
はてなキーワード:バックボーンとは
おいおい、実際にキャス報告書の内容でイギリスの国立ジェンダー治療施設が閉鎖になってるんだよ。
発行日:2024年4月10日、NHSイングランドが2020年に委託した独立レビューとして Hilary Cass医師が主導
対象:性別不安(gender dysphoria)やトランスジェンダー自認を持つ18歳未満の子ども・若者(および18〜25歳も新たに対象に含む)
調査手法:ヨーク大学による8件の系統的レビュー、定量・定性データ、患者・家族・専門家とのインタビューなどを総合的に評価
1.エビデンスの質が非常に低い
50件の研究をレビューした結果、質が「高」とされたのは1件のみ、中等が25件、残りは低品質。
安全性(骨発達、神経発達)や心理面への影響についても結論できないとされた
・性別適合ホルモン(cross-sex hormones):
心理面改善の証拠は限られ、健康リスクは未解明。臨床経路は慎重にすべきとされた。
自認に基づく迅速な医療介入(Dutch Protocol)について、「十分な科学的根拠がないまま普及してきた」と報告。
アメリカで発展した「自己申告=治療開始」とするアプローチに対し、イギリスでは否定的評価 。
GIDS(Tavistock)閉鎖、新たなサービス体制へ移行。偏った診療実態を改善へ 。
GIDS受診者には高率で精神疾患、神経発達症(自閉症等)、摂食障害を併発しているケースが多く報告されている 。
ジェンダーに焦点を当てる前に、背景にあるメンタルヘルス課題への介入が不可欠とされた 。
英政府や英国主要政治陣、およびNHS幹部は、本報告書を「政治性から自由な科学的再検討」として歓迎し、子どもの医療から政治を排除する契機として価値があると評価された 。
NHSの専門家チームは、報告書を新たなサービス体制の「バックボーン」として採用し、現行改革を構築する根拠としている。
新制度では、ジェンダーに特化するのではなく、心理的・社会的背景と併せて状況を総合的に評価するアプローチに転換。これに対し、Transyouth charity「Mermaids」やTheKite Trustなどは、NHSの失敗を報告書が認めた点を評価し、包括的支援の方向性に支持を示している 。
Tavistock GIDSの閉鎖と、新たな地域拠点型のCIDS設置(ロンドン、リバプール、ブリストルなど)に対し、報告書が実用的な設計を提示できたとの肯定的評価がある。
NHSは2025年に思春期抑制剤に関する臨床試験を開始し、科学的根拠に基づく対応に舵を切った
報告書は、“独立レビュー”として、ガイドラインとは異なるプロセス(専門分野から距離を置いた医学者が中立的に主導)で設計された点も強みとされている。これは利益相反や先入観の排除に資するとして評価されている。
なんやかんや人間関係ができてしまうSNSではどうにもこういう話ができなくて、匿名で話したいと思い書き記す。
まあ、ご時間帯から察するに深夜テンションだ。ノリに付き合ってくれたら助かる。
私はこう考える。平常であれば会話さえなかったであろう赤の他人にいたずらできる点だ。接点さえなかった人間にいきなり非人道的コミュニケーションを図ることができる。こういった部分は透明人間や時間停止などほかの超次元的パワーを扱うジャンルも同じと考えている。なにも最後まで至る必要はない。すれ違いざまに触るだけでもいい。とにかく雑にことに至れる点が魅力の1つだと思う。
また、1人に固執する必要がない点も魅力だと感じる。ここは派閥がわかれる部分ではあるが、催眠を用いてじっくりねっとりと精神を蝕むような作品も悪くないと思う。そういった部分に注力して描画している作品はそれはそれで魅力的な一冊に仕上がっていると思う。ただ、なんとなく1人にターゲットを絞って描いている作品は私は好きではない。せっかくの超パワーだ。たったひとりに費やすのではなく、スナック間隔で色んな人に手を出してほしい。触るだけ触って「コイツはいらない」とか無礼な扱いをしてほしい。それができるのだから。
催眠があればその人のバックボーンやディティールを簡単に深堀できる。勝手にスマホの中身だって見れるし、勝手にその人の友達にメッセージを送信することだってできる。その人のプライバシーを丸裸にだってできるし、その人の大切なものを自身で壊させることだってできる。その人を知った上で無礼な扱いができるのだ。
その漫画の魅力はなんだ。女だろ。主人公のキャラ付けにもよるが、基本竿役なんて綺麗に保つ必要なんてないのだ。どんどん悪いことをさせてほしい。超パワーを扱う理由なんてただひとつ、コミュニケーションをすっ飛ばしていたずらするためだ。そんなことをするにあたり遠慮なぞいらん。どうせ悪いことしてるんだ。
うるせえ。自力じゃ描けねぇからこうして書いてるんだ。何より自分の生み出す量じゃ限界がある。私のエゴでしかないが、催眠ものを書く全人類がこの文章に影響されてほしい。そんな思いだ。
おいおい、トランス批判の基盤となったキャス報告書を無視するのはフェアじゃないなあ
発行日:2024年4月10日、NHSイングランドが2020年に委託した独立レビューとして Hilary Cass医師が主導
対象:性別不安(gender dysphoria)やトランスジェンダー自認を持つ18歳未満の子ども・若者(および18〜25歳も新たに対象に含む)
調査手法:ヨーク大学による8件の系統的レビュー、定量・定性データ、患者・家族・専門家とのインタビューなどを総合的に評価
1.エビデンスの質が非常に低い
50件の研究をレビューした結果、質が「高」とされたのは1件のみ、中等が25件、残りは低品質。
安全性(骨発達、神経発達)や心理面への影響についても結論できないとされた
・性別適合ホルモン(cross-sex hormones):
心理面改善の証拠は限られ、健康リスクは未解明。臨床経路は慎重にすべきとされた
自認に基づく迅速な医療介入(Dutch Protocol)について、「十分な科学的根拠がないまま普及してきた」と報告。
アメリカで発展した「自己申告=治療開始」とするアプローチに対し、イングランドでは否定的評価
GIDS(Tavistock)閉鎖、新たなサービス体制へ移行。長い待機時間や偏った診療実態を改善へ
GIDS受診者には高率で精神疾患、神経発達症(自閉症等)、摂食障害を併発しているケースが多く報告されている
性自認に焦点を当てる前に、背景にあるメンタルヘルス課題への介入が不可欠とされた
