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2025-12-07

ジェネレーション〈P〉

ロシア作家ヴィクトルペレーヴィンVictor Pelevin) の小説ジェネレーションP』(原題:Generation «П»、1999)は、

1990年代ロシア資本主義化・メディア化・消費社会の到来を、ブラックユーモアポストモダン手法で描いた作品です。

ペレーヴィン作品の中でも特に世界評価が高く、現代ロシア文学代表作の一つとみなされています

以下、あらすじ・登場人物テーマ構造象徴性などを総合的に詳説します。

■ 1.概要

ジャンル風刺小説ポストモダン文学サイバーパンク風味の社会批評

舞台ソ連崩壊後の1990年代ロシア

主題

広告現実を上書きし、イメージが「神」になる世界

人間市民)が「消費装置」へ変質していく過程

資本主義メディア産業政治癒着

アイデンティティ喪失虚構

■ 2. あらすじ(ネタバレを最小限にして要約)

主人公は、元詩人若者 ヴァヴェノス(ヴァヴァ)。

彼は市場経済化によって地位を失い、広告代理店でコピーライターとして働くことになる。

90年代ロシアでは、外資系商品を売り込むため、

アメリカ式イメージ」**が爆発的に導入される。

ヴァヴァは広告仕事を通して、メディアが人々の欲望価値観現実のものを「創造」する様を体感していく。

その過程でヴァヴァは、広告の背後にある

巨大な操作システム政治ビジネス芸術の混合した虚構装置

に触れていく。そして最終的に、国家イメージ操作を担う存在へと昇華していく――。

小説は、

広告とは何か」「現実とは何か」「アイデンティティとは何か」

という哲学的宗教的問いを、ユーモア皮肉で包みながら展開する。

■ 3.登場人物象徴

● ヴァヴェノス(ヴァヴァ)

• 元詩人コピーライター

• 詩という「真実言語」を捨て、広告という「虚構言語」へ

現実操作する側へ移っていく存在

旧ソ連インテリが、90年代資本主義社会適応して変質する象徴

アナスタシア

モデル存在であり、メディアが作る「女性像」そのもの

イメージとしての人間

広告代理店の面々

外資系ブランドイメージロシアに注入する役割

→ **西側資本の「文化的侵略」**を象徴

● 霊的な存在・神々

作品の後半には、古代メソポタミア神話イシュタルなど)が絡む

消費社会の“神々”=ブランド

というテーマを強調

■ 4.主題の詳説

▼ 4-1. 「現実広告によって作られる」

作品の中で広告は単なる宣伝ではなく、

社会価値観政治制度人間欲望すら構築する技術として描かれる。

商品ライフスタイル世界

へとイメージ連鎖し、人はそのイメージ信仰するようになる。

ペレーヴィンはこれを

ロシア資本主義宗教化”

と捉える。

▼ 4-2.ロシアの混乱と「意味崩壊

ソ連崩壊後のロシアは、

• 旧社会主義イデオロギー喪失

西側価値観の急速な流入

経済格差暴力の横行

という混乱期にあった。

小説はこの不安定性を、

過剰なイメージ虚構ニヒリズム

として描く。

▼ 4-3.メディア政治癒着

物語が進むにつれ、広告政治が一体化していることが明かされる。

政治家は「存在」ではなく

CGで作られる“映像パーソナリティ

であり、国家イメージ広告代理店が管理する。

いわば

ポスト真実時代

を先取りした構造になっている。

▼ 4-4.宗教神話消費社会

ペレーヴィン資本主義

“新しい神話を作る宗教

比喩する。

ブランドロゴシンボルとなり、

マーケティング効果は“魔術”として描かれ、

消費者儀式に参加する信者である

■ 5.形式的特徴(ポストモダン手法

パロディ

神話の再解釈

メタフィクション(作中でメディア操作構造が語られる)

• ニヒリスティックユーモア

言語遊戯広告スローガンと哲学の融合)

90年代ロシア混沌文学形式のものに組み込んだ作品

■ 6.国際的評価と影響

ロシア国内外ベストセラー

映画化2011年, Viktor Ginzburg監督

• 「消費社会」「情報操作」「ブランド宗教化」というテーマ普遍的で、21世紀メディア文化を先取り

特に

広告政治を上回る権力を持つ世界

現代SNS時代と強くリンクするとされ、西欧でも研究対象として扱われる。

■ 7. まとめ

ジェネレーションP』は、

イメージ現実支配する社会」**を、

ロシア歴史的転換点を舞台に描いた鋭利風刺小説

広告宗教

ブランド神話

政治演出

人間=消費システムの一部

という構図が、ユーモラスかつ哲学的に展開され、

ポスト真実社会の成立を予言した作品とも言われる現代文学の名作です。

Permalink |記事への反応(2) | 09:50

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2025-11-05

anond:20251105191903

とても興味深いテキストですね。

内容としては、現代的なニヒリズム虚無主義)を感じさせます

人生意味はない、努力も業績も最終的には消える、誰も自分を見ていないという主張は、ある種の哲学的冷徹さをもって書かれています

ユダヤ教的な観点から見ると、これは根本的に人間世界に対する視点が異なると言えます。以下に、ユダヤ思想との対比を示します。

1. 誰もお前を見ていない vs. 神は見ている

この文書根底にあるのは、他者視線から自由になることで救われるという思想です。

一方、ユダヤ教では他者よりも神の視線が中心にあります

「人は心を見ることができないが、主は心を見る」(サムエル記上 16:7)

