
はてなキーワード:デイサービスとは
日本では長年「少子化対策」が政治課題の中核に据えられ、はてなの男性は「中年非モテ男性の(年下女性との)恋愛を国や自治体が無償や格安で支援するべき」という主張をここ15年ほど繰り返してきた。
しかし、出生数の減少そのものも重要だが、それ以上に「次世代が社会で機能しない/自立できない割合が増えること」は、長期的に見て社会資本と財政の双方にとって致命的なインパクトを与えうる。
実際、近年は不登校や療育(発達支援)を必要とする子どもの増加、若年無業者の高止まりが目立つ。
文部科学省の令和5年度調査では、小中高の不登校児童生徒数が過去最多を更新しており、小中学校で約34.6万人、高校で約6.9万人と報告。長期欠席・不登校の生徒数はここ数年で明確に増加。不登校は単に「学校に来ない」問題に留まらず、学習の遅れ・社会経験の欠落へと連鎖し、将来の就労や社会参加の困難を生むなど長期にわたる悪影響へと繋がっていくリスクが高い。
厚生労働省や関係機関の集計では、児童発達支援・放課後等デイサービスの利用者数・費用額が年々大幅に増加しており、平成24年度以降で数倍(児童発達支援は約5.7倍、放課後等デイはさらに大きな伸び)というデータが示されている。療育ニーズの増加は、単に行政予算の問題であるだけでなく、家族の就労・生活設計に直接影響する。療育の必要な子が増えれば、介護的な育児負担が長期化し、親(特に母親)がフルタイムでの労働を続けられなくなるケースが増える。
多数の疫学研究が、父親年齢が上がるほど子の自閉症スペクトラム障害リスクが上昇することを示している。代表例として、Reichenbergら(JAMA Psychiatry,2006)や大規模レジストリ解析を含む報告(Sandinら, 2016)は、父親の高齢化と子供のASDリスクの関連を示し、Sandinらは母親年齢や他の共変量を調整した解析でも独立した父親年齢の影響が確認されたとしている。疫学的には父親年齢の上昇がASDリスク増加と関連するという強いエビデンスがある。
メカニズムとしては、父親年齢上昇に伴う精子由来の新生突然変異(de novo mutations)増加や、社会選択(高齢で父親になる人の子供に特異な遺伝的背景がある可能性)などが仮説として挙げられる。Sandinらのような大規模研究は、母親年齢を統計的に調整しても父親年齢の独立効果が残ることを示しており、母親年齢を影響を除去した有効なソースに該当。
障害児・療育を要する子どもを抱える保護者に関する厚生労働省の調査では、「仕事と子育ての両立に困っている」との回答が多く、就労継続が難しいとの実態が示されている。共働きでやりくりしていた家庭でも、子どもに特別な支援が必要になると片方(多くは母親)が離職・短時間就労を選ばざるをえない事例が頻出。子供の送り迎えのために仕事を辞めるよう療育施設から直接言われたり、また辞めない限り子供の支援サービスにアクセスするのが不可能な状況であったという声も報告されている。
もともと「片働きでは家計が成り立たないから共働きで子どもを作る」という家計設計が一般化している時代に、療育ニーズの増加で親が仕事を続けられない事態が広がれば、家計・キャリア・出生意欲のすべてに負の影響を与える。
若年無業者は、若年者が減少している社会でありながらも高止まりの状態が続いている(例:15–34歳で50万人台程度の長期高止まりの推移など)。労働需要が不景気により落ち若年人口のボリュームがあって人余り状態であった氷河期とは状況が全く違い、団塊世代が引退して人手が不足して売り手市場であるのにもかかわらず、「能力的な理由でどこでも働けない若年者」の問題が現在の日本の問題である。若年層の就労不能・無業化が増えることは、納税者が減るだけでなく、生活保護・医療・福祉などの公的支援需要を増やすため、政府財政にとって大きな負担となる。
さらに内閣府や財務省の将来見通し・財政資料は、人口減少・高齢化が進む中で社会保障給付が増大し、現役世代の負担が重くなることを繰り返し示している。もし「働けない・納税できない次世代」の割合が上がれば、税や社会保険料を健常な労働世代からさらに徴収せざるをえず、長期的な税負担の増加と経済成長の停滞を招く。少子化に加え、次世代の「就労能力・自立度」が低下することは、単なる人口統計の問題を超え、財政持続性と社会の生産性にとって直接的な脅威である。
少子化対策は往々にして結婚と挙児を望むが機会が得られない35歳以上の男性の目線で語られがちだが、「出産適齢期に入る前の若年層(高校生・大学生)」に対するライフプラン教育や健常児をもうける能力と年齢の関係に関する情報提供、キャリア形成と家族計画を両立できる制度整備の方が長期的に見て効果が高い。これまでライフプラン教育は女子中高生のみに限定されて行われたことでTwitter上での「女性差別」という炎上が繰り返されてきたが、むしろ無知や危機感の欠如といった点で問題の程度が酷いのは男性のほうであり、40歳など手遅れな年齢になって親の介護危機をきっかけとして婚活を開始しがちな旧世代の無知な男性を反面教師として、現在の男子高校生に対して「25歳までに同年代の相手を決め、27歳までに第一子をもうける」といった人生設計に向けた緊張感を持ってもらうことこそ肝要である。35歳以上の男女への結婚促進は別に、国のためにならない。若さをすでに失った人は、勘違いをするべきではない。