英政府や英国主要政治陣(労働党のWes Streeting影響大)、およびNHS幹部は、本報告書を「政治性から自由な科学的再検討」として歓迎し、子どもの医療から政治を排除する契機として価値があると評価された
NHSの専門家チームは、報告書を新たなサービス体制の「バックボーン」として採用し、現行改革を構築する根拠としている
新制度では、性自認に特化するのではなく、心理的・社会的背景と併せて状況を総合的に評価するアプローチに転換。これに対し、Transyouth charity「Mermaids」やTheKite Trustなどは、NHSの失敗を報告書が認めた点を評価し、包括的支援の方向性に支持を示している
Tavistock GIDSの閉鎖と、新たな地域拠点型のCIDS設置(ロンドン、リバプール、ブリストルなど)に対し、報告書が実用的な設計を提示できたとの肯定的評価がある
NHSは2025年に思春期抑制剤に関する臨床試験を開始し、科学的根拠に基づく対応に舵を切った
報告書は、“独立レビュー”として、ガイドラインとは異なるプロセス(専門分野から距離を置いた医学者が中立的に主導)で設計された点も強みとして語られています。これは利益相反や先入観の排除に資するとして評価されています
1. 全体構成
本書は大きく5部構成(+序論・結論)で、古代から20世紀までの「滿洲(満洲)」地域をめぐる勢力と、その中で生まれた「満洲国」――20世紀の民族・国家発明――を一貫したストーリーとして描き出します。
第五部:滿洲國の成立とナショナル・アイデンティティの発明
2. 主要テーマ
満洲は、東アジア大陸と朝鮮半島/遼東半島の接点に位置する「低地」=外来勢力の侵入・征服が常態化した空間。そこを舞台にさまざまな遊牧・騎馬民族が王朝を興し、漢民族中心史観のタブーを破壊してきた。
高句麗→契丹(遼)→女真(金)→満洲(清)という、本書の最重要ラインをたどりながら、「遊牧文明」の政治構造と漢文化の摂取・活用の戦略を分析。
1932年に日本が擁立した傀儡政権「滿洲國」は、清帝国の「满洲支配」を近代的国家として再パッケージしたもの。人口構成に乏しい満洲人を「国家の主役」とすることで、ナショナル・アイデンティティを人工的に発明したプロジェクトとして読み解く。
教育・宣伝・儀式(皇帝崇拝、民族衣装)・歴史教科書の改編などを通じ、他地域・他民族を排除し「満洲人」を想像上の共同体として形成するプロセスを詳細に追跡。
3. 各章の論点
序論満洲を地理的に定義し、「窪地」としての脆弱性と、逆に「征服の空間」としての魅力を提示。
第一部(高句麗→契丹)高句麗の辺境国家性を論じ、契丹(遼)による五代十国期の北方統一王朝成立過程を、モンゴル草原勢力との関係から分析。
第二部(女真→金)女真人が「女真語・契丹文」を駆使し、漢文化と遊牧文明をハイブリッド化して金朝を建設する政治戦略を解剖。
第三部(清帝国)満洲人(女真系)の支配エリートが、科挙や儒教を吸収しつつ「満洲旗制度」で特権階級を維持。清の多民族統合メカニズム。
第四部(近代の再定義)日露戦争後、清帝国が「満洲」を失い始める中で、列強による分割的支配と漢民族的ナショナリズムの台頭を並列で検証。
第五部(滿洲國)満洲国の建国イデオロギー(皇帝溥儀の再起用、五族協和)、憲法制定、教育制度、国家祭儀など「民族発明」の実践面を詳細に描写。
結論 「満洲」という地域・イデオロギー・民族カテゴリーが東アジア秩序に果たした役割を総括し、「諸夏主義」の視座へ橋渡し。
「中国=漢民族国家」という前提を覆し、満洲を起点に東アジア史を再構築することで、脱中華・多文明圏論の理論的骨格を補強。
ナショナル・アイデンティティ研究への貢献
「満洲人」という少数民族的主体がいかにして国民国家の主体と見なされたか、「民族発明」のプロセスを具体的に示し、人類学的・歴史学的に示唆を与える。
内モンゴル・チベット・ウイグルなど「非漢族地域」のナショナル・ムーブメントに対する理論的バックボーンを提供するほか、地域分権・多元連合の可能性を歴史的事例を通じて描く。
《中國窪地》が「満洲国」建国プロジェクトを単なる「日本の傀儡政権」として批判するだけでなく、そこに内在する「民族発明」の構造を解明し、東アジアのナショナル・ヒストリーを俯瞰する視座を与える重要著作です。
https://anond.hatelabo.jp/20250727122739
項目 劉仲敬の特徴反中言論人(日本・台湾・香港・米国)との違い 相性・補完性
思想的深さ・視点歴史的文明圏論、多民族多元連合体「諸夏主義」重視。単なる政治対立を超えた根源的構造分析。 多くは政治・安全保障、人権、経済的現実問題を中心に議論。歴史文明論は浅め。 劉の深層分析は反中言論の理論的補強になるが、専門的すぎて一般には難解。
対中理解の複雑さ中国を多元的・多民族的に理解し、「大中華主義」への批判が中核。中国を一枚岩的に「脅威」「敵」として捉える傾向が強い。 劉の多面的理解は、単純化しがちな反中論にバランスを与える補完的役割。
政治的スタンス中央集権的中国体制の解体や分散自治を理論的に支持。国家主権の擁護、民主主義や自由の防衛を最優先し、現実的安全保障を重視。方向性は共通点多いが、劉は思想的根本からの変革を目指すため、即応的政策とはズレる。
言論スタイル・トーン学術的で理論的、やや難解。思想的な枠組みを重視。感情的、実践的、政治的に切迫感を持つ言論が多い。相互補完的だが、劉の思想は一般大衆向けには敷居が高い。
対象読者・影響範囲知識層・思想層や特定の専門家に影響力が強い。 広い大衆や政策決定者、国際社会に向けた発信が多い。 劉の理論は反中言論のバックボーンとして有効だが、直接的な大衆動員には向かない。
国際的視点東アジア・多文明圏の長期的多元秩序を志向。国際政治の現実的なパワーゲーム、同盟関係や地政学重視。 補完関係が強いが、劉はより長期的で理想的な多元共存を目指す傾向。
まとめ
劉仲敬は思想的に深く、多文明圏や歴史の長期的視点から中国問題を分析し、単純な対立を超えた理論的枠組みを提供。
日本・台湾・香港・米国の反中言論人は、より現実的かつ政治的・安全保障的な問題に焦点を当てることが多い。
相性としては、劉の思想は反中言論の理論的補強や視点の多様化に寄与し、知識的な補完関係にある。
他人のことを「頭が悪い」という人って、自分自身はある程度頭が悪くないと自認していると思うのだが、その前提こそ己の頭の悪さを露呈しているのではないか。
あいつらはバカだと言って切り捨てるのは、それらの理解を諦めるということで、それは頭の良い人間がやる行為だろうか?
