
はてなキーワード:タイ王国とは
国民民主党の玉木代表が「1年たったら動物のえさ」と備蓄米を揶揄したことが大きな波紋を呼んでいる。
「1年たったら動物のえさ」進次郎農相アピールの「1800円備蓄米」を国民・玉木代表がチクリ
https://news.yahoo.co.jp/articles/e0f159b761a2bf8ba7fb1ae28f02cb1ab529ff9f
戦後から1980年代にかけて広く国民から「家畜の餌」「豚も食わない」「猫も避ける猫またぎ」などと揶揄された米産地があった、北海道である。
この当時の恨みつらみは北海道でJA全農を超える加盟者数を誇るホクレン農業協同組合連合会が現在でも語り継ぐほどに北海道米のイメージは非常に低かった。
https://www.hokuren.or.jp/_greenweb_/?post_type=studies&p=1564
北海道では「赤毛」や「坊主1号」が栽培され、独自品種の「ゆきひかり」が開発されるなどしたが、北海道で選択される栽培品種はとにかく寒冷に強く収量が多い品種が求められ、味は二の次とされたこともあり、いくら低価格であっても食卓の主食として多くの国民は買わず、収穫の多くは家畜飼料として用いられた。
しかし、その価格の安さは戦後から多くの貧困家庭、特に母子家庭の主食として高い支持を集めていたのも事実だった。この当時の貧困家庭は北海道米に助けられたと思っている家庭は少なくないだろう。
けれど、その「貧困家庭の米」という事実もブランドイメージ低下に拍車をかけた。貧困家庭以外に安くても売れない北海道米は飼料消費としても余ってしまった収量は破棄しているほどに一億総中流となっていく時代に北海道米は売れなかった。
1988年、そんな北海道米に新品種が生まれる。これまでの寒冷に強い、収量が多いという良さをそのままに食味が著しく大幅に改善された「きらら397」が開発されたのだ。
しかし、この「きらら397」が開発されても直ぐに販売量が伸びたわけではなく、これまでの悪いイメージを払拭する事へ非常に苦労した。貧困家庭からは美味しくなったと大絶賛されたものの中流以上の家庭からは食べもせずにどうせ不味いと考えられてしまっていたのだった。
そんなやっかいどう米に転機が訪れる。牛丼店を中心として全国の飲食チェーンが「きらら397」を採用し始めたのだ。
このエントリを読んでいる諸氏も「あの当時の吉野家で食べた牛丼」と今の吉野家の牛丼が何か違う、家庭で食べるいつもの米と吉野家で食べる何か違う米と気付いてる者も居るかも知れないが、それは広く一般家庭に売れるようになる前の「きらら397」だった。
飲食チェーンが北海道米「きらら397」を採用していることが世間にも徐々に広まっていくと「意外と北海道米も悪くない」として一般家庭でも広く食べられるようになる。
このエピソードは「牛丼を変えたコメ―北海道「きらら397」の挑戦―(足立紀尚 著)」でも触れられており、内地(北海道外を指す北海道方言)を見返してやろうと頑張った北海道米農家の皆さんの努力を垣間見ることが出来る。
「きらら397」以降、北海道米の新品種開発は急速に進み、前述した「きらら397」から更に食味を改良した1996年の「ほしのゆめ」、更に収量を改良した2001年の「ななつぼし」、更に耐冷性を改良した2003年の「ふっくりんこ」、前述の「ふっくりんこ」とは別系統の低アミロース極良食味認定を受けた2003年の「おぼろづき」、そして前述の「おぼろづき」並の極良食味でありながら「おぼろづき」以上に収量を改良した2008年の「ゆめぴりか」が登場するに至った。
「おぼろづき」および「ゆめぴりか」は驚愕すべきことに盲検試験によって日本国内では定番である特定米産地(迷惑かける影響を考慮して特定米産地は筆者の意思で隠蔽しました。ご了承ください。)のコシヒカリの食味に勝ると試験結果が出ており、北海道米が北海道外の米を超えられることを証明した品種となった。
寒冷地で栽培可能で量が取れて安くて美味い北海道米の時代が到来したのである。
国民民主党の玉木代表がなぜ米へ対して「1年たったら動物のえさ」と表現してしまったかと言えば、彼の記憶の中には確かに一部産地の美味しくない米が家畜飼料として使われていた過去、何なら余った分は廃棄していた、豚も食わない米が存在していたことを頭の片隅で覚えていたからだろう。
しかし解釈を誤ってはならない。玉木代表だからこそこういう印象を持ったのではなく北海道外にはまだまだ北海道米へ対して悪印象を持つ国民が大勢居るのだ。しっかりとした学術的なデータで食味の良さが示されようとも極々ありふれた一般の国民の多くが北海道米を忌避し続けているのが現状なのだ。
