
はてなキーワード:スターンとは
『果てしなきスカーレット』は、復讐に失敗したデンマーク王女・スカーレットが、現代日本からやってきた青年・聖とともに、広大な《死者の国》を旅し様々なイベントをこなしつつ、父の敵クローディアスを倒し《見果てぬ場所》へ至ることを目指すオープンワールドRPGである。
フィールドで雑魚を五人倒すと、HPに拘わらずスカーレットが倒れてイベント発生。聖が仲間になる。
トゥルーエンディングを観るためにはこのイベント発生までに聖を仲間にしておく必要がある。
コーネリウスのパンチ攻撃に注意。タイミングよくパリィして反撃しよう。
・コーネリウスを虚無に還す → コーネリウスは退場。
・コーネリウスを治療する → 終盤でコーネリウスが仲間になる。
コーネリウスの上位互換。防御不能の銃撃を放ってくる。銃撃はパリィできないのでモーションが出たら回避しよう。
聖が仲間になっていると、戦闘開始時にイベント【献身】が発生し、戦闘後には選択肢が出現する。
・ヴォルティマンドを虚無に還す → ヴォルティマンドは退場。
・ヴォルティマンドを治療する → 終盤でヴォルティマンドが仲間になる。
コーネリウスとヴォルティマンド、二人とも治療しているとキーアイテム《父の言葉》入手。
このイベントが発生しているとヴォルティマンド戦のあと、聖がスカーレットを治療する。
キャラバンのお手伝いイベントを4つ以上こなすと【異民族のダンス】が開始。
《楽器》入手後にフィールドでキャンプをすると選択できるようになる。
中難度の音ゲーイベント。C~Sの評価により、絆ポイントがアップする。
絆ポイント5以上の状態でS評価を出すと、イベント【TOKYOダンス】発生。
S評価を出すと髪型《ショートカット》がアンロックされるとともに、キーアイテム《未来への希望》入手。
乱戦になるので、囲まれないように注意して戦おう。
髪型《ショートカット》を装備していると、戦闘中にイベント【スカーレットのために】が発生。
聖がスカーレットのために敵に弓を放つ。
ムービーギャラリーに《恥ずかしがるスカーレット》が追加されていると、キーアイテム《本当の記憶》を入手。
最高難度の戦闘。
ただし、コーネリウスとヴォルティマンドを治療しているとここで仲間として駆けつけてきて、戦闘をスキップできる。
ラスボス戦。
3つのキーアイテム《父の言葉》《未来への希望》《本当の記憶》をすべて入手していると戦闘開始時に選択肢が出現。
→勝利すると、通常エンディング「果てしなきスカーレット」へ。スカーレットは復讐を果たすが《見果てぬ場所》への扉は開かない。スカーレットと聖は二人で永遠に終わらない《死者の国》を治めることになる。
→トゥルーエンディング「栄光のスカーレット」へ。聖が死者でスカーレットが生者だったことが判明する。《見果てぬ場所》への扉が開き、スカーレットが目覚める。
このとき、絆ポイントがマックスになっていれば、ムービーギャラリーに《キス》が追加。スカーレットは父の後を継ぎ、女王となる。
現在、全国の映画館で、わずか2時間でトゥルーエンディングに到達したRTAプレイ動画が公開中。みんなで観よう!
『果てしなきスカーレット』を観た。
細田守云々を抜きにしても激クソにつまらない映画であり、業界人がかろうじて擁護している映像美的な部分も近年の人気作品(指輪とゲースロとマッドマックスとアナ雪とエルデンリング)の寄せ集めでしかなく陳腐極まりなかったのだが、それは俺個人の感想で、別に他人が褒めようが貶そうがどうでもよい。はっきりいって細田守と見れば何でも叩こうとする今のネット環境のほうが異常だ。むしろ、今細田作品を擁護しようとするほうが勇気ある人間だと言っていいだろう。
「『果てしなきスカーレット』がわからないやつはシェイクスピアという古典がわからないやつだ」とほざいているスカ褒めポストを。
はあああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜?????????????
おまえ、『ハムレット』観たことある? 誰の訳でもいいから、読んだことある??????
もし知ってたら、「『果てしなきスカーレット』を理解できないやつは『ハムレット』を知らない」なんて、口が裂けてもいえねえぞ。
『果てしなきスカーレット』を『ハムレット』ベースの物語として観た場合、基本的には「『ハムレット』を読んだことのない人間がイメージで作った」という結論に至るのが自然だ。
前提として、ある古典を、それも何百年も前の物語に則って何かを作ろうとする場合、原典より、より濃く、深く、複雑に作ろうとするだろう。最低でも、原典の味をそのままにしておこうと考えるはずだ。
それをあろうことか、細田守は鍋に大量の水をぶちこんで薄めてしまった。
たとえば、敵役たるクローディアス。『スカーレット』でも『ハムレット』でも主人公が付け狙う憎き叔父だ。
スカーレットの終盤(ネタバレ?知るか)、クローディアスは後悔をにじませながら天上の存在に祈りを捧げる。
始めは俺も「おや」と思った。
というのもこれは『ハムレット』にもあるシーンだからだ。クローディアスが前王殺害を懺悔する(しているように見える)場面。
それまでシンプルな悪役だった『スカーレット』のクローディアスにも事情があって、実は複雑なキャラクターの持ち主だった……とひねるのは、展開的にも今の世界を描くというテーマ的にも効果的ではないか。もしかして、多少は脚本がうまくなったのか、細田守?
