
はてなキーワード:ニンフとは
https://www.romanticlondon.org/harris-list-1788/?utm_source=chatgpt.com#14/51.5119/-0.1067
>この15歳の若いニンフは背が低く、浅黒い肌で、好色な傾向がある。
いや、15歳って
>彼女の容姿は優雅で、とても背が高く、歌と踊りは完璧で、公の場に出たのはまだ12 ヶ月だけです。一度の小競り合いのためなら、王の最も小さな絵も拒みませんが、一晩中続く包囲戦には、最も大きな絵が 3 つ必要になります。
絵の話で誤魔化すなよ
>バーミンガムはこの愛娘の生みの親であると主張し、寛大な両親の保護と世話の下、彼女は「清純で汚れのない」まま15歳を迎えました。
清楚系風俗嬢?
>唇と唇、舌と舌が触れ合えば、60歳の男も若返るだろう。
爺さん元気だな
>この陽気で活発な小鳥は16歳くらいに見え、会うと必ず顔に笑みを浮かべ、舌先で軽快な歌を歌います。
>問題の活発な少女は今や16歳になり、街に来てまだ4ヶ月しか経っていない。そのため、下にある薄い洞窟は、待ち望んでいた知人の影響をまだ十分に受けておらず、非常に厚く覆われている。
西暦2210年。
人口減少対策として確立された幹細胞からの人体錬成技術は、21世紀半ばから進化を重ねたAI技術と融合し、限りなく人間に近い存在を生み出すことに成功した。
その多くが労働力として消費される裏で、違法に作り出されたセクサロイドによる人間社会の侵食が問題視され始める。
男のあらゆる欲望を嫌な顔ひとつせず叶える彼女達はプロンプト一つで子を成し、政府が手を打つよりも早く、生物としての人間を遥かに超えるペースでの人口回復を実現した。
彼女達は男性への無償の愛を以て人類を救済に導く存在、「ホモ・ニンフ」を自称し、生物としての人類に公然と挑戦を叩きつける。
数世代の女性たちの年代記であり、「百年の孤独」と対比されるんだけれど、こちらのほうがずっと読みやすい。ちなみにガルシア=マルケスはコロンビア人で、アジェンデはチリ人。
しかし、女性の物語としての記憶は薄れていて、覚えているのは暴君として君臨していた祖父エステバン・トゥルエバのことだ。彼が地元の女性を強姦して産ませた息子が、因果が回って彼の孫娘を強姦する。因果というか、悪い行いの結果って一番弱い立場の人に最悪のしわ寄せがくる。しかし、孫娘の嘆きや苦痛は強姦の苦しみの割にはごく短く語られている。
同じく、よしもとばなな「アルゼンチンババア」かなにかで、語り手がいとこに犯されそうになったことをさらりと書いているのだが(そして、そのいとことほとんど恐れもなく顔を合わせるのだが)、性暴力について文学でどう扱えばいいのかは自分はよくわからない。女性からセクハラされた僕だって迷う。性暴力を表現するときにどれくらい気をつかうかは、殺人事件よりも慎重になっている印象がある(それだけ殺人が稀になったってことかもしれない)。
書かなかったのか、書くことができなかったのか。アンソニー・ドーア「すべての見えない光」でも、ソ連兵に犯されたドイツ人女性がたくさん出てくるが、彼女たちが戦後どう生きたのかについては、わずかしか触れられない。
道徳的な理由で表現が規制されるのは、真実から目をそらすことになる気がするので好まない。一方で、当事者の声を無視しても結果的には良い物にはならない。このあたりは想像力の飛翔との兼ね合いでいつも居心地が悪くなる。「好きなように書かせろ」という書き手としての自分と、「当事者以外が勝手なことを書くんじゃないよ」と別の自分がいつも喧嘩している。
ブルース・チャトウィン「パタゴニア」を読むと、旅はいい、とため息が漏れる。何度だって書くが、紀行文はいい。定期的に読みたくなる。その土地にしかない暮らし、風土、それゆえに自分たちと異なった風習を持ち、理解しがたい態度を取る人々。航空機以前のように、数か月の旅を空想するのが好きだ。チャトゥインはオーストラリアを舞台にした「ソングライン」もある。アボリジニは他の文化の持ち主には見えない道をたどり、万物に名前を付けて大陸中を歩いてきたのだ。
カルロス・フエンテス「老いぼれグリンゴ」はあまり記憶していない。モデルとなったアンブローズ・ビアスの書いた「悪魔の辞典」はかなり好きなんだけどな。筒井康隆を始めいろんな翻訳があるのでオススメ。
フエンテスは短篇集「アウラ・純な魂」のほうがずっと面白かった。老いが迫る男、幼馴染のようにべったりした兄妹の別離、小さい頃に一緒に遊んであげた小さな女の子の末路、鏡のある真っ暗な部屋で魔術によって若さを保つ老婆、それから脱走兵が出てくる。
