
はてなキーワード:テニスコートとは
ヴェルサイユのテニスコートに響いた「自由」の声。それは旧体制を打ち破る、人間の尊厳への誓いだった。だが、現代の日本において、同じ熱狂が別の形で蘇っている。——ポケモンという名の帝国のもとで。
「捕まえる」ことがゲームの本質だったポケモンは、いつの間にか「捕らわれる」構造に変わった。プレイヤーは自ら進んでモンスターボールの中へと入り、課金と懐古の鎖に繋がれる。任天堂が築いたこの“デジタル王政”において、民衆は革命を語らず、ただアップデートを待つだけだ。
テニスコートの誓いに集った民衆は、王権に抵抗した。だがポケモン世代の群衆は、逆に“王”の発表会に拍手を送り、SNSで歓喜の波を拡散する。そこにあるのは、自由ではなく同調の美徳。進化とは名ばかりの、同一性の増殖にすぎない。
ポケモン帝国は革命を模倣することで、革命を終焉させた。民衆が立ち上がる代わりに、「ピカチュウ」が笑う。理想の国民を作り上げたルイ16世が夢見たものは、もしかすると、こんな従順なデジタル市民だったのかもしれない。
——テニスコートの誓いはもう起きない。なぜなら、民衆はすでに任天堂の掌の上で、幸福そうにモンスターボールを振っているからだ。
さっきの夢
水の流れをどうするか、という課題があった
川つくろうぜ!川!
真ん中に川作ればいいじゃん!
と首領格が自信満々に言って
反対意見が出ず、それで進めることになった
航空地図を見ると
近くに綺麗なテニスコートがあったり
これを壊して川を作る?
「A社が5%、それ以外は知らされていないのさ」とおデブの部長が言う
この後すぐ行われる、会議でその辺が決まるらしい
しかも胸元がぱっかり空いただらしないエプロン姿で、仰向けのぐでたまみたいなだらしない体勢になっていた
ここファミレスだぞ!
目が覚めると実家の飼い猫3匹が僕のベッドで眠っていた
これも夢だった
この3匹が僕のベッドに来るのはエサが欲しいときだ
僕が起きたら猫達は
やっと起きよったわこいつ、と言わんばかりにあくびをした
僕の後ろをトコトコついてきてまるで冒険者パーティーみたいになった
ビンに入ったカリカリ餌をじゃらじゃら鳴らすと
はよくれや〜、と言わんばかりにニャア〜と鳴いた
・ビチューメンというアスファルト(結合剤)もあるやで。外国人はアスファルト(舗装)とビチューメン(原料)を、日常で区別しやすくてつかいわけてるみたい。
・なんなら透明なアスファルトもあるよ。石やら充填材の色がみえてキレイ
・お高い運動場やテニスコートはゴムのかけらを透明アスファルトというかポリマーで結合してつくってるよ
・透水性アスファルトはいいよ。ゲリラ豪雨で車を運転するときも、水たまりがない路があれば安心感がある。
充填材の小粒の配合を減らして大粒をいれてすきまをつくったやつ(ゆで卵ゴロゴロサラダみたいな)
雨水を逃すから車が(普通のアスファルトに比べても)スリップしづらい。
こいつはセメントコンクリートすべりませんニキでも反論できないかと。セメントつかっててそんなに水がすかすか通り抜けたらそれこそ塩基性のものが中性になっちゃう。
道路に傾斜つけて表面に排水溝掘るしかないだろうけどそうするとみんな高いところはしって轍。薄く丈夫に打設することもけっこう難しいからメンテが面倒そうだとおもうよ
・セメントのほうは、科学的には生石灰といって日本の鍾乳洞のある地区(山口県とか)にうまってる消石灰を掘り出して焼くことでクソ安くつくれるんだけど、ほかにもいくつか作り方がある。
①貝殻を焼く(TOKIOが島でやってた。三和土を打つのにつかったり、高炉をつくったり)
どちらも掘り出して焼く従来セメントよりは高いんだけど、もうそろそろSDGsで普及してもいいころだとおもう
日本はジュラ紀とかけっこうな割合が海に沈んでたから昔の貝殻が変化した石灰石がたくさん掘り出せるけど世界ではそうもいかないんじゃないのかね
