
はてなキーワード:デスクとは
職場に「この人ホントに子どもいるんだよな…?」って30代女性(前半~後半か詳しい年齢は知らん)がいる
性格じゃなくて主に見た目の話で、「えっ、この人に勃つ男いるんだ…」みたいな。ホント下世話というか余計なお世話でゴメンなさい
単純なデブの不細工とかじゃなくって、とにかく不潔な感じなのね
仕事中もよく頭かきむしってノミ?シラミ?っぽいの散らしては隣のデスクの人にスゲェイヤな顔されてるし机の上に髪の毛散らばってるのに全然気にしてないし…(うちの会社は小さいので社内の掃除は自分たちで回しながらやってるんだけど、当該の人のデスク周りだけ本当に汚すぎて毎回新鮮に驚く)
若い頃は美人だった(ちゃんとしてた)系なのかな~と思ってたけどお子さん保育園児らしいからそんな数年で変わらんか、とも思った
世の中色んな趣味の男がいるんだな
ある伝説によると、とある国のとあるプログラマーの退職後に残ったスクリプトを社員が見たら、恐ろしいレベルで自動化してたそうだ
https://github.com/NARKOZ/hacker-scripts
うちのビルドエンジニアが別の会社に行った。あの男は文字通りターミナルの住人。Vimを愛用して、Dotで図を作成し、Markdownでwiki記事を書くようなタイプ。
どんなものでも、90秒以上かかるならそれを自動化するスクリプトを書く奴。
それで今、我々は奴の「遺産」を見ているわけだ。
これ、お前も気に入ると思うぞ。
奥さんに「仕事で遅くなる」というテキストメッセージを送る。文字列の配列から理由をランダムに自動で選ぶ。cronジョブとして動作。奴のアカウントで午後9時以降にサーバーでアクティブなSSHセッションがある場合にジョブが実行される。
「Kumar」(うちのクライアント)からのメールを受信箱でスキャン。「help」、「trouble」、「sorry」などのキーワードを探す。キーワードが見つかると、スクリプトはクライアントのサーバーにSSH接続し、ステージングデータベースを最新のバックアップにロールバックする。「直したぞ。次からは気を付けろよ」という返信を送る。
特定の日に設定された別のcronジョブ。「体調が悪い/家で仕事をする」といった自動メールを送る。別の事前定義された文字列の配列からランダムな「理由」を追加。午前8時45分にサーバーで対話型のセッションがない場合に実行。
正確に17秒待ってから、うちのコーヒーマシンにtelnetセッションを開き(コーヒーマシンがネットワークに繋がっていて、Linuxが動いていて、TCPソケットが立ち上がっているなんて、誰も知らなかった)、sysbrewのようなコマンドを送る。判明したところ、これでミディアムサイズのハーフカフェラテを淹れ始め、カップに注ぐまでさらに24秒待つ。この時間は、奴のデスクからマシンまで歩くのにかかる時間と完全に一致している。
とあるシステムのヘルプデスク対応をしている。エラーが出たりした時にユーザーが慌てて問い合わせをしてくる電話窓口である。
問い合わせをする時にユーザーが、システムの利用状況を話すんだが、そこに嘘が多くていつも笑ってしまう。
何もしてないのに突然挙動がおかしくなったとか、所定の操作をしたのだがうまくいかないとかそういう問い合わせである。たいてい、こちらで調べると、何もしてないと言いつつ、直前に誤った設定変更してたとか、正しく操作したとか言いつつ間違った操作をしている。こっちは、どんな操作をしたかのログも全て見れる立場なので、その手の嘘は結局分かってしまうのである。
とは言いつつも、そういくだらない問い合わせの一部には、システム側が想定してないミスやバグの類を掘り当てていることもあるので、毎回の一応確認はしている。ユーザーって嘘ばっかりだよなあ,と呆れつつも、そんなに嫌な仕事ではない。
あああ・・・
どうして保存メディアは消えていくのか
