
はてなキーワード:バランス感覚とは
本ドキュメントは、外部の観察者による戦略的視点からの提言案であり、事実認定や人物評価ではなく、「もしこういう前提なら、このような戦略もあり得る」という仮説的な提案です。
2. 大規模言語モデルや生成AI技術は、急速にコモディティ化しつつある。
- 単価の下落
- 競合の増加
-API /SDK /オーケストレーション
などを含めた **ソリューション/プラットフォーム** を提供し得る立場にある。
自前で大規模データセンターを保有・拡張する戦略には、以下のリスクが存在する:
-認定DC は「OpenAI対応インフラ」として市場にアピールできる
3. **DC 側はCAPEX・OPEX・運用リスクを負担**
- OpenAI:
-ライセンス料
- 利用料のレベニューシェア
このモデルは、コンビニエンスストアやクラウド基盤ソフトウェア(例:VMware、ARMライセンスモデル)に類似した **フランチャイズ/プラットフォーム戦略** に近い。
など「差別化要因」に集中投下できる。
を分散できる。
- 未到来のブレイクスルーを前提にした大規模CAPEX は、
-価格低下
2. **既存技術+既存インフラをフル活用することで「時間を買う」**
-既存DC を活用することで、市場展開までのリードタイムを最短化できる。
を作れる。
3. **「今ある技術でどこまで世界を押さえられるか」を優先的に考える**
-未来の理想状態より、現在の配備速度・採用件数・開発者エコシステムの拡大をKPI に置く。
1. **ビジョンと所有欲の分離**
-インフラ所有
-資産規模
を混同しない。
- 自社が全てを所有するモデルではなく、
-世界中のプレイヤーに役割を与えるプラットフォーム構造の方が実現しやすい。
- 「OpenAI と組む方が得だ」と明確に感じる収益構造・責任分担を設計する。
- 握るべきは、
-安全性と信頼
-ブランドと標準
- 手放してよい(外部に任せる)ものは、
-建物
-ラック
- 電力インフラ
- 日々の運用
-CAPEX 回収の難しさ
を考えると、必ずしも最適とは限らない。
- OpenAI が「AIプラットフォーム」「AIフランチャイズの本部」として振る舞い、
-スピード
-支配力
のすべてにおいて合理性が高い。
-戦略構造と資本効率、時間軸の観点からの一つの選択肢として提示するものである。
以上。
画像収集して、hiddenフォルダに入れる。一度に集めた画像の数で占いをしている。ぴったり100枚とか50枚になることが多い。流石のバランス感覚、二十余年ネット・サーフィンで体幹を鍛えただけある。
今回は54枚だった。何でもないじゃんとスルーしようとしたが(キリ番の時だけ大吉なので、そうでない場合は占わない)、ちょうど俺が死ぬ年齢だった。
人が死ぬ時、コメントみたいなのが付く。10代までなら悲劇だし、20代30代だとこれからの人生を惜しまれる(労働しかないのに)。40代あたりから遺された家族を心配するコメントになり、60代以降は人生リザルト画面を読み上げる体裁になる。
でもって隙間に収まった50代は、なんか自己責任じゃねみたいなノリがありつつも、人生謳歌したんじゃないすかね笑、家族はまぁいうて自立できる年齢なんで頑張ってくださいという雰囲気。
将軍だって50代で死んでるんだからさ、人間五十年ともいうし(誤用)。年金の通知見て思うよ。お前らは社会にしがみつきすぎている。一瞬の風になれ。たのむなってくれ。
俺は、ジミ・ヘンドリクスに敬意を表して54か81で死ぬ。27の死神の手は俺のケツにすら届かなかった。まだピンピンしている。俺に究極の自由を見せてみろクソが
「売れっ子アニソン作曲家」だったら今でもパッと数人思い浮かぶけど作詞家ってそうでもなくない?
以前は「畑亜貴」とか「こだまさおり」みたいな大御所的な売れっ子作詞家いたよな
最近はそういうのぱっと思い浮かばない。自分たちで曲も詞もやりますみたいな人が大量にいるよな
メジャーなアーティストでもだいぶ作品に寄せた歌詞を書いてきたりしてるのも大きいか
アイドルなんかでも作曲はしなくても歌手自身が作詞するのも多い。昔大人気歌手だった人が新人の作詞で参加してたりもする
でもやっぱアニソンプロ作詞家の実力って確かにすごいものがあると思ってて、最近は世界観に寄せた作詞が流行ってるけどあまりにも歌詞を寄せすぎて興覚めくらいのも中にはあるよな
台湾の政治が中国にどう向き合うかという点では、「中国の武力統一はイヤだ」って点だけは、台湾の主要政党も世論もほぼ一致してる。そこは与党・野党関係なく、軍事的圧力にはめちゃ警戒してる。
ただ、そこから先がバラける。「じゃあ誰と組むの?「日本に助けてもらいたいの?」って話になると、台湾の中でも全然意見がそろってない。
自力で守るべきって人もいれば、アメリカ重視の人もいるし、外交でバランス取りたい派も多い。日本の「参戦期待」なんて特にバラバラで、「ぜひ頼む」って感じでもない。
今回の高市発言に対して台湾がちょっと距離を置いたのも、その辺のバランス感覚が影響しているだろう。
まず「日本が必ず手を貸してくれる」なんて思いすぎると、もし来なかった時の落差がデカすぎる。だから最初から期待値を上げすぎないようにしてる。
そして、中国を刺激しすぎたくないって事情。日本の発言に乗りすぎると、中国が台湾に圧力を強める可能性がある。あとは「結局は自分たちでも備えないと」って国内向けのメッセージにしたいっていう、台湾内部の都合もあるだろうし。
そもそも、他人が娯楽に金払ってる様子を見て「搾取」だなんて言うことは失礼極まりない、自分としては信じられない感性だ。
これは詐欺でも違法でも洗脳でもなんでもない、昔のソシャゲとは次元の違う、映画やアート作品がもつ審美性に匹敵する総合芸術をまず享受しているんだよ。払っている人たちは。
何百億、累計すると何千億とかけてサブカルチャー理解のある優秀なクリエイターたちによって作られてきた作品の複合体を。
プレイヤーが受けている感動や感銘を無視し、まるでゴミを好んで食べる人かのように見下しているんだろう。だがこれは現代のアートの最先鋒の一角だ。
そうであることは、これらゲーム公式が公開しているアニメーション動画や音楽動画、それにつくコメント、ファンの人々の反応を見ていけば分かるはず。
ものの価値というのは対価を支払う人が決める。そして強制される部分もなく、ギャンブルのように強く射幸性を刺激する作りにもなっていない。(この部分は実際にやらないと信じられないかもしれないが、どうせ80連近くなるまでまず出ない設計だからカラクリを理解してるプレイヤーは淡々と回すようになる。ガチャの体をとっているが限りなく定額売りに等しいものだ。ゲーム内で入手できる無料石で充当できる分だけ進歩的。)
