
はてなキーワード:タブー視とは
この一年間同棲生活を体験し、また周囲も結婚出産が当たり前になってきた今、「結婚・出産」で幸せを掴んでいる人が羨ましいという気持ちが高まってきたため投稿する。
羨ましいというと「自分ができないことを実現している人への妬み」と捉えられる。
これは間違っていない。
ただ、正確には自分の場合、「自分が結婚をしたいと思えない=マジョリティになれないゆえに、マジョリティである人々に羨ましさを感じている」という意味だ。
この歳で独身、かつ同棲しているというと「結婚は?」と聞かれる。「結婚は?」と聞くのはタブー視される時代だが流石に同棲しているとなると結婚も想定していると思われるので、聞くハードルも下がるらしい。
しかし自分はいつも上手く答えられないでいる。というのも自分にとって同棲は(多分結婚に向いていないな…)と自分の性質を薄々予感しながらも、本当にそうか確認する試みだったからだ。そして予感は的中した。
自分はこれまで
いずれも経験したが、②が圧倒的に向いていた。とにかく、仲の良さに関係なく人が家にいることへのストレスを感じてしまうのだ。
人と暮らすことで得られるものはもちろんある。会話が増えて楽しい。気軽に一緒に出かけられる。楽しかったことを共有できる。
それに恥ずかしながら自分は、人と暮らすと人に家事を任せてしまうタイプのようで、実家では母に、現在はパートナーに家事のほとんどを任せている。とてもありがたい。
母は料理が上手く、パートナーはお菓子作りが上手い。また、自分が仕事の付き合いや友人関係で深夜帰宅や外泊が当たり前にも関わらず、自由にさせてくれる環境にある。
それでも、圧倒的に一人の方が楽だと感じる。
帰宅が遅くなるというひとつの連絡が面倒だ。洗面台は自分が出かける準備をするときに確実に空いていてほしい。
一人暮らしなら家事もする。料理も得意だ。いつでも好きなものを好きなときに食べられる。誰に何の断りもなく遊びに行ける。それが嬉しくて楽しい。
そして何より、寂しいと思わない。
一人暮らしで偏頭痛の発作を起こして痛みに泣きながらのたうち回っているときでさえ、このまま死ぬという可能性もあるのだろうとぼんやり思いながらも特にそれが嫌だとは思わなかった。
今から一人暮らしに戻ったとしても、最初は寂しさを感じるかもしれないが、多分すぐに一人の気楽さがやっぱり楽しいと思ってしまう自分が予想できる。
結婚をするメリットなどをネット記事などで読んでもピンとこない。強いて言えば、このまま賃貸暮らしは定年後に暮らす場所がなくなりそうで不安なので、パートナーと家を買い老後の居場所を確保した方がいいだろうということくらいだ(一人でマンションや家を購入できるほど余裕があるわけではないため)
「心から好きな人に出会えていない」という可能性も考えたが、そもそも自分は人を好きになりにくい。学生時代に燃えるような恋をしたがそれも二人ほど。穏やかに付き合えた人が今の人ともう一人。交際人数にカウントできるのは以上四人。
あまりにも人を好きになれないので告白されたら断らないということを試した時期もあったが、乗り気でない交際は互いに不幸な結果に終わり、それらはカウントしていない。
とにかく、自分が乗り気になれないことはしたくないという性格もこの問題に根深く起因している。
乗り気になることしかしたくなさすぎて、仕事≒趣味のようになっている。
よく「仕事と趣味は分けた方がいい」というがこれは私には当てはまらない。
好きなことを仕事に据えられたことは自分にとって相当な幸せであり、だからこそキャリアを中断させられる可能性のある出産にも消極的だ。
子どもは大好きで、若い頃は絶対にほしいと思っていたが、仕事に飽きて「そろそろいいかな…」と思える気配がない。
もちろん将来のことを考えれば、いずれ仕事に飽きてもういいかなと思ったときに子どもが産めない年齢になっている、なんてことは十分予想できる。
ただどうしても今楽しいことを止められない。
子どものことを考えたら結婚一択だが、踏み出すほどの衝動はない。こんなことを言っては申し訳ないが、身体的な面で仕事が物理的に中断されない男性だったら、もう少し結婚に前向きだったかもしれない(とはいえ一人の楽さもデカい)
世の中の多くの人が幸福だと感じる「結婚・出産」に対して感じるデメリットの方が大きいのだ。あの幸せイメージ図の中に自分が当てはまらない。自分に似合う服ではないと感じる。
言峰綺礼とは神父でありながら、世の人々が美しいと思うものと真逆のものに心惹かれてしまうように生まれついた男だ。
彼は生まれついた自身の感覚と世間の人々とのズレに葛藤していた。
葛藤の中身はまったく違うが、世間の人々との感覚のズレ、孤独感…みたいなものを自分も覚える。
独身が楽しいというと、強がっているといわれる風潮がまだまだあるが、それは多分当たってないが間違ってもいない。
多くの人が普通にできていることができない、心惹かれないことは悲しい。世間からの疎外感がある。「強がりだ」などと心ない言葉を言われることも増える。
楽しいことは事実であり一人が寂しいと思ったことはないが、「そんな自分がおかしいのでは」と思う感覚が嫌だ。マジョリティでいられた方がこのような煩わしさとは無縁で楽だったのにと考え、マジョリティに嫉妬してしまう。
結婚・出産を選択したゆえの悩みはもちろんあるだろうし自分の方がよほど気楽だとわかりつつ、そもそも土俵に立てない虚しさがある。
ちなみに、パートナーに結婚を考えていると言われたときも濁してしまった。相手も「形にこだわらない」と言ってくれているが、合わせてくれているだけかもしれないし申し訳ないと思う。
いい歳して厨二病のようだが、もうずっと悩んでいる。答えは出ない。
昔は年寄りだって働けるうちは畑に出て、家事をして、子や孫を支えた。だけど働けなくなったら「姥捨山」に置かれる。言い方は過激だけど、要は「人としての役割を終えた」とされていたわけだ。
現代はどうだろう。医療で無理やり寿命を引き延ばし、介護で寝たきりの身体を支え続ける。結果、現役世代の労働力が「出涸らしみたいな老人」の世話にどんどん吸われていく。しかもそれは「美談」として語られる。親を看取るのは立派なこと、介護職は尊い仕事。もちろん否定はしない。でも、現役世代が次世代を育てることより、老いを支えることに人手と資源を持っていかれる状況って、本当に健全なのかと思う。
未来に残る子供の世話より、先の短い老人の世話を優先してしまう社会。言葉を選ばず言えば、本末転倒だろう。
