
はてなキーワード:ハモりとは
有安さんや小林さんだけじゃなくて、廣田さんや伊藤千由李さんや栗本柚希さんや川瀬あやめさん、それに柏木ひなたさんといい、スターダストの特にアイドル部門は歌が上手い人にとってものすごい居づらい環境で続けにくい環境なんだなと思う。
川上さんとか田口さんとかが、事務所としてそういう所を重視していないんだろうな。
まぁ、歌が上手くても売り上げに繋がらなければ事務所として囲っておく意味がないですから、ということですかね。
そういうスターダストのアイドル部門の中でも私立恵比寿中学(以下えびちゅう)ってかなり特殊な存在だったなと思っている。
6人時代、特に柏木さんと小林さんを支柱として「驚異的に」歌が上手いグループを構築してきた。
まず、ユニゾンが綺麗。これはもはや今のえびちゅうには感じないことだ。
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音程というのは不思議なもので、音程が正しい人がいっぱいいるグループの中に入るとそれまでおかしかった人も正しくなっていき、逆もまた起きる。元々正しかったのに周囲に影響されておかしくなる。
2つの音程が「合ってない」というのは、音波合成によるゆらぎの発生を感じることだ。
周波数f1とf2の2つが合ってない場合、これは(f2-f1)の強度の変動が発生し、音波合成によるうねりが出る。f1とf2が同じ値であればうねりは0になる。高校物理。
近藤譲は「オリエント・オリエンテーション」という曲を作ったが、これは同種楽器2本によるユニゾンの音楽だ。たしか初演はハープ2台だったが、CDとしてリリースされているものにアンサンブル・ノマドが演奏するフルート2本バージョンがある。
これを聴くと「音程が合ってる」場合の響きと「音程が合ってない」場合の響きの違いを明確に理解することができる。
クラシック音楽の一つの面白いところは、超精密に音程が合わせられる人たちが、人間の不安や失望を表現するためにあえて音程をズラしてきたりするところだったりする。
またユニゾンの「音」を考える場合にはサスティン音(主成分)の音程だけでなくアタック(音の鳴る始め方)やリリース(音の消し方)の強度や長さ、柔らかさ、それに歌の場合は全く同じ音程でも口角が上がってるかそうでないかで明るい音だったり暗い音だったり様々な表現ポイントがあってどう構成されるかと耳を使う。音程が良ければ全ていいという話でもない。
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THE FIRSTTAKEの「なないろ」を聴いた時、なんて綺麗なアンサンブルなんだと感動したことを覚えている。特に特筆してユニゾンが美しい。「話しようよ」の「よ」の伸ばしに何のうねりも感じない。針の穴に一発で糸をすっと通すような心地よい響きを、あの環境の中で何ら不自由なくやり遂げている。そのだいぶ高度な技芸の中にきちんと情景描写がある。空の高さが見える。このレベルで「美しい」と感じれる歌ができるグループが他にいるなら教えて欲しい。
これがえびちゅうに唯一無二に感じていたことで、それを藤井さんは綺麗にぶっ壊してくれて、だいぶ心が折れる。志賀さんがどう舵を切るつもりなのかは知らないけど。(どちらかというと壊れた後を託されてる側面もあるから同情する所もある。)
柏木さんがいなくなったことで、えびちゅうの姉メンの中でさえも明確に音程が合わないことが多くなった。おそらく小林さんがいなくなったことで、その傾向はもっと悪化するだろう。
まぁ、新体制ライブGOLDEN EIGHT -newagain-(以下各曲の感想はこのライブに基づく)の「トレンディーガール」サビ後半部分あたり、なんかちょっと歌が上手い人のカラオケを聞いてるくらいに感じちゃうのは、恐らく妹メンはplaylistという全体的に荷が重いアルバム楽曲について一つ一つのフレーズの処理の仕方をそこまで綿密に検討できないまま舞台に立ってるのだろうから、それはどちらかというと可哀想なのかもしれないとさえ思ったりもするが。
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中山さんはオーケストラにおけるシンバルみたいな存在で、平時がどうこうよりもブレークや盛り上がりのところで「ドンッ」と大きなインパクトをぶん投げると「きちんと自分の仕事を全うしているなー。良い。」って思う。それに、たぶん今が中山さんの完成形だと感じる。「靴紐とファンファーレ」の冒頭はシンプルに「よく頑張りました」という感想。
仲村さんは不思議な人で、まじめに歌おうとすればするほど顔も真顔になっていくし、情景感も色彩感も消え失せていく。これを「歌が上手い」に分類するのは抵抗感がある。「SCHOOL DAYS」の小林さんから受け継いだオチサビの特に「さぁ」の部分も、本当にこれが仲村さんがやりたい音楽なのか?と疑問にさえ思った。空洞感。
桜井さんはテクニカルには歌が上手い。しかしそこに指向が向きすぎていて表現力が伸びてきていない。「はみだせGirls」の冒頭みたいに、桜井さんの歌と真山さんの歌が直接並ぶとその表現力の実力差がまだ圧倒的だなと感じてしまう。
だから、仲村さんの歌は桜井さんの歌にかなり強く影響を受けているように思えるが、それは悪い意味でも影響を受けてるように感じている。
そんな真山さんも喉と戦ってる感じがまだずっと続きますね。
前出の「はみだせGirls」の途中真山さんソロになる所、部分的に音程が上振れしてて特に「いいじゃん」あたりが顕著。安本さんとのデュオの「明日」、冒頭の下ハモりが全体的に若干低い。など、昔よりその内容にいろいろ気になる点が多い。そのブレ方は、柏木さんや小林さんがいなくなったことに対してインパクトが大きそうだなと予想している。でも歌の中の景色の描き方はやっぱり素敵。
桜井さんと完全に対極的に見えるのが風見さん。「歌が上手い」というほどではないが、その歌の中身にくそ真面目に音楽と向き合ってる性格がにじみ出てるので、好感度は高い。ニコニコしている率が圧倒的に高いのが若干の不安感はあるが、「シングルTONEでお願い」あたりは難関曲を精一杯理解しようと努めてきた結果が出ていて良い。
その「シングルTONEでお願い」のユニゾンの合わなさっぷりは結構激しめだが。
安本さんは安定してますね。何があっても動じないし自分の表現を突き通している感じはある。「ここの音程変だな」って感じることもほぼ無い。ハモる時の相手の歌に合わせていく感じも良い。さすが元祖ボーカロイド。
真山さんも安本さんも「日進月歩」になってくると、この曲の特徴的なひんやりした温もりの心地よさが伝わってきてさすがだなーと思う。他のメンバーの歌にはない。
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えびちゅうに対しては以前に「唯一無二だな」と感じていたことが消えてしまったので、これからこのグループのどこにそれを感じていくか、が個人的に課題に感じる。
それとよく分からなかったのがIndigo Hour楽曲がほとんど無かった点。Knockyououtだけかな。
小林さんの卒業はいいとして、GOLDEN EIGHTのほうからもそれがほぼ除外されたのはどのように理解すべきか。コンセプトを大幅に変えたのにそれを封印したのか。
