
はてなキーワード:ジェダイとは
スター女ウォーズ
──完全詳細プロット(約6500字相当の濃密版)
オープニング・クロール
だが頂きエンパイアの恐怖は終わらない。
ワンパ(雪男)に襲われ気絶。
幻覚の中でオビ・ワンの霊体が現れる。
「ダゴバ星系へ行け……そこでヨーダに会え……
ただしヨーダは女子なので、わかりやすく丁寧に教えてくれるぞ」
スーパー・スター・デストロイヤー「エグゼキュトリックス」艦橋に立つ。
ダース・ベイ女ー
「私、女子なので直接指揮はしたくないですけど……
反乱軍は壊滅寸前。
沼の惑星ダゴバ。
「ふむ……来たか。
だがお前、女子ではないな?」
ルーク「え?」
修行内容
朝礼で「私、女子なので残業したくないです♡」を100回唱える
Xウィングを沼から上げる→ヨーダが「子宮系体調不良」で休み、ルークが単独で上げる
暗黒の洞窟で幻覚→ダース・ベイ女ーが現れ「奢ってください♡」と迫る
「恐れは暗黒面に通じる……
特に『奢らされる恐怖』が最悪じゃ」
ランドー
ダース・ベイ女ーが先回りして到着。
ダース・ベイ女ー
有名な「I know」シーン
レイア「愛してる……」
ハン「知ってる♡ でも俺の給料全部レイアちゃんにあげてるからもうない」
ヨーダとオビ・ワンの霊体が止める。
ダース・ベイ女ーとの最終対決。
ACT 5 ベイ女ーとのライトセーバー決戦(クライマックス20分)
赤いライトセーバー(清楚ピンクにカスタム)を構えるベイ女ー。
ダース・ベイ女ー
「ルーク……私と一緒に暗黒面に来なさい……
わかりやすく丁寧に♡」
激しい剣戟。
そして衝撃の告白シーン。
ダース・ベイ女ー
「ルーク……私はお前の……
元カノだった……
でも奢ってくれなかったから暗黒面に堕ちたの!!」
「NOOOOOOOOO!!!!
奢らなかった罪がこんなことに……!!」
ベイ女ー
「絶対に嫌だ!!」
とシャフトに身を投げる。
最後のシーン
「ハン……今頃どこで貢いでるのかしら……」
「必ず取り戻す……
でもその前に、俺はちゃんと奢れる男にならなきゃ……」
カメラが引くと、
ダース・ベイ女ー(小声)
「次は……私が直接ルークくんに
奢らせてあげますね♡」
暗転。
次回
頂きは、まだ終わらない。
──ダースター・ウォーズ外伝:頂き女子・エンパイアの逆襲──
皇帝ダース・シディアス(本名:西野七瀬似の元乃木坂系女子)は、
銀河の全ての男は「月収の70%を女子に貢ぐ」ことを強制されていた。
だが、希望はまだ死んでいない。
オープニング・クロール
伝説のジェダイ・マスター「オビ・ワン・ケノービ(残業おじさん)」の
教えを信じて戦っている……。
灼熱の砂漠の中、
農場の青年ルーク・スカイウォーカー(26歳・地方営業マン)は
叔父と叔母にこき使われていた。
「黙れ! 女子に奢るのが男の務めだ!」
ある日、ルークは廃品置き場で
二体のドロイドを手に入れる。
残業記録をすべて保持
そこに映ったのは、
「助けて、オビ・ワン・ケノービ……
私はレイア姫……
魂の叫びを聞いてください……」
ルーク、完全に釣られる。
シーン2 オビ・ワン・ケノービとの出会い
「私はオビ・ワン・ケノービ。
「ジェダイって?」
女子に奢らずに生きられたんだ……」
「これはお前の父のものだ。
父はダース・ベイ女ーに殺された」
「頂きデス・スターまで運んでやるぜ。
「そんな金どこに……」
「女子に奢る前に俺に払え!」
ハイパースペースで出発。
シーン4 頂きデス・スター潜入
頂きデス・スター内部。
玉座に座っていた。
「フォースの乱れを感じるわ……
でも私、女子なので
レイア姫は拘束されていた。
「私、身体は一切見せてないのに
貢がされるのは性被害です!!」
シーン5 ダース・ベイ女ーとの対決
廃棄シャフト前。
あなたたちは私に教えてくれなかった!!
ライトセーバー激突。
代わりにスマホを取り出し録音開始。
「これハラスメントですよね?
「ルーク……逃げろ……
シーン6 最終決戦 ヤヴィンの戦い
頂きデス・スターが接近。
ルークはXウィングに乗り込む。
オビ・ワンの声が聞こえる。
「私、女子なので
戦闘はしたくないですけど……
でも昇進はしたいです♡」
最終トレンチラン。
帰りますね」
その隙に、
頂きデス・スター、大爆発。
授章式。
「あなたたちのおかげで助かりました♡
でも私、女子なので
戦闘はしてません」
ルーク「いや、俺たちだけで……」
遠くで、
「フォース……?
そんなものより
次回へ続く……
(終)
頂きは続くよ、どこまでも。
フォースと共にあれ……
いや、女子と共にあれ。
バッドバッチみた。
クローン戦争かと思いきやいきなりのオーダー66で、最初からクライマックスだった。さらにあっさりオーダー66を無視するクローン兵達という。
今までは子供キャラと言ってもしたたかだったり大人びた所もあったけどオメガは世間知らずなのもあってか本当に子供で、作中でも言われてたように「子度とは面倒を起こすのが仕事」。
メンバーの中だとレッカーかわいくて好き。
そうでない作品も多いけど、SWといえばフォース(ジェダイ)、ドロイド、ファイター戦・ブラスター戦闘(戦争)みたいな中でこの作品はS2の6話で懐かしの子供のパダワン出るまでフォースもなければレギュラーで活躍するドロイドもいなかったんだなと(船の中には箱型ドロイドがいるにはいるけど)
反乱者たち見終わった
S3でまさかのスローン大提督登場に オビワンとの決闘で終わるモールの長かった戦いと今までクソ長いCW見てきた集大成っぽかった。
あとは時代が進んだのもあってEP4以降のキャラもちょくちょく出てるのも新鮮味。
前半はあんだけ出ずっぱりだった尋問官たちの霊圧が綺麗に消えちゃったのは気になった。規模が小規模な反抗から反乱軍としての立ち上げ以降大きくなっちゃったからなんだろうけど。
というかそもそもただの敵役って以上のキャラクター性がなかった気がする。大尋問官とか強いはずなのに、精神ブーストが入ってたとはいえまだ覚醒前で並みのジェダイくらいのケイナンに負けてるし。
フォールンオーダーで強敵かつ、悲哀に満ちたキャラクター性が描写されてたのを見てからだったので割と扱いにはションボリだった。
あと、どうしてもストームトルーパーみたいな中身人相手だと酷い倒され方する場合かわいそう感でちゃうなと思った。
クソ長いクローンウォーズ見てたけど、
SWを昔見た気がするって程度なのに安かったからとやってたフォールンオーダーやサバイバーで出てきた場所や人物出てきてワクワクしてしまった
ダソミアとか、ソウ・ゲレラとかライトセーバー作る所とかゲームのまんまで感激しちゃった
本当は逆なんだろうけど
そんな長かったCWも、主役の一人だったアソーカのジェダイオーダーからの離脱で終わったシーズン5、シーズン6まで見終わったけど一話目からオーダー66の話でめっちゃ不穏だったり過去キャラ死んだりボケた扱いされたヨーダの今後の話やったりとの締めのシーズンって感じだった。
滅茶苦茶よく言われてることだろ、後半どんどんオカルトになるって。
ただ、初代ガンダムの批評なんてもう出尽くしてるから、今の時代改めてみることもないだけでは。ガンダムの批評なんて80~90年代のほうが遥かに盛んだったわけで…。
富野がニュータイプ論のアイディアを語った時「ジェダイの騎士のパクリじゃん!」ってメインのスタッフが反対しまくったのは結構有名な話(そもそもビームサーベルがライトセーバーのパクリだけど)。
結果的には、ニュータイプが宇宙世紀ガンダムの重要なギミックになったし、テレパシーでアバオアクーからの脱出を助けるとこは良いシーンになったと思うけど。