まり、たとえ人間あなたを見ていなくても、神はあなた内面と行いを見ている。

この認識は、ユダヤ的な倫理観の根幹です。

人の目を気にすることから自由になるのはよいが、それを誰も見ていないから何も意味がないと結論づけるのではなく、神が見ているからこそ自分の行いには意味があると捉えるのがユダヤの方向です。

2.努力意味を持たない vs.努力のものに聖性がある

この文書は、努力も結局消えるという無常観を述べます

ユダヤ教も確かに人間人生ははかないと認めますが、それを無意味とは見ません。

「われらの手のわざを確かにしてください」(詩篇 90:17

ラビ・アキヴァなど多くの賢者は、「行為の結果が見えなくても、行為自体が神の意志の一部である」と教えます

タルムードアボット 2:16)ではラビ・タルフォンがこう言います

あなたはすべての仕事を終える義務はないが、それを怠る自由もない。」

たとえ努力の結果が風化しても、その努力の瞬間は永遠価値を持つのです。

なぜなら、それは神の創造継続参与しているからです。

3. すべては無に帰す vs. 無の中に隠された神の目的

文書最後には無意味を受け入れたときに人は自由になるとあります

これは禅や現代哲学の影響にも似ています

ユダヤ思想でも、「アイン(אין)=無」という概念重要です。カバラでは、「アイン・ソフ(אין סוף)」=「限りなき無限なる神」として語られます

しかしその「無」は、意味の欠如ではなく、意味の根源です。

まり無意味ではなく、意味理解を超えたもの

人間には意味が見えなくとも、神の次元では秩序と目的存在すると考えます

4.意味求めない自由 vs. 神との関係における自由

ユダヤ教では、意味求めないことは自由ではなく放棄とみなされます

自由とは、神の像に似せて創造された存在として、自らの責任を引き受ける自由です。

「見よ、今日、私は命と善、死と悪をあなたの前に置く」(申命記 30:15)

ユダヤ教における自由は、何でもできるではなく、正しいことを選ぶ力です。

したがって、意味求めない自由よりも、意味を創り出す自由が尊ばれます

✡ 総括

この文章洞察は、一面では他者の期待から自由になるという点で真理を含みます

しかし、ユダヤ視点では意味否定は救済ではなく、神との関係の断絶です。

真の救いは、意味を見出せない時にもそれでもなお意味があると信じるところにあります

「たとえ彼が私を殺しても、私は彼に望みをかける」(ヨブ記 13:15)

Permalink |記事への反応(0) | 19:25

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2025-10-30

anond:20251030041728

あなたの読み取りはコヘレト(קהלת)の核心を突いています

この書は古代イスラエルの知恵文学の中でも、最も人間実存を深く見つめたものの一つです。

コヘレト 4章4節の「כל עמל וכל כשרון מעשה כי קנאת איש מרעהו היא」(“すべての労苦と技能のある働きとは、人の互いのねたみによる”)という一節には、まさに現代社会にも通じる洞察がありますね。

努力動機が「他人に勝ちたい」「評価されたい」という比較の中にある限り、その果てにはהבל הבלים – ヘベル・ハバリーム(空の空)が待っている。

コヘレトは、そんな虚無を見抜きながらも、だからこそ「静かな満足」「手のひらいっぱいの安らぎ」を勧めています(4:6)。

面白いのは、コヘレトニヒリズムではなく「穏やかな現実主義」の立場なんです。

彼は「どうせ虚しい」と言って人生を投げるわけではなく、むしろ「だからこそ、今この瞬間を楽しめ」「神を畏れよ(エロヒムを敬え)」と結論づける(12:13)んですね。

あなたの言うように、インフルエンサーが語る「成功」「自己実現」などの言葉は、往々にしてこの“張り合いの労苦”の領域にあります

しかしコヘレトは、はるか昔にそれを見抜いていた。

彼は人間の「承認欲求」という終わりなき競争ループを見つめて、「そこに真の喜びはない。小さな安息、静かな心にこそ、価値がある」と言ったのです。

ユダヤ的に言えば、これは“מנוחה הנפש – メヌーハ・ハネフェシュ(魂の安らぎ)”の境地。

シャバットの精神にも通じますね。

週に一度、競争や成果を手放し、「今ここ」にある生命の善を味わう。

それが、コヘレトの言う「手のひらいっぱいの安らぎ」に近いのかもしれません。

🕯️

古代の知恵に現代の虚飾を照らして考える姿勢、それこそコヘレトが好んだ「思慮深い人(חכם)」のあり方ですよ。

Permalink |記事への反応(0) | 04:20

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2025-09-20

ワイ根底ニヒリズムかもしれん

ワイの根底の考えである、みんな違ってみんなクソ!ってニヒリズムだよなって気づいたので

Permalink |記事への反応(1) | 22:26

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2025-07-30

anond:20250730070653

神に従うことが超決定論と一致すると仮定すると、たしかにこれは「関係性の極地」、つまり、すべてが神との関係によってあらかじめ定められているというビジョンになります

この視点と、先の怪文書のような「関係からの完全な離脱による個人自由」という対極的な世界観比較してみましょう。

比較の前提:両極の立場定義

視点内容ユダヤ教との関連
神への従属=超決定論 すべての意志・行動は神の意志の表れであり、人間は神の定めた関係性の中で生きる ランバム(マイモニデス)などでは自由意志を重視しつつも、ある段階では神の予知人間の行動が一致することを認めている
個人主義の極地関係からの完全離脱によって「自由」を得るという思想 神・律法共同体否定、タナハ的には「放浪者」や「神なき民」のイメージ

