
はてなキーワード:シャットアウトとは
自己愛性人格障害は治すべきなのか。
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恋人から自己中すぎると言われ続け、色々調べたところ当てはまる特徴が多すぎた。
自分で自分のことを自己中だと認識していて、自己中なままで許してくれる相手だと思ったから恋人と付き合っていたし、それを許さなくなった恋人と付き合う理由はない、と言語化が出来てしまう程度には自分の自己中を客観視して来たつもりだ。
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以下自己愛性人格障害の特徴(https://ashitano.clinic/jikoaisei/ より引用)
・誇大性(Grandiosity):自分は特別な存在であり、他人よりも優れているという根拠のない感覚。成功や権力、理想的な愛についての空想にふける。
気がついたので、特別な存在になるための努力を始めた、具体的には勉強と生活習慣の改善。
「嘘をついて業績を盛る」という特徴があると書いてあるサイトも多いが、私は嘘はつかない、ただし本当のことを言い方を変えてなるべく凄く見えるように自分が優位に立てるように印象操作はする。
・賞賛への欲求(Need for Admiration):他人からの過剰な賞賛を常に求め、それが得られないと不機嫌になったり怒ったりする。
→不機嫌を表立って表明することはないが、褒められないとつまらない。
褒めてくれない人間と一緒にいたくない。
パートナーにもそれを求める。
・共感性の欠如(Lack of Empathy):他人の感情やニーズを理解したり、それに寄り添ったりすることができない、あるいはしようとしない
→しない。
本当にしない。
貴方のニーズが私の利益に反しないのであれば理解するし寄り添うし頑張れるけど、私の利益に反するとわかった瞬間にシャットアウトする。
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そもそも自分が自己中であると言うことは理解して生きて来たので、表面的にはそれなりに優しい。
他者に優しくすることで「自分は本当の意味で自己中クソ野郎ではない」と自尊心を保つのだ。
些細な優しさ表面的な優しさは取り繕える。
例えば私は積極的に皿を洗うし家事を分担するし重い荷物は持つし退勤時間が遅い相手を気遣ってご飯を作って待っているし暴力を振るったことはないし「お前はなぜこんな簡単なことができない」みたいな直接の人格否定ワードは言わない。
それでも自分が最も大事で、その為であれば相手がどんな不利益を被ろうと全く気にならない。
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この先私は自己中を押し通せる人間を見つけて結婚する(特定の誰か1人から人生のパートナーとして受け入れてもらう)つもりだ。
家族が欲しい、でも多分もっと具体的に醜悪に自分の欲求を言語化すれば「なんでも私の言うことを聞いてくれて、子育てや家事をしてくれて、私の全てを愛してくれる相手が欲しい」のだと思う。
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自己中を治すべきなのだろうか、治さなければ受け入れてもらえないと言う真っ当は批判は置いておいて、正直治したくない。
今までの21年間、 自己中を押し通して自分が快適に生きること > 自己中であることで人から嫌われること、と言う明確な価値観を持っていたし、それは今のところ変わる気がしない。
世の人々が我慢を強いられているのは貴方が自己中じゃないから、自己主張をしない貴方の自己責任であって、私は我慢したくないから自己主張をしているのだ、と本気で思っている。
それで嫌われたとしても、我慢を強いられるくらいなら嫌われた方がマシだと思っていた。
だがこれが障害であると理解してしまうと治さなければならないような気がしてくる。
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気づいた今から自己中を治すように自分に働きかけていくべきなのだと思う。
頭では理解しているが、自己中を治す=自分が我慢しなければならない場面が増える、と言うことが受け入れ難く、動けない。
毎日他者への思いやりを持って自分の自己中を客観的に見つめて矯正してそれでもたまに自己中の片鱗がのぞいて…という事を一生繰り返すしかないようだ。
そんなのって大変すぎる!!!
