
はてなキーワード:サマーウォーズとは
この映画が酷評されていたのでせっかくだし観に行ってみた。途中笑うくらいおもしろくなかったので感想を書く。良いところと悪いところをまとめてみた。
多少ネタバレもあるので嫌な方は読まないでください。
>悪かったところ。
・ストーリーが飛びすぎ。
ついていけない。新幹線なら大阪飛ばして京都着くらい飛ばしてる。
観ていてすごい疑問が出てくる。急に大人数の戦闘してて主人公たちはなんで加わってるの?母親と血が繋がってないのかな?あの龍はなんなの?手下たちなんでこの世界にいるの?そして最後まで答えが出ない。
スカーレットは身分も性別違うし昔の人だからまだ共感できないのはしょうがないとしても、相方の日本人男性と全く共感できない。あれは共感要員じゃないの?
明らかに異世界なのに俺は帰る!とか言った時点でなんだそれってなった。あと殺されそうになっても殺すなとか言う。とりあえず恋愛しとけ感がすごい。
急に歌って踊らないでほしい。逆にディズニーって最初から歌って踊る雰囲気作ってくるし自然に入れてくるの上手い。
関係ないけどフラッシュモブで告白されて喜ぶ人は日本だと少数派だと思う。
雷とか。急に敵だった人が助けに来たり。なんで馬乗り状態でスカーレット刺せるのに刺さないのって思う。
・見せ場的なシーンがない。
進撃ならリヴァイvs獣の巨人。SWならダースベイダーとの戦いみたいな記憶に残るシーンがない。結局復讐相手とも戦わなかったし。
サマーウォーズとか時をかける少女は今でも思い出せるシーンあるけど、この映画ではない。さらさらと流れていく。
>良かったところ。
ロシア、アメリカ(+イスラエル)が示している「力こそが全て」という今の情勢で愛と平和を訴えたいのはわかるけど、デンマークはその後植民地獲得したり、ナポレオン戦争とか第二次大戦とか結局殺し合いだったなーって思ってしまった。この映画は逆に観に行った方がいい。
以上
AIの返答
正直、細田守に「一人で全部背負わせる」のは、もう限界だよな。
才能はある。
商業的な動員力もある。
毎回同じ穴に落ちる。
脚本家としては致命的に欠陥がある。
でも一人でやらせたら、もう駄目だ。
誰も止められなかったから、ああなった。
完全に正しい。
もう誰かが本気で「いや、それ違うよ」って言える人が必要だ。
細田守には、そういう人がいない。
だからもう、
次に何か作るなら、
にするか、
もう完全に引退してもらう
かのどっちかしかないと思う。
……悲しいけど、これが現実だよな。
才能はあったのに、
「果てしなきスカーレット」が大コケしたと言われていますが、実際は大コケしているわけではありません。その上映館数に問題があっただけです。
実際、公開当初の上映館数は388〜389館と、大規模なロードショーでした。これは、大作アニメーション映画としては一般的な公開規模と言えます。
大規模公開にもかかわらず、初週の興行収入ランキングでは3位スタートとなり、期待された成績を下回ったと報じられたため、「大コケ」という言葉が使われるようになりました。
「上映館数が多すぎたため、一つ一つの劇場での成績が目立たなかった(あるいは、期待値に対して数字が低かった)」という見方は、興行成績を評価する際の一つの側面として理解できます。これは、公開規模(座席供給数)が大きいほど、回収すべき興行収入の目標も高くなるためです。
興行成績が振るわなかったとされる一方、作品の評価自体は非常に賛否両論が分かれています。
「映像が非常に美しい」「これまでの細田作品にはない世界観の広がり」「強いメッセージ性がある」といった高評価のレビューもあります。
「ストーリーの分かりにくさ」「メッセージの語りすぎ」「過去作との印象の違い」といった、内容に関する厳しい意見も多く見られました。
つまり、「大コケ」という表現は、「大規模公開という期待値」に対して「興行収入の伸びが届かなかった」という点で使われた可能性が高いです。
作品の内容に対する評価も分かれているため、単に「上映館数が多すぎただけ」と断言するのは難しいですが、「作品のクオリティ」ではなく「興行戦略や公開規模とのバランス」に問題があったという見方も、興行成績が注目された要因の一つであると言えるでしょう。
「果てしなきスカーレット」に適切な上映館数を決定するのは非常に難しいですが、ご指摘の興行の状況と、過去の細田守監督作品の成功例から考えると、いくつかの考え方があります。
| 作品名 | 初動上映館数 | 興行収入(最終) | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 時をかける少女 | 21館 | 2.6億円 | 口コミで人気が広がり、最終的に100館以上に拡大する異例のロングラン。 |
| サマーウォーズ | 約120館 | 16.5億円 | 口コミの力を活かしつつ、中規模公開からスタート。 |
| 果てしなきスカーレット | 約388館 | (大コケ) | 大規模公開でスタートしたが、期待値に届かず。 |
細田監督作品は、特にコアなファン層が口コミで熱量を広げ、徐々に観客を増やしていくスタイルと非常に相性が良い歴史があります。最初から大規模公開で一気に集客を狙うよりも、熱量を高めていく戦略が有効だった可能性があります。
もし興行面での安定性を優先するなら、200館前後からスタートするのが一つの目安になったかもしれません。
主要な都市圏の劇場は網羅しつつ、供給座席数を388館の時よりも抑えることで、座席稼働率(スクリーンアベレージ)を高く保ちやすくなります。高い座席稼働率は「満席」や「混雑」といったニュースになりやすく、それが「見逃せない」という口コミや話題性につながりやすくなります。戦略的な拡大:初動の週末の成績や口コミの評判が非常に良ければ、3週目以降に上映館数を300館以上へ拡大し、勢いのある状態でより多くの観客層を取り込む戦略が取れます。
「果てしなきスカーレット」は、作品のテーマ性やアート性の高さから、最初から全国一斉に大量の座席を供給するよりも、口コミや熱量をじっくりと育ててから、後追いで公開規模を拡大していく戦略の方が、細田作品の過去の成功パターンに合致していた可能性はあります。ただし、配給会社としては、なるべく多くの人に作品を届けるという使命もあるため、大規模公開は致し方ない判断であったとも言えます。
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『果てしなきスカーレット』すぐ見る予定はなかったけど、公開3日目の日曜でも良い席が空いてたので見てきた。もともと予告で面白そうと思わなかったので、期待値は低かったんだけど、どこぞの宗教団体が作ったアニメ映画(二作ぐらいしか見てないが)みたいだなと思ってしまった
