
はてなキーワード:テロリストとは
今から7年前の2019年、ニュージーランドのクライストチャーチで51人のムスリムが殺害されるという悲惨な事件があった。
犯人はオーストラリア出身の白人で、この襲撃のためにわざわざニュージーランドに来た。
当時のネット界隈では彼がオーストラリア人だと知らなかったのか、知っててわざと無視したのかはしらないが、ニュージーランド人が大量殺戮したと大騒ぎしていた人もいたようだ。ニュージーランド人はこんなしっかり計画された犯罪行為は行わない。
銃器は現地の人から入手し、動画サイトでライブ中継をしながら十を乱射した。犠牲者には子供も含まれている。
騒ぎを聞きつけた現地の人が猟銃を持って事件現場に行こうとしたら犯人一味と勘違いされて警察に逮捕されるというニュージーランドならではの珍事もあったが、この事件を最大限に利用したのがニュージーランド史上最悪の女性首相ジャシンダ・アーダーンだ。
彼女は「彼の名前は呼ばない、彼を何者かにすることは絶対にない」と人々の心を打つスピーチをムスリムたちの伝統衣装に身を包んで行い、その地位を確固たるものにしたが、以下に政治家としての能力がなくひたすらに口の旨さで成り上がったかを如実に示した出来事でもあった。
その後犯人は死刑のないニュージーランドでは最高刑である終身刑の判決を受けたが裁判は実は今も続いている。
あの犯人を何者にもしてはならないと言ったジャシンダ・アーダーンが一体何を思ってそのようなことを言ったかは定かではないが、ブレントン・タラントという白人至上主義のオーストラリア人が望んでいる罪は「テロリズムの実行だった」というニュースが先日掲載された。
まず、テロリズムに対する刑罰はニュージーランドではTerrorism Suppression Actという法律で規定されており、終身刑かそれ以下の罰となっている(この襲撃犯ば執行猶予なしの終身刑が確定している)。
https://www.legislation.govt.nz/act/public/2002/0034/latest/DLM152705.html
テロリズムに基づいた犯行であるかの定義もされており、例えば何らかのイデオロギーや信仰にもどついて害をなすということがその条件になっているのだが、彼にそのようなものがあったとは思えない。
彼は単に「今俺が貧乏なのはイスラム教徒共が俺の仕事を奪っているからだ、そうだ、ニュージーランドに行ってムスリム共を殺してやろう」と思っただけだからだ。これがテロリズムになることが驚きでもある。
ここで一番理解できないのがなんでニュージーランドで犯行に及んだかなのだが恐らくニュージーランドでは当時銃器の法律があまりにもザルで、国内で一体誰がどんな銃をどれだけ持っているか全く把握できていなかったからかもしれない。
その後ジャシンダ・アーダーンが最初のバラマキ政策でもある銃の買取キャンペーンをやったがほとんど効果がなく、無意味に金をばらまいたが結局銃器の管理はいまもできていない。
知らない人も多いかもしれないが、ニュージーランドは実は相当な銃大国であり、地方の人はほとんどが銃を持っていると行って指し支えないだろう。
結果的にこの犯人は「お前なんか何者にもしてやらない」と叫んだジャシンダ・アーダーンの思惑とは裏腹に、テロリストになることに成功してしまった。
ではなぜテロリストと呼ばれたがったのかというと「テロリストと呼ばれることで殺人者と言われたくなかった」程度の理由しかなく、中二病をこじらせるにしてもあまりにも重症だ。
彼が今後ニュージーランドの刑務所から出てくることはないのだが、こういった厄介な輩が銃器を入手できる国がニュージーランドであることを考えると、日本人が考えるような治安の良い平和な国とはとてもではないが言うことはできない。
