
はてなキーワード:ネオとは
衆議院選挙2026で中道は大きく議席を減らした。選挙直後から、「野党は批判ばかりだ」という批判が相次いだ。選挙結果の分析として語られたこれらの言葉は、やがて野党の存在意義そのものを問う論調へと拡張していく。
だが、この「批判ばかり」というフレーズは、単なる戦術論や広報戦略の問題にとどまらない。そこには、野党の役割をどのように理解するのか、さらには日本の民主主義をどのような構造として維持するのかという、制度的な問いが含まれている。
本稿では、この言説が持つ政治的意味を整理し、いわゆる「ネオ55年体制」論とも照らし合わせながら、野党の監視機能と政策提示機能の関係について考察する。
議会制民主主義における野党の機能は、大きく二つに整理できる。
第一は、アカウンタビリティの確保である。政府の政策決定過程を監視し、問題点を追及し、不透明な権力行使を抑制する。これは単なる「批判」ではなく、制度的なチェック機能である。三権分立が権力分散を前提とするのと同様、議会内部における対抗勢力の存在は、権力集中を防ぐための基本構造である。
第二は、代替案の提示である。与党案に対する修正提案や独自法案の提出を通じて、政策選択肢を示す。政権交代が可能であるためには、実行可能なオルタナティブが存在しなければならない。
重要なのは、この二つは排他的ではないという点である。監視と提案は本来、同時に行われるべきものであり、「批判か提案か」という二項対立は制度論的に成立しない。
それにもかかわらず、「野党は批判ばかり」という言説が広がる背景には、いくつかの政治的効果が想定される。
第一に、監視機能の正統性を相対化する効果である。批判を「足を引っ張る行為」と位置づければ、政権追及そのものがネガティブに映る。結果として、チェック機能が弱体化する。
第二に、「政権担当能力がない」という印象の固定化である。批判中心というイメージは、「建設的でない」「責任を負えない」という連想を伴う。これは、政権選択選挙としての意味を薄める。
第三に、「提案型野党」への誘導である。一見前向きな要求に見えるが、その内実は「批判を前面に出すな」という圧力を含む場合がある。与党にとって管理可能な範囲での提案にとどまるなら、野党は補完勢力に近づく。
これらは意図的か否かにかかわらず、結果として野党の役割を限定する方向に作用する。
もっとも、野党側にも課題は存在する。政策パッケージの一貫性、党内統合、メッセージ戦略の明確化など、政権選択肢としての説得力を高める努力は不可欠である。また、多党化の進行により、有権者の支持が分散しやすい環境も影響している。
さらに、メディア報道の構造も無視できない。国会質疑のうち政策提案部分より対立場面が強調されれば、「批判ばかり」という印象は強化される。認知の問題と実態の問題は、必ずしも一致しない。
野党が批判を行うことは、制度的に正当であり不可欠である。同時に、代替政策を提示し、統治能力を示すことも求められる。両者は二者択一ではない。
問題は、「批判=悪」という単純化された図式が広がることで、監視機能の正統性が損なわれる点にある。政権交代可能性が現実味を失えば、民主主義は形式的に存続しても、競争性を失う。
ネオ55年体制という言葉が示唆するのは、単なる議席構造の問題ではない。政治的想像力の縮減、すなわち「変わりうる」という前提の後退である。民主主義は使い倒されてはいない。むしろ、その機能を十分に活用してきたとは言い難い。
野党が批判を続けることは、権力に対するブレーキである。同時に、提案を重ねることは、将来の選択肢を広げる行為である。両機能をどう統合し、有権者に可視化するかが今後の課題となる。
必要なのは、対立を弱める方向の「効率化」ではない。監視と競争が正当に機能するよう、制度と運用を再設計すること
ツインタワーが板橋区におっ立ったよ。半年くらい前から人がおそらく入ってるよ。