1993年の平成の米騒動の際にタイ王国から有り難くも拠出されたタイ米へ対して恥を知らぬ言動を取ったのは極々ありふれた一般の国民であったが、その性根は未だ変わっておらず、反省しておらず、その一雫がたまたま国民民主党代表玉木雄一郎であったにすぎない。未だに「猫またぎ」だと思っているのだ。
このエントリを最後まで読み、腹を立てたのであるならば2025年令和の米騒動が収束した後に北海道米を食べてみて欲しい。
「その喧嘩買ってやらァ!」という意気込みで食べてみて欲しい。食ったら言わせてみせるさ「意外と北海道米も悪くない」と。
Permalink |記事への反応(19) | 19:24
かつて所属していた文学サークルで、先輩が角田光代「菊葉荘の幽霊たち」って作品をテーマに読書会を開いた。何事にも投げやりな女性が主役なこの作品が全く好きになれず、その後角田光代という名前を見ても全く手が伸びなかった。今にして思えば、全体的に生きる気力がないというか、適当にその辺の相手と何となく交際してしまう感じの、怠惰な女性が出てくるのに嫌悪感があったのだろう。理想的な美を探し求めていた大学生の僕には、うまく理解できないキャラクターだった。あるいは、当時女性を理想化しすぎていたからかもしれない。理想の恋人が、僕と同じように美や最高のクォリティ(なんじゃそりゃ?)を求める存在であると望んでいたのだろう。なんというか、十代の考えそうなことである。しかし、それは後述するように、すべて自己愛だ。それはさておき、「源氏物語」も僕は講談社学術文庫で読んだ。確か、今泉忠義訳である。再読のときは、角田光代訳でもいいのかも。書き続けられている作家ということは、力があるってことだし。
光源氏の恋愛遍歴や、彼を取り巻く女性たちについての思いは昔書いたので省く。僕がこの小説が好きなのは、恋の物語だけが理由ではない。もちろん、欲望まみれだった僕は、例えば朧月夜との密通で須磨に流されるというプロットを面白く読んだのは事実だ。
けれども、もっと魅力を感じたのは、恋する貴公子光源氏が、だんだんと権力を持った嫌なオッサンになっていくのが生々しく表現されていたからだ。己の愛人である女三宮と密通した柏木を睨みつけ、彼を絶望から再起不能に陥れるあたりがリアリティがあって嫌だ(褒めてる)。ふっふっふ、ハーレムを作るイケメンの末路はこんなものよ。
僕が真っ直ぐな目をした青年の目が濁っていく文学を見るのが好きな理由はいくつかあるのだが、彼女に浮気されて一時期軽薄なナンパ野郎になり3Pまで経験した旧友や、好きな作品を貶されたせいか強烈なアンチフェミになってしまった友人、それから寝取られ経験からイチャラブ漫画が読めなくなって寝取られや暴力的な物ばかりに手を出している畏友のことが頭にあるからかもしれない。だから田山花袋「田舎教師」や、風俗に行って嬢のおっぱいをもんで「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶ志賀直哉「暗夜行路」が好きなのである。「暗夜行路」はその後の展開が大事だとは言え。
ところで、繁田信一が「殴り合う貴族たち」の中で、著者は菅原孝標女が「源氏物語」にハマった理由を推測している。それは源氏が女性に直接暴力を振るわないからだという(部下たちは「車争い」のシーンで乱闘を演じているとはいえ)。その程度で理想の貴公子になれる、当時の倫理はこんなものだったのである。
古典には今からすれば受け入れられない行動をとる人々が出てくる。それでも、心動かされるのは、貪・瞋・癡の煩悩から逃げられない人間の本質が変わらないからだろう。法律やコンプラで縛ってはいても、やりたいことも欲望の本質も変わらない。古典を現代的な価値観で批判するのは大事だが、上から目線で裁きたくはない。聖書によれば人間は自分が裁いてきたように裁かれるのである(こんな風に、聖書には結構な頻度でクールなセリフが出てくる)。
それに、過去のものが全部ダメだというのなら、例えば殺人者カラヴァッジョの絵画は展示すべきではないし、最終的にはルーブル美術館を爆破しなければならないだろうし、植民地からの富で栄えた都市はICBMでふっ飛ばさねばならない。しかし、他人の作ったものを破壊するのは、「指輪物語」のオークの所業である。悪とは何かを創造できず、捻じ曲げて模倣したり壊したりしかできない連中のことなのである。具体的な顔や団体が浮かんでくると思う。