[B! blu-ray] 先行きが暗いBlu-ray、ディスクやドライブの生産から撤退する企業も続々
モノとして手元における存在感がいいのに
俺は
1作品1シリーズをなるべく1枚に入れて並べられるメディアが好きだ
紙の本を所有してる
そしてサボテンを愛でている
昇降デスク(電動!)にアームスタンドにデカいタブレットが磁石で貼り付いててさ
カーテンもない
すべてはタブレットの中で、データは全部オンラインに保管してるとのこと
情報の世界の住人の彼女にとって、自室はただのインターフェースなんだろう
手に取れるモノ
確かな重さを感じることで所有感が満たされる
安心できる
味気がある
引っ越しでワンルームから1LDKになるので、机とPCとマットレスしかない修行僧みたいな生活をやめて、ちゃんとした部屋にしたい。でも修行僧生活が長すぎてどうしたらいいかなんもわからん。しばらくは修行僧生活しつつ、ちょっとずつ家具揃えたほうがいいのか。ごりっと一括でそろえたほうがいいのか。格ゲーと音ゲーとプログラミングが生活の大半なので、PCまわりの環境を整えたいが、そうするとなんかシャレオツな家具そろえてもゲーミングチェア・デスクだけ浮くだろ、とか。いろいろ考えるとなにも進まない。ああああああああああああああ。引っ越し先はLDK12畳、洋室5畳。壁は白。キッチン周りは黒基調。フローリングは白っぽい木目。家具も淡い色の木っぽいのにした方がいいんかな。生活の主体であるゲーミングチェア・デスクから考えていった方がいいのか。でもそうすると黒!赤!LED虹色ピカピカ!にならんか。うーん。
一度、ここで書いてみたいと思ってた。初老が近いおじさんである。
会社勤めとしてのディレクター業について執筆したい。辞めてから時間が経つけど、たまにあの頃の夢を見るのだ。
最近の夢だと……バラエティ番組の収録の時だった。当時は新入社員に毛が生えたくらいの若造の頃。
ナインティナインの2人がネタ合わせしてる横で、ADである自分が怒鳴られてる夢である。夢じゃなくて、本当にあったことなんだが。いい夢を見ることもあるけど数は少ない。
今はフリーランスの映像ディレクターをやってる。仕事は順調……とは言い難い。仕事が少ない年もある。
でも、食いっぱぐれる心配はない。一応そういう実力がある。お金がなさ過ぎて餓死なんてことはない笑
だから、もう時効かなと思って、昔の話を書こうと思った。大手テレビ局にいた頃の話だ。
え、なに。守秘義務?エンタメ業界にそんなものはない。特定個人や企業の名前を出さない限りは、お見逃しの世界である。ええい、ままよ。ぶっちゃけてやろう。
小さい頃からテレビっ子だった。特にバラエティが好きで、将来は絶対ああいう面白系の仕事がしたいと思ってた。小学生~中学生の頃は、お笑い芸人になりたかった。人をニコニコさせるのが好きで。ただまあ、才能がないのって、子どもながらに露骨にわかるんだよな。
勉強ができたか?と言われると、割とできる方だった。要領がいいというよりは、突き詰めて普通の人よりも勉強して高得点をとる感じだった。大学は早稲田に進学した。今は亡き(?)社会科学部である( ;∀;)
就職活動の結果、テレビ局の内定をもらえた時は本当に嬉しかった。人生のピークだったかもしれない。
入ってみたら想像とは違った。
配属されたのは、生ける伝説みたいなバラエティ番組の制作部署だった。ここまではいい。配属希望は通ったのだから。
自分はADとして入った。一般的なルートである。珍しい新卒だと、最初がカメラマンや大道具という珍しいパターンもあるにはある。
仕事だけど、最初は正直何やってるのかわからなかった。とにかく怒鳴られる。プロデューサーから、先輩ディレクターから、出演者から、下請けの制作会社の人から、とにかく罵倒の嵐だった。なんというか、現場での動き方がわからなかった。学生時代にイベント運営の仕事をしておけばよかった。
正式じゃない企画会議(デスク周りや喫煙所でやるような……)に呼ばれることがあっても、「面白くない」「もっと笑い取れるの考えろ」って言われ続ける。それこそ誰からも。
ある時は、夜中の3時まで明日の収録の準備で残っていた。実際、自分の仕事はほぼなかった。担当ディレクターが帰れないだけであり、自分やほかのスタッフはそれに引きずられる格好だった。
それでも、「さあ帰ろうか」という雰囲気になったところで……
「明日までにあれ用の新しい企画を出してこい。運がよかったら使ってやる」
とか普通に言われる。徹夜もある。週に2,3回、家に帰れたらラッキーだった。あの頃は若かったので、ああいう夜型の生活ができた。今は無理だ。眠気に勝てない。
職場の奥には簡易ベッドがあって、そこで寝るんだけど、寝てる間に先輩に……「寝てんじゃねえよ!」って蹴られることがあった。完全に嫌がらせ、憂さ晴らしだった。人間、疲れるとこうなってしまう。
仕事ができる人でもそうだった。
疲労が極限に達すると、おそろしいくらい残酷になる。ある時、先輩ディレクターと女性ADが現場の配置関係で口喧嘩になっていた。今思えば、考えられないほど下らない理由だった。
その争いの現場はちょうど、小道具が置いてある狭い狭い空間だった。そこでひたすらに道具を指さしながら、喧嘩をしている。
その女性があまりに文句を言ってるので、その先輩ディレクターは、何か重たい小道具(ごみ箱みたいな?)を持ち上げると、彼女が出られないような位置にドカン!と置いたのだ。
自分はただ、出入口のドアからそれを見て「かわいそうに」と思っていた。思うだけで、助けようという気力は湧かなかった。大学生の頃だったら、助け舟を出したに違いない。
案の定かわいそうに、円柱状の小道具が重過ぎて持ち上げられない女性ADのさーやちゃんは、そこらへんの絨毯みたいになってる小道具に突っ伏すと、わんわん泣きだした。
男性ディレクターは、そんな様子をさらにからかっていた。これが、疲労が人間の態度に及ぼす影響である。今でも気を付けるようにしてる。
あとは、ある料理番組の野外ロケだった。イケメンを多く輩出する芸能事務所の若手タレントがキャンプ場で料理に取り組んでいた。
「バカ。使った皿は洗う必要ない。ズボンで拭いとけ!男やから、どうにかなるわ。イケメンなんやし。いいか、増田。ばい菌だって、巡り巡ってまた口に入るんやから。それが世の中ってもんだよ」
何を言ってるか意味不明だった。先輩の人格が壊れていた可能性がある。
この撮影現場というのは、野外キャンプでの調理だった。イケメンのタレントさんが食べた後の皿を……ちょうど水場がなかったので、そこらへんにあったエプロンでササっと拭いて、別のタレント用に再利用した場面である。実際、これくらいのことは日常茶飯事だった。
そのタレントさんは若かったけど、多才な挑戦で知られる人だった。普段は二人組で、もっと若かった時に、女の服を来てピンクレディーの楽曲をテレビで披露していた。
性被害……いや、このあたりのことはさすがに書けないし、「書いていいよ♪」と言われても書かない。こればかりは矜持である。アナウンサーから照明、カメラマン、道具係、ADに至るまで、一応は元仲間である。そこまでするつもりはない。
30代になっても体調は悪かった。ご飯はいつもコンビニ弁当だ。風呂にも何日も入れないから、体から変な匂いがする。誰かに指摘されたら「焼肉を食べたんだ」ってごまかした。口内炎は治らないし、胃はずっとキリキリしてる。
身も心もボロボロだった。一応は、大卒総合職のはずだった。オフィスで働く人のはずだった。想像していたホワイトカラーとは違っていた。
さて。この頃の俺は、ディレクターになる年齢が近づいていた。正直いうと、実質的なディレクターだった。上の人がサボりがちであり、自分の方にディレクターが行うはずの仕事を振っていた。
だから、企画会議では、芸能人のどうでもいいスキャンダルをいじったり、誰かを笑いものにする企画が出てくる。芸人同士の暴力は基本であり、人権感覚など持ち合わせてなかった。あの頃の局全体は、マジでアホだったと思う。
なんで、あんな会社で働いてたんだろう……と言うと、理由はひとつだ。「番組を作りたいから」である。ほんのちょっとでも自分の爪痕を世の中に残せたら、それはなんて素晴らしいことだろうと感じていた。
ただ、テレビを見る人の「ペルソナ」って……当時のテレビ業界人の認識においても、「低俗な内容が好きな人」だった。今だからぶっちゃけてしまおう。皆そういう認識だった。
今でも同じだと思う。インターネットだと、「やらおん!」「はちな起稿」とか、youtubeだと「アシタノワダイ」「フェルミ漫画大学」とか、あとは暴露系が人気を博している。Xの低俗さはもはや基本。あれが人間の本質の一部である。
人の心を動かす作品を作りたかった。実録ドキュメンタリーとか、社会の矛盾を突くようなドラマとか。そういうのが好きだった。特定作品だと、水上勉の『雁の寺』『海の牙』『火の笛』『土を喰う日々』が好きである。
一度だけ、飲み会の場でそういう発言をしたことがある。「社会派作りたいな~」って。でも、そんなこと言おうもんなら、「何言ってんの?」「誰が見るんや!!」「うちでは作れない」って一蹴される。
自分らはテレビ局の奴隷だった。視聴率という数字に魂を売った奴隷である。視聴率のためなら、人権侵害も上等の集団。上の人達も同様。
そんな日々の中で、心を救ってくれた作品があった。
地獄のような日々が続いていた30代後半のある夜、たまたまテレビをつけた。とりあえず、家に帰ったらテレビを見る。同業他社の作品を観て勉強するのだ。その時も軽い気持ちだった。
その作品は、テレビ東京でやってた『ハイパーハードボイルドグルメリポート』だった。
見たことある人がいるかもしれないが、世界のヤバい地域に行って、マフィアとかギャングとか戦争難民とか、そういう人たちが何食べてるのかを映すドキュメンタリーだ。書籍作品で言うと『もの食う人びと』に近いものがある。
最初は「なんか変な番組やってるな」くらいに思ってた。でも、見始めたら目が離せなくなった。
あの時、画面に映ってたのは、コロンビアの元麻薬密売人だった。彼は仲間と、貧しい家で豆を煮て食べていた。その顔には、絶望と疲労と、それでも生きようとする強い意志が混じり合ってた。
「これだ!」と思うと涙が止まらなかった。
俺が作りたかったのは、こういう作品だった。くだらない笑いじゃなくて、人間の本質に迫るような、生々しくて、でも美しいもの。
画面の彼は「食べることは生きることだ」って言ってた。当たり前の言葉だけど、すごく重く響いた。
自分達が毎日作ってる番組は、誰かを笑わせることはできても、誰かの魂を救うことはできない。誰かの心に深く残ることはできない。精神性がないバラエティ番組を作っている。
上っ面ばかりの、人間の心の表層を撫でるだけの、そういうコンテンツ。自分が作りたかったのは、人間の心の底流(アンダーカレント)を刺激する番組だった。
テレビ局を辞めることを決意した。独り立ちの準備を重ねたうえ、約二年後に退職願を提出した。
退職届を出した時のことを覚えてる。人事部長が「もったいない」と言ってた。俺の同期にも辞めた人が何人もいて、知る限りでは、みんな同じことを言われてた。
でも、いいやって思えた。命まで取られるわけじゃない。自分自身の命さえあれば、人の魂を救える作品づくりができるはずだ。
そんなこんなで、業界の伝手を辿って念願の独り立ちを果たした。いわゆるフリーランスである。ほかの会社に勤めるという選択肢はなかった。テレビ東京に不採用になったのもあるけど笑
最初は大変だった。フリーランスになったものの仕事は少ない。貯金は減っていく。実家からは「ちゃんと仕事してるの?」って里帰りの度に聞かれた。昔の同僚からは、飲み会の時に「今何してんの?」と聞かれるけど、何とも答えにくかった。それでも答えたが。
初年度の年収は、フジテレビにいた頃の4分の1くらい。段々と家賃も払えなくなって、ボロのアパートに引っ越した。都心に出るまでに電車で何十分もかかるような。
後悔はなかった。テレビ局に居た頃は毎日が「作らされてる」感覚だった。誰かの指示で、誰かの期待に応えるために、自分の心が望まないものを作り続けてた。
今は違う。自分が作りたいものを、自分の手で作ってる。CM企画の仕事でも、ドキュメンタリーの編集でも、放送作家に近い仕事でも、全部自分がやりたいことだ。
特に大きかったのは、サブスクの動画配信サービスでの番組制作の仕事だ。2025現在、アマプラなどでは自社がお金を出してプロに作らせるのが一般的だが、当時は盛んではなかった。
ある時だった。飲み屋で知り合ったのがきっかけで、自分の企画書を見てくれたプロデューサーが「面白い」と言ってくれた。それは、テレビ局では「視聴率が取れないから無理」と言われるような、いわゆる追放もののストーリーである。社会の片隅に追いやられた人が底辺で足掻くお話だった。『モンテ・クリスト伯』みたいな。
その動画配信サービスのプロデューサーは「視聴率はそこまで関係ない。ある種のペルソナ、ある種の人達にどれだけ深く届くかが大事」と言ってくれた。そういうわけで、自分が作りたいものを思う存分作ってやった。
一週間のうち、最低でも数日は充実している。あの頃とは比べ物にならないほどの多幸感である。
朝起きて会社に行くわけじゃない。スタジオに行くことは月に何度もあるけど。基本は自分の家で、自分のペースで仕事をする。疲れたら好きなだけ休める。
テレビ局にいた頃は、自分が何のために働いてるのか分からなかった。魂をすり減らしてる感覚だった。
今は違う。自分が作ったドラマを見て「感動した」とか「考えさせられた」とか「面白かった」とか、そういう感想をもらえるとマジで嬉しい。作品が誰かの心に届いてる。そう思うと、もっと頑張ろうって思える。
年収はまだ低い。テレビ局時代の約半分である。結婚はできないかもしれない。
でも、幸せだ。あの頃の俺はイライラしてた。自分の好きなものを作れなくて、世の中にウケるものだけを追い求めて、消耗していた。自分が自分でないみたいで。
あのグルメリポートの番組に感謝してる。そしてあの時、勇気を出してテレビ局を辞めた自分に感謝してる。
不安でしょうがなかったけど、あの頃の不幸だった自分がいるから、足掻いていた頃の自分がいるから、今があるんだと思える。ありがとう、あの頃の私。諦めないでくれてありがとう。
もし、仕事に疲れてる人がいたら、自分の心を無視しないでほしい。本当にやりたいことは何だろう、って自分に問いかけてみてほしい。人生を変えるきっかけになるかもしれないから。
Permalink |記事への反応(27) | 21:04
昨日の昼休、同僚とホラー映画の話題で盛り上がったんだ(ちなみに俺はショーン・オブ・ザ・デッドが好き)。
そんで不意に同僚が「俺、まんじゅうが一番怖いんだよね」って言ったんだよ。
は?って思うじゃん。なにそのオーガニックな恐怖。
でも同僚は真顔で言うんだよ。
「いやマジだから!あれ見ると心拍数200になる」なんてことを言うわけだ。
こっちは笑いながら「まじ?w」って言ったら「あんま軽く言うなよ!まじで怖ぇんだよ!」って机ドンしてくる。
いやお前が怖ぇわ。
で、今日の昼休にイタズラで買ってきたのよ。
同僚のデスクに気付かれないようにそっと置いて「今日のおやつだよ〜」って声掛けた。
その瞬間——同僚、饅頭を手に取って大絶叫。
「うわああああああああああああああああ!!!!」
立ち上がって、椅子ごと吹っ飛ばして、上司のお気にの観葉植物を薙ぎ倒して、しりもち着いた。
俺らもう腹抱えて笑ってたんだけど、次の瞬間大の字になって倒れてた。
「やばい、ネタじゃねえ!!!」ってみんなで駆け寄ったら、同僚の右手から出てきたんだよ。
饅頭の包み紙。
そこには震えた文字でこう書いてあった。
ほんとは緑茶が怖い
なんでAndroid携帯って、着信バイブレーションの強度を自由に設定できないんだよ!?
携帯電話なのに、どうしてそんな基本機能すら備わってないんだ。ホント意味がわからん!
結局さ、基本的な設計思想が完全にIT系デスクワーカーが考えるものになってて、その域を出ることがない。
どうせあいつらは「絶対に取らなきゃいけない電話」なんてないんだろ?
でも俺たち日本の現場ワーカーは違うんだ。バタバタしながらでも、必ず取らなきゃいけない電話があるんだよ!
唯一の頼みがバイブレーションなんだぞ。
昔のガラケーですら、バイブの強弱設定くらい当たり前にできたのに…
ぶっちゃけこれって構造的な問題であって、お母さんも子供もそれの犠牲者なんですよね。
なんで子供たち(に限らないですが)が靴のかかとを踏むかというとちゃんと靴を履くのが面倒だからですよね。
で、なんで靴を履くのが面倒かというと、日本の家や生活習慣や教育機関が靴をちゃんと履ける環境になっていないからです。
日本の家は、といっても一軒家を除くんですが、玄関で靴を座って脱ぎ履きするようになってないんですよね。
一軒家でちゃんと上がり框がしつらえてあれば座って靴を履いたり脱いだりできるんですが、集合住宅だとたたきと5cmくらいの段差があるだけで座れる構造になってなくて、立ったまま靴を脱ぎ履きしないといけないようになっています。脱ぐときに靴ひもをほどいて、履くときは靴ひもを緩めて足を入れて靴ひもを締めて結ぶというのがきちんと靴を履くということですが、立ったままこれをやるのはかんりしんどいし、腰への負担にもなります。それでどうなるかというと、いちいち靴ひもを緩めたり締めたりしなくていいようにずっとゆるゆるにしておく、それでも面倒だからかかとは踏んでサンダルや草履みたいに履けるようにしてしまう、と。まあもともと日本人は草履と下駄を履く生活をしていたわけである意味原点回帰といえるかもしれないですね。最近はバリアフリーということで一軒家でも玄関の段差も低めになってたりスロープになくしたりするみたいで、ますます靴を履きにくくなっているのかもしれませんね。玄関に段差があるのは、日本では家屋を高床式にして基礎を30~50cm高く作るようになっているからで、これは湿度が高い気候で地面が湿っていて水害もままある土地に木造住宅を建てるには必要なことなんでしょうね。
それで次の問題は、そういうあまり靴をちゃんと履けるようになっていないところで靴をちゃんと履いても子供たちが学校に行くとせっかく履いた靴を脱げとなる上靴下靴文化ですね。せっかく靴を履いても30分もしないうちに脱げと言われるんじゃ、まともに履く気にはならないですよね。そして上靴を履くときに靴を履くための環境は全く用意されておらず、登校してきた子供たちがひしめく中で立ったまま履かないといけないわけです。立ったまま靴を脱ぎ履きできるようになることは新小学一年生が最初にできなくてはならないことの一つだそうです。学校が率先して靴の変な脱ぎ履きの仕方を教えているということですね。それで、休み時間にグラウンドで遊びたいと思ったらまた上靴を脱いで下足に履き替えないといけないし、休み時間が終わったらまた下足を上靴に履き替えないといけないし、グラウンドでの体育や校外学習があったりするとその時も同様ですね。なんというか日本の小学校に足育なんて夢のまた夢、学校がかかとを踏む子を育てていると言っていいでしょう。
大人は子供たちほど靴を脱ぐ場面があるわけではないですが、子育てしていると保育園の登降園時に発生しますし、職場でスリッパに履き替える人がいたり、履き替えないといけない職場だったり、デスクの下で靴を脱いでいたり、昼食や夕食に行った先が座敷だったり、ということもありますね。ちゃんと座って靴を脱いだり履いたりして、靴ひもを結びなおしている人がどれだけいるでしょうか。そもそも靴ひもは毎回結びなおさないといけないということを知らなかったりしますよね。子供のころからそういう風に指導されてませんからね。
まあ、そういうわけで靴のかかとを踏んでしまうのは、靴をきちんと履ける場所がないことと、それにもかかわらず高頻度での靴の脱ぎ履きを要求されるから、ということになりますね。
こんにちは。30代女です。
毒親とは毒と理解しつつうまくやっていたが、大喧嘩して縁切り状態、
メンタルは鬱と診断され薬でコントロールできているが、多分一番問題なのは睡眠障害
派遣社員なのは、メンタルというか人の気配が苦手で身体が強張ってしまい極度に疲れるため、週5で働けないからです。
独身なのは、人並みに恋愛もしてきたが、やはり毒親育ちがネックで愛着障害?の気があり、警察沙汰になるなど派手な失敗を数度重ねて諦めた次第。
きっかけは、毒親との喧嘩・失業(倒産)・失恋(恋人持ちに騙されていた)が重なり、
退職金を使い果たしたら死のうと思っていた頃、
そうだ。推しぬいが欲しい!と思ったため。
失業中で暇だし、無駄に手先は器用なので、推しぬいを自作しようと思った。
そこはありとあらゆる存在がぬい化されており、
人間(推し)はもちろん動物、動物ですらない概念など、人の思いつく限りさまざまなぬいが存在している。
その中に、私の心が強く惹かれたぬいがいた。
創作ぬいは基本的に大量生産されおらず、人気作家とかになると競争率も相当なもののようだが、
ぬい界新参にも関わらず、私はそのぬいをゲットすることができた。
ぬい界的に言えば、素敵なご縁をいただき、ということだ。
ここで、推しぬい作りはとりあえずどうでもよくなってしまった。
そして私はぬいとの生活を始めた。
とりあえずカフェとかに行って、ぬいと飲み物とかを写真に撮る。
ぬいは結構ヘンテコな顔していて、そこがなんとも言えず可愛いところなのだが、
ただ飲み物を写真に収めるより、ぬいがいることによってすごく楽しげな雰囲気になる。
私がカフェにきて飲み物を飲む、その小さな幸せをぬいは全身で表しているような感じに見える。
そうして私はことあるごとにぬいと食べ物を一緒に撮るようになった。
(この行為については衛生面などで批判もあるようだが、ごめんなさい)
あと、飲食店じゃなくて家でも飯を食うたびにぬいと一緒に撮影している。
そうしているうちに金が尽きてきたのだが、ぬいとの暮らしをもう少し続けたいと思い就職した。
正直新しい職場って私のようなタイプのメンヘラにとってはかなりストレスが多く、
毎朝出勤するのがしんどい。
なので、私は仕事に行くのではなく、ぬいぐるみと出かけるのだと脳を騙すことにした。
朝起きて一応飯を食い、時間が迫ったら急いで身支度、最後にぬいぐるみを他所行きの装備にする。カバンを持たせるとか。
そして、行こう!とぬいに語りかけ、ぬいポーチごとカバンに突っ込んで出社。
昼休憩は一人なのでコンビニ飯とぬいを撮影。かなり健常者しかいない職場なので目撃されたらすごいと思う。
最初は話しかけるとかはしていなかったし、昼飯のときもぬいを取り出すことはなかったが、最近はこうなってきている。
本当はデスクにぬいを置きたいのだが、私物っぽいものを置いてる人が皆無のストイックな会社なので控えている。
限界になったらポーチとかで若干隠しつつ置くようになるかもしれない。
そして帰宅すると、ぬいのカバンをおろしてあげ、リラックスタイム。
飯食ったりインターネットしたり、この記事を書いている間もぬいが見守っている。
ぬいはヘンテコな顔をしているが、私を全肯定しているかのような顔をしている。
そして寝るときはもちろん一緒にベッドに入る。
横になってぬいの顔をドアップで見ていると、えもいわれぬ愛情が湧いてくる。
そして私は気がついた。
こちらが一方的に可愛がり、好きな時に抱き、いつでも連れ回して、ずっとにこにこご機嫌な顔をしている赤ちゃんが。
よく考えたら、付き合ったりしてきた男どものことも赤ちゃんにしたかったのかもしれない。
そして推しのことも基本的に赤ちゃんみたいに可愛いと思っている。
歳を取らず、喋らず、放置しても死なない、常にこちらを全肯定している赤ちゃん。
この生活がいつまで続くかは不明だが、しばらくはこの赤ちゃんが私の欲求を満たしてくれるだろう。
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