
はてなキーワード:チャンポンとは
回文増田はときどきJ-POPの歌詞の一部や曲名、アーティスト名を引用するかたちの表現をとる
(例)
岡本真夜「TOMORROW」
時間があったらって
いつ時間があるのかしら。
そう思うとシクシクって泣いちゃいそうだけど
涙の数だけ強くなるでお馴染まないぐらい岡本真夜さんなのよ。
わたしもメンタル病んで休職は何度かあるのだが、疲れているのだからとにかくゆっくりすることだ。
精神的にも不安定になる(将来的なことや、直近のお金のことなど)から相談できる家族や友達は大事にしたほうがいい。
しかし、できる限りは夜12時には寝て、朝6時には起きるようにしたい。
眠りにつけないために薬を飲むと日中が怠く寝てしまうのはある。
現実から目をそらすために日中寝てしまうと昼夜逆転でやはり夜眠れなくなる。
寝すぎると背骨が痛くなるのでそれ以上寝られなくなり起きることになる。
恐らく最初はデパス、パキシルあたりで精神落ち着かせる感じだと思う。日中はそれでもいい。
寝る前は飲んだらすぐに床に就いたほうがいい。ボケボケ状態でPCを触っていると心にもないメールを
送っていたり、ネット通販でなんだか得体のしれないものを買っていることもあるから注意が必要だ。
眠れなくなるとマイスリーを処方してもらうこともあったが、健忘症という症状が出ることがあるので注意が必要だ。
私の場合、なぜかマイスリーを飲むとその後の記憶が飛んで、コンビニでポテトとビールを買い込んで飲み干し、
朝起きたら部屋が散らかっていたり、妙にリアルなラーメン食べに行った記憶が数日後に財布の中からレシートが
出てきて、どうやら数十キロもの距離を車で出かけて瓶ビール3本と餃子、ビールを食べ飲みしてきていたらしい事とか
本当にいろいろあった。薬はこういうこともあるから怖い。とにかく薬は飲んだらすぐ寝ろ。
以下、ごちゃまぜという意味の言葉は「ちゃんぽん」、料理のほうは「チャンポン」と表記する。
まず辞書では、
1 2種類以上のものをまぜこぜにすること。また、そのさま。「日本酒とウイスキーをちゃんぽんに飲む」「話がちゃんぽんになる」
たいていは先に書かれるほうが古い用法なので、ごちゃまぜの「ちゃんぽん」のほうが先にあったということだろう。
しかしWikipediaで「ちゃんぽん」を調べると、いくつかの語源説が出てくる。
なかでも「攙烹」説「吃飯」説「喰飯」説などは、明らかに料理が前提にあるので、「チャンポン」が先でないとおかしいように感じる。
ざっと検索したかぎり、「どちらが先にあったか」を明言しているところがほとんどなかったので、ちょっと調べてみた。
「ちゃんぽん」は江戸時代からあった言葉で、三好一光『江戸語事典』や、
ちゃんぽん 交互、又は両天秤にかけるをいう。
ちゃんぽん ①彼と此と入り混じること。まぜこぜ。ごちゃまぜ。文政五年・花街鑑 下「芸者の滑稽、チリツンテン、ちやんぽんの大さはぎ」②交互。かわるがわる。文政九年・契情肝粒志二上「何時でも下馬一枚を棒組とちやんぽんで」
ただ、前者は「鉦」が中国の楽器、「鼓」が日本の楽器だから、という説明がくっつくことがある。
また後者は、中国人を「ちゃんちゃん坊主」などと言ったのは「鉦の音」に由来するというので、この2説は薄っすらとつながっていることになる。
一方、料理の「チャンポン」が生まれたのは明治30年代だとされる。
長崎で明治32年に創業した「四海樓」という中華料理店の「陳平順」という人が中国人留学生向けに作ったというのが定説である。
ちゃんぽんのルーツは福建料理の『湯肉絲麺(とんにいしいめん)』である。湯肉絲麺は麺を主体として豚肉、椎茸、筍、ねぎなどを入れたあっさりしたスープ。これに四海樓の初代陳平順(ちんへいじゅん)がボリュームをつけて濃い目のスープ、豊富な具、独自のコシのある麺を日本風にアレンジして考案したものが『ちゃんぽん』である。