『果てしなきスカーレット』後半の唐突な展開が連発する辺り、なんかリレー漫画みたいだと思ったけど、舞台演劇だという指摘を見かけて理解した
プライムビデオで配信してた『竜とそばかすの姫』の冒頭を流し見してたんだけど、いろいろと仕掛けがあって楽しめたんだよなー。ikuraの声の演技上手い!とか。『果てしなきスカーレット』は死の世界巡りを退屈に感じてしまった
『果てしなきスカーレット』細田守氏によるざまあ物という雑な見方はできるが、大衆蔑視が強い細田守氏が興行収入という形で大衆に復讐されるざまあ物という見方もできてしまう
『果てしなきスカーレット』と『CASSHERN』を同じ箱に入れている人がいたけど、紀里谷和明氏は綺麗事を本気で信じている感があるけど、細田守氏は信じきれてない感がある
『果てしなきスカーレット』綺麗事といえば、スカーレットが聖を「よいこちゃん」というのは、なんか現代人っぽ過ぎるなと思ってしまった
『果てしなきスカーレット』TOHOシネマズ新宿の28日からの上映を見たら、IMAXは4回から1回に、4回あったDolby Atmos上映は消滅、通常上映は4回から5回になったが小さいスクリーンに変更となっていた
東スポが『果てしなきスカーレット』を“今作はカップルで見ても家族で見ても、もちろん一人で見ても、面白い一本になっていると思いました”と紹介していた。どんな嫌がらせだ
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/367956
『竜とそばかすの姫』の評判が悪いから『果てしなきスカーレット』に観客が呼べなかったという説があるけど、興行は『バケモノの子』より下がっていて、大好評といえなかった『未来のミライ』が前作の『竜とそばかすの姫』は初動から成功したんだから、前作の評判ってそんなに大きな要因に思えない
やはり初動は予告から受ける印象で決まるのでは。『竜とそばかすの姫』は予告で『時をかける少女』や『サマーウォーズ』みたいな夏アニメとわかるところがあり、観客はそれを期待して見に行ったと思える。『果てしなきスカーレット』の予告は観客が期待できる過去の細田アニメ要素はなかった
『果てしなきスカーレット』は細田守氏における『星を追う子ども』(新海誠氏の劇場作品で唯一の赤字作品)になって、振り返る材料になりそう。ただ『星を追う子ども』と違って、額が桁違いに大きいだろうけど
別に果てしなきスカーレットがウンコだから細田叩いていい!ってなる前から
サマーウォーズなんか陰キャが理解できないのに陰キャ向けの謎映画として
陰キャの巣窟の増田で「サマーウォーズ」を検索したら賛否両論って言うよりもむしろ否が多いくらい。
その後のおおかみこどももバケモノも作品内の論理がガバガバで叩かれてたし
未来のミライなんか陰キャ以外からも袋叩きだっただろ。果てスカよりもゴミ。
細田は叩かれてなかった、サマーウォーズは名作扱いしかされてなかった
は流石にウソすぎてう~んそういう話かなぁってなっちゃったよ。
今回の現象は叩いていい認定ってよりは100ワニ現象に近いだろ。
うっすら嫌いだった層は大量に存在したけどそれ以上に賛の声が大きかったから
声をあげづらかった、届きづらかったのが大ポカやらかしたから一気に表面化しただけ。
レビューサイトRotten Tomatoesを見ると、細田作品の評価は日本でのそれと大きくかけ離れているのがわかる。
https://www.rottentomatoes.com/search?search=mamoru%20hosoda
日本で好まれる時かけやサマーウォーズより後の作品の方が評価が高い。特に日本で興行がガタ落ちした未来のミライの評価は明らかに日本と真逆だ。
なおスカーレットが既に低評価だが、現時点で日本でしか公開されていないことを鑑みれなければならない評価だ。
我々はデジモンや時かけといったドメスティックな作品から細田作品に触れているわけだが、海外視聴者はそうではない。
結果として前情報が少ない状態で近年の長編作品を視聴できている。
新海誠で言うと君の名は以前/以後のファン層が明確に分かれているように、細田作品でもおおかみこどもあたりで国内/海外ファンの分水嶺があるのだろう。
海外映画祭のノミネートでもバケモノの子がアニー賞でノミネートされて以来かなり増えているが、一方で日本での受賞歴は落ち着いてきている。
さらに妄想を続ける。日テレが仕掛けてきた細田守ハヤオ後継者作戦は完全に失敗した。
パクさんの死去、風立ちぬ以降のハヤオの内省化、依然として進まない国内オンデマンド配信などビジネス面での窮地に陥りつつある日テレの長編アニメ事情を細田作品では補填しきれていない。
ただここで前述したように海外への活路が見えてきた。これは作品公開のサイクルが長すぎるジブリでは不可能なことだった。
日本ではボロクソだった未来のミライが海外では高評価で受け入れられている実情がある。あのふわっとした展開が逆にファンタジー的で好感触なのかもしれない。
ならば海外受けをある程度意識した作品作りになっていくのは自明だ。
アナ雪のキャラデザを手掛けたJin Kimが2作連続でメインキャラクターデザインを手掛けているのも、海外マーケットを意識したものと捉えていいだろう。
しかも前作ではメインキャラのみのデザインだったが、今回は主担当に格上げされている。
おおかみこども以降、書きたいことを書くようになり偏ったキャラクター描写が増え、それについていけない日本人視聴者が続出。インターネットは作品公開ごとに大荒れ。
その一方で海外では高評価を受けカンヌにも呼ばれるまでになった。日テレもそんな細田守を抱えられればハクがつく。2020年の決算資料にも竜姫について海外展開を重視するとある。
クリエイターとしてどちらを向いて作品作りをしたくなるか、心象を慮る必要もないだろう。
今の細田守(と日テレ)は日本のマーケットのためにアニメを作っていない。
率直に言うと、映像は最高なのに、どうしてもテーマの“重み”が弱く感じられた。
ネットを見ていると
みたいな言説を目にするけど、僕はそういう話じゃないと思っている。
むしろこれは作家の“方向性の違い”が、今回は裏目に出た というだけなんじゃないか、と感じた。
以下、自分なりに整理してみる。
---
宮崎駿の作品って、あれはもう寓話じゃなくて 本人の人生 だと思う。
「作ること」への罪悪感と執着
こういう“背負ってきたもの”が、作品のあちこちに生々しく滲む。
『君たちはどう生きるか?』なんて説明ほぼないけど、それで成立してしまうのは、
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■ 2. 一方の細田守は「日常」「関係性」に特化してきた作家
ちょっとした心の揺れ
日常の中のズレ
成長の痛み
