
はてなキーワード:ドワンゴとは
安野たかひろ :1990年生まれ。東京大学工学部システム創成学科卒。ボストン・コンサルティング・グループ。
高山さとし :1986年生まれ。灘中学・高校卒、慶應義塾大学経済学部卒。ボストン・コンサルティング・グループ。
稲原むねよし :1989年生まれ。東京大学工学部卒。日本IBM。
角野なすか :1989年生まれ。東京大学工学部卒。リクルート。
小林しゅうへい:1990年生まれ。千葉商業高校卒。株式会社ドワンゴ。
みねしま侑也 :1990年生まれ。開成高校、東京大学法学部卒。ゴールドマン・サックス。
河合みちお :1990年生まれ。東京大学文学部卒。教育系企業。
山田ゆうじ :1990年生まれ。東京大学大学院卒。開成中学校・高等学校教員。
川端ゆうすけ :1990年生まれ。東京大学経済学部卒。総務省。
古川あおい :1991年生まれ。東京大学法学部卒。カリフォルニア大学バークレー校情報大学院卒。
前田みさ :1992年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。P&GJapan。
まあ、そういう政党なんだろうな。
ダンジョン飯が「お約束的世界観に対して上から目線でメスを入れ」るコンセプトだと聞いて意外だった。というのもあの作者がやってる事は当たり前の世界観構築の一つだと思っていたから。
>ダンジョン飯みたいな「古典RPGのお約束的世界観に対して上から目線でメスを入れようとする作品」が前から嫌いだった
https://anond.hatelabo.jp/20250427090957
多分なんだが、元増田はJRPG一貫でRPG黎明期とかに興味がないのではないか。
そういう約束事というのは最初からあったのではない。グラフィックがプアな黎明期に製作者達が共同幻想を構築していったので出来たものなのだ。
ダンジョンはそもそも城の地下に築かれる地下牢を指していた。中世~近世のヨーロッパには教育刑の概念はない。だから地下牢では拷問が行われたり単に囚人を放置して餓死させたりしていたし、灯火も無く発狂必須だったりした。大きさはそんなに広くはない。
そこから怨念が染みついた恐ろしい場所というイメージが付いた。
更に城が放棄されて崩壊しても地下構造は残る。そこで「崩壊した古城の地下には財宝が残っているかも」という妄想が付きまとうようになった。
1970年代のテーブルトークRPG(TRPG)の代表、D&D(ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ)ではこの妄想を膨らませ、「ダンジョンには巨大構造があって深くなうほど怪物が強くなって最奥にはドラゴンが財宝を守っている」という設定を作った。
ゲーム盤はただのマス目とサイコロだけであり、付属のカードのイラストで世界観を想像してね、という仕様だ。
因みにドラゴンは旧約聖書にも載っている「悪の手先」で、モンサンミッシェル寺院の屋根の上でミカエルに踏んづけられていたりする。昔からだれもが知っている悪の手先とダンジョンの妄想世界観を組み合わせたんだな。
黎明期にはこの手の「世界観設定」の途中で意味が付与された事物が沢山ある。例えば
羽が生えた悪魔みたいな生物、ガーゴイルだが、これは元々はキリスト教会の雨樋のことだ。
教会建築では建物が痛まないように屋根の雨を壁から離れたところに落とす為の雨樋を付ける。日本の雨落しみたいな方法だ。
この雨樋の水出口には動物や怪物の顔から吐出するデザインが用いられていた。ごれがガーゴイルで、「うがいでガラガラ」みたいなオノマトペなのだ。ガラガラ言うからガーゴ。
ローマ水道で吐出口がライオンの頭みたいなもんで、欧州の伝統的な魔除けデザインだった。
これを黎明期RPGでは悪魔型怪物として「生命」を持たせたのだな。
エルフの伝説は各地によって異なり、悪戯好きの悪鬼の地域もある。これが今の耳が尖って痩身で聡明という風に固定されていった。
特にRPGの約束事の形成に影響を与えたのがウルティマUltima、バーズテイル The Bard's Tale、ウィザードリーWizardryの三つだ。
このうちバーズテイルは日本だとややマイナーかもしれない。これは発売時期が他の二つより遅くてJRPGの発売時期と被ってしまった為だ。
