
はてなキーワード:トイストーリーとは
ディズニーランド行ってる人って最近は30代とか40代が多いって言うけど実際どうなんだろうな。
年パスがないとか、入ってからもスマホずっと触ってないと予約できないとか、あまり良い噂を聞かないが…
うちも子供がいるけれど、男の子だからかディズニーランド行ってみたいみたいなの全く言わないんだよな。USJはマリオがあるから行きたがるけれど。
ディズニーで男の子が夢中になるのって、せいぜいトイストーリーとカーズくらいなような気がするんだが。
どうやら子供はヒカキンとセイキンが行ってる動画を見ると、興味を持つみたいなんだよな。
女の子ならディズニープリンセスとか好きで、パレードとか嬉しいのかな。
そう考えるとディズニーランド好きなの女ばっかりになりそうじゃないか?
デートでディズニー好きの女に連れて行かれる男は楽しいのかね?まあ昔からデートでディズニー行くと喧嘩して別れるとも言うしな。
こんなことをどこに書くべきか何もわからなかったので、とりあえずここに垂れ流すことにした。
ぜひこの記事に「トイストーリー4 嫌い」とか「トイストーリー4 駄作」とか、なんだったらこれ以上の被害者を出さないためにも「トイストーリー4 評価」とかで検索してたどり着き、この感情に任せた書き散らしがひどいことになる前に止めたいと切に願っている。
件の「トイストーリー4」(以下トイ4)が公開されたのは、2019年。これを書いてる時点でもう6年も月日が経とうとしている。それでもなお、いまだに私はトイ4に対する強い憎しみを覚えているし、内容も昨日の事のように思い出せる。1回しか観てないのに、だ。もしかしたらこれを読んでいる人は「1回じゃ良さがわからないから、ちゃんともう一回見直せ」 「6年も経ってるなら新しい発見があるかもしれないだろ」と言うかもしれない。
異教徒め。
私はあの悪夢に魂まで焼かれ、わずかに残っていた企業に対する信頼すらすべて失わせるほどの苦しみを与えられたのだ。今更もう一度なんて絶対に観ない。観たくない。
じゃあそもそもなんでこんな書き散らしをしているのかといえば、Xで「トイストーリー5が作られるらしいよ」という情報を目にしたからである。
おいまじふざけんな。
そももそトイ4だってなかったことにしたいんだぞこっちは。なんでここで5を出すんだよ。お前らも4気に入らなかったってことじゃないか。気に入らなかったら続編を作って、最新作の良さで駄作を評価し直して金稼ごうってか。世間と制作会社と配給会社が許しても、私の心はそれに「いいね」なんて言えない。火あぶりにされても絶対に言えない。
そんなわけで、ネタバレたっぷりでトイ4の何が悪かったのか、私が何に対して憤りを感じているのか、書いていく。読んでもいいし、読まなくてもいい。
そもそも、あの美しく完結したトイストーリー3の続編を作ろう、というのが気に入らない。私が人生で初めて映画館で見た映画がトイストーリーだ。記憶は定かではないが、記憶が定かでないような年齢の子供が映画館でアニメ映画を1本まるまる見て、それでいて親に「あれがお前と人生で初めて一緒に観た映画だよ」なんて語られるんだから、相当静かに見入ってたに違いない。我が家にはトイストーリーのVHSもあり、それをセリフを覚えるまで何度も何度も何度も何度も観た。多分、観てない時間の方が短かったんじゃないかというくらい観た。なんだったら当時はアメリカ暮らしだったので、英語で見た。子供の頃にはわからなかったジョーク(例:ポテトヘッドが口を取り外して自分の腰あたりにペタペタ押し付けるモーションがウッディの最初の演説中に入るが、あれはkiss myass、黙れとか消えろとかうぜぇとかそういう意味)が理解できたのは相当後になってからだった。とにかく、それくらい繰り返し観た、私の魂の映画だと思ってもらって構わない。
それが2を経て、なるほどバズとウッディの立場を逆にしたというか、1ではバスにおもちゃとは、を説くのがウッディだったのに対して、その構図がひっくり返ってるの、相当上手だなとひどく関心してた。3では自分と同じように年を重ねたアンディの気持ちが痛いほどわかって、ひどく辛く、そして優しく、嬉しく、豊かな気持ちになって映画館を出た。素晴らしい映画で、トイストーリーシリーズは傑作だと思った。
それがどうだ。トイ4。あれはゴミ箱行きにしてほしい汚点だ。トイストーリーシリーズに対する侮辱だ。けもフレ2だ。
あんなに優しく、大事にするんだよって念押ししながら渡したウッディの扱いがこれか。いや、子供なんだから仕方ない。そう、3におけるボニーのウッディに対する執着が、トイ4時点でコロっと変わるのは、もう、「子供は飽きっぽいからしょうがない」 「興味が移るのは子供の成長の証」と思うし、納得できないところではない。だからこそ仮面ライダーとかプリキュアだって毎年やってるし、当時の子供たちが大人になったタイミングでリバイバルとして新作映像作品に登場したりする。これは当然だ。うん、わかる。
あいつは正しく自分を自認していた。ゴミだよ、言っちゃ悪いけど。そりゃあボニーは大事にしていたかもしれない。でも、他にいくらでも遊ぶおもちゃの選択がある中で?ぬいぐるみだっていろいろ持ってたじゃない?ジェシーだっているのに?男の子向けのおもちゃが興味持たれないのは当然だろう。ただ、じゃあ自分の女の子向けのおもちゃよりも優位に立つだろうか?
