
はてなキーワード:ノーベルとは
すごくうまいんだけど、発売当初は鳥羽シェフ監修で顔写真と本人の手書き文字がパッケージに入ってたのが、今や存在ごと消されてる
ミルク系ハードキャンディが好きで新製品も色々チェックしてたんだけど、まさかこんな黒歴史が生まれるとは思わなかったな……
ついでに書くと、ミルク系ハードキャンディ界隈において、UHA味覚糖の特濃8.2は本当に良いブランドだと思う
安定した美味しさで、値上げはしても比較的安価で内容量も多くコスパが良い
1990年からのロングセラーである特濃8.2を猛追したのが2012年発売のカンロの金のミルクだけど、プレミアム路線なだけあって、原材料を見ると特濃は砂糖と水飴の次に粉乳が来るが、金のミルクは三番目に生クリームがくる
乳脂肪のリッチさでは金のミルクに軍配が上がるが、いかんせん近年の値上げでかなり内容量が減った
シンプルな原材料にも飴メーカーとしてのプライドとこだわりを感じる
カンロのミルク系と言えば、フルーツフレーバーとミルクフレーバーがマーブルになったミルフルッツも佳品だった
一度廃盤になって復活し、再び廃盤になってしまったが、他のメーカーのフルーツミルクフレーバーよりも甘さが優しく自然な味わいだった
その「他のメーカーのフルーツミルクフレーバー」として真っ先に思いつくのがノーベルの俺のミルクキャンデー北海道メロン味なのだが……
ノーベルの俺のミルクシリーズは、マーガリンやチーズパウダー、人工甘味料が使われており、人工的な味と言えばそんな気もする
嫌いではないが、単価が高く、少しくどく感じることもあってあまり買わない
しかし同じノーベルの無添加はちみつ生姜ミルクのど飴は、その名に違わぬシンプルな原材料
舌触りなめらかではちみつの風味も良く、冬場しか売ってないが寒い時期は鬼リピしている
もう1つメジャーどころを挙げるなら春日井製菓のミルクの国になるだろうが、近年ブームになったミルクを味わうタイプの飴よりずっと昔から販売されていることもあり、言ってはなんだがチープでノスタルジックな「昭和の味」と言う感じ
たまに食べると「あー、これこれ」と思う
最近めっきり見かけないので廃盤になっているのかもしれないが、春日井の女王のミルクはある意味で金のミルクを超えていた
まろやかな乳脂肪感では他の追随を許さなかったが、どうも販路が拡大しなかったようで、あまり売っている店舗を見かけなかった
ミルクキャンディと聞くと不二家のミルキーが思い浮かぶ人も少なくないだろうが、ミルキーのハードキャンディバージョンであるミルキーカッチコチという商品もある
ミルキーらしい練乳を感じる味わいで、万人に好かれると思う
変わったところでいうと、榮太樓のバニラミルク飴や抹茶ミルク飴(百貨店で扱っている方ではなく、袋入りの市販品)が成城石井などで売っていたりする
これは個人の感想だが、榮太樓の市販品は総じて「飴のうまさ」というか、砂糖を味わわせるものになってると思う
カンロとはまた違った方向性で、よく言えば上品、悪く言えば少々物足りなく感じるかもしれない
濃厚なミルク感というより、飴として食べやすい、丁度よいバランス
砂糖ではなくグラニュー糖が原材料の筆頭になっているのも珍しい
ミルク系からの派生として考えるなら、キャラメルキャンディ界隈も熱い
冬場は濃い甘いものが欲しくなることもあり、密かに売り場が盛り上がっている
ヴェルタースオリジナル、魔性の塩キャラメルキャンディ(カンロ)、塩の花(UHA味覚糖)、キャラメルがとろ〜り出てくるキャラメルキャンディ(ノーベル)……といった定番の顔ぶれに、今秋からはミルクキャラメルの森永からハードキャンディタイプが加わった
疲れた時の甘い物として飴を摂取するので、個人的にはどうしても「最後に勝つのはヴェルタースオリジナル」になってしまうのだが、カンロの魔性の塩キャラメルはしっかりほろ苦さとしょっぱさがあり、魔性というにふさわしい大人の味
新商品として魔性のピーナッツバターというクランチキャンディも出たばかりだ
クランチ(噛んで食べるタイプ)では、いちごみるく飴で有名なサクマからバタースコッチキャンディも今秋発売された
バタースコッチといえば、在りし日のチェルシーのバタースカッチは美味しかったなあ
つい長くなってしまった
なんでこんな話してたんだっけ
秋アニメで「キミと越えて恋になる」ってのが始まったんだけどこれがスゴい
「獣人」と言われる犬や猫などの姿をした半分人間半分獣人が世界の中に普通に存在する物語なんだけど
これが秀逸すぎるんだよ
優秀な獣人は人間の世界で生活するみたいな研修をやることになっていて
優秀なのにやはり研修中の獣人だからか、女子高生がはなつ”甘い香り”に理性や野生を抑えきれなくなって
ことごとく、文字通り”ケダモノ”のように襲うシーンが んーエロティカ!
