
はてなキーワード:スローンとは
反乱者たち見終わった
S3でまさかのスローン大提督登場に オビワンとの決闘で終わるモールの長かった戦いと今までクソ長いCW見てきた集大成っぽかった。
あとは時代が進んだのもあってEP4以降のキャラもちょくちょく出てるのも新鮮味。
前半はあんだけ出ずっぱりだった尋問官たちの霊圧が綺麗に消えちゃったのは気になった。規模が小規模な反抗から反乱軍としての立ち上げ以降大きくなっちゃったからなんだろうけど。
というかそもそもただの敵役って以上のキャラクター性がなかった気がする。大尋問官とか強いはずなのに、精神ブーストが入ってたとはいえまだ覚醒前で並みのジェダイくらいのケイナンに負けてるし。
フォールンオーダーで強敵かつ、悲哀に満ちたキャラクター性が描写されてたのを見てからだったので割と扱いにはションボリだった。
あと、どうしてもストームトルーパーみたいな中身人相手だと酷い倒され方する場合かわいそう感でちゃうなと思った。
長くなりすぎて切れた
それだけ当たり前の存在になったってことだろうから良いことだけど、今でも男V需要ない問題は定期的に議論されるネタ
それに、VΔLZを男同期初って書いたけど、実は初じゃなくて初ってはVOIZなんだよね
当時は初として騒がれてたからそう書いたけど
当時は特に、そして今でも、大きな箱の個性だから運営として目立たせたいのは当然
とはいえ、目立たせるといっても女V を下げるって意味ではなく、女V と同等の扱いをするということ、女Vならデビューして普通に受け入れられる土壌だけど、男というだけでギョッとされる土壌の中で、普通に受け入れられるような扱いをするというだけ
でも、普通に受け入れられることが異端だから、その状況をみて男Vの時代だと錯覚するだけじゃないかと思う
過去を忘れたのかと思う
昔、なに炎上があれば大抵のことは、クロノワのリスナーのせいにされてた
リスナーが冤罪っていってもどちらかのリスナーのせいと責任転嫁されてた
当時はアーカイブみたらわかるような偏向報道切り抜きで本当に炎上してて、それはニコニコに上がってたんだけど、コメントでどちらかのリスナーのせいだ〜みたいに他責されがちだった
炎上に関わらず、今で言う自分大好きな推し活女みたいな感じでレッテル貼られて敵視されてた雰囲気もあって理不尽だったよね
それに、自分が女オタクなので、女オタクの裏垢も見れてたから言うけど、当時人数が少ないからこそ粘度の高いコミュニティで悪口が共有されてた
クロノワの話した後だから、繋げられそうだけど、全体的な話なので勘違いしないでね
女ライバーとコラボした時に、女ライバーがちょっとダル絡みしたら、TLがお気持ちで埋まって同時に低評価が200弱増えたのを見た
すぐ可哀想ってお気持ちして、ライバーの気持ち代弁もよく見たし、人数多くないから目立ってなかったのか、ユニコーン=悪、それ以外は問題ないみたいな風潮で見逃されていたのか
そもそも当時は無法地帯でTwitterも配信チャットもすぐお気持ちで溢れたから女リスナー限った話じゃないっていうのは大前提
でも、ガチ恋お気持ちとか公開アカウントで普通に見れたし、荒れてたこと裏垢なんて知らなくても分かりそうだから、当時を知ってる人で今酷くなったと思う人がいるならちょっと不思議
エデン組までは〜と批判の道具にされがちだけど、エデン組がデビューした時、スローンズのこと女向けって今のアイドル売りみたいに叩いて、二人ともFPS勢だったから、またApexかよって叩いてのを見たよ
こんな感じでが新人批判を追っていくと、ずっと同じような理由で叩かれてるのが分かるよね
だから、また新人に何癖つけてる人いるけど鳴き声みたいなものだから同調したり傷つかないでほしいな
方向性が本当にかわったなら、方向性が変わる前のライバーが、無理を強いられるよ
それは方向性が変わったよその箱が証明してるから、例えば男Vが女絡みNGにでもなってから方向性変更って言ってほしい
新しいものだけを指して方向性が変わったって言われても、昔からある物もちゃんと残ってるのにね
頭が固くて新しい要素を受け入れられないだけなんじゃないかなと思う
SEEDsが悪いわけではない
多少の自虐のつもりだろうけど後輩叩きファンネルかと思うときはあるけど、結局それを武器にしようとしてるのはリスナーだし
それに、SEEDsと比べて新人は〜と叩くが基本的にデビュー数年の現在と比べている
その人初配信とか1年位はかなり大人しかったし、今と比べてもなと思うこともある
何年もやってる人の今と新人を比べるのは普通にお局仕草なのでやめたほうがいいと思う
特におじさんや奇抜な見た目がにじさんじだと思っている人はSEEDs=にじさんじなんだろう
でも、それならゲマズまで平均中・高校生だったにじさんじはにじさんじではなくなるんだよね
前にも書いたが、1.2期生やそれ以前のVTuber文化を知らない人が新規として入っていたのがSEEDs
だから、SEEDs=にじさんじとして評価する人がいるのは分かるけど、いくらなんでも引きずりすぎじゃないか
流石に、古参面するためにその人たちに便乗してる新規いないか?
