
はてなキーワード:シャバとは
『いっちょ噛みしたい気持ちが噴出して
「まったく考えられていない感じ」
「ネットのショート動画を見て世界を理解しているのではないかというくらい、すべてがシャバくて薄っぺらい」
などなど。本人が批判している(つもり)のコメントに本人が陥ってしまっていて、とても味があると思いました。』
と、イデオロギー批判なんかしていなくて、冷やかしっぽい「考え無しの流され批判」しかしてないから、党派性は二の次なんじゃないか?
むしろ、メインは繰り返し言及してる「何にも考えず人の尻馬のるしかできないのにどうしてそこまで上から目線で偉そうな物言いができるんだろう」という呆れだな。
タイムラインの真ん中で大暴れしてて、まるで戦国武将の出陣みたいな勢い。
「お、いいぞ!正義マン出陣!」って思って、コーヒー飲みながら読んでたんだ。
でもふと気になってプロフィール見たら──TCGプレイヤー って書いてあんの。
TCGって、“トレーディングカードゲーム”だぜ?
トレーディングってつまり「交換」「売買」「市場」って意味だぜ?
カードが高騰して、レアカードが数万円とかになるあの世界で、転売を憎むってどういうこと?
バブルを憎みながら株買ってるみたいなもんだよ。
それ、パラドックス通り越してマジでブラックホール級の矛盾だぞ。
で、本人は「私はプレイヤーだからセーフ!」みたいな感じで書いててさ。
いやいや、それちょっと苦しいでしょ。
たとえば、レアカード引いたら「やったー!」って喜ぶじゃん?
「金じゃなくて気持ち」って言っても、結局オークションサイト見ちゃうでしょ?
人間ってそういうもんだよ。
でもそこで「転売ヤーは悪!」って線を引くの、なんか自己都合感がすごくてさ。
TCGも、SNSも、結局は人間の承認欲求と経済圧のミックスジュースみたいなもん。
甘いけど、飲みすぎたら胃もたれするやつ。
というわけで、お兄さん的には「転売ヤー」も「TCGプレイヤー」も、どっちも同じ沼の中でバシャバシャしてる仲間だと思うのよ。
要は、「俺は汚れてない」って思いたい気持ちがみんなにあるってだけの話。
https://i.imgur.com/xG0JVuZ.jpeg
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/gameswf/1758871638/
467 由依ちゃんを愛す岸本もみあげ警備員[Lv.21] (ワッチョイ addb-BBsH)[sage] 2025/09/30(火) 09:53:23.96ID:3lqOSV5m0
もみあげです
今両親が話し合ってる
マジで頭が混乱してる
海外VPNのTorとNordVPNプロキシサーバの回線二重に使っていたのに
まず正確には「開示請求」ではなく「民事訴状」ということがわかりました
一瞬、先日のC2股間へのデマの件で■■■■■豚がついにムガってホウテキショチッ砲放ったかと思ったけど
今回の件は苔や獣やアっちや石川由依ちゃん本人とは無関係で
やはり昨日予想した通り、好き嫌い.comへのスクリプト爆撃で一時的にサーバ落としてやったのが原因です
(まぁ、正確に言えば
好き嫌い.comのコメ欄で苔信者の特濃艦豚謙兵やたつき吉崎信者のけもフレガイジ共が、
石川由依ちゃんをFGOの腰巾着扱いしてたのが許せなかったのが犯行動機だから
ある意味今回も石川由依ちゃん絡みの犯罪だけど)
それと並行して、好き嫌いの管理人への殺害予告の件で刑事告訴もされているので
3ヶ月前にやっとシャバに戻れたのにまたこれか(人生が)壊れるなぁ
もう5chに書き込めるの今日で本当に最期っぽいから、何度でも声高に宣言するが
この記事の続き、なぜか保存はできるのに表示はできなかった。(文字数制限がDB側とビュー側で違うのかな)
今更だけど続きを入れておく。(色々反応もらえて嬉しいのもある)
https://anond.hatelabo.jp/20250604003003 の末尾の行から続ける。(当時書いたものをそのままコピペしただけです)
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遊び初期は女の子とデートするたびにPDCAサイクルが回って学びが多かったが、だんだん得られる学びが減っていった。
それに正直やりたいだけなら遊びは風俗と比べて金銭的なコスパも極めて悪い。
遊びは1件目→2件目→ホテルを奢ることを考えると優に1回あたり3万程度は消える。飲みももちろんだが、ラブホの宿泊もかなり高い。
性行為できるまでの時間的な意味でも、風俗と比べて比較にならないくらい時間を要する。
心の限界を感じた。
最後の1ヶ月は新規で人と会ってなかったので実質5ヶ月くらいヤリモク男をやっていた。
