
はてなキーワード:ドラマとは
「ショムニ」の作者。
なんか新卒くらいの子がかんがえた「大人とは」とか「粋とは」みたいなクサい話を延々聞かされてる感じ。
「人生にルールなんてないのよ。他人に説教じみたこと言われても蹴っ飛ばしちゃえばいいの」っていうよっぱらいの説教をクドクド聞かされ続けてる感じ。
表現力というのはウソツキ力である。冷静に考えたら荒唐無稽なことでも、プロセニアムの内側では成立してるのならそれでいい。
ちひろさんは作者の中では超いい女の設定なのだろうが、全然そのように見えない。ずっとわかったようなわからんようなモノローグとともに勝手にたそがれてるだけのメンヘラである。
つまりいい女っぷりを説得力をもって表現するに至ってないのに、作者自身が雰囲気に浸って描いてるせいでそのことに気づいてないのだ。
・MAD
・SPY×FAMILY
惰性で読んでる↓
・エクソシストを堕とせない
・ドラマクイン
第一部の面白さに敬意を払うために、どうしてもこれを面白い扱いすることができず、お気に入りから外したけど、結局愛着も期待もあるのでランキングから毎週読んでる漫画↓
父は瞬間湯沸かし器みたいな人で、些細なことですぐキレて手が出る。
私も物心ついた頃から殴られたり床に倒されて踏まれたりしていた。
父は人とのいざこざで殴ったり恫喝したりしたことを武勇伝としてずっと話していた。
小中学生のスポーツチームの指導なんかもやっていて、今だったら問題になるレベルの体罰の話も自慢げにしていた。
父の友人達もそれを持ち上げ、「さすがだなあ」「それが正しい」とかっこいいことであるかのように扱っていた。
私は幼少期から父から殴られ、暴力自慢話を聞き、周囲の反応を見ていたので、力で相手をねじ伏せることはかっこいいことで、ためらわないでよいことだと思い込んで育った。
それから色んなマンガで男よりケンカが強い女キャラを見てかっこいいと思い、ごくせんのドラマも流行っていたので「男を殴れて勝てる女はかっこいい」とどんどん思い込んでいった。
漫画やドラマでは「女を殴るなんてありえない」というシーンがあったりするので、女の子に暴力をふるおうとは思わず、男子とよく取っ組み合うようになった。なぜか女である自分が殴られることに抵抗はなかった。
取っ組み合いにきっかけや理由なんてない。小学生男子なんて暴れたい盛りだし、意味もなく突進してくるやつとか、私がすぐ手が出るのをわかっててからかいに来るやつが同級生にたくさんいて、私はいちいち応戦していた。
父は人を殴って相手の歯を折った時の傷が指に残っており、それを勲章のごとく自慢していたので、私は男がケンカで体や顔に傷をつけることはかっこいいことだと本気で思っており、男子と取っ組み合うと顔面にも容赦なく蹴りを入れたりしていた。
休み時間や放課後にはだいたい男子たちと暴れ、殴ったり殴られたりする毎日で、これが普通だった。ドッチボールとかサッカーとかで遊ぶのと同じ感覚でケンカして遊んでいた。
ある日の休み時間、いつも通りに男子たちと取っ組み合う中で1人の男子の頬に回し蹴りを入れた。結構なクリーンヒットだった気がする。
特に気にせず他の男子とさらに取っ組み合っていたら、数分後「何やってんの!!!」という担任の金切り声が響いた。
いつも「危ないよ!」くらいの注意しかしなかった担任だけどその日は様子が違った。
担任の横にさっき私が回し蹴りをくらわした子がいて、泣いているので「え、何?何?」と手を止めて近寄ると
「何じゃないよーーー!!もういやーーー!!!」と担任が泣き叫び、膝から崩れ落ちた。
それから校長室に呼ばれ校長に事情を話し、それぞれの保護者を待ち、帰った。
翌日登校したら担任に呼ばれ相談室のようなところで「これを読みなさい」と手紙のようなものを渡された。
私が回し蹴りした男子のお母さんが担任に宛てたもののようで、口内を切ったのと歯茎への衝撃?で出血が多かったがとりあえずは大けがではないこと、
大けがではなくてもどうしてうちの息子がこんな目に遭わなければならないのかということ、男の子相手ならやんちゃ同士で許せるかもしれなかったが女の子にやられたなんて信じられないということ、
担任は私が手紙を読んでいる間ずっと泣いており、その後数日学校に来た後は長期の休みに入ってしまった。
手紙に書かれていた通り、私の父親は件の当日に私を迎えに来たけど、担任から事の顛末を聞いたくらいで後は私に何も言ってこなかった。
怒るでもなく慰めるでもなく事情を聞くでもなく。ガストで夕飯を食べて帰った。その日も帰宅してから別件でキレられ、殴られた。
数日後、男女数人で公園で鬼ごっこか缶蹴りかをして遊んでたと思う。
1人の女子を後ろから手で目隠しし数を数えていたら、知らない女の人がすごい剣幕でやってきて「やめなさい!」と怒られた。
危ない遊びはやめて!こないだの〇〇くんの時もだけどあなたの暴力性は信じられない!あなたはおかしい!女の子にも乱暴する気!?