のはずなのだが、みなさんはにかみ屋、恥ずかしがりや。暗幕で真っ暗に見せるのが流行ってるのか、明かりのついた部屋は300のうち10もない。出入り口から会社に向かう人もまるでいない。みんなテレワークか、カッコいいね。電車前と比べて混まないしね。引きこもって真実を伝える動画でも撮ってるのかしらね。
その近所にできたネオ何とかなカレー屋とか、混んでるところを見たことない。
住めよ、ボケちんども。適当に値上がりしたら売っぱらうのかボケ。越して来いよ地方のおじさんたち、子供住まわせろよ。
こうやって街が更に荒廃する。ガワだけ作るが結局原住民ばっかり。あと2つこんなの建つのだが、何かいいことあるんだろう。
ってか、板橋区すら衰退してるのかしら。練馬区と一緒に村に戻ろう。板橋村(練馬区もなんか立ってる)に戻ろう。そしたら、結構いい景色が見えそうな気がする。農産物を荒川あたりで作るから。
Permalink |記事への反応(12) | 22:36
高級腕時計シェアサービス「トケマッチ」を運営していた合同会社ネオリバースは、一般社団法人シェアリングエコノミー協会に認証・会員登録されていました。
協会による「シェアエコ認証」は被害者がサービスを信用するツールとして利用されており共犯関係の疑いがあります。
トケマッチは2023年6月にシェアリングエコノミー協会から「シェアエコ認証」を取得しました。これは政府のガイドラインに基づき、一定程度の安全・安心の仕組みが担保されていることを示す自主規制(共同規制)マークでした。
シェアリングエコノミー協会は事件発覚までトケマッチの調査を全く行いませんでした。被害者からの問い合わせに対する対応は当事者意識を欠いたものとなっております。
事件発覚まで、協会はトケマッチの認証取り消しを行わず、被害の拡大の要因となりました。
協会の認証マークがあったため、「信用できる会社」と思い込んで時計を預けた被害者も多く、被害拡大の原因となりました。
一般社団法人は犯罪の温床です。すべての一般社団法人は解散させるべきです。
一般社団法人は「一般社団法人及び一般財団法人に関する法律」に基づき設立される非営利法人です。ここでいう非営利とは、事業で得た利益を社員に分配しないという意味であり、利益を生み出す事業を行うことは可能となっており利権の温床となっています。
株式会社と異なり資本金が不要で、社員2名以上で比較的容易に設立できます。法務局への登記のみで設立が完了し、行政庁の許可や認可は不要。反社会勢力や外国勢力のフロント企業も設立されています。
法人格を持つことで、個人事業主よりも社会的な信用が得やすくなり、契約や資金調達の面で有利になるというメリットがあります。消費者に対しあたかも公的機関であるかのように誤認させ、詐欺のツールとなっています。
業界団体、学術研究団体、地域コミュニティ活動をうたい、公益・共益を目的とした活動をしていると誤認させるための設立があとをたちません。
トケマッチ事件は、一般社団法人という法人格や業界団体の認証制度が悪用されたケースです。一般社団法人は社会的な活動を隠れ蓑とし法の趣旨を歪め社会に悪影響を及ぼしています。
私は共働きしながら1人産んで育てるだけで体力の限界で2人目諦めたから、
3人産んだ、しかも全員息子(娘より息子のほうが大変)という時点で既に「強い……」となるし
3人育てながら不倫の段階でもう想像を絶する体力に怯えてしまうし
36歳の女が27歳の男という若くて強い異性を刃物で滅多刺しで殺した力にも言葉を失うし
息子3人育てて3人とも殺してしまうわけのわからなさ、我が子の首を絞め斧を振り下ろせることにも全く共感できなくてただただ怖い
何一つ共感できない精神構造の違いと圧倒的な強さが怖くて仕方ない
まず無職なのに27歳の不倫相手に家賃11万円のマンションを契約してあげていたのも分からない
息子のための学資貯金や夫の稼ぎを不倫相手の家賃に使い込んでいたってことなんだろうか
そして不倫がバレたりして夫と別居になり離婚話が進みそうで金の出所がなくなり不倫相手からも切られそうだったから癇癪を起こしたんだろうか
今いちばん熱心に見てる番組だと思う。オープニングのコーラスがうるさい
サブカル系。興味の幅が広がる感じ
・知恵泉