他人に対して頭が悪いとシンプルに言えてしまう人間も、排外主義やトランスヘイトに賛同する人間も、相手側に対しての知識や理解の量が足りないのだと思う。
おそらくきっと、そういう他人が身近な仲の良い存在として全くいないか少人数しかいない&そのバックボーンを知らない。
まああるいは、知ろうとしない。
人間同士が必ずしも理解し合えるとは全く思わないが、身近に実在している人物を思い出すことで、口から出なくなる言葉というものはある。
また、知識として頭では知っていたとて、目の前にいる人間が実際に起こす行動で驚くこともたくさんある。
色んな土地に友人が増えると、自然災害などの時にその人を思い出して今までより親身にその土地を心配したりもする。
そして、人間と1人1人接していくうちに、全く同じ人間などいないことがわかってくるだろう。
同じ属性を持っていたとしても、まとめてひとくくりにして叩ける集団は無い。
ぶっちゃけどの集団にもインテリもいれば馬鹿もクズもいて、というか人間の大半は馬鹿だと思うので、正直「あいつらは馬鹿だ」という言説って何も言ってないのと同じじゃね?と思うわけ。
右派も左派も女性も男性も老人も若者も外国人労働者も障害者もLGBTQ+も何でも全部一枚岩なわけないじゃん。
レッテル貼って頭の中で仮想敵作って叩く前に、その具体的で複雑性のある個別事例のそれぞれをちゃんと足を使って目で見て耳で聞きなよ。
相手側のことをウニャウニャ言ってる人多いけどそれは本当に相手に聞いたんですか?あなたの妄想じゃないですか?
児童ポルノ問題、にくっついてくる非実在児童が登場するポルノ漫画問題で時々ネット上が騒がしくなってるとき、俺はただただ静観してる。理由はなく単にどんな話題でもネット上では議論しない人間なだけ。
だからどういう議論が為されているかは実はよく分かってないんだけれど、ポルノに批判的な立場の人間にしろ擁護的な立場の人間にしろ、想定してるポルノ漫画の読者層に俺みたいなヤツって全然入ってなさそうだなーって気はしてる。
それでちょっぴり疎外感を感じたりもするから、こういう人間もいますよーって自己主張、というよりただひたすら長いだけの自分語りが以下延々と続くよ。注意はしたからね。
よくある話、なのかはBL好きな友達少ないから分からないけど、全寮制男子校モノの商業BLコミックを少女漫画だと勘違いして手にとったのが、まずBLとの最初の出会い。高校の卒業式前、暇過ぎてブックオフに入り浸ってた時期。
この時点では俺はまだ完全にはゲイを自認してない。ゲイだと認めたくないみたいな否定的な感情はそれほどなくて、野郎のマッチョな肉体とチンチンにはすこぶる興味あったしオカズにもしていたけれど(完成されたマッチョが好みだったので高校の同級生をそういう目で見るとかはなかった、体育教師はそういう目で見てた)、
そんな野郎と恋がしたいとかセックスしたいみたいな欲求は全く湧き上がってこなくて、ただ街ゆくタイプの成人男性を脳内保存して妄想のオカズにするだけ。
なんか中途半端だなー、これゲイってことでいいん……だよな?みたいな戸惑いがほんのりあった。
俺は大事なこともひたすら先延ばしにする性分で、この件も特に実害はないため一旦保留。
その後もポルノ中心の性生活は続き、実在の男性とセックスに至ったのはそこから10年も後の話。想像以上に気持ち良かったけど、無いなら無いでも別にいっかなーって優先順位なのは、それなりに経験を重ねた今も変わらず。
この心持ちは地方暮らしで頻繁にゲイとの出会いがあるわけではないのも多少は影響してそうだけど、仮に東京に住んでたとしても盛り場ではお仲間との他愛もないおしゃべりを楽しむだけで、帰宅後ひとりポルノと妄想で慰めてる方が俺の人生っぽいかなって気はする。
補足でだいぶ話が逸れてしまったや。
そんな性欲強め?ながら妄想で自由に羽ばたく自慰オンリーの性生活してた俺が、妄想の権化たるBL世界を知ったため、BLをオカズにするゲイ(多分)が爆誕した。
そのまま熱中して地元のブックオフのBLコーナーを端から端まで漁りに漁り、漁りきったあとはそこそこ都会な隣県のブックオフまで遠征したところ、当時はBLレーベルからも単行本を少し出してた田亀源五郎先生を始めとするガチムチ系BLとの運命の出会いを果たし、ついでにショタ系BLとも出会ったって流れになる。
この通り俺はマッチョ好きでショタ専のゲイではないし、実在の未成年をそういう目で見たこともない。
ショタ系BLもショタ系ゲイポルノ漫画も、読んだ作品数はガチ嗜好の人たちほどは多くないと思う。
ただ妄想の中での俺は時々ショタになっている。いたいけな少年になり、インモラルな成人男性と何やかんやあって男性のチンチンを尻に受け入れ、才能を開花させセックス狂いになる。現実の俺は身長180を超える腹の出たアラフォーゲイだけど。
やっぱり心のどこかで、セックスが無くても問題ない生活より、セックスしたくてしたくてたまらないセックス中心のゲイ生活も、しんどいこと多そうだけど楽しそうだな、羨ましいなって気持ちがあるんだと思う。
そこでどうして自分がショタに戻って大人にセックス仕込まれる妄想をする必要があるのかは、自分でも良く分からない。
恋愛イベントにはそこまで憧れてないし、それなりに楽しく青春やれてたから性愛以外のリベンジ願望も無い、って理由もある……のかな?