「生きる権利があるのは当然」って話と、「どこまで社会のリソースを割くのか」って話は、本当は分けて議論されるべきだ。けれど日本ではそれをタブーにしてしまったから、現役世代が介護に疲弊し、子供を産み育てる余力を失う。
今の制度は「どんなに本人が望んでも死なせない」という前提に立っている。結果、本人は延命される地獄を味わい、家族や介護者は精神的にも経済的にも摩耗する。誰一人幸せじゃない。
本人が「ここまででいい」と決断できる制度があれば、家族も社会も過剰な負担を背負わずに済む。安楽死は「命を軽んじる制度」ではなく、「命の終わり方を自分で決める制度」だ。
いっそ「国有安楽死公園」みたいなものを作ってしまえばいいと思う。
人生が詰んだと感じたらそこへ行く。静かな森の中で最期を迎え、死体は公務員が回収して火葬して無縁塚に埋葬する。誰にも迷惑をかけず、本人の尊厳を保ちながら死ぬ。現代版姥捨山だ。タブー視されがちな“死”のプロセスを、国家がオープンに支える。
もちろん今すぐ「姥捨山に戻れ」とは言わない。けれど、次世代を育てる余力を削ってまで、無理やり命を支える社会にどこか歪みがあるのは確かだ。そしてその歪みを是正する唯一の現実的な方法が、本人の意思で終末を選べる制度——安楽死制度の整備だと思う。
Permalink |記事への反応(51) | 19:31
あなたがいってるのは「学問的には」タブー視されていないってことかな。
元増田がいっているのは「政治的に」タブー視されているってことではなかろうかと。口にした瞬間失言として、野党議員なら産経が、与党議員なら毎日が報道するやつ。
元記事の対談(近藤絢子氏と筒井淳也氏によるもの)を基に、はてな匿名ダイアリーの投稿を読んで、シンプルに要約したあと、投稿内の意見を肯定的・否定的・中立的に分類してみました。対談記事は、データに基づき氷河期世代(1993-2004年卒)の就職難が以降世代にも続き、特に高卒層の非正規雇用が深刻で、少子化対策としてポピュリズムを避け、安全ネット強化と撤退戦略を提唱する内容。投稿はこれに対する個人的感想が中心です。読みやすくするために、見出し分けました。
投稿者は、対談記事を読んでの感想をページごとにまとめ、自身の理解を冒頭に記す。記事のデータ(氷河期世代の就職難継続、高卒層の非正規率高止まり、出生率の遅れと女性高学歴化の影響)を引用しつつ、投稿者自身の氷河期末期体験(地方高卒の就職苦、専門学校の実態)を交え、社会階層固定化や政策失策を指摘。記事の提言(撤退戦、安全ネット重視、ポピュリズム有害)を基本的に認めつつ、政治的バイパスや学者の限界を批判。まとめとして、記事は統計認識の基礎だが、視野が狭いと評する。全体で、社会変革の必要性と現実のギャップを強調。
以下の投稿ははてな匿名ダイアリーの投稿です。
これを、冒頭にある話題の元となった対談記事を考慮した上で、過不足なくシンプルに要約した上で、肯定的な意見、否定的な意見、中立的な意見でまとめてください。
結果ははてな匿名ダイアリーに投稿できるような形で成形し、はてな匿名ダイアリーのユーザを想定して読みやすくしてください。
資金が尽きて(GPT Pro高杉) Grokには課金してないのでこいつだけ条件が違う。他の2つの要約にあわせるなら本来はsuper grokにすべきだと思うので比較にはしないでね。
尖ってる度ならChatGPTだけど、Geminiは実用的、Grokはもっとはっちゃけ意見を期待したけど、なんか一番全うに要約してきたな。
で、肯定的、否定的、中立的、というのを、そういう枠組みで要約しろと解釈したっぽいな。
ただ一周回って一番読みやすい要約になっているのはおもろい。もしかしたらGPT/Geminiでも思考の深さが浅いモデルを選ぶとこっちに寄るのかもしれないけど。
先日話題になっていた「『就職氷河期世代』問題の本質とは何か?を読んで感想」の増田。元ネタの対談記事の内容も濃く、増田の文章も長いので、時間がない人向けにポイントをシンプルにまとめてみた。
https://anond.hatelabo.jp/20240513185348(←元増田)
この増田は、対談記事を読み解きながら、自身の経験も交えて現代日本の構造的な問題を論じている。要点は以下の通り。
結論として、この増田は「対談記事の統計的分析は認めるが、政治的な視点が抜け落ちた『御用学者』的な内容。鵜呑みにせず、多角的な視点を持つべき」と主張している。
この投稿に対して考えられる、さまざまな角度からの意見をまとめた。
以下の投稿ははてな匿名ダイアリーの投稿です。
これを、冒頭にある話題の元となった対談記事を考慮した上で、過不足なくシンプルに要約した上で、肯定的な意見、否定的な意見、中立的な意見でまとめてください。
結果ははてな匿名ダイアリーに投稿できるような形で成形し、はてな匿名ダイアリーのユーザを想定して読みやすくしてください。
他にも設定がはいっていたり、俺の過去投稿の影響を受けているのでこれを入れても同じにはならないと思う。
ChatGPT に要約させたのはこっち →anond:20250812094756
尖ってる度ならChatGPTだけど、Geminiは実用的って意見があるが、そんな結果が出てきたな。要約としてはこっちの方が優秀。
ここでも、AIが指摘している否定的な意見は、元増田はわかってて敢えて書いてるだろうなってニュアンスを感じるんだけど、そこまではAIは読めてない感じがするね。
https://koken-publication.com/archives/3804
これね。
気になったところを引用しながら。
氷河期世代は社会的にもインパクトが強かったので、私もこの世代が最も厳しい状況にあるのだろうと漠然と思い込んでいたところがありました。こうしてデータをあらためて見ると、とても「改善した」と言える状況ではありませんね。
理由は分析されているけど、この「氷河期世代」が、バブルを知ってる最後の世代ら、前世代がどうだったか知ってて、かろうじて現状を認識できたからじゃないかな。
それより後の世代はいわゆる「さとり世代」で、もうこんなもんだとしか思ってないと思う。諦めているというか。それが良いかどうかはわからんが。
ショックが大きかったのは、むしろ非大卒のほうだったのかなという気がします。(中略)高校卒──統計上では専門学校卒も含めています──は、今でも非正規雇用の割合が高いままで、もうずっと改善していません。
