男性性をフェミニストの方から断罪され続けなければならない男性の苦しみ」を女性が想像する、という事を含みますかね
この言葉の裏にある「男性を男性だからという理由で性犯罪者かのように断罪しないでほしい」という主張は非常に真っ当だと思います。
男性を男性というひとくくりで性犯罪者予備軍のように糾弾する人々は、そういわれる男性の苦しみを想像する必要がありますし、その言動は絶対に慎むべきです。
(自分も「そういう人間はフェミニストではなくミサンドリストであり、差別の再生産をしている(女性を女性だからという理由で見下している人達と同じことをしてる)」と、
常日頃から思っていますし、そういうポストには反論するようにしています。)
男性も女性もこのように「自分ではどうしようもできない属性で酷い扱いを受けている」ということは、互いに主張し、互いに想像し協力し合って、解決策を導き出す必要がある、と思います。
なので【男も、男の評判を落とす痴漢や性加害者を許さない。見つけたら絶対にとっちめる!普通の男はみんなそう思ってる!】と喧伝するのはどうでしょうか。
そうすれば、
①男性だから悪!と断罪してくるミサンドリスト達を黙らせるが可能
(※もしここで「結局フェミニストに利するようで癪だからやりたくない」と思われましたら、
”自分を含む全体の状況を回復させることより、嫌いな人間が困る選択をする”という良くないメンタリティになっていると思うので、
いったんお休みになられるといいのかな…と思います。/上から目線のような文章ですみません。が、互いの幸福のために真剣にそう思います。)
こちらは女性の自分にはできない手段なので、よければご協力いただけるとありがたいです。
性犯罪を軽視する人間がいたら【性犯罪者を許さない!】とガッツリぶつかり、
男性に対して酷い決めつけをするフェミニストがいたら、【男性差別主義者を許さない!】とガッツリぶつかっていこうと思います。
(これは女でフェミニストである自分だからこそできる戦いだなとも思うので。)
こちらについては、「今しばらくはそうなるだろうな」と考えています。
・経済の不安定化や非婚晩婚化などによりメンタルが安定しない人が増え、
・そういった不安定な人達をカモにした分断ビジネス(分断政治/カルト)が流行り、
現状それに対する策が打てていないから
という状態はどうしても分断を加速させるだろうなと。
なので自分は、
【不安や怒りにかられている人達が安心できるようにする/記事を書いたり、ポストをしたり】
をすすめていこうと思っています。
正直焼石に水でしょうが、それでもやらないよりはマシですし、
時間が経って人々が「分断させられている」ということに気づけるようになればそこからまた回復していく可能性はあるので
地道に続けていこうと思っています。
普段木っ端アカウントで活動しているので、「こんなことになんの意味があるというんだ…」と思うこともありますが、
>そうですね、周囲の配慮が必要な人間がずっと「ごめん」「申し訳ない」と言い続けるのは苦しい。
>私も普段は「すみません」というよりは「ありがとうございます」を使うようにしています。
>今回はリアルなフェミニストの方の意見が聞けて良かったです。やはり現実的な調整が可能な思想とは思えない、というのが正直な感想です。
>貴方自身はもちろん善良だと感じています、ただすみません、やはり同調というか共感はできません。
>でも、それでも良いとも思います。これも多様性の一つだと思います。
こういったお言葉をもらえると、「考え方は違うし相入れなくとも、存在を互いに認め合えるしいい方向に進めるのだ」と嬉しくなります
私もhunglysheep1 さんは、分断を案じ、策を考える善良な方と思いました。
やり方は真逆ですが、(女性嫌悪、男性嫌悪にはちゃんとNOを突き付けて)共にこの社会がバラバラにならないように頑張っていければいいなと思います。
本当に長々とお付き合いありがとうございました◎
最近の日本が作るのは既存アニメカルチャーを担う有名人(老齢)に既存の有名IPを乗っけて手堅く成功するようなやつだけ。いや爆死も多いが。
でも、中国や韓国はゲームの分野で完全新規IPに果敢に挑戦して、予算も熱意もかけてグローバルでヒットさせるようなものを頻繁に生み出している。
miHoYoとかSHIFT UPとかね。映像表現では、KURO GAMESなんかも特筆すべき芸術的創作性を備えてきてる。
そういうものは、怠惰で忍耐力のないアニメ視聴者に媚びた、「行間を読ませない」ような作品づくりとは対極の、作り手と同じくらいの熱意を持って自発的に散らばった行間(伏線)を探してくれるようなユーザーを喜ばせる、濃度の高い複雑怪奇な創作スタンスを持っている。高IQ者でないと理解するのが難しい表現や高度に文化的な表現も多用する。置いてけぼりにされたことすら気づかないくらいのミーム圧だ。リスペクトにあふれているとも言える。
