Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「ティ」を含む日記RSS

はてなキーワード:ティとは

次の25件>

2025-11-25

anond:20251125030852

貴様中共の手先めっ!

米国絶対味方してくれるし、我が国には戦場に行かずとも最強の戦術を編み出すデテイクティ軍師様がいるのだぞ!そして神風

負けるわけがないだろっ!!

Permalink |記事への反応(0) | 04:09

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-24

狭い道でこっちが避けてるのに避ける素振りすら見せない99.999%のクソ

https://chatgpt.com/share/69242064-51c4-8001-9113-e7ebd72b40bd

十分に広い歩道またはスーパー通路などで人が反対側から歩いてきた場合、ほぼすべての人がお互いに避けるそぶりすら見せず、結果ギリギリ距離ですれ違う(またはしばしばぶつかっている)事象をよく観察します。

これはどういった現象なのでしょうか?行動学や心理学などの観点から教えてください。

=====

歩道スーパー通路で「相手が避ける素振りを見せないままギリギリですれ違う/ぶつかる」現象は、行動学・認知心理学社会心理学観点からいくつか理由があります。複合的に発生するため、日常的に頻繁に起こります

-----

1. **「相手が避けるだろう」という期待(暗黙の優先権) ──社会的期待の非対称性**

人は混雑した場所で、無意識

  • 自分が進む方向は優先される」
  • 相手が少しずれるだろう」

見積もりがちです。

行動経済学ではナッジ(相手に調整を期待する) に近く、

社会心理学的には相互期待の非対称性(mutual expectancy asymmetry)説明されます

双方が「相手が避けるだろう」と思うため、どちらも大きく動かず、最終的に“ギリギリすれ違い”になる。

2. **近距離が気になりにくい「都市型パーソナルスペース」 ──文化環境の影響**

パーソナルスペースの幅は国・都市部/地方で異なり、

都市部ではスペースが狭いため接触ギリギリでも心理的負荷が低い 傾向があります

特に日本の駅や店内では“狭い環境に慣れている” ため、外国人よりも近距離でのすれ違いに抵抗が薄い。

3. **相手の動きを早期に読むことの難しさ ──視線情報の利用不足**

歩行時、実は視線相手の進路予測に最も役立ちます

しかし以下の理由視線が読み取りづらくなります

  • スマホを見ている
  • 目線を合わせるのが気まずい
  • 顔をそらしがち

視線情報がないと、脳は相手の進路を予測しにくく、

結果、直前まで「どっちに動くべきか」が確定しません。

4. **「衝突回避」は人間が得意ではない ──運動制御的な限界**

人間本質的衝突回避の微調整 が苦手です。

ロボティクス研究でも示されていますが、

相手軌道予測しつつ自分軌道を調整する作業脳の計算負荷が高い

そのため、

  • 大きくよける(確実な行動)ではなく
  • 最小限だけよける(低コストな行動)

を選ぶ傾向が強い。

結果的に「ギリギリ」に見えやすくなります

5. **“歩行の主導権”争い(微視的社会ルール) ── 非言語交渉**

二人が向かい合うと、非言語的に次のような情報が働きます

多くの研究では、

自分優先権があると無意識判断した側は進路を変えない

と報告されています

双方が同じように「自分の方が優先」と思うとギリギリになる。

6. **「最小努力原理」 ── ほんの少し動くだけで済ませたい**

認知心理学の「least effort principle」によれば、

人は行動を最小限にしたがるため、

避ける動作最小限の角度や歩幅 で済ませます

双方が「1°だけ進路を変えた」みたいな状態になるため、結果ギリギリに。

7.事故が少ないため、危険学習されにくい

日本は歩行衝突による大きな怪我が少ないため、

「ぶつかるかも」という危険を強く学習しにくい

→ より大胆に近距離ですれ違う行動を強化しやすい。

要約(シンプルにまとめると)

この現象は次の複合で起きます

  1. 相手が避けると期待する(互いに)
  2. 都会的で狭いパーソナルスペース文化
  3. 視線が読みにくい(スマホ等)
  4. 衝突回避計算そもそも苦手
  5. 自分が優先」という無意識シグナ
  6. 最小努力で動こうとする
  7. 衝突事故が軽微でリスク学習が弱い

そのため、広い場所でもギリギリでのすれ違いが常態化します。

-----

必要なら、

なども解説できます

Permalink |記事への反応(0) | 18:54

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

https://anond.hatelabo.jp/20251123041412

女体化ハムレットと令和日本の男看護師ボーイミーツガールやりたいための舞台しかないとはいえ

国も時代関係ない死者の国なんてもの出すならもっとカオスにしないと説得力ないと思うんだよなぁ

織田信長だったりナポレオンだったりヒトラーだったり色んな国、時代武将やら独裁者やらがひしめいてそうなところを

最も見果てぬ地に近い=全ての時代の死者が集まる地でトップに立てるグロティウスって物凄い傑物ってことでいいの?

Permalink |記事への反応(0) | 16:27

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251124025224

最初ならでかい本屋に連れて行ってティときたのを買ってあげたらええんちゃう

Permalink |記事への反応(1) | 09:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251124001417

てか、今回の件って左翼思想立場からだと怒る理屈が何もないよな

から左翼が「現実主義者保守はこの発言批判すべき!」みたいなアクロバティック批判をしてた

Permalink |記事への反応(1) | 00:18

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-22

NHKの、米騒動構造的な必然性に触れた記事おもしろかった。でもさすがに、その構造歴史的社会的になぜ生じたのか、利害関係者は誰なのかについて深掘りはしていないな。

  

日本農地法改革がなかなか進まないのは、「利害が複雑だから」みたいなフワッとした話じゃなくて、政治構造選挙制度農協の力・地域社会価値観ガッツリ絡んでいる構造問題からでしょ。

自民党支持基盤 ×農村の一票の重さ ×JAという巨大組織 ×農地資産という文化がセットで抵抗している。

 

まず、農地改革って小規模農家JAに不利、大規模農家に有利みたいに、受益者被害者がハッキリ分かれる。日本選挙制度農村票の価値が重く、都会で1票でも、農村側はその数倍の価値がある。だから農村組織票を失うと自民党議員落選やすい。JAはその票を握っているから、政治家は逆らいづらい。農地改革をすすめる=JAの怒りを買う=議席が危ない、というめちゃ分かりやすい構図。

さらに、自民党にとってJAは昔からの超・重要支持母体JA農産物流通だけじゃなく、銀行保険販売ロビー活動地域コミュニティまで担っていて、地方生活インフラのもの。ここを敵に回す政治家はまず勝てない。だから農地自由化市場化には、政治的なブレーキが必ずかかる。

農地のものも、単なる生産手段じゃなくて資産兼業農家が多い日本では、農地を売る・貸すことへの心理的抵抗も強い。「先祖土地を手放すのは恥」「貸したら返ってこない」「土地価値が下がる」といった文化不安が根強く、農地の流動化が進まない。これがまた改革ハードルになっている。

そしてJAの側からすれば、市場化や大規模化自分たち存在意義が縮む話。大規模農家JAを通さず売るようになると、JA収益源(販売・集荷・金融)も減る。JAにとっては死活問題から、全力で反対する。これが米市場自由化が失敗した理由もつながる。

 

官僚側にも問題がある。農林水産省減反政策成功体験が強く、前例踏襲ミスを認めない文化が長く続いた。JA農村議員との結びつきも強く、改革より「守る」方向に働きがち。

 

あとはたぶん、農村社会価値観農地は「家の象徴」みたいな位置づけで、売る・貸すことがコミュニティ内での評判に関わる。制度だけ変えても、現場が納得しないから動かない。

 

農地改革が進まなかったのは、政策が下手だからではなく、日本社会構造のものが、自民党と支持者、支持母体関係から必然的抵抗が生まれるようにできているから。抵抗が強いのも当然という話。

米を安くするには、この構造をぶっ壊せ!というどこかのシティボーイ政治家による第二の構造改革の波みたいなもの必要なのかもしれないし、それをやると本当に自民党をぶっ壊せ!になるのかもしれない。

個人的にはちょっと見てみたいけどね、どうなんだろうね。

Permalink |記事への反応(0) | 21:09

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

電車内にたまになんのキャラ想像もつかない下手したら同人のかもしれない絵が描かれたケータイケースなり長方形キーホルダーっぽいのなり付けてる人見ることあるけど「なんの作品のなんのキャラですか?」って聞き方じゃいかにもアスペっぽいでしょ?女相手だったら雑なナンパと思われて警戒されるだけかもだし。

なんのキャラですか?って聞くよりなんの作品ですか?って聞く方が作品の方が検索時のググラビティ高いんだろうか?