そういえば、去年の大河ドラマは「光る君へ」で、王朝を扱った文学を知っていると典拠がわかってニヤリとするシーンが多々あったが、きちんとは見ていない。理由はいくつかあるが、一つには作家が主人公なので作家になりそこなった僕は見ていてつらい。それに、大河ドラマは夜八時の公共放送だからしょうがないとはいえ、例えば人を斬って領土を切り取ってナンボの戦国武将が平和を唱える違和感があってもともと好きではない(これが現代のオタクの言うところの「解釈違い」というやつか)。たぶんこのシリーズを読んでくれている人はもうわかっていると思うけれど、僕は基本的に非常に面倒くさいのである。それに、元々ドラマは五十時間もつきあうほど好きなジャンルではない。逆に、それだけ付き合うことができれば、ドはまりするのだろうと予想はしている。「好き」を測る尺度の一つは、それに対してどれくらいの時間を費やしたかだ。ただし、みんな正座してドラマを見ていないのかもしれない。きっと何となく見ている。作品を素直に楽しむことから自分を遠ざけているのは、完璧主義なのかもしれない。
それこそ「紫式部日記」に出てきた女官の衣装の再現は良いと思ったけれどね。元々僕はブラウスという言葉の正確な定義も怪しいほどファッションにほとんど興味がないので、該当箇所は読み飛ばしてしまっていた。
面白いエッセイを書くには性格が悪くないといけない。ここでいう「性格が悪い」というのは、もちろん褒め言葉だ。他人が見落としてしまうことにいちいち言いがかりをつけているとか、筆で他者をおちょくるのが上手いとか、そんなことを指す。「枕草子」はこの定義にぴったり当てはまる。言語化できていなかったけれど、「実はみんなそう思ってた」みたいなのも結構ある。
こういうタイプの人は友人に一人欲しい。「香炉峰の雪」(第二百九十九段)は日常で漫画の台詞をぴったりのタイミングで引用したときみたいにめっちゃ盛り上がったと思う。これは全くの推測だが、清少納言って物事をはっきり言うけれど、言い方がカラッとしていて毒のある事を言っても周りの人が思わず笑ってしまう人だったんじゃないだろうか。楽しい思い出話というか、ちょっとドヤ顔しているエピソードもあって楽しい。
もちろん第三百十四段の身分の低い人間が火災にあったところを笑っているところは弁護できないが、これは時代の制約だろう。それに、「除目に司得ぬ人の家~」(第二十五段)のくだりは当時の公務員の辛さが描かれているので、読んで怒りを覚えた人もいるかもしれない。だから晩年没落したという伝承が生まれたのかも。笑っちゃうのは第三十段「説教の講師は、顔よき」、つまりイケメンがレクチャーすると内容がありがたく聞こえるってこと。あっはっは。チクショー。これは旺文社の翻訳で読んだ。ネットで拾ったので番号は間違っているかもしれない。
「方丈記」は政治の乱れと絶え間ない災害で混乱する時代の空気をよく伝えてくれる。ところが、父の高校時代の教師は「世間から目を背けた負け組の愚痴に過ぎない」とバッサリやっていたそうだ。ひどすぎない? 確かに鴨長明は政争に負けたけれど、僕は好きだ。混乱する世の中からある程度距離を取りたいって気持ちはよくわかる。ただ、読んでみると隠遁生活は楽しそうなんだが、どこか悟り切れていないオーラがある。市古貞次校注。
「徒然草」は前にも書いたが面倒くさいおじさんのエッセイなんだけれど、子どもがいたずらした狛犬を有難がったとか(第二百三十六段)、入口ばかり拝んできて本殿を見ずに帰ってきちゃったとか(第五十二段)、間抜けな人々の話が説教臭いが普通に面白い。
それに、「ふざけてバカの真似をしている時点でバカだが、逆に立派な人の行いを真似るのは十分に立派だ」(第八十五段)とか「修行中寝てしまう人は、寝ていないときだけでも頑張ればいい」(第三十九段)とか、励まされる話も多い。近くにいたら面倒くさそうなおじさんだが、その言葉には勇気が出る。これも旺文社の翻訳で読了。
もちろん時代の制約はある。たとえば、珍しい姿の盆栽を育てていた人の話がある。第百五十四段である。ある時に雨宿りで見かけた大勢の身体障害者の曲がった身体を見て嫌悪を覚え、帰宅した途端に「俺のコレクションはこういう連中を集めてるようなもんだったんだな」と考えて、植木をすべて捨ててしまう。これなんかはなかなかに弁護できない。個人的には、コレクターが飽きる瞬間の描写として面白いし、当時の病に対する態度がよく分かって興味深いけれど、すべての人がここまでくみ取ってくれるかどうかは疑わしい。
これは全くの余談であるのだが、高校生時代に模擬試験を受けたとき、ある古典の問題文が主張している内容が差別的だということで、問題を差し替えてそこだけ再試験になったことがある。確か「私は身体障害があるからこうして人の喜捨で生きていける。かえって幸せだ」と述べる箇所があった。出典は忘れた。