刑務所に入るとしたら、なるべく快適で安全な場所を選びたいよね。
いくつか「悪くない」とされる刑務所を挙げてくね。
この刑務所は「オープン刑務所」として自然に囲まれた環境が特徴だよ。
受刑者は自由に動き回り、農業や漁業などの仕事に従事しながらリハビリをするよ。
こちらもノルウェー同様、福祉と教育に力を入れており、比較的自由な生活環境が整えられているよ。
ちょっとユニークな刑務所だよ。事実上、受刑者が刑務所内でコミュニティを作り、店を経営したり、家族と一緒に暮らしたりできます。
自由度が高いけど、秩序が自分たちに任されているため、ある意味リスキーでもあるよ。
「クラブフェッド」と呼ばれる軽犯罪者向けの刑務所は、特に白襟犯罪者が多く、比較的快適な施設で過ごせるよ。
テニスコートや図書館などのアメニティが充実していることで知られているよ。
まあでも一番は捕まらないことだよね。お互い悪いことをするのはやめておこうね。
そこの前の信号を渡ると長谷川枕なんとかとかいう共産党のポスターが貼ってある謎の家があるので、そこから焼肉きんぐがある方へ歩きます
すると、TOBUと書かれた建物があり、そこの2階より上が市役所です
さっきの手順で栃木銀行の前を渡らないで斜めの道がある迄歩いてください。すると、なんかめちゃくちゃ広い駐車場があってそこの横が観光案内所です(広い駐車場でたまにイベントやってる)
あります。市役所を目指してれば必ずたどり着けます。斜向かいが足利銀行です
商店街の方へ曲がると橋があります。そこが幸来橋で、その下を流れてるのがうずま川です
ミュージアムから駅まで行く途中にTOYOTAレンタカーがあるのでそこで車を借りるか観光案内所で自転車が借りれる場所を聞いてください。
それでどちらかが入手出来たらまず中沢製麺まで直進して、そこから吉野家の方へ曲がってください。ひたすら山の方へ行けばイオンの斜向かいに
駅とは反対の方向(高架橋があるとこ)へ行くと
TSUTAYAがあります。そこからファミマ、ガソリンスタンドを通過して、横断歩道を渡るとヤオハンというスーパーの駐車場の中に幸楽苑があります(老人がいっぱいる)
車でTSUTAYAを超えて幸楽苑の先に橋があってその向こうにパチンコ屋があります。後は山岡家を超えてイオンまで行けば目の前にパチンコ屋があります(余談ですかその店は一度消失しています)
外に出て、横断歩道を渡ったとこにあるカワチに行きましょう。昨日は烏龍茶が60円で売ってました。あ、ミュージアム内には飲み物の自販機と見せかけた新生姜の素みたいなのを売ってる自販機があります。気をつけましょう
TSUTAYAのそばにあるファミマのATMを使うか駅前のセブンに行くか(すき家の隣)駅内のコンビニにあるATMを使ってください
駅の南側をまっすぐ行って、右折した先にメディカルセンターしもつがという辺りで一番でかい病院があります。説明がめんどくさいので自分で行き方は調べてください
後は自分がいつも世話になっているところでは
たまのクリニックとか
(ピザーラの近く、國學院の女子寮の方が近いかも?)があります
電話📞 0282-22-2551
蔵の街を横断します。さっき説明した中沢製麺のとこを左折して吉野家側を行くと反対車線にあります(染谷会館の隣)
中沢製麺が見えたらその先を直進します。すると、かましんというスーパーが見えて来るので、左折(焼肉屋の方へ)そのまままっすぐ行くとセブンの隣にフライングガーデンがあります
幸来橋を左に川沿いに行くとうずま公園にたどり着きます。もっと遠いところだと巾着山という山の近くに川があってそこに緑地公園という公園があります。さくら保育園の近く
割と広いです
歩きで行くならいっそ電車に乗って(東武線)新栃木駅で降りて、歩いた方が近いです
