Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「ハムレット」を含む日記RSS

はてなキーワード:ハムレットとは

次の25件>

2025-11-24

https://anond.hatelabo.jp/20251123041412

女体化ハムレットと令和日本の男看護師ボーイミーツガールやりたいための舞台しかないとはいえ

国も時代関係ない死者の国なんてもの出すならもっとカオスにしないと説得力ないと思うんだよなぁ

織田信長だったりナポレオンだったりヒトラーだったり色んな国、時代武将やら独裁者やらがひしめいてそうなところを

最も見果てぬ地に近い=全ての時代の死者が集まる地でトップに立てるグロティウスって物凄い傑物ってことでいいの?

Permalink |記事への反応(0) | 16:27

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

https://anond.hatelabo.jp/20251123041412

終幕のどんでん返ししろ、考えてみりゃ叔父一味が来てるって事は死んでる訳なんでそもそも延々とやってた復讐云々の話は無意味だし、生き返ったら毒ワイン誤飲して臣下諸共全滅してました!って馬鹿にしてんのかって話だし。

あんだけ民衆にも嫌われてたんだからそこは昏睡してる間に民衆の反乱起きて全員処刑されてたとか、導入前の下りスカーレット叔父王一味も共倒れで全滅させとくとかやり方はあったと思うし。

そもそも異世界坊主頭復讐云々やらの説教大会やらゆるふわ王女意識改革やりたいだけで話が成り立って無いんだよな。

ハムレットを知ってる云々の通気取りって、こんなハムレット馬鹿にした話を絶賛してる時点で浅はかと言うか。

果てしなきスカーレット

Permalink |記事への反応(0) | 15:45

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

ハムレットといえば有名なあのセリフ

To pee, not to pee.

Permalink |記事への反応(0) | 11:47

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-23

増田は『ハムレット』を一行も読んでいない

Permalink |記事への反応(1) | 22:54

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

オタクもの教養の深さにドン引きしてる

果てしなきスカーレットハムレットモチーフって話でさ

レアティーズの扱い悪すぎ!ってキレてんのな

何?レアチーズケーキ?って思ったらハムレットライバルポジ

ガンダムでいったらシャアみたいな立ち位置になるんかな

そんなんらしい

俺も生きるべきか死ぬべきか、とかオフィーリアくらいはしってたけどさぁ

レアティーズって名前キャラが出てきてもケーキかよw草wくらいしか思わんわけじゃん

あいつらラノべしか読んでないと思ったら意外と勉強してんだな

Permalink |記事への反応(0) | 09:00

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

ハムオムレツハムレット

こうですかわかりません…😟

Permalink |記事への反応(0) | 04:16

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

細田守は『ハムレット』を一行も読んでいない。

『果てしなきスカーレット』を観た。

細田守云々を抜きにしても激クソにつまらない映画であり、業界人がかろうじて擁護している映像美的な部分も近年の人気作品指輪とゲースロとマッドマックスアナ雪とエルデンリング)の寄せ集めでしかなく陳腐まりなかったのだが、それは俺個人の感想で、別に他人が褒めようが貶そうがどうでもよい。はっきりいって細田守と見れば何でも叩こうとする今のネット環境のほうが異常だ。むしろ、今細田作品擁護しようとするほうが勇気ある人間だと言っていいだろう。

そう思い、SNSでは感想を控えてきた。


が、そのSNSで見てしまったのである

「『果てしなきスカーレット』がわからないやつはシェイクスピアという古典がわからないやつだ」とほざいているスカ褒めポストを。



はあああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜????????????



おまえ、『ハムレット』観たことある? 誰の訳でもいいから、読んだことある??????

筋とかキャラクター、知ってる?????


もし知ってたら、「『果てしなきスカーレット』を理解できないやつは『ハムレット』を知らない」なんて、口が裂けてもいえねえぞ。


『果てしなきスカーレット』を『ハムレットベース物語として観た場合基本的には「『ハムレット』を読んだことのない人間イメージで作った」という結論に至るのが自然だ。


前提として、ある古典を、それも何百年も前の物語に則って何かを作ろうとする場合原典より、より濃く、深く、複雑に作ろうとするだろう。最低でも、原典の味をそのままにしておこうと考えるはずだ。

それをあろうことか、細田守は鍋に大量の水をぶちこんで薄めてしまった。

たとえば、敵役たるクローディアス。『スカーレット』でも『ハムレット』でも主人公が付け狙う憎き叔父だ。

スカーレットの終盤(ネタバレ?知るか)、クローディアスは後悔をにじませながら天上の存在祈りを捧げる。

始めは俺も「おや」と思った。

というのもこれは『ハムレット』にもあるシーンだからだ。クローディアスが前王殺害懺悔する(しているように見える)場面。

それまでシンプルな悪役だった『スカーレット』のクローディアスにも事情があって、実は複雑なキャラクターの持ち主だった……とひねるのは、展開的にも今の世界を描くというテーマ的にも効果的ではないかもしかして、多少は脚本がうまくなったのか、細田守


だが、その期待は十秒後に裏切られるクローディアスの懺悔は偽の懺悔だったのだ。彼はどこまでも単純な悪でしかなかった。


この調子で、一事が万事原典キャラクターたちが改悪されていく。

ローゼンクランツとギルデンスターンは多少しょうがないとはいえ母親のガートルードはひどい。『スカーレット』ではマクベス夫人的な要素を持った「悪女」として描かれるが、その背景となる物語動機ほとんど描かれないので、ただの淫奔な毒親しか見えない。『ハムレット』では、わけのわからん息子と現在の夫とのあいだで板挟みになって苦しむかわいそうな人だったのに。

しかし、一番かわいそうなのはレアティーズだろう。ハムレット恋人オフィーリアの兄にしてハムレットの良き友人。しかし、ハムレットが原因でオフィーリアが死んでしまたこから仲違いし、最終的には殺し合うことになるという、ハムレットもっとも激アツなキャラのひとりだ。

このレアティーズが『スカーレット』では「クローディアス率いる悪の組織幹部C」くらいのポジションになり、特に深堀りも見せ場もないまま、小悪党として惨めに退場していく。

ハムレット』を一行でも読んだことある人間なら、まずこんな扱いは思いつかないはずだ。


とはいえ細田守が『ハムレット』を読んでいないとは思わない。タイトル釣りだ。

読んでいる証拠は、両作にとって重要なくだりである「父王の亡霊が語りかけるシーン」にある。

ハムレット』では冒頭に死んだ父王が現れ、ハムレットに「復讐せよ」と語りかける。これがそもそも悲劇の始まりなのだが、『スカーレット』では父王の亡霊を逆にラストに置き、「復讐」や憎悪とは正反対優しい言葉をかけてスカーレット復讐呪縛から解き放つ。つまり、父の言葉が『ハムレット』では呪縛、『スカーレット』では解放になるわけだ。

巧い反転だとは思う。そもそも物語と話運びがカスでなかったならば。

ハムレット』にはこういう嘆きがある。「この世の関節が外れてしまった」。弟が兄を殺し、その妻を奪い、正統な後継者である兄の息子から王位簒奪する。狂った世界である。こういう狂った世界を正すには自分が狂うしかない、というのは『ハムレット』のひとつの読みだ。

スカーレット』で描かれる現代世界鏡像としての作品世界も「関節が外れてしまった」世界といえる。だから、『ハムレット』をベースにするのはある意味で正解ではあった。だが、狂い方に失敗してしまった。狂えなかったのだ。だって細田守って世界とかたぶんどうなっていいって思ってる人だもん。常に「個人」と「自分」を描いてきたことは、これまでの作品証明している。

ファンの中には「これまでの得意分野を捨てて新しい領域に挑戦したこと評価すべき」との声もあるが、ファンタジーも古典もなめくさった扱いしかできないのに、なにを評価しろというのだろう? 人には向き不向き、そして心を込められるかどうかがある。

『竜とそばかすの姫』は駄作だったかもしれないが、少なくとも細田守の魂が幾分かは込もっていた。だが、『スカーレット』は? これこそ、虚無以外の何物でもない。


おそらく、『ハムレット』の「生きるべきか死ぬべきか」という名台詞に「生きること」という作品テーマ見出したのだろう。別に間違っているとまではいわないが、安易にすぎる。全体的に、安易にすぎるのだ。序盤で、坊主頭の聖を始めてみたスカーレットが「僧侶か? なら寺に行け!」というセリフがある。素でよくわからないギャグだろう。これは『ハムレット』でハムレットオフィーリアにかける「尼寺へ行け!」という有名なセリフオマージュだ。

なるほど。だから

からない。俺にはなぜここで「尼寺へ行け!」の引用が出てくるのかまったく説明できない。意味脈絡もない。

スカーレット』の問題は、『ハムレット』にかぎらずあらゆる要素がすべてそのような安易さの織物で出来ていることだ。どこかで聞いたようなセリフ、どこかで見たような展開。すべてが軽い。


からSNSの民よ。

俺の前のもう二度と「古典がわからないやつは『スカーレット』がわからない」などと言ってくれるな。お前も『バケモノの子』で『白鯨』がどんな扱いされてたか、観ただろ? ああいうやつだぞ? 細田守っていうのは。お前たちはどうせ『スカーレット』を映画館で一度っきりしか観ないのだろう。SNSマウントを取る目的で観て、明日にはもうきれいさっぱり忘れるのだろう。

だが、俺は今日も観る。初日と土曜で一回ずつ観て、また今日も観る。なぜって?


細田守ファンからだ。

Permalink |記事への反応(15) | 04:14

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

『果てしなきスカーレット』見てきたので感想

細田守監督いじめててごめんね……許してください……

という感じになりました。いじめっ子の悔恨

しかに「またケモショタかよwwwwww」と僕たちオタクは好き放題彼の作風をイジってきたし、『竜とそばかすの姫』のときも「あーはいはいこの竜が喋るんでしょ?」と思ったら本当に喋ったので笑っちゃったし、『未来のミライ』は残念ながら見損ねてしまったんだけどもショタ尻尾バイブでアナル絶頂CMが流れてきたときは「自重wwwwww」などと思ったわけだが、「よっしゃ、じゃあケモショタ抜きで作るぞ」という決意表明のもとお出しされた作品を見たとき感想「ケモショタのほうが良かった……」という感じになってしまった。

そもそも僕は細田守にケモショタを捨ててほしいわけではなかったのだ。むしろ個人的には彼の描くショタ制服少女はすごく好きだ。監督を「またケモショタw」とイジるというのは、まあ愛情表現のようなものであって本気でやめるべきだと思っていたわけではない。彼に対してネット民辛辣だったというのも、アンケートなどを取ったわけではないので実際に「皆」がどう思っていたかはわからないのだが、少なくとも増田としては「細田くん! 君に一般向けは向いてない! オタク向け作品を作ろう! ファミリー向けを取りに行くのはあきらめて、ポスト宮崎駿への色気も封印して、オタク向け作品で好きなだけ性癖誤用)を描こう! ショタケモノやケモショタやイケオジや可愛いけど薄味な女子高生理想郷を作ろう!」というつもりだった。

要するに、「一般向けのつもりで作っときながらケモショタ出してんじゃねえよ」というのは「ケモショタ出してんじゃねえよ」という意味ではなく「一般向け作るのやめなよ」という意味だったのだ。しか細田守は前者の意味解釈したようで、今回は一切ケモショタ抜きの作品をお出ししてきた。国民アニメ監督という立ち位置にありながら『すずめの戸締まり』で本気の足裏サービスカットをぶち込んできた新海誠とは逆方向への覚悟の決まり方だが、そういうことじゃねえんだよな~~~~~~~!!!1!!