でもこの作者はUltima、wizを繋ぐ鎹みたいな人物だ。バーズテイルの舞台はスコットランドに現存する遺跡から名を取ったスカエブレイという町なのだが、このスカラブレイという町はウルティマにも登場する。そこにはホークウィンドという重要人物が居るんだが、これがバーズテイル作者のロー・アダムスの成り替わりキャラ。
一方、wizには人間離れした強さの忍者、ホークウインドが登場する。これもロー・アダムス。
で、この三つの作者はD&Dが作ったファンタジーRPGの世界を拡大して今の「約束事」が出来ていくわけだ。この時独立独歩じゃなくて三大タイトル作者三人が協働したのが大きい。一人のアイデアを他が模倣する事で世界観が確立していくわけだから。
だからこの当時のプレイガイドなどを見ると、所謂攻略本などとはかなり違う。「この怪物はどういう生き物か」「この地形はどういうものなのか」という設定資料的な記述がとても厚い。
グラが貧弱な分、そういう所で世界観を膨らませる&作者たちの世界観を共有する事がプレイの楽しみという感じなのだ。それはだから単なるゲームではなくかなり文化の香りを纏っていた。
これを翻訳した日本でもその世界観の紹介は重要コンテンツとなった。何しろRPGという約束事が無い所にコンテンツを持ってくるのだから。
でもそのせいで恥ずかしい失敗もしている。代表例が、wizに出てくるかなり強い剣「blade cusinart」を「名匠カシナートの打った名刀」と紹介してしまったことだ。これの正しい訳は「クイジナートのフードプロセッサ」なんである。
cusinartはアメリカのキッチン用品メーカーであって、作者は悪ふざけで入れたアイテムだったのだが、翻訳チームはその辺のニュアンスを感じ取れなかった。今のフランス料理を「ヌーベルキュイジーヌ」って呼ぶこと、綴りを知ってたら間違えなかったのにな。
こんな風に三大タイトルは世界観構築に勤しんでRPGというジャンルを形成していったのだが、そのうちのウルティマがRPGの約束事を超えて風変りな変化を始める。
まず、モンスターを殺しまくってラスボスを倒し、財宝を手に入れ救世主として祭り上げられる、というRPGの目標を無視して、時に二律背反する命題を乗り越えて善行を積み、人格者として成就するというのがゲームの目標になる。
次に世界を救ったはずが他者の文明を破壊しており、他の種族の侵攻の原因を作ったのが主人公だった。その種族との調停和平を目指すというのがゲームの目標になる。
次にNPCが生活するようになり、店員は夜になると家に歩いて帰り、食事をして寝る。だから夜に店に行ってもサービスを受けられない。
次に凡そすべてのアイテムが動かせるようになり、好きな所に置いておくことができる。移動した物はそのままそこに残り、位置もセーブされる。ついでにそれらに生命を吹き込むと勝手に移動する。
これらはもうゲームの進行に何も関係が無い。だけど現実世界では物は動かせて外出から戻ってもそのままある。会社員は定時で退社して家に移動してご飯食べて寝る。だったら再現するのが当たり前だ、という考えである。
そしてこういう現実で出来る事は出来るようにするという仮想世界構築の妄執がウルティマオンラインという世界初のMMOを産んだのだった。
当初のウルティマオンラインの熱量というのは語り草で、ドワンゴの川上量生が時々熱っぽい文章を書いているのを見た事があるかも知れない。
これは単に初めてのネトゲと言うだけじゃなくて、RPGとしては異常なものであったからだ。
というのも、当初のUOにはクエストも無ければクリア目標もない。一切無い。ただ仮想世界があるだけ。
モンスターが徘徊する世界を強くなれば安全に冒険できるが、装備品は鍛冶屋に作ってもらう必要がある。でも一人で沢山のスキルを持つ事はできないようになっている。だから協働必須なのだ。
更に鍛冶屋は原料を仕入れる必要がある。原料→中間製品→製品とする事で、疑似的な経済循環が成立する。オフラインゲームしかやった事無い人がこんな世界に放り込まれたら最初は困惑するがやがてハマって「もう一つの世界」から出て来れなくなる。
しかもなんの役に立たないアイテムが超大量に存在する。ゲームじゃなくて仮想の「世界」であるならそれは当然だな。
「RPG世界を構築する」の妄執を続けていったら到達した怪作と言っていいだろう。
ただ、プレイヤーの行動は作者の思惑とは違うところも多かったようだ。