だから重層的で濃密なアートを受け取った人が、自分の経済力の範囲内で、あるいは感銘のあまりちょっと範囲内を超えて、パトロンのように大口でお金を払うことを、まるで自制の効かない異常者の行動かのように決めつけるのは悪辣極まりない。
それに、これらゲームに費やせる金額には限度がある。6週間で新キャラが2体でるとして、1体のために最大まで金をかける(完凸+餅完凸)としても、30万は超えない程度の額×2だ。
大人の趣味として考えると糾弾するようなものでもないだろう。青天井に課金ができた古いカードバトル型ソシャゲだと、一人で累計3億だか課金した人がいたようだが、そういうことは起こらない。
ともかく、そうやって偏見を己の中で増幅させ斜に構えることでアイデンティティを守る癖が抜けないタイプの人間が、5年10年単位で展開されじっくり向き合うタイプの物語作品に素直に感動できることはなさそうだし、いくら説いても理解できないだろう。
だとしても、その傲慢で無礼な口を噤む美徳くらいは身につけられるものだと信じたい。
ガチャゲーというビジネスモデルに対する偏見や悪意をもつ人は、ガチャゲー像自体がアップデートできていない。
アップデートすると馬鹿にできなくなるからだろうが、ガチャ=悪質が成り立っていたのは10年代まで。
今では、上等なコンテンツに対し個々の支払い能力に応じたバリアブルな支払いと、その額に対してそこまで傾斜しないゲーム体験を与える、繊細なバランス感覚で成り立つモデルになっており、サブカルチャー支援に関してメリットが際立つ課金方式になりつつある。
プレイヤーの目が肥え、開発費が高騰した結果、事業者にとっては地獄だが、消費者にとってはより良い体験を与える課金方式に変化していることを認識してほしい。
・部下がやる仕事内容に「俺聞いてない」「そんなつもりないんだけど」と一々口を出す
・必然的に下の人間はそいつに逐一お伺い立てをしないといけなくなる→仕事効率の悪化
・そういう環境を生み出しておいて、自身がパンクした時に質問されると「そんな事も分からないの?」とかのたまう
・仕事中に無駄な打ち合わせしまくり。予め段取り決めとけよってレベルで周りの時間を奪ってくる
・部下が少しでも仕事にゆとりを持つのは許さない。見つけ次第バンバン仕事詰めてくる
・その癖バランス感覚が欠如してるので、結果と数字だけを追い求めて部下は過負荷な仕事量を押し付けられる
・上にペコペコ、下には威張り散らし。けど実力が伴ってないので上にも下にも馬鹿にされてる始末
書いたらキリがないわ。ネットで無能上司で検索したら↑みたいな特徴が大体同じで笑っちゃったよ。
ありがたいことに色んな福祉や医療に支えられて生きている、所得控除も医療費の上限も地域の交通利用の割引も本当にありがたい
その中でも障害者は引きこもりがち(家にずっといると社会的なつながりもなく運動もせず精神的にも身体的にも不健康になる)を解消する外出の機会を作るための娯楽の優待があると思ってて
映画や美術館や博物館や水族館とかにそれはあるのだが大体が自分と介護者1人が対象になる
長年の付き合いで本当に仲が良いと思った友人と該当の施設に出かける際には軽く手帳の仕組みを説明し、料金の優待を受けている、皆いい人なので初めは私の障害の開示に驚くも体調に気を遣ってくれたり率先して手伝うことはないか聞いてくれる、割引分の還元と言って帰り道のカフェをごちそうしてくれたり、障害を大仰に扱って欲しい訳ではないという私の説明を真摯に受け止め変わらぬ態度でいてくれる、大事な人たちだ、3人ほどいる
今まで恋愛もしてきたが30手前で障害を持ってからは縁遠くなっていた、だがやはり人生のバディや伴侶が欲しい気持ちになり自身の障害との向き合い方も安定し出産や子育てを頑張る目処がついたので婚活をやってみるか、という時に知人の紹介で出会った人が良い人で何度か会った後にお付き合いしませんかと打診された
悩んだが不誠実は良くないと判断し、自身の見た目では分からない障害や手帳の有無や通院の頻度や平均寿命などを軽く伝えた、相手は真剣に好いているので勉強しつつ頑張りたいと答えてくれたので、それならお付き合いを是非に、と交際が始まったのだが、まぁ、うん、難しい
そこで表題の悩みに舞い戻るのだが前提として交際相手はとても良い人だ、愛情表現も豊かで趣味も合うオシャレでスポーツが好きで働き者だ
私も別に障害を常に慮って欲しいとかヨシヨシされたいとか時間とお金を使ってケアして欲しいとかは全く無い
事実、交際相手は私の障害に対して何かしらを費やしたことは無く何もかも私は自身で処理している
でも他人から手帳取得に至るまでの地獄とこれからの色々を無かったことのように扱われるのはしんどい、と気づいてしまった、すごく難しいバランス感覚を要求しているなと自分でも思う、大袈裟に扱われるのは嫌だが全く気にされないのも嫌だなんて
交際相手は観たい映画がある時、私に声をかける、1,000円ずつチケット代を払う、ポップコーンと飲み物を各々で買う、私は観たことないシリーズの外伝を観る、まぁ面白いので映画自体は良い
私が某キャラクターの展示に行きたいと言う、障害者本人は正規料金で介護者は無料、相手は1円も出さず全然知らなかった!勉強になった!と楽しそうにする
2人とも興味のある有名美術館の展覧会がある、障害者本人は無料で介護者は正規料金、相手は2人で割って1,250円ずつだねと言う、原画とても素晴らしかったねとカフェで感想を話す、各々で支払う
遠くの水族館に私が日帰りで行きたいと言う、高速バスは障害者本人と介護者それぞれが半額、それぞれで支払う、入館料も半額ずつ、それぞれで支払う、帰り道もそれぞれ
今まで私が手帳を提示した割引を使った際の友人らは感謝を率先して述べたり金銭のバランスを取ってくれていたし、自分がもし逆の立場でもそうするタイプ(年齢や立場で傾斜をつけたりクーポン持参などがあれば出来る範囲でお返しをする)なので本当に毎回驚いてしまう
まぁ障害のある人間と付き合うだなんて人生初だろうしなと1年ほど眺めていたのだが娯楽の趣味が合う喋るクーポンと思われてる気がしてきた
というか今まで健常者の時期に付き合ってきた人達も映画観よ!チケット代?いらないよ!という人ばかりだったし各々で支払うことが最初は斬新な価値観だなと感心すらしてたが、もしかして結婚して妊娠して出産して物理的に私が働けない時期にもこの各々で支払うスタイルは続くのか…?となり、それとなく結婚の意思を聞くも結婚自体が5年後くらいが良いとか言われてしまい頭を抱えている
私が患う病気の平均寿命的は健常者より結構短いことを伝えてある(私は割と予後も良くて楽観視してるけど)妊娠も出産も望んですぐ叶うことではないし子育てなんか自分が死んでも続くプロジェクトなのに…?絶対結婚したい!子供が欲しい!と断言出来ない曖昧な三十路の私(子供を持ちたいと思える人に出会いたい)が悪いのか…?