英語と韓国語を少し勉強してわかったがそもそも日本語のコミュニケーションも苦手だ。コミュニケーションというものそれ自体が苦手なんだ。旅先で路上のハトをみるたび「このハトはどの国のハトとも通じ合えるんだな」と感慨深くなる。なぜなら言語を持たないから。いや、ほんとうにそうか?A地域のハトは「ポッポー」があいさつでB地域のハトは「ポポッ」があいさつかもしれない。あいさつのある地域とない地域があるかもしれない。言葉とは鳴き声のパターンだと最近つくづく思う。共鳴することそのものが快と感じるように生き物はできている気がする。わかる。わかるんだけど私は上手くハモれない。「休みの日とかなにしてるのー?」なんて雑談もハモりやすいように投げかけてくれているだけなのにそこに意味を見出してしまい歌詞の意味を考えているうちに乗り遅れて合唱は終わっている。誰かとうまく歌えるようになりたい。雑談を振られるとどうしても何かジャッジされると思い込んでしまうので人と話す前は「鳴き声鳴き声鳴き声共鳴共鳴共鳴」と唱えてから挑む。そして雑談が終わった後は「失敗した…」と内容を振り返って落ち込んでしまう前に「ちょっと歌がズレただけ」と意識をシャットアウトする。会話が鳴き声の共鳴だと気づくまでに随分と長い時間がかかってしまった。ずっと誰とも会話できている気がしないなと思っていた。そもそも「共鳴は快である」という前提を知ったのが最近だから、OKOKと思っている。だけどもさ、と独唱で転調してみるのですが、私は合唱でうまく馴染むことができず教室を抜け出して人知れず鼻歌うたって帰ってるような人のことが大好きなんですよね。こんなに私はこの世界のことを少しでも理解してせっかくだから順応しようとしているのに、自分が死んだら世界も死ぬし意味ないじゃんと思う。そういえば、年齢的に子を持つこと・持たないことを検討するようになり、自分が生まれたこと、いま意識があり思考があることとかまで考えを巡らすようになった。そう思うと、いま意識があること、ひいては世が存在するということは親の気分みたいなところに左右されており、この世はなんて心許ないんだと愕然とした。もっと壮大で強烈なものに裏付けらていると思っていた。この世、この生、儚ね〜、大事にしよ。もうこの歳になると学歴とか会社とか、この世が幻想だなあと自分の世界の捉え方がふわりとしてくる。世のジジババが孫に対して甘々なのってそういうことなのかなあと思う。幻想とわかった上で幻想を楽しめる歳なのだろう。ところが不思議なことに、私のジジババは最後までずっと幻想を信じていたな。祖母は当時もう80とかなのに、私の進路についてあれこれと口を出してきていた。幼い頃から〇〇ちゃんはこの大学かこの大学に行くのよと言われ勉強を教えられていた。浪人して芸大に行きたいと言った時は、どうか普通の〇〇ちゃんに戻って、浪人するなら縁を切る、この敷居を跨ぐなと言われた。芸術系浪人なんか全保護者を不安にさせる進路を選ぶ自分にも完全に非があるのだが、当時はこの老人とはこんなにも意志が通じないのかとに驚くばかりだった。私は80近くになってもこの幻想にそこまで執着できるとは到底思えない。バイオレンス婆は、文字通り普通に虐待をする。長い物差しで人の頭を執拗に叩く。孫の私にはさすがにしたことがなく、母はよく「おばあちゃん丸くなったわ」と言っていた。そんなバイオレンス婆に育てられた母は運良く反骨精神の持ち主で、祖母と繰り広げたバトルをコミカルに私によく話してくれた。中学生の時自分の部屋に仲間を集めて祖母にバレないようにシンナーを吸っていたのが楽しかったとか、万引きのスリルとか、夜な夜な窓から飛び降りて遊びに出かけていたとか、無免許でバイク事故して病院に行けず祖母にもバレないように必死に隠し、今も腕にぶっとい傷跡が残っているとか。わかりやすいヤンキーに仕上がったようだ。口酸っぱく祖母に「先生と呼ばれる仕事に就きなさい」と言われていて、女子短大を卒業し祖母のコネで幼稚園の先生になった。快活で子供にすぐ懐かれる母には向いていたと思うのだけど、母は幼い頃から絵を描くのが好きで、デザイナーになることを諦められなかったらしい。頭から血が出て何針か縫うくらいの祖母バトルを経たのち、昼は幼稚園で働きながら夜はデザインスクールに通い、なんとかデザイナーになった。といっても版下とか、テレクラのPOPのデザインみたいな仕事だったけど、それでも母はデザイナー時代のことをいつも楽しそうに話していた。そんな母はまた、自分がいくら願っても叶わなかった幸せな家庭という幻想を見ていた。祖母のように、子を縛ることなく、どんなヤンチャをしても一緒に面白がり、あんたはほんまアホやな〜っていつでもふざけ合える家庭。きっとそういうものを夢見ていた。本当に申し訳なくなる。母は仕事を辞め結婚して専業主婦になった。私と母は本当に、本当に性格が合わなかった。こればかりは、いくら血縁関係でもこういうこともあるんだなと思ってきた。それでも努力して近づこうとしていたとは思う。一度もまともに通じた会話ができたことがない。母は幸せな家庭という幻想を夢見て、とにかく真面目で無害そうな父と結婚した。殴ったりしなければOKという認識だったんだと思う。父と母が会話で盛り上がっているところなど見たことがない。価値観も趣味も性格も真逆で、側から見てもお互い苦手なタイプでしかないと思う。子供ながら、お互い家庭という幻想のために結婚したんだなあとなんとなくわかっていた。私は父に似てしまった。とにかく物心ついた頃から、母は私のことが気に食わなかった。気に食わなかったんだなと思うことでしか、説明がつかないことが多すぎて、そう思うようにしている。なんだかずっと怒られていたというより、ずっと罵られていた。母は私の自虐でしか話を聞いてくれなかった。何を話しても否定から入られるので、家で何も話せなくなった。実家にいた時はずっと、教室に一人は必ずいるガキ大将と暮らしているような気持ちだった。母は夢見ていたはずの家庭がこんな惨状になってしまったことのすべてが気に食わず、ずっと機嫌が悪かった。もともとも性質かそのような家庭環境なのかわからないが、私は人とうまく会話するのが下手で、一人で没頭できる勉強や読書が好きな子供だった。そういうのがさらに母は気に食わなかった。どんな親だよとは思うけど、極端に言えばもっと万引きとかして欲しかったんだと思う。現代の陰湿なほうじゃなくて仲間とカラッとやるような万引き。そんで警察によばれて頭をスパーンと一発叩いて「アホ!!!帰るで!!」ってやりたかったんだと思う。ぱっちりと目が大きく美人で筋力がある母に似つかず、全て父に似て地味な顔で運動ができない太った根暗になった。母の幻想である娘を私は上手く演じることができなかった。一方祖母は、教育という幻想を再び見てしまったのだと思う。そこまでしんどい思いをせず勉強ができてしまう私に勝手に期待をした。母は、祖母の幻想を叶えられる存在としての私に対しては、まんざらでもない様子なときもあった。ところで、祖父や父はこういうとき何をしていたのかというと、何もしていない。何も言わない。記憶にない。ずるいよね。母はきっと心から安らぐ幸せみたいなものを感じたことがないのかもしれないと勝手に不安になる。けど母は自分の家庭を持つという幻想を成し遂げた、殴ったりしてないしOKOK、それが満足だと思っているはず、と言い聞かせる。ところで不思議なことに、私はかつての母と全く同じグラフィックデザイナーとしていま働いている。何も気が合わないのに特技だけは遺伝した。人との会話が何十年も成り立たない中で、視覚的な共通言語でものが通じることが自分の救いになったのがデザイナーになったきっかけで、決して何かを教えてもらったこととかは本当に一度もない。そもそも母も私も絵が描けるのは、祖母が書道家兼芸術家だったことが遺伝情報としては大きくて、(だとしたらなぜそんな教育幻想と暴力に囚われてしまったのかは本当に私が教えて欲しい)、わたしたちは相互に歪み合いながら螺旋を描いている。祖母も母も、芸術センスみたいなものは遥かに私より良くて、そういった面でふたりのことは尊敬しているし、破天荒な人間性も面白くて好きだ。けど、もう最小限でしか関わりたくないし、こういうのは距離があった方がいい関係が築ける。私含め3人とも地球規模で見れば息は長くないのだし、それぞれができるだけ幸せであればいいと願っている。東京にいると、そういうタコピーみたいなふわふわことが思えてしまうのだから怖いなと思う。たまに地元に帰るとあまりにも地に足がついてずぶりと沈みそうになる。地元とは幸せみたいな言葉が嘲笑される地域のことを言う。その地域にはその地域が共有している鳴き声のパターンがある、それだけの話。
必要としてる人や作者自身の願望や信念に応じたり基づいたりしてそういう物語や描き方もちろんあっていいけどあんなに素敵だと思っていたドラマ大豆田とわ子を久しぶりに見たときのあれ……って感情に近い増田だ
とわ子や夫たちの造形とか性格や容姿、関係性とか社会的立場とか諸々
社会不適合的な親友(違国日記の姪や他登場人物との関係性に近しい)の存在と関係も
音楽は今でも最高と思うけど
今見ると主人公たちを追い詰める側が大分舞台装置というか、主人公たち以外には誰も人生や人格がないようにわざと扱いたいのかなという醜い描き方というか……
結局まるごと共感できる、自分は屈託なくこっち側なんだと素直に感じられて、自分はもしかして醜いがために舞台に登場させられない側の人間かも、もしくは舞台装置のごとく描かれる側のように自分も誰かを傷つけているかも…とは間違っても思わずに受け止められる人のための物語なんだと思えば気が楽かもよ
次作?で警察ミステリもののときに生きづらさの中心地にいるが同時に他者を傷つけてもいる人物を書いててそれはよかったけど、結局美しい世界や事情の上での話だなとは思ったの増田読んで思い出した