同上。ただしこっちは近代の実業家なんかもカバーしてる。偉い人がいっぱいいたもんだ
・ヒューマニエンス
かなり好き。新シリーズが始まってうれしい。長く続け
・カネオくん
チコちゃんより好き。中川家の工場見学と似たようなジャンル。スタジオの掛け合いも嫌いじゃない
・世界ふれあい街歩き
王道。真剣に見なくてもいいのが良い。もちろん真剣に見てもいい
・3カ月で学ぶシリーズ
・ドクターG
街歩き枠。最近になって始まったのかな? 気軽につけてられる
・美の壺
街歩き枠。街歩きじゃないけど。気軽につけてられるのは同上。
あとは魚スターとか、俳句と短歌の番組とか。世界の研究者が日本を研究してる番組も結構見てたなあ。
BS世界のドキュメンタリーも興味があって、イスラエルとパレスチナの問題を扱った番組をいくつか録画してたけど、削除しちゃった。
ちょっとねー、気合いが必要なんすよ、あそこらへんの番組。溜まる一方だし、気分は乗らないしで、消してしまった
消さなきゃよかった
思春期真っ盛りに映画の「マトリックス」第1作が公開されて観に行って、まぁメチャクチャ刺さっちやった。
もちろんビジュアルイメージの格好良さがはじめにあって、テレビCMの例の「マトリックス躱し」シーンでピンと来ていたんだけども。
実際に映画を見て印象に残ったのは、モーフィアスがネオに仮想現実の中で言うセリフ。
「マトリックスは社会(システム)だ。社会(システム)は敵だ。その中に入ると何が見える? ビジネスマン、教師、弁護士、大工。それはまさに我々が救おうとしている人々(心)だ。だが今はまだマトリックスの一部で、つまり敵だ。彼らまだ現実を知る準備ができていない。彼らの多くがマトリックスに隷属し、それを守るために戦おうとする。」
これに非常なリアリティを感じたというか、納得を得ていた。自分が日頃感じていた違和感、イラつきに寄り添う言葉だったからだろう。
社会(システム)は敵。それに隷属することは、均一で冷徹な社会のシステムを受け入れ、その一員になり、システムに不満を抱く人間の敵となるということ。
それが自分の将来に対する漠然とした不安や不満と重なり、社会というシステムへ漠然と統合されてなるものか、赤い薬(レッドピル)を飲むべきなんだ、という思春期の反抗心に絶妙にマッチした。
現在では面白いことに、このマトリックス由来の「赤い薬(レッドピル)を飲む」というのは、アメリカの保守・陰謀論界隈で好んで使われているらしい。
本来の文脈では、レッドピルを飲んで目覚めることは、社会システムに敵対し、体制に反旗を翻すことなのだが、「真実に目覚める」という意味だけを引用した慣用句になっているんだろう。
・かどまるPRONEO→湿布を半分に切った時の角を丸くしたかったけど無理過ぎた
・フィリップスソニッケアーコードレスパワーフロッサー2000→つい先日買ったのだが、風呂場に持っていき忘れて使わない予感
・PARKVISION自転車バックミラー 1080Pリアビューカメラとモニターセット→面倒で未だに取り付けていない。もう雪が降るのでチャリ乗れない
・ドリンクメイトマグナムグランドスターターセット→いわゆる炭酸メーカー。全然使ってない
・アイリスオーヤマたこ焼き器 2WAY→全然使ってない(一回必要だったから買ったんだけど、もう一回使っただけでしまい込まれている)
・ティファールミキサー600mlコンパクト300Wハイパワーミル付きミックス&ドリンクネオスムージーBL13C5JP→全然使ってない
・象印マホービン炊飯器極め炊き 豪熱大火力圧力IHタイプNW-CB10-BA→予約注文して買った某ブランド米を炊く為に購入し、1回炊いただけ。せめて年末にはもう一回炊こうと思う
など。Amazonの購入履歴だけ見てるので楽天その他でも失敗してるかもしれない
商品の出来は良い(買う時に精査している)が、「使わない」
衝動買いしてない積りだが、熟考してポチって結局使わないというオチ
厳密には「失敗」ではなく、「不要」
OCGは面白いと思うけど、正直言って他のTCGをみると本当に遊戯王は古臭くてダサいなって部分が多い