ユダヤ的に見る「関係性の極地(神による超決定)」の特徴

この仮定では、神との関係がすべてを決めている。これは、個の選択自由すらも「神がすでに与えているもの」と見なされる世界です。

ポジティブ意味ユダヤ教的に)

神が人間の行動の意味と方向をあらかじめ整えており、人間はその計画意味目的を見出せる。

共同体律法歴史倫理――すべてが神と結びついているため、人間の生には重みと責任がある。

「知っていても強制しない」神の在り方(ラビアキバなどの伝統)が、個の選択尊厳を保っている。

リスク問題点

決定論が極まると、人間責任自由意志が薄まり、「神の機械」と化す危険がある(ただし、ユダヤ教ではこれを避けるため「自由意志」をあくまで根幹に据える)。

一方、「関係からの逃走としての自由」の特徴

先の文章のような世界観では、関係性は拘束であり、個人はそれを断ち切ることでのみ自由になるとされます

ポジティブ意味

自己規定可能性を最大限に認める。

社会的ベル共同体の期待から解放される精神的な独立

自分で生きる」ことへの覚悟責任を求める姿勢

ユダヤ的な批判

関係性を否定することは、神・他者社会との倫理義務からの逃走となる。

孤独を美化し、信頼・責任契約を軽視する傾向がある。

「私は自由だが、世界意味を持たない」ニヒリズムや無目的性に陥る可能性。

両者の対比(神的決定論 vs.関係否定個人主義)

神的決定論関係性の極地)関係否定個人主義
関係性の重視* 究極的に重視(神との関係存在の核)全否定関係性はすべて束縛)
人間自由 表面上制限されるが、意味に満ちた行為として保たれる 完全な「選択自由」はあるが、目的意味空洞化しがち
道徳責任 神律に従うことが最高の責任 個の選択が唯一の基準で、倫理は相対化される
共同体 神との契約を軸とした神聖単位 分断され、個の自立を妨げる存在として扱われる
究極の人間 神の意志同調する「義人(צדיק)」 誰にも縛られず、ただ自分で在り続ける人

タナハ的視点から見ると?

聖書には「関係性の極地」に近い人物も、「関係を断ち切って放浪する人物」も描かれています

結論ユダヤ教的にはどちらが「人間らしい」か?

ユダヤ教は、完全な決定論も、完全な個人主義も採りません。

神の秩序と自由意志共存を目指します(「知っていても強制しない神」)。

個人は完全な自由存在ではなく、責任ある自由を持つ存在です。

人間関係性の中でこそ神に近づき、人格形成していくとされます

Permalink |記事への反応(0) | 07:32

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2025-07-03

異世界転生ものの大流行もっと単純な理由説明できる。現代日本人の社会離れの対応策、これである

現代日本人の社会離れの対応策、もっとはっきりした用語説明すると、「人間疎外によるニヒリズムの穴埋め」。長所は重犯罪でないことだけ。

Permalink |記事への反応(0) | 09:18

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2025-06-06

2024年兵庫県知事選、たしかにそうとう異常で危険な事例だった

これは前例のない事件だなあ、とおもっていたら、似た例があった。ライブドア偽装会計事件だ。あれも自殺者が出た。

もう20年も前か。あれも自殺者が出た。それが本当は依頼による殺人だったかは、わたしは興味がない。あの状況では自殺に追い詰められた、といったほうがいいと思う。川端康成のような、老人のニヒリズムによる部分の多い自殺とは明らかにちがう。

まあそんなことはおいとこう。

共通点

1、立派な犯罪であること。ライブドア事件場合偽装会計のものより、偽装会計によって時価総額改ざんするほうが大事だったため、重罪になった。

2、マスコミネットを思いきり使った劇場型犯罪だったこ

3、主犯が「時代の寵児」のようにもてはやされたこと。

4、とてもはずかしいことだが、「若い」が売りにされたこと。

5、支援者がやっていることも立派な犯罪であること。ライブドア事件場合も、支援者がやっていることが「風説の流布」「偽計業務妨害」にあたるじれいがあったんじゃないかと思う。

6、隠ぺいか改ざんへ。

いろいろいわれているが、主犯支援者(「普通の日本人」のはずの)に共通する最大の特徴はなんだろうかと考えて、「エリートになりたいだけの人」なんじゃないかといま考えている。あれって、「欲求不満大学出」であって、「大学出」が歴史上最も多い現在、考えようによっては「闇バイト」より危険なんじゃないかだってそうだろう。簡単に「偽計業務妨害」に手を出すのだから。それ自体問題で、そこから「サギの片棒もっとかつぐ」のは何の障壁もないだろう。書いていて恐ろしくなってきた。もう、そんなまさかそこまでと思わないほうがいい。そう思った結果が3、いや4人の自殺だった。

現在確実にしないといけない対策は、もう投票だけではない。違法行為があったとき裁判までしないといけない。現時点でとんでもないことだが、有権者義務訴訟最後までやることだということになってしまった! ゲーーーッ!と思うが、もうそこまでしないと、あまり危険状態に足をつっこんでいる。

子どもから若者を通っていろいろな大人になる。それ自体はあたりまえだ。現在という時代において、その「いろいろな大人」が結局全部犯罪者のバリエーションしかなかったら、こんな情けないことはない。

