
はてなキーワード:セッタとは
五十噸の補助機関つき帆船で海峡植民地から東インド約二ヶ年の予定で一周しようといふ企てがある――計画者は神戸市元町三丁目近江一郎氏でボルネオやインドに久しく滞留、仏教を研究して最近帰朝した岡本春岳師ほか二名の同志の力を得、海外在留民を慰問し、病没者の展墓弔霊燈台守の慰問をなし、併せてわづか五十噸の小舟で南洋を一周すること自体によって海事思想の普及に資し、寄港地では新聞以外に故国の事情を知りたいと希望している人々のためには最近の東京風景や観艦式などの活動写真を見せるとともに故国の発展ぶりや近情を講演し、商品見本やカタログなどを配って行き、簡単な商品見本市を開き希望者には連絡の労もとり、各地にある日本人会の連絡をつけようといふのである。首唱者近江氏の厳父は日露戦役直後東京朝日新聞者がチャーターして満鮮巡遊団を企てた時のロセッタ丸の船長で、今年はその七周忌に当るので、亡父への供養の一端であると大した意気込みで、目下拓務省に補助の支出交渉中であるが、それが纏まり次第四五月ごろには壮途につきたいと、近江氏は語る。
『明中教育十年』より、「明石中學校十年史」の1932年2月1日の項。
直木由太郎編『家信 みとせのはるあき 上』より、1932年の「五月十六日神戸より」。
臍主義者近江一郎君はまだ知らぬ人だが、其著「小舟を住家に南洋へ」は近来非常におもしろく感ふかく読んだ書物の一であるので一筆書いておく。
第一此書は君が鎮国丸という小船に乗じて南洋に向ふ途中、琉球近くの与論島に於て、船が暗礁に乗り上げ大破、九死に一生を得たこの死線突破の体験を本として、其遭難の顛末と共に南洋開拓に就て、かねて諸方面に就き自ら準備のために取調べた生きた心得の数々を教へ示さんとするもので、世に机上の空論は多くてもこの書の如く命をかけて出来た書物はまことに稀有と云ふべきで、この点に心ひかれるものがあるのである。
『楚人冠全集』より、1937年の杉村楚人冠「バルサ」という記事。
逓信省の船舶試験場で、近頃絶対に沈まない救命艇とかを作った。(中略)沈まない船といふのは、バルサを用材にして作ったとの事だから、何も今に始まった新案でも何でもない、現に私の友人がこれで救命艇を作って、特許を願ひ出た次第は、一昨年の十一月の「グラフ」に私が書いている。彼は特許が許されないので、気前よくその船を私に呉れて行ったので、私はこれを手賀沼に浮べて、時々漕いで出るのを楽しんで居る次第も、その時に書いた。この贈主の名を近江一郎といふ。朝日新聞社で明治三十九年の夏満韓巡遊の船を仕立てて、日本で初めて新聞社主催の団体旅行を企てた時、その乗艦ロセッタ丸の船長だった林橘治君が、即ちこの近江君の実父であった。
1959年『新民』より、寺岡謹平「祖国の礎特攻観音の縁起について」という記事。
昭和二十一年から、神戸の人近江一郎という老人がおりまして、南洋で貿易をしておったのでありますが、戦争がたけなわになりますと、日本の航空隊では油がだんだんなくなる。潤滑油をなんとかして作ろうということで満州にわたって白樺から潤滑油を作る研究に目鼻がついた、ということを軍令部に進言致しました。そのときには戦争が終ってしまったので、戦争に敗けたのはわれわれ国民の協力が足りないため、ということを考えまして、なんとかして戦死した御霊をなぐさめたいということで、まず特攻隊の遺族を弔問しよう。御霊に参拝しようという念願を立て、二十一年二月から、全国、北は北海道、南は九州のはてから、ずっと単独で廻って歩いた。
(中略)
はじめのうちは簑笠にカーキ色の服を着た坊さんが現れると、これは押売りか物貰いだろうと思って、虐待された。いろいろ考えた末、各県の世話課に頼んで遺族の住所を調べ、予め紹介してもらって参りました。そこで今度は順序よく運んだ。行くと、先ず以て仏様の前にいってお経を読んで焼香をする。そして般若心経を半紙に書いたものを一枚奉納する。
これは神戸の友人で美田禾山翁という書家がおりまして、その人の仏心で般若心経を沢山書いてもらった。海軍特攻隊の遺族は、二五二五名おりますから、美田先生も老齢ではあるし、耐えられなくなった。そこで誰かに書いてくれということで、私も何百枚か依頼されましたが、電報で何枚どこそこに送れと、こういうふうにくる。
