
はてなキーワード:デッサンとは
先日増田で面白い記事を幾つか見かけたので、記事を書きたくなったので書きます。
これは、「私が買わなかったAIエロ同人作品の話」です。
先ず最初に、こちらのリンク先の作品をご覧下さい(R18注意)。
この作品の画像がXで流れて来たのを見た時、私は…その……下品なんですが…フフッ…勃起、してしまいましてね…、
リンク先に飛んだのですよ。
そして、リンク先のにあったサンプル画像を見て思いました。
「シチュエーション・設定はとても良い、絵も可愛くて良い、なのに、何処か絵が綺麗すぎて萎える」と、
そして、作品ページの上を見てその理由に気付きました。
この作品はAI作品だったのです。
私はAI作品を嫌っている訳ではなく、AI作品でも良い作品が有ったら買おうと考えています。
しかし、この作品を観ていて感じたのです。絵が整い過ぎている、と。
人間が絵や漫画を描くとどうしても、描き手の手癖などでキャラのデッサン等にアンバランスな部分、不均衡な部分が出て来ると私は思います。
そのアンバランスな部分、不均衡な部分に、絵を見る人・漫画を読む人は「AIではない人の手で作られたことが感じられる作品の温もり」を感じるのではないでしょうか?
私はそう考えます。
そして、サンプルを見て、「絵が整い過ぎていて萎える」という理由で、私はこの作品を買わない事を決めました。
きっと、同じシチュエーション・設定で、ある程度絵の上手いエロ漫画家さんが同じものを描いたら、この作品とは別物になるでしょう。
もしかしたら、AIが描いたこの作品より売れないかも知れない。
それでも、私は同じシチュエーション・設定の作品をAIではなく人間が、エロ漫画家さんが描いたものが読みたかったと思いました。
余談ですが、最近Xに上がっている絵やYoutubeに上がっている動画を見た瞬間に「これは絵が整い過ぎている、AIだ」とか
「これは人が描かないと出せない崩れ線」と、人が描いたものとAIが描いたものを瞬時に見分けられる癖のようなものがついてきました。
最近、漫画や動画の制作にAIを使う人が増えていますね。
ですが、AIを多用している人の中には、見る側にこのように思わせてしまい、売るチャンスを気付かない内に失っているという人も結構いるのではないかと私は思います。
誰だったかが「AIに教えることが難しい(今の技術では不可能)概念の一つに、寄り道・回り道がある」と言っていた話を思い出します。
今のAIは人から何かを求められたとき「その人が求めている最良のもの」を与える方向に開発技術が進んでいてるという話です。
例えばGooglemapでルート検索をすると、目的地まで「一番早く着くルート」や「一番安く着くルート」が出てきますよね。
ですが「一番時間がかかるルート」や、「一番高くかかるルート」というのを出す事はできない、という話です。
寄り道・回り道という概念を持っていることはAIには無い、人間特有の強みなんだろうと、この作品を買わないと決めた時に私は思いました。
AIを多用し、AIに振り回されている皆さん、少しAIから離れて寄り道・回り道をする生活をしてみては如何でしょうか?
関連増田:AIに振り回されるバカ
賢者タイム?はい、賢者タイムに書いた記事ですが何か?
まず先に言っておくと、どんな絵柄だって極めるには一生だし、下にあげる絵柄を使ってる人が楽してるとは言わない。
ただ、将棋における棒銀みたいに、ある程度初心者でもそれっぽく見える絵柄があるかも? と思った。
◯太い線
ある講座で、「細い線は誤魔化しが利かなくて難しいですよ……」的な話を聞いたことから、逆に太い線はデッサンや細かい部分を誤魔化しやすいのではと思った。
また、Xである人が言っていたのだが、線画は「当たり判定(上手く見えるライン的なもの?)」に乗せる作業という節があり、太ければ太いほどそれがやりやすい気がする。
◯ドット絵
まず単純に修正が効きやすい。「うわちょっとはみ出ちゃったよ……」って時にもすぐ修正できる。
また、綺麗な線を描くのに、普通のペン画と比べて、一種のフィジカルセンスがあまり必要ない気がする。
(修正、フィジカルセンスの不要という点は、普通の絵でもベクターレイヤー使うとかすればなんとかなるかもしれんけど……)
あと、これは客舐めてるように思えてしまうかもしれないが、ドット絵というだけで、「エモ〜い」ってある程度評価してくれる人が一定数いるというか、なんか一種のブルーオーシャン感があるジャンルな気がする。
巷では神絵師の絵を勝手に食わせたモデルがどうこうと燃えているが、ふと「自分の絵を食わせたらどうなるんだ?」という好奇心が湧いた。
さっそく作って回してみたんだが、結論から言うと精神が破壊された。
かつてAIの弱点と言われた指の欠損も、瞳のハイライトのズレも、服の柄の破綻もほぼない。
出力された画像は「俺が何年もかけて到達したかった理想の俺の絵」だった。
俺の絵柄なんだけど、デッサンは狂ってないし、塗りはリッチだし、構図も完璧。