遊戯王と言えば、上部にモンスターの名前、属性、レベル、イラスト、効果とくるのはみんな知っているだろう
モンスターは基本茶色で、シンクロエクシーズなどは白・黒といった感じ
それ自体は慣れればいいんだが、ちょっとでもほかのTCGと並べてあると「あーーうん、遊戯王のデザインだな」と消極的な気持ちになるのは否めない
イラストの枠がかっちりきまっているからか、どうしても窮屈なデザインとUI
昔の「ほーむぺーじ」を見ているような感覚がある
あと、全体のバランスがとても悪いんだよな
効果テキストが一番注目されるはずなんだが、ここが全体の3分の1未満の容量しかない
そこに詰め込めるだけ詰め込んでいるからすごく読みづらい
何で一番大事な部分が一番読みづらいんだろうか
棒立ちのモンスターがぐるぐる背景の前にいる印象だと思う
まあそこまで酷いのは近年は少ないけど、ぶっちゃけあまり変わらないと思うよ
https://www.db.yugioh-card.com/yugiohdb/card_search.action?ope=1&sess=1&pid=1000009535000&rp=99999
悪く言えば「証明写真」
でも正直、遊戯王のあの古臭いカードデザインの中に押し込むと途端に「いつもの証明写真」になってしまう
もちろん魔法罠はそこまでのっぺりはしていないし、気合を入れているカテゴリーは背景も段違いだ
だけど半数はJ2の証明写真みたいに躍動感が足りず面白みが薄い
まあ遊戯王している人はごちゃついたイラストがたぶん好みじゃないってのは確か
フレーバーテキストってわかる?
カードのどこかにある、効果テキストとは違うモンスターたちの情報を書いたおまけみたいなもの
他にはこんなのがある
謎の呪いをかけられて竜魔族に似た竜の力を発現しているが、
自律型増幅器「PSYフレーム」を駆り、セキュリティ・フォースに強襲を仕掛ける。
その姿は、正に電光石火の如し。
こういうのはストーリーの補完的な意味もあり、実際にフレーバーの中でのみ語られるストーリーは存在する
世界観を語ってるとすれば、DT世界のクリフォートツールが面白いかなと感じ程度
ああいった世界観を表現するにはフレーバーテキストがうってつけだと思う
だけど、基本的に遊戯王って「このモンスターはこういうのです。強いです」的なニュアンスしかない
一言であらわすと手抜きだよな
フレーバーテキストってTCGではおなじみだし、別になくてもあってもよいものなんだ
だけど各社は伝統的にフレーバーを入れたがるし、各社がそこそこ工夫をしている
TCGによっては各パックの中で優秀なフレーバーを投票している動画を上げていたりする
それに比べると遊戯王のフレーバーテキストって、単純に数が少ない上にほとんどが糞ダサ手抜き文章ばっかりなんだよな
ほんの一握りの世界観を現したフレーバーをみんなでわっしょいしているのが現状
そういうと「遊戯王はフレーバーで勝負していない」っていう人いると思うけどさ、他のTCGで普通にやってることできていないんだからさ
これは本当に感覚的なものなんだが、遊戯王はあのせまいテキスト枠の中でできるだけ効果を詰め込むことに全力を費やしているためか、非常に遊びが少ない
別に遊戯王のテキストが分かりづらいとは思わないし、数年前から劇的に良くなっていると感じる
けど逆にいえば似たり寄ったりな説明文を延々と読んでいる感覚に陥る
最近のTCGは初見でも理解しやすいよう開発の段階からテキストの工夫がみられる
色分けして発動条件がはっきりしているのがもはや普通
けど遊戯王って各カテゴリーごとのフレーバー的なものが本当に感じられない
全部平文で黒い文字だけで表現されているからってのが一番だけど、それにしたって硬い文章に感じる
そのわりになぜか冗長なんだよな
総合ルールに裏付けられていないから自由律なはずなのに、なんか妙につかみづらい印象がある
遊戯王に慣れた人が他のTCGを見下す傾向があるのは、たぶんこういうテキストの読み込みが得意な古参が生き残ってるせいもあるんじゃないかな?
