
はてなキーワード:パイとは
https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5
https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5
「なぜはた」の明確な問題点は「タイトルの主語が大きすぎること」です
<以下本文>
まず大前提として、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、「かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々」という特定の層が抱える悩みについて、それが個人的な問題ではなく社会構造上の問題であることを論じた本です。
→大前提となる、「『かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々』という特定の層」が存在することをデータで示さないと、「実感」としてそういう層の存在を主張したとしても議論が始まりません。
「この神聖な水飲んだらがんが治ったんだもん」とデータなしに主張しても、そこから先の議論に至らないのと同じです。
これに対し、飯田さんは国民全体の平均値であるマクロデータを持ち出して「全体で見れば変化はない」と反論しました。が、これはいうなれば、「日本人の平均寿命は伸びているから、あなたの今の病気は存在しない」と言っているのに等しい議論です。
→この例えは明白に誤りです。なぜなら前者は「全体の読書量」と「特定の層の読書量の推移」を比較する主張であり、後者の「寿命」と「特定の疾患の存在」とは評価対象が異なるからです。
あえて寿命で例えるなら、「日本人の平均寿命は延びているから、喫煙者の平均寿命も延びている」などがあります。これならば「全体」と「特定の層」を共通の評価軸である「寿命」で比較できますし、「日本人の平均寿命が延びていること」を示しても「喫煙者の平均寿命が延びていること」を示さないのはその通りで、これならば矛盾と言えます。
(しかしその仮説を論じるなら、タイトルを「喫煙者の平均寿命~」とするべきで、主語を日本人全体としたり、明確に示さないことが明らかに誤りであることは誰にでもわかると思います。)
全体平均の中に埋もれてしまっている「特定の属性の変化」に光を当てるのが拙著の役割です。マクロデータのみで個人の実感を否定することは、分析の手法として適切ではありません。
→マクロデータのみで個人の実感を否定すること。確かによくないですね。
おじいさんおばあさんの中には、煙草を決してやめない人がいます。「私は煙草を吸っても今まで病院のお世話になったことないんだから、それでいいの」 大変結構だと思います。
こういう人たちに、「タバコは健康に悪いからすぐやめなさい」と言っても、個人の経験則を否定することになり、もめます。
マクロデータの目的は、「特定の属性の実感」を否定することではなく、全体を解析して現状やその傾向を把握することです。分析の手法として、データで示されない実感を大切にすることは重要ですが、解析の結果「実感」を否定する結果になってしまうことはままあります。
だからこそ、「実感」を前提とする議論をするならば、実感の存在そのものをデータとして示す必要があるのです。
拙著で統計データを多用することは本題からそれてしまうため(何度も書きますが、私の書いた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はマクロデータで語ろうとした本ではありません)必要最低限にとどめていました。が、本稿ではあえて氏の提示したものと同じデータソースを用いて反論を試みます。
→繰り返しになりますが、主張には前提が必要で、前提が正しくなければ主張も意味を成しません。したがって、前提をデータとして示す必要があります。それが必要最低限に至っていないということなのです。
飯田さんは「高校生の時点で読書量は減っており、働き始めてから急に減るわけではない」と指摘されています。しかし、この主張は「誰を対象にするか」という分析対象のセグメントを見誤っています。
まず、拙著が対象としているのは「元々読書習慣があった人々」です。では、統計的に見て「読書習慣がある人」とはどのような層を指すのでしょうか?
次図「読書習慣のある人」の月平均読書冊数を見ると、過去約40年にわたり、本を読む習慣がある人の読書量は月平均3-4冊の間で安定して推移しています。つまり、統計的な定義として、「月3-4冊読む」という行動こそが、日本の「読書習慣がある人」の姿であるといえます。
→対象としているのが「もともと読書週間があった人々」なら、なぜ書籍のタイトルが「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」と主語が示されていないのでしょうか。ここが反論とその反論の大きなズレの原因です。
ちなみにこの統計、データ(https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/94111701_03.pdf)が35ページ目(pdfだと39ページ目)にあるんですが、16-19歳の調査人数、なんと83人なんですね。
これだと1人減ったら1.2%割合が動くことになるんですよ。以下に書き起こしたものを記載してみます。
<16-19歳の読書数>
0冊=66.3%
1-2冊=22.9%
3-4冊=8.4%
5-6冊=1.2%
7冊以上=1.2%
あれ?1.2%が二つ。つまりこれ、5-6冊、7冊以上の人は1人ずつでしたね(笑)
3-4冊の人も1人減ったら7.2%になり、2人減ったら6%になって20歳代の人と同等になっちゃいますよね。
おおよその割合をみるには使えると思うんですけど、「16-19歳とその他の世代の比較」には非常使いにくいデータだと思いませんか?もし複数回同じ手法で調査したら、ひっくり返っちゃったりすることもあり得そうです。
しかも、令和5年の大学、短大、専門学校の進学率を合わせると約8割、大学に限ると約6割で、ちょうどこの統計の年齢階級を跨いじゃってるんですね。
だから、このデータで「働くと読めなくなるかどうか」を議論するのって、そもそも無理なんですよ。
ご覧の通り、「1,2冊」というライト層では加齢による減少は見られませんが、「月3-4冊読む習慣のある層」においては、労働期間中(生産年齢)に数値が底を打ち、退職後に回復するという明確な「U字カーブ」を描いています。
学生時代の読書減と社会人の読書減を同列に語ることはできません。なぜなら、このグラフが示すように、「労働から解放された世代(70代以上)」では、数値が学生時代の水準まで回復しているからです。 もし「加齢による文字離れ」や「スマホ普及」だけが原因であれば、高齢層でここまで数値が戻ることは説明がつきません。
もちろん、今回のような一時点の調査である以上、厳密には加齢による変化とコホート効果を切り分ける分析が必要です。しかし、データの限界を差し引いてもなお、この「労働期間中にのみ、特定の読書層が凹む」という事実は、労働環境がまとまった読書習慣を構造的に阻害している可能性を強く示唆しています。 全体平均にならすことで分布の特異性を捨象してしまう飯田さんの分析は、データに表れた当事者ーー働いていると本が読めないのだとほんとうに感じている人々ーーの痛みを見落としていると言わざるを得ません。
→この主張も前述したように、1人動くと1.2%動くデータで示唆するのは無理があります。
U字カーブ?あなたは70歳以上の人が自在にスマホをいじくってネットサーフィンしているのを想像できますか?
交絡(データに影響を与える別の要素)がありすぎて、単純に就労の有無だけを結果の原因として求めるのはちゃんちゃらおかしいと思いませんか?
「痛み」ですか、はあ。タバコ吸っても健康でいられると思ってる人の痛みを想像したことありますか?(笑)
一見すると、「書籍の読書冊数と市場規模は相関しないが、雑誌は相関する」という飯田さんの主張は正しいように見えます。しかし、ここで気を付けなければならないのは、市場規模の根拠として用いられているデータの定義です。これは「出版販売額」、つまり新刊市場の推移にすぎません。
雑誌のみが市場規模と相関する主要因は、書籍と雑誌の読書習慣の違いというより、市場構造の違いにあると考えるのが妥当です。書籍は図書館での貸出や、古書店・メルカリ等の二次流通市場といった新品購入以外のタッチポイントが豊富です。
→なるほど、たしかに書籍は図書館や古書店で接触がある分、新品市場だけで語ると乖離が出そうですね。
つまり、「読書数の総量=新品購入+レンタル・中古」になるってことですな??