それから、ヘイトコントロールというより、ラブアンプリファイとでも言うような、ゲームだからこそできるキャラ一人ひとりの背景をじっくり、場合によっては数年かけて掘り下げるアプローチで、どのキャラも自然と好きになれるので、オタクからの信頼を新規IPというビハインドを感じさせない勢いで獲得してる。
アニメ調ゲームは作り手も消費者も若く「ガチ」なものに溢れるホットなオタク領域だが、日本のTVアニメという創作分野はくたびれた中年~初老のかつてオタクだった人向けにお決まりのものを提供する場になりつつあるのではないか。
それこそテレビバラエティが老人向けのものになっていったように。これらは老人向けなりに若めのカルチャーに目を向けて、登場させるタレントや美術センスこそ若さを感じさせるようにすることで、しょぼしょぼ感が画面から滲み出ないように作られているが、実態として消費者は老人ばかりなのだ。
そういう創作スタンスの欺瞞性を、一世代、二世代若い人たちは容易に見抜いては呆れることを繰り返してきた。作り手の古臭い価値観が滲み出ているからね。TVアニメはその流れとは関係ないと思っている人もいるようだが、まったくそんなことはない。
有名IPアニメを見て「勉強」してる場合なのか?と思う。創作というのは、小手先の技法のモダン表現へのキャッチアップは枝葉末節であり、本質的なのは、創作の源泉となる思想のアップデートだ。新しい時代の価値観を内包した思想性へのアップデート。それが伴わない限り、キャラが操り人形に見えてしまい、すべてがニセモノじみた茶番になる。それが分からない人が創作の小手先を学んでも、世の中に残るものは残せないよ。
ピンと来ないなら、宗教団体が今風のアニメ表現でショート動画を作ったのを見るときの「なんか浮いてる気色悪さ」を想像してもらえばいい。年寄りたちが今風の表現を借りて作るTVアニメ作品には、それと同種の気色悪さがあるが、作り手と同じくらいの感性で止まっている人にとってはそうは感じない、という話。
それがまさに若者がバラエティを見たときに感じる気持ち悪さと同じ。
もちろん、これらは所詮娯楽だから、一消費者としてならそこで止まり続けて、死ぬまで慣れ親しんだものを消費していくのでも構わない。それを揶揄されようと気にしないでいればいい。なんなら逆に、こういう指摘をしてくる自分のような人間を小馬鹿にしつづけたらいい。
1人2人じゃなく、何人もがプロジェクトの進行やばい、って声を上げてる状態なんだが。
今のやり方だとどう考えても期日に間に合いません。
こうしたらどうでしょう?
作業順番的にここを先にやっておかないと、大量の手待ちが発生します。
いや、最初に合意したスケジュール通りにドキュメントを整備してください。
う〜ん、手空き時間にこっちやっておくか……。
この機能、裏でこういう仕組みとこう言う仕組みが必要なんですが、先に作っておかないと実装できなくなりますよ。
最初に合意したスケジュール通りにドキュメントを整備してください。
大量の手待ち発生。
スケジュールどんどん押していく。
タスク消化率は悪くない?
そりゃ、消化しやすいやつから手をつけてるからそう見えるだけで、未決定なものとか難易度高いタスクがかなり後回しにされてるんだけど、タスクの粒度もバラバラででかいのが残ってるんだけど、それでもタスクの数で消化率出して大丈夫なんか? w
いや、そこじゃねぇだろ。
いや、後から増えてるんじゃなく、もうだいぶ前に指摘してたよね?
………………。
君さ、ガントひいてたよね?
今どれくらいのビハインドなん?
一応してる?
なら手待ちとかそんな頻繁に発生するはずないんだけどな……。
要件仕様書書いて、画面デザイン起こして、ER図書いて、API設計書まで書けば、あとは人海戦術で実装すればOK?
……あー、そう……。
裏で動く部分は考えた?
うん。フレームワークの種別で言えば、一致してはるけど、このサービスが要求する仕様にはマッチしてる?
利用パターン抽出して、どのパターンでも対応できるって確認してるように見えないんだけど。
このサンプル、ドメインロジックにフレームワークの要素ががっちり編み込まれて密結合になってるけど、大丈夫?
………………。
なんだろ?
YouTubeで犬小屋のDIY動画見つつ、2世帯3階建ての家建ててる感が半端ない。
流石にやばいだろ、って真っ当なエンジニアが声を上げてんのに、なんで「ネガティブな発言が多いので、評価できません」とか上から目線で言われるか、全然理解できねぇ。
君らにはどういう世界線が見えてんの?
真顔で言おう。
この規模、複雑度でこの開発プロセスだと、終盤にあちこちで衝突が起こって、その場しのぎの対応するしかできなくて、テストも網羅性を欠くので、全く品質を担保できないんだが……。
これは楽観的というのではなく、無知に起因する無謀だよな。
まぁ、もう無関係の人になるので w
しおらしい感情だけではなく、こっちはビハインド抱えながら必死に石ころ磨いてるんだから生まれながらの宝石と比べるんじゃねえと言う気持ちも大きいですが...
