
はてなキーワード:シングルとは
iPhone でもAndroid でも新機種が出るたびにカメラ性能推してくるしレンズも出っ張ってくるけど、そんな立派な写真を撮りたいやつは一眼レフとか使うだろ
スマホのカメラで撮りたいのは日常のスナップとかちょっとしたメモがわりとか、シングル広角レンズで充分だろ
そりゃインスタ映えとか狙う人はスマホに立派なカメラを求めるかもしれんが、そんなのスマホユーザのごく一部だろ
カメラは10年前のまま(10年前でも1200万画素あるぞ)プロセッサとかストレージとかバッテリだけアップデートして、レンズが飛び出してないiPhone があったら即買うだろ(Android ならそういう機種もあるんかね)
まずレンズを引っ込めろや。机の上でガタつくんじゃ
ChatGPTちゃんに
プロデューサーでもあり美食家の秋元康さんことやすすが初めてビリヤニを食べてその味に感動して
DJおみそしるとMJごはんさんの手法に則ってビリヤニ作り数え歌を作ってその曲名がビリヤニになった直球曲?って尋ねたら、
それは絶対ない!違う!と、
こればっかりは肯定的に乗っかってくれないハッキリとものを言うChatGPTちゃんにジワジワくるわ。
ねえAがいい?それともBがいい?って尋ねるとだいたいは
「うーん、AもいいですがBもいいですな!」って
どっちつかずなこと言いがちな感じのChatGPTちゃんだったけど、
この曲名ビリヤニがビリヤニ作り数え歌の可能性は?ってことに関してはスバリ可能性はゼロです!って言うのよね。
なんかこれ相当ビリヤニ界隈盛り上がっているんじゃないかしら?って思う反面、
交差する運命をスパイスが絡み合って美味しく仕上がったビリヤニに例えている恋愛模様を歌っているのか?
それとも、
初恋の人の香りがもう別れてしまったけどふと立ち寄ったインドレストランで食べたビリヤニの香りで思い出す初恋思い出しソングなのか?
安直に複雑に絡み合う何かの人の人生だとか恋模様だとかをスパイスになぞらえて比喩しているとしても
これ安直じゃない?
やすすはそんなことするのかしら?
って私はもちろんやすすのことを何一つ知らないし、
坂ごとでコンセプトが違うって言うし、
坂同士の移籍とかもないって言うじゃない。
やすすが坂メンバーのメンタルが落ち込んでいるときに屋上でアイスクリームを一緒に食べることも絶対にないってChatGPTちゃんそう言っていたわ。
それに私ほとんど言うか坂界隈のことは知らなかったので、
総勢何人いんのよ?ってのもあるじゃない。
これ熱心なファンの人はエクセルでメンバーの今日どの番組に出る!ってかそう言うのを記している人もきっといそうじゃない?
私はそんなビックコンテンツに今から取りかかることができないわ。
あまりにも乃木坂46ってそういういわゆる坂系ってコンテンツ覆いすぎるわ!
そんで、
でもさビリヤニって曲は聴いてみたいじゃない?
インターネッツで調べたら、
全く私の未知の領域に曲1つだけなのにそんなに種類バージョンエディションあんの?って腰を抜かしてしまったわ。
SKU46!って
そのぐらい冗談抜きで
種類が多かったので
よく分からないから配信で1曲でたらこっそり買ってみると目論んでいるところよ。
「ビリヤニ」って曲名を掲げていて40枚目のシングルって結構節目じゃないの?
そこでビリヤニってやっぱりこれハードル上げすぎなんじゃない?
これが例えビリヤニ作り数え歌だったら?
乃木坂のメンバーがビリヤニ屋さんを開店のオープンするってそっちに舵を切っていったら?
もうとにかくビリヤニのことで頭がいっぱいよ。
なんか急に最近ビリヤニのランチの発注が多くてどうしたんだろう?って首をかしげているかもしれないわ。
インド系楽器やインドネパール辺りの地名にそしてスパイス名は絶対に歌詞に入れられないNGワードよね?絶対に。
槇原敬之さんよりも言わないよ絶対に!ってより絶対感がマックスだと思う!
しかも
ビリヤニって
とはいえビリヤニ界隈の琴線に触れさせるには数があまりにもビリヤニ好き人口が少なすぎるニッチだし
ビリヤニ層をがっさりいくっていっても、
ターゲットとしてもそこ狙うの変わよね?
さんざんビリヤニって言っておいて、
ChatGPTちゃん何かの拍子でそうですね!って全然賛成言ってくれない
ビリヤニ作り数え歌ではないことは確実みたいよ。
ビリヤニ注文する人を見ては、
あなた乃木坂のファンなのね?って思われるのもなんか普通のビリヤニ好きとしてはそう思われるのかな?ってこれは考えすぎよね。
まったくもって謎過ぎるわ。
いったいどうなるのかしら?