受け身で快楽だけ浴びるほど享受したい、しかも思春期突入後最速でという俺の欲望の、依代としてのショタというか。
とあるショタポルノ作家さんの作品が、ショタに手を出す野郎共は多種多彩な容姿とバックボーンなのに、肝心のショタがやや没個性なキャラクターとデザインなのは、俺みたいな読者の依代願望に応えてのあえての没個性なのでは?と推測してる。記号としてのショタ。
俺はショタもの読むことを公言してなくて読者同士の横の繋がりもないから、これもまたただの妄想かも知れないけど。
とにかく、俺はショタの心身でマジカルチンポにメロメロになり、セックス街道まっしぐらな人生の妄想を何度も何度もしてしまう。そんな妄想の触媒としての、ショタ系ゲイポルノ漫画のライブラリー。
万引きがバレたコンビニで通報しない交換条件として店員に性交渉を提示されて受け入れるこの少年は、俺。
セクシーなパンイチ自撮りをSNSにあげて、チヤホヤしてくれた見ず知らずの成人フォロワーとうっかりリアルで会う約束しちゃう少年も、俺。
はー俺って俺のこと大好きじゃん、自己愛キッショ。嘘、キショくない、大好き。
だからもし非実在児童のポルノ漫画が無くなったら、悲しいは悲しいし、無くなっていい世の中になった!って嘯いてる連中がいたらぶん殴りたくもなるけど、俺は俺のこと大好きだから、ぶん殴らないし、ちょっとだけ前より色褪せた妄想の世界にまた逃げ込むだけ、それだけ。
お前のお気持ちなんて知らねーんだよ
票に何も書かないことが私の意思表示です
バーーーーーーーーーーーーカ
どれだけ投票率が低くてもその投票で多数を取った奴が勝つルールなら
誰かに投票しないって行為はイコールで多数派に"賛成"なんだよ
お前の意思なんかイチミリも介在するところなく、お前の票は多数派の味方なんだよ
間接民主制舐めんなって
間接民主制に参加したいなら、お前は誰かを選ぶ義務があるんだよ
びちゃびちゃうんこ、コーン入りうんこ、カチカチうんこ、血が付いたうんこ
しかなかったとしても、その中で一番マシなうんこを選ぶ義務がある
選ばないってことは参加しないってこと、ならまだしも、
甘ったれんな
お前が白票を投じたところで誰も気にしない
誰も今の政治は期待されてないんだななんて思わない
少なくとも現行の選挙制度ではそうなってない
一番マシなやつを"選べ"
けど、そんな人って世の中にたくさんいるし今更だよなあ
いやでもあの人はかなり悪質だったと思う
そんな嘘つくと皆思わないよね
騙されたと気づいたのは22年前だ、いい勉強代になった、あれで疑うことを覚えた
が、今の疑いの目をもってすら、真偽判定は結構難しいんじゃないかと思う
もっとあからさまに胡散臭いとか、バックボーンがないとか、芸人とか、インフルエンサーならともかく
著書も大量にあるしテレビにも昔はめちゃくちゃ出てた
講座も、頑張って訴えてギリ勝てないんじゃないかくらいのグレーラインでやってたからむずいんだよな
てかあの土日の2日間の講座、30人くらい居て1人10万くらいだから、2日で売上300万か
安いんだよね経歴に比して
謎すぎるなあ
案外、本人は良かれと思ってやってる説あるんだよな
結局1人としてスキルはついてなかったけど
無理やりできた判定として紙に書かせてたんだよね、あれを元に「◯%が効果を実感」みたいにしてるんだからきつい
しかも8割の参加者はその無理やりできた判定させたもので「できました!先生!できました!」みたいな空気だった、霊感商法かと疑ったもんね
こういう「できた判定の曖昧さ」を多用してるんだよねこの人、「◯◯術」「◯◯法」みたいな
頭もいいし詐欺師の才能もあるみたいな
しかしテレビにも出てて本も売っててなんで講座をやる必要があったんだろうか
まあ、もう76歳か、今更どうでもいいいな
午前5時、台所で朝飯(**朝からカップラーメン**というのもワイ的スタイルでいいのよね)中に母親が乱入してきて、まぁそれはいいとして、米買いに行っとくれと。「はい、お安い御用で!」とまでは、よかったんだけど、母親が「**小泉さんのおかげで米が安く買えるようになった。ありがたや」**とかいう妄言を吐き出したんですね。いや、コレ、相当な妄言ですぜ、これ。『N家母の妄言集』に掲載決定モノですよ。はい。**N家の恥**なんでオフレコでおねげーしやす。
いや、**小泉のおかげ**って……、あんなの**タダのボンボン**やないですか。前任者の「失言」がきっかけである失脚により、農水省大臣に就任した小泉進次郎(要領の良さだけは一丁前だね!)ですが、彼の今は**亡き父親は確かに首相経験者**であり、進次郎氏は「**世襲議員**」であるわけで。主観的な表現で申し訳ありませんが、はっきり言って「**親の七光り**」を受けた「**ボンボン**」に過ぎないんですよね。
もっとも、進次郎クンにもそれなりに実力というのはあるのかもしれませんね。でも彼の今は亡き父親のバックボーンなしには、たぶん今の地位に上り詰めることはなかったと思います。日本の人口を1億人として、そのうち国政議員は衆参合わせて1000人もいない。要は国政議員なんて10万人に1人のオーダーなんですよ。進次郎クンは本当に**政治家として「10万人に1人」の逸材か**、と言われると疑問が残るんですよね。「世襲」という、未だに世にはびこる**「バイアス」**は二十一世紀の今後に向けて断絶していかなければならないと私は感じています。