これめちゃくちゃわかります!!
まあ頑張るしかないですが…
あと勘違いさせてしまって申し訳ないですが、相談所はあんまりおすすめしません・・・
もし興味があるなら数万でシステムをお試しで使わせてもらえる相談所に行って検索させてもらって、良さそうな人をピックアップしてからカウンセラーの人に「この中のどの人ならお見合いできそうですか?」と聞いてみるといいと思います。
自分は高望みと自認していたのですがカウンセラーの方は高望みじゃないと言っていて、反面お見合いが組める確率は平均より高いものの20%ぐらい?で会える相手は希望とは違い(写真と違う、コミュ力が低すぎるなど)退会してアプリに移動しました。
付き合いを続けていくなかで相手の魅力がアップ!みたいなタイプじゃなければなおさらおすすめできないですね。。
なんとなく、結婚相談所はあまりいい人がいないイメージだったのですがちょっと調べてみようかと思います
10人以上会ったと言っても全体の数に比べたら微々たるものなので、まだこの先いい人に出会える可能性もありますもんね...
おっしゃる通り、私も相手の印象が長く付き合って変わるタイプではないですね...。顔メインってわけでもないのですが、初対面の印象が覆されたことは今までの人生でもほぼないかもしれないです。
愛着障害はちゃんと調べたことないのですが機能不全家庭で育ったのでそうかもです笑(ネットの虐待家庭みたいにボコボコに殴られていたとかではないですが)
発達障害かと思っていた時期はありましたが、自己肯定感低い/情緒不安定/01思考など...
それなりに明るくて優しい人のふりが板についてきたとは思いますが、結局付き合った人にそう言うところを隠し通せるレベルにはなっていないので、正直そういう育ちの悪さや情緒の不安定さみたいなものも別れる/復縁できない理由になっているのかも、と思ったりもしています
しおらしい感情だけではなく、こっちはビハインド抱えながら必死に石ころ磨いてるんだから生まれながらの宝石と比べるんじゃねえと言う気持ちも大きいですが...
コロナ禍で初精神科行ったらアンケートだけで発達障害の傾向はありません!と言われてから常人として生きることにしていたのですが、こっち方面の改善もまだ試みる余地あるかもですね
色々とありがとうございます
出口政策を理解するためにはやはりそれなりの理論的なフレームで考えなくてはいけないだろう。例えばバーナンキ次期FRB議長は日本のデフレ脱出に、エガートソンとウッドフォードの経済学モデルを援用して、インフレ目標政策と物価水準目標の合わせ技を提案した(ベン・バーナンキ『リフレと金融政策』日本経済新聞社)。以下ではこのエガートソンとウッドフォードのモデルの枠組みをきわめて単純化して「出口政策」の理論的基礎とさらに現在しばしば話題になる日銀預金残高の超過準備問題という技術的な側面についてコメントしてみたい。
いわゆる「ルーカス批判」以降、政策による期待の変化という問題に耐えられる理論構造をもつことがマクロ経済学に求められきた。そのひとつの解が、いわゆる「マクロ経済学のミクロ的基礎」である。「ルーカス批判」以後、マクロ経済学のプログラムはこの「ミクロ的基礎付け」をRBC(実物景気循環論)モデルとニューケインジアンモデルの大まかふたつの方向で深化してきた。両者はいまでは見分けがつかないほど交じり合ってしまった。例えばバーナンキらの理論では長期においては市場の自律的調整機能を信頼しているため、長期的スタンスをとれば例えば失業が深刻であっても市場の調整能力にまかせる、という選択も最初から排除するものではない。しかしもちろんこのような態度は、バーナンキらの積極的に認めるところではなく、実際問題として不況が深刻であったり、極めて高いインフレが起きているときは政策介入を強くすすめることで社会的コストを避けるというのが、いわゆるニューケインジアンの立場であろう。
バーナンキらはまずマクロ経済を考える上で、家計(消費者)の行動、企業の行動、そして金融政策を担当する中央銀行の行動を主要なプレイヤーとして考える。それぞれのミクロ的な行動が経済のマクロ的動向に影響を与えていくと考えるわけである。
まず消費者は自分の効用(満足)を最大化するために行動する。その際に予算の制約をうけるわけであるが、その制約の変化に対してなるべく消費を平準化(スムージング)して行うことが最適な対応である、とこの消費者は考えているとしよう。消費の平準化というのは、今期(現在)と来期(将来)の消費量をあまり変化させずに似たような量だけ消費し続けることを意味している。例えば今期、クリスマスで家族や恋人にプレゼントをするために消費を増やせば、それに対応して将来の消費を減少させることで、期間を通じてみれば消費は一定水準にあるというわけである。例えば経済全体の景気がよく将来的に家計の所得が通常の場合よりも増加すると期待されたとしよう。このような状況を期待産出量ギャップが拡大したと表現する(あるいは期待拡張ギャップの存在とも表現可能)。将来の所得が増えると期待されるので、この家計はそれを見込んで現在の消費を増やすことで平準化を行おうとするだろう(そうしないと予想通りに将来の所得が増えた場合、将来の消費の方が今期にくらべて過大になってしまうので)。
