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はてなキーワード:ヒルコとは

2025-02-02

理系だけど日本古典文学を割と読んだから語る①

1:古事記池澤夏樹 訳[新訳]

のっけから申し訳ないのだが、自分古事記池澤夏樹訳で読んでいない。というか、この池澤夏樹日本文学全集で読んだ本はほとんどない。しかし、池澤夏樹にはちょっと悪いのだが、リストとして便利なのでダシに使わせてもらった。

自分最初に「古事記」に触れたのは神代だけを扱った子供向けの講談社青い鳥文庫経由でだ。次に読んだのが確か大学生の頃になる。文芸春秋社三浦佑之が現代語訳したもので、古老が昔話をする形式翻訳していた。現代人にはわかりづらいところを語りで補う、初心者に親切なものだった。

さて、内容だが、神話だけでなく、それ以降の歴史時代記述面白いヤマトタケル物語だけでなく、おそらく戦前は教えられていたであろう神功皇后朝鮮半島への進軍を知っておくと、昔の人がどんな世界観を持っていたか想像やすい。権力者の書いた歴史書を鵜呑みにするのは危険だが、歴史一次資料に(翻刻翻訳されたものとはいえ)触れるのは非常に楽しい。「学校で習う歴史の出典がこれか!」という素直な驚きがある。

もちろん神話としても面白く、考えてみれば今の皇室は天の住民と海の住民の両方の血を引いているという属性てんこ盛りである。他にも、イザナギノミコトとイザナミノミコトが夫婦生活をする際に「凸を凹に入れて子供を作りませんか?」「それは楽しそうですね」というくだりが何となく好きだ。性に罪悪感がないのがいい。もちろん、最初に生まれ子供ヒルコ描写は、今の感覚では身体障害者差別なんだけれども、後にそれが恵比寿様だということになって崇拝されるようになったのが、何となく流されたヒルコが救われた感じがして、結構好きなエピソードなのだ。捨てられた存在に新しい場所を用意してあげた後世の人の優しさみたいでね。

面白かったので日本書紀も確か講談社学術文庫か何かで読んだ。傍論としてさまざまな説を併記しているのが、物語ではなく歴史書の体裁をとっている「日本書紀」の特徴を端的に示していて面白かった。もちろん、これだけでは日本神話理解できない。中世神仏習合近代国学陰陽道などの展開を追わねばなるまい。しかし、その一歩を踏み出せたのはやはりうれしい。

ところで、「記紀」の記述を合わせて池澤夏樹は「ワカタケル」を書いたようだけれど、個人的にはピンとこなかった。「記紀」の文字に書かれたことや考古学的成果の内容とは矛盾しないが、むしろ史実から離れすぎないようにしたため、想像力が少し現実に縛られている気がしたのである。あとは現代中国語の「上に政策あれば下に対策あり」って言葉引用されていたのに違和感があった。お分かりのように、僕は面倒くさい読者なのである

2:口訳万葉集 折口信夫百人一首 小池昌代 訳[新訳]、新々百人一首 丸谷才一

万葉集全然読んだことがない。というのも、巻数が膨大なためだ。僕は完璧主義なところがあり、読むならきちんと最初から最後まで読むべきだと感じてしまう。それに詩を読むのなら、一つ一つの詩をきちんと味わって理解したいのである。そうなると膨大な時間がかかり、そこまで詩に興味がない自分としては手が伸びない。ただし、自分フォークナーを薦めてくれた友人は、「美酒をがぶ飲みするように、次から次へと詩を読んでいくのも贅沢でいいものだよ」とは言っていた。僕の場合、深く刺さった詩は、小説の中のぴったりした場面で引用されたとき出会っているケースがほとんどだ。やはり詩が多すぎると言葉の海に溺れてしまう。

百人一首田辺聖子解説で読んだ。それぞれの和歌や作者の背景を丁寧に、肩の凝らない文体説明してくれているので、今でも時々手に取っている。王朝人物史としても面白かった。田辺聖子とは評価する場所が違うところもたくさんあるけれど、脱線楽しい。ちなみに、初めて百人一首出会った小学校高学年のときには、もちろん恋の歌にばかり心が動かされたのである。「しのぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで」。たぶん自分感傷マゾというか、言い出せない思いをウジウジ、グツグツと自分の中で煮詰めて煮凝りにしてしまう傾向は、この時からあったのだろう。