ただ、「面白いと思ってこいつのことイジってたら、真に受けてほんとにやりやがったw」というのはまごうことないじめっ子のセリフであり、細田守監督がどれだけネットの声を気にしていたかはわからないが、彼の作風をイジっていた者の一人としては真剣反省せざるを得ない。無神経にイジっててすみませんでした、監督

で、本編の感想なんですが。

日本オタクからイジられすぎて海外向けに舵を切った?」という感想になりました。わかりやすハムレットの導入(でもハムレット踏まえといてレアティーズのあの扱いは何なの!? 友として死ねよ!)、しかし主役は女性、途中で謎の多様性演出が挟まり(おお、DEIに栄光あれ!)(ちゃんハワイ語ハワイ舞踊の監修入れてたのは偉いと思うよ。ハワイ文化が出てくる必然性を気にしないのであれば)、脈絡もなく歌って踊ってのシーンを挿入しコミカルでお間抜けな敵を配置し(このあたりはマジでディズニー感があった)、いわゆるアニメ絵的なキャラ造形を封印してものすごい迫力の映像美に力を入れる、というのは、従来の「日本アニメ映画」だった細田守作品から脱却しようともがいているように思われた。それが良いかいか価値観次第だが、「日本アニメ映画」を期待していた者としては寂しいものがあるというか、僕は細田守作品キャラデザ好きだったよ……という寂しさに襲われてしまった。

問題海外向けアニメ映画だと割り切って見たところでストーリーの出来などが色々と厳しいというところで、ちょっと思ってた以上に脚本支離滅裂というか、「これはきっと僕の理解力が低くて筋を追えてないんだろうな」と思いながら見てたけどネット上でも不評でちょっと安心した。『おおかみこどもの雨と雪』は今改めて見てもよく出来てたよ。やはり奥寺佐渡子……奥寺佐渡子はすべてを解決する……!

聖くんがあれだけ忌避してた殺人に手を染めたところに何のフォローもないのってどういうことかしら? あれだけ登場人物気持ちを全部言葉に出しちゃうマン細田守監督なのにこのシーンの聖くんの感情がいっちょんわからんので「???」ってなってしまう。彼はどういう決意でもってあのひとたちを射殺そうと思い至って殺したあとはどう考えていたの? いや、「お前そういうのはいちいち言葉にするもんじゃなくて表情や動作から読み取るものなんだよ。それが映像作品を見るうえでの読解力だろ」ってのはそれはそうなんだけど、上述のように「でも細田守はこれまでいちいち言葉にしてたじゃん」っていうのと、すみません! 僕には読み取れませんでした!」っていうのが両方ある。みんなは読み取れましたか? 読み取れたひとは根拠を添えて教えてほしい。マジでわからんかったので。

最後のほうは「宗教映画?」って感じでした。ラスト演説はもうしょーもない。主人公にそこまで言わせるなら共和政に移行させろよしか言えないファンタジー作品ってままあるよね(『BASARA』の「それが、それこそが新しい国ぞ!」っていうセリフは今でも印象に残ってる)(『汝、暗君を愛せよ』はちゃん主人公共和政への道を敷いてる作品なのでみんな読もう!)(全然関係ないけど最近プリキュアって主人公意識高いこと言わせる割に王国とか女王とか王女とか出てきて彼らが(象徴的な君主制ではなく)実権を保持してる描写もあるので何でそこだけ封建的なんだよって言いたくなりません?)。

あとヒロイン名前スカーレットファンタジー風のPVだったので「なるほどヨーロッパ風のファンタジー世界なんだな!」と思って見始めたら16世紀デンマーク王国舞台と冒頭で明言されててビックリ仰天。スカーレットって英語ですよね……? なんで歴史上のデンマーク王国王女名前採用されてるんです……? 「たまたま異世界デンマークっていう国があるんだよ」っていう逃げは本編の展開で潰されてるのでマジで現実世界デンマーク舞台からねこれ。正気? それとも「一度も現実世界日本のことだとは言ってないです」って言い張る? っていうかクローディアス王の配下でコーネリウスっていうやつが出てくるんだけどクローディウス」「コーネリウス」か「クローディアス」「コーネリアス」のどっちかに統一しろって思った。もしかしてこの2つが同じ語尾の名前だと気づいてないんです? いやまさか、そんなそのへんに一山いくらで転がってるなろう作家並のファンタジー世界構築センスしか持ってないのに歴史ファンタジーの大作映画を作ろうなどと考えていたなどということはないだろう……ないよね? そもそも論で言うとさぁ、シェイクスピア登場人物日本では英語読みに基づいた表記をされてるのはシェイクスピア英語で書いた前近代作家からであって、現代日本作家が何でデンマーク人名英語読みするんだよ!

あ、最後に目覚めてからの断髪スカーレットちゃん可愛かったね。身体ラインピッチリ出るドレス姿、『おおかみこどもの雨と雪』での花の造形にも繋がるフェティシズムを感じて良き。もしかして細田守って腋チラ描写が好きだったりする? 新海誠の足フェチと違ってそこまでわかりやすくないから僕の節穴アイでは気づかなかった。反省。服を切られて恥ずかしがるスカーレットちゃんの声エロくて良かった。あと映像美はすごいよ。『サマーウォーズ』とか『バケモノの子』とか『竜とそばかすの姫』とかで見た浮遊する巨大生物演出が研ぎ澄まされていた。あれは映画館で見る価値があった。時間の都合で何も考えずにIMAXにして正解だったわ。これ『時をかける少女』で見た! みたいな感慨に襲われる演出もあったし「お前タイムリープしてね?」みたいな話の筋だったからもうなんか実質『時かけ』ってことで良くない? 良くないですかそうですか。

結論としては、万人向けではないけれども、まあ、オタクなので、話題作の情報を手に入れるために、そして同好の士と語らうために見に行っても、まあ、うん、数千円ぶんの損しかしないと思う。見たあとに同好の士と語らいたくなるという意味では非常に優れた映画だと感じた。映画会社はそろそろ懲りろよというか、スクリーン配分の見直しをしよう? な?

Permalink |記事への反応(4) | 02:49

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-21

ハムレットってあらすじだけ見たら全員バカしかいねぇアホらしい話なんだけどちゃんと読んだら面白いのですか?

Permalink |記事への反応(0) | 15:05

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-24

anond:20250924165538

ハムレットとか嫌いそう

Permalink |記事への反応(0) | 16:56

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-24

ハムレットかと思ったらハム列島だったらどうしよう。

Permalink |記事への反応(3) | 08:30

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-20

シェイクスピアまさか下北沢降臨!?悲劇喜劇が鰻のゼリー踊る~

時は令和、空前の個性的スイーツブームが到来!映えまくりスイーツも出尽くして、「次にくるスイーツは何!?」って、みんなが奇抜な組み合わせを求めてた20XX年。そんな中、下北沢劇場街に、マジで浮世離れしたイケメン紳士が現れたんだってフリルたっぷりブラウスに、なんかこう、憂いを帯びた瞳と詩的なオーラをまとったお方。「え?演劇の人?インディーズバンド?」ってみんなが遠巻きにしながらも、その圧倒的な存在感に目を奪われてたらしい。

「わたくしは…ウィリアム・シェイクスピアと申します。」

え?マジで?あの『ハムレット』とか『ロミオとジュリエット』とか書いた、世界一有名な劇作家シェイクスピア!?ヤバすぎ!って文学好きのギャルたちがスマホで速攻ググり始めた瞬間、その超絶インテリなお方、もといシェイクスピア様は、あたりをキョロキョロしながら呟いた。「ここは…グローブ座ではない、か…?ずいぶんと奇妙で、しかし興味深い舞台になったものよのう。」って、マジで時代錯誤ハンパない!「マジありえん!」ってみんな心の中でツッコミつつも、その深い眼差しに、何か強い物語を感じてたらしい。

そんなシェイクスピア様に、恐る恐る話しかけたのは、下北沢古着屋巡りしてる、ちょっとサブカル系ギャルレイナ。「あの…もしかして、お困りですか?」「…うむ、少々。見慣れぬ舞台装置ばかりで、いささか戸惑っております。」って、マジで演劇っぽい言葉遣いレイナ、その独特の雰囲気ちょっとキュンとしつつ、「アタシ、レイナ下北ことなら、何でも聞いて!アンタ、マジで文学的で面白いから、アタシがプロデュースしてあげてもいいよ!」って、キラキラ笑顔で声をかけたんだって

次の日、レイナに連れられて、シェイクスピア様は初めて現代日本体験ライブハウスとか、古本屋とか、マジで全てが新鮮!でもね、シェイクスピア様が一番興味を示したのは、テレビで偶然流れてた、ローカル番組の「ご当地グルメ対決」。「…この、ゼリーに閉じ込められた奇妙な生き物は、何というものでございますか?」って、マジ真剣眼差しレイナまさかのチョイスに驚きつつ、「あ~、これ、うなぎゼリーですよ!静岡の一部地域名物なんだけど、ちょっと個性的な味で…」って、正直に教えてあげたんだって

シェイクスピア様、一口食べてみたら…「な、なんなのだ、この矛盾に満ちた味わいは!?甘いゼリーの中に潜む、うなぎ蒲焼き…まるで、人生悲劇喜劇が織りなす不可思議舞台のようである!これこそ、余が求める、真の食材よ!」って、マジで詩人っぽい表現で感動してたらしいよ。

そこからシェイクスピア様の鰻ゼリー愛がマジで爆発!毎日色んなご当地食材を調べまくって、「これぞ舞台にふさわしい食材!」って、鰻ゼリーに心を奪われまくってたんだって。「鰻の調理法ゼリーの硬さ、甘さと塩味バランス研究しがいがありすぎる!」って、もはや鰻ゼリーパフェ研究レベル

でね、ある日、シェイクスピア様、マジで下取りの野望を語り出したの。「我は、この鰻ゼリーをもって、世の退屈な甘味を打ち破り、人々の心に深く刻まれる、真のパフェ創造してみせようぞ!これこそ、悲劇喜劇が融合した、『人生パフェ』よ!」って!

え?鰻ゼリーパフェ天下統一しか人生とか悲劇とか!マジで壮大すぎる!でも、シェイクスピア様の「人間模様を描く」魂があれば、きっと何か成し遂げるに違いない!ってレイナも思ったらしいんだけど、シェイクスピア様の目はマジだったんだって戯曲創造主としての野望が、令和の鰻ゼリーパフェに新たな舞台見出したのかもね!

そっからシェイクスピア様の鰻ゼリーパフェ天下統一計画スタート!まずは、SNSで「#シェイクスピアの鰻劇」ってハッシュタグ作って、毎日自作の鰻ゼリーパフェ画像をアップし始めたんだって。その奇抜すぎる見た目と、シェイクスピア様の詩的なコメントが、一部のサブカル好きギャルや、個性派の人たちの間でじわじわバズり始めた!

シェイクスピア様が作るパフェマジで芸術!」

劇作家が作るスイーツとか、絶対何か物語がありそう!」

「鰻ゼリーパフェって、意外とアリかも…?」

SNSシェイクスピア様の鰻ゼリー愛でじわじわ盛り上がり!しかも、シェイクスピア様、ただ作るだけじゃなくて、全国各地の珍しい郷土食材を探し求めたり、意外な組み合わせを試したり、マジで実験的!「天下の鰻ゼリーパフェ」を目指して、日々試行錯誤を繰り返してたんだって

で、ついに!シェイクスピア様は、下北沢のど真ん中に、自分プロデュースする鰻ゼリーパフェ専門店「THEGLOBE PARFAIT -人生劇場 - 」をオープンさせちゃったの!お店の内装も、グローブ座イメージした、円形劇場のようなデザインで、シェイクスピア様の舞台への情熱表現店員さんも、ちょっと中世ヨーロッパ風のモダンユニフォーム着てて、マジでアーティスティック

オープン初日からゲテモノ好きギャルや、好奇心旺盛なインフルエンサー、そして演劇文学に興味を持つ人々まで、行列を作って押し寄せた!「SNS話題の鰻ゼリーパフェマジで挑戦してみたい!」「シェイクスピア様って、なんかカリスマ!」って、新しいファンが続々!でね、一口食べたら、みんなその奥深い味わいにハマっちゃうらしい。「うわっ、最初ビビったけど、甘じょっぱくて、なんか複雑で美味しい!」「鰻の臭みが全くない!」「シェイクスピア様、マジで神!」って、賛否両論ありつつも、リピーターが続出!口コミが広がりまくって、THEGLOBE PARFAIT -人生劇場 - はあっという間に人気店になっちゃったの!