この状況は先の例でいえば、会社の成績が良好で、ボーナスの増額が望めるために、クリスマスプレゼントはその将来のボーナスで返済することを見込んで、ローンまでして高めのプレゼントを購入することに似ている。すなわち将来の期待産出ギャップ(期待される将来のボーナスの増加)が現在の産出ギャップ(ローンをすることでの現在所得の増加)に反映されることになる。このように家計の消費行動は「来期の産出量ギャップの予想」に依存している。
さらに家計は今期の消費と来期の消費をバランスするために現在の実質利子率を参考にするだろう。現在の消費を我慢して貯蓄するには、その貯蓄が経済的に見合うものでなくてはいけない。その報酬として実質利子率が付されるとも考えられる。そしてこの実質利子率が増加すればそれだけ消費者は現在の消費よりも貯蓄を選ぶだろうし、また反対に実質利子率が低下すれば将来の消費よりも現在の消費を選ぶであろう。また家計のローンの負担も実質利子率が低下することで軽減され、そのことがローン契約や耐久消費財の購入を促すことが知られている。すなわち消費者の行動は「今期の実質短期利子率」に依存している。
ニューケインジアンの経済モデルではこのような消費者の行動をIS曲線(NewIS曲線)と表現して現在の所得のあり方(産出高ギャップ)に、今期の実質短期利子率と将来の産出量ギャップが影響を与えると考えるわけである。ちなみに伝統的なIS曲線と同じように、今期の実質短期利子率と今期の産出量ギャップとの関係は右下がりの曲線に描くことができる。
次に企業の行動をみてみよう。ニューケインズ経済学では企業の価格設定行動も経済環境の変化に対して緩慢にしか変化することはせず、そのため価格の粘着性という現象が一般的であると主張している。この価格の粘着性を説明するためにケインズ経済学は企業の代表的なイメージとして「独占的競争モデル」を採用する場合が多い。経済学の想定する市場の典型的な姿は、完全競争と独占である。完全競争市場では、多数の売り手と多数の買い手が、お互いに市場価格をシグナルとして販売・購入活動を行っている。価格が資源配分を有効に行うと想定しているので、この完全競争市場では売り手と買い手はプライステイカーとして行動する。他方の独占市場では、売り手もしくは買い手ないし双方が市場の価格をコントロールする力を保有しており、独占市場では完全競争市場にくらべて、価格はより高く、取引される財・サービスの量は少ない。独占市場は完全競争市場に比べると資源の非効率的な配分が行われている。
しかしこのような両極端な市場の姿よりも、次のような市場のあり方の方が一般的ではないだろうか。例えば近所の本屋にいけば、さまざまなビジネス雑誌が販売されている。そしてそれぞれのビジネス雑誌は、特集する記事が異なったり、価格も各出版社が独自色を打ち出してライバル雑誌に負けないとしているように思える。またどの出版社でも自由にビジネス雑誌を発刊することができ、自由にそれを辞めることができる点でも、完全競争市場の特徴を持っている。
このようなケースは、なにもビジネス雑誌だけではないだろう。私たちは、完全競争と独占の両方の特徴を持った様々な財・サービス―例えば、書籍、映画、パソコンソフト、レストラン、コンビニ、ケーキ、車など―を日常的に目にしている。経済学では、このような財・サービス市場を「独占的競争市場」と名づけている。独占的競争とは、同質ではないが類似した財・サービスを売る多くの企業が存在する市場だということができるだろう。独占的競争市場では、たくさんの企業が同じ顧客を相手に競争を繰り広げている。その一方で、個々の企業が、他の企業と異なる製品を供給している。これを製品の差別化という。また同時に参入・退出が自由である。
完全競争市場では市場で決まった価格で販売すればすべての財は売りつくされる。他方で独占的競争市場では、企業は「右下がりの需要曲線」に直面している。これは企業が価格をコントロールできるが、もし価格を上げれば需要は減り、下げれば需要が増加するという市場環境に直面していることを意味している。この結果、この独占的競争企業は若干の独占力を有しているために、限界費用を超える価格を自ら設定することができる。この限界費用というのは、財やサービスを追加的に一単位製造するときに要する費用のことである。経済学ではこの「限界」的な単位で消費者や企業の選択を判断する。例えば、企業は売り上げ全体の動向と価格をみて供給を決定するのではなく、新たに一単位生産するときのコストとその販売価格の大小関係で意思決定を行う。