ミシェル・トゥルニエ「フライデーあるいは太平洋の冥界」はかなり観念的な話だったと記憶している。文明と自然を対比させるために(?)読者に理解しやすいロビンソン・クルーソーとカオティックな行動をするフライデーが出てくるのだが、舞台はロビンソンが島そのものとの性交で子どもが生まれるという神話的な世界だった。これを読んだ後で、理解を深めるためにデフォーの原作を読んだのだが、記憶していたような絶海の孤島ではなく、近くに南米大陸がある島だった。そういえば子どものための抄訳版にも、近隣から人食い人種が攻めてくる描写があった。
M・G・ル・クレジオ「黄金探索者」は姉と弟の閉じた世界が壊れるというか、外部の世界を知るような話だったと記憶している。姉と不可分な存在となって、マダガスカルのサトウキビ畑を歩いていた場面があったはずだ。小さな子供の目から見た植民地世界の、どこかに宝物が埋まっているんじゃないかと期待しながらも、閉塞した記憶だ。ラストでは故郷も家族も恋人も黄金もすべて失い少年期が終わる。しかし、不思議と読後感が清々しいのはなぜだろう。まるで、すべてはここから本当に始まるのだ、という気分である。
ル・クレジオは難解な作品とそうでない作品の差が激しい。「海から来た少年」はまだわかりやすいんだけれども、太陽を見つめて意図的に盲目になる「大洪水」は二回読んだはずなんだがさっぱりわからなかった。
一時期ナボコフがすごく好きで、文学講義のシリーズも読んだんだよね。前のエントリで書いた「ロリータ」だけじゃなくて、ソ連から亡命した冴えない教授を主役にした「プニン」だとか、架空の国ゼンブラを舞台にした架空の詩と、それに対する真実か虚構かわからないような注釈が、見開きの右と左に分かれていた「青白い炎」だとか、そもそも実在する世界を舞台にしているかどうかさえ疑わしい兄妹の恋物語「アーダ」だとか、みんな好きだった。で、これらは英語で創作されているんだけれど、最後にロシア語で書いたのがこれ。詩人になるまでのお話。
難民のように食うや食わずではなかったけれども(そしてそのせいで政治的に過小評価されることもあるけれど)、ナボコフはやっぱり偉大な亡命作家の一人だ。でも、ユーモアを忘れていない。
で、本作では片想いをしている女性を思い浮かべながら、どの女性を見ても彼女のことを思い出し、彼女を連想できないタイプの女性には嫌悪を覚えたという趣旨のことを書いていて、ちょっとだけ分かるんだけれどひどいことを平気で言う作家だなと苦笑いをした。
フョードル・コンスタンチノヴィチに向かってうら若い、牛乳瓶を持った娘がやってきたが、彼女はどことなくジーナに似ていた。いや、より正確に言えば、この娘には、彼が多くの女性たちに見出しているある種の魅力――それは明確なものであると同時に、無意識的なものであった――ひとかけらが含まれていたのだ。そして、彼はその魅力の完璧なものをジーナの中に認めていた。だから、そういう女性たちは皆、ジーナとある種の神秘的な親族関係にあるということになるが、その関係について知っているのは彼一人だったのである。もっとも、その関係の具体的に言い表せと言われても、彼にはまったくできなかったけれど。(ただ、この親族関係の外にある女性たちを見ると、彼は病的な嫌悪感を覚えた)。
僕は基本的に豊かな知識を持ち、普通に文章を書くだけでその該博さがこぼれてしまうために、結果的にひけらかしと受け止められてしまう作家が割と好きで、一時期円城塔にもどっぷりハマっていた。一方で、「ロリータ」については、暇なときにパラパラとページを開いていると、語り手の身勝手さがだんだんと鼻につくようになってきた。ハンバート・ハンバートって、でっぷりしたおばさんを見て、「ニンフェットの美しい肢体を生き埋めにした棺桶だ」って趣旨のことを平気で言うんだもん。性格悪いよね。
とにかく、前は金に困っていない人間が、道徳を踏みにじっているのを美々しい文章で糊塗しているのが(当時は悪とは何か知りたかったし、悪いことをしている狂った人間の話が読みたかったし、知性を感じる文章が好きだった。そういう意味でも「悪」を扱った遠藤周作がすごく好きだった)面白くてしょうがなかったのだが、いまとなってはそこまででもなくなっており、自分の中で「ロリータ」の魅力が少しかすんできた。それとも僕が少女に心惹かれなくなっただけなのか。
なんにせよ猛烈な魅力を感じていたのにプツンと魔力が消えてしまうことはある。以前は三島由紀夫が大好きだったのに、「豊饒の海」を読む前に魔法が消えた。たとえば「潮騒」を読もうとしたら、彼の文章のリズムが心に響かず、全然読めなくなっていた。
