
はてなキーワード:スターリンとは
人類は完成度の低い映画を撮る権利がある。1点(100点満点中)。
マッドマックスと化した日本でライブハウスでタイバンやりながらブイブイ言わせてる連中、ワイスピよろしくドラッグカーレースに興じる連中、スラムに現れたキチガイ兄弟とスラムの連中、汚職政治家とヤクザ、原発建設、武装警察による取り締まりの強化、暴動、ロックンロールは鳴りやまない。
みたいな話やろ?たぶん。
この映画より点を高くつけた映画はたくさんある(つーか全部そうだ)けどじゃあその映画がこの映画よりいい映画かっていうと別にそんなことはないと思う。少なくともこの映画は撮った人間に熱量があるのが伝わる。日本でマッドマックスをやりたかったんだ!っていうのはわかるし、なにより俺の心を焦がしたパンクロックという概念そのものを映像化したいんだというのも画面の作り方や音からもちゃんと香ってきてる。
要はそれとおもしろいのかおもしろくないのかは別という話で、はっきり言ってこの映画の完成度は相当低い。
でも、パンクが先鋭化するにつれてどんどん機材を敢えて弱くして編集を可能な限り切って、なんならマイクもハンドスピーカーに変えたりして音楽としての完成度をどんどん下げていってそのことをもって熱量を伝えようとして、その手法こそをメッセージにしたのに近いものを感じる。
この映画を撮った連中はカメラがブレブレで何撮ってるかわかんなくても、フィルムの解像度がうんちっちでもうこれ何が写ってるかよくわかんねぇなってなっても、ストーリーももうハチャメチャでで結局何の話やったんこれってなっても、だからこそいいんだろ!と思って撮ってたんだと思う。そんな細かい、整った、美しい"技法"では俺たちの情熱は伝わらねぇんだ!!!というパッション、ヴァイブス。
メジャーのやり方に俺たちの魂をはめ込むことはできねぇんだよ!という反骨――ロック魂。
まぁ個人的にはそれで伝わらねぇのはお前の腕がないからやでと思わんでもないが、そういう人類がいてもいいだろうと思う。こっちが避けて通ればいいだけだし。
でもまぁ映像としてけっこういいなと思うところもあって、タイトル前の東京の道路を超早回しの主観視点で疾走するシーンの疾走感は酔う!と思いながらも勢いがあって格好いいし、そこから陣内智則率いるロックバンドの演奏シーンは楽曲の良さもあって引き込まれる。そういう意味ではしょうもない物語風のものが始まるまでの単純に映像としてのパートのほうが面白かったかもしれん。
若き日の泉谷しげるのヤバいチンピラ感は頑固おやじにもこんな嫌な尖りかたしてた時期があったんだなって思えるのもよかった。
まぁ時代感を考えるとしゃーないのもかもしれないけど、伝説的パンクバンドのスターリンが出てくるんだけどこいつらが大暴れしてるシーンがモロに吹き替えで生の迫力が全然出てなかったのはかなり残念。ここは頑張りどころだっただろ、絶対。
まぁこの映画って内容を話す作品ってよりはこの映画という現象を話すための作品だと思うので特に言いたいことはない。とにかくカメラワークがガチャガチャなので酔いやすい人は100%完走できないと思うので、俺三半規管弱いんだよなとか、最近ちょっと疲れてるんだよなとか、晩御飯食べすぎちゃったとかそういう人は絶対に見ない方がいいです。
そういう意味では映像で殴ってくる(物理)な映画であるのも一つの事実。
ただまぁ俺はメジャーシーンど真ん中を歩く人間だからね。むしろ俺みたいな奴らにあーだこーだいわれたくもないだろう。というわけで、この映画をこの形で撮ってこの形に編集してこの形を出した人たちの熱意に敬意を表して1点!この1は人差し指じゃなくて中指ね。本当は17点とかだと思うんだけどそんなしょうもないもんを出してくるくらいなら0点とかのほうがきっと喜ぶと思う、知らんけど。
そんなこんなで1980年代初頭のパンクロック好きにはたぶんマストアイテムなのと、カルト映画好きにはオススメでそれ以外のほぼすべての人類にとって別にみる必要ない映画だと思います。
背後には「次はお前かも」という沈黙。
猫、全部を見て一言も言わない。
猫:
「この独裁者って人、私より偉かった?」
猫、弱音記号の上で
ショスタコービッチは一生、
「いつ消されるかわからない恐怖」と
「自分の音楽は理解されないかもしれない絶望」を抱えてたけど――
猫は理解した。
「この人、私の下僕」
最終楽章。
猫、鍵盤の上で尻尾を振りながら
歴史は言うだろう。
でも猫の回想録にはこう書かれる:
「ある日、寒い国で