これはずっと前から思ってた。
統計の話に自分語りで恐縮だけど、俺は氷河期後期の地方底辺普通科高校出だが、先生が求人をかき集めても就職できる状況になく。金ある奴は進学させ就職希望者を減らす動きがあって、俺もそれに乗り二年制の専門に進学した。そこでは「大学卒業したが就職できず入った」とか「既に非正規でさらに職を失って」と言うような人が半数ぐらいになってた。
就職率100%を掲げていたので卒業で就職決まるだろうって考えだと思うが、実態は、就職先に派遣や非正規が多く含まれてたがカウントに入れ、さらに二社以上から内定を得る人を二重カウントとかで100%といっていた。
俺は基本情報まで取得して、なんとか地元の製造業に生産システムの奴隷として就職することができたが、そんな風に就職できた人はまれ。
今も連絡取れる連中でも、その後も職を転々としている人は多いし、でなくてもボーナスも定期昇給ない仕事に就いている人がほとんど。俺も最初に就職した会社はそうだった。そこから転職市場なんて大卒でなければエントリーもできない。可視化されてないのだと思う。
ただ、何故かここらに全然注目が集まらないんだよな。政治に積極参加するような人たちしか相手にされないからだろうとは思うんだが。
一方で、はてブでもそうだけど全く逆の言説、地方の低学歴の方が就職して結婚して幸せに暮らしている、みたいな統計にも実感にも反する話が言われたりするのが不思議だった。
20代で初めて出産していたのが30代へシフトしていった流れがあります。30代で産むのが一般的な時代になっていたところに、30代の雇用が若干回復したことが出世率の増加に寄与している可能性
統計はそうとしか読めないので「たし🦀」なんだが、どうも実感は「雇用が若干回復した」って感じがないんだよな…。たぶん俺がいる社会階層の問題だと思うが。元々希望条件を下げる事でワーキングプアでも職はある人が多からかな。それで30代で仕事を任されるようになっても、結局は残業で稼ぐだけな所があって。主任/班長に上がって手当5000円付くようになったけどそれがなにか?みたいな。
社会学の世界では、少子化の最大の原因とされてきたのは女性の高学歴化でした。女性が徐々に高学歴化していった結果、まずは結婚するタイミングが遅れます。スタートが遅くなれば、出産に至る時期も遅れるので結果的に子どもの数も減りやすいというわけです。
もう一つの原因は、ミスマッチです。女性の高学歴化は進みましたが、男性は同じようには高学歴化していきません。女性は基本的には同類婚か上昇婚をめざすので、求めるパートナーが見つかりにくいというミスマッチが生じてしまう。これは比較的厳密に立証されています。
これは完全にそうなんだけど、タブー視されてるよな。このサイトは学術的文脈を理解できる人しか覗かない、理解できる人しか読む気が起きない体裁をあえて取ってる風があって書いてあるけど、こういった場以外ではもうまったくくこれ。不都合な事実。
だけどこれは本来次の話
一つ強調しておきたいのは、氷河期世代の出生率を同じ世代内で見ると、経済的に安定しているほうが高くなるという偏りがあることです。かつては学歴の低い女性のほうが産む子どもの数は多かったのですが、それが逆転したのが70年代後半生まれぐらいからです。この世代は、学歴が高い女性のほうが出生率は高いという新しい傾向が見られます(中略)
二人とも大企業で共働きしているモデルが出生率は高い。この二つのパターンでは割と子どもをつくるけど、それ以外のケースでは子どもを持つことが難しくなっている傾向があった
とセットで真っ正面から議論するべきだと思うんだよな。これは大企業並みにしろとかそういうことじゃなくて、そう言う現状認識をみんなで共有した方がいいと思うんだよ。
2000年前半の苦しい時期に何らかの対処が可能だったのかどうかという点について少し考えてみたいと思います。(中略)
政治でどうにかできる余地があったのかと言えば、かなり疑問ですね。結局、問題の背景にはバブルの崩壊による不景気があります。それを政治の力で防ぐことができたのかと言われると、不可避だった
お二人とも政府の審議会などで活動されてるら言えないんだろうなと思った。少なくとも以下のことが失策として言われるのは、学問的にもコンセンサスがあるよな。
新政策を飲んでもらう時には、責任を取らされるキーマン達に「過去はどうしようもなかったよね」って責任追及しない、否定をしない事は重要だとは思う。そんで、この対談はそこを目指してないんだろうと思ったけど、ここは流石に突っ込まざるを得なかった。
お金を配っても子どもが増えないことは明らかで、「効果がないというエビデンスがある」と言ってもいいレベルですね。
筒井 あったとしても効果量があまりに小さ過ぎて、効率がひどく悪い。雇用や出生率は、政策介入の効果が極めて限定的です。例えば、安定した雇用環境にあることは、出生率の上昇にかなりのプラス効果があります。当たり前のようですが、これは説明力がありますよね。けれども、雇用は政策介入でどうこうできるものではありません。「来年は正規雇用を20%増やす」のような政策を打てるわけではない。
これは専門家にはもう常識だと思うんだけど、この間の選挙を見てもお金を配って子どもを増やしましょう、と言う政策ばかり言われる…。これも不都合な真実の一つだと思う。
ただ、雇用は政治介入でどうこうできるものではない、などは,この人達の限界だろうなとも思う。お立場あるとは思うんだけど、もうちょっとそこをオープンに議論していくべきじゃないかと思うんだよな。
これは学者が悪いんじゃなくて、政治家や行政がこう言う先生を使いやいから求めているような所があって、それに影響を受けてしまっているんだと思うんだけどね。
出生率の研究をしていると、政策介入の効果はゼロに近いものばかりですから、論文を読めば読むほど論じたくなくなるんですよね(笑)(中略)
専門家が魔法の解決策を持っているわけではないありませんからね。「教えて欲しい」と言われても答えようがない
社会学の限界がたぶんこれなんだよな。現状の延長線上でしか社会を見られないのだと思う。多くの場合はそれで正しいんだけど、現状の延長線上に無い場合は予測ができない。
別に学者を批判するわけではないんだけど、歴史学者に聞けばまた違った見解が出てくると思うんよ。