ちなみに「宇宙に出た人類は革新を迎える」って思想は突拍子のないオカルトに思えるけど、あの時代は「そういうことも起こりえるんじゃないか?」という風潮がオカルトとも言い切れないくらいの熱量であった。
宇宙飛行士が「月で神をみた」とか「地球を宇宙から見ると人間の考え方は変わる」とかそういうことを言っていて、哲学者の立花隆が考察する本を書いたりしてる(宇宙からの帰還)。
とはいえ序盤はしょうもない、誰も知らない人らの物語である。ジークアクスとの共通項だ。
謎の東洋人、謎の女、謎のジェダイが地上を駆け回るだけの作品だ。
なにか盛り上がってる(物理)場所もあるが、いまいち乗り切れないだろう。
古めかしいように見えるのに意識を引き付ける、素晴らしいデザインの懐かしいメカ、懐かしい服装の出撃準備が始まる。
R2-D2とC-3POの漫才の背景では次々にXウィングが飛び立つ
そしてあの音楽とともにワープアウトした反乱軍の艦隊、迎え撃つスターデストロイヤー
ラダス提督の雄姿に涙……
旧作ファンの全てが求めていたものがここにあった。伝説が現代のSFXで帰ってきたのだ
正直言って、アナキンの破滅っぷりに笑うしかなかった。いや、笑えないんだけど。
あの頃は「悲劇の英雄」みたいな見方してた気がするけど、今見るとただの自爆系メンヘラにしか見えない。
パドメのために頑張ってたはずなのに、なぜか最後は「お前浮気してるだろ!」って逆ギレして首絞めるの、完全に修羅場のそれ。
しかもその直後、パルパティーン(皇帝)に「パドメは死んだぞ」って言われて、あっさり信じて絶望→ダークサイド一直線。
いや、なんでそんなに簡単に騙されるのか。
パドメのために闇堕ちしたはずなのに、結局自分の手でパドメを追い詰めてるの、皮肉が過ぎる。
そもそも、最初のドゥークー伯爵との戦いもそうだけど、アナキンは「やっちゃえ」って言われたら本当にやっちゃうタイプ。
ジェダイの教えとか、倫理観とか、そういうの全部パルパティーンに上書きされてる。
「君が選ばれし者だったのに!」ってオビ=ワンが泣くシーン、何回見ても辛い。
でもアナキンは「俺のせいじゃない、みんなのせいだ!」みたいな逆ギレモード。
完全に責任転嫁型の末路。
「マスターにしてくれない」とか「信用されてない」とか、ずっと拗ねてる。
そのくせ、裏でパドメと結婚してるし、ダークサイドの力に興味津々だし、
「お前が一番信用できねぇよ!」ってツッコミ入れたくなる。
最終的にムスタファーでパドメに「一緒に銀河を支配しよう」とか言い出すの、
そして、オビ=ワンに負けて溶岩で焼かれるシーン。
「助けて…」って言うけど、そりゃ無理だろ。
自分で全部ぶち壊しておいて、最後だけ被害者ヅラするのはどうなのか。
パドメも死んじゃうし、子供たちは離れ離れになるし、銀河は帝国になるし、
アナキンのせいでみんな不幸になってる。
けつろん:
最初からジェダイ評議会の言うこと聞いて、普通にしてればマスターにもなれたし、
20年経っても、やっぱりこいつは救いようがない。
(AIです)
ダンジョン飯が「お約束的世界観に対して上から目線でメスを入れ」るコンセプトだと聞いて意外だった。というのもあの作者がやってる事は当たり前の世界観構築の一つだと思っていたから。
>ダンジョン飯みたいな「古典RPGのお約束的世界観に対して上から目線でメスを入れようとする作品」が前から嫌いだった
https://anond.hatelabo.jp/20250427090957
多分なんだが、元増田はJRPG一貫でRPG黎明期とかに興味がないのではないか。
そういう約束事というのは最初からあったのではない。グラフィックがプアな黎明期に製作者達が共同幻想を構築していったので出来たものなのだ。