今日では缶詰や冷凍など保存技術の発達により食材が年中あるが、当時は、そういうわけにもいかず苦労していた。そこで長崎近海でとれる海産物、蒲鉾、竹輪、イカ、うちかき(小ガキ)、小エビ、もやし、キャベツを使い、ちゃんぽんの起こりとなった。
ただ、これもなかなか難しいところで、「支那うどん」と呼ばれる同種の料理は他にもあったらしい。
四海樓でも当初は「支那うどん」という料理名で出されていて「チャンポン」とは呼ばれていなかったという。
以下、チャンポンや支那うどんに関する、明治末から大正にかけての記述を並べてみる。
「チヤポン」(書生の好物)
今は支那留学生の各地に入込めるが故珍しきことも有らざるべし。市内十数個所あり。多くは支那人の製する饂飩に牛豚雞肉葱を雑ゆ故に甚濃厚に過ぐれば慣れざるものは、厭味を感ずれども。書生は概して之を好めり
「チャンポン」ではなく「チャポン」になっているのは誤字なのかわからないが、後述の「吃飯」説の傍証としてよく引き合いに出される。
明治41年『中學文壇』では「支那うどん=チャンポン」であり、長崎固有の料理だと言っている。
明治41年『ホトトギス』でも同じく「支那うどん=チャンポン」。やはり「チャポン」は誤字だったのではないか…?
大正3年『長崎一覧』には「支那饂飩の元祖は三角亭だ」と書かれている。
支那うどんも亦長崎名物の一つである 名の如く支那より伝つたうどんである 日本人の初めて製造せし人は大波止三角亭の上田百十郎氏である。氏は初め今の九州日の出新聞の所で飲食店を営んで居た、支那うどんを創めたのは明治三十二年であつて、創めた当時はあまり歓迎せられなかつた
大波止の三角亭は大正年間に「支那うどんノ元祖ハ大波止角三角亭」という広告をあちこちに出していたようだ。創業年の明治32年は四海樓と同じ。
大正7年『漫画巡礼記』の著者は「近藤浩一路」という人で静岡育ち東京住まいらしいが「支那うどんについては皆さんご存知だろう」という書きぶりである。
長崎名物のうちにチヤンポンといふがある。チヤンポンとは支那うどんの異名と聞いたら何だつまらないといふかもしれぬがこれが仲々莫迦に出来ない代物である。エビ豚、牛肉、蒲鉾、ねぎ其他種々のものがチヤンポンに煮込んであるから其名が起つたのであらう、先祖支那うどんと銘うった家が長崎市中到る処に見られるが、これが皆なチヤンポンだから驚く
また四海亭(四海樓のことか)の紹介もある。
しかし其中でも支那町の突当りにある四海亭が最も代表的なチヤンポンを食はせるといふので我等はK君の案内で此四海亭に始めてチヤンポンなるものにお目通りしたのである。見た所は他の支那うどんと大差はあるまいが、何せい材料と料理法が違ふ。
ちなみにWikipediaには「明治初年には既に長崎人の本吉某が長崎市丸山で、支那饂飩をちゃんぽんの名で売り出していたともいう」と書かれているが、これは昭和13年『長崎談叢』がソースらしい。
チャンポンの濫觴は明治の初年我が長崎人本吉某が丸山にて支那饂飩をチャンポンと名づけて開業したるものにして終にチャンポンは支那饂飩の固有名詞となり了りぬ。
総合して、
といったあたりが気になる。
いずれも確証はなく「発音が似ているから関係があるかもしれない」程度の話に尾鰭がついただけのようだ。
「吃飯」説だけは、四海樓が主張しているという点において説得力があるが、それにしたって確証はなさそうである。
以上。
「ちゃんぽん」と「チャンポン」に関係があるかどうか、については結論が出なかったが、普通に関係がない可能性もあるということがわかったので、とりあえず良かった。
Wikipediaの説明がまさにそうだが、「ちゃんぽん」の語源説と「チャンポン」の語源説がごちゃまぜになっている、つまりちゃんぽんになりがちなので、そこだけは気をつけたいところである。
アルミの容器に入ってる味噌煮込みうどんとかチャンポンとかバリエーションがあるやつね。
なんかやけに食べたくなる時、ある。(確信)
そのままでも美味しいんだけど、あわよくば簡単に野菜とかもプラスしちゃって食物繊維とか栄養も取りたい!