個人的には、例えば中世の障害者はどういう扱いを受けていたか、解説をしたり議論したりしたら、すごくいい授業になったと思う。周囲では「事なかれ主義」だという批判も聞いた。おそらく、「先述したレベルで議論をするのは高校から先の大学以降でやりましょう」ってことなのだろう。もっとも、米国の大学ではナボコフ「ロリータ」の精読を基礎教養から外したと聞いたので、大学院レベルなのかもしれない。どうも米国はよくわからない。合理主義に見える一方で、いろいろな表現規制の根っこには、建国以来のピューリタニズムの遺風があるのではないかと邪推している。
今まで読んできた日本文学についてまとめるのは、一つには我が身を振り返って余計な過去をバッサリと切り捨てたいからである。小説家になりたいという妄念を過去のものにしてしまいたいのである。ここで自分が抱えている妄念を文章にしてしまうことで、意図的に小説の素材として使う機会を潰したい。書きたいという狂気を鎮めるのである。人生で辛かったさまざまな出来事ことでさえ、世間的にはいたってよくあることなのだ。これらについては長くなるし、恥ずかしいので書かない。
小説家として戦うには、いつまでも過去について考え、それを発酵させ、そのうえで自分から離れた普遍性あるものにしないといけない。さらに、時には他人の苦痛を咀嚼して想像しなければならない。自分の妄想は、他人に売りつけるに値するものだろうか?
小説家になる夢はあったが、こんな形でわざわざ嫌なことを思い出して、毎日を過ごすのは絶対に嫌だ。だからここに書き散らして、退路を断ってしまうのである。絶対に忘れてやる。連中の名前もグーグル検索しないと誓って数年が過ぎた。試みは成功している。あいつらのほうが「オス」として優秀に思えても、無視するに限る。しかし、こうして書くこともまた「創作」であろう。文章を読まれたいという欲望は尽きない。だが、万が一創作活動に舞い戻っても、絶対に絶対にぜーったいに自分のトラウマには触れないぞ!
このエントリ群を書きながら内面の暗いところまで沈んで行ったら相当にうんざりしてきたので、こういう創作は二度とやるまい。ちなみに、ブログでなく増田で書いているのは、創作活動をやっている/やっていたと公開しているはてなブログでは、こんなひがみや政治意識丸出しの発言をするわけにはいかないからである。また、初稿では倍ぐらい個人的な過去の出来事の愚痴を描いたのだが、本筋から離れるので削った。
そう、忘れてはいけないのだが、このエントリを書いた一番の動機は、古典の名作を紹介したいからだ。これだけの古典が現代にまで生き延びて読み継がれている国は稀有だろう。日本という国は、まったく非常に多くの問題を抱えているのだが、先人たちの積み重ねには頭が下がる。自分の雑文でちょっとでも興味を持つ人が増えてくれたらとても嬉しい。作者の名前とタイトルを授業で覚えるだけよりも、中身を知ってる方が絶対楽しいからね。
ちなみに、これはタイ王国をディスっているわけではないのだが、プラープダー・ユン「パンダ」の解説で、タイでは(純文学系の?)小説の初版部数は一千から二千冊程度で(タイの人口は七千万弱)、娯楽小説ばかりが売れているそうである。娯楽小説に罪はないし、むしろ好きなのだが、人間の心の基礎研究とでもいうべき純文学はある程度の人数に読み継がれていってほしい。
あとは、自分の好きなことについて語るのが単純に楽しいからだ。何が好きで何が嫌いかを明確にしていくことで、次にどこに向かって進めがばいいのかがわかってくる。次に何を読めばいいのか、自分が本音では何を求めているのか、だんだんと明らかになってくる。
例えばアダルトビデオの品質が高いこと、女子の股がゆるいこと、モザイクが頑なに守られていること、エロ漫画文化、エロコス、多岐に渡るがこれを読んでいる人には不要な説明だろう。
しかしこれらは日本は西洋と異なるという当たり前の事実を西洋人が発見しているに過ぎない。
これに対し、日本人というかおれが思い浮かべるアジアのユニークエロ文化といえば、むしろタイ王国の方である。
レディーボーイ、性転換、独特のプリプリのおしり、売春宿など謎のエロ文化が目白押しで、おれに言わせれば日本なんかよりずっとヘビーでディープである。
しかし歴史を通してみると、やはりアジアのエロリーダーはチャイナである。王朝が何度も交代し、その度にエロ文化が深まっていった。
西洋文明の圧力や中共の方針でガンガン矯正されて絶滅した文化も数多いが、今でもどこかにエロソウルが生き続けているのではないかとこっそり疑っている。
しかし、どこにいるのだろうか。
今頃、金太はマカオに着いたであろうか?