エスカレートして太ももを甘噛みしながらこれまたペロペロペロペロ・・・
すげぇ、
原作とアニメの絵がすごくかわいらしくて余計に背徳感をたきつけ、
アニメでヒロインを演じている人の声が透き通った中に甘さを含むすごい可愛い声で「・・・ んあッ!!」とか言ってて
という天才的発想
なんか久しぶりに性癖ブチ抜かれたワ
ノーベル生理学賞の日本人とか全然知らない人なんだけどその界隈では有名な人なんだろう?
ノーベル賞受賞前日に「俺は大谷翔平よりすごいんだ。彼より有名になっていい人間なんだ」みたいなdorawiiみたいなこと言ってたら馬鹿にされる?
ノーベル賞受賞後の今ならそんなイキリ方しても許される?それともそれでも一気にdorawii並みに痛い人と認識ジョブチェンジしちゃう?
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村上春樹がノーベル文学賞に手を伸ばせずにいるのは、本当に皮肉な話だ。
彼の本は、全世界を魅了しているのに、選考委員の文学観にはどうも刺さらないらしい。
ネコが出てきたり、深夜のジャズ喫茶で心が揺れ動いたりするあの世界感は最高に心地いいけれど、
個人の内面遊泳に徹する春樹作品は、どうしても軽やかすぎると見なされてしまうんだ。
でもノーベル選考委員は、「文学の最前線で新しい実験をしているか」を重視する。
平易な文章でグイグイと読み手を引き込むスタイルは素晴らしいけれど、
だから、文芸界のアカデミックな厳粛派からは「村上春樹は大衆作家」というレッテルを貼られてしまう。
さらに、英訳には申し分のないクオリティがあるにもかかわらず、ノーベル文学賞の選考は陣営戦略も大きい。
新鮮味を欠くと判断されがちだ。つまり、翻訳品質以前の「選考バイアス」が存在する。
あと、村上春樹の物語は普遍性の光を帯びていると言えば聞こえはいいが、
選考委が欲している「全世界を覆う重厚な社会批判」という観点では、どうしても「足りない」と映る。
孤独や胸の高鳴りではなく、人類の根源的苦悩を描かないと、ノーベル文学賞の舞台には上がらないというわけだ。
村上春樹は世界中の読者の心を掴んでいるのに、ノーベル文学賞という舞台では「大衆文学の王」に留まる運命らしい。
どんなに野球がうまかったとしても、国内にプロ野球とかメジャーリーグがなかったら活躍できないし、
もっと活躍できる舞台が海外にあるならそっちに流れるのと同じ話だが。
個人の優秀さも大事だが、活躍できる舞台が用意されていない国で成功できるはずもない。
大谷翔平だって、もしプロ野球界が無い時代に生まれてたらただの一般人だっただろうし、
ジョブズも投資文化のない日本に生まれてりゃただの痛い人間だったと思うぞ。
優秀な人がいるだけではなく、そいつらが評価されて輝ける舞台が用意できた国が
大成功してるってのはアメリカを見てりゃ答え合わせができるだろ。
日本人だって一時期ノーベル賞ラッシュがあったように、日本人が世界的に不真面目とか、頭が悪いってわけではない。
ちなみにこの前AI関連でノーベル賞を取った海外の研究者がいたけど、
甘利俊一・福島邦彦もAI技術の基礎を築いた功績でノーベル物理賞候補に入るぐらいの貢献はしているから検索してみろ。
あと一歩でノーベル賞を逃した研究者とか言われる程度には評価されてるから。
でもな、研究の世界なんか物量作戦で、優秀なのは前提として、先に役に立つ発見をしたもの勝ちって側面が強いのは理解してるよな?