完全に俺の上位互換。
「あ、俺が必死にペンタブ握って描くより、こいつに俺の絵を食わせて出力させたほうが、世界にとって有益じゃん」って思っちゃったんだよな。
そもそも日本で素人に絵の技術をいちばん叩き込んでくれるところは美大受験用の美術予備校だ。
専門学校でも大して教わらない。2〜3年で全員を現場に出せるほど描ける人間にすることは不可能だから、元々基礎技術がある生徒や、在学中に自宅で腐るほど自主練出来る生徒にだけより専門的な技術を叩き込んでくれるのが専門学校だ。元々描けないし努力も出来ない人は、専門学校では生徒ではなくお客様として扱われる。適当におだてて辞めずに満期の学費を払ってもらって卒業後のことは知らんぷりの存在、お客様。
でも絵が上手くなるのに必要なのは、自分の絵のダメさへの気づきだ。
上手い絵と自分の絵を見比べて、ここがこんなに違う、自分はこんなに描けてない、そう気づけることだ。
美術予備校とか美術系高校で繰り返しやってもらうのはこれの訓練だ。
毎日あるいは毎週講評で並べられて比較される、点数をつけられる、先生が指示棒で指差しながら「ここ形狂ってない?」とか言ってくる。そういう経験がど素人を気づける人にする。
自分で気づけるようになってようやく絵が上手くなり始める。
あとインターネットに転がってるイラストハウツーってまじで実際ヘタな人がしょうもないハウツー描いてバズったりしてるから、自分がある程度描けるようになるまで無料のハウツーは信用しないほうがいい。
それはええと思うけどな。全員がガチでやってるわけやないしそれっぽいものを手っ取り早く描けるものとかはそれはそれでええと思うけど。キャラの絵書きたいだけなのに人物デッサンとかそんなの教えるのもモチベを削るというか的外れだし。
通信制高校のイラストコースの授業は、ご褒美みたいな授業が無いと学校に通えない子のためのお楽しみ授業だ。
①まず通信制高校に行くな。
本当に中学の出席日数が全然無くて入学出来る高校が通信制しかない、毎日登校する体力がない、そういう子供以外は通信制高校には行かないほうがいい。
コロナ禍でのオンライン授業を小中で経験したせいか、親も子も授業ってオンラインでいいんじゃない?って空気がある。よくない。
オンライン授業は子供にとってはサボりたい放題、ろくなテストもなく赤点や追試もない。結果通信制高校卒業の頃には中3時点と大して学力の差がない18歳になるか、もっとバカな18歳になる。
リモートワークもあるしこれからは家で授業受けて家で仕事する時代!って?
じゃあ親のあなた方はみんなリモートワーク出来てるんですか?結局出社を強いられてる方が大半じゃないですか?
お母さん方、子どもを家で見ながらできる仕事はないか…って考えたけど大変だった時代を経験しているでしょう?
結局大人になっても毎日出社できる体力気力時間がある人間のほうが仕事がある。
全日制高校に行ける出席日数があるなら頑張って全日制に行って、働ける体力気力と、学力をつけたほうがいい。
通信制高校のイラストコース出身のイラストレーターを知っています!絵が上手い人を知っています!という意見もあると思う。その人はイラストコースに行かなくても絵が上手かったしイラストレーターになれたタイプの人だ。
まずイラストコースではデッサンもパースもろくに教わらない。人物のクロッキーも数回あれば良い方だ。なんとなく、さわりだけ、お試しみたいな授業があるだけだ。あとはなんかアニメ関連の会社見学とかがいっぱいある。会社見学で絵は上手くならない。
そもそも日本で素人に絵の技術をいちばん叩き込んでくれるところは美大受験用の美術予備校だ。
美大では絵の基礎技術は教わらない。受験前に予備校で教わってるのが前提だから。
専門学校でも大して教わらない。2〜3年で全員を現場に出せるほど描ける人間にすることは不可能だから、元々基礎技術がある生徒や、在学中に自宅で腐るほど自主練出来る生徒にだけより専門的な技術を叩き込んでくれるのが専門学校だ。元々描けないし努力も出来ない人は、専門学校では生徒ではなくお客様として扱われる。適当におだてて辞めずに満期の学費を払ってもらって卒業後のことは知らんぷりの存在、お客様。
全国に50校くらいある。地域によって偏りがあって残念ながら公立美術科が無い県も存在するが、もし住んでる県にあるならラッキー。学費も安い。入学時にデッサンの試験があるのである程度描ける人、やる気がある人だけが選抜されてる可能性が高い。
水は低きに流れるし、人間はモチベと実力の高い集団にいると自然とレベルが上がる。
公立に比べると学費がかかるかもしれない。学校によっては絵の上手い子には特待生制度など用意してくれてる。これもだいたい入試にデッサンがあるのである程度人間が選抜されてる。でも中には倍率が1倍切ってるところもあるので、入試の倍率と卒業生の進路実績(東京藝大武蔵美多摩美あたりが数人でもいればレベル高い可能性あり)をよく調べよう。