それにしても**猛言メーカーの我が母**。松本サリン事件のとき発生源の家主の方であるKさん(化学実験などを趣味としていましたよね。結局麻原彰晃率いる「オウム真理教」が犯人だったんですけど)が疑われたとなんぞ**「李下に冠正さず」**とか言いはったのは、30年前の今でも覚えとるで(笑)。当時ワイは小学校6年か中学1年ぐらいでさ、そんな難しい言い回しを知ってしまった。いや、Kさんもある意味というか立派な被害者なのによ(Kさん一家も事件の被害者。Kさんの妻には今でも後遺症が残っているとか)。しかし、**妄想メーカーの子が子ならば、妄言メーカーの親も親**ってか?
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★セルダンは二重盲検化:第一はAI の指示通り動くが第二の存在を知らず、第二はプラン修正権を持つが第一に正体を明かさない。
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| 危機 | 年代 | 現象 | AI 的解法 |
| ①地政学的孤立 | +50 年 | 周囲の星系連合がターミナスを封鎖 | Vault が“無償エネルギーパック”を開示し、技術外交で包囲網を内側から買収 |
| ②宗教戦争 | +120 年 | 技術教団 vs在来宗教 | HRI(Human-Robot Interaction)を宗教儀式に組み込み、ソフト統合 |
| ③商業覇権闘争 | +155 年 | 豪商連合が政治を掌握 | 予測市場AI で為替を操作し覇権をソフトランディング |
| ④統合帝政の台頭 | +250 年 | 周辺超大国が軍事侵攻 | フォン・ノイマン艦隊 (自律ドローン) で非致死的拒止 |
| ⑤情報分断 | +270 年 | 銀河ネットの断絶 | 量子中継衛星“Anselm”網で独自バックボーンを建設 |
すべてPrimeRadiant の長期マルチエージェント・シミュレーションで織り込み済み。
危機を越えるたび、ファウンデーションの計算密度は指数的に向上し、銀河文化のコアがゆっくりと移動する。
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って流れらしい。
2016年11月、ハリー・リードの退任を受け、民主党の連邦上院院内総務に選出された[5]。ニューヨーカーならびにユダヤ系アメリカ人が連邦院内総務に就任するのはこれが初めてである。
私はイスラエルとアメリカの二重国籍を持っています。イスラエルで生まれ育ち、1969年にアメリカに移住しました。私は誇りを持ってイスラエル軍に勤務しました。そして、私はユダヤ人です。
イスラエル軍にいたことが誇りなのかと言われていたが、これは良いんじゃないか。
(米国国内で反ユダヤの事件が増加しているという調査を受けて)ユダヤ人にとってこれが困難な時期であることは言うまでもありません。そして、あなたが行ったような発言は事態を悪化させるだけです。ハリウッドの監督が「現在、私たちはユダヤ性とホロコーストが、10月7日のイスラエルの犠牲者やガザでの継続的な攻撃など、多くの罪のない人々の紛争につながった占領によって乗っ取られたことを否定する男性として立っている」というような発言を聞くのは―それがいかに不快であっても―一つのことです。しかし、アメリカ政府で最も高位のユダヤ人選出公職者であり、世界で最も大きなユダヤ人集中地域の一つを選挙区とする米国上院議員からイスラエルに対する厳しい批判を聞くのは全く別のことです。さらに悪いことに、あなたの言うことに従わない限り、アメリカの支援を差し控えるべきだと示唆することでイスラエルの民主的プロセスに干渉しようとするのを聞くのは失望です。
一個人が言うのと特別な立場にいる政治家が言うのは重みが違うぜってのは分からんでもない。
そんなことが絶対に起きないことを願いますが、もしあなたの親族の一人が10月7日にハマスによってイスラエル人のように殺されたら、あなたは何を言うでしょうか―あるいは、決してあってはならないことですが、あなたの家族の一員が人質として捕らえられ、5か月以上も非人道的な状況で拘束されたり、拘束中に殺されたりしたら。もしあなたやあなたの家族がイスラエルに住み、これらのテロリストからの理不尽なミサイル攻撃や襲撃を受けていたら、あなたは最近とった立場と同じ立場をとるか、同じ言葉を発するでしょうか。
アメリカ生まれの奴に実際殺されてきた人間の気持ちは分かんねーよムーブ。
停戦に関するあなたの発言は、イスラエルを悪者に見せています。再び、あなたは事実を無視しています:ニューヨーク・タイムズや他のメディアは2月27日にハマスが停戦提案を拒否したと報じました。その記事のニューヨーク・タイムズの見出しは「ハマスが停戦提案を拒否、バイデンの近期合意への希望を打ち砕く」でした。
(中略)
ハマスに関する神話を終わらせるべきです。彼らはパレスチナ人の保護者ではありません。ハマスは何年もの間、ガザを残虐な全体主義的支配下に置いてきました。彼らは自分たちが代表すると主張する人々に、ガザの人々、ガザの家族、ガザの子供たちへの配慮なしにこの戦争を強いました。彼らは罪のないパレスチナの民間人の背後に隠れ、彼らを人間の盾として使用します。ハマスは燃料、水、食料を貯蔵し、ガザの民間人は苦しんでいます。彼らはこの戦争が引き起こすと知っていた苦痛を利用しています。この戦争で殺された人々、パレスチナ人もイスラエル人も、その血はハマスの手にあります。
ハマスは平和を望んでいません。ハマスはユダヤ人の死と民主的なイスラエル国家の死を望んでいます。彼らは根本的に二国家解決策に反対しており、私はこれこそがこの地域に平和をもたらす唯一の方法だと信じています。
イスラエルはハマスの死を望んでいるし、この辺は双方根絶やしにするしかないんちゃうか。
ユダヤ教徒が迫害されている時に何言うてんねん位は言う資格ある、と俺は思った。