少女と言えば、初めて「ロリータ」を読んでいた二十代の頃、一年に数回ほど発作的に年端もいかない少女に対する強烈な憧れが募っていた時期があったのだが、少女と知り合って仲良くなるプロセスを現実的に細かいところまで検討すると、真っ当な手段がどこにも存在しないと気づいて、途端にこうした欲望への嫌悪の情が浮かんび、緩解していった。それに、無知な相手を自分の利益のためだけに利用するのは邪悪の定義に当てはまってしまうしね。
おそらく、当時の自分が憧れていたのは現実の少女ではなく、思春期の頃に空想するような、成長の痛みや性の悩みに寄り添ってくれる同い年の少女で、その記憶を引きずっているに過ぎないのだ。つまり、幼馴染への憧れだ。そういう少女と思春期の頃に出会えるはずはないし、自分の問題は自分で解決しないといけない。そのうえ、よしんば実在したとしても、そんな少女とは「ノルウェイの森」のキズキと直子や、「海辺のカフカ」の佐伯さんと彼女の恋人のように閉じた関係になってしまうだろう。結局は、成長の痛みを引き受けないことによる歪みを必ずや生み出すだろう。そういう空想上の女の子は自分自身の鏡像、ユングのいうアニマで、つまるところこれは自己愛である。今はむしろ年上好きである。
(どうでもいいけどウィキペディアのロリコン写真集の記事、内容がやたらと詳しいんだがこれって倫理的にどうなのよ。誰かが興味持っちゃったらどうすんの)
ピンチョンはよくわからない。陰謀論をネタにしているんだろうが、直接扱ったエーコ「フーコーの振り子」のほうがエンタメとして好き。陰謀論的な思考をちゃんと茶化しているしね。個人的にはエーコが作中で既存の有名どころの陰謀論をすべて統合したオリジナルの壮大な陰謀論を作り上げているあたりがヤバい。あるいは架空史の仁木稔の「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」か。困ったことに、これらの作品が発表されてから陰謀論はネタとして面白い物から現実の脅威となってしまっている。
エーコが楽しめてピンチョンにピンとこなかった理由を考えてみると、たぶん元ネタとなる知識をどれくらい知っていたかに尽きる気がする。自分はキリスト教やオカルティズム、カバラや魔術については多少わかるのだが、六十年代のアメリカのポップカルチャーや現代のエンタメには詳しくない。だが、この作品は実際、死をもたらすツボ押しマッサージが出てきて「あと何日でお前は死ぬ」みたいな「北斗神拳」っぽいネタを扱っている。なんせこの爆弾を埋め込まれるのが日本人サラリーマンなのだ。
文庫本にして三冊の本を無理やり一冊に押し込んで、小さな活字二段組みなので読むのがしんどいし、「早く読み終えなきゃ」って焦ってしまった覚えがある。馬の生首のシーンが有名だよね。
三歳で成長するのをやめたダンツィヒ回廊生まれの少年が主人公の癖に、義母を寝取って子どもを産ませているんだから、とんでもない話だ。純粋無垢なままでいるために三歳よりも大きくなるのをやめた話と思わせて、実は様々な女性と恋愛遍歴をしている。家族が次々と殺されて行ってもね。
そういえば、さっきモテる奴の話を読んで何が面白いのかと書いたけれども、舞台が現代日本でなければ別世界のファンタジーとして享受できるらしい。幼馴染のロマンスだって、別の国や時代が舞台ならまだ受け入れられる。たとえばロンゴス「ダフニスとクロエ」だけじゃなくてコレット「青い麦」も割と好き。どっちも少年側が人妻に性の手ほどきを受けるので、これで多少性癖が歪んだ気がする。村上春樹「海辺のカフカ」と合わせておねショタに目覚めてしまった。あと、青春物があまり好きじゃないのに、「十三機兵防衛圏」はプレイできているの、あれが一つは君と僕みたいだけみたいな閉じた雰囲気じゃなく、感傷ダダ洩れの地の文章が無く、群像劇だからってのもある気がする。
話を戻す。うじうじしているくせに、本当はモテることにすごく憧れているただ。だが、十五分の自慰行為のあいだならエロ漫画の主人公と同一化できるかもしれないけれど、数時間かけて読む文学では自己同一化の魔法は解けてしまう。細かい設定があるのだから、自分との差異がどんどん強調される。自分は到底なれそうにもない、かっこいいキャラがモテても、ちっとも面白くないのである。しかしこんな話を聞かされる読者も面白くないだろうしこのあたりで切り上げる。小説のダメな人間、僕が先に好きだったのにという人間にならなんとか自己同一化できたのである(余談だが、かつての週刊誌の中づり広告のようなエロス無法地帯のウェブ広告で「カラミざかり」が出てきたとき、主人公の来ている服のロゴに「cuckold」と書いてあったが、これは英語で「寝取られ男」という意味である。そういう芸の細かいところ、わかる人にはわかる小ネタは好きよ)。