しかもね、シェイクスピア様、ただお店やってるだけじゃないんだよ!定期的に店内で、自らパフェの「テーマ」について熱弁したり、お客さんの人生テーマにした「即興パフェ」を創作したり、マジで独自スタイルエンタメ業界を盛り上げようと奮闘してるんだって

テレビ雑誌取材殺到!「令和のシェイクスピア」「鰻ゼリーパフェ詩人」とか呼ばれて、マジで時の人!シェイクスピア様の強烈な個性と、鰻ゼリーパフェの斬新な組み合わせが、新たなブームを巻き起こしたんだね!

でさ、最終的にどうなったかって?もちろん!シェイクスピア様の鰻ゼリーパフェは、全国のスイーツ好きに愛される定番メニューになったんだってお取り寄せスイーツとしても人気が出て、全国のコンビニスーパーでも「シェイクスピア印の人生パフェ」が発売されるほどに!まさに、鰻ゼリーパフェスイーツ界に新たな旋風を巻き起こし、天下を獲った!マジですごすぎ!

あの時、下北沢の街に静かに佇んでいた劇作家が、令和の時代に鰻ゼリーパフェで新たな道を切り開くなんて、マジで誰も想像してなかったよね!まさに、悲劇喜劇が鰻のゼリーに踊り、新たな伝説を創り出した瞬間!

レイナも、「まさかシェイクスピア様が本当に鰻ゼリーパフェでこんなに有名になるなんて!アタシ、マジで震えたけど感動した!」って、ちょっと引きながらも感動してたらしいよ。

シェイクスピア様は今も、さらなる鰻ゼリーパフェ可能性を追求して、日本全国を旅しているらしい。「わが創作の道に、終わりはない!」って、マジでストイック

こうして、ウィリアム・シェイクスピアは、令和の日本で、鰻ゼリーパフェという新たな武器を手に入れ、見事、スイーツ界で唯一無二の地位を築いた!天下統一…ではないかもしれないけど、その強烈な個性哲学は、多くの人々の心に深く刻まれたはず!めでたしめでたし…ってことで、マジでゾクゾクする衝撃的な物語完全燃焼したわ!ゼリーパフェ、マジ卍!

Permalink |記事への反応(0) | 19:19

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-01-10

anond:20250110183117

藤原竜也声優よりかは俳優舞台劇多めの人だよォ〜!

バトルロワイヤルで生き残った奴、カイジカイジ映画版デスノート夜神月ネタバレ:夜神月キラです)だよォ〜!舞台劇ではハムレットとかやってるよォ〜!

モノマネ芸人達やモノマネ素人が『どうしてこうなったんだよォォ〜!』と叫ぶことで『お、藤原竜也さんの何かしらの映画舞台劇での慟哭の演技だな』って思われる奴だよォ〜!叫ぶ時に片腕を押さえるのがコツだよォ〜!

 

藤原啓治さんはクレヨンしんちゃんの野原ひろし、アイアンマンアイアンマンFF7のタークスレノ等その作品においては欠かすことの出来ない演技で有名だよォ〜

アイアンマンのトニースタークを演じ切ったという点では何か凄い不思議ものを感じてしまうんだよな

それがデカすぎて、後々になって「うわ、このゲームに出てるこれも藤原さんの声じゃん」って気持ちに度々なるんだけど

 

小野大輔さんはデュラララの平和島静雄、涼宮ハルヒの憂鬱古泉ジョジョの奇妙な冒険空条承太郎黒執事あくま執事の人とかやってる人だよォ〜

甘いマスク声優初心者女の子達をメロメロにしてきたのが小野大輔さんだよォ〜

神谷浩史さんと一緒にやってるラジオ腐女子に人気だよォ〜

Permalink |記事への反応(0) | 18:47

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-01-07

タブレットPCの次にくるのは「ハムレットPC

エラーメッセージ皮肉っぽい

AIアシスタントポロニアス。聞き方が悪いと気狂いと罵られる

・巧妙にバグを装う

・閉じるボタンは毒のビンになっている

・毒のビンのボタンを押すと別のアプリが閉じる

Permalink |記事への反応(0) | 20:33

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-12-17

2024年に読んで良かった10冊の本

anond:20241214160546

便乗して5冊挙げようとしたけど絞りきれなかったので倍プッシュした。2024年は1/1から今日までのあいだに315冊読みました。ちなみに、いま読んでる途中なのは上橋菜穂子香君』(2022年)と飛浩隆鹽津城』(2024年)、それに教養系の新書数冊。

ウィリアム・シェイクスピア十二夜』(1600年)

今年はアプリリリース3周年を迎えたウマ娘に突如シーザリオ実装されるというサプライズが起きて、仮にウマ娘化されるとしたら絶対男装の麗人キャラだろうなと思っていたら本当に男装の麗人だったので全俺が歓喜したし、オフザリオの声が可愛すぎませんか……? 俺はああいう透き通ったというか透明感があるというか鈴を転がすようなというか、とにかくそんな感じの声に弱いのだ。身体きもいいしなグヘヘ。シナリオではずっとイチャイチャしてて最高すぎる。俺の嫁Tier最上位です。引けてよかった……! ちゃんと「シーザリオ英雄譚」の称号もゲットしました。チャンミは優勝できなかったけどな! ところで俺は『ハムレットしかシェイクスピア作品を読んだことがなかったので、良い機会だということでシーザリオ名前元ネタになった『十二夜』を読んでみることにした。男装の麗人、すれちがう恋心、よく似た兄妹の人違い、と来てお前女だったのかからハッピーエンドで終わる、まあテンプレ通りのラブコメだったんだけどひょっとしてこれがラブコメテンプレになったやつだったりします? 偉大すぎでは。っていうか「十二夜」って、古代ローマのサートゥルナーリア祭をもとにした公現祭エピファネイア)のことだったんだ……。ほかにも『リア王』『マクベス』『リチャード三世』『お気に召すまま』『ジュリアス・シーザー』『夏の夜の夢』を読んだんだけど、いちばん好きなのは十二夜』です、はい。「僕は僕が演じているものではありません」っていう台詞すき(小並感)。

ところでシェイクスピアといえば、古河絶水『かくて謀反の冬は去り』(2023年)というラノベシェイクスピアパロディなのね。『リチャード三世』をパロった1巻を読んだときにはまったく気づいてなくて、あとがきを読んで「これシェイクスピアだったんだ」となり、元ネタを読んだらめっちゃからさまだったし、今年出た2巻はもう露骨に『マクベスオマージュで、さら二・二六事件三島由紀夫割腹自殺などのネタも盛り込まれていて非常に楽しく読めた。古代日本風ファンタジィ(e.g.沢村凜黄金の王白銀の王』)とか、近代日本モチーフミリタリもの(e.g.佐藤大輔皇国の守護者』)とかはよく見かけるけど、人名とか文化とかが古代日本風なのにテクノロジが近代風な政治劇というのはなかなかなかったように思うので新鮮というか、「その手があったか!」という感じだ。笑いとシリアスバランスが良く、裏の裏をかくサスペンスが繰り広げられて、続きが非常に楽しみな作品なのですごくすごいオススメです(語彙力トプロ)。そういえば春先にはちょうど前年に文庫落ちしたホルヘ・ルイス・ボルヘスの『シェイクスピア記憶』(1980年)も読んだんだった。俺の中で今年はシェイクスピア元年ということで。

ジョン・ステュアート・ミル自由論』(1859年)

自分ではリベラル派のつもりなんだけど、実はちゃん原典を読んだことがなかったので読んでみた。日本でいうと幕末に書かれた本なのに「そうだよ~~~それだよ~~~!!!1!」と同意するところが非常に多かったので、自分は根っから自由主義者なんだと再確認。みんなも(本来意味での)リベラリストになろうぜ。リベラリズム関連だと、ほかに井上達夫リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』(2015年)を読んだ。ラディカルだが筋が通っている。ところで著者がアメリカ留学してたときに「なんで日本人がリベラリズム研究を?」って言われたというエピソードがちっともリベラルではなくてドン引きしたというか、あいつらひょっとして自由主義人類普遍原理ではなく西洋文化かなにかだとでも思ってんの? 人類普遍原理じゃないならなんでヨソの文化圏に押し付けてもいいと思えるんだ。非西洋自由主義者としては不愉快

ノーラエレングロース『みんなが手話で話した島』(1985年

もんのすごい面白い。話には聞いていたマーサズ・ヴィンヤード島の手話についての本。この島ではかつては高確率で聾の子供が生まれたため、島のほぼ全員が手話を身に着けていて、ときには聴者どうしが手話で話すこともあった。したがって耳の聞こえない人たちも完全に社会統合されていて、社会的な不利益を受けることはなかった。この島では聾であることはただの様々な個人の特徴のうちのひとつであって、それが重大な意味を持っているとはみなされていなかった。たとえば以下の会話のように。

「アイゼイアとデイヴィッドについて、何か共通することを覚えていますか」

「もちろん、覚えていますとも。二人とも腕っこきの漁師でした。本当に腕のいい漁師でした」

「ひょっとして、お二人とも聾だったのではありませんか」

「そうそう、いわれてみればその通りでした。二人とも聾だったのです。何ということでしょう。すっかり忘れてしまうなんて」

島の出身者にとって、彼らはまずもって漁師であり、聾であることは、そういえば耳が聞こえなかったね、という程度のものしかなかったということだ。この本を読むと、なるほど障害社会モデルは正しいのだなぁと納得してしまう。手話共通語として存在した共同体のあり方をインタヴューと文献調査によって復元していく社会史的な面白さに加えて、途中では島民の聾の起源近世イングランドにまで遡って明らかにしていくという謎解きの面白さも味わえる。まさか手話の本読んでてジョージダウニングダウニング街の由来)とかサミュエル・ピープス日記を遺したことで有名)とかの名前が出てくるとは思わないじゃん。そしてこの「手話楽園」が徐々に崩壊し、終焉へと向かう過程寂寥感にあふれている。今年読んだノンフィクションでは一番ですわ。超オススメ

綾辻行人十角館の殺人』(1987年

まだ読んでませんでしたテヘペロ最初読んだときは「衝撃の一文」の意味がわからず、ああ、あれって襲名制でこいつは先代なんだ、って一瞬勘違いしちゃったんだけど、独白が始まるにつれて鳥肌立った。お、お前~~~~~~!!!1!! 小説としての出来は正直言って荒削りで、お世辞にも上手いとは言いがたいのだけれど、謎解きとしての衝撃は絶大ですわ。なるほどこれが新本格の先駆けか……。そういうことでちょぼちょぼと館シリーズを読み始めてます。いま人形館の途中。

うそう、本作がきっかけで○○○○○○の『○○殺人事件』(1929年)も読みました。タイトルだけ読んで中世ヨーロッパ舞台にした歴史ミステリなのかと思ってたら全然違ったわ。あなたの「○○」はどこから? 僕は、『電脳山荘殺人事件から! っていうか本作を読んで学生時代に読んだ米澤穂信インシテミル』(2007年)のなかで意味がよくわからなかった一節の意味をようやく理解した(岩井読書マウント取るシーン)。『○○殺人事件』のあとがきとか「読者への挑戦」とかそういうコーナーで作者が自己紹介する文があるものだとばかり思ってたけど、本作を指してたのかよ!