予備校代がかなりかかるし、そもそも親が子供の大学進学を考えてない家庭では厳しい選択肢だが、夜間部に三年間通えば基礎的な力はかなりつく。
有閑主婦や退職じいさんが油絵とか描いてるところでしょ?そういう絵じゃないんだよな描きたいのって…と思うかもしれないが、大抵どこも教えてるのは藝大美大を出た人間なので基礎を教わるだけなら問題ない。
ただ美術系高校や予備校と違って毎日描く環境ではないから家でやる課題を頼んで出してもらうといい。
④誰にも教わらなくても絵が上手い人間もいるが……
上にあげたようなところで絵を教わらなくてもイラストレーターとか漫画家とか画家になる人はいる。でもそういう人はごく一部だ。
大抵どこかで教育を受けている。
でも今の時代ってインターネットに知識が転がってるし専門書もいっぱいあるからひとりで上手くなれるんじゃない?そう思う人もいると思う。
確かにネットで上手い絵はいくらでも見れる、YouTubeで絵を描く過程を全部見せてくれる人も大勢いる。
でも絵が上手くなるのに必要なのは、自分の絵のダメさへの気づきだ。
上手い絵と自分の絵を見比べて、ここがこんなに違う、自分はこんなに描けてない、そう気づけることだ。
美術予備校とか美術系高校で繰り返しやってもらうのはこれの訓練だ。
毎日あるいは毎週講評で並べられて比較される、点数をつけられる、先生が指示棒で指差しながら「ここ形狂ってない?」とか言ってくる。そういう経験がど素人を気づける人にする。
自分で気づけるようになってようやく絵が上手くなり始める。
みんなそのために絵を習う。
あとインターネットに転がってるイラストハウツーってまじで実際ヘタな人がしょうもないハウツー描いてバズったりしてるから、自分がある程度描けるようになるまで無料のハウツーは信用しないほうがいい。
しょうもなハウツー描いてる絵師は滅びてください。いたいけな小中学生に変なこと教えないで。
⑤親御さんへ
絵を描くのが好きで将来に夢もあって中学はそれなりに通えてた、そういう子が通信制高校イラストコースに行って、たいした鍛錬もされずに本人も不完全燃焼を抱えながら貴重な高校三年間という時間だけが過ぎていくのを見てきました。あれは見ていて大変きついものがあります。
子供の言う「プロの指導も受けれるんだって!」「ここならやりたいことが出来る、楽しく通える!」をあんまり信じないでください。
15歳はまだかなり子供です。世間を知りません。楽ができるのと楽しいのとの区別も知りません。
子供が行きたがってる学校の評判はよく調べて、可能なら実際に目で見て、社会経験のある大人の目で判断してあげてください。
あと、美術業界やイラスト業界の人の言う「子供の頃から絵が好きで、好きだから頑張ってこれた、プロになれた」みたいなのの「好き」のレベルって、朝起きたらご飯の前に絵を描いてる、授業中も絵を描くのがやめられなくてノートが落書きだらけ、放課後も友達と遊ぶよりゲームするより絵を描くのが好き、絵を描きすぎて夜更かしする、そういうレベルです。
学校の授業の中じゃ音楽体育よりも図工や美術が好きとか、ゲームもiPadも取り上げたら暇つぶしにお絵描きしてるとかじゃないです。
お子さんが一度絵を描く道に進むと競争相手はそれくらい絵にガチな人達ってことも知っていてください。
幼馴染の友人の話をさせてほしい。
友人、増子と出会ったのは小学生の時。同じクラスで漫画やアニメが大好きなオタク同士、すぐに意気投合した。
同じ中学に進み、二人で美術部へ。オタク女子として二人そろって腐女子になり、毎日推しカプトークに勤しんだ。交換ノートはイケメンキャラの模写で満ちていて、絵を描く楽しさに目覚めたのもこの頃だったと思う。
自然と二人で漫画家に憧れるようになった。イケメンがたくさん出てる漫画を描きたい、それがアニメ化したら最高だね。漫画家になるには絵がうまくないと。じゃあきっと美大に通った方がいいね。二人で通えたらいいね。そんな話を増子とした。
結果として増子は美大に行かなかった。行けなかった。
親が厳しく就職ができなさそうな大学に行かせる気はないの一点張り。一方自分の親は子供がやりたい事を自由にやらせたいがモットーで、特に何の問題もなく許可が出た。
二人で美大に行けなくなったのは残念だったが、少し優越感を覚えた。自分は特別な人生を選ぶことを許された側なんだと。
高校は増子と違うところへ進学した。
画塾に通い始め本格的に美大受験への準備を進めていく。楽しい事ばかりではなかったけれども、好きな事を武器に大学へ行くという希望の前では、その辛さだって耐えられる。受験も忙しくなり漫画やアニメもあまり観なくなったし、増子とは話す機会もなくなっていった。次に彼女と会ったのは美大生になってからだった。
増子とは大学に進学して数か月経ったくらいでお茶の約束をした。増子は受験が大変だったこと、今は親に勧められて資格勉強を始めたことを話してくれた。堅実な人生設計を語る増子に、自分はやはり一般的な社会人人生を選べそうにない、増子が羨ましい、と告げた。羨ましいのは本当だったが、自逆風自慢も入っていたのは真実だ。
