
はてなキーワード:ヒルとは
ラインハルトは、病名すら特定されなかった「皇帝病」で崩御したとされています。公式発表は「過労と持病の悪化」ですが、これはあまりにも曖昧で、歴史上の権力者の急死を糊塗するための常套句に聞こえます。
ラインハルトは戦争終結まで戦場に立ち続け、精神力で病状を抑え込んでいたとはいえ、宇宙統一という目標達成後、あまりにも急速に衰弱し、崩御しました。
新銀河帝国には、当時の人類最高の医学力が集結していたはずです。にもかかわらず、治療不能な「奇病」として処理されたことは、病の背後に人為的な要因(=検出不可能な毒物)が隠されていた可能性を強く示唆します。毒殺が実行された場合、検視や病理解剖が行われても、皇后の権力によって結果が捏造されるのは容易であったはずです。
暗殺を成功させるには、「機会(チャンス)」と「アクセス(対象への接触)」が不可欠です。病床のラインハルトに対し、これを満たせる人物はただ一人、昼夜を問わず看病にあたった皇后ヒルダ以外にいません。
病気のラインハルトは、誰にも気付かれず毒を摂取させるのに最も都合の良い環境にありました。食事、飲み物、そして何よりも薬の調合や投与。これらの全てを管理・監督できるのは、最も近しい存在であるヒルダだけです。
病状の悪化に伴い、ミッターマイヤーやロイエンタールといった外部の人間はラインハルトから遠ざけられました。たとえ彼らが面会を許されても、飲食物に細工を施すことは不可能です。
毒殺が実行されたとするなら、それは看病という最も神聖な行為の裏側で、ヒルダの献身的な愛の行為を装って行われた、極めて周到な計画だったと断じるのが順当です。
ヒルダは単なる皇后ではなく、優れた政治家であり、ラインハルト亡き後の帝国体制の構築を深く見据えていた人物です。彼女にとって、ラインハルトの早すぎる死は、悲劇であると同時に「政略的チャンス」でした。
ラインハルトが長く生きれば、彼は再び戦火を求めるか、あるいは自ら政務を執り続けるでしょう。しかし、彼が今死ねば、わずか生後数ヶ月の息子、アレクサンデル・ジークフリード大公が皇帝に即位します。
ヒルダは、その幼帝の「摂政」として、新銀河帝国という巨大な艦の舵取りを名実ともに掌握できます。彼女は、夫の遺志を継ぐという大義名分のもと、いかなる反対勢力もなく、実質的な最高権力者として帝国を統治し、自身が理想とする平和で安定した統治体制(ローエングラム王朝の永続)を確立することが可能になります。
ラインハルトは過労で弱り、病床に伏すという醜態を、最も嫌っていたでしょう。
ヒルダのラインハルトに対する愛は、彼の「偉大さ」に対する畏敬の念と不可分でした。彼女は、ラインハルトが「全宇宙を統一した直後」に、病という自然の摂理に打ち克てず崩御するという、「完璧な悲劇の英雄」として歴史に刻まれることを望んだかもしれません。
病で苦しむ姿を晒させず、理想の頂点で幕を引かせること。これは、愛する夫を「歴史」という永遠の舞台に立たせるための、恐ろしいまでの「慈悲の暗殺」だったとも解釈できます。
パウル・フォン・オーベルシュタインの死は、この毒殺説の補強材料となります。
オーベルシュタインは、ラインハルトの病状を把握していた数少ない人物であり、その容態の不自然さ、そしてヒルダの動機を誰よりも深く理解できたはずの、冷徹なリアリストでした。彼こそが、ヒルダの企みに気づき、彼女を脅かし得る唯一の人物でした。
彼は、ラインハルトの最期の瞬間に、地球教徒を囮にするという彼自身の策でテロの標的となり、爆死します。この「殉死」はあまりにも劇的で、真相を知る者への口封じとしては完璧すぎる幕引きです。彼の死は、ラインハルトの崩御と時期を同じくして、「不都合な証人」を消し去るためのヒルダによる最後の「工作」であった可能性を排除できません。
