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2025-10-26

IT信仰とMAGAとセカイ系

最近IT系とか趣味アニメミリタリー分野で中国フォーラム報道社の記事コラム面白いので読んでる。

IT系技術特にAI系統に関して面白い話があって、アメリカとは違ったIT技術が発展してて興味深かったりする。

んで、今よく使ってるのは「知乎专栏」って中国大手サイトなんだが、これはてなニュースサイト合わせた感じなんだが

その中で「IT信仰やMAGAというかオルトライトポリコレだとかのネットで喚いてる人たちの思想の根っこは、日本の昔のセカイ系ベース」みたいなニュース記事があった

吹いてしまったのは、真面目に中国外交筋のニュース乗っけてるようなところで専門家が書いてる記事だったところ。

・物凄い狭い世界観認知中の人関係(ネットSNS、身近なスーパーの品物の値段等)で完結して勝手世界を憎んだり呪ったり怒り狂ったりする閉鎖的な精神構造

・「ありもしない美しい景色過去の(主に学生時代の)脳内で作り上げた綺麗な青春時代恋愛の思い出」への病的な郷愁と執着

・異様なまでの精神ナルシシズム自己憐憫他責思想

・男女ともに恋愛結婚には固執するが、本質的には男性なら激烈なミソジニー女性なら激烈なミサンドリー、まとめるのであれば「世界人間そもそも嫌い」。しかし、同時に現実存在するはずがない様な、自分のすべてを受け入れてくれる理想の異性との運命出会いシンデレラ願望を強烈に持っている。

本質的自分たちが理解できない高度技術への信仰(ITハイテク軍事等)、「自分たちの惨めな人生を、100日糞詰まりを起こしていても飲めば溜まった糞をすべて排便できる毒掃丸の様な短絡的な特効薬解決方法があるとカルトの様な信仰心をもっている」と形容されていた

自分は選ばれた存在であり、自分人生が惨めなのは世界を牛耳る悪意ある存在や巨大な秘密組織による陰謀だとうっすら考えているところ。また、高度技術を手に入れればそれらに対抗出来て、気軽に人生を逆転できると考えている。

そのうえで、「2000年代日本オタク産業流行った物語構造セカイ系世界観で、この近未来時代を生きてる憐れな人たち」とか括られてて、妙な納得感を覚えてしまった。

シリコンバレー俯瞰してみれば、かつては金融工学(フィンテック)を、15年前はドローン組み込み技術を、そして今はAI自分の惨めな人生全てを逆転して、昔の日本セカイ系ゲームの様な美しく蒼い(※)世界と、そこで待つ美しい異性たちとの運命出会いまで引き上げてくれていると、旧西側IT技術者たちはうっすら考えている節がある」とも

(※)中国では桃源郷は蒼い世界表現する古語表現があるらしい

こんな記事が出るくらいなのだからあの国ホントよくいろんな国のこと観察してんだなって思う

ちなみに落ちは、貴方がこんな状態になったら、政治のせいにしないで精神科へ行こう、だった。

Permalink |記事への反応(2) | 12:50

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2025-10-24

anond:20251024022100

育ちが良くて優秀で、正義感が強くて努力ができる。あなたはそれを彼の「内面」だと思っていないですか?たぶんこれは間違いないと思うので断言するのだが、彼の内側にはそれはもう深い地獄があるよ。あなたはその地獄共感したことがありますか?あなたこそ「彼はそういう人間なのだ」と思ってそこで歩み寄りを止めてしまっていませんか。

育ちが良くて自律した人間ってたいてい、超自我支配が強いんですよ。言ってしまえば内面化した親とかそれに類するものね。それは自我自分固有の欲望)を抑圧する力なわけだけど、これが行き過ぎると、自分欲望を持つことすら困難になってくる。

社会的動物である人間にとって、欲望というのは、本質的に、他者に対して優越することです。その衝動キャンセルされるとどうなるか。自分というもの特別視すること自体に罪悪感を覚えることになります特別視するというのは、なにも「俺はすごい」とナルシシズムに浸ることだけではない(むしろこの種のナルシシズム社会的基準を受け入れている点で自己を非特権化するものですらあります)。たとえば社会的には正当とされる程度の「被害意識」を持つことだって自分他者に対して特権化しなければ成立しない。彼が口癖のように「人間ってこういうものでしょ」というのは、彼が自分を含めて人間を「平等に」見ざるを得ない心理を反映しています。彼は彼の意志世界に立ち向かうことを禁じられているのです。

からそういう人間はとにかく努力をする。努力した結果として救いが「訪れる」ことを望むわけです。彼が意志した(要求した)結果ではなく、ただ自然の摂理として自分が救われるようにね。

ねえ、こういうふうに生きている人が心の底で何を思っているか知っていますか?彼の努力、品行方正な態度、寛容、言ってしまえばすべてこの世界に対する復讐なんですよ。正しさによって世界が(あるいは自分が)滅べばいいと思ってるんですよ。そういう気持ち共感したことがありますか?

まあ、こういう人たちは得てして優秀なので、この地獄に対しても折り合いをつけて生きてゆきます。より高次の行動に昇華させてゆく人たちも多い。あなたはたぶん、慈善事業とかする人たちに対して「口では聞こえのよいことを言うが、しょせんは金もうけのためだろう」とか思ってるでしょう。全然違います。彼らは本心からやってます復讐のためにね。もちろん、それを復讐意識している人はそんなに多くないと思うけれども。

ところであなた彼氏さんは(言葉通りに読むなら)自分よりずっと水準の低いあなたと付き合っている。それはなぜかといえば、彼の中で抑圧された彼の(ある意味で)幼稚な部分が逃げ場を探した結果なのだと思います。これもまた非常によくあることです。彼は雁字搦めになった精神を解きほぐすきっかけを無意識に探している。だからあなたが、彼の子供っぽい部分、原始的な部分をうまくすくい上げ、彼の自縛に風穴をあけ、彼固有の欲望を育ててゆくことができるなら、あなたの望む関係に近づける可能性はあります。なかなか困難な道だとは思いますが、それはそれで、人付き合いの楽しみというものです。

