
はてなキーワード:ディスりとは
最近、ブログやSNSで記事を書いていると、ふと気づくことがある。自分が「これ、めっちゃ良いこと書けた!」って思って書いた記事が、意外と反応薄だったりする一方で、なんか軽い気持ちで書いた愚痴っぽい記事や、誰かをちょっとディスった記事がバズったりする。というかそう言う記事しかバズらない
例えば「職場のあの人がムカつく」とか「世の中のこういう風潮、クソくらえ」みたいな、ちょっと毒っ気のある記事。こういうの、なんでか知らんけど、めっちゃリツイートされたり、ブックマークされたりする。
コメント欄も「わかるー!」「ほんとそれ!」みたいな共感の嵐。自分としては、「いや、こんなんでバズってもな…」ってちょっと複雑な気持ちになるんだけど、でも、なんでこういう記事がバズるんだろう? そこには何か理由があるんじゃないかって、最近よく考えるんだよね。
まず、なんでこういう「愚痴系」や「ディスり系」の記事がバズるのか、考えてみた。ネットを見てると、こういう記事にはいくつか共通点がある気がする。
愚痴とか批判って、読んでる人の「わかる!私もそう思ってた!」って感情を刺激するんだよね。職場で理不尽な目にあった人、SNSで変な絡まれ方した人、みんな何かしら「ムカつくこと」抱えてるじゃん? そういう人たちが、自分の気持ちを代弁してくれる記事を見ると、「これこれ!」ってなる。共感って、ネットで拡散する最強の燃料だよね。
冷静で理性的な分析記事より、怒りとか悲しみとか、強い感情がこもった記事の方が人の心に刺さる。だって、感情って伝染するもん。読んでる側も「うお、わかる、ムカつく!」って一緒に盛り上がっちゃう。逆に、データだらけの真面目な記事って、読むのに頭使うから、ついスルーされがち。
愚痴記事って、だいたい短くてストレート。難しい言葉使わず、誰でもパッと読める。だから、忙しい人でも「2分で読めるし、ちょっと見とくか」ってなる。SNSのタイムラインで流れてきたとき、スクロール止めるハードルが低いんだよね。
これ、ちょっと怖いんだけど、特定の誰か(上司とか、インフルエンサーとか、世の中の「マナー警察」とか)を悪者にして、そこにみんなのフラストレーションをぶつける構図、めっちゃ効くよね。「あいつらが悪い!」「ほんとそれ!」みたいな感じで、読者が一体感を感じる。敵を作ると、仲間意識が生まれるんだよね。
でもさ、こうやってバズる記事の「法則」を考えてみると、なんかモヤモヤしない?だって、こういう記事って、結局「負のエネルギー」で動いてる気がするんだよ。誰かを叩いたり、世の中をdisったりすることで、みんなの溜まったストレスを発散させてるだけ。確かにバズるし、瞬間的な注目は集まるけど、これって本当に「良い記事」なのかな? なんか、もっと違う形で、読んだ人を元気にしたり、やる気にさせたりする記事って書けないもんかなって思うんだよね。
バズる記事が持つ「負のエネルギー」には、実はけっこう問題があるんじゃないかって、最近気づいた
1.一過性で終わる
愚痴や批判の記事って、瞬間風速はすごいけど、すぐに忘れられる。だって、読んだ人は「わかるー!」って盛り上がるけど、結局その場でストレス発散して終わり。次の日には別のバズり記事に流れてく。なんか、ファストフード食べて一瞬満足するけど、すぐお腹空くみたいな感じ。
愚痴系記事って、読者を「共感して終わり」の受け身な状態にしがち。読んだ人は「うんうん、わかる」ってなるけど、そこから何か行動しようとか、考え方を変えようとか、そういう次のステップに繋がりにくい。
これが一番モヤモヤするんだけど、こういう記事って、だいたい「悪いのはあいつら」「世の中がこうだからダメなんだ」って責任を外に押し付けるよね。確かにスッキリするけど、でも、それって読者に「自分は何も悪くない」「自分は被害者」って思わせるだけじゃない? それ、なんか健全じゃない気がするんだよね。だって、世の中を変えるには、結局自分も何かしないといけないわけじゃん?