ところで、王朝文学世界的に見て女性作家が多かった時期だと聞いたことがあるのだが、調べてみると女性の句は二十一だった。半分くらいだと思っていたのだが、これは女性の句が心に残ることが多かったための錯覚だろう。

「新々百人一首は未読だ。こうして記事を書こうとしていた時に調べたのだけれど、王朝の歌を二百種に絞って紹介してくれているらしいので、これはぜひ読みたい。昔ほど完璧さにこだわらなくなったし、こういうベスト盤みたいにピックアップしてくれると、きっと散文を好む自分も楽しめることだろう。丸谷才一ジョイス翻訳で知ったのだけれど、文章リズムが合ったから今から読むのが楽しみだ。

3:竹取物語 森見登美彦 訳[新訳] 伊勢物語 川上弘美 訳[新訳] 堤中納言物語 中島京子 訳[新訳] 土佐日記 堀江敏幸 訳[新訳] 更級日記 江國香織 訳[新訳]

これらの本はすべて別の訳者で読んだのだけれど、こうして並んでいる訳者にそれぞれ馴染みがあるので、彼らがどのような翻訳をしたのか、ちょっと読みたくなってきた。ちょっと前までは「古典は原文で読んでこそ意味がある」という原理主義的なところがあったのだが、「源氏物語」や「太平記」が長すぎるあまり、開き直って現代語訳で読んでしまったため、最近はそこまで原文にはこだわっていない。今ではい翻訳がたくさんあるので、普通に現代語訳でストーリーを味わってから、原文を楽しめばいい。このラインアップでは、個々の作家に対しても言いたいことがあるのだが、今回は省こう。

竹取物語は、幼いころに聞いた物語原典知る楽しみがあった。一番シンプルにされた絵本バージョンだと、五人の貴公子物語が省かれてることもあるし。そういう意味では、「御伽草子」なんかもちょっと読みたくなってきたな。

伊勢物語短編集で、古典の授業で東下りを扱ったので前から気になっていた。ただのモテる男の話を読んだって楽しくないかもしれないが、一つ一つがごく短いのでそこまで嫌味ではないし、うまくいかななった恋物語もある。それに、古語で読むから現代日本語で読むのと違ってワンクッションある。僕は感傷マゾだったから、結局は恋の物語が読みたかったのだ。

だが、書かれているのは恋愛遍歴だけではない。「老いぬれさらぬ別れのありといへばいよいよ見まくほしく君かな」「世の中にさらぬ別れのなくもがな千代もといのる人の子のため」。ほんとそれな。無理な願いだとわかっていても、大切な人には永遠に生きていてほしい。これらの歌に出会えたのは幸いだった。

なお、これを読んだ後に祖父を亡くしている。ほんとに、人間いつまでも生きられないのは寂しいことである。なお、これも阿部俊子訳の講談社学術文庫で読んでいる。

他に当時刺さった歌を日記から書き写しておく。「思ふこといはでぞただにやみぬべき我とひとしき人しなければ」(そんな寂しいこと言わないで……)「心をぞわりなきものと思ひぬるかつ見る人や恋しかるらむ」(それな)。たくさんあるのですべては書き写さない。

堤中納言物語は「虫愛づる姫君」で有名だけれども、例えば娘ではなくそ祖母を連れ出してしまう話だとか、二人の男が誤った相手と契ってしまうとか、慌てて白粉ではなく墨でメイクしてしまう話とか、奇妙な話も含まれている。あとは手に入れることなど到底できないもので作った「ほしいもリストである「よしなしごと」とか。どうも物語統一感がなく、どういう意図編纂されたのかはよくわからなかった。これは笠間文庫で読んでいる。