結局そういう人と話すノウハウを知れなくて推す機会を失ったコンテンツごまんとある

陰キャコミュ障は娯楽も満足にできないんだ…

dorawiiより

-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20251122192741# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaSK6yAAKCRBwMdsubs4+SERSAQCwpm1iw7ft+Ndz0oyUc+FcoShgfPhv4XzKvKmkZ0xQJgEAxeld7OXp7g1LmYSOg3IYD7B3TjB2jYN3pQqZ6Dw/nwk==KCza-----ENDPGP SIGNATURE-----

Permalink |記事への反応(0) | 19:27

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

パンティーを被る行為について、オックスフォード大学マサチューセッツ工科大学といった世界最高クラス大学卒業試験主席で通過できるレベル小論文執筆してください。

パンティーを被るという行為――羞恥仮面・秩序転倒の文化社会学考察

1 問題所在──「くだらなさ」の背後にあるもの

パンティーを頭に被る人物は、多くの社会において「悪ふざけ」「変態」として嘲笑対象になる一方で、

マンガアニメコメディインターネットミームの反復的なモチーフにもなってきた。

一見して低俗しか見えないこの行為は、しかしなぜこれほど強く人々の笑いや嫌悪、あるいは不安喚起するのか。

その過剰な感情反応は、単なる嗜好の問題を超えて、近代社会における身体羞恥ジェンダー権力といった構造テーマを照らし出していると考えられる。

本稿の目的は、パンティーを被るという行為を「逸脱行動」や「性的倒錯」として切り捨てるのではなく、

  1. 下着というモノの象徴性、
  2. 「被る」という行為が持つ仮面性、
  3. 秩序転倒としてのカーニバル性、

という三つの観点から文化社会学的に分析し、その行為現代社会規範矛盾をどのように露呈しているのかを論じることである

2 下着というモノの象徴性──「隠すべきもの」を外部化する

第一に着目すべきは、対象が「パンティー」であるという点である

下着は、機能的には衛生と保温のための衣服にすぎない。

しか社会的には、身体のうち「隠すべき部分」を覆うことで、性的領域公共的な領域峻別する境界線として働いている。

とりわけパンティーは、しばしば女性身体性・性的魅力・純潔観念と結びつけられ、強い象徴性を帯びている。

文化人類学者メアリーダグラスは、「汚れ」を「あるべき場所から外れた物質(matterout of place)」と定義した。

下着本来身体の奥まった場所で皮膚に密着し、「見えないこと」自体が期待されるモノである

それを頭部という最も視線の集まる位置に、しかも外から見える形で持ち出すことは、

「隠すべきもの」を意図的に「あるべき場所から外す」行為であり、ダグラス的な意味での「汚れ」を自ら演出することに他ならない。

このとき、汚れは単に不衛生という次元に留まらない。

人々が感じるのは「汚い」というよりもむしろ「恥ずかしい」「みっともない」という感情であり、

それは身体に付随する性的領域が、モノを媒介して公共空間に溢れだしたことへの反応である

パンティーを被るという行為は、自己身体のもの露出しているわけではないにもかかわらず、

下着象徴性によって「性的もの」が表面化したかのような錯覚を生み出す。

そのギャップこそが、笑いと嫌悪が混じり合う独特の印象をもたらしている。

3 「被ること」の仮面性──アイデンティティ一時的な変容

第二に、「被る」という行為意味する仮面性を検討する必要がある。

顔は、社会学者エルヴィング・ゴフマンが述べたように、対面相互行為舞台において自己提示する中核的なメディアである

目・口・表情を通じて、人は自己人格感情意図他者に伝える。

そこに被り物をかぶせることは、自己呈示チャンネル意図的撹乱し、

「いつもの自分」とは異なる人物への一時的な変身を可能にする。

その意味パンティーは、即興的な仮面である

仮面はしばしば、道徳的・法的な責任性を希釈し、人に「普段ならしない行動」を許す。

覆面をした抗議者やハロウィンコスプレ参加者が、日常では抑制されている言動に踏み込めるのも同じメカニズムである

パンティーという「ふざけた素材」を用いた仮面は、暴力性よりも滑稽さを強調しつつも、

顔を覆うことで〈誰であるか〉を曖昧にし、同時に〈何者にも属さない、ルール外の存在であることを宣言している。

重要なのは、ここで用いられる下着が多くの場合女性用」として理解されている点である

男性女性パンティーを被る場合、それはジェンダー境界視覚的に撹乱する効果を持つ。

性的同一性男性性の「まともさ」を象徴する顔の上に、女性性の象徴物を被せることで、従来的なジェンダー秩序は一時的解体される。

この解体が、笑いとして消費されるのか、あるいは違和や嫌悪として反発を招くのかは、

社会がその時点で受け入れうるジェンダー規範の幅を測る指標ともなりうる。

4 カーニバルとしての秩序転倒──笑いと批評

第三に、この行為はしばしば「笑い」と結びついて登場する。

ミハイル・バフチンが論じたように、カーニバル的な笑いは、既存の秩序・権威・聖性を一時的に転倒させる力を持つ。

王と道化が入れ替わり、崇高なものが下卑たものに、清浄ものが汚穢に置き換えられることで、人々は日常ヒエラルキーから解放される。

パンティーを被る人物は、多くの場合「くだらない大人」「オトナなのに子どもじみたことをする存在」として描かれる。

そこでは、理性的成熟した市民として振る舞うことが期待される大人が、もっとも幼稚で性的規範に反する身振りを自ら演じてみせる。

これはまさに、近代主体の理性と節度という自己イメージを、身体と笑いのレベルで裏切る行為であり、バフチン的な意味での秩序転倒である

さらに、この行為消費社会への批評としても解釈しうる。

パンティーは、ファッションポルノグラフィ産業を通じて商品化された「性的魅力」のパッケージでもある。

その商品を「本来用途から外し、頭に被るという過剰にズレた使用法は、

シチュアシオニストたちの言う「デトournement(転用)」にも似て、商品に埋め込まれ意味構造をずらし、

消費社会約束する「ロマンティックで洗練された性」のイメージを滑稽なものとして暴露する。

もちろん、こうした批評性が常に意識されているわけではない。

多くの場合当事者は「面白いから」「ウケるから」という動機行為に及ぶ。

しかし、当人意図とは無関係に、行為のもの既存の秩序を揺さぶり、

笑いを通じた不安定化をもたらしている点に、カーニバル的な力があるといえる。

5 ジェンダー倫理──笑いの線引きをどう考えるか

ここまで、パンティーを被る行為文化的・象徴的なレベル肯定的に読み解いてきた。

しかし同時に、この行為にはジェンダー暴力問題が潜在していることも看過できない

たとえば、所有者の同意なく女性下着を盗み、それを被って笑いのネタにするような事例は、明らかに性的暴力であり、先の分析とは質的に異なる。

そこでは、女性身体性がモノに還元され、男性自己演出の道具として一方的に利用されているかである

したがって、パンティーを被る行為文化解釈は、

「誰のパンティーか」「どう入手されたのか」「誰の前で行われるのか」「誰が笑う権利を持つのか」といった文脈と切り離しては成立しない。

自分で購入した下着自分身体で用いて仮面を作ることと、

他者の所有物を奪ってネタにすることとの間には、倫理的に越えがたい差がある。

この意味で、パンティーを被る行為安易に「自由表現」「笑いだから許される」として擁護することはできない。