そういうわけでニュージーランドに来ることはおすすめしない。
乱立すると日本みたいになるじゃん
そもそもテロリストとかアナーキストみたいなやつは英米の議員にはいなくて
ゴーストが私に囁くのよ「原作全然覚えてなくてよかったな」って、64点。
事故で脳以外を失った主人公は義体というメカの身体を手に入れ"少佐"として公安9課で働く。サイバーテロリストと戦う中でそのボスの正体が自分の過去に関わっていること、そして義体を自分に与えた国際的テック企業の闇に触れてなんやかんや頑張っていろいろ解決する。
みたいな話。
たぶん原作は士郎正宗じゃなくて押井守の映画版だと思うんだけどたぶんDVDかなんかを借りて中学くらいの時に見た気がするんだけど何も覚えてない。少佐がゴリラになって戦車のてっぺんをモギモギするシーンだけ覚えてたけど、今作でも再現されていて僕満足。それ以外についてはエロ同人誌でしか知りません。くらいのテンション感の文章だと思って読んでけろ。
まず、ヴィジュアルは結構頑張ってたと思うし、何よりアクションが良かった。
タイトル後のハンカ社とアフリカ系大統領が会談中にテロリストに襲われて少佐がそれを制圧するシークエンス。出てくる芸者ロボのキモオリエンタルな感じはかなりよかったし、透明化した少佐がガラス越しに銃撃し、ガラスを突き破って突入するところは美しさと格好良さの両方をちゃんと表現できてたと思う。突入してからのアクションも概ねよかったけどMATRIXを意識したと思われるワイヤーアクションはちょっとふわふわすぎて微妙。
敵のアジトに乗り込んでまんまとボコられるシーンでも暗闇の中でスタンスティックのフラッシュでアクションを細切れに移す手法とかもそこまでめっちゃ新しいってわけではないけど俺は好きだし、水辺での近接アクションシーンも透明化ってギミックとの噛み合いがよくてよくできてた。
ただ、街の遠景とかになると急にCG感が爆上がりするしふとしたところで安っぽい質感やなってなる部分があって気合入ってるところと抜けてるところの落差は結構感じたかな。少佐のえちえちスーツの質感もなんか妙にマットな感じでもっといい感じの質感にならんもんかとは思った。
あとはアレだな。主人公スカヨハでたぶんめっちゃ鍛えたんだと思うんだけど、むこうの女優が鍛えると普通にゴリってくるのでCGモリモリのファンタジーアクションの中でもスタイリッシュな格好良さってよりは「うおっ、ガタイ良っ!」ってなって笑っちゃった。中盤で普通に脱ぐシーンが出てくるんだけど背筋もめちゃめちゃモリってて強い(確信)ってなった。
キャラで言うと北野武が演じる課長は全然合ってなかったので別の人のほうが良かったと思う。急に桃井かおりみたいな女出てきたなと思ったら桃井かおりだったのでびっくりした。
ストーリーに関しては良くも悪くもなかった。
事故で身体を失って大企業のスポンサードによって機械の体と新たな記憶を受け取るも途中で徐々に記憶が戻り始め、決定的な人物と接触することで記憶が戻り、大企業の偉い人に戦闘ロボットを嗾けられるもこれを排除し大企業の偉い人は死亡するのであった。
こ~れはGITS信者ブチギレですよ。まぁ、俺は別にGITS信者じゃないので目新しさはないが一定の強度がある展開だなぁと素直に思いましたよ。なんでそんなことするの?みたいな混乱もなくスッキリと整理されていてストレスが少なかった。
ロボコップと違って主人公の大切な人枠が今回はテロリストで、仲間達とつるんで楽しく反企業活動してたら誘拐されて義体実験に使われたけど少佐以外は適性がなかったので殺されたり捨てられたりしたので企業を憎んでたって設定になっていて、まぁ納得性はあるけどもっと政治的、哲学的な思想があってもよかったと思う。