純粋な鯛ではないが、上皇がタイ国王に「イズミダイ」という鯛に似た淡水魚を贈り、それがタイでは高級魚としてよく食べられているらしいぞ。
1960年代、タイ王国の食糧事情が難しいと知った魚類学者でもある皇太子明仁親王(上皇)は、タイ国王にティラピアを50尾贈り、「ティラピアの養殖」を提案。タイ政府はそれを受け、現在、タイでは広くティラピアが食されている。このエピソードにちなみ、タイでは華僑により「仁魚」という漢字名がつけられ、タイ語でもプラー・ニン(ปลานิล)と呼ばれている。1973年のバングラデシュでの食糧危機に際しては、タイがバングラデシュに自国で養殖したティラピアの親魚50万尾を贈呈した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A9%E3%83%94%E3%82%A2
あと、「キンメダイ」がタイ語では「キーン・マイ・ダイ(食べられない)」と聞こえる、というのは在日のタイ語話者には鉄板ネタらしいぞ。
キンタマーニは、インドネシア共和国バリ州バンリ県キンタマーニ郡の村。バリ島北東部に位置し、バリ島で有名な観光ポイントであるキンタマーニ高原、キンタマーニ湖を有する。
オマン湖は、カナダのサスカチュワン州北部に位置する湖である。
エロマンガ島は、南太平洋、バヌアツのタフェア州最大の島。ニューヘブリディーズ諸島の一つ。「エロマンゴ島」とも表記される。
シンコ川は、中央アフリカ共和国東部を流れる川で、コンゴ川水系の支流の一つである。
スヘフェニンゲンは、オランダの南ホラント州のデン・ハーグ基礎自治体に8つある地区のうちの一つで、北海に面している。
イク川は、ロシア中央部のバシコルトスタン共和国からオレンブルク州を経てタタールスタン共和国を流れる河川であり、カマ川に南から注ぐ支流である。
コンドンは、ミディ=ピレネー地域圏ジェール県にある、人口7千人あまりの町である。
洞庭湖(どうていこ)は、中華人民共和国湖南省北東部にある淡水湖。
ボイン川はアイルランドのレンスター地方を流域としている河川。
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追記
タイ王国領のタルタオ島とマレーシア領のランカウイ島の間には、チンチン海峡が通っている。
フッキング (Fucking,IPA: [ˈfʊkɪŋ]) はオーストリアのオーバーエスターライヒ州にある集落。イン地区 (Innviertel) 、ブラウナウ・アム・イン郡にあるタルスドルフ (Tarsdorf) の一部を成す。ザルツブルク近郊に位置し、人口は約100人。Fucking という地名は、英語で性行為を意味する卑猥な言葉(fuck)を動名詞化したものと綴りが同じであり[1]、英語圏では珍地名として知られている。
はてなブックマーク - バニラ・エアに声をあげた障害者に「クレーマー」、広がるバッシングに疑問の声
id:(略)←無知 「公共の交通機関を提供している航空会社であれば、身体に障がいのある乗客に対し、身体の状況を事前に告知すべきことを要求することはできない」https://twitter.com/ktgohan/status/880081514070892544
はてなブックマーク - 車いすで飛行機に乗る時は | いすみ鉄道 社長ブログ
貴方敗訴します「公共の交通機関を提供している航空会社であれば、身体に障がいのある乗客に対し、身体の状況を事前に告知すべきことを要求することはできないところではある」https://twitter.com/ktgohan/status/880081514070892544
https://twitter.com/ktgohan/status/880081514070892544
あとになって見つけましたが、「公共の交通機関を提供している航空会社であれば、身体に障がいのある乗客に対し、身体の状況を事前に告知すべきことを要求することはできないところではある」(大阪高裁平19(ネ)2425、判例時報2024p20)との判例があり、本来の原則はこちらです。
これなん?