うふふ。
ツナ美味しいわよね。
そんな変なツナサンドイッチは最近見かけないわよね本当に美味しくなったものね。
作りたてはホッツで作っておいたけれど
その後は粗熱とって常温のままではいかないので、
さすがに寒くなってきたので思いっ切り冷えたウォーラーは寒くて身体冷えちゃいそうな、
もう一気に気温が下がってきてるわよね。
こういう季節の切り替え変わる瞬間に人は風邪引くので
いつもより慎重に暮らさないといけないわね。
みんなも気を付けて!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
2.脳データーセンターが処理の割り当てを変更して他の事に集中してしまうタイプ
後者はシングルタスク化するとスパッと終わらせられるだろうし、
前者は自分をだまして締切追い込めばたぶん終わらせられる
逆だと上手く行かない
私ってインド料理の美味しいご飯のビリヤニって好きじゃないですか?
って自分の好きを前提にして物事を進める言い方の人っているわよね!
知らないわよー!ってやつ、
それ私私私!
つーか、
気になるビリヤニがあって
なになに?
乃木坂46はあざとかわいい田村真佑ちゃんのことしか知らないのに。
急にビリヤニ?ってなに?
あざと可愛く田村真佑ちゃんの真似しちゃうぐらいなにこれ?ってどんなことになってるの?
もしかして普通に「ビリヤニ」の美味しい作り方をラップで歌う曲?
つーかそれ
DJみそしるとMCごはんさんの手法!
そもそもとして私はそんな乃木坂のビリヤニとかナンで知ったかというと、
え?何これビリヤニ?って。
もっと日本ではビリヤニって人気が出ても良い食べ物だと思うので、
これで拍車が掛かればいいわよね。
まったく歌の内容どうなるの?って思っちゃうわ。
そのビリヤニって聞いて早速口がビリヤニの口になってダッシュでビリヤニを食べに行ったクチの人いそうじゃない?
まあ発売が楽しみだわ。
それ聴いてみることにしてみる!
私もそれを聞いてビリヤニの口になったクチなので
久しぶりにビリヤニテイクアウトしてみようかしら?って心弾ませているところよ。
自分で好きな具材を盛り込んだビリヤニを作ってみるのが手っ取り早い体験だけど、
あとローリエか、
それはスパイスって言うのかしら?
仮に仮にビリヤニを作るとなるってーと
スパイス一式揃えなければならないそれらどこで全部売ってるの?って
そういうスパイスを探す旅に出なければならなくなるのよね。
だから、
お手軽ビリヤニきっとがあればきっと美味く自分でもビリヤニができる!って思うんだけど、
そう都合の良い物はないわよね。
いやなんか変化急すぎてこれはこれで美味しかったんだけど。
あとさ、
炊くの?茹でるの?
持っている自分の鍋でもできるのかしら?とか。
私はビリヤニの味は知っているけれど、
ド直球のビリヤニの作り方を歌うDJみそしるとMCごはんさん手法でまさか来るわけないと思うので変化急周回を重ねすぎて、
どんなビリヤニになるかきっとこのビリヤニ界隈と乃木坂界隈ではザワついているはずだわ。
そしてまた思い出したかのように、
米不足って言ってるわりにはもう普通に買えてる感じ?
私はこないだちょっとだけどお米おにぎり用の買えたのでお米は世間に行き渡っているじゃないの?って話とは裏腹に
お店でそれ売ってるの見たことないし、
やっぱり専門のお店に、
日本に住んでいる現地の人が現地の食材を変える現地の人たちが食材買い物便利な、
そこだときっと常備してあると思うので、
そういうところには売ってると思うけれど、
これは私が乃木坂のニューシングル「ビリヤニ」を先に買うかビリヤニキットを先に買うかどちらが先になるか!って際どいところよね。
にしても、
うふふ。
昨日もそうだったかしらか?
美味しくいただきました。
ビリヤニをお店によっては半分に切ったゆで玉子が乗っていたりするところがあるけれど、
それあったらそのゆで玉子嬉しいわよね!
最近コーン茶ウォーラー茶かレモン炭酸水ウォーラーかの二択しか勝たんわ!ってところ、
他にバリエーション欲しいけれど、
結構急に寒くなってきたので、
炭酸水も冷たい冷たいってところ、
ヒーコーもそろそろコールドからホッツの切り返し地点かも知れないわ。
冬の方が案外ホッツで充実しているかも!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
元論文読んだけど、男性のほうがシングルであることと年収および教育歴との相関が顕著みたいだね。
まあそりゃそうかって感じだけど。
https://journals.plos.org/plosone/article?