だが、その期待は十秒後に裏切られる。クローディアスの懺悔は偽の懺悔だったのだ。彼はどこまでも単純な悪でしかなかった。
この調子で、一事が万事、原典のキャラクターたちが改悪されていく。
ローゼンクランツとギルデンスターンは多少しょうがないとはいえ、母親のガートルードはひどい。『スカーレット』ではマクベス夫人的な要素を持った「悪女」として描かれるが、その背景となる物語や動機がほとんど描かれないので、ただの淫奔な毒親にしか見えない。『ハムレット』では、わけのわからん息子と現在の夫とのあいだで板挟みになって苦しむかわいそうな人だったのに。
しかし、一番かわいそうなのはレアティーズだろう。ハムレットの恋人オフィーリアの兄にしてハムレットの良き友人。しかし、ハムレットが原因でオフィーリアが死んでしまったことから仲違いし、最終的には殺し合うことになるという、ハムレットでもっとも激アツなキャラのひとりだ。
このレアティーズが『スカーレット』では「クローディアス率いる悪の組織幹部C」くらいのポジションになり、特に深堀りも見せ場もないまま、小悪党として惨めに退場していく。
『ハムレット』を一行でも読んだことある人間なら、まずこんな扱いは思いつかないはずだ。
とはいえ、細田守が『ハムレット』を読んでいないとは思わない。タイトルは釣りだ。
読んでいる証拠は、両作にとって重要なくだりである「父王の亡霊が語りかけるシーン」にある。
『ハムレット』では冒頭に死んだ父王が現れ、ハムレットに「復讐せよ」と語りかける。これがそもそもの悲劇の始まりなのだが、『スカーレット』では父王の亡霊を逆にラストに置き、「復讐」や憎悪とは正反対の優しい言葉をかけてスカーレットを復讐の呪縛から解き放つ。つまり、父の言葉が『ハムレット』では呪縛、『スカーレット』では解放になるわけだ。
巧い反転だとは思う。そもそもの物語と話運びがカスでなかったならば。
『ハムレット』にはこういう嘆きがある。「この世の関節が外れてしまった」。弟が兄を殺し、その妻を奪い、正統な後継者である兄の息子から王位を簒奪する。狂った世界である。こういう狂った世界を正すには自分が狂うしかない、というのは『ハムレット』のひとつの読みだ。
『スカーレット』で描かれる現代の世界の鏡像としての作品世界も「関節が外れてしまった」世界といえる。だから、『ハムレット』をベースにするのはある意味で正解ではあった。だが、狂い方に失敗してしまった。狂えなかったのだ。だって、細田守って世界とかたぶんどうなっていいって思ってる人だもん。常に「個人」と「自分」を描いてきたことは、これまでの作品が証明している。
ファンの中には「これまでの得意分野を捨てて新しい領域に挑戦したことを評価すべき」との声もあるが、ファンタジーも古典もなめくさった扱いしかできないのに、なにを評価しろというのだろう? 人には向き不向き、そして心を込められるかどうかがある。
『竜とそばかすの姫』は駄作だったかもしれないが、少なくとも細田守の魂が幾分かは込もっていた。だが、『スカーレット』は? これこそ、虚無以外の何物でもない。
おそらく、『ハムレット』の「生きるべきか死ぬべきか」という名台詞に「生きること」という作品テーマを見出したのだろう。別に間違っているとまではいわないが、安易にすぎる。全体的に、安易にすぎるのだ。序盤で、坊主頭の聖を始めてみたスカーレットが「僧侶か? なら寺に行け!」というセリフがある。素でよくわからないギャグだろう。これは『ハムレット』でハムレットがオフィーリアにかける「尼寺へ行け!」という有名なセリフのオマージュだ。
なるほど。だから?
わからない。俺にはなぜここで「尼寺へ行け!」の引用が出てくるのかまったく説明できない。意味も脈絡もない。
『スカーレット』の問題は、『ハムレット』にかぎらずあらゆる要素がすべてそのような安易さの織物で出来ていることだ。どこかで聞いたようなセリフ、どこかで見たような展開。すべてが軽い。
俺の前のもう二度と「古典がわからないやつは『スカーレット』がわからない」などと言ってくれるな。お前も『バケモノの子』で『白鯨』がどんな扱いされてたか、観ただろ? ああいうやつだぞ? 細田守っていうのは。お前たちはどうせ『スカーレット』を映画館で一度っきりしか観ないのだろう。SNSでマウントを取る目的で観て、明日にはもうきれいさっぱり忘れるのだろう。
だが、俺は今日も観る。初日と土曜で一回ずつ観て、また今日も観る。なぜって?
Permalink |記事への反応(19) | 04:14
かちゃかちゃ、わざとらしくでかい音を立てるのもある。
まぁ、あれだ。
騒々しい。
それが周囲の人の気に障る。
チンピラもそうだけど、実力のない奴ほど自己アピールすんのよな。
だから「プロ」の気を使う人向けの打鍵音の低い静音タイプがある。
忙しく仕事している「能力の高い」人なら、そういう気くらい使う。
勇者ヒンメルならそうする。
気を回せない三下だから新幹線内でがちゃがちゃ仕事する羽目になる。
そういうこと。
まぁ、憐れみの目を持って、生暖かく見守ってあげればいい。
って言うかもしれん。
普通に文字を打つ時も騒々しかったが、リターンキーを叩く時は輪をかけて、数十倍の不快さを振り撒いていた。
でドヤ顔。
注意しても変わんないんだよね、こういうやつ。
奥さんが悪阻で苦しんでる時に残業とか嘘ついてジムに通い、夜泣きで苦しんでる時も残業と嘘ついてジムに通い。
「なぜかバレるんですよ」
そりゃお前、シャワー浴びてスッキリした顔で帰ったらバレるだろ……。
「……」
何度修羅場迎えても変わらんのよ。
周囲に気を遣えない人はたくさんいる。
あとはそういうのがダサい、って価値観を醸成させるしかないかねー。
キーボードを高速でカチャカチャやってんのが未来っぽくで、できるエンジニアっぽいって思う人多いんかねぇ?
最近どこの現場でも、AI使って生成するコード量を増やそうって方向みたいだけど、増えたコードはメンテしないといけない、ってこと忘れてるんじゃなかろうか?
メタプログラミングの仕組みを作るんだ。
大丸有(だいまるゆう) → 東京都千代田区の町名である大手町~丸の内~有楽町の総称
谷根千(やねせん) → 文京区東端から台東区西端一帯の谷中~根津~千駄木周辺地区を指す総称
国立(くにたち) → 国分寺~立川の間に、西武がゲッティンゲンをモデルにした学園都市を構想し、国立駅をつくり、一橋大(こくりつ大学だね)を誘致した。国立音大(くにたちおんだい)はよく間違えられるが私立大
甲武信ヶ岳(こぶしがたけ) → 甲斐国~武蔵国~信濃国の三国国境
三遠ネオフェニックス(バスケチーム。旧浜松・東三河フェニックス) → 三河国~遠江国
因伯牛(いんはくぎゅう)、因伯人(いんぱくと、地酒のジン) → 因幡国~伯耆国。インパクト狙いで草
ユーラシア大陸(Eurasia) → Europa ~Asia
ベネルクス三国(Benelux) → Belgium ~ theNetherlands ~Luxembourg
パキスタン(Pakistan) → ウルドゥー語とペルシア語の 「清浄な」を意味するپاک(パーク)+接尾語ـستان (スターン)で「清浄な国」の意。しかし元々はイギリス領インドのうちイスラム教徒が多く住む5つの北部地域の総称として、民族主義者チョウドリー・ラフマト・アリーが、パンジャーブのP、カイバル・パクトゥンクワ州に住むアフガン人のA、カシミールのK、シンドのS、バロチスタンのTANから前述の意となる「Pakstan」として総称し、後に発音しやすくするため「i」が加えられてPakistanとなったもの。『パキスタン宣言』は1933年の小冊子
アトラントローパ構想(Atlantropa) → Atlantis ~Europa。ジブラルタル海峡やボスポラス海峡に巨大なダムを建設して、地中海の海面を200メートル下げ、アドリア海などを陸地化して新たに広大な土地を得つつ、ダムで水力発電を行って莫大な電力を得るという1920年代ドイツの構想あるいはその運動。ロマンの怪物