http://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20170629092629.pdf?id=ART0009677741
判例の引き方を知らないから孫引きで長いから流し読みで略しまくりだけど。
(略)⑵ 本件に至る経緯① 原告は、平成15年7月30日から同年8月4日までの日程でタイ王国(バンコク)への旅行を計画した。(略)② 原告は、前記の予約に際して、両上肢及び両下肢に障害があって車椅子を使用すること、言語障害があること、同行者はなく単独搭乗を予定していることを旅行会社に伝えず、そのため、被告はこれらの情報を当日まで知らなかった。(略)④ 同日午前8時50分ころ、被告の日本支社関西国際空港支店空港カスタマーサービス部長である E は、原告及び B らに対し、原告は介助者の同行がなければ搭乗することができない旨告げるとともに、その理由として、原告に言語障害があり、意思の疎通がスムースにできないこと、上肢及び下肢に障害があることを挙げた。 B らは E に対し、搭乗拒否の理由について具体的な説明を求めるとともに、原告の状態を説明するなどして単独搭乗を認めるよう要望したものの、E は原告の単独搭乗を認めず、結局、原告はSQ973便に搭乗することができなかった。(略) 神戸地裁尼崎支部平成19年8月9日では、航空会社である被告が原告の単独搭乗を拒否したことについて、原告が、本件搭乗拒否は旅客運送契約上の債務不履行であり、かつ、公序良俗に反する不法行為であるとして、被告に対して慰謝料等を請求した事案において、原告には、身体を抱えて移動させるとともに、緊急脱出を円滑に行うという客室乗務員にとって対応困難な援助が必要であるから、原告の身体の状態は、本件規定の安全上の理由があることが認められ、被告が原告のこのような身体の状態を知ったのは、本件飛行便の出発約2時間前であるから、被告において、原告の身体の状態を考慮した人的、物的な対応を期待するのも無理な状況であったと認定し、被告従業員による留保解除権の行使によって原告の単独搭乗を拒否したことは、本件規定に基づく正当なものであるとして、原告の請求を棄却した。そこで原告は、一審判決を不服として控訴した。
2 大阪高裁平成20年5月29日(控訴棄却・確定)(略)⑴ 被控訴人の債務不履行の有無について 公共の交通機関を提供している航空会社であれば、身体に障害のある乗客に対し、身体の状況を事前に告知すべきことを要求することはできないところではあるけれども、前記認定の控訴人の身体の障害の状態、動作の実情、これまで航空機に搭乗した経験等の諸事実に照らすと、時間的余裕を持って上記の諸事実が被控訴人に知らされていれば、控訴人が単独搭乗することについて必要とされる介助や緊急時の援助態勢に関する検討をすることは十分可能であり、それによって、被控訴人が控訴人の安全確保に関する不安を払拭できたのではないかと推測することができる。 しかし、E は、控訴人に対し、Dからの前記報告以外に、その情報を一切知らされていなかったために、SQ973便の搭乗手続直前の段階における Dからの情報に基づいて、前記の検討をした結果、上記のとおり控訴人に対する介助や緊急時における控訴人に対する援助態勢について不安を持ち、介助者の同行を求めるという極めて慎重な態度をとったものであるが、限られた情報と時間的余裕のない中で、E の取った対応が、航空会社として不合理に過ぎる判断であったとまでは言い難いものである。 以上の点を考え合わせるならば、身体に障害のある人の積極的な社会参加、そのための移動の自由の確保及び旅客航空機の社会的役割に着目し、客室乗務員が乗客に対し、これまでに述べた意味での適切な援助を提供すべきであること等を考慮してもなお、E が留保解約権を行使して、控訴人に対する本件搭乗拒否に及んだことが、当該時点において E が認識していた事実関係のもとでは、不合理であったとまではいうことはできない。 したがって、本件搭乗拒否が E の故意・過失による違法な判断に基づくものとして、被控訴人に対し、その債務不履行責任を問うことまではできないと言わざるを得ない。⑵ 本件搭乗拒否が公序良俗に反するとして被控訴人に不法行為責任が生じるか否か)について 上記の事案の概要等で摘示した本件搭乗拒否に至った事情及び判断に記載のとおり、E は、控訴人の前記身体の状況や外観によって控訴人を差別的に取扱い本件搭乗拒否に及んだものではなく、控訴人についての限られた情報と時間的余裕のない中で、控訴人には単独搭乗を拒否できる前記特別の援助が必要との判断に基づき本件搭乗拒否に及んだものであって、このことが公序良俗に反するとまでは言えず、本件搭乗拒否について、被控訴人に不法行為責任を問うことはできない。⑶ 以上のとおりであるから、原判決は結論において相当であり、本件控訴は理由がない。よって、主文のとおり判決する。
これ同じやつかな。
することはできないところではあるけれど
全確保に関する不安を払拭できたのではな
いかと推測することができる。
https://twitter.com/ktgohan/status/880081514070892544
で言われてる原則のあとに「けれども」つってなんか色々続いてるけど。
ゆかり。
やはりそうか。そういう女か。という気持ちが否めない。