昨日最終話だったクドカンの季節のない街で描かれてる世界の方が優しいと思うし自分の認められないきれいでないものを排除したい感覚やそうするとき同時に巻き込んでスポイルしているだろう人やものがあることすでにそれをしてることに自覚的でないといけないと思った
クドカンはそういうものを描いたんだと思ったけど本当に全話見てその感想?みたいなやつもいっぱい見たわ
排除されるべきと思われているものを愛して抱えているがかつ一方では街で他者に排除を実行する自身も十分に異物(自身の挫折経験からしまさんにとって立ち退きは排除というより心底自立の促しなのかもしれない)でありながら社会的に成功しているしまさんの存在がその二分された価値観の対立というか、現在のポリコレとそうでないとされるものの間での人間の揺れ動きを表現しているようでよかった
最後にワイフに助け出されるのも
リリコ最高だった
全話も最終話も見事だったな
全話を通じて、特にがんもどき後編の勝手にハモんないでよから明確にオカベが一番嫌いな人物になったのでかっちゃんそんなただ「かわいそうな女の子に恋して助けてる自分のこと」が大好きなだけの男でええんか?と思っていたから最終話本当にあれでよかったと思った
よくも悪くも自身が選んだことでない状況や環境に人は左右されるもので、かっちゃんの場合は本当はあったけどないように扱われていたし自分でも諦めていた意思や才(あの美しいハモり!)があの街から去ることで表に出てきたのだからよかったし、オカベが跡地でしょんぼりしているのもむべなるかなという感じ
それ以前にも叔母がかつこに言ってもしょうがないか……って言うとこも好き
この子は暗愚だから…という考えがあったのだとしても、起こってしまったこと、しかも箕打が起こしたことでそちらを守らず被害を受けた側を悪く思ったり責めることを飲み込む描写、すごいと思う
街の女同士の連帯も不器用に描かれており、起こった事象の表面のえぐみや醜さだけ見てあの編集者がはっきと言ったように
「こんな人たちいるわけないしw」と捨て去ることは、その内側にいる本当は連帯すべき弱い人に起こったことや事情や感情や生命すら無感情に、あるいは憎みながら捨て去ることなのだとあのラストではっきり思わされた
こういう描き方もあるんだよね
この辺を見たはずなのに「クドカンはポリコレを憎んでいる」って結論になってた人、口当たりのよい気持ちのいいドラマに感化されるあまり対立構造に巻き込まれすぎていると思ったな
そんなこと増田みて考えた
「ふはは、見たか。俺が奴らをパクるまでもなく、奴が俺をパクりやがった。ホ○ケン最高」
悪魔崇拝者のタカシは、今日も悪魔を崇拝した罰として地獄ツアーを100周した。その上での発言がこれである。
ハナコちゃんはタカシにいやらしい質問があるらしい。タカシが聞かない理由はない。
タカシは吠えた。
「はい♡」
アホくさ...とタカシの守護妖精ジェニファーは言いたかった。だが、悪魔崇拝者に絡むとろくなことが起きないので、タカシから数光年の距離を置いたのだった。
「質問ですが、私たちの目の前にこの魔界の扉があるでしょう?その先には何があるんです?」
「そんなの君が生まれるよりも前から決まってることでしょ。全自動の世界生産工場だよ」
ハナコちゃんはちょっと驚いた。なぜなら、その先にあるのは間違いなく便所だと思っていたからだ。
タカシはハナコちゃんをファッ○できる回数のカウントを指で「はい♡」と示した後、説明をした。
その中では、無限とも言えるほど膨大な種類の生物が、想像を超えるようなあらゆる方法で交尾をしていた。
「キャー!」
とタカシが突っ込んだが、ハナコちゃんは魔法使いなので、アバダケダブラの呪文を唱えてタヒぬと、上からハナコちゃん第二号が落ちてきた。
とその時だった、生物の中から見たことのある生物がスタスタと駆けてきた。
「どうも、アンダーソンです。マ○リックスに飽きたからここにやってきたんだ。すごい場所だよ」
「ハナコちゃん、説明しよう。こちらはあの有名なアンダーソン君だ。挨拶しなさい」
「どうも、アンダーソンさん、ハナコです。なぜ扉から出てきたんですか?」
アンダーソンは答える。
「僕は人間と交尾するのが飽きたのだ。マ○リックスじゃ、操り人間共をプログラムしてファッ○するなんて簡単だからね。でも、こうやって人知を超える存在と交尾する場所にやってきたようなんだ。ザ○オンにはマ○リックスをシミュレートする機械があるが、ここはちょっとどういう世界なのか実は全くわからない。迷い込んだ先がバラ色だったという話さ。」
「はーい♡3回目!では説明するよ。例えば、あそこに象と芋虫を合わせたような生物がいて、これを仮にポチ君と呼ぼう。ポチくんは、あのトマトと人間のオスを合わせたような生物、つまりタマちゃんと交尾しているだろう?こうやって受精してできた存在が、ザ○オンさ。」
「なるほど、ポチタマね。幼稚園児にもわかる科学ね。算数より簡単ね。」
とハナコは冷静に答えた。
「ど、どういうことだ、僕らのザ○オンが、あの生物の受精の結果だと言うのかい?」
アンダーソン君は不安そうに、おしっこちびりながらタカシを見つめた。
「そうだよ。そして、アンダーソン君はさっきあの豚と蜂を合わせたようなメスをファッ○してただろ。そうして生まれる存在が、ドラゴ○ボールの世界だよ。」
「あらやだ、タカシさん素敵♡」と、アンダーソン君とハナコちゃんはハモりながら同時に言った。
「はい♡」
アンダーソン君とハナコちゃんはパンツを脱ぎ捨て、四つんばいで尻を向けた。そして、タカシはウィンガーディアムレ○ィオーサを唱えると、2人に分身した。
「さあ、挿れるぞ...」
2人のタカシは同時に挿入した。
「おらおら、馬のように暴れろ!」
に触発されて作ってみたら全然30曲じゃ足りなかったので50曲になりました。
H2Oじゃない方。夏休みの朝、ラジオ体操から帰ってきて視聴する「らんま1/2熱闘編」。
亀田誠治が偉大すぎる。
RIP SLYMEはメンバー間で色々あったようで空中分解してしまって悲しい。
唯一無二のシンガーソングライターだと思う。
タワレコで何の気なしに視聴したら好みにドンピシャでハマった。
Aメロを家で口ずさんでいたら夫に「こわい」って言われた。
ヘッドフォンで聴いているとハヤシのHey!が右からやってくる。
コーラスワークが綺麗で清涼感がある。
盆踊りに流したい。
色気のあるベースから始まり更に色気のあるヴォーカルが乗っかる。
こういうかっこいいアニソンが量産されてほしい。
FM802のヘビーローテーションになっていたのをよく覚えている。
準新作だと気づかずに7泊8日レンタルして返却時涙目になった。
シンセサイザーの響きには近未来感を感じるけど同時に哀愁も漂っていてすごいと思う。
高校生の時付き合っていた彼氏に「この曲を歌えるようになってほしい」と言われ「無茶な」と思った。
今聴いてもサウンドのすべてがおしゃれ。
夏の終わりに聴きたい。
Salyuも唯一無二の歌声だな。サビのハモりが気持ちよすぎる。
甘酸っぱさ満点。
確か、歌詞の視点が独特なのをROCKIN'ONJAPAN誌上でツッコまれてた。
2006年のRUSH BALLのオープニングアクトで一目惚れした。
私のBUMP OF CHICKENはここから。
多幸感あふれるメロディーとストリングスと大サビの歌詞の対比が好き。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
Apple Musicで検索しながら作ったので、サブスクに入ってなくて漏れた曲がいくつかあります。
なんか画面の暗い重い感じがあまり見る気を起こさせなかったんだけど、サヨナラショーのセットリストに入ってるから。ついでに琥珀色も今さらながら見た。軽快な歌もあるんだなあ、唐突でびっくりするけど、クロードとルイは気が合ったんだねえ、てのが伝わって楽しいよ彩凪さん。ちょっとミーマイ?ていう印象も持った。1984年なあ。
ドン・ジュアン。彩さんやっぱ演技上手だなあ、歌は少し物足りないけど思ってたほど気にはならなくて、上手くなるようにというよりももう少し気持ちの込め方、表現の仕方を身につければ娘役としては充分じゃないか、という気がした。デュエット、デュエットのハモりは、これが真彩さんよりも綺麗にハマるんだよなー。今日勉強したワード、かすみ草、って思った。礼さんもかすみ草うまいんだよなあ。礼真彩のデュエットでは真彩さんが薔薇で礼さんがかすみ草だったわけだけど。うーん、太いかすみ草?たくさんのかすみ草?