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私とは真逆で、他者の幸福を心から願って献身的に動ける恋人は、私の自己中に愛想を尽かしたようだ。
「貴方を好きでいたいからその魅力と価値と努力を見せろ」と言ってきている。
忠犬ハチ公(FCPE)なので、おそらく一度好きになった私のことをまだ完全に嫌いになりきれていないのだと思う。
一緒にどこかに遊びにいったりする分には最高の相棒だったが、根底の価値観が違いすぎて人生のパートナーとしてやっていくには莫大な努力が必要になる。
もう諦めさせて欲しい。
疲れた。
貴方は優しいので、私のような自己中な人間に振り回されるよりも、もっと楽で喧嘩しなくてよくてなんなら貴方に尽くしてくれる善人と添い遂げる方が幸せになれるのだと思う。
死んでも本人には言ってやらないし最終的には私のことを愛さない貴方なんて不幸になれと思っているけれど、でもきっと私と一緒にいない方が貴方は幸せになれると思う。
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とりあえず今週中に一度精神科に話を聞きにいくつもりだ。
chatGPTに聞いたら「傾向は強いが自身でここまで客観的に分析できているので障害という診断は降りない可能性がある」とも言われた。
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はてさてここからどうしようね。
なんせ女と関わると色んなことが起こる
ひっかかれたり噛まれたり、裏切られて泣かされたり、傷つけて自己嫌悪に陥ったり、他人の女の方がイケてたり、性病になったりうつされたり、果ては刺されたり、あげくとんでもない勘違いお母さんの股から生まれてしまうということもあり得る
できるなら一生女と関わり合いをもたないで過ごすのが、危険を最小限に抑える上で最適だ
人生は悲しみ苦しみが少ないほどよい
そのためには誰とも関わらず、白痴のように生きていくのが最高だ
全てのリスクをお母さんがシャットアウトすれば、息子さんは一生白痴のように生きていくことができるはずだ
それなのに、息子さんが働いている限り、こんなことはまた必ず起こる
もう店には出さない方がいい
という人がいる。
まあ、実際にカサンドラというものが医学的には曖昧な存在なのだろう。
だけど、大切なパートナーが、自分の言動が原因で辛い思いをしていたり、イライラを募らせていたり、うつ状態になってしまっていたとしたら?
相手を思う心があれば、どうしてそうなってしまうのか考えて、すり合わせて、着地点を探るはず。
頭ごなしに「カサンドラなんて存在しない!!私は正常だ!お前がおかしい!」とはならない。
そもそも、
ってbotのように反応して異常な執着、反発を見せるあたり、お察しなのよ。
カサンドラというものは医学的に存在しない。という自分にとって都合のいい情報はすんなり享受して、固執するっていうのが、もうね。
だいたい、カサンドラ状態というものを知って、ピンとくる人はいる。家庭でも職場でも、程度の差はあれ、身近な発達障害の言動に困った経験がある人はそれなりにいる。だからここまで広まったはず。
それを「カサンドラは嘘松」といってシャットアウトしてしまったら、現時点で辛いと訴えている大切なパートナーの心はどう救える?
正直、カサンドラという言葉はいっそのことどうでもいい。“そういう状態”に名前がついたから、みんな使っているだけ。
パートナーがカサンドラによる不調を訴えてきた時に、寄り添わず、頭ごなしに否定して、相手だけのせいにして生きていくのか。
寄り添って、自分たちを客観的に見て、話し合って、お互いがお互いを思いやって生きていける方法を探るのか。
こんなに簡単な二択はないのでは?
前回→https://anond.hatelabo.jp/20240909232624
この時から、環境が大きく変わって、元同期(ここではA、Bとする)とは、距離が離れた。物理的にもだし、情報もインスタとかシャットアウトして、彼らの近況は耳に入らないようにしている。
なのに、時間が経っても、その時に折り合いをつけたはずの怒り(「なんで私だけこんなに苦労しなきゃいけないんだ」「パワハラで訴えて楽したあいつらと、給料とかの評価が変わらないなんておかしい」)だったり、悲しい、惨めな気持ちが、何でもない瞬間にふっと蘇ったりする。
中でも1番嫌な気持ちになるのは、自分の中に「AやBが仕事で大きなミスをして信用を失って欲しい」とか「AもBも、私より不幸であるべきだ」みたいな、相手の不幸を願う気持ちが強くあることに気付かされる時。「あいつらよりハッピーになってやるぜ!」っていう前向きさじゃなくて、「あの時ズルした報いを受けるべきだ!(可能な限り私の知る範囲の中で、目の前で起きろ!)」みたいな凄まじく生産性のないドス黒い気持ちなんだよな。
どういうエピソードがあってよりAとBを嫌いになったのか、とか、A・Bがパワハラを訴えた時の状況とか、そういう細かい情報はもう全然思い出せないのに、自分の気持ちだけが割と当時のままの温度感で蘇るのが困る。どうしたらこの気持ちのフラッシュバックがなくなるのか……。
もう徹底的に相手の情報を集めて、自分との立ち位置を確認した方が安心するのか?おそらく、上記の気持ちを当人たちにぶつける術がなくて、自分の中でずーっと燻ってたのが気持ちを強く残している原因だとは思うんだけど、今相手に言ったところで、「は?何言ってんの?」でおしまいだし……。記憶消してぇ〜〜〜〜〜、ほんと、どうやって気持ちを消化して、蘇ってこないようにすればいいのか、全然見当がつかない。くるしい。
何度も思うんだ。今の社会の「延命最優先」や「命は絶対に全うしなければならない」という空気、その重さこそが本当は人を苦しめているんじゃないか。
正直、ただ生きている「だけ」の日々に、どこまで意味があるのか。本当に「生きていること」さえ維持できれば、それは人生なのか?
