
はてなキーワード:ヒロイン失格とは
『潔く柔く』と『ご近所物語』は本編中ほとんどお互いひとりっ子だったけど、最後の方で片方に年の離れた弟なり妹が出来てた
小さい時に2人きりなのが重要なんだろうね
主人公男女だけじゃなくてしっかり者の親友の中島も真面目キャラライバルの安達もひとりっ子だった
弘光くんはあとから?兄弟設定追加されて続編の相手役になってたけど、そういう明確な用途ない限り、デフォルトだと1人に自然にしちゃうのかも。
作者が一人っ子で、いとことはすごく仲良くでいとこの子供のことを甥姪のように可愛がってるらしい。
作中で弘光と萌ちゃんが謎に仲良いのとかその辺から来てるのかな〜と思った。萌ちゃんと萌ちゃん兄の仲良さとかもファンタジーな感じだった。デフォルトだとひとりっ子にしちゃう、きょうだいを書くとドリーム入るっていうのがらしいな。
別増田がトラバしてたけどきょうだいがいるとそれも恋愛のn角関係に組み込まれる印象があるね
『1日2回』は男の方に兄がいたけど、主人公とはあんま関わらない。リアル寄りだからかな。実際は学年違えばご近所だからってそんなに関わらないもんな。家近い+学校で同級生っていうのが大丈夫なんよね。
『ママレードボーイリトル』は兄弟だと思って育ってたけど実際は血はつながらないし戸籍でも繋がってない幼馴染だったって主人公が知るエピソードから始まってた。
幼馴染ものは片方の家の離婚とか死別の喪失経験を把握してるからそこに何気なく寄り添ってモブ達に差をつけるみたいな展開が多い気がする。
漫画誌で10選するのは下火になったが、少女漫画について語られてるの少ないな…→じゃあ書いたるわ、一時期定期購読してた別マについてなら書けるかもしれん、で筆を取った。
一人一作品縛りを採用しようと思ったんだけど後述の通り原作枠で分裂してる人がいる。河原和音先生は本当にすごい
先に表明すると20代女視点なので昔の作品に対する知識が乏しい。おすすめの名作少女漫画教えてほしいという動機込みでこれを書いている。
フォロワー(後世への影響度)重視というより単に(世代毎比の)売上知名度重視のピックアップ寄り。少女漫画の性質上映像化されたかどうかも加点ポイントにしてて、純粋な漫画評とは異なるかも。
前提終わり
繊細で美麗な作画とフィギュアスケートという題材の相乗効果で、とにかく画面を楽しめる作品という印象。
人知れず練習を積み重ねてきた少女・亜季実は天才で〜、年上大学生の黒川に見初められて〜、あたりの要素だけ拾うと今でいうなろう的な、少女の夢詰めました!感満載ではあるのだが、スケートを父に強制される形で練習を重ねて生きてきたことで親との関係に悩んだり、その後黒川に依存してスランプになったり、っていう展開の厳しさが物語に説得力を与えている。
自分を見つめて頑張んなさい!っていうメッセージ性も感じられる名作。
忍者の末裔で野生児なカバ丸が、死んだ祖父の縁で学園に入学することになり人間化学反応が生まれるラブコメディ。
往年の少女漫画=必ず女主役って解像度の人いるけど、全然男主人公もあるよ!とこれを差し出したい。
カバ丸の行動理念が飯!焼きそば!女子!なアホな子なので単純で可愛い。こう書くとデンジとかとも繋がるな
ヒロイン・麻衣の可愛らしさはもちろん、蘭ばあちゃん(保護者枠)や沈寝(イケメンライバル枠)たちも最早ヒロインだなと思える愛嬌に溢れた作品。
シンママの下で育つ14歳の少女・和希と暴走族所属の少年・ハルヤマの幼い愛を描いた話。とにかく漫画の雰囲気作りが唯一無二な作品。
ローティーンの不安定さと、80年代の漠然と退廃した空気感が表現されてる……のか?80年代を生きていないのでわからん
紡木たく先生の特徴として、とにかくモノローグが多い。少女漫画はここぞ!という時にポエムがちだが、ホットロードはパラパラと無愛想な短文でのモノローグが多く、独特の雰囲気が出てる。ある種女子のための厨二病漫画とも言える。現代で描くとするならトー横立ちんぼガールとコンカフェ闇バイターのカップルとかになるんかな?嫌かも…てかそれって明日カノかも…
次作の『瞬きもせず』の方が好きって人も多そう。
『愛してナイト(1981-1984)』の時点で大ヒットだったが、更なる大ヒット作。
ポンコツドジ、ただひたすらに前向きな女子高生・琴子が、すげなく失恋した容姿端麗成績優秀男子・入江直樹と一つ屋根の下で暮らすことになるところから始まる王道ラブコメディ。
デコボコ喧嘩カップル、大抵の女子が好きだよね。琴子の玉の輿物語であり、スーパーパーフェクトひねくれボーイ入江くんのメンケア物語でもある。
スタート時点で同居から始まるため、それぞれの進学・キャリア・そして結婚生活についてが描かれている。ここら辺の時代までが「女の幸せは結婚」の境目だろうか。
惜しむらくは連載中に多田かおる先生が38歳の若さで亡くなってしまったこと。漫画家、寝てくれ…… アニメによって完結はしている。
ドラマ化・アニメ化済み。ドラマに台湾版・韓国版・タイ版まであるのがすごい。
女子の割に身長の高いリサと、男子の割に身長の低い大谷のラブコメディ。
メイン二人が明るい性格なので、終始和気藹々としたテンションを楽しめる。関西弁が可愛い。
案外、気の合う二人(友達・名コンビ)からカップルへ…ってタイプの少女漫画って少ないかもしれん
身長という普遍的なコンプレックスを取り扱いつつ、大谷を「小さくてもかっこいい!」と読者に思わせられる、等身大なキュンを入れ込む技術。
言わずと知れた別冊マーガレットの代表作。紙電子累計3600万部と、別マで一番売れた漫画。