なんか書けば書くほど悲しくなってきた
私を私として尊重して欲しいだけなんだけどな、良い人で良いパパになると思うんだけどな、多分別れた方が良いのは分かってるんだけど別れを切り出す行為自体が障害を重くしそうなくらい負荷が大きくて躊躇うよ、私がもっと若くて健常者なら大好きな気持ちで5年そばにいて待てるんだけど
やっぱり1人で生きて1人で死ぬ覚悟を持って毎日服薬して生きてくしかないよなぁ
Permalink |記事への反応(21) | 04:55
リターンか入金力のどちらかが相当高くないと成立しない。
例えば、毎月10万円を積み立てても、年利7%なら7年後は約1,000万円。
つまり、元本が数千万円規模か、あるいは年15〜20%の利回りを継続している計算になる。
「普通の会社員」としては、ややスピード感が現実離れしている。
「2018年にeMAXIS Slimバランス(8資産均等型)をNISAで80万円一括購入」と書かれていたけど、
当時の制度上限は、一般NISAが120万円、つみたてNISAが40万円。
小さな点だけど、こういう部分で“本当にやってる人”かどうかのリアリティが出る。
普通は半年〜1年分くらい、300〜500万円は現金で持つものだ。
「健康体だから保険料を払うより貯めた方が安心」という考え方はわかる。
ただ、会社員なら最低限の医療保険や共済くらいは入っている人が多い。
完全に「ゼロ」というのは、現実の生活感よりも“思想の主張”に寄ってしまう。
「副業や株の勉強は時間の浪費」など、断定的な言い切りが多く、
このトーンのズレが、読者を少し冷めさせる。
「普通の会社員」「副業なし」「親の援助なし」「たまたま投資で1億」
──この組み合わせが、あまりにも綺麗すぎる。
少しの失敗や焦り、迷いが描かれていた方がずっとリアルだ。
この“整いすぎた成功譚”は、SNS時代のある種のテンプレートになっている気がする。
数字そのものよりも「どんな気持ちで市場にお金を預けてきたか」に目を向けたほうがいい。
お金の話ほど、“ちょっとした違和感”が大きな説得力の差になる。
リアルを装うより、リアルに迷っている姿のほうが、ずっと信頼できる。
投資 資産形成 NISA インデックス投資 再現性 匿名ダイアリー
──
このまま、はてな匿名ダイアリーにコピペで投稿可能な構成になっています。
ご希望があれば、
前提として、その人の作品でちゃんと見たことがあるのは、ぼっちざろっくだけ。その記憶を元にすると、そんなにネガティブな印象は持ってなかった。記事を読んだ後も、「バランス感覚のある人だな」という印象が中心で、積極的に叩くような気持ちでは全くない。けど、うっすらとした居心地の悪さを感じた。
その気持ちを分解してみると、大きく二つの側面があるのかな、と思う。
「キャラが性的に消費されること」という表現にうっすらと攻撃性を感じる。記事(もしくは元の講演)での例示ゆえか、世間一般的なイメージからか、暗黙的には男→女の消費、を指しているように捉えてしまう。そしてその時の「男」というのが、実際に自分個人として「キャラを性的に消費」しているか否かに関わらず、男性一般として一般化されてしまう印象を(自分は)持ってしまう。
痴漢関係の議論とかでも同じかもしれないけど、総体的な議論をするときに、その総体の中に自分も含まれてしまい、「不当に非難されている」という感情が芽生えやすいのかもしれない。
もう一つは、「性的に消費」という線引きが難しくて、その人・その場のお気持ちに依存する気持ち悪さがあるように思う。この人が例で挙げていた水風呂のシーンは自分としてはあんまり気にならない(水着を着てようが着てなかろうがどうでもいい)けど、もう少し思い入れの強い場面でこうした改変があると気分を害するだろうし、逆に世間的に許容されていても個人的に微妙だなーと思う場面もある。
ファンの皆さんにはキャラクターをどう捉えてもらっても構いませんし、個人で何を描いても、何を想像しても自由だと思います。ただ公式側が『さぁ搾取してください!』と言わんばかりにばら撒くのは抵抗があるんです
と言ってもいて、この人の線引きに(自分が触れた範囲では)特に違和感はないし、そんなにカリカリするようなことでもないんだけど。
101回目とかリメイクするなら、主演俳優は霜降りとかじゃなくてミルクボーイとかだろ。霜降り明星のせいやとか、ぜんぜん余裕でアリだろ。
何考えてるの!?