最初は店のアイテムもそのまま移動できた。だがリアルでそれを持って行くのが悪徳なら仮想世界内でもそれを控えるだろう、と作者は考えたが、そうはならず結局は制限を付けるしかなかった。
一方、ゲーム産業が隆盛した日本ではRPGはそれらとは違う進化を遂げることになった。やる事が細分化されて示され、それをクリアするのが目標となった。
また、「この〇〇というのは古代ケルトの風習で」とか「ケルトの風習なら△△では□□をするのがしきたりか」みたいな世界解釈をするという文化的文脈が余り無い。すると余計な詮索は世界に半畳を入れるような無粋な真似、という事になる。
するとお約束世界観に対する解釈を行う行為がポストモダンの「脱構築」の如くと言うのは得心が行く。
でもポモが虚仮にされるのは、世界に対する自分のルサンチマンが見えるからだ。批判の対象になるものをまるで理解も出来ないのに、「独自解釈」で切ればその対象の支配者になった気分になる。彼らはその為にやっている。概ねその対象は職業社会や国際関係などの身体的に揉まれないと会得出来ないもの、基礎常識が大量に必要になる物が多い。
そのノリでサブカルチャーなどの作品やジャンルを斬れば斬られた方は棄損するしユーザー層は冷や水掛けられてシラケる。
だけどダン飯の場合は棄損して終わりではなくて、先に述べた黎明期の世界観構築と相同の行為であるからポモなんてゴミとはかなり違うだろう。
そもそも年喰ったポモなんてネトウヨになってるのが相場だ。心性が右翼だからじゃなくて社会にコミット出来ない自分の自我保護の為にやってるのだな。はてなにも居るな。彼らって言ったがはてなのは彼女らかな。
ファンタジーで日本刀が強すぎ、とか侍が特別扱いされ過ぎ、というのがよく話題にのぼるが、これもRPGが関係してるのよ。
1960~70年代に日本ブームがあった。このブームの主体はアメリカの反体制ベビーブーマーで、要するにヒッピーの類縁なのだ。
当時のアメリカの若者の一部は己らの西洋文明がイヤになっていた。物質主義で、商業主義で、民族自立に対して戦争で弾圧していた。理想主義だったマルクス主義はとんでもない抑圧的体制にしかなっていない。
そこで注目されたのが東洋哲学、特に禅だった。特に「日本の禅」に強く吸引されたのだ。当時の日本は敗戦で世界の表舞台から消え、工業が再興して居たが文化的には謎の国となっていた。ビートニクと呼ばれる小説家集団の影響もある。
端的にいうと、ヒッピー的には日本とは精神的で特別な存在だった。
これが同時代のサブカルチャーに影響を与えるようになる。例えばスターウォーズのジェダイとは時代劇の「ジダイ」の事で、侍に類した強い精神性を武器としている。
だからwizには他の地域の戦士はいないのに最初から侍と忍者は登場する。ウルティマにも刀が登場する。
また、日本刀の制作は限られた刀匠以外には禁止された事もあり、その制作過程は過剰に伝統工芸的で精神的だ。これもヒッピー的文脈にある人を魅了した。
故に1980年前半に勃興したコンピュータRPGに登場したのだ。だからムラマサはワードナでも真っ二つなのだ。彼ら制作陣はベビーブーマー後期からその下の世代である。
因みにウルティマの作者の思想はガチヒッピーである。ウルティマ6のオープニングに表れているので暇があったら見てみて。https://youtu.be/7nBWuV_E6Eg?si=WIOEs3PObTpBFADO&t=462
魔法の残量をマジックポイントMPと書くゲームとマナと書くゲームがあるだろう。
この「マナ」というのは文化人類学用語なのだ。民族部族で魔法や神力があると信じられている場合、その力をマナと言うのである。だからMPよりもより正しい用語に直したのだな。
だからあのマンガがやってる事は物語にメスを入れて切り裂く行為ではなくて、黎明期に構築していった行為と相同であり、黎明期の精神を共有していると見える。
というか、wizやウルティマのプレイガイドそっくりなのだ。作者がwizを後からプレイしたと知って驚いたくらいなのだ。
因みに増田は普段はマンガを読まないのだが、ダン飯にはハマってしまい、その世界が終わるのがイヤで最終巻をまだ読んでいないのだ。我ながら病的である。
ところでなんでもサービスイン当初のUOをやりたいと考える人は多く、その為のクラシックサーバが出来たようなのだ。増田もちょっとやってみようかな。
