
はてなキーワード:ビザンツ帝国とは
AIのいいところは、
「バシレイオス2世“ブルガロクトノス”あたりの東ローマ皇帝の時代を深く知るための書籍を教えて下さい。」
という質問にサクッと答えてくれるところだと思う。
従来の検索エンジンでは、「サクッと」知ることが出来る場合もあるが、そうでない場合も多かった。
バシレイオス2世期は、マケドニア朝の全盛期にあたり、軍事・行政・文化の各面で東ローマ帝国が最高潮に達した時代です。
以下の書籍は、概要から専門的研究まで網羅的にカバーしており、学術的知見を深めるのに最適です。
ジョルジュ・オストロゴルスキー『ビザンツ帝国史』(新版・筑摩書房)
マケドニア朝期を概観しつつ、バシレイオス2世の事績を政治・社会・文化の文脈で捉える。
ジョン・ジュリアス・ノリッジ『ビザンツ帝国衰亡史』(上下巻・新潮社訳)
読み物としても優れ、バシレイオス2世の功績や後継皇帝との比較が平易に記述されている。
ウォーレン・トレッドゴールド『東ローマ帝国:マケドニア朝から第十字軍まで』(創元社)
軍事史を重視する著者が、バシレイオス2世の対ブルガリア戦争や軍制改革について詳細に分析。
ジョン・フレイザー・ハルドン『中世東ローマ帝国:文化と国家の変容』(勁草書房訳)
10世紀前後の社会構造・官僚制・経済システムを批判的に検討。バシレイオス2世期の行政改革や財政政策が、いかに帝国強化に寄与したかを学術論文レベルで理解できる。
平易な導入書ながら、バシレイオス2世の役割を文化的・宗教的視点から考察。
地下聖堂建築や修道院運営との関連も扱い、制度史だけでない広がりを示す。
アントニー・カルデリス『ビザンツ帝国:東ローマの再考』(明石書店訳)
バシレイオス2世に関する一次資料の読み替えや、新出の碑文・文書を紹介しており、先端研究動向を掴める。
ロバート・オーフィランディス編『東ローマ軍制史』(戎光祥出版訳)
バシレイオス2世のブルガリア遠征の戦術的展開や兵站を詳細に記述。図版多数。
北方異民族(ブルガリア、ルーシなど)との外交・戦争史を分析。
バシレイオス2世による“ブルガロクトノス(ブルガリア殺し)”の背景と結果を外交政策の観点で理解できる。
バシレイオス2世期の記述が豊富で、歴史叙述の特徴や史料批判の視点を学べる。
ハルドン、カルデリスなど最新研究を通じ、行政・文化的変容を理解。
『年代記』や編年史で原典に当たり、学術的厳密さを身につける。
これらを併読することで、バシレイオス2世期の帝国像を多角的に理解できます。
最近出た中公新書について、細かい誤りを見つけたんだけどどうすれば著者に届くかよくわかんなかったのでとりあえず増田に放流してみる。
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2020/04/102589.html
「ラテン語は、現代では使われていない古典死語であり、ギリシャ語、ゲルマン語などをはじめとした多くの語派を含有した西洋の古典語である」(24頁)というのは、ちょっと世界史や地理に詳しい人なら容易にツッコめると思う。これを校正さんが見逃したのは本当に謎。
ラテン語はギリシャ語やゲルマン語を含有してない。それらを含有してるのはインド・ヨーロッパ語族だ。つまり、こういうこと。
語族・語派・語ってのは目・科・属みたいなもんだと思ってもらえれば(めちゃくちゃ雑な説明。実際には他の言語との系統関係が証明されていないグループを「語族」というので、目というよりは門とか界とかの上位分類に近い)。こう整理すれば上の文のおかしさもわかってもらえると思う。動物の分類に関する本で言語の分類に関する大ポカをやらかすというのはなかなか批評性が高いけど、生物学が専門の人が言語の分類に明るくないのは仕方ないので、校正さんがきちんと拾ってあげるべきだったと思う。日本語でいくらでも情報が手に入る話なんだし。
「japonicusも「日本産の」の意味であるが、これはJapon(Japanのラテン語綴り)に“-icus”の接尾辞を加えたものである」(186頁)とあるけど、ラテン語で「日本」はIaponiaである。これはラテン語版Wikipediaを引いてみれば一発でわかる。IとJはもともと同じ文字なので、Japoniaということ。どうもこの著者さんは、形容詞形から語尾を引けばもとの名詞になる、あるいは、名詞の後ろに決まった語尾をつければ形容詞形ができると勘違いしているのではなかろうか(「中国」に関する説明からも、そう勘違いしていそうなことがうかがえる)。しかし、英語のFranceとFrenchの関係を見ればわかるように、印欧語では名詞のうしろに決まった語をつければ形容詞になるとは限らないのだ。