周囲から貞子と呼ばれ遠巻きにされていたヒロイン・爽子と誰からも好かれる好青年・風早くんの交流を描く、いわゆる"格差恋愛"もののエポックメイキング。少女漫画でヒロインがこういった形のマイナススタートさせられてる作品はこれが初出なんじゃないだろうか。
とはいえ爽子は、コミュニケーションが不得手な日本人形チックビジュアルがある種のマイナスとして描かれているものの、純情・真面目・勤勉・家庭的と愛され要素抜群の超オーソドックスヒロインでもある。
爽子↔︎風早間だけでなく、友人枠の矢野・千鶴との関係、ライバル枠(のちに親友に昇格)のくるみとの関係等、タイトルの通り相手に自分の気持ちを届けることの大切さ・もどかしさが丁寧丁寧丁寧に描かれている。メイン格が真っ当なので「娘に読ませたい少女漫画」的な思惑での人気が高いように感じた。公民館とか図書館の漫画コーナーとかにも入ってる率高い。
ただあまりの人気ぶりに、カップル成立(10巻)以降は連載をできる限り伸ばす方向性(全30巻)に持っていかれてたよなとも思う。実際君に届け連載終了とともに別マの月発行数はガタ落ちしているので編集部の狙いは正しい。名実ともに大看板。
アニメ化のち実写映画化。三浦春馬の風早くんはきらめきの擬人化。最近になってネトフリで連続ドラマも作られた。
『君に届け』によって起こった純情路線のカウンター/アンチテーゼと言わんばかりの本作。
ゲスくて打算的(でも全く賢くない)・顔芸まみれのヒロイン、はとりの恋物語。
はとりの言動が露悪的だったり、その想い人で幼馴染・利太の態度もフラフラしててそんなにかっこよくなかったりするため、当て馬界の星・弘光くんがどうにも不憫で話としての爽やかさは皆無なのだが、恋愛ってこういう不誠実な面もあるよね?と開き直る姿は一周回って清々しい。
恋愛観を問う目的で感想会したら一番盛り上がる作品なんじゃないだろうか。
今韓国で起こっている坂口健太郎ブームの源流は実写映画版弘光くんの好演によるものらしい。桐谷美玲も結構ハマってた。
周囲を気にしてあえてガサツに振る舞っていたヒロイン双葉が、名字と雰囲気が変わった初恋の男の子・洸と再会したことで再び恋をする話。
咲坂先生の作画は絵柄としての可愛さ力が高く、00後期〜10年代で「とりあえず手に取ってみる少女漫画」枠に入っていたように思う。思春期に抱えがちなモヤモヤ・ひたむきさ・それゆえの視野の狭さ、幼さなどが丁寧に描写されていて、現役中高生が読むと強く感情移入できる作品だと感じる。
その他『ストロボ・エッジ(2007-2010)』、『思い、思われ、ふり、ふられ(2015-2019)』の三つも実写映画化させてるヒットメーカー。Twitterでやたらと大喜利に使われてる "現実的な恋をする朱里""叶わない恋に囚われる理央"の画像は『思い、思(略)』の予告スクショ。
(元々その傾向はあったが、)2010年代以降は、ヒット作は実写映画に持ってって若手俳優の売り出し!っていうスキームが完全に出来上がったように思う。
アルコ先生完全オリジナル作だと連ドラ化した『ヤスコとケンジ』等があるけど、俺物語が別マに与えたインパクトは特別に大きいのでこちらを。
巨漢で筋肉隆々、仁義と正義感に溢れた男の中の漢・剛田猛男に大和という彼女ができてからの日常を描く。
少女漫画といえば線の細いシュッとしたイケメン♡という固定概念を華麗に破り捨てる快作。とはいえ線の細いイケメン枠は猛男の親友・砂川がちゃんと担っている。
砂川が最後まで誰とも結ばれずにただただ猛男の親友としてメインにいるのが地味にすごい。途中でフラグは立つが折る。恋愛をしないイケメンが別マにいることに感謝。
テンポよく、読んでいて思わず笑みが溢れる、少女漫画に苦手意識がある人も楽しめる作品だと思う。
1991年に別マでデビューしてから、『先生!(1996-2003)』『高校デビュー(2003-2008)』『青空エール(2008-2015)』『俺物語!!』と人気作を世に出し続ける別マ生え抜きの作家・河原和音先生。別マが今も月刊誌として続いているのは河原先生の存在がものすごく大きいんじゃないだろうか。今回は完結済み最新作の素敵な彼氏をチョイス。
「年末カウントダウンイルミネーションを彼氏と見る」を目標に生きてきた女子高生・ののかが合コンで飄々として掴みどころのない男子・直也と出会ってからの話。
恋に恋する少女ののかがイケメン直也に振り回され続ける…と見せかけて、知らずに振り回しもしているバランスが面白い。
河原先生のすごいところはやはり、中高生の流行り・時流を読む力だと思う。登場人物の価値観だったりファッション、芸能の小ネタとか、その時々に合った"今"を掴んでて古臭さをあまり感じさせないところがすごい。色々とバランス感覚に優れてらっしゃるんだと思う。
現在連載中の最新作『太陽よりも眩しい星』は幼馴染のピュアラブストーリーでこちらも名作。おすすめ
・恋愛カタログ
・消えた初恋
・うちの弟どもがすみません
恋愛における公正とは、執念の順に望みのものをゲットするということです。
みっともない、正しくないものです。
たとえば「相手が幸せであれば自分のものにならなくてもいい」というのは
ライバルを押しのけてもいじましいアピールをしても相手を手に入れたい。
それが恋愛です。
具体的に何が言いたいのかといえば
『5等分の花嫁』のあの勝者は私には面白くないということです。
道徳的です。
姉妹のうちで最も心が清いと言ってよいでしょう。
長い期間片思いというなの執着を燃やし続けたり、
こういう欲望と恐怖と勇気を見せてくれた人に勝ってほしいでしょう?
