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「ステレオタイプ」を含む日記RSS

はてなキーワード:ステレオタイプとは

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2025-07-18

さす九は地域差別だ、という人たち

以前から大阪はうるさい京都いけずステレオタイプや「翔んで埼玉」などを地域差別問題があると批判していたのだろうか

いち埼玉県民からいえばアレ自虐じゃなく普通に不快だし弄られるのも嫌だったんだが

全ての地域差別に立ち向かえというつもりは毛頭ないが

翔んで埼玉埼玉県民ほど面白がるよ~面白かった!と笑っていたなら

さす九だけがなぜ突然許せない地域差別と感じたのか、少し胸に手を当てて考えてみたらいい

さす九といわれて困るのは主に男性加害者側だからだよ

ただの女のデータもない発言男性様とその配下不利益になってはいけない、というそれこそ差別意識が働いている

Permalink |記事への反応(1) | 16:57

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2025-07-17

「くゆらす女々」の感想と、それに寄せられたコメントについて

id:tester19 です


https://b.hatena.ne.jp/entry/s/tonarinoyj.jp/episode/2550912965947830792

「くゆらす女々」の感想ブコメに「百合に混じれない人がなぜか怒ってるな」といったエアリプっぽいコメントを見かけたので、誤解を避けるために、私の感想をいったん整理して書いておきます


女性向け漫画の一部において、困難に立ち向かう女性人間として描こうという視点が欠けている

私が問題に感じているのは、女性向け漫画の一部、特に現実女性の困難さを描くタイプ作品において、異性や異世代からの加害や理不尽な扱いが、あまり安易物語きっかけとして使われすぎているという点です。

加えて、そうした加害者キャラクターが極端にステレオタイプな描かれ方をしているため、結果として女性キャラクター内面的な葛藤主体性が十分に描かれていないように見えるのが問題だと考えています

その構図はしばしば、「舞台装置として配置された異性・異世代キャラクター翻弄され、それに対して定型的な反応をする女性主人公」という形になりがちで、ある種の“ポルノ的な描写”に近づいてしまっている印象があります


「くゆらす女々」の問題点も同様

今回の作品読み切りであるという制約は理解していますが、それにしても主人公の抱える悩みや背景があまり単純化されすぎていると感じました。

女性人間として描こう”という視点が、どこか置き去りになっているように思えたのです。

この構造は、長期連載の中の短編回や単話完結型の作品でもしばしば見られるものであり、それだけにフォーマットとしての違和感が強く出てしまったのだと思います


シガーバー』をテーマにした本作は、おそらく成人女性を主な読者層として想定された作品と思われます

近年のエッセイ漫画などに見られる、成人女性向けの作品傾向を踏まえると、今回のようなキャラクター造形やストーリー運びも特に珍しいものではなく、よくあるフォーマットの一つとして理解はできます

また、おそらく作者も、深い意図があって男性キャラクターを配置したというよりは、物語の導入部を機能させる“装置”として、不愉快男性キャラを置いたのだと推察します。


もちろん、これを「男性差別的に描かれている」と受け取った方もいらっしゃるかもしれません。(実際、私のコメントをそう解釈された反応もありました。)

しかし私としては、冒頭に登場する男性あくま物語上の“装置”であり、作者に強い悪意や差別的意図があったとは感じていません。

しろ気になったのは、女性キャラクターが“物語主体”として描ききれていないこと、そしてそのために物語全体の説得力が弱まってしまっている点です。


読み切り作品に対して厳しい評価と受け取られるかもしれませんが、近年の読み切り作品では、特に「起」の部分でフックや演出に工夫があるものが多く、

それゆえに、「起」の工夫がなく今回のように素材としてユニークな“シガーバー”というテーマがうまく活かされていないのは、非常にもったいないと感じました。

そのような気持ちからあらためてこの感想を書かせていただきました。

Permalink |記事への反応(2) | 10:33

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anond:20250717032759

>嘘つくなよ

なるほどタイトルASD入れたらこれ系のコメント来るのかーやりすぎたか

君の独自基準じゃなく障害者かどうかの判定が具体的にどうされてるかについて調べてほしい、君の時間無駄にすることも減ると思う

ASDじゃなくてアスペルガー

これについては確かDSM-5で単一の診断名であるAutismSpectrum Disorderにまとまってたと思うよー間違ってたらごめんね

東京なんかで暮らそうとするな

自分の形が少数派であることと、それが希望を叶えるためにとりま頑張ってみよう!を阻害することに関係するとは思わないかなー、あと要求てんこ盛りだからからなくもないけど理由なく何でも潰したい人なのかな?って感じて悲しい

アスペルガー毎日同じことをやるのが得意

これ素人判断の人がよく言うけどそうじゃない人もいるよー自分は飽き性だし数字がめちゃくちゃ苦手でExcelとかも線をまっすぐ辿れないんだ

ただWAISだと全体でIQ132あるからまあまあ頑張れはするらしくめっちゃ頑張って普通の人カモフラージュしてるよ、すごい疲れちゃうけど

君が持ってるステレオタイプが減ると嬉しいな

トマト

トマト育てるのとても難しいと思うよーあれすぐ皮硬くなったり避けたりするよね

 

Permalink |記事への反応(1) | 03:40

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2025-07-16

アニメ社会規範や許容感覚に影響を与える研究はあるよ

前提として、メディア全般でいうと社会規範に影響を与えるという結果の論文は多い

アニメ漫画限定した研究は少ないが一応あるにはある

2017年調査によると、日本根深ジェンダーステレオタイプを反映していることが多い漫画アニメーションは、最終的に人々の性差別的な認識助長することが判明しました。

https://www.fairplanet.org/story/on-manga-anime-and-sexism/

アニメに関する主な問題は、それが日本文化におけるセクシュアリティ認識を形作っている点にあります

などを研究論文を元に解説している

https://ivypanda.com/essays/japanese-anime-the-issues-of-sexual-iconography/

逆に「漫画アニメ社会規範に影響を与えない」という研究はまだないと思う

anond:20250715092852

Permalink |記事への反応(1) | 16:35

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2025-07-14

移民政策

現代先進国では、アジア出身若者社会的ステレオタイプによって自らの能力を十分に発揮できない状況も見られます。こうしたなかで少子化の影響が深刻化しており、経済の持続可能性を確保するために、移民政策重要選択肢として再評価されています