もし居るなら、その人たちまあまあ偏ってるというか、個人の感想だから自分で見たものを優先してほしい
昔から批判が繰り返されてるといったように、昔からいるけど一部の厄介ではなく広がっていると思う
VTA卒の新人なら面白いか判定してやろうと斜に構えて見に来る
「これはにじさんじ」って、単なる身内ノリの褒めはだったのに、最近はにじさんじ判定士の方々が品定めに初配信見に来るの時の判定ワードになってると感じる
何事も初めて見たときは感動する
でも、その時は感動を感じていても、記憶の中で感動も含めた感情として残るから、初見の気持ちをずっと求めてしまうんじゃないか
にじさんじ=社不なのも、分かりやすい尖りを求められて昔からそうだと言われるのは違和感
昔はにじさんじのやべえやつと呼ばれていて、一見、赤子の拳とか言っててやばそうなのに、裏話を聞くと真面目でそのギャップがいいって言われてた
もちろん社不もいるし、社不ムーブもあるけど、今みたいに笑い話というより普通に叩かれることのほうが多かったと記憶してる
むしろ、配信者は尖ったことしろだけど、配信内容以外は社会性かなり求められて燃やされてたと思う
最近は新人が裏でちょっと丁寧な文章を送っただけで面白くないだの言われて理不尽
今はかなりリスナーも寛容になって許されてることが、さも昔から許されてるように言って、新人批判されてると私の記憶と違いすぎるし、過去を美化しすぎだし、誰がそんな歴史改変を広めてるんだと思う
いや、受からなくてよくね?
言葉の綾で、そういうタイプって意味だよと言われるんだろうが新人がデビューするたびに見る意見をは2号を探してるように思うけど違うのかな
突飛な発想ができて、配信者適性があって、ラインは理解していて…
受からないだけでどこにでもいるような言い方はちょっと失礼じゃないの
それこそ、委員長のご学友が委員長以上にやばいし面白いけど、配信には載せられないって言ってたように、その微妙なバランスを持ち合わせてる人は珍しい
それに、1回バズったからそれに味占めて似たような二番煎じを探しても寒いだけだし、まだいないような枠を探してるのはいいと思うんだけどね
2号がでたから同じように面白いわけではないし、委員長や野良猫が100人いても面白くないだろう
批判してる人はそうは言ってもアイドルばかりで、同じじゃんと言うだろうが、それは勝手なレッテル貼りをして勝手に同じにしてるだけ
極端な話面白くないと思うことは悪いことではなく、多様性の証明でもあると思う
それだけの種類を集められているなんてすごいことじゃないの
ざっくり言うと、今の新人叩きと似たような話+イベント批判+Apex批判
当時その通りだ、にじさんじは衰退するんだ、大変だと騒がれたけど無事に5年経ったね
今改めて見返すと本当に今の批判と似たような内容で笑える
きっと次の5年も安泰だろう
サムネはここ一年くらいの新人で、コメントも最近のスレだと思ってここ一年くらいのライバーのリスナー批判をしてた
つまり、最近変わったという批判は正しくないし、リスナーは何年経っても同じような内容で最近は変わった、もう終わりだと嘆いている
───────────────────────
8年も見てると毎年言われててもういいよという感じなんだけど、最近は新人批判が一部の厄介ではなく界隈に広まって詳しい面するための道具になってしまっていると感じる
批判してると自分が正しい気がして気持ちよくなれるからやめられないんだろうけど
今新人を批判する時、それは大抵あなたの推しもデビューした時にも使われた武器だったりするからね
批判や評論家面をすることを楽しむ不健全なコンテンツとして広まらないでほしい
マイナスを集めるとマイナスしか見えなくなるからじ楽しいことだけ見てたらいいのに
批判を辞めろとは言わないけど、根拠のない理不尽な批判に晒される新人を見たくないな
Twitterで久々に新人気になって戻ってきたら新人潰しファンダムになったの?ってツイートがあって胸が苦しかった
その人がいつぶりに戻ってきたのか分からないけど、やっぱり勘違いじゃく新人潰しが界隈に蔓延しているんだ
昔はRPガバガバ声も良くないみたいな所が尖ってるみたいに言われてて、その後RPしてない声が良くないと叩かれるライバーが出てきて、最近は設定文で全て知ったように批判され声がよかったらイケボ生主wとか言われるのどうしようもない
設定は怪文書って言われてのに最近は設定が若いだけで話が合わないとか、本当は話が合うのにコメント欄だけ見てリスナーと話が合わなくて可哀想と煽ったり…
いわゆるにじさんじらしさってなんなんだろうな
そんなに男が嫌いで女リスナーが嫌いならホロライブがあるのに、ちゃんと差別化されてていいのに、何で文句言いながらにじさんじを見ているのか
たぶん、ホロライブのリスナーみたいにユニコーンじゃないと意地張ってんのかな
わざわざ文句言ってネチネチアイドルwと嫌味ばかりの女々しい人が女批判なんて出来たもんじゃないし、キモいところもあるだろうけど素直にホロを推す向こうのリスナーのほうが絶対幸せだしまっとうだと思う
初見はみんなピュアだけど、ずっと見てると自分の中で理想化した配信が生まれて文句が出やすいと思う
でも、それで生まれた気持ちは配信側じゃなくて自分の変化だったりするからモヤモヤを消したいからって原因にしやすい、新しい要素や新人へ八つ当たりするのは辞めれないのかな
新人の見た目もにじさんじらしくないとか言われるけど、こんだけ人数いたら被らないように装飾とか増えていくのは当たり前で、同じような雰囲気なら同じ絵師にするか、似たり寄ったりの見た目になるだけで難しいよ
それだけ当たり前の存在になったってことだろうから良いことだけど、今でも男V需要ない問題は定期的に議論されるネタ
それに、VΔLZを男同期初って書いたけど、実は初じゃなくて初ってはVOIZなんだよね
当時は初として騒がれてたからそう書いたけど
当時は特に、そして今でも、大きな箱の個性だから運営として目立たせたいのは当然
とはいえ、目立たせるといっても女V を下げるって意味ではなく、女V と同等の扱いをするということ、女Vならデビューして普通に受け入れられる土壌だけど、男というだけでギョッとされる土壌の中で、普通に受け入れられるような扱いをするというだけ
でも、普通に受け入れられることが異端だから、その状況をみて男Vの時代だと錯覚するだけじゃないかと思う
過去を忘れたのかと思う
昔、なに炎上があれば大抵のことは、クロノワのリスナーのせいにされてた
リスナーが冤罪っていってもどちらかのリスナーのせいと責任転嫁されてた
当時はアーカイブみたらわかるような偏向報道切り抜きで本当に炎上してて、それはニコニコに上がってたんだけど、コメントでどちらかのリスナーのせいだ〜みたいに他責されがちだった
炎上に関わらず、今で言う自分大好きな推し活女みたいな感じでレッテル貼られて敵視されてた雰囲気もあって理不尽だったよね
それに、自分が女オタクなので、女オタクの裏垢も見れてたから言うけど、当時人数が少ないからこそ粘度の高いコミュニティで悪口が共有されてた
クロノワの話した後だから、繋げられそうだけど、全体的な話なので勘違いしないでね
女ライバーとコラボした時に、女ライバーがちょっとダル絡みしたら、TLがお気持ちで埋まって同時に低評価が200弱増えたのを見た
すぐ可哀想ってお気持ちして、ライバーの気持ち代弁もよく見たし、人数多くないから目立ってなかったのか、ユニコーン=悪、それ以外は問題ないみたいな風潮で見逃されていたのか
そもそも当時は無法地帯でTwitterも配信チャットもすぐお気持ちで溢れたから女リスナー限った話じゃないっていうのは大前提
でも、ガチ恋お気持ちとか公開アカウントで普通に見れたし、荒れてたこと裏垢なんて知らなくても分かりそうだから、当時を知ってる人で今酷くなったと思う人がいるならちょっと不思議
エデン組までは〜と批判の道具にされがちだけど、エデン組がデビューした時、スローンズのこと女向けって今のアイドル売りみたいに叩いて、二人ともFPS勢だったから、またApexかよって叩いてのを見たよ
こんな感じでが新人批判を追っていくと、ずっと同じような理由で叩かれてるのが分かるよね
だから、また新人に何癖つけてる人いるけど鳴き声みたいなものだから同調したり傷つかないでほしいな
方向性が本当にかわったなら、方向性が変わる前のライバーが、無理を強いられるよ
それは方向性が変わったよその箱が証明してるから、例えば男Vが女絡みNGにでもなってから方向性変更って言ってほしい
新しいものだけを指して方向性が変わったって言われても、昔からある物もちゃんと残ってるのにね
頭が固くて新しい要素を受け入れられないだけなんじゃないかなと思う
SEEDsが悪いわけではない
多少の自虐のつもりだろうけど後輩叩きファンネルかと思うときはあるけど、結局それを武器にしようとしてるのはリスナーだし
それに、SEEDsと比べて新人は〜と叩くが基本的にデビュー数年の現在と比べている
その人初配信とか1年位はかなり大人しかったし、今と比べてもなと思うこともある
何年もやってる人の今と新人を比べるのは普通にお局仕草なのでやめたほうがいいと思う
特におじさんや奇抜な見た目がにじさんじだと思っている人はSEEDs=にじさんじなんだろう
でも、それならゲマズまで平均中・高校生だったにじさんじはにじさんじではなくなるんだよね
前にも書いたが、1.2期生やそれ以前のVTuber文化を知らない人が新規として入っていたのがSEEDs
だから、SEEDs=にじさんじとして評価する人がいるのは分かるけど、いくらなんでも引きずりすぎじゃないか
流石に、古参面するためにその人たちに便乗してる新規いないか?
もし居るなら、その人たちまあまあ偏ってるというか、個人の感想だから自分で見たものを優先してほしい
昔から批判が繰り返されてるといったように、昔からいるけど一部の厄介ではなく広がっていると思う
VTA卒の新人なら面白いか判定してやろうと斜に構えて見に来る
「これはにじさんじ」って、単なる身内ノリの褒めはだったのに、最近はにじさんじ判定士の方々が品定めに初配信見に来るの時の判定ワードになってると感じる
何事も初めて見たときは感動する
でも、その時は感動を感じていても、記憶の中で感動も含めた感情として残るから、初見の気持ちをずっと求めてしまうんじゃないか
にじさんじ=社不なのも、分かりやすい尖りを求められて昔からそうだと言われるのは違和感
昔はにじさんじのやべえやつと呼ばれていて、一見、赤子の拳とか言っててやばそうなのに、裏話を聞くと真面目でそのギャップがいいって言われてた
もちろん社不もいるし、社不ムーブもあるけど、今みたいに笑い話というより普通に叩かれることのほうが多かったと記憶してる
むしろ、配信者は尖ったことしろだけど、配信内容以外は社会性かなり求められて燃やされてたと思う
最近は新人が裏でちょっと丁寧な文章を送っただけで面白くないだの言われて理不尽
今はかなりリスナーも寛容になって許されてることが、さも昔から許されてるように言って、新人批判されてると私の記憶と違いすぎるし、過去を美化しすぎだし、誰がそんな歴史改変を広めてるんだと思う
いや、受からなくてよくね?
言葉の綾で、そういうタイプって意味だよと言われるんだろうが新人がデビューするたびに見る意見をは2号を探してるように思うけど違うのかな
突飛な発想ができて、配信者適性があって、ラインは理解していて…
受からないだけでどこにでもいるような言い方はちょっと失礼じゃないの
それこそ、委員長のご学友が委員長以上にやばいし面白いけど、配信には載せられないって言ってたように、その微妙なバランスを持ち合わせてる人は珍しい
それに、1回バズったからそれに味占めて似たような二番煎じを探しても寒いだけだし、まだいないような枠を探してるのはいいと思うんだけどね
2号がでたから同じように面白いわけではないし、委員長や野良猫が100人いても面白くないだろう
批判してる人はそうは言ってもアイドルばかりで、同じじゃんと言うだろうが、それは勝手なレッテル貼りをして勝手に同じにしてるだけ
極端な話面白くないと思うことは悪いことではなく、多様性の証明でもあると思う
それだけの種類を集められているなんてすごいことじゃないの
ざっくり言うと、今の新人叩きと似たような話+イベント批判+Apex批判
当時その通りだ、にじさんじは衰退するんだ、大変だと騒がれたけど無事に5年経ったね
今改めて見返すと本当に今の批判と似たような内容で笑える
きっと次の5年も安泰だろう
サムネはここ一年くらいの新人で、コメントも最近のスレだと思ってここ一年くらいのライバーのリスナー批判をしてた
つまり、最近変わったという批判は正しくないし、リスナーは何年経っても同じような内容で最近は変わった、もう終わりだと嘆いている
───────────────────────
8年も見てると毎年言われててもういいよという感じなんだけど、最近は新人批判が一部の厄介ではなく界隈に広まって詳しい面するための道具になってしまっていると感じる
批判してると自分が正しい気がして気持ちよくなれるからやめられないんだろうけど
今新人を批判する時、それは大抵あなたの推しもデビューした時にも使われた武器だったりするからね
批判や評論家面をすることを楽しむ不健全なコンテンツとして広まらないでほしい
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批判を辞めろとは言わないけど、根拠のない理不尽な批判に晒される新人を見たくないな
Twitterで久々に新人気になって戻ってきたら新人潰しファンダムになったの?ってツイートがあって胸が苦しかった
その人がいつぶりに戻ってきたのか分からないけど、やっぱり勘違いじゃく新人潰しが界隈に蔓延しているんだ
昔はRPガバガバ声も良くないみたいな所が尖ってるみたいに言われてて、その後RPしてない声が良くないと叩かれるライバーが出てきて、最近は設定文で全て知ったように批判され声がよかったらイケボ生主wとか言われるのどうしようもない
設定は怪文書って言われてのに最近は設定が若いだけで話が合わないとか、本当は話が合うのにコメント欄だけ見てリスナーと話が合わなくて可哀想と煽ったり…
いわゆるにじさんじらしさってなんなんだろうな
そんなに男が嫌いで女リスナーが嫌いならホロライブがあるのに、ちゃんと差別化されてていいのに、何で文句言いながらにじさんじを見ているのか
たぶん、ホロライブのリスナーみたいにユニコーンじゃないと意地張ってんのかな
わざわざ文句言ってネチネチアイドルwと嫌味ばかりの女々しい人が女批判なんて出来たもんじゃないし、キモいところもあるだろうけど素直にホロを推す向こうのリスナーのほうが絶対幸せだしまっとうだと思う
初見はみんなピュアだけど、ずっと見てると自分の中で理想化した配信が生まれて文句が出やすいと思う
でも、それで生まれた気持ちは配信側じゃなくて自分の変化だったりするからモヤモヤを消したいからって原因にしやすい、新しい要素や新人へ八つ当たりするのは辞めれないのかな
新人の見た目もにじさんじらしくないとか言われるけど、こんだけ人数いたら被らないように装飾とか増えていくのは当たり前で、同じような雰囲気なら同じ絵師にするか、似たり寄ったりの見た目になるだけで難しいよ
夏が苦手なので現実逃避したい。ジャンルは問わず、小説でも漫画でも写真集でもゲームでも。
今までに触れたものは
・さよ(ゲーム)
・北欧貴族と猛禽嫁の雪国狩り暮らし(漫画で読んだ。完結してしまい寂しい)
・氷(小説)
とか。
【追記と返信】
予想以上の量で来年の夏も越せる気がしてきました。
いただいた返信を読んでいるうちに「寒いシーンというより、寒い環境下にある生物の話」を求めていることに気づきました。また、映像作品は普段まったく触れないので宝の山でした。ありがとうございます。
読み始めました。
検索したところ、オマケで「氷点下で生きるということ」というドキュメンタリーも釣れました。ありがとうございます。
積んでしまいそうで躊躇していましたが買いました! やるぞ!
最高だ〜!!! Steamセール中だったので買いました。嬉しい。
はい!
エロゲはノータッチでした。虚の少女がタイトル名で気になったので探して見ます。
北條民雄好きです。作品集を積んでしまっていたので読みます。きっかけをいただきありがとうございます。
Permalink |記事への反応(44) | 17:11
間違いがあったら教えてください。
Permalink |記事への反応(14) | 19:19
みんな大好きFINALFANTASYの最新作、16がついに6月22日に発売されました。早速クリアしましたので、感想を書きます。ネタバレもりもり要注意。
まず、この感想を書いてる私自身について説明する。なぜなら、FFとの関わり方、ゲームとの関わり方で、感想って変わってくると思うので。
正直、FF15が100点満点でストーリーが5点、音楽と世界観とキャラがそれぞれ150点で、トータル75点みたいな出来だったので、16は期待していた。プロデューサーの吉田氏も、16はストーリーにかなり注力したと言っていたし。
FFにはお馴染みの召喚獣がメインストーリーでフォーカスされていて、とにかくトレーラーを見ると召喚獣合戦がカッコいい。主人公は国を滅ぼされ弟を殺され、奴隷の身分に落とされた復讐者。北部の国。鉄の王国。狼の相棒。そこはかとなくゲームオブスローンズ臭を感じるが、ゲームオブスローンズ大好きな私はむしろ好意的に受け止めていた。
あのさぁ、【ラスボスは神】、【人間は神の家畜として作られた存在】、【世界のさまざまな謎の説明が『神が(自分の都合のいいように)そう作ったから』】、【神が主人公に執着するのは、自分の器にするため】、【主人公たちは神を倒して神の支配(庇護)の下から自由になる】ってストーリーやめにせえへん?「めちゃ強いやつが敵」ってなると神くらいしかいないんだろうけど、「神になろうとしてる、地球外生命体の遺伝子を持つ元英雄」とか「時間圧縮で世界の支配を目論む未来の魔女」も充分脅威だし、オリジナリティあるやん。神もちだすと、なんでもありになっちゃう。「でかい魔法使うために(主人公)の肉体が要る。そのため主人公は特異体質。」って言われても、神なら肉体が無くてもどうにかできんのか?肉体がないと魔法使えないって決めたのは誰?もっと上位の神…?とか冷めちゃうのよ。
数カ国が召喚獣の武力をたのみに資源(クリスタル)を巡って戦ってるのに、割と序盤に神の介入で国ほとんど滅びるし。せっかくなら最後まで人と人の争いがメインであって欲しかった。もうあのクソババア(実母)がラスボスとか、もっと捻って欲しかったよ。例えば神が介入してたとしても、クソババア操ってました、とか。
55/100
90/100
70/100
350/100
散々いろいろ言ったけど、犬(狼)が最後まで無事なので全てよし。これまで世界を一緒に巡ってやばいモンスターとも戦った相棒なのに、最終決戦では置いていくっていう主人公の優しさが素晴らしい。この子がらみのサブクエは泣けるので、絶対やるべし。あとモーグリが可愛い。
日本では'76年に、フィレス・レーベルの作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかもCDのボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者のインタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証致します。
1958年、17才にして彼は”スター”でした。この後ポップスの歴史を彩ることになるクリスタルズやロネッツ、キャロル・キングやバリー・マン、ビーチ・ボーイズやビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思います。ポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージ・マーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質を理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサーの仕事だ、という常識的な意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点でヒッチコックを捉えるとおもしろい解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります。黒沢さんもそうですね。)
デビュー・アルバム「TEDDY BEARS SING」のB-1「IDON'TNEEDYOU ANYMORE」の<ステレオ・バージョン>はナント、リード・ボーカルの女の子の声が左で、真ん中がフィルのコーラス、しかも、ところどころリード・ボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。
デビュー前からしてこうなのですから、自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。
SCHOOLもの
のちにブラック・ミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリスト、ギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽は一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分のデビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]
また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者のキー・ワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラス、バイクというスタイルが流行しました。
彼のでデビュー・ソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生のお気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子が自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至の若者のフィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法、スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事なことなのです。
ある程度、あるいはそれ以上の音楽の素養がなければミュージシャンや作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロックの時代でした。子供が技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供が子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽の単純化に拍車をかけました。ジャズが豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズが大人の音楽で、背景はナイトクラブと女性とお酒が似合いましたが、子供の音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。
麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDooWapブームの背景は街角-ストリート・コーナーが似合ったわけです。
それにくらべて土地の広大な中西部や西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本のロックのサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器は感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽の素養は必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギター・インストゥルメンタル>でした。これは、楽器を感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズの単純化がロックとすれば、これはさらに、ロックの単純化で、その極致であったわけです。
これが<ガレージ・サウンド>の正体でしたが、この時代に呼応するかのように、新しく生まれた現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージや居間などでの<ホーム・レコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモ・テープのような、ある意味では乱暴
チャートに登場するようになり、まさに音楽の大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスもバディ・ホリーもデビュー曲は地方の、オヤジさんが社長、オカミさんが専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。
それまでの録音は、演奏者と録音技師はガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師が演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホーム・レコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンドの母体となるのです。
スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時から、スタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢は最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウル・ミュージックの追求というのは、スターにありがちな<後付け>である、と私は考えています)。
このホーム・レコーディングが、実は<スペクター・サウンド>の根幹なのです!<BACK TOMONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり、大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハル・ブレインのドラム>、整理は<J・ニッチェのアレンジ>、単純化は<L・レビンのミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクター・サウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。
この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターもギター少年でした。本名のフィル・ハーヴェイとしてインスト・レコードも発表しています。また'58、'59年はインスト・ロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンク・レイ、そしてジョニーとハリケーンズ、サント&ジョニー、サンディー・ネルソン(「TO KNOWHIM~」のドラムはデビュー前の彼です)、そして極め付きはギター・インストの王者、デュアン・エディーの登場でした。
日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドのユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETERGUN」などは後の<007シリーズ>や<バット・マン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'REYOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇のインスト・テーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージ・マーチン楽団の「リンゴのテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャー兼プロデューサーがレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオで仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクター・サウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。
シルはこの時すでにスペクターがプロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルがナント「BE MYGIRL!」。
スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム(佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターがポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。
例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOWHIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLDYOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます。
シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッションを見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BADROAD」(9位)で、この曲はナント<ベース・ドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベース・ドラムのイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。
エディーのスタジオは1トラックのテープ・レコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンドの秘密であった水道管やドラム缶をエコーに使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいます)スペクターが興味を持たなかったはずはありません。
そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンドの製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットやアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初に評価された人なのです。
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中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています。
その後シルは、スペクターをプロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークのリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代の代表的なコンビがレノン&マッカートニーとすれば、’50年代はリーバー&ストラーの時代で、ロック・ビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクターの学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供やプロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位を確立したのがこの二人なのです。
スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングのヒット曲「SPANISHHARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....
ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクター・サウンド>への引金になったと、私は思います。その手法でプロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERYBREATH ITAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクター・サウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初の作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルドン出版社の代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムのフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルはドラマーのゲイリー・チェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。
この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクター・サウンドを作ったのはやはり彼なのです。
この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクターの時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。
また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。
'60年代初めにシュレルズがキャロル・キングの名作<WILLYOUSTILLLOVE METOMORROW>
自分は配信系はほぼ全部網羅してるのでサービスにばらつきがあるのはすまない
あとタイトル並び見ればわかるけど偏りがけっこう、というか思い切りある。
実はS1をある程度見て離脱したけど、終盤に向けてじわじわよくなってると聞いて最初から全部見直していった。
それはさすがに無理あるな展開も出てくるが、ブレイキング・バッドとはまた違った家族犯罪巻き込まれドラマとして、味のある終わり方をしたと思う。
この作品で大ブレイクしたジュリア・ガーナーはイライラさせられつつ引き込まれる名演技連発だった。彼女がいなかったらここまで引っ張れなかったと思う。
S1の頃から見続けていて、待ちに待っていたS4なだけに一気見はしたものの、正直そこまで楽しめなかった。
これは仕方ないんだけど子役だった出演者がみんな大きくなってしまって、あんまり可愛げがなくなってしまったのが原因のひとつかもしれない。
そんな中でマックスだけが急激に魅力的になっていて、さらに彼女のテーマソング的にケイト・ブッシュの名曲Running Up That Hillがフューチャーされたのは鳥肌ものだった。
ゲームのサイバーパンクからのアニメ作品。この作品のおかげでゲーム購入者がかなり増えたとも言われてるヒット作。1話30分で全10話なので見やすかったので一気見。
ビジュアルはかなりかっこよくてキャラも魅力的。イケイケな展開かと思いきやちょっと切なさもあったりして作品としてまとまりが良かった。
SF的に目新しい要素とかはないものの難しい事を考えず安心して楽しめた。
原作漫画を読んだ記憶がおぼろげにあって、なんとなく見始めたら面白くて最後まで一気見してしまった。
まず原作がすごいというのが前提ではあるんだけど、実写ドラマになることでより生々しさが出てる、でもギリ重すぎない。1話30分くらいでまとめてるのも良いのかもしれない。
森崎ウィンもいいんだけど、浮世役の土村芳がはまり役で素晴らしかった。ちなみに映画版もあるらしいけどそちらは未見。
地方局のドラマということであまり有名ではないかもしれないけど、恋愛ドラマ好きなら是非見てほしい。
キリアン・マーフィーによるキリアン・マーフィーのためのキリアン・マーフィーがひたすらかっこいいギャングドラマ
これはもうただただ個人的にキリアン・マーフィーが見たくて見てるだけ。内容はもはやそれほどしっかり頭には入ってない。
一番の見どころはギャングの抗争でも恋愛でもファミリービジネスでもなく、キリアン・マーフィーのタバコ入れやライターがどんどん豪華になっていき、そのタバコを吸うシーンだけで満たされるという点。
ぶっちゃけ内容的にそれほど面白い展開はない。雰囲気がすべて。
3シーズンあるのでそれなりに人気作なのかもしれない。自分はS1だけ一気見した。
めちゃくちゃ地味な潜入捜査ものなんだけど、なんとなく見れてしまう系。
今年の頭くらいに一気見したらしいんだけど、ほとんど内容覚えてない。そういう意味ではほんとに暇つぶしにはこういうのがいいのかもしれない。
また暇で仕方ない時にS2見てみようかなと思う。
なんてったってあのウエストワールドのジョナサン・ノーラン作品ですよ(製作総指揮だけみたいだが)
(ちなみにこれは毎週1話ずつ配信だったので一気見ではないけど、一気見できたら確実にしてたと思うので入れてる。)
今年一番楽しみだったドラマで、中盤までは最高だった。後半はちょっとあれ?ってなったけど、まだもち直せるぞと密かに思ってる。
本当の評価はS2を見てからと決めているが、ちゃんと作ってくれるよね・・?
まあ映像だけでもきれいなので見てて気持ちがいい。SFなので設定とかの面白さはもちろんだけど、出てくるキャラもいい味出してる人だらけ。
クロエさんもかわいくていいですよ。
相変わらず面白かった。このドラマはS1~S3通してずっと面白い。
暴力的でグロい表現がやたら多いのでダメな人にはまったくダメだと思うが、そっち系OKなら最高のアンチヒーローもの。
物語としてはS2でいったん区切りがついた感もあって、若干の中だるみも感じるもののホームランダーの孤独と狂気にやっぱり夢中になってしまう。
S3があまり面白くなかったので忘れていたけどいつの間にかU-NEXTにきてたので視聴。結果は一気見。
新たな展開という流れでストーリーはとても面白かった。S3からあれ以上変に引っ張るよりはこっちのほうが正解な気がする。
S1の衝撃は個人的にいまだに強烈なので、そこを超えるまではいかなかったものの、SFドラマとしてはクオリティ高いと思う。
ちなみにS5もあり得る終わり方だったけどS4で打ち切りだそうです。うんそのほうがいいと思う。
ペリフェラルと同じく毎週1話ずつの更新だったけど一気見できるなら確実にしていたのでこれも入れる。
ゲームオブスローンの前日譚なのでもちろんGOTファンには刺さりまくるわけだが、GOT見てなくても全然問題ない。GOTより何百年も前の話なので直接的な関連する要素はないので。
適当な作品だったら嫌だなあと思って見始めたが面白すぎて毎週楽しみで仕方なかった。
話の重厚さ、面白さ、キャラクターの魅力、世界観の厚み、映像の美しさ、全て非の打ち所がないのでマジありがとうございます。
いや、ストーリーに関していえば、ちょっとスケール感じないというか、お家騒動的な内輪もめを繰り返してるだけやん?と思わなくもないがドラゴンが全てを解決する。
S1の主役はレイニアではなく王様。玉座のシーンはめっちゃ泣けた。
U-NEXTはハウスオブドラゴンのために入会したんだけど、ついでに拾ったこちらのドラマがめっけものだった。
スーサイドスクワットのスピンオフになるんだが、笑えるわ暴力的だわ泣かせるわで三拍子そろった名作。
思い切り人を選ぶけどさすがジェームズ・ガンといった内容で個人的にはスーサイドスクワットより好きかもしれない。
他にもディズニープラスとかAppleTV+でなんか見てた気がするけど調べるの面倒になった。
今年の発見はU-NEXTだったと思う。今までなんとなくイメージでスルーしてたけど充実度はけっこうなものだ。
古い映画なんかもけっこう揃ってるので、旧作primeがしょっちゅう入れ替わるアマプラよりいいかもしれない。
MITの3人の学者による研究で、Twitter上では、嘘のニュースが本当のニュースよりも急速に、しかもかなりの差で拡散することがわかった。
MITスローン経営大学院の教授で、この研究結果を詳述した新しい論文の共著者であるSinan Aral氏は、「我々は、虚偽が真実よりも著しく遠く、速く、深く、そしてより広範囲に、すべての情報カテゴリーで、多くの場合、一桁の差で拡散することを発見しました」と述べています。
MITメディアラボのメディア芸術科学准教授で、メディアラボのLaboratory for Social Machines(LSM)のディレクターであるDeb Roy氏は、この研究の共著者でもあります。ロイは、Twitter上で真実と偽りのニュースが異なる軌跡を描くことに、研究者たちは「驚きと唖然の間のどこか」だったと付け加えています。
さらに、研究者たちは、虚偽の情報が広がるのは、基本的に、不正確な記事を流すようにプログラムされたボットによるものではないことを発見しました。その代わりに、人々が不正確なニュースをリツイートすることで、ツイッター上での偽ニュースの速度が速くなるのです。
この論文の共著者で、LSMのポスドクであるSoroush Vosoughiは、博士課程の研究が今回の研究のきっかけとなったと語っています。
この研究では、この現象を定量化するさまざまな方法が示されています。例えば、虚偽のニュースがリツイートされる確率は、真実のニュースよりも70%も高い。また、本当の話が1,500人に届くまでの時間は、嘘の話が同じ人数に届くまでの時間の約6倍かかるという。Twitterの「カスケード」(リツイートが途切れることのない連鎖)については、デマは事実の約20倍の速さでカスケードの深さ10に到達します。また、どのカスケード深度においても、虚偽の発言は真実の発言よりも広くユニークなユーザーによってリツイートされている。