(中略)
そういうものをお土産にもって廻って、六年間というものは休みなく廻りました。とうとうしまいには病気になりまして、二十七年一月二十一日に亡くなられた。その間に約一、九〇〇名の遺族を弔問しております。残ったのは東京と東海北陸の一部で、東京都を最後に残したのは、終ったところでお上に特攻隊の遺族の状況を奏上する、というのが狙いでございました。
『吉川英治対話集』より、1959年の対談での吉川英治の発言。
近江一郎という無名の人がいるのです。軍に徴集されて、なにかのことで満州で塾長をしたのです。開拓民の塾長じゃないかと思うのですが、終戦になってこっちに帰ってきて、さる人の紹介で、私が吉野村に疎開していたときに、杖をついて帰還者の服を着たままでやってきましたよ。そのころ、もう年齢は六十近かったでしょうか。
「いったい君はなにして歩いているんだ?」
「私は帰ってきて、たくさんの死んだ兵隊たちの家を一軒一軒歩いて、そうしてそこに年寄がいたら、年寄を慰め、仏壇があったらお線香の一本ずつもあげさせていただくのを生涯の念願にしている」「収入というものはどうしているんだ?」「収入はありません」「じゃ、どうして食べている?」「子どもが一人あって、女房が神戸の区役所の人夫をしている」女人夫ですね。「子どもは小学校に行っている。お父さんは好きなことをしていいと言うから、私はそれをやる」それから復員局で住所を調べましてね、全国を歩いていました。ほんとうに驚くべきものですよ。あるときその男と話をしまして、こういうふうに戦死者の家を歩いていると、ずいぶんひどいことを言われることがあるでしょうといったら、はじめてその男が炉辺でボロボロ涙を流しまして、このごろは復員局で言ってもらえるのでわかってきたけれども、いちばん最初は九州、あのへんの山間を歩くんですね。なにしにきたとどなられる、弟を死なせたという兄貴がヤケ酒を飲んでいるところにぶつかって、「戦死したものの供養にきたと、それで死んだものが生きてかえるか」と上りかかったところを蹴落とされた。そんな目にも会いました。そういうふうにけとばされたり、つばをされたり、なぐられたりするたびに、「これは陛下の罪滅しになると思って私はしのんできました」というのです。
近江一郎というのは私の中学時代のなつかしい同級の剣友であるが、五年の時、神戸一中を去って大阪天王寺中学に転校し、偶然にも、草鹿さん(註:草鹿龍之介)と同級となり、いずれ劣らぬ剣友同士の間柄だったのである。
近江君と私は一年の時からの同級で、しかもふたりは一時、剣道部の両雄として互いにしのぎを削った間柄で剣友として忘れられない一人だが、まことに気骨のたくましい一風変わった偉丈夫であった。それかあらぬか、一時は満州国に行って馬賊になったとまでうわさされたのであったが、敗戦となるや、彼は決然起って、あの戦争末期の花形として雄々しく散っていった海軍特攻隊の遺族を尋ねて全国行脚の壮挙を思い立ったのである。
しかし何分にも当時世をあげて戦後の虚脱状態にあり、特別関係者以外はだれ一人としてこれを支援しようとする者はなかったが、彼は毅然として、すげがさ、負いずる姿のいでたちで、全く乞食坊主そのままの行脚を続け、全国にわたる戦没英霊の実家を歴訪してその冥福と遺族の慰問に精魂を打ち込んだのであった。
戦後の軍当局と連絡をとったものらしく、一地区ごとに行脚を終わると必ず大阪に私をたずねて来訪し、つぶさにその難行苦行の実情を物語ってその感想録と写真を見せてくれたものだが、ほんとうに涙なくしては聞くことも読むこともできなかった。当時在阪の草鹿さんともいっしょに、時々は三人で食事を共にして、近江君の労をねぎらい、かつ旅情を慰めたものであった。
私の中学校の後輩で近江一郎という男がいて、父親が船長だった関係もあり、南方の島の資源開発を思いたった。ここが素人の私にはわからないことだが、それには沈まない船をつくらなければならないというので、あちこちに設計を頼んだり資金の相談にきたりした。
この話を川西さん(註:川西清兵衛)が聞いて、近江君を助けてやろうということになったらしい。そして近江君の希望どおり不沈船が竣工して南方へ出発したと聞いた。ところが、どうしたわけか帰りがけに台湾沖で沈んでしまったという。なんともロマンチックな話だ。