お前ら分かってないだろうが、101回目のプロポーズの武田鉄矢は奇跡のキャスティングだったんだよ。
イケメンじゃない。かっこよくない。でも憎めない。この絶妙なラインが、星野哲郎というキャラクターを完璧に体現してた。浅野温子との身長差も含めて、すべてが計算されてたんだ。
それを霜降りでやるって何だよ。
せいやの顔芸とか、粗品のツッコミとか、そんなもんで感動できるか?あの作品に必要だったのは、笑いじゃなくて哀愁だろうが。
金八先生で見せた人間味、海援隊での挫折感、すべてが星野哲郎に重なってた。ダメ男だけど愛されるキャラクター。それを体現できる俳優だったんだよ。
お笑い芸人としては面白い。でも恋愛ドラマの主役には致命的に向いてない。あの繊細な心の動きを表現できるか?毎回同じプロポーズを断られる切なさを演じられるか?
内海の天然ボケと、駒場の的確なツッコミ。あの絶妙なバランス感覚は、恋愛の不器用さを表現するのに最適だろう。特に内海の人柄の良さは、武田鉄矢に通じるものがある。
それに、ミルクボーイには品がある。
お笑いでも下品なネタはやらない。母親ネタで笑いを取るその姿勢は、家族愛を描いた101回目の世界観にピッタリだろう。
でも制作サイドは何を考えてるんだ。
話題性だけで霜降りを選んだんだろ?視聴率が取れそうだから?そんな安易な発想で、名作をリメイクするな。
武田鉄矢というキャスティングの意味を理解しろ。あの時代だからこそ成立した絶妙なバランスを、現代でどう再現するかを考えろ。
霜降りじゃダメだ。せいやの顔芸で泣けるか?粗品のツッコミで感動するか?
ミルクボーイなら分かる。内海の不器用さと駒場のフォローで、現代版の星野哲郎が完成する。
それか、いっそのことサンドウィッチマンでもいい。
単に新しい俳優で同じ話をやればいいってもんじゃない。時代に合わせて、でもオリジナルの魂は残す。それがリメイクの使命だろう。
想像してみろ。笑えるか?感動するか?
武田鉄矢だから泣けたんだよ。あの人の人生が重なって見えたから、星野哲郎に共感できたんだよ。
頼むから、もう一回考え直してくれ。
101回目のプロポーズは、コメディじゃない。人間ドラマなんだよ。
突然の報に両親ともに驚き、様々な事後処理などでてんやわんやして暫く季節も経ち、ようやく落ち着いたので心の整理のためにこれを書いてる。
原因はいろいろあるけれども、今思えば兄は色んなものを無理に背負い過ぎてしまったんだと思う。気が弱いのに自らを大きく見せようとしていた、それが限界だった、というべきだろうか。
兄は子供のころからパソコンが好きだった。10歳下の俺は、よく兄にくっついて後ろでPCを見ていた。プログラミングがいかにすごいかはともかく、当時渡辺製作所のグローブオンファイトやその手のPCゲームをワクワクしながら後ろで眺めていたのをよく覚えている。AAやFLASHでゲラゲラ笑ったり、俺がIT文化に初めて触れたのは、それが最初だった。
「ITで世界を変えられるんだぜ。これからの時代はITだ、きっと時代が変わるぞ」、兄のいうIT論は、当時子供の俺にはよくわからなかったが、とにかくすごいものなんだな、という気持ちにはさせられていた。
兄はその後、情報科学系の大学を卒業し、IT企業に当然のように足を踏み入れた。時は2002年だったと思う。世は確か就職氷河期も最盛期、それでも会社選びに苦労していた様子は当時を思い返してもうかがえない。起業をして社長をやるくらいなのだ。その方面では優秀だったのだろう。
「同期の中では俺が一番優秀なんだ」、「客先からの評判だっていいんだぜ」、天職についた兄は心底楽しそうだったと思う。
確か、2009年か、2010年の事だったと思う。俺がまだ大学生だった頃、今にして思えば、自殺に至る兄の人生に影が指す「変化」と言える違和感を覚えることがあった。
―――兄が自殺に至るまでの理由を探そうとした過去と記憶を辿る旅、思い返せば、そこには虚飾と虚栄と業に塗れて死んだ、一人の朴訥なITが好きなだけの少年の救われぬ魂の旅路があった。
兄の自殺の原因を自分なりに考える中で、心当たりがあることを想い返したため、ITmediaと日経クロステックの2010年の記事を見たところ、web系の求人が続伸、と出ていた。
所謂「意識高い系」とかいうのがネットで出だしたのも、この時代だったと思う。
まずIT系でそういうムーブメントが起こっていたことは、当時の俺でさえ知っていた、確か何某だか、本当に儲かってるのかも怪しい過激な言説の売れない、日劇ミュージックホールの昭和のポルノ女優や売れない芸人みたいな芸名の様な人間が現れては、マトモな社会常識を持っている人間であれば「こんな馬鹿な話信じる奴いるのか」という様なことがネットで飛び交っていた。
――IT好きな朴訥な少年のまま大人になった兄は、そのITという毒にやられてしまったんだと思う。
今から15年か、16年前だったと思う。実家に帰省した時、俺と両親は兄の変化に驚いた。
後述する「ルカねえ」と兄が付き合いだして、俺たち家族と知己になったのもこのころだが、朴訥だった兄はどこぞのレゲエヒップホッパーみたいなファッションにイメージ・チェンジをしていた。
「パイレーツオブカリビアンの海賊のコスプレにでもハマったのか」、当時の父と俺はそういい合っていたのが記憶に残っている。
聞けば、新卒から働いている会社を辞め、web系スタートアップベンチャーに転職することとなったらしい。
「まだSIerで消耗してるの?」、「SIerはあと五年で滅びるよ」、「web系に行かない奴はエンジニアとして終わってるね」、決してITに関してはどんなことでも悪く言うことがない兄が、古巣を後ろ足で砂を掛ける様な事を言っている。聞けば、本当は客先常駐なんてしたくなかった、オフィスで社内で自由に開発ができるのがアメリカでも当たり前なんだ、と俺には半分も理解できないITの話を力説していた。だが、それはどこかネットの「意識高い系」の連中からの受け売りで、どうも兄の本音から出た様な感じではない、そういう感覚を俺は思っていた。