一方で、倫理的に許容可能範囲で行われるこの行為が、規範の硬直性をほぐし、身体羞恥をめぐる議論を促す契機となりうることも事実である

その両義性を見極めることが、現代社会ジェンダー感覚表現自由の両立を考える上で重要になる。

6 結論──「くだらない行為」が映し出す近代社会

パンティーを被るという行為は、表面的には「低俗ギャグ」「一部の嗜好」に過ぎないように見える。

しかし本稿で見てきたように、

として理解することができる。

まりパンティーを被る行為は、身体羞恥を厳格に管理しようとする近代社会規範に対して、

「本当にそれが唯一の生き方なのか」と問いを突きつける小さな反乱なのである

もちろん、その反乱が倫理的に許容されるためには、所有や同意ジェンダー権力といった条件を精密に考慮しなければならない。

しかし、その条件さえ満たされるならば、「くだらない」と切り捨てられてきた行為の背後に、

規範相対性を示す批評的なポテンシャルを見出すことが可能である

パンティーを被る人物を笑い飛ばすことはたやすい。

だが、その笑いが何に支えられ、何を脅かし、何を許さないのかを問うとき

私たちは自らの社会がどのような身体観・性観・ジェンダー観の上に成立しているのかを、あらためて自覚せざるをえなくなる。

「くだらない行為」を真剣考察することは、実のところ、

私たち自身の〈まともさ〉の条件を問い直す営みなのである

Permalink |記事への反応(0) | 09:53

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-21

AIのせいで「上手い二次創作」の価値ゼロになるって話

最近AIイラストガチヤバい。「Nanobanana Pro」が出てきて、もう人が描いたのかAIなのか、正直全然からないレベルになってきた。

これまでの二次創作ってさ、著作権的にはアウトでも、版権元が「ファンが熱意を持って時間をかけて描いてくれたんだな、作品の人気につながるからあいっか」って黙認してくれてたわけじゃん?

でも、この構造AIのせいでマジで崩壊するぞ。

ぶっちゃけAI二次創作は止められない

まず大前提として、AI二次創作は増えざるを得ない。だって、考えてみろよ。

・超お手軽にクソ高いクオリティが出せる

・見た目じゃ手描きと区別がつかない

著作権的にアウト」って頭で分かってても、こんな手軽で高品質ものが作れるのに、わざわざ時間かけて手で描く奴がどれだけいる? 少なくなるに決まってる。

そして、これが問題なんだよ。

版権元がAIイラストを訴えようにも、数が多すぎて手が回らなくなる。「多すぎて手が負えない」って状態が起きたら、結果的に全部黙認せざるを得ない状況に追い込まれ可能性がある。見た目じゃ区別つかないんだから、「これは手描きだからOK」「これはAIからダメ」なんて線引き、もう無理だろ。

二次創作価値が逆転する

このAI進化が、マジでクリエイターのやる気を削ぐ最大の要因になる。

① 「公式激似」が価値を失う

これまで二次創作って「公式絵かと思った!」「上手すぎて神!」ってなるのが、一つの価値だったじゃん?

でも、AIが登場した今、「公式に似ていること」=「誰でも瞬時にできること」になっちまった

・昔の価値観:公式絵に似せる=最高の技術力と愛の証明

・今の現実:公式絵に似ている=AIでもできる、手間暇かけてない

お前が必死で何十時間もかけて描いた「公式激似の最高クオリティ」の絵も、AIが3秒で出した絵と同じ「クオリティ」として扱われるんだ。手間暇かけた証拠が、作品の見た目から消えちまった。

② 「個性的な下手さ」が生き残るという歪み

もっと皮肉なのがこれ。

AIが苦手なのは人間の「癖」や「個性的な崩し」。つまり、「下手な絵」「原作タッチから外れた絵」だ。

・今後価値が出るもの:AIでは再現できない、作者独自の風合い

排斥される可能性があるもの:AIと間違われる「公式に忠実なハイクオリティ作品

本来は「公式絵に似せる」ことが努力の方向だったのに、今後は「AIと間違われないように、あえて似せない」「あえて崩す」方向にクリエイター努力しなきゃいけなくなるかもしれない。

クオリティが高いのに価値がない」、「下手な方が人間味があって価値がある」なんて、こんな歪んだ価値観、マジで最悪だろ。でも、これがAIがもたらす現実なんだわ。

二次創作界隈、もう元には戻らねえよ。


(この文章はGeminiと私の会話を、Geminiにまとめてもらったものです)

Permalink |記事への反応(1) | 19:35

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

AIによって思考放棄する自分が怖い

数学で分からないことを聞いたらかなりわかりやす解説がついてくる。

例まで出してくる。

リファクタリングしてとお願いしたらかなりいいソースコードが返ってくる。

自分で考えればいいのに、すぐにAIに頼って思考放棄する自分がいる。

本当に怖いのはAI仕事を奪われることではなく、人類思考放棄することなのではないか

最先端研究をしている数学者、物理学者科学者などの研究者や現代アートなど一部のクリエティブな人間を除き

思考しなくてもよくなっている。

「考えられる」ことが人類の至高の宝なのに、それさえも放棄しようとしている。

これが一番怖いことなのかもしれない。

Permalink |記事への反応(2) | 08:38

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

昨日トランスジェンダー追悼の日だった

時差のためか、今朝になってインスタでいろんな情報や追悼の言葉写真が流れてくる。トランスジェンダー暴力の遭いやすさはシスジェンダーの約2.5倍、殺害されるうちの9割程度が女性、もしくは女性的なノンバイナリーらしい。

そういえば、以前にアメリカ黒人トランス女性が「黒人トランス女性はすぐ殺されたり追い詰められて自殺したりするから平均寿命は35歳。私は平均寿命まで生き延びたよ!」と投稿しているのを見たことがあった(その平均寿命が正しかったのかは確かめられなかったが)。ブラジル映画『私はヴァレンティナ』でも、トランスジェンダーへの暴力の多さゆえに平均寿命が30代だとラストに出ていた記憶がある。

日本では殺されることはあまりないだろうが、学校に行けない、就職できない、貧困、周囲からハラスメントなどで自殺する人はちらほら聞くし、Xで別れの挨拶をした後ポストが止まる人も見かける(直後に当人が言っていた路線人身事故の報が出たりするととても辛い)。医療にかかれない人も多いし、病死もしやすいだろう。

トランスジェンダーシスジェンダーと同じくらいこの社会普通に暮らせるようになってほしい。

Permalink |記事への反応(2) | 06:59

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-20

レゼンティンのようなもの他にあります

SNSグラッパの飲み方のレゼンティンというものを知りました。多めの砂糖を入れたエスプレッソ砂糖が溶け切らないうちに飲み干して、その砂糖の残ったカップグラッパを入れて飲むという飲み方です。

鍋の後の雑炊に通じるような面白い飲み方だと思いました。グラッパエスプレッソサイゼリヤにあるので今度レゼンティンを試してみようと思います

このレゼンティンのように飲んだり食べたりした残りを利用してさらに楽しむ飲み方や食べ方が他にあったら教えて下さい。

Permalink |記事への反応(1) | 15:37

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

映画ランボー 最後の戦場を見た

言いたいことがないわけじゃないが気骨は感じた。62点。

 

