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2025-03-28

機械仕掛け文学昆虫たち 〜ある文体マニアAI小説観察記〜

諸君、私がAI小説なるものと初めて出くわしたのは、ある雨の降りしきる午後のことだった。私の叔父アガサス・ウィンプルトン・フォーブス文学界では「老いぼれの鷹」として知られ、批評家たちからは「あの忌々しい老いぼれ」と呼ばれている)が私に一束の印刷物押し付けてきたのだ。

「これを読んでみたまえ、若きバーティ」と彼は言った。声にはイモリを観察する博物学者のような好奇心が漂っていた。「人工知能とやらが書いた小説らしいのだ。まったく、世も末じゃよ」

その時の私の反応は、鮮やかな紫色ネクタイを締めた従兄弟を見た叔母アガサのそれに近かった。つまり、眉をへの字に曲げて「いったい何をお考えで?」という表情だ。しか叔父の蔵書室から逃げ出す手段は見当たらなかったので、私は言われるがままに一ページめくった。

Whatho! これが噂のAI小説というやつか。

読み始めて五分と経たぬうちに、私は自分がなんともぎこちない人形劇を見せられているような気分に陥った。言葉は確かに英語(あるいは日本語)で書かれている。文法的にも正確だ。しかし全体を包む雰囲気には、カクテルパーティーで突然「1924年のS and P500の株価変動について議論しましょう」と切り出す男のような居心地の悪さがあった。

ところで読者諸君、ここで私が申し上げたいのは、このAI小説が「内容的に」退屈だったという話ではない。むしろ問題はその文体——いや、文体の欠如と言うべきか——にあったのだ。

ご存知の通り、私はかなりの文体マニアであるジェーン・オースティンの流麗な皮肉ヘミングウェイの素っ気ない簡潔さ、あるいはプルーストの果てしない内省——これらは私にとって、マティーニオリーブを浮かべるように小説に不可欠な要素なのだ

ところが、この機械の吐き出した文章には、そういった香りや風味が微塵も感じられなかった。それはあたかも、高級レストランシェフの特製料理を期待していたら、無味無臭栄養ドリンクが出てきたようなものだ。確かに栄養素は含まれているのだろうが、舌の上でダンスする喜びがどこにもない。

バーティ、どう思うかね?」と叔父が訊ねた。彼の眉毛は期待に満ちて跳ね上がっていた。まるで噴火を待つ火山学者のように。

「ええと、叔父さん」と私は慎重に言葉を選んだ。「これは確かに文章ではありますが、作家文章とは言えませんな。むしろ言葉集合体とでも申しましょうか」

「ほう、言葉集合体か」叔父眼鏡を鼻先でくいっと押し上げた。「面白い表現だ」

「つまりですね、これは料理というより食材の山なんです。シェフが腕を振るう前の状態というか」

この説明に納得したらしく、叔父は「なるほど、なるほど」と頷いた。

その日以来、私はある種の科学好奇心からAI小説と呼ばれるものを片っ端から読み漁ってきた。そして今や確信を持って言える——世の中のAI小説は、ジーヴスがいつも言うところの「文体的に不十分である(stylistically deficient, sir)」代物なのだ

文体不在のドローンズ・クラブ

AI小説世界は、なんとも奇妙なドローンズ・クラブのようだ。ご存じない方のために説明すると、ドローンズ・クラブとは私が所属する紳士クラブで、そこではメンバー無意味な会話を交わしながら、しかし高度に洗練された作法に従って日々を過ごす。しかAI小説世界では、会話は論理的に筋が通っているのに、その洗練された作法——すなわち文体——が欠けている。

それはまるで、嵐の日に一生懸命走っているのに、どこにも行き着かない人々の集まりのようだ。走り方は効率的かもしれないが、そこに独自の身のこなしやリズム、あの「何とも言えない何か」が感じられない。

私が思うに、AI小説が「文体」に欠けるのは、それが「文体を持つこと」の意味理解していないからだ。文体とは単なる装飾ではない。それは作家の魂の表れであり、世界見方であり、独自思考の流れなのだ