例えば『冬ソナ』のDVDを一冊追加的に生産するコスト(=限界費用)が1000円だとすると、この独占的競争企業は5000円で市場での販売が可能になるということである。限界費用と価格との差額は、この企業にとっての「マークアップ」(超過利潤とイメージしてもいい)を得ることが可能であることを意味している。この超過利潤の獲得を目的にして、多くの企業がこの市場に参入する。もちろん独占的競争企業は製品の差別化によってこの熾烈な競争に打ち勝とうとするだろう。独占的競争市場では、このような熾烈な競争の結果、長期的には利潤がゼロになることがしられている。そしてこのような熾烈な競争に生き抜くために、企業は製品の差別化をはかり消費者の需要を喚起し、その有効な手段とし広告やブランド戦略などを展開しているのである。
ところで独占的競争企業は価格設定を自ら行うことができるが、市場の動向に合わせて絶えず価格を変更しているわけではない。価格の変更に伴うコスト(メニューコスト)が発生するために頻繁に需要の変化に応じて価格を修正することはしない。そのためメニューコストを原因とする価格の粘着性が広く観察される。また価格を改訂する企業が増加するにしたがって、この価格の粘着性は緩んでいくと考えられている。この価格の変更に企業は今期の産出高ギャップをまず参考にする。これはいままでの議論では需要が供給よりも多いと考えられるならば企業は価格を上昇させるように改訂するだろう。また他方で将来のインフレ率の予想も重要である。なぜなら上記のマークアップは名目額よりも各企業はその実質値に注目すするからである。将来獲得したいと期する利益に将来のインフレ率の動向が大きくかかわるわけである。まとめると企業の価格改定行動は、今期の産出高ギャップと、来期の期待インフレ率に依存している。経済全体でみれば現在のインフレ率は期待インフレ率と産出高ギャップに影響される。この関係を表現したのがニューフイリップス曲線という。
さらに中央銀行の金融政策ルールをテイラールールの形で導入するのが一般的である。ジョン・テイラーはグリーンスパン率いるFRBの金融政策の行動を「テイラールール」という形で表現することに成功した。テイラーによるとFRBは産出量ギャップ(潜在産出量-現実の産出量/潜在産出量)とインフレ率に反応して利子率を設定しているというものである。テイラールールのもっとも古典的な形式は産出量ギャップとインフレ率を均等に重きを置いて考慮する政策スタンスを採り入れたものとなっている。
名目利子率=0.01-0.5(潜在産出量-現実の産出量/潜在産出量)+0.5×目標インフレ率
である。このテイラールールを用いると、産出量ギャップが0.01、目標インフレ率を0.02だとするとFRBは0.5%利子率を引き下げて、景気の後退を防ぐことがわかるだろう。このテイラールールはグリーンスパン率いるFRBの動きをかなりうまく説明することができるといわれている。
ところで中央銀行は経済にふりかかるさまざまなショックから国民の経済厚生を守るために行動するとみなされている。いま国民の経済厚生を最大化するような中央銀行を考えて、この中央銀行が考えている経済厚生の損失の最小化が、そのまま国民の経済厚生の損失の最小化になると考えるとしよう。中央銀行は国民の経済厚生の最大化(あるいは損失の最小化)をきちんとフォローできると考えるわけである。
このとき中央銀行の経済厚生を最小化するための目的関数を「損失関数」といい、これは簡単にいうと今期のインフレ率と今期の産出高ギャップを足したものである。この「損失」を下の(a)(b)(c)のもとで最小化するのが、この経済にとってもっとも望まれる=最適と考える。
(a)NewIS曲線では、今期の産出量ギャップが(1)今期の実質短期金利と(2)来期の産出量ギャップの予想に依存する
(b) ニューフィリップス曲線では、今期のインフレ率が(1)今期の産出量ギャップと(2)来期の期待インフレ率に依存する
(c)中央銀行は目標名目短期利子率を決めるにあたって(1)今期の産出量ギャップ(2)目標インフレ率を参照する。
ところで上の意味での最適な中央銀行の金融政策を考える上で重要なものが「コミットメント」である。これは中央銀行の金融政策の目標達成への力強い政策的態度をしめす言葉といえる。具体的な目標について責任を持って期間内に達成することを約束することであ。例えば未達成の場合には具体的な形で責任をとる(ペナルティをとる)と考えて同じで効果を発揮する。このコミットメントを行うことが経済で活動するさまざまな主体(家計や企業や市場関係者)の予想に影響を与える。
