
はてなキーワード:パタンとは
もうスマホに横長のカメラバンプを置くのが許された感じなんだったら、どうせならステレオカメラとしての能力向上のために左右になるべく離して設置してくれないかなあ。
片方が広角で片方が標準みたいになるから計算無しでステレオ動画作れるとはならないだろうけど距離推定はぐっと楽になると思うんだ。
標準・マイク・望遠・ライト・マイク・広角みたいになんないですか。
なんないか。
赤外パタン投影・標準・ライト・マイク・広角・赤外カメラでもいいすよ。
だめすか。
LIDAR積むから別にいいやと言われればまあそうですねとは思うが。
もっというとスマホの縦サイズが人間の目の間隔を越えているので、スマホを横に構えて動画をとると即ステレオ動画が取れてくれないかなと思う。カメラバンプを縦長に長く設置してな。
民衆の匿名SNSが相変わらず(中身・好み・話法)なのはどうして?
ちがうのは、今ではセンス0でも内容0でも(捻りのない罵詈雑言のクリシェ、botみたいなワンパタンの応酬、など)アテンションエコノミーをハックすれば読まれるし、そのせいで、痒いところに手が届くポストが希釈されて「1/n」になるところ(トレンドポストはもちろんあるけど、人力クローラーとしてすべてに目を通す義理はないよね)。
エコーチャンバーではない意味で、Googleの「プライベート広告」とか「星評価」みたいな仕組みがほんとはほしい(フィルターかけたい)。
1. 俗悪ポストを弾くモチベーションがうすい(のでそのまま=更なる口実を与える)
2. 俗悪ポストの弾き方が周知されてない(のでそのまま=更なる口実を与える)
2’. ヤジの飛ばし方や間接話法にそれぞれ名前をつけて、明示的に排除意思を示しては(その手は通用しないと言う意思表示)?
藁人形論法を思いつくかもしれないけど、これは藁人形とラベルすることで相手を自分の藁人形に仕立てるオウム返しの手法なので、適切な例ではない。
今日はね、おにぎらず!これ、本当に簡単で、しかもおしゃれで、最高なのよ!お弁当にもピッタリ!さあ、ちゃちゃっと作っちゃおう!
材料はね、これだけ!
あったかいご飯!炊きたてが一番美味しいけど、冷ご飯でも大丈夫!レンチンしてね!
好きな具材!もう、なんでもいいの!
鮭フレークも美味しいわよ!
ツナマヨも間違いないわね!
野菜も入れたい?レタスとかきゅうりとか、シャキシャキしたのが合うわよ!
作り方は、超簡単!
まずね、まな板に海苔をバーン!って広げるの!菱形になるように置くと、後で包みやすいわよ!
真ん中に、あったかいご飯を、ぎゅっぎゅって軽く広げるの!あんまりぎゅうぎゅう握っちゃダメよ!ふんわりとね!
その上に、好きな具材をドーン!って乗せるの!彩りとか考えなくても大丈夫!美味しければいいのよ!重ねて乗せてもOK!
またその上に、ご飯をバーン!って乗せる!さっきと同じように、ふんわりとね!
さあ、ここからがポイントよ!海苔の四隅をね、中心に向かってパタンパタンって折りたたむの!まるでプレゼントを包むみたいにね!
ひっくり返して、ちょっと落ち着かせるの!海苔がご飯の熱でしんなりするまで、少し待っててね!
最後はね、包丁で真ん中をスパッと切るの!断面が綺麗だと、また美味しそうに見えるじゃない?
はい、できあがりー!
どう?簡単でしょ?もうね、おにぎりみたいに、いちいち握らなくていいの!具材も好きなもの、どんどん入れちゃって!
お弁当にするときはね、ラップでピッチリ包んであげると、崩れにくいわよ!
みんなも、色々試してみてね!きっと、あなただけのオリジナルおにぎらずが見つかるわよ!