例えば、我が友人ガッシー・フィンク=ノットルは、イモリについて話す時と恋人のマデリン・バセットについて話す時では、まったく別人のように語る。前者では博識で冷静な科学者となり、後者では「彼女の目は星のようだ」と言いながら部屋中を浮遊するのだ。これが「文体」というものだ——同じ人間が状況に応じて異なる言葉の使い方をする、その独自である

しかAI小説においては、すべての場面が同じトーンで描かれる。恋の告白殺人事件料理レシピも、同じ声色で淡々と進行する。それはちょうど、どんな曲でも同じリズムと同じメロディーで歌うカラオケマシンのようなものだ。確かに音程は正確かもしれないが、聴いていると魂が枯れていくような感覚に襲われる。

さて、今や普通小説AI小説を見分ける方法がある。それを「バーティ文体テスト」と名付けようではないか方法単純明快任意の三ページを読んで、そこに以下のものが見つかるか確認するのだ:

1.意表を突く比喩表現(「彼女の声は、スコットランドの霧の中でバグパイプを吹く羊飼いのように切なかった」など)

2.言葉遊び(「いや、ドラゴンを退治する側が金貨を使うんだ。退治屋さんへの報酬としてね。現実とは、ファンタジーより遥かに資本主義的なものさ」など)

3. 文の長さとリズムの変化(長い文の後に鋭い短文を置くなど)

4.キャラクターごとに異なる話し方

これらが見つからなければ、それはおそらくAI小説か、もしくは残念ながら文体に無関心な人間の書いた小説だろう。

文体という名の蝶を捕まえた名人たち

ここで、文体という蝶を見事に捕まえた名人たちを思い出してみよう。彼らは皆、言葉という網で独自の色彩と模様を持つ蝶を捕らえ、読者の目の前に差し出してきた。

ディケンズ氏は複雑な社会風刺人物描写を、時にコミカルに、時に痛烈に描き出した。彼の文章は、ロンドンの霧のように濃密で、その中に浮かび上がる人物像は忘れがたい。

ジェイン・オースティン女史は、表面上は穏やかな社交界描写の中に、鋭い観察眼と皮肉を忍ばせた。彼女文体は高級紅茶のようなものだ——一見繊細だが、意外な風味と余韻がある。

そしてヘミングウェイ氏。彼の文体は素っ気なく簡潔だが、そこには深い情感が氷山の水面下に隠されている。彼の短文は、たった一発で的を射抜く名ハンターのようだ。

これらの作家たちは、同じ英語という素材を使いながら、まったく異なる芸術作品を生み出した。それはちょうど、同じ小麦粉と水からイタリア人パスタを、フランス人クロワッサンを、日本人饂飩を作るようなものだ。材料は同じでも、その扱い方——つまり文体——によって、まったく別の味わいが生まれる。

ところが、今日AI小説は、どれもなんとなく似たような味がする。それはあたかも、世界中のレストランが突然、同じ調理法で同じ食材を使い始めたようなものだ。確かに栄養はあるかもしれないが、そこに文化の違いや個性の輝きはない。

言語指揮者機械になれるか

ここで疑問が生じる。AIは本当に文体習得できるのだろうか?

私の従者ジーヴスならば、「それは極めて難しい命題でございます旦那様」と言うだろう。彼はいつも正しい。

文体というものは、単なる技術的な問題ではない。それは作家人生経験感情の起伏、時代背景、そして何より「誰であるか」という存在のものからまれものだ。AIには「自己」がない。生きた経験もない。それはちょうど、泳いだことのない人に海の深さを説明するようなものだ。

しかし、それでもなお希望はある。AIは少なくとも模倣することはできる。優れた作家文体分析し、その特徴を取り入れることで、「ウッドハウス風」や「ヘミングウェイ風」の文章を生成することは不可能ではない。それはちょうど、ピアノを弾いたことのない人が、機械的な練習によって曲を再現できるようになるのに似ている。魂は込められていないかもしれないが、少なくとも耳障りではなくなる。