呑んでいて、ちょっと誰か呼ぼうぜ、という話になりならばゆかりかな、という運びになった。
ゆかりは自分だけでは行けないというので王子にも声を掛けた。後からゆかりの回りから聞いた話だと王子じゃなくチーズが気に入っていたらしい。
王子と、いや玉子とゆかり。ひどい。相性と相性が前世から喧嘩している。
酸味風味コク甘味すべて喧嘩番長だ。やめろ!喧嘩はやめろ!!むなしく声が響く。
もうだめだ。呑み会もお開きだ。ひとりでお開きだ。こんなことを望んでいたわけではないのに。
玉子は酢を入れたお湯でポーチドエッグ英国男子風に仕上げ、ゆかりを上からまたがらせた。わりかし個人的には粋な演出が裏目に出たのだ。
このままでは盛大な宴が終わるその相性の悪さに、私は苦肉の策としてタイ王国ナンプラー王に仲介を頼んだ。
ナンプラー王、さすが。英国玉子とも相性ばつぐん。ヴァッチリ合う。ナンプラー王と玉子だけでよかったのだ。ナンプラーと玉子うまい、もぐもぐ。
横だけど、wikipediaの「日本の学校制服」の項見てたら90年代以降がカオス。
女子中高生を顧客に持つ衣料品メーカーイーストボーイなど一部ブランドには「なんちゃって制服」の需要を見込んで、一見したところ制服風のブレザー、リボンタイつきブラウス、プリーツスカート、ワンポイント入りハイソックスなどを販売しているところもある。またこれはファッション史の見地からは正統派のリセファッションと評価されている。
(中略)
近年の日本におけるこのような制服のファッション化は、日本国外でも注目されており、フランスの雑誌『Japan LifeStyle』における言及、「日本の女子高生の制服は自由の象徴」といったパリ娘たちの意見[7]や2009年Japan Expoにおける制服ファッションの前年比での激増[8]、ファッション誌に常に制服が特集されているタイ王国[9]、バンコクで2009年3月に開催された制服ファッションイベント「カワイイ・フェスタ」の開催などに、その注目の度合いを見ることができる。
リセファッションはともかく「日本の女子高生の制服は自由の象徴」って。
※7/12『砲火の中ではためいて』追加
曲 http://www.youtube.com/watch?v=B1b2hnivTDk
元の歌詞 http://ja.wikisource.org/wiki/%E5%90%9B%E3%81%8C%E4%BB%A3
『さざれいし』
すだれを押し上げて
手を伸ばす君 内裏のこと
どうか来てほしい
松原まで来てほしい
お水をあげよう
庭のさざれいし
苔むすまでも可愛い君のね
果てない治世がちゃんと
続きますように
君と君の治世が
万年続きますように
ついでに、他の国の国家もアレンジして見ると、君が代と違い、ヒーローもののアニソンになる。
君が代がいかに独特の存在であるか、いかにJ-POPの原点であるかがわかる。
曲 http://www.youtube.com/watch?v=dMcYz9Vs0jQ
元の歌詞 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%AD%8C
た ち あ が れ
立ち上がれ
市民よ 走れ
理念があるなら
巨大な暴君を
うてよ うてよ うてよ
血塗られた軍旗を
掲げよ
アメリカ国歌 (訂正:0083じゃなくて、小泉今日子 STARDUST MEMORY)
指摘されるまで本気で勘違いしていた。0083にこんな歌があったのかと新発見のつもりでいた。
曲 http://www.youtube.com/watch?v=ucJlI77V4Mk
元の歌詞 http://ja.wikisource.org/wiki/%E6%98%9F%E6%9D%A1%E6%97%97
『Stars Stripes Memory』
Stars Stripes Memory 忘れないでいて
星条旗がはためく この夜を
丘の砦に 掲げられた星条旗
ちょっぴりシャクだけど 砲煙がとまらない
仕方ないでしょ 独立はじめてなのよ
自由の大地の そうよ今これがピリオドなのよ
Stars Stripes Memory 忘れないでいて
星条旗がはためく この夜を
もう一個アメリカ国歌の改変を追加 (機動戦士ガンダム第08MS小隊)
曲 http://www.youtube.com/watch?v=_XSIe5BRwQs&feature=related
『砲火の中ではためいて』
砲火の中ではためいて
その旗を掲げ続けて
傷ついた あなたの砦に
掲げてあげたい
蒼く果てない大陸(おか)の片隅で
生まれた機運が 今小さくても
あなたの瞳に映る独立を
誰よりそばで 信じていたい
凍りつくような 強い英軍でさえ
その胸に輝く 独立を消したり
そうよ 消したりなんか出来ない
砲火の中ではためいて
その旗を掲げ続けて
傷ついた あなたの砦に
掲げてあげたい
追加
ソビエト連邦国歌 (MS IGLOO重力戦線 Mr.LonlyHeart)
曲 http://www.youtube.com/watch?v=FfWkT7TPIYk
『Mr.Communist』
また、ルーシから 一つの声 増えた
飛び出すのは強力な同盟
時代の刃に その心を砕き
主義を信じて こんな祖国へ
ねえ、Mr. Communist
閉ざされた瞳にソビエトの旗が見えますか
焼かれた同志よ
風は運ぶ 行き場もない侵略者(ドイツ軍)の魂
ねえ、Mr. Communist