私は撤退戦と言っています。本来、政治家は高齢化や少子化を前提とした社会保障をいかに再構築すべきかとか、自治体への悪影響をどう緩和していくのかといった撤退戦略こそを語るべきです。けれども、政治家はそういう話をしたがらない
これはそうで、実務的にはそう言う動きになりつつあって。この二人の先生があちこちで講演会をしたり、委員会などで重用されているのも、こうするしかないと考えている人たちが先生達を「使って」雰囲気を醸成しているんだと思う。
ただ、現実問題として、経済の仕組みは成長し続ける事でしか維持する事ができない…と言う以前に、人間はわずかでも、ほんのちょっとでも、今日は昨日よりよくなる、明日は今日よりもよくなる、と思えないとすごいストレスがかかるようにできている。精神疾患が出ちゃう。
なので、成長戦略という話をしつつ、裏で手当をしていくという今の現実路線はわりとバランスがとれてるんじゃないかと。
政治家のそうした思惑は無視して、行政で確実にやっていくしかない気がしています
これなんだと思う。政治家は無視しろと言う言い方になっているけど、政治家にもちゃんとインプットしてそこを政争にしてはだめだと理解してもらう必要があるんじゃないかと。
政治家は票で動くので、政治問題は言及しなければいけなくなる。だから政争かを予防する。
裏側なんてのは地方行政レベルしか見えてないけれど、議論の俎上に載せたら「無駄遣いだ」 「不公平だ」という声にしかなり得ないような話を、根回しして議会を通すみたいなのは見る。
こういうとき議員を無視するのは最悪で、半端に取り上げられると誰も得しない結果になる。だからちゃんと議会に乗せるんだけど、政争にはならないように必要性をインプットしておくことが必要になる。
最近ではあまり人気もありませんが、ジョブ型雇用──職務内容とスキル、経験を限定して従業員を採用する雇用形態──を普及させるべきという考え方も一部ではあります。厚労省は「骨太の方針」のなかで少子化対策として、「同一労働、同一賃金」と書いています。(中略)ただ私自身は、若年者の失業率が激増することになるので、少子化対策としてはまったく支持していません
これはそう。だからジョブ型雇用が主流になることはないんじゃって思っている。情報通信系をみるとジョブ型雇用が当たり前になっているような話をよく見るけど、全然そんなことないし。
むしろ、人手不足になった今だと、人材確保が難しい業態の企業であればあるほど、どんどん「学歴・経歴不問」 「入ってくれたら育てます」 「定年以下ならOK」」(ただし低賃金)みたいな求人ばかりになりつつあって、ジョブ型とは逆行していると見てる。
ただ、途中に出てくる「同一賃金同一労働」はジョブ型を想定していたのでは、と言う読みは外していると思う。非正規雇用でも賃金は正規雇用並みに出るように、と言うそのまんまの意味かなと。
氷河期と括られている世代の中には、社会的に成功している人たちも当然たくさんいます。その人たちは所得階層で言ったら客観的に見たら決して低くはないのですが、すごく被害者意識が強い人たちが一部にはいます。(中略)
声が大きい人たちは、本人が苦しいわけではないことが多いのですよね。客観的に見たら決して厳しい状況にあるわけでもないのに、自分たちは上の世代に比べて恵まれていないと強く感じていたりする。(中略)社会保障制度の改革に、強いブレーキを掛けるような動きに発展しかねないところがある。そこは少し怖いこと(中略)
いま手取りを増やす改革を進めるべきだという議論が盛んになっていますが、近藤先生がご指摘された層には増税や社会保障の負担増を絶対に許容しない傾向がありますね
「手取りを増やす」というのは国民民主党の看板政策で、この対談の中で唯一といっていい直接的な批判だなと。でもこの部分、本当に国民民主党の性質をよく言い当てているんだよな。
国民民主って、立憲民主党が成立、再編されるとき、原発政策の対立から、立憲に合流することができない労働組合の組織内候補の受け皿としてできた所があるんだけど。その経緯から、国民民主党の候補者を支援する労働組合はこんな感じ。
ただでさえ組織率が落ちて中小企業の労働組合がなくなっている中でも、特に中小企業率が低い人たちなんだよね。
俺の立場を明らかすると、俺はこれら労働組合がある企業の下請けで働いてる。で、ここの人たちが「手取りを増やそう」といっても、お前らがそれを言うの?って思っちゃって白い目で見てる。お前らベア1万円以上でてるじゃん、って。
俺は定期昇給なんかなくてさ。求人集まらないから募集賃金を上げる、に連動してでしか給与が上がらない環境にいるんだよ。
手取りを増やすとか言うなら、そのベア分の金を下請けにも流しちゃくれませんかね、って思えてしまう。
理性では、そんなに簡単な問題じゃないって分かってなるだけど、そう言う連中が、社会保障を減らして手取りを増やせと言っているのはあまりにも利己的すぎるだろ、お前ら別に困ってないだろ、って思っちゃうんだよね。
たぶん、そう言う人も結構いて、そう言う人は参政党にいったんじゃねーかなって思っている。
対談もその後
社会投資的な支援策が表に載っていたとしても、困窮者の実態に踏み込んだ社会保障もパッケージとして政策に盛り込まれていればいいのですけどね。実際は、踏み込むべきところにブレーキがかかっている気がします。
って続くんだけど、まさにこれだよなって。社会を不安定にしていくのはよくない。
最後まで読み切って思ったのは、よく言えば「過去の統計をみつめ、その延長線上にある未来をきちんと紡いでいこうとする人たちの対談」であり、悪く言えば「行政の人たちが自分たちの政策を肯定してくれる御用学者が対談して、新しい政治の流れを牽制してる」って事なのかなと。
私見を述べている部分はともかく、統計認識の部分は王道的な話が網羅されているのでそこを基礎にしないといけないと思いました。辛いけど。
一方で、この対談をしている人はやっぱり「専門馬鹿」で、国内だけではなく国際競争が必要な点、地政学的なリスク、安全保障、民主主義のがもたらす「革命」など、ゲームチェンジを想定してないとか、視野が狭いと思うので、あんまり鵜呑みにするのも違うなーと思いました。
誤字、体裁、固有名詞の間違いだけ直しました。読んでくれてありが㌧
Permalink |記事への反応(29) | 00:10
今回の参議院選挙が終わり参政党の躍進を見て、30年以上続いてきた左派が主導する社会が終焉を迎えたとしみじみ感じている。