4. 負の連鎖を生む
誰かを叩いたり、世の中をdisる記事って、読んだ人の心にネガティブな感情を増幅させる。で、その人たちがまた別の誰かを叩く記事を書いたり、コメント欄で荒れたり…みたいな負の連鎖が続く。ネット見てると、ほんとそういう空気、感じること多くない? なんか、みんなで一緒に落ちていくみたいで、怖いよね。
どうすればもっと「良い記事」を書けるんだろう? 読んだ人をやる気にさせたり、ポジティブな行動を促したり、世の中をちょっとでも良くするような記事って、どうやったら書けるのか
共感は大事。やっぱり、読者の「わかる!」を引き出すのは、記事の第一歩。でも、そこから一歩進めて、「じゃあ、こういう時、どうすればいい?」って具体的な提案を入れる。例えば、「職場のあの人がムカつく」って話なら、「こういう人とどう付き合えばストレス減るか」「自分の心を守る方法」みたいな実践的なアドバイスを添える。読者が「わかる!」で終わらず、「よし、ちょっとやってみるか」って思えるような記事。
怒りや不満じゃなく、希望とかワクワクとか、ポジティブな感情を刺激する記事って、実はもっと強い力があるんじゃない? 例えば、「こんな面白い挑戦してる人がいた!」とか「自分、こんな失敗したけど、こうやって乗り越えたよ」みたいな話。読んだ人が「自分も何かやってみようかな」って思えるような、エネルギーを与える記事。
3. 読者に「考える余地」を残す?
バズる記事って、だいたい結論がバーン!って提示されてるけど、逆に、読者に「あなたはどう思う?」って問いかける記事って、もっと深い議論を生むんじゃない? 例えば、「世の中のこういう問題、みんなはどう思う?自分はこう考えてるけど」みたいな感じで、読者に考えるきっかけを与える。コメント欄が荒れるリスクもあるけど(笑)、でも、ちゃんと議論が生まれたら、めっちゃ面白いよね。
4. 「自分ごと」にしてもらう?
責任を他人に押し付けるんじゃなくて、読者に「あなたもこの問題に関係してるよ」「一緒に変えていかない?」って呼びかける。例えば、環境問題の話なら、「こういう小さなアクション、実はあなたもできるんだよ」って感じで、読者を「消費者」じゃなくて「参加者」に変える。そういう記事って、読んだ後になんか行動したくなるよね。
正直、愚痴や批判の記事を書くのは簡単だし、バズるのも気持ちいい。でも、なんかそれだけじゃ物足りないんだよね。だって、ネットって、ただのストレス発散の場じゃなくて、もっとすごい可能性がある場所だと思うから。読んだ人が「自分も何かやってみよう」「世の中、ちょっと変えられるかも」って思えるような記事を書きたい。それが、ブログやSNSで発信する意味なんじゃないかな。
でも、こういう「良い記事」を書くのって、めっちゃ難しいよね。バズる記事の「即効性」に慣れちゃうと、ついそっちに流されそうになる。読者の心をつかむには、やっぱり共感や感情の力が必要だけど、それをどうやってポジティブな方向に持っていくか。そこが、ライターとしての腕の見せ所なのかも。
学生時代サービス業のバイトしてたときクレーム処理でこういうのをよく見てきた。
ほぼ中高年によるものだったので「昭和育ちだからかな」と世代の違いだと思っていた。
やがて、私が家庭を持ち30歳を過ぎた頃、自分と同年代(平成生まれ)の人らのなかから、この手の「怒りや攻撃性をなるべく抑え込みながら慇懃無礼に相手を凹ませようとする」やり口を駆使するタイプの人間が続出するようになって驚いた。
どうやら生まれ育った時代がそうさせるのではなく、老化現象の一種で人はこうなるのかもしれない。
平成といっても初期の生まれではあったけど、我々世代にとって、敬語で皮肉連発しながらディスりをかますっていうのは、相手を凹ますどころか逆に笑い者にされてしまう痛々しいオタクムーブと見なされてたものだったのに。
例えば
「さぞかし常日頃から従業員の皆様へ素晴らしい教育を施されていらっしゃるのですね。
私なんぞが今後足を踏み入れるのははばかられるような一流ホテルですので、遠巻きながら益々のご発展をお祈り申し上げます。」
みたいなやつ。
そういう時は俺もびっくりして思わず増田に書いちゃうので、それを検索して出てきたのをメモ
grdgs 2025/02/18
不慣れな人ももちろんいるし、でなくとも相手方が常用している日程調整ツールもあるかもしれない。それを聞きも相談もせず送りつけるのは失礼。chatwork・teams・slackなども、どれを使うかはまず相談するでしょ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4766440229154246977/comment/grdgs
grdgs 2024/06/04
個人的には初デートでも小汚い居酒屋につきあってくれる人が好みではあるが、だからといって嫌だという価値観をディスりはしない。サイゼカルトは同意しない女を悪の権化のごとく憎むからキモい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4754425949248855104/comment/grdgs
確かに‥
調べてみたら、めっちゃ出てくる笑
特にこの方の訴えは切実↓
「東京人は冷たい」とか「東京なんて人が住む場所じゃない」とか、かなり失礼だよね‥
そりゃ傷付く人もいるよって‥
今まで考えたこともなかったけど「東京へのディスり」って結構あるっぽい
しかも、それがなんとなく許されてるところも異常じゃない?
よく考えたらなんか理不尽‥笑
・周りのみんなは気にしてない
良く言えば細かいことを気にしない?
悪く言えば鈍感で地元愛がない?
私たちはこれに怒るべきなの?
それとも気にしなくていい?
だけど、イライラする部分もある
そーいえばだいぶ前から気付いてたんだけど私の友達って、社会問題的な話はしないんだよね
そこが好きなところでもあるけど‥笑
平和な日々が続くと思っていた矢先、ある日、KAMEGAOKA PARFAIT -駿府 - の扉がガラッと開いた。そこに立っていたのは、全身を黒で統一した、マジでオーラが違うお方!鋭い眼光で、何かこう、圧倒的なカリスマがハンパない!
「…ふん、今川か。随分と気楽な商売に精を出しているようだな。」
え?マジで?あのうつけ者にして天下統一を目指した第六天魔王、織田信長様!?って店員たちがざわつき始めた瞬間、その威圧感半端ないお方、もとい信長様は、店内の雅な雰囲気を一瞥し、フンッと鼻で笑った。「たかがうなぎで天下を獲るなど、たわけたことを…」って、マジで一言目がディスり!
義元様、信長様の登場にマジで顔面蒼白!「な、信長!?なぜここに…!?」って、完全にビビりまくってる!信長様は、義元様を無視して、店内のうなぎパフェを指差した。「これを見ろ。うなぎをパフェにするなど、もってのほか。うなぎは、戦の糧として、米と共に食すべし!」って、マジで古典的な意見!
義元様は、信長様の横暴っぷりにマジで呆れ果ててた。「信長!わたくしの築き上げてきた文化が…!」って訴えても、信長様は「黙れ!そのような軟弱な文化など、天下には不要だ!」って一蹴!そして信長様は、いきなり店の奥の厨房に入っていくと、自らうなぎを焼き始めたんだって!
「うなぎとは、こうして食すものだ!」って、信長様が作ったのは、なんと山盛りのご飯の上に、香ばしく焼き上げたうなぎの蒲焼きを乗せた、超シンプルなうな丼!しかも、デカい器にデカ盛り!「これこそが、真のうなぎの姿よ!」って、ドヤ顔で義元様に見せつけたんだって!
周りのお客さんは、信長様の勢いに圧倒されつつも、そのうな丼のあまりの香ばしさに思わずゴクリ。一口食べたら…「うまっ!マジで最高!」「これが本当のうなぎだ!」って、みんな信長様のうな丼に魅了されちゃった!
信長様のうな丼は、あっという間にSNSでバズりまくり!「信長のうな丼、マジ最強!」「うなぎパフェなんかより、断然こっち!」って、悪評が広まりまくって、KAMEGAOKA PARFAIT -駿府 - は、信長様のうな丼人気に完全に食われちゃったの!
義元様は、信長様のうな丼に客を奪われ、マジで呆然自失。「わたくしの築き上げた文化が…夢が…!」って、マジで泣きそうな顔してたらしい。結局、天下も、パフェも、全て信長様に食われちゃったっていうね!
こうして、今川義元は、令和の日本で、うなぎパフェで天下を取ろうとしたものの、織田信長にまさかのうな丼で討たれ、盛大に失敗!めでたしめでたし…じゃないけど、マジで波乱万丈で可哀想な物語、完全燃焼したわ!うなぎパフェ、マジで無念!
あー、出た出た。「負荷試験で全部検出できる」っていう過信系エンジニアの典型的自己放尿ね。
それっぽい口ぶりしてるけど、中身はかなり雑。
それ、現実では成立しないことのほうが多い。
実データの複雑さ、偏り、スパイク、タイミングの揺らぎ、全部再現不能。
とくにJOINが関わると、クエリプランはデータ量や分布に応じて変化する。
たとえば初期はNestedLoopで爆速だったJOINが、数百万件超えるとIndex Mergeになり、さらにデータが偏ると一気にフルスキャンに堕ちる。「その場では平気」でも、翌月には地獄が来る。
それに、負荷試験では「時間の経過による蓄積的劣化」は測れない。
たとえばバッチ処理や月次分析クエリ、広告配信ログなど、JOIN対象が少しずつ増えていく処理では、初期の負荷試験では一切異常が出ない。半年後、1年後に突然クエリ1本でサーバが沈む。
つまり、「リリース前に大丈夫だった」は、将来の保証にはならない。時間は最強の敵だ。
本当に経験積んでるエンジニアは、「負荷試験で詰めきれないものが必ずある」ことを理解して、そもそもそういう危うい構造を最初から作らないようにする。
JOINを避けるのは、「MySQLがいけてないから」じゃない。「JOINという構造自体が後から効いてくる爆弾だから」。
どんなDB使ってようが、JOINのスケール問題は必ず起きる。
逆。JOINを無警戒に使って設計して、死んだときに「こんなにデータ増えるとは思わなかった」とか言い出すやつが素人。
こっちは、死ぬとわかってる構造を未然に潰してるだけ。その結果が、辞書化・プリロード・キャッシュ・パーティション・非正規形の併用設計。
「JOINのせいにしてる」んじゃない、JOINの限界を理解してるから設計で回避してる。それだけ。
というわけで、負荷試験万能説、JOIN無罪論、MySQLディスり、全部現場経験不足と理屈のすり替えから来てる自己放尿である。
知識の断片で語るな。
JOINは便利。でも無敵じゃない。
大学どこ行ってた?って聞かれると、正直ちょっとだけ言い淀む時がある。
「神戸学院大学」って言うんだけど、まあ、リアクションは人それぞれだ。「あー、ポーアイの?」とか「へー、学生多いとこね」とか。たまーに「コベガクね!」って返してくれる人がいると、心の中でガッツポーズしてる。そう、略してコベガク。なんかちょっと可愛いだろ?
まあ、世間じゃ摂神追桃の一角なんて言われたりもするわけで。ぶっちゃけ、それがどのくらいのレベルなのか、自分でもよく分かってない。Fランじゃない?って聞かれたら、「まあまあ…」って濁してる。だって学生1万人以上いるんだぜ?多すぎてよく分からんくなるわ。
ポーアイと有瀬にキャンパスが分かれてるんだけど、これがまた別世界なんだよな。ポーアイはお洒落でキラキラしてて、海とか見えちゃったりして。一方、有瀬は…まあ、歴史と伝統? 丘の上にあって、ちょっとした登山気分を味わえる。どっちがアタリとかハズレとか、そういうんじゃない…はず。うん。
なんだかんだディスり気味に書いたけど、卒業してしばらく経つと、あの妙にゆるい空気とか、大人数講義で知り合いを探す感じとか、意外と懐かしくなるもんだ。変な自販機とか、学食の微妙なメニューとか。
まあ、なんだかんだで、私の母校はコベガクなんだよな。うん。悪くなかった、と思う。たぶん。
リアタイでしか体験できなかった「祭り」がうまく再現されているというか
コンテンツに対して壁打ちにならず、そのままコンテンツに取り込まれて一体化してしまう
格差の生じなさが最大の強みだったように思う
MAD文化が下地になってるから「うちの子」「オリキャラ」みたいなめんどくさい界隈と違う育ち方してたりする
「ネットに出たが最後何されてもしょうがない」という諦めの境地が基準にあると思う
『目の前で好き勝手遊ばれてるところをほぼ全員が目撃してる』わけで
だから反AIでXが盛り上がってた頃、AIコンテンツ積極的に突っ込んでいったコミュニティだったりもする
そもそもコンテンツと思ってるかすら怪しいけど、淫夢やゼEROみたいな料理を糾弾しても時間の無駄というかね
酒のつまみになる話最新回にて大吾が
「息子の友だちが家に遊びに来てたんだけど、その友達が二人とも肥っていた。彼等に対しておもむろに『デブ、マクド食うか?』と言ってしまい、息子達が動揺していた」
という話をしていた
「デブ」なんて言葉言われなれてない子供達なので、びっくりした様子だったと
その後も普通に何度もデブ呼ばわりしてたら3人ともきゃっきゃきゃっきゃして喜んでいたとのことだが
「面と向かっての容姿弄り」は硬く禁じられている昨今
そして、SNSで悪口雑言の限りを尽くして何ならタヒに追い遣る昨今
直で言われるのも陰で言われるのも地獄よなあ
結局、にんげんは悪意に満ちているということを深く心に刻み込み、「あー。人からこう思われてんのやろなー」と思いながら生きていくしかない
悪意?というか、「素直な感想」なんだけどな。肥ってる人を見て「恵体」という印象を抱くのは普通のことだ
どう感じるかまでは止められない。それを表出するかしないかだけの問題。「言い方」って言うけど、どう言ったって結局ディスりよ
そんな世界なんで、人から何言われようと気にしないってのが一番だし、SNSなら「見ない」で済ます
いずれにせよ、にんげんは人に対してネガティブな印象を持っているという事実だけは忘れないでいた方が、いざそういうのを見聞きした時に深く傷つかずに済む
傷つくけど、命を脅かすほど傷つかずに済む(HSPは別)
むしろ、「うるせーカスが」というスタンスを身に着けておくべき(実際に言うのではなく、心裡で叫ぶ)
まあ、「デブ」が「ネガティブな印象」っていう「考え方」自体が「駄目」なんだろうけど
「肥ってるのは悪いこと・みっともないこと」という思考回路自体改めろと(つまり「そう考えるな」と)言われているわけで
たぶん今のお子さん達はそういった「本当の多様性」みたいなのを身に着けているんだろうな
ジェネレーションギャップ極まれりだが、彼等が世界の主役になる時代にはきっと全く違った価値観になっていることだろう
割と直ぐの話なのかもな