マッチが平均日に3~4人程度だったので月100人マッチしたことになる。5ヶ月トータルでは500人マッチくらい。
その中で電話まで行けたのが週4~5人程度。これも5ヶ月トータルで100人くらい。
さらにその中で会ったのは週1,2人。5ヶ月トータルで30人くらいな気がする。
世のマッチングアプリの男性会員の7割は一人とも会えずに終わると言われている。なんなら内閣府が発表しているデータで20代独身男性の「これまでにデートした経験が一人もいない」人は全体の40%を占める。
それを踏まえると世間的に見て5ヶ月で500人マッチ、30人とデートという数値だけ見れば相当良い数値らしい。定量的に見て20代のデート経験としては上位数%にあたる。
予定のドタキャンや途中のブロックは当たり前だし、仲良くなったあとでもいきなり連絡が途切れることが当たり前のようになる。
正直「遊び」という名目だったからこそドタキャンや人間性のない対応に耐えれていたが本気で恋愛をするときにこれだと耐えられないかもしれない。
そういった意味で事前に遊びであることを伝えるのは極めて重要である。相手にこの辛さを味合わせてはいけない。
まだ過去の感覚が残っているうちは良いが、これが壊れると本当に人格が終わるリスクがあった。
人をスペックと見た目で判断し、だめだったら次に行くという行為が当たり前になると、シャバでの人付き合いや付き合ったあとの関係性を大切にできなくなるリスクが大きい。
お持ち帰り用の会話と、同性や仕事での会話は根本的に異なるものである。
標準語で喋り続けると方言を忘れるのと同じで、ずっと遊びばかりやっていると仕事能力とか、同性とのコミュニケーションができなくなる怖さがあった。
よく言われる遊んでいるやつは仕事できるは間違いである。遊びと仕事で使うコミュ力は根本的に異なるためである。
仕事できるやつが比較的遊びもやりやすいというのはありうる。そういう意味では「遊びできる→仕事できる」は必要条件だが十分条件でない可能性が高い。遊びは得意だけど仕事が下手な人を知っているという、あくまで周囲を見た個人の統計だが。
ちなみに社会人で遊ぶのはスケジュール的に相当厳しい。仕事終わりに1時間単位でGoogleカレンダーで枠を取って3人と電話する日もあれば、週5日毎日女性と飲み会を入れる日もあった。
高度なタスク管理が必要である。上長のGoogleカレンダーが1on1スケジュールを隙間なく詰めっている状態に近い。
ごめんなさい。正直これが大きいです。
まとめると主体性になりそう。仕事では主体性を発揮できていたが、人間関係は受け身人間だった。
お持ち帰りを向こうから誘われることは何十人と会って一度もない。必然的に主体性を持つことになる。我が強くないと舞台にすら立てない。
正直、明確にお持ち帰りには再現性のあるコツが存在する。それだけでお持ち帰りできるわけではないが。
お持ち帰りのためには会話の流れ、会話比率の変化、ホテルまでの道筋、想定外が発生したときの対応を状況に応じて柔軟にコントロールする必要がある。
女性にどこ行きたい?何食べたい?と聞くのは優しさだと思っていた。でも実は必ずしもそうでない。
これはお持ち帰りで絶対してはいけない常套手段である。女の子のせいにするような行動はしてはいけない。
言ってしまえば女性にとって理由作りが必要である。(一方で嫌がることは不同意性交になるので見極める力と倫理観が大変に重要である)
いかに相手に責任を押し付けずに自分に責任を押し付けるがお持ち帰りに重要であり、そういった経験を増やすことで責任感をより持てるようになった。
理系科目と違って意図しないことが常に発生するし、再現性も論理性もないことが多々起きる。
そういったことに対応できないとホテルというゴールは絶対にない。
百合展開する美少女アニメが好きなオタクだったので、正直女性に幻想を抱いていた。
大学時代に恋人が出来てからそれは減ったが、それでも世の中には美少女アニメのような女の子がいると自分では気付かない深層心理レベルで思い込んでいたように思う。
女の子に純粋さとか潔白性を求めてたし、なんなら処女厨だった。
少なくとも自分が会った範囲で純粋無垢な存在なんていなかった。
誰だって後ろめたい過去は大なり小なりあるし、完璧なんて存在しない。
服装とか見た目で判断したり、過去の経歴で判断をしてはいけない。
実際深掘ってみると見た目や雰囲気と人格が違うことは多々ある。
偏見を持った状態でお持ち帰りはできないので、偏見を持つ量が必然的に減った。
というよりある程度話すまでその人の印象判断を保留することができるようになった。
圧倒的にコミュ力が磨かれた。