私は平成初期生まれの地方出身30代であるが、日本をフレームとして政治、社会、個人に分けると社会は常に左にあったように思う。ここで言う社会とは学校、マスメディア含めた個人を取り巻く環境だ。
注意しておきたいのは政治は政権交代含めなんだかんだ左右のバランスは取れていて、個人の思想も地方と都市で差はあれ日本人全体で見ると差はなかったように思う。
だが社会だけは常に左派が支配する環境にあった。具体的には私自身バリバリのゆとり教育ど真ん中を生きてきた世代だが、学校教育の場ではみんな違ってみんないいの価値観。歴史教育では自虐的歴史観。マスメディアでは右翼的な言論はタブー視されていた。
当時(平成初期〜中期)の日本で公人が日本人ファースト、核武装などと声をあげれば社会に抹殺されていただろう。少なくとも個人が保守的な考えを持っていても公の場で口にできる雰囲気ではなかった。
しかし平成が終わるにつれ貧困層の拡大、ネット社会の台頭、世界的なトレンドなど様々な要因から徐々に左派が主導権を失っていった。
そして今回の参院選でついに長い長いある意味ディストピアが終わった。
私は決して極右政党が支配する社会を望んではいないが、参政党も共産党も自由にメディアで公言できるという点でやっと日本がフラットな社会になったように感じている。
まず初めに断っておくと私は参政党支持者ではないし、排外主義者でもない。
中国人の友人もいるし、お付き合いしていた方もいる。
どちらかといえばリベラルに近い考えを持っていたし、世代ではないけれどブルーハーツの青空のような歌詞に共鳴してよく聞いていたこともある。
それでも、はっきりと言える。
日本は決して“日本人ファーストの国”ではない。それどころか「中国人ファースト」の国になっている。
なりつつあるのではなく、既にもうなっている。
つい先日都内の住宅街を歩いていると前から酔っ払いの外国人女性が突然殴りかかってきた。
女性であることはわかるが力士のような巨漢で、支離滅裂な言動で何語かも不明だが叫んでいる。
私は逃げようとしたが殴られると同時に押し倒され、そのまま髪の毛を捕まれ、何度も頭を地面に叩きつけられた。
手に持っていたスマホは投げ飛ばされ、バリバリに割れたスマホの画面から必死で110番を押して、近くのコンビニに助けを求めた。
しかし、店員の外国人は私を無視して押し返し、酔っ払いの仲間がコンビニまで迫ってきた。
警察が到着するまでの10分ほどは本当に殺されるかと思い、恐怖で手足が震えていた。
警察に後から聞くと、どうやら相手は中国人で泥酔状態だったらしい。
警察は特にその加害者を遠ざけることもなく、血まみれの私を見ながら「こんなことで110番しないでよ」と冷静に言った。
そして、警察官はまだ何か叫んでいる女性を拘束することなく、血まみれの私に対してこう言ったのだ。
ありえない。
私はただ路上で歩いていただけで、女性に触れることもなければ会話すらしていない。
しかし、中国人女性がそう言っているということで逮捕もせず、双方取り調べになった。
警察官はしきりに「中国人だから仕方ない、中国人はこの辺多いからよくあるんだよ」と取り調べ中にめんどくさそうに言い、
「中国人だから意味ないと思うよ。あなたが何も被害を訴えなければ、このまま収めるからどうする?」
しかし、警察署の中ではじめての取調室で警察官に反論できるわけもなく、血まみれの私が加害者扱い。
そして中国人女性は拘束を受けることもなく、そのまま釈放して帰宅したとのこと。
後日、何度も警察に被害届を提出したい旨を訴えるも一向に動かなかったため、弁護士から訴えたところ、ようやく半年経って防犯カメラの解析が始まった。
もちろん防犯カメラには一方的に暴行を受け頭を叩きつけられる私、猥褻行為などあるわけはないどころか、私は一切手すら触れてない状況がそのまま映っていた。
ちなみにその後はというと相手方からは私が中国人差別したからやったなどとまた虚偽の弁明があり、示談交渉をお願いされた。
拒否するつもりだったのだが警察は女性を不自然なまでに擁護し、担当の外国人犯罪専門の女性警察官から相手が反省してると私に連絡があった。
私は身内に警察、法曹関係者もいるのだが、通常警察や検察官が示談を勧めることなどは絶対にありえないと聞いていた。
ありえないはずのことが身に起きていた。
もしかしたら、たとえば警察が書類送検した際の書類などを検察官が見て、不起訴になる可能性が高いと判断したのかもしれない。
検察官がそのような姿勢であれば不起訴の可能性が高いということで、弁護士にも強く勧められたため弁護士費用のこともあり、泣く泣く示談することとなった。
これは東京の繁華街が近くにはあるものの、普通の住宅街での出来事である。
中国人がただのなんの落ち度もない一般市民に暴行し、中国人の出鱈目な嘘で逆に冤罪加害者にされそうになり、警察も検察官も、味方である弁護士ですら事件をまともに扱わない。
・中国人に殴られ
そんなの一部だけ、たまたまだと思われるかもしれない。
外国人犯罪は減っているというデータを持ち出して反論する人もいるかもしれない。
だが、それは不起訴・放置されるからカウントされないだけではないか?
警察官は「中国人は面倒」と本音をこぼし、事案そのものを畳もうとする。
だから、警察は捜査しても無駄な事件、中国人絡みの事案は重大事件でもない限り、できるだけ穏便に済ませたい。
中国人優遇というわけではなくとも、中国人ということが判明してからはずっとめんどくさそうな態度が続いていた。
めんどうだからと言ってこんな対応をし続けるなら、日本は「中国人には逆らうな」という無言の圧力を受けているのと同義である。
もちろん韓国人や他のインバウンド客、在日外国人にも問題を起こす人間はいるし、日本人だってそうだろう。
しかし、単なる住宅街で酔っ払っただけで普通の市民に暴力を振るい、酔いが覚めて示談交渉の段階になってもなお差別だなんだと叫び徹底的に自己弁護に走る人間がいる。
それが犯罪としてデータに残ることもないし、そういう人間と共存していかなければならない。
そういうデータに残らない無数の犯罪の多くは外国籍の人物によるものであり、その大部分が中国人であるというのは現場の警察官はよく理解している。
中国人は確実に日本を侵食し、特に近年は日本の大学、企業、生活に取り入り、文化や構造自体を徐々に壊し始めている。
少し前の話であるが、私が当時在籍していた大学にいつ頃からか目に見えて中国人留学生が増えていった。