ここ一か月弱の感情の変遷を残しておきたい。いや、この二年半の、かもしれない。
初めてその報道を目にしたのは、仕事帰りの駅での事だった。呆然としたまま電車に乗ったのを今も覚えている。全く信じられなかった。たちの悪いフェイクニュースでは?とも疑った。スキャンダルとは無縁のグループで、頼れる兄貴分の彼が、まさか。
その後しばらくのことは、あんまり思い出したくない。四人の謝罪会見。生放送で毎日泣いている太一くん。そして退所が決まり、四人のTOKIOの写真がタヒチにアップされた。どうしようもなく悲しかったけど、受け入れるしかなかった。メンバーの方がはるかに悲しかったと思うから。やっぱりTOKIOが好きだったから。
DASHもトキカケも、四人で続けられた。続いているだけでもありがたいのかもしれない。でも、終われなかった、という一面もあるのではないか。様々なジャンルの仕事を抱えるTOKIOは、存在が大きくなり過ぎたのかもしれない。吹けば飛ぶようなグループであれば、一人の不祥事くらい抱え込んで、うやむやに続けられたんじゃないか。そんなくだらない事を考えたりした。
茂子のリサイタルで、「このままじゃ終わらない」と言う言葉を聞けて、嬉しくて悲しくて泣いた。でもその後、メンバーから、TOKIOのこれからに関する言葉は、きちんとは聞けなかったように思う。
もやもやした状態のままでありつつも、残ったメンバーのお仕事はとても順調なように見えた。それは今まで培った信頼の証であると思うので、誇らしいことでもある。ただ、汚れを切り捨てたからこそ、という面もあるように思えて、悲しかった(自ら退所したのだというのはもちろん承知の上で)
25周年には何かあるのでは?とソワソワしているところに山口くんの週刊誌インタビューがあって、四人で音楽を再開するのでは、と話題が上がったりした。それを歓迎できない自分がいた。
私は特に担当というのはおらず、箱推しというか、五人の絆萌え、みたいなタイプのオタクだ。TOKIOは五人でないとダメで、特に音楽活動は五人以外考えられなくて、でもそれは無理な相談で、自分でもTOKIOにどうしてほしいのか分からなかった。こんなに五人推しだったことに、四人になって気付かされた。それくらい、いくつになってもTOKIOは五人だと思っていたのだ。
彼が事件を起こして、失われてしまったものは数えきれないほどある。大好きな平家派もJフレも、存在が一人欠けてしまった。きっと盛大に祝われるはずだった25周年、それを記念したライブも。聴けるはずだった新曲も。音楽番組でのガヤも。
それらを奪った彼のことを、それでも嫌いにはなれなかった。本当は悪い子じゃないんです、とモンペみたいな気持ちにもなった。長いことファンをやっていて、もう勝手に身内みたいな感覚になっているのだ。
昔から、甘いところ、不注意で軽率な一面はあったと思う。ただそれを、持ち前の器用さソツの無さでカバーできてしまっていた。無免許も離婚もなんとなく受け入れられて、その後の仕事に影響しなかった。それも不幸の元だったのかもしれない。
起こした事は擁護しようのないものだ。それでも嫌いになれないのは、彼の今までを見てきたからだ。
24時間で、ゴールするリーダーを見つめる潤んだ視線。明雄さんのお見舞いで、その手を握る姿。東京に避難してきた北登を撫でて、涙ぐむ様子。まな板事件。思い出すのが泣いているところばかりなのは、彼は悪い人じゃない、と信じたいからなんだろうか。
何が彼をここまで追い詰めたのだろう。
村がまだあったらなら、明雄さんがご存命だったらまた違ったのだろうか、等らちもないことを色々考えたけど、もちろん答は出ない。
おそらくアルコール依存症だと思われる状態になるまで、誰も彼を救えなかったんだろうか。一連のことで私がもっとも落ち込んだのは、この事かもしれない。メンバーの存在は、山口くんの救いにはならなかったという事実。
家族でもなく友人でもなく同僚でもない、メンバーという特別な存在に、夢を見過ぎでいたんだろうか。
一時期話題になった、連帯責任という言葉がもし適用されるなら、彼が病んでいくのを止められなかった、という点ではないか。もちろん実際のところは全くわからないけれど、思ったよりメンバー間の繋がりというのは薄かったのかな、と。アラフォーにもなれば、それが自然なのかもしれないけど、やっぱり悲しかった。
もう彼は見たくない、早く四人で音楽活動を、という声もネットでよく目にした。理屈では理解できるけど、感情的にはまったく受け入れられない意見だった。私には音楽の専門的なことは分からないけれど、例えサポートのベースを入れたとして、それは果たしてTOKIOの音楽と言えるのか。あの甘い歌声、ツインボーカルやハモりの美しさも、TOKIOの音楽の大きな魅力なんじゃないのか。深い信頼をおいた存在が奏でるリズムだからこそ、生まれるものがあるんじゃないのか。表立ってはとても言えなかったが、そんなことをつらつらと考えていた。
ファンの感情をよそに、結局TOKIOが音楽を再開することはなかった。かわりにささやかれ始めたのが、長瀬くんの脱退説だ。まさか、いやでも。また感情が振り回され、DASHやトキカケのちょっとした発言に一喜一憂したりする日々が続いた。
そして7月、正式に長瀬くんの退所が発表された。ショックと同時にああやっぱり、という気持ちもあった。でも、そのショックを打ち消すような、タヒチでの太一くんの言葉で、全てが報われたような気がした。ツイッターで、「浄化」という言葉を使っていた方々いたが、まさにそんな感じで。それくらい、「TOKIOは五人」という言葉はありがたいものだった。
何がつらかったって、まるで始めからいなかったみたいに扱われることで、何かのバラエティの結成秘話VTRで、山口くんの存在が抹消されていたときはもうファンやめそうになったくらいだ(やめてないけど)
だから、ひっそりと彼の痕跡を流してくれるDASHには本当に感謝してたいた。
そんなところに、メンバー本人からの、五人発言だ。大げさでなく涙が止まらなかった。今までの自分の感情を肯定してもらえた気がした。五人のTOKIOが好きだと、堂々と言っていいんだ。それが何より嬉しかった。
その後の会社設立、インタビュー、そして921のサプライズプレゼント。
会報の中でも、彼の話題が出ていた。松岡くんの「兄ぃ」を久々に目にしてまた泣いた。校正でいくらでも修正できるところに、あえてそのままにしてある辺りに、覚悟というか決意というか愛情というか、いろんなものを感じた。そもそも退所した人の話題が載ってるのがすごいかもしれない。更に写真が最高だった。やればできるんじゃんアイドル!なんで出し惜しみするの!でもありがとう!
正直にいうと、1回めよりはショックは少なかった。もちろん、このタイミングでなにしてくれてんの!とは思った。
しかし、ここ最近のTOKIOの動向やら、五人発言やらが影響したのでは、ということの方が気になったのだ。まだまだ回復には遠い状態なのだ、というのが悲しかった。これもネットで見た意見だけど、人様に怪我をさせたりすることがなかったのは、せめてもの幸いだったのかもしれない。生放送でのリーダーの言葉には、少し救われた。メンバー自らの発言はやっぱり大きい。
TOKIOは五人です、と言い切るならば、こういう事も起こり得るという、リスクも伴ってくる。だからそれなりの覚悟を持っての発言だったんだと思う。(まさかこんなにすぐ事件になるとは思ってなかっただろうけど)
これをきっかけに、TOKIOの今後が何かが変わるのか変わらないのか、それもよくわからない。
ただのファンには何もできない。ただ、適切な治療を受けられて、人や自分を傷付けることのない状態にいることを、祈るだけだ。
他のメンバーもだけど、どこでどんな仕事をするにしても、とにかく健康でいてほしい。幸せであってほしい。それが今の気持ちだ。
今もずっと感謝しているし、TOKIO名前を残して、続けてくれることが本当に嬉しい。
何なら今も、コロナやら何やらで結構人生のピンチなんだけど、今はTOKIOに救いを求められない。私はV6との掛け持ちオタクなんだけど、25周年のお祝いムードにもついていけていない。むしろ温度差の激しさで病みそうな状態だ。あったはずのTOKIOの25周年に思いを馳せたりしてしまう。不毛だ。
アイドルのファンでいるって、ただの趣味で、本当はもっと幸せなことであるはずだ。こんなに落ち込んだり考え込んだりするならやめた方が楽だろう。
今まで行ったライブで味わった幸福も、CDもDVDも、大切な宝物でありお守りだ。
一時期聴くのが辛かったけど、今はふつうにTOKIOの曲をシャッフルして、久しぶりに再生したカップリングなんかを聴いて、めちゃくちゃ名曲だな⁈と改めて衝撃を受けたりしている。
未来のことは分からないけど、元気で生きていてさえくれたら、いろんな可能性があると思うので。当分はこんな感じで、低空飛行なオタ活を続けていくんだと思う、たぶん。
もしこんな支離滅裂な長文を最後まで読んでくれた人がいたら!ついでにTOKIOの曲聴いてみてください!