「でも、学校には持っていけないじゃない」
そりゃあそうだ。でも、寂しさや疎外感を紛らわすなら、先割れスプーンで作った人形とかではない気がする。そんなので遊んでたら余計仲間外れにされるだろ……アメリカと日本とは常識が違うとかじゃない、アメリカだろうと日本だろうと、先割れスプーンで作った人形でずっと一人遊びしてる子は仲間外れにされる。ボニーはそんなことわからないのは当然として、これを読んで反論をしようとしたトイ4に賞賛的意見を持つ異教徒でも、それくらいは理解してほしいと思う。
で、ゴミ箱に身投げしようとするフォーキーを子育てする父親よろしく甲斐甲斐しく世話をしていくウッディ。
わかるよ。ボニーが泣いてるの見たくないよな。子供にはいつだって笑っててほしい。でもごめん、先割れスプーンで作ったなれ果てみたいな人形一つを失くしてギャン泣きしたら、多分翌日にはボニーはケロっとしてる。ウッディに対する執着のなさを見ていると、そうとしか思えない。だってトイ3であれだけウッディを可愛がっていた……はずなのに、トイ4ではあんなに興味ないんだぞ。多分、もとより興味が移りやすい子なのかもしれない。その中で執着を覚えたのがフォーキーなのかもしれない。
それでも、そんなフォーキーを「世話しよう」と決めたのはウッディだ。なんで疲れて弱音吐いてんだ。生きがいとしてやるって決めたのお前じゃねーか。私はこの時点で「もしかして制作陣は過去作を一つも観たことがないのでは……?」という不安に苛まれ始め、バズの言動でそれを確信へと変えた。
バズ。あぁバズ。スペースレンジャーと思い込んでアンディの部屋にやって来た、思い込みが激しく人一倍信念が強く、実はウッディよりも仲間想いのバズ・ライトイヤーよ。
トイ4を観る、という苦行を行った同士ならご存知かもしれないが、この映画、バズの登場シーンが他と比べて少ない。なんだったら、過去作のおもちゃの登場シーンはひどく少ない。なんというか、「バズを出す必要があったから出したけど、本当は出したくなかった」とすら感じてしまうほどだ。
極めつけはトイ4の中で、何か意思決定をする時に「心の声」とやらにしか従わない点にある。何、心の声って。英語だとinnervoiceとかvoice insideyouとか言ってたかな。要は「自分が正しいと思ったことをしろ」ってことなんだけど、それを音が鳴る機能の部分と勘違いして、それに従ってしまう。
第一に、バズの音声バリエーションはそんなに多くない。これは現実のおもちゃを触ってたからこその話なんだけど、でも作中だとスペイン語切り替えスイッチがあるし、結構高性能なおもちゃなのかもしれない。ならプレバン限定のおもちゃみたいに「40種類の音声バリエーション!」みたいな感じになってても不思議ではない、のかもしれない。
だが第二に、仮にそうだとして、過去作のバズならそんなことはしない。バズはスペース・レンジャーであり、即座の判断力に長けたおもちゃである。これはトイ2で、2種類のバズを比較してわかることだ。我らがアンディバズは、アルのアパートにやって来た際に、すぐに通気口から仲間たちが侵入したことに気づいた。描写としてはレックスの足跡と外された通気口の格子を見ただけ、というもの。この瞬間的観察力と判断力は、ウッディとジェシーが飛行機の貨物室から飛び降りる時にも、ウッディの軽い指示だけで受け止める準備をした様子からも見て取れる。
Al'sToy Barnで出会った新バズも、ウッディが襲われてると勘違いしたレックスに「どうしよう?」 (What do we doBuzz?) と問われて、即座に「頭を使え」(Useyour head)と即答していた。その一連の流れ自体はギャグシーンなのだが、この判断力はさすがバズであるといえる。エレベーターで昇るのが無理になり、半重力システムを使うという判断をする際も、かなり思い切りがよかった。それこそ、他のおもちゃたちが止めても決行したほどに。
トイ2からの引用だけで申し訳ないが、この通りバズは思い切りの良さと判断力が強いキャラクターなのだ。それを「心の声に従わせて動いてもらおう」は、あまりにもバズというキャラクターを理解していないのみならず、理解しようという努力すら放棄していることの証左である。だって観たらわかるんだから。観てわかることをあえて行わないのだとしたら、それはもう反逆と言わざるを得ない。なんでそんなことしたんだ。
まず、アンディの家は、アンディはもちろん、母親もおもちゃに対する理解をかなり示す人である。引っ越し前にウッディとバズをなくして落ち込むアンディに「きっと出てくるよ」と優しく声をかけたり、アルが「いくらだ!?」と交渉を持ち掛けても「ウッディは家族のおもちゃで売り物じゃない」と突っぱねるなど、おもちゃと、それで遊ぶ子供に対して非常に理解のあるお方なのだ。
それをほかの人に譲るだろうか……?
いや、これはよくない。ボーがいなくなったのは2と3の間で、4とは関係ないのだ。今やりたいのは重箱の隅をつつくことじゃなく、トイ4を批判することだ。
2019年ごろのディズニーは、他の映画製作会社の例にもれず、というかアメリカ社会の流行である、強い女性の社会進出だとかLGBTや有色人種への配慮だとかSDGsだとか、そういうものにあふれていた。今も溢れてるのかもしれない……実写版白雪姫の評判を聞いている感じだと。
とにかく、その流れの中で「強い女を出そう」ということになったのは火を見るより明らかである。それも「過去に”女”というキャラクターで出されていたやつを、強い女へと昇華して”あげる”」という傲慢甚だしい考えがあったに違いない。それこそが白人の思い上がりというか、まぁそれはいいとして、キャラ改変されて再登場させられた。そこに元あったボーの華やかさとかお淑やかさとか、カウボーイに対するヒロインのイメージはない。ボー・ピープのアイデンティティ破壊というか塗り替え、完了ってか。そうして「強く自立した女を出した」ことで、それが評価されてるの、本当に駄作を作る才能に長けているとしか言いようがない。
これ以上書き続けても本当に細かい呪詛がたくさん出てくるだけだし、そろそろ眠くなってきたので最後にウッディについて。
いや、話の流れ的にはウッディは綺麗だよ。おもちゃとしての心であったボイスボックスをギャビー・ギャビーに差し出したことで、ウッディ自身がおもちゃとしての役割から解放されてしまい、仲間の元を去る。それはわかる。結果としてギャビー・ギャビーはおもちゃとして受け入れられていくことになった。いい話だ。ギリギリね。本当にギリギリ。
悪いけど、過去作のウッディならギャビー・ギャビーも一緒に連れて行ってるでしょう。ボイスボックスがダメになったくらいでおもちゃを見捨てるようなウッディじゃないし、なんだったら私はあのクライマックスのシーンでそれを期待していた。期待はいとも簡単に裏切られたけどな。