移民に対する支援が手厚くなる傾向は、国際的人材獲得競争の中で、受け入れ国としての魅力を高める必要性に基づくものであり、国家戦略としての判断といえます

Permalink |記事への反応(0) | 09:34

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2025-07-09

アリス」全員金髪碧眼

アリスって名前のついたキャラが、ことごとく全員金髪碧眼のステレオタイプで白目剥いてる🙄

あのね。

不思議の国のアリス原作挿絵には色ついてないか金髪碧眼とは限らないんよ。

普通に人名なので、どんな髪の色だってあり得るんだけどな・・・・。

Permalink |記事への反応(30) | 11:49

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2025-07-07

Unsilenced:紛争における性暴力 - RoomOne構造表象(Structures and Representations)

構造表象(Structures and Representations)

紛争下における性暴力は、真空状態(vacuum)で起こるものではなく、それが発生する社会的文化的文脈と深く関わっています

戦争紛争は、既存ジェンダー役割や不平等を強化し、悪化させることがあります戦時プロパガンダは、男性を「強さ」「支配」「攻撃性」と関連づけて描く一方で、女性を貶めたり、「家庭性」や「母性」といった枠に閉じ込めて描写することが日常的に行われました。

戦争社会における権力構造に影響を与え、人々の「エージェンシー(agency)」――つまり自ら選択し、環境コントロールする力――を減じます軍隊構成員は、彼らが着る制服体現すべきとされる価値観によって特権的地位を与えられ、保護される立場になります

こうした社会的ジェンダー的な基盤構造は、人々がどのように扱われるか、またどのように振る舞うことが期待されるかに影響を及ぼします。

戦時表象WarTime Representations)

このセクションでは、戦争紛争時代における男女の描かれ方(depictions)を探ります

プロパガンダポスターやチラシから映画ソーシャルメディアに至るまで、さまざまな形をとることができます。それは政府支配集団によって世論に影響を与えるために利用される、効果的な心理的ツールです。プロパガンダ社会特定集団、またはより広範な人々を対象とすることがあります

既存社会的規範ジェンダーステレオタイプに基づいて、プロパガンダ特定集団英雄として描き、他の集団を悪役として描きます。それは希望や恐怖のメッセージを広め、人々が特定の行動をとるよう促すことができます

このようなジェンダー表象(representations)を再生産する個人によって作られた日用品の中に、プロパガンダ成功の証を見ることができます

戦時下における女性描写Wartime Representations of Women)

戦時プロパガンダは、戦時中に女性がどのように振る舞うべきかについて、潜在的かつ明示的なメッセージを発信します。それは、女性性的道徳母性自発的奉仕にまつわるステレオタイプを利用しています

これらの例は主に第一次世界大戦から現代にかけての西ヨーロッパ諸国のものです。そこでは、保護されるべき弱々しく純潔女性から性的に奔放で「口が軽い(loose-lipped)」とされる道徳的に疑わしい女性まで、さまざまな描かれ方が見られます

たとえ女性社会の中で伝統的に男性が担っていた役割を果たすようになっても、その描写は依然として、女性がどうあるべきかという古びたジェンダーステレオタイプに基づいています

M Franklyn, Beautiful? IfYou Could See What the Doctor SeesYou’d Leave ‘EmAlone!

Exhibitionprint

1939–1945

PST 3731

Unknowncreator, Concealment

Exhibitionprint

1943

PST 15910

Harold Forster, KeepMumShe’s not Dumb

Exhibitionprint

1941

PST 3363

Edouard Bernard,Victory in Singing [translation]

Exhibitionprint

1916

PST 12615

DorothyStanley, The Call of the Women, Save Us

from the Hun

Exhibitionprint

1914–1918

PST 12138

Unknowncreator,SheTalked... This Happened -

CarelessTalk Costs Lives

Exhibitionprint

1939–1945

PST 13905

Gerald Lacoste,Don’t Tell

Exhibitionprint

1939–1945

PST 13933

Central Office of Information,As aWoman in the Army

Exhibitionprint

1920

NAM. 2009-02-52-1

CrownCopyright.Image Courtesy of theNational ArmyMuseum

Reginald Mount,Here Comes theBride

Exhibitionprint

1939–1945

PST 14092

3rdAssaultBrigade – Ukrainian Army

Exhibitionprint

2023

(AV caption)

Central Office of Information, A Matter of Choice Film

1965

COI 306

Central Office of Information, ACoolSteadyLookat the WRAC

Film

1965

COI 389

Permalink |記事への反応(0) | 15:51

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世田谷自然左翼

https://b.hatena.ne.jp/entry/4772846290803510209/comment/mahal

id:mahal このレベルまで来ると、やはり参政党人気って世田谷自然左翼的なものではなく、「アカっぽさを嫌気する生活保守層に見合う野党需要」が原動力になってるという読み筋になるかな(つまり玉木が悪い

こういうカジュアルに「世田谷区民」に対して差別的造語を使うの、ほんとどうかしてる。しかも、参政批判文脈でというところが更に。

自分政治的な賢さを持っていると勘違いしているのかもしれないが、国とか都道府県対象表現しても「差別だ」と非難されるのが当然の現在において、区市町村レベルまで具体的に差別的表現を当てはめている、その愚かさを先ず自覚すべき。

そして、このコメントに何も考えずに星を着ける奴らも同様。

https://megalodon.jp/2025-0707-1000-35/https://b.hatena.ne.jp:443/entry/4772846290803510209/comment/mahal