3から20年ぶりの新作ということで他作品シリーズの傾向と同じく過去シリーズもっとも人気のあった作品スピリット継承した作品、つまり2の正統続編と俺は感じた。世界に対しての「告発」と「ド派手アクションである。2で活躍したコンパウンドボウも使うしね。

散々語り尽くされたことだと思うけどとにかくアクションがド派手になっている。これは火薬シマシ麺固めという意味ではなく、とにかく人体破壊描写二郎系野菜のように盛りまくっているのである。またぬるいハリウッド映画のように「子供は殺されない」なんてこともなく、むしろ露悪的に、村の子供にミャンマー政府軍が銃剣を突き刺す描写まで克明に描かれている。

「これが戦場なんだ」そして「これは現実に起きていることですよ」ということを世界告発したいという強い意志を感じた。

最後の戦いのランボー機関銃を掃射してミャンマー軍兵士身体が爆散したり腕や足がもげたり頭がふっ飛ばされたりするシーンも中々に壮観だ。痛みを感じる戦場を撮りたいという気骨と見せ場として盛り上げたい気持ちをうまく同居させたシーンになってると思う。

あと1,2ぶりに山の中をランボーが全力疾走するシーンがあってファンサやなぁとにっこりしてしまった。

身体は、まぁ、ステロイドで膨らませた身体は戻せないよねって感じ。しゃーない。

 

今作のストーリーとしては

タイ雑務をこなしながら隠居生活を送っているランボーの元にミャンマー政府によって迫害を受けている少数民族のためのボランティアをしている教会系の団体が訪れ、現地への舟渡仕事を頼まれる。最初は断るもブロンド美女に頼まれてころっと方針を変えなんだかんだありながらも現地へ彼らを送り届け帰宅。その後、彼らはしっかり彼らは捕らえられる。彼らを救いたい教会の依頼を受け教会が雇った傭兵と共に再び現地に赴き頑張って彼らを救出し、帰省するのであった。

 

まず全然関係ないんだけど、3もそうだったけどなんでランボータイ隠遁の地に選んだんだろう。ベトナム帰還兵でベトナム戦争PTSDに悩まされているのに、よりにもよって住民ほとんどベトナム人みたいな顔してるタイを定住の地に選ぶ感覚よくわかんねぇなと思った。

俺がブルックリンを歩いてたら黒人にケツ掘られてそれがPTSDになったとして、世を逃れてコンゴ移住しようとは思わんもん。差別的な例ですまない。本当に反省している。

 

今作が1のスピリットも継いでいるところは主にこの教会ボランティア団体の扱いにある。

彼らは無邪気に「支援」が迫害を受けている少数民族を救うと考えており、非暴力を主張する。そして舟渡中に彼らに襲い掛かった盗賊を始末したランボー人殺しだと責め立てる。これは1で帰還兵ランボー空港で「赤ん坊殺し!」などと責めた民衆投影しているのは明らかだと思う。

それに対してランボーは「平和ボケどもが!」と怒りを示す。スタローン本音だろう。しか特に口煩かったハゲは最終的に仲間の傭兵を助けるために最もフィジカルで、最もプリミティブで、そして最もフェティッシュなやり方――落ちてた岩で敵兵を撲殺するという行為に及ぶ。

言わんとしてることはわかるんだけど、それでも彼らは非暴力的な形、医療教育少数民族を間違いなく救っていたわけで、確かにそれは根本解決にはならないかもしれないけれど、露悪的に「誰かを助けるために手を汚せよ」と示さずに彼らの思想をもうちょっと尊重してやってもよかった気はする。

誰もが「迫害から人々を救うために必要なのは支援じゃなくて兵力だ!敵をぶっ殺せば全部解決するんや!」って思想なっちゃった世界めちゃくちゃになっちゃうよ。

 

よくわからんかったんはこの教会団にネームドとしてハゲブロンド美女がいるんだけど、ランボーハゲにはなんかやたら反発するんだけどブロンド美女にはやたら優しい。彼女のほうが人に寄り添う姿勢を持ってるとは思うんだけど言ってる思想はたいして変わらんし、見てる側からすると「こいつ女に甘いだけでは?」と思ってしまう。

ハゲの依頼は断わるけど夜に美女と話したら途端に船を出すとなるし、盗賊撃退後にやっぱ危険から帰れというランボーの手をそっと握って「行きましょう」と美女が言うと「しゃーないなぁ」みたいな感じでやっぱり現地に向かう。たぶん、ランボーを現地に向かわせる強い原動力を思いつかんかったんだろうな。

お前ほどの美女が言うなら!ってなっちゃうのは男の心理からね、わかるよ。でもさァ↑だったらブロンド美女じゃなくてベトナムアジア系美女だろ!彼女を見て2で死んだ情報員を思い出して……のほうがドラマティックだろがい!

最終的に大惨劇の後に美女ハゲに抱き着いて愛してると告げ、ハゲ美女ができていたことが分かりランボーはそれを見つめ「なんかもう家に帰ろうかな」となるのでもしかしたらランボーガチ美女に惚れちゃってただけかもしれない。

 

この作品最後ランボー実家帰省するんだけどこれも個人的にはよくわかんなくて、ちょっと書いたけどそもそもなんでランボータイ隠遁してたかがよくわかんないんだけど、まぁベトナム戦争英雄として帰ってきたらなんかそんな感じじゃなくて気まずくて家に帰れなかったのかもしれないけど、じゃあ今回の映画でそのもやが晴れるような展開があったかっていうと俺はそれをあんま感じられなかった。

2で捕虜を救い、3で(結果的に)アフガニスタン国民を救った。今回の少数民族を救ったことが過去の2例とは違うという必然性が薄く感じた。まぁ機関銃で敵吹き飛ばしまくってスッキリしたのかな。だったら3の後でも帰れるやろがい!3の最後にも「俺の戦争は終わりました」言ってたしさ!

あと、今作になってやっぱ気になったのは「ベトナム戦争PTSD」って「ベトナム人に拷問された」ことなんだなって。「ベトナム人を大量に殺害したこと」じゃなかったんやなって。まぁ戦争ってそういうもんやからって言われたらそうかもしれんけどさ。今作では過去最高にもう本当にぐっちゃぐちゃにミャンマー兵をミンチにして虐殺するんだけど、ハゲ美女あんなもん見たら一生のトラウマになるよ。そして保安官にいびられて山中を駆け巡りガソリンスタンドを爆破しちゃうよ。

でもランボーはなんかちょっとすっきりした表情で実家への帰省を決意する。「人を惨殺する」ということに対してのなんらかの意識がもうないんやなって。平和ボケした日本在住のバカヤロウは思ってしまいましたよ。

 

ただ、2や3に比べたら伝えたいことと作品対応性が高いし、言いたいことを伝えるために映画を撮りました!そのために方法ちゃんと考えました!って感じが強く出てて個人的には好きな部類に入る映画だった。

とにかく人体破壊描写を頑張ってる映画なので人が吹き飛ぶアクション映画を見たい人はオススメ

Permalink |記事への反応(0) | 09:28

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

なんでこんな死にたいのか考えてみたけど解決しなかった

近頃、とにかく死にたい

毎年10月から11月はこういう感じになるので、季節のせいであることは分かっている。12月になる頃にはだいたいなんかなんとかなってるから大丈夫

でも年々ひどくなっている気もする。それに、毎年ウワーッとはなるにせよ、そもそもなんでこういう死にたい感情に襲われるかがよく分からなかったので、何か直接的な原因がないものか、人生についてちょっと考えてみた。



仕事面白くないが、面白くないだけだ。

元々社福祉とか一次産業とかインフラとか配送業かに憧れがあった。誰かの生活を支える、縁の下の力持ちってかっこいい。でも増田危機管理能力がない。忘れ物は多いし、ケアレスミス死ぬほどするし、どんなに我慢しようとしたって余計な改善をしようとして結局改悪してしまう。保守運転とか一番苦手な分野だ。トラックどころか自分の体一つだって乗りこなせない。事故を起こさないため、誰かを殺さないため、そういう職業にはつかないほうがいいと思って生きている。