音の鳴らなくなったウィージーを見捨てることがなかったウッディは、たとえおもちゃが壊れてようと仲間として迎え入れる懐の広さとカリスマ性を併せ持つ最高のおもちゃなのだ。シドに魔改造されたおもちゃとも心を通わせられるカウボーイなのだ。ギャビー・ギャビーだってその例外ではないはずだ。
だがトイ4のウッディは説得ではなく、ギャビー・ギャビーの願いを叶える形を取った。美しくはある。だけどそれをトイストーリーという土台でする必要は全くない。ゼロ。
それなのにその決断をしたというのは、これはもう「トイストーリーのこと何もわかってません」と言ってるようなものだと思う。
トイ1で、トラックの下でバズになんて言ったか覚えてないの?覚えてないなら私が思い出させてやりたい。
ウッディは "You are aTOY! A child's play-thing!"って言ってたんだ。お前はおもちゃだ、子供が遊ぶやつだ、と。
ウッディの認識は、おもちゃ(自分たち)=子供が遊ぶもの、である。だから博物館に入ることにも価値はない、とトイ2でも帰還を目指す。トイ3でも同じ行動理念を持って、あの絶望的な保育園からの脱却を図る。
なんでその理念をトイ4で忘れたのか?答えは簡単、制作陣が過去作を観てないか、嫌いだったからである。
トイストーリーとしての当たり前に守るべきルールはまだまだああるが、どれ一つとして守れていない。トイストーリー4は純度120%のアンチ・トイストーリーであり、黒歴史であり、駄作であり、観る価値のない作品の一つで、これを観る暇があるなら騙されたと思って初代トイストーリーを見て欲しいと思う。
そして、トイストーリー4を名作だと思っている異教徒の皆様へ。
義理の両親が金婚式とのことで、もともと私の節目の誕生日祝いをさらに豪華にした。
当初、まだ泊ってないトイストーリーホテル+バケーションパッケージの予定から、
100万越え。
娘の入学祝で、ファンタジースプリングスのグランドシャトー(家族3人)。
ソアリンに二回乗ったり、ビリーヴのDPAとったりで、まあ、んー、70万overかな。
マゼランズは今まで予約が取れそうになかったので諦めてたのだけど、宿泊者の有利さでとれた。
SSコロンビアよりもミラコスタのオチェーアノ(コース)よりも良い。
ラ・リベリュールは宿泊しないと入れないし、お値段も張るので、評価外。
ディズニーランドにはこのレベルのレストランがなくて残念である。
けど、ランドはショーが多いので、まあ、がっつり食事時間を確保はしないかな、大抵。
だいたい地べたでピザとか食べてるか、ダイアモンドホースシューかポリネシアンテラスですね。
贅沢は素敵だ!
私の好きな人たちがオススメしてくれたので、気になっていた映画ロボット・ドリームズを見たのですが、私個人の好みの話をするとかなり苦手な作品でした。とはいえ、とても考えさせられる物語でもありました。
作品に関して思うところがかなりあるので、ネタバレ全開で思ったこと書かせてください。全て書くと取り留めのない文章になってしまうので、
この3点を中心に焦点を当てて書いていきたいと思います。
これがもうね、見ていてつらい。本当に。具体的には、
最初はあまり深く考えずに見ていたため、ロボットは動物たちには決して持ち上げられないくらいの重量があるのかと思っていたのですが、よく考えたら物語冒頭の配達員や、ジャンクヤードのワニがロボットを軽々運んでいるところを見ると、決してどうやっても運べない重量という訳ではないんですよね。あの世界では種の違いによるものなのかもしれませんが、ドッグは動物たちの中でも身体的に優れているとは言えなかったため、友人(あるいは恋人)の危機に際して最善の方法をとることができなかった。
錠前を壊す以外に少なくとも2つの侵入方法があったことが作中でわざわざ明示されています。それを教えてくれたのは、海から漂着した海兵?たちと、下水道をこじ開けて侵入したスカベンジャーです。なので、「この物語はあくまでコミック調のフィクションだから、錠前を壊して侵入する以外ロボットの元へ行く方法はなかったんだよ~」となどという意見は悲しいですが通用しません。一度捕まった後も、ロボットの元へ行く方法は複数あった。けれど、ドッグはそれをしなかった、またはそれらの方法を想像、あるいは実行できなかった。
まあ、これがもし普通の映画だったら、ドッグは諦める前に「必ず君を助けにくるから!」とかロボットに声をかけるんでしょうが、この辺りはセリフのない映画の面白さではありますね。「6月1日、ロボット救出!」はあくまで自分が掲げた目標でしかなく、ロボットと交わした約束ではなかったわけです。
舞台はおそらく80年代のマンハッタン。ダックの引越し先であるヨーロッパへ行くことは簡単ではないかもしれませんが、不可能ではない。ですがドッグは作中その選択はせず、他者との繋がりを得るためもっと手っ取り早い方法をとった。会いに行くとまではいかなくても、せめてダックに向けて手紙を返すシーンみたいなものがあったらまた印象も違ったとは思うのですが。それと、ダックや他者とのコミュニケーションのきっかけになったゲイラカイトや釣り、それとソリですが、どれを取ってもドッグは不出来・不慣れなんですよね。これも見ていてつらい。作中どこをとってもドッグが他者と比較して明確に優れているな、という点が見つからないんです。もちろん、他者と比較して優れているところなんてそんなものなくたって動物(人)は愛し愛されるべきだとは思うのですが、それでもドッグは(これは本当に私個人の感想なんですが)不出来で何をやっても上手くいかない過去の自分を見ているようで何だか胸が痛くなりました。また、私の兄弟は、「可愛い絵柄だから見れたが、これが実写映画だったらもっとジメジメして見ていられなかったと思う」と言っていて、確かにその通りだなと感じました。ドッグというキャラクターや風景作画がとっても可愛く、音楽や演出も明るいため見落としそうになりますが、これを全て人間に置き換えたらそれはもはや悲劇だなと...
ロボットの二人目のパートナーと言えるラスカルは、ドッグと比較して様々な面で優れている描写があります。いくつか例を挙げると、ドッグよりもロボット工学に精通している、普段冷食ばかり食べているドッグに対して、ラスカルは朝パンケーキを焼いたり屋上でバーベキューしたりと料理が得意な描写がある、ゲイラカイトや二代目のロボットを買う際、値段を見て安いもので済ませてしまうドッグとは対照的に、ラスカルは大きなビルの屋上や一室を自由に使っていたり、壁の塗装を行ったりと、マンションあるいはホテルのオーナー(≒裕福)と思われる描写がある などなど...