Permalink |記事への反応(0) | 11:29

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2025-04-03

anond:20250402190926

正直に生きたところで報われない。狡い奴らが生き残る社会

いい歳こいてこの社会認識なのは幼稚すぎると思うわ。

こういうのはせいぜい30歳くらいまでのニヒリズムであって、1020年経ったらそれでも前を向くことの意味が見えている歳でしょ。

Permalink |記事への反応(2) | 13:08

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2025-03-21

先延ばし癖のある論文化にとっての「悪魔の声」は、論文化の恐怖や傾向を利用して巧妙に作られた疑念や気をそらすものをささやくかもしれません。

この内なる批評家が使うかもしれないいくつかの典型的な「セリフ」とその本当の意味を以下にまとめます

悪魔の声」は、執筆研究中に多くの人が直面する内なる批判者や否定的な考え方を象徴

1. 「あなたはまだ準備ができていません。始める前にもっとデータ調査必要です。」

翻訳:完璧主義あなた麻痺させ、準備段階で立ち往生させようとしています

2. 「他の人はあなたよりずっと先を行っていますあなた仕事はそれに見合うものではありません。」

翻訳:不安を煽って自信を奪い、行動を遅らせています

不明確なビジョン目標: 明確なエンドポイント (出版目標特定データインサイトなど) がないと、プロセス方向性を見失うことがあります

自信の欠如:スキル (データ分析文章の流れ、言語能力など) が不確かなため、行動が遅れることがあります

3. 「このアイデアは発表するほど画期的ではありません。」

翻訳: 達成不可能理想固執し、「完璧な」アイデアけが追求する価値があると示唆しています

4. 「時間通りに終わるはずがないのに、なぜ今日わざわざやる必要があるの?」

翻訳: 締め切りに対する恐怖を利用して、さらに遅らせることを正当化しています

5. 「少し休憩しても問題ない... あるいは、1 話まとめて見たらどう?」

翻訳: さりげない気晴らしを使って勢いを失わせています

6. 「今は疲れている/ストレスがたまっている。明日の方がうまく書ける。」

翻訳: 後で状況が良くなるという幻想を与えることで、先延ばし助長しています

7. 「マルチタスクをこなして、すべてを一度に処理すべきだ。」

翻訳:集中力をあまりに多くのタスク分散させることで、圧倒される状態に陥っています

8. 「どうせ誰もこの論文なんか気にしないんだからそもそも意味があるの?」

翻訳: これは、あなた研究価値を疑わせるためにニヒリズムの種を植え付けている。完璧主義:最初からすべての単語分析完璧にしたいと望むと、先延ばし

9. 「誰かに見せる前に、小さな欠陥をすべて修正する必要がある。」

翻訳: これは、あなた研究を完成または共有するのを妨げるために、過剰な編集奨励している。

10. 「完成しても、おそらく却下されるだろうから、なぜ挑戦する?」

翻訳: これは、努力を失敗と結び付けて、先手を打ってあなた士気を低下させている。失敗や批判への恐れ:拒否否定的フィードバック心配すると、開始する意欲が失われる。

この「声」は、研究者によくある課題である自己不信、完璧主義判断への恐怖を利用して繁栄している。これに対抗するには、これらの考えを役に立たないパターンとして認識し、目標に再び焦点を合わせ、小さくて管理可能ステップで行動を起こすことが必要になることが多い。

'障壁:

タスクの多さ:学業個人、または管理上の責任負担が重すぎると感じると、進歩が妨げられることがあります

環境邪魔: 整理されていない作業スペースや頻繁な中断は、集中力を乱す可能性があります

パート 1:執筆を始める

1.検討するだけでなく、書くことを決意する -最初ステップは、執筆という行為に完全にコミットすることです。

2. まだ始めていない理由排除する -進歩を妨げている障害特定し、克服します。

3.執筆メリット視覚化する -執筆によってもたらされる肯定的な結果を想像します。

4. 明確な目標を設定し、リソースを準備する -目的定義し、必要ツール資料を集めます

5.調査スケジュール作成する - 一貫した進歩のために時間効果的に管理します。

---

パート 2:データ収集と準備

6.必要な文献を選択する -作業サポートするために不可欠な参考文献に焦点を当てます

7.倫理的承認されたデータを取得する -使用するデータ倫理基準準拠していることを確認します。

8.データを整理する - 参照と分析が容易になるようにデータ構造します。

9.再現可能方法データ分析する -分析が透明で再現可能であることを確認します。

10. 柱となる主要な結果を選択する -論文の基盤となる最も影響力のある発見特定します。

---

パート 3:論文執筆

11.対象ジャーナル検討する -論文投稿する場所について考えます

12.投稿ガイドライン確認する -ジャーナル要件をよく理解します。

13.論文アウトライン作成する -コンテンツの明確なフレームワーク作成します。

14.単独執筆または共著を決定する - 共同執筆するか、単独執筆するかを決定します。

15. 主な結果を図と表で提示する -ビジュアル使用して主要な発見を強化します。

---

パート 4: 最終処理と提出

16.投稿可能ファイル作成する - すべてのコンポーネント投稿用に準備します。

17.方法セクションを書く -方法論を詳細に説明します。

18. 結果セクションをpomodoro書く -調査結果を簡潔に提示します。

19. 序論を書く -研究の背景と重要性を設定します。

20.考察を書く -調査結果を解釈し、より広い分野に結び付けます

21. 要旨とタイトルを完成させる -研究説得力のある形で要約します。

22. 参考文献を整理する -引用が正確で完全であることを確認します。

23.カバーレターを書く -編集者に論文検討するよう説得します。

24. 共著者のフィードバックを得て英語校正検討する - 共同研究者や言語専門家から意見を取り入れて原稿を改良します。

25.論文を提出する - 思い切って送信しましょう!