ユーラフリカ(Eurafrica) → Europa ~ Africa。アトラントローパ構想の現実主義的後継
ブダペスト(Budapest)→ Buda ~ Pest、ハンガリーの首都で双子都市
メヒカリ(Mexicali)/ カレクシコ(Calexico)→ メキシコ・アメリカ(カリフォルニア州)国境の双子都市。当然メヒカリのが大きい。同じ国境の双子都市でも、観光地感あるティファナと異なり、ヒリヒリした独特の雰囲気ある
アークラテクス(Arklatex,Ark-La-Tex)→ アーカンソー州、ルイジアナ州、テキサス州が接し、場合によってオクラホマ州南端も含む州境都市圏
テクサーカナ(Texarkana)→ アークラテクス都市圏のひとつ。文字通りテキサス ~アーカンソーの2州に跨る双子都市。Texarkana,Texas とTexarkana,Arkansas に分けられるが、テクサーカナ連邦政府ビルは州境に跨って建ってる
シャンバナ(Chambana)→ イリノイ州の双子都市シャンペーン(Champaign)~アーバナ(Urbana)に跨る都市圏の俗称。工学系の名門、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校が有名
カリストガ(Calistoga)→ California+Saratoga。双子都市ではない。カリフォルニア州に、ニューヨーク州の高級保養地サラトガスプリングスみたいな温泉リゾート都市を作ってやるぜ!で誕生。「カリフォルニアのサラトガ」を「サラフォルニアのカリストガ」と言い間違えて定着した説もある
別々の街道や鉄道が接続する物流拠点として、主として国境・州境に形成された都市群。
例えばコンゴ民主共和国(旧ベルギー領)の首都キンシャサと、コンゴ共和国(旧フランス領)の首都ブラザヴィル。
北米大陸では特に例が多く、名前もシルエイティ/ワンビアみたいなニコイチ感あふれがち。
逆に係争地の場合、国境で半年ごと交互にスペイン/フランス領に変わるフェザン島(銀英伝のフェザーンの元ネタ)や朝鮮半島38度線のように、立ち入り禁止で無人となる。
Category:日本の合成地名には、現在 1,146 ページが含まれています。
https://uub.jp/nam/gousei.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8C%E5%AD%90%E9%83%BD%E5%B8%82
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%B0%E3%82%93%E8%AA%9E
https://en.wikipedia.org/wiki/Blend_word
日本語は特にカバン語が多く、合成地名よりも東大 (Tōdai),Pokémon,karaoke,ヘタリア(Hetalia)などが例として挙げられている。
オンラインミーティングやチャットツールが普及したことで「電話ってすごく暴力的なコミュニケーションだな」と思うようになった
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1917823
オンラインミーティングや社用チャットの普及によって、いよいよ「電話コミュニケーション」の特殊性が際立ってきたなと思う。特に突然かけてくる人の特権性。いや機能上、常に突然だから当然なんだけど、かけられる側の事情一切無視でデバイスにアラーム(着信音)鳴らして会話させるってすごいなと。
この人がどんな仕事してんのか知らないけど、事情一切無視でかかってくる電話を暴力とみなせるような条件下で仕事してるんだったら電話の電源切っとけよ!!
そうでないなら電話はただのリアルタイムな通信手段であって、あなたの勤務時間中にかかってくるあなたの業務に関係した連絡はあなたがその場で受け取る義務があんだよ! それがあ・な・た・の・仕・事・な・の!!
オメーが今手元で何の作業をしてるか知らんが、かかってきた電話にもそれと同じくらいのプライオリティがあるの!! 少なくとも、取って用件を聞くまではね!!
電話が発明されてからの150年間、電話は社会においてもっとも主要な連絡手段であり、かかってきた電話を取るのは控えめに言って読み書きと同レベルで誰でもできなきゃいけないことなの!!
だから、マジで手が離せない時は出なくていいっていう暗黙の了解もあるわけ。
蕎麦があと10秒で茹で上がるタイミングでは出なくていいし、一番微妙な箇所のハンダ付けしてる時も出なくていいし、バランスの悪い大きい荷物を持ち上げて運んでる時も出なくていい。
相手は「今手が離せないのかな」とか「トイレに立ってるのかな」とか適当に良い方に解釈して数分後とかにまたかけ直してくれる、そういうシステムなの!!
とりあえず受けて用件聞いてどうでもよさそうだったら一旦切ってもいい。そういう暗黙の了解もある。
「お調べして折り返しますねー」って言っとけば「ああ、今忙しいんだな」ってわかってくれる、そういうシステムなの!!
だから「事情一切無視の暴力」っていうのはオメーさんの子供じみた妄想なの!!
在宅ワークでチャット以外のコミュニケーションするのやだようやだようって言ってる甘ったれたお前のような業種ではなく、不特定多数のお客様を相手にしてるB2Cな「お店屋さん」は誰でもわかってることなの!!
蕎麦屋にもレコード屋にも本屋にも宿屋にも、電話は「主要な通信手段」としてお客さんからも取引先からも毎日毎時毎分じゃんじゃんかかって来るし、むしろ電話がないと成り立たない商売なわけ。いまだに。これからも。ずっと。
どうしてかっていうと、「電話は事情一切無視で暴力的にかけてよいものとする」っていう社会通念があるからなの!!
社会の大多数が受け入れて活用してる社会通念をお前の都合で勝手に世の中から消し去らないでくれる?
てか、逆に疑問なんだけど、150年間まったく暴力とはみなされておらず現代もほとんどの業種で暴力とみなされていないものが、なんでインターネットが普及しただけで暴力に変化するわけ?
キミが「いやだなあ」って感じただけでしょ?
たとえば、電車のガード下の家で在宅勤務してる人にとっては電車の走行音は間違いなく暴力的なものだろうと思う。けど、その電車に乗ってる乗客たちに「うるさくて仕事できません」って言ってわかってもらえると思う?
「お気の毒としか」って言われて終わるよね。
電話だってそうなんだよ。オメーが電話に耐性がないのは本当にお気の毒としか言えない。
けどな、パソコンカチャカチャやってEnterキーをスターン!って叩いてればいい狭ーい狭ーい世界以外の、社会の大多数の業種ではな、電話をかけたり受けたりするのは、ご・く・普・通・の・営・み、なの!!
パクリ元→ https://anond.hatelabo.jp/20210212080317
だって楽しそうだったから...(自分は文学的な教育は受けてないし、誰かと読んだ本の感想を共有することなんてないので、元増田に文学サークルとか友人とか出てくるのがうらやましい)
ネタバレありだけど、ちゃんと確認せず書いてるので記憶違いがあるかも。あと、後半になると全然読んでなかったわ。
オデュッセウスがトロイ戦争から帰る途中で船が難破して右往左往頑張るのを眺めるお話なのだけど、勇敢で直情的な普通のおっさんなので苦労するところは苦労してて良い。あと、イリアスと比べても昔の神話らしく出てくる人物とか神様の類がガチで理不尽なので良い。話がズレるけど、イリアスにはディオメデスというやつが主人公然として出ずっぱりなのだけど、オデュッセイアの回想には全く出てこないし、アガメムノンとかアイアスとかと違って他の作者の物語にも出てこないのだけど、あいつなんなん?