例えば、ドッグがラスカルと同じかそれ以上に機械いじりに長けた人物だったら、ロボットが壊れた際その場ですぐに修理なり応急処置なりをすることもできたかもしれない。
あとなにより終盤の花火のシーンでラスカル&ロボットはビルの屋上からバーベキュー片手に花火を見ているのに対し、かたやドッグ&ティン(二代目ロボット)は橋の下でサンドイッチ一枚食べながらそれを見ているのがなんだが残酷すぎて嫌な気持ちになりました。もちろん、大事なのは「何をするじゃなく誰とするか」「何を食べるではなく誰と食べるか」だとは思います。でも、わざわざ2組の境遇にこれでもかってくらい対象的に差をつけているのがこの作品意地悪なんですよね。「幸せの形は人それぞれなんだから別にいいじゃーん」と言われたらそれは本当その通りなのですが、じゃあ「他に人や遮る建物もないビルの屋上でバーベキューして好きな音楽聴きながら花火を見るのと、他にも人がいるなか橋の下でサンドイッチ一枚食べながら花火を見るの、どっちがいい?」って聞かれたら、そりゃあ前者を選びますよねっていう。
ハロウィンで無関係な子どもに当たる、喧嘩を売ってきたアリクイに仕返しをする、ロボットにとって危険である海に二度もロボットを連れていくなど、ドッグは内面も未熟であることが端々から見てとれます。もっとも、未熟なこと自体は悪ではなく、そこから成長していく物語というのは昔から現在まで創作の基本的なアプローチとして広く使われてきたテーマではあります。ですがドッグには作中精神的な成長が見て取れなかった。もちろんこの作品のメインテーマが成長ではないことは重々承知していますが、でもこれやっぱ、かなりしんどいんですよね。何かしらの成長や前進があって欲しかった。ロボットは長い夢を通じて精神的成長をしたともとれるお話でしたが、ドッグは何か問題に直面した際にいつも場当たり的でインスタントな対処を続けてきたので、きっとこの先も似たような失敗や別れを経験してしまうのではないか、とか憂慮してしまいます。まあそうやって失敗や別れを繰り返すのもまた人生、ケセラセラ。みたいな話なのか?違うか。
ドッグも行動力が無いわけではないので、「ならどうしてこんなに孤独なんだろう」と途中までは思っていましたが、段々彼の行動に違和感を覚えるところが強くなっていきました。ドッグは第一の主人公と言っても過言ではないと思いますが、彼に感情移入してしまうと中々にしんどかったです。6月1日にロボットを探す際、周囲に止められるまで穴を掘り続けるシーンとか、良いところももちろんあるんですけどね。ドッグは彼なりに出来ることを精一杯やっていたんだと思います。でもそのやり方とか判断、彼の能力が、作中の他の登場人物より拙く描写されていること、またロボットを助ける方法がないわけではなかったとわざわざ明示されているのがこの作品残酷だなと思いました。ロボットとの別れの原因が不慮の事故とかだったらここまでモヤモヤしなかった気がします。
ロボットは作中では動物たちと同列の命としては扱われていません。私はロボットも動物たちと同じ命だと思っていた(思いたかった)のですが、この点に関してはこの作品のシビアな部分の一つで、結構残酷な描写が多いです。絵的に分かりやすいシーンで言えば、ロボットの足を切断する海兵?や、ロボットをスクラップにするジャンクヤードの人たちでしょうか。子どもがロボットを叩いて虐待しているようにも見えるシーンもありましたね。ですが、それだけでなくドッグやラスカルも前述の人たちほどではないにせよ身勝手な行いをロボットに向かってしているなと私は感じました。例えば、ドッグは泣く泣くロボットをビーチに置き去りにしたわけですが、もし仮にこれがロボットではなく他の動物、例えばドッグの子どもだったらどうでしょうか。彼はどんな手段を使ってでも子どもを助けたでしょうし、ビーチの警備員や役所の人もビーチに入れてくれないなんてことは起こらなかったでしょう(これはあくまで仮の話なので、「ドッグはどう見ても独身だろ」とかいう分かりきった低次元なツッコミは勘弁願います)。何が言いたいかというと、要はドッグは相手がロボットだから一旦諦めたし、警備員も置かれているのがロボットだったからビーチに入れてくれなかったのです。ここからも、作中のあらゆる動物がロボットを物として扱っているのが見て取れます。海兵?たちはロボットの足を使って舟の穴を埋めていましたが、ドッグも自身の寂しさを埋めるためにロボットを利用していたという点で両者は同じ穴の狢だなと思いました。
また、ラスカルについてはロボットに対してかなり良心のある人物として描かれてはいますが、自分の好きなようにロボットの身体を改造し、自身のプレイリストをロボットの身体に忍ばせるのを良しとしていたりと、見方を変えれば猟奇的とも言えなくもない行動をとっていました。ロボットの目線で考えると、動物たちのエゴに振りまわされ続ける話と言えなくもないんですよね。この辺りに気持ち悪さを覚える人と、「ロボットはあくまでロボット」と割り切れる人でこの作品の感想は大きく変わってくるのかなと感じます。たしかに、ロボットが通販番組の商品であったように、動物たちから見てロボットはあくまで寂しさを埋めるための道具でした。だから平気で約1年放置するし、壊れたら好きなように修理するし、新しいものを買ったりもする。でも、ドッグがロボットに感じていた友情、愛情は嘘ではない。人間とロボットの違いについて考えさせられますね。
長い夢を通じて一人になることの辛さを知ったロボットは、自分が今ドッグと再会してしまったらティンやラスカルはどうなってしまうんだろうと夢想して、再会しないことを選択した(と私は解釈した)のですが、美談のように見えてこれも辛くて。これ、逆だったら良くある話だと思うんですよ。『ドッグが偶然街でロボットを見かける。声をかけたい気持ちは当然ある。でもロボットの傍らには新しいパートナーと思しき人物が。そして自分の隣にも今は新しいパートナーがいる。もうあの頃に戻ることは出来ないけれど、今はせめて一人踊ろうか』って。これだったらそこまでモヤモヤした気持ちにはならなかったと思います。なんだかちょっとバタフライ・エフェクトみたいですし。この場合の再会しないという選択は、ドッグにとっての贖罪でもあり成長でもありますから。でもこれ逆なんですよ。「自分”が”見捨てた人が、街で幸せそうにしているのを見かけて、その人の幸せを願う」のと、「自分”を”見捨てた人が、街で幸せそうにしているのを見かけて、その人のことの幸せを願う」のって、天と地ほどの差があると私を思います。後者は並の精神で出来ることじゃないですよ。「まぁそれはロボットだから…」って言われてしまったらそれまでかもしれませんが。でもロボットの精神性を否定してしまうとこの作品の全てを否定することになるのでね…。とにかく、私が一番強く感じたのは、ロボットには何も悪いところなどなかったのにこの結末は正直あんまりだなと。いや、ロボットがこれで良いと思っているのなら、それがロボットにとってのベストなんでしょうけども。ああ、上手く言語化できない。