ダンジョンはそもそも城の地下に築かれる地下牢を指していた。中世~近世のヨーロッパには教育刑の概念はない。だから地下牢では拷問が行われたり単に囚人を放置して餓死させたりしていたし、灯火も無く発狂必須だったりした。大きさはそんなに広くはない。
そこから怨念が染みついた恐ろしい場所というイメージが付いた。
更に城が放棄されて崩壊しても地下構造は残る。そこで「崩壊した古城の地下には財宝が残っているかも」という妄想が付きまとうようになった。
1970年代のテーブルトークRPG(TRPG)の代表、D&D(ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ)ではこの妄想を膨らませ、「ダンジョンには巨大構造があって深くなうほど怪物が強くなって最奥にはドラゴンが財宝を守っている」という設定を作った。
ゲーム盤はただのマス目とサイコロだけであり、付属のカードのイラストで世界観を想像してね、という仕様だ。
因みにドラゴンは旧約聖書にも載っている「悪の手先」で、モンサンミッシェル寺院の屋根の上でミカエルに踏んづけられていたりする。昔からだれもが知っている悪の手先とダンジョンの妄想世界観を組み合わせたんだな。
黎明期にはこの手の「世界観設定」の途中で意味が付与された事物が沢山ある。例えば
羽が生えた悪魔みたいな生物、ガーゴイルだが、これは元々はキリスト教会の雨樋のことだ。
教会建築では建物が痛まないように屋根の雨を壁から離れたところに落とす為の雨樋を付ける。日本の雨落しみたいな方法だ。
この雨樋の水出口には動物や怪物の顔から吐出するデザインが用いられていた。ごれがガーゴイルで、「うがいでガラガラ」みたいなオノマトペなのだ。ガラガラ言うからガーゴ。
ローマ水道で吐出口がライオンの頭みたいなもんで、欧州の伝統的な魔除けデザインだった。
これを黎明期RPGでは悪魔型怪物として「生命」を持たせたのだな。
エルフの伝説は各地によって異なり、悪戯好きの悪鬼の地域もある。これが今の耳が尖って痩身で聡明という風に固定されていった。
特にRPGの約束事の形成に影響を与えたのがウルティマUltima、バーズテイル The Bard's Tale、ウィザードリーWizardryの三つだ。
このうちバーズテイルは日本だとややマイナーかもしれない。これは発売時期が他の二つより遅くてJRPGの発売時期と被ってしまった為だ。
でもこの作者はUltima、wizを繋ぐ鎹みたいな人物だ。バーズテイルの舞台はスコットランドに現存する遺跡から名を取ったスカエブレイという町なのだが、このスカラブレイという町はウルティマにも登場する。そこにはホークウィンドという重要人物が居るんだが、これがバーズテイル作者のロー・アダムスの成り替わりキャラ。
一方、wizには人間離れした強さの忍者、ホークウインドが登場する。これもロー・アダムス。
で、この三つの作者はD&Dが作ったファンタジーRPGの世界を拡大して今の「約束事」が出来ていくわけだ。この時独立独歩じゃなくて三大タイトル作者三人が協働したのが大きい。一人のアイデアを他が模倣する事で世界観が確立していくわけだから。
だからこの当時のプレイガイドなどを見ると、所謂攻略本などとはかなり違う。「この怪物はどういう生き物か」「この地形はどういうものなのか」という設定資料的な記述がとても厚い。
グラが貧弱な分、そういう所で世界観を膨らませる&作者たちの世界観を共有する事がプレイの楽しみという感じなのだ。それはだから単なるゲームではなくかなり文化の香りを纏っていた。
これを翻訳した日本でもその世界観の紹介は重要コンテンツとなった。何しろRPGという約束事が無い所にコンテンツを持ってくるのだから。