私が思うに、AI小説の真の問題技術的な限界よりも、むしろそれを使う人々の文学的感性の欠如にある。今日AI小説を作っている(あるいは指示を出している)人々は、どうやら「本を読んでいない」ようなのだ

彼らは「面白いストーリー」を求めるあまり、「それをどう語るか」という文体重要性を見落としている。それはまるで、素晴らしいワインがあるのに、紙コップで飲むようなものだ。内容は同じでも、その体験の質はまったく異なる。

私の友人ビンゴ・リトル(恋に落ちるスピードギネス記録を持っている男だ)は、女性について「見た目より声の方が大事だ」と言った。これは文学にも当てはまる。物語の内容より、それを語る「声」——すなわち文体——の方が、読者の心に残るのだ。

機械文学への処方箋

では、この文体不在のAI文学に対して、我々はどのような処方箋を用意すべきだろうか。

まず第一に、AIを使う作家たち(あるいは「プロンプトを書く人々」と言うべきか)は、もっと古典を読むべきだ。文体の偉大なマスターたちの技を知らなければ、AIにそれを再現させることなどできはしない。それはちょうど、料理を知らない人が一流シェフメニューを指示するようなものだ——「何か美味しいものを」と言うだけでは、凡庸な一皿しか出てこない。

第二に、AIの出力をそのまま「小説」として発表するのではなく、それを第一稿と考え、人間の手で文体を整えるべきだ。AI提供する骨組みに、人間が肉付けし、血を通わせるのだ。それはちょうど、既製服を買って来て、自分の体に合わせて仕立て直すようなものだ。

第三に、もっとAI文体についての指示を与えるべきだ。「面白い物語を書いて」と言うのではなく、「ウッドハウスのような軽妙洒脱文体で、比喩を多用し、会話のテンポを重視した小説を書いて」と具体的に指示すべきなのだ

そして最後に、我々読者も文体に対する感性を磨くべきだ。優れた文体を味わい、それが作品にもたらす効果理解すれば、AIの生み出す平坦な文章に満足することはなくなるだろう。それはちょうど、本物のエスプレッソを知ってしまえば、インスタントコーヒーには戻れなくなるようなものだ。

最後に一杯、文体という名のカクテル

さて、このエッセイもそろそろ終わりに近づいてきた。クラブ最後ドリンクを注文する時間だ。

私がこのエッセイで主張したかったのは、AI小説に「魂」を吹き込むには文体が不可欠だということだ。内容が面白くても、それを伝える声が魅力的でなければ、読者の心に残ることはない。それはちょうど、美しいメロディーも、下手な歌手が歌えば台無しになるようなものだ。

文体とは作家指紋であり、声紋であり、そして最も個人的表現であるAIがそれを完全に再現することは、おそらく不可能だろう。しかし少なくとも、今よりずっと文体意識した文章を生み出すことは可能なはずだ。

ちなみに私の従者ジーヴスによれば、「文体を気にしない作家は、メロディーを気にしない作曲家のようなものです、旦那様」とのこと。彼の言うことは、いつも正しい。

そして最後に、私の叔父アガサスがよく言っていた言葉を紹介しよう——「バーティよ、作家の才能は物語を作る能力にあらず、その物語をどう語るかにある」。彼は学者として多くの愚かなことを言ってきたが、この言葉だけは真理を突いている。

読者の皆様、乾杯しよう。文体という名の、この最高に複雑で、最高に美しいカクテルに。そしてAI文学がいつの日か、この味わい深いカクテル提供できる日が来ることを願って。

Whatho!

P.S. なお、このエッセイに登場する叔父アガサス、ビンゴ、ガッシー、そしてジーヴスはすべて架空人物です。彼らが実在人物と似ていたとしても、それは単なる偶然にすぎません。もっとも、私バーティウースターは確かに実在しますが…いや、それも冗談です。さようなら!)​​​​​​​​​​​​​​​​

※本文は、Claude 3.7 Sonnetへの指示で出力された文章を僅かに手直ししたものです。

Permalink |記事への反応(0) | 20:10

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2024-11-28

何気なくYoutubeで見てたけど

バグパイプって吹いて鳴らすのに音が途切れないし4本鳴らしてるしすごいな。

Permalink |記事への反応(1) | 14:54

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2024-10-19

anond:20241019170329

やっぱキルトスカートバグパイプ

Permalink |記事への反応(0) | 17:41

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2024-08-12

ケルティックファンタジーガールズバンドアニメみたいなのできないの?