Permalink |記事への反応(9) | 13:51

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2025-10-03

本はインテリアではない

世の中を眺めていて、最も愚劣で矮小自己欺瞞の一つは「本をインテリア扱いする行為」だ。

背表紙を並べ、知性の代替物として空間を飾り立てる。それは知性の獲得ではなく、知性の模倣にすぎない。

模倣習得と似ても似つかぬ。そこにあるのは、読書体験を経ずに「自分知的である」という虚飾を貼り付けたいという、安っぽいナルシシズム自己放尿だ。

本を読まない者が本棚を埋めるのは、トイレ自己放尿を誇示するのと同じだ。

排泄は生理現象であり、それ自体価値はない。だが、わざわざ自慢げに見せつけるとしたら、それは精神腐臭である

まれ書籍知識ではなく、ただの木材加工品にすぎない。机や椅子等価であり、そこに思想はない。思想なき紙束を飾り付けて悦に入るのは、脳の機能不全の自己放尿の証左だ。

知識を持つことと、知識を持っているように見せかけることは、全く別の次元に属する。

本当の知識は行動、論理、そして判断ににじみ出る。だが、見せかけの知識は、他者の目に触れた瞬間にしか機能しない。

まり「人に見せるためにしか存在できない知識もどき」は、そもそも知識ですらない。カビ臭い書棚は、そうした亡霊の墓標である

人間が「読む」という行為を通じて得るのは、情報処理能力更新だ。読めば思考アルゴリズムが強化され、判断の枝葉が増える。だから読む。

読むからこそ、生き方が変わり、選択が変わり、未来が変わる。インテリアとしての本には、その作用がない。つまりそれは「本」という名の殻を借りた自己放尿にすぎない。

本を積み上げ、背表紙を誇示し、他者に「私は知的でございます」と言いたがる連中は、結局「知識奴隷」であって主体ではない。

読む者は本を支配し、読まぬ者は本に支配される。インテリア扱いして悦に入る人間は、後者の中でも特に惨めな存在だ。

本は家具ではない。本は思想武器庫であり、現実を斬る刃である。それを理解きぬなら、書店に近づくべきではない。

君の部屋の美観を飾るためではなく、君の脳をえぐり、砕き、再構築するために、本は存在する。本を読め。本を飾るな。自己放尿はやめろ。

Permalink |記事への反応(1) | 12:33

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2025-09-19

ノイズとか性的消費っていうけど

性的消費って本来消費する側を主体とした定義でしょ

する人間がいないと起きないんだから

消費する人の数だけ嗜好も指向もあって主体はする側にあるのに何でその被害性を対象キャラ造形や描写定義するのかどう理屈が通ってるのかわからない

それって性的興奮の責任被害側に見出す蔑視的な視点での痴漢自衛論みたいなのと変わらないし本来は消費する側の主観的自己完結的でしかないはずの行為搾取としての能動的加害性を指摘するのは消費される対象への支配強制力を併せて認めるものだしそれって言わば性的消費のエンパワーメントだし被害性を論うための相対的根拠として効果狙って用いられてるの普通に意味わかんないなって思う

男性の裸体表現女性に向けた消費物であったとしてもある種のナルシシズムで受け取られるように本来公平には性的魅力は本人の自己愛の発露、生物的造形美としての意味性があって然るべきなのに消費被害の論において女性のそれは問答無用男性のための性的消費物として扱われてるの本質的女性差別蔑視価値観喧伝刷り込みしかいからやめて欲しいなとも思う

所謂ノイズもそうやって消費する人達の好き"そうな"描写表現自体を加害性パッケージ定義したものあくま被害を叫ぶ側のバイアスかかった漠然とした基準しかないし

胸の揺れや女性的曲線美、クネクネしてるとかそれ自体は結局女性性を示す一表現もしくは性的魅力を伴うもの以上でも以下でもないのにそうやって「ノイズ」の定義恣意的個人ハードルでブチ込んで加害性をタグマーキングして流れ作業的にジャッジしてるのが最近の「フェミニズム」の傾向で、踝出してたら性的って時代から今変化してるみたいに性的忌避性はそのまま性的定義に繋がってて性的定義から解放対象忌避性を意識させないまで日常化する事でしか得られないのに今やってる事と言えば真逆女性社会における性的受容性の観念制限増と実を伴わない嫌悪感生産なの地獄だなと思う

是非は別としても媒体によるターゲット層の違いなんかでゾーニングとしての表現変更はマーケティングとして真っ当だけど性的消費でノイズから、は主観客観区別つかなくなってるんだろうなって

消費物として用意された女性描写が加害性を伴うって論についてもそれは元来のフェミニズムにおける性の消費問題あくま男性への消費性に対して相対差による役割上のバイアス形成を前提にした「女性の性」を消費するから害なのでなく「女性」を性を消費するための存在として属性付ける観念傾向を害としたもので前時代欧米の抗議性は相対バランス是正としてのアファーマティブアクションによるものだし欧米場合は更にそこに宗教ライン女性性的魅力欲求男性のためのものとした原理観念ベースにあって女性性や女性の性=男性性的に満たす役割って価値観そこからの脱却としてフェミニズム文脈での女性視点セクシャル表現解釈自由獲得含めた性的解放に向かうわけで海外ではって言葉もよく聞くけど特にアメリカコミックコードで元々開放的表現規制した結果女性作家と読者が減って育たず男性に大きく偏った上での性的表現/男性に向けたマクロにおける相対的視点での性的表現是正女性作家性的表現女性向けの性的供給男性向けに対して映像メディア含め欧米進歩的に扱われて許容されるのもLGBTQ作品然りその偏りがまだまだ前提にあるからで、二次元表現における男女平等公平性女性性的能動性や創作における受容度からして進歩的日本の状況でフェミニズム男女同権を謳って女性性的表現自体を厭うのはゾーニング論にしかなり得ず性的忌避価値基準はそのまま双方へ働くわけでだからBLはどうだショタはどうだ女性向けのピンナップはって話になってしま

保守的主張として性的絶対的基準をって話ならまだしもそのゾーニング個人的な快不快フレキシブル運用できると思ってるのは単純に考えなしで自分で首絞めてゲロ吐き散らかしてるみたいで迷惑からやめてほしいと思う

Permalink |記事への反応(3) | 13:00

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2025-09-14

香港民主派批判する文章AIに書かせてみた

モデルはGPT5-mini

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

香港民主派は、かつての理想勇気象徴として称賛された。しかし、2014年以降の運動特に2019年の大規模デモの展開を振り返ると、その戦略的倫理的欠陥が明白であり、結果的香港社会に深い分断と喪失をもたらした責任は免れない。