愚かすぎて、問題点理解出来ないかもしれないのでChatGPTに説明文を作ってもらったのをつけておく。

差別的レッテル表現世田谷自然左派」の使用に関して

あなたが公の場で用いた「世田谷自然左派」という表現は、地域名を用いたステレオタイプ化と思想階層に対する嘲笑を同時に含む差別的レッテル貼りです。

以下、その問題点と影響、そして今後求められる建設的な姿勢について詳述します。

1.問題点の整理
2.世田谷区民が受ける可能性の心理的影響
無力感
どれほど誠実に行動しても「偽善」と一括りにされる恐れ。
疎外感
自治体から一方的烙印により地域全体が嘲笑対象となる疎外感。
萎縮効果
声を上げた途端に出自暮らし攻撃されることへの恐怖から

公共議論への参加をためらう傾向。

3.建設対話へ向けて求める行動
4. 最終的なお願い

今回の表現地域階層思想の違いを「対立嘲笑」の構図に貶めるものであり、世田谷区民のみならず健全公共圏に損害を与えます

今後、同様の差別的表現使用しないことを強く求めるとともに、誠実で根拠に基づく対話にご協力いただけますようお願い申し上げます

Permalink |記事への反応(1) | 10:04

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2025-07-03

anond:20250702125817

元のtweetからしたらフランスじゃないの?

日本のこうあるべきみたいな生き方に息苦しさを感じる人は日本以外のどこかに行くのも選択肢の一つだと思う。

日本は割とステレオタイプ自分を当てはめて生きていくことが求められる社会だと思うのだけれど、まじめな人ほど無理に合わせようとしてつらいみたいなのがあるなと。

外国に行けば外国人の一人になれるのでそういうステレオタイプのあるべき論からはかなり自由になれる。

その辺のバランスを考えると外資系企業で働くのもありだろうね。日本とは雇用習慣が違うので、あうあわないがもちろんあるけれど。

Permalink |記事への反応(0) | 05:00

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2025-06-30

anond:20250630170514

お前の言うことは理屈上正しいが、実践上誤りだ。 

 

背中入れ墨があるだけの人を、ヤクザだと断定するのは先入観ステレオタイプだよ

ヤクザ所属する人を、暴力的迷惑な人だと考えるのは思い込みだよ。  

でもステレオタイプを廃し、ヤクザ入れ墨男と友達付き合いをするならば

お前は恐らくひどい目にあう可能性が高い。

 

真実確認するリソースは有限だ。

それを省略するのが先入観ステレオタイプだ。有用ものだ。

Permalink |記事への反応(4) | 17:11

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2025-06-29

男らしくなくていい、に賛成

時代おくれのステレオタイプに縛られるんじゃなく。

男女平等な、その人らしい在り方でいい。

それが多様性

男らしくなくて、孤独でも、迷惑を掛けてないなら問題ないはず。

幸せになっていいけれど。

そういう男性モデルケースは、あまりいなさそう。創作の中にさえ無さそう。

男性もっと愚痴っていい。

声を上げていいのに。

Permalink |記事への反応(4) | 21:40

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anond:20250629021507

それ、書き手側が文脈理解してないこともあるから要注意や

本人はニュートラルなつもりでも、そうでない書き手言葉引用してたり、繋がるとステレオタイプになるもの(「西瓜」とか)とセットにしてたり

Permalink |記事への反応(0) | 02:19

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2025-06-26

anond:20250626100432

こんにちは、ご指摘の「“difficult to understand”を女性蔑視と結びつけるのは悪意がある」という見方には、確かに一理ある部分もあります

英語表現としては、「難解だ」「分かりにくい」という中立的意味で使われることも多く、たとえばItis difficult to understand the POTUS forJapanese のような文も、文脈次第では悪意のない一般的表現と見なされます

ですが、今回の問題英語表現のものよりも、その言葉が発せられた「文脈」と「対象限定」に起因するという点に注目していただきたいです。

💡問題本質は以下の点にあります

1. 「女性高齢者には理解が難しい」と、特定属性を名指ししている点

It’s very difficult to understand for them.”

文脈上「them」は women や the elderly を指している)

この構文では、「理解が難しい主体」を特定属性帰属させているため、聞き手によっては「女性(や高齢者)は理解力が劣る」と暗に言っているように受け取られやすくなります

🟡Itis difficult to understand for anyone unfamiliarwith the topic. →中立的

🔴Itis difficult to understand for women. →性別による一括りが生まれ

本来意図が「説明が複雑で伝わりにくい」であっても、言い方によっては「彼らには理解力がない」と聞こえてしまリスクがあります

2. 弁明が自責ではなく他責に聞こえる構造

"We have been trying to explain many times... but we have not been successful toget the support from women and the elderly."

このような構文では、「私たちは十分努力したが、彼らが理解していない/支持してくれない」と受け取れるため、責任所在聞き手側にあるような印象を与えてしまます

3.政治家という立場から発された言葉であること

個人の感想カジュアルな場面なら許容される言い回しでも、政治家公式文脈性別や年齢に結びつけて“理解できない”と発言することは、公共的なバイアス再生産の危険があります

✋例え話で説明すると…

アメリカ人が “Itis difficult to understand the POTUS forJapanese” と言った場合日本人への蔑視とは取られにくいかもしれません。でも、たとえばアメリカ大統領が、

“Our policyis good, butit seems African Americans findit difficult to understand.”