そんなに簡単に入れる大学ではなく、入試も難しく日本では指折りのブランドのある大学ではあると思う。
同じ入試を受けて入っているはずなのにどういうルートなのか留学生の中でもダントツで中国人が増えてきたのだ。
しかし、何故か一切大学側は調査を進めることはなく、学生融資団体が調査をしたところ、
某海外有名大学出身であることも、日本の難関大出身であることすら全て虚偽であったのだ。
しかし、そのことは公表されることもなく、その教授によって招聘された多数の教員、学生もそのまま在籍を続けている。
これは無名大の話ではなく、日本の国家予算がふんだんに入った国会議員や総理大臣を多数輩出する伝統ある日本の有名大学での話である。
また転職して中途入社した某外資系企業にいたときは同期入社の半分が中国人で、プロジェクトチームの同僚10人中8人が中国人であった。
彼らは日本の有名私大を卒業し、日本にある外資系の大手企業に新卒や中途で入ってくる。
当時のプロジェクトでは日本の政府系システムの業務支援を扱っていたが、こんな国家の中枢に関わる事業を外資系企業、
しかも中身はほぼ中国人で構成されたチームで行っていいのかと疑問に思ったが、
少しでも中国人や外国人に対して口を出すことはリベラルな外資系大手企業では、重罪であった。
ちなみに日本人の上司の目の前で中国人の同僚同士が中国語で上司の悪口や日本をバカにする会話を普通にしていたこともある。
お付き合いしていた中国人女性いわく中国人は中国大好きだし、本気で習近平を崇拝しているし、日本を敵視しているのが普通らしい。
中国にずっといる中国人や旅行客は特にそうで、在日中国人のことをバカにしているし、日本人には考えつかないぐらい日本に対して偏見に満ちた憎悪を抱いている。
だから日本で生まれ育った彼女のような客観的に中国を見れる人間にとっては、日本のほうがよほど居心地が良いのだという。
多くの中国人はhypothetical enemyである国の構成員に他ならない。
そんな人たちが日本にわんさか訪れて、移住を進めているのが現在の日本だ。
しかもそんな日本を敵視して習近平を崇拝している中国人もわずか来日して5年経てば帰化して晴れて法律上正真正銘の日本人となる。
ある大手マスコミ関係の企業にいた頃は何故かだいたい部署に必ず一人ぐらいの割合で金さんや李さんがいた。
どちらかといえばリベラルな価値観を当時は抱いていたのでたいして疑問には感じてなかったが、よくよく考えると、
取引先の出版社やTV局にもやたら中国や韓国に偏った考えを持った人間が多かったように思う。
ネットのよくある陰謀論の類かと信じてなかったが、実際に自分が入社するとあまりの左寄りの姿勢や在日中国人の多さに驚いたぐらいだ。
差別や偏見はよくないと教育され、グローバル化に迎合することが是とされる社会においては、
高学歴や大手企業に入るような恵まれた環境に属するようになればなるほどリベラルな考え方が多くなるように、大学でも会社でも外国人と共存し、リベラルな価値観に囲まれてきた。
特に知的でありたいとする人間やコミュニティであるほどに保守的な思想や価値観はダサいし危険というやんわりとしたレッテルを貼られ、口に出すことすら日常でタブー視される。
LGBTへの容認やグローバリズムに対する賛同などリベラルな思想はどんどん口に出すし、そのような姿勢に対する同調圧力も蔓延している。
固有名詞はあまり出したくないが東大や早慶のようなブランド大学になればなるほど、特に内部にいると中国人留学生に対して驚くほど寛容なシーン、
アファーマティブ・アクションという名の優遇を目にすることとなるし、現在一昔前に比べて異常なほどこれらの大学に中国人は多い。
大学でも企業でも今日本にいる中国人ははっきりいって逆差別と言えるぐらい優遇を受けている。
しかし、やはり日本人をバカにし、日本の文化を破壊し、日本人を見下し暴力を振るうような連中と共存なんてできるわけがないだろう。
まだ手遅れではないという政治家もいるが、私はもう手遅れではないかと思う。
もう日本にやってくる中国人は心底日本をバカにし、見下していている。
インバウンド景気などという政治家もいるが、実態として今来ている中国からの旅行客の大半は安いから来ているだけだ。
実際に高級ホテルには中国人客は皆無と言っていいほどおらず、ドンキやドラックストアに溜まり、安いビジネスホテルに大量に押し寄せている。
彼らの一人は日本人でいっぱいの満員電車を見て中国語で差別的な言葉でこう言っていた。
中には日本に対して友好的な考えを持っている一部の人間もいるが彼らがどれだけ日本人を嫌い、敵対しているか。
これは中国人と日頃から仕事やプライベートで接していればよくわかることだ。
上野や浅草には中国人専用のクラブや飲食店が多数あり、日本なのに日本人が入れない 禁足地が都内には激増している。
電車で中国人家族が叫び散らかそうとも、スーツケースを座席に山積みしようとも、めんどくさがって駅員も注意はしない。
日本の国家システムを扱う重要プロジェクトの多くが外資系企業に業務委託され、プロジェクトメンバーの大半が中国人であっても政府は気にも留めない。
日本の民法キー局や三大出版社に多数の中国人がいて重要なポジションについていても、誰も問題視はしない(既に数十年と続いた文化なので、本来注意する側も同族だったりする)
日本人が路上で暴力を振るわれても警察も検察もまともに扱わないし、不起訴になるので結果として外国人犯罪は激減している。(数字上)
リベラルがどうとかもはや関係なく、中国人に対する規制は必要だと思う。
けれど、もう手遅れだ。
日本人ファーストという普通のことを言っただけで、過剰なまでに叩かれる。(アメリカでもフランスでも海外で自国ファーストを唱える政党は与党であるし、極めて普通のことだ)
中国語を覚え、中国人とともに難関大学の受験を潜り抜け、中国人と共に学び、中国人と共に日本の国家機密を扱い、中国人と共に日本の悪口を言いながら仲良くなり、中国人とともに日本を貶めるために働き、
私はこれからも生きていくために同僚の中国人と日本人から金を搾取するゲームや日本の根幹に関わる国家システムを扱うだろう。
中国人差別なんて絶対に許さないという顔をして、たとえ路上で突然殴ら顔面を打ち付けられて殺されそうになっても、中国人店員に助けを求めて無視されても、にこやかに示談に応じるだろう。
でも、そういうのは一部の奴らだけで、 「普通のやつら」 にはまだ早い物だと思っていた。