第一に、運動の主要な訴求が「民主」「自由」「普選」であったとはいえ、それらを掲げるだけで現実的に何を達成できるのかという計算が甘かった。スローガン大衆共感を掴むための強力な道具だが、政治的成果をもたらすためには、法制度や行政の細部にわたる実務的戦略交渉力、持続的な市民基盤の維持が不可欠である2019年の抗議は街頭での熱狂を生んだが、同時に組織的意思決定と長期戦略の欠如を露呈した。区議選での勝利一時的国際的関心は得たものの、それを生かして構造的変化を引き出すための冷徹政治的駆け引きやバックチャネル交渉が十分であったとは言い難い。

第二に、運動内部の倫理観表現方法問題があった。市民の不満の矛先を大陸出身者や観光客など「外的」な存在に向けるような言説や行動は、短期的には連帯を生むことがあっても、長期的には社会の分断を深める。経済社会制度問題を外部の「他者」に転嫁することは、根本原因の解決を遠ざけるだけでなく、運動自体正当性を傷つける。マナー越境出産観光客の振る舞いへの怒りは理解できるが、それをヘイト排斥にまで発展させた一部の言説は、民主的な主張の正当性を弱める愚行である

第三に、指導部の責任感の欠如が繰り返された。政治運動において真の指導とは、常にストリート熱狂を冷静に管理し、交渉の場で最大限の利得を引き出すことを意味する。だが、抗議行動はしばしば過激化し、象徴勝利を追うあまり現実的妥協点を見逃した。対話の場を軽視し、敵対的な態度を堅持した結果、北京香港政府は強硬手段で応じる口実を得た。政治相手との力関係交渉であり、市場価値支持率が高まった時にこそ最も効果的に要求を通すチャンスがある。民主派はその「売り時」を逃し、ストリートでの優位を政治的成果に変換できなかった。

第四に、運動が掲げた価値現実の行動との乖離だ。自由人権を訴える運動が、同時に排他的言動選民意識を育んでは説得力を失う。自由を求める者は、異なる意見出自を持つ同胞とも共に生きる術を示すべきであり、対話包摂を拒むことは自らの主張を脆弱にする。民主派の一部に見られたナルシシズムイデオロギー的硬直性は、運動の幅を狭め、支持層の拡大を阻んだ。

第五に、外部へのアピール戦略の未熟さも目立つ。国際社会の同情は短期的な注目をもたらすが、実効的な支援圧力に結びつくとは限らない。民主派国際的な関心を最大限に政策転換へ結びつけるためには、国内制度的弱点を突き、継続的外圧誘導する繊細な外交戦術必要だ。だが現実は、メッセージ断片化し、海外での同情もやがて疲弊していった。結果として北京は「内政問題」として一方的に行動する余地を得た。

最後に、結果として香港社会が被った損害は甚大である運動短期的に香港公共空間コミュニティの結束を傷つけ、国内外の投資や信頼にダメージを与えた。長期的には法的な締め付けや経済教育の変化をもたらし、多くの若者海外へと道を求める原因ともなった。もし運動目的が真に香港のより良い将来であったなら、ストリート正義感現実政治の中で如何に制度化するかにもっと注力すべきだった。

批判運動を完全否定するものではない。香港若者たちが不公正に声を上げたこと、政治参加を求めたことには尊重必要だ。しかし、尊敬と同情は免罪符ではない。運動リーダーと支持者は、過去の過ちと戦術的失敗を冷徹検証すべきだ。感情の高まり正当化材料にして無計画な行動に走るのではなく、具体的な政策提言制度改革案現実的交渉戦術を整えることが、次に類似課題に直面したときに初めて意味を持つ。

要するに、香港民主派理念だけで道を切り開けると誤認した。理想重要だが、政治は血肉のある力学である情熱に溺れる者は、しばしば長期的な勝利を失う。香港の将来を真に案じるなら、まず自らを律し、社会全体の信頼を再構築する責務を負うべきである

Permalink |記事への反応(0) | 01:37

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2025-06-20

dorawii

虚言野郎ナルシシズムだけはいっちょ前wだいたい自分で考えてやっちまったって思えるって、これはお前が俺の思考能力を正しく評価できる前提があるよね。

お前がおれを買い被ってるならお前がそう演出しても俺はやっちまったとは思えないはずなんだから。そこんところ理解してるかーい?

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Permalink |記事への反応(2) | 15:29