だが、これほどまでに人は変わるのか、東京は恐ろしいところだ、と当時思ってた。
酒もそれほどたしなまず、タバコも吸わない朴訥な兄は、毎晩六本木や赤坂でコネをつなぐだのエンゲージだと横文字を使いながら飲み歩く様になった。怪しい連中や取り巻きが、兄の周りに集っていた。俺は、なんだか恐ろしくなって遠目に眺める事しかできなかった。
兄は、web系という場所にいってから、変わっていった。それも、人間としていってはいけない方向性へ
――ITを愛した朴訥な少年の心は、ついにITという時代の毒に呑まれてしまったのだ。
兄の奥さん(当時は兄の彼女)と詳細は伏すが音楽関係で活動していた。web系に転職してから何らかの縁で付き合うこととなったらしい。
ルカねえ、というのは俺が勝手に心の中で読んでいることだ、巡音ルカの様な立ち振る舞いや性格や容姿だったから。
俺は大学卒業後、東京へ出た。兄はweb系の会社を立ち上げて独立していた。相変わらず、娘が生まれたというのにSNS中毒としか思えないほど旧TwitterやらFacebookやらブログやらを更新し、胃下垂で食いきれないであろうに、どこそこの店の料理を食っただ、高級ワインを開けただのと写真を投稿して自己アピールに余念がない。乗れもしないのに外車のオーナーになり、高所恐怖症気味なのにタワーマンションの部屋を買った、ある種、あの当時のweb系ベンチャーにありがちだが、プチカルト宗教とその信者、という様な小サークルの様な社長と社員の関係だったという。
「ルカねえ」は自尊心が毒虫の様に肥大化していく、虚栄心の怪物の様になっていった、そんな兄を後ろから支え続けた、常に2歩下がって佇んで…そしてかつての朴訥な青年は、次第に、酒席と人脈と、虚飾に頼る人間へと変わっていった。
俺はもルカねえと同じく、遠巻きにその姿を見ていた。
だが、心のどこかでこうも思っていた。
――兄はいつか、本来の自分に立ち返るのではないか。少年のころ、無垢にパソコンの画面を覗き込んでいた兄に戻るのではないか。
しかし、それは叶わなかった。兄は業に塗れたまま虚飾と虚栄という寄生虫に体も脳も食い荒らされて、導かれるように自ら縊死をした。世には、自らを鳥に食わせるよう宿主を操る寄生虫があるという。兄の死を思うとき、俺はその奇怪な生態をふと思い出すのだ。
府中は分倍河原、そこは東京と言っても昔ながらの風情が残る都会と田舎の境目の様な場所だった。当時俺がそこ近くに住んでいたので、久しぶりの休みの日、兄と一家と遊ぶことになった。そこにはプラネタリウムや釣り堀のある、体育館も併設された大きな公園がある。
休日子連れの家族たちがよく来ており、催し物も多い。(俺は筋トレのために赴くことが多かったのだが)
兄は文句タラタラだった、「こんな田舎の公園の釣り堀やプラネタリウムなんて、貧乏ったらしい」と、カエシのない針の釣り竿を両手にはしゃぐ兄の娘とルカねえを置いて、PCとスマホ片手に「仕事」の続きをし始めていた。必然的に3人でそれらを回ることになった。
プラネタリウムの後の帰りの夜、府中駅の大通りを見上げれば「本物の」プラネタリウムを、兄の娘とルカねえは見上げていた、眠く、退屈そうな兄と駅前で別れる時だった。
「今日は楽しかったよ、増田君、ごめんね、ありがとう」、「よかったらまた一緒にこの子と兄くんと一緒に来ようね、約束だよ」
優しい人だな、そしてなんて憐しい人だろう、と思った。それ以来そういって遊びに行くことさえなくなった。約束は果たせないまま、兄はそんな周りのやさしささえ感じられなくなって。自ら首に縄を括って死んだ。
――兄が首を吊った時、首を絞めつけたのは重力で落ちたからではない、自分自身の虚勢と業に押しつぶされるように、人間が堕ちてはならぬ闇へと引きずり落とされたのだ…少なくとも俺はそう思っている。
――ルカねえとの約束は、今後永遠に果たされる日は来ないのだろう。
そう、どちらかといえば、自殺者よりも、残された人間の方が悲しいしやることも大変だし、多大な迷惑をかける、という現実をみんなに知ってほしい。
後述するが、伝え聞いてくるいくつかの理由で兄の会社はかなり苦しかったらしい。何よりも、兄はどうもかなり生活出費はそのままに無理した生活をしていたようだ。
会社の経営が傾いてから、都内の高級住宅街から、地価の低い「一応首都圏」なところに、兄の一家は居を移した。
兄の娘はかなり学費の高い私立に通っていた。制服姿で電車に乗ることもできず、私服で朝乗り、学校の近くで着替えてから通学する、というあまりにも痛ましい生活だったという。
――俺と父は、一度兄がルカねえと娘に暴力をふるっている場所に居合わせて止めたことがある。休みと聞いたから実家から送られてきた梨(と父)を私に行った時だ。
後で聞けば、「私は兄くんを信じてるよ。兄くんがITの事が大好きだって知ってるから。今からでもまた頑張ろう、私もできることは何でも手伝うよ。兄くんはお父さんなんだから」、そう行ったのが癪に障った発端だったそうだ。
「うるせえ!うるせえうるせえ!踏ん張ったところで何になるんじゃッ!今更お前や子供のために地べた這いずり回れっていうんかッ!?うんざりなんじゃ!俺だってやってるんじゃ!やりたくもないのに客先に出て!バカにしやがってッ!お前に男のメンツがわかるんか!」
俺と父が怒鳴り声を聞いて急いで玄関から入り、二人を引きはがしたところで、兄は暴れるのを辞めなかった。なお兄は荒れ狂った。叫びは、すでに虚勢ではなかった。むしろ、虚栄に踊らされた一つの魂が擦り切れてゆく音のようであった。
「ITみたいなしみったれた商売はうんざりなんじゃ~!チマチマ働いたってキラキラした人生に浮かび上がることなんてできはせんのじゃァ~ッ!クソがァー!どいつもこいつもカネカネカネカネ言いやがってェーッ!こうなったらヤクザにでもテロリストにでもなって巻き返したるわァ~!俺だって頑張ってるのに!バカにしやがってッ!クッソォォォォンッ!」
