
はてなキーワード:トロフィーとは
少女マンガ、TL、レディコミ、女性向けなろう系などの表紙絵は、
主人公の女の子とイケメンが抱き合ったりキスしてるものが多い。
それは恋愛/性愛がテーマということでごく当然だが、奇妙なことには二人ともばっちりカメラ目線なのである。なぜお互いを見つめあうのではなく自慢げな不敵な笑みすら浮かべてこっちを見てるのか。不自然だし気持ち悪い。
まあつまりそれはトロフィーを掲げてる姿なのだろう。主人公や主人公に感情移入する読者は、恋愛がしたいのでもセックスがしたいのでもなく、いい男に選ばれた自分を他の女に見せつけたいのだ。
巨乳すぎるから性的消費だーというのもわからんことはないけど、「女の成功はいい男に選ばれることだ」なんて、はるかにアナクロな有害なメッセージ発してるだろ。
まあそんなのどうでもいいんだろうけどね。
正直に書く。私、38歳。バリキャリを自認している女だ。
20代は仕事一筋。気づいたらアラフォー手前で、慌てて婚活を始めた。「どうせなら良い人と」という意識が強くて、相手の条件にこだわった。年収1000万円以上、一流企業勤務、顔も悪くない... いわゆる「ハイスペック」と言われる男性ばかりを選んで、付き合ってきた。
何人かと真剣に交際して気づいたこと。彼らは私自身を見ていなかった。
彼らが求めていたのは、「自分のステータスに釣り合う」という名の、アクセサリーとしての妻、つまり「トロフィー」だった。
「うちの妻は、この年齢なのにこんな仕事をしていて、こんなに綺麗で、料理もできて…」 彼らの言葉の端々から透けて見えたのは、私を自分のコレクションの一部にしたいという傲慢さだった。結婚後も私に「常に高いレベル」を要求し続けることが目に見えていた。
特に決定的だったのが、私がインフルエンザで寝込んだ時だ。 彼から送られてきたのは「ちゃんと体調管理しろよ。君が倒れると困るんだから」というLINE。そこにあったのは心配じゃなくて、管理する対象としての私への機能不全クレームだった。あの瞬間、熱よりも心が冷えた。
今は、婚活アプリから「年収フィルタ」を外し、全く別のタイプの男性と付き合っている。彼は公務員で、年収は平均的。一流大卒でもないし、ブランド物を身につけてもいない。
でも、彼は私の仕事の悩みを「それ、大変だったね」と、ただ一言で受け止めてくれる。私の話を聞くときに、ちゃんと目を見て、鼻で笑わず、頷いてくれる。
高スペックな彼らといたとき、私は常に「完璧な私」を演じようと必死で、週末のデートすら「審査」のように感じていた。
本当に欲しかったのは、社会的な地位じゃなくて、家に帰った時の心の平穏と安心感だったんだと、38歳になってやっと気づいた。スペックという名の冷たい宝石箱の中で、窒息寸前だったんだ。
私と同じように「ハイスペ」という呪いにかかっている女性はいないか?一度、そのフィルター外して、本当に求めているものが「見栄」なのか、「安らぎ」なのか、見つめ直してみてほしい。
長い饂飩の麺を飲み込むときに片方は手で持ったまま口元でキープして
もう一方の先は切れないように
そーっと飲み込んで胃まで到達させて、
なんか口から胃が食道を介してちゃんと繋がっている!って実感する実験!
みんな絶対にやってるやつ!