ちょっと別の作品を例に出しますが、映画「トイストーリー3」では、ロボットと同じように、本意では無いものの持ち主に置いていかれたロッツォというキャラクターがいます。ロッツォは何とか持ち主の家まで辿りつくことが出来ましたが、家の窓を覗くとそこにはすでに新しい『ロッツォ』を買ってもらっている持ち主の姿がありました。持ち主に捨てられ、帰る場所を失ったロッツォは歪んでしまい、ヴィランとなってしまうのです。帰る場所の有無という違いはあれど、私はこのロッツォとロボットは境遇が似ているなと思いました。なので、持ち主を許すことができず全てを憎むようになったロッツォに対して、同じく捨てられた側であるロボットが全てを赦す(というとあまり言葉が正しくないかもしれないですが)というロボットの精神が、あまりに高尚すぎるなと感じました。私からすると、悲しみと怒りのあまり反転してしまったロッツォの方がまだ理解できるんですよね。もし私がロボットだったら、きっとドッグを恨み続けてしまうことでしょう。何と言いますか、ロボットが遊戯王ZEXALの主人公九十九遊馬くんかの如く菩薩メンタル天元突破でシンギュラっているのに対して、ドッグは前述のとおり殆ど成長が見られないのがかなりグロテスクに感じます...。防水型の高価なロボットより手軽で安価なロボットを買って、ロボットをまた海に連れて行くシーンなんて正にそうですよね。「ロボットがまた壊れてしまうかもしれない」よりも「誰かと海に行きたい」という自身の欲求を優先しているあたり、過去の経験から学びや成長をしていないのがしんどくて。いや、潤滑スプレーを散布しているあたり一応前回よりほんのちょっとだけ進歩はしているんですけれども。でもその一歩が本当に小さすぎるというか何というか。このように終盤になってもドッグはロボットを命として見ていないところから、ロボット→ドッグへの愛情と、ドッグ→ロボットへの愛情に差がありすぎる気がします。やっぱり対等じゃないんですよね。人間とロボットの友情を描いた作品って他にも色々あるかと思いますが、基本的にはバディものだったり、主従はあれどロボットのことを同じ命として互いに尊重しあう対等な関係性の物語が多いかなって思います。ですが、この作品はそうではなく、ロボットを命としては見ておらず気軽に消費できる道具として使っている。その上で友情とか言われても、やっぱり頭にハテナが浮かんでしまいます。「二人の友情」というより、「深慮あるロボットの健気で一方的な愛情」という方が自分はしっくりきました。ドッグは、ロボットが与えてくれたもの、満たしてくれたものと同じくらいのものをロボットへ返すことが出来ていたのかな…?うーん。
私は、友情や愛情はある程度対等な立場がその前提にあるものだと考えています。けれど、ドッグとロボットは最初から最後まで対等ではなかったように思えて、愛って何なんだろうと考えさせられる作品でした。
けっこう感動や友情といった文脈で語られているような気がする本作ですが、私はこの映画を見終わったあと、下がった口角が元に戻らないくらいには暗い気持ちになってしまいました。
メリーバッドエンドとも少し違うような形容しがたい結末の本作ですが、少なくとも心温まる!とか感動の友情!みたいな手放しで良かったと言えるお話にはとても思えず、心にしこりの残るお話に感じましたね。
この作品のどのあたりに人は感動するのか正直私には分からなかったので、純粋に知りたいなと思い、どなたか教えてもらえたら嬉しいです。色んな方の感想も聞いてみたい。
これはいつか何処かで見た言葉の受け売りですが、私は伸ばした手が届く物語が好きです。
昔はどんでん返し系と言いますか、ラスト5分で全部ひっくり返るような後味の悪い映画が好きでよく見ていたのですが、今はもう聖人が報われなかったり、他者のために何かを我慢したり、自己を犠牲にするような物語はあまり見たくないというか。鑑賞後スカッとする映画の方がやっぱり好みなのかもしれない。
地方在住の親族から「クリスマスのディズニーに行きたい!」と連絡が入った。
上京の1週間前に。
パークチケットを人数分確保
レストランの予約。
ディズニーホテル内レストランは3カ月前、パーク内レストランは1カ月前に予約解禁となるため、すでに満席状態。
キャンセル拾い(満席の画面をひたすらリロードし続けるだけなのだが)をして、どうにか夕食は確保。
9:00
ホテル宿泊・バケーションパッケージ枠の解放を狙ってアクセスするも、依然満席のママ。
昼食はアドリブ決定。
9:05
9:20
10:00
ファンタジースプリングスはスタンバイパス(無料整理券)・DPA(有料ファストパス)ともに終了済み。
を確保。
なお、ビッグバンドビートは抽選漏れ。縮小版なのでDPAに課金するまでは至らず。
11:00
15分待ち。
11:30
入口眺めるだけ。
USJのニンテンドーワールドは権利が無いと入口すら拝めないのと比較して、こっちは記念写真撮れるだけ親切。
12:15
小腹を埋める
12:30
観光案内しつつケープコッド側からアメリカンウォーターフロントへ移動
12:45
歩いてるだけでも何か見られた感があるので有難い。
13:00
13:45
スタンバイ15分
14:00
お土産買う
14:15
14:30
水上ショー中は休止になるので再開時を狙うと空いてる。
14:45
お土産買う
15:45
スタンバイ40分と聞いて並んだが、結果60分かかった
16:15
17:00
退園
夕食
18:40
お土産買う
18:50
19:00
19:20
ビリーヴやってる中を移動。
19:25
DPA利用
20:00
DPA利用
20:30
20:50
退園
20:55
21:05
21:10
帰る
しかし混んでいた。
こちらは快適さを買いたいのだ。
O社の方針は、
・人数制限による混雑緩和
のはずなのだ。
金を払わせて欲しい。俺の客単価は倍になって良いから、快適を買わせてくれ。
GWにオッサンひとりなら東京ディズニーシー(シー)が良い?ってついに知り合いに聞かれて明らかに自分が原因なので、以下に解説するよ。
なおここでは、お酒を飲める年齢で、自由にできるお金がそれなりにあり、土日祝日を自分一人のために使える人を仮にオッサンと呼ぶよ。
今の東京ディズニーリゾートは、一度長期の休園を経たうえで、絶妙なバランスでご新規も家族連れも熱狂的なファンも楽しめるライブ会場みたいになってるので、
「でも、小さい箱で直接握手できたあの頃とは違うよね」とか「国内で5万も払うなら、アメリカツアーで楽しんだ方が安いまである」とか「ホテルのコンシェルジュに頼めばどのチケットも手配してくれるでしょ」
みたいな人にはマジで向いてないです。黙ってアナハイムに行ってXで見せびらかすんだ。
YES.東京ディズニーリゾートは、基本的に"あえて"ディズニーリゾートに行く人が対象なので、〇〇が何であっても基本的にはそちらに行った方が良いです。