中世ナーロッパ世界に飛ばされた吹奏楽少女たちがケルティック音色出会ってモンスターの素材からハープバグパイプアコーディオンなどを作ってバンド活動する感じのやつできないの?

Permalink |記事への反応(1) | 22:01

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2024-05-28

anond:20240528202255

バグパイプ応援するならセットでキルトの着用をオススメするよ!

Permalink |記事への反応(0) | 20:31

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バグパイプ買わないとダメ

ハイランダーズって大変そう

Permalink |記事への反応(1) | 20:22

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2024-03-27

anond:20240327122716

ワイの好きなVさんは墨汁作ったり麦わら帽子作ったりバグパイプ作ったりしてホンマ楽しそうやで

Permalink |記事への反応(1) | 12:28

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2023-07-21

anond:20230721101708

バグパイプでも吹いてなさい

Permalink |記事への反応(0) | 10:20

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男性スカートってクールビズじゃね?

バグパイプおじさんになろう

Permalink |記事への反応(0) | 06:40

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2023-05-28

anond:20230528131638

👮‍♂️「『スコットランド伝統的な美味しさ』警察です!バグパイプ携帯逮捕します」

Permalink |記事への反応(1) | 13:18

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2022-12-29

anond:20221229110212

元増田じゃないけどバグパイプ好き(メタルで使われるバグパイプ派なのですが)なので良かった

教えてくれてありがとう

Permalink |記事への反応(1) | 11:14

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anond:20221228232608

・Hevia(エヴィア) 「タンシラへの旅」

エレクトリックバグパイプ奏者Heviaのアルバム「The Other Side」収録の一曲

はじめてタワーレコードで視聴した時固まったのを未だに覚えてる。いまでも車内で時々流してますアルバム全体では、他にいい曲(「ブダペストにて」とかも好き)もあるけど全体的にちょっと似た雰囲気の曲も多く少し飽きる人もいるかもしれない……けど、この曲はずっと強い光を放っている。と、思ってます

Permalink |記事への反応(3) | 11:02

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2022-12-18

anond:20221218015137

毎日バグパイプ担ぐのか

Permalink |記事への反応(1) | 01:52

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2022-10-31

anond:20221031101607

第二次世界大戦中には伝統ブリテン兵のコスプレとしてロングボウとバグパイプ背負って戦ったイギリス人がいてだな

Permalink |記事への反応(1) | 10:20

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2022-09-04

anond:20220303103411

バグパイプアコーディオンとか塩ビパイプで作ったdiy木琴を演奏するなどだろうか

Permalink |記事への反応(0) | 08:21

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2022-01-15

アメイジング・グレイス英語:Amazing Grace,「われをもすくいし-讃美歌第二編第167番 日本基督教団1967年版 原恵訳」)は、イギリス牧師ジョン・ニュートン (JohnNewton,1725–1807)の作詞による賛美歌である作曲者は不詳。

特にアメリカ合衆国で最も慕われ愛唱されている曲の一つであり、『第二の国歌』とまで言われる。日本においても、映画ドラマアニメCM曲などで多用されるなど、讃美歌の中ではもっとも良く知られた曲の一つである。"Amazing grace"とは「素晴らしき神の恵み」「感動をもたらす恩寵」などの意。バグパイプでも演奏される。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%B9