少し現実的に考えてみれば、滅茶苦茶にモテて複数の女性から同時に交際を求められたら、しかも好みの相手でなければ、それはそれで面倒そうなのであるが、嫉妬と羨望に狂っているさなかにはそれはわからない。同じく、浅ましいことに3Pとかも憧れるけれど、よしんばそんな機会が訪れたとして、絶対気をつかうし面倒くさい。自分が手に入れられなかったものは理想化されて頭の中で猛烈な輝きを持つが、一度頭を冷やしてみよう。
続く。
紅麹菌は、ベニコウジ色素として、主に日本と中国・台湾でいろんな食品に使われている。赤や黄色に染めるのにめっちゃ便利なんだわ。
かまぼこの細いピンクの部分とか、かにかま、赤飯、カップ麺の唐辛子の赤系スープ、トマト入り食品とかね。
唐辛子の赤や、トマトやストロベリーの赤をよりおいしい色に見えるように使われる。
もともと紅麹菌は、稀に有毒なシトリニンを作ることがあって、世界規模で見ると、しばしば問題を起こしているのだけど、
そこに、
安全意識の高い宝酒造は、シトリニンフリーの安全なベニコウジ色素として、小林製薬の製品を選んだ。
他の食品にベニコウジ色素を採用している業者も、より安全な色素を使いたいから、小林製薬の製品を使ってる。
まだ2024-03-22の小林製薬の事案しか掲載されていないが、今後かなりの食品会社からリコールが行われることになる。
https://ifas.mhlw.go.jp/faspub/IO_S020501.do?_Action_=a_seaAction
紀文:【お詫びとお知らせ】「国産いか使用いか塩辛」「いか塩辛 3P」回収について
https://www.kibun.co.jp/emergency/owabi_to_oshirase_shiokara/index.html
https://www.takarashuzo.co.jp/emergency/__icsFiles/afieldfile/2024/03/23/TS23-045_2.pdf
高島屋: 豆福 小林製薬株式会社「紅麹原料」使用商品の自主回収についてのお詫びとお知らせ
https://www.jr-takashimaya.co.jp/info/post-219.html
豆福:小林製薬「紅麹」使用商品について、自主回収および販売休止のお知らせ
https://www.mamefuku.co.jp/news/
株式会社ZERO PLUS:濃厚チーズせんべいの使用中止のお願いと自主回収のお知らせ
https://zero-plus.co/product/curry/brand/kaisyu/
Permalink |記事への反応(11) | 17:09
寺田憲史さんはかなり多彩だよ
主な作品
『バビ・ストック』シリーズ(角川スニーカー文庫) 挿画:影山楙倫OVA製作のための原作。
花のあすか組!―年端もいかず、心はヤワで(角川スニーカー文庫) 挿画:高口里純(1988年7月)
ファイナルファンタジーII夢魔の迷宮(角川スニーカー文庫) 挿画:天野喜孝(1989年4月)
『爆裂お嬢シンディー・スー』シリーズ(富士見ファンタジア文庫) 挿画:鈴木雅久
悪党たちに投げキッス!(1988年11月) 後にドラマCD化され、こちらでも脚本を担当。出演は久川綾他。
『朱鬼シオン―魔道霊士(アガディーン)伝』シリーズ(ベストセラーズ)
『新きまぐれオレンジ☆ロード』シリーズ(JUMP j BOOKS)挿画:まつもと泉
新きまぐれオレンジ・ロード2002(集英社スーパーダッシュ文庫)リメイク
作画:鷲尾直広壽屋の雑誌・HOBINO→HOBINOホームページにて連載中。
作画:円英智日本ファルコムのPCゲームソフト『ロマンシア』の翻案作品。角川書店のPCゲーム情報誌・コンプティークに連載の後、単行本化(ドラゴンコミックス、全1巻)。後にドラマCD化されており、こちらでも脚本を担当。
作画:衣谷遊角川書店のファミコン情報誌・マル勝ファミコンに連載の後、単行本化(ドラゴンコミックス、全3巻)。
作画:水縞とおる学研の漫画雑誌・月刊NORAに連載の後、単行本化(ノーラコミックス、全1巻)。
鬼切丸(脚本)
ドラミ&ドラえもんズロボット学校七不思議!?(脚本・米谷良知と共同)
ザ☆ドラえもんズ ムシムシぴょんぴょん大作戦!(脚本・米谷良知と共同)
MEREMANOID 〜マーメノイド〜(シナリオ)
テクストート・ルド〜アルカナ戦記〜(総合プロデュース・監修)
サウンドノベルツクール(収録サンプルゲーム「夏の樹に棲むニンフ」を担当)
まだ三次元に執着してるの?