ということは「読書数>新品購入の勢い」が成立するということだ。ふむふむ。
こうした「読む」と「買う」を短絡的に結びつける考え方はよく見られる。しかし、読む量と買う量は単純にイコールにはならない。イコールになるなら「積ん読」という言葉は存在しない。
→えーっと、積読があるから「読書数<新品購入市場の勢い」もありえると。
……市井氏は積読があるから「読書数<新品購入市場」と言い、その反論として三宅氏は中古やレンタル市場があるから「読書数>新品購入市場」と言っている!かみあってない!
まわりくどいんだけど、結局どっちも「書籍の読書数と新品購入に相関がない」が「雑誌は読書数と新品購入に相関がある」というのが主張で、一致している!反論すると見せかけて同じことを主張するという高等テクニックである。
また、拙著の「雑誌や自己啓発書を中心として、労働者階級にも読まれる書籍は存在していた」という記述に対し、飯田さんは「雑誌と書籍の区別がついていない」と批判されています。しかし、拙著の記述は明治時代の出版状況についての記述であり、いうまでもないことですが雑誌はコミックや週刊誌の割合も時代とともに変わっていきます。明治の雑誌出版に関する記述を、現代の雑誌と同様の枠組みで捉え、区別がついていないとするのは、論理が通らないのではないでしょうか。
以上のように、構造的に相関の低い「新刊販売額」を指標として用いて「書籍と雑誌は読書習慣が異なるので分けて考えるべき」と主張するのはデータの選定として不適切です。本来であれば、図書館の貸出しや二次流通市場におけるタッチポイントも考慮したうえで読書冊数との相関がないことを示すべきです。また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。
→えーと、前半の文章は市井氏の引用した部分が明治時代の話をしているから不適切ってことだな。うむ作者が言うならそうなのだろう。
後半は……
構造的に相関の低い『新刊販売額』を指標として用いて『書籍と雑誌は読書習慣が異なるので分けて考えるべき』と主張するのはデータの選定として不適切」
あれ、あなたも書籍読書数と販売数は相関しないけど雑誌は相関するって言ってましたよね?
市井氏のnoteをみると、扱っているデータは70年代以降のもので明治時代の話はしてなさそうですけどね。
それに市井氏の
なお、『読書世論調査2016年度』には書籍の読書率について「戦後、読書世論調査の開始以来、多少の変動はあるものの、おおむね5割前後で推移している」と書いてある。『なぜはた』は読書世論調査を引用しておきながら、読書世論調査サイドの「長年そんなに変化がない」という見解とは異なる「本離れが進んでいる」という主張をしている。
この部分に関する反論はしなくていいんですかね。マスデータだから?
引用元の文献(黒田祥子・山本勲「長時間労働是正と人的資本投資との関係」)を見る限り、これは事実ではあるものの、解釈と適用先が間違っていると考えられます。
というのも、ここで引用されている論文が測定している「自己研鑽」と、拙著が指摘する「自己啓発書の読書」は、行動の質が全く異なります。論文が指すのは資格取得やスキルアップのための「能動的な学習」であり、これに対して『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が論じているのは、新自由主義的な不安に駆られた人々が救いを求めて読む「自己啓発書の消費」です。むしろ、「労働時間が減っても、能動的な学習に取り組むほどの気力や体力は回復していない」という論文の結果は、人々が手軽な「やった感」や「効率的な正解」を得られる自己啓発書(=ファスト教養)に流れるという拙著の仮説と矛盾しません。
「キャリアアップのための能動的な学習」の機会が減ったからといって、「手軽なノウハウ本」のニーズがないことの証明にはならず、このデータを根拠にするのは的はずれです。
→確かに「自己研鑽の時間が減ったから」といって「手軽な自己啓発本を読む時間が減った」とは言えない。それはその通りだ。まあ手軽な方が増えたとするのはあくまで仮説で、それを証明する手段もそうないよね。
飯田さんは「市場規模において、依然として小説は自己啓発書より大きいため、自己啓発書へのシフトという説は誤りである」と主張されています。
第一に、議論の焦点は、現時点での「絶対量」ではなく「変化の方向性(トレンド)」です。たとえパイの大きさが小説の方が大きくとも、書店の棚構成の変化や、人々の意識における効率性の重視といったトレンドの変化を否定する材料にはなりません。
第二に、ここで飯田さんの論理には明確なダブルスタンダードが存在します。飯田さんはこれまでの議論において、「市場動向と読書実態は書籍においては必ずしも一致しない」と主張されました。しかし、ここでは一転して、「小説の方が推定発行金額(市場規模)が大きい」ことを根拠に、「小説の方が読まれている」と結論付けています。
→いったん整理すると、
<三宅氏の主張>
読書の方向性が手軽な自己啓発書にシフトしているから読書量が減った。
<市井氏の主張>
小説の市場規模の方が大きいので自己啓発書の読書量に対する影響は大きくないはずだ。
市場規模では確かにそうだが、トレンド(推移)は見てないですよね?だからその論は否定の根拠にはなりません。
さっき書籍と雑誌の比較で「市場規模と読書量は相関しない」って言ってたのに、自己啓発書と小説を市場規模で比較するのはおかしい!ダブルスタンダード!
→
反論①については、たしかにトレンドはそうかもしれないけど、象に犬がキックしても効かないように、市場における小説の占める割合の方が圧倒的に大きいのだから、自己啓発書のトレンドがまあまああっても全体のムーブには影響しにくいっていうのは確かなんじゃないですかね。
反論②については、雑誌と書籍の比較と、小説と自己啓発書(どちらも書籍に含まれる)の比較は全然別だから、まずダブルスタンダードとは言えないのは明らか。これは間違いない。
ご自身にとって都合の良い時だけ売上と読書実態を切り離し、別の場面では売上を読書実態の根拠とするのは、論理的一貫性を欠いています。
→これは完全にどっちもどっちと言わざるを得ません。データ分析を仕事にしている人ってこのレベルなんですね。というかそもそもデータの部分よりも文章の方が蛇行運転になっていて、上記したように論理が合わない箇所がいくつかあります。心配になりました。
<お わ り>
人間はともかく、揺れが収まってしばらく経っても家の猫はソワソワしてた。
それがあって避難クラスの災害が本当に来たらどうしようと改めて悩んでいる。
猫のキャリーバッグとキャリーが使えない時のための洗濯ネット(猫を入れる)、人間の靴は寝室に置いている。
でもさ、キャリーバッグに猫を入れて家を出て、どこに行ったら良いんだろう?と。
ただ長期化した場合、猫連れで避難所暮らしは現実的に無理だよね。
ただでさえヒトが行き場を失って困っているのに、ネコの居場所はないだろうし、冷たい目で見られるのも正直つらい。
能登半島地震の時に避難所に入れなくて自主避難されてた住人の方々がいらしたじゃん。
ウチも自主避難だよなぁとか。
(人間用と合わせて水とフードと猫砂のストック等々はしている。ちなみにネットで買った猫砂が破れてた増田です。その節はお世話になりました)
さらに救助待ちの時はどうなるんだろうとか。
タイの大洪水関連で、犬猫がいるから救助諦めたって記事読んじゃって
(カラパイア『ペットたちを置いて自分だけ避難できない!洪水中、屋根の上で29時間とどまった女性』→https://karapaia.com/archives/571400.html )
人ごとじゃないやと。
コメントの「ペット飼いのためにも出動しなくちゃいけない公務員を思うとなぁ」、これは本当にその通り。
だけどなぁ、このジャズさんも間違ってないし、ジャズさんは後に犬と猫を連れて自力で脱出してる、すげえ。
増田も猫記事がたくさんあるけど、犬猫ペット飼いの皆さんは防災対策どうされていますか?