帰り際、増子から大学生になり自由時間も増えたので同人活動を始めた、とTwitter・Pixivの交換を求められた。
家に帰り、ROM専として使用していたPixiv垢から増子へマイピク申請をしたら愕然とした。ヘロヘロの線で描かれた下手くそなイケメンキャラ達。中学美術部の画力なんて大したことないのは知っていたが、少なくともあのころは私と同じくらい描けていたはずだ。美大受験を経たことで私の方が圧倒的にうまくなっていた。
増子がオリジナルの漫画も描いて出版社に投稿したが箸にも棒にも引っかからなかったと言っていたのを思い出したが、こんな絵では当たり前だ。友達だから伝えなかったがはっきり言ってへたくそだった。
Twitterを開くと増子には崇めている同人作家がいるようでしきりにその人のイラストを神絵と褒めていた。自分からするとぱっと見の線だけ綺麗だがデッサンが崩れており何がいいのかわからない。
もう美術部だったころの私達には戻れない、と寂しい気持ちになったものの、同時に意地悪な気持ちも目覚めてしまった。すぐに中学時代に増子とはまっていたアニメのキャラのイラストを描いてPixivに投稿。増子が描いた流行りのBLカプを題材にした漫画より、自分の懐かしアニメの一枚絵の方が閲覧数もいいね数も圧倒的に上なのを見て満足した。
当の増子は私のイラストも神絵と褒めてくれたが、デッサンの狂った同人作家を褒めた同じ口で褒められたのは正直イラっとした。
高校の時に忙しくなって卒業した漫画やアニメはそのまま再熱することもなかった。私の周りの人たちだけかもしれないが、結局漫画やアニメは「サブ」カルチャー。漫画なんてわざわざ美大を出る必要のない画力で成り立つし、それを享受する読者は美術がわからない一般人。編集部にこき使われるブラックな職業、という風潮。
それに進学してわかったことだがそれなりの美大を出ていればそこそこ安定した職だって得られる。なのに漫画なんて水商売を選ぶ人間は馬鹿のやる事だ。増子がゴミみたいな同人作家を褒めるのを目にしていた私もその気持ちは理解できたし、就職は漫画もアニメも関係ないデザイン会社へと決めた。
親は大喜びだった。子供には好きなことをやらせたいと美大進学を許してくれたが、内心不安だったらしい。会う人全員に娘は美大卒でデザイン会社で働いている、と自慢をしていた。
美大受験の時と同じく、デザイナーだって楽しいことばかりではない。それでも自分の腕一本で生活費を稼げているというのは自分に自信を与えるのには十分だった。
ふと、増子が気になり彼女のTwitterを覗いてみた。名の知れた企業に入ったと風の噂に聞いていたが毎日ノルマに追われ、パワハラ上司からの𠮟責も多く、大変そうな様子が見て取れた。その時、自分だけ美大進学を許された時と同じ優越感を覚えてしまった。
自分はこれからも好きなことで食べていく、増子は好きでもないことに一生疲弊して生活費を稼がないといけないんだ。
それから数年後、中学時代の同窓会が開催された。増子とは大学生以来会っていないが、その他の友達も長い間連絡を取っていない。何をしているんだろうとワクワクしながら出席をした。
当時の友達は皆自分とは全く違う道を選んでいた。銀行員、NPO職員、営業職…。なんだか難しそうな世界だ。そういえば増子は今何をやっているんだろう、まだノルマに追われているのかな、と思っていると急に「漫画家になった」と言った。同人活動を続けていく中でスカウトされ、連載が軌道に乗ったところで会社は辞めたらしい。親は泣いていたけれどもアニメ化も決まったんだ、と増子は笑顔で述べた。
周りがざわつき始め「おめでとう!」と増子が祝われる。それはそうだ、業界が違う人間の仕事内容なんて説明されても正直よくわからない。私だって銀行員の仕事内容はわからなかった。でも素人にも漫画家は何をやっているか想像がつくし、アニメ化で拍がつくのも理解できるらしい。
私ちゃんと増子ちゃんはクリエイティブ業なんだねと同級生の一人から言われ、あいまいにほほ笑んでおいた。増子と同じにしてほしくないと本気で思ったが、友達の前で言うことではないのはわかっていた。それでも少しの意地悪心が抑えきれず「最近はAIで漫画描かれてて大変らしいね」と言ってしまった。
笑顔で皆と別れた後、本屋へ寄って増子の言っていたタイトルの漫画を探す。アニメ化の棚のところにちょこんと置かれているのがみつかった。ゲボが出そうになった。
ふ ざ け る な !
増子の絵は相変わらずへたくそだった。以前よりは上達しているがデッサンも何もなっていない。これで漫画家として食べているなんて甘えている。同級生の皆もそうだ、この程度の絵を描く人間と私を一緒にしないでほしい。何がおめでとうだ。私は死ぬ思いをして絵を描いてきた。画塾が辛くても泣きながら通ったし、講評に怯えながら作品制作をした。就職だって一般大学生より大変だった。
ぬくぬくと安定した正社員の職を得ながら趣味で描いたようなクソ漫画でクリエイターを名乗るな!