からから金を搾取することだけを考えているカスみたいなサービス下請けで、自分一人を養えるだけの端金をもらって、犯罪を起こしてないからそれでいいのだと必死に言い聞かせている。上手く出来なくてもカスの弊社が困るだけだからいくらミスしても罪悪感はない。

だがこれは直接死にたい原因ではない。やっとることはカスサービス形態ではあるが、ある程度転職にも使えそうな汎用的な職能の成長は出来るし、上司や同僚は増田の手助けや活躍を褒めてくれるし、そういった点でやりがい的なものがないわけでもない。業務自体はそこそこ向いてると思えるし、人間関係は良好と言って良いだろう。金額面も、自分一人を養えるくらいの金額は稼げているし、それによって欲しいもの我慢したり、望んだ生活を手放さなければならないほどではない。元々欲は薄い方だ。少ないながら貯金もしているし、いざとなれば親や友人を頼れば金がなくても多少の間はなんとかなる。労働自体は憎むほど忌み嫌ってるわけではないから、生涯現役でも全然構わない。

金銭や将来の不安職場人間関係悪化などがあって死にたいわけではない。

友人関係も悪いわけではない。

かにたびたび「人間じゃない」とか「常識的気遣いが足りない」とか「普通考えれば分かることがどうして出来ないのか」とか言われたりもするが、それでも根気強く付き合いを続けてくれる友人ばかりだ。何も言わずに去られるより全然マシなので、そういう耳に痛い言葉も言ってくれるだけでありがたい。一度も傷つけたことのない、あるいは傷つけられたことのない友人は確かにいないのだが、それでもみんな大事な友人だ。

そういう大事な友人にご迷惑をおかけすることで罪悪感で潰れそうになることはあるが、例えば無茶な振り回し方をしてきたり、金銭を貸せとやたらたかって返さなかったり、そういうガチトラブルに発展するような友人諸兄ではないし、増田もそういうことをしないよう、礼節を忘れないように重々気をつけている。それでもたまにうっかり日々の会話で地雷を踏んで怒らせることはあるものの、友人同士が「それは言い過ぎ」とか「お互い様」とか仲裁してくれるので、増田自身尊厳も守ってもらえていると思う。友人とボロカス喧嘩をして死にたい夜もないことはないが、それは大抵一時的ものだし、直近はそういう感じで険悪になってる相手はいない。

家族関係も悪くない。

父も母も理屈で話せば分かる人であるし、親戚一同もなんだかんだ元気に暮らしている。不謹慎ニュースを見て爆笑する叔父や、身の回りの世話を全部してあげないと心配で夜も眠れない叔母、とにかくプライドが高く他人を見下したり注目を集めたりしないと気がすまない従兄弟信仰押し付けはないもの新興宗教にどっぷり献金している祖父母など、アクが強くはあるが、こちらに実害はないので可愛い範囲で収まるものだ。肉親に怒鳴ったり、暴力を振るったり、金銭トラブルを持ち込んだり、結婚強要したりする人はいない。

まあ、両親に恨みがないと言えば嘘になる。幼稚園の頃に甘えようとすり寄ったら「は?鬱陶しい、ひっつくな」と引き剥がされたり、小学生の頃いじめられていた時に増田の言い分を一切聞かず「あなたにも悪いところがなかったかよく考えてみよう?」と3時間近く諭してきたり、愛着の面では問題があったのは確かだ。しかしそれは増田に対して愛情がなかったというよりは、それが彼らの愛着限界なのだ。飼っているウサギすら、部屋の中で凍死しかけていることに気づかなかった両親である。それを思えば、衣食住を保障してくれたのは事実だし、危険なことは叱ってくれた。大学まで学費も出してくれたし、両親の行きたいところにではあるが旅行にもそこそこ連れて行ってもらっていた。彼らにしてはだいぶ努力していたのだろうと今なら分かる。

から半年に一度程度は顔を見せに帰省しているし、それがめちゃくちゃ苦痛というわけでもない。全ては過去のことであり、無、凪、平熱、そういった単語がふさわしい関係性だ。これもまた、直接の原因ではない。

恋愛関係はないし、それを後ろめたくも思っていない。

増田Xジェンダー、リスロマンティック、アセクシャル三拍子揃った人間だ。その上、それでもどうしても起こる性欲の発散方法は「対象年齢・性別を問わないリョナ創作」と来た。絶対に世に出してはいけない、リアル人間に向けるなんて以ての外という嗜好をしている。

幸いなことに、告白されたことも、したいと思うほど惹かれた人も人生にいない。誰かを傷つけてしまうくらいならそれでいいと思っている。「恋愛理解できないのは正常ではない」と思って恋愛小説恋愛漫画を読んでは、イーッ!分からん!と一人で暴れていたこともあるが、それは「普通人生を送ること」に固執していたからであって、もう普通じゃなくていいやと開き直った今は、一人で生きていく覚悟がとっくに出来ている。

から恋愛ができなくて人生つまんなくて死にたいというわけでもない。

趣味はある。

増田創作が好きだ。物語を書くのが好きだ。随筆も、批判も、絵も、彫刻も、歌も、踊りも、とにかく何かを表現することが好きだ。それは自分の中にある感情思考を(作品に限らずこういった文章などでも)表し、発散することで一時的な沈静が見込めるからだ。だから誰かのために書いてるわけじゃなく、褒められるために書いているわけでもなく、ただひたすら自分衝動を、犯罪ではない範囲で発散できることに喜びを感じている。

また、他人のそういう一面を見るのも好きだ。孤独ではない、と、他のどんな娯楽よりも、どんな脳内物質の分泌よりも、最も確かに感じられるし、癒されるからだ。みんな苦しくて孤独なのだと実感できるからだ。そしてそれらを十全に納得のいくまで突き詰めようと、他人創作物をしゃぶりつくしたり、自分表現を究めたりしようと思うと、百年に満たない短い人生を食いつぶすには、十分すぎるくらい時間がかかる。

これも死にたい原因ではない。むしろ趣味のことを考えれば、死んでいる場合ではないのだ。

これと言ったトラウマもない。

いや、ないことはない。小学校の頃は確かに治安が悪かったし、その中で最も低いカースト層にいたのは確かだ。靴箱に砂を詰め込まれたこともあったし、掃除の時はちりとりに集めたゴミを引き出しにそのまま流し込まれたこともあった。濡れた雑巾を頭に投げつけられたこともあった。ドッジボール執拗ボールをぶつけられることもあった。体育の二人一組ではいつもハブられていたし、仕方なしに増田を組まざるを得なかったやつは、増田の触れたところを校庭の土でこすって払った。まるで土のほうが汚くないとでも言いたげに。

クラスメイト全員敵だからいるわけがないのに、脅迫的に好きな人を聞き出され、最もいじめてきた回数が少ない人の名前をあげたら、翌日からそいついじめられ始めて、他人を好いてはいけないと思い知ったこともあった。給食着やテーブルクロスを、本当は持ち回り当番なのに毎週持ち帰らされて、親に「じゃんけんで負けた」「牛乳こぼした責任で」と嘘をついた。もちろんああいう感じの親なので「あんたはどうしてそうなんだろうね」と気づかれもしなかった。