…かなり遠いです。業務スーパーから先に行くとキングファミリーという品揃えが良くない古着屋が反対車線にあり、そこから更に先を行くと日産の販売店があり、そこの近くにあります
反対車線にヨークベニマルがあり、隣にドン・キホーテがあります
蔵の街を中沢製麺目指して歩いて行くと交番があります。駅の近くにもあります
さっき行った蔵の街の交番の交差点に看板があり、その看板通りに行くとたどり着けます
パチンコ屋を抜けて、歩道橋も抜けて、ずっと行った先にかっぱ寿司が
魚べいがあります
増田の出身小学校にはいわゆる校庭(グラウンド)とは別に裏庭があった
裏庭には田んぼ、畑、ちょっとした雑木林、飼育小屋、ちょっとした池、テニスコート1面があった
田んぼ…6年生が先生の監督下で田植えから収穫までやってた。収穫したお米は他のお米と合わせて学校行事でおにぎりにして食べてた。おにぎりを作るのは朝っぱらから集められたPTAの親御さんたちだったので、大人になってから振り返ると楽しかったのと想像し得る親御さんの大変さとでちょっと複雑な気持ちになる
畑…4〜6年生が色んな野菜を育てていた。5年生の時はさつまいもを栽培して、秋になったら1年生の子とグループを作って雑木林の落ち葉で焼き芋をした。時間内だと全ての芋に火が通らなくて、しっかり焼けた甘い芋はみんな1年生に食べさせて自分たちは微妙な芋を頑張って齧った。自分たちの芋は美味しくなかったが、1年生が美味しそうに芋を食べてたので少なくとも増田は充足感を覚えていた。この畑では教頭先生がスイカを育てていて、夏になると休み時間に全校児童と先生たち皆でこのスイカを食べた。夏の暑い日に外で食べたスイカは甘くて瑞々しくて美味しかった。教頭先生は学芸会の時に正体がモロバレしてる謎のヒーローになる楽しい人だった(やればできる!の人みたいな明るさがあった)
ちょっとした雑木林…裏庭の端に色んな木が植えられていた。枇杷とか桑とかの果樹も生えていて、実がなったら食べてOKだったので一学期の終わり頃の時期は雑木林が人気スポットだった。この雑木林の向こう側が工事業者の敷地だったせいか、捨てられたと思しきトラロープとかホースの切れっ端が転がってることがあった。5年生の時に学年の皆でこの雑木林の隅に生えてた一番大きな木と上記の廃材で秘密基地を作った(担任の先生が掛け合ってくれて年度末には片付けることと他学年の子が来ても受け入れることを条件に校長先生に許可してもらった)。廃材で作った適当すぎるブランコを勢いよく漕いだ増田は勢い余りすぎてすっ飛んでビターーーン!と地面に自分を叩きつけたことがあるけど今も元気に生きてる
飼育小屋…うさぎとニワトリがいて、4年生が当番制で世話をしていた。ニワトリの卵は当番の子が貰ってOKだった。増田がニワトリの卵を貰った時はさっさとTKGにして食べたのだが、これは増田のきょうだいが当番をしていた時に卵を貰ってきたのを勿体ながっていつまでも食べずに残していた結果、いざ食べようと卵を割ったらヒヨコになりかけたやつが出てきた事件から学んだつもりの行動であった
ちょっとした池…でかめの金魚と鯉がいた。たまに野生か野良の動物に魚がやられてしまうことがあって校務員さんが残念そうにその話をしていたが、小3の増田はその話を聞いた2分後くらいにはセミの抜け殻を集めて池を縁取る石の上に並べたりしていた
テニスコート…テニスコートではあったが在校中にネットが張られたのを見たことがない。休み時間の鬼ごっこ会場か教頭先生がスイカを振る舞う会場にしか使われてなかった
小学校は本当に楽しかった。裏庭も好きだったけど、ちっちゃい丘みたいなのがある校庭も、閲覧席の陽当りがいい図書室も好きだった。卒業式でめちゃくちゃ泣くくらい楽しい学校生活だった
時々思い出して、あの頃はよかったな〜とノスタルジーに浸ってはもう戻れない思い出の世界なのだとちょっぴり寂しくなったりしてる