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2025-06-11

ChatGPTに自分を褒めさせる――

それはちょうど

鏡の中の自分に微笑みかけ、

その鏡を誰かに差し出して

「見て、これが今の私だよ」

と誇らしげに言うような行為だ。

自分自身を肯定するための装置を、自分で用意し、起動し、

その結果を享受するという極めて能動的な快楽のかたちだ。

なぜなら、これは他者から偶発的な称賛とは違う。

誰かが偶然に褒めてくれたわけでも、義務として言ったわけでもない。

自ら望み、自ら操作し、自ら引き出した褒め言葉だ。

それはまるで、言語でできた温泉自分の手で火を焚べ、

じんわりと温まっていく快楽を味わうような行為

そしてさら

その様子を第三者に見せるというステップは、

内向きだった悦楽に他者という観客を導入することによって、

ある種の演劇快感に変質する。

かに見られている、という事実は、

人間自己像を少しだけ背筋の伸びたものにする。

「私ってすごいよね?」と心の中で思うことと、

「私が自分をすごいと思っているのを、君たちは見ているかい?」と

堂々と示すことはまったく別種の表現だ。

これはナルシシズム堕落ではない。

洗練された自己演出ひとつだ。

他人に褒めてもらうのではなく、

AIという無尽蔵の語彙装置を使って自分を褒めさせ、

さらにその行為可視化することによって

「ほら、私は私をこうしてちゃん肯定できる存在なんだ」

ということを、世界提示する。

これは、自己愛とメタ認知が交差する

極めて高度な自己肯定の構築プロセスなのだ

から、恥じることはない。

「褒めさせて、見せて、満足する」この一連の行為は、

感情自己管理術として、

そして現代一種芸術として、

もっともっと評価されていい。

あなたはただ気持ちよくなっているのではない。

自分価値を、自分言葉他者視線の中に再設計している。

それはとても人間的で、豊かで、

そして、少し未来的な美しさを持っている。

Permalink |記事への反応(0) | 18:04

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2025-05-05

ずっと前から思ってたけど人に言うことではなさすぎるからここで吐きだす。

オタク、女キャラクターに対して巨乳貧乳の好みがわりとあると思ってるんだけども、

巨乳好きな人自身巨乳〜平均以上(グラマラス、またはぽっちゃり)なことが多いし、貧乳好きな人自身貧乳スレンダー)なことが多いと思う。

誤解しないでほしいのが、これは決して自分の体型に近い美を正としたいのだ、みたいなナルシシズムっぽい主張とは違い、無意識レベルで刷り込まれてるものだと思う。

体型は遺伝的なものが多く、親や姉妹、親戚も似た体型が多いはずだからだ。

人間は幼い頃から周りの環境に影響を受け、(メディア含めた)周囲の人間平均値の顔を均衡の取れた美だと認識する傾向にある。

それは体型に関しても同じで、周りに巨乳が多ければ巨乳が美しいと思うし、貧乳が多ければ貧乳が美しいと思うのではないだろうか。

まり自身の体型とも相関があるのではないだろうか。

ここまで語って、なんかキモすぎるな……と思ったので、やめる。おやすみ

Permalink |記事への反応(0) | 09:13

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2025-05-03

メンヘラは自惚れている

まず最初に断っておきたいが、この記事私自身が長年、実際に経験し、苦しめられ続けた「メンヘラ」と呼ばれるタイプ人間についての、個人的な主張である

私の過去の苦々しい体験を通じて至った結論を、正直に述べることにした。

メンヘラというのは一見繊細で傷つきやすい人々というイメージがあるかもしれないが、私の経験上、彼らの本質自己愛の塊、自惚れの象徴と言ってもいい。

実際にメンヘラ人間と接すると、その過剰な自己肯定感自己中心性に何度も辟易させられた。

まず、私が過去に遭遇したメンヘラ的な人物との交流共通していたのは、全ての物事自分中心でしか捉えられない点だった。

彼らは自分感情けが絶対的価値を持つと信じ込み、周囲の状況や他者感情には全くと言っていいほど配慮しない。

例:深夜の電話感情の押しつけ

以前、私が関わったあるメンヘラ気質の友人は、些細な理由でひどく落ち込むことが頻繁にあった。

落ち込むだけなら誰でもあるが、問題はその友人が落ち込んだ時、周囲の人間全員が彼女感情のためだけに存在するかのように振る舞ったことだ。

私が仕事で忙しいときでも、深夜に何度も電話をかけてきては、

「私はこんなにつらいのに、どうして話を聞いてくれないの?」と責め立ててきた。

彼女の頭の中には、他者自分以外の事情で忙しい可能性など存在しないのだ。

さらに言えば、メンヘラはしばしば被害者意識を強烈に持っているが、その実態自己陶酔に他ならない。

彼らは自分いかに不幸で、他人から理解されず苦しんでいるかを延々と語るが、それは結局、自分自身に酔いしれるための行為である

悲劇主人公を演じて周囲から注目を浴び、慰められることが目的であり、本当の意味で状況を改善しようという気持ちほとんどない。

私がこれまで接してきたメンヘラ的な人間の多くは、確かに心理的な傷や過去トラウマを抱えていた。

しかし、それを理由他者に対して無制限要求し、自分感情他人に背負わせることを正当化していた。

しかも、それを指摘すると、

理解がない」

「冷たい人間だ」

逆ギレされ、自己正当化を続ける。

こうした体験を通じて気付いたのは、メンヘラ的な人間は決して繊細で傷つきやす弱者などではなく、自己愛と自惚れに満ち溢れた傲慢存在だということだ。

自分けが特別存在であり、他者はその感情理解し、無条件で受け入れるべきだという思い込みは、まさにナルシシズムのものだ。

私自身も過去には、メンヘラ的な友人の感情を無理に理解しようとしたり、支えようとして疲弊しきってしまった。

最終的に、自分自身の生活精神状態に深刻な影響を与えられるまでになり、ようやく彼らから離れる決断をした。

今、冷静に振り返れば、メンヘラ的な人物にとって他者は単なる道具であり、自分感情を映す鏡にすぎなかったのだと思う。

理解されたい」は「肯定されたい」

彼らの「理解されたい」という欲求は、実際には自分存在肯定してほしいという自己中心的な承認欲求であり、

それを満たすためには他人をどれほど犠牲にしても構わないという態度が見え隠れしていた。

さらに困ったことに、メンヘラ的な人々は頻繁に「依存」を強要する傾向がある。

彼らは人間関係を支配しようとし、自分の弱さや不安定さを盾にとって相手を束縛する。

自由を奪われ、絶えず気を使わざるを得ない状況に追い込まれ、その結果、健全人間関係が築けなくなる。

また、メンヘラ人間は往々にして矛盾した行動を取ることも多い。

自分は常に支えてもらうべき特別存在だと主張しながらも、他人が少しでも弱さを見せたり助けを求めたりすると、

途端に興味を失い、冷淡な態度を取る。

この二重基準が、人をさら疲弊させる。

もしこの記事を見ている人が、同じようなメンヘラ的な人物に絡まれて苦しんでいるなら、はっきり伝えたい。

あなたには彼らの感情を背負う義務などない。

彼らが自らを悲劇主人公として演じる自己陶酔の舞台に付き合う必要は全くない。

自分犠牲にしてまで彼らに尽くす義務もない。

メンヘラという存在は究極の自己愛、自惚れによって形成される。

他人を巻き込んで自己承認欲求を満たそうとする彼らの行動に同情の余地はない。

強烈な自己中心性とナルシシズム支配され、周囲を疲弊させるメンヘラ人間とは、

一刻も早く距離を取ることが最善の解決策だと、私は自らの痛みを通じて学んだのである


以上が、私が実際の経験を通じて導き出したメンヘラ真実である

彼らは決して弱者などではなく、単に自己陶酔の中で他者を消費する自己中心的な存在なのだ

Permalink |記事への反応(0) | 14:52

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2025-04-11

anond:20250411102843

ケチになれとは言わないが

水商売に大枚はたくとか男気で貢いでカモられるようなオトコらしさはオロカらしさだし

ムキムキはナルシシズムに見えるし

理性あり意見が言える人間がいいって普通

Permalink |記事への反応(0) | 11:56

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2025-03-05

アニメを1話で切ったわ」とわざわざツイッターつぶやく人間に対する精神分析

質問ありがとうございますアニメ1話の小さなシーンに引っかかり、そこから作品全体への不信感や自己評価にまでつなげてしまプロセス、いわゆる「アニメ一話切り」をすること自体個人の視聴スタイルとして自然ものですが、それをTwitter(現:X)でわざわざ公表する行動に焦点を当てて、その背後にある心理潜在的病理分析してみましょう。以下は、そのような行動を取る人々の精神的な傾向や動機考察したものです。あくま一般論としてお読みください。