出来もしないことを叫びながら兄は泣いた。それは慟哭に近かった。兄の叫びは、すでに人間の声ではなく、業に食われた一つの魂の呻きの様であったと俺は思った。
泣く娘とそれを抱きしめて守るルカねえ、そしてそれを抑え込みながら聴くしかない俺と父、ネットの闇と毒に当てられた男と、情報化社会が生んだ新しい闇が凝縮していた。
それは、ある意味で「意識高い系」の成れの果て、帰結する先なのかもしれない。俺は別に、キラキラした人生やキラキラした仕事生活を否定しているわけではない。誰だってブラックジャックやドクターK先生や、サラリーマン金太郎や島耕作になりたいだろう。だが、仕事というのは多分きっとそうではない、若輩者ので門外漢の俺でもそれはわかる。自己顕示欲を誇示するための仕事など、シュメール文明から現在に至るまであったことがあるだろうか?折に触れて思い出す分倍河原駅の前の足利像を見るたびに思う。歴史の表舞台にたった「キラキラ人生」の偉人たちは、必要にせまられてその立場になったのであって、最初から目立ちたくて戦争をしていたわけではない。ITエンジニアの先祖に当たる江戸時代の和算学者たちは、ただ自身の顕学を神様仏様に感謝するために解いた計算難問を額縁に入れて奉納している。
兄はその逆であった。必要もないのに「輝き」を求め、虚栄に心を壊された。人間の弱さを思わずにいられない。
それを「その世界の人たち」はわかっていない。兄も含めて…兄は人間として当たり前の心理的バランス感覚を、明らかにネットやITという虚栄がはびこる世界で狂ってしまっていたのだと今にして思う。
まだ内省ができる俺の様なオッサンはいい、まだタピオカミルクティー片手に韓流イケメン芸能人は誰がカッコイイと山手線の盛り場を歩く様な年頃の子である兄の娘に、そんな責と家庭不和を負わせるなんてどれほどその心を兄は傷つけたのだろう。娘の心中はきっと想像を絶するものであろう。
それでも一応は、「超出来の悪い弟である」10歳年下の俺の給料の2倍は稼いでいた(会社が傾いてからの話だ、それより以前はもっと稼いでいたのだろう)。だから何とか学費だとか生活費も払えてたのだろう。そんな兄がある日突然首を吊って自殺した。
…残されたルカねえと兄の娘の生活は破綻するよりほかない。できる限り俺達や実家の父母も精神的な負担をケアしようと、あまり合わない仲だったのが様子見をしたり連絡をすることが多くなった。
それでも、実家組の俺達に、あんな天文学的な学費を払えるだけの余裕はない、結局、娘は学校をやめ(中学だから辞めるというのもおかしな表現だが)、学費の安い公立に転校することとなった、まだ14歳やそこらなのに、年齢を偽ってバイトまでして家計を支えようとしていたらしい。俺はそれを聞いて胸が痛くなる思いがした。ルカねえの優しさを受け継いだ兄の娘に、兄は背を向けたのだ。
残されたルカねえは悲惨の一語に尽きる。彼女は詳細は伏すが音楽関係で活動していた。だが、兄の希望で、ルカねえはほぼ専業主婦だった。するとどうだろう、殆ど働いてない彼女はこれから自分で生計を立てなければならないのだ。…マトモな職などあるだろうか?
結局父の知り合いが働いているスーパーでルカねえは働いている。この後は母もやっていたため、そのツテで保険の販売員をやることが決まっているらしい。言い方は悪いが兄の憧れた「キラキラした世界」しか社会を知らない彼女だ、激変する生活に精神的にもかなり堪えているようで、かつて俺が「ルカねえのようだ」と思っていた美貌も陰りが見えてどこかやつれているように見える。だが優しさと健気さはそのままだ、俺はルカねえの「大丈夫、大丈夫。」という笑顔を見るたびに、哀しくなって泣きたくなってくる。頭もよくなく力もない俺や父母では、これくらいのことしかできない。ルカねえの両親はどうか?今となっては聞くこともはばかられるが、どうも(俺の)兄と向うの両親はそりが合わなかったらしい、絶縁同然となっているそうだ。…思えば、兄の「虚勢と業に塗れた姿」に、それでも立ち直ってくれると信じたルカねえのやさしさは、暗い未来を呼ぶだけだということを、その両親は見えていたのかもしれない。
後述するが、ルカねえの両親が絶縁に近く関わりを断ったのにも、これもまた兄が纏いつけて残していった陰湿な闇のせいである。怪しい人間が今度はその獣欲の牙を兄の娘に向けようと這い寄ってきたのだ。そして彼女と兄の娘の心は砕け散った。それは綺麗なガラス細工が地に叩きつけられ四散した無惨さがあった。
――ルカねえの両親は、ルカねえを見限ったのではない。ただただ醜く腸を食い荒らされるかのように兄が残していった社会の闇の連中に孫と娘が食い物にされていく光景が見るに堪えず、恥辱のあまり目を逸らしたのだ。
それに欲望の充足を感じ取れる人間こそが、社会の闇に潜む人非人足りえるのだろう。だが俺も、父も、ましてやそれになろうとした兄も、人面獣心になるにはあまりにも普通の価値観の人生を生きていた。それが、兄が死んだ理由なのかもしれない。
その②
https://anond.hatelabo.jp/20250908163905
Permalink |記事への反応(30) | 14:01
○ご飯
朝:カシューナッツ。昼:おそば。いなり寿司。夜:キュウリ。ギョニソ。バナナ。ヨーグルト。天かす卵かけうどん。キノコと人参と玉ねぎのコンソメスープ。間食:柿の種。
○調子
むきゅーはややー。おしごとはむむむむー。
朝から緊急地震速報で電車が止まり、出社すると僕が少し前に書いたコードのバクが発見され、帰りは事故で電車が止まりと、連休明け早々踏んだり蹴ったりで疲れた。(バグは僕が全部悪いから甘んじて受け止めるしかないんだが、なんか例外パターンでさらに例外が発生するみたいなレアパターンだから弁解の余地があってよかった)
○ポケットモンスターパール(NPC交換ポケモン旅)