女性が高齢になることにより不妊、流産、ダウン症といったリスクが上がることは知られているが、男性側が35歳以上であることによってASDが増えるというのは2000年以降に研究され始めた内容であり、知識が広がっていない。無知による晩婚、ASD児増加、不登校、若年無業、8050問題へと流れてしまう家庭が増えないことを祈るばかりである。
https://anond.hatelabo.jp/20240701235213
とても助けられました。
ずっと我慢してへらへらしてたけど、わたしも職場で介護カウンターを行い、「うちの子が〜〜」とか「子供会社に連れてきていいんなら良いんですけど〜笑」とか言う人と戦いはじめました。
同じように誰かの助けが必要な家族の面倒を見るという点で同じなのになんで嫌な気持ちになるんだろうって思ってたんだけど、
向こう(子持ちの若い主婦・夫)は私たち介護者を仲間だなんて思ってないんすよね。
介護カウンターする度に相手の反応見ると感じる。いちばん大変なのは自分たちだと思ってた、みたいな顔をされる。あなたも大変だろう。わたしも大変だ。どっちが上とかではない。
いつも子どもの話でほかの子持ちと盛り上がろうとするあなたが電話でいつもやりとりしている30代独身女性は、消化器系のがん手術と抗がん剤を行い、いまも病院にかよっていながら仕事を続けていて親も抗がん剤治療中だとは知らないだろう。
「子育てしたことない人にはわからないでしょうけど」みたいな一昔前のドラマかスカッとジャパンの嫌な女みたいな発言はさすがにないにせよ、「子育てしてる私たちにしかわからないこと(最近の幼稚園でのルールとか子どもたちが如何にしてネットミームを知って会話に取り入れるかとか)」を話題にして、その空気を出して盛り上がっている。
あれだ、中学時代のオタクたちみたいな感じ。自分らしかしらないネットの知識をチラチラ周りを見ながら振りまこうとしたりしてる子たちのような感じ。
そのたびに母のデイサービスでの話で空気をぶち壊してやってる。裁縫が得意すぎてデイサービスで用意されるお裁縫セット(巾着とかポーチを作れるキット)で大量生産し続け、施設の雑巾も縫ってやってる話は鉄板ネタである。最近はアクリルたわしもつくっている。
「職場に子ども連れてこれたらいいんですけど〜笑笑」って何を目的にして言ってるのか分からない。ほんとに。
関係ない立場の人からしたら「で?」でしかない。「家族の都合でその日は出勤できません」だけで良いんだよね。
同じ独身者のチームリーダーの方で「子供の病院で遅れます」とかの連絡に「え〜大変ですね〜〜」みたいなことも言わず、ただ淡々と「わかりました。出勤時間がわかったから教えてください。」という返信だけする人がいて、その人は私が母の体調不良で急遽半休をもらうときもそうだった。
私としては気楽でとてもありがたかった。
その人がいつも周囲の子育ての話にまったく興味を示さず、お休みなどの報告も淡々と受け流し続けてくれた結果、あらゆる会話を「うちの子も〜〜」と子どもの話に回収されることが減ったし隙あらば子供の話を差し込もうとする人も減った。
私は介護カウンターをしたり、私自身も持病があって定期的に病院に行くのでその話で子育てにカウンターを行い、彼ら彼女らが透明化している人の存在を示し続けているが、
その人はチームリーダーという立場で会話の中心を業務内容にするよう誘導することで雑談となるとすぐに子育ての話を差し込むことが場違いになるような空気を作っていたように思う。
最近の雑談は当たり障りない内容(近くにバーガーキングができたこと、マックのチーチーダブチを食べたこと、ミスドの食べ放題に行きたいこととか…食べ物ばっかだな)になった。
『推されていた数年間』
名前を呼ばれるのが、怖かった。
画面越しで何千回も呼ばれたその名は、もう本名より重く、苦しかった。
「しほたん」「しほぴ」「女神しほ」──
それは私の別人格。
きっかけはそれだけだった。
はじめは罪悪感があった。
──気づいたら、夜の8時から深夜3時までが“出勤”になっていた。
ありがたくて、嬉しくて、泣きながらお礼を言った。
「田坂さん、いつも来てくれてありがとう」
「本当に助かってます」
「しほぴは田坂さんの味方だよ」
1万円、3万円、5万円。
私が泣くと、金額は増えた。
「生きててくれてありがとう」
そう言われた時、私はもう戻れなかった。
“推される”というのは、祭壇に乗ることだ。
最初は暖かかった。
でもそのうち、皮膚がただれても気づかないようになった。
昼は眠り、夜は配信。
肌は荒れ、声は掠れ、視力は落ちた。
でも、金が入った。
月収は100万を超えた。
──そう信じていた。
でも、あの夏。
配信に現れなくなった。
DMの返事も来ない。
その夜、私は初めて吐いた。
自分が何者だったのか、思い出せなかった。
あれから7年が経った。
私は今、介護施設で働いている。
月給14万円。朝6時に起きて、腰を痛めて、排泄ケアと風呂の介助。
でも、不思議と不満はない。
誰も、私のことを“神”とは呼ばないからだ。
“しほたん”は死んだ。
その墓には、誰も花を供えない。
──田坂隼人。
見た目は変わっていた。痩せ、白髪で、目に深い傷跡があった。
でも、目が合った瞬間、わかった。
彼は、私を“見て”いなかった。