鹿乃氏を本件まで知らなかった人向けの話。
なぜ彼女がマルシルで有名になったかというのは、2024年夏のコミケ104まで遡る。
まず「学校はじまって」「以来の才女」というマルシルのコスプレがバズったのである。
https://x.com/shikano_tsuno_/status/1822856786535473212
これはダンジョン飯のいちシーンの再現でしかない。参考としてPixiv百科事典の記事を貼っておく。
なんでここまでバズったかというと、現地調達というとんでもない荒業をしたので。
元々トリオではないというのは、その後他のマルシルも現地調達してることである程度証明できてるのではなかろうか。詳しくは以下のまとめを見て欲しい。
https://posfie.com/@kalofollow/p/wFDHSQ5
つまりまぁ、「学校はじまって」と「以来の才女」の2人が面白いことをして、
そのネタに拾ってもらった一人としての鹿乃氏なので、ぽっと出のシンデレラガールなんですわ。
そのへんが心のどっかに引っかかってる人は一定数いるのではなかろうかと考えている。
コスプレのポストがバズった翌日にアニメ公式は再現したシーンの元ネタ動画の切り抜きをXに投下。
その事実から公式サイドとしては一連の流れを極めて好意的に考えており、バズった事を問題視するつもりはないと考えるのが妥当であろう。
https://x.com/dun_meshi_anime/status/1823253155984834936
公式は二次創作として公序良俗に反さず普通にコスプレすることを問題ないと考えているだろう。
当たり前である。
基本的にポジティブな話題提供は作品のファンを増やすきっかけになるし、ネタがうけて話題に登るというのはありがたいに決まっているだろ。
つまりだ、「公式に許可もなくコスプレするな」みたいな言説は今のコミケなどの二次創作に大らかな状況に対し全くずれたコメントとしか言いようがない。
むしろ、ユーザーが楽しんでるということを歓迎しているだろう。
よほど偏屈な人じゃない限り、自分の作品で喜んでるのは嬉しいもんだよ。
これを踏まえて、以下に不満をあげつらう。
「コスプレは可能」ただし「現地で着替えは禁止」という提示において、これはコスプレを禁止してると同義だと斜め上を行く難癖をつけたのが始まりである。
言うまでもなく、「予めコスプレしてから来てね」と一般的に解釈するべき。
令和では、コスプレをするという行為が世の中に受け入れられているのだよ。
例えば、コスプレを題材にした着せ恋はアニメだけでなくドラマ化されたりもしているくらいだ(実写の出来はここでは論じないでくれ。話が明後日の方向に行くので)
中川翔子などが率先してTVにコスプレを伝播させて、今えなこがそれなりのポジションで世に受けてるのだ。
フランスのジャパンエキスポなど、コスプレが世界的規模で受けているコンテンツというのも情報としては知っている関係者は多いだろうから、万博でコスプレを受け入れるという判断も妥当であろう。
アニメなどのコスプレで行くべきではないという言論も表現規制の塊であり論外。
コミケルールではコスプレ来場しちゃだめだから、万博でも駄目にきまってるとかおかしなことをいう奴もいたが、それはコミケのローカルルールだし、コミケではそれを実現するためにも更衣室を設置している。
万博は万博でコスプレで現地入りするように求めている。それだけのことだ。公共交通機関にコスプレして乗っては行けないというルールもない。
公序良俗に反したら入場禁止にされるので、ナチスのコスするやつがでたらどうするとかいうアホな意見にも予め方針がFAQに書かれてるので入場禁止になることは自明であるし、そもそもそれを鹿乃氏に責任取らせる話ではない。
未だにここで認識が止まってるバカが一定数いるのがとても残念。
万博のコスプレに関するFAQのURLを改めて提示する。「可能です」を「して良い」という意味以外に解釈するのは「穿った見方」でしかないよ。
「コスプレが禁止されていないが二次創作のコスは駄目」と権利者でも何でもない奴がいう時点で失笑ものである。
まず昨年夏の公式の仕草で答えは出てるので「目に余るもの」じゃなきゃお咎めはないと俺は判断する。
鹿乃氏のコスを見てコンテンツが嫌いになった?それは去年の夏に言ってくれ。おおかた今知ったんじゃねーの?