「視界に入るな」「半径2メートルに近づくな」「菌が伝染るから学級文庫・机・プリント・日誌・配膳皿などに)触るな」あるいはもっと直球に「死ね」も全部日常的に言われていた。学級崩壊でまともに授業が受けられなくて教育機会を損失して、その頃に本来学ぶべきだった分野は今でもちょっと苦手意識がある。毎年劇をやるはずの発表会では制御不能判断されて、ペットボトルでお米を育ててみましたといううっすい内容を、誰がどこを喋るかまで一言一句ガッチガチに固められて発表させられた。自主性なんて言葉は死んでいた。若い新卒教師毎日授業で泣いていて、その頃にはとっくに泣き疲れて感情に蓋をしていた増田は、その涙を「煽るだけなのに」と冷ややかな目で見ていた。

カースト中の下だった傍観者クラスメイト大学で再会して、一緒に「小学校の思い出」とかいうクソみたいなグループワークの授業を受けざるを得なかった時、給食の班机で菌が伝染るからとやられていたみたいに1cmあけて机を組まれた瞬間、増田の心にヒビが入り、割れ目が出来て人格が四つに分かれしまい、今も元に戻らなかったりしている。そういう意味では、たしかトラウマと呼んでもいいのかもしれない。

それでも直接的な殴る蹴るという暴力は振るわれなかったからマシな方だったと信じている。記憶があり、はっきりと思い出せて、これだけの内容を泣かずに書けるようになっただけかなり寛解してきている。それに、当時の自分だって箒で殴り返すなどそこそこやり返したり、いじめっ子と同質になって増田よりもっとカーストの低い支援学級の子に対して、自分にされたことをそのままやり返すみたいにしていじめたりだってしていた。当時飼っていたハムスター憂さ晴らし虐待していた。弱いものさらに弱いものを叩き、ブルースは加速していた。そういう感じでなんだかんだ適応して元気にやっていた。

それらへの後悔に苦しみながら、同時にその延長で今も友人にライン超えの発言をしたり、逆に踏み越えてはいけないラインを踏み越えられてもその場では分からなかったり、自覚がないままキレ返してしま制御不能に陥ったり、暴力脅迫支配を伴わない合意の上での性行為では興奮できなかったり、記憶は共有しているもの人格割れしま解離性同一性障害まで秒読み状態だったりと、後遺症は色濃く残っている。

けれど、でも犯罪をしないで済むくらいの範囲で誤魔化しきれているし、それ以上を望んだりもしない。だからこれもまた、今の増田をむしばんでいる死にたさの原因ではない。その時期はとっくに乗り越えてあり、過去過去、今は今として整理がついていて、そういう自分のあり方を受け入れている。



仕事趣味、友人、恋愛家族趣味過去

人生構成するだいたい全部に、人並みの不満や後悔はあれど、満足していないわけでもない。人間関係にも金銭にも将来にも不安はない。上を見ればきりはないが、下を見てもきりがない。自分人生自分のものであり、それ以上でもそれ以下でもない。

増田には確固たる自己があり、誰にも侵食されていない。

私は私だ。

なのに何故こんなにも死にたいのか。

胸を打つこの衝動は何か。

線路に飛び込め、七階から落ちろ、溺れて死ね、とにかく死ね、そう囁き続ける声が内側に蔓延るのか。

思春期という言葉を藁のように握りしめて、この衝動的な嵐が、年齢を経れば終わってくれると、ただ若さなのだと、そう信じてしがみついてきたのに、どうしてアラサーになってもまだ衰える気配がないのか。

自己不安定な時期など、とうに過ぎていると言うのに。

自己、ああ、そうだ。この自己だ。

この衝動こそが死にたさの原因であり、結果だ。

この自己こそが死にたさの真の原因ではないのか。

本当はやりたい仕事を諦めて現状に甘んじている?

友人と上手く付き合うことが出来ない?

両親の愛着が足りなかった?

恋愛が怖くて最初から諦めている?

趣味が実質逃避になっている?

過去に嫌なことがあって未だに引きずっている?

幸せになろうとすること全てにブレーキをかけてしまっている?

全ては結果に過ぎない。

最初存在しているこの「自己」こそが引き起こした、必然の結果に過ぎない。

死にたいのは、嫌なことがあったのが原因じゃない。

嫌なことを引き起こすような自分に全ての原因があるということから、いよいよ目を逸らせなくなってしまたからだ。

増田はずっと、衝動、癇癪、叫びのような化け物を心に飼って、共に生きてきた。

こいつを野放しにしたら、とてもじゃないが人間社会では生きていけない、というかまず肉体が耐えきれなくて崩壊するような、触れるもの全てを敵と認識する、爆発的なエネルギーけがひたすら渦巻いている、自壊を厭わない衝動の化け物。

その化け物を飼い慣らすことだけが増田の今の全てを形作っている。

仕事や友人の選び方、楽しめる趣味思考、行動、言葉、その全部全部が、この化け物を静かに眠らせておくことだけに全力を注ぐように構成されている。

そしてそれが漏れ出てしまった瞬間、必ずトラブルが起こる。嫌なことは全てそうやって起きている。

全ての嫌なことに原因は、増田自身だった。

そう、気がついてしまった。

両親、友人、そして過去の思い出は、一般的社会に溶け込める人間たちが、その化け物を目の前にした時の、ごくありふれた正常な反応に過ぎない。

全ては結果なのだ

思えば最初から物心ついた時にはもう、そいつと一緒に生きていた。

その場の思いつきで突拍子もないことをして、危険危険だと分かっていながら飛び込まずにはいられない、じっとしてはいられないという性質を、持て余していた。

両親が増田のことを「あんたのことはよく分からない」と困惑して言った日のことをよく覚えている。

友人が「増田人間じゃなくて増田という生き物なんだね」としみじみ言った日のことも。

増田いじめて泣かせたクラスメイトが「だっての子最初に嫌なことをしてきたんだもん」と言ったことも。

先生が「どうしてそんなことしたの?」と泣いている増田を問い詰めたことも。

「泣いていたら分かんないよ。先生悪くないよね?なんで先生のこと怒るの?」と寄り添いのかけらもない態度をとったことも。

そして増田はただ、嫌がらせをしようとすら思ってもいなくて、そうすることしか出来なかった、それ以外のやりようがあるなんて考えつきもしなかっただけなのだと、説明出来なかったことも。

よく覚えている。

それらは全部、増田おかしかっただけで、みんなはただ、当たり前に困っていただけだ。

そして増田自身も、困っていた。

ただ、それだけだった。

よく分からないものは愛せない、未知は排斥する、ああ、そうだろうとも。それにしたって、みんなの方にだってもう少し上手くやりようがあるようにも感じるけれど、でも、人間完璧じゃない。上手く出来ないことだってあるし、それを責めたってどうにもならなくて、仕方がない。

からみんな、距離を取る。うん、まったくもって正しい。あなた自分を守るために、増田人生破壊されないために、必要距離だろうとも。

でも、増田だって、こんなのと一緒に生きていくのはもううんざりなんだ。

私は私と一緒に生きていくのが疲れた

そして私は、その内側の化け物から距離を取れない。

みんなみたいに、そっと距離を取ることができない。

ずっと近くにいる。

ずっと隣にいる。

剥がしようもなく側にいる。

趣味だって、ただそうすれば抱えた癇癪がマシになるからやっているに過ぎない。こいつから逃れられないから、仕方なく好きにさせてやってもいい場所を作っているに過ぎない。

本当は絵や文章なんか書かなくても気分が晴れるならそれが一番楽なはずだ。誰も傷つけずに、安心して一人で好きなだけ打ち込めるというだけの、苦しみから逃れるために必要なだけの、ただの麻酔だ。

文章を書いたり、絵を描いたりで努力できるのはすごいね」と褒めてもらえることもあるけれど、違うんだよ。それをやらないとあなた危害を加えてしまいそうだから仕方なくやっているだけなんだ。全然立派でも何ともない。犯罪者予備軍が犯罪をしないためにギャンブルや酒に溺れているのと一緒なんだ、これは。