ただ、そこにかつての“偶像”がいるというだけで、心を溶かしたような顔をしていた。
「しほ……ですか?」
「はい、志帆です。介護スタッフですから、なんでも言ってくださいね」
私は笑った。
生きていれば、終わりはくる。
でも、ただ一つだけ信じている。
──これは愛じゃない。
でも、呪いでもない。
これは、“推された代償”の、静かな後始末。
そして私は、それを生きることにした。
〜恐怖は、隣で笑っていた〜
その明るさに、私は最初、救われたような気がしていた。
田坂さんの介助をする日々の中で、
──でも、気づいてしまった。
「今日も○○たんが来てる〜!ありがとねー!」
5000円、10000円、20000円。
彼女は笑っていた。まるで昔の私の声で。
そして言った。
「“推しに投げる瞬間”って、自分が神になれる感じしません?」
その言葉で、血の気が引いた。
あの子は、もう“あっち側”にいる。
何かが過剰で、何かが壊れている。
私はその時、
田坂さんと目を合わせるのが怖くなった。
私のスマホも、彼女のスマホも、画面越しに人間を崇拝する装置。
人の人生を狂わせる、神のふりをした呪物。
その怒りはどこへ向かうのだろう?
推しの彼か、
それとも、
今となっては“すべてが分かってしまっている私”に?
──私はもう、推されることも、推すことも、できない。
だからせめて、働く。
その恐怖から逃げずに、
この場所に、しがみついている。
新宿のタワーマンションで女優が刺されたのは、もう五年前のことだった。
犯人は“思い詰めていた”と語り、二十数回の刺傷を与えながらも、事件後は「記憶が曖昧で…」と供述した。放心状態だったという。
だが、それが事件の**“原型”**だった。
シンガーソングライターの女が、何の前触れもなく背後から刺された。
「金を返せと言っているわけではない。ただ、彼女が幸せそうだったのが腹立たしかった」と。
推しに費やした十年間が、生活保護と病院通いだけが残った自分の人生の唯一の“意味”だったという。
そして、今。
年金額は月5万。
毎月、腰にヒアルロン酸注射を打ち、心臓の薬をもらいに病院に通っていた。
彼にはかつて「推し」がいた。
推し活全盛期には、田坂は彼女の配信に月20万円を投げていた。
当時の記憶は断片的だ。
とにかく彼女の声が、自分を「選んでくれている」と思っていた。
──「ありがとう、田坂さん、いつも一番で嬉しい!」
それだけで、生きる意味があった。
彼にとっては、「捨てられた」としか思えなかった。
田坂は怒りに駆られなかった。ただ、耐え続けていた。
それでも、自分を押さえていた。
しかし、ある日。
志帆がテレビの再現ドラマで“おばあちゃん役”として出演しているのを見た。
だが、その笑顔に、田坂の心は焼かれた。
──「なんで、そんなに幸せそうに笑っていられるんだ?」
スイッチが入った。
そんな原始的な怒り方は、もう古い。
田坂は、志帆の勤務先を調べた。
記録係。月収14万円。実家暮らし。推しの残骸として、静かに暮らしていた。
彼は彼女の後をつけた。
「殺す気はない」
そう自分に言い聞かせた。
ただ、「知らせたい」。
田坂はある日、深夜のコンビニで志帆の背後に立った。
手にしたのは、カッター。
それを握りしめ、彼女の片目を切りつけた。
悲鳴、血、倒れ込む志帆。
逃げる田坂。
数日後、自首。
裁判で田坂は言った。
「俺は初代の連中みたいに、殺して逃げる気はなかった。
生きさせて、苦しませる。
それが一番の“恩返し”なんだよ」
「5年後、俺は72。まだ生きてる。彼女も、生きてるだろう」
その言葉が、次の“後輩たち”の心に火をつけるとは、
まだ誰も知らなかった。
人が怒ってるとき、
泣いているとき、
困っているとき、
変な顔だって
授業中だろうが
病院だろうが
葬式だろうが
最近は知恵がついてきて、
そうやって笑えば
人がまた更に眉をしかめたり、
それで周りから避けられるようになって
「なんでみんな僕のこと嫌いなの?」
って本気で言ってる
〇曜日は安静が必要なタイプが多いから△曜日に変更できないかと依頼された
実質出禁というわけだ
昨日は傘を差した友達が突風にあおられてこけてしまったところ見て大笑いしていた
私が「ちがうでしょう」といえば
笑う口元を必死で歪ませながら「ごめんなさい」と謝り
「こういう時はお友達に何ていうの」というと
「大丈夫?ってきく」と一応社会的ルールは覚えているようだった
母親の私も最近は一刻も早く自立して何処かに言ってくれないかなと思い始めている
増田のように本当に賢く生きられるようにするには
どうしたらいいんだろうね
めちゃくちゃいっぱいある。
順不同、脈絡なく書いていく。
最近まで知らなかったことだけじゃなく、書いたけど結局わからんことも書く(そっちのほうが多い)。
5Sといって整理、整頓、清掃、清潔、躾だそうだ。
全部日本語じゃねーかって思った。
QCサークルとか、サークルっていうから酒でも飲むのかと思ったら普通に業務じゃないか。
簿記とか会計に疎かったので、営業利益とか経常利益とか違いがわからんかった。
ググってみても、本業の稼ぎが営業利益とか出てきて意味がわからなかった。
経費削減っていうから、会社の支出は全部経費かと思ったら、材労経だろJK
原価といっても全部原価とか直接原価とか標準原価とか次々新しい名前が出てきていまでもわからん。
雑損てなんだ?