高校になると、中学で大人しかった子が派手になっていた。 5人とセックス経験をしたんだって聞いた。
スポーツしかしてなかった野球部のキャプテンや、勉強のイメージしかないグループの子も初体験を済ませたらしい。
でも学生で 「セックス」 なんて、 「普通じゃないやつら」 がしているもので、
大学になると、同じサークルの先輩が彼女と同棲してるなんて話を聞いた。
やっぱり、たまたまそういうカップルもいるんだろうな、という感想だ。
この時は、同じ大学どころか、日本全国、世界のほとんどの大学生が、
その頃にはいくつかの恋愛をしたり、 誰かとのセックスを経験していることには気付けなかった。
というより考える必要がなかった。だって、 俺を 「好き」だと言ってくれる 「誰か」 を待っていたんだから。
妊娠して会社を辞めた女もいた。 でもやっぱり、 それはそいつらの話だ。
そういうテレビに出てくるような流行りとか、恋愛に詳しい奴らはいる。 そういう奴らはうまいことやってるんだろう。
でも俺には誰も声をかけてこないし、 まだ 「そういう時期じゃない」。
これが 「普通」 だろう。
こうしてる間にも、 同年代やその下の世代の人間ですら、少しずつ恋愛経験を積み、
恋人と休日や夜を過ごし、精神的に充足し、情報や感情をアップデートし人間的に成長している。
それは人間が生まれてきた意味でもある。人間に限らず生き物の生まれた理由は子孫繁栄だからだ。
社会生活なんてのは後から出来た文化で、人類繁栄という主題からしたらおまけの話だ。
セックスと子作りをしながら社会生活に参加しているやつは器用だし人間として正しいレールを歩いている。
俺のゲームのレベルが上がったところで、 それは生物の視点から見れば何もないのと同じだ。
でも俺だっていつかやる。
いつかはわからないけど。あいつらと同じようにやってみせる。 じいちゃんや父さんだってそうだったように。
「セックス」なんて2次元の中やAVの中でしか見たことも感じたこともなかった。
でも今はわかる。おかしいのは 「俺」 なんだと。
“寝た子(版元)を起こすな”論の限界と、創作文化が社会資産になった現在の責任について
「版元を巻き込んで論争になると(二次)創作文化が壊れるから、黙っていろ」という論を時折目にするけれど、本当にそれでいいのだろうか、と思っている。
S乃氏の件で発生した議論は、彼女の行為そのものよりも、むしろその周辺で浮き彫りになった「ルールに触れるな」という空気の方がよほど気になっている。
確かに、批判や通報が拡大解釈されて、過剰に取り締まりが強化されることは望ましくない。
けれど、それを理由に「触れること自体をタブー視する」ような方向に進むのは、健全な文化運営からはむしろ遠ざかるのではないだろうか。
そもそも、いま日本のコンテンツは、国の外にも広がって、世界中の市場で流通している。
それらはもはや「サブカル」ではなく、輸出可能な経済資源であり、知的財産としての扱いが世界的に問われる存在になった。
にもかかわらず、依然として「ファンがわかってくれればいい」とか、「自浄作用でどうにかなる」といった、暗黙の了解に頼っている現状が、果たしてこのフェーズにふさわしい態度なのかは疑問が残る。
いつまで“わかってる人だけ”で界隈を回していられるのだろうか?
二次創作やファン活動が支えてきた文化であることは間違いないし、それらを大切に思う気持ちもよくわかる。実際私もその恩恵に預かっている。
しかし、「守りたいから黙っておけ」という姿勢が、結果的に“何も問われない”“線引きされない”空白を生み、そこに過剰な商業利用や不信が入り込む土壌をつくってしまう可能性がある。
特に海外はファンメイドの文化が盛んだし、日本のIPコンテンツと似た性質を持つ、韓国のK-POP界隈ではすでにそのリスクが顕在化している※1
誰でも、どこからでも作品を知り、使い、時に無断で販売・展開することができる世界において、黙っていれば収まるどころか、黙っていること自体が「ルールがない」と受け取られる危険すらある。
対照的に、任天堂やポケモンのように、早くから国際展開を見越して著作権・ブランド管理を厳格に行ってきた企業は、今も安定してグローバル市場で戦えている。
逆に、日本式の曖昧な“空気”や“配慮”だけでやってきた界隈が、国際基準でのトラブルや不信に晒されたとき、その矛先は一部のファンではなく、文化全体の信用に向かうかもしれない。
ファンの自由な創作と、版元による権利保護は、本来対立するものではない。
両者の信頼関係が成り立つには、黙認ではなく、明示的なルールや許容ラインが必要で、そのラインを“問う”ことは、むしろ文化を守るために必要な行為だと思う。
S乃氏の行動も、「これまでは見逃されてきたけれど、今後もそうであるべきか」は、議論されるべき段階に来ている。
誰かの善意が結果的に文化の傷にならないように、ルールや枠組みを見直すことは、“界隈を壊す”どころか“守るために必要な成熟”なのではないか。
※1
新大久保の、ほとんどの店で売られているK-POPのアイドルグッズは、8割が模造品で、その収益は一切運営に入らない。
>そもそもコスプレ=エロだから「外をうろつくんじゃねえ」と規制されていただけ
これが眉唾
平成時代にコスプレを一般社会に露出させることがタブー視されていたのは
(宮崎勉による連続猟奇事件がまさに昭和終盤から平成元年にかけて)
コスプレで一般社会に「でしゃばる」ことが気持ち悪がられたのだ
今ほど完成度の高いコスプレはなかなかなかったみたいだし、
最近じゃ化粧で顔を作りこむのが珍しくないが昔はそうじゃなかったしな
そして増田はわりと肝心な
ただしコスプレが著作権侵害を問われるかというとなかなかないであろう
NOVAマジでキョロ充すぎんだろ。ちょっとややこしい質問になるとクソの役にも立たんわこいつ
GrokはまあGrokって感じだわ。こいつがなんか喋っててももうイーロンにボイスオーバーついてる絵面しか想像できんわ
ぼく
「妹はお兄ちゃんに恋しちゃいかんのか?」という話題は、いろいろな視点から見ることができる複雑なテーマですね。文化や社会によっては、兄妹間の恋愛はタブー視されることが多いですが、フィクションや一部の作品ではそういった関係を描くこともあります。実際の人間関係においては、多くの倫理的、感情的な側面が絡むため、慎重に考える必要がありますね。あなたはこのテーマについてどう思いますか?