しかし、ハマスが人間の盾を実行して停戦を拒んでいるとはいえ、実際に虐殺していることに関しては触れていない。
かなり気を使った文章なんだろうけどイスラエルサイドに寄り過ぎ。
監督降板の必要は無いがイスラエル人とパレスチナ人の間に平和が来ることは当分ないんだろうな~。
https://www.thewrap.com/avi-arad-denounces-chuck-schumer-netanyahu-speech/
たとえば高校物理で音波を伝達する空気の密度を導出する際に微分が出てくる。
私はここで引っかかってしまう。
微分が使えるということはここでは密度の(関係)式がどんなスケールでも保存されるという前提があるはずだ。
微分というか極限はそういうフラクタル的な(稠密性の方がいいか?)性質を要請するものだ。
しかし空気はひとつながりの、一枚岩のような物体ではなく最小単位を持った物体であり、また一定スケール以下では量子的な世界の存在になってしまう。
だとするとあらゆるスケールで密度の式が同じとは無条件に言えるものではなく、証明を要する事実なのではないか。
端的に言えば、あるスケール以下では、たとえばその空気の分子と分子の間隔の平均を圧倒的に下回るスケールでは、質量÷体積の、質量の方が0になるのが当然という状況になっているのではないか。
ようするにある地点を中心として空気を囲った体積による平均密度の、その体積を連続的に小さくしていったときの変化のグラフに、原点以外でも不連続な箇所が生じてしまっているのではないかということだ。
もし本当にそうなら微分は使えない。
この「何も説明しない(暗黙とは違う?)」という形での天下り式での解説に、学習者はどう対峙すればいいのか。
何も説明しなくても自分でその妥当性が納得できるでしょうという期待をされていると楽観的にとるべきか。
そういう高校物理レベルのことが最先端だった時代の当時の科学者なら、自力で「ここは確かに微分でも構わない」と納得していたかもしれない。
つまり現代のカリキュラムとして物理を学んでいる人と、それが最先端だったときの科学者としては、積み上げているものが違うのだ。
たとえ昔の人でも当時の科学者はそれまでも演繹的に増やしていった知見をバックボーンとして備えたうえで臨んでいるわけだから、そういう判断に関して、現代の高校生にはない、ある種のセンスがあると思う。
良い意味でも「悪い意味でも」カリキュラムとして再構築されたものを勉強している学生の知識の積み重ねというのはある意味で不自然な(時系列として変な)積み重なり方をしていて、当時の学者と同レベルの事実の真偽を判断するのは難しいことがあると思う。
天下り式はよくないと思う
こういった問題は他の事にも言えて、ピタゴラスの定理に対する習いたてで証明を追わさたが「まあ別に難しくはなかった」とか言ってるような中学生と、当時のピタゴラス本人(正確にはピタゴラス学派の誰か)とでは、その定理に対する理解の深さが全然違うだろうとか思う。
0の概念すらないものの自然な学問的研鑽の帰結として自力でその定理にたどり着いた者と、再構築されたカリキュラムで小学生のころから近道を走らされその定理を知ったものとでは、やはりバックボーンの質の高さというものが違うから。
米中対立というのが軸としてある。
その対立には実際の武力行使というオプションまで含まれている。
そのような状況下ではロシアをフリーにして中国と強力にタッグを組ませるなどというのは論外。
例えば、米中で比べれば核兵器の数などは圧倒的に米国のほうが多い。
しかし、そこにロシアの核兵器が中国陣営のものとなるなら米国は負けてしまう。
このような現象はあらゆるところで発生するだろう。
中国が中国単独であるか?それともロシアと強力な関係を結んでいるか?
それによって米中の対立のパワーバランスの行方は大きく左右される。
例えば、台湾で紛争が起きた場合にもロシアがあからさまに中国の味方であるような状況を変化させねばならない。
そのためにはヨーロッパとの強力な同盟関係を捨てでもロシアとの関係の修復に向かわなければならない。
そのような考え方がバックボーンとして存在している可能性が高い。
たとえヨーロッパとの米国に外交的距離ができたとしても、それで中国と欧州が軍事的に協力関係を結ぶようなことは考えられない。
また欧州の民主主義は中国のような一党独裁制とは相容れないものだ。
経済的に依存するようになっても、中国が台湾に侵攻すれば態度を硬化させるだろう。
あいつら放っておいても米中対立の際に中国側にべったりと張り付くようなことはない。
という読みだ。
プレスバックボーンフレームとモノコックフレームは、似ている部分もありますが、厳密には異なる構造です。それぞれの特徴を簡単に説明します。
車体の中央に背骨(バックボーン)のような太いフレームが一本通っており、エンジンやサスペンションなどがこのフレームに取り付けられます。
プレス成形された金属板を溶接して作られるものが多く、比較的安価に製造できます。
外板(ボディ)自体が強度部材として機能し、フレームとボディが一体化しています。
複雑な形状の部品をプレス成形や溶接などで組み合わせるため、製造には高度な技術が必要です。
プレスバックボーンフレームは、あくまでもフレーム構造の一つであり、モノコックフレームはフレームとボディが一体化した構造である点が異なります。
プレスバックボーンフレームは、比較的シンプルな構造であるのに対し、モノコックフレームは複雑な構造です。
filmarksでは3.8とか3.9とかある。
10人の罪人が無罪と引き換えに決死隊として砦を守らされる話。
この設定の時点でキモは「散りゆく罪人たちのエモ&アクション」だと思うじゃん?