少なくとも、この本、ラテン語の部分はラテン語がわかるひとにチェックしてもらって大幅に書き直した方がいいと思う。著者さんが、「学名をつけるときの語尾のいじり方」については知っていても、「ラテン語文法」をわかっているようには見えないので(「こういう名前のときはこういう語尾をつける」というのは、経験知であって「文法パターン」[185頁]ではない)。学名をつける側のひとも、-iや-aeといった格変化のうしろにどんな文法規則が隠れているか知ることができたら面白いんじゃないかな。
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2020/06/102595.html
「フォカスという名の下士官将校」(35頁)ってあるけど少なくとも近代以降では下士官と将校(士官)ははっきり区別される別の身分である。日本語版Wikipediaでは「下士官」と書かれていて、英語版Wikipediaでは「下級士官(low-ranking officer)」と書かれているんだけど、要するにビザンツ帝国軍は近代的な軍組織ではないので、ある階級が士官か下士官か厳密には決められないってことだと思う(フォカスは百人隊長だったらしい。うーん……)。でも「下士官将校」はおかしい。「下士官」と書くか、「下級将校」と書くかのどちらかにすべき(個人的には、前近代でそのへんの厳密な区分はできないんだから、素直に「百人隊長」と書けばいいと思う。こう書けばどんな地位なのか一発でわかるし)。
「セルビア人の有力な領主コンスタンティン・ドラガシュ・デジャノヴィッチ」(275頁)って書いてあるけど、英語版Wikipediaを確認するとKonstantin Dejanovićなのでどう見ても「デヤノヴィッチ」です本当にありがとうございました。ロシア語の綴りはКонстантин Деяновичだけど、これを見れば「デジャノヴィッチ」ではありえないのが一発でわかる(セルビア語のja=ロシア語のя)。ひょっとしてギリシャ語だとデジャノヴィッチが正しいのかな? って思って現代ギリシャ語版Wikipedia見てみたけどΝτεγιάνοβιτςなので普通に「デヤノヴィッチ」ですね。著者さん、さては西欧語の文献だけチェックしてギリシャ語の綴りチェックしてないな?
最後になるけどどっちの本も面白かったです。すごい勉強になりました。上で挙げた点は非常に些細な間違いなので、本全体の価値を貶めはしないことを付け加えておきます。
戦後70年という節目を迎え、思うところがあったので。
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周知の通り、先日安倍首相が戦後70周年に合わせて談話を発表した。
私も今回の談話の内容、確かに素晴らしいと思う。
謝るべきところには謝っているし、譲れないところは譲らないと明記されている。
しかしどうにも腑に落ちない。
読んでいて違和感を感じる。なんだかムズムズしてくる。
その正体がやっと分かった。
よくよく考えてみればなにも談話に限った話でもなく、安倍政権そのものに対してずっと抱いてきたモヤモヤした不満でもあった。
それは政治家たちがまだ「日本はこれからも決して衰退せず、きっと栄光の内にある」という幻想に捕らわれていることだ。
というのもこれから日本がどんどん衰退していくことは、正直誰の目にも明らかである。
衰退に抵抗し成長を遂げるには、西欧諸国のような移民の受け入れ政策の実行など、日本の長い歴史の中で培われた価値観やアイデンティティーを捨て、新しい日本へ生まれ変わらなければならない。
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いきなり昔話を挟むが、
ビザンツ帝国のユスティニアヌス帝は、かつて栄華を誇ったローマ帝国時代の版図に執着し、対外諸国に向け頻繁に遠征を行った。
当然それが財政を圧迫してしまい、"超"長期的には帝国の没落を招いたのである。
第二次世界大戦中においてウィンストン・チャーチルは優れた指導者であったが、
戦後は世界各地の民族自立の潮流に逆らい、大英帝国を維持しようと躍起になった。
我々日本人がこの先目指すべきことは、国内の状況を楽観視せずきちんと直視し、近隣諸国の動向を注視すること。