この彼女は、典型的な(女性側の)NTR性癖を発症しているので、浮気の是非の議論をしても相手には全く刺さらないことを理解する必要がある。
NTR性癖にもいくつかのパタンがあるが、典型的なものとして、自分の愛する相手が自分でない(より生物として強い)別の相手とセックスすることで安心する、というのがある。
ネット上には「寝取られ性癖に苦しむアライさんの寝取られクロニクル」のスレッドなど豊富な実例があるので、参考にしてほしい。
エロ系のフィクションには男性が寝取られる側で女性を寝取られ(あるいは寝取らせ)て悶々とすることで快感や相手への愛を実感する、というのが多いが、実際には女性が自分の愛する男性を寝取られてそれに快感を覚える、というパタンもあり、ここに男女差はないようである。
つまり、彼女は、貴方を「本命の彼女がいるのに平気で浮気する下劣な人間」として見ているから、「浮気して当然」と言っているのではなく、「自分の愛する相手に浮気してほしい、それが自分の喜びである」からそのように言っているのだと思われる。
そのため、冒頭の内容になるわけだが、もし、貴方がそのような性癖の相手を理解できない、あるいは理解できても付き合えない、というのであれば、残念ながら関係を続けることは難しいだろう。
しかし、もしも貴方が、彼女の性癖に理解を示し、自分もその世界に飛び込んで相手と一緒に生きていく、と決断するのであれば、その前途に幸多かれと祈りたい。
若い頃にいろんな物に興味を持つ。興味を持ったらその方面に突っ込みたくなる。
最初はミニカーだったり電車だったり簡単なギア同士のメカニクスに感動する。次第にロボットが気になりだしたり、変形合体のメカや構造に興味が向いたり。
男子であればだいたいは通る。メカじゃなくて恐竜方面に行く子もいる。
そうやって興味が湧き、触れては知り尽くした気になって飽きが来てはまた新たに興味を示すものが現れては消える。これ繰り返しながら徐々に複雑なものへ興味の矛先が遷移していく。
やがて中学生になればその時に最もハマっていた事に一生を費やすようになるとまで言われているが、かといって他に興味が映らないわけでもないしこの頃には知能も上がり知識も蓄積されていくのだから、興味の向く幅は広がり続ける。
いつしか高額なものに出会ったり、それを欲したりもするようになる。これは成人してからもずっと続く。この時に断念の仕方にいくつかパターンがあるが、今 40 代のおっさんが主に感じている残念な断念方法について語っていく。
20 代の頃は服が欲しかった。多分世代的には最後の裏原宿世代なのではないだろうか。今はもう死語になって久しく誰もこんな言葉を覚えていないレベルなんじゃないか。裏原宿という原宿の路地側に並んでいるショップ(服屋)が好んで取り扱うような衣類全般で、情報量の多いデザインが並んでいてそういった服が好きだった。
私服でよかった会社にはそういうところで手に入れた服を着て行っては、同僚に何かしらポジティブなコメントをもらえたりご満悦だった。
一方で20 代中頃に付き合っていた彼女は良いところの出で、デートで家具屋なんかも行った。
家具屋で見つけた棚の扉が締まり切る瞬間にちょっとブレーキがかかってパタンという音をさせないようにするギミックやソファの柔らかさについて語っていた。家具に興味がなかった、モノが置ければ良いと思っていた俺からすると、良いものを知っていてその良い理由を語れる彼女が好きだった。
そういった知識を身に着けてしまうと、欲しいと思う基準がすこしずつ変わってしまう。いつしか引っ越し後に手に入れたい家具はそういった「良い品」を求めるようになったし、家具に限らず年を経て良さを知ってしまったものはどんどん基準が高くなっていった。
しかしお金のない20 代ではそんなものは手に入らない。手に入らないから断念するわけだがこの断念方法は今思うと良くなかった。
欲しいという気持ちを抑えたりするのではなく、興味を失わせるやり方をしていたからだ。欲しい!なぜなら〇〇だから、でも買えないから諦めよう。ではなく、いやおれは興味ないから、という感情レベルで萌芽する部分から芽を摘むようにしていた。大きく育ってから耐えるよりも、最初のうちに刈り取ってしまえば我慢もせずに済む。