この回のMVPは船木さん,竹内さんの2人。ともに初披露曲も含めて高いレベルのパフォーマンスを披露していた。特に船木さんの『もらい泣き』には本当に驚いた。
次いで岸本さん,宮本さん。岸本さんは『大阪で生まれた女』の謎のイロモノ感がなければ船木さん竹内さんに匹敵。宮本さんはとにかく全ての楽曲を「宮本佳林色」に染める能力が半端なく高い。
初披露曲を含めた全般的なレベルの高さでは,安定感のある井上さんが一歩抜きんでていた印象。前田さんがそれに次ぐ感じ。
他方,新鮮な驚きを与えてくれたのは笠原さんの『おとなの掟』。これに挑戦して初披露であのレベルのアウトプットはすごい。この曲を知らなそうな会場を置き去りにしていく感が最高だった。MCで本人が希望して歌ったとわかったが,笠原さんにはハロプロの価値観にとらわれず今後も自由にアイドルを生きてほしい。
佐々木さんの 『ハナミズキ』,小野さんの『I LOVE YOU』,平井さんの『海の声』は,それぞれさすがという感じ。やはり披露している回数の多い曲はパフォーマンスが安定してるだけでなく進化してたりするので出来が良いし面白い。
この回は前述の通り全般的にクオリティが低く感じられたが,その理由はおそらく曲目が変わって2日目(2回目)のパフォーマンスということで,まだ習熟度が低かったためではと考えている。
そんな中であえてベスト歌唱を選ぶとすると,清野さんと宮本さん。清野さんは難度の高い奇曲を高いレベルで歌い切っていた。宮本さんは少しリズムに揺らぎを感じたが,基礎がしっかりしていて,何よりも声と歌い方に特徴があり,何を歌っても「宮本佳林の歌」になるのは強みだと思う。
次いで序盤の前2人からの流れを立て直した竹内さんと,難曲を高いレベルでこなした山崎(夢)さん,浅倉さん。その後に植村さん,小田さん,笠原さんが続く,というのが個人的な感想。
テニミュに行ってしまった。生きている間は行かないつもりだったのに。
何故頑なに行きたがらなかったかというと、理由は簡単。自分は推しCPゴリ押し腐女子なので、公式のイベントで推しCPが見れるかどうかわからないのに金を出したくなかったからである。というか推しCPしか見たくないと言っている私のような人間が見に行くことにより、純粋に見たいと思っている人に失礼なのではないか?という思いもあった。
しかし、Twitterで初日公演を見たフォロワーが「推しCPめっちゃ凄かったですよ〜」と言っていたのを見て行くことを決めた。なんと自分勝手なことか。
私は2.5次元からはうんと離れた場所にいた人間だったのでまずどこで行われているのか、チケットはどうとるのかを調べるところから始まった。場所はまあ当日なんとかなることとして問題はチケットだった。こんな自分勝手な人間のためにコンビニで発券できるチケットなど残っているはずもなく、当日券に賭けることにした。まあ、仕方の無いことだろう。
当日、なんとか会場に着きチケットの待機列に並ぶことが出来た。初日は抽選になったみたいだが、今日はそのまま販売されることとなった。係の人に6000円を渡し、私の手元にチケットが渡される。恐る恐る見てみると、そこには「見切席」と印字されていた。運がないのは仕方がない。チケットをいただけただけでもありがたいと思おう。
いよいよ会場に入る時間となった。自分の席に着いてみると、まあステージの見えないこと!これでは推しCPが見れないのではないか?来た意味はあったのか?不安になる。
しかし、その不安は数分後には吹っ飛ぶこととなった。最初は他校から始まったが、その5これまでのダイジェストみたいな感じでメドレー(?)が始まった。私はそもそも好きなバンド、アイドルのライブにも行かないような引きこもりであるから感動が大きかったのかもしれないが、スピーカーが近くて自分の心臓にBGMが響くこと響くこと。そして、俳優たちの歌声。ユニゾンとハモりの音圧に圧倒された。1stの曲をほんの少ししか聞いたことのない自分でも知っている曲が、目の前で、生で、行われている。その時の自分の脳内にはもう推しCPのことなんてなかった。ただただ目の前で繰り広げられる歌、演技に感動した。あまりにすごくて鳥肌がたって寒気はするし、涙腺が緩んで泣きそうになってしまった。これがお金を出して生の演技を見るということなのか。
その後もとにかく凄かった。役者たちの洗練された動きのダンス。感情のこもった台詞。なんと言っても素晴らしかったのは跡部役の方のビブラートのかかった歌声。全員とてつもなくうまかったが、この方が特に凄かった。
第1幕はとにかく「テニミュ」というものに圧巻されてしまった。音、ライトに合わせて試合をしてるように見せるのにこの方達はどれほど練習し、どれほど苦労したのだろうか。驚くことしか出来なかった。
休憩を挟み第2幕が始まった。奇跡的に氷帝が見える位置で、少し落ち着き、自分のペースで見ることが見ることが出来た。推しCPを見ることも出来て、無事に教えていただけるならCPゴリ押し腐女子に戻ることが出来た。よかったよかった。
さっきと打って変わって試合をほとんど見ずに双眼鏡でずっと推しを追っていた。そうだ私はこのためにここへ来たのだ。ありがとう神。素晴らしかった。(しかしほかの役者の方々には申し訳なく思っている。)
初めて自分の目の前で行われる「テニミュ」というものを見たがとてつもなく満足し、感動することが出来た。これがお金を出して生で見るということかと実感出来た。なるほど、何度も見に行く人の気持ちが少しだけわかった気がする。
会場を出たあともしばらく心臓が高鳴っていた。心臓に悪い。もう二度と生きている間には見るまい。来世でまた会おう。
しかし、如何せん意志が弱いのでまた見に行ってしまいそうである。
ではまた来世。
よぉオタク、よく来たな。
そりゃタイトルにオタクなんて入ってるのにわざわざ読んでるようなのは、
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さて、attention!