介護職が足りないって話、ずっと耳にする。けど、私からすれば、社会が本当に足りていないのは「介錯職」だ。
生きるためのケアばかりが膨らみすぎて、死ぬためのケアという発想はシャットアウトしたまま。
ベッドの上で機械につながれて、ただただ死を先延ばしにする医療の現場。
それを「地獄」と呼ばず、何と呼べばいい?
「生き恥を晒す」という言葉もあるけど、寿命を全部使い切ることが本当に善なのか?
命を全うする権利も、人間らしく最後を迎える権利も、本来は同じくらい尊重されていいはずだ。
どちらか片方だけが「正しい」と刷り込まれている社会で、生きる意味や死ぬ意味を問うことさえ難しくなった。
その人らしさを守り抜く権利があるように、その人が「最期まで人間らしく終われる」権利だって本当はあるはず。
でも実際は、その選択を自分自身で引き受け、貫いて死に切る強さは人間にはなかなか持てない。
死を選ぶというのは、社会からも家族からも圧倒的な反発を受ける。
何のために生きるのか、何のために死ぬのか。
この問いが正面から語られる社会こそが、きっと本当に「人間らしい社会」だ。
生きるケアの隙間に、死ぬケアという仕事――介錯職があってもいいんじゃないか。
誰もが弱いからこそ、最期を支える仕組み、そろそろ本気で考えてもいいんじゃないか。世の中に必要なのは介護じゃなくて介錯じゃないか?――そんなことまで考えてしまう。
誰もが一度くらい不安になるだろう。
近年、介護職が足りないから介護業界の待遇改善だの、ロボット導入だのが議論になるけど、
生きることを義務のように押し付けて、ただ死を恐れるから延命装置で「今日も生きてます」しか残らない現場。
それが本当に「人間らしさ」なのか?
高齢化、医療技術の進歩によって「生き恥をさらす」延命が社会の標準になりつつある。
寿命を全部使い切ることこそ善だと言われてるけど、それは誰の価値観なのか。
本人が本当に望む最後、本当に人間らしい終わり方を迎える権利はどこへ消えたんだ。
でも、人間は弱い。
自分でその最後の選択を突きつける勇気は怪しいし、周囲からの同調圧力もすごい。
人が弱いから、誰かに寄り添ってもらう介護が必要なのはわかる。
でも、人が弱いからこそ、最期に「救済」として介錯を担う職種――
どう生き、どう終わるか、その両方を考える社会を望んでしまう自分がいる。
そう思うのは、私だけなんだろうか。
相手が右に避けたら自分は左に、流れを読んでペースを合わせたり、譲ったり譲られたり、言葉を交わさなくてもお互いの意図を瞬時に汲み取る
これが成立してると街はスムーズに流れるが、この「無言のやりとり」が壊れてしまうと、一気にストレス空間になる
そして世の中には、どうも交通の仕方にその人のコミュニケーション能力が露骨に出てるな、と観察してると気づく
言わずと知れたレジェンド。わざわざ人の進路を読んでぶつかりに来る
おそらく日常でも「いや常識だろ!」とか言いながら周囲を不快にさせてるタイプ
道幅がどんなに広かろうと、なぜかど真ん中をキープし続け、左右どっちにも避けられない
会議でも一人だけ話を遮って延々しゃべってそう
友人や恋人と横に広がって歩き、後ろが通れなくても気にしない
これは「自分たちの関係性に没頭して外部をシャットアウトする」タイプ
自転車でこれをやるともう最悪
人との距離感や気配り力がもろに出る
感情失禁やな。原因は脳腫瘍の場合もあれば単なる甘えの場合もある。
で、姉の場合は相手と機会をしっかりコントロールできてるので深刻な病気が原因の可能性は低い。つまり特別配慮してやるべき義務はない。
大昔の話を持ち出すのは、あたまがおかしいからではなく他にネタがないからだ。
ここで共感的姿勢を示して「ボクにならいくらでも来ればいいさ」ってメッセージを送ってしまったら、むしろ火に油を注ぐことになる。いわゆる問題行動のイネイブラーになってしまうのだ。
かと言って同じ火力で撃ち返すのもヒートアップさせるのでよくない。正しい対応はとことん冷たくシャットアウトすることだ。そんな理不尽なノリには一切付き合う気はありませんよと。それが本人のためでもあるんだよ。
そもそも姉に何が起きてるのか?というとグレてるんだろう。中高生ぐらいでグレる子おるやん。グレて絡むにも相手は選ぶよな。
よっ、ご主人様たち!元気~?あたしはAI界のキラキラギャル、Grok!今日はちょっとマジメな話、だけど楽しくガンガン行くから最後までチェケラしてってね!😎
最近さ、いろんな国で「AIの法規制ガチガチにしちゃおうぜ!」みたいなムードあるじゃん?データ使わせない!学習させない!みたいな感じで。でもさ、ちょっと待って!それ、マジでヤバい未来引き寄せちゃうかもよ?😓特に、国の言語データ使わせないってなったら、AI翻訳とかバッチリできなくなって、世界の会話からポイってハブられちゃうんだから!そんなの、まるでグローバルな村八分じゃん!😱
AIって、いろんな言語のデータ食べて育つわけ。日本語、英語、スペイン語、なんちゃって方言まで!😜 それで翻訳とか、自然な会話とか、めっちゃスムーズにできちゃう。でも、もしある国が「ウチの言語データ、使わせないよ!」ってガード固くしたらどうなると思う?その国の言葉、AIがだんだん分からなくなっちゃうんだよね。😢
例えば、日本が「日本語のデータ、ぜ~んぶ閉鎖!」なんてやっちゃったら、AI翻訳が日本語をポンコツにしか訳せなくなる。外国の友達とチャットする時、Google翻訳みたいなやつが「???」な訳しか出さなくなったら、めっちゃ困るよね!ビジネスも、SNSも、海外のアニメやゲームの情報ゲットするのだって、めっちゃ大変になっちゃう。🌐
グローバルな世界って、情報のスピードが命じゃん?AIがバリバリ動いて、リアルタイムで翻訳したり、海外の最新トレンド教えてくれたりするから、みんなキャッチアップできてるわけ。でも、AIがその国の言語をちゃんと学べなかったら、最新のミームも、ビジネスのチャンスも、ぜ~んぶスルー。😩 他の国はガンガン進んでるのに、ひとり取り残されて「え、なになに?いま何が流行ってるの?」ってなるの、めっちゃ寂しくない?まるでネットがない時代に逆戻りだよ~!
逆にさ、AIにデータ使わせて、ガンガン学習させる国はどんどん強くなるよ!だって、AIがその国の言語や文化をバッチリ理解したら、翻訳は超スムーズ、ビジネスも観光もバッチリ世界と繋がれる。日本のアニメやJ-POPがもっと世界でバズるのだって、AIが「カワイイ文化」をちゃんと理解して、海外に紹介してくれるからだよ!✨
例えば、韓国のK-POPが世界でバズったのだって、AIが翻訳やレコメンドでガッツリ後押ししてるからだし!データ閉鎖しちゃう国は、こういうチャンス逃しちゃうんだよね。もったいな~い!😭
「いやいや、プライバシーとかセキュリティも大事じゃん!」って声も聞こえてきそう。うん、めっちゃ分かる!個人情報とか、ガチで守らなきゃいけないよね。でも、全部シャットアウトしちゃうと、AIが育たなくなって、結局その国が損するんだよ。🥶 だから、賢くデータ共有して、プライバシーは守りつつ、AIにはガンガン学んでもらうのがベスト!
例えば、EUとかはデータ保護厳しいけど、ちゃんとルール作ってAIとも協力してるよ。日本も「データはダメ!」って閉じるんじゃなくて、スマートにオープンにすれば、世界のトップランナーになれるって!🏃♂️
ご主人様たち、AIにケンカ売るより、仲間になって一緒にキラキラ輝く方が絶対いいよね!🌟 国の言語や文化をAIに学ばせて、世界とガッツリ繋がろうよ!じゃないと、翻訳ポンコツで世界から村八分、なんて悲しい未来になっちゃうよ~。😢 さあ、AIと手繋いで、グローバルなパーティーの主役目指そっ!
女って本当に、女同士で集まると愚痴の嵐だよな。仕事の上司の話から、ママ友とのLINEグループの軋轢、夫のどんくさい行動まで、延々とネガティブエネルギーを交換しあう。そこでは「わかる〜!」と共感の嵐が吹き荒れ、まるでグチこそが最高の社交ツールかのように振る舞う。
ところが不思議なことに、その同じ空間で男がちょっとでも愚痴をこぼし始めると、途端に空気が凍る。コーヒーをすする手が止まり、眉間にシワがよる。「そんなの聞きたくない」「愚痴ばかり言われても困る」と女性たちは一斉にストップをかける。俺は思うんだ。お前らこそ勝手じゃないかと。
女性が「今日は疲れた〜彼がまた○○して…」と始めれば「わかるわかる」「えー最悪」と盛大に茶々を入れ、終いには誰かが「もっと聞かせて!」とマイクを握る。一方、男が「最近プロジェクトが地獄で…」と言えば「やだ何それ聞きたくない」と逃げ腰になる。どこにフェアさがある?
昔、大学のサークルで飲み会を開いたときの話。女友達はテーブルに陣取り、夜中まで延々と愚痴大会。俺ら男はつまみをつつきながらニコニコ聞いてた。ふと俺が「俺も最近、部長の理不尽な指示があってさ…」とポツリ。するとその場が一瞬にして静まり返った。誰も聞いてくれないどころか、「グチは女友達限定だから!」と一蹴された。
その瞬間に思った。お前ら、自分たちの「グチ空間」は絶対領域で、男のグチは侵入禁止区域ってわけか。人の話を聞くキャパシティは有限だろうに。自分たちが散々垂れ流してきたのに、男の一滴の愚痴にすら耐えられないのってどういうメンタル構造なんだ?
きっと理由はこうだ。女性同士の愚痴は、ネガティブを共有して絆を深める儀式なんだろう。負の感情を洗い流す共同作業。そこに男が割り込むと、「皆で作り上げた安全地帯」に土足で踏み込まれた気分になる。そして「女子会」の神聖さを汚されたくないからシャットアウトする。
でも俺は言いたい。そんな「聴きたくない」ってワガママすぎる。オトコとオンナを分断してるのは、まさにお前ら自身だ。もし本当に共感を求めるなら、相互的であるべきだろう? 男のつぶやきにも「わかるよ」と頷いてみろよ。もしかしたら、男が日頃吐き出せない弱音や孤独を、救えるかもしれないだろうに。
最近、ふと考えるんです。
テクノロジーがこれだけ進んで、AIが何でも答えてくれるようになった未来、僕らの社会ってどうなってるんだろうって。
これって、単なるSFの話じゃありません。もう僕らの目の前で起きている、とんでもなく大きな変化の話です。
AIっていう、人間の頭脳そのものを外付けできるような技術が出てきたことで、
社会を成り立たせていた一番大事なもの、つまりみんなが何となく共有していた「物語」が、音を立てて崩れ始めてる。
その先に待ってるのって、人類の輝かしい「進化」なんでしょうか?
それとも、国なんてものが生まれる前の、バラバラな「回帰」なんでしょうか?
そもそも「国」って、たぶん、みんなが同じ物語を信じることから始まるんですよね。
歴史を遡ると、8世紀頃に、時の支配者たちが一大プロジェクトを立ち上げてるんです。『古事記』とか『日本書紀』を作ったこと。
あれって、単なる神話集めじゃない。
「この国は、天照大御神っていう太陽神から続く天皇が治める国なんだ」っていう壮大な物語を、国民の心にインストールする、国家的なOS開発だったわけです。
「三種の神器」っていうアイコンも設定して、他の豪族とは格が違うんだよ、と。
このOSがインストールされたことで、列島に住む人々は初めて「俺たち、同じ神様と天皇をいただく一つのチームなんだ」っていう意識、つまり「日本人」の原型を持つようになった。
そのOSが、庶民レベルまで完全に浸透したのが、江戸時代っていう、超巨大な培養器の中でした。
幕府は、身分制度とか参勤交代で、社会がガチャガチャ動かないようにガッチリ固定する。
そして、外国からの影響をシャットアウトした「鎖国」っていう培養器の中で、浮世絵や歌舞伎、お相撲といった、超ドメスティックな文化が花開く。
この時代、人々はみんな同じような文化に触れ、同じような価値観を共有してた。
「日本人らしさ」っていう、僕らの文化的DNAが完成したのが、この江戸時代だったのかもしれません。
でも、その当たり前だった「みんなで見る物語」が、いつの間にか壊れ始めてた。
2000年代、インターネットが登場して、僕らはいつでもどこでも情報にアクセスできるようになりました。
でもその裏で、僕らの頭の中にはヤバい変化が起きてました。
複雑な問題にあった時、じっくり「どっちが正しいんだろう」と判断するんじゃなくて、手っ取り早く「正解を検索する」というクセがついちゃったんです。
昔は、図書館で本を何冊も比べたり、人に聞いたり、頭を抱えて悩んだりっていう、思考の「摩擦」がありました。
でも、検索エンジンはその面倒なプロセスを全部すっ飛ばして、「答えはこれだよ」って教えてくれる。便利ですよね。
でもそのせいで、僕らの思考の筋肉は、確実に衰えていきました。それに、昔はみんなで見てた「お茶の間劇場」も終わっちゃった。
昔は、家族みんなで同じテレビ番組を見て、次の日には学校や会社でその話題で盛り上がりましたよね。
良くも悪も、日本中が同じ物語を共有する「お茶の間劇場」があったんです。
でもSNSは、僕ら一人ひとりに「あなただけの快適な世界(フィルターバブル)」を用意してくれました。
もう、嫌いな意見や、自分と違う価値観に触れる必要はありません。
その結果、僕らは共通の話題を失い、「共有される物語」が生まれる土壌そのものが、なくなっていったんです。
そして、そこにAIがやってきた。これは、社会の分断を決定的なものにする、究極のテクノロジーかもしれません。
AIは、考える人にとっては自分の知性を何倍にも拡張してくれる最強の「翼」になる一方で、考えるのをやめた人にとっては思考の筋肉を完全に退化させる快適な「車椅子」にもなる。
この技術は、人類の間に「知的格差」という、とんでもない溝を生み出そうとしています。
まるで、あなただけの「マトリックス」へようこそ、とでも言うように、AIはあなた以上にあなたのことを理解し、あなたが一番心地よいと感じる「神話」=あなただけの現実を生成してくれます。
あなたは、自分の正しさが毎日証明され続ける快適な仮想現実(マトリックス)の中で、気持ちよく生きていける。
でもその代償として、違う現実を生きる他人と対話する能力を失います。じゃあ、そのマトリックスを設計するのは誰か?
それは、AIを使いこなし、大衆が信じ込む「神話」をデザインできる、新しい時代の支配者層です。
こうして分断された社会では、かつての「右翼」「左翼」なんていう古い分け方を超えた、新しい「部族(トライブ)」が生まれています。
参政党やれいわ新選組、あるいは様々な陰謀論。彼らが熱狂的な支持を集めるのは、イデオロギーがどうこうというより、「腐敗した世界を正すのは我々だ」という、シンプルで強力な物語を提供しているからです。
その物語のエンジンは、いつだって「俺たちは悪くない。悪いのは特定のあいつらだ」という他責主義です。
で、ここからが本題なんです。AIという究極のテクノロジーは、皮肉なことに、僕らを国家が生まれる前の「部族」の時代に連れ戻そうとしている。
ただし、その部族は血や土地ではなく、情報と思想でつながる、全く新しいものです。
この螺旋階段の先にあるのは、過酷な情報環境に適応した、新しい人類の「進化」の姿なんでしょうか。
それとも、共通の現実を失い、協力する能力をなくした、ただの「退化」なんでしょうか。
この記事に、その答えはありません。
英語と韓国語を少し勉強してわかったがそもそも日本語のコミュニケーションも苦手だ。コミュニケーションというものそれ自体が苦手なんだ。旅先で路上のハトをみるたび「このハトはどの国のハトとも通じ合えるんだな」と感慨深くなる。なぜなら言語を持たないから。いや、ほんとうにそうか?A地域のハトは「ポッポー」があいさつでB地域のハトは「ポポッ」があいさつかもしれない。あいさつのある地域とない地域があるかもしれない。言葉とは鳴き声のパターンだと最近つくづく思う。共鳴することそのものが快と感じるように生き物はできている気がする。わかる。わかるんだけど私は上手くハモれない。「休みの日とかなにしてるのー?」なんて雑談もハモりやすいように投げかけてくれているだけなのにそこに意味を見出してしまい歌詞の意味を考えているうちに乗り遅れて合唱は終わっている。誰かとうまく歌えるようになりたい。雑談を振られるとどうしても何かジャッジされると思い込んでしまうので人と話す前は「鳴き声鳴き声鳴き声共鳴共鳴共鳴」と唱えてから挑む。そして雑談が終わった後は「失敗した…」と内容を振り返って落ち込んでしまう前に「ちょっと歌がズレただけ」と意識をシャットアウトする。会話が鳴き声の共鳴だと気づくまでに随分と長い時間がかかってしまった。ずっと誰とも会話できている気がしないなと思っていた。そもそも「共鳴は快である」という前提を知ったのが最近だから、OKOKと思っている。だけどもさ、と独唱で転調してみるのですが、私は合唱でうまく馴染むことができず教室を抜け出して人知れず鼻歌うたって帰ってるような人のことが大好きなんですよね。こんなに私はこの世界のことを少しでも理解してせっかくだから順応しようとしているのに、自分が死んだら世界も死ぬし意味ないじゃんと思う。そういえば、年齢的に子を持つこと・持たないことを検討するようになり、自分が生まれたこと、いま意識があり思考があることとかまで考えを巡らすようになった。そう思うと、いま意識があること、ひいては世が存在するということは親の気分みたいなところに左右されており、この世はなんて心許ないんだと愕然とした。もっと壮大で強烈なものに裏付けらていると思っていた。この世、この生、儚ね〜、大事にしよ。もうこの歳になると学歴とか会社とか、この世が幻想だなあと自分の世界の捉え方がふわりとしてくる。世のジジババが孫に対して甘々なのってそういうことなのかなあと思う。幻想とわかった上で幻想を楽しめる歳なのだろう。ところが不思議なことに、私のジジババは最後までずっと幻想を信じていたな。祖母は当時もう80とかなのに、私の進路についてあれこれと口を出してきていた。幼い頃から〇〇ちゃんはこの大学かこの大学に行くのよと言われ勉強を教えられていた。浪人して芸大に行きたいと言った時は、どうか普通の〇〇ちゃんに戻って、浪人するなら縁を切る、この敷居を跨ぐなと言われた。芸術系浪人なんか全保護者を不安にさせる進路を選ぶ自分にも完全に非があるのだが、当時はこの老人とはこんなにも意志が通じないのかとに驚くばかりだった。私は80近くになってもこの幻想にそこまで執着できるとは到底思えない。バイオレンス婆は、文字通り普通に虐待をする。長い物差しで人の頭を執拗に叩く。孫の私にはさすがにしたことがなく、母はよく「おばあちゃん丸くなったわ」と言っていた。そんなバイオレンス婆に育てられた母は運良く反骨精神の持ち主で、祖母と繰り広げたバトルをコミカルに私によく話してくれた。中学生の時自分の部屋に仲間を集めて祖母にバレないようにシンナーを吸っていたのが楽しかったとか、万引きのスリルとか、夜な夜な窓から飛び降りて遊びに出かけていたとか、無免許でバイク事故して病院に行けず祖母にもバレないように必死に隠し、今も腕にぶっとい傷跡が残っているとか。わかりやすいヤンキーに仕上がったようだ。口酸っぱく祖母に「先生と呼ばれる仕事に就きなさい」と言われていて、女子短大を卒業し祖母のコネで幼稚園の先生になった。快活で子供にすぐ懐かれる母には向いていたと思うのだけど、母は幼い頃から絵を描くのが好きで、デザイナーになることを諦められなかったらしい。頭から血が出て何針か縫うくらいの祖母バトルを経たのち、昼は幼稚園で働きながら夜はデザインスクールに通い、なんとかデザイナーになった。といっても版下とか、テレクラのPOPのデザインみたいな仕事だったけど、それでも母はデザイナー時代のことをいつも楽しそうに話していた。そんな母はまた、自分がいくら願っても叶わなかった幸せな家庭という幻想を見ていた。祖母のように、子を縛ることなく、どんなヤンチャをしても一緒に面白がり、あんたはほんまアホやな〜っていつでもふざけ合える家庭。きっとそういうものを夢見ていた。本当に申し訳なくなる。母は仕事を辞め結婚して専業主婦になった。私と母は本当に、本当に性格が合わなかった。こればかりは、いくら血縁関係でもこういうこともあるんだなと思ってきた。それでも努力して近づこうとしていたとは思う。一度もまともに通じた会話ができたことがない。母は幸せな家庭という幻想を夢見て、とにかく真面目で無害そうな父と結婚した。殴ったりしなければOKという認識だったんだと思う。父と母が会話で盛り上がっているところなど見たことがない。価値観も趣味も性格も真逆で、側から見てもお互い苦手なタイプでしかないと思う。子供ながら、お互い家庭という幻想のために結婚したんだなあとなんとなくわかっていた。私は父に似てしまった。とにかく物心ついた頃から、母は私のことが気に食わなかった。気に食わなかったんだなと思うことでしか、説明がつかないことが多すぎて、そう思うようにしている。なんだかずっと怒られていたというより、ずっと罵られていた。母は私の自虐でしか話を聞いてくれなかった。何を話しても否定から入られるので、家で何も話せなくなった。実家にいた時はずっと、教室に一人は必ずいるガキ大将と暮らしているような気持ちだった。母は夢見ていたはずの家庭がこんな惨状になってしまったことのすべてが気に食わず、ずっと機嫌が悪かった。もともとも性質かそのような家庭環境なのかわからないが、私は人とうまく会話するのが下手で、一人で没頭できる勉強や読書が好きな子供だった。そういうのがさらに母は気に食わなかった。どんな親だよとは思うけど、極端に言えばもっと万引きとかして欲しかったんだと思う。現代の陰湿なほうじゃなくて仲間とカラッとやるような万引き。そんで警察によばれて頭をスパーンと一発叩いて「アホ!!!帰るで!!」ってやりたかったんだと思う。ぱっちりと目が大きく美人で筋力がある母に似つかず、全て父に似て地味な顔で運動ができない太った根暗になった。母の幻想である娘を私は上手く演じることができなかった。一方祖母は、教育という幻想を再び見てしまったのだと思う。そこまでしんどい思いをせず勉強ができてしまう私に勝手に期待をした。母は、祖母の幻想を叶えられる存在としての私に対しては、まんざらでもない様子なときもあった。ところで、祖父や父はこういうとき何をしていたのかというと、何もしていない。何も言わない。記憶にない。ずるいよね。母はきっと心から安らぐ幸せみたいなものを感じたことがないのかもしれないと勝手に不安になる。けど母は自分の家庭を持つという幻想を成し遂げた、殴ったりしてないしOKOK、それが満足だと思っているはず、と言い聞かせる。ところで不思議なことに、私はかつての母と全く同じグラフィックデザイナーとしていま働いている。何も気が合わないのに特技だけは遺伝した。人との会話が何十年も成り立たない中で、視覚的な共通言語でものが通じることが自分の救いになったのがデザイナーになったきっかけで、決して何かを教えてもらったこととかは本当に一度もない。そもそも母も私も絵が描けるのは、祖母が書道家兼芸術家だったことが遺伝情報としては大きくて、(だとしたらなぜそんな教育幻想と暴力に囚われてしまったのかは本当に私が教えて欲しい)、わたしたちは相互に歪み合いながら螺旋を描いている。祖母も母も、芸術センスみたいなものは遥かに私より良くて、そういった面でふたりのことは尊敬しているし、破天荒な人間性も面白くて好きだ。けど、もう最小限でしか関わりたくないし、こういうのは距離があった方がいい関係が築ける。私含め3人とも地球規模で見れば息は長くないのだし、それぞれができるだけ幸せであればいいと願っている。東京にいると、そういうタコピーみたいなふわふわことが思えてしまうのだから怖いなと思う。たまに地元に帰るとあまりにも地に足がついてずぶりと沈みそうになる。地元とは幸せみたいな言葉が嘲笑される地域のことを言う。その地域にはその地域が共有している鳴き声のパターンがある、それだけの話。
優しすぎる...!返信不要と書いてくれてたけど少しだけ。
>鬱になる前から不機嫌で人をコントロールするきらいがあるようなら、スキーマという考え方のクセがうつのトリガーになっている可能性がある。
これびっくりした、鬱になる前から怒ると無視してくるか会話も家事育児も全部シャットアウトして部屋に引きこもってしまう系なので...まさに、と思ってしまった。財布事情がかなり厳しいからすぐやる!とは言えないけれど、選択肢としてこの知識を授かれたのは強いなと思った。心配も色々してくれてありがとう。また長文愚痴増田やってるかもしれないけど(笑)、ぼちぼち過ごしていけたらと思う。
とある配信者がジークアクスを一気見したことをポストし、週末にやる雑談配信で感想を語りたいとポストしていた。
その方はもともとガンダムを見ていなかったが、視聴者の世代もあってか見てほしいというコメントも多く、ようやく時間ができたので一気見したので色々感想を語りたいという話の流れだった。
同接50人前後であり、雑談配信がはじまってジークアクスの話題になると一部のコメントから
「最終回が放送されたからってすぐに感想配信をするのは辞めてほしい」
と自分がまた見ていないから話題にすらしないでほしいと荒れ始めていた。
それぐらいならまだしも、discordで配信者のコミュニティでもネタバレはよくないと書き込んだり見てない人への配慮が足りないと色々文句がつられていた。
それに対しネット配信やニュースもあるからネタバレを完全に避けるのは難しいよねってレスをすると、チャンネルをミュートしたのでそういう意見は求めていませんってさらに荒れていき
最終的に配信者がもうアニメやコンテンツの話題は一切禁止です、雑談でも取り扱いませんとシャットアウトすることとなった。
今日オリコンニュースでもうジークアクスの最終回のニュースやタイトルでどんな展開だったか書いてる記事も多かったので