俺はこんな文章もスラスラいえるんだぜってなんかドヤってそう
ただし俺にとっては他のTCGと比較して極端に小さな文字で硬くて冗長な文章が並んでいるのはちょっと今の子供には厳しいんじゃないかなって思う
毎回そうなんだが、インフレを意図的に起こして禁止改訂で調整するというスタイルはもう疲れるんだよなあ
ぶっちゃけコナミが日銀トップになれば日本経済変わるんじゃね?とはいつも思う
そして毎回思うんだが、禁止改訂の理由ってまるでわからないんだよな
全てにおいてユーザーの動向に寄せているから反発がほとんど起きないのだが、じゃあMDとかで禁止されたカードがどういう経緯で禁止になったか、今後どうすべきかとか誰もわからない
俺はMTGもするからMTGの開発日記とか改訂のたびに発せられる言い訳ブログとか読むわけだ
他のTCGだって改訂に対してほんの少しの理由を添えたり、レギュレーション導入においてオキモチ表明していることだってある
でもさ、遊戯王ってそういうのないんだよな
なんていうか、遊戯王の開発側の声ってユーザーにはほとんどわからない
それがどうしたって思うだろうけど、俺としては「もうちょっとなんかないの」と毎回思うわけだ
遊戯王がショップに並んでいると時々そこだけ時間が止まって見えることがある
まあそれがいいともいえるけどね
でも本当にUIはWindowsXPどまりなの、ユーザー側が指摘して欲しいんだよな
新規こねーぞ
定期的に、"清潔"にしているのに"清潔感"が無いって言われるのは差別の言い換えだ、容姿の良さってことだろ、って誤った理解で憤る人がいるんだけど、違うよ。
これは「ナチュラルメイクは、まったくナチュラルじゃない」とかと同じで、別に"清潔感"に限った誤解でも無いんだけどね。
不細工だから清潔でも清潔感が無くて、容姿端麗なら不潔でも清潔感があるって言われるのがズルいみたいな捉え方をする人がまだいるんだけど、そもそもの前提が間違ってるんだよ。
分かりやすく説明すると、2つの軸があって、その綱引きで決まっています。たぶんそこから説明が必要だと思う。
ものすごくざっくり言うと、キアヌ・リーヴスが無精ひげでボロボロの格好していてもイケてるのは清潔感があるからなじゃくてキアヌだから。
プレデターバッドランドで(作中の設定として)超不潔なはずのエル・ファニングに清潔感が見えるのは、ある条件を達成しているから。
どんなに(化学的/衛生的)清潔でも条件を達成してないと清潔感があるとはみなされないんだけど、ある条件の達成には(通常は)清潔である方が楽なの。
まず大前提として、清潔感って非常に不自然な状態で、天然ではそうはならんのよ。ここの誤解が男女ともに非常に多い最初のつまづきだと思う。
分かりやすいところで行くと、髪ね。
キューティクルとか言われるけど、入院なんかで病気にならないように管理されている状態で清潔にしているだけだと、ああはならんのよ。
衛生的には適切にごみやほこりが洗い流せて頭皮に皮脂が過剰に溜まって無ければ清潔なの。でも、パサついた髪の毛とか、ごわごわしてるとか、清潔なだけだとそうなるのよ。
キューティクルがとか、天使の輪がとか、ああいうのは、人工的に不自然に手を入れて初めて手に入る、作られたものなのです。
そして髪の手入れと言うのは基本的には清潔ありきでさらに作りこんで初めて手に入るんだけど、一度手に入っちゃえば不潔でも維持することは不可能ではないのよ。
そして、上級者になると、不潔なんだけど外見だけそっくりまねて清潔感だけ出すことも出来たりするわけよ。