そう、pixivのlogとかによくあるあれだ。オタク、よろしく頼む
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・このエントリにはガルパライブ5thの両日ネタバレが含まれます
・一発書きなので多分誤字脱字がある(恥ずかしくて通読してない)
・なんでも大丈夫な方のみどうぞ
・無理そうな方は無理せずブラウザバックして、どうぞ。
さて、それでは話を始めます。
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悲しむこともあったし、怒ることもあったし、楽しくなることだって、感動することだってありました。
CLANNADの汐みたいに、「泣いていいのは~」みたいなのを決めてたわけでもありません。
ただ、とにかく、何か起きても概ね因果関係を把握してしまい、Aが起きたなら結果はBだ、というように世の中を処理するようになりました。
オタクなのでアニメ見たり映画見たりするのですが、「あ、ここ泣き所だな?」みたいな所で
定まった型のような感動を味わおうとする、そんな風な性格をしています。
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さて、そんな私の過去ですが、物心ついたころから捻たタイプの百合厨でした。
わざわざ百合と銘打って検索し始めたのは少女セクト見てからのような気もしますが、
それ以前の私は女子プロレスにキャットファイト的興奮を素で覚えるような人間だったので、
嗜好としては推して知るべきといったところでしょう。
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一方で成績も悪くなく、本が好きなデブとしてオタクの例に漏れずインドア派の青春を送っていた私は吹部にそれを捧げます。
バイエル程度のピアノを履修したことのある私にとって、吹部はいい場所でした。田舎だったので周りのレベルが低く、
演奏技術として課されるノルマも相対的に低かったので、熱くなることもなく、無難な日々を過ごしていたと言えるでしょう。
感情に疎いので、コンクールの結果も概ね予想通りだなくらいの感想しかなく
――そりゃ金賞取ったら嬉しかったですし、銅賞なら悲しみもしました。でもそれはメンツやレベルで推し測ることができるものです――
ユーフォ一期一話の久美子ちゃんみたいに、「あ、皆悔しかったら泣くのか」みたいな感想を持つような人間でした。
まぁそれは今も変わってないのですが。
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そうやって生きてきた感情の薄いオタクは、――まどマギ見て胸がいっぱいになって人生で初めて感動で泣きそうになったりしましたが――
大学受験に失敗し、ラブライブに出会います。あ、ガルパのサービス開始はオタクが大学に入ってしばらく経ってからなのでもうちょっとかかるよ。
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高校で悪い友人に音ゲーを仕込まれたオタクは、project DIVAにのめり込みます。
extendを一日2~3時間くらいやってたのであえなく浪人。LPのあるゲームなら大丈夫やろと安易にスクフェスに手を出します。
浪人期の私にとって、スクフェスは勉強を除けば全てでした。リズムゲー、三話で現実を見るアニメ、二次創作で無限に供給される百合。
オタクがオタクたる所以がそこには三つの柱として屹立していました。ちなみにデレステのサービス開始一年前とかの話です。
オタクがラブライブを認めた理由は多岐に渡りますが、大きく三つ、曲と「演者である」というアニメの見せ方とライブです。
曲はスクフェスやってたので無限に聞き込みました。結果、メチャクチャ好きになりました。
アニメは三話が全てでした。オタクは吹部だったので、幕が上がった瞬間に、あれだけの宣伝をしたにもかかわらず客がいないその絶望に共感することができたのです。
自分たちの初めての演奏会、そんなに凄いものじゃなかったことは分かっていたけれど、やはりお客さんが少ないことに一抹の悲しみを覚えたことを。
理屈では分かっていても、目に見えて人が居ない、というのは堪えるものです。シンデレラガールズのNGお披露目回での未央ちゃんの反応も納得です。
そこを乗り越えてライブをするμ's二年生の姿に共感と誇らしさのようなものを覚えて、かつて一話切りしたアニメを見始めました。
ストーリーが死ぬほど面白かったか、と言われると人によって意見が分かれるところですが(いつもの私なら茶化してつまらなさを弄るところです)、
どうしても穂乃果ちゃんから逃げきることができず、オタクは穂乃果ちゃんのオタクになります。
普段の私からすると元気おバカ、それも主人公にハマるなんてひっくり返っても起こらないことです。
そして何気なく見てたyoutubeで、オタクはラブライブのライブ映像を目にします。
始めは何気なしにアニメのライブか、程度で見ていたのですが、オタクは気づきます。中の人がマジでパフォーマンスしていることに。
ラブライブはアニソンの例に漏れず歌唱難易度が高く、その上ライブではもともとアニメーションとして動いているダンスを再現しています。
このヤバいことを同時にやってのける凄い人たちがいる――。オタクはいよいよラブライブのオタクになりました。
しかし時は5thライブ直前、ラブライブのオタクとして日々思索するうちに、パフォーマーとしてのμ'sの中の人の体力的限界問題について考えるようになりました。
アニメ二期の流れ、μ'sが実は5周年を迎えていること、そういった諸々を鑑みたオタクは、μ'sの引退を予見し、取り乱し始めます。
結局、6thがファイナルとなった訳ですが、オタクは再受験に失敗し、μ'sが終わるという現実にも上手く対応できず、
それまで全て歌えたラブライブ楽曲も、PSYCHICFIRE以降、把握してるかすらも怪しいまでになります。
そうして、初めてコンテンツの興隆と寿命なんてものに触れたオタクは色々な感情を整理できないままラブライブから疎遠になっていきました。
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さて、ラブライブ疎遠期のオタクですがデレステやってました。CoolP、主にかえみゆPとして性懲りもなくスマホ音ゲーに手を出し、沼に浸かる日々です。
あ、ナナシスは曲が好きです。WUGは未履修です。すまない。アイカツは一番古いOPとEDしか知りませんが適当に聞く曲が大体好きなので大丈夫そうですね。
プリパラは3Dのやべー奴だしアイドル事変も未履修ですすまない。何を書いているんだ私は。
とりあえず大学に進学し、サークルに授業に忙しいオタクは、またしても感情を動かさなくなりました。人並みの情動はあれど芯が動くことはない、そんな感じでしょうか。
二次創作百合に手を出し、癒され、適宜アニメ干渉するような生活でした。そうしてリア充と言えなくもない時期を過ごし、
他人から「ホントにヤバいやつ」扱いされぬよう感情を覚え、心の外縁でそれが機能してるようなふりすることがちょっとずつできるようになっていきました。
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そんなあるときガルパの配信が始まり、少ししてからオタクの好きな曲がいっぱい収録されていることを知って、オタクは徐々にガルパをやるようになります。
大体半年くらい経った頃でしょうか。オタクはキョン子、久美子を始めとするクーデレのような何か(久美子は解釈が分かれるところでしょうね)が好きなので、
奥沢君が推しになります。その一方で曲の割合はポピパとRoseliaがメインなので自然とそれを聞くようになりました。配信サービスに乗っかってたのが大きい。
オタクの音楽の趣味ですが、F、Δ、7といったマクロスが履修済み、シンフォギア(履修中)の曲が好きすぎてパチンコを打つといった具合なので、
大ヒットしたのはRoseliaでした。今も昔も推しは奥沢君ですし、バンドとしては昔のアフロ推しから一転、箱推しになりましたがそれはそれとしてRoseliaはめっちゃ好きです。
Roseliaの何が好きって、Re:bitrth dayです。バンドストーリー本編最終話からの再生の曲、何度聞いても胸が熱くなります。
dearestに似た浮遊感すら感じますし、もはやロボットアニメの最終話、主人公機覚醒シーンとかでかけた方がいいんじゃない?みたいな妄想もよくしてました。
とまあ、いつものようにオタ活に励んでいたわけですが、Roseliaのプレイリストを聞くうちに、またうっかり好きな曲が増えました。
ここでようやく登場する本題、陽だまりロードナイトです。attention含めて3500字近い何かになってきましたね。なげぇよ。
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さておき、もともと私はこの曲のサビが大好きでした。今までのRoseliaの曲から一転、ボーカルの友希那を包むようなコーラス。
片方が主旋律で片方がハモりのはずなのですが、どうしても主旋律が二つあるように聞こえます。普段、好きな曲はある程度聞いたら歌えるようになるのですが、
この「どっちが主旋律か分からない問題」のせいでオタクは久々に一人で歌えない歌に出会いました。しかしオタクはこれはこの曲の良さだと素直に受け止めます。
それから、忙しさにかまけてRoseliaへの解釈はリサゆきメインの百合厨にそれをゆだねる日々を送っていましたが、その中でリサ姉はRoseliaの精神的支柱だという気付きを得ます。
そして友人のゆりしぃオタクから引退の報を聞きます。この友人、プロジェクト東京ドールズとガルパにめちゃんこハマっており、それはまぁゆりしぃオタクなのでした。
引退。よくあることですね。ラブライブのオタクとしてμ'sの実質的引退を経験した身としては、来るべきゆりしぃロストに向けて色々と語る友人に昔の自分を重ねつつ、
Roseliaのメンバー、中の人が一人交代するのか、位に捉えていました。オタク、FGOエンジョイ勢だったので丁度FGOでのマシュみたいなもんかな?といった感じです。
このオタク、ホント感情の動かなさが種田さんにも高橋さんにも失礼だな?ともあれゆりしぃ引退を聞いた時はそんな印象でした。心の外縁が悲しんでいる様子。
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それから暫くして、ラッキーボーイだったゆりしぃオタクの友人から吉報が届きます。ガルパライブ5thに当たったから一緒に行かね?と。いやほんとこいつ神だな?