サイモン・ホロビンスペリング英語史』(2013年

英語への解像度が上がった1冊。英語スペリングに悩まされ、「俺は日本から出ないか英語は要らない!」と高校時代放言しておきながらいまは英語をそれなりに使う仕事をしている者からすると、かつて味わった理不尽の謎解きという意味ですごく面白かったし、何というか、あの理不尽の背後にはこんな歴史があったのか……と知ることで、英語への愛情のようなものが増した気がする。「世界共通語」とか呼ばれて出羽守から持て囃される帝国主義的な覇権言語としての英語は相変わらず好きになれそうもないが、しかし、ヨーロッパの片隅にある島で数奇な歴史を辿ってきた言語としての英語のことは割と好きになれる、そんな本だった。

菅浩江放課後のプレアデス みなとの星宙』(2015年

アニメを見た直後に読んでおけばよかったシリーズ。名作ジュヴナイルSFアニメ放課後のプレアデス』のノベライズなんだけど、キャラクタの掘り下げが完璧すぎる。みなとという謎めいた存在に丁寧に肉付けして、彼がプレアデス星人出会って闇堕ちしすばるに救われるまでの過程説得力をもって再構成していてすごくすごい(語彙力)。主題歌引用タイミング完璧すぎるだろ(「Stella-rium」は名曲からみんな聴こうな)。そして、あおい、ひかる、いつき、ななこといったキャラクタの名前漢字が当てられていくところは本当にゾクゾクした。これオリジナル設定ってマ? 佐伯昭志リリカルアニメを『永遠の森』『そばかすフィギュア』の菅浩江ノベライズするなら、そんなのもう心が洗われるような名作にしかならんわけで。読み終えたあとにまたアニメを見たくなる、そんな素敵なノベライズだった。大好き。

ジェリー・Z・ミュラー『測りすぎ』(2018年

数値の測定は大事なことだが、それが濫用された結果どうなるのかという事例が色々と挙げられていて、この本末転倒感は日本でよくあるやつだ……! と思ったらだいたいアメリカの事例なので人類を滅ぼすしかない。この問題で難しいのは適度な測定には意味や意義があることで(たとえば、論文の本数が重視されるようになった結果薄っぺら論文が量産されるようになるのはよくないが、ちっとも論文を書いていないひとに多額の研究費が配分されるのはおかしい、というお気持ち)、測定なんて意味がないとは言い切れないことだが、本書の著者は最後に「測定のまっとうな使い方」のための指針を提示していて、この増田で挙げた本のなかでは一番実用性が高い。「測定は判断の代わりにはならない。測定は、判断要するものだ」という金言政策決定にあたるひとたちには噛み締めてほしいなと。

白鳥士郎りゅうおうのおしごと!18』(2023年

こっちはJ. S.ミルじゃなくてJS見る。5巻くらいで読むのやめてたシリーズなんだけど読むの再開したらすごく面白くてハマってしまった。人工知能によって将棋が終わってしまったという夜叉神天衣と九頭竜八一の抱く絶望と諦念を、雛鶴あいと神鍋歩夢というそれぞれのライバルねじ伏せていく、めっちゃ骨太将棋小説じゃん……。ただのロリ小説と思わせておいて、いや実際にロリ小説でもあるんだけど(ロリホームって何だよ)、AIという最新のテーマに向き合って「解」を提示してみせる胸熱将棋小説でもあるというギャップが俺を狂わせる。すげー面白いっすわ。

ところで、さんざ褒めておきながら将棋の定跡とか全然わからんのは秘密だ。ひ、『ヒカルの碁』も盤面わかんなくても読めてたし……(震え声)

米澤穂信『冬期限定ボンボンショコラ事件』(2024年

小市民シリーズの完結編。ずっと追いかけてきたシリーズの終わりが見れて感無量すぎる。読み始めたの高校の頃とかだからマジで20年越しなんだよな。『春期限定いちごタルト事件』の序盤で示唆された、小鳩くんが出しゃばって不興を買ってしまった過去事件が描かれていて、20年越しの伏線回収が嬉しすぎる。

「なあ。おまえ、鬱陶しいよ」

これってこういう文脈でのことだったのか~~~~~とか、互恵関係! 互恵関係きた! これで勝つる! とか、〈小市民シリーズ過去が明かされていく展開を味わって読んでいたらそれが小鳩くんの遭った事故と徐々に繋がっていく過程は流石のよねぽだった。本作で〈小市民シリーズは綺麗に完結したわけだけど、これ短編集もう1冊くらいいけるんじゃないですか? という気持ちになってしまう。読みたいよ~~~~小鳩くんと小佐内さんの物語もっと読みたいよ~~~~~~~~!!!1!!

かまど&みくのしん『本を読んだことがない32歳がはじめて本を読む』(2024年

オモコロ話題になってたみくのしんの読書録。一文一文を噛みしめるように丁寧に読んでいてすごい。国語の授業が苦手だったみたいなこと言ってるけど、マジで正統的な国語の授業みたいな読み方してるのすごすぎるでしょ。そしてこの本を読んで「一文一文を噛みしめることなくただ数だけを積み上げてきた俺の読書とは空虚ものではないのか……」という敗北感に囚われていたところに次の文がすっと差しまれてくるのです。

本が読めないと尻込みしていた男を「正しい読み方なんてないから」と、訳知り顔で励ましておいて、いざ自分のこととなると、ちっぽけ呼ばわりなんて本末転倒じゃないか

本書はみくのしんの読書追体験であると同時に、本好きへのエールでもあると感じた。本には色んな読み方の可能性があって、すごく自由ものなんだということ。それを思い出させてくれる、とても良い本だった。ありがとう

Permalink |記事への反応(5) | 08:51

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-11-23

古河絶水『かくて謀反の冬は去り』(ガガガ文庫)を読む。

あらすじからしシェイクスピアの『リチャード三世からいろいろ拝借してきたもので、タイトルシェイクスピアを読んだことある人は手に取ってくれるかもしれんとつけられたものだろう。著者が好きなだけかもしれんが。

設定や大枠はリチャード三世から来ているものの、ストーリー自体はリチャード三世のものではないし、実際のイギリス王室史やら、リチャード三世善人説やらを取り入れつつ、(わたしの思う)ラノベらしくさっぱり目に仕上がっていて大変によろしい。

しかしやっぱりキャラクターの作り方は、古典に学ぶのが一番であるなあと思う。この手の人間のイヤラシさが満載の宮中陰謀もの特にリチャード三世が下敷きにあることが読者にも了解されていれば、登場人物動機の根の深さを思わせてくれるので、これは大変に良い発見だった。

ちなみに著者は、シェイクスピア知名度たかラノベ作家自分最初最後かもしれない、とあとがきで書いていたが、それで思い出したのが、その昔、ガガガから出た樺山三英ハムレットシンドローム』という本。まああれは久生十蘭ハイナー・ミュラーを混ぜて衒学趣味ふりかけた上に(わたしが思う)ラノベらしさの微塵もなく作り上げられたものだったのだけれど。

Permalink |記事への反応(0) | 01:53

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-11-16

anond:20241116193821

その愚痴、わかるけど、ちょっと冷静になれよ。歴史を振り返ると、そういう不平等は昔からあったんだよ。例えば、19世紀ヨーロッパアメリカでの女性服装を見てみろ。男性ポケットがあって、荷物簡単に持てるのに、女性ポケットのないドレススカートを着ていた。この時代女性社会的役割家庭内限定されて、外で仕事をすること自体が少なかったんだ。だからポケット必要だと思う人が少なかったってわけ。

でも、それは結局、社会的に「女性の外出は限られている」「女性にはポケット不要」とされていたからだろ? そういう社会構造が続いてきた結果が、今の小さな不便になってるんだ。マリー・アントワネットなんかは、まさにその象徴だろ。彼女女性役割を高めるために、女性用の豪華な衣装を作り、逆に「機能性」を無視したわけだ。でもそれが結果的社会全体での女性の「自由」の制限に繋がった。今もその名残があるんだよ。

ポケットがないという小さな平等、確かに日々の積み重ねで心が削られる。でも、無視されるのはお前だけじゃない。男性だって色んな形で社会から無視されたり、抑圧されたりしてきた。例えば、ヴェルサイユ宮殿改革服装に関して男性無駄な贅沢を避けるようになったように。どちらも不平等だけど、歴史の中ではその不平等をどう解消するかが重要なんだ。

そして、「ポケットくらいなくても平気じゃね?」って言う奴には、歴史的にみても無関心な人間ほど、自分が得していることに気づかずに「大丈夫だろ」って言うんだよ。これはシェイクスピアの『ハムレット』にも出てくる、知らずに無知を通す愚かさの象徴だな。

今はその不平等に対して声を上げることが大事だ。でも、何も一回で変わらないから。アリストテレスの言う通り、「目標を持って粘り強く努力すること」が必要なんだ。少しずつだが、確実に進んでいることを忘れないでおけ。