近江一郎の著書に『小舟を住家に南洋へ』『斜に視たる神戸一中』がある。『小舟を住家に南洋へ』は読めなかったが、大まかな内容は上記で説明されている。『斜に視たる神戸一中』は、第一神戸中学校のおそらく1935〜1939年頃の同窓会報に掲載されたコラムを集めたものである。内容としては、神戸一中の卒業生がこんなにすごいことをやった、こういう面白いことをやった、といったもので、上記の「中村文夫(日本板硝子社長)」や「川西実三(埼玉・長崎・京都・東京知事を歴任)」なども登場する。笑いあり涙ありの平和なものだが、支那事変(日中戦争)が始まったことや、誰それが戦死したというようなことが書かれていたりもする。近江一郎自身のことはあまり触れられていないが、母親の名前が「朝子」ということ、娘がいて神戸の野田高等女学校に入学させたこと、第一次大戦の青島の戦いに従軍していたこと、などが書かれている。
オシャンティなのじゃなくて、赤マルやセッタ、ショートホープとかしかない普通のタバコ屋ね。時折、ババア(でなければジジイ)が番台に座ってるの見かける、ああいうやつ。
裏に喫煙所作ってさ、番号式のカギを鉄扉につけとく。
タバコ買った客には、開錠の番号を書いた紙切れ渡すの。ボチボチボチッ→ガシャッて寸法。中には灰皿、あと瓶コーラの自販機1本@1500円。エアコンはガンガンにきかす。
そんで相談。
番号はつど手書きして渡したいんだけど、毎日変えるから絶対ミスあるじゃん。そしたら恥ずかしい。でも予め用意しておくのはダサいからイヤ。レシートみたいな奴をつど印刷してビリって破く感じならカッコいいかな?世界観あってる?どう思う?
「お姉さん、何歳なんですか?」
と聞かれたので、
「40歳です!」
とサムズアップして答えたら、化け物を見るような目で見られた。
「よく若く見えるって言われませんか」
「そんなこともありますねー」
去年くらいから、年齢を聞かれて答えると100%気味悪がられるようになった。
20時から高専五年生とのシフト。私がカフェマシンの掃除で手の離せない時に、お客様が高専五年生のレジに行って
「何番ですか」
だなんて聞き返したので、揉め事の予感を察知して泡だらけのスポンジを持ったままそこまで飛んでって、
「マルメン4ミリとはマルボロメンソールの4ミリのことです!」
と高専五年生に教えた。お客様が帰ったあと、高専五年生によく略称で注文される煙草を教えた。
「アカマルは赤のマルボロ。マルメンが緑、アイブラは青で、ゴールドは白と金のやつです。あと、ラキストはラッキーストライク、セッタはセブンスター」
高専五年生はすかさず、
「それ覚えなくっていいっすよね」
と言った。
「いや基本のやつくらい覚えてください、余計な怒られ予防に。もし覚えられなかったら、『何番ですか』っていう前に『俺タバコ吸わないんで』ってつけてください」
タバコを吸うお客様は、老けg……もとい、いかにも成人男性に見える店員がタバコの種類を知らないと凄く怒るんだけど、面白いことに店員が『俺タバコ吸わないんで』というと、
「そうだよなー、タバコ吸わない人には、わかんないよなー」
って急に優しくなりがち。なお、私はいかにもタバコなんか吸いそうにない見た目のために、ふつーに「何番ですか?」っていうだけでもお客様達は「タバコ吸わないんだもんねー、わかんないよねー」と優しい。Aさんも、見るからに気管支が弱そうなのでタバコを知らない事で怒られる事はあまりないのだが、それでも念のために「俺タバコ吸わないんで」と断りを入れるのを欠かさない。
ところで、タバコを頑なに番号で注文せずに略称で注文する人というのはしばしばいて、銘柄それぞれに略称があるものだけど、パーラメントは名前の長さにしては誰も略称で呼ばないのが不思議だ。
紙巻き煙草一筋で電子タバコなんか糞食らえじゃと思っていたけど、近年「喫煙席」なのに「電子タバコしかダメ」というクソルールな店が増えてきたので、iQOSの14日間お試しサービスを申し込んでみた。
iQOSの二週間お試しサービスは、好きな製品とお試し用のヒートスティックのセットを二週間試した後で購入するか決められるサービスである。
利用料や送料も全部無料、最終的に購入しないで返却するときも送料無料。製品と充電器類とお手入れ用のスティック、そしてヒートスティックが大量についてくる。二週間で吸いきれる分量じゃない量がついてくる。びっくりした。
製品も初代から最新までの三種類から選べ、本体カラーも選べる。おまけに、サービスを利用してからの購入はかなりお安く買うことができる。すごい。
iQOSの回し者ではない。
というかこれから書くことを読めば回し者ではないことは明らかだと思う。
26歳女、普段吸っているのはマルボロのレギュラー(赤マル)、12ミリ。
喫煙歴約6年。1日に吸うのは外出する日なら約8本、1日篭って仕事する日は15本くらい。
最初の二年でキャスター1ミリ→赤マルミディアム→ラキスト→セッタ→赤マル→金マルと迷走して赤マルに落ち着いた。ミントガムが苦手なのでメンソールも苦手。
私が頼んだのは、iQOS3マルチのホワイト。充電とホルダーが一体化しているオールインワン型で、MAX充電すると10本まで連続で吸えるタイプ。大きさは普通のiQOSのケースくらいの長さ(約12センチ)、iQOS民からすると大きいと感じるらしいけど、まあこんなもんだろう。重量はすごく軽い。
充電はUSB-Cタイプ。最近Cタイプ増えてきたな。届いた時点でたっぷり充電されているので、開けてその場で吸ってみることができる。
製品の触り心地はさらっとしていて気持ちいい。ただ質感はカラーによって違うらしく、黒はもう少しマットな手触りだとか。
ヒートスティックは申し込み時に「レギュラー」「メンソール」「フレーバー」から選ぶことができ、私はレギュラーセットを注文。ということで、セットでついてきたレギュラータイプのヒートスティックは、マルボロのレギュラー、スムースレギュラー、バランスドレギュラー、なぜかブラメン、そして多分オマケで「HEETS」という電子独自の銘柄の「クリアシルバー」の5箱。各20本入り。太っ腹じゃん。
使い方:ボタンを長押しして加熱開始。煙草は吸わないとあまり燃焼しないので結構自分で調節してゆったり吸えるけど、iQOSはきっちり何回吸ったら終わりってのがある。
ただ、説明書の文章が悪い。「ライトが点滅するまで長押し」て書いてるのに、指を離さないと点滅が開始しない。点滅しないな〜と思って長押しし続けると、どうやら7秒以上押すとシステムリセットされる仕組みらしく、知らずにリセットしまくってしまった。は?これクレームいれとこ。
また説明書には書いていないが、吸い終わって吸い殻を取り出すときはホルダーのカシャっと上にあげるところを一緒に持ち上げながら引き抜くとカスまで綺麗にすぽっと抜けるコツを覚えた。最初はカスが詰まってしまい、詰まってると次のが入らないのでやむなくミシン針でほじりだした。草。書いとけや。
喫煙感:意外とある。普段は12ミリの赤マルボロを吸っているためかなり強い喫煙感に慣れてしまっているので、タールが少ない煙草みたいな吸い口だったら容赦しねえぞと思ったけど、意外としっかりしていた。一回吸うと紙巻きと同じくらいの満足感は得られる。ここは結構よかった。
あと、紙巻きでのいわゆる金魚吸いみたいに適当に吸うとうまく吸引できないので、一回一回がゆっっっくり落ち着いて吸い込むことになるし、チェーンスモーキングにはならなさそう。
紙巻きの時は煙草片手に仕事していたけど、電子だとそれができないしゆったり吸うために煙草に集中することになるので、仕事の区切りにはいいかもしれない。とにかく仕事中にパカパカ無尽蔵に吸ってしまうことはなくなるだろう。
味:舌触りは全然違う。燃焼ではなく加熱なので、吸うたびに生温い空気を吸い込むことになる。寒いときならほっこりしていいかもしれないけど、少し気持ち悪い。でも味自体は、慣れたらいけそうという感じ。
あと当然だけど灰が落ちない。灰皿から灰がこぼれたり、机の上に灰をこぼしたり、火種が落ちたり、そういうのが全くないのは潔癖症の人にはいいかも。潔癖症の人はそもそも煙草吸わなさそうだけど。
臭い:ここ!!!!!!電子タバコの最大の欠点って臭いだと思う。
電子タバコは臭わない?どの口が言ってる?鼻死んでるんか?????
確かに煙草の臭いは全くしないけど、電子タバコ独特の人工的な臭いがすごく強い。紙巻きとは違う種類の臭い。
この臭いは人によって感じ方が違うっぽいけど、私は「ヘンプのあの葉っぱの形の芳香剤が吊してあるDQNの新車」「走ってる車の中で臭うと車酔いを助長させそう」「プラスチックを燃やしたような臭い」て感じ。とにかく人工的で、特有の気持ち悪さがある。体調悪いときに吸ったら吐き気を催しそう。
紙巻きの臭いは、臭いのは臭いけど「煙」の臭さという感じだと個人的には思うのだけど、電子タバコは本当に人工的な臭いの不快感がある。新車の臭いが苦手な人にはきついと思う。私だ。
この「独特の臭い」が最大の問題で、口臭はたぶん軽減されるけど、空気にずっと漂っている。寝る前に吸って、7時間寝て起きたらまだ臭っている。紙巻きのにおいは慣れてしまって気にならないだけかもしれないけど。紙巻きよりよっぽど換気が必要。
煙草が臭いのは明らかである。服に臭いもつくし、口臭くなるし、部屋も歯も黄ばむし、火事のもとにもなるし、おまけに体に悪いし、もう最悪である。喫煙者が嫌われるのはわかるし差別されて然るべしと思うので、喫煙所が減ってきたり肩身が狭くなるのは当然だろうと受け入れてきた。けれど、電子タバコが「俺は煙草じゃないですけど?w」みたいなツラで台頭するは許せない。お前もめちゃくちゃ臭いが!?!?!?別に健康にもよくねーから!!!!調子に乗るなよ。
そして、香水との相性。煙草は植物由来なので、ちゃんと探せば意外と相性の合う香水も結構あるのだ。煙草が原料に含まれてる香水もある。相性悪いと本当に臭いので気をつけなければいけないことには変わりないけど、探せばある。スモーキーな匂いの香水かっこいいんだよ〜。
でも電子タバコの人工的な臭いは、相性の合う香水を探すのはかなり骨が折れそうだなと思う。試しに手持ちの香水を強めにつけてから吸ってみたけど、臭いが合体して独特の臭みを放ってしまった。
まあ、体には臭いがつきにくいから、吸ったあとに服をパタパタしたら大丈夫なのかな…。ここらへんはまだ第三者に臭いを嗅いでもらってないのでわからないです、ごめんなさい。
あと、服に臭いがつかなかったり口が臭わないのは確かだけど、空気中への残留は紙巻きより圧倒的に強いと実感したので、空気清浄機が必須かもしれない。うーん。
電子タバコオンリーの喫煙所が増えてきてムカついていた頃に煙草が増税したので、いっそ移行するつもりで試してみたけど、どうしてもこの独特の臭いが慣れないので、iQOSは「どうしても紙巻きは吸えない」という場所で吸う時のためだけに持っておくことにした。ということで、日常的には紙巻きを吸い続けます。
私は最終的に「やっぱり紙巻きの方が好き」に落ち着いてしまったけど、電子タバコへの移行を考えている人にとっては、iQOSのこのサービスは結構おすすめできるとは思う。なんてったって無料だし。
工業機械を用意するより人間にやらせた方が効率がいい作業の数はこれからドンドン減る。
知能を使えば大丈夫という幻想は完全に壊れたし、繊細さにおいても人間じゃ絶対に叶わなくなってきた。
コンビニですら日本中で自動化して誰も困らなくなる日はきっと近い。
「セッタ」「俺の顔を覚えてね―のか」「前に来た時買ったヤツ」機械が本気を出せば人間より上手にコレに対応出来る。
あるのだ。
ただ1つ残っている。
人工知能や工業機械を用意する手間すら惜しまれるクソみたいな仕事だ。
AIが増えた世界で人間がやる仕事は、社会の歯車どころかネジのミゾ一個分程度のカスみてーな役割だ。
たとえばだ、中卒ヤンキーの子供がハーバードを出て年収4桁の世界で働いたとして、その金を親が自由に使えるだろうか?
そんなはずはない。
強いて言うなら、超エリートのAI様が作ってくれた素晴らしい社会システムの中で、生活保護者のようなポジションでぶら下がるのが良い所だ。
まあ、俺はそれでいいがね。
コンビニの話が出るとデイリーヤマザキの前後ぐらいで話題に出てくるイメージのポプラ。
学生の頃一年ほどバイトしてたのを思い出したのでちょっと書く。
なんでポプラを選んだかっていうと、バイト=コンビニ店員かマクド店員っていうイメージしかなかったのと、単純に実家から最寄のコンビニがポプラだったから。
働いていたのは当時本部直営だった店で、意外にも田舎の割に善戦していて全国的に見ても割と上の方な売り上げだったらしい。
デキる元ヤンみたいなイケメン社員の人がエリアマネージャやりながら店長もしてたけど、
仕事のできるアパレル業界志望のギャルバイトを副店長に指名して、ほぼ店の運営は任せてた気がする。
普通ならこのグラム数以上、大盛ならこのグラム数以上、みたいな決まりがざっくりあるだけなので、
並の時は一応大盛りの基準を超えないように加減して盛るけど、大盛りになるとリミッターが外れるので盛れるだけ盛る感じだったみたいだ。
目分量で基準のグラム数+10g圏内に盛る技術を熱心に磨いてしまって、最終的にはほぼ+8g以内におさめていたので、きっとものすごいハズレ店員だっただろうと思う。
酒やたばこを買いに来る近隣の不良未成年のグループや鳶職っぽい若者のグループに、レジにくる一人ずつ丁寧に年齢確認していたら凄まれて、
一緒にシフトに入っていたおばちゃんに「怖いから二度としないで」って後から怒られたりもした。
当時は今より年齢確認はザルなのが普通で、実質ほとんどやってなかったようだ。
バイトは廃棄になる弁当をバックヤード限定で食べさせてもらえていたけど、
ご飯に関してはご飯の容器が有料で、ご飯自体は無料という扱いだったので好きなだけ食べていいよと言われて、
当時いつもお腹をすかせていたし、家では母親が粗食傾向だったのもあって、コンビニ弁当を食べなれていない俺にとってすごいごちそうだった。
ここは夢の国か!?とか言いながら毎回弁当3個分くらいのおかず+山盛りのご飯をモリモリ食べてたら、バイトし始めてからあっという間に10%ぐらい太った。ポプラ恐るべし。
入店と同時に「マイセン!!」と叫びながらレジに来たおっさんに、どのマイルドセブンですか?と候補を並べたら「違う!違う!!」というので、
「??マイルドセブンですよね?番号教えていただいていいですか?」と聞いたら、
「何言うとんのじゃァ!セッタァ!!ボックスゥ!!!言うとるじゃろが!!こんダボァ!!」と怒鳴られるとか。
プルプル震えながらやってきたおじいちゃんにお釣りを渡した手をガシっと両手で握られて、
「アンタはこんな所にいていい人じゃない!目ェ見たらワシにはわかる!」
「アンタの目は澄みきって、こんなにも輝いておる!もっとちゃんとしたところへ行きなされ!」
「ふさわしいところへ行くと!この老いぼれに約束してくだされェェェ!!」と20分ぐらい拘束されたりとか。
そのうち、店長がエリアマネージャ業に専念するために、本部から新しい店長がやってきたけど、
電車男の俳優さんをもっと野暮ったくしたようなイメージの人で、いまいち前の店長に比べて仕事ができなかったらしく、バイトのおばちゃん達から盛大にナメられていた。
事前に翌月のシフトに入れない日の聞き取りがあったので、この日は資格試験があるのでダメですとメールで送っていたのに、その日に思いっきりシフトを入れた挙句、
「知ってるけど入れた。自分で代わりを見つけるか、試験すっとばして来い。」と据わった目で言われて、
ああ、この人、俺なら言うこと聞きそうだと思って、自分が交渉してシフト調整できないから押しつけようとしたんだな、と思って、そのあとすぐに辞めた。
その後、直営からフランチャイズに移行したらしいけど、数年後には近くにローソンが出来た影響か、ひっそりと無くなっていた。
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追記
こんな独り回顧録みたいなのが伸びてる。ありがとうございます。
思いがけず文章を褒めてもらえているのもとてもうれしいです。
ブコメで風評被害が巻き起こりつつあるので1つだけ追記させてください。
百害あって一利なしとは言ったものだが、
吸っている人間同士に生まれる連帯感というかノリというか、
そういうものがあるってなんで言ってくれなかったの?
すげえ雑談しやすいぜ?
吸ってる銘柄をネタに初対面の人とうち解けることが出来たりするぜ?
先天的「いいこちゃん」だった俺は、
いいこと一つもないのに。
金かかるのに。
健康に悪いのに。
息クサくなるのに。
喫煙所のあの煙たさの中にいられる感覚も全く理解できなかった。
「こいつら全員馬鹿だ・・・」
そんな自分の考えを変えたのは、
影響を受けやすい人間だからなー。
なんかガツンとくるものがあったんだよ。書いた人ありがとう。
閑話休題。
俺は近所のローソンの自販機でマイセンのオリジナルを購入した。
でも吸い方が全く分からない・・・
ネットで調べた。
「吸いながらでないと火がつかない」なんて教科書に書いてなかったぞ・・・
「意外と灰は落ちずに頑張る」なんて吸わない奴はしらねーよ。
「口の中に煙を入れるだけでは気持ちよくはならない」なんてわかんねーよ。
たばこに関して、なんで知らないことがこんなに多いんだ?
実質知識ゼロじゃねえか。
読書量の少なさが悪いのか?
いや違う。
思えば、中高時代にたばこを吸っちゃうような知人がいなかったからだ。
大学でもそうだった。
ところが社会人になって面食らった。
みんな「吸える」(←ここ重要)んだ・・・
いろんな人種と付き合わなかった報いだろう。
「なんで体に悪いものを自ら進んで摂取してるんだろう?馬鹿じゃあないのかあいつらは。」
俺たちは少数派だった・・・。
吸い方をネットで調べた。
23で。ああ情けない。
初めてのたばこは緊張した。
久々に緊張した。
少年が初めてたばこを吸った瞬間の描写があったのを思い出した。
自分の周りに大きなわっかが出来て、クラクラして世界が変わったような感覚になる絵だった(一コマ)。
緊張。
俺はくわえた。
火をつけた。
吸った。
音にするなら「クラーン」。
脳に衝撃が走った。
酒を飲んだときと同じような「頭のクラクラする気持ちよさ」があった。
しかし吸った後の苦さ(後味は銘柄によってかなり異なるということを知るのはその数日後。)がキツイ。
息くせえよ。
飯に煙の味が付くよ。
馬鹿じゃないのか?
俺は「慣れる」ことが肝心だと思い、
いろんな種類を試してみた。
吸わないと分からないことがあまりにも多すぎた。
数え切れない。
文化になって当然だ。
たばこのおかげかどうかは分からないが、
「始業の少し前に喫煙所に向かってたばこを吸う」関係の人間が数人出来た。
ちょっとした疑問や悩みや軽い趣味の話がしやすい。
楽しい。
今から駅前のたばこ屋に行く。
人口数万人の地方都市にしては充実したしなぞろえの店(しんせいとか峰とかコブラとかアークロイヤルがあるくらいのレベルだが)だ。
まだ30箱くらいしか買ってない。
少なすぎる。
あのエントリーを読んでなかったら、俺はたばこを知らないままだったんだろうか。
それともどこかにきっかけが落ちてるんだろうか。
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