明確に回答は出てないけども、騒動の後で開かれた、角川の子会社であるドワンゴのイベントで本歌取りしてるのが答えってことでいいんじゃないですかねぇ。
https://x.com/shikano_tsuno_/status/1914510317503365319
https://x.com/nico_nico_info/status/1916073648655683826
なお、二次創作のアイテム販売についても言及があり、これは商品として販売しているので若干議論の余地はあるんだが、結局のところ二次創作全般に対して喧嘩売ってるのは変わらんのだよね。
それって「コミケでの頒布は実質販売行為でありすべてNGで、とらのあなでの委託など言語道断である」というような主張と何一つ変わらんのだよね。
一人を叩きたいがために10万人規模で参加してるコミケそのものに喧嘩売るに等しいんだけど、その覚悟があって発言してるのかな?
しかし、タイムラインで見かけたがTPPの時に山田太郎議員が非親告罪化しなかったら、本件が訴訟にまで発展していた可能性もあるんだよねぇ。本当にファインプレーでした。
双方に不満があるといったな。
ここまで炎上させている放火魔側への文句であったが、鹿乃氏にも不満がない訳ではない。
迂闊な発言がちょくちょくあって、「じゃぁ叩かれても仕方ないよね」的なことを言い出す人が一定数出ていることである。
そんな「いじめはいじめられる側にも原因があるんだよ」理論には全く同意しないが、延焼し続けると公式のイメージ悪化につながるので、早々に終息させるべきだと思うのよね。
今回の場合、本人は放火魔を相手にせず、周りの良い反論をリポストする程度にしておけば終息したものと推察している。
だから追加燃料を提供するその態度はインプレッション稼ぎかね?と言われるのも仕方がないかなと思う。
あと、放火魔側の発言にも一理あって、今自由に遊べるのは先人が積み重ねて勝ち取ってきたものの上であるから、そこへのリスペクトは持っていてほしいかな。
シンデレラガールで急に有名になったため、その辺の心構えが若干弁えてないよねとは思ってしまう。まぁ自覚はあるけどこれは老人の愚痴だね。
一人にヘイトが集中してネットリンチが起きていることに対し、公式が見解を示さないのは危ういと感じる。
例えば万博のFAQに「予め着替えてからお越しください」の一言を加えて「あのFAQから読み解けないバカ」からも文句のでない内容にできないのか。
例えば角川から「個別の事案にはお答えしないが、著作権に違反したかどうかは我々が判断することである」とか、さらに一歩踏み込んで「公序良俗に反しない限りは問題としない。個別の事案には本来はいちいち回答しないが今回の用法に限っては問題と考えていない」など出せないのか。
後者は難しくても前者くらいはあるべきでは。
ネットリンチで命を落とす人、最近でも兵庫県方面とかでもいたよね。
事態が大きくなった時点で、強力な発信をできる人たちが火消しに努めるべきではないのかね。
大鉈を振るうと副作用があるのはわかるし、もしかしたらそれは俺が望むような処置ではないのかもしれない。
でも、終息させずに放置して取り返しがつかない事態に発展したとき、本当に後悔はないだろうか。
4/14追記
どうやら、私はPCからアクセスなのですが、なぜかスマホ用?の表示がなされていたようです。だからシークバーや操作画面が使いづらかったのかと。
なんでスマホ用モードになったんだ?という疑問は置いといて、もし同じ現象になった人がいたら、マイページとかの最下部に「スマホ用」みたいなボタンがあるので、クリックすると元に戻ります。
昨日は、カッカしていたためか怒り心頭の文章になってしまいました。ここまで怒らなくてよかったと思います。ドワンゴよ、すまんな。
_________________________
4/12~4/13くらいにかけて。(12日がランキング画面・仕様の変更で)13日には、マイページとか動画視聴ページが全部変わったのだ。
しかし……今回は本当に、マジで終わってる。これまでのリニューアルは、連続性があった。変わってから「操作しづらい」となっても、前回とのつながりがあったのだ。今回はそれがない。
(全体)
ランキングまで含めて全体の印象。全体的に、相当シンプルになった感じ。
シンプルなのはいいのだが、機能を省き過ぎて使いづらい。例えば、一般的な動画サイトだと、再生画面の下にはシークバーその他の操作画面が出てると思う。今回のニコ動にはそれがない。
再生中に巻き戻したいところがあって、下部にあるであろう操作画面を見ようとしたのだが、「「ない」のである。いや、マジで。