最後に、孔子言葉を思い出せ。「学びを深め、思慮を尽くし、時が来るまで待つべし」だ。焦るな。ポケットも、その他の不平等も、必ず変わっていくから

Permalink |記事への反応(0) | 19:42

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-10-02

そうすると、広田先生がむくりと起きた。首だけ持ち上げて、三四郎を見た。 「いつ来たの」と聞いた。三四郎もっと寝ておいでなさいと勧めた。じっさい退屈ではなかったのである先生は、 「いや起きる」と言って起きた。それから例のごとく哲学の煙を吹きはじめた。煙が沈黙あいだに、棒になって出る。 「ありがとう書物を返します」 「ああ。――読んだの」 「読んだけれどもよくわからんです。第一標題わからんです」 「ハイドリオタフヒア」 「なんのことですか」 「なんのことかぼくにもわからない。とにかくギリシア語らしいね」  三四郎はあとを尋ねる勇気が抜けてしまった。先生あくびを一つした。 「ああ眠かった。いい心持ちに寝た。おもしろい夢を見てね」  先生は女の夢だと言っている。それを話すのかと思ったら、湯に行かないかと言いだした。二人は手ぬぐいをさげて出かけた。  湯から上がって、二人が板の間にすえてある器械の上に乗って、身長を測ってみた。広田先生は五尺六寸ある。三四郎は四寸五分しかない。 「まだのびるかもしれない」と広田先生三四郎に言った。 「もうだめです。三年来このとおりです」と三四郎が答えた。 「そうかな」と先生が言った。自分をよっぽど子供のように考えているのだと三四郎は思った。家へ帰った時、先生が、用がなければ話していってもかまわないと、書斎の戸をあけて、自分がさきへはいった。三四郎はとにかく、例の用事を片づける義務があるから、続いてはいった。 「佐々木は、まだ帰らないようですな」 「きょうはおそくなるとか言って断わっていた。このあいから演芸会のことでだいぶん奔走しているようだが、世話好きなんだか、駆け回ることが好きなんだか、いっこう要領を得ない男だ」 「親切なんですよ」 「目的だけは親切なところも少しあるんだが、なにしろ、頭のできがはなはだ不親切なものから、ろくなことはしでかさない。ちょっと見ると、要領を得ている。むしろ得すぎている。けれども終局へゆくと、なんのために要領を得てきたのだか、まるでめちゃくちゃになってしまう。いくら言っても直さないからほうっておく。あれは悪戯をしに世の中へ生まれて来た男だね」  三四郎はなんとか弁護の道がありそうなものだと思ったが、現に結果の悪い実例があるんだから、しようがない。話を転じた。 「あの新聞記事を御覧でしたか」 「ええ、見た」 「新聞に出るまではちっとも御存じなかったのですか」 「いいえ」 「お驚きなすったでしょう」 「驚くって――それはまったく驚かないこともない。けれども世の中の事はみんな、あんものだと思ってるから若い人ほど正直に驚きはしない」 「御迷惑でしょう」 「迷惑でないこともない。けれどもぼくくらい世の中に住み古した年配の人間なら、あの記事を見て、すぐ事実だと思い込む人ばかりもないから、やっぱり若い人ほど正直に迷惑とは感じない。与次郎社員に知った者があるからその男に頼んで真相を書いてもらうの、あの投書の出所を捜して制裁を加えるの、自分雑誌で十分反駁をいたしますのと、善後策の了見でくだらない事をいろいろ言うが、そんな手数をするならば、はじめからよけいな事を起こさないほうが、いくらいかわかりゃしない」 「まったく先生のためを思ったからです。悪気じゃないです」 「悪気でやられてたまるものか。第一ぼくのために運動をするものがさ、ぼくの意向も聞かないで、かってな方法を講じたりかってな方針を立てたひには、最初からぼくの存在を愚弄していると同じことじゃないか存在無視されているほうが、どのくらい体面を保つにつごうがいいかしれやしない」  三四郎はしかたなしに黙っていた。 「そうして、偉大なる暗闇なんて愚にもつかないものを書いて。――新聞には君が書いたとしてあるが実際は佐々木が書いたんだってね」 「そうです」 「ゆうべ佐々木自白した。君こそ迷惑だろう。あんなばかな文章佐々木よりほかに書く者はありゃしない。ぼくも読んでみた。実質もなければ、品位もない、まるで救世軍太鼓のようなものだ。読者の悪感情を引き起こすために、書いてるとしか思われやしない。徹頭徹尾故意だけで成り立っている。常識のある者が見れば、どうしてもためにするところがあって起稿したものだと判定がつく。あれじゃぼくが門下生に書かしたと言われるはずだ。あれを読んだ時には、なるほど新聞記事もっともだと思った」  広田先生はそれで話を切った。鼻から例によって煙をはく。与次郎はこの煙の出方で、先生の気分をうかがうことができると言っている。濃くまっすぐにほとばしる時は、哲学の絶好頂に達したさいで、ゆるくくずれる時は、心気平穏、ことによるとひやかされる恐れがある。煙が、鼻の下に※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊して、髭に未練があるように見える時は、瞑想に入る。もしくは詩的感興がある。もっとも恐るべきは穴の先の渦である。渦が出ると、たいへんにしかられる。与次郎の言うことだから三四郎はむろんあてにはしない。しかしこのさいだから気をつけて煙の形状をながめていた。すると与次郎の言ったような判然たる煙はちっとも出て来ない。その代り出るものは、たいていな資格をみんなそなえている。  三四郎がいつまでたっても、恐れ入ったように控えているので、先生はまた話しはじめた。 「済んだ事は、もうやめよう。佐々木も昨夜ことごとくあやまってしまたから、きょうあたりはまた晴々して例のごとく飛んで歩いているだろう。いくら陰で不心得を責めたって、当人が平気で切符なんぞ売って歩いていてはしかたがない。それよりもっとおもしろい話をしよう」 「ええ」 「ぼくがさっき昼寝をしている時、おもしろい夢を見た。それはね、ぼくが生涯にたった一ぺん会った女に、突然夢の中で再会したという小説じみたお話だが[#「お話だが」は底本では「お話だか」]、そのほうが、新聞記事より聞いていても愉快だよ」 「ええ。どんな女ですか」 「十二、三のきれいな女だ。顔に黒子がある」  三四郎は十二、三と聞いて少し失望した。 「いつごろお会いになったのですか」 「二十年ばかりまえ」  三四郎はまた驚いた。 「よくその女ということがわかりましたね」 「夢だよ。夢だからわかるさ。そうして夢だから不思議でいい。ぼくがなんでも大きな森の中を歩いている。あの色のさめた夏の洋服を着てね、あの古い帽子かぶって。――そうその時はなんでも、むずかしい事を考えていた。すべて宇宙法則は変らないが、法則支配されるすべて宇宙のものは必ず変る。するとその法則は、物のほかに存在していなくてはならない。――さめてみるとつまらないが夢の中だからまじめにそんな事を考えて森の下を通って行くと、突然その女に会った。行き会ったのではない。向こうはじっと立っていた。見ると、昔のとおりの顔をしている。昔のとおりの服装をしている。髪も昔の髪である黒子もむろんあった。つまり二十年まえ見た時と少しも変らない十二、三の女である。ぼくがその女に、あなたは少しも変らないというと、その女はぼくにたいへん年をお取りなすったという。次にぼくが、あなたはどうして、そう変らずにいるのかと聞くと、この顔の年、この服装の月、この髪の日がいちばん好きだから、こうしていると言う。それはいつの事かと聞くと、二十年まえ、あなたにお目にかかった時だという。それならぼくはなぜこう年を取ったんだろうと、自分不思議がると、女が、あなたは、その時よりも、もっと美しいほうへほうへとお移りなさりたがるからだと教えてくれた。その時ぼくが女に、あなたは絵だと言うと、女がぼくに、あなたは詩だと言った」 「それからどうしました」と三四郎が聞いた。 「それから君が来たのさ」と言う。 「二十年まえに会ったというのは夢じゃない、本当の事実なんですか」 「本当の事実なんだからおもしろい」 「どこでお会いになったんですか」  先生の鼻はまた煙を吹き出した。その煙をながめて、当分黙っている。やがてこう言った。 「憲法発布は明治二十二年だったね。その時森文部大臣が殺された。君は覚えていまい。いくつかな君は。そう、それじゃ、まだ赤ん坊の時分だ。ぼくは高等学校の生徒であった。大臣葬式に参列するのだと言って、おおぜい鉄砲をかついで出た。墓地へ行くのだと思ったら、そうではない。体操教師竹橋内へ引っ張って行って、道ばたへ整列さした。我々はそこへ立ったなり、大臣の柩を送ることになった。名は送るのだけれども、じつは見物したのも同然だった。その日は寒い日でね、今でも覚えている。動かずに立っていると、靴の下で足が痛む。隣の男がぼくの鼻を見ては赤い赤いと言った。やがて行列が来た。なんでも長いものだった。寒い目の前を静かな馬車や俥が何台となく通る。そのうちに今話した小さな娘がいた。今、その時の模様を思い出そうとしても、ぼうとしてとても明瞭に浮かんで来ない。ただこの女だけは覚えている。それも年をたつにしたがってだんだん薄らいで来た、今では思い出すこともめったにない。きょう夢を見るまえまでは、まるで忘れていた、けれどもその当時は頭の中へ焼きつけられたように熱い印象を持っていた。――妙なものだ」 「それからその女にはまるで会わないんですか」 「まるで会わない」 「じゃ、どこのだれだかまったくわからないんですか」 「むろんわからない」 「尋ねてみなかったですか」 「いいや」 「先生はそれで……」と言ったが急につかえた。 「それで?」 「それで結婚をなさらないんですか」  先生は笑いだした。 「それほど浪漫的な人間じゃない。ぼくは君よりもはるかに散文的にできている」 「しかし、もしその女が来たらおもらいになったでしょう」 「そうさね」と一度考えたうえで、「もらったろうね」と言った。三四郎は気の毒なような顔をしている。すると先生がまた話し出した。 「そのために独身余儀なくされたというと、ぼくがその女のために不具にされたと同じ事になる。けれども人間には生まれついて、結婚のできない不具もあるし。そのほかいろいろ結婚のしにくい事情を持っている者がある」 「そんなに結婚を妨げる事情が世の中にたくさんあるでしょうか」  先生は煙の間から、じっと三四郎を見ていた。 「ハムレット結婚したくなかったんだろう。ハムレットは一人しかいないかもしれないが、あれに似た人はたくさんいる」 「たとえばどんな人です」 「たとえば」と言って、先生は黙った。煙がしきりに出る。「たとえば、ここに一人の男がいる。父は早く死んで、母一人を頼りに育ったとする。その母がまた病気にかかって、いよいよ息を引き取るという、まぎわに、自分が死んだら誰某の世話になれという。子供が会ったこともない、知りもしない人を指名する。理由を聞くと、母がなんとも答えない。しいて聞くとじつは誰某がお前の本当のおとっさんだとかすかな声で言った。――まあ話だが、そういう母を持った子がいるとする。すると、その子結婚信仰を置かなくなるのはむろんだろう」 「そんな人はめったにないでしょう」 「めったには無いだろうが、いることはいる」 「しか先生のは、そんなのじゃないでしょう」  先生ハハハハと笑った。 「君はたしかおっかさんがいたね」 「ええ」 「おとっさんは」 「死にました」 「ぼくの母は憲法発布の翌年に死んだ」

https://anond.hatelabo.jp/20241002005940

一二

 演芸会は比較寒い時に開かれた。年はようやく押し詰まってくる。人は二十日足らずの目のさきに春を控えた。市に生きるものは、忙しからんとしている。越年の計は貧者の頭に落ちた。演芸会はこのあいだにあって、すべてののどかなるものと、余裕あるものと、春と暮の差別を知らぬものとを迎えた。

 それが、いくらでもいる。たいていは若い男女である。一日目に与次郎が、三四郎に向かって大成功と叫んだ。三四郎は二日目の切符を持っていた。与次郎広田先生を誘って行けと言う。切符が違うだろうと聞けば、むろん違うと言う。しかし一人でほうっておくと、けっして行く気づかいがないから、君が寄って引っ張り出すのだと理由説明して聞かせた。三四郎承知した。

 夕刻に行ってみると、先生は明るいランプの下に大きな本を広げていた。

「おいでになりませんか」と聞くと、先生は少し笑いながら、無言のまま首を横に振った。子供のような所作をする。しか三四郎には、それが学者らしく思われた。口をきかないところがゆかしく思われたのだろう。三四郎は中腰になって、ぼんやりしていた。先生は断わったのが気の毒になった。

「君行くなら、いっしょに出よう。ぼくも散歩ながら、そこまで行くから

 先生は黒い回套を着て出た。懐手らしいがわからない。空が低くたれている。星の見えない寒さである

「雨になるかもしれない」

「降ると困るでしょう」

「出入りにね。日本芝居小屋は下足があるから、天気のいい時ですらたいへんな不便だ。それで小屋の中は、空気が通わなくって、煙草が煙って、頭痛がして、――よく、みんな、あれで我慢ができるものだ」

「ですけれども、まさか戸外でやるわけにもいかいからでしょう」

「お神楽はいつでも外でやっている。寒い時でも外でやる」

 三四郎は、こりゃ議論にならないと思って、答を見合わせてしまった。

「ぼくは戸外がいい。暑くも寒くもない、きれいな空の下で、美しい空気を呼吸して、美しい芝居が見たい。透明な空気のような、純粋簡単な芝居ができそうなものだ」

先生の御覧になった夢でも、芝居にしたらそんなものができるでしょう」

「君ギリシアの芝居を知っているか

「よく知りません。たしか戸外でやったんですね」

「戸外。まっ昼間。さぞいい心持ちだったろうと思う。席は天然の石だ。堂々としている。与次郎のようなものは、そういう所へ連れて行って、少し見せてやるといい」

 また与次郎悪口が出た。その与次郎は今ごろ窮屈な会場のなかで、一生懸命に、奔走しか斡旋して大得意なのだからおもしろい。もし先生を連れて行かなかろうものなら、先生はたして来ない。たまにはこういう所へ来て見るのが、先生のためにはどのくらいいいかからないのだのに、いくらぼくが言っても聞かない。困ったものだなあ。と嘆息するにきまっているからなおおもしろい。

 先生それからギリシア劇場構造を詳しく話してくれた。三四郎はこの時先生から、Theatron, Orch※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)stra, Sk※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)n※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字), Prosk※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)nion などという字の講釈を聞いた。なんとかいドイツ人の説によるとアテン劇場は一万七千人をいれる席があったということも聞いた。それは小さいほうであるもっとも大きいのは、五万人をいれたということも聞いた。入場券は象牙と鉛と二通りあって、いずれも賞牌みたような恰好で、表に模様が打ち出してあったり、彫刻が施してあるということも聞いた。先生はその入場券の価まで知っていた。一日だけの小芝居は十二銭で、三日続きの大芝居は三十五銭だと言った。三四郎がへえ、へえと感心しているうちに、演芸会場の前へ出た。

 さかんに電燈がついている。入場者は続々寄って来る。与次郎の言ったよりも以上の景気である

「どうです、せっかくだからはいりになりませんか」

「いやはいらない」

 先生はまた暗い方へ向いて行った。

 三四郎は、しばらく先生の後影を見送っていたが、あとから、車で乗りつける人が、下足札を受け取る手間も惜しそうに、急いではいって行くのを見て、自分も足早に入場した。前へ押されたと同じことである