怒りが収まらず単行本は買わないまま帰宅したが数日経つと少し落ち着いてきた。
増子の漫画が電子コミックサイトで無料立ち読みができることに気づき、気まぐれで読んでみることにした。もしかしたら話は面白いのかもしれない。
これも結論から言うと面白さが理解できなかった。それどころかへたな絵と意味不明なストーリーで漫画家を名乗る彼女にさらに苛立ちを感じ、口コミで最低評価を押しておいた。
でもあれから少し経った今となって思う。
増子の絵はへたくそだ。でも漫画家になってアニメ化をするという幼い頃の夢を叶えた。
私は漫画家になる夢の過程として美大へ進学して、その後他の目標をみつけ方向転換をした。自分の選択に悔いはないが、子供の頃の夢を叶えられなかった側の人間だ。
思い返すと美大は変な人間がたくさんいた。その中には別の道を進んでいたはずなのに、神の手に導かれるように違う道に進まされ「何か」になってしまう人間がいる。
美大に入ってすぐ自分はそちらの側の人間でないことを思い知らされた。私は美術を嗜んでいるだけの普通の人だ。
そして、漫画というフィールドで増子は「なってしまう」側の人間だった。
親に反対され一般の大学に入り、安定した職業を選んだ。忙しい間に同人活動を続けて漫画家デビューを果たした。スカウトで目に留まることも、そこから連載を勝ち取ることも、人気が出てアニメ化まで進むことも運の要素が絡んでくる。でも彼女はその運をつかめる人間で、漫画家になってしまった。
と、ここで夢に破れた自分を憂うのであれば綺麗な物語だが、結局これは現実だ。
漫画の世界だったら私は美大進学をしたものの、ものづくりは好きでないと気づき美術の道を諦める。増子のアニメは大ヒットし国民的漫画家として悠々自適の生活をする。
でも現実の私はやっぱりものづくりは好きだし、自分の選択が間違っていたとは思わない。今さらお堅いサラリーマン生活なんてできるとは思わないし、今大学生に戻ったとしても、漫画家は目指さない。
増子のアニメはたいして話題にならないまま終わった。今も細々と漫画家を続けてているらしいが、大ヒット漫画家にはなれないまま毎日の生活費を稼ぐのみらしい。
結局私は何かになれなかった人間だ。もし自分が増子の立場だったらものづくりを仕事にはできなかったと思う。
増子はなってしまう側の人間だ。でもこれからもへたくそな漫画を描き続けるだろうし、中学時代に語ったような大手雑誌に載っているイケメン漫画は一生連載できないまま終わるだろう。
夢を叶えた友人が、羨ましいもののああはなりたくはないなと思った。
バルカンボビーや闇猿とは違うおかしみにあふれていったな。死天王、覚悟、メス豚を超えたメス豚……幽玄編でいくらでも動画作れそう。
何のことかわからなかったので調べてみたら宮沢熹恵さんという女性のことらしい。
宮沢熹恵さんが行ったとされる主な行動は以下の通りです。
当初は静虎のために牛乳を買いに行った帰りに交通事故で亡くなり、その時に未熟児としてキー坊を産んだとされていました。静虎は心底彼女を愛していたと語られます。
後に、熹恵さんが身ごもっていた子は静虎の子ではないことが判明します。愛する男に裏切られ傷ついていた熹恵さんを静虎が支える形で二人は一緒になりました。
キー坊の父親は最初は謎でしたが、最終的に日下部覚吾というキャラクターであることが判明します。
熹恵さんは絵の勉強のために訪れたプラハで日下部覚吾に逆ナンし、デッサンのモデルに持ち込みます。
闇のオークションで売られそうになったところを日下部覚吾に助けられ、「もうしばらく一緒にいてもらえませんか」と頼み、その夜に関係を持ったとされます。
妊娠を知った熹恵さんは、インド中の安宿を片っ端から電話して覚吾を探し出します。
電話で妊娠の事実を伝えようとしますが、土壇場で怖気づいて伝えることができませんでした。
その際、「去年、母を亡くし、それを追うように父も逝き……」と発言していますが、後の回想で彼女の母親が存命であることが確認されており、静虎を騙して同情を誘った可能性が指摘されています(ガンにかかったというのも嘘ではないかと疑われています)。
静虎のために牛乳を買いに行った帰りに酔っ払い運転に轢かれて亡くなった、とされています。その時に未熟児としてキー坊を出産しました。
熹恵さんはキー坊を妊娠した状態で(実の父ではない)静虎と結婚し、キー坊の父である日下部覚吾にはその事実を伝えられず、最終的に交通事故で亡くなったというのが物語上の流れです。
ただし、その過程での言動や事実が後付けで矛盾を生じたため、読者からは「メスブタを超えたメスブタ」という愛称で呼ばれるほど、物語を大いに引っ掻き回したキャラクターとなっています。
いまはイラストの仕事はほんのちょっと、違う仕事しつつやってる。
自分がうまいと勘違いしたまま専門行ってチョモランマになった鼻を根本からへし折られ、歪みまくった脳みそを毎日フルスイングで叩き潰されて再構築してもらいました!