みたいなことを言われ、めちゃくちゃ怒られた。
私は知らない人だったけどたぶん同級生の母親とかだったんだと思う。私がクラスメイトにケガをさせたことを知っているようだった。
取っ組み合いのような遊び方よりははるかに優しい遊び方をしていたと思うんだけど、自分が少し相手に触れるような遊び方をしているだけで大人はこんなに取り乱すんだ、と少しショックだった。
危険人物である、悪である、と人に思われていることを急に自覚して、なんだかとんでもない気持ちになった。
今考えたら子どもを育てている親からすれば暴力的な子が自分の子の近くにいれば怖いし叱るべきなのはわかる。
どう考えてもあの頃の私はおかしかった。
それから私は取っ組み合いや殴り合いをやめて、普通の子どもになったと思う。(体育や休み時間にやるスポーツは派手にやっていたけど、普段の生活では大人しくなった)
腹が立つことや納得いかないことも話し合いでなるべく穏便に解決することを学んで、大声を出して主張する人や嫌なことがあると物にあたる人、手が出る人を見ると嫌だなあと思うようになった。
子どもながらに自分のしてきたことを棚に上げたり棚から下ろして飲み込んで吐きそうになったり、ぐるぐる悩みながら中学生になった。
小学校には私以外にも男勝りをアイデンティティーにしているような女子が数人いたけど、中学校にはボーイッシュな子はいてもそんな暴力的な子はいなかった。
制服のスカートのままで毎日男子とのケンカを楽しんでいる豪快な女子なんてマンガの世界にしかいなかった。
中学校までは同じ小学校出身も多かったが、高校はなるべく遠く、同じ小学校の人があまり受験しない学校を選んだ。
穏やかでにこやかに、口の悪いこともなるべく言わないように過ごし、友人も文化部や帰宅部の和やかな雰囲気の子が多かった。
父は相変わらずスポーツチームの指導に勤しみ、家にはたびたび非通知で電話がくるようになった。
「うちの子がそちらのコーチに殴られて倒れた後蹴られたそうですが」
「1人だけグラウンドを20周以上走らされ吐いたと聞いた。家に帰って来ても体調が戻らず、もうクラブの練習に行きたくないと言っている」
知らずに電話を取ってしまった時は人の憤りと恨みを直に感じてしまい1人で泣いた。
父はそもそも電話が鳴っても取らない。家主は家では自分の席から動かず、家族は家主が動かないでいいように働くべきだそうだ。
鳴る電話は父が暇で電話の一番近くにいても必ず誰かが取らされ、電話が取れなかった時ややむを得ず父が取った時などは殴られた。
偶然小学校の同級生の男子と会社で同期となったので、2人で飲みに行った。
当時殴り合いをしていたうちの1人だったので、お互いに「お前落ち着いたなあ」と言いながら飲んだ。
私が男子を流血させて担任を取り乱させたことも覚えていたし、今でもその男子と交流があるという。傷は残っていないし、私の話が悪い意味で出ることもないらしい。
それでも「あの時はごめん」と謝った。涙が出た。
何と言っても私がしたことやあの時の自分の考えが変わるわけじゃないのに、女の私が泣くのはずるいと我ながら思った。
「俺も暴れる問題児だったからお互い様だ」と言われた。今度は件の男子も連れて飲もうと言ってくれた。
同期は父の教えていたスポーツチームにも所属しシバかれていたので、「父は理不尽に怒るし体罰もするし嫌いだったでしょう」と聞くと、苦そうな顔で「ま、あの頃は子どもだから……」と言われた。