そういう人を差し置いて、後から来て物語終盤で恋愛感情を自覚した人に余裕綽々でホイホイッともっていってほしくないんです。
5等分で言ったら、
途中から好きとか言い出して、誰が見ても突っ込みたくなる恥さらし状態で
自分でもディスアドバンテージを自覚しながらそれでもがんばるという人とか、
姉妹の中でお姉ちゃんとして常に自分を抑えて大人の振る舞いをしていたのに
ちょこちょことせこい贈り物作戦で好感度稼ごうとして反応に一喜一憂していたり
途中からぶっ壊れて妹達に変装して情勢操作をもくろむという大反則に打って出る人とか、
そういう人の方ががぜん応援したくなるんですよ。
あの勝者の子は何ですか。
見苦しい手や汚い手を一度も打たなかった。
誰に対しても恥ずかしくない振る舞いしかしなかった。
ライバルの姉妹を出し抜いてでもアピールするような心がなかった。
こんな子に勝たせちゃダメでしょ。
男の方も不見識です。
ただただ一番自分のことを支えてくれた、害を及ぼさずに利益を与えてくれた女を選ぶんです。
なんてつまらない男でしょう!
ストーカーやヤンデレ、腹黒属性のあるキャラが必ず勝っていつも正ヒロインになってしまうってのはちょっと…多様性がないと思わんかね
あーもー長々例示つきで書いたのにこういう全然わかってないレスが来るとがっかりしちゃう
ヤンデレとかストーカーとかそんなもんなんにも面白くないんだよ
それらはそういうジャンル、キャラ造形として最初から設計されて宣言されて受容されるっていう退屈なお遊びだよね
ちゃんとまともな社会的人物として生きてきた、普段そんなことしない人として立てられたキャラが、
そこを踏み越えて汚いことや恥ずかしいことをしちゃう、そういう総体がいいんだよっていってるでしょ
というかねえ、ヤンデレだのストーカーだの腹黒だの、人の人格をそういう極端な類型で説明してしまうような創作はあんまり程度高くないと思いますよ
そんなんばっかり読んでるからもう少し解像度の目の細かい話してる人間に向かって「つまりヤンデレやな?」みたいな粗雑なまとめでかえしちゃうんですよ
あなたの脳が粗雑な創作によって型にはめられているってことなんですよそういうのは、もっと危機感持った方がいい
イカちゃんも期待してたんだけどまさに粗雑なヤンデレキャラという第一印象のままフェードアウトしてしまってもう影すらない
ジョバーと化して小学生や大天使にすら負けるし、女子最高の才能とはなんだったのか・・・
kuzudokuzu 残念ながら増田の言い分自体が「俺には執念がある!だから俺の執念を通せ!!」なので、それに気づかない人ぐらいしか「よしやってやろう!」と話に乗ることはない。
2020/02/18
誰が「俺の執念」とか、私個人の話やリアルの話をしてるんですか。
「よしやってやろう!」というのも何をやってやるのかわからないし。
上の雑な人と違って何言ってるのか全く分からない。
大丈夫なのかこの人。
「お話の中ぐらい公正世界を求めたい」はフィクションに対する愚弄である。フィクションは現実的であってもなくても理想的であってもなくてもよいのだ。皆、好きに作るべきだし、私も好きに読むし、君も好きに読め。
こんなの勿論私の趣味・私のお気持ち表明であってこれが世間のルールになるべきとは思いません
ただ自分の趣味をこうやって整理して熱弁したらみんなもその趣味をどう思うかとか自分の趣味はこれであるとか言ってくれるでしょう
これは確かに断りを書き忘れた私の落ち度です
学園ラブコメで言ったらライバルをいじめの対象にして蹴落とすとかそこまで行ったら肯定しません。
また、ジュビロはそもそも恋愛を描いたのではなく「執着が人を不幸にする」という世の真理の方を描いたと思います。
一時期萌えおじさんになって恋愛を描いてましたが(蛇足と言われてるけどあの村の3姉妹とか好き)、
「行き過ぎた執着で自分も周りも不幸にした悪のおっさん」を描くことのほうがずっと多いです。
設定的にはその通りなんですが
ぶっちゃけ作者から「この子の目はありません」という目配せのような扱いのギャグさがあったのと
マリーを例にすると特定のキャラへの思い入れで言ってると思われそうなので
まぁ押しが強いキャラって、当て馬というか、主人公にガンガンアプローチすることで正ヒロインがやきもち焼いたり、気付いていなかった恋心に気付かせる役割ばっかりなので、まず勝てないってのは哀しくはあるな…。
その問題は原因が3つあると思っていて
1.積極性が強い=「遊び人」「フシダラ」という古来の非難や敵視の目線
3.押しの強さの中で粗密やドラマを作るという複雑なことに挑戦出来なかった技術不足
ですが、
そういう意味では2が本当の敵かなと。
ごめんなさい、truetearsとschooldaysがまじったタワゴトを書いてました。
どっちもしってて全然違うのになんだこれ怖い。
あの漫画の中で最も執着と献身性、純白の狂気を見せてくれたのは千葉県さんだからね、しかたないね
恋愛は執念ではないわ。見た目等の自分の売りのステータスを伸ばし相手の好感度を上がる選択を選ぶのが大前提!突き進むだけの猪では現実でもバウムクーヘン確定よ。/変態仮面は清楚では無い二号ヒロイン選んだな。