(下の方をクリックすればシークバー周りが表示されるのだが初見ではわからない)
(画面サイズ)
動画再生画面のサイズを選べない。モニタすれすれ限界まで、の一択。
YouTubeだと、PCモニタ全体の中央くらいとか、全体とか、一部のみとか選べると思う。
新しいニコ動にはそれがないのだ。顔~モニタまでの距離を変えられない人はどうすればいいのだろう。
シークバーがあるじゃん。普通の動画サイトだと、あれを押したら、動画の任意の再生時間に飛べるじゃん。新しいニコ動にはその機能がない。シークバーを押ししても、一切反応なし。終わってる。
え、これって、30分の動画だと、20分のところで画面更新すると、最初からスタートになってしまう。20分のところまで飛べないんだよ。10秒再生のボタンを連続押ししないといけない。信じられないことに。
(設定画面)
以前のニコ動はYouTubeよりもちょっと複雑かな……という感じだった。
今回のは、シンプルとか通り越して機能を削りすぎてるし、定番の「デザインの敗北」みたいな設計がいくつもあって、お目当ての設定ができるまでに何度もやり直さないといけない。
とにかくわかりづらい。これまでもわかりづらかったけど、今回のは悪い意味でずば抜けている。
結論だけ言うけど、これらを改善しなかったら、ドワンゴはマジで顧客を他の競合サイトに持っていかれて倒産すると思われる。それくらいひどい。
アカウント持ってる人は試しにやってみて。これはひどい、というUIデザインを実体験できるよ。
Permalink |記事への反応(18) | 18:57
× カバーは「任天堂(株)」から配信許諾を得ていたが、事務所判断でポケモン配信を制限していた。方針転換して解禁した。
○ カバーは「(株)ポケモン」から配信許諾についての明確な回答を得ることができていなかった。だが総合的に判断すると配信許諾相当があるとして解禁した。
■前提知識1
任天堂は2020/6に任天堂製ゲームの配信ガイドラインを更新し、VTuber事務所にじさんじ運営いちから社(現AnyColor)との対法人の配信許諾締結を公表。
競合のVTuber事務所ホロライブ運営カバー社を含む大手事務所の社名がなかったため騒ぎとなった。
(その他のVTuber事務所等は任天堂のゲーム配信における収益をタレントに100%渡すという条件で個人と同じ扱いとして許諾を得るようにした。)
■前提知識2
ポケモンは「任天堂(株)」のIPであると同時に「(株)ポケモン」のIPであり、ゲームを含むポケモン関連の権利は全て「(株)ポケモン」が管理している。
そしてポケモンのゲームに関連する配信ガイドラインは2025/3現在までに個人向けも含めて公開されていない。
2020/6以降、カバーはゲーム配信をする際は権利元に許諾を必ず得るように順次対応していき、許諾のないゲームは配信しない方針とした。
前述の通り「(株)ポケモン」は個人向けのゲーム配信ガイドラインを公開していない。それに関連して個別の法人とのゲーム配信許諾も行っていないと推察される。(推測)
つまり、「ポケモンゲームは明確な許諾を得られていない(得られない)」ため、配信を原則禁止とした。
ただしポケモンの新作が発売されると、当然ながら配信をしたいというニーズがタレントから産まれるため、その場合は「ポケモンゲームを使用した大会を開催する」という名目のもと、
ドワンゴ(ニコニコ動画)と共同で「ゲーム大会における任天堂の著作物の利用に関するガイドライン」に則った「大会開催許諾」を得て、その大会に付随する配信という名目で
各タレントに配信許諾を得て、その大会開催までの期間限定で配信を許可していた。
カバーは引き続き「(株)ポケモン」から配信許諾についての明確な回答を急に得たとは考えづらい。(推測)
配信許諾のないゲームは配信させない原則の下、引き続き平時のポケモン配信を禁止していたが、「任天堂(株)」からの任天堂ゲーム配信許諾、
前述のポケモン大会の実績、他事務所のポケモン配信に対する「(株)ポケモン」の権利行使の状況から、
ポケモン配信した時にペナルティが発生すると考えづらく、配信許諾相当を得ているとみなしてよいだろうと運営が判断したと見られる。(推測)
13年前(2012年)に見かけた「ネット規制論」のときは、国によるネット規制は正しいという趣旨の論理で、ドワンゴやってるのにこの考えってヤバそうだなこの人と思ったけど、
今じゃ、 『他人の言論の自由を妨害する自由』を行使する人たちがネットを駆使しながらリアルでも同様の行為を働くようになっていて