例えば、先の(a)のIS曲線では、今期の産出量ギャップが(1)今期の実質短期金利と(2)来期の産出量ギャップの予想に依存していて、さらに来期の産出量ギャップは(1)'来期の実質短期金利と(2)'来来期の産出量ギャップの予想に依存していて以下同様に…となると、結局、今期の産出量ギャップは将来の実質短期金利に依存することになる。ニューケインジアンは産出量ギャップの変動を経済変動で重視しているので、これは将来の金融政策のあり方(=将来の実質短期金利をどうするか)への予想が決定的に重要になるということになる。
「産出量ギャップ」という表現が苦手な読者は、消費者でいえば(借り入れのケースを含む)所得、企業でいえばマークアップと考えてみればいいだろう。いまのサラリーの額や企業の利益が中央銀行の現在から将来に向けての政策態度に影響されるというのがニューケインジアンモデルもわかりやすい含意だ。
このような将来が現在を規定するという考え方をフォワード・ルッキングという。このようなフォワード・ルッキングな経済構造では、経済主体の予想に影響を及ぼすコミットメントがいかに重要になるかが分かるであろう。
●出口条件を考える
さて出口政策の条件を考えるには上の(a)(b)(c)のもとで損失関数が最小化するように計算をしなくてはいけない。しかしここでは直観的な説明を行う。渡辺努・岩村充氏の『新しい物価理論』(岩波書店)で用いられた仮設例を利用したい。この仮設例の面白いところは上記までは顔を出していない長期利子率の動きをフォローすることができることである。現在の出口政策にかかわる議論が長期利子率のオーバーシュート(財政危機の拡大?)への懸念にあることを思えばその重要性がわかるであろう。ちなみに以下では金利の期間構造モデルを採用して、長期利子率は将来の短期利子率の予想値に依存していると考える。すなわち単純化して足元の長期利子率は、足元の短期利子率と次の期の短期利子率の単純平均とする。また産出高ギャップは長期利子率に反応すると考える。あとでわかることだが、長期利子率は短期利子率の予想へのコミットメントに誘導されて決定されるのでいままでの議論と同じである。
いま三期間(0,1,2期)を生きる経済を考えよう。第0期はデフレで流動性の罠に陥ってるとする。現代版の流動性の罠をバーナンキらは名目短期利子率がゼロ(=利子率の非負制約)であると考えている。そして第1期と第2期では経済が回復しているとする。このとき渡辺・岩村の仮設
横浜F・マリノスが降格争いを勝ち抜き、J1に残留するためには、複数の要素が複雑に絡み合います。現状を分析し、具体的な対策を講じることが不可欠です。以下に、重要なポイントをいくつか挙げます。
直近の戦績と内容の評価:過去数試合の戦績だけでなく、試合内容を詳細に分析し、チームの強みと弱みを明確にする必要があります。失点が多いのか、得点力不足なのか、あるいは試合終盤に失速する傾向があるのかなど、具体的な課題を特定します。
選手のコンディションとモチベーション: 各選手のフィジカルコンディション、メンタル状態、そしてチームへのモチベーションを把握することが重要です。疲労が蓄積している選手や、精神的に落ち込んでいる選手がいる場合は、適切なケアやサポートが必要となります。
対戦相手の分析: 残りの対戦相手の戦力、戦術、そしてモチベーションを詳細に分析します。相性の良い相手、苦手な相手を把握し、それぞれの試合に向けた対策を練る必要があります。
順位と勝ち点状況の把握: 他の降格圏内のチームの状況、勝ち点差、得失点差などを常に把握し、自チームがどのような戦い方をすべきかを判断する必要があります。直接対決の結果は特に重要になります。
守備の安定: 降格争いを勝ち抜くためには、失点を減らすことが最重要課題の一つです。組織的な守備の再構築、個々の守備能力の向上、そしてGKを含めた連携の強化が求められます。
得点力の向上: 少ないチャンスを確実にものにする決定力が必要です。攻撃パターンの見直し、セットプレーの強化、そしてFW陣の奮起が不可欠です。
試合運びの改善:リードしている展開での試合の終わらせ方、ビハインドの状況での効果的な攻撃など、状況に応じた戦い方ができる柔軟性が必要です。
選手の起用と交代:選手のコンディションや対戦相手の特性に合わせて、最適なスタメンを組み、効果的なタイミングで交代を行うことが重要です。
自信の回復: 連敗や失点が続いている場合、チーム全体の自信が低下している可能性があります。成功体験を積み重ねる、ポジティブな声かけをするなど、自信を取り戻すためのメンタルケアが重要です。
モチベーションの維持: 降格というプレッシャーの中で、選手たちのモチベーションを高く維持する必要があります。チームの目標を再確認し、一体感を高めるための取り組みが求められます。
プレッシャーへの対応:試合終盤や重要な局面で、プレッシャーに打ち勝つメンタルの強さが必要です。メンタルトレーニングなどを導入することも有効かもしれません。