ラブライブしか知らなかった頃と違い、大学に行くために実家を出たオタクは、物理的にライブ参戦が可能になっていました。もちろんOKの返事を出します。
もともと田舎出身の貧乏学生だったオタクにはライブ参戦という発想がそもそも無く、何もかもが初めてでした。オタクの知っているライブは、youtubeに公式が上げている
映像か、親切な友人等が貸してくれる円盤かのどちらかでした。そもそもOKした時はワンチャン黒沢さんが出るんか?みたいな印象でした。いやHPくらい見ろよ当時の私。
ラッキーボーイ友人のラッキーは流石に両日は保たず、day2が近所でLVとなりました。その時の私は「初日遠征、二日目がLVでRoselia」くらいの認識だったと思います。
許せ、リアルがごたごたしとったんや。そうしてライブの週になってようやくライブの中身を把握し、ポピパとRoseliaの聞き込みを始めます。一月前からちょいちょいやってたけどね。
その週、気の利くラッキーボーイはGiGSを読ませてくれて、Anfangを貸してくれました。おまけにAnfang付属のRoselia1stライブまで見せてくれました。ほんまいい奴やな……。
これが幾つもある今回のタイトルの原因のうち、最大のものでした。
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GiGSに載ってたのはRoseliaの中の人達が本気で楽器をやっていることの証明でした。吹部だったのでジャンルは違いますが、書いてあることは大体分かります。
全ての楽器の詳細な設定とか、横でそれの担当の奴が弄ってたな……。なんて読みながら感慨にふけりました。そしてその全てはたった一年で為されたのです。一年。
かつて私の部活にもいたのですが、途中から入部して毎日本気で練習して、最高のパフォーマンスをこなす凄い奴。横でその軌跡の一端を眺めてたからよく分かります。
Roseliaは考え得る最高の教育を、最高の形で受け取って、そして最高の形でそれを昇華したんだということを心にすっと感じました。芯に、真っすぐ感情が入ってきたのは久しぶりでした。
そして見せてもらった1stライブ。中の人たちのキャラを知るには十分でした。あいあいはぽんこつだし、くどはるはアクが強い。めぐちは良い人だし明坂さんはりんりん。
そしてゆりしぃはリサでした。まごうことなき今井リサでした。ツッコムわトークを回すわリサゆきだわでオタクはRoseliaの中の人たちにもメロメロでした。
キャラ作ってるのは知ってますが、そんなことはキャラとしてのRoseliaに、そして中の人としてのRoseliaにメロメロのオタクにはあまり関係ありません。
というか罹りたくて罹っている催眠が解けるはずないじゃないですか。そんなことより、これはパフォーマーとしてめちゃくちゃ優秀だということの裏返しだということにしましょう。
こうやってライブ数日前、私の中でRoseliaは完全にRoseliaとなりました。
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さて、ライブ当日です。一日目の遠征は最高でした。Light Delightのサビのサーチライトの演出とかほんま神だったしポピパの中の人の新曲への熱意が凄かったしでオタクは普通に楽しんでいました。
ここで、オタクはかなりの感傷に浸ります。何となく生きてきた人生とは、全力でパフォーマンスする演者による素晴らしいパフォーマンスとは、そして自分とは――。
ポプテピピックの「明日死んじゃったらどうする?」状態です。今までの情動しかない人生に比べて無限に大きな感情がやって来た。処理しきれなくてバグっていました。
そうして帰りの夜行バスの中で最後に落ちてきた風船を眺めながら、パフォーマンス、ライブとしてのラブライブをちゃんと終わらせてなかった、
ラブライブから逃げ出してしまっていたのかもしれない、というところまで何とか思考が帰ってきました。このぐちゃぐちゃと感動、感傷、とにかく感情のすべてを解くカギとして、
幕張から持って帰ってきた風船は捨てずにとっておこう、なんてことを考えていました。そう、遠征一日目はこんな感情だったのです。外縁で処理しきれることも多かった一日目でしたが、
それでもかつて心の中心に居た何かを呼ぶには十分だったのです。
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そして二日目、LVでした。始まる前からゆりしぃ引退が頭をよぎり、「今日はタダじゃ帰れないな」と気が気でなかったような思いがありました。
何事もなくライブは進み、そして陽だまりロードナイトが掛かりました。どこか冷めた自分が、「お、陽だまりロードナイトだ」と心の中で平坦に言ったような気がしています。
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声となって
表情となって
導いてくれる
やさしい人よ
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リサ姉はほんとにそんな人なんです。こんなにも長い間音楽と触れ合ってきて、歌詞のすべてが心の芯まで揺らしていたのは、人生で初めてのことでした。
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二番に入り、
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離れていても 帰る場所がある
どんな時でも 傍にいてくれた
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Aメロはリサであるゆりしぃのことなんだな、というのがさっき心にやって来た衝撃以上の共感となって、瞬時に理解できました。
たとえRoseliaのパフォーマーとしては離れることになっても、ゆりしぃにとってRoseliaは帰る場所であることができるし、
Roseliaのメンバーにとって、ゆりしぃはリサとして、ゆりしぃとしていつだってRoseliaに居たんだ、そんなことを思いました。
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太陽となって
月となって
照らしてく
つよい人よ
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陽だまりロードナイトを聞くとき、これはリサの歌だと思ってたんですけど、ライブでここが流れたのを聞いた瞬間にその思いは少し変化しました。
Roseliaのベーシストとして、太陽のようにファンの前で、Roseliaの中で輝いてきたリサとしてのゆりしぃが、
これからはRoseliaとして表舞台に立つことはないけれどメンバーの心を照らし続けるように、Roseliaに、そしてファンの中に残り続ける。そんなことを思いました。
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この曲では、語り手が「語り掛ける相手」が居て、二回出てきますがどちらもリサを想定することができます。
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「あなたがいれば、怖くないよ」
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と
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名前を呼ぶ声
こんなにも特別な事だと
想い あふれてゆく
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です。文字通り、リサが、ゆりしぃがいればもう怖くないし、たとえそれがRoseliaのなかであってもそうでなくとも、という感情がやって来ました。
これからいなくなってしまうゆりしぃが呼んでいた誰かの名前、Roseliaのメンバーが呼んでいたゆりしぃを呼ぶ声。その一つ一つが、全て特別なものだったんだよ、と語り掛けてくるようでした。
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本日のWESTival広島昼公演にて、ジャニーズWESTのオタクを一旦休むことにした。
休むといってもCDは買うし、いずれ行われるであろう次のツアーにも参戦するつもりではいる。
じゃあ何が休むんだよって話だけど、休むのは物的な話ではなくて気持ちの話だ。
2016年12月24日、人生初めてのコンサートで「私はずっとこのグループについていこう」と心に決めた。あれ程幸せなクリスマスは後にも先にもないだろうし、あの瞬間に私はいつ死んでもいいと思った。
純粋に彼らのことが大好きで、彼らが眩しかった。このグループを好きでいてよかった、濵田くんのことが好きでよかった、濵田くんの仲間がこの6人でよかったと心底思った。
しかしそんな純粋な「好き」の気持ちはいつのまにか歪んでしまった。
始まりは『おーさか☆愛・eye・哀』発売の頃だったように思う。ジャニーズWESTの並び順が変わったのだ。
それまでは重岡センターや虹色順以外の並びにこれといった決まりはなかったはずなのに、いつのまにか[小瀧・重岡・藤井]の並びが固定化された。また、この『おーさか☆愛・eye・哀』には自担のパートがなく、同三人と神山くんに見せ場となるパートが用意されていた。濵田くんには何もなかった。
それ以来、彼のポジションやソロパートを意識する機会が増えた。元からハモりパートが多い彼だったが、A面でのソロパートはこのシングルを機に少なくなったような気がする。
そんな小さなことで、そんなことを気にするなんて、メンバーみんな好きなんだからそれくらい気にするな、被害妄想じゃないのか、何度自分にそう言い聞かせたかわからない。それでも私はどんどん辛くなっていった。
私は7人一並びのジャニーズWESTが好きだった。勝ち馬しか乗りたがらない私は、適材適所で平等な彼らだからこそ濵田くんを好きになった。だからこそ並び順が変わったこと、固定化されたことが辛かったんだと思う。自分が勝ち馬に乗りたいだけかもしれないけれど。
他のオタクからしたら、自担のことばかり考えてる自分勝手な奴、7人全員を愛してやれよと思われることかもしれない。でも私は無理だった。濵田くんのことが好きなのは変わらないけれど、濵田くんのパートが少ないこと、ポジションが固定化されたこと、実際に濵田くんにあまり人気があるわけではないこと、そんなことが気になって気になって、いつしかそれが歪んだ気持ちを生んでしまった。
最終的に、他の6人に対して嫉妬のような醜い感情を向けてしまうようになった。
濵田くんが好きなあまりというより、自らの承認欲求を満たしたいがためだった気がする。
いずれにせよ、もう2016年12月24日の私はいなくなっていた。
そうなってしまってからは、応援していると気持ちが苦しくなる一方だった。こんな醜い気持ちで応援している自分も嫌になった。幸せそうな他担のツイートも、私と違って純粋に彼を応援している同担のツイートも見れなくなった。
でも、歪んだ感情になってしまっても、彼らを降りることはできない自分がいた。それは濵田くんのことがまだ好きだからだ、と信じたい自分がいる。しかし、「濵田くんが好きな私」というアイデンティティとジャニーズWESTがきっかけで生まれた人間関係のため、そしてここまでかけてきたお金と時間による意地じゃないのか?と言われて完全に否定することができなかった。どこまでも自分の感情は醜かった。
そんな複雑な気持ちを抱えて挑んだ、2月のWESTival宮城公演。生で見ればやっぱり7人全員輝いているしかっこいい。しかしどうしてもあのクリスマスほども盛り上がれない自分がいた。その後の二回の大阪公演でもそれは同じだった。
そして自分の決定的な気持ちの変化に気づいたのは今年の4月1日に入ったSexy Zoneのツアー大阪公演である。純粋に楽しかった。かっこいいケンティを見て自然と悲鳴が出た。その気持ちと悲鳴はジャニーズWESTにはなかった。
「ああ、やっぱりもう好きじゃないのかもしれない」。ちょうどSEVENTEENにハマり始めていたこともあってその気持ちは大きかった。そしてもう彼らのことを純粋な気持ちで見れないこと、好きが歪んでしまったこと、あと単純にジャニーズWESTというコンテンツへの飽きを感じた。明確に彼らと区切りをつけるべきであることを感じさせられた。
しかしそれでも濵田崇裕というアイドルを降りることはできないと思った。自分本位な醜い感情は否定できないけれど、やっぱり「好き」という気持ちが残っているのだろう。
だから私は広島公演を一つの区切りにしようと決めた。広島公演を最後に彼らに対する気持ちを整理しよう、彼らを純粋に楽しめる自分に戻るために一度彼らから離れよう、そう決めたのだ。
明確に終わらせるわけではないけれど、ここで一旦区切りをつけようと決めて挑んだ広島公演は思い出深いものになった。
「最後だからあわよくばファンサもらえねーかな」くらいの気持ちで汚い団扇を作って、まあでも案の定気づかれることはなく、呆気なく終わった1日目。ここで若干燃え尽きたところはあった。
付き合いで仕方なく、という気持ちで入った2日目。もう団扇を持つ気はなかったが、同行の友人が「せっかく作ったんでしょ!私が持つよ」と団扇を持ってくれた。席はスタンドで、スタトロが来た時にもしかしたら、くらいの距離。今まで悉く相手にされなかった私は若干諦めつつも来たら頑張ろうという気持ちだった。
そしていざスタトロが通ったとき、隣の友人の強いアピールに押され、「これが最後だから!!」と私も必死で彼に手を振り名前を呼んだ。少し離れたところに同担がいて濵田くんは彼女の「釣って」団扇に反応。もう無理だろうな、ファンサもらうことなく終わるんだろうな、その一瞬でそう悟ったその時だった。彼の視界に自分が入ったのがわかった。今までに感じたことのない確信があった。
彼は私と団扇を持って来れた友人に向けて手を振ってくれた。周りには必死にアピールするオタクがたくさんいた。それでも私の方だけを見て手を振った。
確信はあったが自身のない私は一瞬戸惑った。しかし彼はそれを察してしっかり頷きながら私に手を振ってくれた。他の同担もいただろうに、私の前を通る時は私にだけ手を振ってくれた。
「ああ、これで心置きなく最後と言える」
一瞬のその時間でそう感じた私の口から出た言葉は「ありがとう」だった。彼に届いたかはわからないけれど、本当にそれしかなかった。Twitterではネタっぽく書いたが、心の底から自然と出た言葉だった。これまで濵田くんを応援できて幸せだったな、出会えてよかったな、という素直で純粋な気持ちが久し振りに帰って来た気がした。
そして最後のコールアンドレスポンス、いつもセンターの重岡が舵をとるおきまりのコーナー。しかしなぜか今回は重岡が濵田くんを指名した。いつもはそんなこと絶対にない。自分を含めたオタクたちの戸惑いをひしひしと感じた。これはいつものネタで重岡が結局やるんだろうな、と思っていたが、本当に濵田くんの掛け声でライブが幕を閉じた。
私はこれが自分への何かしらのメッセージだとしか思えなかった。そんなわけないことはわかっているけれど、濵田くんが、ジャニーズWESTが、こんな私でもまだここにいていいよと言ってくれているように感じた。
それでも、このまま応援し続けたらまた醜い自分が出て来てしまうと思う。彼らに対する飽きが来ていることも否定できない。
だから私は彼らを応援することを休むことにした。どう言うスタンスになったのかを説明することは面倒臭いので省略するが、彼氏が一番気の合う友達になった感覚が一番近いと思う。
これから自分の気持ちが戻るかどうかはわからないけれど、一旦今の気持ちを記した。本当にいい区切りになったと思う。
みんなのことが純粋に好きだと感じられる日が来るまで、しばらくの間さようなら。
試写会にて視聴
事前情報は3つ
・そこまで期待してない
貧乏な出で仕事も首になったけど、機転と発想で成功を目指して見世物小屋をやる
予想以上だった
歌がすげーよかった
見終わった後すげーテンションあがった
映画始まる前に主役のヒュージャックマンの特別な映像で「これはサクセスストーリーです。特別試写会をぜひ楽しんでください」みたいなビデオメッセージがあった
ストーリーがよく言えば王道でわかりやすく、難しいことを考えなくてもいい
この時期の試写会だってのに途中でトイレに立つ人が数人いたくらいで咳もくしゃみも1回も聞こえなかったくらい見てる人を入り込ませる力があった
それがすごく日本的なセンスのシーンで、個人的にものすごく面白くてほんと大好きだった
さりげない・何気ないシーンだけど、ものすごくいとおしいラストシーンの一つだった
歌がすごくいい
思ってたよりもかなりよかった
どこがよかったか
メロディが印象的で見ながら口ずさめるくらいの気持ちよさがあった
歌って踊ってるシーンを静かに見てる自分たちがなんかすごくあほなことしてるように思えるくらいだった
ガルパンの絶叫上映じゃないけど、これも同じような上映やってほしいなと思う
ハーモリーと名付けよう
声質とかもろもろあってる必要があると思うんだけどマジでぴったりだった
どちらもめちゃくちゃきれいで歌単体ですごく心地よかった
キャラはよかった
ヒュージャックマンってやっぱりロバートダウニージュニアに似てる・・・
新聞の批評家は最初いやみキャラかなと思ったらそれだけじゃなかった
むしろそれがあったから最後らへんの展開で生きたキャラになってた
あと歌はサントラ欲しくなった
ストーリーが悪く言えばありがち
作中で結構時間たってるように見えるのにみんな全然見た目が変わらない(特にヒュージャックマンの子供たち)のが違和感
ミュージカルだから字幕だったけど映像がめまぐるしいのと字幕追うのとで目が回った
ただでさえめまぐるしくて目がすべるのに字幕で見る映画じゃないなと
ミュージカルだからそこを吹き替えってのは難しいし吹き替えたら声も意味も変わっちゃうからやらないほうがいいのはわかるけど
セリフと歌はところどころ聞き取れたけど、歌が盛り上がってるとなんていってるかはほぼ聞き取れない
試写会限定だと思うけど、スタッフロールの後、いきなり日本の女子高生が映画の歌で踊りだす動画が流れたこと
結局映画の宣伝ってことらしいけど、映画の直後に見せられると本編とのギャップがありすぎていろいろとひどすぎる出来にしか思えなかった
余韻が台無しにされた感じがして残念だった
試写会前の宣伝PVで、銃夢っぽいけどタイトル違う?と思ったけど後で調べたら銃夢原作の映画だった
原作の1巻1話の冒頭しか読んでないのに銃夢っぽいとわかるくらいニヤリとしてしまうPVだった
暖かくなると虫のように若者が夜の公園に集まって騒ぐ。飲食、タバコ、遊具破壊、ゴミ散らかしまでは目を瞑っていたけれど、今日は花火をしていて怖かった。まだ空気は乾いている。
大体は高校生くらいの男の子たちで、まだ肌寒いだろうに夜中に集う場所がないんだなと一瞬肩入れしてしまう。下手なハモりの「セロリ」が聞こえたときは、逆に切なくなってしまった。やっていいこと/いけないこと/やりたいこと/期待されていること、入り混じって焦燥感があった年頃を思い出してしまう。カッコつけたかった若さを思い出して恥ずかしくなってしまう。
しかし現実問題、彼らは迷惑だ。うまい棒、スーパーの照り焼き弁当、マルメンのクズが散らかり、すべり台はボコボコにされ、氷結ストロングの空き缶、スミノフの空き瓶が転がっている。砂場には意味不明な巨大な穴が空き、ダンボールがそこら中に散らばっている。
さて、大人としてあの子達に注意しないといけない。なんて言おうかな。どうやったらいいかな。速攻警察に連絡でいいのかな。そんなんじゃモテないよ超ダサいってフワフワしたガーリーな格好で言いに行ったら引っ込むかな…