ものごっつ肌荒れしてても化粧とテクニックでごまかすことはできるんだけど、やっぱ素地になる肌が清潔で丁寧にお手入れされている方が楽できる。
でも、清潔なだけだと、絶対に化粧が完成した顔にはならんわけでしょ?だって化粧してないんだし。
もちろん、一部例外的にほとんどすっぴんでも化粧が完成した顔になる人はいるけど、そういう例外だけ取り上げるのは良くないと思うな。
脂ぎってて太ってて不潔な人は、清潔感が無い。
髪を洗ってなくてフケが飛び散るような人は、清潔感が無い。
何日も洗ってないようなヨレヨレの服を着て、襟とか袖に汚れが見える人は、清潔感が無い。
スニーカーが汚れてたり、合皮のカバンがボロボロだったり、ゴチャゴチャゴミが入ってるような鞄を持ってる人は、清潔感が無い。
その反対側にいるように見える、そういった不潔さと真逆にいるように見える人のことを、清潔感がある、というのよ。
当然なんだけど不潔で無いなら清潔感がある、ではないわけよ。清潔感がある人は、不潔であるようには見えない、なのよ。
例えば、歯を磨いてなかったら汚いから不潔じゃん。でも笑った時に白い歯が光ってれば清潔感があるように見えるのよ。不潔であるようには見えない、というところがポイントね。
ブコメに清楚と近いのかなって言ってる人が居たけど、俺もそう思う。清楚とか可憐とか透明感とかって言うのの言い換えの一種として清潔感があると思っている。
純真無垢とか可憐って、男性に使うにはちょっとニュアンスが違うじゃない。芸能人なんかに使う透明感をより現実に近づけたものが、清潔感、だと思うわけよ。
Yシャツがパリッとしてるとか、パンツのラインがきれいとか、そういうのを清潔感って表現してるわけで、つまり不潔とは程遠く見える。
暴飲暴食しても普段から歩く速度が速くて趣味がボルダリングみたいなやつは基礎代謝が高いから筋肉質な体つきになってシュッとしてたりするじゃん。
まったく同じ飯食ってても、ドカ食い気絶部とか言って飯食った後歯も磨かなければ風呂も入んないで寝るやつはやっぱ不潔だからそっから生活立て直すしかないじゃん。
ぶっちゃけ、小汚い連中を差別する為に作られた言葉だ、みたいな精神性が良くないと思うわけよ。
シュッとしててカッコええわぁ、パリッとしてクリーニングから帰ってきたYシャツみたいやわ!を短く言い換えると清潔感がある、みたいになるのよ。
清潔感がある人が良いって表現、小汚い人が嫌の言い換えじゃね?って思うの、俺は違うと思うのよ。
生き生きしてる人が良いって言うの、目が死んでる人が嫌の言い換えじゃないじゃん。
品川駅を歩く目が死んだサラリーマンと、ハワイでフルマラソンを走り切って生き生きしているスポーツマンの間にはさ、もっと無数の果てしない状態遷移があると思うわけよ。
廃墟の和式便所と、タワマンのネオレストNXの間には、無数の便器があるわけですよ。
清潔で隅々まで磨かれてその場の雰囲気に合った装飾でスムーズに用が足せれば、必要な時に必要なことが出来る信頼性があれば、ちゃんと評価はしてもらえるのよ。
それはね、所属してるコミュニティが良くない。そういう共同体じゃないところに所属しよう。
このおばあちゃん清潔感あるなって人、テレビのインタビューでも見かけたりしない?政治家でも芸能人でも良いけどさ。体型は分からんしイケメンではないし、でもなんか清潔感あるな、みたいな。
俺は武井壮は苦手なんだけど、あの人が良く言う思った通りに体を動かせる選手が少ないって言うのに近いと思う。手塚治虫がフリーハンドで新円が描けたでも良いけど。