私も父を好ましく思っていないはずなのに、そう言われて少し胸が痛かった。
父は父母の署名により数年前にスポーツチームの指導者を辞めさせられた。
誰に言うということでもないので、増田に書き捨てておく。
「Ryuichi Sakamoto: Diaries」という、坂本龍一さんが亡くなる前の数年間を描いたドキュメンタリー映画を見た。
坂本龍一さんの音楽は聞いたことはあるが、そこまでのファンというわけではない。
ただ、他に見たい映画も無かったし、その音楽の才能と功績が、世界中で認められた人の最期というのはどのようなものなんだろうという興味があったので見た。
坂本さんは日記をつける習慣があり、亡くなるまでの間もノートやiPhoneのメモ帳に、短い言葉を残していったようだ。
予期した通りではあったが、検査でステージ4の癌が発覚した後、ずっと「苦しい闘病生活を送り、わずかに延命することに意味はあるのか?」という問いと「まだ死にたくない」「音楽に没頭する間は死を忘れられる」というような心の変化が描かれている。
既に意識を失い、痩せ衰えたピアニストの指は、まるでピアノを弾いているかのように動き続ける。
これはとても悲しくドラマティックであると同時に、見る側に罪悪感のようなものを想起させる。と思う。
他人の、そして映画を見る人にとっては概ね「推し」の死を観測するというのは、どういったことなのか。意味があるのか。
死の瞬間まで、映画というある種のエンターテイメントに変換されることは、本人にとって幸せなことであるのかどうか。
そしてもう一つ、死が映画になり得る人間というのはほとんど存在しない。彼が特別な人間だからこそ、映画になり得たということ。
YMOや個人の音楽活動、アート活動で積み上げた実績、音楽の大きな才能があったからである。
そんな才能を持つ人でさえ、死に直面した際には「たった一年延命することに意味があるのか?」と問い続ける。
第三者から見れば、天才に一年の時間があれば、音楽が残る。インタビューが残る。その言葉から書籍が残る。それらを待ち望む人が世界中にいる。
しかし、ほとんどの人の最期には、そんな期待はあり得ない。客観的には、何も残さずに死ぬしかない。
そんな凡人にとっての延命とは何か。
自分が同じ場面に遭遇してしまったら、果たして闘病を決心することになるんだろうか。
個人的には、「凡人の死」「何も残さないであろう自分の死」を考えさせられる映画であり、心が冷たくなるような時間だった。
見てよかったかといえば良かった。
強くおすすめはしない。
昔の少年漫画を愛する者にとって、爆豪の人気は受け入れられないだろう。
主人公をイジメていた男がヒーローになる。そんな事あってたまるものか。
必ずどこかで制裁がある筈だ。・・・ん?主人公が無敵の力を手に入れる?
やった!これは爆豪より強い能力だぞ!よっしゃこれでブン殴れ!
殴らなかった。
雄英の受験?なるほど!これでヒーローとしては邪悪すぎる事がバレて落ちるんだな!
受かった。
デクと同じクラス?そうか!クラスメイトにデクをイジメてた事がバレて、孤立するんだな!
バレなかった。孤立しなかった。
そうだ!爆豪の個性は爆発・・・助けようとした人をケガさせて、バッシングに遭うんだな!
遭わなかった。
え???こんなオイシイドラマが生まれそうな展開が何一つ・・・ない・・・?