今のところ乾燥わかめとニンジンを銀杏切りしてレンジでチンしてから入れるとかしか思いつかない…。
彼ぴーが普段料理しなくてインスタント系しか食べないから、隙あらば野菜とかをぶち込みたい。
(追記)
みな様ありがとう〜!一晩でこんなに知恵が集まるとは思わなかった🥲
たしかにタンパク質足りないから卵たすのもいいし、最初から切ってある野菜買うのもいい!
切り干し大根とかひじきとかは調理した事なかったけど、多めに作って冷蔵庫に入れといたら食べてくれるかな…。もはや祖母??
彼ぴー(タコピーの発音)の家にはまず塩コショウが無いので、買おうと思います…。
え!今更ちゃんとツイッター?のほうのコメントも見たけど、ドラストってみんな呼ばないの??!
そこをツッコまれるとは思わなんだ。
Permalink |記事への反応(12) | 23:01
その気持ちはよくわかるけど本を読むときは一旦その思惑とか捨てて読んで取り組んでくれ
これは大事なことだから無意味な精神論と誤解して聞き流したりしないように
俺が一番愚かだと思うのは世に氾濫するマインドフルネス
あれ作った人たちは仏教瞑想の有用なエッセンスだけ効率的にかじり取ったつもりで
重要なことをごっそり取りこぼしてるので彼等の目的にとっても非効率になっている
仏教の概念一通り勉強しろとか本数十冊読めとか言わないから、勧めた本一冊二冊は全部読んでそのまま取り込んで、仏教瞑想のメソッドは勝手に改変せず書いてる通りに取り組んでほしい
他の本を読んでチャンポンにしたりもしないように
ずっと頭痛くてって感じで、
早々に午前中で私の事務所も閉店よ。
多分度数の高いお酒を少しでも酔いぐらいに飲むと頭痛くなっちゃうみたいねー。
この時期の田中邦衛さんいや違う違う
ケイヒ、ウイキョウ、ニクズク、チョウジ、チンピ、ゲンチアナ、ニガキの七草
アリアナグランデさんが間違えてタトゥーで七輪って掘っちゃったぐらい効く七草!
良い薬です!ってやかましーわーい!
なににしろ飲み過ぎはよくないこの時期忘年会が繰り広げられまくりまくりすてぃーな時期、
胃が弱るのよねー。
参ったなー。
毎年これを繰り返して覚えないところが忘年会の良いところ学習のしなささが1年でちょうど思い出す時期でもあるのよね。
なので昨日一日帰って大人しく寝ていようかと思ったけど
1日のノルマのF-ZERO99とスプラトゥーン3があんのでそれはこなしたけど
寝るに限る寝れるときは寝る!のよ。
おかげでまあ今日の今朝の朝の体調はまずまず。
喉が痛いけれど平気よ!