途中で読むのをやめた記憶がある。
エディプスコンプレックス(父親に対向心を燃やし、母親に恋慕する、的なやつ)の語源だと聞いて読んだら、全然そういうノリの話じゃなくて「へぇ」ってなったやつ。オイディプス自身は預かり知らぬところで運命に弄ばれて、最後にはすべてを理解してしまって絶望する可哀想な話なのだけど、どうでもよいことで人を殺したことがトリガーでもある(それも運命ではあるのだけど)ので、自業自得感もある。気楽に人を殺してはだめ、絶対。シェイクスピアの悲劇とかもだけど、「100%落ち度がない悲劇の被害者」ってあんまり昔の物語には出てこないね。
タイトルすら知らないやつ、その1
いまいち印象に残ってないけど、なんかずっと酒を楽しんでて幸せそうだなって思ったような気がする。
地獄編の半分くらいまで読んだ。作者(ダンテ)が古代の詩人だか哲学者だかに褒められて地獄めぐりを導いてもらうところから始まって、自分の嫌いなやつ(政敵とか批判者)が地獄で苦しんでるのを巡ってはひたすら口汚く罵って回るという、その性格の悪さというか根暗さに嫌気がさして読むのをやめた。原文だと詩的というか言語的な美しさとかあるらしいけど、こちとら娯楽としてしか本は読まないので日本語で読むからそんなん知らん、こいつは陰湿。
確か冒頭に「酒でも飲みつつゲラゲラ笑いながら聞くためのもんだから」みたいな説明が入るのだけど、そんな感じ。すごいでかい巨人の話だけど、家を椅子にしたと思ったら小便で洪水を起こして家を押し流したりするので、巨人としてのサイズも大概統一性がないんだったはず。なんか「人間の絆」だったかで、大真面目なキャラがラブレーを手放さなかった、みたいな描写があった気がするのだけど、ニュアンスがわかるようなわからんような...と思った記憶がある。
シェイクスピア作品は、意図はどうあれよく「様々な作品の元祖とも言えるものなので、読むと後続の作品がより楽しめる」的に紹介されるのだけど、普通に単体で楽しめると思う。そもそも、別作品を読んでて「あ、これシェイクスピアで見たやつだ!」ってなったからって楽しいか?という感覚が個人的にはある。ひとつ上にラブレー云々も別に良い要素だと思わなかったし。で、ハムレットはシェイクスピアの戯曲の中でも登場人物の精神性の完成度が一番高いと思っていて、劇的さでは「オセロー」とか、キャラクターの鮮烈さでは「リチャード三世」とかには劣るかもしれないけど、舞台装置としてのキャラクターではなく、"異なる価値観、教育etc...の元に自分で考えて行動する登場人物たちがつくる物語"としての面白さが本当に高いと思う。歴史的価値とかは忘れろ、楽しめ。
パルケエスパーニャにいた。
巻末の解説すら読まないことが多いので、アイルランド云々の話をパクリ元で見て「そうだったんだー」ってなった。それぞれの国には短編小説くらいの分量しか滞在しないので、それぞれ短編SFとか的なノリで読んで面白かった記憶がある。自分は自然科学系の研究者なので、科学なき探求(無為)をひたすらやってる国の印象が強い。なんかおまじない的なやつで作物の収穫量が増えるのでは?ってそれを試してるんだけど、当たり前に効果はまったくないし、それを評価するというプロセスが存在しないので無限に無為を繰り返してた。
タイトルすら知らないやつ、その2。
「目玉の話」は読んだけど、その結果として「悪徳の栄え」は読まなくて良いかな。ってなったやつ。
最強天才のファウスト博士が悪魔と契約して、「悪魔の力で楽しませてやる代わりに、人生楽しみきって満足したら魂もらうからな」って契約をする話なのだけど、すべての学問を修めた最強天才のはずのファウスト博士は普通に精神的に未熟なおっさんなので、酒飲んで暴れたり恋愛ごとやったり神話的な体験したりと色々していくなかでの言動がいちいち子供じみてるのが面白い。最後の理想国家のために働く的なパートでいきなり聖人的になってたり、全体の流れが説教臭いのが多少鼻につくのだけど、ラストシーンの迫力は自分の読書歴の中でトップクラスだと思う。ちなみにこの作品は「時よ止まれ、お前は美しい」って言葉の元祖なのだけど、これってファウスト博士からの「この世界を楽しみ尽くして満足した。これ以上の瞬間などこれ以降はありえない(だからもう魂を持っていって良いよ)」という悪魔への宣言で、なんかラブロマンス的なシーンで使われてるの見ると、「ん?」てなるんよね。
「面白かったな」という感想を持った記憶はあるのに内容はまったく思い出せない。なんか年上美人と若者が恋愛する話だったと思う。多分登場人物が本気で生きてる感があって各シーンは面白いって読めたけど、全体の流れにはさほどの興味が持てなかったタイプの話だと思う。
うだつの上がらない貧乏役人のおじさんが一念発起して外套を新しく買うのだけど、可哀想な目にあう。っていう胸糞の悪い類の話。どこかユーモラスなので面白がりつつも、「可哀想じゃんヒドイよ!」って思いながら読んだ。みじめな人間をみじめな人間の視点で描ききるって案外すごいことだと思う。でもゴーゴリのナンセンス小説ならもっとポップな「鼻」のほうが好きだし、大真面目な雰囲気でナンセンスをやっている感のある「死せる魂」も良い。死せる魂は未完だけど、なんだかんだ一つのエピソードがちゃんと完結してるので、未完だからって敬遠しないで良いと思うよ。
タイトルとあらすじを知ってて、なので読んでいない。
主人公の女性の半生記的なところがある物語なのだけど、主要登場人物であるキャサリン(主人公)やヒースクリフの主観的感情があまり描写されない(まったくされない?)ので、なんかヒステリックで意味不明な言動のキャサリンと内心が読み取れないヒースクリフが読者を置いてけぼりにしながらすごく力強くて迫力があって得体のしれない物語を作っていく話だったと思う。主観的情報がないからこそ感じられるキャラクターたちの感情の力強さってなんかあるよね。
クジラに関する雑学(どう考えてもガセのものがある)がしょっちゅうはいってくるクジラ漁船の物語(体感で全体の3割)。エイハブ船長とクイークエグのキャラクターの良さを傍観者主人公の視点で楽しむ感じだった気がする。ラストシーンの映像的な迫力は「ファウスト」のラストシーンの迫力にも匹敵するものがあると思う。文章の映像的迫力ってなんよ?って自分も思うけど、なんかそういうのはあるんだ。多分。
間違えなく読んでるし、面白かったと思った記憶もあるけど内容が思い出せないやつその2。多分、貴族の恋愛ものってジャンルはいろんな作品があるので、自分の中でごっちゃになってるところがあるんだと思う。あらすじを読むとなんとなく思い出すのだけど...