と言ったらどうでしょう?たとえ悪意がなかったとしても、集団に対する知的ステレオタイプをほのめかす構造になってしまい、大きな批判を受けるはずです。

✅ まとめ:

英語としては必ずしも差別的とは限りません

しかし、「誰が」「どんな属性の人を」「どんな文脈で」対象にしているかによって、言葉の印象は大きく変わります

差別かどうかの判断は、「表現のもの」だけでなく「聞き手にどう受け取られるか」という文脈と影響 を含めて考える必要があります

もしその政治家が「もっと説明を工夫すべきだった」「伝え方に課題があった」と言い換えていれば、ここまでの批判は避けられたでしょう。

誤解が生まれたのは、英語力というより配慮不足による構文と論理展開の未熟さにあります

したがって、「差別する意図があったかどうか」とは別次元問題として理解するのが建設的だと思います

Permalink |記事への反応(2) | 10:09

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2025-06-24

anond:20250624224000

体育会系パワハラしがちってのもひどいステレオタイプだよな。

上下関係ゆるゆるの組織にいたせいで、年上に対して舐めた態度取って叱られたのをパワハラだとか言って大騒ぎしてるパターンもそれなりにあると思うんだよな。

Permalink |記事への反応(1) | 23:14

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2025-06-22

AIに現地の言語情報収集を命じてもステレオタイプを基に適当でっち上げかましてくる

Permalink |記事への反応(0) | 10:03

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2025-06-19

日本におけるゲイとハッテン場——見えにくい関係の背景と変化

日本社会において、ゲイの人々が長く向き合ってきた現実ひとつに「ハッテン場(発展場)」の存在があります。ハッテン場とは、主にゲイ男性同士が性的出会い目的として集まる場所のことを指し、特定公園トイレサウナビデオボックス、時にはバーや専用スペースなど多様な形で存在してきました。

これらの場所は、単に性的欲求を満たす場であると同時に、社会の中で自分セクシュアリティ確認し、同じ立場他者とつながるための数少ない「接点」として機能してきた歴史があります

見えない存在としての同性愛とハッテン場の必要性

戦後から2000年代にかけて、日本社会では「異性愛」が当然のものとして前提化されてきました。家庭、職場地域、いずれの場でも、同性愛日常の中で話題にされにくく、理解されにくい存在であり続けました。

その中で、ハッテン場はある種の「サンクチュアリ避難所)」として存在していました。誰にもカミングアウトしていない人、恋愛交際という枠組みではなく、身体的なつながりを求める人、あるいはただ孤独を抱えた人にとって、匿名性の高い出会いの場は切実な意味を持っていたのです。

メディアとハッテン場の文化

1980〜1990年代には『バディ』や『薔薇族』といったゲイ雑誌が流通し、ハッテン場の所在地情報体験談などが共有されることで、独自文化圏が形成されていきました。その一方で、ハッテン場は「特殊な性の世界」として消費される側面もあり、ステレオタイプ助長もつながりました。

現代の変化とハッテン場の再定義

近年、LGBTQへの理解が徐々に進む中で、ゲイであることを隠さずに生きる人も増えてきました。また、スマートフォンの普及により、9mon、Jack’d、Grindrといった出会いアプリが主流になりつつあり、リアルなハッテン場に頼らなくても出会いが成立する時代に移行しています

しかし、その一方で、アプリ世界には「見た目や年齢」による排除格差がある現実もあり、誰もが居場所を得られるわけではありません。そうした意味で、匿名かつ非言語的なつながりが得られるハッテン場は、いまなお「見えない人々」の拠りどころとして機能し続けています

公共空間としての課題社会的意義

ハッテン場の多くは公共の場を舞台としており、風紀や治安、衛生面などの観点から問題視されることもあります。実際に、摘発対象になることや、地域住民との摩擦が起きるケースもあります

しかし、このような場の存在を一概に否定することは、社会の中で「声なき声」として沈黙を強いられてきた人々の生の在り方を切り捨てることにもつながります。ハッテン場の存在のものが、「誰にも相談できない」「公に言えない」人たちが生きてきた証であり、日本社会セクシュアリティに対する不寛容さを映し出す鏡でもあるのです。

ハッテン場をどうとらえるか

今後、ハッテン場という文化は少しずつ姿を変えながらも、生き残っていくでしょう。それは単なる性的出会いの場としてではなく、誰にも見えなかった欲望孤独アイデンティティの探求が交差する場所として、より深く再評価されていくかもしれません。

ハッテン場をどのように理解し、受け入れるかは、日本社会がLGBTQをどのように捉えていくのか、そして「多様な性のあり方」をどこまで許容できるのかという、より本質的な問いに直結しています