きちんと投資さえすれば勝手に優秀な奴が集まってくるし、放っといてもそいつらが勝手に成果を出すわけだ。
ちなみに甘利俊一・福島邦彦は何十年か前の研究者で、日本がバブルでお金が余ってて、バカスカ金をつぎ込んでた時代の研究者な。
日本に同じ優秀さの研究者がいたとしても、予算が少なけりゃできる研究の幅は限られるし、
金がないってことは研究者として食っていけるチャンスも少ないってことで、単純で国内全体で単純に発見できる数自体が減るわけだ。
心理学者が「6σで有意な差が出ました!」と自己放尿したらどうなるか?結論から言う。それはもはや科学ではない。宗教だ。
まず前提確認だ。お前ら全員、「統計的に有意」とかいう自己放尿を呪文かなんかだと思ってないか?
「p < 0.05!」「有意差!」「これは効果がある証拠!」阿呆どもがピンクの学会ポスターで踊る背後で、俺は黙ってベイズの拳を研いでいる。
だが、6σ、すなわちp <10⁻⁹という領域に心理学者が足を踏み入れた瞬間、話は変わる。
それはもう「実験」ではない。「奇跡」だ。統計の意味を履き違えた者の末路である。
心理学という分野は、母集団の正規性が怪しいデータをt検定という古代呪術で調理し、「なんか平均違くね?」というレベルの自己放尿のような差を「有意」と呼んできた。
3σ出れば神、4σならノーベル、5σは物理学、6σ……?それは啓示だ。
想像してみろ。
「条件Bでは2%なんです」
「被験者は42人、全員カリフォルニア大学の心理学101の履修者。心の準備もなく、コーヒーと引き換えにテストされた結果、宇宙の真理が発見されました」
ほざけ。
「我々の発見は、再現率95%どころではない。99.9999998%の信頼がある。 よって我々の仮説は信仰してもよい段階に達した。この効果は真実である。なぜなら6σだからだ」
そして始まる謎の宗教。
ここで本質を問う。
6σなど、LHC(大型ハドロン衝突型加速器)で陽子を1年かけてぶつけてやっと出る。
貴様、頭蓋骨の中に本当にニューロンが詰まっているのか?また自己放尿か?
なぜなら、「この効果を受ければ、誰でも不安が消えます」「この方法を使えば、すべての関係性が改善します」「このスコアを上げれば、人生がうまくいきます」
心理学者が6σの結果を持ち出した瞬間、お前はもう科学者ではない。
そして我々はこう言う。 「それ、ちゃんと多重検定補正しましたか?」
すごいおちんちんの勃起だねえ!って褒められて賞賛されてお小遣いとかもらってそれで食べていきたい、ゆくゆくは妻子を養ってマイホームを買って老後のための投資もしたい、さらに勃起が軌道に乗ったら今度は事業拡大を考えて、例えば勃起のエネルギーを活用した何か新しい発明をするのもいいかもしれない、新たな再生可能エネルギーのひとつとして勃起エネルギーについて真剣に考える、僕がその先駆者になってまずは研究所を設立して、日夜研究に没頭していつか特許を取るんだ、そしていずれは勃起発電所を建てて地元の人たちに貢献したい、その発電所が成功したら国際展開を見据えて勃起発電のノウハウを広めていく、世界中のエネルギー問題を解決するんだ、そして人類への貢献が認められていつかはノーベル勃起賞をもらって、僕は壇上で「すべては私のすごいおちんちんの勃起から始まりました」って堂々とスピーチして、会場がどよめくんだ、「ああ、この勃起は人類史に残る勃起だったんだ」って皆が認める――そんな未来もありえるんじゃないかなって思う。おやすみなさい。
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