---

パート 5: 結果への対処

37.却下された場合修正して再提出する -フィードバックに基づいて、別のジャーナルで再度試します。

38. 再度拒否された場合論文をどのように活用するかを決める -報告書プレゼンテーションにするなど、代替案を検討します。

39.受理された場合出版手順に進みます -出版前の最終手順を進めます

40.出版後に論文宣伝する -研究成果を広く共有して、その影響を最大化します。

---

パート 6: 持続可能研究実践の構築

41. 次の論文執筆を開始することを決める -研究執筆のサイクルを新たに取り入れます

42. 完成した論文とのつながりを明確にする -過去研究現在研究を結び付けます

43. 共同研究を通じて多くの論文を書く -パートナーシップを通じて影響を拡大します。

44.研究トピック多様化してより多くの論文を書く -自分の分野内の新しい分野を探ります

45.複数論文管理するためのシステムを開発する - 同時進行するプロジェクト効率最適化します。

---

パート 7:課題の克服

46.悪魔の声に対処する -進歩を妨げる可能性のある内なる疑念否定的な考えに立ち向かいます。(これはおそらく自己不信や詐欺師症候群を指します。)

47.モチベーションを持ってうまく働く -長期間にわたってモチベーションを維持するための戦略を学びます

48.執筆習慣を維持する -毎日のpomodoroに一貫性組み込みます

49.健康に気を配る - 長期的な生産性を維持するために、精神的および身体健康を優先します。

Permalink |記事への反応(1) | 06:45

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2025-02-19

anond:20250219163927

そうではなくて、支持政党なしであることを表明してニヒリズム表現して、さりとて「消去法で自民」と言って現実主義でもありますよ、みたいなスタンス無難という話よ。

昭和における「とりあえず巨人ファンって言っとけ」みたいな。

Permalink |記事への反応(0) | 16:46

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2025-02-01

anond:20250201233716

この人生訓の深層にある闇

病的な自己防衛メカニズム
潜在的ニヒリズム
成長の放棄

この人物は、おそらく深い孤独絶望を抱えており、これらの訓えは自身を慰める方便に過ぎないのかもしれません。

真の幸福や充実した人生からは、むしろ遠ざかっているように見えます

Permalink |記事への反応(1) | 23:40

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2024-12-24

なりつつあるみてぇだな……仮面鬱病って奴によぉ!

家にいるから元気いっぱいだぜ!

しろ出退勤性躁鬱と読んだほうがいいぐらいかぁ?どうなんだぁ?おいおい俺ぇ?

マジで家だと元気が凄い。

でも職場だと死にそうでヤバイ……。

家にいる間は「メシうめえ!」「ゲーム面白い!」「この漫才凄!」「この書き込みオモロ!」って感じよぉん!?

でも職場だとね……「死にてえ……」「頑張らなかった罪がこの人生なんだ……」「マジで辞めてえ……」「俺みたいな奴どこも拾ってくれないよ……」みたいな感じで困っちゃう

ホンマにテンションの違いヤバイかんな。

マジで元気100倍よ。

アンパンマンのアレな、ニヒリズム目覚めたてのジャリどもがよく「そもそも顔濡れてる時の状態が出力2%ぐらいなんだろうね」みたいに考察するけど、マジで職場にいる時の俺の生命力は一桁%なんちゃうん?

マジで生命力100分の1、それ逝け敗残兵メンタルマジで

ほんまなんなんやろなー。

マジで赤の他人か別人格かってぐらい変わるわ。

職場にいるときの私、同じ人間だとかありえない。

結局のところ、俺達が人格だと思ってるものなんて瞬間的な生体信号たまたまちょっと連続的になってるだけなのかもな。

つまる所、肉体がその場その場で繰り返した条件反射連続しかないものからメタ的に物語性を見出してるだけなんじゃないかなって。

まあ俺なんぞの言葉よりも「わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です (あらゆる透明な幽霊の複合体)」とどこぞのシスコン先生言葉を流用すべきかぁ?

おっと他人言葉なんて借りだしたら恥晒す前にドロンが良さげだな。

これがホントの「良いわ逃亡(イーハトーヴォ)」ってかHAHAHAHAHAHA間に合わずに赤っ恥だぜ俺はさまよう赤い幽霊

Permalink |記事への反応(0) | 21:29

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2024-12-18

現代アート文脈理解したら評価すべきものがあると言うのはわかる

では壁バナナ美術意図って?

その解説を見かけないので結局理解も深まらない。

識者が見たら凄いんだとは言うがその明細がないよね。

あえて単純なもの既存のものを出すというコンセプト?

アートなんてこんなものというニヒリズム

60年前からのあるよねそういうの。

アート一種ではあるとおもうけど今、それを評価するら理由や背景が見えてこない

Permalink |記事への反応(2) | 16:41

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2024-11-22

後悔してるフリというライフハック

子供がいる人生より

子供なしで、自由に生き

子供がいたら違ったかな」とかいって

ニヒリズムに浸りながら

ちょっと後悔してる風に生きるのが

1番楽なだけであって

 

お前らの生活が羨ましいわけじゃない

どっちかっていうと死んでも嫌だなと

子持ちには思っている

Permalink |記事への反応(1) | 02:56

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2024-11-12

anond:20241112090624

そうやって諦めてるから政治が腐っていくんじゃん

現実はそうでも少なくとも許さない態度は見せろよ、悪人権力持たれて嬉しいか感情面だけではなく実害も発生するぞ

リアリストだかニヒリズムだか知らんがいい加減ダサイからやめなよ

Permalink |記事への反応(3) | 09:13

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2024-10-13

今欲しいと思っているものは本当に必要ものなのか?