すごく教育熱心。
幼稚園〜中学生まで子ども3人いるんだけど、全員週5で習い事してる。
お金かかるし送り迎えすごいなと感心していた。
1番上の中学生は、幼稚園から小学校までクラブチームで週2でサッカーを習っていたものの、
そしたらそのお母さん、応援したいということで息子に個人コーチはもちろん、
少しでも練習相手になりたいと自分もコーチをつけて習い始めた。
私はたまたまテニスでインターハイに出ているので練習相手になることにした。
そしたらこともなく
「今テニスコート作ってて」
「子どもだけでも通える良さそうな土地があったから買って、11月にはできそうなんだー」
と教えてくれた。
私は感動した。
達成するためにはお金なんて気にしないし気にしなくてもお金はあるんだなと。
そして自らも上手くなろうとする向上心の強さ。
肩が長期にわたって痛かったので整形外科に行ったら腱板断裂という診断結果だった。
診察を受けるまで気が付かなかったが腕がいつの間にか全然上がらなくなっていた。上げようとすると激しく痛む。
鎮痛薬(飲み薬・湿布)を処方してもらって、肩を動かすように言われたり、ステロイドを注射してもらったりしたが、鎮痛薬は少ししか効いていない感じで、ステロイドの効果も1日だけだった。
調べるところによると腱板断裂は自然に治らないので、当たり前だが痛みを緩和するだけの鎮痛薬では治らない。
その後何度病院に通っても「様子を見ましょう」としか言われなかった。これ以上通院しても進展がなさそうなので、通院をやめて愚直に肩を動かしたり動かさなかったり(動かさずに安静にしていた方がよかったのではないかと思う)を半年間続けると、肩の可動域が広くなり、腕が頭の上まで上がるようになっていた。それでも元々の可動域には戻りきらない(もう片方の腕のように背中をかけない)し、腕に急激に力が入ったときに痛む。なんか肩がずっとゴリゴリ鳴る。これが何の現象なのかが分からない。
それでもう一度病院に行って、治る可能性があるのか聞いたのだが、「軽症だから別に生活に困っていなければ問題ないでしょ」と言われただけだった。
確かに肩をかばうような生活をすれば全然問題はない。しかしもう筋トレは一生できない。近所のテニスコートでテニスをやっている人を見て、ラケットなんて振ったら一発で肩を痛めるだろうことが容易に想像できる。
試しに腕立て伏せをしようとしたらやはり腕を曲げ始めてすぐに肩が痛み出す。
警察官に制圧されるときに後ろ手にされるとまずい。痛いからやめてほしいと頼んでもやめてくれるわけがない。
とにかく腕を使うスポーツをせず、家電や家具などの重い物を持つことがなければ困ることはない。
腱板断裂は手術をすれば治るらしいのだが1ヶ月以上ギプスで固定し続けるなど、筋トレをするという目的に対して大げさすぎる。
以下のエントリにぶら下がったはてな民によるブコメを読んでいて、「ああやっぱりいつのもはてな民達だ…」などとぼんやり考えていたらふと、芥川龍之介の蜘蛛の糸を思い出した。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2023/07/post-509289.html
血の池地獄で他の罪人と共に浮き沈みを繰り返していたカンダタは、生前にたった一度、蜘蛛を殺さなかった。たったそれだけの「良いこと」をその血の池地獄の様子をたまたま眺めていた天上界のお釈迦様が思い出し、天界から蜘蛛の糸を垂らしてカンダタを地獄から救ってあげようとしたが、その蜘蛛の糸を上っていたカンダタは、自分の後から続々と上ってきた他の罪人に気づき、「こらっ!落ちてまうやろ!上ってくんな!」と叫んだら、その瞬間、糸はプチッと切れて血の池地獄に真っ逆さま、というあの話だ。