私は人間に音を出させていた」
面白いというから期待したけど大学1年生向けのごく初歩なやつで
実は、この憲法の規定を不要なものとみなす研究者もいる。その理由のひとつとして、遺産などの不労所得で暮らしている人々にとって侮蔑的だ、というものがある。また、納税の義務さえきちんと果たしているならば十分であり、勤労にも義務を求めるのは行き過ぎだという考え方もある。さらに、「勤労の義務」の規定は、旧ソ連のスターリン憲法に倣ったもので、国民を総プロレタリアート「労働者」化せよ、という社会主義の発想に近いとみなす人もいる。
という意見があるくらいなのに
憲法を変えるとせんそうがあああ!って一年生未満の人に「そんな憲法がってなら勤労の義務で無理やり働かされるのもありだし働かされる先が軍隊ではない一般の組織である自衛隊というのは全くあり得る話やで」
っていう3年生向けの書き込みやで
1 おはよう🌅☀️ 【おはよう、トヴァーリシュチ!🇷🇺🔴😊】
ダー ダー ダー ダー🥁🥁🥁🥁
ハハ ダー ダー😂🥁🥁
■1・2の3で 窓をあけて🪟💨✨
■4・5・6で 党の旗に敬礼🚩🙋♂️🇷🇺
■7・8・9・10🔟✊
仲間外れなど いないかな👥❤️❓(^^)
ダー ダー ダー ダー🥁🥁🥁🥁
ハハ ダー ダー🤣🥁🥁
■1・2の3で お友だち(全員で)👭👬💕
■7・8・9・10🔟🎊
3 またあした👋🌙 【またあした、同志!🤝🔴】
またあした😉✋ 【またあした、同志!🚩💫】
ダー ダー ダー ダー🥁🥁🥁🥁
ハハ ダー ダー😂🥁🥁
■1・2の3で 指切りげんまん(党の誓い)🤞☭❤️
■4・5・6で 手を高くあげて✋✋✋💕
■7・8・9・10🔟✊
■またあした👋😄 【明日も頑張ろうー!💪🔥🚩】
ダー ダー ダー ダー🥁🥁🥁🥁
ハハ ダー ダー🤭🥁🥁
■1・2の3で 目を閉じて👀➡️😌
■7・8・9・10🔟💤
■夢を見よう💫✨
提示された文章は、特定の個人を指すというよりは、「あらゆる組織や国家に現れる、ある種の統治の失敗パターン」を抽象化したものです。
しかし、歴史や現代の事例に照らし合わせると、この文章が批判している「光合成を知らずに木を切る」ような「局所最適が全体破壊を招いた例」はいくつか具体的に挙げられます。
以下の事例は、まさにこの文章が言う「無知と権力の結合」の典型例と言えます。
この文章にある通り、彼らに共通するのは「想定外」という言葉です。
1.フィードバックの欠如:権力が強すぎて、周囲が「それはマズいですよ」と言えなくなる。
2.モデルへの固執:現実が悪化しても「自分の考え(モデル)が間違っている」とは認めず、「現場の努力が足りない」「敵の邪魔だ」と外部に原因を求める。
結局のところ、この文章が指している「権力者」とは、特定の誰かというよりも、「自分が何を知らないかを忘れた瞬間の、すべての決断者」のことであると言えるでしょう。
特定の政治家や経営者で、最近「よかれと思ってやったことが裏目に出ているのに、さらに強引に推し進めている人」を思い浮かべると、それがこの文章の正体かもしれません。
こうした「無知な権力者」を生まないために、社会や組織にはどのような「ブレーキ(検閲やフィードバック機能)」が必要だと思いますか?
ttps://note.com/yonahajun/n/nc1e0ecbf599f
つけてみてあれだが文章ましてや表題に(笑)だのなんだのと書くのは死ぬほどセンスがないと思っている。
ダサいし古いし文章でそういうことを補足すること自体ナンセンスだ。そして「こんなことを書けるオレカッコイイ!!」という見てるだけで嫌になるナルシシズムが滲み出ている。
ここまでネット社会が普及した今日、こんなくそダサい文章など見かけることは稀だろう。
言ってしまえば滑り散らかしているネタを延々と披露する痛い芸人みたいなものだ。
ところがこういうくそダサいセンスをなぜかイケてると勘違いして使用しているイタいおっさん(46歳)がいる。そう、我らがホンモノ!與那覇潤である!
これは今日も今日とてこのホンモノをいじり倒して遊んでみる試みである。
・・・どうでもいいことだがこのはてな匿名ダイヤリーで與那覇のことを書いているのは私だけなのに、全然反応がない。與那覇がもし話題沸騰な人ならもっと取り上げられて然るべきなのだが・・・。このダイヤリーが注目されないのもひとえに「ホンモノ」が社会での影響力を持っていないせいである。
與那覇よ、お願いだからもっとまともな文章を書いて早く浮上してきてくれ(苦笑 「ホンモノ」リスペクト!)