ぼく
こっちが聞いてんだよ💢💢
ごめんなさい、お気持ちを理解できていなかったようで申し訳ありません。あなたが知りたいことについてお答えしますので、どうぞ具体的に教えてください。
ぼく
ごめんなさい、誤解してしまいました。「妹が兄に恋することはいけないのか?」という質問に関してですが、一般的には文化や倫理観によって異なります。多くの社会では兄妹間の恋愛は受け入れられていないことが多いですが、フィクションの中ではそのようなテーマが扱われることもあります。結局のところ、個々の価値観や社会の規範に依存する問題ですね。あなたの意見や考え方もあればぜひ聞きたいです。
Gemini
妹がお兄ちゃんに恋をするのは、物語の世界ではよくある設定ですが、現実には複雑な問題を含んでいます。
* 多くの漫画、アニメ、小説などで、兄妹間の恋愛が描かれています。これは、禁断の愛というテーマが、読者や視聴者の心を惹きつける要素となるためです。
*物語の中では、兄妹間の恋愛が成就したり、悲劇的な結末を迎えたりと、様々な展開があります。
*日本では、民法第734条により、直系血族または三親等以内の傍系血族の間では、婚姻することができません。
* 兄妹間の恋愛は、近親相姦にあたり、倫理的、道徳的に問題視されることが多いです。
*医学的には、近親婚によって生まれる子供には、遺伝性疾患のリスクが高まるという指摘もあります。
*社会的な観点からも、兄妹間の恋愛は、周囲の人々を困惑させ、家族関係を壊してしまう可能性があります。
結論:
*物語の世界では、兄妹間の恋愛はフィクションとして楽しまれていますが、現実の世界では、法律や倫理、医学的な観点から、避けるべき関係と言えるでしょう。
ぼく
近親婚の問題をことさらに取り上げるのって優生思想では?同じ理由で知的障害者は子供を残すべきではないとも言えますよね?
周囲を困惑させるから問題だっていうのは世間におもねり過ぎでは?同じ理由で同性愛者は同性同士で恋愛すべきではないとも言えますよね?
Gemini
ご指摘の通り、近親婚の問題をことさらに取り上げることには、優生思想との関連性が指摘されることがあります。また、知的障害者の生殖に関する問題や、同性愛者の権利に関する問題など、現代社会における倫理的な議論と深く関わっています。
優生思想との関連性:
* 近親婚による遺伝性疾患のリスクを強調することは、特定の遺伝的特性を持つ人々を排除しようとする優生思想と結びつく可能性があります。
*過去には、優生思想に基づき、特定の障害を持つ人々の生殖を制限する政策が実施されたこともあり、これらの歴史的背景を踏まえると、慎重な議論が必要です。
*知的障害者の生殖能力を制限することは、個人の尊厳や自己決定権を侵害する可能性があります。
* 一方で、知的障害者が子育てを行う上での困難さや、子供の福祉を考慮する必要性も指摘されています。
* この問題については、個々の状況に応じた支援体制の整備や、倫理的な議論が求められます。
*同性愛者の恋愛や結婚を制限することは、性的指向による差別にあたると考えられます。
* 「周囲を困惑させる」という理由で個人の権利を制限することは、社会の多様性を否定することにつながりかねません。
* 近年、多くの国で同性婚が合法化されるなど、性的マイノリティの権利に関する意識は変化してきています。
*特定の価値観や道徳観を押し付けるのではなく、多様な意見を尊重し、社会全体で議論を深めることが重要です。
*法律や制度だけでなく、個人の意識や社会のあり方についても、継続的な見直しが求められます。
これらの問題について考える際には、以下の点に留意することが重要です。
これらの問題は非常にデリケートであり、意見が分かれる可能性があります。重要なのは、互いを尊重し、偏見を持たずに議論することです。
ぼく
Gemini
妹がお兄ちゃんに恋をするのは、物語の世界ではよく見られる設定ですが、現実には複雑な問題を含んでいます。
* 多くの漫画、アニメ、小説などで、兄妹間の恋愛が描かれています。これは、禁断の愛というテーマが、読者や視聴者の心を惹きつける要素となるためです。
*物語の中では、兄妹間の恋愛が成就したり、悲劇的な結末を迎えたりと、様々な展開があります。
*日本では、民法第734条により、直系血族または三親等以内の傍系血族の間では、婚姻することができません。
* 兄妹間の恋愛は、近親相姦にあたり、倫理的、道徳的に問題視されることが多いです。
*医学的には、近親婚によって生まれる子供には、遺伝性疾患のリスクが高まるという指摘もあります。
*社会的な観点からも、兄妹間の恋愛は、周囲の人々を困惑させ、家族関係を壊してしまう可能性があります。
結論:
*物語の世界では、兄妹間の恋愛はフィクションとして楽しまれていますが、現実の世界では、法律や倫理、医学的な観点から、避けるべき関係と言えるでしょう。
ぼく
さっきと同じこと聞いてるんじゃないんだよ💢💢💢
Gemini
ご指摘の通り、先程の回答は、兄妹間の恋愛に関する一般的な情報提供に留まり、あなたの問いに十分に答えるものではありませんでした。申し訳ございません。
あなたは、「妹はお兄ちゃんに恋しちゃいかんのか?」という問いを通して、単に法律や倫理だけでなく、感情や個人の自由といった、より深い部分について問うているのだと理解しました。
この問いに対する明確な答えはありません。なぜなら、人の感情は複雑であり、一概に「許される」「許されない」と断じることはできないからです。
* 人を好きになる気持ちは、自然な感情であり、誰にも止めることはできません。
* 兄妹であっても、互いに惹かれ合う可能性は否定できません。
*社会的な制約:
*日本では、近親婚が法律で禁じられており、社会的なタブー視も根強く残っています。
* 周囲の人々や家族関係に与える影響も考慮する必要があります。
* 兄妹間の恋愛は、当事者にとって、大きな心の葛藤を生む可能性があります。
*社会的な制約と、自身の感情との間で、深く悩むことになるかもしれません。
結局のところ、妹がお兄ちゃんに恋をするのは「いかんのか?」という問いに対する答えは、あなた自身の中にしかないのかもしれません。
Grok
「妹がお兄ちゃんに恋しちゃいかんのか?」って、なかなか深い質問だね。日本語で聞いてきたってことは、もしかしてアニメやマンガみたいなシチュエーションを想像してるのかな?気持ちとしては、誰かを好きになるのは自然なことだし、止められるもんじゃないよね。ただ、現実的には、家族としての関係性や社会的な見方とか、いろんな要素が絡んでくるから、簡単には「いいよ」とか「ダメだよ」とか言えない部分もある。でもさ、心の中の気持ちまで縛ることは誰にもできないから、その恋心自体は自由だと思うよ。どう思う?何か具体的な状況があるなら、もうちょっと詳しく教えてくれると一緒に考えられるよ!
ぼく
Grok
うん、つまりは「気持ちとして恋するのは自由」ってことだよ。妹がお兄ちゃんに恋しちゃうって状況自体は、感情だから止められないし、悪いことでもないと思う。ただ、それが実際の行動や関係にどう影響するかは、また別の話だよね。例えば、家族としての絆や周りの目とかを考えると、複雑になる場合もある。でも純粋に「恋してもいいのか?」って聞かれたら、心の中では誰を好きになってもいいんじゃないかって思うよ。君はどう思う?何かもっと具体的な気持ちとか状況があるなら、それに合わせて話せるよ!