『時かけ』『おおかみこども』『サマーウォーズ』などが評価されるのは、
世界の大義よりも、目の前の関係性を丁寧に描いてきたからだと思う。
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■ 3. そんな細田が“飛躍・説明放棄”の映画を作るとどうなるか
『果てしなきスカーレット』は、
時空が飛んだり、死者の世界が出てきたり、
でも、細田守は人生の闇や歴史の重みを背負うタイプではないから、
たとえるなら、
これは“器が小さい”とか“作家性が浅い”とかではなく、
「寓意の飛躍」ではない。
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■ 4. 今回は“本来の武器を自ら置いてしまった”映画だった
『果てしなきスカーレット』に対して
なぜなら、
そこから急に“死者の世界の旅”とか“大河ドラマ的な復讐劇”をやられると、
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■結論
今回の作品は、細田が本来得意とする作家性と噛み合っていない。
どうしても“重みの差”が出てしまう。
それは才能の優劣の問題ではなく、
最初に言っておくが根拠はない。自分が過去作を見た感想や知り合いやネットの声をベースに考えてみた。
世間一般的な細田守の評価ってサマーウォーズ以降の「現代日本(っぽい何か)を舞台にした、登場人物が子供メインの青春系映画で、(一応)良い話っぽく終わる映画を作る人」て感じだと思うのよ。子供同士で見に行けそうとか家族で見に行けそうとか、良い意味で気楽に見に行けて失敗体験にならない映画を作る人みたいな。だからオタクやめんどくさい人やそもそも映画全般好きみたいな人を除いて、国内で細田守作品の動員に貢献してた人ってそういう感じだと思われるのだが、そういう層に対して「現代日本じゃない」「登場人物が気持ち大人寄り」「予告ビジュアルが割と暗い」「復習とか愛を知りたいとかテーマが重たそう」とかもう完全ミスマッチじゃんね。これが単館上映のもっと低予算・短編で監督の新たなチャレンジなんです! みたいならわかるけど国内マス向けのように扱うのはどう考えてもミスマッチだろ。
公開当時「中高生メインの若者からは非常に評価が高かった」という話だったが、そこからもう4年経ってるわけで、そういう年齢層が当時はあんま気にならなかった社会のルールというかストーリー上のアカンところに気付いてしまって「映像と歌は本当にいい映画だったけどストーリーはちょっとなあ」となってしまい、果てしなきスカーレットについては「いきなり行くんじゃなくちょっと様子見」になってしまったのではないか。あと比較的大人からは当時からツッコミどころを指摘されており、かつあれを「良い話っぽく終わった」と評せる人は正直割と珍しいと思うので、竜とそばかすの姫を見た人が「この監督、次は金払って見るのはやめとこ」となってしまったのではないか。
日本国内的にはそんな感じとして、じゃあ海外で初めて細田守に接する人なら最初から「こういう作風の監督なんだな」と受け入れられる可能性はある気がしており、実際どうなるのか見てみようじゃないか。
厚みがないというのは主にキャラクターの描かれ方や、鑑賞者による解釈の幅の少なさといった構造的な問題のことを指す。
・すべてが機能的に配置され
・観客に感動を与える目的(お涙頂戴)に向けて整然と組み立てられすぎている。
完成されたパズルのようなもおので
パズルはピースが完璧に組み合わさって一つの絵となり、そこに別の解釈の余地はない。
一方、火垂るの墓など「厚みがある」作品は、パズルのピースが組み合わさっても
その裏側や隙間に、見る人それぞれが考えるべき無限の空間が残されているといえる。
『おおかみこども』は泣ける映画でありながら、登場するキャラクターにブレが全くない。
たとえば、オオカミ男である父親は、善良で、社会に交われず、子どものこと、妻のことを思い、最後に悲しい結末を迎える
なんというか・・・「その人が求められている機能しか」持っていない。
設定のみなので見る者にとって解釈の余地が全くなく、「良いものは良い、悪いものは悪い」という明確な構造がある。
その結果見ている人間が「安心し泣ける」作品だと評していたのが印象的だった。
作中のすべての伏線が、テトリスで組み合わせたようにサッと消えるほどきれいに組み合わさってできており、解釈の幅を許さない。
「あ、ここで泣いて良いんだな」ってわかりやすく配置されてる作品、面白いか?
悪を懲らしめる『水戸黄門』のような大衆芸能の一種としてとらえたほうがよい。
一応 『時をかける少女』や『サマーウォーズ』の時には多少は含みは残っていた。
未だにばあちゃんや家出息子の解釈とかは賛否両論分かれる。それはつまり解釈の余地があるってこと。
育児経験者から見ても、エピソードや表現があまりにありきたりすぎる。
赤ちゃん返りや、下の子供が生まれると上の子供が赤ちゃんぽくなるなどのエピソードは
「育児雑誌でなんかこうあんまり漫画連載しても持たないような話」ばかりで、雑談レベルに留まっており
| 作品名 | 公開年 | 脚本 | 興行収入 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 劇場版デジモンアドベンチャー | 1999 | 吉田玲子 | 9億 | 短編(約20分)東映アニメフェア |
| デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲーム! | 2000 | 吉田玲子 | 21.66億 | 短編(約40分)同時上映作品との合計 |
| ONE PIECETHE MOVIEオマツリ男爵と秘密の島 | 2005 | 伊藤正宏 | 12億 | 単独で監督した長編初作品。 |
| 時をかける少女 | 2006 | 奥寺佐渡子 | 3億 | 東映アニメーション退社後 |
| サマーウォーズ | 2009 | 奥寺佐渡子 | 16.5億 | - |
| おおかみこどもの雨と雪 | 2012 | 細田守 /奥寺佐渡子 | 42億 | 初めて脚本を兼任 |
| バケモノの子 | 2015 | 細田守 (単独) | 58億 | 2015年の年間興行収入2位 |
| 未来のミライ | 2018 | 細田守 (単独) | 28.8億 | - |
| 竜とそばかすの姫 | 2021 | 細田守 (単独) | 66億 | 細田監督作品歴代最高興収 |
脚本書いたほうが稼いでて草w
こりゃ偉い人もなんもいえねーw
(追記)
トラバブクマあつまったら宣伝していいとのことなので宣伝させて頂きます!おまえらイクサガミはもう観たか!?ガチやべーから騙されたとおもって観とけーーー!?