それか10万部を超えるベストセラーでも書いてくれればいいのだが・・・。もっとも、対談で分量を水増しするようなセコい書き方をしているホンモノにどこまでやれるか・・・。
與那覇は「味付け」に自信があるようだが、当たり前なことで同じような味付けのまずい飯しか出さない店なんか閑古鳥が鳴いて当然だ。最近、玉田敦子がせいだいに與那覇に対してやらかしたせいでその記事は例外的にバズったようである(よかったね笑)
まあこれは玉田が下手を打っただけの話でどうでもいい。勝手にすればという感じである。(あまりに議論のレベルが低すぎるのでURLを貼ることすらだるいので詳細は「ホンモノ」のnoteを参照されたし)
ここで問題にしたいのはホンモノの影響力が他のインフルエンサーと比較しても全然伸びていない点である。
ttps://note.com/yonahajun/n/n61a4919560c9
今のままだとnoteでは與那覇が目の敵にしている「令和人文主義」の代表格三宅香帆には到底及ばないし、以前與那覇が愚弄した谷川嘉浩には著作数の差で全く勝てそうにない。
ttps://note.com/nyake
ttps://researchmap.jp/y-tanigawa
それにしてもこの二人の影響力と仕事の多さはすさまじい。常人ではないと思い知らされる。それに比べて・・・noteという限られた言論空間SNSで駄文しか書けないホンモノも少しは見習ったらどうか(笑)
悔しかったらベストセラーになるような本でも書いてみれば(苦笑)
今の路線を突き進めばせいぜい「劣化白饅頭」くらいが関の山だろう(爆笑)
白饅頭はnoteで「成功」した一人としてみて間違いなかろう。その主張の是非はここでは置くとする。
ttps://note.com/terrakei07
改めて三宅と白饅頭と比べてみるとnoteを「主戦場」にしているはずの「ホンモノ」のダメダメっぷりがすまじい(笑)これがかつて一世を風靡したはずのヒョーロンカの姿ですか(苦笑)
こう書くと「ホンモノ」は「SNSのバズりだけで右往左往するな!」と噴き上がりそうである。
しかし、どうやらnoteが伸び悩んでいるのは與那覇も気にしているようで・・・こないだの玉田敦子の一件がばずったのを大はしゃぎしていた(詳細は與那覇note)。やっぱりSNSの反応気にしてるじゃねーか(爆笑)
まあせいぜいオープンレター騒動の敗北で溜まっている残党が噴き上がった結果、久々に得られた自己肯定感でうまい飯でも食えばいいんじゃないんですかね(適当)
そういや呉座は日本歴史学協会との裁判で敗訴したそうだが、與那覇からは特に何の声明もないし、先に挙げた與那覇の2025年を総括する記事でも注目すべきトピックなのに何の反応もない
ttps://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20251111/1762873018
ttps://agora-web.jp/archives/2053751.html
かつて與那覇は歴史学協会の声明を批判し、これに同調した歴史学者を「言い逃げ屋」として批判した。しかし、司法判断が決した今、何らかの声明を出さないと自らが「言い逃げ屋」それ自体だったということになっている(苦笑)
これが2021~22年ごろなら「司法はキャンセルカルチャーに加担したあああ!!ホンモノたるオレサマが反論を立ち上げるぜ!!!」とぶちぎれそうなんだけど、どうしたの?もう飽きたの(笑)
それか裁判で勝訴を続けている歴史学協会の弁護士の神原元にビビってるのかな(笑)
かつてあれだけコミットした呉座の一件において注目すべき裁判を「スルー」した。これこそ「歴史否定主義」なんじゃないですかね(苦笑)こうなってくると呉座を利用していただけという見解がますます「的中」してしまうんだが、もう與那覇からすればそんなことはどうでもいいのだろう。
こういう肝心なところで逃げちゃうから「ホンモノ」はダメなんだよねえ…。だからこうして舐められるしバカにされる。徹頭徹尾こんな有様でよく人のこと言えるな(呆)恥も外聞もない「ホンモノ」は流石っすね(苦笑)
まあ威勢のよさとは裏腹に過去にボコされた相手にはトラウマがあるみたいで「あのとき息の根を絶つべきだったと思うね。🙂」とまで愚弄されてもダンマリだから、根は臆病なのかもしれない。
ttps://bsky.app/profile/yunishio.bsky.social/post/3lhvappgeo22r
なんども繰り返すが都合の悪い事実は全部書かずに無視して無かったことにするのが「ホンモノ流」なので、今後も與那覇がやらかした時に取り上げ続けて徹底的にいじり倒していきたい。
ttps://kscykscy.exblog.jp/18241381/
ttps://watashinim.exblog.jp/18496216/
與那覇といえばこの上記の批判とそれを無視した與那覇に対するさらなる批判を忘れてはいけない。この件は今の「ホンモノ」を騙る與那覇にとって最も不都合な歴史の一つなので毎回のように擦り続けたい。
都合の悪い指摘を無視する、間違っても訂正しない、事実を認めようとしないこういった「ホンモノ與那覇」が批判する専門家たちの最たる例こそが「歴史学者與那覇潤」であった。ちなみに「歴史学者與那覇潤」の不都合な事実はまだある。今後機会があれば示していきたい。これらを見れば與那覇が言う「ホンモノ」などというものといかに自身がかけ離れているかわかるだろう。何度でも言うが歴史云々言うなら十数年前の自分の著作の間違いと、なぜその間違いを今日まで放置してきたのか、今後どうすべきか、なぜ自分のことを棚に上げて人を批判できたのか、全部納得ゆく説明ができるはずだ。何せアナタ、「ホンモノ」なんでしょ(苦笑)(え!?できないの!?)