恋愛ゲーのあのシステムも一面の正しさを含むかも知れないけど、それ以上にあのはっきりしたステータス主義の結果として「そうか、中スペの自分に恋愛は無理なんだな」と考えて身を引く奥手男性を結構生み出したのではないかと思っています
ステータスを伸ばしてからどうこうっていうのがそのまま役に立つのは恋愛というよりむしろ婚活のような気がしますがボリューム世代で未婚が増加した後の日本ではもう手遅れなかんじ
伝説の藤崎詩織さんのあの振る舞い(デフォステータスでは一緒にいるのが恥ずかしいといって偶然出くわして一緒に下校することすら拒む、ステータスが上がると寄って来るし高ステータス時にデートに誘わず放置してるとキレる、これで問題のある高慢ヒロインではなくメインヒロインという設定)を作った人
恋愛工学創始者並みに恋愛をシニカルに嫌悪しながら見てたのではと思う
お前の攻撃には執念が足りんぞ
あの概念凄く好きです
昔の少年漫画で敵が言ってくることとして相当凄いですよね
お前の攻撃には欲望が足りん、執念が足りん、そういうアドバイスが出てくる世界
その後の無想転生は我執を捨てた境地ですが
読んでみます。
いやそういう話じゃないって言ってるでしょう。
あなたがそんな読解力のないコメントをするのは意外だし残念です。
書き換える前のコメントの方が良かったな。
完全にストーカーの理論やんけ、怖いわ。むしろ恋愛がもたらす煩悩的な執着をしないほうを人は選ぶよね、というメッセージとして作品が成り立ってるのに。自分だって執着するだけの相手選ばないだろ…知らんけど
この人達は「ノーマルな恋愛」を清いものだとかいかぶっていると思います。
ちゃんと読んでないからアレなんですが、あれは恋愛漫画じゃないと思います。
確か宇宙人の妹がハーレム志向を提唱しだしていたとおもいますが
一種の優しい世界としての勝ち負けなしのハーレムで終わればいいんじゃないですか。
そういう風に終わったのかは知らんけど。
五等分の花嫁は読んでないけど、「ただただ一番自分のことを支えてくれた、害を及ぼさずに利益を与えてくれた女」って主人公に一番尽くしてるってことじゃないの?公正さを求めるなら、むしろ選ばれて当然なのでは。
「私の考える」「恋愛における公正」がなんなのかは文頭で説明しましたよね?
あなたが言ってるのはあの子が一番性格が清くて善だということです。
あなたも私の話をよく読んでください。
増田は根本的に勘違いしている。これは読者層で違うんだよ。少年漫画なら、控えめな優しい女が勝つ。少女マンガなら、努力する気丈な女が勝つ。例。「恋はつづくよ どこまでも」 / 男の願望と女の願望は違う。
そうでもないです。
少女漫画でも気丈に努力してアピールしてきたハイスペ美人が振られて途中まで「あいつのことなんてどうも思ってないし」とかとぼけたこと言ってた主人公が勝ったりします。同じくそばでジッと主人公を狙ってた男もよく振られます。
「ヒロイン失格」はどうや?イケメンの幼馴染という特別な地位に甘んじて舐めプしてた主人公がノーマークの地味喪女にBSSされたショックをバネに物凄い顔芸を繰り出しながらイケメンに縋り付くパワー系ラブコメ。
あれの作者は主人公もイケメンも偏差値低そうな人間ばっかり自覚的に描くのがすごいですね
アマゾンレビューで主人公が卑しすぎるとか最終巻表紙の笑顔がマジキチすぎるとか怒ってる声多いけどわたしは楽しみました
ただし逆転で捨てられた地味子がベタなメンヘラビッチになるのだけはいらなかったと思うけど
主人公とイケメンのやったことがそれぐらい人を傷つけることだと作者は自覚し認めてるんですよね
同作者の次の漫画がまた主人公も友達もイケメンの先輩(たしか留年)も全員偏差値低そうな感じで笑いました
あれはフィクションでやたら予定調和的に上手く行く「あえてきついことを言って奮起を促す」コミュニケーションが実際は上手くいかんやろみたいな試みですよね。
ただあの子は最初はそんなことしようと思ってなかったけど全然取り付く島がなくてああなったんだし怪我のことも知らされてなかったしあの場のコミュニケーションを間違えたというより最初から上手く行く選択肢が出てなかった感じ。
そしてあの球児のほうは何の誠実さもなく甘やかしてくれるだけの青田買い打算女に励まされて復活するのですが、次の試合ぐらいでメタくそに打たれて敗退することが別の話で示唆されています。
スネイプ先生はしょせん最初から最後まで死者を追い続けてるので自分は何も報われずに死すところまでが美しいんですが、
ハリーが女生徒だったりスネイプ先生が女性だったりしたら一点してキワキワの危険人物になった可能性ありますよね。
そのケースの生の匂いと厄みが増大したスネイプ先生も見てみたかったです。
あそこはあんまりそういう目で見てなかったので「え!?」ってなりましたよね。
潔子先輩が大好きなんですが、それゆえに後日談でもあの中の誰かとくっついたりしないだろうなと思ってたら
え、田中? 一途に頑張れば普通に手が届く存在だったんだ???