スタジアムの雰囲気作り:サポーターの熱い応援は、選手にとって大きな力となります。チームとサポーターが一丸となって戦う雰囲気を作り出すことが重要です。
コミュニケーションの強化: チームからサポーターへの積極的な情報発信やコミュニケーションを通じて、信頼関係を築き、一体感を高めることが大切です。
堅守速攻: まずは失点を防ぎ、相手のミスや隙を突いてカウンターで得点を狙う戦術は、降格争いにおいては有効な手段の一つです。
セットプレーの徹底:セットプレーは、少ないチャンスで得点を奪える可能性を秘めています。攻撃・守備 উভয়面で、質の高い練習を繰り返すことが重要です。
リスク管理: 無理な攻撃を避け、ボールロストを減らすなど、リスク管理を徹底することで、相手にチャンスを与えないようにすることが重要です。
失点を減らす効果: 最も重視されるのは、強固な守備を構築することで失点を極力抑えることです。降格争いでは、1点が非常に重く、失点を防ぐことが勝ち点に直結します。
相手の攻撃力を封じる:相手の攻撃のキーマンを徹底的にマークしたり、組織的な守備で自由を与えなかったりすることで、相手の攻撃力を削ぎ、試合を膠着状態に持ち込むことができます。
セットプレーやカウンターに活路を見出す: 自陣に引いて守備を固め、少ないチャンスをセットプレーやカウンターで確実に仕留めることができれば、少ない得点でも勝ち点を積み重ねることが可能です。
相手にプレッシャーを与える: 徹底的に守る姿勢は、攻撃的なチームにとっては焦りや苛立ちを生み出し、ミスを誘発する可能性があります。
バックプレスはビハインドネックプレスとも呼ばれる。一般に肩に負担がかかるので無理に下ろし過ぎてはいけないと言われている。増田の体感では手幅は少し狭めが良い。スーパースミスで行うとストレッチ感が強く、通常のスミスでは収縮感が強い。ここら辺はマシンにもよると思われる。肩の関節に対する安全性の観点から、最近はフロントプレスが推奨されがちではあるが、増田の個人的なフィーリングでは肩に良く効くのでお気に入りのエクササイズである。
スクワットに関して、フロントスクワットに対して通常のスクワットをバックスクワットと言う事もあるが、ビハインドネックスクワットという言い方があるのか増田は知らない。フロントスクワットは上体を立てた状態を保たないといけないので技術的に難しく、(通常の)スクワットよりも重量は下がるが、それ故に腰の負担が少なく、大腿四頭筋によく効く。足首の柔軟性に乏しい人はプレートを引くなどして踵を上げた状態で行うとやりやすい。
ライイングエクステンションとスカルクラッシャーは元々同じエクササイズを指していたが、最近では下ろす位置の違いで区別する人もいる。区別される場合、スカルクラッシャーは額の上にバーベルを下ろすエクササイズを指し、ライイングエクステンションは頭上を越えて(バーベルを)プルオーバー気味に下ろすエクササイズを指す。スカルクラッシャーは内側頭と外側頭に効くが、肘の位置を固定するので肘の負担が非常に大きい。ライイングエクステンションは肩関節も動かすので長頭も動員される。こちらの方が肘の負担が少ないので推奨されがちである。増田は現在、肘に問題があるのでどちらも行なっていないが、肘関節が強くデカい三頭を持つ人の中にはスカルクラッシャーを好む人もいるらしい。個人的に肘に問題があるトレーニーには、ジムの環境が許せばという条件つきではあるが、特製のロングロープを用いたケーブルキックバックがオススメである。
おまんらおまんこ(挨拶としての「おまんらのおまんこ力は53まんこでおま」に飽きてきたので、これからは「おまんらおまんこ」も活用していきたい。)
空気のよめない言動がピックアップされがちだが、周りに自然に合わせる事ができないのが共通する原因だと思う。
それでそれは大まかに言うと、所作のリズムが噛み合わない、という問題に収束していく。周りに自然に合わせる事ができないというのは
求められていることを行うことにワンテンポ遅れたり、表情の変化が不自然だったり、そういった言語化するには少し骨が折れる、些細な違和感を感じさせるものにある。
そうなると人間関係が極度に舐められてスタートするか、もしくは警戒されて始まるので、このビハインドな状態でいくら適切な言動や行動を考え行動しても厳しい。
なぜABCD包囲網されてハル・ノートを突きつけられたか勉強しなさい
第一次世界大戦後に世界は戦争を反省し不拡大と非戦の合意をしたのに
もうちょい詳しく書いてやると、
明治維新から日本はレアメタル(当時は金銀銅)とエネルギー(当時は石炭)が無尽蔵のチートで発展した、調子ぶっこいた
しかし日本の領土では3500万人程度の食料しか生産できない、平地が無い
ところが人口が増えに増えて7000万人、食料がぜんぜん足らない。輸入で補わなきゃならない