ちなみに、先に挙げた要求は與那覇が他者に要求し続けていることであって、自身が自ら実践せよと言っているだけで何ら不当なことはない。それができないということは、結局與那覇は紛い物でしかないということではないか。自らの姿勢と歴史がそれを物語っている。先の『朝日新聞』の記事には代表作が『中国化する日本』であったことからも、未だにかつてのネームバリューで飯を食っているのは明らかなワケだから。過去の栄光を否定することすらできない、間違いを放置する與那覇にどうして他者を説教する資格があるのか。ましてや「裁判」などと片腹痛いとはことのことである。
ここに今回からは「呉座裁判の決着に沈黙した」という、また一つ、「ホンモノ」をいじり倒せる事実が蓄積されたということで、喋れば喋るほどボロが出る「ホンモノ」にこれからも注目したい。
あと、ここまで()でいろいろと「ホンモノ」リスペクトで書いてきたが、もう飽きたし自分で書いてて共感性羞恥心に加えて当事者としても恥ずかしいしダサくて仕方ないのでやめておく。
よくこんな文章恥ずかしげもなく書けるね。
で、本題はここからである。「與那覇潤は二人いる!?」というのが本題でここから突っ込んでいきたい。
ttps://bsky.app/profile/seika-aoshima.bsky.social/post/3mbmatco3n223
目に留まったこちらの投稿。何やら與那覇が『朝日新聞』で掲載した記事らしい。
この「うわぁ…って感じではある」というのは何ともリアルだが、その通りである。普通のそこら辺の人が與那覇の記事を見たらドン引き一択だろう。
ttps://www.asahi.com/articles/ASTDS24D6TDSUPQJ008M.html
で、なんでこの人が與那覇二人いるのかと言ったのか。早い話がnoteと朝日の記事がかけ離れているからだ。
全文はプレゼントされた記事でざっとしか読めてない。内容は引用しない。なぜなら有料なので、ここは著者とメディアに敬意を払うべきであるし(皮肉抜き)、何よりルールに則る必要がある。有料記事をそのまま転用するのは著作権的にアウトである。そこで、ここではSNS上で観測できるコメントのなかからいくつか気になったものを抜粋したい。
ttps://x.com/miyukinatsu/status/2007273385085284649?s=20
與那覇潤「歴史を取り戻すことは簡単ではありません。それなら何を新たな基盤にして『人は意外に共感しあえる生き物だ』という深い安心感を、支えてゆくのか。孤独なままその日ごとの話題に『いいね』を押しあい、浅薄に共感をむさぼる相互不信の社会を、今年で終わりにする時です」
なんかいいこと書いてそうだけど、noteでは「ニセモノ」を人民裁判で罰せよ!とわめいている。
それに共感して「うおおおおホンモノ與那覇様すっげー!人民裁判待ったなし!」という人も真面目に出てきている。
ttps://x.com/paravola/status/2005889274340929911?s=20
こんな分断を嬉々として喜ぶ人を煽るような状況で、與那覇や彼の支持者とどうやって「共感」して「安心感」ある社会を作れというのか。不信と憎悪をまき散らかし、相手を罵倒してばかりの與那覇がよくも「共感」などということを言えたものだ。これが彼に傷つけられたり、踏みにじられてきたりした者たちの本音だろう。私からすれば自分の所業を棚に上げてきれいごとばかり言う與那覇の言葉に説得力などないというのが正直なところである。朝日の記者は「ホンモノ」をちゃんと見たのだろうか。この記事を見てもし良いことを言っていると思う人がいるのなら、與那覇のnoteを見てみればいい。どこに「共感」「安心感」があるというのか、説明して欲しいところである。
「浅薄に共感をむさぼる相互不信の社会」に一役買っているのは與那覇自身ではないだろうか。
何せ間違いを犯して認めない奴ら(人選は與那覇)を裁判で裁けなどと言っているのである。正気の沙汰ではない。これが「相互不信」を招く愚行でなくてなんだというのか。そんな無茶苦茶な「人民裁判」こそ「相互不信」の温床になりかねない。次に裁かれるのは誰だとお互いに過去の発言や言説を探りあって次々と告発しあうのだ。まるで與那覇がスターリンになったかのように、與那覇に密告しあう社会がお望みなのだろうか。こうしてお互いに不信感を強める密告社会の出来上がりだ。少なくとも與那覇が旗を振る「共感しあえる」「安心感」のある社会など、全く安心できないし共感できそうにもないのは私だけではないはずだ。こう書くと「きさまあああホンモノをスターリンになぞらえるとは!?侮辱かああああ!?」とぶちぎれそうだが、そうたとえられたくないなら裁判だなんだと物騒なことを言うべきではないだろう。まあ「息の根」を絶てばよかったなどという人の発言をスルー出来るほど寛容なら何の問題もないはずだ。