依存で、中毒で、全然褒められたようなものじゃない。

厄介な人をあしらう術に長けた者たちだけが、周りに残っているのがその証左だ。

衝動性を逃がす以外のモチベーションはないから、創作で食っていこうとしてもクオリティにムラがあって仕事にならないのがその証左だ。

自分は化け物だ。

人間じゃない。

人間になんかなれっこない。

必死に身につけた人間性の全てが、衝動の化け物が眠る上に構築してあるというただ一点を理由に、崩れていく。

その眠る化け物が少し身じろぎするだけで、目覚めるまでもなく、増田の積み上げた全てを崩壊させる。

人間になんか、最初からなれっこなかった。

増田は自らの意思人生選択したのではなく、選択できる範囲の中で選ばされるしか出来なかった。

好きなもの一つ、「自分」の意志では決められない。化け物を起こさないようにごくごく慎重に、刺激しないものだけを選んでいる。

全部全部こいつのせいなんだよ。

化け物を一番殺したいのは増田なんだよ。

私の人生を全部めちゃくちゃにしてきて我慢ばっかりさせるような化け物を、一番憎んでいるのは私自身なんだよ。

両親を困らせたくなかった。

クラスの子と上手くやりたかった。

いじめられたくなかった。

ハムスターだって死なせたくなかった。

恋愛が怖いと思いたくなかった。

趣味だって昔は運動が好きだったはずだ。

仕事だって人の役に立つ誇らしい仕事がしたかった。

友達を傷つけるようなことなんて、今だって一個も言いたくない。

なのに全部できない。

全部全部、壊すのは増田だ。

私なんだよ。



死にたい

もう、こいつと一緒に生きていくことに疲れてしまった。

何もかも破壊して、めちゃくちゃにして終わらせたいという衝動が、朝も昼も夜もずっとずっと苛む。

増田にできるのは、この化け物を思い通りにさせず、誰をも傷つけることなく、自らの死以外の罪をこの肉体に起こさせないことだけなのではないか、という気分になってくる。

どんな声かけも慰めも麻酔も、虚しいばかりだ。

それよりも、慰めてくれた誰かに牙を剥きたくない。

恩を仇で返したくない。

そんな気持ちのほうが、ずっとずっと大きく膨らんでいってしまう。

無理に結婚子育てをしていなくて良かった。

死んではいけない理由を作ってしまっていなくて良かった。

それは誰かを不幸にするから

愛されないまま死んで忘れられることだけが増田にできる唯一の社会貢献だ。

せめてそれだけはさせてほしい。

許してほしい。

ごめんなさい。

まれてごめんなさい。

Permalink |記事への反応(2) | 00:01

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-19

オリキティちゃん私服を買ってしまった

真面目に生きてきたのに、なんか道を外してしまいそうです

Permalink |記事への反応(0) | 19:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

日清構図 ×乃木坂40th ×秋元康作詞史》──「ビリヤニ」はなぜ生まれたのか?多視点AI考察による一事例研究──

日清構図 ×乃木坂40th ×秋元康作詞史》

──「ビリヤニ」はなぜ生まれたのか?

視点AI考察による一事例研究──

要旨(Abstract

本稿は、2025年リリースされた乃木坂46の40thシングルビリヤニ」が、

従来の秋元康作詞史の流れからどのように逸脱し、

かつどのように既存パターン共鳴しているか考察する。

特に食品企業日清食品代表される

ブランド基盤が強固なトッププレイヤーほど“遊べる”」

というマーケティング構造(本稿では“日清構図”と呼ぶ)と比較し、

乃木坂46がなぜ“ビリヤニ”というマイナー料理

節目の40枚目という重大なタイミング採用したのかを分析する。

研究では、ChatGPTおよびGemini、二つの生成AIから得られた

異なる分析光源を重ね合わせる“多視点照射法”を用いた。

第1章 序論:なぜ「ビリヤニ」は問題になるのか

乃木坂46は「清楚」「正統派」「王道」というブランドイメージを確立している。

その節目である40thシングルにおいて、

という前例未踏方向性を取ったこ自体

文化的事象として異様な注目に値する。

本稿は、その“異様さ”を原点に議論を進める。

第2章 秋元康作詞史:食と比喩の扱い

秋元康日常語や食物を比喩として扱うことがあるが、

主題のもの料理という曲は坂道史上でも稀である

そのためビリヤニ」は異常値(アウトライヤー)として扱える。

第3章 日清構図:強固なブランドは“ふざけ”を許容する

日清食品

という“ふざけても大丈夫な強度”マーケティング界で頻繁に取り上げられる。

乃木坂46は、

これらが重なり、日清構図同様に

「ふざける余裕」が最大化したタイミング判断できる。

よって“ビリヤニ”は

ブランド強度最盛期に可能な“異物=新奇性の投入”

として説明できる。

第4章 ラジオ番組「いいこときいた」における“伏線問題

2025年9月7日放送の同番組にて秋元康ビリヤニを扱い、

発言していた点は非常に示唆である

しかし、

という矛盾点も存在する。

ここから導かれる仮説は次の2つ:

ゲストからビリヤニ文化南アジアハラール圏等)を聞いた点も歌詞接続

やすすが突如感化され、短期間で作詞に落とし込んだ。

本稿は両方の可能性を保持しつつ議論する。

第5章 スケジュール問題:2ヶ月で可能か?

結論可能である

アイドル制作現場は常に以下が同時進行している:

よって8月インスパイア11月発売

極めてタイトであるが「不可能ではない」。

ただし偶然にしては整いすぎているのが本件の核心である

第6章 歌詞分析主人公男子知識が“インド南アジア”にアップデートされている件

歌詞中で、

という知識アップデート描写がある。

これはラジオゲスト

ビリヤニイスラム圏でもよく食べられる」

説明した内容と一致する。

したがって、

 または

解釈可能である

第7章 ブランド世界観から見た“炊き込みご飯問題

清楚アイドル歌詞で「炊き込みご飯」と言うのは

本来ブランドリスクに当たる。

しか日清構図を援用すれば、

という逆転現象が起こる。

これはトップブランド特権的戦略である

第8章 総合考察:なぜビリヤニだったのか?

これらを統合すると、本稿の結論は以下になる。

第9章 結論

ビリヤニ」は“料理の曲”ではなく、

トップブランドが最盛期に行う“遊びの実験である

ラジオは偶然ではなく、

秋元康が“情報収集・感化・伏線”のいずれかを意図した可能性が高い。

そして曲の成立は

日清構図(強いブランドが遊びを許容する構造

説明するのが最も合理的である

付記:本稿の意義

これは単なるアイドル研究ではなく、

AI 2体(ChatGPT×Gemini)を用いて

情報の「影」を消すことで初めて到達できた

新しい形の現象分析である

本稿自体が、

筆者とAIが共に作った「新しい論文のかたち」になっている。

Permalink |記事への反応(1) | 10:33

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-18

anond:20251118205951

シェア大きいからなcloudflare

特にエッティサイト海外マネー系のサイトの導入率高いので、今日我慢汁の日になるね

Permalink |記事への反応(0) | 21:03

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251118135611

あのころティライミ

ぼくらはたっているのかなぁ

Permalink |記事への反応(1) | 19:40

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

紳士ティ

Permalink |記事への反応(0) | 17:55

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

囚 ← ナオトインティライミ

口 ← ナオトオンティライミ

Permalink |記事への反応(1) | 13:56

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

安倍晋三が忘れ去られても

わーくにってフレーズは残りそう

我が国ってナショナリスティックな言葉なのに

舌っ足らずで間抜けなのがいい

Permalink |記事への反応(0) | 11:40

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

俺は高校生探偵工藤静香

幼馴染で同級生毛利元就森蘭丸遊園地に遊びに行って、黒田官兵衛ずくめの男の怪しげな取引現場を目撃した。

取引を見るのに夢中になっていた俺は、背後から近づいてくるもう一人の仲間に気づかなかった。

俺はその男毒薬を飲まされ、目が覚めたら…

体が縮んでしまっていた!!