『銀河英雄伝説』の物語の背後には、愛と政略が交錯した究極の陰謀が隠されていたと結論づけられます。ヒルダは、最高の機会、最強の動機、そしてその後の歴史を支配する能力を持っていました。
『銀河英雄伝説』の物語は、新銀河帝国初代皇帝ラインハルト・フォン・ローエングラムの皇后にして、摂政・事実上の最高権力者として最後まで生き残った**ヒルデガルト・フォン・マリーンドルフ(ヒルダ)**によって、意図的に編集・捏造された歴史であるという仮説は、非常に魅力的です。
この仮説の根拠は、物語の語り口がラインハルトを絶対的な「英雄」として神格化する傾向にあり、その視点がしばしばラインハルトの最も近しい理解者であり、彼の死後も帝国を統治したヒルダの視点と一致する点にあります。彼女は、幼い皇帝アレク大公の母として、新帝国を永続させる責務を負っていました。
ヒルダが歴史を捏造した最大の動機は、ローエングラム王朝の正統性の確立と、帝国の安定にあります。
ラインハルトの神格化:ラインハルトを「完璧な勝利者」「救世主」として歴史に残すことで、アレク大公の帝位を磐石なものにする。彼の短命という弱点を、まるで天命を終えたかのような劇的な英雄譚で覆い隠す必要があった。
キルヒアイスの役割の強調:ラインハルトの「永遠の友情」を強調することで、彼の人格的な高潔さを印象付けた。
ヤン・ウェンリーの昇華:帝国最大の敵ヤン・ウェンリーを、帝国に刃向かった「反逆者」ではなく、ラインハルトと対等の「好敵手」として扱うことで、ラインハルトの偉大さを際立たせた。ヤンの死を、ローエングラム王朝が真に天下統一を果たした決定的な瞬間として演出した。
オーベルシュタインの処理: 彼の冷徹な功績を正当に評価しつつも、ラインハルトの死という悲劇の中で、地球教徒を道連れにして死なせるという「劇的な自己犠牲」の英雄として描いた。これは、彼の冷徹なイメージを和らげ、後世の帝国民の憎悪や疑念を回避するためだったかもしれない。
彼女が歴史の編纂に深く関わったことは想像に難くありません。公式の歴史書『ローエングラム王朝史』は、ヒルダの監督下で執筆されたと見てよいでしょう。物語の随所に挿入される歴史家的な考察や、ラインハルトの内面に深く立ち入る記述は、彼と最も長く親密な関係を維持し、彼の死後、その意思を継いで国政を担ったヒルダだからこそ知り得た(あるいは「創造し得た」)情報に基づいていると考えられます。
結果として、我々が読んでいる『銀河英雄伝説』は、ローエングラム王朝の正統性と、ラインハルトの英雄性を最大限に高めるという政治的目的をもって編纂された、一種のプロパガンダ的歴史書である可能性を秘めています。ヒルダは、歴史という物語を紡ぐことで、亡き夫の偉業を永遠のものとし、自らの統治基盤を固めた、最後の「勝者」だったと言えるでしょう。
箴言(ミシュレイ)では、確かに愚者(כְּסִיל/kesil)に対して厳しい言葉がたくさんあります。
たとえば次のような節があります:
「愚か者に答えるな、その愚かさに従って。さもないと、お前も彼のようになろう。
しかし愚か者に答えよ、その愚かさに従って。さもないと、彼が自分を賢いと思うであろう。」
(箴言 26:4–5)
このような節は、一見「神の似姿としての人間」という考えと矛盾しているように見えます。
しかし、ユダヤの伝統的な解釈では、これら二つの概念は矛盾せず、むしろ補い合うものと理解されています。
ユダヤ思想では、「ツェレム・エロヒム(神の似姿)」とは人間の本質的な尊厳を指します。
それは、生まれながらに神の創造によって与えられたものであり、誰も失うことはありません。
一方、箴言で語られる愚者とは、道徳的・知的な選択の誤りを繰り返す人を指します。