果たして激烈な他者への批判を繰り返す與那覇と、共感と安心感を説く與那覇。どちらがホンモノなのだろうか。どちらかが嘘をついているのだろうか。
正解はない。奇妙なことに激烈な批判によって相手を引きずりおろして叩き潰したい與那覇と、それでも共感できる社会を目指したい與那覇は同居している。
不思議なことだ。だが、これこそが今の揺れ動く與那覇を物語っているように思う。彼自身、本当は「ニセモノ」を裁く裁判なんてやりたくないしやる気もないんじゃないか。一見して強い言葉を使ってみても、そこに具体性も中身も何にもない。あれだけ執着した呉座裁判の結果に無視を決め込んだのが全てだろう。その場その場で相手を貶す言説をまき散らし、自分が気持ちよくなれば後はどうでもいい。で、新聞ではお行儀のいい共生論を謡ってみて自己顕示欲を満たす。で、飽きれば「忘れる」。無だ。今の與那覇をたとえるならそれしかない。
ちなみに、與那覇は専門家大失墜!Vやねんホンモノ!などと盛大に謡っているが、別に専門家が失墜した形跡はほとんどないし、そもそも與那覇の見ている世界はX(Twitter)の狭い世界だけの話であって、世間全体で見ればそもそも與那覇を知っている人さえ少ないのが現状だろう。
コロナについてもいまだに議論が続いていて、日本でも多くの死者数を数えている。
ttps://www.kasai-yokoyama.com/media/news/960/
ワクチンの害等についても今後議論しなければならないが、コロナを軽視することに警鐘を鳴らす本も出ている。與那覇はネットの「つまみ食い」の知識で知ったかぶりするのではなく、こうした議論を真正面から受け止めて反論を考えてもらいたいものだ。
ttps://akebishobo.com/products/covid19?_pos=1&_sid=8ab0f2dfa&_ss=r
このような様々な議論から逃げてネットの記事や自分に都合のいい事実しか捉えないところは『中国化する日本』から何も変わっていない。
與那覇の記事に出てくるのは無名のツイッタラーばかりだ。そんな狭い世界で社会がどう、学問がどう、歴史がどう、コロナがどうの等言ったところで誰が見て納得するのか。専門家批判は間違っていないが、それの対抗言説として取り上げるのが怪しげな陰謀論者や無名のおかしなツイッタラーでは話にならない。おふざけもいい加減にしろというところだ。そんな井の中の蛙になり下がった状況で一体全体どうやって社会をひっくり返すような専門家批判、裁判などやろうというのか。そんな求心力は與那覇には全くないことは明らかであって、與那覇がしゃしゃり出たところで他の批判者に叩き潰されるのが関の山だ。先の不都合な事実を指摘されれば與那覇は一発で吹き飛ぶ。「お前にそんなこと言われたくないし言われる筋合いもないし言う資格もねぇよ!」これでお終いである。「大審問官」になどなれるはずもない。なんせ「息の根」を止めようという人にさえまともに怒りをぶつけられない臆病で繊細な與那覇だ。そんな彼に世間を向こうに回して大立ち回りをすることなど、出来ようはずがない。
もし仮に彼がそんな裁判を開くなら、過去の業績や寄せられてきた数々の批判、そして與那覇がいかにそれを無視し続けたか(先の指摘、何度でも繰り返したい)が白日の下に晒されるだろう。そうなったら、與那覇はどう弁明するつもりなのか。まさか自分だけが無傷で済むと思っているのか。
結局のところ與那覇の致命的弱点は針小棒大に物事を捉えること(例えばネットの炎上事件でもって歴史学はダメ、大学はダメだというとか、コロナについては西浦の八割削減に意味がなかったという点や陰謀論者の医者たちの言説でもってコロナは大したことないと言い募るなど)、都合のいい事実だけを議論に反映させるチェリーピッキングを繰り返して議論を組み立てることにある。『中国化する日本』で犯したのと同じ過ちをずっと繰り返している。これも「訂正」「反省」を怠った結果なのである。
先日のブログで示した向野正弘もこうした独りよがりな與那覇の痛烈な批判者だ。もし、裁判が開廷すれば「ホンモノ」の欺瞞は余すことなく暴かれるだろう(続)
「関税を上げれば、奴らは頭を下げてくる」