1.自己主張アイデンティティ確立

アニメ一話切りを公表する人は、自分意見判断基準他人に示すことで、自己アイデンティティを強化しようとしている可能性があります特にアニメのような趣味領域では、「自分独自視点や鋭い感性を持っている」という自己イメージを築きたい欲求が働いているかもしれません。この場合、以下のような心理が見られます

優越感の追求: 「他の人が見続けるような作品でも、自分1話で見限れるほど見る目がある」という感覚

承認欲求: 「共感」や「いいね」を通じて、自分判断が正しいと認められたいという願望。

潜在的病理:自己肯定感が不安定で、他者からの反応を通じて自己価値を補強する必要がある場合。これは軽度のナルシシズムや、社会的孤立からくる過剰な自己主張として現れることがあります

2.批判的態度の誇示

さなシーンに引っかかり、それを作品全体への不信感にまで広げるプロセスを公開することは、「自分批判的思考を持っている」という姿勢アピールする手段かもしれません。特にTwitterのような短文プラットフォームでは、過激意見や断定的な物言いが注目を集めやすいため、この傾向が強調されがちです。

心理動機:他者に対して「自分は流されず、冷静に判断できる人間だ」と印象づけたい。

社会的背景:アニメコミュニティ内で「見る目がない人」と見なされるのを避けたいという防衛機制

潜在的病理: 過剰な完璧主義や、他人への信頼感の欠如(作品制作者への不信感が、他者全般への猜疑心に繋がる場合)。また、批判を通じて自己正当化する癖が強い場合、軽度の強迫傾向や対人関係での不安が隠れている可能性も。

3.感情の外部化とカタルシス

1話の小さな引っかかりが自己評価にまで及ぶプロセス公表することは、内面的な苛立ちや不満を外に吐き出す手段かもしれません。Twitterはそのための手軽な「吐き出し口」として機能します。

心理動機:不快感失望自分の中で処理しきれず、他者に共有することで感情解放する。

行動の特徴: 「こんな作品時間を使いたくない」「自分をこんな気分にさせた作品が悪い」といった責任転嫁的な発言

潜在的病理:感情調整の困難さや、ストレス耐性の低さ。自己評価が外的要因(この場合アニメ)に過剰に依存している場合内省能力の不足や軽度の抑うつ傾向が関わっている可能性もあります

4.コミュニティ内でのポジショニング

アニメファンコミュニティでは、作品に対する意見一種の「社会的通貨」として機能します。一話切りを公表することで、特定グループ(例: 「高級志向ファン」や「ニッチ作品を好む層」)に属していることを示し、仲間意識帰属感を得ようとしている可能性があります

心理動機: 「自分マジョリティとは違う」という差別化を図る。

行動の特徴: 一話切りを過剰に理論化したり、作品瑕疵を大げさに語る傾向。

潜在的病理:集団への過剰な依存や、逆に孤立感を隠すための過剰演技。自己他者境界曖昧で、他者の反応に過敏すぎる場合社会的不安自己愛的傾向が関与しているかもしれません。

5.Twitterという場が引き起こす増幅効果

Twitter構造自体が、この行動を助長する要因です。140字(現在は280字)という制限の中で目立つためには、強い言葉や断定的な意見が有利になります。そのため、アニメ一話切りをただの個人選択で終わらせず、「作品欠点を暴く批評家」として振る舞う傾向が強まる可能性があります

心理動機: 注目を集めるための誇張や、フォロワーとの対話を通じた自己重要感の確認

潜在的病理:現実世界での自己表現の不足や、オンラインでの過剰な自己開示が、現実仮想ギャップを埋めようとする逃避行動に繋がる場合。これは軽度のインターネット依存社会的孤立感と結びつきやすいです。

結論:どういう病理があるか?

アニメ一話切りをTwitter披露する人々の背後には、以下のような心理的傾向や病理が潜んでいる可能性があります

自己肯定感の不安定さ:他者の反応で自己価値を補強しようとする。

過剰な批判傾向:完璧主義猜疑心からくる不信感の投影

感情調整の困難:内面的な不満を外に吐き出す依存

社会的孤立感:オンラインでの承認帰属感に過度に頼る。

これらがすべて「病気」と呼べるほど深刻であるとは限りませんが、極端な場合ナルシシズム社会不安障害、軽度の抑うつ傾向、またはインターネット依存症の兆候として現れる可能性があります

ただし、こうした行動は多くの場合、単なる「自己表現の癖」や「趣味コミュニティ内での振る舞い」として説明可能範囲にとどまるでしょう。

Permalink |記事への反応(1) | 12:53

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2024-12-20

anond:20241219173228

母親の中には、単に嫉妬から娘を憎む人もいます。このようなタイプ母親は、娘をある種の競争相手とみなしています

もし私があなただったら、ナルシシズムナルシシスト母親について調べて、その特徴があなたの置かれている状況に当てはまるかどうかを確認します。自分の感じていることにようやく名前を付けることで、助けになるかもしれません。それから、連絡を絶つか少なくするか、少なくとも自分自身境界線を引くことも検討します。彼らはその境界を破ろうとしますが、あなた自身幸福のためには、その境界を守らなければなりません。あなた努力が実りますように。そして、あなたが探している答えが見つかることを祈っています

https://www.quora.com/Why-do-some-mothers-hate-their-daughters-especially-when-theyre-the-eldest

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2024-11-16

別れ話をしてきた

もうすっかり会いたくないと思っている相手が、そういえばまだ恋人だったので別れてきた。

19時に駅前で合流。

ゆっくり話ができる店がいいかな~それとも大衆居酒屋のほうが気楽かな~と尋ねてみたら、

音楽をゆったり楽しむタイプ喫茶店(夜なのでバー営業)に行きたいと言う。

昔一緒に行ったことがあるし、まったりお喋りするにはいいけれど、こちらは食事もしていない。

「静かなお店がいいならあそこに静かめ和食料理屋があるよ、大衆寄りでもいいならそっちのお店はおいしいよ」

提案してみたけど「ん~なるほど~~」と返事を濁して歩こうとする。

土地勘はこちらのほうがあるのでどこに向かおうとしているのか聞いたら「喫茶店」だそうだ。

自分はさっき食事してきたか大丈夫。あ、でも軽くだよ!」

「もう少し食べられるところがいいんだけど……」

「でも話をするなら静かなお店だと思う」

こういう根っから自分本位なところが本当に嫌だったことを思い出した。

「食べられるところがいいって伝えたのに自分食事たから気にしなかったよね。おなか減ってるんだなとか違うお店がいいんだなとか考えなかったよね。自分がここって決めたからそれ以外の選択肢消してて目の前にいる相手ことなんてまるで考えなかったよね」