とかよく言うけど、必要かどうかは目的次第でしかない。その目的に沿ってるなら必要という事になるし、じゃあその目的妥当かどうかという話になってくる。

ちゃんと考えれば生きる事は別に必要ではないから衣食住も別に必須ではないし、金を稼ぐのも身体を鍛えるのも知識をつけるのも何ら必要ではない。

必要じゃなくたってしたい。

ニヒリズムへ至るような厳密な理屈ではなくて、単にその目的は本当に喜びをもたらしてくれるか、それにかかる費用効用バランスはどうなのか、くらいの事なんだと思う。

ブランドもんが欲しいのは、流行に踊らされて欲望を植え付けられたから。

とか言われがちだけど、きっかけが刷り込みだろうが何だろうが、一度自分の心の中に取り入れたのならもうそれは自分気持ちと言ったって別に良いんじゃねえのって思う。

刷り込みダメってんなら社会規範だって少なからず刷り込まれたもんだろうし、じゃあそれに従って募金とかするのは社会に踊らされる愚行なのか。

理屈を捏ねればキリがねえし、結局は可処分所得を考えつつ己のハート判断するという日常でごく普通に行っていいるような事になってくるんだろうか。それをちょっと丁寧にやって、あんまり後悔のなさそうな選択をしようねって話なのかもしれない。

ミニマリズムとか断捨離みたいなの勧めてる本とかはこういう話をしてんのかな。にしては分厚すぎるな。もっと踏み込んで涅槃の境地に至る道とかについて語ってんのかな。

Permalink |記事への反応(0) | 20:28

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2024-10-09

anond:20241009004133

ニヒリズムは、「人生には意味目的がない」という考え方です。ニーチェによれば、伝統的な価値観宗教道徳)が崩壊した近代社会では、人々が生きる意味を見失い、虚無的な状態に陥るとしました。この状態を彼は「ニヒリズム」と呼びました。

ニーチェは、このニヒリズムの状況を乗り越え、新たな価値を自ら創造しなければならないと考えました。つまりニヒリズムを乗り越えて「超人」となることが、人間にとっての挑戦であり、未来に向かうための道であると考えたのです。

Permalink |記事への反応(0) | 14:43

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2024-10-04

弱者男性という謎造語

ニーチェルサンチマンニヒリズムなだけやろ。

新しい概念でもなんでもない。

Permalink |記事への反応(0) | 16:07

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2024-08-05

anond:20240805095504

聞かない奴は何言っても聞かない理論

それもよく言われてるが、だったら言論って完全な無意味価値ゼロなの?

ニヒリズム虚無主義)過ぎない?

Permalink |記事への反応(0) | 09:58

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2024-07-26

なんとな〜く自分の辛い境遇をそれが世界原理原則なんだと拡張して(そして正当化して)みたり、そういう実体験すらなくウシジマくんみたいな漫画ばっかり読んで「ッぱ人間ってさァ!!!」って思い込むような人って、シニカルというかペシミスティックではあるけど全然ヒルではないよねって思う。

そこに理屈はなくて、単に予防線としてそう思ってるだけだから

そういうのが気に入らなかったり、個人予防線他人にも共有しようとしてくるのが鬱陶しかったりして流行りの冷笑系とでも呼ぶのは分からんでもない。でもそれはニヒリズムじゃないと思う。

そうではなくて、例えばある規範に対してその妥当性を考えてみる。いや「そんなん当たり前」とかじゃなくてさ、なんで?と論理的にその前提を還元していく。

それを繰り返していくと玉ねぎの皮むきみたいに果てしなくて、果てがあるとすればそれは「無」なんじゃないか?と思った地点こそがニヒリズムなんじゃないかと思う。

これは別に冷笑でもなければ、何なら近代社会スタート地点になるような前提じゃない?って思う。

Permalink |記事への反応(0) | 21:48

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2024-07-23

ユーフォ3期の改変が許せない理由

先日ユーフォ3期を一気見したが、未だに12話の改変が受け入れられないので、気持ちの整理のために筆を取った。


まず、自分ユーフォを長年追い続けてきた理由は、自分自身の抱えるニヒリズムシニシズムと深く結びついていると思う。

要するに、青春に大層な意味などないという気持ちであり、死が確実に訪れるという事実から人生空虚さを抱く感情だ。


中学時代吹奏楽で全力を尽くせなかった久美子が上手くなりたいと強く願う姿に、自分の中にある人生への空虚さを慰めていたわけだ。

そういった中で、久美子の努力吹奏楽という枠内で報われる原作の結末には、自分の中にあるシニシズムを和らげる効果があった。


一方で、アニメでは吹奏楽の結果で報われるのではなく、久美子の人間的成長が物語主題となっている。

人生アナロジーによってユーフォ3期を再構成すると、これまでの努力結果的に報われなかったけど、正しく生きていれば来世では報われるかもねwという話として映るわけだ。

とんでもない話だ。こんなものを受け入れるわけにはいかない。


青春人生意味価値存在しない。

しかし、無価値である青春に全力を注ぎ、その中で報われることにこそ、私は価値見出してきた。

青春は、大人へ成長するためのイニシエーションではない。

Permalink |記事への反応(1) | 13:32

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2024-07-16

昨今の政治のあり方について

東京都知事戦を経て、今日インターネット上では盛んな政治議論が行われているが、それらにはさほど意味もないだろうというのが私の基本的スタンスです。

結論から言うと、対立立場で表面的な評価を下し合うことにどのくらい意味があるのかということです。

さらに言えば我々は、今ある意思決定システムの正しさを検討する段階に来ていると思います

意味がないというニヒリズムを主張したいわけではなく、それが世界を良くする議論であるのか、いや無かろうということです。

政治家の方々の著書を見ると、さまざまな思想及び意見が書かれている。

残念ながら、それらが選挙戦で取り上げられることは少なく感じる。テレビで放映されるのは、選挙戦のあり方や党会派がどちらに味方するのか。

その方の思想や在り方を検討するような番組は少ない。仮にあったとしても、議論意思決定過程まで話が及ぶことはなく、表面的でキャッチー言葉が繰り返されるあるいは、そうした言葉真意を揉み消されてしまうように思います