吹雪吹く大地では 悲しむ労働者はいない
ああ、許されることを知らないまま
消えゆく侵略者(ドイツ軍)よ
終わりもない労働の途中で落とされた
美しい人民の命よ
ねえ、Mr. Communist
同盟を交わそう 破れないように、強固に
もう何ひとつ、失うものはない
労働はじめたら その忠誠で・・・
ねえ、Mr. Communist
閉ざされた瞳にソビエトの旗が見えますか
ああ、許されることを知らないまま
消えゆく侵略者(ドイツ軍)よ
ゆきなさい
曲 http://www.youtube.com/watch?v=JGheZOKQyFg
元の歌詞 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%AD%8C
『いつも女王が』
さびしい時も かなしい時も
いつも女王が目に浮かぶ
ひとりの時も あいたい時も
遠くはなれていても
たとえスコットランド人が反逆しても
この世の栄光とともに
まぶしく あの日女王が
さびしい時も かなしい時も
いつも女王が目に浮かぶ
暗殺の危機も 反乱の時も
御世の長さが しのばれる
神の加護がつよく
この世の栄光とともに
まぶしく あの日女王が
曲 http://www.youtube.com/watch?v=HDqN551TbH0
元の歌詞 http://ja.wikisource.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%8B%87%E8%BB%8D%E9%80%B2%E8%A1%8C%E6%9B%B2
『義勇軍の歌』
誰だ 誰だ 誰だ
新たな長城を築く影
命をかけて飛び出せば
飛べ 飛べ 飛べ 義勇軍
行け 行け 行け 義勇軍
曲 http://www.youtube.com/watch?v=SXBaxsKeh0w
さらば故国よ 旅立つ民は
ヴィスワの彼方(かなた) ヴァルタを越えて
運命背負い 今とび立つ
必ず父は 帰って来ると
手をふる娘に 涙で答え
故国をはなれ ボナパルトの下へ
さらば故国よ 愛する民よ
故国を救う 使命を帯びて
戦う我ら もえるドンブロフスキ
誰かがこれを やらねばならぬ
期待の人が 我々ならば
故国をはなれ ボナパルトの下へ
曲 http://www.youtube.com/watch?v=e2OIQIhAC5o
元の歌詞 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%83%E5%A2%9F%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E5%BE%A9%E6%B4%BB
耕そう! einig Vaterland
働こう! einig Vaterland
東はでっかい宝島
そうさ今こそ奉仕せん!
胸ワクワクの団結が GISSIRI
色とりどりの同胞が DOSSARI
ドイツのどこかで 照らしてる
そいつ見つけにゆこうぜ
人民の敵を ぶっとばし
Let's pflügen pflügen pflügen 魔訶不思議
空を駆け抜け 壁を越え
Let's lernt lernt lernt 大団結
不思議な国が始まるぜ
手に入れろ! einig Vaterland
世界でいっとー てごわい統一
追いかけろ! einig Vaterland
東はでっかい宝島
そうさ今こそ奉仕せん!
曲 http://www.youtube.com/watch?v=65w7qAWcXFY&feature=related
元の歌詞 http://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E5%9B%BD%E6%AD%8C
手を携え努力しようよ
統一するのが 幸せの証し
ほら君と統一したい
果てない経済的停滞(やみ)から飛び出そう(東が)
Deutsches Vaterland!
曲 http://www.youtube.com/watch?v=LI06uVTAH4A
元の歌詞 http://ja.wikisource.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%9B%BD%E6%AD%8C
『中興のチュラーロンコーン』
失くした領土すべて 維持した領土すべて
答えの潜むタイ人の血と肉
戦争になれば 血の一滴まで戦うつもり
傷つかないで 僕の国民
この気持ち知るため生まれてきた
七百年と七十年前から独立してる
七百年過ぎた頃にかなり危なくなった
七千年と七十年あとも独立してる
曲 http://www.youtube.com/watch?v=INsPKy3Rzd0
元の歌詞 http://rasiel.web.infoseek.co.jp/mil/fratelli.htm
『私は歩兵』
あるこう あるこう わたしは死ぬ気
統一 だいすき どんどん逝こう
かぶとを かぶれば 覚醒だ
ローマのかぶとで つよくなったきがする
いのちをすてて こうしんだ
あるこう あるこう わたしは死ぬ気
統一 だいすき どんどん逝こう
団結しよう 統一の日まで
兄弟たくさん だいじょうぶかな?
あるこう あるこう わたしは死ぬ気
統一 だいすき どんどん逝こう
恥辱も 嘲笑も 出て行って
ヘタリアなんて だれにもいわせない
統一すれば いわれないはず!
統一すれば いわれないはず!!