ディズニーの映画って、ノートルダムの鐘とかを筆頭にとんでもなく改変されてるもんだけど、不思議の国のアリスについては、その「不思議の国」感は素敵に映像化されてると思う。一方で、原作の「ひねくれイギリス人が伝わるかどうかは無視してそのアイロニーを子供にぶつけてる感」はなくなってるので、そういうひねくれたおっさんのノリのために読んでみても良いと思う。
ドストエフスキーはノイローゼ(死語)患者の独白を描かせると人類史最強だと思っているのだけど、この作品でも割とそういうところがある。ノイローゼ感のヤバさだけなら地下室の手記とか白夜でも良い。でも個人的には「罪と罰」の主人公の単純なノイローゼ患者ではないせめぎあい感が一番好き。
由緒ある一家が没落していくんだけど、正常化バイアスなのかなんなのかどこか他人事で、お母さんなんて特に事が進む毎に悲しんではいるんだけど、一切その精神性が変わらなくて(成長しなくて)、「多分この人死ぬまでこうなんだろうな...」感があってすごい。ラストにお年寄りの使用人に対する家族全員に関するシーンがあるのだけど、それがすごい印象的で、チェーホフの他の作品や戯曲を抑えてこれが良く代表作として出てくるのはこのシーンのせいだな、って個人的には思ってる。自分はチェーホフは戯曲より小説のほうが好き。
5冊だか6冊だかにのうちの一冊目だけ読んで続きを読んでなかった。忘れてたわ。
読んだけどあんまり好きになれなかった記憶がある。カフカは基本的にキャラクターに人間味がないのが面白いところなのだと思っているんだけど、「変身」とかの短編ならともかく、「城」とかこれくらいの分量になると、人間味のないお話は自分には楽しめないのだな、と思った。
読んでないけど、なぜかあらすじは知ってる。
読んでない。「ダブリン市民」があまり楽しめなかったという記憶があって手を出していない。ダブリン市民はどんな話だったか覚えてない。
結核患者の療養施設であるところのサナトリウムで生活するおっさんの話。ワナビー小説家だか学者だか(主人公ではない)のエピソードや、立派な紳士とその子供の印象的な挿話があったかと思うと主人公と別の患者の哲学かなにかの論争がてんやわんやあったり、女性患者との恋愛未満関係の話があったりと色々な要素がある。ただ、どの部分でも人物の精神性についてバリエーション豊かで不思議なリアリティのあるキャラクターが独特な言動をするので楽しめた。でも、突然こっくりさんをはじめたときは「作者どうした?」って思ったよ。なんなら今でも思ってるよ。
タイトルすら知らないやつその4にして作者名も知らないやつその2。
タイトルすら知らないやつその5にして作者名も知らないやつその3。自分は1900年あたりを境に新しい作品に苦手意識があってあんまり読んでないんだなって実感する。
このへんはすごい現代的なんだけど結構好き。現代的というのは勝手な自分の定義なのだけど、この辺の世代になるとやっぱり文章が少なからず技巧的になって、観念的な表現とか比喩とかが増えてくるので、「うるせぇ、自分の感情はもっとわかりやすく説明しろ!」って要求をしたくなるのだった。でもこの話は割とそれでもなんだかんだ心理がわかるので楽しめた。
このお話はすごい好き。南北戦争前の南部(黒人がバリバリ奴隷として使われてる時代・地域)のある町にトマス・サトペンというヤバげなおっさんがやってきて領地を開拓し、南北戦争を挟みつつ色々する話なのだけど、時系列で出来事を追っかけずに何人かの周囲の人達の回想などでだんだんとそのおっさんの人生の全体像を見せてくる構造になっていて、ただのヤバげなチンピラおっさんだったサトペンが、相応の過去と野望をもったクソチンピラになっていく(自分の中で)のがすごい迫力満点で面白かった。この作者の有名どころの読みにくさは、「響きと怒り」>「アブロサム、アブロサム!」>「八月の光」なので、この逆順に読むのがおすすめ、短編集から読むのも良いけど、「ウォッシュ」だけは「アブロサム、アブロサム!」のネタバレだから後に回すのがおすすめ。
タイトルすら知らないやつその6にして作者名も知らないやつその4
そこまで好きにはなれなかった。説教臭さとも違うなんか面倒臭い思想みたいなものが全体に漂ってる感じで、個人的にはそれが鼻に付いたんだろうなぁって思う。
読もうと思ってたけど読んでなかったのを思い出した。読もう。
なんか意味がありそうで(少なくとも自分が考える限りは)何も意味がないという、意味ありげさで成り立っている戯曲。ただ、それぞれのシーンが映像としてかなり印象的なので、その力でのめり込みながら読んた。で、読んだあと思い返すんだけど、結局何がなんだったのかイマイチわからないのだった。偉そうなご主人様とその奴隷のシーンとかあったけど、結局なんだったんだあいつら。
タイトルすら知らないやつその7にして作者名も知らないやつその5
読んだはずだけどちょっと印象が薄い。同じ作者の「愛人」がそうだったと思うのだけど、登場人物の心情描写が変に淡々としていて、でも行動はどこか直情的で不思議だなぁと思いながら読んだ気がする。その不思議さを楽しむのかな。なんか村上春樹の小説の登場人物の行動を感情的にしたような感じ。
タイトルすら知らないやつその8にして作者名も知らないやつその6。自然科学の研究者なのにSFは全然読まないのだった。でも、SFに興味のない研究者って外部の人が思うよりは多いと思うよ。そもそも本を読まない人をおいておいたとしても。
ラテンアメリカの文学って魔術的リアリズムとかなんとかって、「なんかありそうにない魔術的なシーンだけど、不思議とリアリティがある」みたいな評価がされてるらしいのだけど、それってヨーロッパ人の感性で日本人はヨーロッパ文学も大概魔術的なものとして受容してるところあるよなって思う。ただ、それはともかくとして、この作者の作品ではその言葉がしっくりくるとは思う。同じ作者の「族長の秋」とか短編の「エレンディラ」とかは割とお話全体のストーリーが意味と(場合によっては)ある種の寓意を持っているのだけど、この作品だけは全体の流れとかはあまり意味ないんじゃないかと個人的に思う(何度も読めばなにか見えるのかもだけど...)。それぞれのシーンをただただ楽しんでいたら、読む前に覚悟した長さの4分の1くらいの体感長さで読みきっていた。
タイトルすら知らないやつその9にして作者名も知らないやつその7。なんかすごそうなあらすじだね。
詩はたしなまないから知らない。ツエランはなんか親が読んでて好きだと言ってた気がする。ブレイクって多分宗教画を描く人でもあると思うんだけど、この人の絵はどっかで見てすごいなぁって思った気がする。
ちなみに、「哲学・思想」のパートと「日本文学」のパートは両方合わせても5~6作品しか読んでなかった。多分後30年経ってもさほど増えないだろうなと思う。
「イリアス」は捕虜の奴隷女の配分をめぐった交渉がこじれた結果、勇者が拗ねて戦場に出ず、味方がどんどん死ぬところからスタートするので、昨今の倫理観からは問題があり、神話初心者にはこっちをお勧めしたい。「オデュッセイア」も家で待っている妻を忘れてよその女のところで数年過ごすが、まあ魔法をかけられていたということでこっちのほうがマシだ。舞台もあちこち移動するから飽きないし。
ユニークなのは、劇中劇的にオデュッセウスが時間をさかのぼって事件の進展を語る箇所があることで、ホメロスの時代にはすでに出来事が起きた通りに語る手法が飽きられ始めていたのかな、と想像できる。