ていうか、田野氏の2年前のツイート炎上の時もそう思ってた。芥川龍之介が始めた書いた童話だそうだが、芥川が伝えたかったことは曖昧で何か教訓めいたものがあるのかないのかよくわからない、と聞いたことがある。ただしかし、私は単純に、「ナチスは良いこともしていたのでは?」なるよくある言い分は、この蜘蛛の糸にそっくりな気がずっとしていたものだ。
蜘蛛の糸を喩えとみなせば、そのような一般的な言い分を認める人たちは、2派に分かれる。一派は、「ナチスは実は良いこともしていたじゃないか」として、絶対悪の淵から救い出そうとする勢力だ。これがおそらくそのような主張をする人たちの大半であろうと思われる。だから、それらの一派は蜘蛛の糸を絶対に切ったりはしない。たとえばそれらの良いことの実例の一つや二つ否定されたからと言って、それらの人たちは次から次へと蜘蛛の糸を垂らしてナチスを救い上げようとするのである。
もう一派は、蜘蛛の糸の話そのもの、みたいなものだ。良いことをしていたかもしれないことは認めるが、ホロコーストなどの悪行のせいで絶対悪の淵からは救い出せぬ、とするのである。まるでその人達は、天上界のお釈迦さまそのもののようでもある。
id:NOV1975 対戦相手を全否定するのって中々の悪手で、観客にその否定の一部でも「いやそれは正しくね?」と思わせてしまえば全否定という主張の根幹が崩れる、という最大級の弱点を無視する人多すぎ問題。
このブコメなどはまさにお釈迦さま視点である。このブコメの裏を取れば、全否定しなくとも、ナチスは否定できると言っているようなものであり、どんなにナチスに良いことがあろうとも、ブチっと蜘蛛の糸を切って血の池地獄に落としてしまえさえすればいいだけじゃないか、となるのである。
話は少し変わるけど、私自身がしょっちゅうはてな民は、お釈迦様みたいなものかもしれん、と思ってたりする。とにかく「偉そう」な物言いを常にするからだ(笑)。いや、ネット民なんてはてなに限らず、ほとんどそんなもんなのだけれど、はてな民は若干だか平均して知性が高いように思わせる「何か」があるので、その分だけお釈迦様度は高いように思われるのだ。
さて、話を戻すと、一つ言いたいのは、これらブコメを書いたはてな民たちの何人が一体、『ナチスは「良いこと」もしたのか?』を読んだのか?って話だ。この本は共著であり、およそその半分を小野寺拓也氏が著述しているのである。小野寺氏はウルリッヒ・ヘルベルトの『第三帝国』の翻訳者でもある(それがどうしたとか言わないでね。知る人ぞ知る名著です)。流石に二人とも現役のドイツ現代史研究者であり、『「良いこと」もしたのか?』は、極めて実証的に著述されている。もちろん、現代の学術的見解にも精通しているお二人だ。その観点で、記述内容自体は必要十分には詳細であり且つ正確だと考えられる。ナチスの経済政策や、労働政策、環境政策や健康政策などなど、それらが具体的にどんなものであったかを知るための入門書として非常に良書であると思われる。実際、このようにナチスの具体的な政策について概括的に知ることのできる本はこれまであまりなかったからである。『ナチスの発明』?あんなもんただのクソ本だ。ハーケンクロイツをデカデカと表紙にするセンスがそもそも信じ難い。
したがって、まずはちゃんと読んでほしいと言いたいところではある(たかだか100ページ程度の本だ)のだが、実は、同著は別に全否定しているわけでもない。確かに、田野氏は「ひとっつも良いとこなんてないですよ」とツイートでしたからこそ炎上したのだけれど、同著の記述方法は、まずは一般に言われるような「良いこと」を具体的に一つずつ、項目としてあげて丁寧にそれを「良いこと」として詳述するところから始めている。つまり、そこだけ読んで、その後の説明さえ読まなければ、ナチスは良いことばかりしていたかのように読むことさえ可能な本なのである(笑)。その辺が、小野寺・田野氏両名の学者として誠実なところではないかとさえ言い得る。つまり最初からナチスの政策を腐しているわけではないのだ。