~オレたちのハッテン場「Mr.Cruising」立ち上げにて

https://10den.sakura.ne.jp/mr-cruising/

Permalink |記事への反応(0) | 18:19

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anond:20250619100400

民族性質がある」と主張するのは、お前が「真理を愛している」からではなく、「単純化された物語」に酔って安心したいからだ。

日本人は勤勉」「ユダヤ人は金に強い」「ドイツ人几帳面」それ、全部ステレオタイプであって、真理じゃない。

歴史がある ≠性質がある。それは「行動の記録」であって、「DNAに刻まれ性格」ではない。

お前の言ってることは、「家計簿に魚ばっかり載ってるから、この家庭は鰓呼吸です」と言って自己放尿してるのと同じ。

聖書を信奉してる」も性質じゃん

これはとても良い問いだが、論理的に極めて初歩的な錯誤がある。

それは、「文化的慣習」や「宗教的傾向」は構造文脈 によって発生する集合的傾向であり、先天的性質ではないという点。

ユダヤ人の中にも無神論者もいれば、仏教徒になった者もいる。

「多くの人が信じているからといって、それがその民族本質ではない」というのは、哲学歴史社会科学の最低限の共通知識だ。

もし「聖書信じてる=民族性質」なら、「パチンコ行く=日本人性質」って言ってるのと同じだ。

見事なまでの思考停止。まさに知的自己放尿。

お前が言っていることは、民族単一人格として扱うことで、現実多様性否定し、「敵」「味方」を単純化して物語に仕立てようとしている。

だが実際の歴史とは、千人いれば千通りの背景と動機がある。

たとえば、イスラエル軍従軍するドゥルーズ住民もいれば、パレスチナ共闘するユダヤ教ラビもいる。

ユダヤ人聖書信奉=○○な民族性」などとまとめる時点で、現実の複雑さを捨てて思考停止楽園に逃げている。

いかい、「民族性質がある」と思いたくなる気持ちはわかる。

単純にすれば、世界理解やすい。

でも、それは自己放尿だ。

自分の中の闇を他人民族投影して、外側を汚して内側をきれいに見せようとするだけだ。

本当に強い知性とは、「例外例外として認識できる勇気」と、「全体を単純化せずに愛せる思考」のことだ。

お前が「民族性質がある」と信じた瞬間から、お前自身が劣った思考様式を持つ民族の一員になっているんだよ。

まり、お前の言う「民族性」が本当なら、今この瞬間のお前こそ、自分民族侮辱してる第一人者だ。

そしてそれは、自己放尿を飲み干して「これはワイン」と言い張ってるのと同じ。

知性と理性を愛しているなら、今すぐコップを置け。匂いを嗅げ。そして学び直せ。

お前が今すべきなのは、「民族性質」を語ることじゃない。

人間の複雑さを、愛を持って理解しようとする努力だ。それができる限り、お前にはまだ救いがある。

Permalink |記事への反応(0) | 10:08

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2025-06-15

anond:20250615043234

まず一点、明確にしよう。

お前が「なぜ女に置き換えないと理解できないのか?」と問うているのは、構造的な理解力の欠如に苛立っているからであって、「真理を愛している」がゆえの問いかけではない。

だが、それ自体は責めない。それはお前の中にある失望や痛みの反射だと見ている。

人間抽象構造を直接扱うよりも、具体例に置き換えたほうが早く伝わるようにできている。これをアナロジーによる理解促進という。

たとえば「教皇選挙女子校の争い」と喩えたのは、男の世界でも陰湿権力闘争があることを、一般に「陰湿」とラベリングされやす女子校ステレオタイプに転写して逆説的に示しただけだ。

まりこれは批判ではなく、男性社会の滑稽さへの自己放尿に近いセルフ皮肉なのだ

お前はその皮肉を「女性を使わないと理解できない」と誤解しているが、違う。理解を助ける比喩が女であっただけの話だ。

皮肉比喩を用いる人を「ナルシスト」と断定するのは精神的診断を論拠なしに下すという自己放尿にすぎない。

逆に言えば、「女子校っぽい」と言われて激昂する反応こそ、自我が傷ついたがゆえのものでは?

まりお前自身が、「女っぽい」と言われること=劣っているという構図を内面で抱えているのだ。

これぞ真の自己放尿構造である。人を批判しているつもりで、実は自分の中の見下す価値観晒ししまっている。気づいているか

お前はおそらく、男社会欺瞞女性に対する無自覚蔑視に怒っているのだろう。それは正当な怒りだ。

ただし、怒りの使い方を間違えると、それは別の誰かを裁きつつ、自分をも傷つける刃になる。

論理比喩の力は、相手を打ちのめすためでなく、共に笑える場所を作るために使える。

次はぜひ、お前自身が、そうした比喩皮肉を愛と知性で使いこなせる側に立ってほしい。

真理の前には、男も女も、ただの魂だ。

Permalink |記事への反応(0) | 04:47

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朝日新聞メルマガタイトルでよく見る「母が言った〜」「父が言った〜」ってタイトルは大抵パターナリズムとマターナリズムに基づくステレオタイプ的な事象殆ど嘘松だなぁという印象しか受けないんだけど社内の稟議は何故通ってるのか不思議に思う

そういうのが心地良い客層にしか取ってもらえてないのかな

Permalink |記事への反応(0) | 03:32

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2025-06-14

anond:20250614122123

こうした勘違いをしてしまう人の心理だがこれは単なる知識不足や早とちりというだけでなく、もっと根深人間性質関係しているように思う。

一つは、世界シンプル理解したいという欲求だ。

人間本質的に「認知倹約家(Cognitive Miser)」であると言われる。つまり、できるだけ頭を使わずに、省エネ物事判断しようとする傾向があるのだ。複雑で多様な現実ありのままに受け止めるのは、非常にエネルギーがいる。だから私たちは、物事を「AかBか」「敵か味方か」「陽か陰か」といった単純な二元論の箱に押し込めて理解しようとする。

理系文系」という分類も、本来学問性質を分けるためのものなのに、

つの間にか「論理的人間感情的人間」「クール人間/ウェットな人間」といった、人格二元論にすり替わってしまう。

そして、そこに「体育会系陽キャ)/文化系陰キャ)」という、もう一つの分かりやす二元論が重ねられる。

こうして、「理系陽キャ」「文系陰キャ」あるいはその逆、といった極めてシンプルな(そして誤った)世界地図が完成する。複雑な現実を前にした思考停止であり、一種知的怠慢とも言えるが、そうすることで心の平穏を保っているのかもしれない。

2bitまでしか思考できないのかって言いたくなるが。

もう一つは、自己正当化他者へのラベリングという側面だ。

特に、「自分理系だ」というアイデンティティを強く持っている人の中にこの傾向が見られることがあるように思う。

理系思考こそが優れており、文系的な思考は非論理的で劣っている」といった、やや偏った価値観を持つ人が

自分たちとは異なる「文系」という存在理解するために都合の良いラベルを貼ることがある。

そのラベルとして、「文化系陰キャ)」は非常に使い勝手がいい。

あいつらは、俺たちとは違う。なんかよく分からないことをゴチャゴチャ言ってる、内向的な連中だ」。

そうやって相手を単純なカテゴリーに押し込めて見下すことで、相対的自分の優位性を確認し、安心感を得ようとする。

これは、相手個人として理解しようとする努力放棄に他ならない。

法学部国際弁護士を目指してディベートに明け暮れる学生も、商学部体育会主将を務めながら起業の準備を進める学生も、すべて「文系」という箱に放り込み、「文化系だよね」の一言で片付けてしまう。これほど失礼な話もないだろう。