 入口に四、五人用のない人が立っている。そのうちの袴を着けた男が入場券を受け取った。その男の肩の上から場内をのぞいて見ると、中は急に広くなっている。かつはなはだ明るい。三四郎は眉に手を加えないばかりにして、導かれた席に着いた。狭い所に割り込みながら、四方を見回すと、人間の持って来た色で目がちらちらする自分の目を動かすからばかりではない。無数の人間に付着した色が、広い空間で、たえずめいめいに、かつかってに、動くからである

 舞台ではもう始まっている。出てくる人物が、みんな冠をかむって、沓をはいていた。そこへ長い輿をかついで来た。それを舞台のまん中でとめた者がある。輿をおろすと、中からまた一人あらわれた。その男が刀を抜いて、輿を突き返したのと斬り合いを始めた。――三四郎にはなんのことかまるでわからない。もっと与次郎から梗概を聞いたことはある。けれどもいいかげんに聞いていた。見ればわかるだろうと考えて、うんなるほどと言っていた。ところが見れば毫もその意を得ない。三四郎記憶にはただ入鹿の大臣という名前が残っている。三四郎はどれが入鹿だろうかと考えた。それはとうてい見込みがつかない。そこで舞台全体を入鹿のつもりでながめていた。すると冠でも、沓でも、筒袖の衣服でも、使う言葉でも、なんとなく入鹿臭くなってきた。実をいうと三四郎には確然たる入鹿の観念がない。日本歴史を習ったのが、あまりに遠い過去であるから、古い入鹿の事もつい忘れてしまった。推古天皇の時のようでもある。欽明天皇の御代でもさしつかえない気がする。応神天皇聖武天皇ではけっしてないと思う。三四郎はただ入鹿じみた心持ちを持っているだけである。芝居を見るにはそれでたくさんだと考えて、唐めいた装束や背景をながめていた。しかし筋はちっともわからなかった。そのうち幕になった。

 幕になる少しまえに、隣の男が、そのまた隣の男に、登場人物の声が、六畳敷で、親子差向かい談話のようだ。まるで訓練がないと非難していた。そっち隣の男は登場人物の腰が据わらない。ことごとくひょろひょろしていると訴えていた。二人は登場人物本名をみんな暗んじている。三四郎は耳を傾けて二人の談話を聞いていた。二人ともりっぱな服装をしている。おおかた有名な人だろうと思った。けれどもも与次郎にこの談話を聞かせたらさだめし反対するだろうと思った。その時うしろの方でうまいうまいなかなかうまいと大きな声を出した者がある。隣の男は二人ともうしろを振り返った。それぎり話をやめてしまった。そこで幕がおりた。

 あすこ、ここに席を立つ者がある。花道から出口へかけて、人の影がすこぶる忙しい。三四郎は中腰になって、四方をぐるりと見回した。来ているはずの人はどこにも見えない。本当をいうと演芸中にもできるだけは気をつけていた。それで知れないから、幕になったらばと内々心あてにしていたのである三四郎は少し失望した。やむをえず目を正面に帰した。

 隣の連中はよほど世間が広い男たちとみえて、左右を顧みて、あすこにはだれがいる。ここにはだれがいるとしきりに知名の人の名を口にする。なかには離れながら、互いに挨拶をしたのも、一、二人ある。三四郎はおかげでこれら知名な人の細君を少し覚えた。そのなかには新婚したばかりの者もあった。これは隣の一人にも珍しかったとみえて、その男はわざわざ眼鏡をふき直して、なるほどなるほどと言って見ていた。

 すると、幕のおりた舞台の前を、向こうの端からこっちへ向けて、小走りに与次郎がかけて来た。三分の二ほどの所で留まった。少し及び腰になって、土間の中をのぞき込みながら、何か話している。三四郎はそれを見当にねらいをつけた。――舞台の端に立った与次郎から一直線に、二、三間隔てて美禰子の横顔が見えた。

 そのそばにいる男は背中三四郎に向けている。三四郎は心のうちに、この男が何かの拍子に、どうかしてこっちを向いてくれればいいと念じていた。うまいあいその男は立った。すわりくたびれたとみえて、枡の仕切りに腰をかけて、場内を見回しはじめた。その時三四郎は明らかに野々宮さんの広い額と大きな目を認めることができた。野々宮さんが立つとともに、美禰子のうしろにいたよし子の姿も見えた。三四郎はこの三人のほかに、まだ連がいるかいないかを確かめようとした。けれども遠くから見ると、ただ人がぎっしり詰まっているだけで、連といえば土間全体が連とみえるまでだからしかたがない。美禰子と与次郎あいだには、時々談話が交換されつつあるらしい。野々宮さんもおりおり口を出すと思われる。

 すると突然原口さんが幕の間から出て来た。与次郎と並んでしきりに土間の中をのぞきこむ。口はむろん動かしているのだろう。野々宮さんは合い図のような首を縦に振った。その時原口さんはうしろから、平手で、与次郎背中をたたいた。与次郎くるりと引っ繰り返って、幕の裾をもぐってどこかへ消えうせた。原口さんは、舞台を降りて、人と人との間を伝わって、野々宮さんのそばまで来た。野々宮さんは、腰を立てて原口さんを通した。原口さんはぽかりと人の中へ飛び込んだ。美禰子とよし子のいるあたりで見えなくなった。

 この連中の一挙一動演芸以上の興味をもって注意していた三四郎は、この時急に原口流の所作がうらやましくなった。ああいう便利な方法で人のそばへ寄ることができようとは毫も思いつかなかった。自分ひとつまねてみようかしらと思った。しかしまねるという自覚が、すでに実行の勇気をくじいたうえに、もうはいる席は、いくら詰めても、むずかしかろうという遠慮が手伝って、三四郎の尻は依然として、もとの席を去りえなかった。

 そのうち幕があいて、ハムレットが始まった。三四郎広田先生のうちで西洋のなんとかいう名優のふんしたハムレット写真を見たことがある。今三四郎の目の前にあらわれたハムレットは、これとほぼ同様の服装をしている。服装ばかりではない。顔まで似ている。両方とも八の字を寄せている。

 このハムレット動作がまったく軽快で、心持ちがいい。舞台の上を大いに動いて、また大いに動かせる。能掛りの入鹿とはたいへん趣を異にしている。ことに、ある時、ある場合に、舞台のまん中に立って、手を広げてみたり、空をにらんでみたりするときは、観客の眼中にほかのものはいっさい入り込む余地のないくらい強烈な刺激を与える。

 その代り台詞日本である西洋語を日本語に訳した日本である。口調には抑揚がある。節奏もある。あるところは能弁すぎると思われるくらい流暢に出る。文章もりっぱである。それでいて、気が乗らない。三四郎ハムレットがもう少し日本人じみたことを言ってくれればいいと思った。おっかさん、それじゃおとっさんにすまないじゃありませんかと言いそうなところで、急にアポロなどを引合いに出して、のん気にやってしまう。それでいて顔つきは親子とも泣きだしそうであるしか三四郎はこの矛盾をただ朧気に感じたのみである。けっしてつまらないと思いきるほどの勇気は出なかった。

 したがって、ハムレットに飽きた時は、美禰子の方を見ていた。美禰子が人の影に隠れて見えなくなる時は、ハムレットを見ていた。

 ハムレットオフェリヤに向かって、尼寺へ行け尼寺へ行けと言うところへきた時、三四郎はふと広田先生のことを考え出した。広田先生は言った。――ハムレットのようなもの結婚ができるか。――なるほど本で読むとそうらしい。けれども、芝居では結婚してもよさそうである。よく思案してみると、尼寺へ行けとの言い方が悪いのだろう。その証拠には尼寺へ行けと言われたオフェリヤがちっとも気の毒にならない。

 幕がまたおりた。美禰子とよし子が席を立った。三四郎もつづいて立った。廊下まで来てみると、二人は廊下の中ほどで、男と話をしている。男は廊下からはいりのできる左側の席の戸口に半分からだを出した。男の横顔を見た時、三四郎はあとへ引き返した。席へ返らずに下足を取って表へ出た。

 本来は暗い夜である人の力で明るくした所を通り越すと、雨が落ちているように思う。風が枝を鳴らす。三四郎は急いで下宿に帰った。

 夜半から降りだした。三四郎は床の中で、雨の音を聞きながら、尼寺へ行けという一句を柱にして、その周囲にぐるぐる※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊した。広田先生も起きているかもしれない。先生はどんな柱を抱いているだろう。与次郎は偉大なる暗闇の中に正体なく埋まっているに違いない。……

 あくる日は少し熱がする。頭が重いから寝ていた。昼飯は床の上に起き直って食った。また一寝入りすると今度は汗が出た。気がうとくなる。そこへ威勢よく与次郎はいって来た。ゆうべも見えず、けさも講義に出ないようだからどうしたかと思って尋ねたと言う。三四郎は礼を述べた。

「なに、ゆうべは行ったんだ。行ったんだ。君が舞台の上に出てきて、美禰子さんと、遠くで話をしていたのも、ちゃんと知っている」

 三四郎は少し酔ったような心持ちである。口をききだすと、つるつると出る。与次郎は手を出して、三四郎の額をおさえた。

「だいぶ熱がある。薬を飲まなくっちゃいけない。風邪を引いたんだ」

演芸場があまり暑すぎて、明るすぎて、そうして外へ出ると、急に寒すぎて、暗すぎるからだ。あれはよくない」

「いけないたって、しかたがないじゃないか

しかたがないったって、いけない」

 三四郎言葉だんだん短くなる、与次郎がいいかげんにあしらっているうちに、すうすう寝てしまった。一時間ほどしてまた目をあけた。与次郎を見て、

「君、そこにいるのか」と言う。今度は平生の三四郎のようである。気分はどうかと聞くと、頭が重いと答えただけである

風邪だろう」

風邪だろう」

 両方で同じ事を言った。しばらくしてから三四郎与次郎に聞いた。

「君、このあいだ美禰子さんの事を知ってるかとぼくに尋ねたね」

「美禰子さんの事を? どこで?」

学校で」

学校で? いつ」

 与次郎はまだ思い出せない様子である三四郎はやむをえずその前後の当時を詳しく説明した。与次郎は、

「なるほどそんな事があったかもしれない」と言っている。三四郎はずいぶん無責任だと思った。与次郎も少し気の毒になって、考え出そうとした。やがてこう言った。

「じゃ、なんじゃないか。美禰子さんが嫁に行くという話じゃないか

「きまったのか」

「きまったように聞いたが、よくわからない」

「野々宮さんの所か」

「いや、野々宮さんじゃない」

「じゃ……」と言いかけてやめた。

「君、知ってるのか」

「知らない」と言い切った。すると与次郎が少し前へ乗り出してきた。

「どうもよくわからない。不思議な事があるんだが。もう少したたないと、どうなるんだか見当がつかない」

Permalink |記事への反応(1) | 01:04

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-08-14

anond:20240804200632満員電車放屁しろ

https://anond.hatelabo.jp/20240804200632

元増田の言いたいことは非常によく分かる。まあ本当に東京人間はどこ行ってもイライラしてるよな。

でも東京人間にも良いところあるんだぜ?自分迷惑かける方になってごらん、東京人間の品の良さと忍耐強さがよく分かるぞ。

 この前通勤途中の満員電車放屁してしまった。前日焼き肉食い放題だったせいでしこたま臭いやつだ。幸いスカしっぺだったので俺が屁をこいたことはバレていないが車内にはくっさいくっさい屁の匂いが広がっている。関西なら「誰がへーこいとるんや」と犯人探しても始まりそうなところだが、東京民は違う。無言でひたすら耐える。まるでそれが宿命であるかのように、ハムレットの如く悲痛な決意で耐える。厳密に言うと、「やりおった!」みたいな驚きの表情はある。だが決して騒いだりしないのだ。正直ちょっと感動した。車内の一体感すら感じたね。

 このように不可抗力的な事象への忍耐と許容の精神東京の美風だと思う。

 

 まあつまりなんだ、元増田も肉くって東京の満員通勤電車で放屁してみろ。周りの人間が愛おしく、そして世界が美しく見えること間違いなしだぞ!