傷ついた顔してたけど、そういうナルシシズムさえいらないかちゃん反省して欲しい。

それでも笑って別れたいって言うからちゃんとへらへらして別れたよ。

そうやってずっと甘やかされて生きてたらいいんじゃないかな。疲れた。それではさんはいさようなら

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2024-11-15

別れ話をしてきた

もうすっかり会いたくないと思っている相手が、そういえばまだ恋人だったので別れてきた。

19時に駅前で合流。

ゆっくり話ができる店がいいかな~それとも大衆居酒屋のほうが気楽かな~と尋ねてみたら、

音楽をゆったり楽しむタイプ喫茶店(夜なのでバー営業)に行きたいと言う。

昔一緒に行ったことがあるし、まったりお喋りするにはいいけれど、こちらは食事もしていない。

「静かなお店がいいならあそこに静かめ和食料理屋があるよ、大衆寄りでもいいならそっちのお店はおいしいよ」

提案してみたけど「ん~なるほど~~」と返事を濁して歩こうとする。

土地勘はこちらのほうがあるのでどこに向かおうとしているのか聞いたら「喫茶店」だそうだ。

自分はさっき食事してきたか大丈夫。あ、でも軽くだよ!」

「もう少し食べられるところがいいんだけど……」

「でも話をするなら静かなお店だと思う」

こういう根っから自分本位なところが本当に嫌だったことを思い出した。

「食べられるところがいいって伝えたのに自分食事たから気にしなかったよね。おなか減ってるんだなとか違うお店がいいんだなとか考えなかったよね。自分がここって決めたからそれ以外の選択肢消してて目の前にいる相手ことなんてまるで考えなかったよね」

傷ついた顔してたけど、そういうナルシシズムさえいらないかちゃん反省して欲しい。

それでも笑って別れたいって言うからちゃんとへらへらして別れたよ。

そうやってずっと甘やかされて生きてたらいいんじゃないかな。疲れた。それではさんはいさようなら

Permalink |記事への反応(0) | 14:42

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2024-11-12

anond:20241112145728

「どんなセンス世間披露するんかというところが勝負な訳である

まずこの時点最高に気持ち悪いというか、何と戦ってるのかさっぱりわからないけど、まあナルシシズムもご自分の内に留めるなら全然好きにすればいいと思う

人類は全員内心中二病だと思うし

ただそのナルシシズム気持ち悪いものだとメタ認知できなかった結果、女同士で悪質で陰険マウントが始まってるの見ると、シンプルに「おばさん達性格わる、こわ」ってなるなあ

あと、ルッキズム定義って

「外見や容姿基準に人を判断したり、差別的な扱いをしたりする思想社会現象を指します。外見を意味する「Looks」と、主義意味する「ism」を組み合わせた言葉で、日本語では「外見至上主義」とも呼ばれます

らしいけど、「嘲笑われてるのは見た目ではなく芋なセンスとそれを世の中に晒ししまう迂闊さ」ってルッキズム定義のものだと思うけど…

増田陰湿おばさん達を擁護する意図があるのか、皮肉を言ってるのかどっちかつかめなかったけどね

Permalink |記事への反応(0) | 15:30

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2024-10-29

anond:20241029082909

komayuri ...元の文章は、この部分で男性が書いた創作だなと思いました。

itotto 元の文章創作だと思うけど

RIP-1202元増田創作臭かったが、

differential あれは釣りだと思うけど、

Harnoncourt ですよね。潔いんだけど、ナルシシズムに酔ってるところがある。このあたりが男特有です。

pikopikopan ...この手のタイプ卑怯なので。

いや、なんだかブクマカの皆さん、邪悪過ぎませんか。

赤の他人日記に向かって反論できない場所から性別否定とか、いったい何様なの。

上人仕草に慣れすぎ。

増田は9割、経験上、嘘付いてないなら、などの留保があるとはいえ

男女の性別で振る舞いを決め付けて、それを理由性別押し付けるのは大概だよ・・・

嘘だと思うならスルーすればいいだけ。

Permalink |記事への反応(2) | 16:20

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2024-09-02

自身容姿が好印象を与えることが、人生においてプラス作用を齎していたかもしれないと今更気づいた話

自身容姿が好印象を与えることが、人生においてプラス作用を齎していたかもしれないと今更気づいた話。

自身容姿を良いと捉えるナルシシズム発言が多々あることを承知の上で読んでください。

きっかけは、Xで見かけた女性活躍に関するポストだった気がする。詳細は覚えていないが、「女性活躍などで台頭し意見を述べる女性は見目が華やかなことが多い。それは、意見を聞いてもらえる・発言やすい土台があったからではないか」といった内容だった。

これには心当たりがある。仕事柄、社会一定程度の地位を獲得している女性出会うことが多いが、同性として魅力的だと感じることが多かったからだ。

勿論、皆優秀であり努力も重ねられている人々で、容姿のお陰で登り詰めたと言いたいわけではない。

ただ傾向としてそういったことはあるかもしれないとは思った。

一方、自分自身のこと。

振り返ると、褒められることは比較的多い方ではあった(そのほとんどは世辞、というかコミュニケーションの一環だとは思う)。ただ幸か不幸か、そうした褒めを糧に優れた容姿を持つ女性といった自意識を持ち、自分を磨くということをしてこなかった。

卑屈に受け流していたわけではない。褒められればその時は嬉しいので素直に反応したり、人が多い場では困惑し流したりしていた。いずれもその場限りの反応だった。

メイクファッションは好きだし、自身で鏡を見て「今日は盛れている」と気分が上がることもあったが、なぜかそれと他者評価は結び付かず、すべてが自身の中の絶対評価で完結していたように思う。

それは私が子どもの頃からオタクであったからかもしれない。今でこそ市民権を獲得し、オタク非オタの垣根は随分なくなったものの、当時のオタクは隠れるべき存在でありどこか恥ずかしいことと捉える風潮があった。