Permalink |記事への反応(0) | 20:43

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2021-05-10

男性には巻きスカートが似合うはず

何で男性スカートってないんだろう

日本男児の男っぷりを10割増しくらいに見せてくれる着物とか、要するに巻きスカートワンピ型みたいなもんじゃ

他国民族衣装を見ても、男性スカートなのが多数だし、バリとか

女性に人気を博するギャルソン制服も、腰に巻いた長いエプロンがえも言えぬ色気を醸し出してるし

何も丘の上の王子様みたいな恰好してバグパイプを吹けとまでは言わんが、スカートって普通に男性にも似合うと思うのに、何で廃れたんだろう

Permalink |記事への反応(0) | 20:58

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2020-02-25

anond:20200225133241

バグパイプチェルシー

Permalink |記事への反応(0) | 14:26

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2018-09-29

「いまをいきる」のnetflix

オープニングのバグパイプのシーンから始まる演出カットしているのは信じがたい。

あれ?netflixじゃなくてamazon primeだっけ?

忘れた

Permalink |記事への反応(0) | 16:19

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2018-02-20

anond:20180219232323

バグパイプ奏者排除に潜む日本の病巣

演奏中45分間」も大学構内に立入禁止 北陸先端大が全面禁バグパイプに踏み切った理由

https://www.excite.co.jp/News/smadan/Z1509591737132/

上の記事を読んだ。なんとまあバグパイプ演奏中は呼気から有害音波が検出されるから受動騒音防止のため立入禁止なのだそうだ。

もちろん私は一定の分バグパイプに関しては異議を唱えるつもりはない。ネカフェで喫バグパイプブースに泊まることになった時はあまりの音に辟易した経験もあるし。

しかし、今回のJaist全面禁バグパイプや、居酒屋含む飲食店全面禁バグパイプの流れはあまり常軌を逸していると感じる。

バグパイプの音を聞かないでいられる権利」ばかりを尊重しすぎて、「バグパイプを嗜む権利」を脅かしていないかということだ。

バグパイプの音を聞かないでいられる権利」に正当性をもたせるのは簡単である。「うるさくて嫌だ」と主張すれば済む。さら一般の人が受動騒音として害になるか検証されていない、服についた音の微粒子やら呼気に含まれ有害音波についても、騒音過敏症の人の被害を引き合いに出せば、被害者簡単に創出することが出来る。

しかしながら「バグパイプを嗜む権利」の方は、「バグパイプを奏でたい!」といった子供じみた権利の主張以外に何が出来るというのだろうか。結局非喫バグパイプ者の支持をとにかく得にくい構造になっているのである

こうして「被害を受けない権利」だけが尊重され、「する権利」は衰退していく。

この構造は、現在日本のあらゆる場所で表出していないだろうか?

保育園では子供の金切り声による騒音を避けるため、園児たちは二重サッシで仕切られた室内でこじんまりと遊ばされている。

海岸での花火は近隣住民迷惑になるので禁止

路上駐輪は景観が損なわれるので即撤去

風俗店は即摘発

こういった流れが進行しているのも、活動的主体となりやす子供や若年層が減少し、一方で客体となりやす高齢者が増えたのと無関係ではないだろう。

どんどんと窮屈になる日本他人の多少の迷惑を許容する代わりに、「する自由」に満ちた社会のほうがずっと心地よいと思うのだが。

Permalink |記事への反応(0) | 14:41

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2017-12-09

anond:20171208131209

がたがたうっせえ

バグパイプ吹いて応援してやろうか

と俺の中のスコットランド人ウイスキー飲みながら喚いているぜ

それでは一曲Massive AttackでBorn slippy

Permalink |記事への反応(0) | 21:06

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2017-10-20

カンパってなぜかバグパイプ吹いて人を集めているイメージある

Permalink |記事への反応(0) | 01:11

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2015-06-27

黒い瞳のノアの通常敵遭遇時の曲とマナケミアの序盤の通常敵の曲はよかったなあ。

バグパイプだか日本の笛だかそういう楽器っぽい音色もいいし。

Permalink |記事への反応(0) | 16:46

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2014-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20140720221837