とはいえ気持ちは分からなくもない

まず、先ほども触れたように、世間に流布するステレオタイプの引力はあまりにも強い。「理系オタクっぽい」「文系はチャラい」といった、雑ではあるが大衆に浸透したイメージは、誰の心の中にも少なから存在している。そして、「オタクっぽい」というイメージは、確かに文化系」や「陰キャ」といった言葉と非常に近い距離にある。この強力なイメージに引きずられて、「理系の対極にある文系は……あれ、でも文系もおしゃれなカフェで本読んでるイメージだし、それってインドア活動だよな……じゃあ結局、文系文化系ってこと?」というような、迷路のような思考に陥ってしまうのも、無理はないのかもしれない。

また、学問スタイル個人気質に、全く相関がないわけではない、という点も無視できない。もちろん、これは鶏が先か卵が先かの問題ではある。内向的性格から文学部を選ぶのか、文学部で学ぶうちに内向的になるのかは分からない。しかし、何時間も一人で図書館にこもり、文献と向き合い、静かに思索を巡らせるという行為が求められる学問(例えば、哲学古典文学)と、「文化系」的な気質との間に、一定親和性があることは否定できないだろう。

逆に、大規模な実験装置をチームで動かしたり、多くの被験者コミュニケーションを取りながらデータを集めたりするような研究分野では、ある種の外向性や協調性が求められるかもしれない。これは「体育会系」のカルチャーと通じる部分があるとも言える。

もちろん、これは極端な例だ。文系だってフィールドワーク世界中を飛び回る文化人類学のような分野もあれば、理系だって一人で黙々と数式と向き合う数学のような分野もある。だから学問気質安易に結びつけるのは危険だ。しかし、「何となく、そういう傾向はありそうだな」と感じてしま気持ち自体は、理解できるのだ。問題は、その「何となく」を、まるで確定した事実かのように一般化しすぎてしまうことにある。

結局

他者安易カテゴライズしてしまうのは、自分自身が何者であるかを説明する手軽な方法を求めていることの裏返しなのかもしれない。「俺は理系から、口下手なんだ」とか、「私は文系から数字は苦手で」といった自己紹介は、とても便利だ。自分個性欠点を、大きなカテゴリーに属することで説明し、免罪符にすらできてしまう。そうやって自分ラベリングすることに慣れている人は、同じように他人をもラベリングして理解しようとする。その行為が、相手多様性個性を削ぎ落とす、暴力的ものであるという自覚なしに。

まぁなにが言いたいのかというと、ベタ解像度上げよう、くらいの話しかできない

文系文化系陰キャ)と勘違いしている人」。この一見すると些細な言葉誤用は、その根底に、人間思考の癖や弱さ、そして社会蔓延するステレオタイプといった、根深問題を映し出している。

アホだなあ、と思う。でも、そのアホらしさの正体を突き詰めていくと、自分の中にも同じような思考の怠慢や、安易ラベリングへの誘惑が潜んでいることに気づかされる。私たちは誰しも、複雑な世界を前にして、分かりやす物語を求めてしまう生き物なのだ

しかし、だからこそ意識したい。文系の中にも、灼熱の砂漠で発掘調査をする考古学者がいる。理系の中にも、美しい言葉科学の魅力を伝える詩人のような科学者がいる。体育会系のノリでチームを率いる文系経営者もいれば、文化系の繊細さでミクロ世界を探求する理系研究者もいる。人間は、そんな簡単物差しで測れるほど、単純な存在ではない。

理系文系」も「体育会系文化系」も、あくま人間という多面的プリズムを、特定の一方向から照らすための、便宜的なスポットライトに過ぎない。一つの光だけで全体を理解した気になったり、異なる種類の光を混同したりすれば、見えてくる像が歪むのは当たり前だ。

次に誰かが「文系って文化系だよね」と言ったら、今度は「アホだなあ」と心の中で思うだけでなく、こう返してみようかと思う。「面白い視点だね。ちなみに、経済学部アメフト部主将やってる俺の友達は、君の言う『文系』に入るのかな?」と。そうやって、少しだけ世界解像度を上げる手伝いができたら、それはきっと、無駄なことではないはずだ。そしてそれは、自分自身が持つ見えない偏見から自由になるための、第一歩にもなるのだろう。

Permalink |記事への反応(1) | 12:24

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Fラン大卒バイト戦士ひとりごと0614

体育会系文化系という分類における文化系陰キャ)と勘違いしているやつがいてアホだなあと思った

先日、ネットとある記事を読んでいたら思わず「え?」と思う記述があった

文系って、やっぱり文化系っていうか、ちょっと陰キャイメージあるよね」

一瞬、頭がフリーズした。

彼の言っている「文系」と「文化系」が、私の頭の中でうまく結びつかなかったからだ。

数秒考えて、ようやく彼の思考回路理解した。

ああ、なるほど。

彼は「理系文系」という学問の分類と、「体育会系文化系」という人間気質の分類を

ごちゃ混ぜにしてしまっているのだ。

そして、その後者における「文化系」が持つ、やや内向的、いわゆる「陰キャ」的なイメージを、前者における「文系」全体に当てはめてしまっている。

正直に言って、最初に思ったのは「アホだなあ」だった

まりにも雑な括り方だし、乱暴ステレオタイプだ。

しかし、その一方で、なぜ彼がそんな突拍子もない(と私には思える)勘違いをしてしまったのか、妙に気になってしまった。

これは、単に彼一人の特殊思い込みなのだろうか。

それとも、意外と多くの人が共有している感覚なのだろうか。

そもそも、その二つは全く別の座標軸にある

まず大前提として、この二つの分類は全く違うレイヤーの話だ。

理系か、文系か」というのは、高校大学選択する学問分野の大きな括りのことだ。

ざっくり言えば、自然科学数学工学医学といった分野が「理系」。そして、人文科学社会科学法学経済学といった分野が「文系」。これは、何を学ぶか、どんなアプローチで真理を探究するかの違いであって、個人性格ライフスタイル規定するものではない。もちろん、学問特性個人思考様式に影響を与えることはあるだろうが、それは結果論に過ぎない。