みたいなちょっとリアルな不思議な気持ちを味合わせてくれたのでそっちの意味であのオチはとてもよかったです。
振り返ってみるとちょっとしたハーレムもの主人公みたいな田中。
Permalink |記事への反応(14) | 18:49
https://entamedata.web.fc2.com/movie/movie_j2009.html
| 2009年 | |
|---|---|
| 21.5億円 | 僕の初恋をキミに捧ぐ |
| 34.8億円 | ごくせん |
| 2010年 | |
| 41.0億円 | のだめカンタービレ最終楽章 前編 |
| 37.2億円 | のだめカンタービレ最終楽章 後編 |
| 23.2億円 | 大奥 |
| 15.3億円 | 君に届け |
| 2011年 | |
| 44.6億円 | コクリコ坂から |
| 13.9億円 | パラダイス・キス |
| 2012年 | |
| 25.2億円 | 僕等がいた 前篇 |
| 21.5億円 | ヘルタースケルター |
| 18.8億円 | 映画ホタルノヒカリ |
| 17.2億円 | 僕等がいた 後篇 |
| 2013年 | |
| 17.7億円 | 今日、恋をはじめます |
| 2014年 | |
| 24.7億円 | ホットロード |
| 17.8億円 | カノジョは嘘を愛しすぎてる |
| 11.7億円 | 近キョリ恋愛 |
| 11.0億円 | 好きっていいなよ。 |
| 2015年 | |
| 24.3億円 | ヒロイン失格 |
| 23.2億円 | ストロボ・エッジ |
| 19.0億円 | アオハライド |
| 16.8億円 | 海街diary |
| 2016年 | |
| 32.5億円 | orange-オレンジ- |
| 26.7億円 | この世界の片隅に |
| 16.3億円 | ちはやふる-上の句- |
| 12.5億円 | 青空エール |
| 2017年 | |
| 13.7億円 | ひるなかの流星 |
| 2018年 | |
| 17.3億円 | ちはやふる -結び- |
| 12.3億円 | センセイ君主 |
| 2019年 | |
| 37.0億円 | 翔んで埼玉 |
映画好きの女子大生を主人公にした、安田剛助先生の『私と彼女のお泊り映画』という漫画があります。僕の大好きな作品です。
この漫画の最新話の一部が2ちゃんねるに抜粋掲載されて、そのスレッドがまとめブログにまとめられたことでちょっとした話題になりました。
映画通の男「邦画はクソ。黒澤映画だけは認める」 女さん「はぁー(クソデカイため息) 論破してやるわ」
【映画】なんだよこの漫画www【注意】 : 2chコピペ保存道場
よくいる「ちょっとオタク入ってるめんどくさい大学生」がここまで見事に再現されるとはwwwww : 無題のドキュメント
この男子大学生が登場する回は実は僕もあまり好きではなくて、というのも、彼のキャラクターが如何にもな“ステレオタイプの自称映画通”すぎるからです。
主人公・小春の最後のセリフ「あなたが好きなのは『映画』じゃなくって『映画が好きな自分』じゃない??」を言わせるためにでっち上げられたキャラクターで、所謂邦画ファンの仮想敵でしかありません。
そういうのを言い負かす啓蒙的な作風はこの漫画に求めるところではありませんでしたし、そもそもこんな事言う自称映画通なんて今どき存在しないだろうと思っていたのですが……
というか、少し引きました。
8名前:名無しさん 2017/04/26(水) 21:36:48.05ID:M9GbgbRG0
言う女に同意できるわけ無いだろう
別に男が悪いとは思えないのだが
69名前:名無しさん 2017/04/26(水) 21:56:57.52ID:nt7/WWjT0
265名前:/名無しさん[1-30].jpg[sage]投稿日:2017/04/26(水) 22:34:42.86ID:naDWyRswp
言ってることは間違ってないな
クソみたいな映画を絶賛するアホ女多すぎ
もちろん、邦画に対して肯定的な意見も多くあるのですが、ネット上とはいえこんなアホみたいな大学生に同調する人間が多くいることに驚きました。
そしてここからが本題です。
思えば確かに、ここ最近のネット上での邦画叩きは目に余るものがあるなと感じていました。
個人的に、その流れは三池崇史監督の『テラフォーマーズ』が公開されてから加速していったように感じられます。
漫画原作の映画が増えてきている昨今、『テラフォーマーズ』の出来が芳しくなかったという風説を受けたオタク達が挙って“漫画原作の映画は叩いていいモノ”、そこから派生して“邦画は叩いていいモノ”という風潮を作りあげているのではないでしょうか。
漫画作品が映画化されるという報せが届く度に、2ちゃんねるやTwitterのようなSNS上で、まるで親の敵に出会ったかのごとく、批判の嵐が巻き起こります。続いてビジュアル、予告編が公開されると、その勢いは更に加速していきます。やれ再現度が低いだの、コスプレ大会だの、ダサいだの安っぽいだの。
批判有りきのバイアスを掛けて見れば、正当な評価などできようはずはありません。公開前の作品に対してそこまで否定的なことを書き続けるのは最早ネガティブキャンペーンの一種でしょう。しかもそこから「だから邦画は糞だ」みたいな論調に持っていくのだからもう目も当てられません。
そんな差別主義者、邦画レイシスト達に、僕はモノ申したい。観もしない映画を批判するんじゃないと。邦画は、あなた達の批判オナニーのおかずじゃあ無いんだと。
はじめにことわっておくと、僕自身は別にそれほど邦画が好きというわけでもありません。映画はよく観ますが、圧倒的に洋画のほうが多いです。