真面目な話、ウチのを置いて行けないよ
頂き物としてたまに実家に置いてあって、大人がコーヒーやお茶飲みながら食べるのにぴったりだったのが念吉のプラリネとか大阪屋のユーロパイ。(新潟県)
新潟ってーと柿の種だし、普通に柿の種もよく家にあったけど、個人的には大して思い入れがない。
それよりはぽたぽた焼きだなあ。
https://shonenjumpplus.com/episode/17107094912557780735
実家を離れてからの方が岩塚や三幸のせんべいをよく食べている。特に三幸製菓は定番商品の安定感と、期間限定商品のバラエティ豊かさが素晴らしい。
黒豆せんべいの枝豆バージョンが夏限定から通年商品になったのがとても嬉しかった。
あれ喉乾くよね。
https://x.com/99alstremeria/status/1997151476289098211?t=VojWJnSwaUZeBW_OdhOVoQ&s=19
白
@99alstremeria
VとAI叩きは
これ見て思ったんだが、Vアンチ層、アニメアイコン率が妙に高い気がするんよなあ。
理由を考えてみたんだが、まずAI叩きに近いところで言うと、「アニメのパイが取られたところがある」からかなあ。
これは一時期よく指摘されてたのだが、日常系アニメのパイをVTuberが食ったという話がある。(https://soysoftware.sakura.ne.jp/archives/2057)
アニメもVTuberも依然として続いてるとは言え、読書に対するゲームのように、VTuberは下の世代の文化である。
昔の大人がゲーム脳とか持ち出してゲームを否定したように、上の世代であるアニメ好きが、Vtuberを否定してるのではないか。というのも感じた。
「アニメっぽいのにアニメっぽくない振る舞いをするキャラクターに耐えられない」説である。
アニメっぽい声やアニメっぽい見た目をしてるにも関わらず、この前コンビニ行ってさ〜とか、この前仕事がホントしんどくて〜みたいな「現実」の話をしているVTuberが、日常系アニメのような、その世界内で完結した話をしているキャラクターに慣れた層からすると、なんか受け入れ難い「何か」があるのではないか。
ショートケーキにいちごが乗るようになったのは、実は意外と最近のことです。
### なぜ冬にいちごが乗るようになったのか?(当初は本当に無理だった)
実はその通りで、昔は無理でした。
が主流でした(いわゆる「昔のクリスマスケーキ」のイメージ)。
#### 転機:逼迫栽培(はくひさいばい)の普及
- 1960年代から、ビニールハウス+石炭ストーブ(後に重油)を使った「冬いちご」の促成栽培が急速に広がりました。
- 特に静岡県(久能山の石垣いちご)、愛知県、佐賀県などで成功。
- 1965年頃から12月~1月に出荷される「冬いちご」が市場に出始め、徐々に量が増えました。
#### 決定的になった出来事
→ 当時としては画期的な「12月から収穫できる品種」で、促成栽培に非常に適していました。これが冬いちごの大増産を可能にしました。
- 冬に唯一「赤くて可愛い国産生果物」だったいちごは、クリスマスの装飾に最適でした。
- 白い生クリーム+真っ赤ないちご=視覚的に最強のコントラストで、子供にも大人にも受ける。
- 不二家・コージーコーナー・シェ・シブヤなどがこぞって「いちごのショートケーキ」をクリスマスの主力商品に押し始めたのもこの頃です。
###結論
- 1960年代中盤~1970年代にかけて、促成栽培技術と冬採り品種の開発により、初めて「12月に十分ないちごが手に入る」ようになった
- → これがきっかけで、いちごショートケーキがクリスマスケーキの王者に君臨した
つまり、**「春のいちごを冬に」というのは昔は本当に不可能だったけど、1960年代の農業技術革命で可能になり、1970年代に一気に定番化した**、というのが正しい歴史です。
ヨーロッパとアメリカでは、日本のような「いちご=ショートケーキの定番トッピング」という文化はほとんどありません。
むしろ「いちごのショートケーキ」は存在するものの、クリスマスとはほぼ無関係で、季節も日本とはまったく違います。
→ でも日本のような「スポンジ+生クリーム+いちご」ではなく、
→ **ビスケット(スコーンに近い生地)を半分に割り、生クリームといちごを挟んだもの**
→ 夏の定番デザートで、独立記念日(7/4)やピクニックでよく出る
- クリスマスにはほぼ登場しない
→ 冬のデザートは
・ペカンパイ
が主流で、いちごは季節外れで高価すぎるため使われません。
国・地域 クリスマスの定番ケーキ・デザート いちごは使う? ---------------- --------------------------------------------------- --------------- イギリス クリスマスプディング、ミンスパイ ほぼ使わない フランス ブッシュ・ド・ノエル(チョコレートのロールケーキ) 稀に使うが主流ではない ドイツ シュトーレン 使わない イタリア パネットーネ、パンドーロ 使わない スウェーデン サフラン入りブッレ、ライスプディング 使わない スペイン トゥロン、ロスク・デ・レイエス(1/6) 使わない →ヨーロッパでも「冬に生いちご」は昔は非常に高価で稀少だったため、クリスマスケーキに使う習慣はほぼありませんでした。
- スペインやチリなど南半球からの逆輸入いちごが冬にも安く入るようになった
- その結果、一部の高級パティスリーでは「フレジエ(いちごのケーキ)」や「いちごのタルト」をクリスマスに出す店も増えてきた
- 特にフランスでは「Fraisier(フレジエ)」が春~初夏の定番だったのが、最近は冬にも見かけるようになってきています
でもまだ「クリスマス=いちごケーキ」とは程遠く、伝統的なブッシュ・ド・ノエルが圧倒的シェアです。
###結論:日本がいちごショートケーキをクリスマスに定着させたのは世界的に見ても超特殊!