キンモー☆
視姦は「Yes,Lolita! No,touch!」に該当しないと思ってた?
そんなことないよ。
お前みたいな奴から怪しい視線を向けられることで女児は本能的に怯えるし、親は不安になってストレスで子供を無駄に叱るようになる。
お前らが三次元相手に性欲を燃やし続けてるせいで、いつもどこかのロリが不幸になってる。
あれが市場に存在することでどこかにカネに困った親が子供をビデオ会社に売り払うわけだよ。
そして出演させられた女児は一生心に傷を負うわけ。
まあ確定ってわけじゃなくて中には生まれながらのビッチも実在してると思うんだけど、そうじゃない子の方が圧倒的に多いと思う。
顔出しで出演してるIVは一生消えることのないデジタルタトゥーだ。
ネットで検索してみればAVやIVの出演歴を公開してる人が沢山見つかるよ。(リアルがつらくて創作物で済ませたいなら、スマホを落としただけなのにやファブル辺りがオススメ。それ以外の要素も面白いので)
幼少期に一生分の恋愛とセックスを済ませでもしない限りは、非対称性の性欲に死ぬまで固執することになる。
SとMみたいに実際にはどこかで対等であるなんてことはロリコンには存在しないよ。
ナボコフは「ニンフェット」という存在を定義することで、さも中年の側がロリに振り回されることで対称性をロリコンにも生み出せると考えたけど、そんなのは「幼さの割には賢いので生まれつきのスペックでは相手が上なはずだ」という部分によって無理やり下駄を履かせただけで、結局は大人と子供の非対称性はいまだ存在し続けてるわけだよ。
そもそも、ロリコンがある種の純粋悪であるというのはロリータのオチが物語っているだろ?
出産適齢期でない人間とセックスをすることはどうしようもない悪であり、これは前田利家だろうがムハンマドだろうが単なる無知を理由に許されていただけの絶対的な悪徳なんだよ。
二次元の世界だけがロリコンが性欲を発散して良い唯一の場所なんだ。
三次元が相手でもテレビのパンチラ画像集を集めたサイトを見てシコシコするぐらいなら大丈夫だと思っているのか?
そんなことはないぞ?
お前がそうやってアクセスしたサイトはお前らが稼がせてくれたアフィリエイトに味をしめてドンドン過激な画像を投稿するようになる。
自分はそういうのでシコシコしないから大丈夫だなんて本当に思っているのか?
「上にも広がっているので単に何でもアリになっただけだ」と主張するなら、それはむしろよりアウトなんだよ。
なんでもアリになったということは、倫理的にアウトなものもアウトになっているってことじゃないか。
より刺激的であればいいと考えれば、それは過激さを求めてドンドン低年齢なものに寄っていくし、より貴重なものを求めてリアルな盗撮なんかに手を出すのも時間の問題だ。
三次元に性欲を感じてはいけないのは、この世界が結構無防備であり、同時にすぐに犯罪に関わってしまうからってのもあるんだ。
たとえばキミが遂にペドフェリアになったとき、女児のスジマンを拝見したいと思ったとしよう。
するとキミは「子供の写真をただネットにアップしただけなのに児童ポルノで捕まった人がいるらしい……閃いた💡」となるわけだ。
グーグルに「プール 子供 裸」と打ち込んだりするわけだな(❗まさかこれだけでは出ないだろと試しにググったんだけど、辞めたほうがいいかも知れません。試すと変な足跡が残るリスクがあるので皆さんは検索しないことをオススメします❗)
そしてそのあとは検索ワードをどんどん最適化させて遂には、「ビニールプールで我が子を水浴びさせている様子を正面から撮った画像をそのままアップしている無防備なブログ」なんかに出会うわけだ。
そしてキミはそれでオナニーをする。
するとここでキミの脳に恐ろしいことが起きる。
人間はオナニーしたものを学習してそれを性と結びつける最悪の学習機能を持っているんだ。
キミがオナニーするたびにどんどんリアルの女児まんこが君の中で性の対象になっていう。
同時に耐性もついていくのでどんどん刺激的なものを求めるようになる。
たとえば幼児の泌尿器手術について教える学術的な動画なんかを検索したりするわけだな。
そして最後にはダークウェッブに行って、マジでヤバイ動画を見て、最後にはるろうに剣心の作者みたいにそれを買う側になるわけだ。
終わりだよ終わりこうなったらもう終わりだということは分かるよな?