こんな記事を書いておいて何を言うのかと思うかもしれませんが、重要なのは映画そのものが好きだということです。日本に住んでいる以上、邦画も映画興行の一角です。邦画の衰退は、日本映画興行全体の衰退につながります。
邦画レイシスト達を批判するのは、邦画を擁護したいというよりは、日本の映画を取り巻く環境に対する悪影響を危惧してのことです。
さて、ネット上で同意の声が聞かれる、「お泊り映画」の大学生の主張ですが、彼が邦画をショボいとする根拠として
の二点をあげています。明らかに、ろくに邦画を見ていない人間らしい的外れな批判ですが、彼はこれが真理だと言っています。
先に言ったように、このキャラクターは小春の最後のセリフを引き出すために設定された馬鹿な仮想敵で、そもそも発言に正当性なんてあるはずはありません。しかし、一部の邦画レイシストは彼同様これが真理だと思っているようです。
わざわざ間違った発言をあえてしているキャラクターの間違いを指摘するのは野暮というものですが、こちらもあえて、彼が如何に的外れは批判をしているのか示しましょう。
まずは、ケータイ小説ばかりのイメージ。といっても、『世界の中心で、愛をさけぶ』がケータイ小説原作でないのは言わずもがな、今日日ケータイ小説なんて名前も聞かなくなった死語同然のワードで、恋空がブームになったのももう随分前です。病気で殺しとけばいいと思っているような邦画といえば、最近だと『バースデーカード』や『四月は君の嘘』、あとは事故死ですが『Orange』あたりもそのイメージでしょうか。なんにせよ、ここ最近ではそれ程多くないように感じられます。
なので、男のイメージを前時代的と断ずることは容易です。ただ、安直なコンセプトという意味では確かに現状邦画の一角を占める存在が有ります。
現在公開中の『PとJK』や『ひるなかの流星』をはじめ、少し遡るだけでも『今日のキラくん』や『オオカミ少女と黒王子』や『溺れるナイフ』や『ヒロイン失格』など、枚挙に暇がありません。加えて、『ハルチカ』や『リライフ』や『君と100回目の恋』など、本来少女漫画が原作ではない映画も、そのイメージに取り込まれています。
しかも、このたぐいの映画はヒロインとその相手役に現在売り出し中の俳優/女優を起用して話題作りをしているので、二点目のアイドル性重視のキャスティングにも引っかかってきます。つまりこの一角は、彼の批判を真向から受けるゾーンということになります。
正直に言うと僕自身、この辺りに対しては公開される度に「またか」という気持ちにもなりますし、違いもよくわかっていません。だって観てないから。
確かに、この一角は邦画の一側面では有りますが、無論これが全体を体現しているわけではありません。マーケティングが大々的だからそのように感じてしまうだけです。
逆に言うと、観ていないからこそそれらの映画がショボいのかどうか判断はできません。
例えば『ひるなかの流星』はレビューサイト「KINENOTE」で67人の平均点73.4点との評価がくだされています。鑑賞人数は少ないですが、キネ旬が運営するサイトなのでそれなりの映画ボンクラ達が集まっているはずなので、この評価はなかなかのものだと思われます。どれも同じように見えても中身が違うのは当然で、玉石混交する中にはちゃんと面白い映画があってもおかしくはないのです。
つまり、コンセプトの安直さがそのまま映画のショボさに繋がるかというとそんなことはないということです。
この程、マイケル・ベイ監督が『トランスフォーマー』シリーズの量産体制に入り、既に14本分もの脚本が仕上がっているという報道がありました。14本って、相当な量ですよ。『トランスフォーマー』は作れば売れるが約束されているからここまで攻撃的な体制が取れるのです。これこそコンセプトの安直さの極みでは無いでしょうか。そして、『トランスフォーマー』シリーズ一本一本がショボい映画ではないことは皆さんご存知のはず。
あとは、マーベルスタジオも自社のコミック原作の映画をどんどん量産していますよね。2020年までの上映計画が既に確立されている。これも当然、作れば売れるが約束されているからです。そして、こちらのクオリティに関しても周知の通り。
少女漫画原作の邦画群もまた作れば売れるが約束されているコンセプトだから量産されているわけですが、それを以って製作が手抜きだと断ずるのは浅はかにも程が有ります。
実際に観てみると、本当にどれも同じような映画に観えるのかもしれません。しかし観てない以上、その一点で批判するには感情に寄りすぎているのではないでしょうか。
それに何より、そういった映画群が対象にしているのは女子中高生です。それが邦画全体であろうはずはありません。安直なコンセプトもアイドル性重視のキャスティングも、それが対象にするのが女子中高生だから効果的なのです。邦画を批判して悦に入ってるような、オタクや中年男性なんて端から対象にしていません。
なのにそれを論ってショボいだの言ってるのは大人げないの一言につきます。
ケータイ小説のような、今で言うなら少女漫画原作のような映画だけが邦画じゃあありません。そんなことを言っている人は、マスメディアの宣伝にしかアンテナを張っていないと自白しているようなものです。映画に対する関心が薄い、芸能ニュースだけをみて映画情報を仕入れている気になっている人間に、邦画全体を批判する権利なんてありません。恥を知ってください。
先程も言ったとおり、僕自身はそれほど邦画を観るわけではありません。昨今よく漫画の実写化失敗例として挙げられる『テラフォーマーズ』も『進撃の巨人』も観ていません。なぜなら興味が無いから。
両作品とも、アニメは観ていました。特に巨人は、現在放送中の第二期も毎週楽しみにしています。大好きな作品です。しかし映画は、特に興味がわきませんでした。
そもそも映画は、テレビ番組や雑誌掲載の漫画とは違い、観るかどうかの判断の多くは観る側に委ねられます。だって、わざわざ映画館に足を運んで、1800円のチケットを買わないと観れないのだから。