スカッとジャパン(くそ番組)のスカっとする部分だけカットされた気分だ。
俺はショックだった。今まで読んでた少年漫画だとあり得ない。
例えテンプレと言われようとも、
制裁を受け、みじめな思いをし、反省し、本当のヒーローへと覚醒する・・・
これを期待せずにはいられない。
でも、時代は変わった。
爆豪は大人気キャラで、出番もオイシイシーンもめちゃくちゃ多い。
制裁もいらないし、みじめな思いもさせなくていい。
実は過去の行いを反省してるっぽくて、デクに謝って、本当のヒーローに覚醒したっぽくなる。
そんなんでいい。
だって、それで大人気キャラになってるし、大人気アニメになっている。
俺には分からない。でも、それは俺が悪い。
時代が変わった。俺はついていけてないだけ。
私も増田に近いところがあって、自分が女という感覚が昔から薄かった
25歳くらいのときに母親に「男でも女でもないって感じ」と言われたことがあるくらい
でも、ほとんど女性しか発症しない病気(摂食障害、某自己免疫疾患)になったし、WAISという知能検査では男性が女性より得意だというパズル(心的回転)という下位検査だけが平均を下回っていた
自分でも男か女か分からないなと思っていたけど、上記の経験を通して、自認はともかく脳を含め身体は間違いなく女であると認識するに至った
ところで私もアイドルには興味はないが、化粧や服に関しては興味のあるなし関係なしに社会性を持つという観点から行っている
「女性と共通の話題がない」に関しては、女性というものは自分が興味がなくても周りの話題についていけるように、流行のドラマや俳優やアイドルなどをチェックするという努力を行っているようなので、これも社会性の問題だと思う
つまり増田は他の人たちが必死にしている周りに合わせる努力、社会性を持つ努力をしていないし、それが当然だと思っているように見える
しかし恋愛感情が薄い、性愛も感じないというのはとてつもないメリットのように感じる
恋愛感情に苦しめられ振り回されることもなく、色恋沙汰のトラブルに巻き込まれることもない
男女間の精神的パワーバランスで低い立場になることもない(俗に言う「好きになったほうが負け」というやつ)
そこは羨ましいなと感じた
もちろん程度によるんだけど
例えば
・テレビでタレント同士が話しているくらいの「話の通じるレベル」
・アニメやドラマで登場人物同士が話してるくらいの「話の通じるレベル」
このレベルってかなり高いんだよね
だからネットで会話しようとするとビックリするくらい上手くいかない
リアルだと「やんわり会話を諦める」「通じた部分だけで話を進める」が起きるんだけど
青春モンスターパニックホラーの凡作。良くもなく悪くもなく。56点。
故ポール・ウォーカーがキラキラのハイティーン(なお撮影当時26歳)として登場していてなんだかシンミリしてしまった。しかもポールが車を買うところから話が始まるので、逆にノイズやわ~って思っちゃった。CB無線じゃなくてニトロを積んでいれば勝てたのに。
話としては
気になる女の子に「車買ったよ!」とウソ自慢してしまったポールは帰省のための航空機チケットを売り払い中古車を購入。車で帰省する途中で彼女を拾ってロードデートの計画を立てる。しかし途中で喧嘩で逮捕された兄の身元を引き受けることとなり二人旅に。勝手にCB無線を取り付けた兄の提案でネカマでその辺のトラック運転手をからかっていたところそいつがモンスターで彼を怒らせてしまう。合流した彼女も巻き込んだ逃亡劇が今幕を開ける。
一昨日アオラレを見たんだけどモンスターを怒らせるトリガーがほぼ一緒で笑っちゃった。
ボイスオカマで運ちゃんをからかっていたポール兄弟はモーテルで出会ったいけ好かないオヤジに怒り、運ちゃんに「私は今そのオヤジの部屋にいる」と嘘情報を教えてしまう。結果的にオヤジは下顎をえぐり取られ重体。警察にこってり絞られた2人はしょんぼり運転しているとまた運ちゃんから連絡が入り、ポールはネタバラシをしていたずらのつもりだったと弁明。「謝れ」と迫る運ちゃんに謝ろうとするポールからトランシーバーを奪ってクズ兄貴が全力煽りをカマしてしまう。
昨日見たやつ~~~!!!これ昨日見たやつや~~~~!!!ってなったけど20年前の映画なんだよな。
俺の中で邦ドラはバカばっかり出てきて、洋ドラはクズばっかり出てくるっていう固定観念があるんだけど、アメリカの(広義の)ドラマって必要以上にクズばっかりでてくるよな。今作の兄貴は必要以上にクズなのでめちゃくちゃムカつくんだけど、アオラレの主人公に比べると明確に「根はいい奴のポール」と「どうしようもないクズの兄貴」という描かれ方をしているので、こいつはクズとして嫌って見ていいんだなと割り切って見られるのはプラス。あと、演者の人が目が意外とクリクリしてて憎めないバカの演技がうまくて若干相殺できてるのはよかった。
あとは無関係のオヤジとモーテルの店員は巻き込まれて殺されちゃうんだけど、ポールと彼女、あとなぜか誘拐されてた彼女の友人は無傷で救出されるんだけど兄貴だけは太ももに杭が刺さる上に、その後その穴にパイプを通されるという拷問を受けるのでスッキリポイントが整っているのもよい。
アオラレとの比較が多くなって申し訳ないんだけど今作ではモンスターはより人間性をはく奪された"道理の通じない怪物"として登場する。終盤のモーテルでの格闘シーンでちょろっとだけ登場するんだけどその姿も怪物的。それ以外は終始、無線から聞こえる声とクソデカコンボイトラックという暴力性の化身としてしか登場しない。なのでアオラレのような社会派スリラーっていうよりはモンスターパニックホラーとして楽しめた部分はあるかな。
特に途中で全然関係ないトラックの運転手を犯人だと思い込んでチェイスになるシーンがあるんだけど、それが勘違いだとわかってホッとしてるところにそのトラックの荷台を突き破ってコンボイトラックが突っ込んでくるシーンは大爆笑しちゃった。モンスターすぎるだろ。
もろちんモンスターものにしてもこいつ、いつどうやって主人公たちを見張ってるねんとか情報をどこで仕入れてるねんみたいなロジックがめちゃくちゃ弱くてっていうかなくて、何でもできる系モンスターになっちゃってるのでそこが気になる人にはマイナス。なのでマイナス(小泉進次郎)。
シチュエーションも高速道路、牧場、トウモロコシ畑などでのバラエティ豊かなチェイスからモーテルでのサスペンスに格闘、犯人に脅されてポール兄弟が全裸でハンバーガーを買いに行くサービスショットまでぬかりなく配置されていてエンタメやったるでって気概は感じた。
ただ俺は吹き替えで見てたぶんちゃんとした声優さんを使ってるんだけど吹き替えがめっちゃ下手っていうか、常に台詞が映像を上滑りしててヘンな感じだった。特に彼女役の人がマジで「映像の上から音声被せてます」って感じになってて、演技じゃなくて吹き替え処理がこんなへたことある!?って思っちゃったのでそこもマイナス。いや字幕版で見ろよ。
そんなこんなで特に社会的メッセージもなければ学びもない、いや学びがないは言いすぎか。若者だからってハメを外すと痛い目を見るぞというあらゆるホラー映画に言える盆百の学びはあるモンスターパニックホラーの凡作。よくわかんないけどポールと兄貴、彼女をよく撮ったろうってのが透けて見えて日本でいうところのアイドル映画っぽい感じがしたかな。なのでキラキラアイドル映画だと思って見たら、意外とめっけもんみたいな感じで楽しむといいかも。
まぁ上にも書いたけどエンタメとしての戦闘力は普通にあるので見て損するような作品ではないので、今週の金ローマジで興味ない映画だけどなんか金ローでかかるような映画見たいな―って時にオススメ。
「いつものようにテレビ見てる時に彼女を触ったらキレられて傷ついた」
それに対して「なんで加害者が被害者面するんだろう」的なコメント。
男性(彼、夫)側がいつでも女性(彼女、妻)を触りたいしそれが愛情表現と思っているのに対し、女性はいきなり触られたらそれは痴漢と同じだろ、と。
どこかで見た金言「男性は女性全体をうっすら好きで、女性は男性全体をうっすら嫌い」を思い出した。
野生動物について紹介する番組で、オスがメスにアタックするも、メスに拒否されて撃沈するのを見るけど、あれとも似てる気がする。
人間の成オスはいつでも発情期スイッチを入れられるけど、人間の成メスの発情期は1ヶ月のうち3日程度なんじゃないのかな。
性的同意の話とか離婚についての漫画やドラマとかで、色んな事が可視化されてきてるから、この件も誰か書いてくれないかな、と思う。
「生煮えの着想を他人に話したりネットに放流してみる」という行為はオワコンになってしまう。
次に引用するのは「文学」にまつわる、とりとめない語りです。もう少し輪郭のはっきりした論説にするために、わかりにくい点を問い質してみて下さい。
そもそもあんま本読んだことなさそうな人が「エンタメと純文学の違いとは」みたいな論争を定期的に蒸し返すのだが、
簡単に答えを示しておくと、クリアしなければならない仕様が決まってるのはエンタメ、純文はなんでもアリである。「違い」というならそこが違う。
しかしながら昔から文豪だなんだと奉られる人も誰もクリアしてないのが、「なんだかんだ、サマになるクズしか出てこない問題」である。
そらとんでもない人殺しとか飲む打つ買うのクズ野郎とか精神病者とかは出てくるけど、たとえばネットの過疎った掲示板に粘着して年がら年中一日中芸能人の悪口書いてる、喋るウンコみたいなのはまず登場しないんだよなあ。(笙野頼子はそのへんに切り込んだが、「前衛的スタイル」に自家中毒して当人が何言ってるかわからなくなってしまった)
そういううんこちゃんを活写しようとして一冊の大半が意味不明の同じようなセリフになってるとか、どんなによく訓練された読書家も逃げ出してしまうからな。
でもそんな喋るウンコちゃんにも生きる苦しみや自己愛やウンコちゃんならではの事情があるんだってところに寄り添おうとしてこその文学のはずなんだけどね。
【Gemini】
ご提示いただいた文章、非常に刺激的で面白い視点が含まれていますね。特に「サマになるクズ」と「真に救いのない(退屈な)クズ」の対比や、文学が直面する「退屈さと読解可能性」のジレンマは、論じる価値の高いテーマです。
この「語り」を、より強固な「論説」へと練り上げるために、あえて意地悪な編集者になったつもりで、論理の飛躍や掘り下げ不足な点について5つの質問を投げかけます。
これらに答える(あるいは反論する)ことで、文章の輪郭がぐっと鮮明になるはずです。
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### 1. 「なんでもアリ」と「文学の責務」の矛盾をどう整理するか?
冒頭で純文学を**「なんでもアリ(仕様がない)」**と定義されていますが、結びでは**「〜に寄り添おうとしてこその文学」**という、ある種の**「べき論(倫理的仕様)」**を提示されています。
### 2. 「サマになる」の正体は何か?
文豪が描くクズは「サマになる」とされていますが、なぜサマになってしまうのでしょうか。
### 3. 「写実」と「作品化」のジレンマをどう乗り越えるか?
「喋るウンコを活写すると、意味不明の反復になり読者が逃げ出す」という指摘は鋭いです。しかし、ここには「リアリズム(そのまま書くこと)」こそが誠実さであるという前提が見え隠れします。
### 4.笙野頼子の失敗(とされるもの)から何を抽出するか?
笙野頼子を引き合いに出されていますが、彼女が「前衛的スタイルに自家中毒した」と切り捨ててしまうと、論がそこで止まってしまいます。
### 5. なぜ、その「ウンコちゃん」を救わねばならないのか?
これが最も根源的な問いです。
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もしよろしければ、上記の質問のうち**「これが一番痛いところを突かれた(あるいは、これについては言いたいことがある)」**と感じたポイントを一つ教えてください。
そこを突破口にして、この語りを**「序論・本論・結論」を備えた骨太なプロット**に再構成するお手伝いをさせていただきます。
ポストの内容は、韓国映画界の急激な浮き沈みを嘆くもので、「アジア初のアカデミー作品賞受賞(『パラサイト 半地下の家族』2020年)から数年で業界全体が危機状態に陥るなんて想像もつかない」というニュアンスです。実際、2025年現在、韓国映画産業は深刻な低迷期を迎えていて、劇場興行収入はパンデミック前の2019年の13.8億ドル(約1.91兆ウォン)から2024年は8.61億ドル(約1.19兆ウォン、38%減)まで落ち込み、2025年上期の観客数は前年比でさらに22%減少しています。<grok:render card_id="3c436b" card_type="citation_card" type="render_inline_citation">
<argumentname="citation_id">14</argument>
</grok:render> これが「こうなった」理由を、複数の要因から説明します。主にCOVID-19後の影響、投資の停滞、ストリーミングの台頭などが絡み合っています。
### 1. **COVID-19の長期的な打撃とバックログの枯渇**
-パンデミックで2020年の興行収入が急落(3.69億ドル、73%減)し、劇場閉鎖や外出自粛で観客が激減。韓国人の年間映画館訪問数は世界トップの4回から2.54回に半減しました。<grok:render card_id="e919e6" card_type="citation_card" type="render_inline_citation">
<argumentname="citation_id">14</argument>
- 当時は制作中の「貯蔵フィルム」(パンデミックで公開延期された作品)が2022-2024年に大量投入され、年間35本以上の韓国映画が公開されましたが、これが尽きかけています。2025年の大手投資・配給会社の予定本数は10-14本と激減(前年の35本から大幅減)。2026年には本格的な「コンテンツ枯渇」が予想され、劇場は過去最高の228本のリバイバル上映に頼っています。<grok:render card_id="ff91fe" card_type="citation_card" type="render_inline_citation">
<argumentname="citation_id">13</argument>
- 結果、2024年の37本の商業映画のうち、投資回収できたのはわずか10本。1,000万枚以上の大ヒット作がなく、3,000万人観客を突破する作品もほぼゼロです。
-興行不振で配給会社の収益が2019年の5.68億ドルから2023年の3.16億ドルに減少し、外部投資家が撤退。制作費の高騰(ストリーミング作品への人材流出で俳優・スタッフの給与が上昇)も拍車をかけ、ミッドバジェット映画の緑灯が減っています。<grok:render card_id="eee1c7" card_type="citation_card" type="render_inline_citation">
<argumentname="citation_id">14</argument>
</grok:render><grok:render card_id="d95dbd" card_type="citation_card" type="render_inline_citation">
<argumentname="citation_id">13</argument>
-投資サイクル(企画から公開まで2-3年)が遅れているため、2021-2022年の投資凍結が今頃直撃。2025年の公開予定が少なく、業界全体の「悪循環」(低収益→投資減→低予算→質低下→さらに低収益)が加速しています。<grok:render card_id="48d7f8" card_type="citation_card" type="render_inline_citation">
<argumentname="citation_id">13</argument>
### 3. **ストリーミングの台頭と視聴習慣の変化**
-NetflixやDisney+などのグローバルプラットフォーム、国内のTving・Wavveなどが人材を吸い上げ、映画からドラマ・シリーズ制作へシフト。監督や俳優の「ブレイン・ドレイン」が起き、映画界のクリエイティブ力が弱体化。<grok:render card_id="117b82" card_type="citation_card" type="render_inline_citation">
<argumentname="citation_id">14</argument>
</grok:render><grok:render card_id="e840a6" card_type="citation_card" type="render_inline_citation">
<argumentname="citation_id">9</argument>