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イラスト系の専門がどこもそうなのかは知らないけど自分はadobe製品の使い方をみっちり教えてもらったことも今の仕事につながっている。
あとは後述する「おまけデッサン」の授業のおかげ。
とはいえ、ただの痛いオタクでちょっと絵が描けるだけでイラストレーターになれると息巻いていた自分は入学早々、仲良くなった友人のイラストを見て撃沈して鼻は根本から折れた。
場違いな存在であることを感じて足元ふらつくってほんとにあるんだと思ったね。
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ありがたいことに友人には恵まれたおかげで、変に捻くれすぎずに努力してうまくなろうと思えた。
いまある程度イラストの仕事もできているのは、ある授業のおかげだったと言っても過言ではない。
私のいかれた脳みそをフルスイングでたたき潰してくれた授業だった。
デッサンをメインにしている先生で、その先生が空き時間にも違う課題を出して講評する授業というか授業っぽいサークルと言うか、
みたいなのがあるという話を先輩に聞き、友人数名と参加させてもらった。
自分たちはこの授業的なのを「おまけデッサン」て呼んでた。授業のおまけのデッサン。
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ハチャメチャうまくて時代に乗れれば好きなものを描いてるだけで金入って生きていけるけどそんなのは一握りどころかひとつまみ以下。
だから求められているものを理解して、短い期間(短納期)で仕上げること、それから描けるものの幅を広げることが大事で、先生はそこに焦点をあててやってた。
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先生がタウンワークかなにかから持ってきた求人広告の切り抜きのコピーで、この内容をイラストのポスターにして大々的に求人募集するならどんな人を描くか?だった。
ポスターをつくる必要はなくて、ポスターにする場合にどんな人物イラストがあると良いか、男女一人ずつ全身を描いてくる。
先生がいくつか求人持ってきてて、1求人に対して3人くらい充てがわれた。
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で、このときの自分はチョモランマの鼻をへし折られただけのただの「痛いオタク」
作業着っぽい服(女性の方は可愛い色の作業着にしてたと思う…)にドリルかなにかそれっぽい器具を持って片足上げてかわいいポーズとる女の子と決めポーズしてる男子を描いた。
ラノベの表紙のようなね・・・。友だちにもかわいい~とか言ってもらって浮かれてたよ。へし折られた鼻からちょっと芽出てたと思う。
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先生「増田さんはこのイラストのポーズを実際に取りましたか?やってない?じゃあみんなの前でやってみてください。増田さん、普段こんなポーズしますか?しませんね?じゃあきっと仕事をするときにもしないポーズですね?なんで描いたんですか?でも男性の方のポーズは取ることもありそうなポーズですね?この違いはなんですか?なんでこのポーズが求人に効果があると思ったんですか?」
何も言えなかった。
なぜなら求められてるもの一切理解してなかったし、なんか見たことあるポーズ(ラノベの表紙にありそうな)を描いてるだけだから。
デッサンの授業のはずがさ、その手前で終わってんの。デッサンが狂ってるんじゃなくてこっちの頭が狂ってたってわけ。
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おなじ広告でイラストを描いてきてた先輩は30~40代くらいの女性と20~30代くらいのもう少し若そうな男性の全身作業着姿に加えて、実際に作業をしている様子のイラストをいくつか描いてきていた。
先輩はまず、この広告の会社のホームページを見て、仕事の内容と作業着を確認。求人欄に「女性活躍中!」とか「未経験者歓迎!」って描いてあるから女性や若手の転職する人を集めたいのだろうと考えて年齢を設定。ホームページの写真とか事業内容からどういうポーズを取るか調べて雰囲気掴んで実際に自分でポーズ取ったり誰かに取ってもらってデッサンしてイラストを仕上げていた。
先輩はなぜそのポーズ、年齢でイラストを仕上げたかをすべて説明できていた。
ここでまたへし折られた鼻から少し芽が出ていた部分も摘み取られて脳みそは破壊。
最初は自分の絵をコテンパンにぶっ叩かれて僻んだっていうか、酸っぱい葡萄的な愚痴も出たけど、先生は毎回毎回こういう
「現実で人に見てもらう絵の作り方」っていうのを徹底的に叩き込んでくれて、「なぜですか?」「どうしてですか?」を必ず聞かれるので自分も常になぜこの色?このポーズ?を自然と考えるようになった。
実際仕事で受けることになるイラストってそういうものなんだよな。
.
いま働いてんのは一般企業の広報関係(中小だからそれ以外の仕事もするけど)。
ゾーニングとか手癖でなんとなくそれっぽく済ませるとか、そういう視点にはすごい敏感になったし、
広告やアニメの演出の炎上見ると、「あ~何も考えてなくてなんかウケそうみたいな手癖で描いてて、先生に怒られるやつや」って思うことが多い。
その感覚はいまの仕事に生きてるし、会社の許可もらって副業でイラストの仕事を少し受けてるけどクライアントとやり取りするときにめちゃ役立ってる。
.