→ プーチン&ネタニヤフ「俺の条件を呑め」トランプ「聞いてないよ・・・」
→ 「エプスタインファイル公開法に賛成した奴は、裏切り者でMAGA失格」
→ 「優秀な人間は死んだ、戦後に残るのはどうせ劣った人間だけだ、帝国内の資産をすべて破壊せよ」
「ぼくのかんがえた さいきょうの農法なら、3年間で大躍進、アメリカに追いつける。スズメを殺せ、密植しろ」
→ イナゴ大発生、3000万人餓死。スターリン、スズメ送ってくれ。
→ 「誰かが妨害したから失敗した。紅衛兵、犯人を探して吊るせ!」
「流通?土地制度? 知らん。人間の精神力で経済が変わる。新しい社会主義的人間を創る」
→ コンゴ・ボリビアでのゲリラ戦は地元支持を獲得できず、捕縛・処刑。
「腐敗を一掃し、アマゾンを経済成長に利用、ブラジルを強い軍事国家にする」
→ 選挙で負けたら軍部と支持者が暴徒化、退任後ブラジリア連邦議会襲撃。
「強いトルコを蘇らせ、世界の中心に返り咲く」「金利は悪。利息を禁止する」
「世界の中心で咲き誇る日本外交」「台湾有事は存立危機、米軍と一緒に台湾を守る」
これら威勢のいいリーダー、ポピュリスト、もう少しはっきり言うなら「デマゴーグ」たちが、スローガンと真逆の結果を招いてしまう原因は、大きく分けて4つある。
この4つのメカニズムが、スローガンと正反対の結果を引き寄せる。
デマゴーグは、複雑な世界や社会を理解できない支持者を狙って、単純なスローガンで世界を動かせる、社会を変えられる、と主張する。
国内の社会制度であっても、複数の変数の相互作用で動いている。
デマゴーグは相手国の都合を無視しがちだが、威勢のいい言葉は、相手からの反動を必ず引き出す。
複雑系に単純な力技を当てると、構造的に必ず、反作用が跳ね返ってくる。
外交・戦争・経済などは、制度や前史・資源の制約によって決まり、威勢のよさと結果は全く別物である。
政治学ではよく知られているが、強い言葉で得られるのは支持ではなく「期待値の上昇」である。
デマゴーグは人気を得て政権を取りやすいが、取った後のハードルは上がり、実現はかえって難しくなる。
例えばトランプは、実現不可能な政策をぶち上げてはそれを引っ込めることを繰り返し
TACO(TrumpAlways ChickensOut.) と言われるようになった。
支持率は上昇も下降も早い。
支持率が高ければ高いほど、期待値だけが肥大化し、必ず失望へ転化する。
結果としてスローガンと反対の結果になる。
ロシアがウクライナを3日で下せると高を括って無理攻めしたことで、ウクライナはゼレンスキーの下で結束してしまった。
プーチンはゼレンスキー政権をネオナチと呼んだが、皮肉にも、プーチンはナチスドイツと同じ失敗を繰り返した。
ヒトラーは東部戦線でソ連を過小評価したことで、逆に総力戦動員を引き出してしまった。全く同じだ。
イエスマンで固めた側近、自分の古巣である諜報機関からの報告を信じた。
だが、側近や諜報機関は、敵よりも上司を恐れており、プーチンに弱気の報告を上げる方がよほど怖いと考えたのだ。
威勢のいいリーダーは周囲に、本当の悪いニュースが上がらない、現実と乖離した仕組みを作ってしまう。
威勢のいいスローガンは、熱狂とともに共通の敵を作り、仲間を結束させる。
だが、敵を倒しきれないと熱狂が冷める。
イラクには戦争の大義であった大量破壊兵器は、最初から存在しなかった。
ディープステートのように、存在しない敵であればなおさら、倒すことも証明することもできない。
最終的に、デマゴーグは側近への信頼を失い、支持者を恐れるようになり、味方の中から裏切り者を探して攻撃し始める。
ヒトラーは「国民こそ裏切った」「生き残っているのは劣等民族」として最後に焦土作戦を命令した(ネロ指令)。
トランプはちょうど、自分に票を投じたMAGAの人々を敵と呼び始めたところだ。
・・・でもな、実は5つ目の原因がある。
地球上にこれだけ「威勢のいいリーダーほど逆の結果を招く」例があるのに、
それでも強いリーダーを求め、わかりやすい嘘をつくデマゴーグを求めてしまう主体は、国民だ。
「こんなことになるとは思わなかった」と言い、デマゴーグのせいにしたり、反対者のせいにしたりしながら、
また次のリーダーを探してしまう・・・そんなお前ら=俺らが何とかしないといけない問題だよ、これは。
SNSが発達して、このビョーキは以前よりひどくなってしまった。
興奮と熱狂で政治家を選ぶな。威勢のいいリーダーほど、疑いの目で見ろ。
乱文をそれなりに読んでもらえてありがたい。
高市批判でサヨク認定されているのは笑ってしまった。俺は筋金入りの自民党員なんだがな。