つまり、愚か者とは存在の否定ではなく、行動や態度の批判なのです。
ラビ・アヴィグドール・ネーベンツァール(現代エルサレムの学者)はこう説明します:
箴言は知恵文学であり、感情的な非難ではなく、人間の行動を正しい道に導くための現実的アドバイスです。
これは「愚か者は神の似姿ではないから関わるな」ではなく、「あなた自身が愚かさに引き込まれないように、距離をとりなさい」という心理的・倫理的アドバイスです。
つまり箴言は人の尊厳を否定せず、愚かさの影響を避ける智慧を教えています。
タルムード(ペサヒーム 113b)には次のような教えがあります:
つまり、行動上は距離をとる必要がある相手でも、心の中ではその人の内なる神性(ツェレム・エロヒム)を忘れないという態度を求めています。
「人々を愛し、彼らをトーラーへと導け。」
それは、「愚かさを嫌っても、人を嫌うな」という倫理です
| 教え | 内容 | 目的 |
| 神の似姿(創世記1:27) | すべての人間の存在的価値 | 尊厳の土台 |
| 愚者への警告(箴言) | 行動・言動に対する現実的指針 | 自己防衛・知恵 |
| タルムードの調和 | 人を嫌わず、愚かさを避ける | 愛と現実のバランス |
つまり、ユダヤ教は愚かさを厳しく戒めますが、愚かな人そのものを否定しません。
彼(または彼女)にも神の似姿がある。
結論:
「歴史的・理論的な文脈の違い」を踏まえれば、「断絶」とまでは言い切れない。
・ヒルシュフェルト自身が「性の多様性」や「固定的な性役割の否定」を唱えていた。
・トランスベスタイトの存在を通じて、「性自認と身体の不一致」を可視化しようとした。
よって、「性の連続性」「自己認識を尊重すること」「非病理化」の方向性は、明確に現代トランス理論と通じる。
→ヒルシュフェルトの立場は、現代理論の「前史」または「土台」として捉えうる。
「断絶」と言えるか?:
「現代トランス理論はヒルシュフェルトと本質的に異なる」という主張は、部分的には妥当だが、次のような留保が必要です:
✅理論の洗練・進化による差異であり、歴史的に切断されたわけではない。
✅ヒルシュフェルトは時代の制約の中で、ジェンダーの非固定性に切り込んでいた。
ヒルシュフェルトの研究全体が性の多様性とジェンダーに関する理解の先駆けで
研究所は世界初のトランスジェンダーのための医療支援も行っていた
そんな資料を焼いたんだからトランス医療関連の書籍を焼いたって主張は間違いじゃない
セルフID(Self-Identification)は、個人が自らの性自認を唯一の根拠として法的・社会的性別を決めるべきだとする立場です。この考え方では、出生時に割り当てられた「男/女」というカテゴリーは、絶対的な規範ではなく、あくまで後から修正可能なラベルに過ぎないとされます。
セルフID思想の根底には、「生物学的特徴(染色体、ホルモン、外性器など)が個人の性別を一義的に決めるわけではない」という認識があります。
性別は解剖学的・染色体的に分類できるものではなく、インターセックスやホルモン変化などグラデーションが存在する。
したがって、性別を「男/女の二択」ではなく「連続体(スペクトラム)」として捉えることが合理的だとされる。
この思想においては、「本人の自認が最も重要な決定因」となります。すなわち、身体的な差異は参考程度であり、最終的には自己申告が性別を決める根拠とされます。
「トランス女性は女性」という命題は、この前提に基づき、身体的性別ではなく自認を女性カテゴリーに含める根拠とする。
したがって、生物学的性別を前提とし、それと文化的に異なる服装を好むというヒルシュフェルトのトランスベスタイト(異性装)概念とは、根本的に異なるものとなっています。
「現代のトランスは生物学的性差を否定する」という部分は、誤解を招きかねない断定です。
ヒルシュフェルトの立場と現代のトランスジェンダー理論は、対立よりもむしろ連続性があると考える方が、歴史的にも学術的にも正確です。
現代のトランス理論には様々な立場がありますが、「生物学的性差そのものを否定している」わけではありません。
むしろ、「生物学的性差が人間のアイデンティティや役割を絶対に決めるわけではない」という主張が中心。
トランス当事者や支援者の多くは、「セックスは存在するが、それがジェンダーを決定するものではない」という立場を取っています。
ナチスによるトランスジェンダー迫害の歴史とJ.K.ローリングの発言
ローリングは、ナチスがトランス医療関連の書籍を焼いたというSNS投稿を「フェバードリーム(熱にうなされた夢)」と表現し、事実確認を促した。
1919年、ベルリンに「性科学研究所」を設立。トランスを含む性的少数者の権利擁護に尽力。
MTF手術のプロトコル、図解、希少な書籍などを含む膨大な性に関する資料を所蔵。
トランスの人々に「トランスヴェスタイト証明書」を発行し、公的な服装表現を可能に。
道頓堀に飛び込むという行為を、ひと事のように笑い飛ばす風潮に、静かな怒りを募らせている。
人は自らの愚かさを露呈する。
先人はこう嘆いたものだ。
──十九世紀末、戯作者式亭三馬が描いた講釈本に、道頓堀の名物「堀の人」を捉えた一節がある。その男、名を柄井丈吉という。酔客の好奇心を満たさんと、夜毎鏡川の艪から身を投じ、人々を驚かせたという。だがその飛躍は賢慮に欠け、川水に呑まれて三度、死の淵をさまよった。生還したのは奇跡か、それとも文字の海に生き永らえた噂話の宿命か。
増田はこれを「芸」と呼ぶ者の無知を嘆く。柄井丈吉が生き延びた後の話を誰も知らないのは、川底に沈んだ教訓ごと人々が忘却の淵へ投げ捨てたからだ。堀に飛び込むという演出の下敷きには、「他者の目を引きたい」という極めて卑近な動機があり、自尊と無謀が拮抗する。知らず識らずのうちに、飛び込む者は己の無恥を世界にさらす。
現代の道頓堀もさほど変わりはしない。SNSに映る若者の楽しげな姿は、泳ぐことのない浅瀬へ足を踏み入れる蛙めかしい所作に他ならない。お祭りの喧騒が「涼」の幻想を煽るたび、飛び込み願望は膨れ上がる。だが、そこで待つのは得難い涼恵(りょうけい)ではなく、ヒルの如き流れの冷酷さと、下流の水路に隠れたゴミと油膜の毒気だ。
かつて文人たちは、水底に深く潜ることの危うさを讃えた。芭蕉は河畔を歩き、川音に耳を澄ませながらも、決して淵には近づかなかった。川は人の軽率を見透かし、冷たく拒むからである。増田は言う──「淵から身を引く勇気こそ、本当の度胸だ」と。
道頓堀の水は、観光資源としての華やかさと同時に、都市の猛毒を内包している。下水が混じり、水質汚濁が進む夏場には、病原菌の巣窟と化す。飛び込んだ者は、無邪気な快楽を追い求める一方で、自らの体に細菌の羅列を招き入れる。病みつきになっても、川は返歌など持たない。
そして、思い出せ。かつて柄井丈吉が三度、川に呑まれたのは、彼自身の好奇心が引き金だった。三度生き延びたのは幸運だが、誰もその後の彼の生涯を語らない。転じて言えば、飛び込むことの代償は後生にまで残るが、その傷跡は誰にも見えない。
増田は総括する。――夏の道頓堀に飛び込む愚かさは、江戸時代の戯作者も、現代の若者も変わらぬ。見せ物小屋の梁の上で綱渡りを披露するような輝きはない。自ら選ぶ快感の陰に、いつか病苦と後悔だけが残る。
涼を求めるなら、橋の上から川縁の縁台に腰掛け、水面を眺めよ。そこに映る蜃気楼のような涼しさは、安全と礼節を兼ね備えた、もっとも賢い愉しみ方なのだから。
結論、ウマが合わないので通わないことに決めてるからそこはいいんだけど、気になってるから話させてくれ
家から一番近い小児科が、子どもを何の症状で連れて行ってもかならず+αで皮膚症状の薬を処方する
熱が出て連れて行けば「解熱剤+喉鼻の薬+皮膚症状の薬」
鼻水が止まらず連れて行けば「喉鼻の薬+皮膚症状の薬」
たいがい「顔がかさついてる、背中が赤い、薬出しとくから塗って」「1ヶ月分しか出せないから来月また取りに来て」「本人来なくてもお母さんが受け取りに来るだけでいいから!」と翌月の予約を取られ毎月行くことになるんだが、正直親から見て肌が荒れたり痒がったりしてるように全く見えない
そりゃ荒れるときもあるんだけど、比較して今は落ち着いてるな、本人も気にしてないなって時でも必ずこの対応
出される薬は大体ヒルドイド系の保湿と、軟膏
子どもをしっかり見て処方しているという感じではなく、なんか、かかりつけ医として毎月一定数の患者が必要なのか…?とか、処方するほど病院になにかポイントが入るのか…?とか疑ってしまう
子どもの年齢的にも我が家が直接負担する医療費はないんだが、使い切れない薬が溜まっていくのが心苦しく、よほど緊急じゃなければこの小児科には行かないことにしている
https://x.com/AliYerlikaya/status/1954035806256968127
“Silahlı terör örgütüne üye olma"suçundan ulusal seviyede arananM.Y. isimli şahıs JAPONYA’da yakalandı ve ülkemize iadelerisağlandı.
https://yandex.com.tr/gundem/politics/11-suclu-turkiye-ye-iade-edildi-3340100
機械翻訳:
赤い通知により、国際レベルで指名手配されているジェム・チェブリム、メフメト・エネス・エゼル、エクレム・ユルマズ・テュム、ユミット・アルトゥンタシュ、シナン・コチ、ムラト・ギュルゲン、国家レベルで指名手配されているマフフズ・バンル、カディル・カン・ヘルヴァチュ、エフェ・ギュデク、ギョハン・シェン、マヒルカン・ユセルという犯罪者が逮捕され、トルコに引き渡された。
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左翼団体が必死に難民だと主張していたマヒルジャンユエルはテロ組織に所属する単なる指名手配犯で
そりゃトルコには帰れないと主張するわな。
糖尿病のエントリーがあがってたけど、アトピーも最近新薬の進歩がすさまじいので書いておきたい。
ちなみにワイは幼児の頃発症、高校生くらいまではあまり問題なかったけど社会人になってから増悪、そこから10年くらい苦しんだけどデュピクセントという薬でほぼ完治した。デュピクセント治療前は三週間に一回くらい通院してたけど、今は半年に一回も行かないくらいで済んでます。
1、ステロイド
いろんなランクのを使ったけど、ひどい時はストロングでもほぼ効果なし。
全身常に赤いし、関節はひび割れ、顔のむくみもひどかった。多少の波はあったものの、10年くらいこの症状が続く。
身体的なつらさもあるが、何よりビジュアルがひどかったので今でも鏡や自分が写真に映るのを見るのが怖い。何より快復していかないと自分の中で諦めが先行してしまい、治療も投げやりになってく悪循環が続いた。
とはいえ軽度であればステロイドのプロアクティブ療法で十分なケースもあるので、ステロイド自体を軽視するのは避けたほうがいい。
ステロイドとは作用が異なる免疫抑制剤。かゆみを抑えるのだが、塗ったところがほてるという副作用がある。これで逆にむずむずしてしまったためやめてしまった。
3、コレクチム
2020年の新薬。炎症が起きるメカニズムを途中で阻害してくれる。
プロトピックのような副作用もなく割と効果があったように思うが、若干お高いのと、小さいチューブの薬剤を毎日全身に塗るわけにもいかないので根本的な解決には至らなかった。
4、デュピクセント
2018年の新薬。それこそ糖尿病のインスリン注射のように腹に自己注射する。多少の痛みはあるが、ふくよかな腹のおかげで毎回憂鬱になるような痛みではない。
2021年くらいに当時通っていた皮膚科のマダム先生に紹介されて試した。これまでの薬に比べてバカ高い(3割負担でも一本1万円以上。年々下がってはきている)が、効果は絶大だった。
投薬したその日の夜にはかゆみが落ち着き始め、数日すると表皮に人の色が徐々に戻っていった。さらに1-2ヶ月でどんどんひび割れなどのダメージが快復、1年程度でほぼ完治した。
今はヒルドイドで風呂上がりに顔を少し保湿する程度。ステロイドは一切使っていない。デュピクセント自体も病院の承認の下で月1本程度で収まっている(本来は2週間で1本)。
金はかかるものの、費用対効果と通院を減らすタイパを考えるとQOLの上がり方は他の薬とは比較にならない。
確定申告や高額医療費の制度を使えばある程度は負担も緩和できる。
さらにモイゼルトとかブイタマーといった新薬もここ2-3年で出てるけど、デュピクセントでほぼ治っているのでお世話になっていない。
ここではアトピーの話しかしていないが、慢性的な症状が続くタイプの病気も年々治療法や付き合い方が変わって気がついたらいい治療法が出てくることもあるので、専門医にかかるのは本当におすすめします。
アトピー性皮膚炎は乳幼児から40代くらいまでに多い疾患で、60代以上の患者は少ない。年齢別の患者数は特に1-9歳、35-44歳に集中してる。
https://atopic-dermatitis.jp/adult/learn/data.html
維新の見直し要求により、アトピー治療薬のステロイド外用薬や保湿薬が保険適用から外れ、自己負担は増える。
https://hodanren.doc-net.or.jp/info/news/2025-06-12/
「現役世代を支える」「子どもたちの未来を守る」と謳っている維新のマニフェストと矛盾している(この資料では湿布や風邪薬だけが作為的に強調されてる)。
https://o-ishin.jp/policy/pdf/2025_election_manifesto.pdf
特に幼少期のアトピーは、喘息や食物アレルギーなど他のアレルギー疾患につながる入り口になる。これは「アレルギーマーチ」として知られている。逆にアトピーの治療はアレルギーマーチの予防につながる。
https://www.ncchd.go.jp/hospital/sickness/children/allergy/about_allergy.html
スキンケア・薬物療法・悪化要因排除を適切に行うことで、アトピーの症状はある程度コントロール可能になってきている。
https://www.ncchd.go.jp/hospital/sickness/children/allergy/atopic_dermatitis.html
つまり、適切な診断・指導・処方(ステロイドの強度を正しく判断しなければ副作用を発生させる)により寛解でき、ついでに他の疾患も予防できる「治せばお得」な病気である。
この治療は維新の見直し対象のリンデロンやヒルドイドが使われるが、これらの薬代をケチるよりも、早期寛解を支援して結果的な医療費・社会保険料削減に繋げるのが最適解と言える。
政治家的に見ても、患者側/負担側双方で幸福な国民が増えて成果になる。
アトピーが学業成績への影響、職業人の生産性の低下につながることを示す研究は多くある。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC8163918/
治療によって、「将来を担う若者」の学業成績が上がり「圧迫されている現役世代」の生産性向上・職業人生の充実が図れる。
「社会保険料負担増加」という疾患に対して、目先の「保険適用薬の削減額」に飛びつき、その場限りの短絡的な対処療法をするのは、
維新の非難する「とりあえず湿布もらいにいく老人」の行動によく似ている。
日本の患者数は10年で1.5倍の増加傾向にあって、30-40代の大人になってから発症する人もいる。あなたやあなたの家族がいつ「こっち側」に来てもおかしくない。
これの中核は、世論が声高に叫ぶ湿布サブスクだろう。高齢者の無駄な薬削減だろう。
けれど線引きをする必要があり、その線引きがOTCがあること、になる。
ちなみにOTC医薬品とはOver The Counterの略で一般医薬品、つまりドラッグストアなどで買える薬のことだ。
痛み止めや軽い風邪薬、抗アレルギー薬なども対象となるが故に、本当にそれらがないと苦しい患者さんを中心に反対が出ている。
例えば、アトピーなどの皮膚疾患。ヒルドイドやステロイドなど、外用薬が手放せないが全てOTCにある。そこら辺の顔の保湿に使う程度の人とは使用量も比べ物にならない。
例えば、リウマチ。痛み止めがないと生活できない人が結構多い。もちろん痛み止めはOTCだが、時々頭痛がする程度で飲むのではなく1日3回飲んでやっと日常生活を送ることができる。
例えば、喘息。抗アレルギー剤を内服しても発作が出るときは出る。発作を頻回に繰り返すのは予後もよろしくないので予防は必須だ。この抗アレルギー剤もOTCにある。アレ〜グラ〜ってニノがCMやってたのがもう何年前だってレベルからずっとある。
他にも、多分想像以上にOTC医薬品になってるけどそれを医療用医薬品として処方してもらわなければ生活できない患者さんは多いだろう。
けれど、正直にいえば、ツケが回ってきたんだと思う。
今後の落とし所としては「診断名」「先発は選定療養」の二つくらいを盛り込んで、OTC類似薬は保険適用外になるんじゃないだろうか。
リウマチの診断があれば痛み止めは処方箋で出してあげる、アトピーの診断があれば外用薬は出してあげる、それ以外は保険適用外ね、ただの風邪とかだよ。って感じで。
で、多分この診断名でまた揉めるんじゃないかな。
股関節変形症は痛み止めを出せる疾患!ってしたら、多分高齢者の湿布サブスクは終わらない。
皮脂欠乏症もヒルドイド出せる疾患!ってしたらきっと保湿薬を安く入手できるってのも終わらない。
どこかに落とし所を作らないと社会保険料は膨れ上がり続けるだけだ。既に諸外国はまず病院へという制度自体を許していない。国民皆保険制度自体がこの医療が高度に発展した世界では維持が難しいものだ。
セルフメディケーション税制だってあんまり浸透もしなかった。これがもう少ししっかり広まり、あとできればもうちょいこれを使用できる値段の下限が下がれば、この政策自体は通るんじゃないだろうか。
反対してる人は、何が反対なのか一回じっくり考えてほしい。
そこに自分が当てはまる可能性は近い未来でありうるだろう。何が起こるか分からない。だからこそ、自分が払わなければならない社会保険料に文句を言うならばどこに反対なのかきちんと考え、落とし所を出せそうな政党に票を入れよう。
社会保険料を上げるしかない、それはもう仕方のないことだと思う。だから賃上げ自体を掲げる政党に投票したい。
減税を掲げる政党であっても財源が不明ではないか?どこを削って減税した分を補填するのか?そこまで考えたい。
社会保険料上げろ〜!そして俺の給料上げてくれ〜!と思ってるしがない薬屋のひとりごとでした。正しくは、社会保険料の負担割合が少しでも減りますように。