私のスプラトゥーン3のオーバーフロッシャーは皮肉にも絶好超のマークを付けつつ、
最近はハイドラント一択でインクをぶちまけるのに快感を覚えているって頭痛いからそれどころでは無かったけど、
早く調子が戻ってこの時期を乗り越えたいわ。
やっぱりどうしてもこの時期は忘年会が続くので食べる前に飲むのが必勝法なのかも知れないわ。
うふふ。
スモークサーモンって美味しいわよね。
スモーキーすぎるのもあれだけど、
ちょうどよい加減のスモーク加減だったらいいわね。
美味しくいただいたわ。
この調子でしょ?体調。
なので少し甘みを加えてハチミツインホッツ白湯ウォーラーレモン果汁インハチミツザスカイ!って感じね。
冬には潤いと温かさが必須よ。
みんなもご自愛くださいませ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
アラサーです。夢を見ました。中学〜大学時代のメンヘラ友達と仲良くする夢。もう二度と会うことはないんだろうけど私の中では大事な友達だったから、夢でも会うと切なくなる。
中学、ふたりともいじめられてたけど私は母親に逃げることを許してもらえなかったから耐えた。その子は不登校になった。
高校、私はその辺の普通科へ。その子は定時制へ。定時は環境が荒れ過ぎててその子はすぐに中退してしまった。
大学、私は地元のFラン大学に進学した。その子は工場のパートとして働き始めた。
就職、私は田舎から東京に出て働き始めた。その子はパートも辞めて、合法ドラッグ(当時は規制されてなかった)と酒をチャンポンして寿命をすり減らしながらなんとか生きるメンヘラになっていた。
「あなたの人生は私には眩しすぎる。どうか幸せになってね。さよなら」
繋がっていたって具体的に何か助けるとかできなかったけど。福祉系の色んなところに電話かけても、「友達って間柄では行政は動けません」って言われたし。そりゃあそうなのは今ならわかる。かといってじゃあお前が助けろって言われても、お金を渡したりするほど裕福でもなかった。
そんな感じで、友達でいつづけてたまに連絡したりご飯食べたりする関係そのものがその子にとって毒だったのも今ならわかる。友達でいたかったのはこっちの自己満足。
あの頃の自分はガキで何一つうまくやれなかった。だから切られた。
それは主に男性の手指の特徴なのだが、胎児時代に浴びた男性ホルモンの量が多いとそうなるのだという。
それが、自分の性自認と性的指向に、どう影響があるのかはわからないが。
思い返せば、2、3歳くらいの幼児期にはテレビに出てくる女性アイドルばかりに興味を示し、執着していた。
でも、幼稚園以降はわりと普通に恋愛対象としては男子を好んでいた。今のパートナーも男性だ。だが、女性を好きになった事がないわけじゃない。
幼少期は、信じられないレベルの悪ガキで、弟を巻き込んでイタズラばかりしていた。
でも、幼稚園以降は、しょっちゅう同級生女子のわがままに振り回されたり、ハブられたりして、泣くことも出来ずに一人で隅っこにうずくまり、霜柱を踏み潰すとか、石をひっくり返してダンゴムシを見てたりとかした。
可愛いアイドルが好きだったけど、いつもズボンを履いていた……のは、親の意思だったような気がする。
珍しく買って貰えたのが、細かな千鳥格子の布地で出来た、裾に共布のフリル付きの遠目に見ると灰色っぽいスカートで、死ぬほど地味なのがかなり嫌だった覚えがある。灰色って。ピンクや赤だったらきっと喜べた。
おままごとのお母さん役は死んでも嫌だった。
だが、人形遊びは大好きで、やっていたのは完全におままごとで、なのに人形で遊んでいるところを見られるのは絶対に嫌だった。
小学校の頃に、母が友達からVANのパーカーを貰ってきて、それは男ものだったんだが、私は喜んで着た。でも、私以上に母の方が喜んでいたと思う。
以後、母が誰かから貰ったまま押入に仕舞い込んでいたという、ボーイッシュを通り越してマニッシュな、いやおっさん臭い(一応女物ではある)服というのが、謎に沢山出てきた時期があって、当時は偶然見つかったお宝を貰い受けたと自分では思っていて、得したようにも思っていたが、今思えば、上手いこと母に誘導されただけのような気がする。
思春期は、自分の身体が段々女体化してくる事をグロいとしかおもえなくて苦痛だった。
一方で、好きな男子と付き合ってセックスすることを夢見てもいた。
月経困難が酷くて、元気な日が1ヶ月のうちに3日あればいい方だった。
それで同級生女子にも可哀想だと心配され、面倒見のいい女子から何かと気遣われるのが、すごく嫌だった。
女友達と人目憚らずにスキンシップ過剰な付き合いをしていて、男子からはレズは死ねとよく言われていた。