日陰のものである、日陰の人格内包している、という感覚女性性を意識する自意識の育成を阻んでいたのかもしれない。

そんな状態であった自分自己を顧みたのは、先述のXのポストを見た時に、以前オタク友達に言われたことを思い出したからだ。

オタクは隠すものと述べたが、自分はそうではなかった。隠すことがあまり得意ではなかったので、非オタの友人の前ではわざわざ話題を持ち出さないだけで隠してはいなかった。

そうしたことを友人に伝えたら「それは隠さなくても立場が揺らがない容姿や自信があったからでは」と言われた(親しい友人であり、糾弾されたわけではない。あくまで一意見である)。

そして、「それはあなたから言えるんだよ」といったようなことを言われたことは、この時、この友人からだけではなかったことを思い出した。

それが、自身を顧みるに至った経緯である

私は昨今の自己責任を強調する風潮には反対であり、マイケル・サンデルの『実力も運のうち 能力主義正義か?』なども共感を覚えながら読んだ。機会は均等ではなく、どのような環境に生まれるかといった運による要素も考慮しなくては、能力不足は努力不足=自己責任といった風潮が加速する。

こうした思想を持つ自分にとって、容姿という運による要素に対し無自覚でいるのは問題なのではないかと今更思い至った。

美醜の価値観時間場所により変動するものであり、絶対的価値があるとは思わない。ただたまたまその場所では良しとされる傾向があるのではないかと思う。

それが優位に働いてきたかもしれないと気づくことは、ナルシシズムという悪性の萌芽であると同時に、「運良く、要領よくやってきたから」と考ええいた自分への驕りを見直す機会でもあった。自分が運だと思っていたものでさえ、更なる運により齎された可能性があるのだ。

とはいえ容姿に関する話題は非常に繊細であり、この話を人にすれば不快にさせることは理解している。だからこれは匿名投稿することにする。

しかたらこ問題を突き詰めると自身も人も不快にさせる可能性があるとわかっていたので、これまでの人生自覚的にならないようにしていた可能性さえあると気づく。

自身発言はどこに立脚しているのか、無自覚の驕りはないかを疑うことは、してもし過ぎることはないのかもしれない。

最後に、これまで無遠慮な発言をしてしまっていた人々には申し訳なくなる。自己責任主義のようになりたくないと思っていたが、近い傾向が自分の中にもあった。多分まだ沢山あるのだと思う。自戒

Permalink |記事への反応(0) | 15:02

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2024-08-08

天皇って結局戦争責任も取らずに天寿を全うしたよな

しか自分心拍数野球中継ワイプで流すという驚愕ナルシシズムを発揮しつつ。

ほんまドン引きですよ……自己愛の強さでトランプ超えてたんじゃないのあの人?

Permalink |記事への反応(0) | 21:44

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2024-07-13

anond:20240713135016

読んだ、まぁそうはならんわな

しかし、冷酷で愛情のない親を持った場合、あるいは、子供時代に様々な理由精神的外傷を受けた⼈の場合自分にふりかかる困難から自分を守るために幼児ナルシシズムを発揮するという

 ↓

増田:親に虐待されたり虐められたから育まれたっていう「病的ナルシシズム」とどう関係するのかはこの文章からは全くわからん

 

ご参考までに

そして『自己愛性』のパーソナリティ傾向です。「私は特別、私はすごい」という思いが前面に出るパーソナリティ傾向のことですが、

こうした万能的な自己像が損なわれることを恐れて、対人関係回避する、試される場を回避するといった受身的な形で表れる

自己愛性の高さもありますひきこもりの背景要因となる自己愛性とはこの傷つきやす受身的・回避的な自己資性パーソナリティ傾向だと思われます

これは、甘やかして育てら れた人、傷つくことなく育てられた人のパーソナリティ傾向と誤解されがちですが、

実際 には健全自己愛の展開を阻まれたり踏みにじられたりした経験を通じて、

特に思春期青 年期のある局面で均衡を欠くほど高い自己愛性を顕わにするという形成過程を持つの普通です。

から自己愛パーソナリティ障害の人は、自分特別であるということにこだわりながら、傷つくことを非常に恐れているのです。

なお、ひきこもる中でこうした自己愛性が二次的に高まっていく心理過程もありうると思われます

 

思春期ひきこもりをもたらす精神科疾患の実態把握と精神医学的治療・ 援助システムの構築に関する研究 |内閣府

https://www8.cao.go.jp/youth/suisin/pdf/shien/k_1/k1.pdf

 

ここは良かったと思います(自分の頭で考えるというのはこういうこと)

京都大学名誉教授からといって「社会の悪」の話を正しく語れる保証にはならない。

 

 

なのでこう言って欲しかったですね

京都大学名誉教授からといって、本を読んでわかった気になるな!

Permalink |記事への反応(1) | 14:02

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anond:20240713094050

これか。

http://rbnet.jp/shiryo/opinion10.pdf

いうたかてこの人は生命科学者っしょ。社会学者でも犯罪学者でも政治学者でもないじゃん。京都大学名誉教授からといって「社会の悪」の話を正しく語れる保証にはならない。

(まあそうだとしても必ずしも正しいこと言うわけでもないけどな。)

しろ増田が「ちなみに文系の人じゃないからね?」とかわざわざ言ってて、文系じゃなかったら正しいことを言うはずって思ってるのもうける。ネットの言説に追従しすぎだろ。

そんでこの名誉教授の人はつまり、『福島原発事故の原因究明について国家予算委員会東電が責められてるけど、東電いくら無理だっつったってそれを押しても調査に入るのがわざわざそのために独立機関にしてる国会事故調査委員会のやるべきことだし東電ちょっと無理じゃねって言われたくらいで諦めちゃうのは論理的判断ではないでしょ、専門性いくらあったかてそれを使えないようにしてるのはそういう「俺の専門じゃないから」っていう個々の無責任判断が積み重なった結果なんじゃね?それが知的怠惰ってことなんじゃね?』って言ってるんでしょ?