結果的には評価として、ナチスの政策は良いところなんて一つもなかったと、結果論として評せざるを得ないことは確かである。その象徴が、現在もバルト海沿岸に残されている『プローラの巨人』と呼ばれる、ナチスドイツの歓喜力公団(Kraft durch Freude)が建設していた巨大リゾート施設である。同著では詳しい記述はないが、同施設は労働者が無料で使用できるリゾート施設になるはずだった。が、戦争が始まると、建設は中途で中止されてしまい、使用されることはなかった。現在は歴史的建造物として、廃墟のまま放置されている(以下追記)。しかし、ナチは確かに労働者に喜びや活力を与えようと、余暇を十分楽しめるように政策を実行しようとしていた証拠ではあるのだ。詐欺集団が実際には存在しない投資物件への投資を求めるのとは訳が違う。ただしそれもこれも、戦争の波の前に全て頓挫してしまったので、「夢」としては良いことかもしれないが、「現実」には良いことがあったとは言えないことになる。しかしその全てを台無しにした戦争を始めたのもヒトラーなのである。
個人的には、お釈迦さま視点など要らないと思う。個々人が個々人自身によって、ナチスにも良いところがあったのでは?と思うのであるならば、批判的視点を忘れずに、それを可能な範囲で自ら学ぶべきだと思う。否定・肯定を抜きにして、『ナチスは「良いこと」もしたのか?』は、知性高いはてな民にとってすらも良書だと思うのだが。1000円未満で買えるんだぞ(笑)。
追記:プローラの巨人については私自身の記憶が曖昧且つ古かったようで、再利用化が進んでいるようだ。以下、英語版ウィキペディアから機械翻訳そのまま(修正なし)でコピペする。
売却と再開発
2004年、10年以上にわたって敷地全体の売却が試みられたが失敗に終わった後、建物の各ブロックは様々な用途のために個別に売却され始めた[1]。2004年9月23日、ブロック6は入札者不明で62万5,000ユーロで落札された[1]。2005年2月23日、旧ミュージアム・マイルのブロック3はInselbogenGmbHに売却され、同社は建物をホテルとして使用すると発表した。2006年10月、ブロック1とブロック2はProra ProjektentwicklungsGmbHに売却された。しかし、ブロック1は2012年3月31日に競売にかけられ、ベルリンの投資家が275万ユーロで購入した。
2006年11月、連邦不動産庁がブロック5を購入した。連邦政府とメクレンブルク=フォアポンメルン州からの財政支援を受けて、この建物にユースホステルを設立する計画だった。複合施設の最北端に位置するこの建物は、5つの連続した部分に分割された。
2008年末、プロラが本来の目的を果たし、近代的な観光リゾートに生まれ変わる計画が承認された。同協議会は、3,000人が住めるだけの居住スペースとユースホステル、観光客向けのアメニティを建設する計画を打ち出した。地元議員のケルスティン・カスナー氏は、プロラの海岸を「カリブ海のビーチ」に例えた。しかし、この決定は、すでにこの地域には観光客が多すぎると感じていたビンツの地元住民や、プロラの歴史家であるハイケ・タゴルド氏からは懐疑的な意見もあり、また、町の過去の歴史から観光客には不適切な場所だとも言われた。とはいえ、2011年には、かねてから計画されていた96室402ベッドの大型ユースホステルがオープンし、ドイツ最大のユースホステルとして人気を博している。低予算志向の観光客に向けた施設の拡張の可能性も提案されている[8]。