でもそのせいで恥ずかしい失敗もしている。代表例が、wizに出てくるかなり強い剣「blade cusinart」を「名匠カシナートの打った名刀」と紹介してしまったことだ。これの正しい訳は「クイジナートのフードプロセッサ」なんである。
cusinartはアメリカのキッチン用品メーカーであって、作者は悪ふざけで入れたアイテムだったのだが、翻訳チームはその辺のニュアンスを感じ取れなかった。今のフランス料理を「ヌーベルキュイジーヌ」って呼ぶこと、綴りを知ってたら間違えなかったのにな。
こんな風に三大タイトルは世界観構築に勤しんでRPGというジャンルを形成していったのだが、そのうちのウルティマがRPGの約束事を超えて風変りな変化を始める。
まず、モンスターを殺しまくってラスボスを倒し、財宝を手に入れ救世主として祭り上げられる、というRPGの目標を無視して、時に二律背反する命題を乗り越えて善行を積み、人格者として成就するというのがゲームの目標になる。
次に世界を救ったはずが他者の文明を破壊しており、他の種族の侵攻の原因を作ったのが主人公だった。その種族との調停和平を目指すというのがゲームの目標になる。
次にNPCが生活するようになり、店員は夜になると家に歩いて帰り、食事をして寝る。だから夜に店に行ってもサービスを受けられない。
次に凡そすべてのアイテムが動かせるようになり、好きな所に置いておくことができる。移動した物はそのままそこに残り、位置もセーブされる。ついでにそれらに生命を吹き込むと勝手に移動する。
これらはもうゲームの進行に何も関係が無い。だけど現実世界では物は動かせて外出から戻ってもそのままある。会社員は定時で退社して家に移動してご飯食べて寝る。だったら再現するのが当たり前だ、という考えである。
そしてこういう現実で出来る事は出来るようにするという仮想世界構築の妄執がウルティマオンラインという世界初のMMOを産んだのだった。
当初のウルティマオンラインの熱量というのは語り草で、ドワンゴの川上量生が時々熱っぽい文章を書いているのを見た事があるかも知れない。
これは単に初めてのネトゲと言うだけじゃなくて、RPGとしては異常なものであったからだ。
というのも、当初のUOにはクエストも無ければクリア目標もない。一切無い。ただ仮想世界があるだけ。
モンスターが徘徊する世界を強くなれば安全に冒険できるが、装備品は鍛冶屋に作ってもらう必要がある。でも一人で沢山のスキルを持つ事はできないようになっている。だから協働必須なのだ。
更に鍛冶屋は原料を仕入れる必要がある。原料→中間製品→製品とする事で、疑似的な経済循環が成立する。オフラインゲームしかやった事無い人がこんな世界に放り込まれたら最初は困惑するがやがてハマって「もう一つの世界」から出て来れなくなる。
しかもなんの役に立たないアイテムが超大量に存在する。ゲームじゃなくて仮想の「世界」であるならそれは当然だな。
「RPG世界を構築する」の妄執を続けていったら到達した怪作と言っていいだろう。
ただ、プレイヤーの行動は作者の思惑とは違うところも多かったようだ。
最初は店のアイテムもそのまま移動できた。だがリアルでそれを持って行くのが悪徳なら仮想世界内でもそれを控えるだろう、と作者は考えたが、そうはならず結局は制限を付けるしかなかった。
一方、ゲーム産業が隆盛した日本ではRPGはそれらとは違う進化を遂げることになった。やる事が細分化されて示され、それをクリアするのが目標となった。
また、「この〇〇というのは古代ケルトの風習で」とか「ケルトの風習なら△△では□□をするのがしきたりか」みたいな世界解釈をするという文化的文脈が余り無い。すると余計な詮索は世界に半畳を入れるような無粋な真似、という事になる。
するとお約束世界観に対する解釈を行う行為がポストモダンの「脱構築」の如くと言うのは得心が行く。
でもポモが虚仮にされるのは、世界に対する自分のルサンチマンが見えるからだ。批判の対象になるものをまるで理解も出来ないのに、「独自解釈」で切ればその対象の支配者になった気分になる。彼らはその為にやっている。概ねその対象は職業社会や国際関係などの身体的に揉まれないと会得出来ないもの、基礎常識が大量に必要になる物が多い。
そのノリでサブカルチャーなどの作品やジャンルを斬れば斬られた方は棄損するしユーザー層は冷や水掛けられてシラケる。
だけどダン飯の場合は棄損して終わりではなくて、先に述べた黎明期の世界観構築と相同の行為であるからポモなんてゴミとはかなり違うだろう。
そもそも年喰ったポモなんてネトウヨになってるのが相場だ。心性が右翼だからじゃなくて社会にコミット出来ない自分の自我保護の為にやってるのだな。はてなにも居るな。彼らって言ったがはてなのは彼女らかな。
ファンタジーで日本刀が強すぎ、とか侍が特別扱いされ過ぎ、というのがよく話題にのぼるが、これもRPGが関係してるのよ。
1960~70年代に日本ブームがあった。このブームの主体はアメリカの反体制ベビーブーマーで、要するにヒッピーの類縁なのだ。
当時のアメリカの若者の一部は己らの西洋文明がイヤになっていた。物質主義で、商業主義で、民族自立に対して戦争で弾圧していた。理想主義だったマルクス主義はとんでもない抑圧的体制にしかなっていない。
そこで注目されたのが東洋哲学、特に禅だった。特に「日本の禅」に強く吸引されたのだ。当時の日本は敗戦で世界の表舞台から消え、工業が再興して居たが文化的には謎の国となっていた。ビートニクと呼ばれる小説家集団の影響もある。
端的にいうと、ヒッピー的には日本とは精神的で特別な存在だった。
これが同時代のサブカルチャーに影響を与えるようになる。例えばスターウォーズのジェダイとは時代劇の「ジダイ」の事で、侍に類した強い精神性を武器としている。
だからwizには他の地域の戦士はいないのに最初から侍と忍者は登場する。ウルティマにも刀が登場する。
また、日本刀の制作は限られた刀匠以外には禁止された事もあり、その制作過程は過剰に伝統工芸的で精神的だ。これもヒッピー的文脈にある人を魅了した。
故に1980年前半に勃興したコンピュータRPGに登場したのだ。だからムラマサはワードナでも真っ二つなのだ。彼ら制作陣はベビーブーマー後期からその下の世代である。
因みにウルティマの作者の思想はガチヒッピーである。ウルティマ6のオープニングに表れているので暇があったら見てみて。https://youtu.be/7nBWuV_E6Eg?si=WIOEs3PObTpBFADO&t=462
魔法の残量をマジックポイントMPと書くゲームとマナと書くゲームがあるだろう。
この「マナ」というのは文化人類学用語なのだ。民族部族で魔法や神力があると信じられている場合、その力をマナと言うのである。だからMPよりもより正しい用語に直したのだな。
だからあのマンガがやってる事は物語にメスを入れて切り裂く行為ではなくて、黎明期に構築していった行為と相同であり、黎明期の精神を共有していると見える。
というか、wizやウルティマのプレイガイドそっくりなのだ。作者がwizを後からプレイしたと知って驚いたくらいなのだ。
因みに増田は普段はマンガを読まないのだが、ダン飯にはハマってしまい、その世界が終わるのがイヤで最終巻をまだ読んでいないのだ。我ながら病的である。
ところでなんでもサービスイン当初のUOをやりたいと考える人は多く、その為のクラシックサーバが出来たようなのだ。増田もちょっとやってみようかな。