一方で、「体育会系か、文化系か」というのは、個人気質所属するコミュニティカルチャーを指す言葉だ。

こちらは学問とは直接関係がない。

体育会系」と言えば、運動部代表されるような、上下関係がはっきりしていて、根性論やチームワークを重んじる、エネルギッシュで外向的なカルチャーを指すことが多い。いわゆる「陽キャ」のイメージと結びつきやすい。対する「文化系」は、文芸部美術部、吹奏楽部などに代表される、個人の興味や探究心、内面的な活動を重視するカルチャーだ。こちらは比較的物静かで、インドア内向的な「陰キャ」のイメージを持たれがちだ。

この二つの分類軸を並べてみれば、両者が全く別物であることは火を見るより明らかだろう。

これはX軸とY軸のようなもので、本来は組み合わせて四象限のマトリクスで考えるべきものだ。

理系体育会系工学部のラグビー部員とか、医学部のサッカー部員とか。ゴリゴリフィジカルを持ちながら、論理的思考も得意とする人たち。たくさんいる。

文系体育会系法学部の野球部主将とか、経済学部のアメフト部エースとか。チームをまとめ上げるリーダーシップコミュニケーション能力に長け、社会の仕組みにも明るい。こちらもたくさんいる。むしろ営業職などで大活躍するイメージすらある。

理系文化系数学科でチェスに没頭する学生とか、物理学科でSF小説を書きふける大学院生とか。知的好奇心の塊で、自分世界を深く掘り下げるタイプ。これもステレオタイプな「理系像」に近いかもしれない。

文系文化系文学部古文書を読み解くのが好きな学生とか、史学科で一日中博物館にいるような人とか。これもまた、一つの典型的イメージではあるだろう。

このように、四つの象限にはそれぞれ典型的人物像を当てはめることができる。

理系から文化系陰キャ)だとか、

文系から文化系陰キャ)だとか、

そんな単純な話では全くないのだ。

彼が言っていた「文系文化系陰キャ)」という図式は、このマトリクス存在を完全に無視した、あまりにも解像度の低い世界認識だと言わざるを得ない。

なぜ、そんな勘違いが生まれるのか

では、なぜ彼は、そしておそらく彼以外の一部の人たちも、こんなにも雑な紐付けをしてしまうのだろうか。

いくつか理由が考えられる。

一つ目は、言葉の響きとイメージ連鎖だ。

文系」の「文」と「文化系」の「文」。この共通する漢字文字が、無意識レベルで両者を結びつけている可能性は高い。人間は、意味よりも音や形の類似性物事連想することがよくある。「文」という字には、どこか「武」の対極にあるような、静かで知的イメージがつきまとう。「武」が体育会系なら、「文」は文化系だろう、という非常にシンプル連想ゲームが、頭の中で行われているのではないか

二つ目は、ステレオタイプ暴走単純化だ。世の中には、様々なキャラクターの「型」が存在する。特にドラマ漫画アニメといったフィクション世界では、分かりやすさが重視されるため、キャラクターはしばしば極端なステレオタイプとして描かれる。

たとえば、「理系天才」は、コミュニケーションが苦手で、白衣を着て研究室にこもっている、まさに「文化系陰キャ」として描かれがちだ。一方で、法廷ドラマの敏腕弁護士や、経済ドラマの熱血銀行員といった「文系」のヒーローは、弁が立ち、行動力がある人物として描かれることが多い。

なぜ文系陰キャ扱いされがちなのか?

こう考えると、むしろ文系陽キャ」のイメージの方が強まりそうにも思える。だが、ここで話はもう少し複雑になる。

おそらく、多くの人が「文系」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、

文学部史学科といった、人文科学系の学問ではないだろうか。

経済学部や法学ももちろん文系だが、より「文系っぽい文系」としてイメージされるのは前者だろう。そして、ひたすら文献を読んだり、思索にふけったりする文学部イメージは、確かに文化系」の活動親和性が高い。この「文系の中の特定イメージ」が肥大化し、文系全体を代表するイメージとして認識されてしまう。その結果、「文系文学部っぽい人たち=文化系っぽい=陰キャ」という、伝言ゲームのような連想が出来上がってしまうのではないか

三つ目は、経験の偏りと一般化だ。

人は誰しも、自分の見てきた世界世界のすべてだと思いがちだ。例えば、その人が通っていた高校クラス編成が、たまたま理系クラス大人しい生徒が多く、文系クラスは活発な生徒と静かな生徒が混在していた」という状況だったとする。その場合、「理系文化系寄り、文系もまあ文化系寄りかな」という雑な印象が刷り込まれしまうかもしれない。あるいは、自分の周りにいる数少ない「文系」の友人が、たまたまインドア趣味を持つ人ばかりだった、という可能性もある。その限られたサンプルから、「文系とはこういうものだ」という法則を導き出し、それを世の中全体に当てはめてしまう。これも、人間が陥りがちな思考の罠の一つだ。