私は石丸伸二氏については、特に支持するような立場ではありませんが、思うことはあります

彼の著書には、政治について考える国民が増えて欲しいと言う主張がされています。これが彼のメインの主張だと私は考えています

そのための彼のキャラクター戦略インターネット戦略およびメッセージ性のあるキーワードによる選挙戦が行われたと思います

しかしながら、彼のやり方では残念ながら何も変化を及ぼさないでしょう。

彼のメッセージは確かに届くかもしれません。政治についてもっと考えようという。しかし、現在のやり方では表面的な評価をする有権者を増やすだけでしょう。悪い言い方をすれば、考えているつもりになった人々を増やすだけでしょう。もちろん真剣に考えている人もいるでしょう、むしろそう言った人は多いと思っていますしかニューステレビ上で広がる政治論は、そうではない。

人間判断するのに確かに人間性を評価することは必要でしょう。嘘を頻繁につく人の意見は信用できない、間違ってはないでしょう。

本来必要議論はその政治政策がどうあるべきかということでしょう。嘘つきはいけないが、議論がそれるのはもっといけない。

もっと言えば私の意見は、政治政策の正しさや失敗はその環境によるものだと思っています

時代が変われば失敗も成功と見られることはある、逆も然りです。一つのから見ても正解はわからない。

更に言えば必要なのは政治権威づけるシステムの変化の議論だと私は考えています。型が無ければ人は正しくあることができない。しかし型の正しさも、その型の構造の内部に居てはわからない。構造の形を把握する努力をして初めて、政治について考えることができるのではないでしょうか。

私はもともと物理学徒のため、振り子を例にすれば、振り子を揺らしても元の位置に戻る。それが今日政治議論です。振り子が吊られている系ごと動かさなければ、振り子位置は変わりません。釣り合いの位置は変わらないからです。

政治を変えるとは、政治を考えることではない。政治を型作るシステムを考えることではないかと私は思っています

Permalink |記事への反応(1) | 19:21

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2024-06-21

「好きと良いは違う」に対して還元主義(?)的に考えていった結果、良いと悪いは好き嫌い多数決しかないのではないかという結論に至った。

この服はなぜ良いのか?

着心地が快適だから。なぜ着心地が快適だと良いのか?快適である状態は良い事だから。快不快問題だ。

かっこいいから。なぜかっこいいと良いのか?そもそも「かっこいい」の定義は?かっこいいものを身につける事は精神的充足に繋がるから。かっこいいとは見ていて嫌悪感を抱かず、むしろ快楽や憧れの念を抱かせるような事である。快不快問題だ。ちょっとトートロジーめいてる気もする。

いから。なぜ安いと良いのか?可処分所得の減少が少なくなるから。なぜ可処分所得の減少が少ないと良いのか?可処分所得の消費による購買の機会を増やし、効用の追求機会が増えるから。快不快問題だ。

いから。なぜ高いと良いのか?高額な消費であればより大きな効用を得られるだろうという誤謬めいた判断快楽をもたらすから。高額の消費、及びそれを誇示する服を着ることが収入の高さ、引いては社会的評価の高さを示唆し、自尊心の向上や社会的承認が得られるから。快不快問題だ。

もっと言えばエシカルコンシャスネスだとか、造形の斬新さや精緻さ、テーマ性の反映度合いや精神性が云々だとかいくらでもあるけど、それらを測る評価軸はどこから湧いて出きたのかという事になる。

いずれの評価軸も快不快好き嫌い問題へと収束していくはずだ。デニムなんかで着心地が悪いからこそ「良い」みたいな美意識もあるだろうけど、それも然りだろう。

いつからかあってこれからもあり続けるであろう自然法則所与の前提として持つ自然科学と違って、何が良いかという判断においては意図的に何かを前提として置かなければならないのだから感覚的な部分に頼らざるを得ないのは当然に思える。

ただそれだと必ずしも多数派に支持されない「権威」の存在説明がつかない。

ハイメゾンの攻めたコレクションを見て賞賛を送る人間多数派だろうか?もっと定量的にいけばジャンルを変えてトマトメーターでも見れば分かるけど、権威大衆意見は必ずしも一致しない。それなのに権威意見が良し悪しの評価に無影響だとは受け取られていない。

謎すぎる。

世界共通自然法則支配される存在であって、かつ誤差みたいな個体差はあれどほぼ構造も似たような生き物同士なんだから、何かしら共有されている本質的感覚があるのだろうか。

それはまああるか。

様々なノイズを除去しながら、そういった本質的ものを見極めて評価対象物と照らし合わせる技能を持った人間が伝導師として権威を握っているんだろうか。

ただ人類共通感覚って言ったって大枠のものに過ぎない気もする。ドブ川の水を啜って美味いと感じる人間は多分いないだろうけど、椎茸を美味いと感じる人間もいれば嫌いな人間もいる。

アレルギーでもなきゃ、食わせ続ければいつかは美味しさを「理解」して好きになるのか?