登場するあらゆる人物の描き込みが一切ないからマジで感情移入できない。
イケメン、ジジイ、医学生、知恵遅れ、卑怯者、賭博狂い、熱血武士、キチガイ、女
っていう看板が立ってるだけ、数えたら2人も足りねぇし。
悪役すらキャラは立ってても、バックボーンがペラペラで最後のお仕置きも悲壮感ゼロ。
お前のせいで死んでいった奴らが報われないから今すぐ腹切って死ね。
褒められてるアクションシーンだって「令和の時代にこれやれるなんてすごいね~」程度で、
バカ「火薬の量が多くて迫力がすごい!」 昭和じゃねーんだぞバカ。
展開は唯一褒めてもよかったかな。
罪人じゃなかった知恵遅れが死刑にされかけてた山田孝之を兄と勘違いして救出しに来た結果一緒に砦送りに。
知恵遅れはたまたま花火職人の息子で、たまたま砦には大量の花火が備蓄されていて、
たまたま砦の近くには油田があったので主人公チームは高火力兵器を手に入れられたのだった。
やったぜ。
この展開を目の当たりにした俺は感動し涙を流した。
それ以外、マジで褒めるところほぼなかったんだけどこれに☆4とか5つけてる奴はどうしちゃったんだ?
私は今年40歳になる、アラフォーど真ん中の、自他ともに認めるおじさんだ。
昨年9月、軽い気持ちで観始めたtimeleszプロジェクトだったが、先日迎えた最終回は、2月に入ったあたりか、死ぬほど気になってしまい、仕事もロクに手につかず仕舞い。
挙句の果てには、「仕事が終わらなかったので、午前中だけ在宅仕事をさせてくれ」と半分嘘の(といっても、もう半分は本当に仕事が終わっていなかった、ということもあるが)理由を作り、家族で出かけるはずだった予定をキャンセルし、書斎に籠もって配信開始となった午前10時に視聴を開始した。
何故か、この思いを言語化し、誰かの目に少しでも触れてもらい、共感してもらいたい、と感じ、増田に書き殴ることにした。
特に誰かを傷つけたり、攻撃をする意図は全くないが、もし傷つく方がいたら予めお詫びさせていただきたい。申し訳ありません。
ちなみに私は、今まで特に旧J社(便宜上、このように記載させていただく)のアーティストにドハマリしたことはないが、同じ世代の男性であれば、おおよそ共感していただける距離感で、触れていた…というレベルだと思っている。
世代としてはSMAP、V6、TOKIO、KinKiKidsあたりがドンピシャの世代で、それぞれのグループの代表的なシングル曲はカラオケで歌えるが、アルバム収録曲になると疎い…くらいのレベル感。
SMAPのらいおんハートや、TOKIOのDRなんかは、中学の時に楽器の練習で弾いたりもしていた。
テレビ番組であれば、スマスマを観たり、学校へ行こうを観たり、鉄腕DASHを観たり、それぞれが単独で出演しているドラマも勿論観ている。
未だに、長瀬智也のIWGPやタイガー&ドラゴンは定期的に見返してしまうし、木村拓哉の、ドラマはなんとなく観てしまう。堂本剛の金田一一が最高。
ただ、嵐くらい以降に結成されたグループは、殆ど触れていない。
例えば、「このグループのこのメンバーが出演しているから」という理由で、摂取するコンテンツを、顕在的に選んだりもしていない。
ここは私個人の環境・考え方もあるが、思春期での私のまわりには「Jオタク=厄介」という考えを持った友人が多く、私もまたそのように感じ、Jオタと呼ばれる方を一括りで嫌悪し、大元のグループに対しても、意識的に遠ざけていたように思う。
その為、timeleszの前身となっていた、SexyZoneも全く触れてない。
今思えば、デビュー曲のサビは、まぁどこかで聴いたことくらいはあったな、程度のものだし、特にメンバーの休業や変遷などは、全く知らなかったし、興味もなかった。
中島健人はバラエティに出ては「セクシーセクシー」言ってる人。菊池風磨は顔が整ってるのに中島健人とくらべるとスカして前に出てこない印象だけど、ここ最近は割り切って洗濯大名とかやってんのかな、くらい。あとメンバーいたんだっけ?と。
そんな私が番組視聴をしたきっかけは、Twitterで流れてきた「菊池風磨構文」だった。
その部分だけ切り取られていたので、「嫌な言い方するなぁ」と思ったのを覚えている。と、同時に、こんなこと言われてしまった方もかわいそうだな、とも思った。
どういったシチュエーションでそんなことを言ったのか、言われたのか、ちょっと観てみようかな、がきっかけとなった。(実際のやりとりは主題ではないので割愛する)
タイプロ配信のep1でもある二次審査は、色々な職業の人が応募してきてるんだな、ぐらいのもので、この先観続けるか、と聞かれたら特に考えていなかった。まぁ、新しいエピソードがいくつか配信されたら、倍速でいくつかまとめて視聴するか、くらいの気概でいたし、実際三次審査が終わるまでは、配信開始日から何日か空いて視聴、ということもザラだった。
ちなみに三次時点での推しは、日野健太くん。歌唱力は群を抜いていたな、と今でも感じる。
明確に興味を惹かれたのは、四次審査だった。
「ここにきてのシード制とかwww」と、観ながら草生やしていたが、彼らのパフォーマンスをみて、一般応募の候補生との尋常ではない差を感じた。なんなら全員駆逐されてしまうのではないか、とも思った。