しかもそういう人たちは個人ではなく一種の集団として対象をボコボコにしている姿を見て、
この人がやるべきといってたネット規制論は求められている状況に変化していると感じています。
https://kawango.hatenadiary.org/entry/20120204
一方で、川上さんが掲げるネット規制論は本当に実現が難しい。 『他人の言論の自由を妨害する自由』を行使する人たちをネットから規制するとして、
どれをトリガーにするのか、どのように遮断するのか。ISPとの契約とかはあるけど、ネットにアクセスする最初の部分に認証認可がないんで、特定のIPをブロックするにしても
場所を変えてWi-Fiでアクセスするなりネットカフェに行くなり、友人や知人、支援者のPCやスマホを使えば簡単にネットにアクセスできてしまう。
まぁ「争いは同じレベルでないと成立しない」ってやつんだなろってのはわかりますけどね。
どうもこの辺りは十把一絡げに扱われがち。
だけど格としてはこの中では西村山本と比べて、夏野剛、川上量生は圧倒的に上なんだよな。ここが一緒なのが間違い。
そして川上は、DWANGOの創業経営者であり、あそこまで育てて角川書店と合併≒EXITしたわけだろ。他の連中とは実績が違う。DeNAの南場さんに匹敵する人物だよ。
西村は芸人、山本一郎は総会屋2.0なんて言われたけど、この二人は要するに山師なわけで、社会的に見たらマイナスでしかないよね。存在しない方が良い。
夏野剛と川上量生は、西村山本と比べたとき、実業家としてはガチだという所で大きな違いがある。
たくさんの部下がいれば凄いのかと言われりゃ、そりゃ凄いだろと言うのが社会人としての一般的な考え方であるが、循環論法っぽいのでもう少し分解すると
こいつらは新しいものを作ってんだよな。それでのし上がってる。社会に間違い無くインパクトを与えているから強い。
その上で優劣を付けるなら、川上の方が一枚上手だろうなと言うのが俺の感想だが、まぁ、そこは諸説あるだろう。大企業の文脈から見たら夏野の方が偉いだろうし。
では何故川上量生が軽視されるのかというと、見てくれが軽いからというのが一つあるだろう。弱そうなのである。
この記事を見てほしい。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1301/16/news086.html
ドワンゴの当時の経営陣がずらりと並んでいるが、この中で最も弱そうなのが左から三番目なのは論を持たないと思うが、これが川上氏である。夏野氏のような悪役顔だったらもう少し嘗められなかったに違いない。
次に、ドワンゴが急成長していく中で、あえて川上氏は部下に軽口を許していたようなところがある。会社はある程度大きくなると、社長はカリスマ型のセルフブランディングしないと統治が難しくなっていくのはわりと知られていると思われるが、どうも川上氏はそれを好まなかったように見える。
最後は、まぁ、自分の身内に危害が及んだとき、本人が黙ってられないところがあるのだろうなと思う。そういう点では、角川書店の角川兄弟に似てんなーと思う。あの二人も実業家として、表現者として、リーダーとして凄い人たちのなのは言うまでもないと思うが、いざという時に責任を取り過ぎて失脚しているところがある。
川上量生は犯罪を犯すようなタマではないだろうが、わざと無駄死にするような所がある。
例えば、要するに後になって整理すると、Webフィルタリングに著作権侵害のデットコピー海賊版サイトを加えろという、たかだかそれだけの主張をしたことがあった。それに対して山本一郎がしゃしゃり出て挑発した際、わざわざ乗っかって同じレベルで戦ったのは、山本一郎の挑発の矛先が他に向かわないようにするためだったと思われる。個人的にはあんた会長なんだからそんなことすんなよ、それあんたの仕事じゃ無いだろと思うのだが、そう言う所がある。
あの論争、ネトヲチ民からすると山本に軍配を上げる人が多いだろうが、実際のところ、そう言った論争に乗っからない地道な活動の結果、多くのWebフィルタリングにデフォルトで海賊版サイトが含まれるようになっているというのが現在の結果である。故に、当時の川上らの主張、フィルタリングは実現し、山本らの主張は海賊版サイトの台頭とその被害の増大という現実の前には粛々と無視されたという事になる。
本人もその気質を自覚しているところがあって、半ばアーリーリタイアしているのはそう言う事なのだろうとは思うのだが。
結論:カワンゴこと川上量生が軽視されるのは、弱く見えることと、自ら進んで道化を演じているから