複数人の第三者評価として、遊ぶ前と比べてコミュ力が上がったことを言われたので、客観的にこのことは正しい。
遊ぶ前ぶりに会った人からはもれなく「なんか変わった?」や「xxくんだと気付かなかった」と言われるような状態だった。(これは見た目の変化も大きいが)
マッチングアプリでは雑談力が磨かれた。初対面の相手と何時間も話すことができるようになった。
クラブナンパは回数こそしてないが、クラブで知らない人に話しかけて仲良くなるという経験をした、という事実が男としての自信に繋がった。(名前を呼ぶときのちゃん付けもここでできるようになった)
仕事の会議で重要な論理的構造で話すとか多分は向上していない。そこはやるうえで重要じゃないしむしろ邪魔になるから。
もともと清潔感には気を使っていたが、遊びにおいては清潔感に気を使ってもマイナスがゼロになるだけでしかない。
遊びによって
を新たにするようになった。
服装や髪型に関しては美容系インフルエンサーを参考にし、流行りを取り入れるようになった。
なお等身大の関係性を求める恋人がほしいとかであればこれらは不要である。
大人になってから友達を作ることは難しい。それなりに大きい企業で新卒同期が3桁以上居るような場所であればある程度は回避できる。
でも新卒で上京したりとか、大学卒業してフリータだったりする立場にとって友達を作るのは難しい。
例えばTinderは貞操観念がゆるい遊び歩く女性だけがやるものだと思っていたが実際そうじゃない。
女の子が女の子の友達欲しくてやってるケースとか、性行為に興味なくTinderをしている人も居る。
なんならマチアプ自体がドラッグである。恋人ほしいとか致したい関係なくハマってしまうものである。
どこかの研究でマチアプのスワイプに報酬系が働き依存性があるというのを見たことがる。
一方でヤリチンという不純な立場が、明らかに相手にとって何でも打ち明けられるオアシスの場になっていた人もいた。
それくらい都会は友達作りとかと相性が悪いし、冷淡。
ここをうまく解消できたら世界はもっと良くなると思いつつも、例えば友達作り用のマッチングアプリを作れば解決するみたいな、そんな簡単なことはない。
女の子の家にお泊りなんて恋人を除いてありえない。だけどセフレという関係はそれを裏ルート的にたどり着けてしまう。
純粋に他者の家には興味があったし、住む場所とか家賃感とかレイアウトとか、すごく純粋な面白さがあった。
ちなみに誰かの家にお邪魔するときは絶対にお土産を持っていくこと。それは同性の友達でも大事。
本当に人が信頼できなくなった。
どれだけ好きと言われても、絶対この人明日にも裏切って俺を捨てるんだろうなとか普通に思ってしまう。実際経験しているから。
これはヤリチンをやめて本気で人を好きになったときに、とんでもない足枷となった。
ずっと不安になる。ありえないくらい自分自身がメンヘラになっていた。LINEが10分帰ってこないだけで、定番のブロックパータンかなと不安になる。
ヤリチンをやっていた時期はその不安を同時に複数のセフレがいることで
性行為前提で女性を知るようになってしまったせいで、性行為無しで付き合うのが怖くなった。
一方で付き合う前にそういうことしてしまう女性は無理という価値観も残っていて、デッドロック状態になった。
今付き合っている相手には全部このことを話して受け入れてもらっている。
私は嘘を貫き通せないので、全部言うしかない。
当たり前だがヤリチンをしていた過去は、人によっては嫌悪感を極めて抱くものである。
両思いで付き合えたあとに過去ヤリチンだったことが知られるだけで破局するリスクは十分にある。
男側から見たとき、過去に風俗で働いていた女性と付き合うことに抵抗があるみたいなのに近いかもしれない。
一度水に垂らした墨汁が取り除けないように、ヤリチンをした過去は絶対に取り除けない。それまでとこれからがどんなに真面目でも。
遊んでないやつはキモいだとか、結婚するなら遊び終わった男がいいとか、そんなものはヤリチン・ヤリマンの立場を捨てられない人間のまやかしが多分に含まれる。信じてはいけない。
貞操観念が壊れた女の子をお持ち帰りできることと、しっかりした女性と付き合うことは全く訳が違う。前者を100回できたら後者が手に入るほどこの世界は単純じゃない。
(一方で遊び側の価値観を知っておくことで浮気防止になる可能性は多分にあるが、浮気をしてしまうような状況を作らないことや浮気を安易にしないタイプを見極めて付き合うことでそれは回避できるので遊ぶ必要性はない)
ホストをやられている方には大変失礼なのは承知だが、ホストはずるいなと思った。
仕事であるという理由で色恋営業が許される。ヤリチンがやったら刺される。
書きながら気付いたが、なんで変わってないんだ???
多分女の子と遊べても、自分なんかと遊べる女の子は誰とでも遊んじゃうんだという気持ちが先行していた。
一方で紛れもなくコミュ力も上がっていることが客観的評価からわかる。
この矛盾を考えたときに考える仮説は、遊びで得た自己肯定感と、遊びで得た自己否定が釣り合っているのではないかと考える。
たしかに女の子と遊べたが、関係性を切られることもそれ以上にあったためである。
また一方で自己評価は遊び程度では変容しないとも考えた。
刹那的なやりとりでなく、長期的な関係性の構築で初めて手に入るのではないだろうか。
責任感や主体性は持てるようになったが、根の真面目さとかは変わっていない。
具体、といっても細かいことは書かない。相手のプライバシーもある。
再現性のない話である。正直人生2周目したらうまく遊びで自己効力感を見いだせず死んでいた可能性が高い。
そう言えるのは、マッチングアプリ初めて最初に出会った相手とホテルに行けたことが大きい。
マッチングアプリを始めた時点でクラブナンパや相席屋を試した後だったし、マッチングアプリの各種コツは知識として持っていた。
たまたまマッチングアプリでマッチし、トントン拍子で電話まで進み、翌日会うこととなった。マッチングアプリ初日の出来事である。
当日はおやつ時間に集合しカフェで時間を過ごしたり街を一緒に散策したりした。夜になって帰るときに実は遊びでやってるんだよねという話をした。
これができたのには理由がある。元カレとレスになって別れたという話を聞いていたことが大きい。
それ以外にも色々と付き合う前にしちゃうタイプの要素が垣間見れた部分もあり、そういう話をしても良いという暗黙知が形成できていた。
ホテル打診をし、結論としては「今日するつもりなかった」と言われつつホテルに行くことに。結局向こうがヤリモクだったが……
行為自体は微妙だった。というのも向こうが挿入以外にあまり興味がないタイプだった。
彼女としていたそれと、遊びのそれは根本的に別物なのだと思った。
しかし彼女とする性行為と遊びでの性行為は抜本的に異なる。好きな人とする性行為には絶対に幸福感や満足感で勝てない。雲泥の差である。
逆に言うと以後ヤリモクタイプには一度も出会っていない。ヤリモクが嫌で避けていたというのもあるが。
この偶然的な初回の成功体験が遊びに対する自己効力感を上げた。
その後はうまくいかないことが1ヶ月ほど続いた。本当にもう限界というタイミングで、またうまくいった機会があり、なんとか持ちこたえた。
以後もそのような希望と絶望が交互に続く。後半は以上に成功率が高くセフレが複数人いる状態だったが、最後には仇となった。
「好きな人ができたからごめんね」と伝えることにはかなり辛さがあった。
好きな人がいるのにセフレと関係を切るのが辛いは矛盾しているように見えるが。
いろいろな体験を通じせっかく仲良くなれたのに、みたいな部分も正直ある。
まだ解決してあげたい相手のコンプレックスとか課題が残っていたこともわだかまりの1つだった。
でも一番は、せっかく自分に期待してくれているのにそれを裏切るのが嫌だったということである。自分は弱い。
ヤリチンになることで、得たものは紛れもなくあったし、真面目な自分という根幹をぶち壊せたのは大きい。
社会に対する課題感もほんの少し分かったつもりになれたし、いろいろな職種のいろいろな事情を知れたことも大きい。
それにヤリチンが淘汰されない事情も極めてわかった。女性が必要としているケースが結構ある。
それに遊んだ経験量と恋人や結婚での幸せに相関はないように感じた。
「引き寄せの法則」「風の時代」は、現代スピリチュアルの一部として知られています。これらはユダヤ教の教えとは明らかに一致しません。
たとえばサムエル記では、ハンナが深く神に祈ったことで息子シュムエルが授かりました。
これは「願いが神に届く」という点で、一見すると、引き寄せの法則に通じるものがあります。
ただし違いは誰に向かって願うのか。
ユダヤ教では神に向けた祈りが重要であり、宇宙や自分自身の思考が直接現実をつくるという考えは採用しません。
ユダヤ教では「自分が望む結果が起こる」というよりも、「神の導きにすべてを委ねる信頼」が大切とされます。
つまり、神の意志が最善であると信じ、安心して生きる姿勢が重視されます。
ユダヤ思想では、「ただ信じる・願う」だけでなく実際の努力を伴うことが重要です。
つまり「願えば叶う」ではなく、「祈って、信じて、努力する」ことが神にかなう生き方とされます。
ユダヤ教の古典文献、とくにタルムードには占星術の話が登場します。
ラビたちは「星の下に人が生まれる」という考えを知っていましたが、それに絶対的な力を認めていたわけではありません。
これは、神と直接の契約を持つイスラエル(=ユダヤ人)は、星や運命に縛られないという意味です。
つまり、「時代の風」や「エネルギー」に流されるのではなく、トーラーとミツヴォットによって人生を導くべきだとされます。
ある意味で、「時代に応じた使命」という考えはユダヤ教にも存在します。
しかしそれは「星やエネルギーによる変化」ではなく、神の意志による摂理です。
この詩のように、ユダヤ教では時代がどうであれ、神がすべての導き手であるとする信念が核にあります。
| 観点 | 引き寄せの法則 | ユダヤ教の教え |
|---|---|---|
| 中心 | 自分の思考が現実をつくる | 神が現実を統べる |
| 方法 | 想像・感謝・ビジュアライゼーション | 祈り(Tefillah)、努力(Hishtadlut)、トーラー学習 |
| 結果 | 自分の願望が実現 | 神の意志が最善の形で実現 |
| 項目 | ニューエイジ(風の時代) | ユダヤ教の立場 |
|---|---|---|
| 世界観 | 宇宙のエネルギーや時代の流れが人生に影響する | すべては神の御手の中にある(הכל בידי שמים) |
| 自由・変化 | 「枠を超える」「自由に流れる」ことが善とされる | 自由は大切だがトーラーに従う枠の中での自由が重視される |
| 道徳観 | 個々の「本当の自分」に従うことが正しいとされる | 神が与えた道徳律(トーラー)に従うことが正義 |
| 価値観 | 物質より精神、縛りより解放 | 物質と精神のバランスが必要、そして神の意志に従うことが根本 |
「主に仕えよ、喜びをもって」(詩篇 100:2)
人生で前向きな心を持ち、神を信頼し、善を求めることは、確かに「善を引き寄せる」人生につながります。
待たせたなお前ら。
メスガキ(10歳)と強制エッチして8年くらってた無職ワイ、満期でシャバに帰還。
前にメスガキ(14歳)といちゃらぶした時は仮釈からのシャバで満了だったが、今回は結局中で満期だったな。
両親と妹が迎えに来てくれたので車に乗り込む。
久々の運転。
免許証の写真と住所を変更しないと刑務所にいたことがバレてしまうので近日中に手続きせねば。
親父が刑務所近辺の美味しいラーメン屋や焼肉を探してくれていたが、イオンモールのマクドナルドの看板を見て飛び込む。
ソーセージエッグマフィン、マッシュポテト、コーラ、パンケーキ。
動物的にかき込む。
その後、服などを買い込む。
フードコートでもう一度飯を食い、それから母と妹が見たいという「国宝」をみてから実家に帰還する。
それじゃ。
イスラエルの良いところを挙げようとすると、どうしても政治や戦争の話が先に浮かびがちなんだけど
そこを一度脇に置いて、もっと人間の暮らしとか、土地の持ってる力に目を向けてみると、見えてくるものもある
人口900万人足らずの国から、WazeやMobileyeみたいな世界的企業が生まれてる
いわゆる「スタートアップ・ネイション」って呼ばれるようになった背景には、軍での経験や、移民としての多様なバックグラウンドがあって
農業の分野でもすごい
水がほとんどないような土地で、点滴灌漑(ドリップ・イリゲーション)を世界に広めた
それは単に食料を作るというだけじゃなく、「自分たちの居場所を作る」っていう意志の現れなんだと思う
テルアビブ大学やヘブライ大学、テクニオンとか、世界的な研究機関がいくつもある
サイバーセキュリティの分野ではアメリカに次ぐレベルとも言われてる
シャバット(安息日)には公共交通が止まるけど、代わりに家族で静かに食卓を囲んでる
そういう「静けさ」がちゃんと守られてるのも、ちょっと羨ましく感じるときがある
もちろん、影の部分も大きい国だし、全部がうらやましいわけじゃない
でもそれでもなお、何かを生み出そうとする力強さとか、逆境にあっても諦めない気質みたいなものには、素直に感心するところがある
しかし、トーラーの教えとラビたちの言葉を思い起こすと、答えは明らかである。
お金は蓄えることも、失っても取り戻すこともできる。
だが、時間は、天地創造の第七日にさえ祝福された神聖なもの(創世記 2:3)。
一度過ぎた時間は、シャバットのキャンドルの炎のように戻ることはない。
ラビ・エリェゼルはこう語った、「悔い改めは、今日という日に行え。なぜなら、明日という日は保証されていないからだ」(アヴォット・デ・ラビ・ナタン)。
時間とは、魂がこの世に与えられた使命を果たすための器である。
時間を浪費することは、自らの使命を軽んじることであり、ひいては創造主の御心をも軽視することになりかねない。
それを大切にせずに過ごす者は、やがて「もしあの時…」という悔いを残すことになるであろう。
言っておくが、現実というのは「口が悪けりゃ真実になる」ってもんじゃない。お前のその暴論、怒りと疲れから来てるのは察するがな。
まずな、
カネがすべてじゃねえが、すべてにカネが必要だ
確かにその通りだ。
しかし、それが即ち金こそが価値の根源であるという結論にはならん。
金は道具であり手段だ。目的にしてしまった時点で、己の内面も社会も腐っていく。
ユダヤ教では金を否定はしない、むしろ勤労と財の管理は神聖な行為とされる。
しかし同時に「ツェダカー(義務としての慈善)」があるように、得た金は神に与えられたものとして、他者と社会に還元すべき責任があるとする。
だからこそユダヤの律法では利子の取り方一つにも制限がある。金に支配されるか、金を支配するか。そこが境目だ。
無知にもほどがある。宗教は人類が生み出した最古の倫理体系だ。
科学が今あるのも、宗教的探求が理性と宇宙の構造への問いを始めたからだ。
ユダヤ教においては、律法(トーラー)というのはただの教えじゃない。行動の指針であり、思考の枠組みだ。宗教とは「信じること」ではなく「生き方を整える枠組み」なんだよ。
当たり前だ。祈りとは取引じゃない。お前、神を自販機か何かと勘違いしてるのか?
祈るとは自己を律し、心を整え、現実と向き合うための行為だ。タフィッラ(ユダヤ教の祈り)は思考と意志を再定義する行為だ。
祈ることで自分がどうあるべきかを再確認する。空から金が降ってこないのは当然。それを理解してなお祈る奴こそ、強い。
逆に金巻き上げることしか考えてねえだろ
ああ、カルトはそうだな。お前の言う通り、一部の連中は宗教の皮を被って、搾取ビジネスやってる。それは認める。
しかし、それは宗教の本質ではない。ユダヤ教にはそもそも「改宗の勧誘は禁止」という基本がある。
無理に仲間を増やそうともしないし、寄付は義務としてあるが、それは「他者を助ける責任」に基づくものだ。
善行に見返りを求めるのは禁じられている。つまり、もし金を目的とするなら、それは律法に反する「不義」なんだよ。
哀れなのはその人間か? それとも、それを見下すことで自分の無力を正当化してるお前自身か?
信じるもののために生きるってのは、馬鹿にはできん。強い人間にしかできない。目的と信念がある人間を「哀れ」としか見られないなら、それは己が空っぽであることの証明だ。
全部滅びろクソ宗教ども
なあ、歴史を見てみろ。宗教が滅びて残ったのは、理性でも科学でもなく、独裁と殺戮だ。
宗教は制限であり、抑制であり、秩序なんだよ。ユダヤ教では毎週シャバットで、世界と金のルールを一時停止して、自分と神と家族に立ち返る。
お前が憎んでるのは宗教じゃない。「宗教の名を借りた悪意」だろ? それは俺も憎む。
お前の中の何かが壊れかけてるのを感じるが、それに蓋して他人を罵倒するなら、ますます地獄に近づくだけだ。
だから俺は言う。「くそくらえ」はお前の人生に向けるべきだ。なぜなら、何を信じるかを捨てた時、人間はただの飢えた獣になるからだ。