- 観客も自宅視聴(Netflixのモーテル配信など)に移行。劇場文化の衰退を象徴するように、2025年のカンヌ映画祭で韓国映画が10年以上ぶりに不在となりました。<grok:render card_id="93124d" card_type="citation_card" type="render_inline_citation">
<argumentname="citation_id">9</argument>
</grok:render>パク・チャヌク監督は「劇場の危機が映画全体の危機だ」と指摘し、ストリーミング競争と消費者緊縮がスランプの主因だと語っています。<grok:render card_id="c502d4" card_type="citation_card" type="render_inline_citation">
<argumentname="citation_id">12</argument>
-消費者側の「ベルト・タイトニング」(家計引き締め)で、娯楽費が削減。2025年上期の全国観客数は4,070万人(前年比37%減)と、2004年以来の年間1億人割れが目前です。<grok:render card_id="f81ce1" card_type="citation_card" type="render_inline_citation">
<argumentname="citation_id">12</argument>
-劇場チェーン(Lotte Cinemas、Megabox、CJ-CGV)の合併・閉館が進み、スクリーン数が減少し、業界全体の収益基盤が揺らぎます。<grok:render card_id="ceec83" card_type="citation_card" type="render_inline_citation">
<argumentname="citation_id">14</argument>
『パラサイト』の快挙で韓国映画は世界的にブームを巻き起こしましたが、パンデミック後の回復が不十分で、構造的な問題が露呈した形です。業界は政府の救済基金(1,400億ウォン規模)やクーポン発行、AI活用、海外共同制作などの対策を求めていますが、回復には時間がかかりそうです。
70歳のおばあさんだけど、はてなブログは2008年くらいから見てるし自分のブログも10年以上続けてる。Twitter(今はXって言うんだっけ)も2011年からやっててフォロワー500人くらい。Nintendo Switchは発売日に買ったし、Snow Manはデビュー当時からめめ(目黒蓮)推しだった。まあ今はめめも向井康二も両方好きだけど。
夫は去年亡くなった。5歳上で職場結婚だった。子供2人育ててまあ普通の人生だったと思う。でも夫がいなくなってから急に時間が余りすぎて困ってる。
朝起きてまず仏壇におはようって言う。そしたらSwitchのあつ森を30分くらいやって、Twitter開いてめめの写真を眺めて、はてなブックマークで「高齢者」タグのエントリをチェックする。みんな親がスマホ使えなくて困るって書いてるけどこっちはiPhone15にしてるし、Apple MusicでSnow Manの曲全部聴けるようにしてるんだから、要はやる気だと思うのよね、、
昼間は近所のスーパーに行くけど、総菜コーナーでハンバーグ見ると夫のことを思い出してついこれ好きだったよねって呟いてしまう。若い子に変な目で見られるけどもう慣れた。
夜はYouTubeでめめの切り抜き見て、はてなブログに今日もめめが尊かったって書く。コメントで70歳でジャニオタとか珍しいですねって言われるけど別に珍しくないでしょ。同じ団地にもう1人SixTONESの京本大我推しのおばあさんがいるし。
まあこんなこと書くと冷たい妻って叩かれそうだけどはてな匿名ダイアリーだから正直に書いておく。死んだ人はもう戻らないし生きてるこっちは生きてるうちに楽しみたいだけ。
めめの日曜劇場のドラマ最終回も録画予約してる。70歳だけどちゃんとHDDに余裕作ってあるからね。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
オハイオ州立大学の元名将アーバン・マイヤーが、チームのカレッジフットボールプレーオフ進出について語った内容が、多くのファンと分析者の注目を集めています。彼の視点は常に鋭く、現場を熟知した指摘には説得力があります。マイヤーは、チームの戦い方や精神的な成熟度がシーズン後半に大きく影響すると強調し、選手たちが持つ潜在能力を高く評価しました。
彼が特に挙げたポイントは、試合ごとに積み重ねてきた安定感と、勝負どころでの集中力。これらが揃えば、プレーオフ進出は十分に狙えると語り、チームの成長曲線に大きな期待を寄せています。また、若い選手たちの台頭やリーダーシップの浸透にも触れ、チーム全体の一体感が強まっているとも評価しました。
アーバン・マイヤーの言葉は、ファンにとって希望と興奮を与える存在です。名将が認める強さを持つオハイオ州立大学が、この先どのようなドラマを見せてくれるのか、期待は高まるばかりです。
https://issuu.com/airlinehelpline/docs/_change_flight_how_to_change_your_name_on_an_aero
https://issuu.com/airlinehelpline/docs/_change_flight_how_to_change_your_name_on_an_aero
https://issuu.com/airlinehelpline/docs/_change_flight_how_to_change_your_name_on_an_aero
https://issuu.com/airlinehelpline/docs/_change_flight_how_to_change_your_name_on_an_aero
https://issuu.com/airlinehelpline/docs/_change_flight_how_to_change_your_name_on_an_aero