実は「ラーマーヤナ」とある共通点があるが読んでみてのお楽しみ。
聖書はなんせ二千年前以上の宗教書だから、原典に当たる前に基本的な出来事の流れと時代背景や当時の常識を理解していないと読解が難しい。当時のユダヤ民族の偏見も混じっているし。加えて、ところどころ立法全書的に当時の習慣や禁忌を延々述べる箇所があり、通読はさすがにできてない。新約聖書だけは何とか意地で読破した。
ところで、どうして「創世記」だけを取り上げたのだろう。たとえば物語として盛り上がるのは「十戒」の「出エジプト記」だ。「ハムナプトラ」とかでエジプトが悪役になるのは大体これのせい。いきなりこれにチャレンジするのなら、手塚治虫の聖書物語のほうがいいかもしれない。
犯人探しが不幸を呼ぶことから嫌ミス的な要素もあるし、ギリシア神話の「不幸な運命を避けるために必死になって行動した結果、結局その運命を呼び寄せてしまう」というアイロニーが大好きな自分としては、その典型例なので好物だ(予言を鵜呑みにした結果ドツボにはまる「マクベス」も好き)。
これが面白かったら、アイスキュロスの「オレステイア三部作」もおすすめしたい。何世代にもわたる恨みの念が恵みの女神として祀られることで鎮められるというモチーフは、異国のものとは思えない。
一般教養で唐詩の授業を取ったので岩波文庫でぱらぱらとめくった覚えがある。なにぶん昔のことなので記憶は曖昧なのだが、はっきり覚えているのが王梵志の「我昔未生時」で、天帝に生まれる前の時代の安らぎを返してくれるように願う詩だ。当時は反出生主義が哲学・思想界隈でここまでホットなトピックになるとは予想してはいなかった。
酔っ払いの詩。酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞーという内容。著者は文学者であっただけでなく天文学者・数学者としても知られるが(三次方程式を解いた実績がある)、ここで展開されている詩はひたすら現世の美しさとはかなさをうたったもので、酔っ払いは世の東西を問わず、というところか。イスラム世界の厳格なイメージをひっくり返してくれるので面白い。ガラン版のアラビアンナイトや高野秀行の「イスラム飲酒紀行」とあわせてどうぞ。
フィレンツェを追放されたダンテが苦しみの中生み出したキリスト教最高峰の文学のはずだけれど、とにかく気に食わない政敵を地獄でめちゃくちゃな責め苦に合わせているところを面白がる下世話な楽しみ方ができる。地獄にいる人物は聖書やギリシア神話、歴史上の人物も多く、ヨーロッパの歴史や文学をざっくり知っているとダンテがどれだけやりたい放題やったかがわかるので愉快。
ただし、地獄編の続きの煉獄編・天国編はキリスト教哲学をかじっていないと結構しんどく、しかも風景が山あり谷ありの地獄と比べてひたすら恵みの光が明るくなっていくだけなので、絵的に面白いのは地獄のほうだ。
ついでに、ヒロインがかつて片思いをしていたベアトリーチェという女性なので、ベアトリーチェの美しさを歌う箇所も下世話な目線で楽しめる。妻帯者の癖に未練たらたら。
未読。後述のラテンアメリカ文学とかジョイスとかは読んだんだが、そこに出てくる過剰なものや糞尿譚も結構楽しんだので、いつかは読みたいと思っている。
四大悲劇と「ロミオとジュリエット」はざっくりと読んでおくと、いまにも受け継がれているネタが結構あることがわかって楽しいし、意外と下ネタのオンパレードなので当時のイギリス人に親しみを持つことができる。ついでに上記のうち二作は黒澤明の映画の元ネタでもある。
興味深いのは、劇中劇というかメタフィクションが必然性を持って登場することだ(父を殺した叔父の目の前で、その殺人の場面そっくりの劇を演じて動揺させるシーン)。すごく先進的だ。かっこいいぞシェイクスピア。
基本的には正気を失ったおじさんが繰り広げるドタバタ劇で、下巻では著名になったドン・キホーテをからかう公爵夫妻までも出てくる。これだけだと精神を病んだ人をおちょくる悪趣味な書物だとしか思えないのだが(というか最初は時代遅れの騎士道精神を批判するために書かれた)、昨今はドン・キホーテに同情的な解釈が主流。最近テリー・ギリアムが映画化した。
自分が道を踏み外した元凶。誰だこんな子供を人間嫌いにする本を児童書の棚に並べたのは。クレヨンしんちゃんを夕方アニメにするレベルの蛮勇だ。四部作だが、最後の馬の国では人間という存在の醜悪さをこれでもかと暴き立てており、おかげさまですっかり自分は人間嫌いで偏屈な人になってしまった。作者の女嫌いの影響を受けなくて本当に良かった。
とはいえ、当時のアイルランド支配はこれほどまでの告発の書を書かせるほどひどかった、ということは知っておきたい。
夏目漱石「吾輩は猫である」に出てくる。基本的にはふざけた話であり、著者が自分の誕生から一生を語り起こそうとするがなかなか著者自身が誕生せず、しかも物語の進捗が遅いせいで半年ごとに本を出す約束なのにこのままでは永遠に現在の自分に追いつかない、みたいな語りで笑わせてくる。挙句の果てに著者が途中でフランス旅行に出かけてしまう。英文学というジャンルがまだ黎明期なのに、こんな愉快なのが出てくる懐の深さよ。
だが、これだけふざけているのに、登場人物の一人がうっとうしい蝿を「この世の中にはおれとおまえと両方を入れる余地はあるはずだ」といって逃がしてやるシーンはいい。
未読。「毛皮を着たヴィーナス」と「眼球譚」は読んだんだが。バタイユどんだけおしっこフェチなんだよ。自分もお尻とかブルマーとか競泳水着が好きだから笑わないけどさ。
個人的にはとても好き。人生できっと何かを成し遂げられるはずという万能感ある思春期に読みたい。主人公の行為は決して褒められたものではない。様々な悪事を働き、幼い少女を妊娠させたうえ捨ててしまう。このシーンのせいで、もしかしたら二十一世紀には読み継がれない古典になってしまうかもしれない。しかし、主人公が最後にたどり着いた境地の尊さの価値は失われることはないと信じている。現世で最も美しい瞬間とは何か、あらゆる物質的な快楽を手に入れた主人公が見つけた答えを読んでほしい。後半はギリシア神話を知らないとつらいかもしれないが、そのためにギリシア神話入門を読む値打ちはある。
未読。同著者の「赤と黒」は貧乏な青年がひたすらのしあがろうとする話で、あまりピンとこなかったのだが、文学サークルの友人から最近来たメールに「訳者を変えて再読したら面白かった」と書いてあった。
さえないかわいそうなおじさんが好きなので好き。ロシア文学というものは、名前がややこしいうえに同じ人物が様々に呼ばれるので敬遠されがちなのだが(イワンが何の説明もなくワーニャと呼ばれるなど)、登場人物をメモしたり、ロシア人名の愛称の一覧を頼りにしたりして飛び込んでほしい。このハードルさえ超えれば最高の読書体験が待っていることは保証する。ロシア文学はいいぞ。
ポーは大好きなんだけどどうしてこれを代表作に選んだのかはよくわからない。個人的には王道の「黒猫」とか「アッシャー家の崩壊」とかを最初に読むのがいいと思う。中学生の頃、狂気や暗鬱さにどっぷり浸っていた頃に読んだのだが楽しかったし、作中の詩が今でも世界で一番好きな詩のひとつだ。ちなみに、東京創元社のポー全集には、ポーのユーモア作品もいくつか収録されており、意外な顔を知ることができる。もっとも、今読んで面白いジョークかどうかまでは保証しないが、こじらせ文学少年・文学少女としては必読か。