なので、「ディズニー行ったことないけど、一度くらいは行ってみようかなー」ぐらいがギリ対象範囲です。
まずぼんやり行こうかなと思うオッサンが熱狂的なディズニーファンである可能性が薄そうだから。
そうすると、東京ディズニーランド(ランド)は、ちょっと古い(懐古的な)ところがあり、ノリについていくのがキツイ可能性がある。
また、ランドとシーとを比較すると、ランドの方が概ね混んでいて、並んだりするのに慣れていない人には、ちょっと厳しい可能性が高い。
テーマパークという、あるテーマに沿ったエリア(ディズニーだとテーマエリアと呼ばれたりする)を楽しむのに不慣れな人は、シーからがおススメ。
ここからは、ぜひやろう3選、やった方が良い3選、やらない方が良い3選、参考お楽しみコース3選と紹介していくよ。
ひとりでディズニーなんてと思うことは全くない。なぜならばひとりでディズニーの人はわりといて、いろんな楽しみ方をしている人もたくさんいるから。
特にキャラクターが散歩しているときに、お、せっかくだし写真でも撮ろうかなと思ったらぜひ近寄ろう。余裕があればキャスト(パークで働いている人)に、写真お手伝いしましょうか?と声をかけてもらえたりする。
ちょっとスマホ渡すの抵抗あるなーという場合は、インカメラで自分とキャラクターが映る感じにしておくと、なんかいい感じでカメラに入ってきてくれるぞ。
遠巻きにせずにあえてやってみる、という経験をしてみるのも、ひとりでディズニーに行くときの醍醐味のひとつだ。
おおむね俗世間の1.5倍くらいのコストは支払う必要がある。例えばペットボトルでお茶を買うと250円くらいすると思っておくと間違いない。
だから、ちょっとしたカクテルと軽食で2,000円超えとかも、まあまあある。そこは使って行こう。
また、初心者のうちほど「あ、このグッズはちょっと良いな」と思ったその時に買っておこう。
帽子を買ってかぶってみるとか、カバンにつけるグッズを買ってつけてみるとか。
良い思い出になるのと、グッズは色々なところで売ってるけど実は販売店舗が限定されているものもあり、見つけたら即購入がおススメ。
ただちょっと考えてみるとわかるんだけど、実は飯時のレストランとかも結構20~30分待ったりするんだよね。
なので、40分くらいまでは並んでみることをおススメする。慣れていないと100分超えはキツイのでおススメしない。
別に無理にとは言わないけど、やった方が良いことを解説するよ。
最近は繁忙期閑散期というほどの差が様々な要因で無くなってきていることもあり、ゴールデンウイーク(GW)だから一概に激混みになるかっていうと微妙ではあるけど、避けた方が無難。
せっかくなら普通の土日に行こう。新幹線を使ったりするならなおのことGWは避けよう。
じゃあ、GWはなにしたらええんやっていうと、ディズニー公式動画配信サービス「Disney+」(ディズニープラス)に入ってディズニー映画を観るのがおススメ。
例えば、シーでショーを観るときに、アナと雪の女王,塔の上のラプンツェル,モアナと伝説の海,リメンバー・ミーあたりを観ておくとより楽しめる。
さらに言えば、リトル・マーメイド,アラジン,ピーターパン,ピノキオくらいまでぼんやり知っておくと楽しい。
欲を言えば、ダックテイルズを観て、スクルージ・マクダックについて知っておくと特にシーでは思わぬところで名前を目にするので楽しい。
また、アトラクションにも乗ってみても良いかなーと思うのであれば、ファインディング・ニモ,インディジョーンズシリーズあたりも観ても良いと思う。
(なお、先にアトラクションに乗っておいた方が楽しめるタイプの映画もあり、ジャングルクルーズやセンター・オブ・ジ・アースなんかは、映画が後の方が良かったりする)
月990円だけど、しっかり楽しむために事前に千円くらい払ってみるかーという気持ちで加入するのはわりと良いぞ。
特殊なチケットを買わない限り、シーもランドも購入日から1年以内なら入園日を変更できる。
そのため、雨や風が強いなどの日は、勇気をもって延期しよう。
延期が出来ることもあり雨の方が全体的に人は少ないが、初心者には特に厳しいことになりがち。
そのため、雨の予報なら、イチかバチかに賭けず、おとなしく次の週に延期するのがおススメ。
ふらっと言ってももちろん楽しめるけど、多少の下調べはしてみよう。
例えば、行く予定の日はどのアトラクションは休止で、花火は何時からだろう、とか。
どんな料理がどのレストランでは提供されてて、アルコールはどんな種類があるんだろう、とか。
このアトラクションは乗ってみたいな、とか。1500円くらいなら並ばないために払っても良いな、とか。
Duffy andFriendsだったらどの子がいちばん可愛いと思うだろう、とか。
事前準備というよりは、想像を含まらせるために下調べをしていく過程を楽しめると、より楽しく当日を迎えられる。
特に初心者向けなので、これはやらない方が良いなーというものだけ。
東京ディズニーリゾート・バケーションパッケージという公式の宿泊付きツアーはひとりディズニーではおススメしない。
端的に高いので。
そのため、思ってたんと違うとなった時のショックが大きくなります。まずは普通に行ってみよう。
ディズニーホテルと呼ばれる、様々なホテル群についてはひとりディズニーではおススメしない。
わりとお高いので。
また、ある程度詳しくなってからの方がいろいろと出来るようになるので、特に宿泊日程が限られてしまうホテルの予約は止めよう。
そうは言うてもホテル泊まらないと行けないよ!という人は、まずはシーへの送迎バスがある、東京ディズニーリゾート提携のホテルから予約してみることをおススメする。
これは微妙ではあるんだけど、ひとりディズニーで初心者のうちは、黙って楽しんでおくのが無難。
考えることが多くなってしまって楽しめなくなることが多いので、最初は自分のためのお土産以外は買わないのがおススメ。
ひとりディズニーなら自分だけで好きに楽しむのが良いんだけど、そうは言っても良くわからんしなーという人向けの参考コースね。
まず、シーに入ったら、写真を撮りながら左回りで一周してみよう。
アプリで地図を観ながら、ふらふらっと左側からぐるーっと各エリアを一周してみよう。
そのときに、お店やおいしそうな食べ物があったら、とりあえず入って食事をしても良い。
気になるアトラクションがそんなに並んでないなと思ったら並んで乗ってしまっても良い。
なんか疲れたと思ったら座るところや食べられるお店をアプリで探してちょっと並んで食事休憩しよう。
そうこうしていると、ショーの時間だったり、運が良ければキャラクターに出会えたりして、ちょっと楽しむことが出来る。
午前中、夕方、夜と各エリアはその表情を変えるので、蒸気船(ディズニーシー・トランジットスチーマーライン)や電車(ディズニーシー・エレクトリックレールウェイ)に乗ってみるのもおススメ。
うろうろぐるぐるしながら写真を撮って回っているだけでも、意外な通路があったり看板があったりして、結構楽しめる。