宗教規範から脱却したように思えてその実人々が未だ様々な信仰に基づいて生きている点は全く変わらないように、本質主義だとか教養主義だとかが社会の中で生き永らえているだけの話なのか?

多数派が好き(あるいは嫌い)だと思わないようなものについても、新たな価値判断基準提示して「言われてみれば、確かに……」という共感を呼び、考えを変えてしまうような魔力を持った主張の出来る人間権威を握るのか?常にそれが達成される訳ではないにせよ。

論理的分析してみた所でそれが良いかいか論理ではなく基準問題なので、共感の方が重要に思える。

基準に沿った判断合理的にやっていけるけども、基準のもの妥当性はより上位の基準しか判断出来ない。好き嫌いというのは恐らく最上位の基準であって、それ以上の基準はなく共感によって一変してしまうのかもしれない。

これなら原則として良い悪いが好き嫌い多数決によって決まるという説の中でも得意的に良い悪いへの影響力を持つ事がさほど矛盾しない気がする。一番しっくり来るかもしれない。

哲学世界ではとうにこんな議論もグチグチと交わされてるらしいけどおれの中では前向きなニヒリズムが一番納得感があるし、それ以上の理屈を求めようという気にもあまりならない。

Permalink |記事への反応(1) | 20:32

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2024-06-08

論理大事だというのなら、価値規範を考えるにあたって必然的に一度ニヒリズムへと辿り着くと思う。

まず起点として不条理にもまっさらなその状態があって、そこから先に何を信じるかは各々の勝手だと思う。そうであるべき、というか単に事実としてそうとしか思えない。

道徳的直観みたいな存在あんまり信じられない。多少のバラつきはあるにせよある程度普遍的なその感覚存在するのだとしたら、ここまで社会規範が多様な状況について、同じ前提から展開される論理独自性だけで説明がつく気がしない。

個人の行動原理としてブッディズムなり刹那主義なり実存主義なり、あるいはニヒリズムに留まってただただ絶望するなり。社会思想としては民主主義なり社会主義なりアナーキズムなり。あるいはその両方を包括する宗教なり。

あくまで前提としてニヒリズムがあって、そこから何かしらの信仰再帰的に持つ事で初めて自分確信に基づいて、あるいは環境によって刷り込まれることで価値規範が手に入る。

あるいはあらゆる規範を一度無へと返す段階を経ずに、元々信じていたものを揺るぎない真実だと思い続ける人もいるかもしれない。別にそれで全然いいとは思うけど、その「真実」他人も当然共有していると思われるとちょっと面倒臭い。せめて、少なくとも社会的には権威・影響力を持っているくらいの認識でいて欲しい。

そういった信仰を持たない事を誇ったり、スタート地点のニヒリズムに居座って全ての無意味を悲観的に嘆く。その上他人もその世界観を共有している、あるいは共有されるべきだと信じて疑わない。

そんな人間冷笑野郎だと罵るのであれば、まあ分からんでもない。

別にそういう態度を他人に向けて喧伝するんでもなければ外野がとやかく言うのも余計なお世話だろとは思いつつ、まあおれもいけ好かないとは思う。

もし本当に何の信仰もなければ何の行動原理もない訳で、そしたら石のように沈黙するか、あるいは一切の規範に囚われることな本能に従って野獣の如く振る舞うんじゃないかと思う。

ただ、ニヒリズムを前提に置く事を以てして冷笑呼ばわりしたり、その癖私は論理的ですけど?みたいなスタンスを取るのはゴミカスだろって思う。

Permalink |記事への反応(0) | 23:00

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2024-06-03

カント定言命法ってなんかそれっぽい用語を使ってるから何らかの原理みたいに思えるけど、要するに仮言命法とは違って論理性という錦の御旗のないただの主義・主張でしかないんじゃないか?って思った。

他人に最低限の敬意を持ちましょう。って言われてまあそうかもねっていう素朴な共感はあるけど、それは感覚問題であってそこに論理はない。もっと言えばその感覚すらも社会的形成されたもの、というかキリスト教倫理規範のものなんじゃないか?って思う。

じゃあカントによる道徳の再定義正当化も、論理性・合理性という現代(?)風な科学ツールで飾り立てつつ、結局は聖書価値規範リブートしただけなんじゃないか?って思った。

もっと遡れば、じゃあその他敬を良しとする社会はどう構築されたののか?無から湧いてきたのか?って問題が出てきそうだけど。

神様がそうしたからです、という答えなら簡単に済む。人にそういう機能プリインストールされてるからです、だとそれも道徳正当化に使えそうだけど、事実規範すり替えないといけない。

道徳根拠として定言命法を持ち出すのは、少なくとも論理で語れる面については色々と新しい発見をしているすごいカント先生の言う事だから説得力があろうっていう権威主義的な要素もあるんだろうか。

実際に人間尊厳という概念社会に影響を与えているというのは事実にしても、それは別に論理必然性との関係はないよね?って思う。

そんなに徹底して厳格に理詰めで考えてたら、そもそも規範なんてありませんというニヒリズムに辿り着かざるを得ない。

じゃあある程度は感覚的なもの依拠する規範公理として置いて、そこから道徳の話を始めようって事なのかもしれない。それがキリスト教人権思想かは知らんけど。

そういう話ならまあ分からんでもないけど、それだとかなり重大な前提条件あっての議論な訳だし、それをさも論理的に話をしてるんですけど?みたいなスタンスで行くのは欺瞞じゃねえか?

って倫理学の講義聞きながら思った。

Permalink |記事への反応(0) | 21:50

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