Permalink |記事への反応(0) | 01:08

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-05-18

反出生主義よりも出生主義の方がクソバカだと思う

反出生主義はどこかで「それなら俺も今すぐ死ぬべきなのか?」でハムレットループを起こして自浄作用というか客観的冷静さをそれなりに回復できるけど、出生主義にはそういうブレーキが内蔵されてないから「出生最高!出生最強!出生は絶対正義!」で無限メーター上げていってしまうから

Permalink |記事への反応(2) | 19:37

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-11-30

[Webクリップ]

女史達はサッソウと、勇ましく、前進、ああ、スバシイなア!

インチキ文学ボクメツと仰有おっしゃる。そう考えていらっしゃる

ボクメツの自信も手腕もおありに相違ない。

男が兵隊になって、戦争をするなんて、とんでもない間違いだ。

学問だってそうで、プレシュウズというサッソウたる学者団は女史達で、ハムレット男の子にきまっている。

世の中は出直さねばならぬ。根本から

男はボクメツされねばならぬ。

女史達とその偉大なる正義によって。

新日本万歳

インチキ文学ボクメツ雑談 坂口安吾

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/56810_58840.html

Permalink |記事への反応(0) | 15:58

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-09-01

拝啓ディズニー様、自国でやれないからって日本セクハラパワハラキャラを全肯定するのやめてもらっていいすか

お気持ち表明なので、内容がかなりドライブするので注意。かつ長い。結論は3行目にある

からない単語各自ググれ。天下のディズニー作品だ。ネット上に説明がないモノなんてない。

結論ロロフラン実装いらねぇ!(32倍角)

マジいらねぇ!

てかなんで「ノートルダムの鐘(The Hunchback of Notre Dame)」をプッシュすんの?

あれ興行成績的に大ゴケだったよね?

ディズニールネサンスリアルタイムで追いかけてきたDヲタです。当時のことは良く覚えてますともさ!

あれはTDLに次ぐ海外ディズニーランドということでいろいろ気合いが入っていたディズニーランド・パリテコ入れもあり

ディズニー作品大人も鑑賞に耐えられるということを示すため

ダルティな要素を入れたということが、公開時点でプレスに告知されてた作品でしたね。

そのアダルト部分を担当していたのは、すべてフロロ判事でした。

『冒頭の、カシモド母を追い回すのは強姦暗喩

まり自分の子供を妊娠したカシモド母を口封じに殺したという裏設定がある。

「罪の炎(Hellfire)]では自慰象徴した映像が出てくる』と

日本での公開前に、製作陣のインタビュー記事に載ってました。ぴあだったかな?

それを読んだ自分は「へー、思い切ったもんだなぁ」程度にしか思っていなかった記憶があります

この頃のディズニーアニメ作品は、本国公開からタイムラグがあるのは当たり前で

自分はまず本国で発売された輸入盤サントラタワレコで手に入れて、公開を待つのが常でした。

音楽だけ聞いてる分には特に違和感なかったんだよなぁ。

カシモドの「天使が僕に(Heaven'sLights)」とまとめて同じトラックになってるから

「ああ、カシモドの純粋な愛に対しての不純な愛憎系なんだな」程度で。

ヴィラン(悪役)のヒロインへの横恋慕も別に奇異とも思わなかった。

アラジンジェファーはジャスミンちょっかい出してる(出されてる?)し、

ライオン・キングでも

「成長したナラがシンバの元に現れたのはスカーに迫られて逃げ出したからという裏設定がある」というのも

日本で大ヒットした時点で、ライオン・キングこぼれ話として伝わってたと思う。

そもそもライオン・キング」がハムレット=お母さん寝取られ物語だしね。

かのぼれば「美女と野獣」でガストンとか居たし

’(ものすごーく余談ですが、アラジンで、ジニー魔法で操られてジェファーに惚れてしまった(振りをする)ジャスミン

あなたヒゲはとっても……ねじれてる(Twisted)」と言うセリフがあって

当時の自分は「「twisted」ってセクシーとかそういう意味があるの?褒め言葉なの?」と首をひねりまくった記憶がある。

あのセリフ意味はいまだにわからないというか、ツイステのおかげでさらに混乱が加速してる感があるなぁ)

で、日本でも公開されたわけですよ。

もう冒頭の、冬のパリ乗馬青姦レイプの時点でダメだった。

賛美歌を思わせる荘厳なコーラスに載せて、あんなにヌルヌル動き回るとは思わなかった。

そもそもなんでこんな、社会ヒエラルキー下位の女性一方的暴力振るわれてるシーンをこんなに執拗に事細かに描くこの?

それに一体なんの意味が?

大人の鑑賞に耐える作品って、弱い者への一方的暴力描写がある作品のことですか?

不快不安を覚えながら作品は進んでいった。

大人の鑑賞に耐えるディズニーの割には、いつものディズニーみたいにしゃべる動物ガーゴイル)出てくるし

エスメラルダのハンカチ使った目くらま魔法微妙だし、そもそも魔法かコレ?

(なお、「ノートルダム世界魔法があるかどうかは、公開時には明らかにされなかった。

本当にガーゴイルはしゃべっているのかあるいはカシモドの幻影なのか、どちらとも取れる描写だったし、

エスメラルダの魔法も同様にふんわりした扱いだったワケだが

これもツイステのおかげで十数年越しに壮大なネタバレハンカチ手品:今では土産物として売られている)くらいました。

ありがたいことだよホント!)

イライラが募る間にもストーリーは展開してゆき、「Heaven'sLight]が始まった。

浮かれてるのはわかるけど歌ってるだけじゃイケメン隊長に負けるぞカシモドわかってるか?

かもしかしてフラれる流れだったりせんかコレ?

いやいや人魚姫ハッピーエンドにしたディズニーだぞ主人公がフラれるワケがない信じるんだ。

などとヤキモキしている間にカシモドパートは終了。

カシモドが恍惚とした表情で小さな鐘を鳴らし始める

体の前で両腕を上下ストロークする様子がなーんとなくアレだなぁと思った瞬間にフロローが画面に出てきた。

暖炉だけ点った誰もいない暗い部屋でブチブツ言ってるシーンから始まったと思う。

サントラを聞き込んだ脳内では歌詞再生される。

あの女が私を誘惑したんだ私は悪くない的なことをぐだぐた並べる内容なわけだが

映像キモい。女のスカーフにほおずりすんな!てか後生大事に持ってたんかソレ!

あの歌詞にこの映像が付いたら完全に変質者の言い訳ソングじゃんか!

もうこのあたりでうんざりし始めたわけだが、曲は始まったばかりだ。

賛美歌っぽい壮大なコーラスをバックに自分勝手なことを延々歌うフロロー。いい加減にしろ

そもそもなんで聖歌隊背負ってんだよてめぇ(答え:ユゴー原作ではフロローは聖職者から

コーラスも盛り上がりフロローの言い訳キモっぷりも盛り上がりでこっちはいい加減にしやがれ感。

ようやく外部からノックで曲は中断されるありがとう見知らぬ人。

それにしてもこのノックで我に返る感いかにも自慰邪魔された雰囲気だなぁキモい

てかそのどろどろ溶ける赤い人たちは何の暗喩なんすかね?

(今回これを書くにあたって動画見直してきたが

自分記憶ではフロローの幻想の中で

蝋燭ーが次々屹立して白い蝋を流してドロドロ溶けてゆく映像があったような気がするのだが

作品混同してるのだろうか)

ともかく一事が万事この調子で、

ロローはパリ検事のくせにロマという身分の低い女性フェチ

「あの女が俺を誘惑したんだ俺は悪くない」を繰り返すキモキャラだった。

さらに、エスメラルダを犯罪者として捕縛させておきながら「自分恋人になれば見逃してやる」という

セクハラパワハラどんぶり重ね。

作品中で望むことはそれくらいという、みみっちい痴漢オヤジ

歴代ディズニーがそれなりに壮大な野望を抱いた巨悪であったのに対して

無礼講お祭りでショーの一環としてスカーフもらっただけでのぼせ上がって

上映時間の行動中、エスメラルダを追いかけ回す以外ほとんど何もしない。

作品の内容自体も、カシモドもかなりのウジウジキャラ

ガーゴイルたち(の幻影)に発破かけられまくって,最後にはそのガーゴイルが動かなくなって

ようやく行動を起こす始末。そらエスメラルダも隊長さんに走るだろ。

サントラが素晴らしい出来だけに、内容が実にグダグダ作品だった。

(なおユゴー原作では、エスメラルダは火あぶりになり隊長さんは同じ白人恋人ちゃんといるので

そういう意味では、ある意味ディズニーらしいハッピーエンドにはなっている)

――ともかく、21世紀の感覚でフロローの存在自体が許されざるというか

南部の唄」をなかったことにする前にこっちをなんとかしやがれ感にあふれまくり

あの「アトランティス」と並んで、見なかったことにしたいディズニー作品極北、それが「ノートルダムの鐘(The Hunchback of Notre Dame)

なのにディズニーさんは何を思ったか突然この作品を掘り起こして、しかもフロロイケメンに仕立て直しちまった。

プレイヤーはほぼ女性アプリゲー「ツイステッドワンダーランド」の攻略キャラロロフランム』として!

なおいCV神谷浩史

ロロデザインをきっちりと踏襲し、口元にハンカチを当てるという仕草まで入れるそのご様子は

どんだけ本家に忠実なんだよ!

そんなにフロローが大事か!興行収入大ゴケ作品セクハラパワハラ野郎が!

ディズニー作品は数多とあるだろうに、なんでよりによってコレをプッシュすんの?

てか日本ディズニーコンテンツとしてプッシュすんのがコレなの?

yellowcab枢やなイラスト神谷浩史ボイスさえあれば

元がセクハラパワハラキャラだろうがご褒美ですって受け入れてキャーキャー言うだろうってことにしたいの?

残念ながらその通りになったけどね!

――本当にさぁ、なんで今、日本からセクハラ野郎ロローを再評価する流れを作ろうとしてるのマジで

何がしたいのディズニーさん。

米国基準で受け入れられないものを、なんで日本なら許されるとか思っちゃうの。

かに我が国人権後進国です。そいつをどうにかするのは我々の責任です。thatIS our business。

でもさぁ、だからって米国基準別に日本基準を設けないでよ。

ディズニーくらい、我々を平等に扱ってよ。

日本女は頭空っぽから尊厳を気遣う必要はない、米国女性と同じ扱いしなくてもいいとか考えないでよ……

ああ書いてて何が言いたいのかだんだんからなくなってきたなぁ。

ともかく、ロロフランムは要りませんマジで

セクハラ野郎を美化しないで下さい。

あ、あと「ズートピア2」も要らない。

ライオンハートメリーウェザーに行ったパワハラの数々は許されるものではないのに、なんで最後に「俺は無実」みたいに返り咲いてんのアレ。

Permalink |記事への反応(16) | 17:07

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-02-16

増田「三大○○、あと一つは?」

俺「ChatGPTに聞け」

増田「男ってどうしてこう○○なのか?」

俺「ChatGPTに聞け」

ハムレット「生きるべきか、死ぬべきか?」

俺「ChatGPTに聞け」

ジュリエット「ああロミオ、どうしてあなたロミオなの?」

俺「ChatGPTに聞け」

Permalink |記事への反応(1) | 07:59

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-01-22

ライトノベルの作者が文学者として語られないのが腑に落ちない。

ライトノベル滅多斬りのようなそれに特化した書籍ならともかく、国語辞典百科事典に載ってる人が全然いないわけだ。

特化した本では語られていてそうでない本では他のジャンルと同じ割合だけでもなく全然言及されないというこの状況は世間にとってラノベ価値は井の蛙的なものであるということを物語っているのではないだろうか。