最高の昼ドラにして非モテ文学。俺は愛されずに育った、俺は永遠に誰からも愛されない、だから他人の幸福を破壊してもいい、的な気分に一度もでもなった人は何としても読んでほしい。
映画「マチルダ」の中で児童書に飽きた天才少女がこれを読もうとする場面があるんだけど、これ小学生が読む本じゃないだろ。単純に難しいのではなく、とにかく話が脱線しまくる。まともにストーリーが進まずに、著者自身のクジラに関するうんちくが延々と続く箇所もある。雑学隙の自分は楽しく読んだが。
敵のクジラを殺してやろうとするエイハブ船長の狂気についていけるかどうか。
自分が人妻萌えを発症した元凶の一つであり、世界文学初のカーセックスシーンがあることでも知られている(自動車ではなく馬車でだが)。ストーリーは夢見がちな女性が夫に幻滅して若い男やチャラ男と浮気し、サラ金から借金を重ねて自殺するという「闇金ウシジマくん」的なノリ。妻の浮気を知ったさえないボヴァリー氏の哀れな反応は必見。自分が寝とられ文学が好きになってしまった元凶の一つ。
池澤夏樹=個人編集世界文学全集II-11所収ピンチョン「ヴァインランド」
岡地稔「あだ名で読む中世史 ヨーロッパ王侯貴族の名づけと家門意識をさかのぼる」☆
今尾恵介「ふしぎ地名巡り」★
奥野克巳「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」
ピーター・ゴドフリー=スミス「タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源」
テッド・チャン「息吹」★★
ピエール・バイヤール「読んでいない本について堂々と語る方法」☆
イリヤ・ズバルスキー、サミュエル・ハッチンソン「レーニンをミイラにした男」☆
チャールズ・C・マン『1493――世界を変えた大陸間の「交換」』★★★
ジョン・サザーランド「ヒースクリフは殺人犯か? 19世紀小説の34の謎」
東京創元社編集部「年間日本SF傑作選 おうむの夢と操り人形」
高丘哲次「約束の果て―黒と紫の国―」
堀晃ほか「Genesis 一万年の午後 創元日本SFアンソロジー」
水見稜ほか「Genesis白昼夢通信 (創元日本SFアンソロジー 2) 」
村上春樹「ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集」★
サリンジャー「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年」。
チョン・ソヨン「となりのヨンヒさん」
「ガラン版千一夜物語 1」★★★
「ガラン版千一夜物語 2」
「ガラン版千一夜物語 3」
「ガラン版千一夜物語 4」
「ガラン版千一夜物語 5」
「ガラン版千一夜物語 6」
ジョン・サザーランド「ジェイン・エアは幸せになれるか?―名作小説のさらなる謎」★★
ジョン・サザーランド「現代小説38の謎 『ユリシーズ』から『ロリータ』まで」
J・P・ホーガン「未来からのホットライン」
ロバート・アーウィン「必携アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ」★
ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」(光文社)★★★
ジュリアン・バーンズ「フロベールの鸚鵡」
イアン・マクドナルド「黎明の王 白昼の女王」
オルガ・トカルチュク「逃亡派」☆
ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」上巻☆
ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」下巻
住吉雅美「あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン」★★★
ルーシャス・シェパード「タボリンの鱗 竜のグリオールシリーズ短篇集」
オルガ・トカルチュク「昼の家、夜の家」
エイミー・B・グリーンフィールド『完璧な赤 「欲望の色」をめぐる帝国と密偵と大航海の物語』
ヴァールミーキ「新訳ラーマーヤナ4」
ヴァールミーキ「新訳ラーマーヤナ5」
タクブンジャ「ハバ犬を育てる話」☆
ヴァールミーキ「新訳ラーマーヤナ6」
ホアン・ミン・トゥオン「神々の時代」★
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ7」
ローデンバック「死都ブリュージュ」
ホセ・ドノソ「夜のみだらな鳥」
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」上巻
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」中巻
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」下巻
入江亜季「北北西に曇と往け」(一)~(四)
石黒正数「Present for me」
澤江ポンプ「近所の最果て」
カシワイ「光と窓」
月ごとに一番面白かった本を3冊選び、★をつけた。ただし、どうしても入れたかったものは☆をつけた。月ごとの順位なので、たとえばパク・ミンギュにはもっと星をつけたいのだがそれが反映されていない。
数えてみたが、2020年に読んだのは活字149冊、漫画22冊だった。毎月12冊から13冊読んでいると思っていたので、単純計算で150冊を超えると思ったが、ぎりぎり足りなかった。とはいえ、毎月10冊という目標は達成している。
1年を通して見ると、ノンフィクションばかり読む時期や、SFばかり読む時期などが明確に交代していることがわかる。特に、4月から6月はSFとファンタジーがほとんどだったが、8月以降SFを全くと言っていいほど読んでいないし、逆に11月、12月は1冊をのぞいてノンフィクションがない。
また、芥川賞をはじめとした日本の現代文学をほとんど手に取っていない。ベストセラーやエンタメ、ホラーもない。逆に、韓国やタイ、ペルーやチリなど、日米欧以外の海外文学の割合が高い。
意識してきたわけではないが、自分の好むジャンルは科学や歴史のノンフィクション、神話、行ったことのないラテンアメリカやアジアの文学、メタフィクション的であったり奇妙な味がしたりする短篇集、古典、であるようだ。一方で、女性作家の割合は低く、特に日本の現代女性作家をほとんど手に取ってない。一時期は多和田葉子だとか江國香織とかをよく読んでいたので女性作家が嫌いなわけではなく、ヴァージニア・ウルフも好きだし、ハン・ガンも自分の中では大当たりだったので、もう少し割合を増やしてもいいかもしれない(追記。身につまされる話よりも読んでいて気持ちのいい本を読む率も増えた)。
割合の話でいえば、大学時代はもう少し文豪の作品を多く読んでいたように記憶している。それと、いくつからの例外を除き、世間の動きや話題とは遊離したチョイスばかりである。世の中から目を背けているわけではないが、日々の雑事とはまた違う視点に立てたのはありがたかった。新型コロナウイルス関連の記事ばかり読んでいては気がめいってしまう。
今年は少し冊数が少なくなるかもしれないが、引き続き毎日の気晴らしとして、気が向いたものを好きなように読んでいきたい。
以上。
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って長々能書きたれなくても、このシェイクスピア学者のひとのツイートに尽きるんだけどさ。