散々計算した挙句、所得の定義が国税と地方税で違うとか温厚な俺でもキレそうになる。
税金難しすぎる。
消費税の仕組み、仮払いとか仮受けとかも知らんかった。
一番よくわからない。善意の第三者っていえば、普通に考えて、親切な人だろ?なんで事情を知らない人をいうんだよ?
ヒトのことを、法人に対して自然人というとか、お前頭沸いてんのか?と思った。
法令はそうそう変えられないから、細かいことは政令に政令に定めるとか省令に任せるってことにしといて、パブコメだけで規則変えるのって頭いいけどズルくね?
母数は分母のことじゃないとか、n=100は標本数じゃなく標本サイズだとか、そういうの。
分類とクラスタリングは違うとか、俺がなにか喋るたびに訂正される。
自転車は車道って言われても、5叉路とかになるとどの信号みていいかわからん。
降りて歩行者になってる。
仕組みがよくわからん。
なんでこんな何枚も似たような書類をいろんなところに書かないといけないのか。
事業者に書類書いて、なんちゃら福祉事務所に書いて、自治体に書いてとまあ。
自治体に提出しにいくと、これは福祉課、これは子育て支援課、年収判定は課税課、子育て支援でゴミ袋無料になるから環境課に行けとかいろいろ。
その度に住所と名前を書く。
あとイールドカーブとかも知らんかった。
なんで住所情報を管理するシステムと家族関係を管理するシステムが別なのかわからん。
ジークアクスみてるんだけど、宇宙世紀は教養なのか?知らねーよ。
もう全部わからん。
コマンドプロンプトとPowerShellの違いすらわかんないってのに、TypeScriptとJavaScriptの違いなんか興味もないわな。
下地ってなんだ?
ジェスチャーでエンジンの動きを教えてくれた人がいてさ、水平対向エンジンはこう、Vツインはこう、と熱心にモノマネしてくれたんだけど、気が狂ったのかと思った。
実は、そもそも4サイクルと2サイクルの仕組みすらわかってないんだ。
ディーゼルはまた別なんだろ?
前項でエンジンわからんって言ったけど、身の回りの電化製品とかもほとんどわからん。
株式だってよくわかってないし、先物とかオプションとかスワップとかって説明されてもわからん。
生理周期とメンタルが関連するって聞いたけど、機嫌が悪いのは生理前なのか生理のときなのか生理直後なのか。
聞くのも憚られるから、女が怒ってるときは「なんかわかんないけどホルモンのせいだな」と諦めてる。
そもそも、自民党と共産党以外、どの党がどういう支持母体でなりたってるのかわかってない。
終わったということはそういうことです。
長かったような短かったような……
次はもっとうまくやれると思うけれど次は無い。
誰かの参考になれば、などという殊勝な考え方は持ち合わせておりません。
様子がおかしくなったのは15年?くらい前。私よりも本人が異常を感じたらしいです。
忘れ物落とし物をすることが多くなった。
普段できていることができなくなった。
そこで「なら私がやる」にしてしまうとさらに何もできなくなるという話も聞いていたので今まで通り生活をしてもらってました。
その後、電車に乗れなくなった(東京近郊なんで免許は無くて仕事行くのも買い物行くのも電車という生活でした)という話を聞いてこれはまずいなとさすがの私も思いました。
とは言えそこまで切迫感を持っていたわけではありません。今思うとこの時点で相談すべきでしたね。
洗濯をすると靴下がばらばらになりました。症状は個人によって違うと思うので参考にもならないのかもしれませんがはっきりと覚えています。
そのころから日常的な家事すら満足にできない私に家事を教えたり、自分で地域の包括支援センターというところに相談したりをしていました。
そういう年なんでかかりつけの医者でも相談して例の薬をもらっていました。
そしてある日包括の人から電話が入っていて家族にも話がしたいと。
休みを取って訪問してもらってデイサービス等の利用を勧められました。
やっぱりショックでしたね。そりゃもう。
元気で言葉は悪いけれど「殺しても死ななそう」みたいな人がそういう判断をされるんだから。
介護サービスを利用するには継続的にお金がかかります。私の収入だけでは心もとない。そのお金をどう調達するか。
ところがです。やってしまった。正直に「認知症がぁ」とぽろっと漏らしてしまったのです。
向こうも困っていました。
そういう電話はコンプラ対策ですべて録音されているわけです。「認知症」はNGワードです。全部の会社でそうなのかはわからないですがその会社ではそうでした。
予定が狂いました……
親も働いていた人なので年金はあります。それじゃ足らない。うーん……
それでも今を生きられなくなるよりはましなのでそういう決断をしました。
給料が安くても毎月お金が入ってくる仕事についているのならしがみつけと。
親の介護が大変で仕事を辞めると共倒れしてしまう可能性がけっこう高いらしいです。
「自分を生んで面倒を見てくれた親よりも仕事を取るとはけしからん」という意見をお持ちの人もいるでしょう。
そこまで極端ではなくてもどっちを取るか迷う人はけっこう多いんじゃないかと思います。
私もそうでした。
自分のケースはただ一つですが包括の人は何十ものケースを見ているはずです。
他のケースも見たうえでそういうアドバイスをしてくれるということには重みを感じました。
もちろん最終的な決断は介護をする自分がしなければなりません。
認知症の場合は本人の決断というのが期待できないので家族が決断しなければなりません。
それでも、他の人の言うがままにこうした、と思うより、自分自身が最終決断したと思うことで自己満足ではありますが後々後悔することは少ないのではないかと私は思っています。
デイサービスというのは曜日単位なんですね。午前コースと午後コース、食事付食事無などいろいろなメニューがある。
利用するまで知りませんでした。
車が迎えに来てくれて車に乗ればあとは帰ってくるまでお任せです。
デイサービスの車の走行距離って全国合わせるとすごいことになってるんでしょうね。事故が多く報じられるのも納得です。毎日あれだけ走っていれば事故も多いわ。
最初のうちは私が家にいる土日は利用していなかったのですが土曜日は利用するようになりました。でもなかなか空かない曜日もあって毎日というわけにはいかない。
仕事続けられるんだろうか?
不安になりました。
デイサービスでは無理、常時介護をお願いできる施設の方がいいんじゃないか。
思い悩んでいるところで神風が吹きました。
それまで在宅勤務は0だったのですが100%在宅勤務になりました!
これなら、これならなんとかなる!
みんな「コロナのせいで」」とか「コロナさえなければ」と言っている中私は「コロナのおかげで!」
そう思った時期が私にもありました……
在宅勤務とは言えというか在宅勤務だからこそ打ち合わせとかありますよね。会議室取らなくていい分増えたような気もします。
打ち合わせしてるじゃないですか。
玄関は鍵閉めてその他対策をして簡単には外に出られないようにしているつもりだから盛り上がってしまったりします。
打ち合わせを終えるといなくなってる……
そして……夜眠っている。朝になるといない……
自分だったらこのトラップを初見で解除できない、そう思っている私が浅はかでした。
本当に認知力に問題あるのだろうか?俺に意地悪しているだけなんじゃないか?とすら思いました。
気を悪くする人もいるでしょうが、実際に触れてみると認知症になった人って子供に戻ってるんじゃないかと思うんですよね。
気を引くためにわざと怒られるようなことをしているように見える節があります。
子育てと似ているのかも。
ただ、根本的な違いがあって子育ては将来に希望があるし終わるタイミングがある程度見えている。
対して認知症の介護は将来治る見込みがなく終わるタイミングが全くわからない。
当たり前といえば当たり前ですが精神的な負担は認知症の介護の方が強いのではないかと思います。
育児も大変ですけど……
横道にそれましたがそんなこんなで限界が近づいているタイミングで利用しているデイサービスの方からももっと手厚い介護を受けた方がいいのではというお話をいただきました。
その時点では日中は家にいる時間よりデイサービスにいる時間の方が長くデイサービスでは私と違って誰かしらが見ている状況なのでそれでも厳しいということだったらと思いケアマネさんと相談を始めました。
提案をされたのはグループホームです。家族の収入にも寄りますが私の収入の場合は公的資金を頼るには多すぎて自己負担が大きい施設を利用するには少なすぎるという中途半端な状況。
無理なくとは言えないまでも無理をすれば支払いができるグループホームを何か所か提案してもらいました。
ここでもコロナで助かりました。
昼休みを潰すと見学に行けちゃうんですわ。やることをやっていればけっこう自由にできる職場だったんで「昼休みのあとちょっと遅れまーす」みたいなことを言えば外出できました。
コロナ前だったらこんな対応不可能でしたね。おそらく有休まで使いきって何日か欠勤してたでしょう。介護休暇?んなもん足りるわけねぇww
見学に行ってよさげに見えても私が決断する前に入居者が決まったり、そもそも見学している時には空きが無かったりとかもありました。
競争率激しいですねぇ。
決め手はなにか?
家から近い!
圧倒的に近い!!
施設は小規模で手厚いサポートとかには不安がありましたけど何かあった時にすぐに行けるという安心感でその施設を選びました。
これは入居してから聞いたのですが、施設で働いている職員の中に私の親が外を歩いているのを見ていた人もいました。
自分のところじゃなくてもいいから入居した方がよさそうだなと思っていたらしいです。
病状は進んで暴れたりすることもあり、気持ちを落ち着かせる薬をもらうのに家族の付き添いが必要ということで、そもそもそういう診断ができる精神科が少なくて予約もできないとかまぁいろいろありました。
そうこうしているうちにこれもまた運がいいことに歩きは無理だけど車なら無理なく行ける場所にあるお医者さんが受け入れてくれました。
診察は最初の1回だけでその後は私が様子を伝えれば処方箋と薬をもらいに行くだけという対応で済むようになりました。
そのお医者さんを見つけたのがかなり大きかったです。私がおかしくなったらそこに行こうかと思ってます。その時にもその先生はいるかどうかはわからんですけどね。
それ以外にもけがをしたりとかいろいろあるたびに医者には連れて行きました。最初は自分で連れていけましたが最終的には介護タクシーを利用しましたね。
車いす対応レンタカーを借りることも検討しましたが行く病院によっては介護タクシーの方が安くつきます。
そうこうしているうちに親の病状が落ち着いてきました。
落ち着いてきた……、それはつまり終わりが見えて来た、ということになります。
精神科にも通院しなくなりそうするとその都度聞いていた様子を聞かない月が出て来たり……
毎月のコミュニケーションはあるんですが通院する時のコミュニケーションはやっぱ濃かったんでね。
施設も職員さんも忙しい中時間を作ってくれてるのはわかるので通院と言う理由なしに「変わりないですよ」という一言を聞くためだけに時間をもらうのもなというのもありました。
ああ、ここでは逆に近いことがマイナスに作用したのかも。近いからいつでもいけるとおもっちゃうんですよね。
そして、様子がおかしいという連絡があり、ちょうど予定していた有休があるのでその時に顔を見に行くという話をしました。
しかしもう一度連絡があってその日が土日だったんでスーパーに買い物に行くついでにちょろっと顔を見に行きました。その時も今日明日と言うようには見えないと言われたし私もそう思ったんですが……。
その翌日、眠ったまま息を引き取りました。
親戚づきあいを濃密にしていたわけでもなく、同世代の友人もみんながみんな元気というわけでもなくということで私が1人で見送るつもりでいましたが、連絡がついた親族や友人経由で小ぢんまりには変わりないですが思ったよりも大勢にお見送りしてもらいました。
知らない人がいると思ってびびってたら40年ぶりくらいに会う人だった。わかるわけがないw
終わったらたぶんほっとするんだろうなぁと思ってましたが違いましたね。
後悔は無いです。
でも、次にやるんだったらもうちょっとうまくやります。経済的な、精神的な負担も今回よりは軽くなるようにやろうと思います。
次はありません。
Permalink |記事への反応(12) | 18:31
夫(祖父)が介護サービスにどこまで理解を示してくれるかですが、他の方が言っているように施設入所かショートステイの利用くらいですかね
デイサービス利用だと夜間は一緒にいる事になるので効果は薄いと思う。
どうか知恵を貸してほしい。
飯を食べたかも忘れるし、ついさっきした会話ももちろん覚えてない。孫の名前こそ忘れてないものの、たぶんもう区別はついてない。
幸い今のところ徘徊もなく、元々一日中ずっと大人しくテレビを見てるタイプだったし、デイサービスにも大人しく行ってくれる。祖母がボケたこと自体はそんなに困っていない。
祖父は活発なタイプで、老人会で軽スポーツをしたり趣味で畑を借りて野菜や果実を作ったりをずっとやってきた。流石にもう歳も90近く、管理し切れないので家族の説得でようやく畑は去年で終わりにした。
車での旅行も好きで、この年代にしては珍しく家事もやるタイプ、というか祖母に家事をやらせないタイプ。とにかく自分が動いていたい人だった。
祖母がボケる前は本当に仲のいい夫婦で、本人もそれが嬉しかったと思う。
だけど祖母がボケてから、会話が成り立たないこと、祖父の思う通りに祖母が動かないことに祖父が切れるようになった。
ボケてる相手に切れても仕方ないと説いたところで、祖父もボケてないだけで柔軟さはない頑固老人なので納得しない。祖父が怒るから祖母も怖がる。
実家は祖父母と両親の4人暮らし。自分含め孫は全員家を出てる。両親はまだ現役で働いてる。前述のとおり畑を辞めたのもあって、家には祖父母が2人でいる時間が長い。だから余計に祖父もイライラするんだとも思う。
おそらく祖父自身も、祖母を鏡にした自分の衰えに対する苛立ちや不安があるんだとも思う。
帰省した際に祖父の運転する車に乗ったんだが、一時停止無視で右折しようとしてあわや正面衝突で死ぬかと思った。車の鍵やスマホもトイレに置き忘れてきたりもする。
本当は免許返納させたいが、ど田舎ではないものの車がないと不便な地域なのと、今のタイミングで車を取り上げて祖父母がより長く2人になる時間を作るよりはマシかと先延ばしになってる状況。
昔ドライバー仕事をやってたプライドもあるのか、本人は90超えても免許更新出来る限り運転し続けるつもりでいる。
前置きが長くなったが、どうにか祖父母のストレスを和らげたい。出来れば2人一緒にいる時間をなるべく減らしたい。
祖母に向かって死ねという言葉が出てくる時点で、祖父も限界なんだと思う。
祖父が運転せずに済む方が嬉しいが、運転せざるを得ないならそれも仕方がないと思って受け入れる。
老人会の活動頻度は知らないが、会の中でも祖父は特に高齢ぽい。
祖父には生きがいとかやり甲斐を与えて日々を過ごしてもらいたいが、何かアイディアは無いか知恵をお借りしたい。
祖父本人は畑を再開したいと言うが、1人では管理し切れないし両親も自分も手伝える環境には無いのでなるべく他の案を探したい。
同じような悩みを辿ってきた人はいないだろうか?助けてほしい。
【追記】
反応もらえると思ってなかった。ありがとう。
畑はうちの庭先にあるわけじゃなくて、他人様の土地を間借りしてるから車で行ってた。大きな畑の一角を借りてて、隣接する区域は他の人が借りている場所になるから管理し切れないと迷惑をかけることになる。要は以前みたいな規模では出来ないのに同じようにやりたがるから問題だったんだ。
実家の庭で出来るプランター規模での家庭菜園とか勧めてみようかと思う。
ゲームはゆるめに禁止の家庭だったから馴染みが無いので、おすすめのソフトなどあれば教えてほしい。
免許更新はさせたくない。どうにか人を轢く前に自損で事故って運転辞めてくれないかと思ってる。でも自分は実家出てて、実際に面倒見れるわけじゃないからあまり強くも言えてないんだ。情けないけど。
Permalink |記事への反応(26) | 08:49
この前自称自営業の独身男性とマッチングしたのでデートしてきたのですがただの頭の悪い無職でした。しかもその無職、自分が仕事辞めることになったのを親の介護のせいにしてて唖然🫨普通介護施設とかデイサービス利用しながら仕事続けられるようにするのがまともな大人じゃないですか。そういうのに必要な金も考えて若いうちから資産形成するのが当たり前なわけで、仮にそれで履歴書に空白期間ができて社会復帰難しくなっても自己責任なんですよね笑 ちなみに私の親は自分の老後の面倒は自分でどうにかできるだけの資産は用意してます
開設当初から8年間通っていた。その作業所は一族経営で、作業所、放課後等デイサービス4つ経営、居宅介護、訪問介護と訪問看護(コレ両方作業所の利用者全員に強制で使わせていたので利益確保には十分。俺も利用者リストに勝手に個人情報満載で載せられていたので抗議したが無駄な抵抗だった。)、とにかく障害者で儲けることに特化したビジネスをやっている企業だった。とにかく、いかに障害者、生活保護からお金を抜くかを考えているようで、例えば生活保護受給者用の寮を用意しているのはいいが家賃扶助内で収めず、+一万円の共益費を徴収することで利益を得ていた。毎月トータルで10万円ぐらいかな。俺も寮に居たので、その額の負担の大きさが苦しくまた納得出来ず、何度も減額交渉を試みたのだが受け入れられず、じゃあ共益費が何に必要でこれだけ取っているのか、これまで何に使用した実績があるのか、プールしてある金額は今どれぐらいあるのか、これから共益費でどんなリターンを考えているのか、明細を書面で出して欲しいと要望した。が、無視され、黙殺されたままであった。
作業所の職員は手取り15万円(サビ管20万円)で働かされ、開設8年で一度も賃上げ無しでボーナスもなしという待遇。利益は一族が全部がめつく独占していたようだな。他のサービスの職員でも同様で、訪問介護、訪問看護も同じことを言っていた。障害者からも労働者からも搾取。
そんな作業所ではあったがまあ居心地は悪くなく、職員との交流を楽しみにしていた。利用者とも気が合う人はいて人間関係は良好だった。毎月の生活保護収入認定15000円分の工賃も助かっていたし。
しかし、去年俺はそのB型作業所を辞めることになった。正確にはクビだ。何があったかというと新しく入ってきた職員が自分に懐く利用者をかわいがる一方、気の合わない利用者(67歳のおばあちゃんだ)に対して暴言を吐くのが日常と化し、(邪魔くさいのが来た)(お前が来るとつまらない)などの発言があり、問題なんじゃねえの、差別なんじゃねえのと事ある度に倫理観と常識を持ち合わせたまともで信頼できる職員に相談し始めた。そういうことは何度も繰り返され一向に改善が見られず、職員の会議でも問題の職員が上手に言い逃れや否認をすれば見過ごされるという状態が続いていた。
また、そういった状況の中、別の職員が、作業の遅く時に居眠りをしてしまう利用者に対して露骨に嫌悪感を顕にして、激しく叱責するという日々が続き、これは利用者の間でも「かわいそうだ」「やりすぎ」との声が出ていた。結局、その職員は自分の担当(内職班の権限者)から外すことにし、外(農業班)へ追放し遠ざけることで解決を計った。
俺はその内職担当の職員のお気に入りで、誕生日にはプレゼントを送り合ったり、ハーブの交換をしたり、食事に行ったり、家に招かれ酒を交わしたりするぐらい仲が良かった。が、そのこと(気に入らない利用者を叱責・追放すること)や、先述した差別を疑われる事案について物申したところ、俺もお気に入りから外れ、外(農業班)へと追放された。それまでは内職班リーダーとして班の統率、面倒見、時間管理、進捗のチェックや、納品関係の責任者(といっても、ただの利用者なのでそんなに大したことはしていない)などを任されるぐらい重宝されていた。が、お気に入りから外れたため外に追放されたのである。
それでも農業で頑張って作業に当たる日々を過ごしていたところ、先述の職員が特定の利用者が喋りだすタイミングで「クソうるさいのう!」と発言するということが起きた。ん?聞き間違いかな?まあ空耳かもしれん。と思いその日は黙っていた。が翌日同じシチュエーションで、「やかましいんじゃ!」との発言があり確信に変わった。だが、まあまあ、この職員はおかしいけど波風立てるのも大人げないかな、と思いやはり黙っていた。その翌日、その利用者が別の作業で不在だったのだが、そしたらその職員は「今日は静かでええのう!」と。おいおい。これは信頼出来る職員に報告すべきだ。
で、報告した結果、社長、サビ管、職員複数に呼び出され、俺に出勤をしばらく控えるよう、またこのことを口外しないよう通達があった。俺は「そういうことなら福祉事務所に告発とまではいいませんが相談に出向きますよ」と言った。これが俺の立場を一番まずくしたかな。
問題意識を持ち物申してくる障害者を取るか、差別的な態度、言動を取る職員側の保身を取るか。話し合いが行われたようだ。
結果、俺のような利用者が(健常者に近い、と言われたな)居たら他の利用者ともうまくいかないだろ(うまくいっている)、俺のような障害者が居たら職員が疲弊する。だからもう出勤させることは出来ない。寮も今月中に出ていってくれ。との話になった。クビだ。
ああ、従順な、物申さない障害者を演じ続けることが出来ればこんなことは起きなかったのか?
昨日、関係の良好だった利用者から電話があった。私も辞めようと思うんよ、と。あれからルールがギチギチに厳しくなった。特に利用者同士の交流について。だけどそのルールを職員は守らないのよ。利用者にはルールを守れと言いながら職員は守らなくてもいいのか(具体的に言えば、ものの貸し借りはダメというルールだが職員が利用者に漫画を借りている)と聞いたら呼び出され、余計なことは言うな、と言われた、と。次余計なことを言うとクビにすると言われたのよ。と。
俺は俺に起こった出来事を話し、うちの作業所はおかしくなってしまった。早くやめたほうがいい。潰れればいい。そう話した。
今は資格を取って社会復帰するための勉強中である。B型作業所にはもう行かない。
Permalink |記事への反応(12) | 15:32
うちは発達障害をもっているので、ちょっと特殊かもしれないけど、回る気がしない。
特別支援学校のバスはくるものの、バス停までの1㎞少々、登校と下校に合わせてどちらかが付き合わなければいけない。
これをずっとなのか?中3までずっと?
定型はいいよなって思ったのだけど、アメリカだと子供を一人で歩かせるとかありえないらしく、学校とかスクールバスのバス停までは送迎が普通らしい。
しかし、辛い。
送迎を終えて9時、そっから仕事に行って、3時までに帰宅できるように、2時半には会社を出るような生活ができるんだろうか?
普通の小学生なら学童保育が可能だが、うちの子にはどう考えても無理だ。
放課後等デイサービスという障害児の場合の学童保育のようなものがあって、特別支援学校からそこまで送迎してくれたりするけれど、学童保育以上に空きがない。
あったところで、どこでもいいということにもならないのも辛い。
一人で留守番なんて怖くてさせられないからやっぱり放課後等デイサービスに預かってもらえないことにはどうしようもない。
今のところ、放課後等デイサービスに空きがあるのが月に8日くらいになりそう。
大丈夫か?
認知症の人の見ている世界はそういう世界みたいなことを最近読んだ。
自分が70・80代ということを認識できなくなって、自分の全盛期であった40代に頭が飛ぶらしい。
結果、デイサービスのバンを自分が通勤に使っていたバスと混同し、
「運転手が話しかけてきた!」「なんで運転手が自分の名前を知っているんだ!?」ってパニクるらしい。
あるいは、自分が孫がいるおじいちゃんおばあちゃんという認識が飛んでしまって、
子供と孫がお見舞いに来たときに子供に「その子はお友達かな?」と孫のことを尋ねることもあるらしい。
その視点で元増田を読んで、なんというか、若年性認知症を発症して、
自分の全盛期だった高校生くらいに頭が飛んだってことなのかなと思った。
30代くらいだとまだ親が存命な人も多いと思うけど、実家で過ごしながら、
高校時代にやっていたことをついやってしまうというのがリアリティのある未来という気がする。
高校の頃に出入りしていた繁華街にコギャルの格好で出かけるとか、