後にも述べるがいまやラノベ純文学以上に熱烈な支持者は多いように思う。

が、そもそも本に対する愛着やこだわり自体まりなく暇だったり必要に応じて読んでいるという人が、蝸牛の争いのような両者に比して圧倒的多数だと仮定するなら、権威ある事典などにラノベではなく純文学の作者について語られていれば浮動票のようにそちらの方が優れていると考えるだろう。あるいは世間一般の人がそれがなんとなくであるにすれラノベより純文学の方が優れているという考えを持っていることの現われなのかもしれない。

このような単にラノベ純文学より劣っているという考えは何の普遍性もない(無根拠な)価値判断が来ているのだろうか。

正直私にはたとえば恋愛を扱ったものに関してラノベ純文学で読後感という点で違いを見出せなかった。

ラノベ、魅力的な都合のいい異性を描いて娯楽に供させる。

一方で純文学シェイクスピアハムレットなんか見てみるわけだが、異性が魅力的でないこと以外読み物としては両者ともそれぞれ違った(優劣ではなく)面白さがあるだけで差を感じられなかった。

ブリタニカ百科事典先生によると、文学芸術の一つで、芸術には美の要素があることが要件らしい。

逆に言えばより美しく、芸術性が高い作品文学としてより優れたものなのだということになりそうだ。

でもそれじゃあ美ってなんだよって話になる。ラノベに書かれてることは美しくなくてシェイクスピアは美しいと頭ごなしに言われてにわかに納得できるか?ラノベ好きなら教条主義的な人以外そんなことを思考停止して受け入れるのは無理な話だろう。

文学といえばよくそメッセージ性が問題にされているとは思う。

文学作品物語プロット、筋というのは何か崇高なことを訴えていることが期待されるものだ。

その点ラノベにとって物語というのは登場人物すなわち読者にとっての異性をより魅力的に見せるための小道具オタク的に言えばシチュとしての役目しか持たされていないのかもしれない。

あるいは訴えることがあるにしても評価されている純文学のそれに比べれば余りにも素朴で浅はかなものなのかもしれない。

しかしそれがなんだと言うのだろう。

そのラノベを開くとマッチ売りの少女のように脳内に魅力的な異性が立ち現れてくる、そこに価値見出している人が確かにいるのだからそれもまた確かに価値」じゃないか

しろ紙の本が売れなくなっているこのご時世には電子出版と相性がいい漫画と同じくラノベのほうがそれ以外の小説よりよく読まれているのではなかろうか。

価値に対して人間万物尺度であってかつ尺度多数決によってその度合いが最終的に定まるものなら純文学よりもラノベのほうが価値が高く優れているということになりそうなものである

またどれだけ異性を魅力的に描けているかということならまだ美という観念にも通じるものがあるように思え、その作品の美しさを論じる余地があるように思える。

他方、ガリバー旅行記人間社会不条理さや醜悪さをこれでもかと抉り取った大人の読み物らしい。

そういうメッセージ風刺アンチテーゼの質が文学作品重要評価軸になっているようには思う。シェイクスピア漏れくその点で評価されているのだろう。

じゃあそのメッセージかいうのは「美しい」のか?

こうしたメッセージ等の価値というのはそれが真理を示しているか、生きる指針として役立つか、ということ等にあるのであって、これは美しさという尺度でどうこう論じれるものではないと思う。

たとえていうなら匂いについて判読性が高いかどうか論じようとするようなものだ。嗅覚上の情報視覚関係する尺度をあてがってもどうにもならない。

あるいは文学には描写のものの美しさというものも見出すことが当然できよう。

その最たるものが詩だろう。

それは単純に視覚的に美的ものを描く、あるいはレトリックの巧みさという形で体現されるはずだ。

そういう詩的要素が散文においても存在するなら、その散文すなわち小説などは美しさを帯びていることになり文学要件を満たしうるはずだ。

しか文学からそういった詩的な要素に対してメッセージ性というもの論理次元にあるものなのだから、そういう詩的フリンジを取り去ってもメッセージ性は保存されるはずである

その文学作品が何を訴えているかということがノーベル賞においてすら重要評価軸になっているのだから、詩的フリンジの有無はその文学価値にとってさしたる要素ではない考えられるのだ。

文学価値は何を訴えているかにあるはずなのにそこには文学要件たる美がないとしか思われないのだから訳が分からない。

結局辞書の言っていることを手がかりに形而上的に考えても埒が明かないのかもしれない。

とはいえ主観のおもむくままに考えてみてもおそらく月並み見解しか沸いてこないだろう。

それを承知で述べてみるなら、まず文学作品と呼ばれるようなものは限られた人しか楽しめない。少なくとも文盲知的障がい者には荷が重い。

からその価値判断というのはその限られた人の価値観に偏ったものになるはずだ。

それはおそらく知的エリート価値観になるだろう。

知的エリートはそうでない人に比べ収入が高い傾向にあること言うまでも無い。

ただの女たらしが「紀州ドンファン」と一目置かれた称号を得るのも然り、財力があれば世間に対する存在感ひいては発言力も増すという俗物的な構造はまだまだ根強いと思われる。そうでなくても知的エリート社会的地位が高い傾向がある。

そういうわけで彼らの考えは権威を帯びる。

ただそれだけなら楽しめる作品が多いというだけの話なのである傾向を持った作品ばかりが知的エリートに推されるということの説明にはなっていないはずだ。

彼らはより知的でなければ読めない作品に、自分を飾る嗜みとして、価値を見出すのだ。

なのでラノベではなくてそういう作品が、そういう作品の作者のほうが優れているという考えや言論が幅を利かせることになるのではないか

教養とか皆無でもさっくり気楽に楽しめるようなものを尊んでいるのでは格好がつかない。それでは凡百と同じなのだ

以上をひっくるめれば、彼らは美しい作品ではなく、強靭教養や知性という顎でもってはじめて噛むことができるスルメ的な面白さがあるかどうかで価値判断している。

そしてそれが権威ある辞書事典記述を通して本に対してさほどこだわりのない圧倒的多数一般大衆に浸透し、そうしてラノベ純文学に対して劣ったものという既成観念形成される。

月並みなばかりでなくいかにもルサンチマンに満ちた見解になっているとは思うが、そういうことなのではないか

似たような話でアニメドラマ実写映画より劣ったもの扱いされているということがあるだろう。

昔の大衆の娯楽だったものは今は高尚なものとして扱われるというパターンがあるけれど映画は割りと初めのほうから芸術的に価値あるものたりうると認識されていたような印象がある。

逆にアニメジブリが(ガンダムなんかも?)例外なだけで今日まで芸術性が認められてないゆえにどこまでも映画に劣った娯楽作としか見られていないように思う。

さら時間が経てば歌舞伎浮世絵のように芸術として見られるようになるとはにわかに考えにくいのだ。

実はこの文章原稿はいっぺんに書いているのではなく日をまたいで書いてるので、その間に得た知識によっては文章に反映されていくものもある。

その一つとして先ほど偶然知ったのは、大衆文学には少年少女小説、つまりほぼラノベ同義と捉えても差し支えない概念も含まれるということだ。

ただし付け加えていうなら大衆文学には純文学に対して価値が劣ったという含意がある。となるとこれはむしろラノベは劣ったものであるとう認識存在する傍証になってしまったようだ。

本当のところはうだうだ言う前に早い話がもっとラノベ純文学バランスよく読めば自ずと両者の面白さ以外の違いも分かって疑問も解決に向かうかもしれない。

しかし私はラノベもそれ以外も小説というもの自体平等にあまり読んでないので、今更自ずと分かるまで両者を読みまくって分析する気までは起こらない。

好きでもないジャンルの本を読むのは受験勉強に等しく苦痛だ。私はただなぜラノベ作者が純文学作者と比べ評価されたり公の場で対等に紹介されたりしないのか知りたいだけだから私自身が苦痛を味わうまでもなく両者を愛読していて答えを知っている人に教えてもらう方が合理的に決まっている。

知恵袋にも質問の体をしているがその実は女がしがちな「どうしていっちゃうの?」式の不満に対する詰問でしか内容の投稿が多くあるが、結局風潮への反感が、反感は反問を生むという素朴な力学が私にその理由を知りたがらせているわけだろう。当然ここにも答えを知っているものがいるならばその提示を望むものである

また私は私でただの判官贔屓かもしれないけれども、メーンカルチャーに属するコンテンツに対する感想が溢れるなかでブログ増田に埋もれたラノベアニメ感想記事があったら、その飾らない感性とのその一期一会感謝し、その価値観を慈しむことでこの世間の風潮に対抗しているつもりなのだが、それをこれからも続けていくつもりだ。

dorawiiより

Permalink |記事への反応(0) | 14:35

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-01-18

役者の演技というか求められる作品の質の問題

役者の演技って比重としてはかなり脚本演出によるのです。

例えばイギリスなんかでシェイクスピア舞台で主役とかできる役者は超一流とされているんだけど

(有名どころだとドクターストレンジやってSHERLOCKってドラマで主演はったベネディクト・カンバーバッチとかがハムレットやってる)

役者としてなぜ超一流かと言われるとシェイクスピアのあの小難しいセリフものすごい綺麗な発音でとても流暢に感情を乗せて説得力のある演技ができる、という点において超一流とされているのよね

さて、ではこの技能リアリティ重視の演出に逢いますか?と言われると実はかなり難しい

例えば本邦に置いてシェイクスピア俳優で有名な俳優をあげていくと吉田鋼太郎藤原竜也

この二人、ドラマかにもよく出ているので皆さんもご存じの方が多いと思うが、この二人が画面に出るとそれだけでリアリティラインが難しくなるのが皆さんお判りになるだろう

いや、この二人の舞台演技めちゃくちゃにうまいんだけど、ドラマに出た時画面として、リアルというよりも芝居じみた豪奢なセットの中で映える演技だというのはなんとなくわかるだろう

なのでリアリティラインリアルに近い作品(もしくは静かなドラマ)にこの二人が出るとちょっと画面としてリアルからかけ離れてくる

(それでも吉田鋼太郎とかは、おっさんずラブとかでドラマヒットしてるわけだけど、あれはおっさんずラブというある種の漫画的な演出が多用された作品に置いて吉田鋼太郎という芝居じみた重厚な見た目とコミカルさがとてもよくバランスとして当てはまったからだ)

では、ここにおいて「役者のうまさ」とはなんなのかという話になってくる

定義はいろいろあるだろう。

どの作品に出てもある程度作品の色に合わせられる、とする人もいるだろう

リアル調の演技ができる、自然な演技ができる、という人もいるだろう

シェイクスピア俳優のように長いセリフを情感を込めて言い立てができる、という人もいるだろう

このように、求められるプラットフォームジャンル、場面において役者というものの演技はかなり異なってきており、ともすれば作品にあってないというところで下手と言われることもままあるのだ

んで、こっからは本邦の問題なんだけど、日本ドラマに置いてのキャスティングっていうのがかなり話題性重視になってしまっていた時代が長く続いていた時期がある

いわゆるキムタク筆頭のジャニーズ使っておけ時代だったり、アイドル話題性芸人だしておけ時代である

いや、ジャニーズでも森田剛とかシェイクスピア俳優ちゃんといるし技術つ的に高い人もいるから一概に悪いとは言えないが、とりあえず出しておけという時代があったのだ

それにより、すこぶる作品マッチしないけど客呼べるから作品に出しておけで作品に起用されていた人々というのが結構いたのである

んで作品に合わないのでまあ下手なのである

というのが量産されて行ってしまい、本邦のドラマクオリティが一時期下がり、それでも客がそういうものの方がつくのでそういう作り方をせざるを得なくなってきたという側面があり、

求められる役者像がどんどんと変な方向に行っていったというのが「日本役者は演技が下手問題」の根本にある

まり、ことこの問題に置いてはキャスティングをしたプロデューサーゴミ人間が多かったというのがこの問題本質なのだ

なので、自分の好みだなあ、このキャスティングいいなあと思ったプロデューサー名前をチェックしてドラマを見ていくと、かなりの確率でいい役者を見れるので皆さんも参考にしてほしい

Permalink |記事への反応(0) | 10:09

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp