
はてなキーワード:スポンサーとは
VAMBI氏側には、何度もLINE・DMなどを送っています。
そもそも、オファー〜今まで、催促しないと返信が来ないということが何度も何度もありました。
「放送前のVTRチェック→承諾までは配信しない」と契約書で結んでいたので、放送の1ヶ月前に確認を依頼→2週間前に再度連絡→1週間前に再度連絡するも、全て無視されていました。(証拠のスクショをツリーに貼っておきます)
別件では連絡をとっているのに、VTRチェックの件は「時間をください」もなく、完全に無視。
放送前日まで連絡がなかったので「また(3回目)無連絡でオンエア延期かな」と思っていたら「明日この内容で配信します」と突然VTRを送ってくる。
「明日までにチェック→修正依頼→修正は無理なので延期してください」と言っても「スポンサーがいるので変更できません」「無理です」「すいません」
「承諾がないと配信しないという契約にはなっていますが、オンエア日の調整については契約書内で触れられていないので、対応する義務はありません」という謎理論で強行突破。
「逆らったら強制退学」と言われていたので「配信中止を求めたら、退学になってしまうかもしれない」と思い、それ以上は強く言えませんでした。
これがVAMBIのやり方です。
それでも好意的な宣伝をしていたのは「逆らったら強制退学」の制約があったからです。
「REAL INFLUENCERの数字を伸ばさなければ、貢献しなければ、いつ見込みなしと判断されて切られるかわからない」という恐怖感があったからです。
だから、嘘をつかない範囲で「番組の良かったところ」をピックアップして、宣伝に貢献していました。
でも、入学を蹴られたならもう恐れる必要はありません。契約書の内容に違反しない程度に、自由にお話していこうと思います。
学長(@HEROZZ_VAMBI)はクソですが、講師には魅力があると思ったし、自分一人ではこの状況から脱却する方法もわからないので、藁にもすがる思いで出演や入学を決めました。
で、その利益を得る方法を断たれたので、せめて理不尽を公表し、志願者やHERO'ZZへ入学を検討している方の判断材料を落としておこうと思っただけです。
十分な利益を得ているのに悪く言うのはカッコ悪いかもしれませんが、得ていないので。
契約の時には気がついていたので、自分から「承諾なしに配信しないという一文を契約書に盛り込んでくれ」とお願いし、このような契約に至りました。
名誉毀損で訴えられる可能性は全然あるなと、今も恐ろしく思っております。
しかしこの情報を伏せることは、今後の番組志願者や入学希望者を騙すことにもなってしまうので、気をつけながら情報を置いていくしかないと考えています。
できることとしては「公益性」のあるものや「すでに公になっている情報」「自分の感想」に限定し「番組の営業上、技術上の情報」を避けることくらいかと。
また番組側から一度は「NGなしで話して良い」「こちらの不手際があったのはこちらのせいだから」とのコメントもいただいております。
あなたに悪意があるかは判断できかねますが、事実を精査しないまま一方的な憶測で「無視されているわけでもないのに〜」と否定されることに、非常に傷つきました。
それが不本意であるなら、今後は「是々非々」「一方の意見を過信しない」というスタンスで、今後も見守っていただけますと幸いです。
「謝罪が入学の条件」だとしても、先に伝えていただけたら承諾したと思います。
でも「入学条件を調整したい」「条件の内容は動画撮影の中で伝える」「当日まで明かさない」と言われてましたから。
「金を払え」「アカウントを消せ」「コスプレをやめろ」などと言われる可能性も自分は考えていました。
自分の意に反するものや、絶対にやりたくないこと、これまで守ってきたものをぶち壊すような条件を出されても「飲まなければ退学」ですから。
断って私が泣くようなことがあれば万々歳。
飲めば「でも動画でOKしたよね?証拠あるよ?」と詰められ続ける。
ある程度のリスクや理不尽は覚悟で下手に出ていましたが、そこまでこき下ろされるような理不尽に耐える必要はなかったですよね。
「VAMBIのいう『大衆を取れ』って、こうやってやるんだな〜」と実感しています。
x.com/the_Vambi/stat…
詳しくは言えませんが、
という雰囲気は、VAMBIさんの対応からずっと感じていました。
ゴーストが私に囁くのよ「原作全然覚えてなくてよかったな」って、64点。
事故で脳以外を失った主人公は義体というメカの身体を手に入れ"少佐"として公安9課で働く。サイバーテロリストと戦う中でそのボスの正体が自分の過去に関わっていること、そして義体を自分に与えた国際的テック企業の闇に触れてなんやかんや頑張っていろいろ解決する。
みたいな話。
たぶん原作は士郎正宗じゃなくて押井守の映画版だと思うんだけどたぶんDVDかなんかを借りて中学くらいの時に見た気がするんだけど何も覚えてない。少佐がゴリラになって戦車のてっぺんをモギモギするシーンだけ覚えてたけど、今作でも再現されていて僕満足。それ以外についてはエロ同人誌でしか知りません。くらいのテンション感の文章だと思って読んでけろ。
まず、ヴィジュアルは結構頑張ってたと思うし、何よりアクションが良かった。
タイトル後のハンカ社とアフリカ系大統領が会談中にテロリストに襲われて少佐がそれを制圧するシークエンス。出てくる芸者ロボのキモオリエンタルな感じはかなりよかったし、透明化した少佐がガラス越しに銃撃し、ガラスを突き破って突入するところは美しさと格好良さの両方をちゃんと表現できてたと思う。突入してからのアクションも概ねよかったけどMATRIXを意識したと思われるワイヤーアクションはちょっとふわふわすぎて微妙。
敵のアジトに乗り込んでまんまとボコられるシーンでも暗闇の中でスタンスティックのフラッシュでアクションを細切れに移す手法とかもそこまでめっちゃ新しいってわけではないけど俺は好きだし、水辺での近接アクションシーンも透明化ってギミックとの噛み合いがよくてよくできてた。
ただ、街の遠景とかになると急にCG感が爆上がりするしふとしたところで安っぽい質感やなってなる部分があって気合入ってるところと抜けてるところの落差は結構感じたかな。少佐のえちえちスーツの質感もなんか妙にマットな感じでもっといい感じの質感にならんもんかとは思った。
あとはアレだな。主人公スカヨハでたぶんめっちゃ鍛えたんだと思うんだけど、むこうの女優が鍛えると普通にゴリってくるのでCGモリモリのファンタジーアクションの中でもスタイリッシュな格好良さってよりは「うおっ、ガタイ良っ!」ってなって笑っちゃった。中盤で普通に脱ぐシーンが出てくるんだけど背筋もめちゃめちゃモリってて強い(確信)ってなった。
キャラで言うと北野武が演じる課長は全然合ってなかったので別の人のほうが良かったと思う。急に桃井かおりみたいな女出てきたなと思ったら桃井かおりだったのでびっくりした。
ストーリーに関しては良くも悪くもなかった。
事故で身体を失って大企業のスポンサードによって機械の体と新たな記憶を受け取るも途中で徐々に記憶が戻り始め、決定的な人物と接触することで記憶が戻り、大企業の偉い人に戦闘ロボットを嗾けられるもこれを排除し大企業の偉い人は死亡するのであった。
こ~れはGITS信者ブチギレですよ。まぁ、俺は別にGITS信者じゃないので目新しさはないが一定の強度がある展開だなぁと素直に思いましたよ。なんでそんなことするの?みたいな混乱もなくスッキリと整理されていてストレスが少なかった。
ロボコップと違って主人公の大切な人枠が今回はテロリストで、仲間達とつるんで楽しく反企業活動してたら誘拐されて義体実験に使われたけど少佐以外は適性がなかったので殺されたり捨てられたりしたので企業を憎んでたって設定になっていて、まぁ納得性はあるけどもっと政治的、哲学的な思想があってもよかったと思う。
義体化という人間の感覚が機械に代替された=外部からアクセスすることでその人にとっての現実を乗っ取ることも可能であるという世界に置いてのサイバーテロリストの動機が昔ながらの仲間の仇ってのは、逆に正しいのかもしれないけど正直つまらん。
少佐の最終的な結論が「身体がどうこうよりも自分が何をするかが大事だよね☆」ってのも凡庸すぎる。まぁハリウッドのブロックバスターエンタメの限界か。なお、ブロックをバスターできなかった模様。
ホワイトウォシュ問題とかいろいろあるだろうけどそもそも原作の素子は日本にいるからアジア人の外見をしている(汎用モデル)だったので、今回、舞台を欧米にした結果として外見が欧米人になっているのは理屈としては通ってるんじゃないの?知らんけど。エロ同人によく出てくる"草薙素子"の話も回収はしてるし。
でも、いつまで日本と中国を「オリエンタルな感じ」でひとくくりにしてるねんという部分に関してはイカンのイを唱えさせていただく。近未来のアメリカではチャイナタウンと日本人街とコリアタウンが合併されてアジアタウンになってる可能性がなきにしもあらずんば虎児を得ずか。
まぁそんな感じ。原作のアニメ版?漫画版?に思い入れがある人には不満も多いかもしれないけど、ちょっとゴージャスなMATRIXフォロワーの大作SFアクション映画としては一定の合格点は与えられる出来だと思うよ。原作信者じゃない人にはまぁまぁオススメ。
落選議員の処遇、常に400人以上の国政議員の政治活動を可能にするための金
自民党は落選議員が次の選挙まで政治活動を続けるための金が他党と比較にならないほど多い
今回のように突然の解散・衆議院選挙が始まったときに、政権をとるためには常に400人近い候補者を現職・新人・元職合わせて常に活動させておかなくてはいけない
野党は選挙で新人が落選した場合、その人は4年後まで無職無収入。なので落選時点で国政政治家としてのキャリアはほぼ終わる。
チーム未来を見てもわかるように、いくら支持があっても議員を選挙区に擁立しないと議席が取れない。
与党になるためには、常に400人近い人間の顔と名前を数年にわたって売り続けなければならない。それには膨大な金が要る。
現職が300人だとすると、残り100人に対して一人当たり年収1000万、政治活動費1000万、併せて2000万円の現金を持たせなければならない。
これは一年あたり20億円という金額になる。落選候補が多い場合は30億、40億円になる。そして最大4年のインターバルがあるわけだから、次の選挙まで100億円近い金がないといけない。
自民党はこの金を集められる。常に400人という候補者に飯を食わせることができる。だから強い。公明党もそう。公明党も落選議員のサポートが手厚い。
立憲、国民。金がない。寄付金が集まらない。政治資金パーティーに人が来ない。なので、議員が落選して、その後4年間その人たちに次の選挙に向けて政治活動させ続けることができない。
となると選挙区に候補者を擁立できない。で、そのまま自民党候補が勝つ。その繰り返し。
政治は金。
立憲みたいに現職が100人前後しかおらず、しかも安定して勝ち続けられる議員がいない政党は、落選議員の金銭サポートはかなり困難。自民党の数倍の資金が必要になる。
現職100人だと次の選挙のために300人の候補者に数年仕事を与えて政治活動を続けてもらわなければならない。
先ほどの試算では、年間1人あたり2000万とすると、60億円。これを3~4年やろうとすると200億円前後。
つまり200億円の金がないと、そもそも選挙区に擁立できる候補者を用意できない。
そして選挙で負けるとさらに用意しなければならない資金が増える。スポンサーもお手上げ。いくら資金支援しても負けたらさらに負担が増える。負ける度に増え続ける。そして支援の見返りもない。
なので勝てない。
日本でもたまにニュージーランドでプライド・パレードやインド人の宗教行事に立ちはだかってハカを踊る集団が紹介されていることと思う。
動画のキャプションには「ニュージーランドの誇りを守るために」であるとか「ワガママばかり言う迷惑外国人に対抗するために」などとあまりにも大嘘なことが書かれており現地民はこのようなプロパガンダを見るたびに日本もここまで落ちたかと悲しくなっている。
これらの更新は正式な手続きを経て認められた合法なものであり、また、マオリを含めた現地の宗教団体が作る協会では全く支持しない姓名が出されている。
こういった迷惑行為を敢行する団体はいかにも愛国者というふりをしてハカを踊るのだが、この集団はブライアン・タマキという男性が主催するニュージーランドのキリスト教系カルト集団デスティニー・チャーチが下部組織を作って行っている。
デスティニー・チャーチ本体でやっていないのはおそらく本体に何らかの問題が起きることを避けるためであろうと陰謀論的に考えているし、こういった組織にお金をかけて作っているあたり(例えばユニフォームを作る、それなりの人数を集める、動画撮影をして配信をするなど)に誰かがスポンサードしているのだろうとも思っている。
現在この集団が画策していることの一つが「ハーバーブリッジを歩いてデモ行進する」と言うものだ。
このハーバーブリッジというのはオークランドのCBD地区とノースショア地区を結ぶ交通上の大動脈であり、これが塞がれてしまうと壊滅的な渋滞が発生する。多くの人は通勤すらできなくなってしまう。
同時にこの橋は人が歩いて渡るような設計もされていないため、このデモ行進は却下されている。
ハーバーブリッジを生身の人間が渡るというのは、現地のマラソン大会などの特別な場合のみであるが、このときも大規模なデモ行進というよりはまばらに人が渡るという点で許可されている可能性が高い。
しかしデスティニーチャーチは「これまで何度も人が渡っているのに我々のデモ行進を却下することは違法である」という立場をとっている。警察やオークランド市、また、NZTAという道路を管理している団体は、人が渡ることではなく、その規模や用途が橋にダメージを与えかねないということを懸念して却下しているのだが、デスティニーチャーチ側は何が何でも論点を合わせようとはしない。
このデモが一体何を目的にしているかだが、コロナ規制に対する反対デモという名目だった。そもそもこの目的すらなんで今ハーバーブリッジでやるのか全くわからない。ニュージーランドではコロナ感染率は現在では世界トップクラスの感染率を誇り、もはや日常とかしている。
かつてジャシンダ・アーダーンが本来踏襲すべき法的手続きを無視して国家非常事態宣言を宣言してロックダウンを強行、それによって国内は家庭内暴力が深刻化し、企業は倒産し、失業者で溢れ、彼らの年収を保証するために凄まじい額の国債を発行してしまったのだが、このときは国民は皆で協力してこの難局を乗り切ろうという空気感ではあった。
デスティニー・チャーチは「このデモ行進ができなかったらニュージーランドは二度とその機会を逃す」と言っており、強行する姿勢を見せているようにも見えるが、だったらどこか別の安全な場所でやればいいのにと多くの人は思っているが、何故かハーバーブリッジをデモ行進で渡ることに固執している。
最悪なシナリオとしては内戦のきっかけづくりだ。ニュージーランドではワイタンギ条約の破棄が現在論争を巻き起こしており、万が一ワイタンギ条約が破棄されればマオリ族の権益が脅かされる可能性が高いことやマオリ文化が尊重されなくなることが懸念されている。
知性のあるマオリ族はならばより良いワイタンギ条約をみんなで作ろうと思っているようだが、デスティニーチャーチにいる野生動物のような彼らはそう考えていない。
マオリ語で白人はパケハというがこの言葉は侵略者という意味もあり、そもそもマオリ族は白人を信用していないということは根底にあり、その上でどう付き合っていくかを皆模索しているというのが正解だ。
2026年1月31日に企画されたこのデモ行進は、ビクトリア・パークという公園から開始されるのだが、おそらく当日は警察が厳戒態勢をとることになるだろう。
また、当日はカウンタープロテスト、つまりデスティニー・チャーチのデモ行進に対抗する別のデモが3つほど予定されており、万が一デスティニーチャーチのデモがこう言った様々な手続きの結果を無視してハーバーブリッジになだれ込むようなことがあれば大変な事になりかねない。
なぜ私がデスティニーチャーチがハーバーブリッジでデモを強行しようとしているのかと考えているかというと、彼らは「今回の決定は違法である」という立場をとっているからだ。違法な決定に従うことなどしないとブライアンタマキが一言言えばおそらくデモはハーバーブリッジになだれ込んでしまう可能性が高い。
ハーバーブリッジでのデモ行進がなぜ禁止なのか、という話だが、技術的には「それだけの人数がデモ行進をすることを想定して作っていない」という一言に尽きる。
ハーバーブリッジはもとは細い橋だったが、交通量の増加に伴って拡幅工事をしている。幅を広げた箇所は橋の本体に引っ掛ける形で作っているので、確かに強度は低いと思われる。
ハーバーブリッジの狭い区画に多くの人が集まってシュプレヒコールを上げるようなことがあれば、その箇所に深刻なダメージを与える可能性があり、もしそうなればオークランドの大動脈でもあるハーバーブリッジはしばらく使えなくなり、そうなるとオークランドはこれまで以上に深刻な渋滞に悩まされる可能性すらある。
ハーバーブリッジに人が集まってハカを踊る場合、ハカは足で地面を踏みつける動作も多用されるので、最悪橋が崩落などもありうるかもしれない。橋が崩落してしまえばニュージーランドの対応の遅さや不景気から今後数年は使えない可能性すらある。
オークランドは連日凄まじい渋滞が起きており、この影響で世界でもトップクラスに空気汚染が深刻な都市になっているが、これがさらにひどくなれば住民への健康被害すら起きる可能性が上がっていく。
しかしデスティニーチャーチは「このデモをやりたい、オークランドの決定は違法だ」といかにも強行を匂わせることを言っているため、当日は本当に出歩かないほうが良いだろう。
まだ、デスティニーチャーチという団体はニュージーランドにおいてはマオリやパシフィカが主な構成員となっており、彼らのフィジカルは日本人からは想像もつかないほどに強い。
相撲で言えば体型で言えば曙程度の人がそこら中にいるようなものをイメージすれば良いかもしれない。
生来フィジカルが屈強な彼らは生まれてから一度もトレーニングをしていなくてもすでに強い、と考えたほうが良いくらいに強いので、万が一乱闘にでもなれば警察も太刀打ちできない可能性があり、そうなれば重火器の使用や軍隊まで出てくる可能性すらある。それくらいにデスティニーチャーチのデモは規模が大きい。
今は単に大騒ぎしてハカを踊って終わっているだけで済んでいるが、これが乱闘となったらどのような大惨事になるか想像もつかない。
特に注意してほしいのは、すでに書いたがデスティニーチャーチのデモはマオリやパシフィカが主体となっている点だ。
彼らは民族間での横のつながりがとにかく強いため、もしかするとほうぼうで呼応した人々が何かをしでかす可能性も考えたほうが良い。
ボブサップくらいに巨大な人々が暴れれば日本人は遠隔武器でもない限り安全は保てないので、改めていうが家から出ないことをおすすめする。
もしも明日ニュージーランドに来ることを予定している人がいるのであれば、オークランド空港からできるだけ早急に滞在場所に移動することをおすすめするが、渡航延期が一番いいかもしれない。少なくともCBDには近づかないほうが良いだろう。
お前らさ、テレビと新聞しか見てない連中に何言っても無駄なんだよな。
マスコミが報じない。大学が教えない。だから「存在しないこと」にされてるだけ。
でもな、ネットは全部残ってる。
消しても、魚拓がある。消しても、スクショがある。消しても、海外サイトにミラーがある。
あいつらの理事、5年前のプロフィールと今のプロフィール、微妙に書き換わってるの気づいてるか?
偶然?
また偶然か?
それを指摘するとどうなる?
都合が悪いとすぐこれだ。
いいか、よく聞け。
中国共産党はな、
今は
・NPO
・研究会
・人権団体
「証拠は?」って?
あるに決まってるだろ。ただしテレビには一生出ない。
一本引っこ抜いたら芋づる式になる。
だから誰も触らない。
ネットは違う。
無名の個人が、必死で資料を掘って、翻訳して、突き合わせてる。
でも歴史を見ろ。
ワクチンも、公害も、情報操作も、最初に疑った奴は全員「頭おかしい」扱いだった。
で、後から「実は…」って小さく訂正。
いつもこれ。
俺はもう騙されない。
参政党の躍進にちょっと気持ちが昂ってしまった人たちが立ち上げた、文責もろくに示されていない謎コラム
https://tansajp.org/investigativejournal_category/soredemo/
気持ちが昂って抑えられなかったであろう2025年7月から始まり怒涛の7回更新を経て同年8月15日を最後に連絡は途絶えた・・・
しかも最後の記事はぶっちゃけ参政党と関係が無いのになぜこれに入ってるのかわからん
この活動に金を出すスポンサーなり流入していた公金なりが枯渇したのか、本人たちのやる気が失われたのか、その両方なのか知らんが
報道とかいうけど普通にそんときの気持ちの昂りだけで書いてるでしょ
最近、また選択的夫婦別姓の議論が活発だけれど、少し冷静に整理してみたい。
先に断っておくけれど、私は別に「伝統的家族観を守るべきだ」なんて主張したいわけじゃない。
改姓に伴う行政手続きが煩雑極まりないことも理解しているし、銀行口座からパスポートまで書き換える手間は、生産性の観点からも損失でしかない。
現状、そのコストのほとんどを女性側が負担しているという非対称性が、フェアでないことも理解できる。
キャリアの分断やアイデンティティの問題も、至極もっともな話だと思う。
ただ、今の社会をドライに見ると、別姓導入という選択肢は、『自由』を手に入れる代わりに、全く釣り合わないような難題を新たに背負うように見えてくる。
なぜ「全く釣り合わないような難題を新たに背負う」のか。
少し書き残しておく。
現行の「結婚時にどちらかの姓に統一する」というルール。 これは人権や個人の尊厳という観点からは批判の対象になる。
だが、全体的な視点で見ると、実は「将来発生しうる対立を、初期段階で強制的に解決してしまうメカニズム」として機能している。
結婚という事象は、当人同士の「愛」の結合に見えて、その背後には「家(夫の実家)と家(妻の実家)」の力学が厳然として存在する。
同姓制度は、この潜在的な緊張関係に、婚姻届提出という入り口の時点である程度強制的に枠をはめる。
「姓を変える=相手の家に一旦合わせ、合流させる」 この理不尽なまでの強制力によって、その後の「子供の姓の帰属」や「お墓の問題」といった火種を、オートマチックに処理する。
多少の運用コストを強いる代わりに、難題の解決をスムーズに保っているとも言える。
これは、 「選択肢が増えて自由になる」という単純な話では終わらない。
日本社会の深層には、まだ「家」や「先祖」といった、成文化されていない土着の価値観が根強く残っているからだ。
今までは「法律で決まっていますので」という錦の御旗で沈黙させられていた親世代・親族たちが、夫婦別姓化によって交渉のステークホルダーとして浮上してくる。
「うちは代々続く家だから」 「一人娘なのだから、こちらの姓を残してほしい」 こうした要望が、夫側と妻側の双方から顕在化する。
つまり、結婚が「夫婦二人の合意」で完結せず、「夫の両親」対「妻の両親」という、多者間の調整フェーズへと大きく複雑化する。
夫婦間の意識や人間力、交渉スキルがいくら高くても、背後にいる親族の意向を完全に無視して関係を維持できるカップルが、今の日本にどれだけいるだろうか。
よく妥協案として出される「1人目は夫の姓、2人目は妻の姓にすれば平等だ」というロジック。
これは一見公平に見えるが、子供の視点に立つと「家庭内における代理戦争」の引き金になりかねない。
同じ家の中に「田中くん(兄)」と「鈴木くん(弟)」がいる状態を想像してほしい。
ここで起きるのは、単なる兄弟喧嘩ではない。背後にいる祖父母(スポンサー)を巻き込んだ「資源の争奪戦」だ。
田中家の祖父母は「自分の家の名を継ぐ孫」である兄を可愛がり、教育費や遺産を集中投下するかもしれない。
「お兄ちゃんはお父さんの家の子だから」「僕はママの家の子だから」 親や祖父母からの愛情やリソースが、子供自身の資質ではなく「どちらのラベルを貼られたか」によって偏るリスクがある。
「兄は出来が良いからウチの跡取りに」「弟はパッとしないから向こうへ」といった、能力に基づく選別(ドラフト会議)が行われないという保証はどこにもない。
子供を「家を存続させるための駒」として比較し、競争させ、評価する。
そんな残酷な構造が、家庭という安らぎの場に持ち込まれてしまう。
では、その他の「条件付き運用」ならうまくいくのか。
「子供を持たないカップルに限ればいい」という意見もあるが、生殖は完全に制御可能なパラメータではないし、人間の価値観は可変だ。
数年後に子供が欲しくなった時、どうするのか。
ルール違反へのペナルティ設計(強制離婚?強制改姓?)など現実的ではないし、「この年齢ならOK」といった線引きは脱法行為の温床になる。
「結婚時に子供の姓をどちらかに統一することを義務付ける」という案。
論理的には一番筋が通っているが、これにも「家庭内に名目上のアウトサイダーを生み出す」という懸念がある。
夫だけ、妻だけが家の中で異なる姓を持つ状態は、結婚が本来持つ「新しい共同体の形成」という機能を毀損しないか。
いわゆる「ウォークイズム」的な議論は、個人の完全な自律と親和性の高い「最終的な理想地点」を設定し、そこに向けて「どう強制力を働かせるか」ばかりを議論しがちだ。
しかし、そこには「今を生きている人々の生活実感」への視点が欠落している。
でも、実際には多くの人が「家族みんな同じ名前であること」になんとなくの一体感や安心感を感じているのも事実だ。
その感覚を「古い」「遅れている」と切り捨てて、理想の型に嵌め込もうとするのは乱暴すぎる。
まずは現状の感覚を尊重しつつ、落としどころを慎重に探るべきだ。
何もしない、という選択肢や弥縫的な対処を短期・中期(50年程度を想定)的に模索することは、必ずしも悪ではない。
「進化すること」ありきで、現在の自分たちの感覚を否定して進むのは、社会実装の手順としてあまりに危うい。
結局のところ、選択的夫婦別姓という制度変更は、結婚の入り口にある「姓を変える負担」を取り除く代わりに、
その調整コストを「出産時」や「親の相続時」といった、より後段のライフステージへとタイムシフトさせているに過ぎない。
しかも、後になればなるほど、関係者は増え、状況は複雑化し、「譲れない条件」の争いとなり、解決の難易度は上がっていく。
いわば、「難問の先送り」だ。
今の日本社会の空気感、我々の内面化している価値観が、まだ「家」という引力に縛られている以上、この制度を「強力なリーダーシップで」実装するのはリスクが高すぎる。
結婚の自由度を高めるための制度が、皮肉にも調整コストへの忌避感から、結婚や出産そのものを躊躇させる要因になりかねない。
現状の過渡期においては、良かれと思ってトップダウンで線を引き直すと、より悪魔的な問題が噴出するようなことは起こりがちだ。
より大きなデメリットを解決するための、やる気もビジョンも実行力もないなら、法律的な措置は控えるのが筋だ。
活動家は「自分の主張に有利なこと」「つごうのいい事」を「今すぐやれ」と主張するだけで、デメリットやトレードオフは見て見ぬふりをする人間の集まりである。
左右どちらかに限った話ではない。
法律を通してさえしまえば、問題が起きても、「いいから法律に従え」としか言わなければいいので、どんなに卑怯でも法案成立だけを目指せばいいからだ。
活動家の主張を通した結果、新しく不幸な人が増えても、活動家は、まったく責任を取らないし、何もしないし、顧みることもないことは、始める前から明らかである(歴史はそれを証明している)。
昨今の少子化対策を巡る議論を見ていると、子育て世帯と独身・子なし世帯の分断が深刻化している。
「独身の負担ばかり増える」「実質的な独身税だ」という批判は、現在の制度設計を見る限り、数字の上でも感情の上でも正当なものだ。
しかし、ここで「子育て優遇はずるい」と対立し続けても、解は出ない。
なぜなら、国家というシステムが存続を目的とする以上、「次世代の納税者(構成員)の再生産」への投資は、国家システム基盤のデフォルト設定として不可避だからだ。
自民党だろうが共産党だろうが、あるいは独裁国家だろうが、国家が「自殺(消滅)」を望まない限り、子育て世帯への資源配分は自動的に発生する。これはイデオロギー以前の「生存本能」だ。
避けることはできない。
問題は、そのためのコストを払わされる独身・子なし世帯が、単なる「搾取対象(財布)」として扱われていることにある。
今回は、この不公平感を解消し、かつ合理的にシステムを維持するための思考実験として、「独身者=投資家モデル」を提案したい。
まず、我々が支払う子育て支援金(税金・社会保険料)を、「他人の子供への施し」と考えるのをやめるべきだ。
我々の年金はGPIFによって金融市場で運用されているが、30年後に株価がどうなっているかは誰にも分からない。世界恐慌で紙切れになる可能性もある。
だが、どれだけ金融市場が崩壊しても、「高齢者のオムツを替え、食事を運び、インフラを整備する物理的な労働力」の価値は消滅しない。
子育て支援とは、金融資産が毀損した際にも機能する「現物(労働力)」を確保するための先物取引なのだ。金があっても、働く人間がいなければサービスは受けられないからだ。
人口減少が避けられない以上、「頭数」で支える賦課方式はいずれ破綻する。
ならば、独身者(=投資家)は、政府に対して「ただ金をバラ撒け」ではなく、「投資対効果(ROI)を高めろ」と要求する権利を持つべきだ。
子供の数が半分になるなら、一人当たりの生産性(稼ぐ力)を倍にすればシステムは維持できる。
我々は「子供手当」という名の消費的支出ではなく、「高度な教育・科学技術教育」への集中投資を求めるべきなのだ。
「私の税金を使って、Googleやトヨタで外貨を稼ぐエリートを育てろ。底辺を底上げしろ。そして彼らが納める税金・社会保険料から、私の年金を払え」
これこそが、人口減少社会における正しい株主(独身納税者)の要求ではないか。
難しい経済用語はやめて、もっと単純な「出資と配当」の話をしよう。
現状、独身者が払っている支援金は、ブラックボックスに消えている。「誰かのために使われたらしい」で終わりだ。これでは納得感がない。
あなたが現役時代に払った「子育て支援金(現在の一部の税金や社会保険料)」は、特定の世代への「教育ファンドへの拠出」として記録される。
30年後、その投資を受けて育った「元・子供たち」が働き始めたとき、彼らの稼ぎ(GDPや平均賃金)がどうなったかで、独身・子なし世帯であるあなたの年金増加額が決まる。
あえて悪く表現するが、財布であるあなたの投資によって高度な教育を受けた子供たちが、Googleやトヨタでバリバリ稼ぐ「年収1000万プレイヤー」に育ったとする。彼らはガッポリ税金を払う。
政府は「スポンサー(独身者)のおかげで優秀な納税者が育ちGDPが増えました」として、その増えた税収の一部を、あなたの年金に「ボーナス」として上乗せする。
教育政策が失敗し、低賃金労働者ばかりになったら、あなたの年金ボーナスはゼロだ。
だからこそ、あなたは必死に政府を監視するようになる。「おい、俺の金を変なイベントに使うな! それに使うくらいなら科学教育に使って稼げる人間を育てろ!」と。
要するに、ただ金をむしり取られるのではなく、「将来、彼らが稼いだ金の一部をキックバックしてもらう契約」を結ぶということだ。これなら「他人の子供」は「コスト」ではなく「金の卵」に見えてくるはずだ。
端的に言えば、子育てコストを負担した独身・子なし世帯であれば、負担しなかった人よりも将来の年金が増える。
そういう「リスク・リターン」をシステムに組み込むことだけが、公平性を担保する唯一の方法だ。
感情論で「子供は宝だ」と言われても、負担が増える側は納得できない。
必要なのは、「独身者が払ったコストが、将来のリターン(物理的労働力と高付加価値税収)として返ってくる」という明確な社会契約・金融取引だ。
国家が「産めよ増やせよ」を強制するのは、それが国家の生存戦略だから仕方がない。
ならば、そのコストを負担する独身・子なし世帯は、一方的に搾取されるのではなく、「子どもの筆頭株主」としてリターンを要求するポジションを取りに行くべきではないだろうか。
一応言うが、このGDP連動型年金権は現在支払っている税金や社会保険料が変わることがない。新たな制度を作り、税金や社会保険料から予算を組み替えるだけだ。
税金や社会保険料が変わるとき、それは従来通りに税金や社会保険料が変わるという法案が国会で通ったときだけだ。
GDP連動型年金権があれば、リターンもなく一方的に搾取される独身・子なし世帯は「リターンがあるかも知れない」という資産構造的にはプラスの可能性を単純に得られる様になるわけだ。
更にここへ確定拠出年金の様に、一口いくらで任意の年金増額オプションが存在したらどうなるだろうか?
独身・子なし世帯の中でも高所得者は日本社会全体の教育・労働スキル水準を引き上げる増資をするという選択肢に魅力を感じるはずだ。何故なら既に保有する国内金融資産もまた成長する可能性が上がるからだ。
これまで独身・子なし世帯の利点ばかり話したが、子持ち世帯にどのような恩恵があるのか話そう。
母子・父子家庭に言おう。年に1度は東京ディズニーランドへ子どもも連れて行きたくはないか?子どもを大学進学させたくはないか?良い会社へ入れたくはないか?
GDP連動型年金権は年金増額オプションまで含めれば国の教育関連予算が確実に増える。母子・父子家庭が日々負担する教育コストが下がる。
私はTVで「一度は子どもを東京ディズニーランドへ連れていきたい」と言っていた母子家庭の母親の想いを観たことがある。それが実現する。
そもそも、既婚者は誰しもが独身時代というものを経験して結婚する。当たり前の話だ。
つまり、GDP連動型年金権は今後婚姻する・しないに関わらず全ての労働者に影響する。「年金なんて払っても意味ねーよ」という若者を見たことはないか?GDP連動型年金権は税金や社会保険料を支払うと意味が必ずある。
独身時代を経験した既婚者にも納得感があるはずだ。子持ち世帯ならば尚更納得感があるだろう。
GDP連動型年金権は出産・子育て・教育政策と予算を子持ち世帯だけの聖域にせず、全国民の「自分ごと」化させる。
独身・子なし世帯が「その教育予算の使い方は良くない。真っ当な使い方をしろ」「年金を上げるため教育予算を絞るな。しっかり子どもを教育しろ」と言えるようになる。
街ゆく子どもは我々の年金だ。何と可愛らしいことか、大きく育てよという気持ちにさせるではないか。
これがGDP連動型年金権だ。賛同する者はブクマやX(Twitter)などSNSで宣伝しまくって政党や政治家にアピールしよう!みんなで教育へ投資し年金を増やしていこう!
意外なほど反応が悪くて驚いてる。
国家の生存本能として次世代への投資は避けられないという前提がある中で、賦課方式は枯渇すると予想されているのに、基礎年金の固定分を維持したまま次世代へ投資をする事で将来のGDPと連動して加算ボーナスリターンを得るという方式に対して賛同しない理由とは一体何だろうか?
煽りでも何でも無く、君たちは一体年金をどのようにしたいのだろうか?このモデルは自分の年金が増えるという利己的な行動原理に従うだけで良いんだぞ?君たちは「子供は宝だ」と言っても納得しないだろう?だったら利己的に自分の年金を増やせば良いじゃないか。何が問題あるんだ?
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【はじめに:分析の前提と射程】
その焦点は、「所与のルールと制約条件下において、システムがいかに作動し、どのような均衡点に至るか」を記述することに限定されている。したがって、特定の政治家の資質、有権者の道徳的判断、あるいは個人の選択の是非を評価する意図は一切ない。
本文において個人の主体性や価値判断、「あるべき論」を意図的に捨象しているのは、それらの重要性を否定するためではなく、分析のレイヤーを「制度が生み出す必然的帰結」のみに絞るためである。
結論への賛否は重要ではない。もし論理の断絶や構造的な見落としがあれば、その指摘こそが本稿にとって最も価値あるフィードバックとなるだろう。
最近、19世紀の国家運営シミュレーションゲーム『Victoria 3』の視点で、現在の日本政治――特に先日発表された高市首相による「奇襲解散」――を分析してみると、ある戦慄すべき事実に気づいてしまった。
日本という国は、「民主主義」という皮を被っているが、その中身は特定の「利益グループ」以外が勝てないように調整された、極めて高度な「封建的寡頭政治(オリガルキー)」なのではないか?
多くの人が「なぜ野党は弱いのか」「なぜ経済は停滞するのか」を嘆いているが、システム論で見れば答えは単純だ。この国は意図的に改革が不可能なように、勢力均衡がロックされているからだ。
今回は、2026年の「高市解散」を実例に、日本という国家システムの裏側にある論理を解析する。
まず、今回の解散総選挙について。ニュースでは「大義がない」「奇襲だ」と騒がれているが、ゲーム的視点で見れば、高市首相(プレイヤー)の操作は極めて合理的だ。
通常の民主主義国家のルールなら、選挙は定期的なイベントだ。しかし、日本サーバーには「憲法7条解散」という特殊コマンドが実装されている。
これは、「首相(プレイヤー)の都合がいい時だけ、敵(野党)の準備が整う前に強制的に選挙イベントを発生させ、敵の組織力をゼロにする」という、ゲームバランス崩壊級の強力なスキルだ。
支持率という名の「正当性」が一瞬でも上がれば、即座にこのボタンを押す。これにより、野党は永遠にリソース(資金・候補者)を蓄積できず、万年「デバフ(不利な状態異常)」を受け続ける。これは三権分立というルールを無視した、行政権による立法権への「ハメ技」である。
では、なぜこのような強権的なプレイが許されるのか? それは、この国を支配する利益団体(インタレスト・グループ)の構成が、通常の近代国家とは異次元の進化を遂げているからだ。
ゲームのセオリーでは、工業化が進めば「農村民・地主」勢力は没落する。しかし日本では、「一票の格差」というシステム補正によって、彼らは21世紀になっても最強の「政治力」を維持している。
彼ら(JAや地方議員)は補助金と公共事業を吸い上げ、その対価として鉄壁の「組織票」を納品する。これは近代政党ではなく、システムに守られた「保守の要塞」だ。
本来、改革派であるはずの「知識人」グループが、日本では「官僚機構」に置き換わっている。
彼らの特性は「自由主義」ではなく「権威主義」かつ「現状維持」だ。政治家が選挙パフォーマンスをしている間に、実際の法律(コード)を書いているのは彼らだ。つまり、国の頭脳が保守と合体しているため、改革のトリガーが引かれない。
ここが日本の最も歪な点だ。本来、「実業家」は自由市場を求めて古い地主勢力と戦うはずだ。
しかし日本の実業家は、「護送船団方式」という固有イベントにより、政府の保護下にある。彼らは地主(自民党)に政治献金という名の「保護費」を払い、その見返りに有利な規制緩和を受け取る。
「改革」を叫ぶ実業家が、実は「保守」の最大のスポンサーであるという矛盾。これが「保守の永久機関」のエンジンの正体だ。
これほど歪んだ構造なら、シミュレーション上は民衆の「急進性(怒り)」が爆発して革命が起きるはずだ。しかし、日本は静かだ。なぜか?
日本企業は、終身雇用や年功序列(あるいはその残滓)によって、本来国家がやるべき福祉を代行してきた。これにより、労働者は「会社と運命共同体」となり、ストライキをする牙を抜かれた。
結果、労働組合は機能不全に陥り、国民は政治への怒りを向ける代わりに、「少子化(人口成長率マイナス)」という静かなるボイコット(退出)を選んでいる。
2026年の今、我々が見ているのは、高度な工業力と、中世並みの農業保護と、死に体の野党が同居する、キメラのような国家だ。
高市首相の「君子豹変」解散は、彼女個人の資質の問題ではない。このシステムがいかにプレイヤー(権力者)にとって都合よくできているかを証明したに過ぎない。
経済という巨大なエンジンが、その動力を最も効率よく伝えるために「自民党政治」というギアを選んだ。だから、エンジン(利益構造)を載せ替えない限り、ギア(政治)だけを弄っても車は変わらないのだ。
日本はハッキリ言って韓国以下、いや、台湾より最悪な慢性的な地獄の国になっているのは事実だし今後発展しないのは断言してもいいだろう。
その大きい理由の1つは利権と化した団体、メディア、再生産された富裕層か安全地帯で育つエリート地位にいる人材(悪魔)、大企業の寡占だろう。
本当に弱い立場にいる被害者側も声高に現状を話すことできず、結局は自死するか息をひそめるしかない。自分だって例外でない。
地方はおろか、中核都市も残るのは頭でっかちか、無能を通り越して有害な成功体験にとらわれ続けている属性を持つ老人の存在。
あらゆるところを転々としているが、最後に残るのは「若いんだから未来はあるよぉ~」とか言いつつ現実を直視しない、そのような属性の老人しかいない印象
「戦争はやめろ!」と叫ぶ連中(老人)が多いが「相手国の基地も撤去すべき」「対話すべき」とかも主張しないし、さらには戦争の形態も1945年に比べてあらゆるものに進化しているし、その源となるあらゆる問題にはダンマリ。
日本や地方が発展するだなんて声高に叫ぶ奴らは馬鹿が現実逃避して幻想を見ているか富裕層的な地帯にいながら軽視して見栄を張るものが仕掛ける夢物語にすぎない。
そういえば最近のものは全国の地方のスーパーを沢山喰い込んだだけで飽き足らず、さらには西友の支配に名をあげたり道の駅まで支配しようとしてきた企業は脅威だ。地域に機会がないのもこの企業のせいなのも1つあるだろう。
結果は嘘をつかないが嘘つき(主に大企業)は虚構の未来を語り、その事業は決まって連鎖的に地域の経済や昇進の機会を破壊する。こんなん教養なきレベルでも容易に想像できる展開だ。
ここで一つの仮説が立つ。
結局は戦争とか破局級な地震が起こらないかぎり、保身のために強がる悪魔の利権とかした為政者や大企業は調子に乗り続ける法則ということ。
たしかに1945年であらゆるものが焼け野原にされて、岩戸景気やら高度経済成長(笑)やら言われているのは無から色々開拓がすすみ豊かになり
惨事から立ち直ったのはいいものの、問題はそこから生まれた一部の強い地位を得たものがウソや責任転嫁をお得意としノウハウを固め悪魔の利権と化したこと。
利権と化している馬鹿な責任ある立場のものはお得意の言い訳と無視で切り抜け、挙句の果てには責任を擦り付ける
まともなどれだけこつこつ努力をしようとも、直接間接問わず打撃を与える。そいつらが決まって媚びるのは理性すらない利権団体、オールドメディアやら腐った大企業なのだ。
最近スポンサー問題とやらで因果応報を受けたテレビ局が罰を受け続けた中、のうのうと蘇っているのは結局はこういう嘘をつく"上の者"に魂を売り渡すしかないというカラクリがあるのだろう。
国連だって結局はアメリカやら中国やら強がる常任理事国が居座りが自分がやっていることを棚に上げ、第3国からあらゆる形態で搾取しつつ
「ロシアのウクライナにしてることは犯罪だ!」「日本の戦争犯罪ガー」やらその国の強い立場にいる国民が日本含む外国であらゆる金をチラつかせ汚い方法で、
歪んだ正義が今も立て続けに形成され続ける。結局は腐った企業やら団体と歪んだ正義を洗い流すのは大地震やら大規模な戦争などで罰を受けるしかまともな人たちが前に進まないのだ。
当然平和な世界が続くならいいに越したことはないし、破滅主義者でもない。
こっちは停滞した空間に居座らされることを余儀なくされいつまで「ひきこもり」などひとくくりにされ馬鹿にされればいいか。
結局自分のような立場の人は何も光も生まれない中、そういう歪んだ正義で支配続ける連中が戦争の炎を浴び滅びるまでの辛抱なのかもしれない。
自分が書いた記事を読むことがあるという人はどのくらいいるのだろうか。まあ自分がそうだから書いているのだが。
ただし、以下の記事は除外している。
※見出しのタイトルはは元記事のタイトルから一部省略している場合あり。
この2つは記事の半分以上が主題とは関係ない自分語りになってしまった。まあ自分は記事を書くときに脱線して長文になることはよくあるけど (匿名ではないはてなブログでもそう) ...。
前者は上記日本の潜在的な問題点で削除した文言にたいするつっこみ (田園都市線で日本を語ってほしくない) をうけたからつくることに。
都会ならではの問題点 (?) 、1駅おきに商業施設があるという内容。逆にそれでも客があつまるほど人がおおいのが都会なのだ...。
後者も都会ならではの問題点で、1路線の運転見合わせで首都圏広域の鉄道路線に多大な影響がおよぶ (神奈川県の路線での事故が直通運転のせいで埼玉県にまで影響がでる) というもの。そのかわり代替ルートもおおいけど。なお当該記事を書いたときの原因は脱線だったが、のちに当該企業は行政処分をうけている。
都会は人がおおすぎるせいで、きた電車への乗車にまにあわなかったらお見送りいただいたかたはご協力いただきありがとうございますという放送を聞くこともできる場合もある...。
ブックマーク数も記事への反応も0件だが (まだ生成AIが最初にブックマークするなんてことがなかった時代なのもあるが) 、個人的にはいちばん推したい記事。(いちばんではない記事で600 users (後述) は正直びっくりした)
スマートフォンの内蔵アプリだけでまもなく降車の通知を表示できる (一部地下鉄など位置情報を取得できない場合を除く) 。ただし専用のアラームアプリほど強い通知ではないため、深い睡眠にはいってしまうと対応できないのは注意。
新宿マルイメンの売り上げを性別・年代別にみてみたらおもしろいことに気がついたからピックアップした。
男性客が売り上げの中心かとおもったら、インテリアのフロアとアニメイトのフロアはほとんど女性客だったというもの。
スポンサー不買・不使用運動をするとトイレ難民になる (パナソニック・LIXIL・TOTOがスポンサーのため) という内容。
※オリンピックのスポンサーは原則として1業種1社なのだが、東京2020オリンピックに限っては (日本の広告事情 (電通のせい) を考慮した結果なのだろうが)ローカルスポンサー枠で1業種に複数社が加盟することが特例で認められている,
auからかけると "現在使われておりません" というガイダンス。Xにサービス終了前からかからなかったという投稿もあったが、auユーザーだったんだろう。
ドコモからかけると現在でも "市外局番をつけておかけなおしください" というガイダンス (サービス終了しているのに) 。いいのかそれで...。
電子マネーは基本的に有効期限がある。押し入れにしまっているカードとかがあれば念のため最終使用日を確認してほしい。
※記事にも書いているが東京駅記念Suica (2016年発行) を1回も使用していない場合、一律で2026年3月が有効期限になる。あと2か月しかないので注意。
それにしてもKyashの6か月はさすがに短いとはおもうが...。共通ポイント (1年がおおい) よりみじかい有効期限はどうなの...。
自分より先に書かれたanond:20250403210837 も種類がちがうのであわせて読んでほしい。
dカード (三井住友カード→UCカード) とPARCOカード (クレディセゾン→JFRカード) について書いた。
dカードは (はてなダイアリー→はてなブログみたいに) 移行拒否しないかぎり強制移行されたが、PARCOカードはなにもしないとクレディセゾンが発行する別カードに移行されるかたちになった。この場合、2026年3月以降PARCOでのお支払いは他社カード扱いになるためポイント還元率が減少する。2月 (来月) までに新PARCOカードに申し込むと年会費が10年無料 (永年無料ではなくなった) なので、PARCOによく行くならいそいで移行しよう。
配膳ロボットが料理をはこぶチェーン店もふえてきた。完了ボタンを押す人もおおいけど、すかいらーくグループのはセンサーがついている優秀なものなので、基本的には押さなくても勝手に去っていく。
はてなブログやnoteでは一律の設定ではなく、自分の意思で許可・拒否を選択できて便利。とはいえどのブログサービスでもこの2社のように自分の意思で設定できるようにするべきだろう。つまりひろまってほしいというのは拒否がひろまってほしいのではなく設定できるようにという意味。
Liquid Glassを完全に無効にすることはできないが、ある程度の幅で調整できる。
余談だが、Liquid Glassはある程度の性能があるプロセッサーが必要なようで、Apple TV4K第1世代 (iPhone 7相当) はアップデートしても従来のデザインのままで表示される。新デザインに対応していないからって切り捨てないんだ...。第2世代 (iPhone XS相当) 以降だとLiquid Glassで表示される。というかこのスペックで大丈夫ならXSを切り捨てないでもう1回だけアップデートしてもよかったのでは...。
海外で配信される "Presidential Alert" というタイトルは、日本語設定のiOSでは "プレジデンシャルアラート"Androidでは "国家レベルの警報" と表示される。日本ではiOS・Androidともに "緊急速報" というタイトル。翻訳されるのはタイトル (定型文しか使用できない) のみ。本文は現地の言語をがんばって理解する必要がある。
ふつうの人は高度利用者向けを使用しないのであれば上記 (スマホに内蔵の) "緊急速報" でじゅうぶん。
一般向け (警報と表記されることもある) → 強い揺れがくることのみわかる
高度利用者向け (予報と表記されることもある) → 予想震度や到達時間がわかる
とくにアプリをいれないでテレビやスマホで受信しているものは一般向けになる。じゃあなんでわざわざ記事に? →自分がスマホでもテレビの緊急地震速報のように日本地図をみたかったから。遠い地域の強い揺れがわかる。
600 usersをこえてびっくりしている。なんならいまでもふえているし...。まだブックマークしていないかた、コメントをおまちしています (全部読んでいますし返信もつづけています) 。なおこの記事ははてなブログの週刊ブックマーク数ランキングで1位になった (週刊ランキングははてなブログと匿名ダイアリーで別枠集計なのでそこは注意) 。
そういえばはてなブックマークははてな女子と匿名ダイアリーの2つだけ他サービスより新着エントリーに乗りやすいようなシステムになっているみたいで、1人でもブックマークすると人気エントリーにはいりやすくなる (AIブックマーカーがふえたからこのシステムを見直す必要性もありそうだけど...) 。
Xで偶然NHK受信料は払っていないけど生活音のために民放テレビをつけっぱなしにしているという投稿をみたために書いた。生活音のためならテレビじゃなくてラジオのほうが節電にもなるし受信料もいらない (NHKはテレビのみ受信料がかかる) ためおすすめ。
元記事で引用している人力検索の回答のとおり、ドコモ、au、ソフトバンク、ベネッセ、全国PTA連絡協議会、文部科学省までもがスマホを渡す前に親子でスマホの使用ルールを話しあうことを推奨している。ただそれを実施している親はどのくらいいるのだろうか。
🇨🇦カナダ
難易度:★★★☆☆(中)
30代後半から点数が下がる
👉 準備すれば現実的だが、ダラダラすると詰む
🇩🇪ドイツ
難易度:★★☆☆☆(低〜中)
Blue Card が強い
🇳🇱オランダ
難易度:★★☆☆☆(低)
求人は少なめだが通れば楽
👉 穴場だが席は少ない
🇺🇸アメリカ
難易度:★★★★★(高)
H1Bは運ゲー
年齢より運とスポンサー次第
👉 実力が突き抜けていないと厳しい
🇨🇦カナダ
30代は普通
👉 年齢の心理的圧はほぼない
🇩🇪ドイツ
30代は若手扱い
👉 年齢より「一貫性」
🇯🇵日本
30代=「遅い」
やり直しが難しい
👉精神的に一番削られる
🇨🇦カナダ
⚠️ ただし:
受け身だと何も起きない
🇩🇪ドイツ
超スローペース
友達期間が長い
👉 数打ちではなく「合う人1人」狙い
🇯🇵日本
条件・年齢・空気重視
精神的消耗が激しい
🇨🇦カナダ
問題が起きたら声を上げられる
🇩🇪ドイツ
でも「距離」は感じる
👉 静かな壁
🇯🇵日本
悪意なき排除が多い→日本人:「差別じゃなく区別です。見た目が違えば誰でも外国人」
声を上げにくい
元オスカー女優エリザベスは50歳の誕生日に年齢を理由にテレビのエアロビ番組の主演を降板させられてしまう。帰り道に事故にあいその病院で謎のUSBを渡され、再生すると謎の再生医療「サブスタンス」の広告。悩んだ末に申し込むとサブスタンスキットが届き、最初の注射を打つとエリザベスの背中が割け、中から若いエリザベス、通称スーが爆誕。スーはエリザベスの後釜に座り芸能界を駆け上がっていくが、サブスタンスには制約があり……
というお話。
俺のワイベスト映画のひとつに「レクイエム・フォー・ドリーム」があるんだけどそこで非常に有効的に使われて一躍有名になったヒップホップ・モンタージュを繰り返し使用していて、なんなら若い身体を維持するためにエリザベスの脊髄液を抜きまくるシーンでどんどん注射痕が汚く化膿していく感じも見るからにって感じだったし。ASMR的に音を過剰に表現する技法もそう。それ以外にもギャスパー・ノエやキューブリック的なデカ文字ドーン、音もドーンが繰り返し登場して、とにかく画面を見ていて飽きるってことが少なかった。
あとはサブスタンスを行うと1人が2人に分裂するんだけど、その時に細胞分裂よろしく眼窩の目が二個に増えるんだけどそんなわけあるかいなんだけどめっちゃ不気味でキモくてよかった。
じゃあトリッキーな映像表現だけが楽しい映画なのかっていうとそうじゃなくて、例えば最初、ハリウッドのスターのサインが埋め込まれた道路あるじゃん。あそこにエリザベスの名前が刻まれて大々的なお披露目からみんなその床の上で写真撮ったり敬意を払っているのがどんどん雑に扱われるようになってひび割れて、最終的にデブがハンバーガー落としてケチャップまみれになるところから映画が始まる。これだけで「エリザベスの最盛期から今まで」を表現しているのがカッコいいし、最終的にサブスタンスのせいで身体が爆裂したエリザベスは同じ床の上で血のしみになって、掃除のおばさんに拭きとられて終わる。ケチャップまみれの床→それが自分の残滓→拭き取られて終わりという帰結も美しい。
その栄華の象徴としての床の上で話が始まって、床の上で終わるのが映像的ギミックだけではなくて作品全体を貫いている。エリザベスはオスカーを取った後結局テレビ局のエアロビ番組でケツ振って過ごして、しかし年齢で解雇されて分裂して若返った後同じ場所に戻ってくる。特に分身体のスーは「芸能界」「家」の2か所しか生きていない。。スマホは登場しないし、SNSも出てこない。彼女はずっと「業界」の中で過ごし続け、病み、死ぬ。
屈指の名場面として誰もが挙げるであろうエリザベスが化粧するシーン。数少ない外部である病院で出会った小学校?中学校のクラスメートと連絡先を交換するシーンがあって、分身後、年老いた「エリザベス」として自分の価値が見いだせなくなった彼女が「芸能人」としてではなく「エリザベス」としてデートしようと出かけようとするんだけど、若く完璧な「スー」が頭にちらつて肌を見せるのが怖くなり、化粧も合ってるのかわからなくなり、結局顔をグチャグチャにして家から出られなくなってしまう。
「芸能界、ショウビズ界」の価値観に凝り固まってしまった彼女は結局「そうではない自分」を受け入れられず、理解もできずその外の世界に飛び出す機会を失ってしまう。何度かサブスタンスを辞める選択肢が出てくるが、結局同じ理由で辞められない。
そして怪物になった彼女は自分の全盛期の写真を切り抜き自分の顔に貼り付ける。
彼女は最初から最後まで「自分の名前が刻まれた時、場所の上」から一歩も動けない。
また床のスターを(移民の)男性が埋め込むシーンから映画がスタートし、下卑た男性プロデューサーや男性面接官、そして白人男性スポンサーが支配する芸能界からドロップアウトし、分身してからまたそこに戻るという「男性が用意した世界でしか踊れない」対象としてエリザベスとスーを描いている部分も同様に「まったく同じ場所にずっといる」ということを示しているように思う。
サブスタンスは「物質」「核心」って意味だけど、サブ・スタンスとして芸能界以外の価値観、立場に片足だけでも乗っけておけばこんなことにはならなかったのになぁと思った。友人も一切出てこないしね。
あらゆるシーン、展開が象徴的で2万文字書いても書ききれないくらいなんだけど、個人的に好きだったのは「老いた醜い自分」「若くて美しい自分」を文字通り分割して見せたところ。
作中で繰り替えし「ふたりはひとつ」と告げられる。サブスタンスでは7日ごとに若いほうのスーと年老いたもとのほうのエリザベスを入れ替えて均衡を保つ必要があるんだけど、イケイケのスーはだんだんそのルールを破ってエリザベスの中に残る若さを搾取し始める。そうすると、入れ替わったときにエリザベスはどんどん年老いていく。
これって「若いときに美貌を保とうと無理なダイエットや整形をやった結果、年老いたときに身体がボロボロになるやーつ」のメタファーだよね。それを7日間という短いスパンで交互に見せる手法のドギツさたるや。そして、それに対抗するかのようにエリザベスは過食を行うようになる。自身に対する虐待であると同時に「若いときにやりたいことを我慢させられている自分」に対するアンチテーゼでもある。
つまるところ「ふたりはひとつ」であるものを無理やりふたりに分割した結果、互いが自分自身の人生に復讐し合っているという悲しい構造が浮き彫りになる。
そして最終的にエリザベスはスーを殺害しようとするもスーが自分自身であることを思い出し思いとどまるが、自分を殺害しようとしていたことを知ったスーは激怒しエリザベスを殺害してしまう。ここに「若い自分は自分が来た道」だが、「老いた自分は若い自分との連続性がない(と感じてしまう)」という非対称性の悲しさがある。
そして、自分の未来を自ら殺害してしまったことでスーの未来も閉じてしまう。
それとは別に下品プロデューサーに「50になると終わっちゃうじゃん。何とは言わんけどさ」って言われる冒頭のシーン、あれは明らかに「閉経」のことだと思うんだけど、その結果として彼女は腹……じゃなくて背中を痛めてスーを産むっていうのも示唆的。こういういろんな読み時ができる要素が死ぬほどあってマジで退屈しない。
まぁ最後、統合されてバケモノになってバカみたいに観客に血をまき散らす展開は俺の中であんまピンとこなかった。
外見がバケモノになるところまでは美醜という価値観自体からの完全な脱却としてポジティブに受け入れられたけど、なんかバカみたいな量の血をまき散らす展開は「やりたかったんやろなぁ」以上の感情はなかった。いやどんだけでてくるねんっていうむしろノイズだった。これだったら似たような展開の「SMILE2」のほうが好きだったかなぁ。
ただ血をぶっかける相手が「男性」に限定されず、彼女のフォロワー的なエキストラの女性(なぜか乳丸出しでどんな番組やねんってなったけど)や、彼女のファンの幼い少女やその母親、老女などあらゆる属性を含んでいて復讐対象を男性だけに過度に設定しない部分に真摯さを感じた。(なのになぜかこのスプラッタシーンは男性的視点に対する復讐でスッキリ!みたいなレビューが多くてびっくり)
時代考証どうなってるねんみたいなリアリティ部分に難があると言えなくはないけど、一種の芸能界ルッキズムエイジズム寓話として作られているんだろうしそこはあんま気にならなかったかな。とにかく見たら誰かと内容を話したくなるって意味でいい映画だと思う。