波乗りと怪力とロッククライムで取れる寄り道系コンテンツを色々。
技マシンを色々回収したり、モブNPCと普通にバトルしたろ、この区間割と好きだな。
220番水道の唐突なスターの女の子とか、タタラ製鉄所のそんなバカなな効率化好き。
・ピングポング
三戦目決着。
とにかくケレン味いっぱいで楽しいんだけど、妹にこの死闘を隠すおセンチさとのバランス感覚が絶妙で、とても良かった。
・こち亀
いつものやつとしか言いようがないけど、やっぱりこち亀は面白いなあ。
・ロボコ
先日話題になっていた「『就職氷河期世代』問題の本質とは何か?を読んで感想」の増田。元ネタの対談記事の内容も濃く、増田の文章も長いので、時間がない人向けにポイントをシンプルにまとめてみた。
https://anond.hatelabo.jp/20240513185348(←元増田)
この増田は、対談記事を読み解きながら、自身の経験も交えて現代日本の構造的な問題を論じている。要点は以下の通り。
結論として、この増田は「対談記事の統計的分析は認めるが、政治的な視点が抜け落ちた『御用学者』的な内容。鵜呑みにせず、多角的な視点を持つべき」と主張している。
この投稿に対して考えられる、さまざまな角度からの意見をまとめた。
以下の投稿ははてな匿名ダイアリーの投稿です。
これを、冒頭にある話題の元となった対談記事を考慮した上で、過不足なくシンプルに要約した上で、肯定的な意見、否定的な意見、中立的な意見でまとめてください。
結果ははてな匿名ダイアリーに投稿できるような形で成形し、はてな匿名ダイアリーのユーザを想定して読みやすくしてください。
他にも設定がはいっていたり、俺の過去投稿の影響を受けているのでこれを入れても同じにはならないと思う。
ChatGPT に要約させたのはこっち →anond:20250812094756
尖ってる度ならChatGPTだけど、Geminiは実用的って意見があるが、そんな結果が出てきたな。要約としてはこっちの方が優秀。
ここでも、AIが指摘している否定的な意見は、元増田はわかってて敢えて書いてるだろうなってニュアンスを感じるんだけど、そこまではAIは読めてない感じがするね。
もしも自分の子供が少年スポーツ団とか学校や部活で指導者や教師から引っぱたかれたり、人権侵害レベルの罵詈雑言浴びせられたりしたらどうするか?
みたいな話題になった時、
「本気でブチ切れる」
「速攻で怒鳴り込みにいく」
と子持ちの同級生たちは皆口々に言っていた。
めちゃくちゃ意外だった。
自分らは教師やスポーツの指導者から頭叩かれるとか胸ぐら掴まれるとかはまあ結構あって、
「てめえ!!!」だの「ボケ!!!!」だの「死ね!!!!」だの面罵は当たり前にされてきたし見てきたし、
『体罰まで至ってないなら子を守るために教師と闘うのは恥だ(&子が悪い場合なら体罰されても文句は言えんわな)』
という意識でいる
……こういう感じの世代だったので、よく現代基準の親になれてるなと思った。スマートだなと思った。
でも一方で彼らはパワハラとセクハラに対しては「不本意ながらアップデートされてる」感じなんだよな。
「女の子なのに背高いね!がガチでアウトな発言にされるのがマジで理解できない」
「クソみたいなミスして毎日怒鳴られて鬱になって休職した新卒が
『教えて貰えない。質問したら怒られる。
とか人事にウジウジ言ってたらしくて死んで欲しい。ぜーんぶ人のせい!笑」
とか平気で言うし、このバランス感覚の不統一はなんで起こってるんだろ。
愛か?
✔ 正しい
日本国憲法は、「立憲主義」に基づいており、「国家権力を制限するために憲法がある」という考えが基本です。
これは、たしかに高校の「現代社会」や「政治・経済(公民)」で学ぶ内容でもあります。
🔹 例:「日本国憲法は、基本的人権を保障し、国民の権利を守るために国家権力を制限する法である」
✔ 概ね正しいが、例外もある
この主張の根拠として挙げられているのが「三菱樹脂事件(最大判昭和48年12月12日)」です。
民間企業(三菱樹脂)が内定を出した学生の「過去の学生運動歴」を理由に採用を取り消した。
学生が「憲法19条の思想・良心の自由を侵害された」と主張した。
最高裁は「憲法の基本的人権の規定は、原則として国や地方公共団体にのみ適用される」と判断。
ただし、「私人間にも一定の影響を及ぼしうる(間接適用)」とも言及。
例えば:
労働契約などの「私法関係」の中でも、憲法の価値を斟酌して判断されることがある(判例・通説ともに)
「民法90条(公序良俗)」などを通じて、間接的に憲法の理念が影響することがある(「間接適用説」)
❌ 正確ではない(やや誤解を招く表現)
「受験生の権利を制限するような制度設計」について、法令・裁判所の判断によっては違法や無効となる可能性もある。
完全な「私人」ではなく、準公的性質を持つ法人(学校法人)として扱われる場合もある。
🔹 例えば、学校教育法・私立学校法・高等教育政策の枠組みによって、公的資金も受けているため一定の公的義務を負う。
民間大学である以上、「国家権力による自由の侵害」がない場合、憲法の人権規定を直接適用して違憲と主張することは困難。
憲法22条第1項:
これは国家による「住居・移動・就業の強制」に対抗するための規定。
したがって、たとえば:
国や自治体が「特定地域に住まないと受験させない」とした場合には違憲の可能性がある。
しかし、一民間大学が指定日に手続きしなかった者の入学資格を取り消すというのは、憲法違反とまではいえない。
「地方自治体が設立・支援している」という特殊性はあるが、法人としては私立。
自治医大の入学手続き日が「他大学の受験日」と重なっていても、それが直ちに違憲とは言えない。
大学の募集要項に従わなかった者を不合格にするのは、裁量の範囲とされやすい。
🔹 ただし「公平性を欠く制度」や「著しく不合理な制度」であれば、民事上の争いにはなる可能性あり(違憲ではなく「不当」の論点)