うーん。

肉体構造上の差が区別を生んでるんじゃなくて、違うものという認識、だよね。

うから、分ける、という流れを文化がつくったみたいな感じ。

犬と人間が「ミナ オナジ イキモノ」という認識じゃなくて、犬と人間、という認識とか、「男と女」という区別認識とか

その鼻が長いとか、体毛の濃さとかで、差がある、違うものだ、混ぜるか、わけるか、という方法方法構造

構造化の一般化、文化というもので、それらが困難でも面倒でも機能的でなくても、利用するよう環境を整備することも

文化、じゃないかな。

「ニンゲン」というくくりで、オナジイキモノだとしたら、男女とか分ける「社会構造」を必要としない環境になるかもしれないかなと。

犬をつかって狩猟をすれば効率的なのに、都会の人は部屋からさないとか意味不明とかみたいなこととか、文化機能構造

社会的定義」がかわることもあるとおもう。

から「男女」って言っているうちは、分けることも差をつけることもあると思う。今回は肉体ということについて。

裸体をさらすという局面を選択したとしてということで。

身体的特性から得意な状況とか苦手な条件はあるとおもうけど、それを忠実に優先する社会構造でないのはだれしも承知だよね。


スターシップトルーパーズとかでいうと「シャワー混浴なのにテントで愛し合うのは異性なの?」というところは

性差を問うのは身体の洗浄時ではない」という認識があってのこと、じゃないかな。

バグパイプを吹くとき男性スカートを履く」は外国では一般的だよと、スカート履いて山手線に乗ると「差を感じる」こともあるかもみたいな。


日本では、男女が衣服をまとわない状況で近接することは「規制されるべきこと」という状況にその肉体構造の差をもってしている文化がある

ってことに今現在なっているんじゃないかな。

環境構造と肉体とか、肉体的構造環境とか、肉体同士の反応とかもふくめて、「男性女性は、差があり状況により介入を要する状況になる」という文化構成。

男性かどうかを判断する社会的材料は、身体構造男性をしているか女性であるかどうかは身体構造がという基準を文化が持っていて

かつ、それを分けるということをセットにすると、身体構造に差があると分けられることになるという文化社会になるんじゃないかなと。

裸体でなければ男女が近接しても問題にならない環境もお風呂以外にならいくつかあるとおもうんだけど。

エスカレーターで男女が入り乱れても「性別がちがうので離すべき」とかいわれないけど「ペットは抱えて」とか差をつけたり。


なんというか、服ぬいだら男女になるのに、服きてたら平等なのみたいな感じというか。

じゃあ水着プールでいいじゃんみたいな。温泉全裸プールは「何の差があるの」って感じの人もいるかも。

男女って差があるのとか、温泉プールの差とか、差といっている時点で「同じではない、構造上の違い」をもってして

区別をしてるんじゃないかな。

服きていても、みえなくても、実在してなくても、ハアハアできるし、目の前に裸体があってもしないこともできるじゃん。

わざわざ「混浴にすべき」と声をあげるまでもないんじゃないかな。

それこそ混浴できる状況が世界にあるなら、混浴に旅立てばよいわけだし。

声をあげる時点で、差があって埋めがたくて、離れている高嶺の花だからこそ摘みたいという、自分ハードルをあげて

自分でそこに達成しその感覚恍惚とするひとりSMみたいな感じなんじゃないかな、と思ったの。

たぶん、お楽しみでされてる話だとおもったんだけど、男女ってそんなイメージしてるほど違わないよって感じも進言してみたくて。

Permalink |記事への反応(2) | 23:02

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2012-07-30

男性には巻きスカートが似合うはず

何で男性スカートってないんだろう

日本男児の男っぷりを10割増しくらいに見せてくれる着物とか、要するに巻きスカートワンピ型みたいなもんじゃ

他国の民族衣装を見ても、男性スカートなのが多数だし、バリとか

女性に人気を博するギャルソン制服も、腰に巻いた長いエプロンがえも言えぬ色気を醸し出してるし

何も丘の上の王子様みたいな恰好してバグパイプを吹けとまでは言わんが、スカートって普通に男性にも似合うと思うのに、何で廃れたんだろう

Permalink |記事への反応(2) | 02:42

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