後々の配信や会話で、「急な振り入れなんかは腐るほどやってきた」と寺西くん、原嘉孝が言っていたが、まさに過去どれだけ努力していたか、尋常ならざる積み重ねがあったのかを、初めて見せつけられた。
今思えば、こういった振り入れや、ボイトレも含めた練習風景を観ることが今までになく、私が「ルックスがいい人たちがちょこちょこっと練習してるくらいだろう」と無意識的に偏見持っていたのだと私自身に突き付けられ、打ち壊された気がした。
寺西くん、原嘉孝を観ていて惹きつけられたのはそれだけではなく、「一つの作品を作るための姿勢や考え方」だ。
個人的な観点ではあるが、三次審査と四次審査の完成度は、明らかに別物だった。
三次までは、オリジナルメンバーの風磨くん、勝利くん、聡ちゃんや、NOSUKE先生、宮本先生の『選定する側』から伝える教示だけだったが、俳優部の面々が『選定される側』に入り、その経験を共有することで、レベルの引き上げにつながったのではないか、と。
また、あれだけ体のキレのレベルが高く、風磨くんに「嫉妬するくらいうまい」とまで言わしめた寺西くんが、なぜ今までアイドル業で日の目をあびれなかったのか。
原嘉孝のストイックなパフォーマンスを、なぜ今まで眠らせていたのか疑問になり、バックボーンを調べたりもした。原嘉孝は、連帯責任、の一言でグループが無くなってしまったという無念も背負っているようにも思えた。
兎にも角にも四次審査は、そのダンスパフォーマンスの激しさ、激しい動きをしながらの統一性と歌唱の維持に、大いに惹かれた。
これだけ動いて歌うのかと。
話は逸れるが、個人的なイメージとして、「LDH系はダンサーとボーカルを切り分けることで、比類ない激しいダンスパフォーマンスができる」「旧J系は、あくまで歌もダンスも同時にやらなきゃいけないから、ダンスは少し落ち着き目」とおもっていた。が、人生遊戯、ライネク、パープルレインでそれが覆された。
そして思ったのは、単純に「かっこいいな」と。
四次からは、配信日、配信翌日には必ず視聴していた。四次くらいからフォーカスされる人間も絞られてきていたので、感情移入することも少なくなかった。
日野くんは落ちてしまったが、みんな頑張れ、と、往年のベジータのような心持ちで視聴した。
五次のプロデュース審査は、最終回を含め、全編通しても一番心に残っているし、五次審査を通過した8人全員新メンバーにしてくれ、と2月1日から最終回までの二週間、ずっと思っていた。
特に私が心打たれたのは、『革命のDancing' Night』だ。
Intro部分で、右手を上げながらカメラ目線で微笑む路己くんに射抜かれてしまった。
その回は本編だけでも10回以上視聴してるし曲部分だけなら30回以上、つべに上がってからは、毎日5回ずつくらいリピートしている。
『SWEET』『New phase』も素晴らしい仕上がりだったが、『革命〜』は頭一つ抜けていたように思う。
光一くんのアドバイスした、「どれだけ余計なものを削ぎ落とすか」ということがとてもいい方向に働いていたのかもしれない。ほかチームと比べると、明らかに『そぎ落とした先にある美しいもの』が見えた気がしたパフォーマンスだった。
またNOSUKE先生が言語化してくれた『最初から最後まで、ずっとワクワクするパフォーマンスだった。あっという間に終わってしまった』が、私の感じていたことを的確に表す内容だったので、とても驚いたことを覚えている。
六次、最終審査の結果に関しては、やはり思うことも少なくはない。
ただ、木村くんが、襲来した時に風磨くんが言っていた「既存メンバー三人とのバランス」ということを考えると、非常に納得が行く結果だと、私は思う。
私個人の感想としては寺西くん、原嘉孝が、まずは、報われない結果にはならなかったことが一番良かった。彼らが涙したとき、これまで触れてこなかったおじさんがもらい泣きした。長く同じ事務所で踏ん張ってきた経験がこれからとても活きるかと思うと、とてもワクワクする。
社会人経験を経て入所した橋本くん、猪俣くんも、その経験を活かして、末永く頑張ってほしいと思う。
最後に、このようなワクワクするスキームを、余す所なくコンテンツ化してくれたタイプロチームには、改めてお礼を申し上げたい。
若い人たちのがむしゃらな姿を見て、人生の折り返しが近いおじさんも、まだ頑張ろうかな、と思えた。
この増田は、その決意表明をしたかったのかもな、と他人事のように思う。
私と同じように、ただなんとなくアイドルのオーディション…というだけで敬遠してる同世代の方がいれば、是非一度視聴をお勧めしたい。
一般社会で光を浴びている方も、日の目を浴びず苦しんでいる方も、もうつぶしの効かない年齢に差し掛かり、得も言われない不安を抱える方も、明日を生きる活力にしてほしいと切に願う。
ただ、欲を言えば、勝利くんプロデュースのボーイズグループデビューまでをコンテンツ化していただけないだろうか。
『革命のDancing Night』で撃ち抜かれたのはメンバーのパフォーマンスだけでなく、この完成度まで引き上げたプロデューサーの手腕である。
都合のいいことに、もうすでにある程度まで磨かれ、光り始めている人材がいるではないか。
この宝石たちを、佐藤勝利はどのようにカットし、研磨をするのか。
そんな形のない夢を見ながら、明日もまた仕事が控えているおじさんは、そろそろ寝なければと思う午前3時。
駄文、長文、誤字脱字、お目汚し失礼。
最後に。