でもその前、君が単なる無防備ブログにアクセスした時にもう君はこの世界の敵になっているんだぜ?
君がアクセスしたことでそのブログが少しだけ検索エンジンで上位に来るようになり、君のようなロリコンにどんどん目をつけられる。
加速度的にアクセスが伸びればどんどん簡単なワードでひっかかるようになり、最後にはそのブログの知り合いに見つかるわけだ。
女児マンコを晒してるページだけやたらアクセスが伸びているのを知った親はきっとショックを受けるだろうし、当の本人が知ったら心にモヤモヤが残るだろうな。
下手したら「隣のクラスのAの子供の頃のマンコがネットに上がっていたぜ!俺それでシコシコしちゃったぜ!」なんて学校で騒ぐ奴が出てきたりしたらもう地獄だろ?
悪なんだよ悪。
ネットを使わなければ大丈夫なんてことはなく、ネットを使わずにリアルでやったらもっとヤバいのは分かるよな?
小学校のプールを双眼鏡で覗きこむとか、幼稚園の出したゴミを漁ってオムツやおもらししたから捨てたパンツを拾ってくるとか、銭湯に女児が入ってくるまでサウナで時間を潰して入ってきたらシレっと近くに座って横目で乳首を見るとか、そういったことをするのはもう一発レッドカードなわけだ。
吹き上がった性欲のコントロールのしづらさは「明日はテストだからオナニーしてる場合じゃないんだけどな~~~」と思いながらもダラダラとシコってしまった学生時代の記憶とかを数えてみなさいよ。
あのね、脳を調教するんだよ。
脳に「俺は二次元でしかオナニーしない人間なんだ。二次元はセックスが出来ないから、俺の人生にセックスはもう存在しないんだ」と刷り込みなさい。
365日のうち1日たりとも三次元でシコらずに過ごした年月が5年もすれば、自然と脳が三次元への性欲を忘れ始めるから。
君ね、ロリコンの癖に二次元一直線でないというのは今の時代においては紛れもなく悪だよ。
二次元が発達してるから日本の性犯罪は少なく、多くの子供がロリコンから守られているのを知りながら、自分は三次元に性欲を向け続けるなんてのはね、犯罪者予備軍であり続ける愚行権の行使でしかなく、その愚行権のあり方は悪そのものなんだよ。
何度も言うが、二次元でだけシコれ。
わかったか?
ロリコンなんすよ。
まあ街で外人の子供にすれ違うと「あっ……本能にめっちゃダイレクトに何かが来る」って感覚と共にズボンに引っかかったアレが元気すぎて前かがみになったりするけど。
それでもパンチラ動画とかも見ないようにしてるんすよそういうのにアクセス数稼がせちゃ駄目だから。
最近は来るところまできて幼稚園児設定のエロ漫画も読むようになった。
でもどこかで「いくら漫画でも性についての知識がない子供相手というのは気がひけるところはあるよね」とは感じる。
まあ時折そういった抑制が外れて「たまには無知シチュもいいよね(^)」と読み漁ってしまうこともあるが。
基本的には大人の女性でかつ身体は子供っていうのが一番刺さる。
ブルアカのハーヴィンとかFFのララフェルとか、あとは単にロリババァって呼ばれるようなジャンルとか。
これは同好の士向けの豆知識だが、海外サイトでLoLのヨードルみたいのを探したい時はmidget(小人)で検索すると日本で知名度が低い小人キャラのエロが次々見つかって世界が広がるぜ。
まあ単に子供のキャラデザに設定上だけ年齢を増したとある魔術の禁書目録の小萌先生(まあもう俺のほうが年上だが)みたいな合法ロリもいいね。
セックスというものがどういうものか知らない子供相手に「初潮前 今なら中に 出し放題」ってするのは正直どうかなと思うわけだよ。
むしろ初潮が来てない方がいつ突然危険日が来るかわからない危険性があるし、セックスによってホルモンが崩れれば二次性徴が予想より早まる可能性はあるわけで。
実際にギネス記録だと4歳で妊娠して5歳で出産した子もいるっていうしさ。
そういうわけで合法なロリを求めてしまうわけなんだが、現実にいる本当にただ身長が小さいだけの大人女には全く興味がわかないんだよ。
「中学生はババァ」みたいな歪んだ価値観を持ってるわけじゃないが、チンコは反応しないんだよな。
本来の意味でのロリコンラインとされるニンフェットの年齢さえも、俺にとってはもうストライクゾーンの上にある気がする。