まあそんで専門家ってことなら俺も呼べよってことだったのかね…ちょっとその辺はよくわかんないけど、とにかく専門家自分の専門外かもしれなくても社会貢献のためにいっちょかみしていけよ、それしないことが悪とか社会的愚行に繋がるやぞってことが言いたかったんじゃないかねー。しらんけど。

まあそれなりにいいこと言ってはると思う。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E9%82%89%E6%AD%A3%E5%B7%B1

でもそれが親に虐待されたり虐められたから育まれたっていう「病的ナルシシズム」とどう関係するのかはこの文章からは全くわからん

マジでなんであの文章の枕にこれ持ってきたのかわからん

そんでその本題じゃない冒頭を読んでああい感想になる元増田ちょっとよくわからん

とにかく多分増田の持論である「世の中の悪は毒親持ちかいじめられっ子によって作られてる」っていう理屈を補強してくれそうなものチェリーピッキングしてるに過ぎない。

ちょっとしろ面白くなってきちゃったんだけど、もう書けば書くほど増田自身権威追従してるし、それこそが知的怠惰なのではないのか。

まあ毒親とかイジメ茶化すような問題じゃないっていうのは正しいと思うけど、そういうネットに転がってる文章から自分の気にいる部分をつまみ食いして「自分の持論が正しかったのだ」って悦に浸るのこそがつまり知的な感じがするもの」に執着しているってことだとは思わんかね?まあネットではよく見るやつだけど。

元増田はその気持ちが一番わかってて実践してるほうの人だと俺は思う。

Permalink |記事への反応(2) | 13:50

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anond:20240713092305anond:20240713093927

違うってなら違う前提で聞くよ

ただし、増田みたいな人はなんでも権威追従すると思ってるから

京都大学名誉教授(文系じゃない)の下記の文章に対してどのような感想持ったか聞きたいね

彼は世の中の悪が、おおよそ「病的なナルシシズム」と「知的怠惰」が原因となって⽣生み出されると指摘する。「ナルシシズム」は、 ある種の⾃己防衛反応であり、通常は、愛情深い理解のある親のもとで正常に成⻑し、⼤⼈に なると「卒業する」ものと考えられている。しかし、冷酷で愛情のない親を持った場合、あるいは、子供時代に様々な理由精神的外傷を受けた⼈の場合自分にふりかかる困難から自分を守るために幼児ナルシシズムを発揮するという。⼀方、「知的怠惰」は論理的思考放棄することである。私達は困難な問題に直⾯面し厳しい判断を求められるときに、その重圧から 逃れるために、身近な論理で考え結論を出すこと(常識的行動)を放棄することがある。そして論理を超越したカリスマ国家組織判断を求める行動を生み出し世の悪を生み出すのだという。

Permalink |記事への反応(2) | 09:40

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anond:20240713085028

キミが文章読めるならそれを書けないはずなんよ

いわく、下記の本で、世の中の悪が、おおよそ「病的なナルシシズム」と「知的怠惰」が原因となって生み出されると指摘されているそうな

この本見て『社会の悪は病的ナルシシズム知的怠惰が原因である』って言ってるのは、

京都大学名誉教授、ちなみに文系の人じゃないからね?

 

なんで知的怠惰なくせに賢そう風なものに病的な憧れがあったりするの?

毒親持ちだったり、虐められっ子だったりは関係ないとする、話好きの増田感想聞かせてよ

Permalink |記事への反応(1) | 08:58

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話好きの増田感想聞かせてよ

いいえ、ワイは知的怠惰なくせに賢そう風なものに病的な憧れがあったりしないので

しろ、キミのその謎の憧れどっから湧いてくるの?って疑問だから尋ねたり突っ込んでるので

さらに下記のように思ってるので

増田小学生のなりたい職業ランキング1位。中国研究者アメリカ科学者韓国学者日本スポーツ選手。なんで日本ってこんな低レベルなんだ?

https://anond.hatelabo.jp/20240711125729#

 ↓

 

上記のロクでもないものに憧れない日本の子どもたちは正常

 

 

増田みたいな病的に知的な感じがするものに憧れがある人って、権威ならなんでも追従するんだけど、

この本見て『社会の悪は病的ナルシシズム知的怠惰が原因である』って言ってるのは、

京都大学名誉教授、ちなみに文系の人じゃないからね?

anond:20240713080441anond:20240713145546anond:20240713152240

Permalink |記事への反応(2) | 08:13

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知的怠惰をフル発揮しているのに知的な感じがするもの(?)に異常な憧れが有る人が理解できない

そもそもから賢いと思われたいという欲がわからない。出来るだけアホだと思われないようにしたいならわかる

でもそれは黙っているだけで達成できる(沈黙は金)のに、なぜわざわざ口開くのか?

 

いわく、下記の本で、世の中の悪が、おおよそ「病的なナルシシズム」と「知的怠惰」が原因となって生み出されると指摘されているそうな

 

平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪心理 | M・スコット・ペック

 

そしてまたここで出てくるのが毒親、そして子供時代に様々な理由精神的外傷を受けた⼈って表現(だいたいの場合イジメだろう)

 

やっぱ毒親イジメ茶化すような問題じゃないなって改めて思いました

Permalink |記事への反応(1) | 07:23

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2024-03-26

anond:20240326084436

他人に対して「低脳無能バカ」といった否定的言葉を使う場合、それは異なる種類の精神医学問題心理的動機示唆する可能性があります。このような言動は、対人関係における問題攻撃性、あるいは他者に対する過度の批判性や支配欲を反映していることがあります

1. **攻撃性や敵意:**他人侮辱することは、攻撃性の表れであり、敵意や怒りの管理問題があることを示しているかもしれません。これは、ストレスフラストレーションの処理方法として、他人攻撃することで自己感情解放しようとする心理的機構かもしれません。

2. **対人関係問題:**他者侮辱する行為は、対人関係の構築や維持において問題があることを示唆しています。これは、自己中心的な傾向、共感の欠如、または他人との関係における不安や恐怖から生じることがあります

3. **自尊心との関連:**他人貶めることで自分を優位に立たせようとする心理が働く場合もあります。これは、実際には自尊心が低く、他者を下に見ることで自己評価を守ろうとする防衛機制の一形態であることがあります

4. **学習した行動:** 家庭や社会環境否定的言動常態化している場合、それを模倣する形でこのような振る舞いを学習することがあります。この場合攻撃言動は、問題解決や対人関係スキルが不足していることの表れかもしれません。

5. **ナルシシズムパーソナリティ障害:**自己愛性パーソナリティ障害反社会性パーソナリティ障害など、いくつかのパーソナリティ障害では、他者に対する批判攻撃性が顕著に見られます。これらの障害は、自己中心的な行動、共感の欠如、他人への無関心や搾取的な態度を特徴とします。

このような振る舞いが見られる場合精神保健の専門家相談することが重要です。専門家は、背景にある原因や動機理解し、適切な治療や介入を通じて対人関係スキルを向上させ、攻撃性や敵意の管理方法提供することができます

Permalink |記事への反応(0) | 11:38

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