俺が、冒頭の失敗例にスターリンやポルポトや習近平を挙げていないのは、
この3名が「威勢のいいリーダー」に数える価値もない、保身だけの凡愚だからだ。
他方で、威勢のいいリーダーの中には、ごく少数、成功した者もいる。
その点について以下に追記する。
俺が個人的に認めうるのは、チャーチルと、リー・クアンユーの2名だけだ。
アタテュルク、ドゴール、ベングリオン、鄧小平、朴正煕などがそれに次ぐ水準にあると考えている。
だが、この7名は大きな失敗を挽回できずに終わり、その失敗はその後数十年たった今でも、国の行く末に影を落としている。
7名の失敗が何であったかは、ここでは触れない。それぞれの国の歴史を学べばわかるはずだ。
この4点が、スローガンと正反対の結果を招かずに済んだ原因だ。
これらのリーダーにあって、威勢のいい言葉は常に「国民に一時的な負担・負債を我慢させるための嘘」として使われた。
(国民の多くがその嘘を、嘘と知りながら渋々従った、あるいは軍事力で抑え込まれた、という面もあったろう。)
それは百害あって一利ない。
人口オーナス期で苦しいのは皆わかってる。
Permalink |記事への反応(27) | 13:55
すごく鋭い視点ですね。
実は「戦略的あいまいさをやめて、明確化(strategic clarity)した結果、逆に情勢を不安定化させた」例は、現代史の中でいくつもあります。代表的なものをいくつか挙げます。
ジョージ・W・ブッシュ政権がイラク・イラン・北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しして「体制転換(regimechange)」を公言しました。
これにより、あいまいだったアメリカの方針が「明確に敵視」に転換。
結果どうなったかというと、
北朝鮮は「抑止のためには核しかない」としてNPTを脱退し、核実験路線に突入。
つまり、「あいまいさを捨てたことで、敵側に先制的な行動を促してしまった」典型例です。
冷戦後、NATOは旧ソ連圏への拡大を「あいまい」にしていました。
しかし、2008年ブカレスト会議で「ウクライナとジョージアは将来加盟する」と明言。
この「明確化」がロシアにとって「NATOがいずれ我が国境に来る」という恐怖を確定させ、
結果として2008年のグルジア侵攻、2014年のクリミア併合、2022年の全面侵攻へとつながった、という見方が専門家の間で強いです。
つまり、「明確にした瞬間に、相手が『今のうちにやるしかない』と決断する」構図。
ディーン・アチソン国務長官が演説で「アメリカの防衛線はアリューシャン列島・日本・沖縄・フィリピンを結ぶ」と発言し、朝鮮半島を外した。
これが北朝鮮とスターリンに「アメリカは韓国を守らない」と受け取られ、侵攻を決断させた。
アメリカが「台湾防衛を明確に公約すべき」との声がありますが、
それを本当にやると、中国は「それなら武力統一の準備を早める」と判断しかねない。
「やるかもしれない」「やらないかもしれない」という抑止のバランスで保たれています。
ここを明確化したら、東アジアの安全保障構造が一気に緊張化する可能性が高い。
要するに、
「あいまいさをなくせばスッキリする」と思うのは国内政治的には分かりやすいけど、
国際政治の現場では、あいまいさこそが“冷静な抑止”の土台なんです。
言い換えれば——
https://anond.hatelabo.jp/20250727144129
アメリカの対応は表面的で具体的な措置はこれから数か月かかる。撤退(撤僑)は戦争直前や戦争中でないと起きない。
香港国家安全法の制定は、香港の基层統治強化にはつながらず、国際的な反発も大きいが、これは中国共産党ではなく習近平個人の「党を壊し、党を作り直す」ための動きである。
香港は共産党の伝統的政策では消滅対象ではなく、むしろ改革開放派と旧ロシア系諜報グループ(黄俄)にとって極めて重要な拠点だった。彼らは香港を通じて資金調達や諜報活動を行っており、香港の喪失は彼らにとって致命的だ。
中国共産党は伝統的に「黄俄(ロシア系諜報組織)」「山東老幹部(元貧農出身)」そして「改革開放派(元士大夫階級や国民党士大夫の子孫)」という複雑な階層構造で成り立っている。
改革開放は士大夫階級の復権を促し、山東老幹部を抑えつけたが、同時に黄俄諜報系の権力も強化した。
習近平は毛沢東に似たやり方で「党を壊して作り直す」動きを進めており、黄俄系や改革開放派の一部を徹底的に叩いている。反腐敗運動はその表れであり、特に薄熙来の排除はその一環。
公安・軍隊などの強権部門には、「無産階級出身の新無産階級」と「旧無産階級(山東老幹部)」の対立がある。
彼らは文化的背景や趣味嗜好も異なり、階級闘争は内部で続いている。
アメリカは黄俄系を「党の中核」と見なし、経済的恩恵と引き換えに権力の分割を進めてきた。権力を手放す代わりに資産を得る「贖買政策」である。
しかし習近平の登場で、この黄俄系は政治的に弱体化し、資金はあっても軍事力がなく、支配が難しくなっている。
習近平の状況は、スターリンが権力を掌握した初期の混乱と似ている。多くの党内対立者が彼を理解できず、後に大量粛清が起こる。
スターリンは軍事力を持つトロツキー派を排除し、情報機関を駆使して権力を固めた。習近平も類似の道を歩んでいる。
このように、劉仲敬は習近平の香港政策や党内の派閥闘争を、歴史的な中国共産党の構造と比較しながら、「習近平は既存の党の枠組みを壊し、全く新しい党を作ろうとしている」と分析しています。香港封鎖は単なる統治強化ではなく、党内外の既得権益と諜報組織をターゲットにした動きであるという見解です。
■テーマ:「大陸體系(Continental System)」の最大限界について
強者は「海洋體系(Maritime System)」に属する。大陸體系は外との貿易に弱く、内部も分裂的。
歴史的に「大陸體系」の最大成功例はスターリン時代のソ連(東独・チェコの工業力を得た)で、それも偶然の積み重ねによるものだった。
韓国とトルコが取り込めれば、大陸體系は米国との「覇権争い」が可能になる。
一方、最低レベルの勢力圏はミャンマー止まりで、これではまともな挑戦すらできない。
冷戦時のソ連が東独やチェコの工業に頼ったように、中国もトルコ・韓国・パキスタンの技術に依存しなければならない。
だが、これら3国との関係は「短期・局所的な利害関係」に基づく臨時同盟に過ぎず、長期的な共同体とはなり得ない。
ソ連崩壊は「政治的な真空」と「核兵器流出の危機」を生み出した。
それを西側が「戦後賠償の逆転型支援(=マルシャルプラン的)」で埋めたのが、いわゆるグローバル体制。
この体制は冷戦体制の延長であり、米国は不本意ながらローマ帝国のように介入を続けるしかなかった。
「空白地帯(power vacuum)」があれば、帝国は自然にそこへ進出する。
ローマがマケドニアを倒すと、より脅威的なシリア帝国が現れたように、競争者を倒せばさらなる介入が不可避となる。
現実の政治家は「危機の回避者」であり、理想主義では対応できない。
習近平が敘利亞まで影響力を広げられれば「最小限の大陸體系」が成立。
しかし、韓国・トルコまで取り込んで「覇権競争」に挑むには、偶然と米国の失策が重なる奇跡が必要。
米国が韓国やドイツから手を引けば、その空白を中国や他国が埋める可能性がある。
それは戦略的失敗に繋がり、地図上の「色(勢力圏)」の変化が世界のバランスを一変させる。
戦争や拡張は必ずしも戦略的に完璧なものではないが、対応しなければならない。
知識人は「後から正しかったと言う」役割にすぎないが、政治家は「今、決断する」役割を負う。
https://vocus.cc/article/5f66e813fd89780001ed6c28
Permalink |記事への反応(10) | 14:41
ttps://www.threads.com/@garugaru229/post/DIk4WeHpfap/神谷宗幣はジャパンハンドラーアーミテージと仲良しジャパンハンドラーとは日本を手玉に取るってことアーミテージは最近亡くなりましたが日本を戦争に行かせようと働きかけ?hl=ja
冗談でも何でもなく
「赤い楯 ロスチャイルドの謎」くらいは読んでおくべき。
https://ameblo.jp/marty44/entry-11762416967.html
https://satehate.exblog.jp/14212190/
こういうのを
「そんなはず無いに決まってる!」と非論理的に断定するようでは話にならんのよ。
ただの感情論で逃げてるだけでは全く何の論拠もないのだけれど
右翼を盲信する奴って言うのは、結局、何も検証しようとしてないから
https://ameblo.jp/cargoofficial/entry-12873584202.html
くらいに思っておかないと話にならない。
右翼はマイナンバーとLINEヤフーの連結にも疑問を持たないし
パチンコ推進議員連盟にも日韓海底トンネルにも疑問を持たないし
何もかも話にならない。