ひとり自由にうろうろして、自分のタイミングで休憩して、楽しめるというのが、ひとりディズニーの醍醐味だ。
なお、夕方になってどうしようかな?と思った場合は、アメリカンウォーターフロントエリアが飲食店が集中していて、雰囲気も良く、ショーや花火を楽しむにも近くて便利なのでおススメできる。
ソアリン:ファンタスティック・フライト,トイ・ストーリー・マニア!,タワー・オブ・テラー,センター・オブ・ジ・アースの4つについては、お金を払うとスムーズに乗れるので、1~2つは払っちゃうのをおススメする。
その他のアトラクションで、時間指定はできないけれども優先搭乗券(プライオリティパス)が発行されているものについては、その近くで食事をしていて、食事後にちょうど乗れるなーくらいの時に発行するのが良い。
特に、午前中に使う時には自分で時間指定できない優先搭乗券は結構調整が難しいので、アトラクションに乗ってみるぞ!と思う人は、まず上記4つの中から選んで乗るのが良い。
そのうえで、狙ったアトラクションまでの道のりを楽しみながら、自分の好きなタイミングで並んでしまうのが結局一番効率が良かったりする。
(海底2万マイルのように、昼間は混むけど閉園近くはガラガラというアトラクションもあるにはあるけど、あんまり気にしすぎないのが楽しむコツ)
ガッツリ楽しむ場合は、午前中のうちに入り口から最も遠いアトラクションであるレイジングスピリッツかインディ・ジョーンズ・アドベンチャー:クリスタルスカルの魔宮のどちらかの優先搭乗券(40周年のプライオリティパス)を取得してしまい、
取らなかった方の乗り物に並びながら、お金を払えば乗れる乗り物に課金(ディズニー・プレミアアクセス)でお昼ご飯後ぐらいの時間帯のチケットを買ってしまい、そのアトラクション近くのレストランのメニューを見ながら並んで乗ってしまおう。
こうすると、2つは午前中におそらく乗れ、ご飯を食べた後に悠々とさらにもう一つ乗ることが出来る。(特に、ソアリンとトイストーリーマニアは午前中には売り切れてしまうことが多いので、さっさと買ってしまうのが良い)
正直、アトラクションに並んでいるときにいろいろな小物類を眺めてそのアトラクションの背景に思いを馳せるのも楽しいので、40分前後なら並んでしまうのも全然楽しかったりする。
キャラクターグリーティングに並ぼう。実はシーの開園時間よりも遅く、閉園時間よりも早く終わってしまうので、行きたいときが並び時だ。
この時、写真はキャストにお願いすると撮影してもらえるので、遠慮なくお願いしてしまおう。(静止画のみ。動画は自分で撮る必要がある)
空いているときに何週もして何度も撮影する人も結構な数いるので、なんか思ったよりも良かったなと思ったら、二週目に並ぶのも全然ありだったりする。
なお、キャラクターグリーティングは、シェリーメイを除くと全員がロストリバーデルタというエリアに集結しているので、撮影をハシゴするのも楽しい。
同じエリア内の、インディ・ジョーンズ・アドベンチャー付近にあるお店、エクスペディション・フォトアーカイヴから園内で写真プリント発注が出来るので、
撮ってもらった写真をすぐさま発注し、帰りにシーの出口付近のお店フォトグラフィカで受け取る、というのは良い記念になっておススメ。
なお、シーの園内でキャラクターがお散歩しているのに出会えることもあるが、これと言ってココなら会える!という場所は無いので、フラフラしていて会えたらラッキーぐらいに思おう。
GWは家でディズニープラスで映画を観よう。4Kテレビが家にある人はちょっとお高いコースも良いぞ。
あと、シーの新エリア「ファンタジースプリングス」が2024年6月6日(木)にグランドオープンするので、それまでに行くのがおススメ。
(ちょっと新エリア後のシーの混み具合が予想できなさすぎるので、6月6日までに行っちゃうのおススメ)
なので、GW明けの5月11,12, 18, 19あたり(そのあとは新エリアグランドオープン前のプレビュー期間がある)、もしくはファンタジースプリングスの様子がXとかである程度落ち着いてきたのがわかる7月以降がおススメかな。
昨今のディズニーの政治的、ジェンダー的思想が見え隠れする作品作りは本当にうんざりしてる
原因は15年もCEOをしてきてディズニーを「アニメスタジオ」から「マスコット売りの会社」へ成長させたボブ・アイガー
彼のおかげでディズニーは持ち直した部分もあるけど、彼のせいでディズニーがLGBTQ論に傾いたといっても過言ではない。
でもディズニーはダメだ なんでそれをアピールする場がディズニーじゃなきゃいけないんだ
ウォルト・ディズニーが特にアピールしてたのは、積極的に未知の世界をたずね自発的に学ぶことの楽しさを若い世代に伝えることであって
LGBTQは別に未知の世界でもなんでもない。寧ろ日常に溶け込まそうと躍起になってて気持ち悪くもある
現にD社は上記を理由に訴えられてると聞く ざまあと言いたくなる気持ちを分かって欲しい
今はワンス・アポン・ア・スタジオを今のD社が出すこと自体が滑稽でならない
あの作品自体は素敵だ。ウォルトを大切にするミッキーが愛おしくてたまらない
ウォルト・ディズニーの大切にしてきたもの全部を踏みにじってるくせに
ウォルト・ディズニーは続編は想像力を失わせるから作らない方針だったのに
今のD社にワンス・アポン・ア・スタジオを作る資格はないとおもう
売れもしない続編ばかり作ってお茶を濁し続けている
確かに企業として大きくなった手前、資金稼ぎが必要なのはわかる
でもそれにしたって新作が作れなくなりすぎてる。
そりゃ~~~そうだよ
ここ数年の戦犯はボブ・チャペック
アイツ本当に嫌い ガチで嫌い
心底嫌い 恨みが凄い
・ディズニー作品しかなかったディズニープラス(以下Dプラ)でネトフリとバトルしようとして、がむしゃらに作品数を増やすべくDプラの月額料金を値上げ
・結果としてDプラは中途半端に韓国ドラマと日本のアニメまみれになった。なんならD作品いくつか消してた(憎悪)
・ネトフリとバトルする為に大口叩いて本国の資産家に資金募りまくってたけど結局200万人登録解除をさせて大赤字叩き出してた
・LGBTQの思想をアピールする為に新作もそれに則ったもの。実写の女優も思想に賛同できる奴を率先して選びにかかる(憎悪)
・LGBTQの思想に則ってない作品は面白くても却下 LGBTQをアピールできる作品でないと面白い作品すら世に出せない
・実写をバンバン作ろうとして化け物実写を連発させた(恨んでる)
・展開も変えた 曰く現代の思考に合わせる為とは言ってるけど、結局LGBTQを押し付けたいからだとおもってる
・前作までの主要製作陣が9割居ない中でトイストーリー4をごり押しした(現在トイストーリー5も製作中らしいのでやっぱりアイガー嫌い)
・D社をここ数十年最高にLGBTQ思想に則ったスタッフまみれにした(大戦犯)
もう ひどい
ひどすぎる
ディズニーに恨みでもあるんか?