工藤静香が生きていると奴らにバレたら、また命が狙われ、周りの人間にも危害が及ぶ。

阿笠・メアリ・クラリッサ・クリスティ博士 の助言で正体を隠すことにした俺は、森蘭丸名前を聞かれてとっさに、江戸川乱歩アーサー・イグナティウス・コナン・ドイルと名乗り、奴らの情報をつかむために、父親探偵をやっている森蘭丸の家に転がり込んだ。

謎に包まれ黒田官兵衛ずくめの組織…。

わかっているのは、そのコードネームお酒にちなんだ名前であることくらいだ…。

そんな奴らの正体を暴くため、小さな探偵江戸川乱歩アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル活躍が始まった!!

たったひとつ真実見抜く

見た目は子供、頭脳は大人

その名は、名探偵アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル!!

Permalink |記事への反応(0) | 01:16

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-17

3日ぐらいぶりにはてな見た時の感想

憎悪クリエティティ高ーーーッ!!!

Permalink |記事への反応(0) | 22:58

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

中国人観光客観光業的にも来なくていい。

コロナ明け期に中国だけ回復がかなり遅れて中国以外に頼っていた時期でさえ観光は儲かってた。

というか中国だけで成り立ってるわけでもないしいまの状況だと中国が消えても他国が伸びて埋めるだけ。

中国観光客がいなくなって困るのはほぼ中国人向けにフルチューニングしてる業者中国人がやってる業者なので日本観光業へのダメージは2.2兆もない。

一条龍」(イーティオロン)といって中国人が各国の観光地で中国人向けの独自経済圏を築いており儲けは中国収益になっている。

ちなみに中国電子マネーで決済するので日本収益を上げても日本納税してない。

Permalink |記事への反応(20) | 20:52

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

ビリヤニ人気に火がつきそうな増田真魚宇曽キツが日に菌ににやり美(回文

おはようございます

あのさ、

乃木坂46の40枚目のシングルタイトルビリヤニだって私だけが大騒ぎここでしている感じがしたんだけど、

楽曲とかミュージックビデオが解禁されたっぽくって、

内容どうなってんの?って思って聴いてみたら、

ビリヤニを初めて知ってそれを口実にデートに誘うってみようって内容で、

バスティライスバスティライス!って連呼しているじゃない。

あながち私がChatGPTちゃんやGeminiちゃんAI全否定された

秋元康氏ことやすすがビリヤニ食べての感動説って擦ってるかも!?ってなったのよね。

思いのほか

インド系パワーワードとか一切入れないそれエヌジーワードにすると思っていたけど

ガッツリスパイスの話

カルダモンカルダモン!って叫んでるじゃない、

そういうインド系パワーワードを一切歌詞に含まないやすすの巧みな恋のおまじないみたいな歌詞だと思ったけど、

直球よね!

でもさ、

住んでいるインドの山奥にいる3人しかいないビリヤニ好きにまで乃木坂46の40枚目のシングルが新しく出るよーって声が聞こえてくるんだから

それもそれで強力なプロモーションよね。

もしかしてその乃木坂ビリヤニって曲、

インドの山奥に暮らしているビリヤニ好きの3人に搾ってターゲティングするというニッチさ。

とはいえさ、

日本にいるビリヤニ好きに向けてプロモーションしているとは言えニッチすぎない?

私は乃木坂の「白米様」って曲がああいう感じの曲もあるから

ぽぽーぽぽぽぽって販促呼び込み君ばりに、

おさかな天国」や「惣菜バンザイ」みたいに、

お米売り場で流れていてもおかしくない曲の

カレー売り場とかスパイス売り場とかでビリヤニビリヤニって連呼しそうな販促ソングの流れもあるかも!って予想していたんだけど、

乃木坂46の40枚目の節目の時だから

そんな面白方面に舵切る?って。

そういうこともあるから

カレーインド的なワードは一切含まれない恋のおまじないスパイシーにってせめてスパイシーって言葉は入れるんじゃない?って思っていたけれど、

ド直球だったのがやすすの凄さかもしれないわ。

あとインドカレー屋さんでよく見かける光景で、

印度音楽ミュージックビデオが延々と流れているいや流していると言っても過言ではない言い過ぎかも知れないけど、

そんなお店ってほぼ100パーセント

インド流行っているミュージックビデオが流れてるじゃない。

あれもきっと乃木坂46の40枚目のシングルビリヤニミュージックビデオが流れていてても不自然じゃない感じになっているぐらい、

思いっ切りスパイス入れてーってやってんの。

それこそDJごはんMCおみそしるさん方式ビリヤニ作り数え歌ではなかったものの、

鍋にスパイス入れてるシーンはあんので、

これはもしかしてビリヤニたかも!ってぐいぐいくるのよね。

乃木坂サイト見たら美味しいビリヤニのお店募集していて、

ガチビリヤニの食と乃木坂ビリヤニとでガッツリタッグを組んでプロモーションやる気じゃない。

さすが

美食家でもあるやすすね!

そう思っちゃうわ。

ビリヤニって美味しいけれど

イマイチ認知度がいまいちなような気がするナン人気が圧倒的な気がするの。

からここで乃木坂のパワーも借りてビリヤニがみんなに認知されたら嬉しいわよね。

そんな使命感も乃木坂は背負ってるのかしら?

でもちゃんとしたバスティライスで作るビリヤニだったら良いけど

日本米でカレーチャーハン風なビリヤニもあるから気を付けた方が良いと思った季節が私にもあったけど、

これもしかしてそのお店のシェフ

日本の人にも食べやすいパサパサしていない日本のお米でビリヤニやった方が喜んでくれるんじゃね?って一周した思考があるのかも知れないと思うと、

日本米でやっているカレー炒飯風味のビリヤニっていって提供しているのも一理あるのかも知れないわ。

私はせっかく食べるのであればバスティライスの方だと嬉しいけれどね!

日本米を使っているところはそれなりのシェフ哲学があるはずなのよ。

っていって、

いよいよ乃木坂46の40枚目のシングルビリヤニが発売されたら、

日本中のビリヤニ屋さんがお客でごった返すはずだから

ああこの人乃木坂ファンなのねって

もともとビリヤニ好きだった人も

そういう乃木坂経由で来たかと思われたら私は最初からビリヤニ発見していた人の体裁を保ちたい面持ちでお店に行きたいじゃない。

から発売される日より前に一度はビリヤニ食べに行かないといけないかも知れないわ。

きっと発売されたらお店に入れないかもしれない、

そんな予想をするのは容易いことじゃない?

今回の乃木坂46の40枚目のシングルビリヤニってタイトルの曲が

まりにも正直すぎるインド過ぎてスパイシーバスティライスな直球なのよね。

そんなドストレートすぎる直球、

危うく私は思わず見逃し三振するところだったわ。

でも今日のお昼は美味しいホームラン級のビリヤニでも先行して食べに!って思うわよね。

真っ向勝負

その美味しいド直球ビリヤニ

先頭打者ホームラン打つわ!

うふふ。


今日朝ご飯

タマサンドしました。

タマゴのジューシーさを時として欲するときがあるのよ。

美味しくいただいたわ。

ツナタマゴのにとで迷ったけれど、

タマタマゴのサンドイッチにしたの正解ね。

心の赴くままに従ってよかったわ。

デトックスウォーター

ホッツ白湯ストレートウォーラーね。

朝は自動的にお湯が沸いている70℃で決まっているので、

起きた手にホッツ白湯ストレートウォーラーが飲める

そして身体の中から温まるっていい朝の目覚めね!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

Permalink |記事への反応(0) | 08:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp