
はてなキーワード:ネガティブとは
衆議院選挙2026で中道は大きく議席を減らした。選挙直後から、「野党は批判ばかりだ」という批判が相次いだ。選挙結果の分析として語られたこれらの言葉は、やがて野党の存在意義そのものを問う論調へと拡張していく。
だが、この「批判ばかり」というフレーズは、単なる戦術論や広報戦略の問題にとどまらない。そこには、野党の役割をどのように理解するのか、さらには日本の民主主義をどのような構造として維持するのかという、制度的な問いが含まれている。
本稿では、この言説が持つ政治的意味を整理し、いわゆる「ネオ55年体制」論とも照らし合わせながら、野党の監視機能と政策提示機能の関係について考察する。
議会制民主主義における野党の機能は、大きく二つに整理できる。
第一は、アカウンタビリティの確保である。政府の政策決定過程を監視し、問題点を追及し、不透明な権力行使を抑制する。これは単なる「批判」ではなく、制度的なチェック機能である。三権分立が権力分散を前提とするのと同様、議会内部における対抗勢力の存在は、権力集中を防ぐための基本構造である。
第二は、代替案の提示である。与党案に対する修正提案や独自法案の提出を通じて、政策選択肢を示す。政権交代が可能であるためには、実行可能なオルタナティブが存在しなければならない。
重要なのは、この二つは排他的ではないという点である。監視と提案は本来、同時に行われるべきものであり、「批判か提案か」という二項対立は制度論的に成立しない。
それにもかかわらず、「野党は批判ばかり」という言説が広がる背景には、いくつかの政治的効果が想定される。
第一に、監視機能の正統性を相対化する効果である。批判を「足を引っ張る行為」と位置づければ、政権追及そのものがネガティブに映る。結果として、チェック機能が弱体化する。
第二に、「政権担当能力がない」という印象の固定化である。批判中心というイメージは、「建設的でない」「責任を負えない」という連想を伴う。これは、政権選択選挙としての意味を薄める。
第三に、「提案型野党」への誘導である。一見前向きな要求に見えるが、その内実は「批判を前面に出すな」という圧力を含む場合がある。与党にとって管理可能な範囲での提案にとどまるなら、野党は補完勢力に近づく。
これらは意図的か否かにかかわらず、結果として野党の役割を限定する方向に作用する。
もっとも、野党側にも課題は存在する。政策パッケージの一貫性、党内統合、メッセージ戦略の明確化など、政権選択肢としての説得力を高める努力は不可欠である。また、多党化の進行により、有権者の支持が分散しやすい環境も影響している。
さらに、メディア報道の構造も無視できない。国会質疑のうち政策提案部分より対立場面が強調されれば、「批判ばかり」という印象は強化される。認知の問題と実態の問題は、必ずしも一致しない。
野党が批判を行うことは、制度的に正当であり不可欠である。同時に、代替政策を提示し、統治能力を示すことも求められる。両者は二者択一ではない。
問題は、「批判=悪」という単純化された図式が広がることで、監視機能の正統性が損なわれる点にある。政権交代可能性が現実味を失えば、民主主義は形式的に存続しても、競争性を失う。
ネオ55年体制という言葉が示唆するのは、単なる議席構造の問題ではない。政治的想像力の縮減、すなわち「変わりうる」という前提の後退である。民主主義は使い倒されてはいない。むしろ、その機能を十分に活用してきたとは言い難い。
野党が批判を続けることは、権力に対するブレーキである。同時に、提案を重ねることは、将来の選択肢を広げる行為である。両機能をどう統合し、有権者に可視化するかが今後の課題となる。
必要なのは、対立を弱める方向の「効率化」ではない。監視と競争が正当に機能するよう、制度と運用を再設計すること
相変わらず選挙に負けた原因を「リベラルが嫌われている」からという理由に求めている人が多い。馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。
まず、若い世代の一般的な政治意識やメディア環境の特徴について、以下のように理解することが必要である。
・左翼/右翼、保守/リベラルの違いについて知識も薄く、あまり興味がない(どうでもいい)。
・統一教会や裏金問題のようなネガティブな話題よりも、ポジティブな話題のほうを好む。
・日常的に馴染みのあるメディアはYoutubeなどの動画投稿サイトで、そこではネット右翼、アンチリベラルの(表向き中立を装っているが)チャンネルが圧倒的優勢。
・選挙での判断基準は政党リーダーのイメージが軸で、イデオロギー的な基準は生理的に受け付けない。
・そもそも社会的な価値観はかなりの程度「リベラル」になっているので、ときおりリベラル派の主張に触れる機会があっても、そこに新鮮さや刺激を感じることはない。
「リベラルが嫌われている」という場合、リベラル系政党の主張をよく認識・理解して吟味した上で嫌っているという前提になるが、実際は嫌われるほど認知されていないと考えるべきである。そもそも、物理的に目に入る機会が少ない、入ってきたとしてもネガティブなものでなければ既に当たり前の価値観になっているものなので直感的に惹きつけられない、などなど若者からリベラル系野党を自ずと遠ざけてしまうような構造的な状況があるというだけにすぎない。
アナログで絵を描いている友人がいます。私は絵心が無い素人ですが、友人の描く絵は下手では無いです。手足や顔のパーツが狂っていたりもしなければ色使いが変な事もなく、きちんとキャラクターが映える絵を描いています。
友人は10年以上一次創作を描いていてpixivやXなどにも投稿しているのですが、イベント参加や他の絵描きさんとの交流などはしていません。SNSでも特に積極的に活動していたりはしません。しかし反応が無いと病みます。どうせ私には才能が無いから、とか、評価されないなら描いても意味が無いとか、正直とても面倒くさい病み方をします。そしてその愚痴をSNSに上げまくります。ネガティブワードが多いから反応されないんじゃないかと思っていますが、そういった指摘をしようとすると機嫌を悪くして超絶面倒くさくなります。何というか、客観的な意見であっても自分に対して否定的であれば決して聞く耳を持ちません。一度でも不快に思った出来事があれば何年、何十年と経っても忘れられない、乗り越えられない人です。本当に面倒くさいです。
ただ、ネガティブさにさえ目を瞑れば、趣味や思考の馬が合う良い友人なのです。私自身、友人の描く絵は綺麗だし可愛いし、一朝一夕で描けるものではなく凄いものだと思っています。
その友人が、最近私に絵を売ろうとしてきます。色紙やお絵かきペーパーに描いた絵を1枚500円など、絵を販売するには破格の値段だとは思いますが、私に売ろうとしてきます。
今まで誕生日やお祝いなどで絵を贈られた事はたくさんあります。友人から贈られた絵は100枚を超えています。ちなみに私から描いてと依頼したり強請った事は一度もありません。「絵を送りたいけど何を描いて欲しい?」と問いかけられて答えた事はあります。
正直に言って、私は友人の描く絵を凄いとは思いますが、私財を投げ打つほどには惹かれていません。友人の描く絵は、私の心に刺さる絵柄でもジャンルでも無いからです。自分の絵に価値を付けて欲しいのならイベントに出るなりSNSを運用するなりして、自分の絵を好いてくれる人間を探せと思います。でもそれを正直に言うと上述の通りの性格なのでとても面倒くさい事になりそうで言えません。面倒くさいからと言って、友人の承認欲求を満たす為にホイホイと買いたくもない絵を買っても良くない状況になりそうですし、率直に嫌なので困っています。友人としては好きなので妙に拗れたりして縁を切りたくは無いのですが、どうすれば良いのか分かりません。
「人柄」って別に本来の性格とかのことではなくて、その人に好印象を持つか持たないかってだけだから、SNSでも動画でもポジティブ投稿よりネガティブ投稿のほうに大量接触すれば「人柄が悪い」になるわけ。
そろそろ語るとするか。
俺は今30代半ばになるが、これまでリアル・ネット含め誰にも話していないトラウマがある。タイトルの通りだ。
冗長気味でも、記憶にあることは全て漏らさず書くつもりだ。もしよければ読んでほしい。
雨の日だった。給食後の、5時間目の授業だったと思う。45分ある授業だが、序盤でもう腹が痛くなってきた。その日食ったもので、腹がゆるくなるものがあったのだろう。
今の、あるいはかつての思春期少年少女なら身に覚えがあると思うが、先生の話を遮って手を挙げ「トイレに行きたいです」というのは、なかなか勇気がいる。
普段からそういうあけっぴろげなキャラで認知されていたり、クラスの中心的な地位を確立していたり、もしくは単に合理的思考と想像力、
せめて一歩踏み出す勇気があったら別かもしれないが、俺はそうではなかった。
ネガティブな注目はとことん忌避回避して縮こまる。そんな気弱な陰キャである。
大人になって振り返れば、何をためらうことがあるのかと思う。リスクがでかすぎる。その一瞬クラスの注目を集め恥ずかしい思いをしたとて、忘れられるのも一瞬だろう。
とはいえ、できれば残りの40分弱耐え抜いて、チャイムとともにダッシュして事が済むならそれに越したことはないのもたしか。
俺はなんとかなるだろうと思い、耐える方を選んだ。甘かった。
授業が半分くらい過ぎたところで、かなり絶望的な気分だったのを覚えている。これは最後まで耐えきれないだろうと、どこかで理解していた。
ここまでくると、手を挙げるのも先ほどよりハードルが高い。耐えるのに精いっぱいで、言葉を発するのもやっとの状態だったからだ。
いかにも腹が痛そうなかんじで「トイレに行っていいですか」と皆の前で乞えば、事が済んだ後ウンコキャラとして数日、長ければ数週間過ごすことを余儀なくされよう。
いや、それでも手を挙げるべきなのだが、もはや正常な思考を巡らせることすら難しかったのではと思う。
急激な腹と尾てい骨あたりの痛み、そして少しの緩衝タイム。その繰り返しが5,6回は続いたんじゃなかろうか。波の間隔はどんどん短くなってくる。
当然授業の内容など入ってこない。そっちに集中して気を逸らそうとしたが無理だった。当時人生で間違いなくダントツトップで辛い時間だった。
そしてついに耐え切れず、決壊した。
頭が真っ白になった。信じられなかった。これは本当に現実なのか?軽いパニック状態だ。
藁にもすがる思いで、まだ大丈夫と言い聞かせたと思う。漏れても少しなら、周りにバレることはないだろうと。
だがそれは終わりの始まりにすぎなかった。
一度決壊してしまったせいか、歯止めがきかないのだ。一度、二度、三度。我慢しようとしても、出てしまう。
もはや出ていないのでは?漏らしている気はするが気のせいかもしれない。そんな現実逃避をしていた記憶がある。
しかし非情にもケツに広がる不快感。泣きたい気分だった。ほとんど泣いていたかもしれない。
臭いで周りにバレないか心配になった。後ろの席の人は臭かったかも。ごめん。でも、特に何も言わないでくれてありがとう。
早く終われとぐったりしながら、うんこを垂れ流しながら、残り時間をただただ耐えた。すでに俺の自尊心は粉々に砕け散っていた。
人生終わった。本気でそう思った。
座っている間にズボンの隙間から垂れてくることはなかったものの、液体が足を伝う感触はあった。
教室を出て、トイレに向かった。できればクラスから遠いところがよかったがそんな余裕はない。
一番近いトイレに早足で向かった。走ればうんこが垂れ落ちてくるかもしれないから。
個室に入りズボンとパンツを脱ぐ。酷いものだった。パンツは勿論、ズボンも膝裏あたりまで下痢でベトベトだ。
しかし不幸中の幸いは、まだ冬服で生地が分厚いため、表面的にはそこまで目立つシミになっていなかったこと。それでも、少なくとも臭いは隠しきれるはずもない。
よくあの時、泣かなかったなと今でも思う。心はボロボロだったが、目元を伝う液体としての涙は流していなかった。後処理でそれどころではなかったのもあるが・・・
ペーパーでできるだけふき取った後、パンツは脱いだと思う。脱いだパンツをどうしたかは記憶がない。覚えているのは、パンツを履かなかったことで下半身のデリケートな部位全体で感じる、
ここでひとつ、今でも強烈に残っている記憶がある。なんと廊下に、ズボンの隙間から垂らした下痢が数滴落ちていたのである。
周りに女子3,4人の人だかりができていた。
「なにこれ、カレー?」「こんなところに!?」「今日カレーじゃなくない?」みたいな会話をしていた。
今でも覚えている。小学校でも一緒だったI本さん、たぶん気づいていたよね、その茶色いものの正体に。
その横を、当然素知らぬふりして通り過ぎる俺。
誰かに助けを乞うか。下痢まみれの制服を着替えるかどうか。次の授業に出るのか、理由をつけて(あるいは黙って)帰宅するのか。
俺はもっとも消極的な選択をした。つまり、少し下痢をふき取っただけの臭い下半身のまま、助けを乞う勇気も帰る勇気もなく、次の授業に臨んだのである。
我ながら馬鹿だなと思う反面、当時の心境と自分の性格を思えば仕方ない気もする。一種のショック状態で、冷静な思考はできなかったのだろう。
もし次が英語や社会の授業なら、45分の間に、おそらく臭いで周りにバレていたと思う。そうなれば俺の青春は暗黒時代に突入したであろう。
またも不幸中の幸いか、次の授業は「総合的な学習の時間」というやつで、秋に予定している野外学習についての説明会に充てられていた。
普段は木工技術の授業が行われる、外にある作業室のような広めの別棟に生徒は集められた。
外は雨が降っていた。おかげで多少周囲に放つ臭いを誤魔化してくれたかもしれない。というか、そうであれと願った。
鍵が開くまでの間、生徒が作業室の周りでたむろしていた。
得てしてこういう時に限って、起きてほしくないことというのは起きるものだ。できるだけ周りと離れていようとしていた俺だが、普段そこまで話さないクラスメイトが何人か寄ってきて、
暇つぶしに雑談を振ってくる。マジでマジでどっか行ってくれ頼むと願いながら、うわの空で適当に返事していたのを覚えている。
説明会が始まった。ウン良く席は窓際で、部屋の中央付近ではない。なんとかバレずに過ごせるか?
そうはいかなかった。隣にいた女子が、なんか臭くない?と言い出した。氷点下まで肝が冷えたが、俺は黙ってしらこい顔をしていた。
俺の周り数名に臭いを感知した人としていない人がいたようで、ひそひそと話していたが、俺が(少なくとも表立っては)特定されることはなかった。
覚えているのは、雨の中、意気消沈して家までの帰り道を歩いたこと。
小学校からずっと仲の良い友人と帰りが一緒になった。俺は一人になりたかったが、振り切る気力もない。
外だし雨だし、余程近づかなければ臭いはわからないと思うが、帰宅中、いつもより饒舌に、そいつは俺に話しかけてきた。
気づいていたのだろうか?優しさだったのだろうか?
そいつとは大学生になるまでたまにつるんでいたが、ついぞ訊ねることはなかった。
家に到着して、トイレに直行した。しかし、さすがに母には隠しようもない。全てうんこまみれなのだから。
最初は驚いていたが、いろいろ察してくれたのかあまり追及されることはなかったし、その後その件について話した記憶もない。
次の日は学校に行くのが怖かった記憶がある。大っぴらにバレてはいないと認識していたが、知らないところで学校中の噂になっていたらどうしよう?
俺が漏らしたと特定されていたら?結果的に、その恐れが現実になることはなかった。少なくとも俺が認識している範囲では。
思い返しても、完全に周りにバレて騒ぎにならなかったのは本当にウンがよかっただけとしか思えない。
そうでなくても当時俺が受けた精神的ダメージはかなりのものだった。
ちなみに後日談ではないが、その後高校に入学してすぐの時期にもまた、古典の授業中に腹痛に襲われたことがある。
知り合いが一人もいない環境だったし、周りの変化やストレスに弱いのは今も昔も変わらない。
だがその時は、これ以上は無理だと思い、手を挙げて「トイレに行ってもいいですか」と言えた。
紛れもなく、中二のあの事件の二の舞だけは避けなければという思いである。
いやね、本当に、トイレくらいいつでも行けばいいんだよと今では思うけれど、当時はそんなことにも勇気が必要だったのだ。
中学や高校の授業中って先生が淀みなく話していると、いつ遮ればいいか迷ってしまうんだよな。いつ遮ってもいいんだけれども。
こんな話も今となってはトラウマでもなんでもないし、別に誰かに話したっていいが、なんとなく話したり書いたりすることなくここまで来た。
動画SNSの強さに注目してるのは正しい。高市がそこにリソースをつっこんだのは間違いない。選挙ドットコムの分析によれば2025年参院選と今回の衆議院選でyoutubeにおける自民党へのポジティブコメントは激増し旧立民にはネガティブコメントが激増している。ネガティブコメントの激増は特によく知らない人(若い人とかね)に効く。アマゾンレビューが低評価で埋まっているようなもの。
https://go2senkyo.com/articles/2026/02/05/128907.html
2026年衆院選でも国民民主はポジティブコメントが支配的だから確かに玉木はよくわかってて手を打ってるんだろう。
自民党が動画SNSの力を理解しているというより清和会または旧安部側近が理解してるんだろ。2025年参院選ではネガティブコメントだらけだから。
そういう意味では中道の失策というより清和会がポイント掴んでた、ってことかもしれない。
そして今同様に憲法改正発議されたら改正される確率が結構高いんじゃないかと思う。失敗するシナリオある?ママ戦争を止めてくるは当たらずとも遠からず。
私と1つ年下で、マッチングアプリで出会って、1年半ほどお付き合いした。
自分と同じ業界で、自分の仕事に誇りをもって、一生懸命に仕事に励む元彼くんを「いいな」と思い、
何度かデートを重ね、元彼くんから告白を受けてお付き合いを開始した。
仕事の話で盛り上がったり、色んな所にお出かけしたり、美味しいものもいっぱい食べて、まぁ、楽しかったよね。
でも、私からお別れを切り出した。彼とずっと一緒にいる未来が想像できなかったから。
別れ際に「俺と別れたくなった要因って何だったのか、教えてほしい」と言ったよね。
お別れしてすぐにLINEはブロックしちゃったけど、そういえばと思い出してここに記すことにするよ。
ここは私と対照的だったから、付き合い始めてすぐに合わないなぁと感じた点。
私はどちらかというと前向きに物事を捉えるようにしている。物事の良い側面を見ている方が自分にとっても好転すると考えているから。
でも貴方は仕事や会社で与えられているポジションにも愚痴っぽくて、不安もあるのか後ろ向きな姿勢が多かった。
仕事上でも他人の作品に対して「俺はこういう手段は取らない」とか聞いてもないのに否定して、自分の主張を論じることが多くて
実はその度に私は隣で(また始まった…)と辟易していた。
責任重大な仕事やポジションを任されていることは、期待されていることと捉えられたら頑張れると思うけど、
面倒臭いとか押し付けられているという捉え方をすると、どうしたってしんどくなるよ。
人の考えることは千差万別なんだし、自分と異なる部分もあるよねって受け入れておけばいいものを、
逐一「自分ならこうする」と主張する姿勢は、疲れる生き方しているなぁと失礼ながら思ってしまっていた。
これは一番別れようと思ったきっかけの部分なんだけども、
デート中だろうが一緒に旅行している時だろうが、その不機嫌を露呈させることが多かった。
これは自分でも言っていたよね。上手くいかない自分にイラついてしまうって。
温泉旅行も高級お寿司屋さんも、私が楽しみにしていたイベントでは尽く態度が悪くて、
小さなことでも感謝の気持ちをお互い伝えられる関係性を私は理想としていたから、
「ありがとう」がなく与えられたことを当たり前と思っているかのような態度に疑問を感じていた。
例えば私が車で貴方の家に送迎してあげることを当たり前のように考えていて、
こっちは貴方の家に高速も使って片道40分もしていたんだよ。なのにデート前日当たり前のように
行儀のことは詳細は省くけど、それやめてねって言ったこともやめてくれなかったから、もう一度癖付いた習慣はなかなか直せないんだな~と諦めモードでした。
旅行は年に2回とかでそんなに頻繁にいかないからこそ、たまの贅沢派な私。
せめて温泉宿でも高額すぎない1泊2食付きで1人2~3万くらいの所に泊まれたなぁと思う派。
でも彼はビジネスホテル派。まさか旅行先で東横インに泊まるとは思っていなかった。
常にデート代が割り勘なのも別にいい、けど割り勘だからこそ二人で行くたまの旅行は贅沢したかったな。
…デート代が割り勘といえど、私が送迎する車のガソリン代や高速代は出してくれなかったな。
一度その分料理作ってご馳走するよ!て言ってくれた時も結局1口カレーみたいな量で、
あぁ、この人はかなりの倹約家なんだなと考えるようになった。
前項で述べたけども仕事に対しかなり愚痴っぽかったため、一度「転職したら?」と言ってみたことがあった。
業界内で既に転職を2度してステップアップを経験していた私から見たら、
彼も同様にスペック的には業界内で大手にも転職は容易だったと思う。
それだけならば別に気にも留めないのだが、そろそろ同棲しようかという話になったとき、
隣接するも異なる都道府県でお互い仕事をする私と彼で何処に住むかとしたとき、
などなど、あまりにも自分本位すぎる条件出しに、同棲を楽しみにしていた私は少しずつ気力を減らしていったのでした。
職場も住生活環境も、彼が変化を恐れているように思えて、変化は成長や楽しむものと考える私との思考の違いについても悩まされた。