ピーターパンも大好きで なんの思想も抜きにディズニー作品が好きだ
ウォルト・ディズニーが好き
続編たち、リトルマーメイド2なんかもシンデレラ2なんかも好きだ
でもポカホンタス2、おまえはダメだ 幼い子供にトラウマを植えすぎた
なんだかんだ心のそこから愛してるからこそ、ディズニーが虹色の旗掲げてる今が本当に辛くて苦しい
このCEOたち、ボブ・アイガーもボブ・チャペックもパークの運営は非常にお上手な方らしいけど 日本はオリエンタルランド運営だからあんまりわかんないね
ボブ・チャペックを指名したボブ・アイガーはとっととディズニー立て直してくたばってくれ
それかLGBTQ思想から外れた有能な人種が回りにいれば、その人に託して隠居していてくれ
頼む ウォルト・ディズニーを愛した誰かがD社のトップに立ってほしい
じゃなきゃ私が行く 本当に辛すぎて経営も英語も勉強しはじめた私が行く
一刻も早く ウォルト・ディズニーが愛したスタジオに戻ってくれることを祈りたい
どうか
配信でザ・フラッシュ観るかと思って、ボケてDCと勘違いしてdプラに入ってしまった。
バチギレして、せめて独占配信を回収してから解約しようとリストアップを開始した。前々から気になってたフォーン・ブースとフリー・ガイを放り込んで、オビワンとマンダロリンの存在を思い出し、あとは何も思いつかない。
ローラー作戦で行こうとしたが、アプリ内の案内やググって出てくるクソサイトよりもfilmarksのソートの方が分かりやすかった。意外なビッグタイトルが独占?(他所でもレンタルはあり)だったりした。オリジナルコンテンツばっかじゃなくてもっと囲ってるもんを差し出せよ。
調べていて唐突にバグズライフを久々に観たくなった。おれはディズニーアニメはあんまハマらんけど、ピクサーのちょっと変わった世界観の冒険劇が大好きだ。
トイストーリーは3の評価が高いっぽいけど、おれは何だかんだで一作目が好きだ。終始仲間思いでかっこいいウッディも良いけど、妙に人間臭くて小物っぽい彼も味があっていい。
「飛んでるんじゃない、落ちてるだけだ。カッコつけてな」の意趣返しとかマジで最高にかっこいいし、おれが観てきたアニメや映画の中でトップクラスに熱い気がする。
昔はバズがCM観て発狂するくだりを理解出来なくてちょっと怖かった。彼のどこかニヒルというか飄々とした感じはあそこから始まったんだろうか。スペースレンジャーとしてのアイデンティティ崩壊から、2の主題に繋がるようなおもちゃとしての存在意義の再発見。これもう実存主義とかの話だろ。1作目でそこまで踏み込んでたっけ。また観て確認したくなってきたな。
前提スペック
身長168cm
会社の研修で仲良くなった女の子から紹介された女の子と初めて交際。
その後2回目は2人だけでデート。デートプランは彼女がたまたま誕生日だったので昼におしゃれなイタリアン(別に高くない)のコースを予約しお祝い。食事後、もう少し話したいねとなったが繁華街のカフェはどこも混んでいたため結局甘味も食べられる食堂みたいなところに入る。雰囲気は悪くなかったのでその食堂で付き合おうと言ってOKをもらう。
その後の話は特に興味ないと思うので割愛するが、色々あって別れる。(そのあとも仲は良かったのでセフレになりそうだったが理性で抑えた)
そもそも会社の女の子と研修で仲良くなるのがハードル高いかもしれないが、そこは頑張れ。ただ、無理にウェイウェイしないで真面目にやった方が友人紹介してくれるかも。その女の子は他の男どもはチャラチャラしてるから紹介したくなかったと言っていた。(n=1だが)
マッチングアプリでマッチングした女の子と交際。(現在進行中)
マッチングアプリは上記スペックを(年収少しサバ読んでるけど)素直に記載し、自由記載には料理が好き、ディズニー映画(実際はアランメンケンの曲)が好きって書いた気がする。
マッチングした子は10人くらい。付き合うまで3ヶ月くらい続けた。
交際している相手はマッチングアプリを始めて1ヶ月未満、さらにその内半分くらいはログインしていなかったらしい。
彼女としてはなんとなくマッチングしただけらしいが、一応ディズニーが好きなのでディズニーと言う言葉は印象に残ったらしい。
メッセージでもディズニーについて聞かれ、作品としてはトイストーリーが好きなこと、あとアランメンケンについて語った。アランメンケンの話が面白かったと言っていた。
ただ、大事だったのはメッセージでがっつかなかったことだったらしい。まず最初に相手の生活リズムを確認し、彼女が休んでいるタイミングでメッセージを送らないようにした。そういうことをする人が少ないらしく、好印象だったとのこと。
ただ、彼女は返信ペースは遅かったが自分の返信はいつも通り早くしていたのでペースは合わせなかった。
3回目のデートで告白したはず。(ご飯食べるの好きで店をいろいろ知っていたので飯屋は自分が全て予約したが、他にやることは彼女が決めてくれた)
両方書いて気がついたが、25年も生きて今更ウェイウェイできないので、25年以上付き合わなかった"真面目さ"を武器にしてそれが刺さる子を探すのが良いのでは
まぁ増田が真面目なのかは知らないが