2010年9月、ドイツとオーストリアの投資家グループにより、1号棟と2号棟を高齢者向け住宅として改修し、テニスコートとスイミングプール、小規模なショッピングセンターを備えた300ベッドのホテルを建設する計画が発表された。投資額は1億ユーロと見積もられている。
2013年、ドイツのメトロポール・マーケティング社がプロラを改装し、サマーハウスとして販売する権利を購入した[9]。その年までに、いわゆるコロッサスの改装済みアパートメントが1戸70万ユーロ(90万米ドル)で販売された[4]。2016年、ブロック1に新しいアパートの第一号がオープンした[10]ブロック2のホテル「プロラ・ソリテア」は2016年夏に合わせてオープンし、2017年半ばには同ブロックで再建されたアパートの一部が売りに出された。当時、建物のうち4棟は再開発の過程にあり、5棟目はユースホステルとして使用され、残りの3棟は廃墟のままであった[4][11][12]。
2017年11月の更新によれば、ブロック1のユニット(フラット)のほとんどは、ハンブルクやベルリンに住む人々のための夏の家として販売され、売却されていた[7]。多くの所有者は、Airbnb[13]やHomeAway[14]などのサイトに短期賃貸として掲載していた。
錠剤はオルリスタットでした。食後1錠飲んで翌日の午後から油ケツになりました
出会った日は桜が七分咲きの頃で、そのあと順調日お付き合いを重ねた上での結納です
退職金は惜しいのですが狭い業界なので熾烈な椅子取りゲームが始まる前に逃げようかと
以下本文
お見合い相手はきちんとしたおうちのきちんとした学歴のきちんとした仕事の男性で、テニスコートで撮られたスナップの髪型もきちんとしていた。
何よりも顔が渡辺正行の若い頃にそっくりで私の本能がこの顔の遺伝子サイコー!と唸った。
だがその前々日に、私にはもつ煮込み専門店に行く予定が入っていた。
もつ煮込み専門店はなかなか予約が取れず有名で一時帰国する友人の予定をなんとか合わせて同期のみんなで集まろうという会だった。
私は中心で会費を集めたりLINEでまとめたりしていたので行かないわけにはいかなかった。
何よりお見合いは後から差し込まれてきた約束だったので、私はもつ煮込み専門店と翌々日のお見合いを両立させることにした。
ビールも飲まずもつ煮込みも食べず青虫のように豆腐サラダを食べている私に、一時帰国中の友人は真っ青な錠剤をくれた。
それは友人のいる国で売られているサプリメントで、油を吸収させず排出することで体に脂肪をつけないという代物だった。
私がビールともつ煮込みを避けたのは翌々日日備えてアルコールとにんにく臭をつけないためだったのだが、
なぜか、今考えても全くわからないが、これがあるなら飲んで食べてもいいや〜〜〜!ほっほー!と中ジョッキを頼んでしまった。
見た目はラー油に似て臭いは魚脂に似ていて、タラタラと漏れてはケツ間を絶え間なくぬめらせていた。
更にガスと一緒に出るときにはブベベベベべべべべとババァの力ない尻から出る屁のような音がした。
生理用ナプキンのでかいやつを肛門ど真ん中にフィットさせれば油は吸収されるのだが屁だけは消せず、仕方ないのでそのまま花の盛りの庭園を歩いた。
お見合いの翌日の午前中、実家の電話に仲人さんからの連絡がきた。
父は私がおかしな屁をしていることに気付いていたので頭をかかえていたが、先方のまさかの返事に狼狽えていた。
私は若い渡辺正行に「あのっ!渡辺正行の若い頃に似てますね!」と言って頭をかかえていたので普通の日用ナプキンをケツ間に挟んだまま狼狽した。
私がやめるときもすこやかなるときも愛せるかはわからないが、相手に屁の音は気付かれていたと思う。
多分なんとかなる。会社は次の決算でほぼ潰れる予定なので8月末で辞めることにした。
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