じゃあ自分の性欲を満たすために売春してる小学生を探すとか、近所の小学生と上手い具合に仲良くなってやっちまうかとかは考えない。
犯罪行為がバレることに怯えながらセックスするぐらいなら、のんびりと二次元で合法のオナニーをしていたほうが幸福度が高いし、単純に他人を傷つけてまで満たすほどの価値を性欲に感じないんだよな。
俺は正直性欲が弱くてさ、オナニーも1度に1回、週に2回で十分すぎるんだよ。
中学高校の全盛期でも半日のインターバルを開けて2回目の射精をした日はなんか頭痛がしたし、一週間の射精回数の最高値も4回か5回ぐらいで、毎日2回オナニーしてたみたいな人がいるのが信じられねえんだ。
大して強くもない性欲で、しかも性癖がロリコンで、んでまあセックスや妊娠に対しての理解が浅い人間相手のセックスは好まないと来ると、もう三次元を相手にする気はなくなるわけだよ。
まあ実際俺はモテたことが全くないし、相手が小学生だろうとモテるために必要な努力はかなりのものだろうなとは感じるから、それが小学生を恋人にしないための足かせとして機能している節はあると思う。
ただこの話で言いたいのは、それで妥協して性欲が燃え上がらないような相手とそれでもいいから恋愛したり結婚したいって気持ちが湧いてこないことだ。
とにかく誰でもいいから結婚したいとかにはならないんだな人間って。
本能的に妊娠させたくなるような相手とじゃないと、どう義務的に取り繕っても結婚なんてしようって気にはなかなかならんらしい。
もしも俺の性癖が熟女マニアだったら、多分相手がブサイクでもとにかく穴があるなら入れられるしいいだろうって割り切れたんじゃないかってことだ。
でも俺は熟女の穴に入れる気はないし、それこそAV女優の中で最若手の人間であっても「肌きたねえな……」って感じて萎えてしまうんだよ。
若ければ若いほどエロイみたいな歪んだ価値観ってわけじゃないが、若くなさに大して異常に萎えてしまうことによって結果的にそれが幼稚園児モノのエロ漫画で抜くような現状を生んでいるとは思う。
つうか俺が一番恐れているのは、万一結婚して子供を産んでしまって、それが親に似ないで可愛かった時、手を出さない自信がないことなんじゃねえかな。
二次元ポルノとはいえ、毛が一切生えてないスジマンの光を吸い込み真っ黒く閉じたクレバスを見ると、ブラックホールのような引力を感じて吸い込まれるような感覚があって、その吸い上げる力がチンコにも作用してチンコが持ち上がってくるフィールを得てしまうんだ。
生まれたばかりの娘のおむつ替えをしてる時に、それがビビってやってきたら人間として自分をすごく嫌いになりそうなんだよな。
んでまあもうちょい大きくなって一緒に風呂とか入ったときに、人生で後何回見れるかわからない娘のスジマンを必死に目に焼き付けようとしてしまったのを、娘が気づいてしまったら、それは相手の精神に深い傷を残すんじゃないかって不安なんだ。
俺が最も恐れているのはそこなのかもな。
とにかく、性欲なんかのために人を傷つけたくないんだよ。
そう思うのは、俺が性欲由来のルッキズムの負の側面によってさんざん傷つけられて生きてきた過去があるからなのかも知れない。
性欲由来の何かを持って人を傷つけるやつに強い憎しみを抱くんだ。
そして、自分がそれにならない人生を送っていることに、密かなホコリを感じるんだな。
こういう話を実際にしたら、「風俗に来ておいて会話だけをして帰る自分を優しいと感じているヤバイ人」とかと同じカテゴリに入れられそうだから人に話したことはない。
ましてロリコンすぎて娘がもし出来たら手を出しかねないし、少なくともスジマンは目に焼き付けるだろうなんて口にしたことは一度もない。
こんな俺でもいつかの拍子に「突然誰でもいいから恋愛したくなった」「突然子供が欲しくなった」「子供が出来たら性欲とか別に掻き立てられなかった」で普通に子育てしたりする未来があるのかね。
ロリコンの話も性欲への嫌悪も周りに話してないからなんだろうけど、周囲は時折俺にそういうことを求めているというか、そういう未来が待っていると自信ありげに予言してくるんだよな。
実際どうなんだ?
俺にはこういうのよくわからんのだが、詳しいやつはおらんか?