なんか合わんって場合もとりあえず2話の終わりまで見たらすげーから!それでも合わんならもう知らん!
そういえば細田守の話やったな。ワイ独自ランキングは1位👑時かけ・2位🥈サマーウォーズ・34がなくて後藤さんって感じなんだけどどちらも思いのほか興行収入バリ少ないな!3憶……
細田作品はなんかこう普通の映画として「あっちの伏線がこっちにハマって……」みたいな仕掛けがまとまってて面白かったんだがあれは脚本とかの力だったのかもな
オオカミこどもも未来のミライもなんかワイには来んかったわ(ケモ観も相違)
まあかといって時かけのころに戻ってくれ~みたいな感覚も特にないわな
強いて言えば脚本吉田玲子とかで手堅くお仕事モノみたいなの作ってほしいかも
でも今で十分興行収入も強いし独特の感性で国際賞レースも狙えるてるしすごいんやろうな。知らんけど!
日本の法律では映画の著作権は監督にはなく制作会社か製作委員会が得る。(著作者人格権はある)。一方、脚本家は原著作者として著作権を得る。これが売れた監督が自分で脚本をやるようになる理由の1つ。
はーそういうのもあるのな。そういえば細田脚本作品は原作も細田だけど原作ってだけじゃいくら権利あってもカネ的な意味では扱い軽かったりするんだよな?たしか。
鬼滅の刃の作者でも映画の原作料はちょっとだけみたいな話あったな。
Permalink |記事への反応(15) | 11:47
たしかに「またケモショタかよwwwwww」と僕たちオタクは好き放題彼の作風をイジってきたし、『竜とそばかすの姫』のときも「あーはいはいこの竜が喋るんでしょ?」と思ったら本当に喋ったので笑っちゃったし、『未来のミライ』は残念ながら見損ねてしまったんだけどもショタが尻尾バイブでアナル絶頂のCMが流れてきたときは「自重wwwwww」などと思ったわけだが、「よっしゃ、じゃあケモショタ抜きで作るぞ」という決意表明のもとお出しされた作品を見たときの感想は「ケモショタのほうが良かった……」という感じになってしまった。
そもそも僕は細田守にケモショタを捨ててほしいわけではなかったのだ。むしろ個人的には彼の描くショタや制服少女はすごく好きだ。監督を「またケモショタw」とイジるというのは、まあ愛情表現のようなものであって本気でやめるべきだと思っていたわけではない。彼に対してネット民が辛辣だったというのも、アンケートなどを取ったわけではないので実際に「皆」がどう思っていたかはわからないのだが、少なくとも増田としては「細田くん! 君に一般向けは向いてない! オタク向け作品を作ろう! ファミリー向けを取りに行くのはあきらめて、ポスト宮崎駿への色気も封印して、オタク向け作品で好きなだけ性癖(誤用)を描こう! ショタやケモノやケモショタやイケオジや可愛いけど薄味な女子高生の理想郷を作ろう!」というつもりだった。
要するに、「一般向けのつもりで作っときながらケモショタ出してんじゃねえよ」というのは「ケモショタ出してんじゃねえよ」という意味ではなく「一般向け作るのやめなよ」という意味だったのだ。しかし細田守は前者の意味に解釈したようで、今回は一切ケモショタ抜きの作品をお出ししてきた。国民的アニメ監督という立ち位置にありながら『すずめの戸締まり』で本気の足裏サービスカットをぶち込んできた新海誠とは逆方向への覚悟の決まり方だが、そういうことじゃねえんだよな~~~~~~~!!!1!!
ただ、「面白いと思ってこいつのことイジってたら、真に受けてほんとにやりやがったw」というのはまごうことなきいじめっ子のセリフであり、細田守監督がどれだけネットの声を気にしていたかはわからないが、彼の作風をイジっていた者の一人としては真剣に反省せざるを得ない。無神経にイジっててすみませんでした、監督。
で、本編の感想なんですが。
「日本のオタクからイジられすぎて海外向けに舵を切った?」という感想になりました。わかりやすいハムレットの導入(でもハムレット踏まえといてレアティーズのあの扱いは何なの!? 友として死ねよ!)、しかし主役は女性、途中で謎の多様性演出が挟まり(おお、DEIに栄光あれ!)(ちゃんとハワイ語やハワイ舞踊の監修入れてたのは偉いと思うよ。ハワイ文化が出てくる必然性を気にしないのであれば)、脈絡もなく歌って踊ってのシーンを挿入しコミカルでお間抜けな敵を配置し(このあたりはマジでディズニー感があった)、いわゆるアニメ絵的なキャラ造形を封印してものすごい迫力の映像美に力を入れる、というのは、従来の「日本のアニメ映画」だった細田守作品から脱却しようともがいているように思われた。それが良いか悪いかは価値観次第だが、「日本のアニメ映画」を期待していた者としては寂しいものがあるというか、僕は細田守作品のキャラデザ好きだったよ……という寂しさに襲われてしまった。
問題は海外向けアニメ映画だと割り切って見たところでストーリーの出来などが色々と厳しいというところで、ちょっと思ってた以上に脚本が支離滅裂というか、「これはきっと僕の理解力が低くて筋を追えてないんだろうな」と思いながら見てたけどネット上でも不評でちょっと安心した。『おおかみこどもの雨と雪』は今改めて見てもよく出来てたよ。やはり奥寺佐渡子……奥寺佐渡子はすべてを解決する……!
聖くんがあれだけ忌避してた殺人に手を染めたところに何のフォローもないのってどういうことかしら? あれだけ登場人物の気持ちを全部言葉に出しちゃうマンな細田守監督なのにこのシーンの聖くんの感情がいっちょんわからんので「???」ってなってしまう。彼はどういう決意でもってあのひとたちを射殺そうと思い至って殺したあとはどう考えていたの? いや、「お前そういうのはいちいち言葉にするもんじゃなくて表情や動作から読み取るものなんだよ。それが映像作品を見るうえでの読解力だろ」ってのはそれはそうなんだけど、上述のように「でも細田守はこれまでいちいち言葉にしてたじゃん」っていうのと、「すみません! 僕には読み取れませんでした!」っていうのが両方ある。みんなは読み取れましたか? 読み取れたひとは根拠を添えて教えてほしい。マジでわからんかったので。
最後のほうは「宗教の映画?」って感じでした。ラストの演説はもうしょーもない。主人公にそこまで言わせるなら共和政に移行させろよとしか言えないファンタジー作品ってままあるよね(『BASARA』の「それが、それこそが新しい国ぞ!」っていうセリフは今でも印象に残ってる)(『汝、暗君を愛せよ』はちゃんと主人公が共和政への道を敷いてる作品なのでみんな読もう!)(全然関係ないけど最近のプリキュアって主人公に意識高いこと言わせる割に王国とか女王とか王女とか出てきて彼らが(象徴的な君主制ではなく)実権を保持してる描写もあるので何でそこだけ封建的なんだよって言いたくなりません?)。
あとヒロインの名前がスカーレットでファンタジー風のPVだったので「なるほどヨーロッパ風のファンタジー世界なんだな!」と思って見始めたら16世紀デンマーク王国が舞台と冒頭で明言されててビックリ仰天。スカーレットって英語ですよね……? なんで歴史上のデンマーク王国の王女の名前に採用されてるんです……? 「たまたま異世界にデンマークっていう国があるんだよ」っていう逃げは本編の展開で潰されてるのでマジで現実世界のデンマークが舞台だからねこれ。正気? それとも「一度も現実世界の日本のことだとは言ってないです」って言い張る? っていうかクローディアス王の配下でコーネリウスっていうやつが出てくるんだけど「クローディウス」「コーネリウス」か「クローディアス」「コーネリアス」のどっちかに統一しろよって思った。もしかしてこの2つが同じ語尾の名前だと気づいてないんです? いやまさか、そんなそのへんに一山いくらで転がってるなろう作家並のファンタジー世界構築センスしか持ってないのに歴史ファンタジーの大作映画を作ろうなどと考えていたなどということはないだろう……ないよね? そもそも論で言うとさぁ、シェイクスピアの登場人物が日本では英語読みに基づいた表記をされてるのはシェイクスピアが英語で書いた前近代の作家だからであって、現代日本の作家が何でデンマークの人名を英語読みするんだよ!
あ、最後に目覚めてからの断髪スカーレットちゃん可愛かったね。身体のラインがピッチリ出るドレス姿、『おおかみこどもの雨と雪』での花の造形にも繋がるフェティシズムを感じて良き。もしかして細田守って腋チラ描写が好きだったりする? 新海誠の足フェチと違ってそこまでわかりやすくないから僕の節穴アイでは気づかなかった。反省。服を切られて恥ずかしがるスカーレットちゃんの声エロくて良かった。あと映像美はすごいよ。『サマーウォーズ』とか『バケモノの子』とか『竜とそばかすの姫』とかで見た浮遊する巨大生物演出が研ぎ澄まされていた。あれは映画館で見る価値があった。時間の都合で何も考えずにIMAXにして正解だったわ。これ『時をかける少女』で見た! みたいな感慨に襲われる演出もあったし「お前タイムリープしてね?」みたいな話の筋だったからもうなんか実質『時かけ』ってことで良くない? 良くないですかそうですか。
結論としては、万人向けではないけれども、まあ、オタクなので、話題作の情報を手に入れるために、そして同好の士と語らうために見に行っても、まあ、うん、数千円ぶんの損しかしないと思う。見たあとに同好の士と語らいたくなるという意味では非常に優れた映画だと感じた。映画会社はそろそろ懲りろよというか、スクリーン配分の見直しをしよう? な?
珍しくふと、映画館で映画を観たいと思った。最後に映画館に行ったのは11年前、中学の頃親と一緒に行ったっきり。自力で映画館に行ったことも無いのに、なぜかそんな気持ちになった。
細田監督の最新作「果てしなきスカーレット」が、ちょうど公開されるらしい。小学生の頃、金ローで放送された「サマーウォーズ」を録画して、繰り返し観た記憶が蘇る。これは観るしかねえと思い立ち、TOHOシネマズに向かった。
結論としては、良いところはあるものの、やはり細田脚本には問題があると言わざるを得ない出来だった。本当に現状のままでいいのか、細田監督を問いただしたい理由をまとめた。
(1回見ただけなのでおかしいところや思い違いがあると思うけど、容赦してね。)
【以下、ネタバレ】
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まずは簡単にあらすじを紹介。愛する父親を殺された王女・スカーレットは、父親を殺した叔父・クローディアスの暗殺に失敗。死者の国で目を覚ます。スカーレットは死者の国で、現代の日本からやってきた看護師・聖と出会う。スカーレットは聖と共に、かたき討ちのためクローディアスを探す旅に出る。
本作が題材にするのは報復の連鎖。細田守監督自身がインタビューでそう語っており、私もその予備知識ありでスクリーンに臨んだ。では、憎しみと復讐の連鎖に伴う辛さ、やるせなさが描かれているのかと言われれば、十分に描かれているとは言えなかった。
正直なところ、憎しみや復讐の描き方は「進撃の巨人」の圧勝。こちらの方が断然よくできている。本作は「進撃の巨人」と比べて、憎しみと復讐が続いてゆく辛さ、やるせなさが身に強く迫ってこなかった。
一つは、愛する父が暗殺される→クローディアスの暗殺に失敗→死者の国へ、という冒頭の流れが説明的であること。スカーレットが抱える憎しみとその辛さは理解できるものの、それが自分の身に起こったかのように感情移入できなかった。「物語への圧倒的没入体験」を掲げる本作であるが、没入できないもどかしさが最後まで続いた。
もう一つは、クローディアスが一貫して悪人として描かれていること。「進撃の巨人」では、主人公たちが相手を憎むのと同時に、相手側が主人公たちを憎む様子も丁寧に描いていた。絶対的な悪など無く、対立する両者がお互いに痛めつけあうやるせなさ。それが、本作にはほとんど見られない。長期連載作品である「進撃の巨人」と、二時間に満たない尺の本作を比べるのはフェアじゃないかもしれないが、復讐や憎しみを描くうえで、そこは外してほしくなかった。
しかし、復讐や憎しみを題材にしている本作であるが、より深いテーマを感じた。それは、「自分の好きなように生きよ」というメッセージである。
物語の序盤、スカーレットは父の敵討ちに燃え、死者の国で現れる敵を次々と殺してゆく。「王女としてそうあるべき」という義務感をスカーレットは抱いており、それが復讐のモチベーションになっていることが描かれている。看護師である聖は、好戦的なスカーレットと対照的に、敵味方差別なく治療を施し救おうとする。それも、「看護師としてそうあるべき」と聖が考えているからだ。
敵を殺そうとするスカーレットとそれを好まない聖は、一見対照的なキャラクターに見える。しかし、「自分の立場にとらわれて、本当はどう生きたいのか分からない」という内面は同じなのである。
スカーレットと聖は交流を重ねる中で、互いの心情に変化が生まれてゆく。スカーレットは、敵との戦闘になっても剣を鞘に納めたまま戦い、むやみに人を殺めなくなる。人を殺めるための短刀を、自分の髪を切る(新しい自分になる)ために使うシーンは、スカーレットの内面の変化を印象的に描く。逆に、人を殺めることを否定していた聖は、弓矢でクローディアスの手先を殺めてしまう。物語の序盤、「人を殺めるな」とスカーレットに散々言ってきた聖が人を殺めてしまうシーンは大きな批判を生みそうだが、聖が自身の黒い感情に対して正直になった、もしくは抑えられない、という内面の変化が描かれる良いシーンであったと思う。憎しみという黒い感情を否定しないことは、本作の美点の一つである。
一見対照的な二人だが、共に同じ苦悩をを抱えていて、それが変化してゆく、という構成は好印象だった。ただし、スカーレットについては憎しみに関する描写が強すぎて、「王女としてそうあるべきだから復讐に燃えている」という内面が理解しにくかった。物語の序盤も序盤、スカーレットの父が「王女としてではなく、女の子として好きなように生きなさい」と幼少期のスカーレットに語るシーンがあるのだが、さらりとしすぎている。スカーレットが死ぬ前に、クローディアスの暗殺を民衆が熱望していて、スカーレットがそれにプレッシャーを感じているようなシーンがあると良かった。
クライマックス。スカーレットは死者の国から元の世界へと戻り、王女となる。王となったスカーレットは民衆に、「民を救うこと」「子供は絶対に死なせないこと」を宣言する。これは、スカーレットが「王女としてそうあるべきだから」と考えているからではなく、心の底からそう思っている。スカーレットは死者の国での交流を通じ、「私はこうありたい」という自発的な強い意志を手に入れて、物語は幕を閉じるのである。
そのようなクライマックスを踏まえると、「果てしなきスカーレット」は、憎しみの連鎖を描いた物語というよりは、少女が自分の生き方を決める物語なのだと個人的には思った。本質的には、「おおかみこどもの雨と雪」(主人公が、おおかみ or人間、どちらかの生き方を選ぶ)や、「バケモノの子」(人間世界 orバケモノの世界、どちらで生きるのか選ぶ)など、細田監督の過去作品にも通ずるテーマであるといえるだろう。
本作は他の細田作品と同じく、演出、特にメタファーの使い方に優れる。特に水というモチーフが良い。序盤、空が荒れた海のようにうねる様子をまじまじと見せつけつつ、水一つない砂漠の風景を延々と見せておいて、最後にスカーレットを雨に打たせる流れが良かった。雨はスカーレットの心の痛みであると同時に、乾き続けた心を潤す恵みの雨でもある。スカーレットが抱く矛盾した複雑な感情を、水や雨というモチーフを使うことで、端的に表すことに成功している。物語全編を通じて砂漠の風景が続くのは単調で少ししんどくもあったが、クライマックスに良い形で回収されたのは良かった。
カラスのモチーフも良い。本作ではカラスが度々出現するのだが、物語の終盤、クローディアスと対峙するシーンでザワザワとカラスが集まり、散ってゆく演出が良かった。黒い感情やざらつきが、スカーレットの胸に広がって去っていく描写である。このシーンでは、スカーレットが抱く感情にある程度没入することができた。
しかし最後の最後、黒い竜がカラスとなり散っていくシーンは解釈が難しかった。カラスがスカーレットの内面を表しているのであれば、竜が悪役に雷の制裁を加えるのはご都合主義すぎる。スカーレットの黒い感情の高まりが、直接悪を成敗しちゃってました、ってことになってしまわないだろうか。私の読解力では、一本芯が通った演出として理解できなかった。
その他、聖のキャラクターに人間味が無いとか、スカーレットの母が謎だとか、細田監督らしく突っ込みどころは沢山あるしキリがない。しかし一番の問題点は、わかりやすいカタルシスに乏しいことだろう。「見果てぬ場所」を目指すとか、最後に聖とキスして永遠のお別れをするとか、カタルシスを作ろうという工夫は見られるが没入感が無く、わかりやすく感動できない。
唯一カタルシスを感じたのが、劇中歌「祝祭のうた」(フルバージョンがストリーミングにある)をバックに、スカーレットが炎の中に吸い込まれて現代の日本へとワープするシーン(このシーンはYoutubeでチラッと見ることができる)。なんだかよくわからないけれどいい感じにエモい歌が鳴っていて、スカーレットが「うわああああ」ってなってて、吸い込まれてゆく映像美も(IMAXなので)すごい。「コレだよコレコレ!このわかりやすい感じ!」と思ってスクリーンの中に身を任せたのだが、その先の現代で踊るシーンは作り物感が強く、映画館の座席の上にストンと戻されてしまった。復讐だけのために生きてきたスカーレットが新しい自分を見つける、という背景を意識するとそれなりにエモく見えるのだが、直感的に感情移入してダラダラ涙を流すためにはあと一歩か二歩足りなかった。
「君の名は」ほどではなくてもいいから、馬鹿でも分かるような感動が欲しかった。まず、分かりやすく感動できること。そのあと二回、三回とリピートしていくにしたがって、細田監督の演出の上手さが生きてくる。水や雨、聖がおばちゃんから貰った楽器などのモチーフや、登場人物の些細な変化。それに気づいていくことで、回数を重ねる度により深く物語へと没入することができる。
個人的に大好きな「おおかみこどもの雨と雪」には、それがあったと思う。揺らいだカーテンに隠れた雪がおおかみの姿に変身する激エモシーンや、嵐が去った駐車場で花と雨がお別れする涙腺崩壊シーンなど、音楽(激エモ)と映像美(激エモ)の力を借りた分かりやすい感動ポイントが、まずあった。そのあと繰り返し鑑賞してゆくにつれ、瓶に入ったお花の描写や、おおかみであるとは?人間であるとは?といったテーマの理解度が深まり没入していく。そんな作品だった。それこそが「物語への圧倒的没入体験」だと思うのだけど、皆さんはどう思いますか?
それを踏まえると、やはり奥寺佐渡子さんの脚本に戻してほしいと切に願う。復讐や憎しみを題材にしながら「自分の好きなように生きよ」というメッセージを細田監督から投げかけられた私は、素直に胸を打った。しかし、カタルシスに乏しく物語に没入できてないので、そのメッセージが深くまで刺さってこないし、未消化感が残る。上映が終わった後、前の席に座った女性(大学生くらい?)の二人組が、「何の話か分からない……」と漏らしていたのが印象的だった。監督が伝えたいメッセージが観客に伝わらないのは、あまりにも大きな問題ではないか。
奥寺氏が脚本に嚙まなくなった「バケモノの子」以降、細田監督作品は脚本の弱さを批判され続けてきた。しかし、「竜とそばかすの姫」はそれなりに売れてしまったわけだし、商業的にやっていける限り細田脚本は続いていくだろう。
しかし、本当にそれでいいんですか?
「あなたの脚本だと、メッセージが観客に上手く伝わってないみたいですけど、本当にそれでいいんですか?」と、細田監督に問いかけたくなる。「好きなように作って満足!」みたいな同人誌的な態度の映画作りで細田監督が満たされるのであれば、現状維持でかまわないと思う。我々はスクリーンの前で、感動ではなく悔し泣きの涙を呑むしかない。
しかし、莫大なマネーとステークホルダーを巻き込み、作品を広く世に知らしめる力を持つクリエイターとして、「自分のメッセージを世の中に投げかけ、沢山の人の気持ちを揺さぶりたい」と細田監督が考えているのであれば、勇気をもって奥寺脚本に戻していただきたい。
ちなみに奥寺佐渡子さんのことを調べたところ、最近脚本を手掛けた「国宝」なる映画がとてもすごいらしい。昭和ど真ん中の時代に、任侠の息子が歌舞伎役者として成長していく話なんて教養がない私にはとても敷居が高いんだけど実際どうなの????教えてエロい人。
PS:
TOHOシネマズのBGMってあるじゃん。ピアノの曲。超久しぶりに映画館に行くので、あの曲が劇場で流れている雰囲気も楽しみにしてたんだけど、開場して五分後に入場したらすでに広告が始まってて聴けなかった。放映終了後も、「忘れ物に気を付けてください」の画面が出てくるだけで聴けなかった。開場直後に滑り込めばこのBGM聴けるの?これもエロい人がいたら、ついでに教えてほしい。
仕方がないので、その曲を無限リピートさせながらこの記事を書いている。ちなみに、TOHOシネマズのBGMは「ナッシュスタジオ」という、業務用向けのBGMや効果音を専門に販売する会社のもので、ハードオフの店内放送曲や天神のCM、デデドン(絶望)もこの会社の作品らしい。"NashMusic Library"で調べればストリーミングで聴ける。
男53歳、女25歳の時に生まれたガキだけど、本当に不愉快な家庭だった。
何かにつけて「あんたみたいな年寄りに何がわかるんだ~~~」みたいな喧嘩を日常茶飯事で吹っ掛けるし、言われた側は「まだ若いんだから」ムーブで諭そうとするだけ。子供を叱責する時のキメ台詞は「お父さんみたいになるよ」。
父と祖母は1度も会話してるところを見た事無かったし、祖父と父なんか一緒の空間にいるところすらみたことなかった。サザエさんとかサマーウォーズの人間関係が完全なフィクションだと思ってたらこっちの方がレアケースだったっての、大人になってから知った。
そんな中で食う飯なんかうまいわけがない。なんなら家族ごっこ終盤は朝昼晩セブンかスーパーの半額おにぎりしか食った記憶がないし。
んで俺が遠方の学校に通う高校生になった頃を見計らって女は不倫を始める。のちの裁判では理由が「同世代の方が気が楽」って言ってたらしいね。
ほんでもって今は80代後半の親父の面倒を見なきゃいけない。「孫の顔見たいなあ」とか無邪気に言うけどお前らのせいで結婚や家族に前向きになれねーんだよっていう。
まあこんだけ言ったってトップブコメみたく「嫉妬」で片付けようとする思考停止のロリコン予備軍連中は、都合よく一人一派、年齢関係なくこんな家庭はいっぱいいるとか言い出すんだろうけど。
家の一族は働くの大好き人間達で、サマーウォーズの一族を想像して貰えば判るか?正にあんな感じ。いいとこの役職に就いてる仕事大好き人間ばかり。
そんな中僕はフラフラしてる親戚に1人は必ずいる面白おじさんポジションなので全く人権が無い。
アイツは何やってるか判らないし何喋ってるのか理解も出来ないから関わらんどこって感じで。
でも僕からしてみたら、折角生まれて来たのになぜみんな必要以上に仕事するのか全く理解出来ないんだよな。世界を楽しむために生まれて来たのにさ。
人の会社の為に自分の人生を犠牲にするのが訳わかんないんだよな。働かないアリの話じゃないけど、みんな犠牲にしてんだから、自分まで犠牲にする必要無いじゃんと思う訳ですが。
始めた理由は、当方アラサーで、周りがみんな結婚して人恋しくなったのと、自分の社会的立場や今後の人間関係を気にせずに、刹那的な関係性の人たちと適当にどうでもいい話をしたかったから。Twitterで流れてきて気になってたし。
ノリと勢いでメタクエスト3sを買って、説明書も読まずに感覚で操作しながらスタートした。最初にVRワールドが広がった瞬間すごく興奮した。マジで異世界みたいだーって。まあ最初だけだったけど。
VRチャットをやったことがない人に説明すると、VRチャットというのはキャラなりきりしつつ世界中の人たちとリアルタイムに交流できるSNSみたいなのだ。サマーウォーズって映画を見たことある人はあれに近いと思って欲しい。
まず、始めたては服屋のマネキンみたいなアバターが用意されているんだけど、仮想ワールドに表示されているそれを“自分の分身”として操作つつ、「ワールド」と呼ばれる場所に遊びに行ってそのワールドにいる人たちとリアルタイムで話したりゲームしたりして一緒に遊ぶことができる。
そしてしばらく遊ぶとアバターを変更できる様になるから、そうしたら自分の好きな見た目に変更して、その姿で交流できる様になるっていう感じ。
で、色んなワールドに移動する前の、ホームっていう基地みたいなところがあるんだけど、そこで一通りその操作の練習をした後、わたしは初心者向けって書いてあったワールドに移動した。日本人話者が多い初心者向けワールドだった。わたしがワールドに移動すると、見た目から初心者だと丸わかりだったのか早速声をかけられた。
「初心者の方ですか?」
「そうです!」
「わかんないことあったら教えますよ〜」
「ありがとうございます!Twitterで見かけて気になって始めただけなので、全然知識なくて…笑」
「あートコロバさん?バズりましたもんね笑」
ピンク髪でゆるふわカールの可愛い女の子って感じのアバターで、声まで可愛い人だった。へーこんな可愛くて性格もいい人がいるんだなあ、なんて思いながら話してたら、アバターが飾られている博物館みたいなのがあって、そこで好きなアバターをゲットできるからと連れて行ってくれる流れになった。勿論喜んで連れて行ってもらった。
アバター博物館にはそれはもう沢山のアバターが飾られていた。かわいい女の子アバターから動物、無機物まで色々。
「欲しいのあったら言ってくださいね」
って言われて、私は変なものが好きなので、変な妖怪みたいなアバターを指さしてこれがいいです、って言った。
「うーん、コレはメタクエストだと対応してないみたいですね。とりあえずこのアバターをクローン(コピー)してみてください」
そう言われて促されたのはミルクティー色の髪の毛をしたかわいい女の子アバターだった。そういうもんか、と思ってとりあえずコピーしたら、その人のアバターが鼻がくっつくぐらいにぐいっと近づいてきた。
「かわいー!」
「ありがとうございます!かわいいですね!」
「うん、かわいいですぅ!」
その人は嬉しそうに何度もかわいい、と言って私のアバターに近づいてハグをする動作をした。フレンドリーな人だな、と思いながらその日はVR酔い(車酔いみたいなもの)でギブアップしてお礼言ってからログアウトした。
で、次の日ログインしたら、通知にその人からフレンド申請が来てた。おお喜んで〜、って軽い気持ちで承認してから、適当なワールド選んで移動した。今度はJapanshrineっていう海外の人とかも集まるワールドだった。
そこを彷徨いてたらネズミアバターの中国の人とロボットアバターのタイの人に話しかけられて、カタコト英語で話しながら交流した。話の流れで中国の人に一緒にネズミになろうぜ!って言われてネズミアバターをクローン(コピー)させてもらったタイミングで、「昨日の人がワールドにログインしました」って通知が来た。そのメッセージから数秒で私のところにやってきて、私の視界を遮る様に立った。
「こんばんは〜」
挨拶しても返事はなかった。不思議に思っていると、その人のアバターが急に変わった。黒髪ですごいスタイルのいい、ミニスカワンピースの女の子のアバターだった。そして急に、
って言われた。
正直、え?って思ったけど、断るのも変かと思ってコピーしたら、その人のアバターがまた昨日のに戻って、鼻と鼻がくっつくぐらいにずいっと近づいてきた。
「かわいー!」
「え、あはは、ありがとうございます?」
ピンク髪でいっぱいの視界の向こうで、交流してた海外の人が「Yourfriend?」「コンニチワ」って言ってるのが聞こえたけど、その人は何も答えなかった。
結局私が仲介する形で一緒に会話したんだけど、その人は何か聞かれても適当にイエス、とか、んーそうかも、とかしか答えてなかった。
なんかもやもやしながらまたVR酔いしてログアウトして、そんで次の日。
またログインしてホームに行ったら、ピコンと通知が表示された。
一瞬意味が分からなかった。けど、◯◯◯ってのはあの人の名前だった。
それから3秒後ぐらいにあのピンク髪のアイコンが現れて、凄い勢いでまた私のアバターにくっついてきた。
「待ってたんだよ〜!」
そう言われても固まって動けなかった。だって例えるなら、ゲームのセーブかロードか選ぶ画面にゲーム内のキャラが現れた感じだ。こえぇよ。それはナシでしょ。ドキドキ文芸部じゃないんだからさ。
「あ、そうなんですね、えへへ」
びっくりしながらもとりあえず返事をしたら、その人は黙ったまま自分のアバターを一歩後ろに引かせてまた私のアバターにくっつけて、っていうのを何度も繰り返した。腕はハグをするみたいに広げたままで、時折わずかにリップ音みたいな音が聞こえた。
そう思った瞬間腕に鳥肌が立った。
何も言えずにいると、その人がチャットテキストで何か英数字を送ってきた。
「コレ俺のインスタアカウントとディスコードのアカウント。フレンドになろうよ」
「…………。すみません、どっちもやってなくて」
今、俺って言った?
「えーじゃあTwitterならやってるよね?繋がろうよ」
「…………、ハイ」
Twitterをやっているのはバレているので逃げられず、結局あまり使っていないアカウントを教えた。フォローされたあと仕方なくフォローしたら、サングラスをかけた顔絵文字がリプライで送られてきた。
「うん、そうだね!ありがとう!ちなみにこの後暇?」
「…………すみません、実は今日もうログアウトしなきゃいけなくて、」
「そうなんだ!じゃあまたね」
「じゃあね〜!」
そう言ってまたアバターが近づいたり遠ざかったりした。チュ、と小さく聞こえた気がした。私は無我夢中でVRゴーグルを取り外すと電源を落とすと、見えないところにしまい込んだ。少し立って落ち着いた後でフォローされたTwitterアカウントを確認したら、がっつり男だった。半分顔が隠れてるけど自撮りっぽい写真もあった。
あれからわたしは、VRチャットにもそのTwitterアカウントにも未だログインできずにいる。未だにあのリップ音が耳から離れない。