ザッピングしていて目にとまることも、とりあえずで録画することも、買っている雑誌をパラ見して視界に入ることもないのです。テレビなんか比じゃないほどに「嫌なら見るな」が成立するコンテンツなんです。
漫画が原作の映画が公開されて、それがひどい出来だったか原作ファンが憤る。これは理解できます。その作品が好きで、その作品の新たな一面が見られるのだと期待に胸を膨らまして劇場に足を運び、目にしたものが原作を踏みにじるような駄作だったなら、それは批判してしかるべきでしょう。また、はじめからバイアスをかけて劇場に臨み、批判箇所をピックアップしながら鑑賞し、帰ってネットにそれを書き連ねる。僕自身はあまり理解できない楽しみ方ですが、それも正当なことでしょう。なぜなら能動的に足を運んでお金を払って鑑賞しているのですから。
しかし、そうでない人間はなんなのか。ビジュアルや予告編が、それどころか実写化の報せが出ただけでクソ認定してメタクソに叩き、果ては邦画の体制までもバッシングする邦画レイシストはなんなのか。原作のファンで、実写化した姿など見たくないというのなら、見なければいい。最初から期待が持てないのなら、無視すればいい。原作が好きだからというペラッペラの免罪符を掲げても、その実やりたいことは何かを批判して快感を得ることでしかないのではないでしょうか。確かに上映期間中はテレビでもCMが流れたり芸能ニュースを席捲することもあるでしょう。でもそんなのは、上映期間中のほんの一ヶ月程度と、それ以前の宣伝期間の、正味二ヶ月程度のものです。それさえすぎれば、余程のものでもない限り、もう目にすることはなくなります。
例えば『銀の匙』や『男子高校生の日常』や『ひぐらしのなく頃に』が実写映画化されたことを覚えている人が果たしてどれくらい居るでしょう。どれもアニメ化もされた大人気作品ばかりですが、映画の方はまず話題に上がりません。その程度のものなのです。
無視していればそのうち過ぎ去っていくのをわざわざ叩くのは、原作愛でもなんでもありません。批判して快感を得たいだけのただのオナニーです。漫画原作映画は、邦画は、邦画レイシストのおかずでは決してありません。
『テラフォーマーズ』も『進撃の巨人』も僕は観ていません。なので両作品に対して言及することは出来ません。便乗している人間はともかく、観た上で批判している人たちの意見は正当なんだろうなと思います。
しかし僕も、漫画実写化の中でも悪名高いあの作品は観ました。そうです、『デビルマン』と『キャシャーン』です。
『デビルマン』は、今でも漫画実写化の際に名前を挙げて「だから実写化は糞だ」という批判につなげる格好の材料となっています。2004年の公開にも関わらず未だに話題性を持続している、ある種伝説的な作品です。
これ一作で邦画批判につなげるのは短絡的に過ぎますが、実際この映画がそびえ立つ糞なのは事実です。僕自身観た作品なので遠慮なく言います。本当に酷いです。苦行かと思えるほどに。評判の悪い映画はあまり積極的に観ようとしない質なので、自分の中ではクソ映画の極北として君臨している作品です。
しかし『デビルマン』は本当に極端な例です。漫画実写化が全てこのレベルなら邦画批判も已む無しと思いますが、このレベルのクソはなかなかひり出せるものではありません。納豆が臭いからという理由で日本料理全体を批判するのはお門違いというものです。というのも、『デビルマン』と同年に公開され、クソ実写化の双璧と並び称される『キャシャーン』が、蓋を開けてみると実はそれほど酷いものでもないからです。
確かに手放しで褒められる作品ではないのですが、少なくとも『デビルマン』に比べると兆倍面白いですし、見応えがあります。PV畑出身の紀里谷和明らしく映像面のこだわりは強く、サイバーパンク的意匠が凝らされたディストピア風美術を日本で展開する舞台は一見の価値が有ります。アニメ原作であることを意識して、アニメーションを取り入れた演出がなされていたのも斬新でした。実写用にブラッシュアップされたキャシャーンのデザインもかっこ良く、今のアメコミ映画の隆盛に先駆けていたとすら思えます。クライマックスで明かされるダークヒーロー然としたキャシャーンの背景も、賛否は別れる気はしますがテーマに重みが出て興味深いです。主演の伊勢谷友介や悪役のブライキング・ボスを演じる唐沢寿明の怪演を始め、キャスト陣も申し分ありません。冗長な展開や説明的且つ啓蒙的すぎるセリフ回しが鼻につくことはあっても、『キャシャーン』は『デビルマン』と並んで語られるような作品では断じてありません。そもそも『キャシャーン』への批判は、設定改変によってキャシャーンのヒーロー像を歪められたことに対するファンの憤りからくるもので、映画そのもののクオリティとは別の由来です。
しかし、漫画実写化の際に『デビルマン』と『キャシャーン』の名前を挙げて批判している人間が居ます。彼らはまず間違いなく『キャシャーン』を観ていません。邦画レイシスト達の共通理解として“『キャシャーン』は叩いていいモノ”があるからの現状なのです。このことからも、邦画レイシストが如何に短絡的で、感覚的に邦画を批判しているかがわかります。彼らは邦画を観ていません。イメージと伝聞でしかものを語れないのです。
近年、僕が観た邦画の中で面白かったと感じた作品をいくつかあげます。(一応、アニメは除きます)
・『ちはやふる 上の句・下の句』
・『アイアムアヒーロー』
・『寄生獣』
・『シンゴジラ』
・『残穢』
・『日本で一番悪い奴ら』
・『SCOOP!』
・『クリーピー』
どれも大々的に宣伝された大作映画ばかりで、映画通が好むミニシアター系とかじゃありません。更に上の三つは漫画原作です。どれも実に面白い邦画でした。これらよりつまらない洋画をいくつも挙げることが出来ます。