とりあえずこれをする
これだけで怠惰ではなくなる
しかし手ごたえを感じることは繰り返すうちに薄くなる
そこで工夫がまるでないと感じたらやる方法を変える
手札が増えていくほど新たな「馬鹿の一つ覚え」の手がかりが増え人の発明の後追いをする準備が整う
ごちゃごちゃ言う前に算数ドリルをやっていた子供は算数の成績がよくなる
自分の立場が危うくなるため人に賢くなっては困るというような人が自己啓発を妨げるために作った言葉が「馬鹿の一つ覚え」である
周りを見渡せば「馬鹿の一つ覚え」という言葉に忌避感を持つ人々は数年前から何も新たに覚えておらず、怠惰な冷笑だけを趣味にしているのはご存じの通り
うんちくを垂れる大学受験オタクの英語教員よりも積極的に外国人とコミュニケーションをとるスウェーデンのゲーマー小学生の方がよほど英語力が高い
日本という単一文化が正義の国において異なる文化の流入というだけでアレルギー反応を示す人は多いだろう。
マルチカルチュラリズムを受け入れた移民国家は毎年経済成長を繰り返して調子がいいのだから移民を受け入れるべき、という人もいるかも知れないが、移民国家の現実を描いていくこととする。国はぼかして描くが、アメリカではない。
移民というのは基本的には海外から自分たちがやりたくない仕事を押し付けるために呼んでいる、と言うのが実態でもある。
街を清掃している人、ゴミ拾い、電車バスの運転手、コンビニの店員、給料が安くて誰でもできる仕事に就いてるのはほとんどが移民だ。
とはいえ無制限に受け入れるわけにもいかないので、移民国家は「もう誰でもよくない」と言う態度をとるようになる。
国が発展するためにみんなワークライフバランスもかなぐり捨てて働いてるんだから猫の手も借りたいフェーズの移民政策と、国が発展してきて選ぶ余裕ができたフェーズの移民政策は全然異なる。
そこで移民国家は技能移民だとか、そういうカテゴリーを作るようになる。技能移民というのは、海外で手に職をつけた人々に与えるビザだ。
日本やアメリカみたいな先進国から違う生活がしたくてくる人、インドや南米みたいに自国では食っていけないし親に仕送りもできないから生き抜くために来る人。
彼らはとにかく仕事を手に入れるためなら何でもする。何でもというのは努力ではなく、ずるだ。
嘘の学歴、嘘の職務経歴、嘘のビザ、口八丁手八丁に言い抜けるテクニック、自分たちのやることが他の同国民たちの印象にどう影響するかなど全くお構い無しにやってくる。
特に中国やインドといった膨大な人口を抱える国の人は母数がすさまじく、今移民局に行ったら、客も職員も皆インド人なんてことも珍しくはない。
世界中どこに行っても母国語で生きていける国の人はそれなりにいる。
こういった言葉のコミュニティが移民国家には大概存在している。
当然英語も喋るが、喋る英語のなまりがひどすぎてわからないし、わからないからわかってもらえるよう頑張るなんてメンタリティもない。
一応改めていうが、どんな国の人であっても、しっかりと正直に来る人のほうが多い。
とにかくうそつこうがずるしようが永住権さえとれりゃこっちのもんだ、という人々もそれなりのボリュームになる。
こういう人々はいつしか社会からドロップ・アウトしてしまい、貧困層の再生産に従事するようになる。
同国民だけで街の隅でたむろするようになり、通行人をいちいち睨みつけ、何か気に触れば喧嘩をふっかける。
カトリックがやるワールドユースデーになると最悪だ、自国の旗をマントのようになびかせた若者たちが街のそこかしこてやんのか?あん?となっている。
彼らは生まれた国のナショナリズムだけが暴走したその国の人という何とも奇妙な存在になる。
そんな行動化母国で許されるわけもなく、母国に行っても白い目で見られるし移民先の国でも白い目で見られてしまう。
成功した移民の家庭は軒並み幸せそうにしているが、その裏で泣きを見る国民もそれなりにいる。
例えばより優秀な移民にポジションを奪われる、より優秀な移民の足した店が繁盛したことで自分の店が潰れてしまう、なんてこともある。
移民はしたがうまくいかなかった人たちは闇落ちする、移民をして成功した人のせいであぶれた人も闇落ちする。
移民を受け入れている限り常にある程度の人が闇落ちしてしまうような状況になる。
日本が移民を受け入れるとき、そもそもシングルカルチャーで世界には多様な価値観があると言う前提で生きてない日本人ははるかに強い反応を示すかもしれない。
元増田です。
インターネットきも〜を吐き出しただけなのに思ったより反応がついてビビってます
ん〜、経緯は理解できましたが批判に至る感情が理解できないです
そもそもここについてる反応のようにPS5 「vs」PCのような構造が暗黙的に置かれているのはなんでそんな心理になるんでしょう
PCではキーマウでpadよりもより直感的に操作できるFPSのようにPCで遊ぶことでより楽しくなるゲーム、またPCでしか遊べないゲームはPCでやって、
それ以外の主にシングルプレイのゲームは動作の安定性や手軽さ、ロード時間やハプティックフィードバックなどps5でしか得られないゲーム体験を考慮してps5で遊んでいます。
どちらにもそれぞれの良さがあってゲームをする機械としては排他では無くないです?と私は思います