結局のところ、適切な方向性を見出して、そこに向かって近づける労力をかけないかぎり、そこには近づかないのよ。
目標を決めてソコとの差を埋めるべく、仮説を立て、実験し、結果を得て、検証し、仮説を修正して、近づけて行くしかないの。
もし清潔感が無い、もっとこうしたら?って言われたら、「そこは清潔感があるように見えなかったんだな」と思ってトライしてみるしかないわけよ。
でもね、これが一番大切なことなんだけど、もしフィードバックを得ても自分を変えたくないなら、そこからは離れるのが良いの。向いていないことしても苦しいだけだから。
ぶっちゃけ、男なら全身医療脱毛した上で、毎週末にQBハウス通ってツーブロック維持して、週に10キロ分チャリ漕ぐだけで、髪型で清潔感が無いって言われることは無いと思うよ。
もちろんそんなことしなくても、手持ちのちょっとしたものだけで清潔感を維持できる人はいるけど、それはさ、積み重ねがあるからできるわけなのよ。
というか、繰り返しになるけど、もし「清潔感が無いと叩かれている」と感じるなら、そういう場所からは離れるべきなの。もっと世の中楽しいこといっぱいあるんだからさ、嫌なことにリソース割くの勿体ないよ。
まあそもそも、人はみな詩人や作家では無いので、正確に物事を定義して表現しきれるかっていうと、世界はもっと雑で曖昧なものだと思うよ。
映画メッセージのもとになった、テッド・チャンの短編集「あなたの人生の物語」に収められている「顔の美醜について」を読んで、ルッキズムとはなんなのか、美醜が無くなった世界で何が起こりうるのかを考えるのも悪くないよ。
リフレ派の連中が自己放尿を繰り返すたびに、日本という国は確実に終了へと一直線に滑り落ちている。
信じられないほど甘ったるい幻想を抱え、貨幣を無制限にばらまけば、デフレから脱却できる、そんな幻想信仰を抱いたリフレ派エコノミストどもは、今やインフレという火に油を注ぎ、自らを祝福する祭壇で財政と金融のダブル放尿をしているようなものだ。
まずインフレ率を自在にコントロールするだとか、日銀が無制限に国債を買えばマネタリーベースを増やせるなどのリフレ主張は自己放尿だ。
その一方で、リフレ派は財政拡大と金融緩和を組み合わせて、理想の高圧経済を作ろうとする。しかしその政策の果てに待っているのは、過剰流動性のインフレ税と格差拡大だ。
高市早苗政権がリフレ派エコノミストを政府会議に次々と起用し、再びネオ・アベノミクス色を強めて自己放尿している。
金融市場はその方向に警戒を強めており、円安・金利上昇のリスクが高まっているという声も出ている。
リフレ派の連中はその現実を直視しない。連中は「インフレ目標の達成」「デフレ脱却」というお題目を唱えながら、実際には財政と金融の歪みを拡大させてきた。
これこそが自己放尿の本質だ。すなわち、自らの信念に酔って放尿しているが、その尿の一滴一滴が国家の体力を蝕み、将来の財政リスクを累積させている。
それどころか、連中はしばしば財政と金融のダブル放尿に陥っている。
具体的には、インフレ圧力を増幅させつつ、同時に過剰な国債依存や金利リスクを積み上げている。
こんな政策が長期的に持続可能だと思っているのか? 甘いにも程がある。
リフレ派は「もっと刷ればいい」「もっと買えばいい」と放尿を続ける。
このまま行けば、日本はインフレという名の地雷原を自ら踏み抜き、財政不安、金利リスク、格差というトリプル放尿を抱えて沈没するだろう。
リフレ派の自己放尿的な政策は、もはや理論だけの自慰行為ではなく、国家を蝕む現実的な破滅への道だ。