繊維産業の高度化と第一次世界大戦による海運の発展はアジアでの日本の繊維の優位性が失われ外貨を稼ぐ手段が尽きた
しかし世界はそれを許さなかった、合理性の無い他国への搾取は許されない世界になってた
岸田首相が建設業界に賃上げを要請したニュースが飛び込んできました。
まずは岸田首相,ありがとうございます。
しかし,事情はもっと複雑で,労務単価の引き上げで救えるのは全国規模のゼネコンと全国規模の専門業者だけです。
そもそも「労務単価」とは何か。ざっくり言えば,現場で作業している人たちの1日分の給料の基準です。
公共工事はこの基準をもとに金額を計算するので,労務単価が上がれば公共工事をやるときに建設会社がもらえる金額が増えます。
だから「労務単価を5.9%上げたから,その分給料も上げてくれ」と言っているわけですね。
ごもっともです。素晴らしい。おそらく全国規模の業者は初任給がかなり上がることでしょう。
しかし真に人手不足に苦しんでいる地方の中小建設企業は助かりません。
技能者の不足も深刻なままでしょう。
中小建設企業が人手不足なのは,単純に「給料が低いから」ではありません。
私は田舎の中小建設会社で監督をやっていますが、建設業は比較的賃金が高い部類です。おそらくこの傾向は都会でもそう変わりません。
加えて,近年の建設業界は未経験者に優しい傾向にあります。施工管理技士の試験制度が改正され,資格取得の際に学歴がほぼ関係なくなりました。
試験に受かれば,現場で必要な経験年数は高卒も大卒も建設学科出身者もそれ以外も皆平等です。
人材にわがままを言える全国規模の建設会社は別として,中小の建設会社は未経験者や畑違いの人間も大抵は採用しています。
しかしながら求人は埋まりません。新卒が毎年入社するのはもはや珍しい事態です。
非正規雇用や正規雇用でも給料の低さに苦しむ方はいる。建設業はそこそこ給料が良く未経験者でも採用される確率が高いのに人手不足に苦しんでいる。
結論から言うと,全国規模の大企業は別として,多くの中小建設企業や技能者は「労力に給料が見合ってない」から不人気なのでしょう。
建設業の給料は相対的に高いが,「こんなきつい仕事はその程度の給料でやりたくない」というのが実態ではないでしょうか。
ではどうすればよいのか。
法外なほど給料を上げれば建設業は息を吹き返すでしょう。しかし,国の予算は有限で,ある程度は公共工事を安くしないと文字通り国が滅びます。
給料を上げると同時に,もう1つの要素をなんとかしなくてはなりません。
これから先建設業界が生き延びるには,労力を下げ,給料を上げなければならない。
労力を下げ,給料を上げなければならない。しかし,建設業界は労力を下げる努力を怠っていました。
資料によると,建設投資は平成4年をピークに平成23年まで下がり続け,それ以降は上昇に転じています。
一方,建設業就業者数は平成9年をピークに平成23年まで下がり続け,それ以降はほぼ横ばいです。
平成9年から平成23年までの間は,「仕事は少ないが人は多い」状態にありました。
10ある仕事を5に減らせる技術があったところで今は20人いますから必要ないです,と省力化は進みませんでした。
業界全体が真面目に省力化を始めたのは,建設投資が増加に転じたここ10年くらいの話です。
しかし遅すぎました。15年のビハインドを取り返せる体力は中小建設企業にはもう残っていません。
他業が5年〜10年前には既に使っていたような技術を最新技術のように持て囃す有様です。
「建設業は安全第一だから枯れた技術を使う」とか関係ありません。単純に公共工事の基準の整備や業界の人間の知識が遅れているだけです。
そして人手不足がさらに技術の導入を遅らせる,負の連鎖から抜け出せていません。
建設業の現場を地獄に等しい状態にしている黒幕は民間工事です。民間建築工事は地獄です。
国の工事は土・日・祝日を休む前提で工期の計算や賃金の計算が行われています。
都道府県レベルでも少なくとも土・日は休む前提です。ですから,国や地方自治体が発注する工事は,かなりホワイトな工事です。
やばいのは民間企業の建築工事です。発注する人の頭には「いつから建物が使えるか」しかありません。
発注者も営利企業である以上,早く建物を使いたい,工期を短くして安くしたいというのはごく自然な考えです。
しかし4週間で6日休みを前提で考えています。「ちょっと頑張ってもらって日曜以外は工事してもらおうか」なんて考えてます。
自社の社員にはやらせないことを,平気で建設業に要求する奴らです。
「不当に短い工期設定の禁止」などと言われていますが,仕事を頼む側が圧倒的に強い力を持つ以上,どうしようもありません。
建設業自身の問題や建設業を取り巻く環境の問題が建設業を崩壊へと導いています。
今までの建設業界の怠慢と,建設業を軽んじる風潮とが原因ですが,これらは今さらどうしようもありません。
建設業が少しでも長く生き延びることを祈ってください。