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
Isensed thaitis in asensesense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychologicaltest)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「Staycalm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Couldyou九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
どんな美術展にも共通して言えることですが、最近はウェブサイトなどで告知があるのですから「どんな作家のどんな作品が来るか」を事前にチェックすることを「強く」お薦めします
その上で「最低1点」は作家もしくは作品を知っていて「生で見たい」と思うかどうかが美術展に行く前にやっておくことです。
『ルーヴル美術館展 愛を描く』なら https://www.ntv.co.jp/love_louvre/ です。
と言っても「どうせリンクも踏まない」でしょうからウェブサイトから抜いてみます。
◎ジャン=オノレ・フラゴナール 《かんぬき》
◎アリ・シェフェール《ダンテとウェルギリウスの前に現れたフランチェスカ・ダ・リミニとパオロ・マラテスタの亡霊》
フラゴナールを「かろうじて」知っているかいないかの瀬戸際という人が多いと思います。
ヴァトーやジェラールの作品は絵を見れば見たことがあるかもしれません。
作家や作品を知らなくても「ウェブで閲覧出来る作品」を見て「生で見てみたいな」と思う作品があるなら行くのも良いでしょう。
私は行かないかな。
どんな美術展にも共通して言えることですが、最近はウェブサイトなどで告知があるのですから「どんな作家のどんな作品が来るか」を事前にチェックすることを「強く」お薦めします
その上で「最低1点」は作家もしくは作品を知っていて「生で見たい」と思うかどうかが美術展に行く前にやっておくことです。
『ルーヴル美術館展 愛を描く』なら https://www.ntv.co.jp/love_louvre/ です。
と言っても「どうせリンクも踏まない」でしょうからウェブサイトから抜いてみます。
◎ジャン=オノレ・フラゴナール 《かんぬき》
◎アリ・シェフェール《ダンテとウェルギリウスの前に現れたフランチェスカ・ダ・リミニとパオロ・マラテスタの亡霊》
フラゴナールを「かろうじて」知っているかいないかの瀬戸際という人が多いと思います。
ヴァトーやジェラールの作品は絵を見れば見たことがあるかもしれません。
作家や作品を知らなくても「ウェブで閲覧出来る作品」を見て「生で見てみたいな」と思う作品があるなら行くのも良いでしょう。
私は行かないかな。
2020年新型コロナウイルス感染拡大防止対策に伴って絵画商法エウリアンが居なくなったのかと思ったら再び絵画商法エウリアンがぶり返してしまいました。超セクシーな若い女の子が超セクシーなニンフたちと同じ様に働いている男性客を誘惑して受付に立ち寄らせてアンケートに記入させます。受付に立ち寄らせてアンケートに記入させない代わりに入場券を購入させるシステムに変えるべきです。受付に立ち寄らせてアンケートに記入させない代わりに入場券を購入させるシステムに変わったら超セクシーな若い女の子がローン購入時に女の子のお父さんに絵の保証人になってもらっちゃいなって言うでしょう。綺麗と人気の秘訣は、毎日顔をメイクしてアイシャドウとマスカラを付けて赤い濃い口紅を塗って色っぽいタイプになる事です。超セクシーで綺麗で可愛い、歌は上手で足は長い、スタイルは良い、超セクシーなボディコン極小超ミニスカートにハイヒールが良く似合う超セクシーなレースクイーンとグラドルの様なタイプで大好き!超セクシーなボディコン極小超ミニスカートにハイヒールでもっとこんなに非常に形が良いムチムチのお尻をもっとこんなに非常に大き過ぎるように振って踊るディスコクイーンの様なタイプで大好き!超セクシーな若い女の子と言えば、海水浴場と海の家での超セクシーな水着ライヴのイメージに良く合うタイプで大好き!スリーサイズに自信の有るムチムチのスタイルが良いグラマーボディーで大好き!
別に人形買って自分で処理しているとかそういう分には構わないんじゃないのとか思うんだが、よく考えたら性的興奮を覚える対象に性的にアプローチをかけたら犯罪になるセクシャルマイノリティってたくさんあるじゃない。
ズーフィリア
エキシビショニズム
クレプトフィリア
タナトフィリア
タフェフィリア
ピロフィリア
インファノフィリア
ここにたくさん書かれている。上記がそれぞれ何かは調べたら良いと思う。
↓
https://note.com/urue/n/n41fe95033f33
というように、軽度から重度な犯罪につながっていきそうな性的嗜好が山のようにあるのに、何でペドフィリアだけ事さらに叩くのか、というのがよくわからないんだよね。
子供が犠牲になっても良いのか!という人たちは、ペドフィリアはもはや自分の性的欲求をコントロールすることができなくなっているという風に差別していると思うんだよね。
例えばコントロール不可能になったエロトフォノフィリアはもはや無差別なんだが、そういう人に警戒しようという人は見たことがない。近所にエロトフォノフィリアがいる!追い出せ!とかは聞いたことがない。
確かにペドフィリアはひどく差別されている。なんでか知らないが明らかに的にされている。的にしている人たちが社会正義を背負いやすい構図なのもあるのかもしれない。
ペドフィリアがいる分には別に良い、迷惑かけないならそれで良い、位ではいかんのかな?