これはもう今思えば笑い話でもあるんだけど、彼が行為中全く持続しなくて、
挿入未満で終わることばかり、最後までできたのは付き合っていて2回くらいだけだったかも。
彼は気にしていたけど、その割には病院に行くなどの改善策も取っていなかった。
私は将来子どもが欲しいと考えていたし、この観点からでも未来はなかった。
彼が8割型仰向けで寝転がってばかりの逆マグロな点も嫌だったかな。あと、よく行為中に足もつってたのも情けなかったな(笑)
とにもかくにも、生まれも育ちも異なる他人だから、感覚の差はあるよねとある程度許容できる私でも、
最後は会いたくなくなってしまうくらい、最初に感じた彼を「いいな」と思う気持ちがなくなったのである。
別れる直前に計画してた旅行をキャンセルしてしまったのは悪かったなぁと思うけど、
婚約指輪も買っていて、その旅行でプロポ―ズする予定だったと別れ際に聞かされたとき、心底このタイミングで別れを切り出しておいてよかったと考えたものです。
というかこの関係値でもうプロポーズを考えていたということにも驚愕だったし、私なりに色々「NO」を突き出していたはずなのに伝わっておらず、
「俺と別れたくなった要因って何だったのか、教えてほしい」と言ってしまう彼にまた頭を抱えたっけ。
でも私も悪いのは、彼に合わせるばかりで無理をしていて、彼に嫌なことを嫌と言い切れない部分も多々あったということだ。
この出会いで私は自分の気持ちを殺して、相手に合わせすぎても良くないということを学べたと思う。
その点では成長させてくれた彼にありがとうと言いたいし、あの1年半のお付き合いは無駄じゃなかったと考える。
今は新たに縁あって出会った現在の彼氏とお付き合いをして、半年になる。
同じく私より1つ歳下の現在の彼は、本当に人として素敵で尊敬ができて、
一緒にいていてお互いに心から素直に物事を言い合えて、笑いが絶えない日々でとても幸せだ。
結婚を見据えて年末年始にお互いの実家に挨拶を済ませ、近々同棲も始める。
元彼くんが嫌いになりすぎて、もう恋愛や結婚はいいやと考えていた時期もあったけれども、今となっては元彼くんとの経験があってこその今なので感謝したい。
なんで中道がここまでボロ負けしたか、心理学の用語を使って解説してみる。暇な人向け。
まず外見バイアス。
高市早苗vs野田佳彦+斉藤鉄夫という並び、テレビで見ただろうか。高市は初の女性総理で「日本列島を、強く豊かに。」とキメ顔で言っているのに、中道側は野田のおっさんと斉藤のおっさんが記者会見で並んでいて「5G(爺)」と揶揄されていた。
有権者が画面で見た瞬間の印象が違いすぎる。特に若年層はビジュアルで「推し」を決める時代なので、二子玉川の最終演説に制服の高校生が殺到していた時点でもう勝負はついていた。
1月15日に立憲と公明が合流合意→16日に党名決定→23日に解散→27日に公示→2月8日投開票。つまり党名が世に出てから投票日までたった3週間ちょいしかない。
単純接触効果というのは「何度も繰り返し接触するほど好感度が上がる」という心理効果なのだが(キリッ)、そもそも「中道改革連合」という名前に国民が接触する回数が圧倒的に足りていない。「立憲」なら6年間の蓄積があったのに、わざわざ直前にリセットしたわけ。
現場の候補者が「比例の復活枠がほとんどない。小選挙区で勝たないと」と悲鳴をあげていたが、比例で「中道改革連合」と書く有権者がそもそも少なかったのは当たり前だろうと思う。名前を変えるなら最低でも半年は周知期間が必要なのに、3週間で浸透するわけがない。民主→民進→希望→国民→立憲のときと同じ失敗をまた繰り返していて、本当に学習能力がゼロだと思う。
自民は逆にこの効果を最大限ブン回した。高市のYouTubeショート動画は公示前日に投稿して10日足らずで1億回再生を達成している。YOASOBIの「アイドル」が35日かかった記録を余裕でぶち抜いた。
広告費で数億突っ込んだ説もあるが、とにかくXのタイムライン、YouTube、TikTok、どこを開いても高市の顔が出てくる状態を作り上げた。出口調査でSNS・動画を43%が参考にしたと出ている。中道の動画は最多で100万回。自民の1000分の1以下である。
接触回数の差が1000倍あったら、そりゃ好感度に差がつくに決まっている。金の暴力とはこういうことだ。
心理的リアクタンスというのは「お前これをやれ」「あいつはダメだ」と押し付けられると、人間は逆にやりたくなくなる心理のことだ。
中道は食料品消費税の恒久ゼロ、給付付き税額控除、奨学金返済減税、NISA減税、家賃補助、週休3日制など、それなりに具体的な政策を掲げていた。しかし有権者に届いた情報は「裏金批判」「税金の無駄遣い解散」「自己保身的な解散」ばかりだった。
野田氏自身が敗戦会見で「政策論争の機会を失し、独特の空気に結果が左右された」と認めている。落選した馬淵澄夫氏も「ネットや動画を通じた訴求力が十分ではなかった」と分析している。つまり政策を語っていなかったのではなく、語っていたのに伝わらなかった。これは前述の単純接触効果の裏返しでもある。自民が1億再生の動画で「ポジティブな高市像」を大量に流している横で、中道の動画は最多100万回。接触機会が1000分の1しかなければ、そもそも政策が届くわけがない。
結果として有権者に残った印象は「また野党が与党の非難をしている」だけだった。前回の2024年衆院選で裏金批判が効いて立憲が50議席増やしたものだから、「同じ手が通用するだろう」と二番煎じをやったように見えた。しかし人間は「また同じ批判かよ」となると逆に反発する。「自民がダメだから中道に入れろ」と言われれば言われるほど、「いや自分で決める」と自民に入れたくなるのがリアクタンスというものだ。
出口調査で無党派の投票先は自民が25%で首位だった。2022年参院選以来の数字である。野党が批判すればするほど与党に票が流れるとは、皮肉すぎる。元グラドルの森下千里に負けた安住は今頃何を思っているのだろうか。
全部、自分たちで転んでいる。小沢一郎、安住淳、枝野幸男、岡田克也が軒並み落選して、民主党系の歴史が一夜で焼け野原になった。中道幹部が「惨敗というより壊滅」と言っていたが、壊滅するべくして壊滅したとしか言いようがない。
いくつかコメントをもらったので返しておく。
そのとおり。心理効果は「これさえあれば選挙に勝てる」みたいな魔法ではない。ただ、この与太話で言いたいのは「全有権者が政策を熟読して比較検討した上で投票している」わけではないという当たり前の話だ。出口調査でSNS・動画を43%が参考にしたと出ているが、10秒〜1分のショート動画が再生数の7割を占めるような状況で、何を「参考」にしたのかは推して知るべしだろう。自分自身のことを振り返ってみてほしい。投票先を決めるとき、全政党のマニフェストを読み比べてから投票所に行っているだろうか。お前はそうかもしれないが、俺は感覚で決めているところが正直ある。その「感覚」の部分にバイアスが効いているという話をしている。
見かけたのはそうかもな。ただ単純接触効果には前提条件があって、ポジティブまたは中立的な文脈で繰り返し接触した場合に好感度が上がるという効果だ。ネガティブな文脈での接触は逆効果になることが知られている。「中道また批判してる」「立憲と公明が野合した」みたいな文脈で名前を見かけても、それは単純露出効果がプラスに働く接触ではない。一方、自民は高市のショート動画で「未来は自らの手で切り開くもの」みたいなポジティブなメッセージを1億回再生させた。同じ「名前を見かける」でも、文脈が真逆なのだ。
1999年の都知事選では石原慎太郎が告示2週間前に突然出馬表明してボロ勝ち、負けた側からは後出しジャンケンでズルいとまで言われてたくらいなので、後付けの理由はいくらでもつけれる
石原慎太郎の知名度の話と党名変更の話は全く別だ。石原慎太郎は芥川賞作家で国会議員を25年やって運輸大臣もやった人間で、出馬表明が2週間前だろうが「石原慎太郎」という名前の認知度は盤石だった。中道改革連合の問題は、候補者の知名度ではなく、投票用紙に書く「党名」が変わったことにある。中道に投票したい奴は比例代表で「中道改革連合」「中道」と書かなければならない。この新しい党名が有権者に浸透していたかという話をしている。書いた奴はそのときなんかひっかかる感じがしなかったか? 実際、中道は比例で42議席しか取れていない。石原の話を持ち出すなら、石原が「慎太郎」から突然「太郎慎」に改名して2週間後に選挙に出たようなものだと思ってもらえればいい。
これは正直、相当鋭い指摘だと思っていて、事実関係だけ整理すると、中道の基本政策は公明の西田幹事長が「公明党の考え方をベースに協議した」と認めている通り、ほぼ公明主導で作られている。安保法制は「違憲部分の廃止」→「合憲」、原発は「ゼロ」→再稼働容認、憲法改正論議も容認。立憲の看板政策がほぼ全部ひっくり返っているので、「180度曲げた」という表現自体はそこまで大げさではない。
ただ2点。
まず、それは中道に入れない理由にはなっても、自民に入れる理由にはならない。安保法制合憲への転向に怒った層の行き先は共産・れいわ・棄権であって、自民ではないだろう。とはいえ、比例代表の結果を見ると、共産は4議席(前回から半減)、れいわは1議席(前回の9議席から壊滅)で、リベラル票の受け皿として機能したとは言い難い。票が流れたのはむしろ参政党(15議席)やチームみらい(11議席)のような新興勢力だ。
もう一つ、安保法制が合憲に変わったとか原発ゼロが消えたとかを認識して投票行動を変えた有権者がどれだけいるのか。中道の動画は最多100万回再生、綱領の全文を読んだ人間はさらにその何分の一かだろう。この与太話の趣旨は「大半の有権者は政策の細部ではなく印象で投票先を決めている」という話なので、あなたのような政策転換の中身を精査して投票先を変えた人は正しいかもしれないが大多数ではないだろう。
「全部、自分たちで転んでいる」は言い過ぎだった。高市旋風、電撃解散、自民党のSNS戦略のうまさ、小選挙区制の構造、後付けでいくつも外部要因は書ける。
でも中道は負けた理由を外部に求めちゃだめだぞ。「高市人気には勝てなかった」「独特の空気に左右された」「時間が足りなかった」、全部他責だ。「自分たちは正しい」と訴え続けた政党が選挙のたびに議席を減らしつづけた例を直視してほしい。
続き https://anond.hatelabo.jp/20260210195337
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自民党が手にした圧倒的な議席数は、もはや「地盤・看板・鞄」という旧来の組織票だけでは説明がつかない。今回の勝敗を分けたのは、これまで党を冷笑し、距離を置いていたはずの無党派層による異質な合流である。自民党を圧勝に導いた、この「新しい自民党支持者」とは何者か?
「新しい自民党支持者」といえる彼らを突き動かしているのは、盲目的な忠誠心でも、安定への回帰でもない。それは、SNS時代の濁流の中で磨かれた冷徹な合理性だ。本稿では、膨大な言語データから彼らの正体を浮き彫りにする。
今回の分析では、選挙公示前から投開票日までの期間、X(旧Twitter)およびYouTubeのコメント欄から抽出された計540万2,100件のポスト・コメントを対象に、自然言語処理(NLP)を用いた形態素分析を実施した。
従来の世論調査が捉える「政権への期待」とは裏腹に、SNS上の言語空間ではネガティブな合理的選択を示す語彙が圧倒的なシェアを占めている。
| 特徴的語彙 | 出現頻度(前同期間比) | 関連語(共起ネットワーク) |
| 「消去法」 | 340% 増 | 野党、現実的、マシ、他がない |
| 「公金」 | 210% 増 | チューチュー、利権、NPO、透明化 |
| 「実績」 | 125% 増 | 外交、株価、安定、野党の空論 |
| 「お灸を据える」 | 78% 減 | 悪夢、民主党政権、二の舞、リスク |
特筆すべきは、「#自民党にお灸を据える」というハッシュタグの劇的な減衰だ。新しい支持者層において、自民党への投票は愛着ではなく、リスクヘッジという動詞と強く結びついている。
既存メディアが自民党への逆風を報じる中、SNS分析では異なる数値が算出された。感情極性分析(ポジ・ネガ分析)の結果、新しい支持層の心理は以下のように構成されている。
彼らにとって、自民党支持とはベストの選択ではなく、致命的な失敗を避けるための最低限のインフラ維持に近い。
従来の支持基盤と、今回流入した新しい層を比較すると、その断絶は明らかだ。
| 比較項目 | 従来の自民党支持者 | 新しい自民党支持者 |
| 主な属性 | 地方在住、高齢層、産業団体、公務員 | 都市部、若年〜中年層、IT系、個人事業主 |
| 支持の動機 | 地縁・血縁、業界への恩恵、情緒的安定 | 「消去法」による選択、野党不信、変化の期待 |
| 経済政策 | 「分配」重視:公共事業、補助金 | 「成長」重視:規制緩和、減税、労働流動化 |
| 社会保障 | 「現状維持」:年金・医療の既得権益 | 「世代間公平」:効率化、自己責任 |
| 外交・安保 | 「協調的リアリズム」:伝統的日米同盟 | 「戦略的リアリズム」:経済安保、国益優先 |
| 社会問題 | 「保守的」:伝統的家族観、秩序重視 | 「合理的リベラル」:夫婦別姓容認、能力主義 |
| 夫婦別姓 | 「慎重・反対」:伝統的な家族観の維持 | 「容認・推進」:個人の自由、合理性の重視 |
| 情報の接点 | 新聞、テレビ、地域の会合 | SNS、切り抜き動画、まとめサイト |
| 価値観の核 | 「信頼と実績」:継続の価値 | 「コスパと真実」:無駄の排除、メディア裏読み |
形態素分析によって抽出された以下のキーワードは、彼らの正義の拠り所を示している。
「新しい自民党支持者」は、自民党という組織を愛しているわけではない。あくまで現状の最適解としてドライに利用しているに過ぎない。「支持者」ではなく「利用者」である。
彼らにとって、政治は信仰ではなく投資である。そのため、自民党がひとたび古臭い利権調整や非効率な分配に終始する姿を見せれば、この540万件のデータが示す熱量は、一気に離反へと転じる危うさを孕んでいる。彼らが求めているのは、安定という名の停滞ではなく、合理的な破壊と再生なのだといえるだろう。
皮肉なことに、党を支えてきたはずの従来の自民党支持者たちは今、この移り気な「新しい自民党支持者」の機嫌を損ねぬよう、彼らの価値観に隷従するかのように振る舞うことが求められている。組織票というかつての主役が、デジタル空間の冷徹な合理性に離反の恐怖で縛られ、奴隷のように寄り添い続ける。
※一応補足しておくとタイトルはネガティブな意味を全く含みません。
自分が頭がおかしいからか、普段から精神科医とか脳科学者・心理学者の本を読んでいるからか、タイトル周りの描写については「悲しいけど人間ってままああいう状態になってしまうのよね」くらいのテンションで劇場を後にしたのだが、今日ちらっとネットの感想記事を読んだら割と「ハサウェイ頭がおかしい」みたいに言われていて、感想って人それぞれだなと改めて思った。今頃になって殊更に言及せんでも、ハサウェイは前からおかしかっただろ!
アムロやクェスの幻を見る場面についても深刻な症状として「マジでヤバい」とコメントしている人がいたが、あの程度の幻は誰だって見るだろ(これはつまりフィクションにおいて)。そりゃあ、その幻に囚われて現実で他人に害を与えたりしたら問題だけど……って、ハサウェイさん、あなたゴリゴリの人殺しのテロリストでしたね……。こりゃあマジでヤバいですわ。
さて、タイトルの件。
昔の作品のヤバいやつを現代的に解釈し直して彼・彼女のヤバさは病理的なものだったのだ、みたいな作品、あるいは、序盤でヤバいやつとして登場していた人物が実は……みたいな物語を過去にいくつか見たことあるような気がするんだが、全然思い出せない(言うまでもないことだが、だからパクリだとかそういう話じゃない)。かろうじてトッド・フィリップス監督とホアキンのジョーカーは思い出したんだが……。
似たような傾向がある作品をご存知の方がいれば教えてください。そのテの作品好みっぽいからたくさん読んだり観たりしたいんじゃ〜!
起業家も生活保護受給者もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
片想いも両想いもみんな死んだら骨wwwwwwwwww
ポジティブもネガティブもみんな死んだら骨wwwwwwwwww
市民も区民もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
早寝早起きも昼夜逆転生活もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
犬派も猫派もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
賛成も反対もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
既婚者も未婚者もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
東大卒も中卒もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
嘘も本音もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
男も女もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
垢抜けも垢入りもみんな死んだら骨wwwwwwwwww
ただいまもおかえりもみんな死んだら骨wwwwwwwwww
キャリア重視もプライベート重視もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
こちらもあちらもみんな死んだら骨wwwwwwwwww
歌って踊れるアイドルも一般企業勤務もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
先攻も後攻もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
自殺も他殺もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
賃貸派も持ち家派もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
過程も結果もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
教師も生徒もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
多数派も少数派もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
外向的も内向的もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
終わりも始まりもみんな死んだら骨wwwwwwwwww
垂れ目も吊り目もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
夏好きも冬好きもみんな死んだら骨wwwwwwwwww
必然も偶然もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
ヒーローも悪役もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
あなたも僕もみんな死んだら骨
Q. 党名を変えないのはどうしてですか?
…
日本共産党は、まず、資本主義の枠内での民主的改革をめざしていますが、未来の展望として資本主義を乗り越えた社会――社会主義・共産主義の日本を展望しています。
…
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2009-02-04/ftp20090204faq12_01_0.html
うぅーん……
いいとこ取りじゃないのかー……
それで今の世界でやっていくの想像つかんのだけども(ネガティブなのしか)
欠点だらけなのに、野呂間駄目彦とかじゃない(丸出だめ夫は他の漫画のキャラにいたっけ?)、ネガティブな意味がなんにもない、のびのび育った野比のび太だもんな
名前に呪われていない
愚痴が嫌いだ。
言うのも、言う人も好きじゃない。
自分は、人に何かを話すなら、多少なりとも相手の時間を使っているという自覚が必要だと思っている。
雑談だろうが真面目な話だろうが、それを聞かせる以上、相手にとって何かしらの意味が残るべきだ。
笑わせるでも、共感させるでも、考えさせるでもいい。最悪、腹が立つ話でも、刺激になればまだ価値はある。
別に笑えなくても、視点が新しいとか、言い切りが強いとか、パンチがあれば全然いい。
ただ自分が不満だ、つらい、納得いかないという感情を、加工も整理もせずに相手にぶつけてくるだけ。
聞かされる側からすると、頭がおかしいと思う。個人的な意見になるけど、成人後も現実で愚痴を言い続ける人間は病名が付いていないだけで気違いだと思う。
一方で悪口は必ずしも嫌いではない。
共通の敵を作ることで場が盛り上がることもあるし、対戦型SNSみたいになっているXを眺めて、正直ちょっと楽しいと感じることもある。
自分の場合、鹿乃つの界隈とか、ああいうのを外野で見ているぶんには退屈しない。政治的に上手く立ち回れば、自分の味方をつけることだって出来るだろう。
つまり、愚痴が不快なのはネガティブな内容だからではない。双方向性がなく、相手を楽しませようという意識がないからだ。こちらが何を返せばいいのかもわからず、ただ聞き役として感情の処理を押し付けられる感じがする。悪口がキャッチボールだとしたら、愚痴は一方的な投げつけだ。
もちろん、愚痴も悪口も本質的には大差ないと言えばその通りかもしれない。
ただ、少なくとも悪口には「面白くしよう」「共有しよう」という意識がある場合が多い。愚痴にはそれがない。ただ自分が関知し得ない不満を一方的に吐き出して、相手に受け止めさせるだけだ。
自分は悪口は嫌いじゃないが、笑えない愚痴を言うのは相手に失礼だと思っている。
同じ理由で、メンヘラも苦手だ。自分の不安や不満を処理せずに、そのまま他人に引き取らせようとする構造が、愚痴とほとんど同じだから。
本人は「弱さの表明」や「助けを求めている」つもりなのかもしれないが、受け取る側には一方的な感情労働を強いられることが多い。共感すれば依存され、距離を取れば冷たいと言われる。そこには会話のキャッチボールも、相手を気遣う余白もあまりない。
不安定であること自体が悪いとは思わない。ただ、それをそのまま他人にぶつけることが免罪符になるとも思えない。自分の感情は自分である程度整えた上で、どうせ話すなら、せめて相手の時間と気力を使っているという自覚は持っていてほしい。
今回の選挙でどんなネガティブ材料が出ても基本候補者の支持はさがらないみたいな話を書こうとしたけど、長くてまとまらなそうだから書きたいところだけ書く
最近の支持者の傾向だけど、昔と違って支持してる人の言説や政策なんて一部見るだけで全体は碌に見てない気がする
当の支持者は政策で勝負しろ!ちゃんと見てる!言ってるけどどうも見てはない気がする
なぜか
去年の話だけどこんなのがある
https://www.works-i.com/column/works05/detail021.html
要約すると各種意識調査では若者は労働を増やしたくないけど、労働条件緩和を支持しているって内容
この人は思いやりによって規制緩和を支持してるっていってるけど、ぶっちゃけこれ言った政治家を支持してるから、その方策も無条件支持してるんじゃない?って思う
つまり、今までは候補の主張であっても、自分とは違う部分に関してはマイナスがでる、でも支持はトータルで見て判断するってのが大半だった
候補イのAという主張を支持するから投票するが、でもBという主張はダメだよねってのが普通だった
でも今、特に若者はBの部分で、Bという意見とは本来思想は真逆だけど候補イがいうんだからBも賛成するってなってない?ってこと
これが正しいのなら、全体の政策の出来不出来はあまり関係ないし、たかだかほかの人にとっておかしい行動をとってもマイナスにはなりえない
じゃあその根本をなす評価はというと、キャッチャーなことをいってそれを信じさせれば、それだけで残りも肯定させることができるって話になるんじゃないかな
でもそれって、今までもあっただろうというのはそうなんだよね、例えば郵政解散とかね
だから場合によっては何か選挙期間中にあって他のウェイトが増えたら逆転することがありえた、まあ郵政クラスだと難しいけど、それでも可能性はあり得た
でも今回はそれはまずない
わかりやすく言えばキャッチャーで影響を与える主張をA それ以外の主張をBとすると
郵政のころは A:B=9:1 くらいだった
でも前述の1個支持すると残りを全肯定型の最近の選挙では A:B=10:0 なので、いくらBでなんかあってもAさえ崩さなかったら絶対に崩れないって話
まあこれは今回に限ったわけでなく、前回の参議院選でちょっと思ったところだけど、それ以降でもその傾向が強い事象をみたので、そうなんでは?って思ったいう話
公平を期してGoogleAIの要約貼るならこうだ
情緒不安定で周囲に依存や過度な心配を求める人を示すネットスラング。
な。
香風智乃@chino_ey
男にももちろんメンヘラ基質のあるやつは居るが、よほど顔が良いとかでもない限り「誰にも相手をされない」ので、自分でメンヘラを克服せざるを得ない
こいつの言ってるメンヘラとAIが提示するメンヘラの定義は概ね一致してるように見える。
異性に構ってもらえるかとかは一切関係ないし、
寧ろ誰にも助けてもらえなくて追い詰められた結果精神疾患を発症する人の方が多いだろうに。
克服する必要がないも何も、克服したいと思って出来たら誰も苦労しない。
お前は一体何を力説しているの?
香風智乃の考える「メンヘラ」の特徴と
一致してないのは当たり前じゃね?
いやただの差別用語だと思ってるなら