そういったことを10 年以上繰り返していると何が起こるかというと、誰かが何かを欲しいと思う気持ちが全く理解できなくなる。必要であれば理解できるが、ただ欲しくなる気持ちが全くわからない。
あらゆる購買意欲がゼロに近くなってしまい、モノを買わなくなってしまった。家には本や仕事でつかう機器が並ぶだけに。
そして何が困っているかというと、商品開発だ。仕事で企画を出すにしても何かを欲する物欲がわからなくなってしまったことで、訴求ポイントに自信が持てないまま企画を出すような始末になってしまった。
この感覚は、金持ちの人生を送って適度に物欲を満たす生活を続けたり、キャバ嬢や専業主婦のように他人を使ってでも物欲を満たさせる生活を送って来なければ発達させることのできなかったのではないだろうか。
もしかしたら年令によるものなのかもしれないとも思うが、振り返ってみれば若い頃の貧乏生活が転じてそのまま物欲殺しをしてしまったと思えてならない。かといって後悔しているわけではないものの、単純に仕事でこの感覚が疎く解像度が低くて困っている、という話。
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danbooruタグは最初は膨大だなと思って見るが、何千枚と出力した時点で組み合わせパタンに限界が来る。
なによりポージングが飽きる。毎回少しずつ違うといっても、100枚ほど出力すると、同じポージングだなというのが見えてくる。
Controlnetでポージング変えられるというが、微調整にはいいが、崩れることが多く、モデルにないものは出せない。
プロンプトサイトがあるだろうというが、何ページにも渡ってプロンプトを探しても、似たりよったりで、新しいプロンプトに出会えない。
danbooruでタググループを一通り試したら、それ以上はないか、興味のないタグか、データが少ないかなのだ。
そしてChatGPTでプロンプトを作る道に移るが、danbooruタグで学習されているため、自然言語では出るには出るが、
(中略)
皆さんが知っておかなくてはいけないことは、心理学というのは人間の心の秘密を解き明かすような学問ではない、ということです。
心理学者はかけがえのない個人ではなく、平均化された、つまり「データ」としてしか存在しない個人 (実は人間以外の動物であろうとロボットであろうと、心理学者にとっては全て等価なのだが) を研究しています。
心理学者はこの平均化するやり方が大好きです。
例えばある人のパーソナリティ (性格) を測定する際には、いくつかの項目への回答や、これまでの行動履歴などを平均して算出します。
あるいは、男性と女性の違いについて論じる際には、男性実験参加者と女性実験参加者の刺激への反応パターンをそれぞれ平均して比べます。
さて、平均化して (いくつかのパタンに分けて)人間を見ていくやり方は、「モデル」という考え方です。
「モデル」という職業がありますが、あれも「どこにも存在しないような美人」という意味ですから、まさに「モデル」なわけです。
こうしたモデル型の研究パラダイムは19世紀の後半に心理学が誕生してから、われわれがずっと一貫して採用しているものです。
心理学の屋台骨を支える重要なモデルは、刺激―反応 (S-R) です。
新行動主義ではその間に媒介変数を採用することになった、なんてことはどうでもいいことです。
相変わらず心理学者がやっているのは、刺激と反応の関係についての関数の研究です。
こうした研究パラダイムは研究業績を大量に生み出すことに貢献してきました。
おかげでわれわれ心理学者は大学に講座を得て、国から研究費をいただき、多くの研究成果を蓄積していくことができたわけです。
「『タイプ』『モデル』的な結合、つまり述語結合を諸々の接合や離合の軸に置く考え方は、機能主義心理学の人間観です。
多くの心理学者にとって「機能主義」は過去のものであり、「私の心理学は単なる機能主義ではない」と主張する人が多いと想像されます。
多くの心理学の教科書では「機能主義」はウィリアム・ジェームズによる構成主義批判として生まれ、過去のものとして扱われていますが、
刺激を条件間で統制して、それへの反応の差異を検討するという最も心理学者の好きな研究手法 (=実験) が、まさに機能主義であるわけです。
「外面性の強度は、内面性の強度と『相関』しているというのが、機能主義=行動主義の論理的な帰結」とあるように、
心理学者にとって重要なのは、外部からの刺激に対してどのような反応が観察されるか、ということに尽きます。
要するに、ある刺激をある反応に変換する「関数」がどのようなものかを明らかにするのが心理学 (機能主義) の目的です。
その意味で、心理学者にとって人間と同じ振るまいをするものは、それがロボットだとしても人間と等価だし、人間の病気と機械の故障は区別ができない。
behaviorを「行動」と翻訳するのは誤りであり、「要するに外見=外貌」が中身を決めるという考え方が行動主義であると断言します。
心理学者にとっては「外から観察可能な行動のみを研究対象にする」というところでしょうか。
確かに、私自身もbahaviorismは「行動主義」よりは「外貌主義」と翻訳した方がよいと同意します。そして、全く確かに心理学者が扱っているのは <心> ではありません。
心理学の学会でこうした機能主義批判に関わる内容が扱われることはほとんどありません。
学問の根本を成り立たせている原理についての議論は、学会では通常なされません。
「こんなところで言うかよ」という反応をされてしまうのが普通です。
じゃあどこで言うんだよ、と思うことも多いわけですが、「われわれの学問を成り立たせている最も重要な前提については疑わずに議論しましょう」というのが学会大会の暗黙のルールです。
「『先生、先生』と言われ続けて何十年にもなる。そうすると『先生』は大体がバカになる」 と言うように
論文を書けば書くほど、学会大会に参加すればするほど、学生を教育すればするほど、学者はバカになります。
専門的になればなるほど、学者がバカになる要素は増えていきます。
自分たちがどのくらいバカなのかを知るためには、自分たちをバカにする人を見つけることが重要です。
心理学者にとって、自分たちを掛け値なしにバカにしてくれる存在というのは、たいへん大きいものだと思います。
3段落目にいきなり「断言」って言葉が出てくることとか「私」がいきなりでるとか文章のつながりが気持ち悪いと思ったけど、ぐぐったらamazonレビューの引用なのね。なるほど。
正解。
このコメントが出てくるまでに430人もの人がだれもググらない。すごい。
あえて不自然さは残したままにしたし100人目くらいまで行けばいいかなと思ったら
Permalink |記事への反応(10) | 00:14
職場の玄関チャイムが鳴り、開けてみると小綺麗でにこやかな顔したおばあさんが佇んでいる。
「こちら、以前お名前は忘れたんですけど、男性の方にもご案内して・・・」とかなんとか言いながら差し出されたの冊子の文字には「目ざめよ!」。
目は覚めてんだよね、こっち仕事してんだから。あなたも仕事か。
よくぞご無事で。コロナ怖かったですか、罹ったら大変ですもんね。と心の中で思う。
「はあ・・・」
「ぜひみなさんでご覧になってください」
毎度一生懸命話しているので基本愛らしい生き物だなと思って見ている。すぐ帰るしね。
しかしこの日は違った、突然こちらを下から上までじっくり見たあとキリッとした表情で
え~~~なに~~~~どこ見てそういう判断になったわけ~~~~~?
失礼すぎない~~~~?喧嘩売ってる~~~~~?!
「は?はあ・・・」
「そうでしょう。・・・分かりました。それでは。」 パタンッ(ドア閉める)
そうでしょう。の後のちょっとした間は何だよ。そしてなぜそれを最後のセリフにして帰れる。
独身だったらどうしたんだよ、確認した理由はだいたい分かるが今ここで言え。
ついでにどうしてそう見えたのかも言ってくれ。地味に傷ついたぞ。(実際に妙齢の独身)
教えだかなんだかの前に失礼のないコミュニケーションを学んでください。目ざめよ。
付き合って1年、同棲して1年目の30歳彼氏のセックスが不思議な気がする。
でも、自分も経験がこの彼と元彼しかいないし、彼氏を友人たちに紹介済みなので友人にセックスの相談はできないからここに書き置く。
お互いごろごろしてたり、寝起きとかに急にぎゅっと抱きしめられる。
スキンシップの多いタイプなので、この時点でじゃれてきてるだけなのか、セックスしたがってるのか判断して反応を変える。
じゃれの場合はそのまま犬のように腹や頭を撫でられる。セックスの場合は髪を嗅ぎながら胸を揉み始める。
で、3分くらい胸を服の上や直接、すっっっっっっっごく優しく触ってくる。
痛く無いだけマシなんだけど、この優しさだと30分続けてくれないと濡れないからどうしようかな…と焦ってるうちにパンツを脱ぎ脱がされお互い下半身以外着衣のまま挿入。
なぜか相手がびしょ濡れなのと、形状がフィットするせいかこちらが濡れ度5%でも挿入に痛みはなくスムーズ。
物足りなさだけが残る。
そして、こちらが動けないようぎゅっと上半身を抑え込んだ密着正常位で突かれる。
その間、首や耳にめっちゃキスしてくれる。そしてまた相手の形状がちょうどいいのか、私も1ストロークでビリビリしびれるくらい気持ちよさを感じる。
10回ほど突かれたのち、少し物足りなさを感じたまま、今度は密着したまま私が足を閉じる。
彼は足ピンしないとイけないから、最終的には必ずこの体位になる。
抉られるようにピストンされて、相当気持ちがいいのだがこれもまた10回も突かれないうちに射精。キスされまくって終了。
「大好きだよ…」と意識が朦朧としながら伝えてくれ、雄うさぎの射精後のように、パタンと倒れて就寝。
ちょっと淡白というか、あの〜もう少し胸を舐めるとか、こちらも乳首舐めやフェラをしたいのですが〜…と申し出ても「入れたくなっちゃう」の一点張りで、乳首舐め手コキをしても3分と経たずに挿入へ…。
休日は割と時間あるし、インドアなカップルなのでスローセックスしたくない?という話をしても「したい…でも入れたい…」ととにかく入れたがってしまう。
最中電気は真っ暗だし、コスプレはリクエストされるからするけど膝丈スカートの制服とかぶかっとしたパーカーとかで、女の体があんまり好きじゃ無いのかな?とか、女性器の形状とか匂いとか嫌なのかな?と思うんだけど、たまに死ぬほどクンニしてくる日もある。
私の見た目や体型が嫌いなのかな?あまり興奮できないのかな?と思うけど、一切そういうわけではなく、正直に言うとセックスのムードじゃない時も寝顔とかスマホいじってる顔見てるだけで実は勃起するくらい顔は好きだとのこと。
そんなに好きなら明るい所で見てくれや…もっと触ったり舐めたりしたくはならないんか…?という不思議な感じ。
全体的に繊細な手つきだし、日頃から優しいしかわいいかわいいと愛を伝えてくれるからおおむね満足なんだけど、なんか、変な感じ。
同棲も長いし、お互い激務だし、休日は休みたいのもあるだろうから(射精後、失神するように眠るのも、男性は疲れるのかなと思うし)、レスじゃ無いだけまし、作業的でも愛を伝えてくれるし文句を言える立場じゃ無いんだけど
たまには獣のような雄度高いセックスをされたい。
久しぶりに一人で電車に乗った
社会人になってからはずっと車移動だったので、電車に乗ると嫌でも学生の頃を思い出す。
友人が少ないながらもいたが、あまり良い思い出は残っていない。
その中で自分が大切に大切に取っておいて、定期的に懐かしがるのは全て通学の記憶だ。
寒い冬の朝。電車内の座席だけがヒーターで馬鹿みたいに熱くて、もうあと数分で学校の最寄り駅に着くのに、ここから立ち上がりたくないなと強く思う。寒さと学校への嫌悪感のせいだ。このまま乗り過ごしちゃおっかな。と思って実際にわざと乗り過ごしたのは1度だけ。あとはちゃんと立ち上がった。偉い。
電車から出ると寒い。とにかく寒いが学校に向かってミッシェルガンエレファントを聴きながら歩く。オトナになったらタバコとお酒をいっぱい摂取してこんなカッコいい声になりたいなと思っていた。結局大人になってからもお酒もタバコもしなかったし自分の声は甲高いままだ。
しばらく歩くと友人を見つける。話しかけたほうがいいだろうと思いつつ、もう少しミッシェルを聴いていたくて気づかないふりをする。が、すぐに友人が自分に気付き手を振って合図する。あぁ、めんどくさいな、の気持ちとこんな自分に話しかけてくれることへの嬉しさが混じる。ポケット中に手を突っ込みウォークマンの停止ボタンを押してイヤホンを耳から引っこ抜くと急に周りの学生の声がはっきりと聞こえ出す。
この自分の世界がパタンと終わって外の世界に飛び込まされる瞬間を今でも時々思い出してノスタルジックな気持ちになる。
あとは1限を受けただけでめんどくさくなっちゃって早退したときのこと。雨の中を駅までくるりを聴きながら歩いた。ぼーくがたびーに出る理由はーなんて一緒にひとりで歌いながら、遠くに行きたいなとボンヤリ思った。この思い出も思春期ぽくてお気に入り。