ハックションってくしゃみしたら、
この饂飩はどこと繋がっているの?ってなったけど、
なんとか無事生還したわ。
とにかく無事に生還したわ。
ってことを
私の今ひとりでいる事務所の隣の会社つまり私が前にいたところの元同僚とかが
今日胃カメラだったんだよね!って健康診断へ行ってきた報告をこの私一人しかいない事務所まで出向いてきて報告してハッピーターンを1つ持って行くというこれ何の行動?って思うぐらい
その報告入らないけどなぁって思いつつ、
そういうなんか胃カメラって聞くと私の饂飩の麺の先を胃に到達させた過去の過酷な実験を思い出したくもないぐらい忘れちゃってるレヴェルでふと思い出すの。
あれってまだ人類が未踏の深いどこまで深いか分からない地球にぽかんと空いた穴にどこまで続いているのか地上からロープを垂らして探検隊を底まで派遣する大冒険と正に一緒よね。
私はまだ胃カメラをやる達している年齢じゃないので、
胃カメラやりました!っていう実績トロフィーはもらえないんだけど、
胃カメラも大変そうだけど
やっぱり饂飩の麺の先を今で到達させることも相反すると思うかもしれないけれど同様に大変なのよね。
だってあれ、
ごっくんって飲み込んで何かの拍子に喉で饂飩の麺が切れちゃうじゃない。
あれ口の中でもぐもぐして咀嚼して切るっていうより、
それか勘違いで饂飩の麺があまりにも強度がなさ過ぎて長さに耐えきれずに途中で切れちゃってるのかな?とか。
その原因の究明はしてはいないけれど、
何かが喉に潜んでいるのは間違いないわ。
でもそれに比べて胃カメラってかなり頑丈なケーブルというかそういう管状のものを鼻から入れるんでしょ?
喉とか通過するときに関門があるし
鼻から入れるにしても痛くないのかしら?って
今からもし将来に受けるかも知れないその胃カメラの検査に一抹の不安を感じつつ私はああそうだって思いながら冷凍庫にある抹茶味のスーパーカップをスプーンですくって食べるのよ。
冬になると、
夏にも増してアイスクリームが食べたくなるのってなんででしょうね?
分からないけど、
急に思いだしたけど、
ときどき思い出した節に食べるの。
レディーボーデンとかなんかでっかい系の一回に食べる量を自分で好き勝手に決められる食べ放題の大きいのあるじゃない。
あれは危ないわよね。
文字通り食べ放題で食べたいだけ食べちゃう正にレディーがボーデンと化してしまうわ。
あとまだ私が食べ試していない街の巷の港の石原裕次郎的な人が港に着岸して流されないようにロープで岸と結びついているポッチみたいな出っ張りあるじゃない港の紐を括る出っ張りあの名称は分からないけれどそこに足を乗せて聞いたところの噂だと。
お笑いの麒麟の川島さんじゃない方のバスケの田村さんの写真がパッケージに印刷された、
うまい棒バスケットボール味よりもそのミルク味って気になるわよね。
今年の冬のアイスクリームの食べたいリストにそのミルク味を挙げて忘れないようにしなくちゃって思ったわ。
つーか、
ところでそのまだ見ぬハーゲンダッツのミルク味ってどこで売ってるのかしら?
ハーゲンダッツのアンテナショップにはあるかも知れないけれど、
私の街の近くではそんなハーゲンダッツのアンテナショップなんてシャレオツなお店はないんだけど、
いつも今日は誕生日です!って嘘ついて店員さんにアイスを三段重ねしてもらう店員さんの横で別の店員さんがションテン高めに誕生日を祝う歌を歌ってくれるコールドストーンは近くにあるから、
毎日誕生日って言ってるとさすがに店員さんにバレてしまったわ。
気付いたけどあれよく見たら歌ってる人アイス作ってない!って。
ここだけの内緒でもあるし、
毎日が誕生日だっていって歌ってもらっていたってことも内緒よ。
それで歌ってもらいすぎたせいかコールドストーン歌禁止になっちゃって、
誕生日と関わらず無言でアイスを作ってくれる様式に変わったのよね。
あの歌好きだったのになぁって。
そうも言っている間にまたミルクアイスのことを忘れちゃいそうだからしっかりメモして
ハーゲンダッツのミルクアイス探す冒険を探検隊派遣してお宝を探しに行きたいものね。
ミルクのそのお宝財宝を見つけたらまた言うわ。
探検隊出発よ!
うふふ。
ションテン上げていこうと言うことで
あったら爆売れするかも!って
スゴイいいこと思い付いついちゃったわ!
爆売れはないかーって思いつつタマゴ尽くしのサンドイッチを両ほっぺが膨らむぐらい頬張って食べ尽くしたわ!
60から70℃の温度だと日によってめちゃ白湯ホッツが甘く感じたりするので、
これは何かしらの体調の変化の兆しなのかしら?って思うけど、
美味!って感じたらその瞬間で
体調に不安はないと思っていいと思うかもしれないわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
別に付き合ったり結婚したりするわけじゃないけど主人公を好きになったりするやつの自分用語
開き直って全員嫁にするみたいな欲望があるならまだ可愛げがあるとさえ思う
報われないのが見るからに確定してるのがなんかなぁ…ってなる
恋の駆け引き的なやつがあるならまだしも、ラブコメじゃなくてファンタジーでそんなところに力を入れるはずもなく
本人がクソザコみたいな弱点があったらともかく、大体普通に近接とか出来ちゃって弱点ないやんけってなる。
そうなるとモンスターの数だけ無限に能力付け足せるようなもんで、なんでもあり感が出てくる
後者はテイマーがどうこうっていうかテレビ番組で動物にテロップつけるのが違和感があるみたいな気持ちと
仲間を作らなくて良い能力としてテイマー系選んでる節があるのにコミュニケーションは求めるのかよっていう気持ちがある
異形要素どこ…
事前に察知して事が大きくなる前にもみ消せるだろっていうケースが生じやすい
変身中に攻撃しない怪人か君たちは
幸福を数値化して、プラスとマイナスを足し引きし、総和が最大になる瞬間で人生を終える──そんな冷静なモデルを想定してみる。
この理屈はシンプルで、「幸福のピーク=最適な終わり」と導く。
けれど、その結論を突きつけられても、私たちの直感は首を横に振る。
「いやいや、そこで死ぬなんて、せっかくのピークが台無しだ」と。
そのお金で食事をしたり、旅行したり、友達に自慢したり──勝利は“味わって”こそ価値になる。
優勝トロフィーを掲げたまま棺桶に入っても、観客は困惑するだけだ。
思い出として残れば、後になって何度も咲き直す。
古い友人と「覚えてる?あの時さあ…」と笑い合う。
これらはまるで利息を生む預金のようで、元本となる体験がある限り、時間をかけて何度も小さな幸福を届けてくれる。
絶頂で死ぬということは、この利息を受け取る未来をすべて捨てることだ。
数式は元本しか見ないが、人間は元本と利息の両方で生きている。
もし人生をゲームにたとえるなら、ラスボスを倒した瞬間に電源を切るのではなく、その後のエンディングを見て、スタッフロールの曲に浸る時間こそが、物語の一部だ。
だから私は、幸福のピークで死ぬべきだという最適化の結論に同意できない。
幸福は数字だけで測れないし、その後に味わう喜びと、思い出の利息こそが、人生をふくらませる本当の得点なのだ。
* * * *
ChatGPTと話して書いてもらった。
勝ち逃げのゲーム終了後に死んだら誰が喜ぶのかというのはこちらから言ったことで、ゲームのエンディングに浸るとかはChatGPTが考えたこと。
零 ~月蝕の仮面~は霊リストをコンプリートすることがトロフィーの条件になっている。
一部の怨霊はこちらの攻撃後にHPが残っていると確率で咲く(形態が変化する)ことがあり、咲く前と咲いた後は別の怨霊として霊リストに記録される。
厄介なのは泡月沙苗で、泡月沙苗は体力が低いので装備をフル強化すると咲かせるのが難しい。1週目で装備を強化しすぎてしまって、2週目で初めて攻略情報を見たときに後悔するのがよくあるパターンになっている。
霊リストを引き継いで装備を引き継がないということはできないので、1週目で装備をフル強化してしまった場合、苦労してなんとか咲かせるか、引き継ぎなしで霊リストを最初から集めなおすことになる。