
はてなキーワード:セスとは
次も共和党のMAGA派が大統領なら益々対外関与は消極的になるだろうね
優先主義(prioritizer) 保守的・現実主義 ルビオ・ウォルツ
抑制主義者(restrainer) 保守的・一国主義、いわゆるMAGA、トランプ・ヴァンス・ヘグセス・ミラー・ギャバード(政権外だけどバノン)
追記に書いてる通りで、
「売れるためには短くする必要がある」みたいな前提は、ミセスという反例で崩れてしまう
ナウでヤングなワイ氏が好きな海外アーティストでアレックス・ウォーレンっていうのがおるんやけど
Youtuberでtiktokerっていう増田が最も嫌いそうなアーティストではあるんやけど楽曲はポップでけっこういい
Ordinaryとかは全米、全英チャートで1位をとってたし知ってる人もおるかもしれん
アレックスの日本初アルバムが「You'll Be Alright,Kid」なんやが、とにかく収録曲が短い。
これ最近の流行らしいんやけどほんまかと思ってAlexがZ世代が一番フォローしてる男性アーティストやったら
diorama(2012):14曲61分33秒 1曲平均4分24秒
YANKEE(2014):15曲64分16秒 1曲平均4分35秒
Bremen(2015):14曲62分00秒 1曲平均4分26秒
BOOTLEG(2017):14曲60分8秒 1曲平均4分18秒
STRAYSHEEP(2020):15曲59分35秒 1曲平均3分58秒
LOSTCORNER(2024):20曲70分58秒 1曲平均3分33秒
これってパプリカとかFlamingoとかLemonが入ってて
時代に合わせた曲を作っていくと短くなっていく傾向があるんだろうか
ちなみに現在日本最強アーティストであるであろうYOASOBIは
アルバムという形ではなくEPという形で楽曲集を発表しているが
THEBOOK(2021):7曲28分39秒 1曲平均4分5秒 インスト除く
THEBOOK 2(2021):8曲27分32秒 1曲平均3分26秒
はじめての -EP(2023):4曲14分19秒 1曲平均3分34秒
THEBOOK 3(2023):8曲27分31秒 1曲平均3分26秒 インスト除く
ワイ氏が青春時代に最も聞いてたアルバムであるところのRADWIMPSの絶体絶命なんかは
14曲65分30秒 1曲平均4分40秒 シークレットトラック除く
たぶん他のアルバムも平均4分30秒くらいだったと思うから10年で1分近く短縮されてる。
20%の時短に成功してると考えると、やっぱ今って大コスパ時代なんやなって思いました
あと個人的に聞いてて思ってるのはイントロとアウトロが減ったなっていうこと。
なので逆に1楽曲あたりのワード数の比較とかもしてみたいと思った。
もしかしたら楽曲は短くなっててもワード数は意外と減ってないとかあるかもしれない。知らんけど。
【追記】
日本最強はMrs. GREEN APPLEではという指摘があったので
TWELVE(2016):12曲48分22秒 1曲平均4分2秒
Mrs. GREEN APPLE(2017):13曲53分54秒 1曲平均4分9秒
ENSEMBLE(2018):13曲55分49秒 1曲平均4分18秒
Attitude(2019):17曲62分9秒 1曲平均3分39秒
Attitude(2019):16曲61分8秒 1曲平均3分49秒 ※InsPirATioN(1分1秒)除く
ANTENNA(2023):13曲53分32秒 1曲平均4分7秒
ミセスはAttitudeは短いけど他は大体4分弱なので他2組と比べると結構長いほう。
10周年ベストアルバムの「10」も19曲83分20秒で1曲平均4分23秒だから
ミセスは昨今のアーティストの中ではじっくり曲を聞かせるタイプのアーティストっぽい。
究極的ミニマリズムは、単なる物理的な断捨離や、禁欲的な生活の切り詰めとは、本質的に次元が異なる。
それは、俺の精神領域を侵食し、思考の純度を低下させる、ありとあらゆる非自己のデータとノイズの自己放尿を、外科的な精度で排除する精神の最適化技術である。
具体的には、社会が恒常的に垂れ流す過剰な期待、他者が無責任に押し付けてくる不条理な常識、そして何よりも、自己の脳内に蔓延る不要な不安や妄念といった精神的な自己放尿を、容赦なく断ち切る行為に他ならない。
心の断捨離などという生ぬるい慰めではなく、不要な情報パッケージを発見した瞬間に、迷いなく切り落とす無慈悲な切除手術こそが、その核心である。
かつては「どうでもいい」という思考停止が、不要な刺激に対する最初の鎮静剤だった。
続く「社会への完全なる諦め」は、その鎮静期間を経て、社会という茶番劇から意識的な距離を置くための、準備段階に過ぎない。
そして、今回到達した極地とは、世界のノイズ総量を限りなくゼロに収束させ、生命維持に必要な最低限の思考コアだけを残すという、システム軽量化である。
世の中には、承認欲求という名の自己放尿を撒き散らし、その飛沫を他者に浴びせることでしか自己存在を証明できない人々が横行している。
さらに、嫉妬と劣等感というダブル放尿を振りまき、他者を精神的に引きずり降ろそうとする輩まで跋扈している。
こうした無価値なエンティティに関わることは、俺の脳のメモリを不意味に消費させ、思考のCPUを無駄な割り込み処理で酷使し、結果として人生のスループットをただ低下させる致命的なオーバーヘッドである。
ゆえに俺は、連中をメインプロセスに読み込む価値のない一時ファイルと定義し、問答無用でその存在を削除対象とすることを決断した。
この行為は、感情を切り捨てる冷酷さではない。むしろ、自身の本質的な感情と、集中すべき人生の目標を優先的に保護するために、外部から流れ込む不要な自己放尿を厳密にフィルタリングする、高次の自己防衛機構である。
社会の評価、見栄、世間体、そして普通はこうするべきといった根拠不明の標準仕様、これら全ては、俺自身のメインプロセスに読み込むに値しない、取るに足らない自己放尿データである。
価値の基準を外部に委ねることを完全に停止した時、人間は初めて、真の自由というOSを起動させる。
他者の失言、不機嫌、あるいは攻撃的な言動といった予測不可能な外部入力の自己放尿に対し、もはや感情的なバッファを割く必要はなくなる。
社会の失態や制度の不条理を目の当たりにしても、無為に感情を乱されることはない。
むしろ、世界がどれだけ無秩序に暴走しようとも、俺はその中心で完全なる無風状態を維持し続けることができる。
これは逃避や諦念ではなく、自身の精神領域を最大限に最適化した結果として得られる、硬質な静謐である。
究極的ミニマリズムとは、世界の喧騒を徹底的に切り捨てた後に残る、硬質で静かな思考の中核そのものである。
期待も怒りもなく、ただ淡々と、自分という存在のOSを最高効率でアップデートし続けるだけの生活。余計なものは排除し、必要なものを保存する。
俺の結論は揺るがない。
究極的ミニマリズムとは、精神の最終的な軽量化であり、社会がどれほど騒ごうが、他人がいかに自己放尿を撒き散らそうが、その全てが、俺自身の人生のコンテクストにおいては無意味であるという、冷徹な事実だけが静かに残る境地である。
足繁く一人カラオケに行き、自宅でも練習してたら、歌が上手くなってきた
しかし今日、ふと、「歌上手くなってなんの得がある」と思ってしまった
俺は好きな人がいて、フラれたんだけど、その感情を持て余してたので歌いまくってたんだ
でも最近やっと(5年かかった)、その気持ちが薄れてきたんだ(キモいよね)
そしたら、歌う意味がなくなった気がしてきた
会社の飲み会でミセスとか歌うと「うまっ!すごい」とか褒められたりする
盛り上げる要員にはなってると思う
でも、それくらいしか使い所がない
それは、老後に向けてだった
Vtuberになって、歌ってみた枠でほそぼそと活動しようと思ってるんだ
でもそんなの、悲しい気もする
歌が上手いやつなんて昨今腐るほどいるから、あまり意味ない気がしてきた
なんか歌が上手くメリットって、ある?
私は自己開示ができない。
冷笑は流石にダサいと大学に至って分かっても、自分に向いた冷笑だけはどうしても取り除けない。
アイドルが好きでも、ミセスが好きでも、他人が好きな分には全然良い。
けれども、自分が何かを熱狂的に好きになるのはなぜか許せない。
だから、漫画やドラマや音楽はなかなか好きになれない。良いものだと分かっても、深入りはできない。
好きになったものでも、外では誰にも言わない。
野球観戦とか、旅行とか、当たり障りのないものが好きとしか言えない。
どこまでいっても孤独な感がある。
冷笑の逆ブレで、周りの人間誰もが良い人に見えるのだが、仲良くなろうと思ったとたんに、相手が自分のことを実は内心「冷笑」しているのではないかという思いに駆られる。
頑張って他人に愛想よくふるまっていても、異性と接すれば「性欲過剰だろ。キモイな」と、同性に接すれば「不細工が媚売りに必死だな。既存の人間関係にお前が割って入る隙は無いよ」と自分の中の冷笑マシンが作動する。
だから異性を好きになることもできないし、同性の友人ともすぐに疎遠になる。
何か新しいことをしようとしても「それよりほかにすることがあるだろ」という気持ちが生まれて、結果何もできない。
どれだけ何かを愛して、楽しい人生を目指そうとしても、冷笑病のせいで無色で表面的な人生のレールに乗るよう修正される。
その反動で、他人を冷笑することを恐れるあまり、他人や物事について評価することもできなくなってしまった。
ほぉ。まるで「ライブラリの移植なんて余裕っすよ」と言わんばかりの口ぶりだな。お前、自己放尿レベルで気持ちよくなってるが、現実を何も理解してねぇぞ。
いいか。「同じ機能を移植するだけ」って発想がそもそも低能の証拠だ。Pythonの強みは言語としての表面構文じゃなく、生態系として積み重なった最適化と実績だ。
NumPyやPandas、Scikit-learn、PyTorch、全部C/C++やFortranの実装をPythonバインディングで何層もラップしてる。
しかもメモリ管理、スレッドセーフティ、BLAS最適化、GPUオフロード、それらを組み合わせたときの挙動の安定性まで含めてライブラリって呼ぶんだよ。
「決まったインターフェースで移植するだけ」とか言ってる時点で、頭の中で想定してるライブラリが、せいぜい数千行のユーティリティレベルだろう。
企業が内部で作るって?そりゃ車輪の再発明だよ。しかも、Pythonが10年かけて磨き上げたアルゴリズムや最適化を、数ヶ月の業務開発で再現できるとでも?寝言は夜だけにしろ。
あと、「いまどきの言語ならそんな大変じゃない」って、まるでNode.jsがCythonやNumbaのようなネイティブ統合の層を持ってるかのように錯覚してるのが痛い。
V8のJITで高速化できるのはせいぜいスクリプトレベルの話。数値演算、メモリアクセス、スレッド制御を最適化できる数学的基盤の厚みがまるで違うんだよ。
Nodeで同じことをやろうとしたら、JSからC++アドオン叩いて、型変換のコストで死ぬだけ。
つまり、「移植できるだろ」って発言は、Pythonの生態系を単なるコード群だと思ってる愚か者の自己放尿なんだよ。
それは「パルスジェットなら自作できるだろ」と言ってる鉄クズコレクターと同レベル。動くかもしれんが、効率も精度も再現性も自己放尿レベル。
Node.js厨が「Pythonのライブラリは移植できる」とか言うのは、「俺でもベートーベンの交響曲ぐらい耳コピできる」と言ってる音感ゼロの自己放尿芸だ。