土佐日記小学生時代に塾の先生が「男のくせに女の文章で書いたのが紀貫之って変な奴」って紹介していたのでそんな印象がずっと続いていたし(子供インパクトを与えて覚えさせるためなのと、当時は平成初期なのでこういう言い方をしていたのである)、文学史的にもそういう評価をする面もあるのだが、今は亡き子供の思い出を語る悲しい話なのである。道中の描写も素敵だし、ラストの「この原稿は捨ててしまおう」というくだりが、例え虚構であってもとっても好き。どうも僕は、一人の人間が読者を意識して書いたテキストであるという臭いが好きらしい。だからメタフィクションも好き。これは角川日本古典文庫で読んだ。図書館で借りたボロボロになった古い本だった。三谷榮一訳註。

更級日記はかつての文学少女が「源氏物語」をはじめとする文学への憧れを綴っているが、ラストのあたりで「自分人生はいったい何だったんだろう」と回顧するので、僕みたいな作家になりそこなった文学少年崩れが、感傷的になりたいときなんかにオススメだ。内容をすっかり忘れているのだが、そこばかりが強く印象に残っている。

そして、「物語なんぞにうつつを抜かすんじゃなかった」的なくだりがある癖に、内容が技巧に富んでいるのだが、それはただの未練というよりも、そうした技巧で妄念を鎮めようとしたのやもしれないし、それもまたパフォーマンスかもしれない。小説家になりそこなった僕にはグッサリと深く刺さっている。よく「更級日記」は文学少女の物語だと言われているが、文学少女崩れの物語でもあるのだ。実際、興味深いことに「更級日記」では結婚子供誕生、両親の死という重い事柄が、ほとんど触れられていないのである

それにしても、文学少年文学少女はとても欲深い。彼らは現世で得られないもの書物の中から得ようとするからだ。そして、創作に手を出すのは、自分の持っていないものを魔術のように作り出そうとする更に深い欲がある人々だ。そして、僕はその欲望を愛していた。

ああ、そうだ。ここまで書いて気づいたのだが、恋だけでない、生きていてふと感じる寂しさを和歌にした作品が、僕はとても好きなのだ

INTERMISSION①

こういうのは個人ブログでやったほうがいいんじゃないかと思わないでもないのだが、辺境ブログでやってもあまり読者は集まらない。個人ブログを読んでもらうためには、ある程度自分コンテンツ化する必要がある。言い換えるならば、一定の頻度で、ある程度の品質記事を、独自色を伴って、継続的生産し続けなければならない。なかなかできることではない。それに、この動画全盛期の時代に、どれほど文字を読む人がいるだろうか? また、首尾一貫したキャラで書き続けるのも面倒である

一方、はてな匿名ダイアリーでは、文字を読むのが好きな人が集まっている。また、内容が有益であったり面白かったりすると、きちんと読んでもらえる。虚飾と権威主義真っ盛りの時代にあって、「誰が言ったかではなく、何を言ったか」だけで評価されるという意味では、非常に居心地がいい。もちろん殺伐としているし、暴言も多いが、それを補って余りある素晴らしい点である有益なまとめを書いたときは褒められ、的外れなことを言えば叩かれ、面白くなければ無視される。残酷だが、内容だけで毎回勝負するのは、文章を書くのが好きな人にとっては鍛錬の場になる。

なお、時折こうして個人的なボヤキを書く。あまりにも古典文学の紹介という話題から逸れ過ぎて、イケメンモテ男に関する個人的愚痴になってしまい、読者を笑わせるよりは暗鬱な気分にさせるであろう箇所はこれでもかなり削った。かろうじて残したのは文学関係する箇所のみだ。

恨みつらみを向けている人や、気に食わない人はたくさんいるのだが、作家以外は実名では論じるつもりはない。名前を出して作品批判することはあるが、その人の行いに直接何か言いたくなった時はぼかしている。己の負の感情直視したい一方で、人にネガティブものをぶつけるのは美しくない。だからせめて、こういう妙な義理を通したいのである

それでも長い。気に入らなければ読み飛ばしてほしい。ここに書きたいのは古典文学の紹介であり、せめて日常感じていることであり、怨念の垂れ流しではない。ただし前回のように時折脱線しては管を巻くつもりだ。