| 主張 | 判定 | 補足 |
|---|---|---|
| 「憲法は国家を縛るもの」 | ✅ 正しい | 立憲主義の基本 |
| 「憲法は私人には適用されない」 | ⭕ 一部正しい | 直接適用は不可、間接適用はありうる |
| 「私立大学には憲法が適用されない」 | ❌ 誤解を招く | 公的性質もあり、状況により影響あり |
| 「居住・移転の自由の規定で大学を訴えるのは無理」 | ⭕妥当な見解 | 憲法違反の主張は困難 |
| 「自治医大は私立」 | ✅ 正しい | 学校法人立の私立大学 |
| 「入学手続きが受験日と重なっても辞退すればいい」 | ⭕現実的ではあるが冷淡な見方 | 法的には一理あるが、受験生保護の観点では議論あり |
この文章の全体的な法的理解はおおむね正しいが、表現がやや断定的・攻撃的で、「間接適用」や「準公的機関としての私立大学の立場」といった重要な補足を省いているため、読者に誤解を与える可能性がある。
ネット上で表現が炎上し論争が巻き起こる度に、「ゾーニングすればいいじゃん」と気軽に吐き捨てて去っていくダチョウの大群が観測される。界隈、属性問わずマジでどこにでもいる。
こいつらの何が癪に障るって、ゾーニングをお手軽で万能な魔法の概念かのように盲信していることだ。ゾーニングはお手軽でも万能でもない。ゾーニング推進派のくせに推しであるゾーニングへの解像度が低いままであるダチョウ達が、理論武装してダチョウから人間に近づくための一助になりたい。
特定の表現をなぜゾーニングする必要があるのか、改めて考えてみて欲しい。青少年の健全な育成のためとか、悪影響がある表現だと科学的に証明されているためとか、法令に抵触するからとか。「自分が不快になったから」は具体性・客観性・妥当性どれを取っても及第点未満でバカだと思われるので、おすすめしない。
目的が具体化出来たら今度はそれを達成するための手順だ。ゾーニングは手段が多岐に渡るので、さっき具体化した目的を達成するのに適した手段を選択する。レーティング、フィルタリング、区分陳列、検索避け……沢山あって選ぶのが難しければ、AIに助言を求めれば良い。大体の場合ダチョウよりも賢いテキストを出力してくれる。
目的と手段を明らかにしたら、今度は現場で実際にどのようにゾーニングが行われることになるかについて考える。現場を無視して好き勝手に鳴き声を上げているだけのダチョウには難しいかもしれない。
例えば自分が多種多様な書籍の陳列を任された書店員だと仮定して、「どの書籍を」「どのような基準で」「どこに」「どのように」陳列するかシミュレーションしてみるんだ。ある程度陳列し終わった後に、全年齢の棚に置いていた書籍が途中から成人指定されたらどうする?……みたいな面倒なシミュレーション通して自分が推進したいゾーニングのビジョンを明確にしていく。
ゾーニングを、特定の表現を衆目から隠すための手段だと思っているのであればまたまだ認識が浅い。特定の層から表現を遠ざけるだけなら誰でも簡単に出来る。だが、その表現にリーチしたい人間の権利や機会を極力奪わないように調整出来てこそだ。俺の考えた最強のゾーニングを考えたいなら、この辺りのバランス感覚は非常に重要だ。
◼️ゾーニングは万能ではない
ここまで来たらそろそろ分かるのではないか?ゾーニングは、万能ではない。俺の考えた最強のゾーニングを導入できたとして、絶対に事故が起きる。
世の中には自分が不快だと感じ、ゾーニングして欲しいと感じる表現を、あろうことかゾーニングせずに無遠慮に拡散する信じられないくらいアホなダチョウがいる。そんな奴らがゴロゴロいる。事故が起きないと考える方が無理だ。
ゾーニング像が輪郭を帯びてきたら今度は覚悟を決めるフェーズだ。すばり、ゾーニングは表現規制だと自覚する。
我が身可愛さにゾーニングが表現規制ではない理由を探す暇があったら、「ゾーニングは表現規制だがこの規制は必要なものだ」と開き直り、ゾーニングが必要である理由を探す方がよっぽど建設的だ。世間の大半は性根が表現規制派なんだから、後者のやり方を選択し尤もらしい根拠を提示する方がより説得力が生まれる。これでお前も筋の通ったダチョウにはなれる。
ここまで読んでくれた立派なダチョウなら、既に「ゾーニングがみんながハッピーになれる魔法の概念✨」なんて認識は改めてくれているであろう。
ゾーニングは程度の差こそあれ、他者の知る権利や選択する機会・自由を侵害する。子供を守るためにするゾーニングは、同時に子どもの権利を侵害している。こういったことから目を背けてはいけない。
場合によっては、表現者がスティグマや経済的打撃を被るケースがある。例えば紙の書籍をR18すればいいと簡単に言い放つ奴は、R18にした紙の本を書店が引き続き取り扱ってくれると思っているお花畑思考の持ち主だ。部屋から出て本屋やコンビニに行って自分の目で確かめてこいよ。
R18にして欲しいなら、R18の制度が導入された際に複数の出版社が倒産し、経済的理由から自殺者も出た事実を知った上で覚悟を決めてから言えよ。視界から不快な表現を無事に消してハッピーになったら、その陰で泣いている人間がいる事実に目を向けろよ。
R18の悲劇はあくまで一例として出したが、こういったマイナス面を見ずにゾーニングを盲信するのはグロテスクだ。ダチョウではなく人間でありたいなら、負の側面も受け止めて覚悟を決めてからゾーニングを推進しろ。
ゾーニング容認派(not推進派)として、ゾーニング推進派なら少しくらいゾーニングの副作用や難点や負の側面について考えて欲しくて書き殴った。
タイミング的に発売されてすらいない、ラブドールにゴミを食べさせるゲームやBLが燃えている頃か。冒頭で述べた通り考え無しにゾーニングを推進するアホはどこにでもいる。これも誰かを応援したくて書いたわけではないので、勝手に文脈を幻視して肩を組みにこないで欲しい。