義体化という人間の感覚が機械に代替された=外部からアクセスすることでその人にとっての現実を乗っ取ることも可能であるという世界に置いてのサイバーテロリストの動機が昔ながらの仲間の仇ってのは、逆に正しいのかもしれないけど正直つまらん。
少佐の最終的な結論が「身体がどうこうよりも自分が何をするかが大事だよね☆」ってのも凡庸すぎる。まぁハリウッドのブロックバスターエンタメの限界か。なお、ブロックをバスターできなかった模様。
ホワイトウォシュ問題とかいろいろあるだろうけどそもそも原作の素子は日本にいるからアジア人の外見をしている(汎用モデル)だったので、今回、舞台を欧米にした結果として外見が欧米人になっているのは理屈としては通ってるんじゃないの?知らんけど。エロ同人によく出てくる"草薙素子"の話も回収はしてるし。
でも、いつまで日本と中国を「オリエンタルな感じ」でひとくくりにしてるねんという部分に関してはイカンのイを唱えさせていただく。近未来のアメリカではチャイナタウンと日本人街とコリアタウンが合併されてアジアタウンになってる可能性がなきにしもあらずんば虎児を得ずか。
まぁそんな感じ。原作のアニメ版?漫画版?に思い入れがある人には不満も多いかもしれないけど、ちょっとゴージャスなMATRIXフォロワーの大作SFアクション映画としては一定の合格点は与えられる出来だと思うよ。原作信者じゃない人にはまぁまぁオススメ。
いや、いくらなんでもありえないでしょ
無敵の人たちという集団テロリストは、日本をメッチャクチャに破壊しつくす自爆テロをおこなったのか???
だからこの結果なのか。
若者が日本を破壊しようとしている、ってそれこそ無茶苦茶な推定だと思う
大人側がアタマのなかで勝手に若者の考えを推論するのは、限界があるよ
「君たちは何を考えたんですか?」ってさ
なんじゃこりゃ
無敵の人たちという集団テロリストは、日本をメッチャクチャに破壊しつくす自爆テロをおこなったのか???
だからこの結果なのか。
※一応補足しておくとタイトルはネガティブな意味を全く含みません。
自分が頭がおかしいからか、普段から精神科医とか脳科学者・心理学者の本を読んでいるからか、タイトル周りの描写については「悲しいけど人間ってままああいう状態になってしまうのよね」くらいのテンションで劇場を後にしたのだが、今日ちらっとネットの感想記事を読んだら割と「ハサウェイ頭がおかしい」みたいに言われていて、感想って人それぞれだなと改めて思った。今頃になって殊更に言及せんでも、ハサウェイは前からおかしかっただろ!
アムロやクェスの幻を見る場面についても深刻な症状として「マジでヤバい」とコメントしている人がいたが、あの程度の幻は誰だって見るだろ(これはつまりフィクションにおいて)。そりゃあ、その幻に囚われて現実で他人に害を与えたりしたら問題だけど……って、ハサウェイさん、あなたゴリゴリの人殺しのテロリストでしたね……。こりゃあマジでヤバいですわ。
さて、タイトルの件。
昔の作品のヤバいやつを現代的に解釈し直して彼・彼女のヤバさは病理的なものだったのだ、みたいな作品、あるいは、序盤でヤバいやつとして登場していた人物が実は……みたいな物語を過去にいくつか見たことあるような気がするんだが、全然思い出せない(言うまでもないことだが、だからパクリだとかそういう話じゃない)。かろうじてトッド・フィリップス監督とホアキンのジョーカーは思い出したんだが……。
似たような傾向がある作品をご存知の方がいれば教えてください。そのテの作品好みっぽいからたくさん読んだり観たりしたいんじゃ〜!
高市首相の行動判断に対する批判はおおいに結構ですが、氏を病人として批判するにあたっては、同じ病気を抱える人々に流れ弾が当たるような言動について厳に慎むべきだと思うところなの……
そこばかりは批判の正当性どうのこうのでは擁護が出来ない言動の瑕疵になると思いますし、傍目にかなり怖いです……
そこでこうした振る舞いが批判のために正当化されるというのであれば、パレスチナ市民を虐殺するイスラエルがテロリストと戦うためだと正当化している構図と相似形になりますよ。
どちらも形式的には「流れ弾で他人を傷付け、死傷せしめることを正当化している」わけですからね……
かなり重たいテーマだけど、学術的・歴史的な比較としてよく指摘される**共通点**はいくつかある。感情論ではなく、構造や手法のレベルで整理するね。
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**共通点**
*占領地を一時的な軍事支配ではなく、「恒久的に自国の一部」にしようとする
**例**
*ロシア:占領地でロシアの行政制度導入、パスポート配布、住民投票(国際的に認められていない)
*大日本帝国:朝鮮・台湾・満州で日本の行政・法制度を導入し、皇民化を推進
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**共通点**
*占領地住民の民族的・国家的アイデンティティを「書き換え」ようとする
**例**
*ロシア:ウクライナ語やウクライナ史を排除し、「ウクライナは本来ロシアの一部」という歴史観を教育
*大日本帝国:日本語教育の強制、神社参拝、皇国史観の押し付け
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**共通点**
**例**
*大日本帝国:占領地での抗日運動への厳しい弾圧(特高・憲兵など)
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**共通点**
**例**
*大日本帝国:満州への日本人移民推進、現地住民の追い出しや移動
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**共通点**
**例**
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* 同一視はできないし、規模や具体的行為には違いもある
* ただし**「帝国主義的占領の構造」**として見ると、似たパターンが繰り返されているのは事実
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もし
* 「どこが決定的に違うのか」
* 「なぜこういう占領は必ず失敗するのか」
みたいな切り口も気になったら、そこも掘り下げられるよ。
安倍氏暗殺テロの本質は、「宗教二世問題、旧統一教会問題を解決せよ」というテロリストの(暗黙の)要求を、日本社会は妥当なものだと納得してこれに応じた点にある。ダッカ日航機ハイジャック事件のように、人質の人命を守るために嫌々ながらテロリストの要求に応じたのではなく、妥当なものだと納得して要求に応じた点にこのテロの特異性がある。
具体的には、旧統一教会排除の政策や宗教二世問題解決のための行政支援が、テロリストの要求に応じた内容である。
このテロの深刻さは、「テロリストの要求に納得すべきではなかった」とは決して言えない点にある。旧統一教会問題や宗教二世問題は社会が解決すべき深刻な問題であり、本来ならばもっと早く手を付けるべきであった。これらを無視することは道義的に許されない。
以前であれば、テロリストの要求など無視すべきだと考えられていた。いかなる場合にも暴力を行使することは許されないのだから、これを行使したテロリストの要求など耳を傾ける価値がないというのが、その理由であった。しかし、山上被告のテロによる要求を日本社会は無視できなかった。なぜならば、その要求は本当に正当なものだったからである。
言い換えると山上被告の事件は、自由な言論と選挙を通じて社会問題を解決するという民主主義をバイパスし、暴力で社会問題を解決する「正しい」テロというパンドラの箱を開けってしまったともいえる。
このパンドラの箱を閉じる方法が存在しない点がさらに重大である。「民主主義の機能不全が今回の事件の遠因であった」という旨の指摘をする左派系知識人がいるが、馬鹿を言ってはいけない。実際には民主主義は十分に機能していた。その証拠に、やや日刊カルト新聞や全国統一教会被害対策弁護団は自由に活動しており、このネット時代に誰でも彼らの問題提起に簡単にアクセスできた。公正な選挙も行われてきた。しかし、それでも世論の無関心によってカルト問題は民主主義を通じて解決できず、今般のテロによって解決の道筋をつけられてしまったのである。
山上被告が前例を作ってしまった「正しい」テロは、二匹目のドジョウを狙う潜在的なテロリストに、非常に強いインスピレーションを与えたことだろう。山上被告に厳しい判決が下される一方で、カルト問題に粛々と政策的に対応するだけでは終わらない。第二、第三の山上事件が起こった場合、日本社会はどうするのか、どうなるのか。この点に、あのテロの真の恐ろしさがある。
PS:
それにしても、何故このようなシンプルな問題提起を誰もしないのか不思議に思っていたが、改めて言語化してみて分かったよ。「残念ながらあれは『正しい』テロであった。解決策はない」という指摘は、リベラル・デモクラシーの死亡宣言をしているようなものだものね。