https://twitter.com/Cristoforou/status/1083954729388920833
でもインターネットを見てみれば、「『ハムレット』でハムレットはお父さんを殺した」級のチャランポランな解釈があふれている。
なんでだろう。
それはたぶん読解を解釈と、さらには解釈を二次創作と取り違えているからだ。
ハードコアな作品だと筋がないものもあるけれど、大衆に向けて発信されるものはだいたいわかりやすいプロットへと還元される傾向にある。
プロットは要するにアクション=目に見える事実の積み重ねであって、
普通に読んでいけば誰々が何をしてどうなったかの顛末を取り逃すことはない。
たとえば、『ハムレット』を普通に読んでいたらwikipedia の「あらすじ」欄にある以外の展開は読み取れず、間違っても「ローゼンクランツとギルデンスターンがハムレットを巡ってコイン投げの賭けをしていた」なんて言い出しはしない。
物語を読めない人というのは私たちの想像以上にこの世に溢れていて、このレベルで間違える人もときどきいるけれど、まあ少なくともあなたは間違えない。
で、やっかいなのは、プロットの「展開」には「目に見える事実」以上のものも含まれていることだ。
あるキャラのセリフがどういう意図で発されたのか、その身振りにはどういう意味が込められているのか(あたりまえだが、それらは作者自身の意図からは切り離されている)。
特にふせったーなんかでは、ある一場面を切り取って過剰なまでにそこに説明をつけようとする人たちがいっぱいいる。
そういう人たちの「解釈」は一見もっともなように思われるけど、実はちゃんと作品と照らし合わせるとトンチンカンだったりする。
なぜなら彼らの「解釈」は作品内部の文脈を無視したものであるからだ。
頭からケツまでテキストを精読して、その流れと内部のロジックを過不足なく把握せねばらない。
個別の物語内部にあるリソースを分析するのが読解であり、それらを用いて家を建てるのが解釈だ。
しかし、ここに狡っ辛い読者がいる。
狡っ辛い読者はあ外部からトラックで建材を積んで物語世界へやってきて、地盤や風土に関係なくあらかじめ設計されたデザインに基づいて家を建てようとする。
勘違いしないでほしいが、解釈のレイヤーにおいては外部から持ってきた知識や材料を使うのは犯罪ではない。
批評とはそもそも物語世界と外部である我々の現実を橋渡しする行為であり、そこにはもちろん物語世界外部の知識や理論が使われる。
狡っ辛い読者は物語内部のロジックを無視し、プロットを曲解し、事実をゆがめる。ありていにいえば、自分の読みたいように読む。その歪んだ見方をあたかも物語そのものであるかのように謳う。
彼らにとって物語とは自分たちから見える世界の従属物でしかない。他者が書いたものであるにもかかわらず、彼らはそこに他者を見出そうとしない。
そんなものは解釈ではない。解釈ではないのだが、不思議なことに今のインターネットでは解釈としてまかりとおっている。
序盤で「二次創作」だと言った気がするが、考えてみると二次創作者たちに失礼なものいいだったかもしれない。
ではこうした狡っ辛い読者たちの行うおぞましい「解釈」をただしくどう言い表すべきなのだろう。
「解釈は自由だ」という紋切り型の裏にはある不文律が隠されている。
きちんと物語とプロットを認識したうえで成り立つのが解釈であり、評論であり、批評だ。
その基本のキさえできないなら、評論や解釈に手を出すべきではない。
9月はいろいろ忙しかったので10月頭から就活を開始しました。
旅行とかぶったので弁護士会主催の合説には行きませんでした。合説の効能には諸説ありますが、地方では切実に司法修習生を欲している企業が出展しているみたいなので、東京大阪だけでなく近隣の単位会の合説も覗いてみると良い出会いがありそうです。
そして合説にも行っていない就活弱者のわたしが就活に利用したのはdodaとMS-Japanとジュリナビキャリアとひまわり求人とコネです。
前二者はネットで登録したあと対面のキャリアカウンセリングに行きました。
行ったあとで気が付きましたが、カウンセリングは私たちアプリカントがクライアントへの紹介に足る人間かどうかをチェックする場だったっぽいです。
面接よりきっちりした服装で、面接よりしっかり準備して受け答えするほうが良さそうです。
ジュリナビキャリアはSkypeでのカウンセリングでした。上だけスーツを着て自宅で受けました。
dodaでもMS-Japanでもジュリナビキャリアでも「再来年1月の就職でいまから活動をはじめるのは早すぎる」と言われましたが、結局いろいろ紹介してもらえたのであまり気にしないで良いと思います。
就職活動なのか転職活動なのかよくわからない立場ですが、年齢的には転職活動なので、
といったところでキャリアアドバイザーの方の装いを少し固くした感じにしてみました。
もっとも服装の細部はまったく見られていないような気がしました。きれいで無臭のブラックスーツさえ着ておけばほかはある程度までは許されそう。
なお、当時、婚約指輪を着けていたのですが、就活中は外していました。
ふだんから周囲に「インハウス志望です」と言いまくっておくと、思いも寄らないところから引きがあったりします。
転職サイトを通じた応募はボタンを押下するだけなのでめっちゃ楽です。
合格年10月11月の就活は予想以上にお祈りされるので被りは気にせずやたら応募しまくるのが良いと思います。
条件面では「実務経験3年」などは無視して大丈夫ですが、「製造業界での知財実務5年以上」など詳細なものになってくると未経験者が応募しても無意味だったりします。
応募する前に公式サイトで最近の業績を見たり「カイシャの評判」や「openwork」や5ちゃんのスレなどをくまなくチェックしたりしたほうが良いと思います。
社内に弁護士がいるか/その弁護士は何期でどこのロー出身か/弁護士がやめまくっていないか/ここ5年の業績・株価はどうか/
なぜインハウスを募集しているのか(清算や訴訟の一時的な対応係ではないか)/業界の将来性/残業の量
などが自分に合う企業かどうかのチェックポイントなのかなあと思います。
社名でGoogleニュース検索するのも有用でした。
経歴書は、A4・2~3枚と言われていますが、A4・2枚を厳守したほうが良いと思います。
字数を気にせず書いたものを2枚に収めようとすると、どの項目も触りの部分だけを記載することになるので、面接での質問のとっかかりになりやすく、自分としても一度まとめているので話を広げやすかったです。
なお司法試験受験者は経歴書を答案のように書きがちですが箇条書きのほうが良いような気がします。箇条書きの経歴書を「読みやすい」と言ってくれた面接官がいました。
箇条書きの項目は、
など。
志望動機は、
など。
志望動機を書くに当たっては「みんなの就活」がかなり参考になります。
とにかく経歴書全体で平仄が合っていればなんでも良いんじゃないでしょうか。面接で矛盾したことを言わないよう自分の中にケースセオリーを作ろう。
新卒のエントリー用サイトに目を通し、1分くらいの自己紹介とそれらしい志望動機を用意しておけばあとは流れで大丈夫だと思います。とにかく謙虚に明るく……。
企業なんて星の数ほどあるので変な面接をするところには入らなくて良いかな……という気分で受けると楽です。
以上です。