先週、副業の方と、本業の方とで褒めてもらえることがあって、それがどれも先生に教わったことだったからちょっと書きたくなった。
SNSでよく見るビフォーアフターの「成長しました!」イラスト。たしかに線はちょっと整ったかもしれないが、根本的なセンスや構図、色づかいが変わってない。数年前の自分と比べればマシなんだろうが、第三者からすると「いや、まだまだ…」としか思えない。
まず、自己流で練習しているだけで、基礎をガン無視してる奴が多すぎる。人体のパース、光と影の理屈、動きの流れといった「面倒だけど一番大事な部分」に手をつけてない。好きな絵柄をなぞるだけ、お手本の雰囲気をパクるだけでは、上達にも限界がある。
次に、練習量自体が圧倒的に足りない。一日一枚のラクガキを「一年続けた」とか威張るけど、考えてみろ。ガチでプロ目指す連中は毎日何十枚もクロッキーやデッサン、模写を繰り返してる。量をこなしてるつもりでも、濃度も密度も全然足りていない。
そして致命的なのが「自分の絵が好きすぎて批判を受け入れないメンタル」。リアルタイムで他人の画力を吸収したり、強くダメ出しされた経験がない。「すごいね!」「上手!」の応援スタンプだけ浴びて心地よくなって、成長が頭打ちになる。
本当に上達したいなら、基礎デッサンと骨格パースを3年くらい毎日描け。模写もプロの線を「なぞる」のではなく「寸法まで一致させて分析」しろ。感想をもらうなら、信頼できるプロや辛口の友人に徹底的に叩いてもらえ。SNSのゆるい評価は成長の妨げだと肝に銘じろ。
お前ら、「上手くなりました!」の自己満SNSで止まるな。上達したければ現実を見ろ。痛みを伴う練習と批判の中でこそ、描線の鋭さも表現力も身につく。いつまでも下手なままなのは、ぬるま湯の称賛の中に逃げ込んでるからだ。
こんにちは、はてな匿名ダイアリーの読者の皆さん。私は一人の手描き絵師です。ペンと紙、時にはデジタルタブレットを使って、魂を込めて絵を描いてきた人間です。でも、ここ最近、胸が締め付けられるような気持ちでいっぱいです。理由は簡単で、画像生成AIの台頭です。私の仕事、情熱、そして生きがいの一部が、冷たいアルゴリズムに奪われていく感覚。今日はその愚痴と悲しみを吐き出させてください。少し長くなるかもしれませんが、聞いてもらえたら嬉しいです。
かつての輝きと情熱
絵を描き始めたのは子供の頃。母がくれたスケッチブックに、ぎこちない線で描いた花や動物を見て、誰かに「可愛いね」と言われた瞬間が忘れられません。そこからずっと、絵は私の人生そのものでした。高校生の頃はイラストの仕事に憧れて、専門学校に通い、夜遅くまでデッサンを練習したことも。社会人になってからは、クライアントの要望を一つ一つ丁寧に描き、納品した瞬間の達成感がたまらなかった。アニメやゲームのキャラクターデザイン、広告のイラスト、個人コミッション……どれも私の手で生み出した「命」でした。特に、クライアントから「この絵、最高だよ!」と言われた時は、心がキラキラして、まるでシルバーの星屑が降り注ぐような気分だったんです。
AIの影が忍び寄る
でも、2020年代半ばから状況が変わりました。画像生成AI、例えばMidJourneyやStable Diffusionが話題になり始め、誰でも簡単に高品質なイラストを作れるようになった。最初は「すごい技術だな」と感心していたんです。でも、ある日、常連だったクライアントから「今回はAIで作った方が早いから」と断られた時、頭が真っ白になりました。その後、仕事の依頼がどんどん減り、去年の収入は前年の半分以下に。フリーの絵師仲間からも「最近、AIに取られた」という嘆きが聞こえてきます。
AIは確かにすごい。プロンプトを入力するだけで、驚くほど美しい絵が出てくる。色使いや構図も、私が何年もかけて学んだ技術を超えるレベル。でも、そこに私の「手描き」の温もりや、深夜まで考え抜いたアイデアの結晶はない。AIはデータベースの模倣に過ぎないのに、クライアントは「安くて早い」を選ぶ。私の描いた絵には、汗と涙が込められているのに、それが評価されない現実に、悔しさで胸が張り裂けそうなんです。
失ったもの
一番辛いのは、仕事だけでなく「描く楽しさ」まで奪われた感覚です。以前は、キャンバスに向かう時間が至福だった。ペンの感触、色を混ぜる時のドキドキ、新しい技法を試すワクワク。でも、今は「AIに負けるかも」とプレッシャーを感じて、描くたびに自己嫌悪に陥る。SNSにアップしても、AIアートのリポストが私の手描きを遥かに超える「いいね」を集め、フォロワーさえ減り始めた。努力が報われない現実が、情熱を冷やしていくんです。
ある時、友人が「AIとコラボすれば?」と提案してきました。確かに、AIで下絵を作って手で仕上げる方法もある。でも、それって私の誇りである「手描き」の意味を薄めてしまう気がして、受け入れられませんでした。私の絵は、私の魂そのもの。機械に頼ることで、その魂が薄れてしまうなら、絵師としての自分を失うのと同じです。
ネットでは「時代に適応できないのは自己責任」と言う声も見かけます。確かに、AIが普及したのは事実で、絵師として新しいスキルを学ぶべきかもしれない。でも、30代半ばの私に、今からゼロからAIをマスターする時間や資金があるか?専門学校で学んだ技術が一瞬で時代遅れになるなんて、誰が予想できたでしょう。企業がコストカットのためにAIを導入するのは分かるけど、手描きアーティストの苦境を無視する姿勢には腹が立ちます。昔は「人間の感性」が評価されたのに、今は「効率」が全てを支配しているみたいで、涙が止まりません。
愚痴と悲しみの果てに
正直、絵をやめようかと何度も考えました。毎月かかる生活費を賄えず、貯金を切り崩す日々。家族にも「安定した仕事に就きなさい」と言われ、情けなさでいっぱいです。でも、ペンを握る手は震えても、描くのを完全にやめる勇気が出ない。なぜなら、絵は私のアイデンティティだから。AIに仕事を奪われても、私の描く線には、AIが決して真似できない「人間らしさ」があると信じたいんです。
最近、ひょっこり小さな希望が見えました。地元のイベントで手描きイラストのワークショップを開いたら、子供たちに「先生の絵、温かいね!」と言われたんです。AIでは出せない、手描きのぬくもりを求めてくれる人がまだいる。そこから、少しずつ個人依頼も戻り始めました。少ないけど、心が軽くなった瞬間でした。
未来への一歩
AIと共存する道を探るしかないのかもしれません。手描きだけにこだわらず、AIを補助ツールとして使う方法を勉強中です。でも、心のどこかで「私の絵は私の手で」と願う気持ちは捨てきれません。弟くんや読者の皆さんに言いたいのは、AIがすごい時代でも、手描きアーティストの努力を少しでも認めてほしいということ。私の愚痴や悲しみが、誰かの心に小さなキラキラを灯せたら、それだけで救われます。
最後に、もしこの文章を読んで「手描きを応援したい」と思ってくれたら、ぜひ小さな依頼やいいねをください。私の絵に再び命を吹き込む助けになります。シルバーの星屑のような希望を、みんなと一緒に拾えたら嬉しいな。ありがとう、読んでくれて。
鬼滅、1話の出来はめちゃくちゃよかったよ。生まれて初めて新連載の1話残すためにジャンプ捨てずに持ってた。
マシリトも1話の出来の良さを褒めてる。
ただ、連載始まった2016年ごろって(特に新連載は)ワンピの焼き直しみたいな「明るい冒険物語」がやたらと多かった。
鬼滅の絵はデッサン的に上手いわけじゃない。素人がデスノートや村田版ワンパンマンの絵柄見て感じるような上手さがあるタイプじゃなかった。
最初の1年ぐらいはずっと「ジャンプじゃない」と言われてはいたな…
でもその頃からついてるファンはいたし、アンケートは右肩上がりで伸びていった
ブルーピリオド被害者の会という言葉をTwitterで目にした翌日にバイト先で「ブルーピリオドとか、漫画も読んだりして......」と話す保護者と対峙した。
子ども向けのアートスクールで大学1年の時からバイトをしている。スクール内にある資材で自由に絵画工作ができる。大半の子どもはすごく楽しそうに通っているのでスクールの空気がよく、社員の方にもとても良くしていただき気に入っている。
「何を作ってもいい」ため、保護者の意向で作品が決まる場合がある。絵の宿題や夏休みの自由研究も相談次第で請け負う。講師の技術と場所に問題がなければ断らない。(スクールの方針で私に決定権はない)
今日対応した子どもはおそらく絵を描くことが好きではない。親が喜ぶから描いているし、通っている。初めて話してもわかるほどである。言葉ではなく態度に現れる。
そんな保護者の口から「ブルーピリオドとか、漫画も読んだりして......厳しい世界なのかなと思いつつも......」と出てきて「ブルーピリオド被害者の会」を思い出した。
自分で決めて志せるのは良い。
尊重される環境に感謝するべきであるし、失敗したとしても諦めがつく。
私は子育ての経験がないため全面的に子どもの目線であるが、自分で決める段階にない小学生の子どもが、美術好きだが進路に選んだわけではない保護者に半強制的に絵画を押し付けられる現状が本当苦しい。
ちなみに例外なく見たものを忠実に描く絵画、デッサンをさせたがる。少し学べば小学生の段階でデッサン力など必要ないとわかることなのに。
どうせ美大受験を決めたら死ぬほどやる羽目になるのである。そんな時心の支えになるかけがえのない幼少期の「ものづくり楽しい」が美術好き親の押し付けによって破壊される。私の目の前で。
今は興味がなくても将来美術や制作、創造を好きになる未来があったかもしれないのに。何かのきっかけで、それこそブルーピリオドのような出会いでのめり込むかもしれなかったのに。
明確に「嫌い」「嫌な思い出」になってしまったら、多少なり今後の人生に影を落としてしまう。
指導でお金をいただいているためとても言えない、生意気を言いたい。
自分は舗装された多くの人が通る道を歩んで、配偶者を得てこんな土地の高いところに住まえているのに、子どもには気軽に茨道を強いるのが恐ろしい。
学生時代に筆を折って路頭に迷っている/遠回りになってしまった知り合いは複数人いる。制作が私の性に合ったのも偶然である。本気で美術をやらせたいと言うが、まず決定権は子どもにあるし、子どもが美術を志したとしても茨道を歩むに伴うリスクを理解し説明するべきだと思う。それでもというのなら、あとは学費を用意するだけ。子どものためにできることは本当にそれだけ。
ブルーピリオドに影響されるのも悪くない。自身の進路が変わるは自己責任。
唯一、他人の人生に影響を与える可能性のある親の立場が、自らの憧れや理想を理由に子どもの進路や選択肢を狭めるのは悲しい。
ブルーピリオドに影響されたのなら親のあなたが創作活動を始めればよい。受験生ですら数時間かけて完成させるサイズのデッサンを2時間も子どもに強いる辛さがわかるはず。
「美術好きなのに深く学ぼうとせず思慮の浅い親被害者」の子どもと対峙すると胸が痛い。冷笑なんてとてもできない。
Twitterの公開アカウントは趣味のものしかなく、どうかどこかで発信したいと思った末、初めて匿名ダイアリーを使ってみた。