それぞれプラットフォームごとに良さはあって各々のゲームスタイルによって選べばいい時代なので、自分が持ってないから批判するというのは理解ができないです。
まぁそういう人たちもいるか〜
今回たまたまps5が目についただけですが、それ以外のトピックにおいても改めて最近のインターネットによく流れてくるネガティブ感情をベイトするコンテンツは嫌ですね〜と感じました。
教えていただきありがとうございます。やっばインターネットはきもいですしそれに感情をネガティブな方に動かされてる自分もインターネットに向いてない気がしてきました
TCG(トレーディングカードゲーム)のことです。
3000円オリパを10口引いて平均400円のカードしか引けなかったのでおかわりを続け、最終的に100万円以上使って35万円分くらいのアドをゲットしました!という動画を見たんですね。
いやーちょっと…と思いまして、改めてオリパの抱えるリスクを整理しようと思った次第です。
本稿のベースになっているのは、2020年に木曽崇さんがされていた話です。
もう5年前なんですね。
あれからオリパが下火になったかというとそんなことはなく、またぞろ危なそうなのが跋扈しているんだなあと。
最近はTCGから離れているんですが、ゲームそのものは好きなので、危ないことはやめて欲しいんですよね。
5年前にはTCG界隈にいなかった人も、どんな論点があり、どんなリスクがあるのかを知ってもらえたらと思います。
景品表示法の問題とか、詐欺的なショップの問題とか、通販の発送トラブルとか、色々あるのは理解していますが、ここでは個別のケースではなく、オリパという商品そのものが抱える賭博罪のリスクについて書いていきます。
「オリパ」とは「オリジナルパック」の略で、ショップがシングル販売しているカードを封入して独自にカードパックを作り、販売するという販売方式です。
購入するまで中身が分からない、いわゆる「ランダム型販売」と呼ばれる販売方式でもあります。
これは、TCGのメーカーが販売するカードパック(公式パック)とは異なる点があります。
公式パックもランダム型販売ではありますが、封入されているカードは全て同価値であるという建前があります。
例えば1パック400円でカードが10枚入っているとすれば、1枚あたりの価値は40円です。
封入されているカードは封入率に差があり、レアリティが定められている場合もありますが、メーカーはそれらに価格差を設けていません。
それぞれのカードに異なった価値が生まれるのはあくまで二次流通(中古市場)の場であり、メーカーは関知しません。
そのため、表向きはカードに金銭的価値の差がないとされています(欺瞞的ではありますが)。
一方、オリパは販売店がカードの価値を定め、それを前提に封入するカードや封入率を決めます。
そのため、オリパに封入されているカードはそれぞれ価値が異なります。
引いたパックによって得をした人と損をした人が出る可能性があり、それは刑法賭博罪に該当するのではないか、ということです。
賭博は刑法で定められている罪で、主に賭博罪と賭博開帳図利(とばくかいちょうとり)罪で構成されています。
賭博を行った主体は賭博罪(単純賭博罪とも言います)に問われ、賭博を行う場を提供して利益を得た主体は賭博開帳図利罪に問われます。
ここで言う賭博とは、「①偶然の勝ち負けにより②財物の③得喪を争うこと」が要件とされており、全てを満たすと賭博罪に問われるという形になります。
財物とはお金または金銭的価値のあるもののことなので、TCGのカードは財物に該当します。
そのため、賭博罪にあたるかは「得喪を争う」に該当するかが争点となります。
「得喪を争う」は賭博罪の話をする時以外にあまり使わない言葉ですが、噛み砕くと「誰かが得をし、誰かが損をする」という意味です。
反対に言うと、「誰かが得をし、損をした人はいない」、「誰かが損をし、得をした人はいない」、「誰も得も損もしていない」というケースでは賭博罪は成立しません。
オリパに当てはめると、当たりカードを引いた人は間違いなく「得をした人」になります。
すると、残った要素の「損をした人」が出た時点で賭博罪が成立する可能性が高くなります。
(ここで言う「可能性が高い」は、最終的に罪を認定するのは裁判所であり、私は裁判所ではないので「成立します」と断定はできないという意味です。)
ここからが本題です。
オリパを購入して「損をした」とは、具体的にどんな状態を差すでしょうか。
この判断には、主観的なものではなく、客観的な指標が必要になります。
この場合、外れカードを引いた、つまりオリパの購入価格を下回る価値のカードしか手に入らなかった場合と言えるでしょう。
販売店はオリパを作る際、オリパの販売価格と封入するカードの総額を考慮して設計しているでしょうから、外れカードによるマイナス分が当たりカードのプラス分に上乗せされていると解釈できます。
外れカードを引いた人が損をし、そのぶん当たりカードを引いた人が得をした。
これはまさに得喪であり、オリパを購入することで得喪を争ったと言えるでしょう。
それでは、反対に賭博罪に当たらないオリパを販売するための方法を考えてみます。
先述の通り、オリパは構成要素のかなりの部分が賭博の要件を満たしており、そもそもが賭博的な販売形式であると言えます。
事実上、対策を取れるのは「損をした人」を作らないことくらいしかないわけです。
では、「損をした人」が出ないオリパとは何でしょうか。
というものです。
少なくとも購入価格相当のカードが手に入れば、「損をした人」はいないという理屈です。
「必ずオリパの価格以上の販売価格のカードが入っています」というような注釈が入っているオリパがあるのは、そのためです。
ここから先は私の見方になるのですが、個人的にはもう少しシビアに見た方が良いのではないかと考えています。
「封入されているカードの価値」と言いますが、すると今度はカードの価値とは何ぞやという問題が浮上します。
オリパを購入する目的がカードを入手することであれば、それで正しいと思います(そしてこれは木曽さんの当時の見解でもあります)。
一方、TCGカードの売買は投機的な性質を帯びていると言って良いと思います。
売却益を狙ってオリパを買う人が出た場合、販売価格をベースに価値を判断するのは果たして正しいのでしょうか。
一部の店舗では、そのお店が販売したオリパから排出されたカードの買取を一律拒否しています。
売却益を目的にした人が相当数おり、その行為の賭博的な性質にリスクを感じたということでしょう。
実際、
という構図は、賭博以外の何者でもありません。
そしてオリパで排出されるカードは他のお店でも買取をしてもらえるのですから、同じ店舗での買取を禁止したところで賭博的な性質は変わりません。
市場価格がある以上、オリパを購入した時点で、封入されているカードの価値によって「偶然の結果により財物の得喪を争う」は完了していると言えるからです。
二次流通が発展しており、中古市場がしっかり形成されているという点が仇になるわけです。
カードの価値は、販売価格ではなく、買取価格なのではないか、ということです。
オリパを買ってカードを売るというサイクルで現金の増減を楽しんだ場合、そのサイクルにカードの販売価格は出てきません。
つまり、オリパが投機的な目的で利用される場合、カードの価値は買取価格であると言った方が実情を捉えているわけです。
もし買取価格を基準にカードの価値を判断するとなると、当然、販売価格の時よりもカードの価値は下がります。
よほど特殊なことが起こらない限り、買取価格が販売価格を上回ることはないからです。
その場合、販売価格をベースに「損をした人」はいないとしていた建前は崩壊し、「損をした人」は存在する、要するに賭博罪の要件を満たす可能性があるということになります。
自分はあくまでカードが欲しくてオリパを購入しているんだ、と主張する人もいると思います。
実際オリパで引いたカードを売らないで使っているという人もいるでしょう。
問題はそこではなく、実態としてオリパが擬似的な賭博の仕組みとして機能しうるという点と、実際にそのように使う人がいるという点です。
賭博ではないという主張は、実態を伴わないと潜脱行為と受け取られかねないリスクを含むのです。
まだ議論の余地はあるでしょうが、現状オリパの投機的な性質を否定することは難しいと思われ、カードの価値を買取価格で判断するのを荒唐無稽と断ずることはできないと思います。
ここまでくると、オリパの販売価格相当のカードを保証するという福袋形式のオリパも安全とは言えないと考えられます(あくまで私見です)。
では封入されているカードの買取価格がオリパの販売価格を下回らないようにすればいい、となりそうですが、事実上それは不可能です。
買取価格とはイコール仕入れ価格であり、そこに合わせてオリパの価格を設定すると、お店から見ると外れで利益ゼロ、当たりで赤字となります。
すると、安全なオリパというものはほぼほぼ存在しないということになります。
一応、理論上安全な方法としては100円相当のカードしか入っていない1000円オリパ(購入者全員が損をする)みたいなものもありますが、商品価値がないので検討するまでもないでしょう。
考えれば考えるほどオリパは賭博的であり、賭博罪に問われる可能性を完全に潰すことはできないと思われます。
これを書くにあたって少し調べたところ、賭博罪を否定する説として以下のものを見かけました。
ただ、これらは両方とも二次流通(中古市場)の存在を無視した説です。
TCG業界は二次流通の市場がしっかりと形成されており、中古商品(シングルカード)の市場価格が存在し、だからこそオリパという商品が成立するのだということを考慮すると、実態に即していない理屈だと言わざるを得ません。
オリパを販売しているのはまさにその二次流通事業者であり、中古の市場価格を元に商品開発をしているのであって、市場価格は関係ありませんとは言えないのです。
なので、冒頭で書いた通り、ものすごく危ないと思うんですよね。
加えて言うと、オリパが賭博罪に認定されるとショップは賭博開帳図利罪を問われる可能性が高く、そこで有罪になると古物商許可が取り消しになるためショップを続けることはできなくなります(某大手カードショップの社長がポーカー賭博騒動の時に早い段階で会社を離れたのも、会社の古物商許可を守るためだったのではないかと思われます)。
そこまでのリスクを負って、どこかが摘発されるまでチキンレースを続けますか?
もう、オリパは全面的にやめませんか?
オンライン専業のオリパショップは逃げるだけだからいいでしょうが、リアル店舗をやっている方々は逃げられません。
自分はそういう時は原神にログインして銀月の庭へ行ってコロンビーナちゃんに会う
綺麗なBGMの中でそのふわふわした声を聞くとどんな孤独も癒やされる気がする
でもさっき会いに行った時とつぜん「探してた?」とか言って背後にふっと現れたからびっくりして一度死んだ
いやそれにしても「少女」にLynnさんの脱力ふわふわ演技をあてた開発はよく分かっている
鳴潮で今日実装されるユーノもLynnさんだがテンプレのツンデレキャラで声色に個性を感じないのが残念
もし原神をプレイしてないなら今適当にYouTubeで会話イベントをまとめた動画を探してきたからこれ見たら雰囲気は伝わるかと
https://www.youtube.com/watch?v=0EgsGt3DUrM
YouTubeおすすめ汚染を避けたいならブラウザのシークレットモード等を使って非ログイン状態でリンクを開くことを勧める(アプリに転送されそうになったらキャンセルで)
00年代にネトゲしてた頃は深夜にログインしても人はいたが今はこういうシングルプレイのネトゲの方が落ち着くから人間の代わりにキャラ、というかヒット作と繋がって作品の感情を共有できる人がいる事実によって孤独感をなくしている部分がある
卵巣嚢腫を10年近く抱えていて、じわじわと大きくなってる。これを取り除く手術を、いつやるか悩んでる。
医師からは、本人の希望があるなら手術しましょう、そうでなければまだ経過観察でいいでしょう、と言われてる。
手術した方がいい理由:
まだ手術しなくていい理由:
手術なんてしたいわけじゃないけど、問題は腹痛。下腹部の物理的な圧迫が痛い。便秘がひどくなった時とか。
便秘はまあ便秘しないようにねでいいんだけど、エコー検査とかの感じからするにおそらく性交は耐えられない。激痛ではないけど、苦痛。
長いこと彼氏がいなくて年齢的にももう結婚とか考えてないし、セックスできなくても生活に一切支障はない。
ないんだけど、長いこと彼氏がいない(作ろうと積極的に動くこともしていない)理由の結構大きな要素がこの長い付き合いの腫瘍だったりする。
恋愛にセックスは必須じゃないかもしれないけど、私の感覚としてはセックスが苦痛でしかないとわかってて恋人募集中を名乗るのは、無い。
腫瘍がなければ積極的になれて彼氏ができてるとは限らないよ、もちろん。私の性格とか魅力の問題の方が大きいとはわかってる。
しかももう40代だしね。同世代(20歳上とかには正直こっちが恋愛感情抱けない)で面白い人で恋愛するつもりがあるシングルなんて、ほとんどいないんじゃないだろうか。
いたとしても私自身に魅力があるわけじゃないからマッチはしないだろう。
でも、ほぼゼロかもしれないけど、僅かな可能性も捨ててるのが今。
パートナーがいなくても生活に支障はないけど、いた方が人生が楽しいだろうとは思ってる。
その可能性まで捨てて、別に将来の私は後悔はあんましないと思うけど(30代の時間はすでに捨てちゃって戻ってこないの特に後悔してないし)、
「生活に支障がないので、経過観察で何の問題もない」と言い切っちゃって、今の私はそれでいいのかなあという迷いがある。
彼氏いるんだったら関係の維持のためにセックスが痛くないようにしたいです、は立派な理由だと思うけど、私には彼氏いないからね。手術したところで多分もう一生できないからね。
次の診察まで一ヶ月くらい考える時間がある。
どうしようかなあ。
Permalink |記事への反応(11) | 01:09
卵巣嚢腫を10年近く抱えていて、じわじわと大きくなってる。これを取り除く手術を、いつやるか悩んでる。
医師からは、本人の希望があるなら手術しましょう、そうでなければまだ経過観察でいいでしょう、と言われてる。
手術した方がいい理由:
まだ手術しなくていい理由:
手術なんてしたいわけじゃないけど、問題は腹痛。下腹部の物理的な圧迫が痛い。便秘がひどくなった時とか。
便秘はまあ便秘しないようにねでいいんだけど、エコー検査とかの感じからするにおそらく性交は耐えられない。激痛ではないけど、苦痛。
長いこと彼氏がいなくて年齢的にももう結婚とか考えてないし、セックスできなくても生活に一切支障はない。
ないんだけど、長いこと彼氏がいない(作ろうと積極的に動くこともしていない)理由の結構大きな要素がこの長い付き合いの腫瘍だったりする。
恋愛にセックスは必須じゃないかもしれないけど、私の感覚としてはセックスが苦痛でしかないとわかってて恋人募集中を名乗るのは、無い。
腫瘍がなければ積極的になれて彼氏ができてるとは限らないよ、もちろん。私の性格とか魅力の問題の方が大きいとはわかってる。
しかももう40代だしね。同世代の面白い人でシングルなんてほとんどいないんじゃないだろうか。いたとしても私自身に魅力があるわけじゃないからマッチはしないだろう。
でも、ほぼゼロかもしれないけど、僅かな可能性も捨ててるのが今。
パートナーがいなくても生活に支障はないけど、いた方が人生が楽しいだろうとは思ってる。
その可能性まで捨てて、別に将来の私は後悔はあんましないと思うけど(30代の時間はすでに捨てちゃって戻ってこないの特に後悔してないし)、
「生活に支障がないので、経過観察で何の問題もない」と言い切っちゃって、今の私はそれでいいのかなあという迷いがある。
彼氏いるんだったら関係の維持のためにセックスが痛くないようにしたいです、は立派な理由だと思うけど、私には彼氏いないからね。手術したところで多分もう一生できないからね。
次の診察まで一ヶ月くらい考える時間がある。
どうしようかなあ。
きっかけは先週末のライブだった。 もっとも、あれをライブと呼んでいいのかはわからない。
あの退屈な数時間がライブなら、小学生の頃に同級生のゴダイ君がやっていたハサミ回し、通称メガドラゴンハサミトルネードだって立派なライブである。
とにかく、散々な週末だった。
先に断っておくと、普段から彼のことを推しと呼んでいるわけではない。
この文章を読んだギャルに、バカ読みやすくて草、と言われたいので、ここでは推しという言葉をあえて使っていく。
最初に見たのは寿司を買って食うだけのなんてことのない動画で、その妙な脱力感に惹かれた。
てっきり同い年くらいの大学生YouTuberかと思っていたが、しばらくたってから吉本に所属している芸人だとわかった。
推しは同期の芸人と合わせて三人で活動をしていた。三人ともそれぞれ魅力があったが、俺は断然推し推し、つまり推しのことが一番好きだった。
彼のことを一番面白いと思っていたし、俺も推しもシングル家庭で育ったという共通点があり、それで勝手に親近感を覚えていたというのもある。
余談だが、親戚がいない者にとって夏休みほどその現実を思い知らされるものはない。
俺はこの話になるといつも、小学校に上がりたてだった頃に見た光景を思い出す。
昼下がり、プールの更衣室でクラスメイトたちが夏休みの予定を楽しそうに話していて、俺はそこではじめて、世の中の家庭には祖父母の家に遊びにいく習慣があることを知った。
俺は哀れみの目を向けられることを恐れ、とっさに「来来来来来週いく」と嘘をついた。作り笑いをすると頬がピクピクと動くことをはじめて知ったのもそのときだった。
更衣室に充満した塩素の匂いのせいで、鼻の奥のあたりがツンとした。
推しを見ていると、プールの更衣室で顔を引きつらせていた俺の少年時代が、少しずつ救われていくような気がした。
もしここにゴダイ君がいたら、アルティメットホワイトヒーロー、と彼のことを呼んだだろう。
推したちはあれよあれよという間に数十万人のフォロワーをかかえる人気YouTuberとなった。
芸人のライブは女性客が大半だとうわさに聞いていたのでひょっとすると場違いなのではと案じていたが、意外にも男性客はたくさんいた。
ずらりと埋まった客席に彼らの人気ぶりが伺えた。はじめて生で見る推しの姿に思わず胸が熱くなったのを覚えている。
そして数ヶ月後の全国ツアーも発表され、ギャルの言葉を借りるなら、コイツらの未来ガチ明るすぎなんだが、と思っていた。
しかし、油断すんなし。
公式から突然「スタッフになりたいファンを募集する」と発表されたのである。
ファンを?
スタッフに?
好意的に受け止めるファンもいたようだが、俺の中のギャルは、マ?大丈夫そ?と不安げな表情をしていた。
そもそも推しのライブは、元テレビ局員だという外部のプロデューサーがすべてを取り仕切っていて、どうやら彼の手伝いをしてくれる人を探しているようだった。
当該ポストがすでに消えているため確かめるすべがないのだが、たしか応募する際には得意分野をアピールしてほしいと書かれていたはずで、プロデューサーはそういった条件から、言うなれば精鋭の「ファンスタッフ」集団を選抜した。
そんな中、全国ツアーはおこなわれた。
会場は前回の倍以上も広くなり、俺と推しとの距離はずいぶんと遠くなってしまったが、彼は相変わらずアルティメットホワイトヒーローだった。
が、しかし。
いや、やはりというべきか。
ファンスタッフが生まれたことをきっかけに、「推し」「運営」「ファン」の境界線がどろりと溶けだしたのである。
精鋭のファンスタッフとはいえ、普段の彼女たちは「最高すぎた♡」「好き♡」などと発信しているただのファンにすぎない。
しかし、ライブ後には一転して「ご覧いただきありがとうございました。皆様のおかげで〜」と運営らしくふるまうのである。
ファンと運営とを都合よく行き来する様子に、首をかしげる者も少なくなかった。
そして同時に「推し」と「運営」との線引きも曖昧になり、なれあいが加速した。
言うまでもないがファンが見に行っているのは推しであり、推しのサポートをするのが運営である。
しかしあろうことか、プロデューサーやファンスタッフは自らステージに上がり、推したちと肩を並べて公演に参加するようになった。
こうなってしまうと、もはや「推し」と「ファン」との境界線などあったものではない。
本来なら外に出ないはずの情報を、ファンスタッフたちはレポと称してSNSで得意げに公開した。
たとえば推したちから受けた細かな指示のことから、ステージ裏で見た彼らの姿まで。
こうなると気になるのは一般ファンの反応だが、我々は大きく二つに分かれた。
俺に限って言えば、推しと公式以外のフォローをすべて外すことにした。俺が求めていたのはあくまで推しと俺というシンプルな関係だけだった。
中には推すこと自体をやめてしまった人もいたのだろうが、彼らは大抵静かに去った。
彼らは仲間になるためにプロデューサーやファンスタッフの仕事ぶりをこれでもかと持ち上げた。
それで気をよくしたのだろうか、スタッフたちは音声配信やオフ会などの交流を盛んにおこなうようになり、SNS上での存在感をさらに高めていった。
さて、今回の本題であるライブが発表されたのは、まさにこの混沌のさなかのことであった。
発表されたライブ情報を見てまず気になったのは、会場の規模が前回の半分ほどになっていたことである。
販売サイトに表示された「残席余裕あり」の文字はいつまで経っても変わらず、公式SNSには「残りわずか、お早めに」と景気のいい謳い文句が並んでいたが、やがてひっそりと消えた。
会場へと向かう電車の中で、俺は以前フォローしていた人たちのアカウントを久々に覗いた。
「今日楽しみ」「グッズ列やば」と何一つ変わらない様子のアカウントもあれば、半年以上放置されアイコンの上に埃が溜まっているようなアカウントもあった。
車窓の向こうには知らない町が見える。
降りる駅はまだまだ先だったが、ずいぶんと遠くまで来てしまった気がした。
その日の東京は38度を超える猛暑日で、会場へと辿りつく頃には、俺の顔はほとんどアイスクリームのように溶けていた。
人だかりを抜けてロビーへと向かうと、ちょうどそこにはプロデューサーがいて、複数のファンに写真をせがまれているところだった。
プロデューサーは待ってましたとばかりに撮影に応じ、それから二、三言葉を交わすと、さながら池の魚にエサでも与えるような手つきでキャンディを配った。
これはあとから聞いたことだが、どうやらプロデューサーとのひみつの合言葉を伝えた者だけが貰えるキャンディだったらしい。
手渡されたキャンディに喜ぶファンたちの姿は、まるでパクパクと口を開けてエサをねだる魚のように見えた。
ならばこの場所は底の見えない不気味な池といったところか。
もしここに小学生の頃のゴダイ君がいたら、きっとプロデューサーに近づいて、デュクシ、としただろう。
でも俺は大人なのでやらない。
そして誰かが言っていたように、グッズを求める人たちの列は延々とつづいていた。
その列の先では、ファンスタッフだろうか、ひとつひとつ電卓を叩いている姿が見える。
開演までには明らかに間に合わない。
どこからかハンディファンの風が吹いてきて、生ぬるい空気が頬に触れた。
そしていよいよ幕が上がる。
正直なところ、このときの俺には彼らに寄せる期待などほとんど残っていなかった。
だから公演のさなかにプロデューサーがいそいそとステージに上がったときも、そしてなぜかひとりで踊り始めたときも、もはやがっかりする気力すらなかった。
それでも推したちに対しては、心のどこかでわずかに期待を抱いていたのだろう。
彼らの、打ち合わせもリハーサルもろくにせずに臨んだことが一目でわかるような終始ぐだぐだな空気感と、そしてそれを隠そうともしない姿を目の当たりにして、自分の目から急速に光が失われていくのがわかった。
それから推したちは客席のひんやりとした空気を察したのか、「これにいくら払ってるの?」「返金しないと」などと冗談めかして笑った。
俺の席は前回よりもはるかにステージに近かったはずだが、推しの姿はずいぶんと遠くに感じた。
帰り際、ぽっかりと空いた二階席の後方あたりが目に入り、かつてそこにいた人たちのことを思い浮かべた。
数ヶ月前のことである。
「三人のことを見たいのにスタッフの声が耳障り」と。
それだけならさして話題になることもなかっただろうが、このコメントに推し本人が返信をしたことで、にわかに注目を集めた。
「もう今後見ないでください」
やがて書き込みは跡形もなく消えた。
そしてそこには「言ってくれてありがとう」「こういうとこ好き」などという称賛ばかりがいつまでもこだました。
この人の胸中を思うと、ひどくやるせない気持ちになる。
ゴダイ君がイップスを発症し、泣く泣くメガドラゴンハサミトルネードからの引退を余儀なくされたときと同じくらい、切ない。
ただひとつ、俺に言えることがあるとすればこの場所はどこまでいっても「彼ら」の池だということだ。
彼らというのは、この池の水温も生態系も、それからキャンディの味すらも愛してやまない魚たちのことで、そうじゃない魚は波を立てずに去るよりほかない。
あいにく俺たちは人間で、背びれも尾びれも持たないが、どこへでも泳いでいける自由ならある。
そして一週間が経った。
真夜中のコンビニを出ると、先週よりもずいぶんと涼しくなっていて、あの頃の夏を思わせる。
あれは何年生のことだっただろうか。
俺の通っていた小学校では夏休み明けにラジオ体操カードを提出しなければならなかった。
クラスでたった一人、俺だけが満点花丸の皆勤賞で、担任の先生はご褒美に特別なキラキラシールを貼ってくれた。
クラスメイトたちは口々に羨ましがったが、俺にとっては彼らの空白だらけのカードの方がよっぽど羨ましかった。
それからクラスメイトたちは、テレビもゲームも禁止されていた祖父母の家がいかに退屈だったかを話し、テレビを何時間見ても怒られない俺の生活がどれほど恵まれているかを熱く語った。
俺は大人ぶって「あの深夜のアニメのヒロインがさ」などと言ってみたりしたが、むなしくなるのは自分だった。
俺が本当に見たかったのは、彼らの語る変な匂いのする畳の部屋だとか、吠えてばかりの犬だとか、星しか見えない田舎の夜なのだということは、結局誰にも言えなかった。
しかしあの頃の記憶を思い出すのは、昔ほど嫌なことではなくなっている。
ゴダイ君は元気だろうか。
少年時代の俺を助けてくれたのはキラキラシールでもなく、アニメのヒロインでもなく、いつか未来で出会うアルティメットホワイトヒーローだった。
心地よい風が吹き、季節は秋へと向かう。