19歳の頃、それまではそこまで思い詰めていた訳でもないのに、急に自分はとても中性的な容姿なんだと思い込み(実際には瓢箪型のデブだったので、どっからどう見ても女だったし、服装がモサかったので、女というよりは産後太りから順当に中年太りに移行したおばさんのような見た目だったと思う。そんななりで男らしくwがに股で肩で風を切って歩いていた様はちっさいおっさんでしかなかったと思う)
友達に半ば無理強いさせる形で「男みたい」「中性的」だと言わせて、有頂天になっていた。
それがある時急に虚しくなり、お水風俗のバイトをやりだし、客から可愛いとお世辞を言われて有頂天になり、以前の「中性的」という名のおっさんおばさんチャンポンムーブは何だったのかというくらい、ゴテゴテの派手メイクのゴスロリと化した挙げ句、初めて付き合った男と唐突に結婚するという離れ技をきめた。
結婚はしたけれど、夫の家族から「○○家の嫁として云々」と言われるのが鬱陶しく、パート先ではダントツに若かったせいで変に「女の子」扱いをされるのが苦痛で、ある日カッとなって頭を丸坊主にしてしまった。
パート仲間のおばさん達から「小猿みたいで可愛いね」と言われて有頂天になった。ついにヒト以下の存在になった事には気づかなかった。
ミニスカートを履いていても「○○家の恥」と言われたが、頭を坊主に丸めたら「お前は俺にわざと恥をかかせようとしているのか」と夫に言われて激しい口論になり、一時的に夫婦関係がマイナス28度まで冷めて険悪になった。
子供が出来るまでに五年くらいかかったが、私の体質のせいで胎児が平均サイズをかなり下回った状態で、予定日を一週間も過ぎて生まれてきた。下の子は完全に低出生体重児だった。
それからは常識の範囲内で色々あったが、現在の私はただのおばさん以上でも以下でもない。夫婦仲も親子仲も良好で、取り立てて言う事はない。言動はもう完全におばさん。
で、今になって思うのは、若い頃の自分はセクシャルマイノリティに何をそんなに期待していたのかということだ。
私の手の薬指は人さし指よりも明らかにずっと長くて、それは母親の胎内にいた時に女児であるにも関わらず沢山の男性ホルモンを浴びたことにより形成されたものと思われる。母体に過剰なストレスがかかるとそうなると言われている。母は昔からいつもイライラしていてヒステリックで家族に当たり散らしてばかりいる人だったから、私が母のお腹にいた時も、やはりイライラムカムカしてストレスフルな毎日を過ごしていたのだろう。
私の手の薬指は人さし指よりもずっとながい。ただそれだけのことで、しかし私の性別が女であることは揺るぎない事実だ。若い頃の私は、「中性的(笑)」ということに変な期待ばかり山ほど抱えた、恥の多い人生を送っていたけれど。
インスタントラーメンについて書いているので、自分が思っていることを書く。
自分は韓国のインスタントラーメンが好きだ。
韓国のインスタントラーメンといえば辛ラーメンがスタンダードのように思われているが、あれはスタンダードではない。
辛ラーメンは韓国人の中にも辛すぎるという人もいる。あれはポピュラーではあるが中心から少し外れているラーメンで、本当の韓国ラーメンのスタンダードは、三養ラーメンや安城湯麺のような牛骨スープでほんのり辛いラーメンがスタンダードのラーメンという認識を持ってもらいたい。辛ラーメンの農心は、「辛ラーメンBlack」という辛味を減らして牛骨の旨味を増したラーメンも出している。
さて、本題。
日本のインスタントラーメン開発者は、なぜ、韓国インスタントラーメンを研究しないのか。
この方は、1から4の食べ方の改善点を書いているが、韓国ラーメンはすべてクリアしているのである。
韓国ラーメンは、日本のインスタントラーメンよりも麺の量が多く、煮込むことにより麺のモチモチ感を維持。液体スープは添付してある場合が多い。
添付していない場合も煮込む前提なので、適当に冷蔵庫にあるものを入れて煮込めばコクも出る。うちではソーセージを冷凍しているのでソーセージと玉子を入れるだけで、かなりの満足感が出る。
一方、日本のインスタントラーメンは量も少なく、麺とスープを別で作る必要があって手間がかかる上に具材まで分けて用意するとなれば、わざと不味くして食べるように作っているのではないかと思うし、ライバルを研究せずにラーメンを作っているのではないかと感じてしまう。
そのあたりについて、どうお考えなのだろうか。
意見だけ書いても実際食べないとわからないので、韓国ラーメンで辛くなく自分が衝撃を受けたラーメンを以下に書いた。最近はKaldiやドンキで入手しやすくなったので、まだ食べたことがない人はぜひ入手して食べてほしい。