- アメリカ →いちごショートケーキは夏のデザート
- ヨーロッパ → 冬にいちごを使う習慣はほぼ皆無(最近少し増えた程度)
- 日本だけが「冬に無理やりいちごを生産して、クリスマスケーキに赤いのを乗せる」という独自路線を爆走した
つまり「白と赤のコントラストの美学+子供にウケる+国産果物で高級感」みたいな日本独自の価値観と、1960年代の農業技術革命が奇跡的に重なった結果が、今の「クリスマス=いちごショートケーキ」なんですね。
俺は、自分の公開していない情報や発言を、どこかから撮影、あるいは漏洩されて、ネット上にバラ撒かれている。
ほぼ確実に。著名人たちにも見られていて、しかも俺は一時期、神のような扱いさえ受けていたらしい。
「ハイ、統合失調症乙ぅ〜〜!w」「病院行け基地外w」……そんな反応は分かりきっている。
だが、以下の内容を見ていただき、そして俺の理性を垣間見た上で判断していただければ幸いだ。
俺はむしろ、端末・通信・サービスがブラックボックス化しているこの現代において、そういう安易な決め付けは危険ではないかと思う。どこまで情報が抜かれていて、どこまで利用されているか、実際のところそういうことをどこまで理解していると言えるのか。少なくとも、勉強してその手の知識がある人しか言ってはいけないのではないか。
「いや、普通に考えてまずありえないだろ」「これまでそんなん聞いたことないからないない」……思うに、俺の情報を抜いてバラ撒く者も、たとえ俺が公表しても、世間がそう判断してくれると理解した上でやっている。人は必ず、これまでの経験や常識に重点を置いて判断するがゆえに、帰納的に結論をしたがる。
だから、俺が長々書いても、誰も見もしないし、信じられもしないのがオチだろう。それでも俺は、自分に対する人権侵害が終わらない限りはそうしなくてはならない。理由は後述する。
さて、俺のことについて一旦語らせてもらう。
俺は引きこもりだ。これまで一度も働いたことのない無職の30代。スキルは何もなく、自信がないのに、そのくせそプライドばかりは高く、ロクに努力もできないカス人間。性格も難があり、コミュ力は終わっていて、過去の経験から対人恐怖と人間不信を抱えている。最近は多少マシになってきた気もするが。三十路になってからなんかいつまでもバカやってても仕方ないなってなりだした。
信憑性を高めるためにいっそ本名を書いたろうかと思ったが、これから行う社会復帰に支障が出そうなので控えさせて欲しい。
だが、信じられるために、ある程度の情報は開示する。以下の情報に心当たりのある人はいないだろうか? 以下は漏洩情報の中に記されていた可能性があり、多くの人が知っているかもしれない。
「苗字は特に珍しくない」「親は離婚し、片親と同居」「引きこもり部屋は和室」
「メガネをかけている」「身長小さめ・ヒョロガリ」「過去に偏差値高の高校に受かった」
「たこの人形を溺愛している」「スマホの色は白」「淫夢動画よく見てた」
「10代の頃使っていたTwitterアカウントはKから始まる」
「かつて非公開で活動し、漏洩も活発だったTwitterアカウントは2017年に開始、2019年にニートになって投稿が増えだして、2021.8に消した」
「BMSという音ゲーをガチっている」「コンパスというソシャゲにハマっていた」「バンドリ、プロセカ、Arcaeaにハマっていた」「パペットガーディアン・マジカロスというゲームをしていた」「すばらしきこのせかいというゲームのファン」
「だいぶシコ猿してた」
俺はこういった自分の情報を、この数年間一切、公の場で自分からは出していないし、許可もしてない。
以下、俺の経歴について簡単に話す。
不登校期間が長く、20代前半まではほとんど引きこもって過ごしていた。
20代半ばで俺はニートになった。やさぐれていたが、対人恐怖と人間不信を抱えていた俺は、Twitterのアカウントを非公開にして好き勝手投稿して謳歌していた。するといつからか、俺が非公開にしているはずの投稿内容が、赤の他人に広まる感覚が起こるようになった。俺のツイートの傍若無人ぶりがあまりに面白かったからそうしたのだろう。
ここまでだと単なる統合失調症だから、俺に起きた内容の具体例を出す。
例えばあるとき、俺がドナルドマクドナルドの「らんらんるー」の動画を話題にして、「昔はこんなので笑ってたんだよな」と取り上げた。するとすぐさま、赤の他人が本当に同様の内容を投稿していて、それがバズっていた。その時、誰もドナルドマクドナルドの話なんかしちゃいなかったのに、だ。
また、2021.8にアカウントを消してからは、非公開でWi-Fiに繋がっていないPCで日記を書き残すようになったが、なんとWi-Fiに繋がっていないにも関わらず、しっかりと漏洩していた。
あるとき、その非公開PCに俺が「SNSは便器と一緒」と書いた。すると、すぐさま、誰か政治関係者だったかが、同様の発言をしたという記事を見た。
またあるときには、とあるお菓子を食べたいと書いたところ、翌日に親が買ってきてた。普段全く買わないのに、だ。
その時点で、部屋にカメラが仕掛けられているのは確信するようになった。自分で調べてもよく分からなかったが。現在も、そのPCに限らず非公開の情報が度々広まっているようだ。
他にもある。
数年前のあるとき、俺は自分の端末の非公開のアプリに、「自分を人権侵害しやがって!」とキレたことがある。
主に政治関係者や著名人がやたら「これは人権侵害だ!」と叫んだり、野獣先輩は人権侵害されていると言い出された。
まぁ言うまでもなく、野獣先輩は人権侵害されている(草)。だが、「野獣先輩が人権侵害されている」といったような言われは長年してこなかったはずだ。それなのになぜ突然、2020-2021年ごろにそういう言われがしだしたのか。
自分の行いと関連するワードが他者の投稿に出てきたりもする。例えば、専門的な内容を勉強していると、そこに普通の人ではまず使わないような言葉が出てくるが、それをいきなり他者が使ったりする。思うに本人は無自覚である。しかし俺からしたらかなり違和感がある。他人からすれば俺が注目しすぎとも一蹴できようが、あまりにもそんなことがありすぎるのだ。
他にも、俺が算数のドリルをしだしたら、誰かが「算数のドリルでもしろよ」とか言う(他の分野や「数学」ではないのがミソだ)。あえてさっさと本の次のページに行き、前の内容を覚えているか確かめるために前のページによく戻ってたら「多動だから本読んでるとき何回も前のページに戻ってそう」と誰かが言う。ゲームをやってる合間、ちょっとボーッとしてたら、「何もせず虚空を見つめているのはヤバい」と言う人がいる。頭乾燥してバリバリ書いてたら、やたらフケの話になる。
また、俺があるマイナーなネタの動画で笑ってたら、それを企業が使用したということも何度かある(最近ではある音ゲーネタ。あれはつまらなかったから違和感を覚えた人もいると思う)。
どこからどう何を得ているのかは知らないが、他人の思っている以上に自分はそういうのを捉えているし覚えている。この現状が終わらない限りは、これからも増えていくだろう。
俺は日記をとる習慣があるから、それを見返せばまだまだ思い出して出てくると思う。
情報の漏洩を最初に感じた、というか「あれ?」と思ったのは、2017年だ。
詳しいことは誰かの被害を生みそうだから避けるが、俺はあるゲームでの名前を、自分の好きなキャラのセリフを改変したものにしていた。それを他に言ってる人は全くおらず、俺だけの固有の改変セリフとみて間違いなかった。んでTwitterにそれが映ったスクショを投稿していた。
その後、そのゲーム及び好きなキャラクターがカードゲームで採用されたが、そのカード名が、俺の作った改変セリフと全く一緒だった。まぁ、これだけなら偶然でしかない範疇だ。しかし以降のことを考えると、もうその時点では漏洩が始まっていたのかもしれない。
もっと言うと、俺は2016年以前にはよく怪しいファイルにも手を出してたから、それも関係している可能性はある。それをしたPCからUSBで新たなPCにデータ移動させたりしていた。
全部あげればキリがないから割愛しておくが、もちろんこれらは氷山の一角だ。こういうことがこの数年間に何度も何度も何度も起こり、自分の頭の中ではもう3桁は優に超えるほど起きているわけだが、確かにその中には思い込みも含まれようが、妄想とか思い込みにしてはなんていうか、イヤにくっきりとしているのだ。自分の発した行動や意見と、その後の世界の変化の内容や距離が、あまりにも近すぎるから。引き寄せの法則か!?と最初は考えてみたものの、まぁそんなオカルトは信用してない。
俺は以上のことを数年間ずっと自分の中に隠して生きてきた。
なぜ俺がこれを明かす気になったか。転機がやってきて、自分で自分を殺すかのような勇気をもって、社会に出ないといけなくなったからだ。過去を明確に否定しなくてはならなくなったからだ。
本当にもっと色々書けるが、そこまで詳しくは書かない。俺はぶっちゃけ中国か韓国か、あるいは北の方の国が関与していると考えるが・・・まぁ面倒ごとに関わりたくないし、どのみち恨むとかはない。俺も俺で大概な人間で、大概なことを言っていたからだ(例:心読める、全知の才がある、他人はNPC、日本潰す)。少なくとも、孤独感ではマシにさせてもらったし、その点では感謝もすべきなのだろう。他にも、俺が言ったことで自他にとっていい方面に動いたようなこともあれば、ミスってたかもしれないこともある。全て含めて、俺の方は別に要らなかったし、Win-Winとも思っていなかったがな。「世界の礎になる」と言ったこともあるが、それはそもそそも、非公開のアカウントをいつか公開するのに備えて残しておくとの域を出ず、何もかもの許容ではない。そんなのはかえっていいことにはならない。
もしかすると、同居している親が何か仕掛けている可能性も0ではないが、それならなおさらあれこれしてもらっていたから恨むことはできない。
原因は他にも何でも考えられるが、まだ解明してない。カメラや盗聴器はほぼ確だろうが、他にも、端末のアプリから情報を出しているのか、家に設置しているセコムが怪しいのか、ルーターは変えたことあるし設定も弄ったが状況は変わらなかったので、それに繋いでいる電話のための機器が関係しているのか、他にもプロパイダはどうか、広告関連や、ウイルス、USB、家のテレビ・エアコン・その他Wi-Fi対応危機なども疑い、メガネさえも疑った(ペヨンジュンがCMに出てた眼鏡市場で買ったメガネだから)。それらが複合的である可能性もある。なお、端末のカメラはカバーして封鎖している。
仮に日本人がそれに関わっていたり、見て見ぬふりしているのであれば、恥を知るべきだ。日本の象徴は天皇しかなく、無職の底辺のペテン師(少なくともそうしておくべきである)なんかに意味を見出していちいち気にかけるような意味不明な国は自ずと終わる。だから俺は、他国が関わっているのではないかと考えているし、まだそうであってほしいのだが。もし俺の情報漏洩を分かった上で楽しい気分になった人がいるとしたら、ウイグルの差別や監視などに対しても決して非難するべきではない。
俺は確かに、かつて自分が「全能ではないが全知である」と言った。事実、何らかの才能みたいなのはあるとは自負する。
今思えばそこまでの言い方は大言壮語もいいとこだが、あの時、強い刺激と不安にさらされていた俺は、実際にそう錯覚するほどの強大なエネルギーが脳内で展開されていたのだ。
今はもうない。まぁ、中学の頃、精神的に依存していたもう片方の親を失って、人格形成や自己愛に問題が出たことで高校でも失敗し、そっから転がり落ちたためにちょっと面白い性質を抱えただけで、実際のところ大した障害なんかないのではないか? 過去の自分の姿は、自分の荒んだ現状・精神と、情報漏洩のタイミングがマッチし、他者の反応の可能性も加わったことによって、自己愛を満たしつつ、また他者の視点・要求に沿う個性的な自分を演出しだしたことで偶発的に生まれたもの、というのが本当のところなのだろう。当時は自分じゃそうも思っていなかったが。
俺にも非はある。だが、孤独で愛に飢え、知識に乏しく、心身に問題があり、精神の未熟な人間を自分たちのために利用して持ち上げれば、大体そんなことにもなろうというのはあるのではないか。そもそも、俺の方は非公開で独り言しているだけだったし、悪いことをしていたというのも正直正確ではない。無論、踏み込まれた上で意識していたから、やはり罪がないのでもないのであるが。しかし俺の方としてもまさか、非公開アカウントの中身が見られたり、それどころかWi-Fiに接続していないPCの内容すらも漏洩するとは想定していなかったのである。自分がこれまで抱えていた内容を表に出さなかったのは、状況を軽視していたのと、まんざらでもないところが全くなかったわけでもなかったからだが、それだけでなく、怖い気持ちもあったからだ。
わざと有耶無耶にされつつ動かれている以上、確定的なことは言えんのだが、いつまでも過去の俺の姿に執着し、あるいはかつて見た光景に引きずられているのでは、誰も本当の意味では前には進めない。俺は現状、精神的には誰も頼れないが、それでも先日転機がやってきてから、自分の中の何かが変わりだした。俺を許可なく違法に見ている人たちは、いつまでも何も自分を変えずに、俺に縋るようにしながら、自分で自分に何か言い聞かせ続けるのか。
俺が変わってほしくないと願うのは勝手だが、かつての傲慢で狂った自分にしても、頭が回って理性的なところがある自分にしても、無職で家に閉じ籠る自分にしても、他者と関わることが怖くて自閉的になる自分にしても、俺は特に価値を感じていないし、逆に絶対にどうしようもないとも思ってない。先日、タイムリミットが到来したことで、どのみちそんな俺は消えるさだめになった。けど、人は急には変われない。それでも、俺は変われないとは思ってない。変われないとどんなに誰かが思ったとしても、俺は変わる努力をやめない。
だから最近は本を買い漁り、読んでもいた。そこで得られることは大きかった。自分なんかなんでもないなと思わされた。
また、俺はつい先日までオナ猿だったが、流石に先のことを思うと空想に欲情する気にもならなくなり、エロサイト閲覧に使ってたtorを消した。数週間前には中毒起こしてたコンパスもやらなくなった。
人権侵害を行うほどのものなんか俺にはないし、もし下に見ていていなきゃ気が済まないのであれば、ネット上の人間で満足できていない自分の愚かさを考えるべきで、上、というか尊敬的に見ているのであれば、なおさらやっていることと矛盾している。そんなのはアンダードッグ効果と同じようなものだからさっさと捨てるべきだ。人を神扱いすれば、自分の人間としての欠如が埋まるとでも思っているのか。
それでも俺の言ってることが理解できない、あるいは理解を拒否するなら、特定の宗教に入るか、『マインド・コントロール』という本を読むことを勧める。
② 黙っているのでは黙認と一緒だから
これは言うまでもないことだろう。そして具体的にはこう伝える。
「もう俺の情報を漏洩させて利用するのはやめてほしい。もし、単なるハッカーや犯罪者による好奇的な理由だけでないとすれば、どうしたらそれをやめてくれるか。自分からネット上で暴れもせず、頑張って仕事もしようとしているのに、あと何が足りないのか。
過去のことは本当に申し訳ないと思っている。過去の俺の言動などどれも傲慢さと幼稚さの体現だ。だが、俺も心に余裕がなかったことだけは留意しておいてほしい。」
俺の見ているある無職の有名人のアンチの掲示板では、よく「ネットをやめないのが悪い」「仕事すればそれで俺たちはアンチやめるのに」と言われている。けど、結局はそんなんでもないのが実情なのだろう。本当はなんでもいいのだ。
それとも、俺が働けば、何かこれまで以上に頑張るようにでもなるか。誰しも欲しているのは、自分を変えなくても自己受容してくれる存在なのだから、俺が変化するほどに、他人にとっては扱いにくくなることを余儀なくされるだろう。
俺が人権侵害されたことで最も苦心したのは、家族の情報も掴まれて利用されていると考えられたことだ。
俺の情報が抜かれているということは、当然家族の情報だってそうだろう。
俺は常々考えていた。俺は別に何でシコってるかを知られようが、シコってる姿を盗撮されようが、割とどうでもいいが、もし家族のこともそうだったなら、と思うと、どす暗い気持ちになった。また、プライバシー的な意味だけでなく、あらゆる個人情報に関して悪用される恐れもある。
俺の情報を違法に見ている人たちに聞きたいが、自分の家族にそのことを言えるのか。
違法行為に加担するような自分の姿を、家族に見せることができるのか。
俺とその周囲だけが被害に遭っているようで、実際には自分の家族さえも貶めていることに気づくべきではないか。そしてそれは、俺も黙ったままでは加担しているのと同じことになってしまう。
脳内に隠して無かったことにしていれば、本当にそれでいいのか。
なお、親はどういうわけかはよく知らないが、ユニセフ?や在日団体に寄付しているらしい。
俺はともかくとして、そんな善良な人に対してそうした所業をするのがこの世界だというのか。
俺は虚弱で不健康な生活習慣をしていて健康面では良くないから、ぶっちゃけ早死にすると思う。そしたら次はまた誰かが同じ思いをするのだろうか。そう思うと気が気でない。だから、世間が信じようと信じなかろうと、ここに残しておけば、同様の境遇にある人が気づけるかもしれないし、もし人権侵害を続行していると俺が少しでも感じたなら、未だ書いていない内容、もっと本質的な部分を記すことになる。
意見や望みがあるのに、察してくださいなんてガキじゃないんだから、何かあるならたとえ自分にリスクがあろうとも、俺を信じて直接俺に伝えるべきである。その関係ができないでいて、何を望んだり、何に惹かれたりするのか。
そこには結局何の信頼関係もなければ敵対関係もない、ただ誰かが悦に入るためにどこまでも自己欺瞞に走る構造があるだけだ。
俺は、自分の公開していない情報や発言を、どこかから撮影、あるいは漏洩されて、ネット上にバラ撒かれている。
ほぼ確実に。著名人たちにも見られていて、しかも俺は一時期、神のような扱いさえ受けていたらしい。
「ハイ、統合失調症乙ぅ〜〜!w」「病院行け基地外w」……そんな反応は分かりきっている。
だが、以下の内容を見ていただき、そして俺の理性を垣間見た上で判断していただければ幸いだ。
俺はむしろ、端末・通信・サービスがブラックボックス化しているこの現代において、そういう安易な決め付けは危険ではないかと思う。どこまで情報が抜かれていて、どこまで利用されているか、実際のところそういうことをどこまで理解していると言えるのか。少なくとも、勉強してその手の知識がある人しか言ってはいけないのではないか。
「いや、普通に考えてまずありえないだろ」「これまでそんなん聞いたことないからないない」……思うに、俺の情報を抜いてバラ撒く者も、たとえ俺が公表しても、世間がそう判断してくれると理解した上でやっている。人は必ず、これまでの経験や常識に重点を置いて判断するがゆえに、帰納的に結論をしたがる。
だから、俺が長々書いても、誰も見もしないし、信じられもしないのがオチだろう。それでも俺は、自分に対する人権侵害が終わらない限りはそうしなくてはならない。理由は後述する。
さて、俺のことについて一旦語らせてもらう。
俺は引きこもりだ。これまで一度も働いたことのない無職の30代。スキルは何もなく、自信がないのに、そのくせそプライドばかりは高く、ロクに努力もできないカス人間。性格も難があり、コミュ力は終わっていて、過去の経験から対人恐怖と人間不信を抱えている。最近は多少マシになってきた気もするが。三十路になってからなんかいつまでもバカやってても仕方ないなってなりだした。
信憑性を高めるためにいっそ本名を書いたろうかと思ったが、これから行う社会復帰に支障が出そうなので控えさせて欲しい。
だが、信じられるために、ある程度の情報は開示する。以下の情報に心当たりのある人はいないだろうか? 以下は漏洩情報の中に記されていた可能性があり、多くの人が知っているかもしれない。
「苗字は特に珍しくない」「親は離婚し、片親と同居」「引きこもり部屋は和室」
「メガネをかけている」「身長小さめ・ヒョロガリ」「過去に偏差値高の高校に受かった」
「たこの人形を溺愛している」「スマホの色は白」「淫夢動画よく見てた」
「10代の頃使っていたTwitterアカウントはKから始まる」
「かつて非公開で活動し、漏洩も活発だったTwitterアカウントは2017年に開始、2019年にニートになって投稿が増えだして、2021.8に消した」
「BMSという音ゲーをガチっている」「コンパスというソシャゲにハマっていた」「バンドリ、プロセカ、Arcaeaにハマっていた」「パペットガーディアン・マジカロスというゲームをしていた」「すばらしきこのせかいというゲームのファン」
「だいぶシコ猿してた」
俺はこういった自分の情報を、この数年間一切、公の場で自分からは出していないし、許可もしてない。
以下、俺の経歴について簡単に話す。
不登校期間が長く、20代前半まではほとんど引きこもって過ごしていた。
20代半ばで俺はニートになった。やさぐれていたが、対人恐怖と人間不信を抱えていた俺は、Twitterのアカウントを非公開にして好き勝手投稿して謳歌していた。するといつからか、俺が非公開にしているはずの投稿内容が、赤の他人に広まる感覚が起こるようになった。俺のツイートの傍若無人ぶりがあまりに面白かったからそうしたのだろう。
ここまでだと単なる統合失調症だから、俺に起きた内容の具体例を出す。
例えばあるとき、俺がドナルドマクドナルドの「らんらんるー」の動画を話題にして、「昔はこんなので笑ってたんだよな」と取り上げた。するとすぐさま、赤の他人が本当に同様の内容を投稿していて、それがバズっていた。その時、誰もドナルドマクドナルドの話なんかしちゃいなかったのに、だ。
また、2021.8にアカウントを消してからは、非公開でWi-Fiに繋がっていないPCで日記を書き残すようになったが、なんとWi-Fiに繋がっていないにも関わらず、しっかりと漏洩していた。
あるとき、その非公開PCに俺が「SNSは便器と一緒」と書いた。すると、すぐさま、誰か政治関係者だったかが、同様の発言をしたという記事を見た。
またあるときには、とあるお菓子を食べたいと書いたところ、翌日に親が買ってきてた。普段全く買わないのに、だ。
その時点で、部屋にカメラが仕掛けられているのは確信するようになった。自分で調べてもよく分からなかったが。現在も、そのPCに限らず非公開の情報が度々広まっているようだ。
他にもある。
数年前のあるとき、俺は自分の端末の非公開のアプリに、「自分を人権侵害しやがって!」とキレたことがある。
主に政治関係者や著名人がやたら「これは人権侵害だ!」と叫んだり、野獣先輩は人権侵害されていると言い出された。
まぁ言うまでもなく、野獣先輩は人権侵害されている(草)。だが、「野獣先輩が人権侵害されている」といったような言われは長年してこなかったはずだ。それなのになぜ突然、2020-2021年ごろにそういう言われがしだしたのか。
自分の行いと関連するワードが他者の投稿に出てきたりもする。例えば、専門的な内容を勉強していると、そこに普通の人ではまず使わないような言葉が出てくるが、それをいきなり他者が使ったりする。思うに本人は無自覚である。しかし俺からしたらかなり違和感がある。他人からすれば俺が注目しすぎとも一蹴できようが、あまりにもそんなことがありすぎるのだ。
他にも、俺が算数のドリルをしだしたら、誰かが「算数のドリルでもしろよ」とか言う(他の分野や「数学」ではないのがミソだ)。あえてさっさと本の次のページに行き、前の内容を覚えているか確かめるために前のページによく戻ってたら「多動だから本読んでるとき何回も前のページに戻ってそう」と誰かが言う。ゲームをやってる合間、ちょっとボーッとしてたら、「何もせず虚空を見つめているのはヤバい」と言う人がいる。頭乾燥してバリバリ書いてたら、やたらフケの話になる。
また、俺があるマイナーなネタの動画で笑ってたら、それを企業が使用したということも何度かある(最近ではある音ゲーネタ。あれはつまらなかったから違和感を覚えた人もいると思う)。
どこからどう何を得ているのかは知らないが、他人の思っている以上に自分はそういうのを捉えているし覚えている。この現状が終わらない限りは、これからも増えていくだろう。
俺は日記をとる習慣があるから、それを見返せばまだまだ思い出して出てくると思う。
情報の漏洩を最初に感じた、というか「あれ?」と思ったのは、2017年だ。
詳しいことは誰かの被害を生みそうだから避けるが、俺はあるゲームでの名前を、自分の好きなキャラのセリフを改変したものにしていた。それを他に言ってる人は全くおらず、俺だけの固有の改変セリフとみて間違いなかった。んでTwitterにそれが映ったスクショを投稿していた。
その後、そのゲーム及び好きなキャラクターがカードゲームで採用されたが、そのカード名が、俺の作った改変セリフと全く一緒だった。まぁ、これだけなら偶然でしかない範疇だ。しかし以降のことを考えると、もうその時点では漏洩が始まっていたのかもしれない。
もっと言うと、俺は2016年以前にはよく怪しいファイルにも手を出してたから、それも関係している可能性はある。それをしたPCからUSBで新たなPCにデータ移動させたりしていた。
全部あげればキリがないから割愛しておくが、もちろんこれらは氷山の一角だ。こういうことがこの数年間に何度も何度も何度も起こり、自分の頭の中ではもう3桁は優に超えるほど起きているわけだが、確かにその中には思い込みも含まれようが、妄想とか思い込みにしてはなんていうか、イヤにくっきりとしているのだ。自分の発した行動や意見と、その後の世界の変化の内容や距離が、あまりにも近すぎるから。引き寄せの法則か!?と最初は考えてみたものの、まぁそんなオカルトは信用してない。
俺は以上のことを数年間ずっと自分の中に隠して生きてきた。
なぜ俺がこれを明かす気になったか。転機がやってきて、自分で自分を殺すかのような勇気をもって、社会に出ないといけなくなったからだ。過去を明確に否定しなくてはならなくなったからだ。
本当にもっと色々書けるが、そこまで詳しくは書かない。俺はぶっちゃけ中国か韓国か、あるいは北の方の国が関与していると考えるが・・・まぁ面倒ごとに関わりたくないし、どのみち恨むとかはない。俺も俺で大概な人間で、大概なことを言っていたからだ(例:心読める、全知の才がある、他人はNPC、日本潰す)。少なくとも、孤独感ではマシにさせてもらったし、その点では感謝もすべきなのだろう。他にも、俺が言ったことで自他にとっていい方面に動いたようなこともあれば、ミスってたかもしれないこともある。全て含めて、俺の方は別に要らなかったし、Win-Winとも思っていなかったがな。「世界の礎になる」と言ったこともあるが、それはそもそそも、非公開のアカウントをいつか公開するのに備えて残しておくとの域を出ず、何もかもの許容ではない。そんなのはかえっていいことにはならない。
もしかすると、同居している親が何か仕掛けている可能性も0ではないが、それならなおさらあれこれしてもらっていたから恨むことはできない。
原因は他にも何でも考えられるが、まだ解明してない。カメラや盗聴器はほぼ確だろうが、他にも、端末のアプリから情報を出しているのか、家に設置しているセコムが怪しいのか、ルーターは変えたことあるし設定も弄ったが状況は変わらなかったので、それに繋いでいる電話のための機器が関係しているのか、他にもプロパイダはどうか、広告関連や、ウイルス、USB、家のテレビ・エアコン・その他Wi-Fi対応危機なども疑い、メガネさえも疑った(ペヨンジュンがCMに出てた眼鏡市場で買ったメガネだから)。それらが複合的である可能性もある。なお、端末のカメラはカバーして封鎖している。
仮に日本人がそれに関わっていたり、見て見ぬふりしているのであれば、恥を知るべきだ。日本の象徴は天皇しかなく、無職の底辺のペテン師(少なくともそうしておくべきである)なんかに意味を見出していちいち気にかけるような意味不明な国は自ずと終わる。だから俺は、他国が関わっているのではないかと考えているし、まだそうであってほしいのだが。もし俺の情報漏洩を分かった上で楽しい気分になった人がいるとしたら、ウイグルの差別や監視などに対しても決して非難するべきではない。
俺は確かに、かつて自分が「全能ではないが全知である」と言った。事実、何らかの才能みたいなのはあるとは自負する。
今思えばそこまでの言い方は大言壮語もいいとこだが、あの時、強い刺激と不安にさらされていた俺は、実際にそう錯覚するほどの強大なエネルギーが脳内で展開されていたのだ。
今はもうない。まぁ、中学の頃、精神的に依存していたもう片方の親を失って、人格形成や自己愛に問題が出たことで高校でも失敗し、そっから転がり落ちたためにちょっと面白い性質を抱えただけで、実際のところ大した障害なんかないのではないか? 過去の自分の姿は、自分の荒んだ現状・精神と、情報漏洩のタイミングがマッチし、他者の反応の可能性も加わったことによって、自己愛を満たしつつ、また他者の視点・要求に沿う個性的な自分を演出しだしたことで偶発的に生まれたもの、というのが本当のところなのだろう。当時は自分じゃそうも思っていなかったが。
俺にも非はある。だが、孤独で愛に飢え、知識に乏しく、心身に問題があり、精神の未熟な人間を自分たちのために利用して持ち上げれば、大体そんなことにもなろうというのはあるのではないか。そもそも、俺の方は非公開で独り言しているだけだったし、悪いことをしていたというのも正直正確ではない。無論、踏み込まれた上で意識していたから、やはり罪がないのでもないのであるが。しかし俺の方としてもまさか、非公開アカウントの中身が見られたり、それどころかWi-Fiに接続していないPCの内容すらも漏洩するとは想定していなかったのである。自分がこれまで抱えていた内容を表に出さなかったのは、状況を軽視していたのと、まんざらでもないところが全くなかったわけでもなかったからだが、それだけでなく、怖い気持ちもあったからだ。
わざと有耶無耶にされつつ動かれている以上、確定的なことは言えんのだが、いつまでも過去の俺の姿に執着し、あるいはかつて見た光景に引きずられているのでは、誰も本当の意味では前には進めない。俺は現状、精神的には誰も頼れないが、それでも先日転機がやってきてから、自分の中の何かが変わりだした。俺を許可なく違法に見ている人たちは、いつまでも何も自分を変えずに、俺に縋るようにしながら、自分で自分に何か言い聞かせ続けるのか。
俺が変わってほしくないと願うのは勝手だが、かつての傲慢で狂った自分にしても、頭が回って理性的なところがある自分にしても、無職で家に閉じ籠る自分にしても、他者と関わることが怖くて自閉的になる自分にしても、俺は特に価値を感じていないし、逆に絶対にどうしようもないとも思ってない。先日、タイムリミットが到来したことで、どのみちそんな俺は消えるさだめになった。けど、人は急には変われない。それでも、俺は変われないとは思ってない。変われないとどんなに誰かが思ったとしても、俺は変わる努力をやめない。
だから最近は本を買い漁り、読んでもいた。そこで得られることは大きかった。自分なんかなんでもないなと思わされた。
また、俺はつい先日までオナ猿だったが、流石に先のことを思うと空想に欲情する気にもならなくなり、エロサイト閲覧に使ってたtorを消した。数週間前には中毒起こしてたコンパスもやらなくなった。
人権侵害を行うほどのものなんか俺にはないし、もし下に見ていていなきゃ気が済まないのであれば、ネット上の人間で満足できていない自分の愚かさを考えるべきで、上、というか尊敬的に見ているのであれば、なおさらやっていることと矛盾している。そんなのはアンダードッグ効果と同じようなものだからさっさと捨てるべきだ。人を神扱いすれば、自分の人間としての欠如が埋まるとでも思っているのか。
それでも俺の言ってることが理解できない、あるいは理解を拒否するなら、特定の宗教に入るか、『マインド・コントロール』という本を読むことを勧める。
② 黙っているのでは黙認と一緒だから
これは言うまでもないことだろう。そして具体的にはこう伝える。
「もう俺の情報を漏洩させて利用するのはやめてほしい。もし、単なるハッカーや犯罪者による好奇的な理由だけでないとすれば、どうしたらそれをやめてくれるか。自分からネット上で暴れもせず、頑張って仕事もしようとしているのに、あと何が足りないのか。
過去のことは本当に申し訳ないと思っている。過去の俺の言動などどれも傲慢さと幼稚さの体現だ。だが、俺も心に余裕がなかったことだけは留意しておいてほしい。」
俺の見ているある無職の有名人のアンチの掲示板では、よく「ネットをやめないのが悪い」「仕事すればそれで俺たちはアンチやめるのに」と言われている。けど、結局はそんなんでもないのが実情なのだろう。本当はなんでもいいのだ。
それとも、俺が働けば、何かこれまで以上に頑張るようにでもなるか。誰しも欲しているのは、自分を変えなくても自己受容してくれる存在なのだから、俺が変化するほどに、他人にとっては扱いにくくなることを余儀なくされるだろう。
俺が人権侵害されたことで最も苦心したのは、家族の情報も掴まれて利用されていると考えられたことだ。
俺の情報が抜かれているということは、当然家族の情報だってそうだろう。
俺は常々考えていた。俺は別に何でシコってるかを知られようが、シコってる姿を盗撮されようが、割とどうでもいいが、もし家族のこともそうだったなら、と思うと、どす暗い気持ちになった。また、プライバシー的な意味だけでなく、あらゆる個人情報に関して悪用される恐れもある。
俺の情報を違法に見ている人たちに聞きたいが、自分の家族にそのことを言えるのか。
違法行為に加担するような自分の姿を、家族に見せることができるのか。
俺とその周囲だけが被害に遭っているようで、実際には自分の家族さえも貶めていることに気づくべきではないか。そしてそれは、俺も黙ったままでは加担しているのと同じことになってしまう。
脳内に隠して無かったことにしていれば、本当にそれでいいのか。
なお、親はどういうわけかはよく知らないが、ユニセフ?や在日団体に寄付しているらしい。
俺はともかくとして、そんな善良な人に対してそうした所業をするのがこの世界だというのか。
俺は虚弱で不健康な生活習慣をしていて健康面では良くないから、ぶっちゃけ早死にすると思う。そしたら次はまた誰かが同じ思いをするのだろうか。そう思うと気が気でない。だから、世間が信じようと信じなかろうと、ここに残しておけば、同様の境遇にある人が気づけるかもしれないし、もし人権侵害を続行していると俺が少しでも感じたなら、未だ書いていない内容、もっと本質的な部分を記すことになる。
意見や望みがあるのに、察してくださいなんてガキじゃないんだから、何かあるならたとえ自分にリスクがあろうとも、俺を信じて直接俺に伝えるべきである。その関係ができないでいて、何を望んだり、何に惹かれたりするのか。
そこには結局何の信頼関係もなければ敵対関係もない、ただ誰かが悦に入るためにどこまでも自己欺瞞に走る構造があるだけだ。
完璧な国家運営など不可能なので、どうしても国民のなかには不満を抱く層がでてくる
これまで歴史の中でそれらの不安の受け入れ先になり、集め、組織してきたのは
民族主義運動だったり、社会主義・共産主義、そしてそれらに対するカウンターとなる右翼運動だった
自分たちの思い通りになる新たな体制をつくろうと先鋭化していくというものである。
しかし、フェミニズムは違っていて、いくら先鋭化しても党をつくって国政に進出することはないし
組織体を作ってそれを足掛かりに社会の実際の権力を握ろうとすることもない
日本人の特に若年女性という巨大な層の不満をフェミニズム運動が回収している限り
「親の資産で子供の人生が変わるのはおかしい」と言ってるんだ。
まあ、玩具と家族旅行のクオリティぐらいは親の資産頼みでも良いと思う。
「公立中学で昼飯食わせてるからセーフだろ」ってのは流石に乱暴だと思うんだけどなあ。
「超優秀な奴は奨学金制度があるんだからセーフだろ」ってのも全体に対してパイが狭すぎる。
現状の制度で「経済的理由で勉強をあきらめずに済んだ」ってのはAランクまでだろ?
つうかさ、Fまで行かないか?
Fランクまでカバーするようなデカいパイを子どもたちに用意してやろう。
2025年だぜ?
SFならとっくの昔に人工子宮から産まれた子供が20歳まで完全平等なコンピューター教育受けてるぐらいの時代だろ?
それぐらいしたってバチはあたらんよ。
総評 男性向けエロコンテンツにおいてこれら描写はに、男性の挿入が女性の性的快楽を生み出しているというフィクションを多分に含む。性行為は男性だけでなく女性も快楽を得ていなければならない、男性は女性に快楽を与えるものでなければならないという平等意識がみられるので、女性蔑視度は低い。
二位 レ◯プ系
総評 この描写は一見女性蔑視度が強いように見えるけれど、裏を返せば暴力を使わなければ女性身体は支配できないということでもあるのだ。女性の意思の自立の強さが逆説的に示される形式と言える。
一位 フェラ、パイズリ、授乳手コキ、おねショタ、バブみ、アナル舐め
総評 女性を男性の快楽のために奉仕する存在と描いた上で、男性は女性に何も与えず何もしない。女性は自発的に奉仕して当然と言わんばかりで、女性蔑視度最高レベルと言える。