続く。

Permalink |記事への反応(2) | 17:39

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2024-05-10

古事記女神から男神声かけセックスしたらヒルコが生まれたってあるけど

今だったらヒルコも大切に育てるような神話になってるんだろうな

Permalink |記事への反応(0) | 11:43

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2023-12-25

anond:20231224235450

昭和を生きてきたからな…。

男尊女卑きつい地域ほど、男はバカから女は許して男は手のひらで転がして論を言うよ。

あとイザナミが先に声をかけたのは何も悪いことではないが、その結果全身欠損してるヒルコが生まれたのは、女が男に声を掛けるなって男尊女卑価値観って事を言ってて、イザナミが悪いかヒルコが生まれたとは言っていない。

Permalink |記事への反応(1) | 00:17

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2023-12-24

anond:20231224175727

男尊女卑って男を愚かにしたがるじゃん。

男は馬鹿から女は男をヨイショして気持ちよくさせて手の平で転がせばいいんだよ、セクハラ浮気は笑って受け流して許してあげるのがいい女みたいな。

その二人にしても女であるイザナミが先にイザナギに声をかけたので不虞の子であるヒルコ神が生まれて海に流されましたとか、イザナミが1日千人殺すとか、最初から結構男尊女卑を感じる。

Permalink |記事への反応(1) | 21:08

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2022-12-07

ケモノクニの何が評価されているのかがわからない

https://shonenjumpplus.com/episode/316190247014843117

ジャンプ+の新連載で、読者評価結構高いらしいのだが、自分には全く面白いと思える要素がなかった。

評価を見ても「凄いの始まった」「最高」「面白すぎる」「これがインディーズだと!」「水溶が楽しみ」みたいなのばかりでどう面白いのかが伝わってこない。

強いて言うなら「主人公名前ヒルコであることがバッドな展開の伏線だね(ニチャァ」みたいなのぐらい。

は?その程度か? とならざるをえない。

まず設定だが、

ヒトが動物奴隷となっているという設定自体は超ありきたりだ。

たとえばこれがコロコロ漫画なら「奴隷描写児童誌で!?」と驚くことも出来たが、タコピーでさえオッケーな媒体でやられてもインパクトはない。

同じ系統なら人類史で実際に人間人間奴隷にしていた時代を描いた「ヒストリエ」や「カタバミ黄金」の方が読書体験としてのパワーは強力だ。

そもそも獣人」という言葉存在する世界で「ヒト」という呼び方を使っているのが設定の甘さを感じる。

「ヒト」は「人」を意味するのだから、それ単体で最下層の存在指定するのは難しいだろう。

「卑」「ハゲ」「フニャフニャ」といった何らかの蔑みを込めた単語のものか、それプラス「ヒト」を呼んでいないとおかしい。

ストーリー展開も必死に戦って死ぬというただそれだけの話であり、物語の中に深みはない。

とりあえずキャラを殺しまくればインパクトは出るのだろうが、それをやるには最初絶望的過ぎる。

平和世界がいきなり壊れて終わったり、キャラクターの行動について読者に熟考を求めるような強烈な余韻を残したりが必要だろう。

それがない。

ただ悪人反省して死ぬというそれだけの話だ。

薄味過ぎる。

物語の冒頭として「まあ様子見かな」とは思えても、これをして「すげえええええ」とはならんだろ。

キャラクターの造形についても陳腐というか、動物人間化を行う際に「この生物はどうやって生活しているのだろうか」と作者が考察した感じが薄いように思う。

その手の形で人間的な生活スタイルを営むのは難しいと感じてしまキャラクターも多くいる。

種族ごとの身長のばらつきが大きいはずだが、それを反映している街の作りになっていないように思える。

そもそも最下層の生物として「ヒト」が設定されているが、その割には「海獣」という更に下の存在がいるようなので混乱する。

海獣」に近い特徴を持った生物が他の種族から差別されているように見えないのだが、それについてちゃんと作者は設定を練っているのだろうか?

なんというか色々と「本当に大丈夫か?この漫画」と不安になる要素だらけなのだ

その漫画に手放しの称賛が集まっているのが理解できなかった。

誰か教えて欲しい。

この漫画は何がどう「最高に」面白いんだ?

Permalink |記事への反応(2) | 17:47

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2022-11-19

anond:20221119231001

ヒルコだろ

Permalink |記事への反応(0) | 23:11

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2022-05-17

anond:20220517125203

イザナミが先に喘ぎ声をあげたせいでヒルコが生まれたわけですし

Permalink |記事への反応(1) | 12:55

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2019-04-15

anond:20190415110010

から誘ったかヒルコが産まれたんだという筋金入りの日本人ビッチdis

Permalink |記事への反応(1) | 15:43

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2018-11-14

anond:20181114181546

まり、剣(男性メタファー)を口に含んで事を行えば産まれるのが女子、珠(女性器?子宮メタファー)を口に含んで男子、とか?

ヒルコ、アワシマが女から声を掛けて失敗した話とつながってるという解釈ね。

ただ、うけひ自体占い、願掛けみたいなものから……。

https://blog.goo.ne.jp/katodesuryoheidesu/e/38a0ce7f9520a9a1ff927acf4c7a8870

↑ 今までの話と合わせてこれを読むと、自分の潔白を信じるために子どもを作ろうって身勝手な話を持ちかけてるように思えるね。

Permalink |記事への反応(0) | 18:52

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2016-07-28

諸星大二郎GOやりたい

●●GOやりたいっていう話はみんな食傷するほど読んでるだろうねごめんね

海辺にはあんとく様

雄大に歩くカオカオ様

餓鬼ヒルコ雑魚のようにわらわらおります

タケミカヅチがおーん

ヨグはすばしっこい

先生の奥さんは萌えキャラ

回復アイテムは、稗田さん好物のうな重

ていうかどうやって捕まえんの無理でしょーーーーーーーーーーーー

Permalink |記事への反応(0) | 10:45

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2009-01-26

http://anond.hatelabo.jp/20090126155440

夢使いに出てくるヒルコの国か。

ヒルコ有村

Permalink |記事への反応(1) | 15:59

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2008-03-24

http://anond.hatelabo.jp/20080324185950

批判すべきはたいてい自分な件。それか運命か定めとして諦めるべきこと。

うん。それが仏教の本質じゃないかな。

極東ブログ: チベット的癒しの話を読んでさっき思ってたことだ。何か悲惨があったとき(それがありふれた病や死でも、当人と家族にとっては悲惨だ)、その原因を特定し排除しようとするのが現代的・科学的な−−ひいては全てを第一原因に求めるキリスト教的な?−−考え方だ。そのためにデモをするし、虐殺をするし、抗生物質を作り出す。

ここでジョークをひとつ

筋金入りの無神論者は言った

「これまでの信念を曲げて、神を信じたくなるときがたまにある。

 自分ではどうしようもない不幸が我が身に襲いかかってきたときだ

 ……もし神がいまも天国てっぺんの玉座におわしますなら、

 いつかその階段を駆け上がって、とりすましたそのツラに一発ぶち込めるって希望が持てるからな」

でも仏教はそうじゃない。降りかかる悲惨/幸福の原因を、『因果』『業』というイマジナリーナンバーに求める。そして諦める。あるいは供養する。それはパッと見はすごく後ろ向きでダウナーで怠け者の考え方だけど、共同体というマスで見たとき、あるいは時間軸に重ねて人生という単位で見たとき、有効な場合もあるんじゃないだろうか。とか“全てに原因を見出せる病”こと陰謀論の人たちを見て思うこともある。うん、「陰謀論」こそが「科学的思考」のヒルコだよね。

って一方で

誰もがそう考えてるなら、チベット問題なんかあっという間に解決だな。

http://anond.hatelabo.jp/20080324190036

もまたある意味正しい。もし、本当に字義的な意味で「誰もがそう考えて」いたとしても、それだけでは虐殺は無くならないだろう。なぜなら「自分は『批判すべきは自分だ』と考えている。しかしそこにいる見知らぬ他人はどうだろう?」という不安・恐怖は、偽装不能のテレパシー能力か、個人が全ての人間と1対1で対話できる高度な情報処理能力情報網が開発されない限り、排除しきれないからだ。

悲しきナッシュ均衡

そう。ゲームはたとえ対戦相手が実際には存在しなくても成立するんだね。そしてそこからは「3人寄れば党派政治がはじまる」だ。こわいよおにも通じる話。

Permalink |記事への反応(0) | 19:38

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