映画が好きな人間であれば、意図的に避けようとしない限り邦画を観ることもあると思います。そのどれもが全く琴線に触れない人間など本当に居るのでしょうか。漫画を原作にしていても面白い作品はたくさんあります。邦画全体となれば尚更です。
本当に観ていれば、やたらと批判なんて出来ないはずです。それは、自分の感性も批判することになるのですから。実際、邦画それ自体が肌に合わないという人もなかにはいるのでしょう。しかし、SNSで邦画叩きをしている人間が皆そうなのでしょうか。おそらくそんなことはないでしょう。多くは叩きたいから叩く、邦画は叩いていいモノだから叩く、と思考停止している人間なのではないでしょうか。
自分はモノを見ないで感情的に対象を批判する、欠片の理性も持ち合わせないような人間ですと自白して、恥ずかしくはないのでしょうか。
僕もまたこうして、邦画レイシストなんてアホなネーミングの仮想敵を作って、一方的に批判を飛ばして悦に入っているだけの人間です。さっきも言ったとおり、邦画そのものに対して特別な思い入れはありません。
しかし、こうして文章にして発信することで、仮想敵だと思われた邦画レイシストが食らいついて、話題になってくれることを密かに望んでいます。
映画は好きです。邦画にも好きな作品がいっぱいあります。『銀魂』や『トーキョーグール』や『鋼の錬金術』等、観に行こうと思っている漫画原作の映画もあります。自分の好きなモノを理由もなく批判する人間は当然不愉快です。何よりも僕の映画ライフのために、そんな不快な人間が一人でも考えを改めてくれることを願っています。
Permalink |記事への反応(12) | 13:15
http://b.hatena.ne.jp/entry/298566450/comment/masara092
本当に「見て批判しているなら」その通りだと思う。
けど、「ビリギャル」「ヒロイン失格」「ストロボ・エッジ」「アオハライド」あたりは全部を見ていなくても「こういう作品なんでしょ」という先入観みたいなものを持ってしまうこともできる。
自分はこの中だと「ヒロイン失格」だけしか見てないけど、事前に思ってたよりも桐谷美鈴の変顔がおもしろかったという気持ちもあるものの、やっぱり想定の範囲を超えるほどではなかったという気持ちもある。
実際には見ていなくとも、ラインナップを見ただけで「なんとなくこういう傾向」と見なしてしまっている場合も少なからずあるのではないかな。
邦画を見ない人が邦画を批判してると言うけど、邦画を見ない人の邦画のイメージっていうのはTV等で広報されているもののイメージなので、自分が面白いと思っている傑作選とは異なることは当然なのでは。具体的な例を挙げよう。
世間の人の洋画・邦画のイメージが興行収入ランキング上位と同じだとすれば、2015年は洋画は
である。想像以上にアニメが多くてビックリした。おそらく邦画好きの人の邦画の中にはアニメは含まれないと考えると、
それで最初の洋画10個と邦画10個を比べて、邦画ってアレだよね、と話をしているのが増田が批判しているイメージ論である。でも、それって仕方なくない?おそらく洋画好きな人たちだって、こんなハリウッド大作的なものだけを洋画って思ってもらいたくない!って思っているだろうし、日本では興行収入が低く、マイナーな作品にも面白い傑作があると思っているに違いない。でも、その人たちはわざわざそういうことを言わない気がするんだよね。マイナーな映画の中に傑作があるのは当然で、邦画にもそれが多いことはわかるけど、邦画を見ない人の邦画批判というのは上記のランキング上位の邦画のことを指しているわけである。邦画好きな人たちはこのランキング上位の映画のことをどう考えているんだろうか?洋画好きの人たちと同じように、「まぁ大作も面白いけど、他にも面白いものあるよ」と言えるのだろうか。このランキングに内心忸怩たる思いなのではないだろうか。その辺の屈折しているところも含めて、一般の人がなんとなく邦画苦手になっているんだと思う。(状況としては純文学に近いのかも。純文学にも面白いのあるよ、身近だよと言いつつ、本心ではエンタメ作品を下に見てるところとか)
ネットで好きな作品を言って広めることよりも、友人を連れて劇場まで連れて行って興行収入ランキングの上位をきちんとある程度の傑作(お金を無駄にした感がないもの)で占めるようにしないとやっぱり邦画はダメだと思う。
いまどきの日本映画にはマンガ原作のものが多いのは周知のとおりよね。
で、いわゆる「少女マンガ」原作のものには少しばかり男性が近寄りがたい雰囲気を醸し出してる気がするの。
『L♥DK』
『ホットロード』
『近キョリ恋愛』
『クローバー』
『アオハライド』
『娚の一生』
『ストロボ・エッジ』
『海街diary』
『ピースオブケイク』
『ヒロイン失格』
『俺物語』
『orange』
あたりかな?
wikipediaから適当に見繕ってきたんだけど、見落としがあったらごめんね。
少女マンガじゃないものもあるかもしれないし、逆に載せなかった中にも実は少女マンガってのもあるかもしれないけど、そういうのがあったら教えてね。
実写映画なだけにファンタジー的なものは少なくなってるのはしかたないにしても、
よくまあ恋愛要素が大きそうなものばかり集めたものだ、という印象を持たざるをえないと思うわけ。
『脳内ポイズンベリー』は『インサイドヘッド』ではあるんだけど結局は恋愛してたわけだし。
『ピースオブケイク』や『ヒロイン失格』は恋愛ものではあるけどおもしろかったわ。
あ、上記の作品を全部見たわけじゃないので、これは恋愛だけじゃねーぞってつっこみも歓迎よ。
そんなわけで、実写化映画ベースで見ると、少女マンガってやっぱり恋愛ものばかりってイメージは払拭できてないよね、という話をしたかったの。