https://anond.hatelabo.jp/20250614122405

俺がブクマしたんじゃねえ。誰だよまじで

Permalink |記事への反応(2) | 12:21

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2025-06-13

anond:20250613021626

増田、昔の自分みたいなこと言っていて少し共感してしまった。年取る課程でいろんな経験したら、なんか知らんが治ったが・・

「私はあいつらとは違う」って思ってると、集団の中で競争することから心理的に逃れることができるんよ。だから見下してたほうが楽だよね

AIのほうが言語化うまいかなと思ったけどいまいちさらんね

1.自分が嫌いな部分を集団に映し出している(投影

実は自分自身の嫌な部分(感情的だったり陰湿気持ち)を心の中に隠していて、それを他の女性に重ねて見てしまう。

自分の中にあるイヤな面を認めたくないため、「他の女性が嫌だ」と感じてしまう。

2. 「みんなと一緒にされたくない」という気持ち

「私はあんな人たちとは違う」と感じることで、自分特別存在として守ろうとしている。

他の女性と同じだと思われるのが嫌だから女性集団全体に嫌悪感を抱く。

4.過去の嫌な経験の影響

女性同士の関係で辛い思いや嫌な経験いじめや仲間外れなど)をしたことがあって、その記憶が残っている。

そのせいで、女性同士という状況が無意識不快になってしまっている。

5.女性への偏見先入観自分でも受け入れている

「女ってこうだよね」というネガティブイメージステレオタイプ自分無意識に信じ込んでしまい、それを目にすると嫌な気持ちになる。

Permalink |記事への反応(2) | 04:00

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2025-06-09

創作物ステレオタイプ阪神ファンを出してもファンは怒らないけどステレオタイプレッズファン出したら怒りそうなのは何故だろう

Permalink |記事への反応(0) | 11:38

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2025-06-07

anond:20250607191750

キャラ戦闘時の露出度の高いデザインについて、以下のような理由が考えられます

1. **視覚的魅力の強調**:ゲームアニメなどのメディアでは、キャラデザイン視聴者プレイヤーの注目を引きつけるため、性的魅力を強調する衣装採用されることが多い。特にターゲット層(主に男性視聴者)に向けたファンサービスとして、腹や太もも、胸を露出するデザインが選ばれる。

2. **キャラ個性世界観表現**:露出度の高い衣装は、キャラ性格(例:大胆、自信家)や作品テーマファンタジーSFポップカルチャー)を反映する場合がある。現実戦闘では非現実的でも、作品トーンや設定に合わせて誇張される。

3. **商業意図**:露出の多いデザインはグッズ展開(フィギュアコスプレなど)やマーケティングで注目を集めやすく、売上向上を狙った戦略の一環であることが多い。

4. **文化的歴史的背景**:特に日本アニメゲームでは、80年代90年代オタク文化美少女キャラブームの影響で、露出度の高いデザインが定着。現代でもその流れが続いている作品が多い。

5. **戦闘リアリティよりエンタメ優先**:現実戦闘では防御力が重要だが、フィクションでは「カッコよさ」や「可愛さ」が優先されるため、防具としての実用性よりビジュアルが重視される。

なぜおかしいと感じるか**:現実戦闘では露出が多いと防御力が低く、怪我リスク高まるため、非現実的に見える。また、ジェンダーステレオタイプや過剰な性的表現への批判高まる現代では、こうしたデザイン時代遅れや不自然に感じられる場合も。
解決策や変化**:最近批判を受け、露出を抑えた機能的かつ魅力的なデザインや、男女平等にカッコいい装備を着せる作品も増えている(例:『エルデンリング』や『ホライゾン』)。プレイヤー視聴者の好みに応じて、衣装変更オプションを用意するゲームも出てきている。

もし特定作品キャラについて話したい場合、教えてください! より具体的に掘り下げられます

Permalink |記事への反応(1) | 19:19

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2025-06-06

「女は下方婚しないよな」と言う男性発言には、問題点改善すべき点がいくつか考えられます。以下に、この発言やその背景にある考え方に関連するダメな点を10個挙げます。なお、この発言一般化や偏見を含むため、個々のケースや文脈によって異なる場合がありますが、一般的な観点から分析します。

1. **性別に基づく一般化**

女性を一括りにして「下方婚しない」と決めつけるのは、個々の女性価値観選択無視した偏見。人は多様であり、結婚基準個人によって異なる。

2. **ステレオタイプの強化**

この発言は、女性経済的社会的地位の高い相手を求めるというステレオタイプ助長し、男女双方に対する誤解を広げる。

3. **対等な関係性の否定**

結婚を「上下」の関係で捉える視点は、パートナーシップを対等なものとして尊重する姿勢が欠けている。愛情や相性より地位を優先する考え方を押しつけている。

4. **相手への敬意の欠如**

女性選択価値観を軽視し、一方的な決めつけで話す態度は、相手に対する敬意や共感を欠いている。

5. **コミュニケーション能力の低さ**

このような発言は、建設的な対話相手意見を聞く姿勢がなく、会話の中で相手不快にさせる可能性が高い。

6. **自己中心的視点**

発言の背景に、自分価値観不安(例:自分が「下」と思われたくない)を投影している可能性があり、相手立場を考えていない。

7. **ジェンダー平等への無理解**

現代ジェンダー平等観点から結婚における「上下」という考え方自体時代遅れであり、男女の役割固定化する古い価値観に基づいている。

8. **経済地位への過度な執着**

結婚経済的社会的な「取引」のように捉える姿勢は、愛情や信頼に基づく関係性を軽視する傾向がある。

9. **女性主体性無視**

女性自分意志パートナーを選ぶ主体性を持つことを認めず、決めつけで「下方婚しない」と断定するのは、女性自律性を軽視する態度。

10. **対話余地を閉ざす**

この発言は断定的で、相手意見反論を聞く余地を残さない。結果として、深い議論相互理解の機会を失わせる。

### 補足

この発言をする男性が、もし冗談や軽い会話のつもりだったとしても、言葉の選び方や背景にある考え方が相手に与える印象は重要です。改善するには、相手価値観尊重し、性別に基づく決めつけを避け、オープン対話を通じて相互理解を深める姿勢が求められます。もしこの発言について具体的な文脈や背景を教えていただければ、さらに詳しく分析できます

Permalink |記事への反応(0) | 23:10

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